コンパスの会集まる

ハンセン病問題と教育を考える市民の会コンパス
仲間3人の小さな会だ
2年ぶりに29日午後から集まった

2013年10月ハンセン病問題を授業化するテキスト
「おまえ、もう学校に来るな!」を編纂する
関わった3人が新たに立ち上げた会だった

テキストは全道の小中高・大学等や全国の療養所 
都府県ハンセン病問題担当課へ
総数1万2千部がばらまかれた

テキストを使った授業の啓発のため
道の事業として道内4カ所を回った
年明けの札幌では道庁赤煉瓦会場で
「人権とハンセン病問題を考える教育セミナー」を開催した
教員を中心に全道各地から100余名が集まった

中学校教諭の手嶋和之さんが模擬授業を展開する
「まだ死ぬわけにはいかない」と題して
ハンセン病全寮協神美知宏会長が講演する
神会長を交え手嶋さん
ハンセン病問題に取り組んできた札幌弁護士会人権委員会の秀島ゆかりさん
75歳でハンセン病問題を市民活動に育てたはまなすの里代表の平中忠信さん
「学校でいかに人権とハンセン病問題を教えるか?」
パネルディスカッションは参加者を巻き込みヒートアップしていく
全国でも稀なハンセン病問題と教育のあり方を考える場となった

神会長がまとめた二つのこと
「ひとつは、ハンセン病問題は我が国最大の人権問題であり、療養所は人権侵害の現場である。誤った隔離政策を続けてきた国が、現在行っている療養所の職員の定数削減といった効率優先の合理化政策によって、十分なケアを受けることができなくなった被害者の尊厳をこれ以上ないがしろにすることは、あってはならない。
もうひとつは、国にとってハンセン病問題は、数ある福祉政策の一つではない。国は隔離政策の過ちを認めた加害者であることを忘れてはならない。
私たち当事者だけの運動では、未解決の深刻な課題を解決することは不可能であることを60年余の運動で痛感しています。市民の皆様が、本問題に対して無関心である限り、国の厚い壁を打破することはできないことを思い知らされています。
国の政策、社会の風潮を改めるためには、市民のみな様のご理解とご支援が必要です。
今日の意義あるセミナーが、そのきっかけになってくれることを願ってやみません」
最後に1985年5月8日独大統領ヴァイツゼッカーの演説を引用した
「過去に目を閉ざす者は、現在(未来)に対しても盲目となる」
公の場での彼の最期の言葉となった
14年5月9日道半ばで享年80歳の生涯を閉じた

コーディネーターはセミナーをこう閉めた
「2年前に多磨全生園で神さんともお会いし、テキストの表紙の絵と詩を書かれた鈴村洋子さん(道内出身)にもお会いしました。その方々からとても大事なことを学びました。憤りを感じながらこの60年、運動に身を挺してきたというお話をされておりましたが、その根っ子にあるものについて、先日亡くなったネルソンマンデラの言葉をお借りします。
『あらゆる人間の心の奥底には、慈悲と寛容がある。肌の色や信仰の違う他人を憎むように生まれついた人間などいない。人は憎むことを学ぶのだ。憎むことを学べるのなら、愛することも学べるだろう。愛は憎しみよりももっと自然に人のこころに根付くはずだ』
人のこころに根付いた愛の広さと深さを、ハンセン病回復者の方々から感じることができました」

3人は今を語った
ハンセン病回復者への差別問題は家族訴訟というカタチで提起された
訴訟に声を上げられない多くの人がいることは事の深刻さを物語る
コロナ禍における感染者への憎悪が人権侵害と指摘されてもおさまらない
日本では人権問題が政治の場で語られるおぞましさと白々しさを感じる
ハンセン病回復者の道内出身の方は20名を切って風化の速度をあげる
学校の現場に外部から入っていけぬ壁は年々厚くなっていく

学校教育は人権を教えられるか?
学校は押しつけられた政策課題で苦しめられ悲鳴を上げる
学力テストの点数主義に追い立てられ指導時間の確保に注力する
登校拒否の数の調整をしつつ教える喜びのないまま仕事をこなす
いじめとも指導死とも向き合えぬまま教師は人権問題を回避する
状況は8年前より後退している状況は否めなかった

手嶋さんはテキストにこう記した
「子どもたちが夢や希望を持って将来像を描けるようにしていくためには、差別の構造を知り克服しなければならない。教師をはじめ大人たちは、子どもに人権侵害の歴史や事実があればしっかりとその正確な知識・事実を教え、伝えて、共有していかなければならない。子どもたちには、ハンセン病の学習を通して、自分たちが今持っている人権が奪われて人間としての尊厳を踏みにじられた人がいる現実に気づき、なぜ人権侵害が起きてしまったのか、その上で人権を護るためには何をしなければならないのかを学んでほしい。そして、さまざまな人々が共存・共生できる社会の創造のために、積極的な行動をとることのできる人間に成長することを期待していきたい」

平中忠信さんがテキストの巻頭言に記した言葉を噛みしめた
「私たちは教育に対して非力ではあるが無力ではない」
彼もまた2018年5月22日享年91歳で鬼籍に入った

〔2021年12月29日書き下ろし。ハンセン病問題に引き込んだ平中先生を想い出しながら、手嶋先生、元道共募事務局長木村昌次さんとの『これから』についての話題は尽きなかった〕