「老爺心お節介情報」第36号
〇関東は梅雨入りしたようですが、皆さまのところは如何ですか。梅雨がないと水不足になり、田畑が困りますが、連日の雨と湿度の高い日々は気分的にはまいります。
〇我が家近辺の多摩丘陵には、今年もホトトギス(時鳥)が飛来し、“トウキョウトッキョキョカキョク”と毎日未明から鳴いています。
〇我が家の庭の小さな畑に、ナス、キュウリ、シシトウが実り、食卓を豊かにしてくれています。
〇「老爺心お節介情報」第36号をお届けします。
Ⅰ 社会問題の分析視角と『ことばと文化』(鈴木孝夫著)
〇私は、恩師の小川利夫先生から研究指導を受ける際、“おまえの分析視角は何か、そのナイフは先行研究を踏まえた理論課題を明らかにできる研ぎ澄まされているナイフなのか、それともなまくらなのかどうか?”、“事象に流されて、紹介するだけのものは論文とは言わない”等と常に戒められてきた。
〇そんなこともあり、私は論文を書くときに、あるいは講演をする際にとても十分とはいえないにしても、常に以下のようなことを考えて研究生活を送ってきた。
➀ 何故、その社会問題、事象を取り上げるのか、それを取り上げる意義は何か?
② 取り上げた社会問題、事象をどう分析するのか、その分析の視角は何か?
③ 分析したここの要因間の関係の構造を考え、何が幹で、何が枝で、何が葉なのか、枝葉末節を考えて、構造的に分析を行い、考えているか?
④ 分析をした社会問題、事象を通して、社会福祉学界に対してどのような理論課題を提起し、論述しようとしているのか、その理論課題に即した先行研究も十分まえてに論述しているのか?
〇上記のことを私が意識して分析視角、問題構造という用語を使って書いた最初の論文が「現代児童の問題構造と分析視角」(『ジュリスト』572号、有斐閣、1974年10月)である。
〇自分のことを棚に上げておこがましいことを言うようであるが、最近の実践や研究において、上記のことがほとんど触れられずに、“犬が歩けば棒に当たる”類の研究姿勢が多いことはなぜなのだろうか?それは私達の世代の“大学院”での研究指導が不十分であったからであろうか。
〇『ことばと文化』(鈴木孝夫著、岩波新書、780円)を2022年6月に読んだ。残念ながら、この本は1973年に初版が出ている。
〇私が、1970年頃に日本の文化を基底とした社会福祉のあり方と、WASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)の文化を基底としたアメリカの社会福祉の考え方、とりわけ社会福祉方法論との関係で悩んでいたころに出た本である。
〇生活のしづらさを抱えている人を支援する際に、その人の文化的基底は何か、生活文化は何か、その違いを抜きにして“アメリカ直輸入”的に社会福祉方法論を論じ、支援の際に援用することにどうしても馴染めず、文化、言葉、心理というものを学ぼうとしたがあまりにも奥が深くとん挫した研究経験を私は有している。
〇ところが、この『ことばと文化』を読んで、初版本が出た時に、この本を読んでいれば、あるいは私の研究上の“分析視角”や“問題構造の描き方”は変わっていたかも知れないと直感的に思った。というのも、生活問題を取り上げる社会福祉研究は、生活問題の事象をどのように表現し、どのような文脈の中で分析し、関係づけて考えるか、そのヒントが『ことばと文化』の中にあるからである。
〇鈴木孝夫氏は、慶應大学名誉教授であり、言語社会学者である。1926年に生まれ、2021年の2月に逝去している。逝去に際し、多くのマスコミが鈴木孝夫氏の論功を取り上げ紹介した。浅学菲才の私は不覚にも、その時はじめて鈴木孝夫氏の論功を知った。(鈴木孝夫氏が逝去された報道の後、すぐにこの本を購入したが、1年間本棚に“積読”の状態で、漸くここに来て読むことができた)。
〇『ことばと文化』の初版本が出された1970年代初頭の頃、社会福祉と社会教育の学際研究をしていた私は、その二つの領域の文献とその領域の政策動向、実践情報を把握するのに精一杯で、精神的にも、時間的にも余裕がなく、広く“文化”や“ことば”に関する文献を検索できていなかった。“文化”については、いくつかの文献を渉猟したが、あまりにも奥が深く、幅が広く、“社会福祉と文化”の関係を分析できる視角を確立できる自信が持てず、諦めてしまった経験を有している。
〇鈴木孝夫氏は、『ことばと文化』の中で次のように述べている。
① “文化の単位をなしている個々の項目(事物や行動)というものは、一つ一つが、他の項目から独立した、それ自体で完結した存在ではなく、他のさまざまな項目との間で、一種の引張り合い、押し合いしながら、相対的に価値が決まっていくものなのである”(P4)
② あらわれた文化とかくされた文化――“ある国の人々の生活や考え方を隅々まで支配している、その国の文化というものは、そこに生まれた人々にとっては、空気の存在と同じく、元来自覚されにくいものである。・・普通の人が気付く、いわゆる文化の相違は、比較的目につきやすい、具体的な現象に限られることが多いのである。あらわな文化という(over culture)と呼ぶ文化の側面がこれである。
この顕在的な文化に対して、目に見えにくい、それだけに、仲々気が付かない文化の側面のことをかくれた文化(cover culture)と呼ぶ。・・・このように文化の項目としては全く同一のスプーンを使いながら、日本人と西洋人との間には、ちょっと人が気が付かない構造的な違いが見られる。・・かくれた部分に気付くことこそ、異文化理解のカギであり、また外国語を学習することの重要な意義の一つはここにあるといえよう。(P15~17)
③ “ことばが、私たちの世界認識の手がかりであり、唯一の窓口であるならば、ことばの構造やしくみが違えば、認識される対象も当然ある程度変化せざるを得ない。”(P31)
④ “ことばというものは、混沌とした、連続的で切れ目のない素材の世界に、人間の見地から、人間にとって有意義と思われる仕方で、虚構の文節を与え、そして分類する働きを担っている。言葉とは絶えず生成し、常に流動している世界を、あたかも整然と区分された、ものやことの集合であるかのような姿の下に、人間に提示して見せる虚構性を本質的に持っているのである“(P30~31)
⑤ “ものにことばを与えるということは、人間が自分を取り巻く世界の一側面を、他の側面や断片から切り離して扱う価値があると認めたということにすぎない。
化学式でH₂Oと一括できる同一のものが、日本語で「氷」、「湯」、「ゆげ」に始まり、「露」「霜」から「春雨」や「夕立」に至る、何十という別々のことばで呼ばれていることは、しかし、確実なものとしての存在は、H₂Oだけであって、それ以外の名称は、名前だけの実体のない存在、つまり対象の側に必然的な裏付けのない虚構であるということにはならないのである。
何故かといえば、このH₂Oですら、人間が世界のある特定の角度から整理した結果、把握されたものであって、決して最終的な、確実なものではないからだ“(P39~40)
〇我々が、社会問題、生活問題を取り上げて研究する際、どの視点からその問題を取り上げるのか、そしてその問題の整理にあったて、どのような“言葉”で分析するのか、その結果どのような理論課題を提起するのか、とても重要なことである。
〇アメリカ人の“ものの見方、考え方”における文化と、日本人の“ものの見方、考え方”の違いと、それを表現する仕方が違うということをよく踏まえて海外研究、国際研究をする必要がある。
〇“ことわざ”はその国の文化、生活慣習にすぐれて影響を受けている“ことば”である。私の拙文を韓国語に訳すときに、“ことわざ”の翻訳ができないとよく言われたものである。
〇このようなことを考えると、生活問題、社会問題自体が、ある局面を語っているわけであるから、その分析はどの側面から切っているのか、それは何を提起しているのかを常に考える必要がある。
〇“研究者”として、論文を書くということが如何に難しいかを再認識させられた。
Ⅱ 雑感―― 黒川祐次著『物語 ウクライナの歴史』を読んで
〇ウクライナ人の民族国家、主権国家ウクライナへロシアが侵攻した。とても許される行為ではない。まさに国際法を踏みにじる蛮行である。いくら、1991年以前のソビエト連邦の傘下国であったとしても、断じて許されない行為である。
〇ロシアはなぜこのような蛮行を犯したのか、黒川祐次著『物語 ウクライナの歴史』(中公新書、860円)を読んで、その歴的な遠因、根の深さを改めて認識させられた。
〇かつて、このような蛮行を日本もしてきた。韓国の人が日本に対して持っている“恨”には根深いものがある。韓国(朝鮮)に対し、白村江の侵略、秀吉の侵略に加え、日韓併合、「創氏改称」という蛮行を日本は行ってきた。中国に対しても満州国建設、南京侵略等蛮行を行ってきた。
〇ロシアのウクライナ侵攻に際し、どれだけの日本人が、かつて韓国(朝鮮)や中国に対して行ってきた蛮行を振り返り、反省し、その上でロシア批判をしているのであろうか。
〇戦前、日本が犯した蛮行を今こそ正面から向き合い、反省し、謝罪すべきことは明らかに謝罪したうえで、未来に向けての平和友好を築く努力をするべきではないのだろうか。
〇マスコミの論調に、このようなかつて日本が犯した蛮行との関りでの論説が十分でないことに懸念を持っている。まさか、そんな“日本の過去の蛮行”は“水に流して”と思っている日本人がいないことを願うばかりである。
〇目の前のウクライナ侵攻を日本人が傍観しているのではないことを願うのみである。
〇と同時に、ウクライナ難民の受け入れとタイ、ミヤンマー、あるいはバングラデシュ等のアジア地域の人々の難民受け入れとを日本人が差別化していないことを願うばかりである。
(2022年6月13日記)