この本――丸山正樹著『ワンダフル・ライフ』(光文社、2021年)を読むことになったきっかけは、ある人に勧められたからです。読んでまず思ったことは、この本の存在を知って、読むことができて良かったということです。
内容は、四本の話が同時進行していって、最後にそれぞれの話のつながりがわかるという構成です。そして、それぞれの話は、脳性麻痺の重度障害者と女子大学生との恋愛の話や、事故で頸椎損傷となった妻を介護する夫の話、妊活が実らず養子をもらおうとする夫婦の話、上司と不倫するOLの話などです。その話のなかに、それぞれのテーマとして、障害者差別の問題、障害者の自立生活の問題、障害児の親無き後問題、介護の人手不足問題などが語られています。それらは僕も時たま考えていることなのですが、再考する良いきっかけになりました。
「排除アート」についても語られていますが、その言葉は初めて知りました。そういう手段もあるのだなあと思ったと同時に、本音と建前を使い分ける日本人らしい発想だとも思いました。
ですが、それらの話がおおよそハッピーエンドとは言えない結末であると思えるのです。ハッピーエンドの未来も語られていますが、あくまでもそれは可能性のひとつであると提示されているだけで、現実はそうはならないと思えてくるような結末でした。そして、僕の過去の体験に似た話もあったにもかかわらず、それがハッピーエンドになるとは僕には考えられなかったため、「自分もどうせ……」と考えて結構落ち込みました。読み終わった後、もう少し前向きになれるような話があれば良かったと思いました。
でもそれは間違った考え方でした。大人になり世の中の大変さを知ると、多くの人は情熱を失い現実に冷めてしまいます。僕もその例に漏れず、危うく冷めた人間になるところでした。
「私たちにその夢を追う勇気があれば、すべての夢は実現する。」(ウォルト・ディズニー)
そう思って一度冷静になり、俯瞰して考えてみると、いくつか気になるところがあります。まずは、脳性麻痺の重度障害者の自立生活と恋愛についてです。彼は脳性麻痺で重度障害者であるが故に、日常生活で多くのヘルパーやボランティアの力を借りて、24時間の介護を受けながら生活しています。そんななかで、一人の男性ヘルパーと名前を交換し、自分が障害者であるということを隠して女子大学生と会うことにします。名前を交換して自分を偽ってくれることを了承したはずの男性ヘルパーも、次第にその女子大学生に近づきたいという欲に駆られて行動するようになります。
最初はこの男性ヘルパーに怒りを感じていました。しかし、よく考えてみると、脳性麻痺の重度障害者も甘いと思います。身分を偽ったこともそうですが、ヘルパーに対する認識が甘いです。欲に駆られた男性ヘルパーは、無資格で個人的に雇っている有償ヘルパーだということですが、自分が雇用主となりヘルパーを働かせる場合は、どういう能力を有していて、どういう性格なのかをじっくり勘案してさせる仕事を選ぶべきです。ですから僕は、自分のもとでヘルパーを働かせる場合は、信頼できる人、あるいはある程度信頼関係ができた人でないと大事な仕事は任せないことにしています。そして、次の言葉を時々思い出すようにしています。
「無能な部下など存在しない。上司が無能にしているだけだ。」( 吉田松陰)
この脳性麻痺で重度障害者の男性は、先天性の障害でしかも頭の良い人となっているので、ヘルパー制度を利用することに長けているはずなのに、どうしてこんなミスをしてしまうのか。こういうことが言えるのも人的資源に困っていなくて、ヘルパーを選ぶことができるという状況があってこそだと思います。
「溺れる者は藁をもつかむ」
そういう現実が、悲しい結末を生むのではないでしょうか。そしてその現実は、次に語る、事故で障害を負ってしまった妻の介護をする夫の話にも言えます。
結末から言うと、この妻は最終的に自分の意思で施設に入ることを選びます。「夫の負担になりたくない」「夫に迷惑はかけたくはない」という考えがあったのかもしれません。プライドの高い妻という設定ですが、若い頃から、障害児と介護をする母親との無理心中の記事を集めていたことで、障害を負ってしまった自分の将来を悲観したが故の行動なのかもしれません。でも、自分の将来を悲観するに至った情報というのは、古くて時代遅れだと思うのです。できることなら、最後まで自分の好きなように生きる方が、誰だって望ましいのではないでしょうか。
でも残念ながら、日本では障害者は社会から排除されるか隔離されるかという悪しき習慣がありました。それはいまも、基本的にはかわっていません。その最たるものが障害児と介護をする母親との無理心中で、事故で頸椎損傷(ケイソン)となった妻も、暗い将来しか想像できなかったのでしょう。
ですが、自然な流れで 「障害者 → 将来が暗い」 となるのはおかしくないでしょうか。障害者であれ健常者であれ、等しく将来が望める世界になって欲しいものです。また、そんな世界を創りたいものです。
それにはまず前例を作ることです。今までにも、障害者(特に先天的など若い頃からの障害者)が生涯、自分を貫いて好きに生きるという前例はあったでしょうが、それらは小数で特例扱いでした。そうではなく、もっと多くの実例があれば、そしてその先駆者が専門家となって、エキスパートレビュー(熟練した専門家が機器やシステムをレビューすること)できる環境が必要でしょう。
「ユーザビリティの専門家は、想定されているユーザーがどのような行動をとる傾向があるかを、過去の経験から蓄積しているため、ユーザーがいなくてもおおよそどのような操作を行うかを想像することができる。最初は個別に問題点を見つけ、後半では参加者全員で問題点の整理や分析、改善案の創出を行う。」(国際ユニヴァーサルデザイン協議会)
2001年に世界保健機関(WHO)が採択した国際生活機能分類(ICF)では、「障害とは本人の持つ要因(個人因子)と環境の持つ要因(環境因子)が相互に影響して生まれるものであるという相互作用モデルの考え方」が採用されています。つまり、個人の努力ではどうにもならないレベルでも、環境によっては改善の余地はあるということです。そもそも、環境によっては助かる命、助からない命というのもあります。また、支援技術(アシスティブ・テクノロジー)というのも日々進歩しています。
そういう情報があれば、本のなかに登場する障害を負ってしまった奥さんも、古くて時代遅れの情報に踊らされて自分の未来を悲観する前に、別の選択肢を考えることができたかもしれません。また文中に、障害児が施設ではなく、地域で暮らせるようになるための準備をするための施設を作りたいという人も登場します。そういった施設も、これからは必要になってくるでしょう。小規模なものは、既にチラホラと目につきます。
最初に述べた脳性麻痺の重度障害者の話にしても、事故でケイソンとなった妻の話にしても、こういった話はこれから先、共生社会を推し進めていくに当たってどんどん増加していくと思われます。私たちはそれに備えなければなりません。この本は、ただ読んだだけで終わらせてはいけない。そういう本だと思います。健常者も障害者も、誰もが共生社会の実現に向けて、それぞれの人生と将来を切り拓くことにつながる、つなげなければならないことを改めて思い起こさせてくれる本です。そういう意味で、「読むことができて良かったということです」。
参考文献
(1)遠越段『世界の名言100』総合法令出版 2014年
(2)池田貴将『覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰』サンクチュアリ出版 2013年
(3)国際ユニヴァーサルデザイン協議会『知る、わかる、ユニヴァーサルデザイン』一般財団法人国際ユニヴァーサルデザイン協議会 2014年