老爺心お節介情報/第21号(2021年1月18日)

「老爺心お節介情報」第21号

〇新年明けましておめでとうございます。
〇大学入試共通テストも終わり、地域福祉研究者は一息ついているのではないでしょうか。しかし、自分の大学の入試がこれからでしょうから、新型コロナウイルスの件でやきもきする日々かとお察しいたします。
〇社会福祉協議会関係者は、新型コロナウイルスの件で、社会福祉施設等でクラスターが発生し、対応に苦慮されているのではないでしょうか。また、生活福祉資金の「特例給付」が免除になるかどうか、その行方を固唾を飲んでみまもっていることでしょう。
〇皆様、くれぐれも新型コロナウイルスにご留意の上、ご活躍下さい。

「社会福祉実践における『実践仮説』と実践者の“ゆらぎ”」

「老爺心お節介情報」第21号は社会福祉実践の在り方についての意見である。
筆者は、ここ数年千葉県、富山県、香川県、佐賀県、大阪府、岩手県の社会福祉協議会において、CSW研修を体系化させようと取り組んできました。その際、感じることは、社会福祉関係者の活動には「実践仮説」をもって意識的に取り組むという姿勢が弱いと感じている。
筆者が、東京都三鷹市の勤労青年学級の講師として取り組み始めたのは1966年度からですが、その際、小川正美社会教育主事から強く求められたのは、①勤労青年という教育実践の対象になる「学習者理解」を深めること、②これらの青年に対し、どのような教育目標を設定し、どのような教材や教育方法を駆使して実践するのか、1年間の、あるいは中期の「実践仮説」をもって取り組むこと、③年度がおわったら、「実践仮説」に基づいた実践がどうであったかを総括、評価し、文章化することであった。当時、日本社会事業大学の学部4年生であった私にとっては、それはとても厳しい“注文”であったが、それを意識化して取り組んだことが筆者を育ててくれたと今では感謝している。
三鷹市の勤労青年学級だけではなく、教育学分野では、教師が「実践仮説」をもって、実践に取り組むということが必要だと教えられてきたが、1970年代、社会福祉分野において「実践仮説」という言葉を使うと、関係者はその用語は初めて聞いたとか、「実践仮説」とはどういうことですかとか、用語の使用が共有化できないことに驚いた記憶がある。ある意味、社会福祉分野は“制度の枠”の中で、“制度に基づくサービスを提供”していたので、「実践仮説」という考え方を持たなくても通用してきたのかなと思ったことがある。
しかしながら、これからは制度が十分でなければ、ニーズに対応する新しいサービスを開発する必要があるし、生活のしづらさを抱えている人への伴走的支援によるソーシャルワーク実践が求められてきている。そこでは、実践者の「実践仮説」が大いに問われるはずである。
添付したのは、筆者が、自閉症者への支援を全国でいち早く取り組み、先駆的実践を展開してきた社会福祉法人嬉泉の理事長であった石井哲夫先生に頼まれて、法人の機関紙『嬉泉の新聞』(No58、2005年7月)に寄稿したものである。
社会福祉関係者は、意識しないと、ついついパターナリズムになりがちである。そのことを踏まえて「実践仮説」をもつことと、実践の過程での“揺らぎ”(自省的省察)の必要性について書いたものである。
なお、ドナルド・ショーン著、佐藤学・秋田喜代美約の『専門家の知恵』(2001年、ゆみる出版)もぜひ読んでほしい。教育学の分野では、重要な文献の一つである。

追記
以前送信したCSW研修のプログラムに関しての資料として入れた「社会生活モデルに基づくアセスメントの視点と枠組みシート」並びに「問題解決プログラム企画立案書」を一部訂正したので、添付している。修正は、富山県社会福祉協議会の魚住浩二さんがしてくれた。
「問題解決プログラム企画立案書」の修正部分は、財源の項目について、より細目化させた。佐賀県での研修において、新しい企画の事業規模、事業予算とその算出根拠等についての認識が弱く、“財源”という項目についての記述が“共同募金の補助”とか、あまりにも一般的すぎるので、より細かく企画するように改善することにした。
「社会生活モデルに基づくアセスメントの視点と枠組みシート」では、ナラティブの項目で希望を入れたり、社会的活動をどう行ってきていたのかの項目、あるいは意思表明能力の状況等の項目について修正した。

添付資料

※お詫びとお問合せ
「『社会生活モデル』に基づくアセスメントの視点と枠組みシート」等は、大橋謙策先生のご了解を得て、編集上の都合で省略させていただきました。詳細につきましては、日本地域福祉研究所(本ブログの右カラム「Related Sites Links/関連リンク」参照)にお問い合わせ下さい。

(2021年1月18日記)