まえがき
筆者はここ数年、「まちづくりと市民福祉教育」の思想や哲学、原理や価値についてどう考えるか、市民福祉教育の実践や研究の根底にはいかなる生命観・人間観、世界観を必要不可欠とするか、「まちづくり」や「教育づくり」について探究するにあたってその前提として「日本社会」や地域・社会の実態をどう把握するか、そんなことを考えてきた。見るべき成果は皆無であり、 慚愧(ざんき)に堪えないが、本冊子はそのとてつもなく大きな課題にアプローチしてきた際のひとつのメモでもある。
ここでは、ウェブサイト(「市民福祉教育研究所」)を開設した頃に参加した愛知県T市のボランティア研修会(テーマ「まちづくり・ボランティア・市民福祉教育」)における拙い話(講演録)を転載し、「まえがき」にかえることにする。裏テーマは、「滅私奉公・滅公奉私・活私開公」である。
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公共哲学や社会思想史がご専門の、哲学者である山脇直司(やまわき・なおし)という先生が書かれた本に、『社会とどうかかわるか』とい本があります。2008年11月に、岩波ジュニア新書の一冊として刊行されておりますので、ご一読いただければと思います。
山脇先生は、その本で、「社会とのかかわり方」には3つのパターンがある。「社会とのゆがんだかかわり方」は「滅私奉公」(めっしほうこう)と「滅公奉私」(めっこうほうし)というライフスタイルや価値観である。「社会との理想的なかかわり方」として推奨したいのは「活私開公」(かっしかいこう)というライフスタイルや社会観である、といっています。
「滅私奉公」は、自分も他者も、国や会社、規律やイデオロギーのために犠牲となることを強いられるような、「社会とのかかわり方」です。そこでの人間関係は、一人ひとりの「私」を活かすようなものではなく、国家の命令、会社組織、学校の規律、党のイデオロギーなどによって支配されています。
「滅公奉私」は、他者とのつながりを切断するか、あるいは、他者とのつながりに興味を示したとしても、自己利益の追求の延長でしかないような「社会とのかかわり方」です。滅公奉私を生きる人にとって、身内や友だちや仲間以外の他者は、赤の他人にすぎません。このような「社会とのかかわり方」では、公共世界の重要な要素である福祉などの「公共善」をつくっていくことについては、きわめて消極的な姿勢しか生まれません。
「活私開公」という「社会とのかかわり方」においては、「一人ひとりの個性を活かすような」仕方で他者とコミュニケーションをし、平和、人権、福祉など、共有しあえる「公共善」の実現を願います。また、戦争、人権弾圧、貧困、差別、環境破壊などの公共悪や、地震、津波などの災禍の現状をできるだけ的確に認識し、その除去や救援のためになんらかの努力をします。
要するに、「滅私奉公」は、自分を犠牲にして、国や地域・社会のために尽くす精神を意味します。この考えや行動は、全体主義につながります。この考えやライフスタイルは、1930年代以降戦時体制が進むなかでのものですが、それは戦後日本においても形を変えて生き残っています。
「滅公奉私」は、社会全体に関することつまり「公共」(public)のことを無視して、自分と身内や仲間の利益だけを追求する精神を意味します。この考えや行動は、利己主義を蔓延させることになります。そこでは、「公平」(equity)や「公正」(fairness)が失われます。
「活私開公」は、一人ひとりの個人の生き方を尊重し、「私」(個性)を活かしながら、共に分かち合い、共に手を携えて豊かに生きる地域・社会を創る(「開花させる」)精神を意味します。この考えや行動は、社会福祉の原理のひとつであるノーマライゼーションや社会的包摂(ソーシャルインクルージョン)の思想につながります。それはまた、ボランティア活動の4原則ともいわれる(1)自発性・主体性、(2)社会性・連帯性、(3)無給性・無償性、(4)先駆性・開拓性に通じることにもなります。
いうまでもなく、「活私開公」という考え方やライフスタイルは、誰もが、自然に身につくものではありません。そこには教育や学習が必要になります。国や行政に対しては、一定の距離を保ち、ある種の緊張関係をもちながら、一人ひとりの住民が主体的・自律的・自治的に、いわば「下からの公共」「草の根からの公共」を創りあげて行くことが強く求められます。それこそが本当の、質の高い「公共」といえます。
そこに求められるのは、「市民」(citizen)としての自覚と資質・能力を育てるための「市民性形成」、福祉に引き付けていえば「市民福祉教育」です。
ボランティアは、市民「参加」やボランティア「派遣」という名の「動員」や、行政の「下請け」や「補完」を行うものではありません。ボランティアは、主体的で自律的・自治的な、そして「草の根」(grass roots)の活動や運動である、ということに思いを致していただければ幸いです。
なお、蛇足ですが、「滅公奉私」という言葉は1980年に社会学者の日高六郎(ひだか・ろくろう)が造った言葉であり、「活私開公」という言葉は山脇先生の友人である韓国人の金泰昌(キム・テーチャン)という方の造語である、と山脇先生はおっしゃっています。
2022年6月25日/阪野 貢
ⅰ~ⅱ
ⅲ~ⅳ
01/「相当やばい国」日本
―「奇跡」の幻想と「経済発展」の死語―
〇筆者の手もとに、本田由紀(ほんだ・ゆき、教育社会学専攻)の、中・高校生向きに書かれた『「日本」ってどんな国?―国際比較データで社会が見えてくる―』(〈ちくまプリマー新書〉筑摩書房、2021年10月。以下[1])という本がある。[1]で本田は、「家族」「ジェンダー」「学校」「友だち」「経済・仕事」「政治・社会運動」「『日本』と『自分』」の7つのテーマを取り上げ、系統的に国際比較データを提示しながら日本という国の特殊性や後進性などをあぶりだす。日本は、「奇妙な国」「相当やばい国」である。そんな日本という国のあり方を真面目に考え、諦(あきら)めないでこれからの「進み行き」を少しでも良くしていきたい。「あきらめたらすべては終わりです。日本も、世界も、そして個々の人間――あなたも、私も」(257ページ)。本田の、中・高校生に対するメッセージである。それはそれ以上に、大人に対するものでもある。
〇本田が各テーマごとに提示する、世界の潮流から乖離した統計データ(とりわけ下位に位置する統計項目のデータ)と、その分析に基づく主要な論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。統計データの出典は一部のみ)。
家族
●日本における家庭生活の満足度は31カ国中、男性では27位、女性では29位と、非常に低い位置にある。(ISSP〈国際社会調査プログラム〉、2012)
●若者(13歳から29歳)が父親・母親との肯定的もしくは親密な関係性について、「あてはまる」と答えた比率は、日本が7カ国中、最低である。(内閣府、2018)
日本では、一方では古い家族観が根強く、政府も家族を美化したり様々な社会的責任を押しつけたりするようなふるまいが著しい。他方では現実の家族は成立や維持が難しくなったり、家族間の関係が不十分であったり壊れていたりし、また家族が人々の間の格差や分断を生み出し続けているという問題も抱えている。(50~51ページ)
いま必要なのは、古い家族像を理想化したり、家族が担い切れないほどの負担を負わせたりすることではなく、どのように異例な「家族」であったとしても、あるいは一人で独立して生きていく場合であっても、安心して、かつ尊重されて人生を送れるようにすることである。そのためには、個々人を単位として、生命と生活を維持することができるためのモノ(住居や食品など)やサービス(医療や教育など)が、普遍的に確保できるような方向に向かっていくしかないのである。(51ページ)
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ジェンダー
●国会議員に占める女性比率は37カ国中、最下位、企業の管理職に占める女性比率も33カ国中、最下位である。(OECD〈経済協力開発機構〉、2019)
●日本の15歳から64歳の男性の1日当たりの無償労働時間(家事・育児・介護など)は41分で、30カ国中、最低である。女性は224分で、男性との落差は大きい。(OECD統計より本田作成)
日本の女性は総じて「公的」な立場から排除され、仕事の世界でも男性との不平等は根強い。男性の「家庭進出」が停滞し、今なお「男は仕事、女は仕事も家庭も」が望まれている。「女性活躍」は実現されていないのである。(65~69ページ)
何より重要なことは、男性であっても女性であってもセクシャルマイノリティであっても、誰もが対等な人間であり、誰もが他者から敬意を払われ、自分の望みを表明したり行動に表したりできるような社会にしてゆくということである。そのためには、男性/女性という区分を、ぐらつかせていくことが必要となる。体のつくりが自分とは少し異なるだけの相手を、侮蔑(ぶべつ)したり依存したり憎悪したりすることが、いかに愚かなことか。何かの「らしさ」にはまらなくとも、あなたはあなたであるだけで十分なのである。男性/女性「らしさ」に捉われているのは本当につまらないことである。(94、95ページ)
学校
●日本は34カ国・地域中、「試験不安」(テストが難しいのではないか、悪い成績をとるのではないかという心配)は高く、「学習への動機づけ」は非常に低い。(OECD・PISA〈生徒の学習到達度調査〉、2015)
●日本の中学校における1学級当たりの児童生徒数は、33カ国中、32人と最多である。(OECD、2020)
●日本の中学校の教員は、1週間当たりの労働時間は48カ国中、最長の56時間を数え、文字通り世界一、多忙である。(OECD・TALIS〈国際教員指導環境調査〉、2018より本田作成)
●2009年と2018年において、日本の学校では内外におけるコンピューターやインターネットの(ICT:情報通信技術)の活用が、他国と比べて非常に遅れている。(OECD、2009、2018)
●「求めるスキルをもつ人材が採用できない」と回答した企業の比率は、26カ国中、一番高い。(Manpower Group、2015)
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日本の教員たちは授業をうまく行うことにはかなり長(た)けており、それによって日本の生徒は国際学力調査で高い成績を示すことができている。しかし、日本の教員は、個々の児童生徒の学習状況を個別にフィードバックしたり、学ぶことの価値や物事を根底から考えさせたりすること(「学習の価値」「批判的思考」)については、うまく行えていない。その背景には、教室内の児童生徒数が多いことや、教員の多忙さ、ICT化の遅れ、異常に厳しいルールで児童生徒をしばる行為などがある。(113~114、121、127ページ)
他国と比べて特殊で「異様」な面がたくさんあり、国全体を覆う巨大なシステムである「学校」を変えることはとても難しい。だからこそ、当事者である児童生徒や教員、保護者を含め、多くの人たちに、変えるべきことは変えてゆくという決意や行動が必要とされる。(138ページ)
友だち
●「家族以外の人」(「友人、職場の同僚、その他社会団体の人々」)との交流が「ない」と答えた人の割合は、日本では15.3%と、20カ国中、最も高い。(OECD、2005)
●1週間当たりの「社会的交流時間」(家族との交流を含む)は2時間、日本は24カ国中、とびぬけて最下位である。(OECD、2020)
●「過去1カ月の間に、助けを必要としている見知らぬ人を助けましたか?」という質問に「はい」と答えた比率は、日本では25%、調査対象国140カ国中、139位である。(アメリカの世論調査会社・Gallup社、2015)
●「暮らし向きの良い人は、経済的に苦しい友人を助けるべきだ」への賛否について、「そう思う」と答えた比率は、30カ国中、他国を引き離して最下位である。(ISSP、2017より本田作成)
日本の社会は、他国に比べて、人への冷淡さや不信が強い。日本では「絆」とか「団結」とかが称賛されることがしばしばあるが、社会の実態はそれらとはほど遠く、ばらばらに切り離され相互に警戒し合うような関係のほうが、広がってしまっている。「友だち」に関する日本の特徴は、「友だち」の少なさや格差、それらが人生のあとになるほど著しくなること、「友だち」が同質的な相手に限られがちであること、そして「友だち」以外のより広い他者との関係も希薄であることなどである。(166、169ページ)
ちょっと話す、ちょっと笑う、互いに傷つけない関係が少しあるだけで十分な人もいる。自分と全然ちが属性や境遇の人の存在に触れてみるだけでもよい。型にはまらない、いろいろな関係が可能な社会にするにはどうすればいいか、この難題について考えることが求められる。(170ページ)
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経済・社会
●1週間当たり49時間以上(長時間労働)働いている人の比率は、やや減ってきているとはいえ、16カ国中、飛びぬけて高い比率が続いている。(労働政策研究・研修機構データ、2019より本田作成)
●2016年におけるGDP(国内総生産)に占める労働市場政策への公的支出(失業者の救済や職業紹介・訓練など)は、17カ国中、米国に次いで2番目に少ない。(リクルートワーク研究所、2020)
●「仕事をするうえで大切だと思うもの」について、日本以外の8カ国では「高い賃金・充実した福利厚生」が重視されるのに対して、日本では「良好な職場の人間関係」が選択比率1位である。(リクルートワーク研究所、2012)
日本の働き方は、「世界標準」から見れば異様ともいえるような側面が多々見いだされる。長時間労働や正社員と非正社員の間の賃金格差をはじめ、勤続年数が長くなるほど賃金が上がっていく度合いの大きさ、転職の少なさ、企業規模間の賃金格差の大きさ、教育機関を卒業する以前に就職先が決まっている(新卒一括採用)割合の大きさ、職場でスキルを活かせている度合いの低さ、正社員のなかでの男女間賃金格差の大きさ、管理職の女性比率の低さなど、日本の働き方・働かせ方の特徴は枚挙にいとまがない。このような日本の特徴をひとことに集約した言葉として、最近、「メンバーシップ型雇用」という表現が頻繁に使われる。これと対比される「世界標準」的な働き方が「ジョブ型雇用」である(注①)。それは、職場の「メンバー」に入れてもらったあとは組織に身を委ねる、という働き方(「メンバーシップ型雇用」)ではなく、賃金や勤務時間、働く場所、オフィス環境など、様々な事柄に対して会社と交渉し、企業側とすりあわせて納得がいった場合にそこで働くという働き方である。(185~187、194ページ)
これからは、企業に溶け込んでお任せしっぱなしの働き方ではない、個人としての誇りと主張、確実なスキルをもった働き手が増えていく必要がいっそう高まる。それは、専門性の発揮だけでなく、働く側が、輪郭の明確な「ジョブ」に即した自律性や自由を取り戻すきっかけになる。(197、198ページ)
政治・社会運動
●国政選挙における投票率は、他国と比べて日本では(2014年衆議院選挙の投票率)52.66%で、200カ国中、150位である。(国際IDEAのサイトから本田作成)
●7カ国の若者(13歳から29歳)の政治意識について、「政治への関心」「社会問題の解決」「政策決定への参加」「子どもや若者の意見の反映」「社会現象の変革」「政府の決定への影響」などは、日本は軒並み、最小の数値が並んでいる。(内閣府、2018)
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●「医療の提供」「高齢者の生活保障」「低所得家庭の大学生への援助」「住居の保障」「自然環境保全」について「政府の責任」とみなす度合いは低く、35カ国・地域中、最下位である。(ISSP、2016データより本田作成)
日本の人々は政府に対して、医療や教育、住居など生命と生活を守るための基本的な条件を整えることや、失業者や高齢者や低所得家庭の大学生を助けたり、男女平等を推進したりといった、「公平さ」を実現する役割を強く求めていない。経済や物価だけちゃんとまわしてくれればいい、あとは自分たちで稼いで生きていくから、といった意識が、他国と比べて強い。(220~221ページ)
人々の自活・自助を当然視し、政府はそのための経済的な環境を整えてさえいればよい、社会のなかに苦しい人や不平等があったとしても、その是正は政府の役割ではない、という考え方。これは、政府が長年にわたり明に暗に発してきたメッセージそのものである。
それは人々が、生命と生活を守るために、政府に対して監視・批判・要請を十分に行ってこなかったということでもある。確固たる民主主義のもとで、生命と生活を守って生きてゆくために必要な施策や制度を、政府に対してあきらめずに強く要請し続けていかなければならない。(222、224ページ)
「日本」と「自分」
●高校1年生への「生きる意味」の問いに対して、「何のために生きてるのかわからない‥‥‥」といった虚無的な回答が73カ国・地域中、日本は最低である。(OECD・PISA、2018)
●「親世代より生活水準は上がるだろう」という質問に対する日本の若者(16歳から24歳)の肯定率は、30カ国中、最下位である。(IYF〈国際若者基金〉とCSIS〈戦略的国際研究センター〉、2016)
「自分はハッピーだから日本という国のことなんて関係ねぇ!」とはほど遠く、日本の若者のなかには、日本固有と言っていいようなネガティブな人生観や自己認識、不安などが色濃く観察される。この国で生きる若者たちは、知らず知らずのうちに傷ついている。日本という国の仕組みによって打ちのめされている。その結果、若者には強そうで安定した存在には従順に従う傾向がある。そうした「もじれた」(もつれる・こじれる・もじもじするなどを合わせた本田の造語)状況こそが、実は若者の自己意識の暗さの中核にあるのかもしれない。(238、245~246ページ)
「もじれた」現状から脱するためには、みんなが薄々気づき始めていたり、いろいろなデータによって否応なく突きつけられたりする、日本の現実を、まずは直視す
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ることからしか、何も始まらない。そして、高度経済成長期に成立し、その後の日本の経済社会を支えてきた「戦後日本型循環モデル」が1990年代以降破綻していることを認識し、新たな社会モデルを構想する必要がある。(246、248~249ページ)
なお、「戦後日本型循環モデル」(注②、補遺)とは、「教育」「仕事」「家族」という3つの社会領域が、互いに一方向的に資源を流し込む形で緊密に結びついた社会構造をいう。新規学卒一括採用、日本的雇用慣行(終身雇用、年功賃金・企業別組合)、性別役割分業、教育への私費負担の大きさ、社会保障の家族関連支出の少なさ、などを特徴とする。これからの日本を立て直してゆくためには、過去の「循環モデル」に決別し、教育・仕事・家族、そして福祉や政府の関係を、一方向的な循環ではなく双方向的な連携やバランスの関係へと組み替えていくしかない。(249~250、253ページ)
〇筆者は、「世界標準」を “すべてよし” として、それに倣(なら)うべきである、とは考えない。しかし、[1]では、「相当やばい国」日本の「いま」があぶりだされるなかで、“然(さ)もありなん”と思わざるを得ない。しかも、こんなことを思う。戦後日本の「エコノミックミラクル」(経済的復興と高度経済成長)を経て、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」「一億総中流社会」などと言われたのは、今は昔である。その際、誰にとっての「ミラクル」(奇跡)であったのか。また、その奇跡は誰の犠牲のうえに成り立ったのか、が問われなければならない。そして「いま」、「経済発展」という言葉も死語と化している、等々がそれである。
〇本田はいう。「それぞれのテーマに関する国際比較データは、現在の日本社会が、人と人との関係という点でも、物事の合理的な進め方という点でも、非常に多数の問題を抱えていることを表している。(お上〈政府〉)による)気分的な『愛国心』に浸っているひまなどなく、もし本当にこの国を大切に思うのであれば、それらの問題を、たとえ気が遠くなるほど難しくとも、“直視”して是正してゆく覚悟が必要」(248ページ。括弧内は阪野)である。本田の覚悟であり、若者と大人に求められる覚悟でもある。そして本田は断言する。「あきらめるという選択肢がないということだけは確か」(271ページ)である、と。
〇そこで問われるもののひとつは、本田も言及する、危機的状況にあると言われる日本の「いま」の民主主義のありようである。具体的には、自律的で自由な市民の社会参加(参集・参与・参画)は拡大しているのか、政治権力に対する監視・批判や責任追及は強化されているのか、が問われる。
〇宇野重規(うの・しげき、政治思想史・政治哲学専攻)は著書『民主主義とは何か』(〈講談社現代新書〉講談社、2020年10月)で、民主主義について次のようにいう。(1)民主主義は多数決であるが、すべての人間は平等であり、多数派によって抑圧されないように少数派の意見を尊重しなければならない。(2)民主主義(国
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家)は選挙を通じて国民の代表者を選ぶだけでなく、自分たちの社会の課題を自分たち自身で解決していくことである。(3)民主主義は国の具体的な制度であるが、平等な人々がともに生きていく社会をつくっていくための、終わることのない理念でもある(244、247、252ページ)。留意しておきたい。
〇なお、[1]における「相当やばい国」日本の言説は、一面では個別具体的な「やばいまち」の問題状況に基づくもの(それを積み上げたもの)であり、その事象とデータを社会学的な考察の俎上に載せて分析・整理し、国際比較したものである。それらを、「まちづくりと市民福祉教育」に引きつけて一言すれば、「やばいまち」の問題状況や課題を踏まえ、それを“直視”することがまず必要かつ重要となる。そのうえで、理念的・抽象的な「思いやり教育」「共生教育」としての「福祉教育」(学校福祉教育、地域福祉教育)ではなく、批判的思考に基づく、自律的改革のための「まちづくりとしての市民福祉教育」のあり方やその推進方策が厳しく問われることになる。その際、「いま」流行(はやり)の、「我が事・丸ごと」の地域共生社会の実現に向けた政策や事業展開から、政府の「我が事」(自助・互助、絆)と「丸ごと」(規制緩和、福祉の市場化・福祉サービスの商品化)の思惑(真のねらい)に敏感であることが求められる。再確認しておきたい。
〇さらに付言すれば、筆者はこれまで、「まちづくりと市民福祉教育」に関して、「まちづくりは人づくり 人づくりは教育づくり」である、と言ってきた。そこには、「教育づくりは政治づくり」が含意される。主権者である国民一人ひとりが政治に対する関心と意識を深め、「いま」の政治を変えない限り「いま」の教育は変わらない、という厳しい現実において「政治づくり」はなおさらのことである。
〇ここで、大阪市淀川区の市立木川南小学校の久保敬校長が2021年5月、松井一郎大阪市長に送った「大阪市教育行政への提言:豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために」を思い出す。「提言書」で久保はいう。「学校は、グローバル経済を支える人材という『商品』を作り出す工場と化している。そこでは、子どもたちは、テストの点によって選別される『競争』に晒(さら)される。そして、教職員は、子どもの成長にかかわる教育の本質に根ざした働きができず、喜びのない何のためかわからないような仕事に追われ、疲弊していく。さらには、やりがいや使命感を奪われ、働くことへの意欲さえ失いつつある」。教育現場の現役校長の悲痛な叫びである。
〇久保は続ける。「今、価値の転換を図らなければ、教育の世界に未来はない」。「本当に子どもの幸せな成長を願って、子どもの人権を尊重し、『最善の利益』を考えた社会ではない」。「『生き抜く』世の中ではなく、『生き合う』世の中でなくてはならない」。「子どもたちと一緒に学んだり、遊んだりする時間を楽しみたい」。「『競争』ではなく『協働』の社会でなければ、持続可能な社会にはならない」。この至極当然の言に対して、「政治的権力を持つ立場にある人にはその大きな責任が課せられている」ことに多言を要しない。松井大阪市長は、マスコミ報道
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によると、「この校長は現場がわかっていない」「子どもたちは、競争する社会のなかで生き抜いていかなければならない」「ルールに従えないなら、組織を出るべきだ」などと述べたという。その意向を受けて、2021年8月、大阪市教育委員会は久保に「文書訓告」の処分を強行する。この恥ずべき愚行は、子どもや教員、保護者、地域社会などの利益や福祉に大きく反するものである。そして、国民が国の政治を決定する権利をもつという国民主権の「政治づくり」、その必要性と重要性をより一層根拠づけることになる。強調しておきたい。
〇福祉教育の関心はこれまで、学校内や学校が所在する地域内の狭義の「ふくし」に留まりがちで、地方自治体や国、さらには国際レベルの「政治づくり」について十分に議論してこなかった。福祉教育は、混迷・荒廃する「いま」の教育に揺さぶりをかけ、その改革を図り、教育の本来の目的や目標をよみがえらせる長期的な教育戦略でもある。その具現化のひとつが政治教育(主権者教育)や政治活動であるが、福祉教育はこれまで、その取り組みに積極的であったとは言えない。付記しておきたい。
注
①「メンバーシップ型雇用」「ジョブ型雇用」については、その用語の提唱者でもある濱口桂一郎(はまぐち・けいいちろう。労働法・社会政策専攻)の次の本を参照されたい。
・濱田桂一郎『新しい労働社会―雇用システムの再構築へ―』〈岩波新書〉岩波書店、2009年7月
・濱口桂一郎『ジョブ型雇用社会とは何か―正社員体制の矛盾と転機―』〈岩波新書〉岩波書店、2021年9月
②「戦後日本型循環モデル」については、本田の次の本を参照されたい。
・本田由紀『社会を結びなおす―教育・仕事・家族の連携へ―』〈岩波ブックレット〉岩波書店、2014年6月
・本田由紀『もじれる社会―戦後日本型循環モデルを超えて―』〈ちくま新書〉筑摩書房、2014年10月
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補遺
本田が説く「戦後日本型循環モデル」と「新たな循環モデル」は下図の通りである。
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02/「脱成長社会」、節度ある豊かさの創造
―セルジュ・ラトゥーシュの「脱成長」論を読む―
〇筆者の手もとに、フランスの経済哲学者セルジュ・ラトゥーシュ(Serge Latouche)の「脱成長」論に関する本が4冊である。(1)中野佳裕訳『脱成長』(白水社、2020年11月。以下[1])、(2)同訳『経済成長なき社会発展は可能か? ―<脱成長>と<ポスト開発>の経済学―』(作品社、2010年7月。以下[2])、(3)同訳『<脱成長>は、世界を変えられるか? ―贈与・幸福・自律の新たな社会へ―』(作品社、2013年5月。以下[3])、(4)ディディエ・アルパジェス(Didier Harpagès)との共著、佐藤直樹・佐藤薫訳『脱成長(ダウンシフト)のとき―人間らしい時間をとりもどすために―』(未来社、2014年6月。以下[4])、がそれである。
〇[1]は、21世紀に入りフランスから世界へと普及した脱成長運動の歴史的背景や理論研究を整理・分析し、「簡素な生活と節度ある豊かな社会」を構築するための方策などについて解説する。ラトゥーシュの資本主義批判と脱成長論の集大成である。[2]は、「ポスト開発」の経済思想について論述する単著と、脱成長運動の骨子を整理する単著の2冊が収録されている。ラトゥーシュ思想の決定版である。[3]は、20世紀後半から世界で展開されている産業文明批判の思想を脱成長論の視点から議論し、経済成長なき社会発展の方法と実践を整理する。「脱成長の道」を描く思想書である。[4]は、生産至上主義による資本主義経済・社会の発展によって人間は、「時計」時間に隷属するようになったと、人間と時間との関係性について論じ、人間らしい時間の再征服(reconquête、レコンキスタ)を説く。若者向けの啓蒙書である。
〇ここでは[1][2][3]から、ラトゥーシュの「脱成長」(仏:décroissance、デクロワサンス。英:degrowth、デグロース)の言説について、その一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
「脱成長」という言葉と「脱成長社会」
脱成長という語は、概念ではない。また、経済成長の対義語でもない。脱成長は何よりも論争的な政治スローガンである。その目的は、我々に省察を促して限度の感覚を再発見させることにある。特に留意すべきは、脱成長は景気後退やマイナス成長を意図していないという点だ。したがって、この語は文字通りの意味で受け取ってはならない。(中略)「脱成長派」(脱成長運動の賛同者)は、生活の質、空気や水の質、そして経済成長のための経済成長が破壊してきた多くの物の質を向上させることを望んでいる。(中略)脱成長という語を「経済成長を崇拝しない態度(acroissance)」を指す語として使用しなければならないだろう。まさしく、進
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歩・発展という信仰や宗教を捨て去ることなのだ。([1]8~9ページ)
脱成長は、別の形の経済成長を企図するものでも、(持続可能な開発、社会開発、連帯的な開発など)別の形の開発を企図するものでもない。それは、これまでとは異なる社会(「節度ある豊かな社会」「ポスト成長社会」「経済成長なき繁栄」)を構築する企てである。言い換えると、脱成長は経済学的な企てでも別の経済を構築する企てでもなく、現実としての経済および帝国主義的言説としての経済から抜け出すことを意味する社会的企てである。([1]12ページ)
<脱成長>というスローガンは、成長を際限なく追求することを徹底的に放棄することを至上命題とする。つまり、資本移動を規制緩和しながら利潤を追求し、自然環境と人類に壊滅的な結果をもたらすその目的を破棄することである。/<脱成長>はマイナス成長ではない。(中略)ただ単に成長の速度を緩めるだけでは社会が混乱に陥ることは周知の事実である。失業は増加し、必要不可欠な最低限の生活の質を保障するところの社会、保健、教育、文化、環境の各分野におけるプログラムを破綻させることになる。(中略)雇用のない労働社会ほど最悪なものはないことと同じように、成長を約束できない成長社会ほど危険な社会はない。(中略)<脱成長>は「<脱成長>社会」においてのみ、つまり〔成長想念(思想)とは〕別の論理に基づいた体制においてのみ思考可能であるといえる。/厳密に言うならば、理論レベルでは、(中略)成長の減少・緩慢化・衰退(dé-croissance)よりも「無成長」(a-croissance)について語るべきである。何よりも重要なことは、経済・進歩および発展といった信仰ないし宗教を破棄することである。([2]140ページ)
<脱成長>は、蓄積、資本主義、搾取、略奪の縮小のほかにはない。/<脱成長>は断固として反資本主義の立場をとる。/多かれ少なかれ自由主義的な資本主義と生産主義的な社会主義は、成長社会という同一のプロジェクトの2つの類型である。/(<脱成長>における)発展、経済、成長からの脱出は、経済と関わっている社会制度のすべてを放棄するのではなく、むしろそれら諸制度を別の論理に組み込むことを意味する。<脱成長>はおそらく「エコロジカル(生態学的)な社会主義」と見なすことができるだろう。([2]245、246、248ページ)
われわれが構想し求めなければならないのは、経済的価値を中心的な価値(あるいは唯一の価値)とはしない社会、つまり経済を増大させることを前提とするようなこの狂気じみたシナリオを放棄しなければならない。このことは、地球環境の決定的な破壊を回避するためだけではなく、現代に生きる人間の心理的かつ道徳的な貧困から脱出するためにも必要である。([2]123ページ)
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愛他主義はエゴイズムよりも重視されるべきである。同様に、際限なき競争よりも協力が、労働への執着よりも余暇の快楽と遊びの精神(エトス)が、制約のない消費よりも社会生活の大切さが、グローバルなものよりローカルなものが、他律性よりも自律性が、生産主義的な効率性よりも素晴らしい手作りの作品を好むことが、科学的合理性(le rationnel)よりも思慮深さ〔実践倫理〕(le raisonnable)が、そして物質的なものよりも人間関係が重視されるべきである。真実への配慮、正義の感覚、責任、民主主義の尊重、差異の称賛、連帯の形成、既知に富んだ生活。これこそが何物に代えてもわれわれが取り戻さねばならない価値である。([2]172ページ)
〇以上のようにラトゥーシュは、開発・発展による地球環境の破壊や、資本による人間の支配・搾取などをもたらす資本主義から脱出し、そのためのオルタナティブな(それに代わるもうひとつの新しい)価値体系に基づく人間の生き方や社会像について議論し構想する。その際、脱成長を「『経済成長社会から抜け出す』」という否定の側面からだけでなく、『節度ある豊かさ(abondance frugale)』という創造すべきプランの価値の側面からも」([1]153ページ)説いている。留意すべき視点・視座である。
「脱成長社会」へ移行するための具体的なプログラム
経済成長社会との断絶、すなわち脱生産力至上主義社会の構想は、簡素な生活の「好循環」の形をとる。以下の8つの目標(「8つの再生プログラム」)は、生産力至上主義および消費主義の論理と対照を成す重要な点に触れており、相互に依存している。8つの目標は、穏やかで、自立共生的で、持続可能な簡素さから成る「自律社会」(脱成長社会)へ向かう推進力となる。([1]61~68ページ。[2]170~185ページ)
(1)再評価する(réévaluer)
経済成長社会におけるそれとは異なる価値観を再評価することである。例えば、エゴイズムよりも愛他主義が、競争よりも協力が、労働への執着よりも余暇の快楽と遊びの精神が、制約のない消費よりも社会生活の大切さが、グローバルなものよりもローカルなものが、物質的なものよりも人間関係が重視されるべきである。また、自然に対しては侵略者のような態度を改め、庭師(にわし)のような態度をとり、自然と人間との調和を図らなければならない。
(2)概念を再構築する(reconceputualiser)
諸価値を問い直すこと(価値観の変革)は、われわれの世界と実在を理解する諸概念を問い直すことにつながる。特に考慮しなければならないのは、豊かさはお金だけに還元されないということである。本当の豊かさは、何よりもまず、よく機能する社会関係の組織のなかから生まれる。豊かさを問い直すことは、貧しさについて
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考え直すことも意味する。貧しさもまた、経済的次元や物質的な極貧状態の次元にのみ還元されてはならない。
(3)社会構造を組立て直す〔再構造化〕(restructurer)
変革された価値観に応じて、生産の仕方が変わる。つまり、われわれが生産するものや生産関係(生産に関わる法的・制度的・慣習的な構造)が変わり、社会関係の調整が行われる。ここで重要なことは、<脱成長>社会へ向かうことである。こうすることで、資本主義から脱出するための具体的な問題提起が行われる。
(4)再分配を行う(redistribuer)
生産関係や社会関係の構造が変われば、再分配の仕組みも必然的に変わる。再分配は、階級間、世代間、諸個人の間といった各社会の内部にとどまらず、北側諸国と南側諸国との間における富および自然資産へのアクセス(利用する権利)の分配も含む。再分配は、直接的には「グローバルな消費階級」の権力と手段を削減する。間接的には、誇大妄想的な消費への勧誘を消滅する。
(5)再ローカリゼーションを行う(relocaliser)
地域のニーズ充足のために地域レベルでなされるあらゆる生産活動は、地元企業を通じて、地域単位で実現されなければならない。商品と資本の移動は必要不可欠な範囲に制限されなければならない。地域レベルで実行可能なあらゆる経済的、政治的、文化的な決断が、地域規模でなされなければならない。
(6)削減する(réduire)
われわれの生産様式と消費様式が生物圏に与える影響を縮小しなければならない。われわれの生活習慣となっている過剰消費を制限することをはじめ、ゴミの廃棄や保健衛生上のリスク、ツーリズム(観光旅行)などを削減する必要がある。とりわけ、仕事をしたいと望むすべての人々が雇用されるようにワークシェアリング(仕事の分かち合い)を実施したり、余暇、芸術・製作活動、遊び、会話、生の喜びなどのために、労働時間の削減は肝要である。「仕事」中毒を解毒することである。
(7)再利用する(réutiliser)/(8)リサイクルを行う(recycler)
抑制の効かない美食を制限し、設備の周期的な廃棄を止め、直接には再利用不可能なゴミをリサイクルすることが必要である。物や機械を廃棄せず再利用することは、資源浪費を削減するために必要なだけでなく、物の本当の価値を学び直し、寛大な自然が与える贈与に愛着をもつためにも必要である。最後に、再利用できないものはリサイクルするように努めるべきである。
「8つの再生プログラム」と「贈与」の精神
贈与の精神は脱成長社会構築の要石(かなめいし)である。贈与の精神は、自律社会(脱成長社会)という具体的なユートピアの建設のために提案された好循環を形成する8つの再生プログラム(8つの「R」)のそれぞれの中に顕在している。わ
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けても最初の再生プログラムである「再評価」が特徴的だ。なぜなら市場社会の諸価値―悪化する経済競争、我利我利(がりがり。自分の利益だけを営むこと)の精神、富の際限なき蓄積―と自然に対する略奪的思考に代わり、利他主義、互酬性、コンヴィヴィアリテ(convivialité、楽しい生活を創造し分かち合う倫理)、自然環境の尊重などの諸価値を導入することが大切である。(中略)つましさの中でも分かち合いを行えば万人が満足し、さらには生きる楽しみも生まれるが、我利我利の精神と結びついて豊かさは不幸を生む。そこで2番目の再生プログラム「概念の再構築」は豊かさと貧しさを再考する必要性を重視す。「本当の」豊かさは人間関係からなる様々な財によってつくられる。例えば相互扶助、分かち合い、知識、愛情、友情に基づく財のことである。反対に不幸は何をおいても心理的なものであり、近代社会が連帯的共同体の代わりにもたらした「孤独な群衆」の中の孤独感からもたらされる。([3]88~89ページ)
〇ラトゥーシュにあっては、以上の「8つの再生プログラム」はどれも、ある種のユートピア(希望と夢の源泉)である。そして、その実現は、地域社会という具体的な場所において生起し、地域社会の基本的なニーズの充足をめざすことに収斂される。その点で、「再ローカリゼーション」は、「具体的なユートピアにおいて中心的な位置を占める」([2]186ページ)ものであり、「脱成長」の要諦(ようてい)である。
〇ラトゥーシュは、日本社会について、次のように評している。「日本は新興工業国が台頭する以前に西洋型経済成長を遂げた最後の偉大な社会である」([1]24ページ)。「日本は独自の<脱成長>社会を創造するに相応しい位置にいるように思われる。なぜなら日本には、古(いにしえ)から続く東洋の文化が凶暴な西洋化によって完全に根絶されることなく残っており、そのような伝統文化が現在の経済危機を契機に復活する可能性があるからである」([2]17ページ)。
〇自然環境の破壊や資源の枯渇が進行し、人間(人類)社会は存続の脅威にさらされている。貧困や格差・分断が深刻化し、民主主義が機能不全に陥り、しかもコロナ禍で社会全体が未曽有の危機的状況にある。そんななかで日本社会はいまだ、「経済成長」信仰の呪縛(じゅばく)から逃れられないでいる。オルタナティブな「脱成長」社会の創造は、人間と自然との関係性の再構築とともに、地域社会の政治・経済の自立性や歴史・文化の独自性を模索し再発見・再生することから始まる。それは、グローバルな経済成長や物質的な充足に価値をおく社会とは異なる論理の構築と展開を必要とし、住民自身の主体的・自律的で、連帯的・共働的な地道な実践(「生活基盤の再ローカル化」)に基づく。しかもその活動や運動は、日本の経済や社会に回収されてしまうのではなく、「節度ある豊かな地域社会」の創造に集約されなければならない。
〇本稿で取り上げたラトゥーシュの3冊の本の訳者である中野佳裕は、次のように述べている。「訳者として最も望むことは、ラトゥーシュ思想を通じてわれわれが
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戦後日本の社会発展の歴史を国際的な文脈で再検討し、その結果として、日本の(玉野井芳郎らの)地域主義や(宮本憲一らの)地方自治論等のオルタナティブな日本を求める思想潮流がより統合された形で急進化され、地域社会の自律自治を再生する実践が活性化されることである」([2]332ページ)。付記しておきたい。
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03/「情けは人の為ならず」×「北風と太陽」
―山岸俊男を読む―
〇「情けは人の為ならず」(ことわざ)は、「情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。人に親切にしておけば、必ずよい報いがある」という意味である。「人に情けをかけるのは自立の妨げになりその人のためにならない、の意に解するのは誤り」(『広辞苑』第七版、2018年1月)である。
〇「北風と太陽」はイソップ寓話のひとつである。物事を「やたらにきびしくおしつける」よりは、「おだやかにじっくりいってきかせる」ほうが大きな効果を得ることができる、という。
〇筆者の手もとに、山岸俊男(1948年1月~2018年5月、社会心理学者)が書いた本が6冊ある。
(1)『社会的ジレンマのしくみ―「自分1人ぐらいの心理」の招くもの―』サイエンス社、1990年10月(以下[1])
社会のなかでは、自分1人得をしようとしたことが、思いがけない大問題になることがある。例えば、違法駐車・ゴミ問題といった身近なものから、オゾン層破壊・地球温暖化といった環境問題や、資源枯渇まで、みなその例といえるのではないか?/これらの、「結局は自分で自分の首を絞める」といった現象は「社会的ジレンマ」と呼ばれ、社会心理学において個人と社会をめぐる重要なテーマとして、研究が進められている。/本書では、このような問題の根底にある人間心理をとらえて、人間が社会生活を営んでいる限り、どうしても避けて通ることのできない「ジレンマ」を解説し、その処方箋を示している。(カバー「そで」)
(2)『社会的ジレンマ―「環境破壊」から「いじめ」まで―』(PHP新書)PHP研究所、2009年11月(以下[2])
違法駐車、いじめ、環境破壊等々、「自分一人ぐらいは」という心理が集団全体にとっての不利益を引き起こす社会的ジレンマ問題。/「社会的ジレンマ」は、一人一人の個人ではなく、集団や社会全体が「わかっちゃいるけどやめられない」状態だと言える。つまり、皆が何をしなければならないかをわかっていても、必要なことができないために起る結果に苦しんでいる状態である。/数々の実験から、人間は常に「利己的」で「かしこい」行動をとるわけではなく、多くの場合、「みんながするなら」という原理で動くことが分かってきた。本書では、この「みんなが」原理こそ、人間が社会環境に適応するために進化させた「本当のかしこさ」ではないか、と説く。(カバー「そで」。14~15ページ)
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(3)『日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点―』集英社インターナショナル、2008年2月(以下[3])
現代の日本社会が直面している倫理の喪失とは、実は、倫理の底にある「情けは人のためならず」のしくみの喪失の問題である。/倫理的な行動、あるいは利他的な行動は、それを支える社会的なしくみがなくなってしまえば、維持することは困難である。たとえ他人に親切にしても、それが自分の利益につながらないのであれば、誰も利他的に行動しなくなる。/「情けは人のためならず」は、無私の心を称揚する武士道的な倫理観とは相容れない。/本書では、「モラルに従った行動をすれば、結局は自分の利益になるのだよ」という利益の相互性を強調する商人道(「正直さ」の原理)こそが、人間の利他性を支える社会のしくみを作ることができる、と言う。(「まえがき」4~5ページ)
(4)『信頼の構造―こころと社会の進化ゲーム―』東京大学出版会、1998年5月
信頼は人々の間の、あるいは組織の間の関係を可能とする社会関係の潤滑油であり、信頼なくしては、社会関係や経済関係を含むすべての人間関係の効率はいちじるしく阻害されることになる。この意味で、信頼は個人の生活を豊かにしてくれる私有財としての関係資本(social capital、社会関係資本)であると同時に、我々の社会を住みやすい場所にしてくれる公共財としての関係資本でもある。本書は、ロバート・パットナム(Robert D.Putnam)らの社会科学者が強調する、このような関係資本としての信頼の理解を、個人の認知や行動といった心理学者や社会心理学者が扱う信頼の理解と何とかして結びつけようとした、信頼についての研究成果をまとめたものである。(「まえがき」ⅰページ)
(5)『安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方―』(中公新書)中央公論新社、1999年6月
社会の流動化や人間関係の希薄化が進むなかで、日本はいま「安心社会」(信頼を必要としない社会)の解体に直面し、自分の将来や日本の社会・経済に大きな不安を感じている。/日本はもうこれまでのように、安定した社会関係が提供する、閉鎖的な集団主義の温もりのなかで「安心」して暮らし続けることはできなくなる。/「信頼」とは、「相手がやるといったことをやる気があるのか」「もしかしたら裏切られるかも知れない」という不確実性があるなかで、相手に対してどの程度信用し、どの程度期待するかということである。/集団主義的な「安心社会」の解体はわれわれにどのような社会をもたらすか。本書は、開かれた「信頼社会」の構築をめざす、社会科学的文明論、斬新な「日本文化論」である。(カバー「そで」。8、13、15~18ページ)
(6)『「しがらみ」を科学する―高校生からの社会心理学入門―』(ちくまプリマ―新書)筑摩書房、2012年3月
社会は「しがらみ」である。/「しがらみ」は、自分の考えや行動に対するまわりの人たちの反応を予測して、その予測に自分の行動を合わせる必要があるということである。/「しがらみ」は、多くの場合、私たちが実は望んでいない行動を取るように私たちをしむける。いじめを止めさせたいと思いながら、いじめを傍観して
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しまう子どもたちのように。/そうした行動を取るのは、社会のなかで私たちが、自分で自分の自由を「しばり」つけているからである。それが(社会の一番基礎にある)世間としての(契約や法律に基づく公的な組織や制度に基づく)社会の本質である。/そうした「しばり」から多少なりとも自由になることができれば、日本の社会にもっと活気が出てくるのではないか、と本書は述べる。(3、186、187ページ)
〇本稿のテーマに関して、以上を大胆に要約すれば次のようになろうか。すなわち、社会秩序の基本原理は、監視し合い、互いに不利益なことをした者を追い出すという、相互監視と相互規制である。日本人は必ずしも、和をよしとし、協調し、信頼しやすい心の持ち主ではない。コントロールしあえる関係を信頼し、集団の秩序に従って行動することによって安心を獲得してきた。閉鎖的な「安心社会」は過去のものである。現代社会には、違法駐車、いじめ、環境破壊等々、“自分一人ぐらいは”という心理で人々が自分の利益や都合だけを考えて行動すると、社会的に望ましくない状態が生じてしまうという葛藤(「社会的ジレンマ」)の問題が存在している。その誘因(「インセンティブ」)は、特定の行動を取る個人の心のなかにではなく、人間を取り巻く環境のなかに見出される。そこに求められるのは、相手の信頼性を見極める社会的知性を身につけ、他人との信頼関係を積極的に結ぶことができる、外に向けて開かれた「信頼社会」の構築である。
〇ここで、[1]における山岸の主張の概要を紹介しておくことにする(一部要約。語尾変換)。
まず、人々が「利他的利己主義」を身につけることが必要である。教育によって、人々に利他的利己主義を植えつけることは、あまり難しいことではない。少なくとも、自分の利益を無視して他人のために行動せよという利他主義を植えつけるよりは、ずっと簡単なはずである。
それに、社会的ジレンマの解決のためには、利他主義よりも利他的利己主義の方が有効な場合が多くある。利他主義者は非協力者をのさばらせてしまうことになるが、利他的利己主義者を相手にすれば、ガチガチの利己主義者も、一方的に相手を詐取(さしゅ)し続けるわけにはいかないことを悟るようになるからである。
それと同時に、社会的ジレンマでは、みなが非協力的な行動をとり続ければ、結局はみなが損をするという「因果応報」の構造を、人々、特に利他的利己主義者たちに知らせることも必要である。自分で自分の首を絞めるような結果は避けたいと思っている利己的利己主義者たちも、ある状況が社会的ジレンマ状況であることに気づかなければ、「協力的な」行動をとろうと思わないからである。たとえばフロン入りのスプレーを使うことが、環境破壊につながることを知らなければ、誰もそのような行動を差し控えようとはしないであろう。
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次に重要なのは、利他的利己主義者が進んで協力するようになる環境を作ることである。そのためには、「わけのわかった」利己主義者である利他的利己主義者――たぶんほとんどの人々がこの範疇に入ることになると思うのだが――に対して、「協力しても自分だけ馬鹿を見ることはない」という保証を与えることが最も重要であり、そのためには非協力者が少数のうちに何とかコントロールするための手を打つ必要があるであろう。
もちろんこれだけですべての、あるいはほとんどの社会的ジレンマの解決に直接つながるとは限らないであろうが、社会的ジレンマ解決のためには最低限これだけは必要なのではないかと思う。(227~228ページ)
なお、筆者(山岸)が一番心配しているのは、様々な社会的ジレンマの解決を求める声によって、全体主義的な強権の発動を人々が望むようになる日が、そのうちにやってくるのではないかということである。(226ページ)
たとえば外国人の単純労働者が大量に流入し、「少数民族問題」が重大な社会問題化する日は遠くないであろう。そうなった場合に、相互信頼と「内発的な」相互協力によってではなく、相互規制システムにより社会的ジレンマ問題を解決してきた日本社会で、これまでの相互規制システムがうまく機能しなくなってしまう可能性がある。その時、「強権」によって「少数民族問題」を押え込もうという動きが出てくるのは目に見えている。そうなる前に、何とか「強権」を使わなくても、様々な社会的ジレンマ問題が解決できるような体制を整えておくことが必要だと、筆者は強く考えている。(227ページ)
〇「情けは人の為ならず」という「利他的利己主義」について一言する。それは、「最終的に自分自身の利益を考えて、表面的には他人のためになる行動をすること」を意味する。この「海老(えび)で鯛(たい)を釣る」行動をとる人(「わけのわかった」「かしこい」利己主義者)は、「偽善者」と呼ばれ、軽蔑されることもある。しかし、その利己主義的な行動やエネルギーが社会的ジレンマを解決し、集団や社会全体の利益をもたらすことになる([1]47、107ページ)。
〇こうした考え方に立つ山岸は、それゆえに、人間性の変革を図るという社会的ジレンマの「精神主義的」な解決に疑問を呈する。山岸はいう。「自分の身を犠牲にして他人のためにつくす」愛他的な心を育むような人々を教育する、あるいは説教する必要はない。社会的ジレンマを解決するためには、自分の利益だけを追求するよりも、全体の利益を考えて行動するほうが結局は大きな利益が得られるという社会環境を整備(相互協力関係の構築)することが肝要である。そのような環境のなかでは、リスクはつきものであると認識しながら、誰もが協力的に行動するようになり、長期的な利益を確保することになる([2]210~211ページ)。他者との豊かな人間関係を自主的・積極的に結ぶ「信頼社会」の構築である。そこにおける有効なモラル(道徳律)は、「安心社会」(閉鎖社会)のなかで「清貧の思想」や「無私の精神」を説く「武士道」のそれではなく、「正直」で、誰とでも協力しあう
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「商人道」のそれである([3]4~5、238~259ページ)。
〇求められるのは、上意下達の国家統制的教育ではなく、時間をかけて一人ひとりの人間の持ち味を引き出し、それを育むための環境整備である。そのなかで、「情けは人の為ならず」の教育すなわち利他的利己主義教育にゆっくりと、しかも着実に取り組むことである。また、「北風と太陽」の話は、旅人が服を脱ぐのは個人的・内発的な要因によるのではなく、強い北風と優しい太陽が競争する(環境の)なかで引き起こされたインセンティブ(誘因)の話でもある。唐突ながら、市民福祉教育に通底する考え方として留意しておきたい。
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04/ケア現場の虐待や暴力が問う「地域共生社会」
―渡邊琢を読む―
〇「相模原障害者施設殺傷事件」(2016年7月)の被告・植松聖は、「重度障害者は不幸を生む」「人生でやるべき事が見つかって、目の前が輝きだした」と嬉しそうに当時を思い出す。また、「(自分の考え方が)既に世の中に伝わっていると思う」と自信を見せる。そして、「事件を起こして良かったと思うのは、いろんな人が話を聞くために会いに来ること。ぼくもついに、ここまで来たんだ」と口元をゆがめて笑った、と報じられた(「虚栄/相模原事件面会記録(上)(下)」『岐阜新聞』2019年12月26日、27日朝刊)。
〇あの衝撃的な事件から3年半が経ったいま、障がい者や「障害(者)福祉」をめぐる社会的議論は深められず、社会の関心は薄れ、風化が確実に進んでいる。そんななかで、渡邉琢(わたなべ・たく)の『介助者たちは、どう生きていくのか―障害者の地域自立生活と介助という営み』(生活書院、2011年2月、以下[1])を再読し、新刊本の『障害者の傷、介助者の痛み』(青土社、2018年12月、以下[2])を読んだ。渡邉は、日本自立生活センター(JCIL、京都市)事務局員、NPO法人日本自立生活センター自立支援事業所介助コーディネーター、ピープルファースト京都(知的障害をもつ当事者の団体)支援者である([2]帯)。
〇[1]は、「障害者の地域生活に根ざした介助という営み、その歴史と現状をつぶさに見つめつつ、『介助で食っていくこと』をめざす問題群に当事者(介助者である渡邉)が正面から向き合った」([1]帯)本である。具体的には、「障害者介助に関わる介助者たちのこと、制度のこと、障害者介護保障運動の歴史のこと、労働運動との関係のこと、そして自立生活運動のさまざまなあり方のことなどを包括的に論じ、(中略)今でも色あせることのない充実した内容」([2]15ページ)である。「関東方面では『青本』と呼ばれ、運動や制度の歴史が簡潔にまとまったものとして、厚労省の役人も参考書にしている」([2]14ページ)とも言われる。
〇[2]は、「相模原障害者殺傷事件は社会に何を問いかけたのか。あらためて、いま障害のある人とない人がともに地域で生きていくために何ができるのか。障害者と介助者が互いに傷つきながらも手に手を取り合ってきた現場の歴史をたどりながら、介助と社会の未来に向けて」([2]帯)論考する。特筆すべきは、生々しいケア現場の視点から、介助者の障がい者に対する虐待・暴力だけでなく、障がい者の介助者に対する虐待・暴力があり、介助者も障がい害も加害者と被害者のどちらの立場にもなり得ると説く。そのなかで渡邉は、介助者と障がい者の信頼関係(相互理解と相互信頼)の回復と構築・深化を図ろうとする貪欲な姿勢と強い意志を示す。その際のキーワードは、「つながり」(他者とのつながり、社会とのつなが
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り、自分自身とのつながり)であり、その「断絶からの回復」を強調する。そこでは、皮相浅薄な「地域共生社会」論はいとも簡単に打ち負かされる。
〇[1]と[2]のなかから、「市民福祉教育」に通底する、あるいはそれを論じる際に留意すべきであろう渡邉の論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
障がい者介助の運動と労働
「介助」は2000年代に入って成立した新しい職業形態である。雇用の非正規化、フリーターの増加などが社会的に認知されはじめた時期とだいたいかぶっている。介助者は、多くの非正規労働者と同様に、その将来も不確定だし、現状も不安定である。けれども、今、この障害者介助を生業として、生活を組み立てている人が少なくない規模で存在する。([1]20、25ページ)
障害者介助には、運動という側面と、労働という側面の二つがある。これまでの障害者運動においても、その両者は互いに拮抗しあっていたように思われる。それは無償で自立生活を支えていた時代からそうであったように思う。運動が盛り上がっている時期は、支援者、介護者も大勢集まってくる。けれど、いったん盛り上がりが鎮(しず)まると、あるいは時代の流れが悪くなると、支援者たちはさーっと潮のようにひいていってしまう。すると残された者たちに介護の重労働がのしかかってくる。運動というよりも、介護の重荷ばかりが強調されるようになる。(中略)運動の裏側にはそうした介護の「シンドサ」というのがコインの裏側としてあったと思う。([1]43ページ)
地域自立生活保障と介助者・介護者研修
介助者・介護者に何らかの研修が必要だとしたら、それは、障害者の地域自立生活の保障のための研修だろう。現在のところ介護福祉士の講師陣には地域自立生活の保障に関わっている人はほとんどいない。研修課程の中にも地域自立生活のことはほとんど含まれていない。
私たちに必要なのは、現在地域生活が難しいとされる重度の知的障害者、身体障害者、難病者、精神障害者などが、いかに地域生活を実現・継続していけるか、についての研修だろう。
あるいは、そのうち施設送りになりそうな障害者、高齢者がいかに地域で暮らし続けていけるか、それを学んでいくことが必要だろう。施設で研修して、施設でのケアを学び、そして施設を守るための研修だったら、それはいらない。([1]338ページ)
「つながり」をつくる
おそらく、自立生活運動は今分岐点に来ている。これまで自立生活、当事者主権ということで、運動が強く推進されてきたけど、現場では、むしろポスト自立の問題
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がテーマとなっている。施設や親元を出る、それは確かに自立である。けれど、その先に何が待っているのか、どのような人間関係、そして社会が待っているのか。現在、「無縁社会」、「孤立」が社会問題となっている時代である(さらに手のかかる患者などは病院から在宅への追い出しがはじまっている)。人とのつながりをいかにつくっていくかが新しい時代のテーマだろう。
自立は、「~出る」ということだけが至上の価値ではない。やはり「出てその先~」を求めて出るのである。その先の関係こそが自立の内実を決めていく。([1]414~415ページ)
支援とつながりの模索
入所施設にいる知的障害者たちとつながるということは、残念ながらぼくらもいまだにほとんどできていない。けれども、せめて入所施設に入らないための支援に尽力するということが、ぼくらにとっては目の前の課題である。施設関係者や施設入所者の家族は、ぜひ本人の地域生活の可能性を模索してほしい。地域が頼りないのなら、その地域を頼りあるものにする提言をしてほしい。そして地域生活支援に関わる人たちは、ぜひぎりぎりの状況にある当事者や家族が「入所施設しかない」と思うことがないよう、支援を模索していってほしい。それらはつながりを取り戻す模索であり、またつながりを断たないための模索でもある。([2]24ページ)
障がい者の被害と加害
「加害」とどう向き合い、どう対処していくかは、障害者の地域生活支援に取り組む上でとても重要なテーマだ。加害に及ぶから、あるいは加害に及びやすいから、自分たちの団体や地域から排除して、施設や精神病院にいってもらおうとするとすれば、それはあまりに安直だろう。少なくともそれは、インクルーシブ社会を目指す態度ではないと思う。そして、そういう拒絶的な態度こそが、さらにその人の攻撃性を強めることだって十分に考えられるのだ。
他者を排除しやすい社会は加害者を生みやすいし、当然同時に被害者を生みやすい。私たちがインクルーシブ社会、誰しも排除されない社会、誰しもが尊厳とつながりを奪われることのない社会というものを目指すのだとすれば、誰にも被害を被(こうむ)らせないことと、誰にも加害に及ばせないこととは同時に考えていかないといけないように思う。自分たちに危害を加えかねない人をも、インクルーシブ社会の包摂の対象と考えていく、一面で大変苦しく胆力(たんりょく。ものに恐れず臆せぬ気力)のいる作業でもある。([2]74~75ページ)
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障がい者と介助者の痛み
街の中で、障害者が人から奇異な目で見られる、無視される、さまざまなところにアクセスできない、そういう環境に置かれて、毎日のように障害者自身が傷を負わざるをえないのがまだまだこの社会の現状だろう。その傷が、障害者の目の前にいる介助者にある程度転化していくのもある意味では受け止めざるをえない。この場合、障害者、介助者双方に傷を負わせているのは、この地域社会の責任だろう。長い目で見るならば、障害者に深い傷を負わせているこの社会の差別的なあり方こそ、改善されていかないといけないはずだ。だから、障害者としても目の前にいる介助者に都合よく痛みを転化し、留飲(りゅういん)を下げる(不平や不満を晴らして心を落ち着かせる)だけでは、決して深い傷の要因が取り除かれることはないだろうし、また介助者としても、単にキレやすいめんどくさい障害者と見るだけでも問題は解決されないだろう。([2]101ページ)
当事者同士による熟議
今もしそれぞれの生活が切り崩されており、それぞれなりのしんどさを抱えている時代状況なのだとしたら、そして、その中で相互のつながりを模索し、ともに生きていこうとするのだとしたら、「双方の関係のなかで詰めあっていく努力をして、それぞれの立場の違いを自覚した上で、双方がお互いの生活をみあっていくという関係が無いかぎり、お互いに認め合った関係」は成立しえないだろう。
当事者主体、当事者主権という主張が一方にあり、それによって自立生活運動等は進展してきた。その主張がある一定段階に達したとしたら、それぞれのニーズや立場の異なる当事者同士による相互の詰め合いの努力が今後不可欠となってくると思われる。それはおそらく「熟議デモクラシー」という言葉で指し示されている事態とも通底しているだろう。自立や自己決定は、当事者個人や当事者団体の主張に収斂(しゅうれん。一つに集約すること)されるものでもなく、次いで「熟議」を呼び起こしていくものだろう。([2]213ページ)
「共に生きる」可能性と希望
「殺すぞぉ!」「出てけぇ」は、障害のある人たちの生得的な攻撃性を示したものではなく、ある状況下におかれたら障害者、健常者関係なく、人間として普通の反応なのだ。([2]363ページ)
見えざる暴力の暴力性を認識しそれと対決しつつ、その暴力に苛(さいな)まれふりまわされている人々に手を差し伸べ、「共に生きる」姿勢を示し続けること、少なくともじっとそばに居続けること、あるいはその社会的暴力を察知しつつその暴力が発現しにくい環境をつくっていくこと、そのためにはきれいごとではすまされない人間のおぞましい側面とも向き合う忍耐や深い洞察が必要となるけれども、そうしたことが「共に生きる」社会をめざすうえで必要な態度なのであろう。
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奪われた「つながり」を取り戻すことはもちろん安易なことではない。当事者、支援者双方ともに苦難の道を歩まないといけないだろう。その途上において深い断絶や絶望、激しい感情を感じることもしばしばあるだろう。(中略)私たちはひとりぼっちではない。つながりを取り戻す可能性は開かれているのだろう。([2]364ページ)
〇唐突であるが、[1]と[2]から再確認・再認識したことについて、これまでとは異なる文体(文章のスタイル)で本稿を結ぶことにする。
「ふくし」の共働と共創
すべての住民が多様なかかわりのなかで/豊かに快適にそれぞれを生きる/その場が地域・社会であり/そのための労働や活動・運動が「ふくし」である。
福祉が福祉を閉じるとき/地域が福祉を拒むとき/「ふくし」は霧消する。
地域が地域を開くとき/地域が福祉を解するとき/「ふくし」を志向する。
福祉と地域が互いにつながるとき/地域と福祉が互いを包み込むとき/ひとつの土俵のうえで/相互理解に基づく相互支援と相互実現が図られ/「ふくし」が共創される。
「つながり」の熱意と誠意
障がい者に対する一方的な「思いやり」や「善意」の押し付けではなく/厳しい福祉現場で“働く”介助者の「つながり」への一途な願いや祈りに触れるとき/強い“熱意”と真の“誠意”があることを思い知らされる/そこには口当たりのよい言葉は不要である/そこに至難の「地域共生社会」への志向性を見る。
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05/思考のない探索の時代を生きる
―柴田邦臣著『<情弱>の社会学』を読む―
〇筆者の机の上には、最近買い換えたばかりのパソコンがある。手もとにはノートパソコンとアイパッド、それにスマホがある。それらは常時接続されており、容赦なく多様な情報が大量に入ってくる。必要に応じて、あるいは惰性的にそれらのディスプレイを見つめる日々が続いている。それは、情報量が増大・巨大化するなかで、大容量のデータを収集し活用することが前提となる社会、すなわち「ビッグデータ社会」を有意義に生きたい(生きている)というものではない。情報過多の大海原(おおうなばら)を溺れそうになりながら漂流している、といった姿である。そして、それが何よりも問題なのは、情報を整理・分析することなく、“答”についていろいろと思考することを停止あるいは放棄し、ひたすらひとつの“答”を探し回ることである。人はいま、思考のない探索の時代を生きている。「探しものは何ですか?」「まだまだ探す気ですか?」。井上陽水の「夢の中へ」の歌詞を思い出す。
〇情報は大雑把には、①それに対するニーズを認識し、必要な情報の性質や範囲を決定することから始まる。次いで、②多様な情報源や多量の情報量から利用可能なものを確定し、アクセスする。③選択・収集した情報を整理し、分析・評価し、それを新しい情報として編集・組織化して既存の知識体系に統合する。そして、④それによって批判的思考や新たな客観的・論理的思考を促し、ニーズの充足や問題の解決を図る。その際の新しい情報については、新奇性(目新しいこと)をはじめ、具体性や普遍性、社会性や文化性、現場性や歴史性などが重視されることになる。情報についてのこうした常識的な理解でとりわけ重視されるべきは、情報の「編集力」と「新奇性」であろうか。それによってその情報は情報力を高めることになる。
〇筆者の手もとにいま、柴田邦臣(しはだ・くにおみ、社会学専攻)の『<情弱>の社会学』(青土社、2019年10月。以下[1])という本がある。「情弱」=情報弱者について、おそらく日本ではじめて論じた本である。
〇「情弱」といえば、ネガティブな言葉として、障がい者や高齢者、外国籍住民などを想起しがちである。彼らはその環境や状況のもとで、情報弱者の典型となる。しかしときに、最先端の情報処理技術を活用し、あるいは大仰(おおぎょう)な装置ではなく本人の工夫などによって多様な情報を効率よく、正確かつ迅速に活用することができる(活用している)。それよりも、多くの人は、「『情弱』であったりそう呼ばれたりすることを、徹底的に嫌悪し強迫的に回避すべく、必死にスマホを叩きディスプレイを見つめ続ける」(19ページ)、「情報強迫性障害」とでも呼ぶべき過度の「情報」至上主義にある(35ページ)。
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[1]は、情報に関する脅迫的な恐怖を生み出しているビックデータ社会において、人はどのような存在になるのか、すなわち人間の存在と「生きる」意味を問う。そして、生きることを情報システムによって管理・調整したり、排除あるいは統制したりする「生きることの情報化」や、自らが自立し現代社会を生き抜くためのリテラシー、すなわちツールの利用法=「生の技法」を探る。
〇[1]では、「生きる」ことそのものをめぐって、特定健康診査やマイナンバー、介護保険などのビックデータ化の成否や功罪について議論する。[1]の核心のひとつである。ここでは、断片的であるという誹(そし)りを免れないであろうが、それらの議論に通底するいくつかの論点や言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
テクノロジーの発展が人間の「生きる意味」の追究を求めている
私たちは、テクノロジーが明確な一線を越えつつあることを、より強く認識すべきである。私たちが生きているのは、テクノロジーが有史以来はじめて、人間の存在とその「生きる」意味に隣接し越境しようとしている時代なのである。私たちの身体や生活の逐一(ちくいち)が、情報技術によってログ(記録)され、ないしはサジェスト(提案)されるようになるのは、長い時を待つまでもないかもしれない。研究者や教育者が真面目に「生きる意味」を考えるべきなのは、この潮流をふまえてのことであろう。(181ページ)
ポスト・ビックデータ社会は「生きづらさ」「情報弱者」を生み出す
ポスト・ビックデータ社会(生活世界の情報化が完了する社会。「生きることの情報化」の最終局面)では、どんなに巧みに設計され、どんなに安全に実装され、どんなに善良に運営されたとしても、それは私たちの生を<擬制>し(あまりにも多様すぎる私たちの生を同一のものとみなし)、その<自粛>を強(しい)い、私たちを<適正化>するように機能する。その中で生きる主体を<弱者>とせずにはいられないということについては、他の論点にまして、考察しておくべきである。(193ページ)
情報弱者/強者に関する議論は「情報格差」の問題である
<情弱>という表現は、ある情報を正確に把握したり、情報の背後に隠された意図を見抜けないといった判断力などを揶揄したりしている面は少なくない。しかしそういった力そのものが養われたり発揮されたりするためには、ディバイス(パソコンやスマホ本体とその周辺機器・ハードウェア)やメディアを使ったり学んだりできる環境や条件が揃っていることが大前提になることは疑いもない。本質的には、情報にかんする「強者/弱者」については、個人の生まれながらの資質や、何らかの努力の結果だけではなく、社会環境の方がむしろ重要になる。情報弱者/強者にかんする議論は、情報にかんする社会的な格差(「情報格差」)の問題として、先ず考えられるべきである。(35、36ページ)
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「自立」に必要な自己決定には「自己の主体」化が肝要となる
自立のために必要なのは、「自分についての情報を自分で所有したり、自分のこと(情報)を、自分に納得いくかたちで決める」という<力>である。つまり「自分についての真理」を自らの理性で判断し語る<力>が、自らが生きるための<技>として必要である。(141、142ページ)
主体なき自己がありうるか、理性なき市民が存在しうるか、他者理解なき共存や共生が到来するのか。自己を配慮する用意のないものが他者や世界に配慮できるとは思えない。(145ページ)
「生の技法」には徹底した理屈・論理・考察を必要とする
<生の技法>において重要なのは、すでに情報社会に蔓延し、今後さらに増殖していくような、安易な同情や共感といった感覚的だったり本能的だったりするものではなく、むしろ徹底した理屈、論理、考察である。今、社会的な弱者とされてしまう人も、現在、将来の<情報弱者>も、直面しているのは社会的に構築された問題である。だから、その社会的な問題に感性的に反応するのではなく、冷徹に問題構造を把握し、限られた中でも論理的に回避したり克服したりする意識の中にこそ、生き抜く技――<生きる技法>――が生まれるのである。(198、199ページ)
〇ビックデータ社会で多くの人は、自らを情報の活用主体と位置づけ、情報強者をめざしている。しかし、その社会では、社会的・経済的・文化的発展が実現する反面、情報や生活の管理による人間疎外の促進や社会統制の強化が進んでいる。例えば、個人情報保護法(「個人情報の保護に関する法律」、2003年5月施行)やマイナンバー法(「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」、2015年10月施行)は、公権力が単なる行政手続きとしてのそれをはるかに越えて、すべての個人情報を丸裸にし、プライバシーを侵害する「残酷な使命」(102ページ)をもっている。めざすところは計画通りの、巧みな方法によるビッグデータ社会の構築である。
〇そのような認識のもとで、柴田はいう。障がい者や高齢者は必ずしも情報弱者に直結するものでもないが、社会的弱者であるとされている人たちのなかにこそ、情報弱者と化す多くの人たちを開放する手がかりがあるかもしれない(29ページ)。ビックデータ社会を生き残る「技法」は、はるか昔から深刻な社会問題に直面し、それゆえ自らの存在をかけて「自立」と「共生」のリテラシー=「生の技法」を鍛え上げてきたとりわけ障がい者のリアリティのなかにあるのではないか(184ページ)。そうしたことについて探究する際の基本的なもののひとつは、人間はその「価値」の有無ではなくただ「存在」することに「固有の意味」がある、という考え方である。。
〇続けて柴田はいう。命がかけがえがないのは自明であり、他者との相互理解が必要なのは不変であり、社会が多様であることは公理である(202ページ)。多様性と
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は、私たちが自らの価値観では想像も想定もできない存在の連鎖である。異質の現前(現に存在すること)こそが、その本質である(204ページ)。そもそも人間は、それ同士を比較するにはあまりにも多様すぎる、比較し選別することのできない存在である(160ページ)。人間の生は「多様で、予想外で、それゆえ自由にあふれる」(181ページ)ものである。それ故に、障がい者や高齢者などの態度や行動の「価値」が共有できなくても、理解できなくても、いや「わからない」からこそ、そこにはただ存在する「固有の意味」がある。私たちが共存し共生するために必要なのは、尊重と忍耐だけである(205、206ページ)。
〇筆者はいま、共存や共生についての「尊重」と「忍耐」に加えて、望んでいる事柄が実現するという証拠に基づく「確信」(すなわち、別言すれば「信仰」)をもつことの必要性と重要性を感じている。そして、その証拠の科学的探究と思考が続くことになる。付記しておきたい。
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06/同調圧力の強い「世間」
―求められる「ゆるやかな絆」―
社会には秩序が必要だ。人間同士が分断され競争するなかで、秩序を保ち、社会を成り立たせるためには、国家権力のもとで上から秩序を与えるしかないということになる。権力が上から与える秩序は、同調圧力と忖度によって増幅され、人々は自由と連帯を失い上位権力のもとで委縮する。
ところが、そういう世界は、自由を捨てた人間には案外住みやすい世界になるのだ。「正しい考え方」や「正しい生き方」は上から与えられるから、自分で考えずに済む。同調圧力をもはや「圧力」と感じなくなる。そこに全体主義が生まれる。(下記、前川喜平:134ページ)
〇これは、望月衣塑子・前川喜平・マーティン=ファクラー著『同調圧力』(角川新書、KADOKAWA、2019年6月)に所収の、前川の一文である。前川は続けていう。「無意識のうちに同調圧力に屈し、忖度や委縮を絶えず繰り返す。そうした人間が増えているのが今の日本だと思う。自ら考える力を育てる教育が今こそ必要だと声を大にして、あらためて訴えたい」(141ページ)。そして、前川の結語は単純明解である。心を縛られない「真に自由な人間に、同調圧力は無力である」(142ページ)。
〇筆者の手もとに、鴻上尚史・佐藤直樹著『同調圧力―日本社会はなぜ息苦しいのか―』(講談社現代新書、講談社、2020年8月、以下[1])と、岡檀著『生き心地の良い町―この自殺率の低さには理由がある―』(講談社、2013年7月、以下[2])という本がある。
〇[1]は、作家・演出家である鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)と評論家である佐藤直樹(さとう・なおき)の対談本である。鴻上には「『空気』と『世間』」(講談社、2009年7月)、佐藤には「『世間』の現象学」(青弓社、2001年12月)という著作がある。「あなたを苦しめているものは『同調圧力』と呼ばれるもので、それは『世間』が作り出しているもの」である。新型コロナウイルスの感染拡大によって、日本特有の「世間」が強化され、「同調圧力」が狂暴化・巨大化している。自粛の強制や監視、感染者に対するバッシングなどがそれである。「世間」の特徴は、「所与性」(変わらないこと・現状を肯定すること)にあり、「今の状態を続ける」「変化を嫌う」ことにある(鴻上:6、7ページ)。[1]は、新型コロナがあぶり出した「世間」のカラクリや弊害について追求する。
〇[1]で筆者が留意したい視点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。
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「同調圧力」を生む「世間」:鴻上
「同調圧力」とは、「みんな同じに」という命令である。同調する対象は、その時の一番強い集団である。多数派や主流派の集団の「空気」に従えという命令が「同調圧力」である。数人の小さなグループや集団のレベルで、職場や学校、PTAや近所の公園での人間関係にも生まれる。日本は「同調圧力」が世界で突出して高い国なのである。そして、この「同調圧力」を生む根本に「世間」と呼ばれる日本特有のシステムがある。(鴻上:5ページ)
「世間」と「社会」の違い:鴻上
「世間」というのは、現在及び将来、自分に関係がある人たちだけで形成される世界のことである。分かりやすく言えば、会社とか学校、隣近所といった、身近な人びとによってつくられた世界のことである。「社会」というのは、現在または将来においてまったく自分と関係のない人たち、例えば同じ電車に乗り合わせた人とか、すれ違っただけの人とか、知らない人たちで形成された世界である。つまり、「あなたと関係のある人たち」で成り立っているのが「世間」、「あなたと何も関係がない人たちがいる世界」が「社会」である。日本人は「世間」に住んでいるけれど、「社会」には住んでいない。(鴻上:31、32ページ)
「世間」と「社会」の二重構造:佐藤
「社会」というのは、「ばらばらの個人から成り立っていて、個人の結びつきが法律で定められているような人間関係」である。法律で定められている人間関係が「社会」である。「世間」というのは、「日本人が集団となったときに発生する力学」である。「力学」とはそこに同調圧力などの権力的な関係が生まれることを意味する。日本人は「世間」にがんじがらめに縛られてきたために、「世間」がホンネで「社会」がタテマエという二重構造ができあがっている。おそらく現在の日本の社会問題のほとんどは、この二重構造に発していると言ってもいい。「社会」と「世間」を比較すると次のようになる。(佐藤:33、34、35ページ)
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「世間」を構成するルール:佐藤
「世間」を構成するルールは四つある。①お返しのルール/毎年のお中元・お歳暮に代表されるが、モノをもらったら必ず返さなければならない。②身分制のルール/年上・年下、目上・目下、格上・格下などの「身分」がその関係の力学を決めてしまう。③人間平等主義のルール/「みんな同じ時間を生きている」、すなわち「みんな同じ仲間である」と考えている。そこから、「出る杭は打たれる」ことになり、「個人がいない」ということになる。
④呪術性のルール/「友引の日には葬式をしない」といったように、俗信・迷信に逆らうことができない。こうした四つのルールからできあがったのが「世間」である。そうした人間関係のつくり方をしている国は日本しかないのではないか。(佐藤:35~50ページ)
「世間」の特徴:鴻上
「世間」には五つの特徴がある。①「贈り物は大切」、②「年上が偉い」、③「『同じ時間を生きること』が大切」、④「神秘性」(佐藤がいう「呪術性」)、佐藤の言説と同じである。加えて⑤「仲間外れをつくる」がある。それは「排他性」を意味し、仲間外れをつくることが、自分たちの「世間」を意識し、強固にすることになる。この五つの特徴(ルール)のうち、一つでも欠けた場合に表れるのが「空気」である。「世間」が流動化したものが「空気」である。「空気」に支配されるのは、それが「世間」の一種だからである。(鴻上:50~53ページ)
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〇要するに、「世間」の本質は、その暗黙のルールに従うこと、みんなと同じことをすることにある。「世間」のルール(その強さ)が、「みんな同じ」すなわち「違う人にならない」という同調圧力を生み出し、個人の行動を抑制するのである。
〇「同調圧力」とは、「少数意見を持つ人、あるいは異論を唱える人に対して、暗黙のうちに周囲の多くの人と同じように行動するよう強制すること」である。すなわち、「何かを強いられること」「異論が許されない(封じられる)状況」(16ページ)をいう。こうした同調圧力や相互監視を生み出す、別言すればそれによって支えられるのが「世間」である。この「世間」と「同調圧力」が、いまの日本社会の「息苦しさ」や「生きづらさ」の正体である。それを緩和あるいは除去するためには、「世間のルール」を漸進的に変革するしかない。そのためのひとつのヒントを与えてくれるのが[2]である。
〇[2]は、大学教員である岡檀(おか・まゆみ)が、「地域の社会文化的特性が住民の精神衛生にあたえる影響、特に、コミュニティの特性と自殺率との関係」(10ページ)を明らかにしようとしたものである。徳島県南部に位置する旧・海部町(現・海陽町)は、太平洋に臨む、人口3000人前後で推移してきた小規模な町である。その町は、全国でも極めて自殺率の低い「自殺“最”稀少地域」である。[2]は、そこに暮らす町民たちの、「生きづらさを取り除く」ユニークな人生観や処世術を、2008年から4年にわたる現地調査によって解き明かす(「帯」)。
〇[2]で筆者が注目したいひとつの言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。
五つの自殺予防因子
旧・海部町ではなぜ、自殺者が少ないのか。「自殺予防因子」として次の五つが考えられる。
① いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい
多様性を尊重し、異質や異端なものに対する偏見が小さく、「いろんな人がいてもよい」と考えるコミュニティの特性がある。それだけではなく、「いろんな人がいたほうがよい」という考え方が町に浸透している。
② 人物本位主義をつらぬく
職業上の地位や学歴、家柄や財力などにとらわれることなく、その人の問題解決能力や人柄によって判断するという考え方が重んじられている。
③ どうせ自分なんて、と考えない
町民には、自分たちが暮らす世界を自分たちの手によって良くしようという、基本姿勢がある。「どうせ自分なんて」と考える人が少なく、主体的に社会にかかわる人が多い。
④ 「病(やまい)」は市(いち)に出せ
病気のみならず、生きていく上でのあらゆる問題をひとりで抱えるのではなく、みんなで解決しようという考え方がある。町民の、援助を求める行為への心理的抵抗が小さい。
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⑤ ゆるやかにつながる
人間関係が固定していない。町民はそれぞれが、息苦しさを感じない距離感を保ちながら、「ゆるやかな絆」のもとで連携している。(29~92ページ)
〇岡はいう。旧・海部町は江戸時代の初期、材木の集積地として飛躍的に隆盛し、「多くの移住者によって発展してきた、いわば地縁血縁の薄いコミュニティだった」(88ページ)。「人の出入りの多い土地柄であったことから、人間関係が膠着(こうちゃく)することなくゆるやかな絆が常態化したと想像できる」(90ページ)。こうした歴史的背景のもとで培われ維持されてきた「ゆるやかな絆」が、自殺予防を促している。「ゆるやかな絆」という住民気質に注目しておきたい。
〇ここで2点、付記しておきたい。ひとつは、麻生太郎副総理兼財務大臣が、2020年6月4日に開かれた参議院の財政金融委員会で、日本は他国に比べて新型コロナウイルスによる死亡者数が少ないのは「国民の民度のレベルが違う」「民度が高い」ことによる、と答弁したことについてである。その際、麻生は、「(日本は)島国ですから、なんとなく連帯的なものも強かったし、いろんな意味で国民が政府の要請に対して極めて協調してもらったということなんだと思いますけれども、‥‥‥国民性が結果論として良かった‥‥‥」とも答えている。この「民度」「連帯」「協調」「国民性」が意味するところは、「世間」による「同調圧力」であると言ってよい。今また、コロナ禍で「がんばろうニッポン」が叫ばれている。その言葉が浮き彫りにするのは、「あぶないニッポン」の姿である。ここで、2013年7月29日の、憲法改正に関する麻生の発言、「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね………」を思い出しておきたい。
〇いまひとつは、世論がどのようなメカニズムで形成されるかを検討したE.ノエル=ノイマン(1916年~2010年、ドイツの政治学者)の「沈黙の螺旋理論」についてである。誤解を恐れずに言えば、その概要はこうである。人間はその社会的天性として、仲間と仲たがいして孤立することを恐れる(「孤立への恐怖」)。人間には意見分布の状況(「意見(の)風土」)を認知する能力がある(「準統計的感覚(能力)」)。そこで、自分の意見が多数派であると判断したときは、自分の意見を公然と表明する。逆に自分の意見が少数派であると認識した場合は、孤立を恐れて沈黙を促す(守る)。この循環過程によって意見の表明と沈黙が螺旋状に増幅し、多数派意見への「なだれ現象」(同調)が引き起こされ、多数派意見が「世論」(「論争的な争点に関して自分自身が孤立することなく公然と表明できる意見」:68ページ)として公認されるようになる。そして、少数派はますます孤立の度を深めていく。なお、ノエル=ノイマンは、少数派でありながら、孤立の脅威をものともしないで意見表明する、「ハードコア(固い核)」と名付ける活動層についても言及する。「沈黙の螺旋研究」の詳細については、E.ノエル=ノイマン/池田謙一・安野智子訳『沈黙の螺旋理論―世論形成過程の社会心理学―』(改訂復刻版、北大路
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書房、2013年3月)と、例えば時野谷浩(ときのや・ひろし)の『世論と沈黙―沈黙の螺旋理論の研究―』(芦書房、2008年3月)を参照されたい。
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07/「分断社会」ニッポン、「仕事」と「世間」
―小熊英二を読む―
〇筆者の手もとに、小熊英二(おぐま・えいじ、歴史社会学者)の新刊本が3冊ある。(1)『日本社会のしくみ―雇用・教育・福祉の歴史社会学―』(講談社、2019年7月。以下[1])、(2)『地域をまわって考えたこと』(東京書籍、2019年6月。以下[2])、(3)『私たちの国で起きていること―朝日新聞時評集―』(朝日新聞出版、2019年4月。以下[3])、がそれである。
〇[1]は、「日本型雇用」慣行(システム)がどのように形成されてきたかを軸に、日本社会で人々を規定している暗黙のルールすなわち「慣習の束」(「しくみ」)を解明(抽出)したものである。小熊にあっては、「日本社会のしくみ」を構成する原理の重要な要素は、①何を学んだかが重要でない学歴重視(学校名の重視)、②ひとつの組織での勤続年数の重視(他企業での職業経験の軽視)、である(6~7ページ)。[1]は、「日本社会の構成原理を学際的に探究した」点において、広義の「日本論」(日本型雇用慣行の形成史に基づく日本社会論)でもある(15ページ)。
〇[1]における言説の要点のひとつをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
日本社会の「三つの生き方」―「大企業型」「地元型」「残余型」
現代日本での生き方は、「大企業型」「地元型」「残余型」の三つの類型(モデル・理念型)に分けられる。
「大企業型」とは、大学を出て大企業や官庁に雇われ、「正社員・終身雇用」の人生をすごす人たちと、その家族である。
「大企業型」は、所得は比較的に多い。しかし「労働時間が長い」「転勤が多い」「保育所が足りない」「政治から疎外されている」といった不満を持ちやすい。
「地元型」とは、地元から離れない生き方である。地元の中学や高校に行ったあと、職業に就く。その職業は、農業、自営業、地方公務員、建設業、地場産業など、その地方にあるものになる。
「地元型」は、収入はそれほど多くなかったりするが、地域の人間関係が豊かで、家族に囲まれて生きていける。政治も身近である(政治や行政が地域住民としてまず念頭に置くのは、この類型の人々である)。問題なのは、過疎化や高齢化、地域に高賃金の職が少ないことなどである。(21~22、25ページ)
「残余型」とは、所得は低く、地域につながりもなく、高齢になっても持ち家がなく、年金は少ない。いわば、「大企業型」と「地元型」のマイナス面を集めたよう
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な類型である。その象徴は都市部の非正規労働者である。現代の日本社会の問題は、「大企業型」と「地元型」の格差だけではない。より大きな問題は、「残余型」が増えてきたことである。(32ページ)
三類型の比率は、「大企業型」が26%、「地元型」が36%、「残余型」が38%と推定される。「地元型」に多い自営業の減少により非正規雇用は増えているが、正規労働者の数はさほど減少していない。大企業の雇用慣行が「企業」と「地域」という類型をつくり、日本社会の構造を規定している。(40~41、45、86ページ)
〇[2]は、移住希望者向けの雑誌『TURNS』の連載記事をベースに加筆したものである。小熊にあっては、「地域」を知るための視点として、①市区町村は行政の単位であって地域の単位ではない。②市区町村は行政の範囲であって経済の範囲ではない。③地域の集合意識(有無や強弱)は地形と関連している。④集合意識の範囲の指標のひとつは神社(祭り)と小学校区である。⑤人は単なる個人ではなく社会関係の結節点である、などが重要となる(7~18ページ)。[2]は、戦後日本の地域の歴史性について考え、持続可能な地域を構築するための今後の方向性を探究する本である。
〇[2]における言説の要点のひとつをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
地域振興の目標―「他から必要とされる地域」と「持続可能で人権が守られる地域」
地域振興を図るに際して、「かつての賑わいを取り戻す」という発想には限界があり、非現実的である。地域振興の目標は、基本的には地域住民が決めるしかないが、「他から必要とされる地域」および「持続可能で人権が守られる地域」という目標の立て方がありうる。(170、171ページ)
「他から必要とされる地域」については、改めてその地域にある資源を点検・見直し、それが外部から求められるような流れを作っていくことによって新たな賑わいを生み出すしかない。ただ、他の地域で成功したモデルを模倣しても成功しないことが多い。環境の変化に即した、その地域ならではのモデルをそれぞれ構想するしかない。(171、172ページ)
「持続可能で人権が守られる地域」については、人口減少が進むなかで、人口構成のバランスを維持するために若い世代や移住者を呼び込む。行政の仕事や(福祉)施設運営などをNPOに委託したり、農業や自営業、伝統産業の振興を図るなど、移住者が「長いスパンで働けるところを、地道に作っていく」(76ページ)。その際、「かつての賑わいを取り戻す」という目標の立て方ではなく、地域・住民の「健康で文化的な生活」(人権)を守ることを地域の維持や振興の目標とすることが重要となる。そこに求められるのは、チャレンジ精神(「やってみなければわからない」)と愛着(「それが好きだ」)である(177、182ページ)。
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〇[3]は、2011年4月から2019年3月にかけて朝日新聞に連載された「論壇時評」を編集したものである。小熊にあっては、「個別の事象の向こう側にある社会の変動をみつめ、その変動の表れとしてそれぞれの事象を位置づけるように努め」る。「その変動とは、人々の個人化が進み、関係の安定性が減少していく流れである」(4ページ)。[3]では、①「社会の変動という、世界に普遍的な傾向が、日本でどう表れているか」、②「戦後の日本で形成された『国のかたち』がどのように揺らいでいるか、次の時代の新しい合意がどのように作られうるか」、という二つの関心が通奏低音(つうそうていおん。底流に流れる考え・主張)となっている(6ページ)。
〇[3]における言説の要点のひとつをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
「分断社会」ニッポン―「第一の国民」と「第二の国民」
現代日本は「二つの国民」に分断されている。「第一の国民」は、企業・官庁・労組・町内会・婦人会・業界団体などの「正社員」「正会員」とその家族である。「第二の国民」は、それらの組織に所属していない「非正規」の人々である。(218ページ)
「非正規」の人々は所得が低いのみならず、「所属する組織」を名乗ることができない。そうした人間にこの社会は冷たい。「第二の国民」が抱える困難に対して、報道も政策も十分ではない。その理由は、政界もマスメディアも「第一の国民」に独占され、その内部で自己回転しているからである。(219、220ページ)
日本社会の「正社員」である「第一の国民」は、労組・町内会・業界団体などの回路で政治とつながっていた。彼らは所属する組織を通して政党に声を届け、彼らを保護する政策を実現できた。もちろん「第一の国民」の内部にも対立はあった。都市と地方、保守と革新の対立などである。55年体制時代の政党や組織は、そうした対立を代弁してきた。今も既存の政党は、組織の意向を反映して、そうした伝統的対立を演じている。報道もまた、そうした組織の動向を重視する。新聞記事の大半は政党・官庁・自治体・企業・経済団体・労組といった「組織」の動向である。一方で「どこにも所属していない人々」の姿は、犯罪や風俗の記事、コラム、官庁の統計数字などにしか現れない。(220~221ページ)
放置された「第二の国民」の声は、どのように政治につながるのか。誰が彼らを代弁するのか。この問題は、日本社会の未来を左右し、政党やメディアの存亡を左右する。(222ページ)
〇ここで、[1]との関連で、あまりにも周知のことではあるが、中根千枝(なかね・ちえ、社会人類学者)が半世紀以上も前に上梓した『タテ社会の人間関係―単一社会の理論―』(講談社、1967年2月。以下[4])で説く「日本論」(「社会の
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単一性」を前提とした日本社会論)について思い起しておくことにする。[4]は、一定の社会に内在する基本原理を抽象化した「社会構造」に着目し、日本の社会構造を最も適切にはかりうるモノサシ(分析枠組み)を提出したものである(20、21ページ)。
〇[4]における言説の重要用語は、「資格と場」「ウチとヨソ」「タテとヨコ」である。その要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
日本の社会構造の特徴―「資格と場」「ウチとヨソ」「タテとヨコ」
一定の個人からなる社会集団を構成する要因として、二つの異なる原理を設定することができる。「資格」(の共通性によるもの)と「場」(の共有によるもの)がそれである。「資格」とは、性別や年齢、学歴・地位・職業などのように、社会的個人の一定の“質”(個人的属性)をあらわすものである。「場」は、資格(個人的属性)の違いを問わず、一定の地域や所属機関(大学、会社等)などのように、一定の“枠”によって集団が構成される場合をさす。例えば、会社の経営者や技術者、大学の教授や学生というのはそれぞれ資格をあらわすが、〇〇会社の社員、△△大学の者というのは場による設定(位置づけ)である。日本社会では、「場」が社会的な集団構成や集団認識において大きな役割をもっている。(28、29、32ページ)
一体感によって養成される枠の強固さ、集団の孤立性は、同時に、枠の外にある同一資格者の間に溝をつくり、一方、枠の中にある資格の異なる者の間の距離をちぢめ、資格による同類集団の機能を麻痺させる役割をなす。すなわち、こうした社会組織にあっては、社会に安定性があればあるほど同類意識は希薄となり、一方、「ウチの者」「ヨソの者」の差別意識が正面に打ち出されてくる。日本人は仲間といっしょにグループでいるとき、他の人々に対して実に冷たい態度をとる。相手が自分たちより劣勢であると思われる場合には、特にそれが優越感に似たものとなり、「ヨソ者」に対する非礼が大っびらになるのが常である。(48、49ページ)
場の共通性によって構成された集団は、枠によって閉ざされた世界を形成し、成員のエモーショナル(感情的)な全面的参加により、一体感が醸成されて、集団として強い機能をもつようになる。これが小集団であれば、特に個々の成員を結ぶ特定の組織といったものは必要ではないが、集団が大きい場合、あるいは大きくなった場合、個々の構成員をしっかりと結びつける一定の組織が必要であり、また、力学的にも必然的に組織ができるものである。この組織は、日本のあらゆる社会集団に共通してみられ、筆者(中根)はこれを「タテ」の組織と呼ぶ。理論的に人間関係をその結びつき方の形式によって分けると、「タテ」と「ヨコ」の関係となる。親子関係や上役・部下の関係は「タテ」の関係であり、兄弟姉妹や同僚関係は「ヨコ」の関係である。日本社会に特徴的な場によって構成される集団は、資格(個人的属性)の異なる構成員を結びつける方法として、理論的にも当然「タテ」の関係
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となる。(70、71ページ)
〇ガタガタと揺れ動く「ポンコツ車」の現代資本主義経済に関して、改めて資本主義の「本質」を問い直し、資本主義の「倫理」を見直し、分断社会をこえる社会のあり方について考えを深めていくことが求められている(岩井克人・生源寺眞一・溝端佐登史・内田由紀子・小嶋大造著『資本主義と倫理―分断社会をこえて―』東洋経済新報社、2019年3月)。また、現代資本主義社会における都市と地方、正規雇用と非正規雇用、富裕層と貧困層、高齢者と若者、男性と女性のように、社会の「分断と格差」「対立と差別」が深刻の度を増している。
〇「分断社会」ニッポン」はどこに向かっていくのか。どのような、あるいはどうすれば分断社会への処方箋を見出せるのか。そのことを展望するために、日本社会の基底をなす構造とは何か、について考えようとしたのが本稿である。課題に対する政策的・実践的処方箋は、2011年の東日本大震災後に叫ばれた「がんばれ! ニッポン!」の一言ではすまない。しかも、その言葉は、諸刃の剣(もろはのつるぎ)になりかねない。日本には「協調性」「集団主義」というマクロ文化が存在し、「長い物には巻かれよ(ろ)」「寄らば大樹の陰」(強い権力や勢力には従う)という日本的処世術が定着している、と言われる点においてである。留意したい。
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08/「世間」の膨張と「空気」の支配
―その「息苦しさ」からの解放―
「<活動的生活> vita activa という用語によって、私は、3つの基本的な人間の活動力、すなわち、労働、仕事、活動を意味するものとしたいと思う。労働 labor とは、人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力である。労働の人間的条件は生命それ自体である。仕事 work とは、人間存在の非自然性に対応する活動力である。仕事は、すべての自然環境と際立って異なる物の「人工的」世界を作り出す。活動 action とは、物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行なわれる唯一の活動力であり、多数性という人間の条件、すなわち、地球上に生き世界に住むのが一人の人間 man ではなく、多数の人間 men であるという事実に対応している」(ハンナ・アレント 志水速雄訳『人間の条件』筑摩書房、1994年10月、19~20ページから抜き書き)。
〇これは、周知のように、ハンナ・アーレント(Hannah Arendt、1906年~1975年、ドイツ出身の政治哲学者)の代表作『人間の条件』の冒頭部分の一節である。要するに、「労働」は生命を維持するための生物学的な行為、「仕事」は工作物を製作する職人的な行為、「活動」は多くの他者に働きかける公共的な行為、である。誤解や独断を恐れずに、さらに簡潔に言い換えれば、労働=カネを得る活動力、仕事=モノを作る活動力、活動=ヒトと関わる活動力、となろうか。
〇筆者はこれまで、数多くの地域で、「まちづくり」や「市民福祉教育」の実践「活動」に関わってきた。正直に言えば、自分が現に居住する地域での取り組みには、ある種の“息苦しさ”や閉塞感を感じてきた。その息苦しさを和らげるために“酸素”を吸入し、いま一度呼吸を整えることにした。本稿を草する(「仕事」)ねらいはそこにある。以下の抜き書きは、過去に吸ったことのある、空気よりも高濃度の酸素である。筆者には、いま所属する世間で、その流量や濃度、吸入方法を如何に考えるかが問われることになる。
(1) 阿部謹也『「世間」とは何か』(講談社現代新書)講談社、1995年7月
西欧では社会というとき、個人が前提となる。個人は譲り渡すことのできない尊厳をもっているとされており、その個人が集まって社会をつくるとみなされている。したがって個人の意思に基づいてその社会のあり方も決まるのであって、社会をつくりあげている最終的な単位として個人があると理解されている。日本ではいまだ個人に尊厳があるということは十分に認められているわけではない。しかも世間は個人の意思によってつくられ、個人の意思でそのあり方も決まるとは考えられていない。世間は所与とみなされているのである。/私達は世間という枠組の中で生き
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ているのであって、誰もが世間を常に意識しながら生きているのである。いわば世間は日本人の生活の枠組となっている。/敢(あ)えていえば日本人は皆世間から相手にされなくなることを恐れており、世間から排除されないように常に言動に気をつけているのである。(13~15ページ)
世間とは個人個人を結ぶ関係の環であり、会則や定款はないが、個人個人を強固な絆で結び付けている。しかし、個人が自分からすすんで世間をつくるわけではない。何となく、自分の位置がそこにあるものとして生きている。/世間には、形をもつものと形をもたないものがある。形をもつ世間とは、同窓会や会社、政党の派閥、短歌や俳句の会、文壇、囲碁や将棋の会、スポーツクラブ、大学の学部、学会などであり、形をもたない世間とは、隣近所や、年賀状を交換したり贈答を行う人の関係をさす。(16~17ページ)
世間には厳しい掟がある。それは特に葬祭への参加に示される。その背後には世間を構成する二つの原理がある。一つは長幼の序であり、もう一つは贈与・互酬の原理である。/世間の掟にはもう一つ重要なものがある。それは世間の名誉を汚さないということである。/「世間」の構造に関連して注目すべきことがある。西欧人なら、自分が無実であるならば人々が自分の無実を納得するまで闘うということになるが、日本人の場合は、自分は無罪であるが、自分が疑われたというだけで、世間を騒がせたことについて謝罪することになる。このようなことは、世間を社会と考えている限り理解できない。世間は社会ではなく、自分が加わっている比較的小さな人間関係の環なのである。(17、18、20、21ページ)
(2)阿部謹也『学問と「世間」』(岩波新書)岩波書店、2001年6月
「世間」と社会の違いは、「世間」が日本人にとっては変えられないものとされ、所与とされている点である。社会は改革が可能であり、変革しうるものとされているが、「世間」を変えるという発想はない。/明治以降わが国に導入された社会という概念においては、西欧ですでに個人との関係が確立されていたから、個人の意志が結集されれば社会を変えることができるという道筋は示されていた。しかし「世間」については、そのような道筋は全く示されたことがなく、「世間」は天から与えられたもののごとく個人の意志ではどうにもならないものと受けとめられていた。/したがって「世間」を変えるという発想は生まれず、改革や革命という発想も生まれえなかった。(111~112ページ)
「世間」は差別的で排他的な性格をもっている。仲間以外の者に対しては厳しいのである。「世間」には序列があり、その序列を守らない者は厳しい対応を受ける。それは表立っての処遇ではないが、隠微な形で排除される。/「世間」の中では個性的な生き方はできない。常に「世間」の枠を意識していなければならないからである。自分と「世間」とは一体として意識されている。自分が落ちこぼれないよう
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に努力している反面で、「世間」の外に特定の対象を設定して、その対象に対して自分の優位を確認しようとする。「世間」の外にそのような対象を設定することによって、自分自身の恐れや不安を転嫁するのであり、「世間」に対する恐怖を和らげるのである。/私たち自身が「世間」の中で生きている不安を転嫁する過程で差別意識が発生してくるのである。その意味で差別意識は「世間」の産物である。(151~152ページ)
(3)佐藤直樹『「世間」の現象学』(青弓社ライブラリー)青弓社、2001年12月
社会という言葉はわが国の「近代化」と一体となったかたちで、つまり「近代化」のシステムとして展開された。ジャーナリズムや学問の世界では、あたかも西欧流の社会が実在するかのように、社会という言葉があたりを席巻した。しかしそれは、蜃気楼のようなものだった。おおかたの見方に反して、「世間」は消滅するどころか、実際に明治以降私たちの<生活世界>に実在したのは、「近代化」のシステムとしての社会ではなく歴史的・伝統的システムとしての「世間」のほうであった。(98ページ)
西欧流の「社会」と日本の「世間」のちがいを簡単にまとめると次のようになる。(94~97ページ、備考は筆者引用)
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(4)山本七平『「空気」の研究』(文春文庫)文藝春秋、1983年10月
「空気」は非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、それに抵抗する者を異端として、「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力をもつ超能力である。われわれは「空気」に順応して判断し決断しており、総合された客観情勢の論理的検討の下に判断を下して決断しているのではない。だが通常この基準は口にされない。それは当然であり、論理の積み重ねで説明することができないから「空気」と呼ばれているのだから。従ってわれわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準(ダブルスタンダード)のもとに生きているわけである。そしてわれわれが通常口にするのは論理的判断の基準だが、本当の決断の基準となっているのは、「空気が許さない」という空気的判断の基準である。(22ページ)
「空気」の基本にあるのは臨在感的把握である。/それは、物質から何らかの心理的・宗教的影響をうける、言いかえれば物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けることをいう。/臨在感の支配により人間が言論・行動等を規定される第一歩は、対象の臨在感的な把握にはじまり、これは感情移入を前提とする。感情移入はすべての民族にあるが、この把握が成り立つには、感情移入を絶対化して、それを感情移入だと考えない状態にならねばならない。従ってその前提となるのは、感情移入の日常化・無意識化乃至は生活化であり、一言でいえば、それをしないと、「生きている」という実感がなくなる世界、すなわち日本的世界であらねばならないのである。/臨在感は当然の歴史的所産であり、その存在はその存在なりに意義を持つが、それは歴史観的把握で再把握しないと絶対化される。そして絶対化されると、自分が逆に対象に支配されてしまう、いわば「空気」の支配が起ってしまうのである。(32、33、38、40ページ)
ある一言が「水を差す」と、一瞬にしてその場の「空気」が崩壊するが、その場合の「水」は通常、最も具体的な目前の障害を意味し、それを口にすることによって、即座に人びとを現実に引きもどすことを意味している。/われわれは、「空気」を排除するため、現実という名の「水」を差す。/「水」とはいわば「現実」であり、現実とはわれわれが生きている「通常性」であり、この通常性がまた「空気」醸成の基である。そして日本の通常性とは、実は、個人の自由という概念を許さない。/われわれの通常性とは、一言でいえばこの「水」の連続、すなわち一種の「雨」なのであり、この「雨」がいわば「現実」であって、しとしとと降りつづく“現実雨”に、「水を差し」つづけられることによって、現実を保持しているわけである。従ってこれが口にできないと“空気”決定だけになる。(91、92,129、172ページ)
〇「世間」と「空気」は過去の遺物ではない。「世間」は今日も、解体・消滅することなく、そこに所属する人々の行動原理として働いている。そこで醸成される
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「空気」は、人々を支配し、ときには議論を否定し、思考を停止させる。日本の現代社会においては、「世間」が膨張・強大化し、「空気」が意思決定の主役のようにもなっている。しかもそれが、中央集権的な政治・行政システムを残したまま、国主導によって進められている。
〇「まちづくり」や「市民福祉教育」の世界ではこれまで、「世間」と「空気」の存在を前提にした議論が十分に行われてきたとは言えない。もっぱら、「地域社会」「市民社会」「共生社会」などの、翻訳語としての「社会」(society)を舞台にした議論が行われてきた。「社会」は観念的な世界であり、人はそのなかで生きているとはいえ、一定の心理的距離を置くこともできる。「世間」は日常生活における具体的な人間関係であり、一面では本音(ほんね)の世界でもある。右傾社会や格差社会、そして監視社会すなわち管理社会が進展するなかでいま、その趨勢を押しとどめ、真の市民社会や共生社会の実現を図るために、日常語としての「世間」と「空気」について探究する必要がある。「世間」と「空気」を対象化し議論することは、「社会」について論究する際のひとつの前提である。それはまた、自分の存在を意識し思考することであり、「社会」や「世間」の「息苦しさ」から自分や他の人々を解放することに通じる。本稿で言いたいのはこの点である。
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09/「伝統回帰」と関係による未来社会のデザイン
―内山節を読む―
〇久し振りに内山節(うちやま・たかし、在野の哲学者)の世界を旅し、楽しんだ。立ち寄ったのは(読んだのは)、(1)『民主主義を問いなおす』(内山節と語る 未来社会のデザイン①。以下[1])、(2)『資本主義を乗りこえる』(同②。以下[2])、(3)『新しい共同体の思想とは』(同③。以下[3])の3部作である。これは、35年余にわたって、毎年2月に行われている「東北農家の二月セミナー」の2017年、18年、19年の勉強会での内山の報告を書籍化したものである。農文協から、2021年3月に刊行されている。
〇[1]で内山はいう。世界はいま、分解と混乱を深めている(48ページ)。近代国家とそのもとでの民主主義や「自由・平等・友愛」(フランス革命)などの理念の限界が露呈している。そんななかで、行き詰まる近代的世界を超え、どのような未来社会を構想するか。そのひとつの答えは、農山村や地域社会などにおいていろいろなかたちで始まっている「伝統回帰」に見出せる。伝統回帰とは、昔のかたちに戻ることではなく、近代以前から学ぶということ、「過去に未来のヒントをもらうこと」(10ページ)である。これからの社会のあり方を一言でいえば、「伝統回帰の時代」(50ページ)である。
〇[2]で内山はいう。資本主義は末期的になってきた(14ページ)。貨幣の増殖とその手段としての資本の拡大再生産を追求する資本主義経済が暴走し、世界を荒廃させている。資本主義は「カネでカネを殖やす」仕組みにすぎない(69ページ)。それに対して伝統的な経済は、「自分の利益だけを追求しない」(87ページ)、「皆の利益」「皆があってこその利益」(98、100ページ)を追求する。資本主義が終焉の方向に向かっているなかで、カネに振り回されない、自然や共同体(コミュニティ)ととともにある経済への伝統回帰が始まっている。
〇[3]で内山はいう。ヨーロッパの文明思想が限界を迎えた(14ページ)。ヨーロッパが近代につくりだした思想が、国家・国境や貨幣などの「虚構」に支配されたいまの社会構造・文明世界をつくった。近代的世界が行き詰まるなかで(113ページ)、自然と人間や人間同士がつながり結び合って暮らす共同体的世界・生き方を取り戻すことが求められている。いま、「自然」「労働」「経済」「暮らし」「地域」「文化」「信仰」などがバラバラにではなく、相互性をもって一体的に展開できる、「実体」として存在する共同体的世界への伝統回帰の試みが生まれている。
〇[1]は内山の政治・社会論(民主主義論)、[2]は経済論(資本主義論)、[3]は思想論(共同体論)である。そこに通底するのは、民衆が培ってきた土着・伝統の信仰や思想、文化などへの伝統回帰に基づく「未来への構想力」であり、新しい「変革の思想」である。
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〇内山は「伝統回帰」という言葉を好んで使う。その「伝統回帰論」とともに、内山にとって重要な言説のひとつに、人間の本質は「関係」のなかにあるという「関係本質論」がある。その要点はこうである。人は、自然や神仏、社会との関係や、人間同士のさまざまな関係のなかで生きている。その関係を足したもの、いろいろな関係の総和・全体がその人の本質をつくっている。関係がすべてを存在せしめ、関係が実体をつくっている([3]60、73ページ)。つまり「関係こそが真理である」([3]72ページ)。
〇要するに、内山にあっては、日本の伝統的な発想には、「我々はいろんなものとつながって生きている」という生命観や社会観がある([2]100ページ)。しかも、あらかじめ自然があり、神仏や人(他者)が存在するからではなく、自然や神仏、人と関係を結んでいるから自然があり、神仏や人が存在するのである。すなわち、自然や神仏、人間同士の関係を通して社会をつくっているのである([1]104ページ)。
〇本稿でみた内山の「伝統回帰論」や「関係本質論」の展開の前提には、国民国家と市民社会、そして資本主義についての厳しい現状認識がある。内山はいう。近代社会は国民国家、市民社会、資本主義の3つのシステムが三位一体となるかたちでつくられている。その土台にあるのは、国民、市民、労働力などとして成立する個人である。三位一体の体制である以上、ひとつが限界に達すれば、他のふたつも限界にならざるをえない([1]8、9ページ)。現在では、そのすべてが限界を迎えている。国家はいま、国家権力が巨大化し、人びとを煽動しながら政治を進めるデマゴーグ政治(衆愚政治)に陥り、「たそがれる国家」「国家が意味を失っていく時代」([1]19ページ)にある。市民社会については現在は、個人がバラバラになって孤立しており、正義感に満ちた生き生きした社会をつくるという「神話性がはがされていく時代」([1]11ページ)である。資本主義については、経済発展が格差を生んで人々の生活を破壊し、地域・社会を衰退させ、「資本主義が国民全体を支えるという時代」([3]114ページ)は終わっている。
〇こうした内山の議論や視点は、いま流行(はやり)の「コモンズ(共有資源)論」や「脱成長コミュニズム(共同体主義)論」を思い出させる。また、国民国家・市民社会・資本主義の三位一体のシステムについては、「市民社会論」の一環として「まちづくりと市民福祉教育」について論じる際に留意すべき視点でもある。付記しておきたい。
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10/まちづくりと「キャパシティ・ビルディング」
―まちづくりの方向性と側面―
筆者の手もとに、「まちづくり」というタイトルの本が5冊ある。(1)織田直文『臨地まちづくり学』(サンライズ出版、2005年3月。以下[1])、(2)西村幸夫編『まちづくり学―アイディアから実現までのプロセス―』(朝倉書店、2007年4月。以下[2])、(3)日本福祉のまちづくり学会編『福祉のまちづくりの検証―その現状と明日への提案―』(彰国社、2013年10月。以下[3])、(4)日本都市計画学会関西支部新しい都市計画教程研究会編『都市・まちづくり学入門』(学芸出版社、2011年11月。以下[4])、(5)株式会社オオバ技術本部『まちづくり学への招待―どのようにして未来をつくっていくか―』(東洋経済新報社、2015年5月。以下[5])、がそれである。
〇[1]から[5]を一瞥すると、まちづくりの実践例を紹介するものが多い。しかも、「まちづくり」とはいうものの、その論述はハード面を中心とした都市計画論や土木・建築工学などの専門領域に限定されていたりする。また、「まちづくり学」とはいうものの、実践経験やそれに基づく知識や知見を教科書風に整理・総括したものもある。さらには、個別的・技術的なまちづくり実践の研究と総合的・俯瞰的なまちづくり学の研究が混同されている場合もある。いずれにしろ、「まちづくり学」の成立については未だしの感なきにしもあらず、といったところである。
〇こうしたまちづくり研究の現状認識のもとで、以下に、織田直文(おだ・なおふみ)の「1」、西村幸夫(にしむら・ゆきお)の「2」、日本福祉のまちづくり学会の「3」を中心に、注目したい論点や言説を紹介する(抜き書きと要約)。ここでは、取り敢えず3つの項目立てを行う。1.まちづくりとまちづくり学、2.まちづくりの潮流、3.まちづくりの進め方、がそれである。
1.まちづくりとまちづくり学
<A>「まちづくり」とは、住民や行政、企業などの地域構成員が、地域を良くするために心を通わせるコミュニケーションの場を形成する活動であり、<B>多様で複雑なまちづくりの課題をこの場を手がかりとし、地域の実態に即して解決しつつ、住民(議会、コミュニティ、既存の地域団体、NPO等を含む)、地元行政、企業(産業界を含む)などの地域構成員が、歴史・自然などの地域の固有性に着目し、地域という空間・社会・文化環境の健全な維持と改善・創造のために主体的に行う連続的行為である。これらの意味から、<C>まちづくりは、人々が心を通わせ、その場に臨んで、具体的な問題を解決していく活動である。([1]24~25ページ)
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まちづくりの本質とは何か、それは都市計画や都市整備とはどう違うのか。まちづくりは、地域を統合的にみることを特徴とする。まちづくりの統合的な視点やアプローチを都市計画と比較してみると、表1のようになる。(西村幸夫[2]1、7ページから抜き書き)
まちづくりとは、「地域における、市民による、自律的・継続的な、環境改善運動」である。重要なのは、「地域における」、「市民による」という点にある。地域市民が安全・安心、福祉・健康、景観・魅力のための環境改善運動を、自分たちが自律的に、継続的にやり続けることが「まちづくり」である。(小林郁雄[2]83ページ)
「臨地まちづくり学」とは、臨地、すなわちまちづくりの現場での調査研究を重視し、住民主体で地域課題の解決を図る、または将来目標を獲得するための思想、知識・技術を開発する学問であるといえる。
その学問を行う主体は地域社会の構成員である、住民、市町村行政、地域企業、諸団体、NPO、大学等であり、研究者は準構成員としてまちづくりの現場に関わりながら事業支援を行い、研究開発の進展に貢献するのである。この学問はあくまで地域に息づく市井の人々に役立つことをめざして取り組むことを基本とする。([1]46~47ページ)
2.まちづくりの潮流
人間の個々人の欲求が集合体として社会化し、それに符号する形の「まちづくり」が現出する。戦後のまちづくりを辿ると次のようになる。1960年代、環境破壊や公
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害の発生などの高度経済成長による歪みに対して、生活環境整備や福祉の充実への希求が高まり、イデオロギーを背景にした新しい社会運動が登場した(「告発・要求型まちづくり」)。1970年代、地方・地域の過疎的状況の中で、独自の産業振興を図り雇用の確保、人口の定住をめざして地域振興が取り組まれた(「地域経済振興型まちづくり」)。1980年代後半から1990年代前半、地域住民の地域への誇りと愛着の醸成や、経済とは切り離されたところでの芸術・文化活動の活発化などで、自己実現をめざす人間的欲求の発露の結果として地域の社会・文化開発がなされた(「自己実現型まちづくり」)。今後は、多様で複雑な地域課題を解決するためには、国や県、地域外企業などが行う「外発的地域開発」(exogenous regional development)と市町村行政や住民などが主体的・主導的に行う「内発的地域開発」(endogenous regional development)を結合させ、両者の長所を合わせ持った「ひらかれた内発的地域開発としてのまちづくり」が必要となる(「課題解決型まちづくり」)。([1]114~127ページ)
これまでの福祉のまちづくりは、障害者の住まいや介助問題を発端に、移動、交通、少子高齢社会の急速な到来に対するさまざまな地域課題を環境整備や法制度の構築、市民運動というかたちで発展させてきた。
今日、福祉のまちづくりの対象は拡大し、子ども、高齢者、障害者、外国人などへの多様な対策をはじめ、健康づくり、防災、安全・安心のまちづくりなど、その範囲を広く捉えることができる。さらにまた、東日本大震災は、日本のこれまでの社会経済活動のあり方を根本的に問い直し、地域とは何か、共助とは何か、過疎化、高齢化する地域における市民の役割、福祉のまちづくりの役割を問うこととなった。90年代までとはまったく異なるステージに突入したといえる。
福祉のまちづくりのゴールとは、地域やまちづくりの分野ですべての人が「分け隔てのない共生社会」(注①:阪野)の実現を図ることである。「弱くて脆い社会」(注②:阪野)をそろそろ脱皮する必要がある。([3]10~24ページ)
注
①「障害者差別解消法」(「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」、2013年6月公布、2016年4月施行)は、「障害を理由とする差別の解消を推進し、もって全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを目的とする。」(第1条)。
日本は、2014年1月、「障害者の権利に関する条約」(Convention on the Rights of Persons with Disabilities、2006年12月国連総会採択)を批准した。本条約は、「全ての障害者によるあらゆる人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有を促進し、保護し、及び確保すること並びに障害者の固有の尊厳の尊重を促進すること」(第1条)
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を目的とし、締約国は「この条約において認められる権利の実現のため、全ての適当な立法措置、行政措置その他の措置をとること。」(第4条1(a))を定めている。
② 「ある社会がその構成員のいくらかの人々を閉め出すような場合、それは弱くもろい社会なのである。障害者は、その社会の他の異なったニーズを持つ特別な集団と考えられるべきではなく、その通常の人間的なニーズを満たすのに特別の困難を持つ普通の市民と考えられるべきなのである。」(「国際障害者年行動計画」(第63項)1980年1月国連総会決議)。
福祉のまちづくりに関する流れを概観すると、福祉のまちづくりは、①当初、障害者自身の自発的な活動すなわち住民主導型から始められたが次第に行政主導型に変化していったこと(「主体の変化」)、②福祉のまちづくりそのものの概念が時代とともに変化していったこと、すなわち当初の「福祉」は障害者を主体的に捉えていたが後年は全ての市民を対象にしていること(「概念の変化」)、③「まちづくり」の目的が道路や建築物といったハードを整備することからまちの中で生活できることへと進化していったこと(「対象の変化」)、④当初は法的拘束力がほとんどなかったが条例の制定等で次第に法的拘束力が強められていったこと(「法的拘束力の変化」)が理解できよう。([3]200ページ。野村勸「建築分野からみた福祉のまちづくり」『福祉のまちづくり研究』第13巻第2号、日本福祉のまちづくり学会、2011年7月、13ページ)
3.まちづくりの進め方
臨地まちづくりを進める場合の要諦としては、次のような点がある。
① 地元の住民や行政の主体性、独創性を最も重要視する。
② 地域社会を生態的、動態的に扱う。
③ 現地の状況を客観的かつ感覚的、総合的に認識する。
④ 住民の深層内面的コンセンサスが得られるまちづくりの進め方、提案をする。
⑤ 地域の現状・課題把握、政策立案、実施をスピーディに行う。ただし、現場のペースを著しく乱してはならない。
⑥ 政策内容、事業展開に柔軟性を持たせる。現場の事情に応じて対応していく。しかし、基本コンセプト等はできるだけ崩さない。([1]53ページ)
〇以上を要するに、まちづくり([1]でいうひらかれた内発的な課題解決型まちづくり)は、地域の歴史性・固有性、地域住民・行政などの主体性・自律性、実践活動の総合性、計画性、運動性、継続性などにその特性を見出すことができる。まちづくりは、地域(地元)の住民をはじめ行政、組織・団体、NPO、企業などの主体の形成なしにはありえず、主体形成を本質とする。まちづくりは、住民主体・住民
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主導の内発的な取り組みを基本とするが、その推進を図るためには個々の住民(個人的実践主体)の主体形成にとどまらず、それを集団的実践主体や運動主体へと育成・向上するための取り組みを必要とする。まちづくりの重要な主体である地元行政や地域の組織・団体・NPO・企業などは、如何にして、ひとつの組織体として「まちづくりの力」を発揮するか、組織体相互の連携・協働(共働)を図るか、が問われる。そしてまた、まちづくりの主体を形成(育成)するための教育的営為(「まちづくり教育」「まちづくり学習」「市民性形成」「市民福祉教育」など)のあり方も問われることになる。なお、福祉のまちづくりは、高齢者や障がい者などの社会的弱者に限らず、すべての人が安全で安心して快適に、共に暮らせるまちづくり(「共生のまちづくり」)の推進を図るものである。その意味においては、これまで使われてきた福祉「の」「で」「による」まちづくりは、総合的・包括的な概念である「まちづくり」に包含されることにもなろうか。
〇ここで、以上との関連で、「まちづくりの方向性と側面」と「キャパシティ・ビルディング」について一言付け加えることにする。
〇図1は、1990年代以降の地方分権改革の潮流に対応した住民参加・市民主導のまちづくりの方向性と側面(内容)について表示したものである。第1象限(市民主導/行政・専門家支援×創造・変革)が、推進することが志向されるまちづくりである。しかし、現状では、第2象限や第4象限にとどまったり、旧態以前とした第3象限(行政・専門家主導/住民参加×守旧・伝統)に位置づく取り組みが多い。2000年代に入るとまちづくりへの住民参加が制度化されるが、参加主体の多様化や多層化が進み、かえって参加が形式化・形骸化している実態もある。また、内容的には、ハード・ソフト両面にわたって総合的かつ有機的に地域課題を解決することが重要であるといわれるが、個別的・縦割り的なものも多くみられる。
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〇まちづくりは、それに参加する住民の「個別の能力強化」だけでなく、NPOや地域組織・団体、企業などの組織的な能力の形成・強化・向上を図る取り組み(キャパシティ・ビルディング、capacity building)とそれを促進・支援する専門的人材の育成やシステムの構築が必要かつ重要となる。キャパシティ・ビルディングは、「組織の実績と効果を高めるために、組織強化するプロセス」(「組織の能力強化」)と定義される。それは、NPOや市民活動団体、民間企業などが組織体として、まちづくり活動を推進するために、組織・人材・財源などの組織基盤・基礎体力(キャパシティ)を構築(ビルディング)・強化することを意味する。キャパシティ・ビルディングの取り組みでは、①リーダーシップ力(組織のリーダーのもつべき能力で、発想し、優先順位づけを行い、意思決定し、方向を決めて革新を行う能力)、②適応力(組織が抱える内外の環境変化を観察・評価し、対応する能力)、③マネージメント力(組織のもつリソース(資源)について、効果的・効率的に活用する能力)、そして④技術力(組織が組織運営上あるいはプログラム実施上の機能を発揮する能力)の4つの組織能力が必要とされる(「2」98~99ページ)。
〇キャパシティ・ビルディングは、東日本大震災を契機に地域の再生・創造が叫ばれ、まちづくりのあり方が改めて問われている今日、注目すべきアプローチのひとつである。
補遺
〇織田直文は、「臨地まちづくり学」の「臨地」について次のように述べている。
そもそも「まちづくり」そのものが現場性の高いものであって、もともと「臨地」ではないかとの指摘もある。しかしながら、まちづくりには現場から離れた基礎的研究や理論研究もあり、それも対極として重要である。あるいは、まちづくりの現場では、当事者たる住民やそこで地域貢献をする事業者などの自覚と、主体的な取組こそが重要であるとの自戒を促す意味も込めて、あえて「臨地」という言葉で強調しているのである。
さらにそのことを認識したうえで等しく大学の研究者、学生、ジャーナリストといった、外部からの観察者・提案者たちも<まち>を対象に研究をするのであり、その者たちが「その地に臨むこと・現地に出かけること」によるまちづくり研究も、「臨地まちづくり学」なのである。([1]49ページ。織田直文「臨地まちづくり学の理論と実践―京都市山科区における臨地まちづくりによる地域活性化と教育実践の分析―」『政策科学』第15巻第3号、立命館大学政策科学会、2008年3月、42ページ)
〇この説述は、研究者や実践者(事業者)の立ち位置や研究・実践姿勢に視点・視座を置くものである。「まちづくり学」は「実践の学」「主体形成の学」であり、その基本的な性格は臨地性と実践性にある。また、「実践的研究」は、「実践を通しての研究」と「実践に関する研究」に大別されるが、この両者を循環的に組み合
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わせ、相互作用を引き起こすことによって理論の構築が可能となる。とすれば、「まちづくり学」の臨地性を「あえて『臨地』という言葉で強調する」必要はもともとない、といえよう。
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11/「シビックプライド」と社会変革
―「あなた自身があなたのまちです」―
〇10年ほど前から、地方自治体の営業活動(「売り込み」:牧瀬稔)を意味するシティプロモーション(和製英語)の劇的な進展が図られ、それとの関連や、公共空間デザインやまちづくりの現場などにおいて「シビックプライド(Civic Pride)」(株式会社読売広告社の登録商標)という言葉や概念が注目されている。
〇その背景には、少子高齢化や人口減少、経済の低成長などによって特徴づけられる「縮小社会」の到来、とりわけ地域経済の低迷と地方財政の逼迫化、地域コミュニティの担い手不足がある。とともに、地方分権化の推進による都市間競争の発生、より具体的には持続可能なまちづくりを進めるために必要な経営資源(ヒト・モノ・カネ)の確保・調達をめぐる地域間の競争の激化がある。そしてまた、社会事象として地域コミュニティの衰退や地方崩壊が進む反面、地域や地方に新たな生き方や働き方を求め、自らの存在価値を見出そうとする人々の価値観の転換、などがある。
〇筆者の手もとに「シビックブライト」に関する本が3冊ある。(1)伊藤香織(いとう・ かおり)・柴牟田伸子(しむた・のぶこ)監修、シビックプライド研究会編『シビックプライド―都市のコミュニケーションをデザインする』(宣伝会議、2008年11月。以下[1])、(2)伊藤香織・柴牟田伸子監修、シビックプライド研究会編『シビックプライド2【国内編】―都市と市民のかかわりをデザインする』(宣伝会議、2015年9月。以下[2])、(3)牧瀬稔(まきせ・みのる)・読売広告社 ひとまちみらい研究センター編著『シティプロモーションとシビックプライド事業の実践』(東京法令出版、2019年3月。以下[3])、がそれである。
〇シビックプライドとは、「市民」(主体的・能動的で自律的な活動主体)が都市(地域)に対してもつ誇りや愛着のことである。それは、単なる「まち自慢」ではなく、また地域(地元)への親近感や情感的な郷土愛とも多少ニュアンスを異にする。つまり、シビックプライドは、自分自身が関わっている「この場所」(まち)をより良くしていこうとする、ある種の当事者意識に基づく自負心を意味する([1]164、[2]126、[3]50ページ)。その点において、例えば小学校社会科中学年の「地域学習」の推進や、行政や社協などによる「市民協働のまちづくり」「市民主体のまちづくり」への住民参加(参集、参与、参画)は、シビックプライドを醸成する重要な要因になる。ソーシャル・キャピタル論や共生社会論、そして「まちづくりと市民福祉教育」に通底するところでもある。
〇シビックプライドは、「この場所」を「知る」ことによって、「誇り」に気づき、「愛着」がわくことから始まる。その気づき(情報や気持ち)を対話型のコミュニケーションを通じて他者に伝え、「自分ごと」(「自分ごと化」)を「自分た
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ちごと」(「みんなごと化」)にする。人と人がつながり、まちの多様なヒト・モノ・カネ・コト・情報などとの関係性をつくりだす。それは、時間や空間を超えて広がり深まる。そして、より良いまちづくりのアクション(行動)を起こす。さらに、その活動を評価、改善し、Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Action(改善)のPDCAサイクルを効率的に回しながら継続的に取り組む。
〇すなわち、シビックプライドは、「誇りの種を探す」「魅力を掘り起こす」ことから始まる。シビックプライドは、一人ひとりが抱くまちへの思いであり、それに基づくアクションである。そして、それらの連鎖や関係性を広め、共働化・継続化することによって、その思いやアクションは次代のシビックプライド(誇りや愛着の醸成・向上)になる。シビックプライドでまちは変わるのである。([2]136~139ページ)。
〇筆者の手もとには[1][2][3]のほかに、木下大生(きのした・だいせい)・鴻巣麻里香(こうのす・まりか)編著『ソーシャルアクション! あなたが社会を変えよう!―はじめの一歩を踏み出すための入門書―』(ミネルヴァ書房、2019年9月。以下[4])がある。[4]には、「このままではいけない」(危機感をもつ、問題提起する)を「なら、こうしよう」(社会を変える行動、ソーシャルアクションを起こす)に変えた人々のリアルなストーリ(実践事例)が収録されている。[4]の編著者である鴻巣にあっては、ソーシャルアクションとは、「誰にとっても住みよい社会をつくるための行動」である。また、[4]のキーワードである「当事者」とは、「ある問題、あるいは困難が生じた時、その問題から直接影響を受ける関係者」である。「当事者力」とは、「『私は』で始まる語り(Narrative,ナラティブ。ライフストーリー)から生まれる力」、換言すれば、何かの困難の当事者である・あった経験によって芽生え、揺り動かされた感情や行動力、を言う。そして[4]は、「あなたのアクションは本の中にはありません。フィールドに出かけましょう」と、読者に訴える(「ちょっと長めのはじめに」ⅰ~ⅶページ)。
〇[4]のもうひとりの編著者である木下は、「ちょっと長めのおわりに」のなかで「『社会を変える』ことについての試論的総論」を論じている。木下の言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。
社会を動かすのは最終的には「当事者力」である
「社会を変える」きっかけを作るのは必ずしも当事者とは限らないが、その後の行動・活動には必ず当事者が介入するべきである。
当事者不在のソーシャルアクションは、活動・行動している人の自己満足に終始してしまう可能性を孕(はら)み、場合によっては当事者をより窮地に追い込む状況を作り出さないとも限らない。変えられるべき社会的課題の被害を最も被っている当事者の意見を聞かなかったり、蔑(ないがし)ろにするべきではなく必ず何かしらの形で当事者の関わりを担保することが求められる。(220ページ)
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社会を変えるには「変換力」を持つ人が必要である
「社会を変える」とは、①法律を作る・変える、②状況(状態)を変える、③慣習を変える、④人々の意識を変える、ことである。そのためには、①変えたいことの明確化・具体化(問題をカタチにする)、②状況についての具体的な語り(自分の状況を具体的に語れるようになる)、③目的の設定(何をめざすのかを明らかにする)、④仲間を作る(同じ仲間意識がある人とつながる)、⑤理解者を増やす(社会の人々に知ってもらう)ことが求められる。これらは、社会を変えようとする際に最低限必要とされる要素であり、「社会を変える」具体的なやり方・方法である。(211~212、223ページ)
社会を変えようとする場合に必要なのは、自分の何かしらの体験を、権利が侵害・抑圧され、生活に困難を来たしている当事者の経験や感情に「変換する力」を持つ人である。別言すれば、当事者(他者)の生きづらさや社会課題を緩和・解決するためにその問題状況を自分に引き付け、当事者に寄り添い、直接的あるいは間接的な行動・支援を起こす・行う人である。この「変換力」は「共感力」あるいは「権利意識」と言ってもよい。(219、230ページ)
〇本稿で押さえておきたいことのひとつは、「あなた自身があなたのまちです(You are Your City)」([1]164ページ)、「社会を変えるとは人のつながりを結びなおすことである」([4]帯)というフレーズである。
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12/合意形成とマルチステークホルダー・プロセス
―「総論賛成・各論反対」を打開するために―
〇筆者の手もとに、まちづくりにおける「総論賛成・各論反対」の状況を打開するための「合意形成」に関する資料として、3冊の本と1通の報告書がある。
(1) 土木学会誌編集委員会編『合意形成論―総論賛成・各論反対のジレンマ―』土木学会、2004年3月。(以下[1])
(2) 猪原健弘編著『合意形成学』勁草書房、2011年3月。(以下[2])
(3) 倉阪秀史『政策・合意形成入門』勁草書房、2012年10月。(以下[3])
(4) 内閣府国民生活局企画課『安全・安心で持続可能な未来のための社会的責任に関する研究会 報告書』内閣府、2008年5月。(以下[4])
〇本稿では、それぞれの資料のなかから、個人的に注目したい論点や言説のいくつかを紹介することにする(抜き書きと要約)。なお、[2]には「合意形成学関連書籍リスト」が掲載されている。
[1] 土木学会誌編集委員会編『合意形成論―総論賛成・各論反対のジレンマ―』土木学会、2004年3月
仮に「市民は政策判断に必要な知識をもっていない」という前提を認めたとしても、そこから「専門家が市民に代わって意思決定すべきである」という結論を導く論理は飛躍している。「市民が必要な知識を専門家から学び意思決定に関与する」という論理も同時にありうる。国づくり、まちづくりに関わる喜びは専門家だけの特権ではない。(小林清司:13ページ)
合意とは、必ずしも形成するものではない。自然と形成されるものでもある。それゆえ、土木事業者が自らの信頼性を保ち、毅然とした態度をとり、人々の良識を信頼し、そして人々の信頼を確保することで人々の公共心による議論が成立するのなら、長期広域の影響をもつ土木事業においてすら、「決める」までもなく「決まる」ことも少なくないのかもしれない。
合意形成論、それは、人間の社会の根幹に関わり、そのあり方そのものを問うきわめて重大な意味をもつ議論である。(中略)いま、ここに居るわれわれにできることがあるとするのなら、それは、真の合意の達成を信じたうえで、社会全体を巻き込む合意形成の言論とその実践、それらを、各人の領分と役割の中で、一つずつ真摯に重ねていくことのほかは、ない。(藤井聡:43~44ページ)
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意を同じくするのが同意であり、意を合わせるのが合意だとするなら、同意は自らの良識に基づく判断の結果として人々の意が同じくなる半ば必然的な現象を意味し、合意には何らかの妥協や打算も入り混じったうえで意を合わせるという社会的行為を意味するものではないか(中略)。「良い社会とは何か」という途方もない問題を考えるにあたり、あり得る一つの、あるいはともするなら唯一の回答は、打算と妥協を交えた合意の形成ではなく、先人たちと子々孫々との共有を前提とした良識に基づく同意の形成ではないか、と考えるに至りました。
良い社会に向けた同意の形成、そのためには、さまざまな社会的役割の中で責を負われている方々の、その責を前提とした具体的行動が、いま、ただちに、一つでも多く必要とされているのではないか、と思われてなりません。(藤井聡:173~174ページ)
[2] 猪原健弘編著『合意形成学』勁草書房、2011年3月
合意形成とは、多様な意見の存在を踏まえ、対立が紛争に至ることを回避し、より高次の解決に導くための創造的な話し合いのプロセスである。したがって、合意形成は、たんなる説得や妥協、討論のための討論ではない。また、論者のだれかが勝利を収めるための論争ではない。関係者のだれもが納得する解決策を創造するための協働的な努力である。(桑子敏雄:189ページ)
社会的合意形成とは、(特定利害関係者の間の合意形成ではなく:阪野)、社会基盤整備のように、ステークホルダー(事業に関心・懸念を抱く人びと)の範囲が限定されていない状況での合意形成である。すなわち、不特定多数の人びとのかかわる合意形成である。(桑子敏雄:179ページ)
社会基盤整備のような不特定多数を対象とする合意形成プロセスの構築は、3つの大きな要素で構成される。すなわち、制度と技術と人である。このことは、この3つの項目に対応する人びとの関係の構築であるといってもよい。すなわち、制度を代表する行政機関に属する人びと、技術や知識をもつ専門家の人びと、および事業の影響を直接受ける人びとや一般市民である。(桑子敏雄:180ページ)
「合意」は、(全員の意見の一致を意味するのではなく:阪野)、①全員が賛成すること、②反対者がいなくなること、③反対者を少なくすること、④反対者を少なくするよう努力すること、というように、幅をもってとらえられる。(猪原健弘:266ページ)
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[3] 倉阪秀史『政策・合意形成入門』勁草書房、2012年10月
参加者の討議技術の違いを乗り越えて、参加者が建設的な議論ができるように、中立的な立場で議論の手助けをする立場の人がプロセスの進行を司ることが必要です。この立場の人を「ファシリテーター」と呼びます。(225ページ)
ファシリテーターには次のようなことが求められます(ファシリテーターが持つべき基本的スキル)。
①課題となるテーマから中立であること。
②すべての参加者が自分の意見を述べることができるように工夫すること。
③不公平感をもたれないようにとりまとめること。
④時間の管理に十分に留意すること。
⑤参加者と十分に打ち解け、コミュニケーションがとれていること。
⑥参加者の真意を聞き出すテクニックを持っていること。(228~230ページ)
合意形成プロセスの参加者に求められる能力としては、大きく4つの能力があると考えます。
第一に、論理的思考力です。論理的思考力をさらに細分化すると、帰結を考える力、理由を考える力、論点整理する力などが該当します。論理的思考力が欠けていると、思い込み、鵜呑み、ムダが起こります。
第二に、発想力です。発想力は、発散思考力、結合思考力に分けられます。発散思考力とは、自分でさまざまなアイディアを思いつく能力といえます。結合思考力とは、一見関係のないようなアイディアをくっつけて新しいアイディアをつくりだす能力といえます。発想力が欠けていると、過去の事例にとらわれてしまうこと、自分の考え方に固執してしまうことが起こります。
第三に、対応力です。対応力は、即応力と適応力からなります。即応力とは、すぐに対応できる力です。適応力とは、場に応じた対応ができる力です。対応力が欠けていると、タイミングを逸してしまうこと、空気を読めない行動をしてしまうことが起こります。
第四に、コミュニケーション力です。コミュニケーション力とは、認識力(聴く力)と表現力(話す力)からなります。コミュニケーション力が欠けていると、他人の考え方を十分にくみ取れないこと、自分の意図を他人に伝えられないことが起こります。(240~242ページ)
[4] 内閣府国民生活局企画課『安全・安心で持続可能な未来のための社会的責任に関する研究会 報告書』内閣府、2008年5月
マルチステークホルダー・プロセス(Multi-stakeholder Process:MSP)とは、平等代表性を有する3主体以上のステークホルダー間における、意思決定、合意形成、
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もしくはそれに準ずる意思疎通のプロセスをいう。ここでいう平等代表性(equitable representation)とは、マルチステークホルダーにおけるあらゆるコミュニケーションにおいて、各ステークホルダーが平等に参加し、自らの意見を平等に表明できるということであり、また、相互に平等に説明責任を負うということである。(61ページ)
マルチステークホルダー・プロセスが適する条件は次の3点である。
①参加主体間に、対話が不可能であるまでの対立が発生していないこと。
②取り扱われるテーマがある程度具体性を帯びているものであること。
③最終目的が参加主体間で共有され、かつ、対話を経ることにより目的が達成される合理的な可能性(reasonable probability)があること。(61ページ)
マルチステークホルダー・プロセスによって得られるメリットは次の5点である。
①対話や情報共有等を通じて、参加主体間に一定の信頼関係が醸成されるとともに、相互にとって最善の解決策を探ろうとする姿勢(win‐win attitude)が創出される。
②広範なステークホルダーが参画することによって、対話の成果である決定や合意等への幅広い正当性(Legitimacy)が得られる。
③各ステークホルダーが主体的に参画することにより、それぞれの主体的な取組が促される。
④単独の取組もしくは二者間の対話のみでは解決できない、もしくは、十分な効果が得られない問題が、3主体以上の関与によって解決可能になる。
⑤各ステークホルダーが自己利益のみを目指して行動した場合、結果として各主体の利益が損なわれるという“囚人のジレンマ”的な状況にある問題が解決可能になる。(62ページ)
〇まちづくりにおける合意形成については、以上のうちとりわけ[2]の「社会的合意形成」と[4]の「マルチステークホルダー・プロセス」の言説が注目される。ここで、それとの関わりで、2、3の基本的事項について若干述べることにしたい。
〇「まちづくりにおける合意形成は、さまざまな人々の異なる思いを『つなぐ』過程の積み重ねである」([1]158ページ)といわれる。合意をめざす社会的事象や意見、意思などの多様性を考えると、まちづくりにおける合意形成は、例えば、①どのような社会的事象や社会的課題をテーマにするのか、②ハードあるいはソフトを中心に考えるのか、両者を組み合わせた総合的なものをめざすのか、③地元の自治会・町内会から市町村全域に至るどのレベルの範域を対象にするのか、④参加主体を特定の利害関係者に限定するのか、一般市民まで広げるのか、等々によって合意の目標や内容、合意形成プロセスの進め方、合意形成のための方法や技術などが異なる。これが1点目である。
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2点目は、まちづくりにおける合意形成では、「時間」と「空間」と「ヒト」のバランスを図ることが肝要となる、ということである。「時間」については、現在の課題や市民だけでの合意ではなく、将来の課題や市民のことを考える。「空間」については、自分の地域(地元)だけでの合意ではなく、他地域を含めた広域(市域、県域など)のことを考える。「ヒト」については、活動的な市民や有識者が主体となった合意ではなく、社会的弱者や無関心層などに十分配慮する、ことが大切になる([3]151ページ、土木学会コンサルタント委員会合意形成研究小委員会『社会資本整備における市民合意形成』科学技術振興機構Webラーニングプラザ、2007年3月、5ページ参照)。
3点目は、合意形成を推進するためには、[3]が説くファシリテーターや参加主体に求められる“技術”や“能力”を有する「人材」をどのように育成・確保するかが重要な課題となる、ということである。その点に関して、例えば、学校教育においては、小・中学校国語科の「話すこと・聞くこと」領域で合意形成を図る(めざす)学習が取り組まれている。また、シティズンシップ教育においては、コミュニケーション力とともに合意形成力を育てる学習が重視される。なお、[3]には、大学の授業や各種企業研修などにおいて使える「参加者の能力を高めるためのアクティビティ」(「スピーチアンドクエスチョン」「全員参加型ディベート」「ロジックゲーム」「ディスカッションバトル」「ロールプレイング会議」「ネゴシエーションゲーム」)が紹介されている([3」242~260ページ)。
〇いずれにしろ、多数決による安易な合意ではなく、多様な参加主体が相互信頼に基づいて深く議論(熟議)し、適切な方法やプロセスを踏まえて「納得」する合意を積み重ね、自律的・主体的に行動することがまちづくりの真骨頂(本来の姿)である。
〇最後に、以上で紹介したことをベースに、若干の管見も含めて、「合意」「合意形成」「マルチステークホルダー・プロセス」の関係性を図示することにする(図1)。本稿のねらいは、資料紹介に併せて、この作図にある。
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13/「キキカン」と「希望」
―『まちづくりの哲学』という本―
・近所に住むおじいちゃんが入院された。「にわか百姓」の私に、いつも優しくまた丁寧に、農作業を指南してくれた方である。早速お見舞いに伺ったが、一週間ほどたってご子息からお礼の連絡が入った。電話で、である。
・我が家には2002年3月生まれの犬(柴犬)がいる。目が見えず、耳も聞こえず、認知症の症状が顕著にみられる。ある夜、大きな声で鳴き始めた。すぐに対応したが、近所からお叱りの連絡が入った。深夜23時30分、無言電話で、であ。
・私は昨年、地元の老人クラブの役員を仰せつかった。ある役員との連絡は、時にはメールで行うことがあった。いま思えば、その時の話題は少々厄介なものばかりであった。メールは、お互いの「繋がり」を深化させない、「摩擦」を避けるためのツールとして活用されたのだろうか。
〇「まちづくり」について語るとき、「遠くの親戚より近くの他人」や「向こう三軒両隣り」の日頃の付き合いとそれによる見守り活動や支え合い活動の必要性が指摘される。また、近隣住民の日常の挨拶や立ち話から始まるが、住民相互の直接的な「対話」や対面的な「熟議」によるまちづくりの意義や重要性について述べられる。上記の話は、それらに関する、筆者が暮らす田舎町でのひとつの現実である。
〇以前にも増して、住民の個人主義的傾向が強まるなかで、匿名性の高まりと人間関係の希薄化が進んでいる。また、無関心層やフリーライダー(対価を払わず便益を享受する人)が増えている。そういうなかで、新旧住民や世代間にさまざまな葛藤や軋轢が生じ、(地縁)共同体的紐帯の弱体化が深刻な問題になっている。「まちづくり」や「コミュニティ再生」の難しさを感じざるを得ない。
〇さて、筆者の手もとにいま、『まちづくりの哲学』という本が2冊ある。アーク都市塾企画/戸沼幸市編著『まちづくりの哲学』彰国社、1991年12月(以下[1])と代官山ステキなまちづくり協議会企画・編集/蓑原敬・宮台真司著『まちづくりの哲学―都市計画が語らなかった「場所」と「世界」―』ミネルヴァ書房、2016年6月(以下[2])、がそれである。
〇「アーク都市塾」(現「アカデミーヒルズ」)は、1988年9月に設立された民間の成人向け教育施設である。[1]は、その「塾」で開催された「まちづくりの哲学ラボ」(アドバイザー・戸沼幸市早大教授)における議論の成果を纏めたものである。そこでは、「都市のユーザーとしての生活者の視点」から社会的事象の傾向や背景を把握・分析し、それを通して「まちづくり」について多角的かつ平易に論じ
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ている。その際の基本的な考え方のひとつは、「まちづくりは生活の作法づくり」(15~20ページ)である。以下では、「キキカンと生活者によるまちづくり」に関する言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
「キキカン」からのまちづくり
「まちづくり」への強いきっかけづくりには、大ざっぱにみて「喜楽美」と「哀怒醜」のようなポジィティブとネガティブの感性の両面のベクトルが有効に思える。
この二つの感性ベクトルを一つにまとめた表現が、「キキカン」(嬉々感と危機感の同時表現)という概念である。
単純に「胸の躍るように楽しいこと、美しいこと」(嬉々感)なら、誰でも強く魅(ひ)かれるし、逆に「不当に醜いこと、怒りや不安をおぼえること」(危機感)なら早急に対策を練ろうとするのは、当然である。であれば、この「嬉々感と危機感」を生活環境の中から発見する活動が、「まちづくり」の第一歩であると言える。すなわちこうした一人一人の素朴な思い・感性・執着心の振向けの作法が、今後の都市環境の行方を握っている鍵とも考えられる。(216~217ページ)
生活者による現代版「まちづくり」
生活者による現代的(版)「まちづくり」とは、居住者の立場から一歩踏み出し、もっと幅広い生活範囲の環境に視野を広げたときに発見する様々なキキカン(嬉々感と危機感)をテコに、理性的なプロセスに基づく共同作業を経て、因果関係を明らかにし、建設的に問題解決を図る環境創造活動である。(231ページ)
〇「代官山ステキなまちづくり協議会」は、2006年5月に設置認定された、東京の渋谷区まちづくり条例に基づく「まちづくり協議会」のひとつである。[2]は、その協議会が2011年に開催したセミナー「まちづくりの哲学」の一環として企画・実施された対談を纏めたものである。対談者は、都市計画界の重鎮である蓑原敬(みのはら・けい)と、稀代の社会学者と評される宮台真司(みやだい・しんじ)である。
〇その対談は、「よいまちとは何か」「どうすればよいまちは作れるのか」「なぜよいまちを求めるのか」(ⅰページ)という三つの素朴な疑問や、「未来への渇望が“希望”と呼べるのなら、まちづくりとは“まち”に“希望”を刻印する営み」(ⅵページ)であるという理念(根本的な考え方)などをベースに展開される。そして、「まちづくり」をめぐる豊富で高尚な知識や見識に基づく対談を通して、人間の幸福や生きる意味を考える。とりわけ、宮台の読書体験(膨大な知識の量と質)には圧倒される。また、個人的体験の開陳や社会風俗や事件に対する鋭い分析も興味深い。以下では、論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
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「微熱感」と「生き物としての場所」
街とは、建物や街路などの空間的配置だけでなく、そこを行き交う人々の内面をも含んだ、生き物のようなもの(「生き物としての場所」)である。1990年代初めの渋谷には、街全体に「微熱感」があった。分かりやすい言葉で言えば、「この街にいれば、何かができる」という感覚(「魅力」)である。当時の渋谷は、女子高校生を中心とする若者たちにとって、普段緊張を強いられ“演技”をしている家や学校や地元とは違う、「素」の自分に戻れる「解放区」「居場所」であった。(宮台:15、17ページ)
まちづくりと「機能的に空白の場所」
まちが計画的に作られていくと、すべての場所に目的が割り振られてしまい、その目的に従って生活することが命じられ、まちに拘束されているという感じがする。(代官山ステキなまちづくり協議会 野口浩平:ⅲ、24ページ)
1990年代半ばに「屋上論」を展開した。なぜ学校の屋上には不良や今で言うひきこもりが滞留していたのか。「機能的に空白の場所」だからである。廊下は「歩く場所」。校庭は「運動する場所」。教室は「学ぶ場所」。でも屋上にはそうした機能が割り振られていない。だから「何かをする人」でいる必要がなくなって、解放されるのである。
機能を割り振られた場所を、機能的に空白の場所へと差し戻す「屋上化」は、<我有化>(固有化、自己化、自分のものとすること)の一種である。(宮台:24~25ページ)
IT化と「感情の劣化」
インターネット元年である1995年から2010年頃までは、ネットの良さは「誰にでも開かれていること」「誰とでも繋がれること」だとされた。そのお蔭で、「新しい政治参加」「新しいコミュニティ形成」に役立つのだと喧伝された。昨今は一転。ネットが「誰にでも開かれている」からこそ政治もコミュニティも<感情の劣化>に見舞われがちになった。また、ネットが「同じ穴の狢(ムジナ)」(同類の悪党)だけが集う<劣化空間>を提供したり、(ゲートを設けて出入りを制限する)<見えないゲーテッドコミュニティ化>つまり<見えない化>が進むようになった。ネットは、「見たいものだけ見て、見たくないものは見ない」という、さもしく浅ましき営みに帰結しがちである(宮台:51、54、57ページ)
「感情の劣化」とは、真理の獲得よりも、感情の発露が優先される態勢である。それは、「感情を制御できずに<表現>よりも<表出>に固着した状態」とも言える。ちなみに、<表現>の成否は相手を意図通りに動かせたか否かで決まり、<表出>の成否は気分がスッキリしたか否かで決まる。(宮台:58ページ)
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コミュニティ再生とファシリテーター
対人ネットワークが空洞化してしまった現在、コミュニティ再生のための処方箋は、エリート論でもソーシャル・キャピタル論でもなく、「熟議論」である。ただしそれは、皆で話し合えばいいという議論ではなく、熟議論の半分はファシリテーター論である。ファシリテーターが従来のエリートと決定的に違うのは、人々が「自分たちで決めた」という感覚を失わない範囲で座まわしをすることである。(宮台:130~131ページ)
ファシリテーターは「依らしむべし、知らしむべからず」(「為政者は人民を施政に従わせることはできるが、その理由を理解させることは難しい」)の対極である。ファシリテーターには、知識や教養もさりながら、場の感情的配置やダイナミクスへの敏感さが必要である。なぜなら、これが正しいという内容的介入ではなく、「声のデカイ極端者」が場の空気を支配できないように、不完全情報を可能な限り完全化したり、発言機会をコントロールしたりする役目を果たす存在だからである。(宮台:131ページ)
「感情の教育」と「ななめの関係」
コミュニティ再生には、優秀な座回し役・呼び掛け役・巻き込み役を果たすことができるファシリテーターを養成することが必要である。そのためには、<感情の教育>が必須となる。しかしそれを国民全体のものとして構想すると、全体主義に陥ることになる。また、現在の教育人材を前提にすると、公的に制度化することは不可能である。そこで、顔が見えるコミュニティで、人格的信頼を基盤にした子どもの<感情の教育>に乗り出すしかない。(宮台:135ページ)
しかも、「何がいい人生なのか」「何がいい社会なのか」という価値への言及(価値教育)が不可欠となる。その価値を埋め込むのは、教育したがる大人を一部に含んだ子どもの「成育環境の全体」である。そのなかで例えば、親子という「縦の関係」よりは、井戸端や縁側の話とも関係するが、親戚や近所の大人との「ななめの関係」で「価値の伝承」を図ることが大切になる。(宮台:136、138~139ページ)
〇宮台がいう「感情の教育」は、道徳教育やそれを基盤とした「心の教育」などにかかわることから、慎重に取り組むことが求められる。それは、個人の主体性や自律性を軽視あるいは無視したり、現在の政治・経済・社会の状況や情勢を無批判的・肯定的に捉え、個人の社会への順応や適応を重視するもの(偏狭な「社会化」)であってはならない。「感情の教育」に求められるのは、「コミュニティの再生や創造」に向けた批判性や創造性、革新性である。
〇地域貢献活動と学習活動を通して市民性を育むサービス・ラーニング、学校・保護者・地域住民が連携・協働して進めるコミュニティ・スクール、地域課題の発見・解決に向けた能動的学修のアクティブ・ラーニング、そして「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」の実現。いままさに、「体験学習」と「共生社会」の時代
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であり、「地域ファースト」と「一億総活躍社会」(皆が包摂され活躍できる全員参加型社会)の時代である。しかしそれは、政府・行政主導の、学校や地域に対する「強制」や「動員」あるいは「下請け」や「丸投げ」であってはならない。「まちづくりの哲学」の構築が求められるところである。外発的で他律的・依存的な、しかも哲学のない「まちづくり」は地域を亡ぼす。それは、「市民福祉教育」においても然りである。
〇なお、筆者は、「まちづくり」と言うと山崎亮と田村明を思い起こす。山崎は、全国各地で、「自立的共同体」づくりを支援する「コミュニティデザイナー」として活躍している。田村は、総合性や文化性のある都市計画づくりをめざして、平仮名の「まちづくり」を提唱した「都市プランナー」であった。[2]で、宮台は山崎について、蓑原は田村についてそれぞれ言及している。付記しておきたい(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
山崎亮と「コミュニティデザイン」
行政が山崎亮を呼ぶ目的は明白である。一口で言えば、地域住民にとって自治体行政が持つ意味を一変させること。「金を持ってこい」「予算を組んで何とかしろ」と政治家や行政に要求するかわりに、「邪魔しないでくれ」「自分たちの自立的活動をサポートする枠組みやインフラを整えろ」と要求するように、変える。とはいえ、霞が関エリートや自治体エリートには、山崎亮的なコミュニケーションをする能力も機会もない。
行政が「個人を」サポートして共同体を空洞化させるのでなく、行政が「(個人を包摂する)共同体を」サポートする。「弱者への再配分」から「(参加と包摂に向けた)動機づけへの再配分」へのシフトである。行政の山崎亮支援はこれである。(宮台:144ページ)
田村明と「まちづくり」
総合的な都市計画ではなく、法定外の協議型・参加型の都市計画が平仮名のまちづくりの代名詞になってしまっている。
平仮名のまちづくりが独立してしまうと、漢字の都市計画とは切れてしまい、補助金も使えないし、使えても微々たるものしか出してもらえない。国の縦割り組織との対立や国法の解釈をめぐる厳しい領域には立ち入らない、弥縫的なことになる。与えられた枠のなかで、自分たちが活動できる領域のみで行動して、それで「やれた。やれた。成果だ。成果だ」と言う。平仮名の共同体のスケールのまちづくりと、漢字の権力的なガバナンスが避けられない都市計画をトータルに考えるべきである。(蓑原:198~199ページ)
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14/ユネスコスクール・ESD・子ども民生委員活動
―大牟田市立中友小学校における福祉教育の取り組み―
〇「子ども民生委員」をインターネット検索すると、複数の学校(小学校)の取り組みがヒットする。徳島県石井町立藍畑小学校の「藍畑子供民生委員会」「藍畑子供民生委員活動」は、1946年12月に平岡国市が創案した子供民生委員制度の系譜につながるものとして有名である。福岡県大牟田市や高知県土佐清水市、熊本県天草市、島根県江津市二宮町などにおける「子ども民生委員活動」等の取り組みも注目される。なかでも、大牟田市立中友小学校のそれは、「ユネスコスクール」(注①)としての「福祉教育」を軸にした取り組みであり、興味深い。
〇周知の通り大牟田市では、2011年度から「ユネスコスクールのまち おおむた」を合い言葉に、市立のすべての小・中・特別支援学校(2016年4月現在、小学校20校、中学校9校、特別支援学校1校)がユネスコスクールに加盟し、「持続可能な開発のための教育(ESD:Education for Sustainable Development)」(注②)を推進している。
〇大牟田市におけるESDの取り組みは、エネルギー・環境学習、国際理解学習、世界遺産・地域学習、福祉教育などを通して、次のような児童・生徒の資質や能力の育成・向上を図るものである(注③)。
(1) 他者の立場や考えなどに共感し、協力して物事をすすめようとする態度
(2) 人・もの・こと・社会・自然などと自分のつながりを大切にしようとする態度
(3) 自分の発言や行動に責任をもち、物事に主体的に参加しようとする態度
(4) 情報や資料等をもとに公平に判断し、深く考え、肯定的に受けとめたり、代わりの案を考えたりする力
(5) 人・もの・こと・社会・自然などのつながりやかかわりを理解し、総合的に考える力
(6) 人の気持ちや考えを大切にしたり、自分の気持ちや考えを伝えたりする力
〇中友小学校は、ESD の一環として、「地域に根ざした福祉教育」を1、2年生の「生活科」と3年生以上の「総合的な学習の時間」において、6年間にわたり段階的・継続的に実施している。そういうなかで、5年生が「子ども民生委員活動」に取り組んでいる。それは、「他者との関係性・社会との関係性を認識し、高齢者世代・保護者の世代・児童の世代の3世代の交流を促進させ、世代間の『つながり』や『かかわり』を大切にした活動」(注④)である。そのねらいは、児童・生徒を地域社会をつくる担い手として捉え、学校と家庭、地域との信頼関係を深め、地域の教育力も高めることによって、豊かな共生社会を構築することにある。
〇筆者はかつて、徳島県の子供民生委員制度(活動)について、次のように評したことがある。「子どもの生活と社会に根ざした子供民生活動は、『子どもと大人』
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『地域と学校』『福祉と教育』を限りなく接近させ、その組織的なつながりのなかで活動の究極の目標である『民生村造り』すなわち福祉コミュニティづくりを進めたのである」(注⑤)。中友小学校の取り組みはそれに通底するものであると言えよう。
〇以下に、中友小学校が発行した『平成26年度/ESD 「子ども民生委員活動」ハンドブック~「総合的な学習の時間」のステージで~』のなかから、「総合的な学習の時間全体計画」(資料1)、「ESD全体計画」(資料2)、「ユネスコスクール全体計画」(資料3)、「子ども民生委員活動」(資料4)を抜萃して紹介する。
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〇以上から、中友小学校では、児童・生徒の実態に応じた横断的・総合的で、系統的かつ計画的な「地域に根ざした福祉教育」が展開されている。しかもそれは、ユネスコスクールの理念やESDのねらいにかなうものである。評価されるところである。言うまでもなく、ESDが求める「持続可能な社会」を構築するのは「ヒト」(子どもから大人までの「市民」)である。学校教育のねらいのひとつは、地域との「つながり」や「かかわり」のなかで、「地域に学び、地域に生かし、地域を創る」ことにある。改めて認識しておきたい。
〇学校福祉教育は、地域の「社会福祉問題」(中友小学校がいう「地域素材」)を学習素材とし、「体験学習」を重視する教育活動である。従ってそれは、本来、学校内で自己完結するものではない。また、児童・生徒の発達課題や生活課題に対応して全教科・全領域で取り組まれ、地域を基盤とした学校経営の視点を持つことが必要不可欠となる。すなわち、学校福祉教育は、学校教育の根幹に位置づくものであり、学校を挙げて体系的・組織的に取り組むべきものである。
〇さらに付言すれば、地域に根ざした学校福祉教育をより豊かなものにするためには、「住民の暮らし理解とまち学習」「生き抜く力と共に生きる力の育成」「市民性形成のための教育営為」「ICFの理念に基づくまちづくり」「地域を基盤とした福祉教育推進プラットホームの構築」などについて思考し、取り組む必要があろう。その際に問われるのは、行政や、社会福祉協議会をはじめとする関係機関・団体・施設などの意欲と力量であり、それらと学校との「共働」である。
注
① ユネスコスク−ルでは、ユネスコの理念(国際平和と人類の共通の福祉)の実現をめざして、(1)地球規模の問題に対する国連システムの理解、(2)人権、民主主義の理解と促進、(3)異文化理解、(4)環境教育などのテーマについて、質の高い教育が実践されている。2015年6月現在、世界182か国の国や地域に10,422校のユネスコスクールがある。日本国内の加盟校数は、2016年3月現在で939校を数えている。文部科学省と日本ユネスコ国内委員会では、ユネスコスク−ルをESDの推進拠点として位置づけている(「ユネスコスクール」文部科学省ホームページ)。
② ESDは、「現代社会の課題を自らの問題として捉え、身近なところから取り組む(think globally, act locally)ことにより、それらの課題の解決につながる新たな価値観や行動を生み出すこと、そしてそれによって持続可能な社会を創造していくことを目指す学習や活動」である。言い換えれば、ESDは、地球上で起きている様々な問題が、遠い世界で起きていることではなく、自分の生活に関係していることを意識づけることに力点をおくものである。地球規模の持続可能性に関わる問題は、地域社会の問題にもつながっている。だからこそ、身近なところから行動を開始し、学びを実生活や社会の変容へとつなげることがESDの本質である(『ESD(持続可能な開発のための教育)推進の手引(初版)』文部科学省国際統括官付/日本ユネスコ
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国内委員会、2016年3月、4ページ)。
ESDは、2002年に開催された第57回国連総会において、我が国が提唱した。また、2005年から2014年を「国連持続可能な開発のための教育の10年(DESD:United Nations Decade of Education for Sustainable Development)」とすることが決議され、以降、ユネスコを主導機関として世界的にESDの推進が図られている。
学習指導要領に関しては、2008年3月(小・中学校)と翌2009年3月(高等学校)に公示されたそれにおいて、「持続可能な社会の構築」の観点が盛り込まれた。以後、ESDの普及・促進が図られることになる。
「ESDと福祉教育・ボランティア学習」に関しては、『日本福祉教育・ボランティア学習学会 研究紀要』Vol.14(2009年11月)で、「持続可能な社会をつくる福祉教育・ボランティア学習―いのち・くらしとESD」が特集されている。参照されたい。
③「『ユネスコスクールのまち 大牟田』について」大牟田市教育委員会ホームページ。
④ 『平成26年度/ESD 「子ども民生委員活動」ハンドブック~「総合的な学習の時間」のステージで~』大牟田市立中友小学校、2014年10月、2ページ。
⑤ 阪野貢『戦後初期福祉教育実践史の研究』角川学芸出版、2006年4月、29ページ。
謝辞
本稿をアップするにあたって、大牟田市立中友小学校の校長・本村勝則先生と教頭・上田幸子先生には格別のご高配を賜りました。ここに記して深く感謝の意を表します。
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15/まちづくりの発想と実践
―田村明の「まちづくり3部作」を学び直す―
〇筆者の手もとに、鈴木伸治編『今、田村明を読む―田村明著作選集―』(春風社、2016年4月)がある。本書には、田村明(たむら・あきら、1926年~2010年)の環境開発センター・横浜市役所時代(1963年~1968年、1968年~1981年)の「初期の論考」から、都市やまちづくりについての「思考の軌跡」をたどることができる8編が収録されている。
〇田村は、都市計画・都市政策の実践者・改革者であり、「(実践的)都市プランナー」「地域(政策)プランナー」「自治体プランナー」などと言われた。また、「まちづくり」という言葉を一般に広めたことでも知られる(1ページ)。鈴木によると、「田村が我が国の都市計画に遺した功績は、主に横浜市における実践と、法政大学に移って以降の『まちづくり』を世に広める活動の2つに分けられる」(27ページ)。
〇田村の著作に「まちづくり3部作」と呼ばれるものがある。(1)『まちづくりの発想』(1987年12月)、(2)『まちづくりの実践』(1999年5月)、(3)『まちづくりと景観』(2005年12月)、がそれである。いずれも岩波新書として刊行されたものであるが、そのねらいは、「まちづくり」の思想の普及啓発と全国におけるの実践の紹介にあった。鈴木が、「田村はまちづくりや自治のあり方を説いて回る伝道師のような存在でもあった」(24ページ)と評するところでもある。ただ、「3部作」は内容的には、単なる啓蒙書に留まるものではなく、学術的な専門書である。
〇本稿では、鈴木の編著をきっかけに再読した「3部作」のなかから、再認したい田村の言説の一部を紹介することにする(抜き書きと要約)。
〇言うまでもなく、田村が思考と実践を重ねた時代背景や政治的・社会的状況は、現在では大きく変わっている。こんにち、貧困と格差が拡大し、不安感や閉塞感が漂うなかで、「地方創生」「一億総活躍」「人づくり革命」などのスローガンが声高に叫ばれている。そうした「今、田村明を読む」のは、田村の「まちづくり」の思想と実践から改めて何を学びなおし、何が「使える」かを探ることでもある。
■ 『まちづくりの発想』
まちづくりの構造
「まちづくり」とは、一定の地域に住む人々が、自分たちの生活を支え、便利に、より人間らしく生活してゆくための共同の場を如何につくるかということである。その共同の場こそが「まち」である。(52~53ページ)
共同の場(「まち」)とは、目に見える広場や美しい町並みもあるし、共同で利用できる上下水や街路などの施設もある。さらに、地域に住む人々が互いに知らない間でも守ってゆけるルールや意識も、見えない共同の場といえるだろう。(53ページ)
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「つくる」とは、新しくつくるだけではなく、風土と歴史の上に立ってこれを修復したり、守ることも含まれる。「つくる」対象としては、(1)モノづくり、(2)シゴトづくり、(3)クラシづくり、(4)シクミづくり、(5)ルールづくり、(6)ヒトづくり、そして(7)コトおこし(イベントを起こす)、の7つをあげることができる。(54ページ)
「つくる」には、「見えるまちづくり」と「見えないまちづくり」の両面があり、それらが不即不離(ふそくふり。つかずはなれず)で働くのが、まちづくりである。また、「つくる」には、逆に「つくらない」こと、「つくらせない」こともふくめておきたい。無用な開発を抑制したり、自然を保全したり、歴史的な遺産を破壊しないようにするということも必要である。(87ページ)
まちづくりの基本理念
「まち」とは市民全体が共有のものとして自覚でき、共同に利用、活用できる場の総称である。「まちづくり」とはその共同の場を、市民が共同してつくりあげてゆくことである。
共同の場とは、(1)共同空間、(2)共同施設、(3)共同システム、(4)共同サービス、(5)共同イベント、(6)共同文化、などの総称である。
これらの共同の場をつくり、働かせてゆくことが「まちづくり」の目標であり、それには次のような基本理念をもってのぞむことが必要である。
(1)トータルの理念―まちは、個々ばらばらでなく、全体としてひとつである。
(2)システムの理念―まちは、複雑な要素が相互に絡みあい関係しあっている。
(3)共有環境の理念―まちは、市民の共有の空間であり環境である。
(4)市民共用・共益の理念―まちは、特定の人々のためではなく、市民全体に利用され、その共同利益のためにある。
(5)市民共存・共生の理念―まちは、多数の異なる人々が矛盾をもちつつも、互いの相違を認めあって生活する場である。
(6)市民協働・共責の理念―まちは、一人の手ではなく、市民の共同作業により、共同責任でつくられるものである。
(7)市民共感・共愛の理念―まちは、市民が共通した誇りと愛情をもてるものである。
(8)相互交流の理念―まちは、市民相互はもちろん、他の多くの人々、外国の人々を含めた交流の場である。
(9)内発性の理念―まちは、他からの強制ではなく、市民や自治体の自発的な発想と行動を主力にしてつくられるものである。(121~122ページ)
まちづくりの基本的発想
「まちづくり」は、「まちづくりの基本理念」を具体化し、次のような6つの基本的な発想に立っている。
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(1)人間環境の思想
都市づくりや地域開発を、巨大な物としてではなく、まず生物としての人間の環境としてとらえ、都市や地域を人間にとってより望ましいトータルな環境(自然環境と人工環境)として創造してゆくべきだという考えである。人工環境も、巨大で機能だけを充たすものであってはならない。美しさや魅力、たのしさ、おもしろさ、安らぎといったものも必要である。(124~125、128ページ)
(2)市民自治の思想
ただ市民が集まって意見をいうとか、市民の意見を行政が吸(す)いとるというだけでは、ばらばらの矛盾した意見や思いつきの羅列に終わる。それらの市民の意見や行動がまとまった市民共通のものとなるのが、市民自治の考えである。それには、市民にせよ自治体行政にせよ、総合的なチエと行動力をもった人々と、その人々が働けるシクミが必要である。(139~140ページ)
(3)総合的主体性の思想
「まちづくり」は、自治体や公的機関、民間企業、市民などによってばらばらに行なわれてきたものを明確な目標の下に結集させ、「まち」が主体となって総合性を発揮しようという考えである。自治体がまちを全部つくることはできないし、そんなことはできるはずがない。まちは多くの主体が協働し、共同の責任でつくってゆくものである。(140、141ページ)
(4)地域個性確立の思想
各地にはそれぞれの個性があり、そこに歴史があり、多くの固有な地方文化を育ててきた。「まちづくり」は、自分の足もとの地域を見直し、そこから地域の特性を引きだし、これを広い未来的視野に立ってて伸ばし育てることである。「まち」の風土と歴史から、その地にふさわしい個性を見付けだし、また創造してゆくことである。(145、151ページ)
(5)継続的創造性の思想
「まちづくり」とは息の長い、未来に向けての作業である。「まちづくり」という考えは、単発的で短期的な物の考え方ではなく、長期にわたり、終りのないものである。だから夢がある。それは、新しい価値を将来に向かって創りだしてゆく作業である。まちづくりは、未来に向けた創造である。(152、154ページ)
(6)実践の思想
「まちづくり」は、たんなる観念やヴィジョンに終わらせるものではない。時間をかけても実践してゆくものである。「まちづくり」の思想は、あくまでも実践に方向性を与え、その力になり支えとなるものである。「まちづくり」は未来につながる今日に生き、今日の行動の中に未来を生みださなくてはならない。(158、159ページ)
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まちづくりと地域経営
「まちづくり」「地域づくり」は、地域内にある土地、金、物、そして人やチエを生かし、組合わせながら、長い目で見て、暮しやすい、住みやすい場をつくることである。それは、地域資源を活用して目標を達成しようという一種の経営である。地域の土地や資源は限られているから、一時的に利用して効率がよければよいというのではない。長期性、未来性の見地からみた経営であり、短期の効率性ではなく、長期の効果性に重点をおく経営でなければならない。
長期的でトータルな地域全体の発展に目を向けなければならない。そして、地域全体を公平な目でとらえ、永続的に市民全体の代表として考えられる自治体が、地域経営の責任をもつべきであろう。自治体にとっての「まちづくり」は、ここでいう意味の地域経営である。(176、177ページ)
■ 『まちづくりの実践』
まちづくりの意味
平仮名の「まちづくり」は、従来の価値観を変える挑戦をしようというものである。「まちづくり」の用語は、次のような意味をもっている。(1)官主導から市民主導へ。(2)ハードだけでなくソフトを含めた総合的な「まち」へ。(3個性的で主体性ある「まち」へ。(4)すべての人々が安心して生活できる人間尊重の「住むに値する」まちへ。(5)マチ社会とその仕組みづくり。(6)「まちづくり」を担うヒトづくり。(7)環境的に良質なストックとなる積み上げ。(8)小さな身近な次元の「まち」に目をむける。(9)広域的に考え、世界の「まち」と繋がる。(10)理念や建前だけでなく実践的なものへ、である。「まちづくり」とは、これらの全部が関係しあっていて、その全体を含む意味である。
なお、10項目中の(5)「マチ社会とその仕組みづくり」は、異質で多様な価値観をもつ人々が、互いに個性や自由を尊重しながら、その相違を超えて結合できる新しい社会(「マチ」)と仕組みをつくるのも、「まちづくり」の重要な目的である。(7)「環境的に良質なストックとなる積み上げ」は、使い捨てのフロー(流れ。流入と流出)中心システムではなく、限られた環境資源を有効に回して、継続的に使えるよい蓄積を積みあげてゆけるシステムに変えるのが「まちづくり」である、と言う意味である。(33~37ページ)。
まちづくりの実践の意味
「まちづくりの実践」とは、行動を通じて環境を意識的に変化させることである。「まちづくり」の実践の基本には「理念」や「理想」がある。それが「現実」と食い違うときに、現実を理念に近づけるようにする行動の全体が実践である。理念とか理想をもたない場合には、どんなに大きな事業でも、既定路線上の機械的な「実行」に過ぎない。(41ページ)
また、混迷を深める時代(現代社会)において、「まちづくりの実践」は次のような意味をもつ。(1)自己中心主義からの脱皮。(2)国際性を育てる。(3)人間環境を守り
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育てる。(4)人生を豊かにする。(5)新しい自由な人間の結びと出会いの場をつくる。(6)未来と対話する、である。
なお、以上のうち、(1)「自己中心主義からの脱皮」は、「まちづくりの実践」は、身近な自然や人間への関わりと、その思いやりから始まる。人と自然、人とモノ、人と人との関係を見直すことである。(6)「未来と対話する」は、「まちづくりの実践」は過去から未来への時間のなかの現在として行われるものである。一人の小さな人間も、「まちづくり」を通じて、心は空間的にも時間的にも無限に広がることができるし、そのなかに自分の小さな位置を発見することもできる、と言う意味である。(200~206ページ)
■ 『まちづくりと景観』
景観の特性
景観は「まちづくり」の入り口であり、結果でもある。景観の主体は生活者である市民である。景観は市民の協働の作品である。景観は歴史的な存在であると同時に、現在の社会の状態をそのまま反映している。景観は自然を加工し、人工物を加えた総合的な姿として示される。景観はそれぞれの地域の個性である。景観はコミュニティのつながりを保つ手段にもなる。「景観」とは、「地表のあるまとまった地域をトータルに捉えた認識像」である。(33、34、85、93、105、112、119、216ページ)
景観づくりの原則
都市景観は、自覚ある市民が思いをこめて協働し、長年にわたってつくりあげていく作品である。次の留意点は、「美しい都市景観づくりのための19原則」である。(1)自然の地形を尊重し、できるだけ生かしていく。(2)特色ある自然の山・川・海・湖などを極力意識的に見せる。(3)連続した時間の証明者である歴史的遺産を尊重し、現代に生かす。(4)都市を拡散させないで、できるだけコンパクトにして、豊かな田園を保持する。(5)都市の上空は市民総有の空間としてコントロールする。(6)都市を一望で捉えられる眺望点を確保し、市民が都市の実感をもてるようにする。(7)協働作品としての都市景観に、個性ある統一性を求める。(8)統一を乱さない範囲の多様性を奨励し尊重する。(9)道路は人間のためにあることを確認し、歩行者空間を拡大する。(10)都市のシンボルをつくり、市民が一致できる共感点を育てる。(11)都市に潤いとくつろぎを増やすため、緑と花と水場を増やす。(12)「まち」に優れたアートやデザインされたストリート・ファニチュア(街具。ベンチ、標識、バス停など)を置く。(13)地域の素材をできるだけ使い、地域の色彩を見つける。(14)地域にふぐわない不良物を排除し、その侵入を防ぐ。(15)人々が楽しく安心して動き、憩う場を作り、市民の交流を深める。(16)都市を舞台にして、伝統の祭り、魅力的な新しいイベントを繰り広げる。(17)日常生活の中で、市民の愛情ある手がいつも加えられていること。(18)ヒトやモノへの人々の優し
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い気持ちを育てる。(19)子供のときから老人まで「まち」への関心を深める教育・学習を行う、である。
以上の原則を実現するには、地域を総合的に運営できる①「市民の政府」(自治体を変革して「市民の事務局」に変え、さらに進めて「市民の政府」にしていく必要がある。141ページ)の存在と、②市民が協働作品をつくっていく総合的なシステムとルールが必要だが、そんと言っても、③市民の「まち」への思いが大前提になる。(218~222ページ)
〇田村によると、平仮名の「まちづくり」という用語は、1970年代後半(昭和50年代)になって一般化してきた。それは、「ハード」と「ソフト」の両面を含む総合的な「市民的な用語」であるが、「まちづくり」にはもうひとつ「時間の軸」がある。時間軸は、過去が現在を通して未来を求めていくものである(『実践』ページ)。すなわち、「まちづくり」は、今日の「場」における地道な作業(実践)の積み上げを必要とするが、「夢」のある未来を実現するための行為であり、運動である。「まちづくり」には未来を夢みるロマンがある(『発想』3ページ)。
〇これからの「まちづくり」の課題は、「人が住むに値する場」(「共同の場」)を如何に創り、長期にわたって継続的に維持するかである。そのためには、「まちづくり」の主体である子どもから大人までの実践的な「市民」をはじめ、「まちづくり」の専門家や現場のリーダーを如何に育てるか(「ヒトづくり」)が問われることになる。その際の「市民」は、「自主的に自治をつくる人」「自覚と責任ある市民」を言う。
〇「まちづくりの実践」とは、ヒトが自分以外の外部のヒトやモノなどに対して働きかけて行うものであり、「人間環境」を意識的に変化させることである。すなわち、「まちづくり」は、自然やヒトやモノを相手にする「他者実現」である(『実践』205ページ)。「まちづくり」のプランナー(専門家)は、建築家のように作品を残すことを目的にしていない。皆の力が結集して動いていることと、結果としてよい「まち」が形成されるようにするのが、その仕事である(『実践』174ページ)。
〇そして、「まちの景観」は、「まちづくり」の入り口であり、結果でもある。「景観」は市民の協働作品であり、コミュニティのつながりを保つ手段にもなる。美しい景観は、「人間らしく生き生きと、誇りをもって生きてゆくためのものである」(『景観』227ページ)。
〇以上を要するに、田村の言説は、「まちづくり」のプランナーとしての豊富な経験(横浜市における行政経験)と全国各地の実践例の検証に基づいた、帰納的で未来志向型の思考によるものである。とともに、多様な地域現場の歴史的風土や文化を踏まえた、総合的な発想による、市民主導・市民主体の「まちづくり」論である。それは、地方自治(「市民の政府」)の問題として論じられる。また、「まちづくり」は「ヒトづくり」であることを含意する。改めて再認識しておきたい。
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〇なお、田村は『まちづくりの実践』において、「『まちづくり』の動態的構造」の模式図(158ページ)を示している。そして、「『まちづくり』には、市民が主導し協働して行うルートが重要である」。「行政の都合による市民参加は、『みせかけ』あるいは『「宥(なだ)めすかし』という意味になりかねない」。「市民協働の動きが活性化することは、市民が市民としての自覚をもって自治体を他治体から本来の市民政府へと変えてゆく動きになろう」。「市民政府は、市民参加の到達点でもある」、と説述する(158~159ページ)。それらを参考に、「まちづくりと市民参加」の「動態的な構造」に関する管見を「模式化」して図示しておくことにする(図1)。
付記
(1) 冒頭に記した鈴木伸治編『今、田村明を読む』のなかに、「計画行政における市民参加」と題する論文(日本都市計画学会『都市計画』第72号、1972年9月、6~16ページ)が収録されている(127~150ページ)。「市民参加」については、アメリカの社会学者であるS.R.アーンスタインが1969 年に発表した8つの「市民参加の階梯」(図2)が有名である。年代的にはそれを参考にしていると思われるが、田村は、「市民参加の9段階」(図3)を提示している(138ページ)。
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(2) 筆者の手もとに、田村明著『都市プランナー 田村明の闘い―横浜〈市民の政府〉をめざして―』(学芸出版社、2006年12月)がある。
「大都市のなかで最も優れた都市デザインでしられる横浜市。今から40年前、その礎を築いた男がいた。量のみを求める建設行政、あと先を考えない開発優先、中央官庁のタテワリ支配に反旗を翻し、地域や市民の立場に立った市民の政府としての自治体、ハードもソフトも、便利さも美しさも考えるまちづくりをめざした闘いの記録」(学芸出版社)である。その男が、革新市長・飛鳥田一雄のもとで辣腕(らつわん)を発揮した田村明である。本書から、地方自治と「まちづくり」のひとつの原点を見出すことができる。
「横浜市はいつから独立国になったのかね」「憲法(宅地開発の憲法のような「宅地開発要綱」)をつくったそうじゃないか」「そんなに言うこと聞かないなら、補助金はやらないぞ」(152~154ページ)。国(建設省、現在の国土交通省)の役人の言である。それに対して、田村が国との交渉のなかでよく使ったセリフは、「そんなことを言っても市民が黙っていない」(370ページ)であったと言う。生々しい。
(3) 田村の言説のひとつに、「市民の政府」論がある。それを纏めた一冊が『「市民の政府」論―「都市の時代」の自治体学―』(生活社、2006年8月)である。国による「官治」「集権」の自治体運営とは対極の、市民自身が主体となる真の地方自治の有り様(ありよう)を論じている。
周知のとおり、2000年4月から「地方分権一括法」が施行され、国と地方の関係は「上下・主従」の関係から「対等・協力」の関係に再編された。また、北海道ニセコ町の「まちづくり基本条例」(2001年4月1日施行)を嚆矢として、2006年4月1日現在、64の市町村(全市町村1,820の3.5%)で「自治体(まち)の憲法」としての「自治基本条例」が制定・施行されている(2016年10月10日現在では、全市町村1,718の21.0%にあたる361市町村で制定・施行されている)。こうした状況下で、田
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村にあっては、「市民の政府」について認識する市民も自治体関係者もごく少なく、現在の自治体はまだ「市民の政府」と言えるものではない。
以下に、田村の言説の一部を紹介しておくことにする。なお、「市民政府」ではなく、「市民の政府」と「の」を強調するのは、市民自身が自治体を自分のモノと思えるようにするためである。
「市民の」政府とは、一口で言えば、「政府が市民の所有物である」という意味だ。国の下請け機関や出先機関ではなく、市民が自立して自分の政府をつくり、自ら所有するということを意味する。(74ページ)
「市民の政府」の必要条件は、まずは、市民も自治体もその自覚を持つことである。
「市民の政府」の十分条件には、次の3つがある。
① 外部条件 中央統制や関与の排除、財政自主権の確立
② 内部条件 市民の参画、情報の公開、説明責任の遂行、政策立案の自主的能力
③ 市民条件 市民の信頼、共同意識、市民としての自己責任(75ページ)
「市民の政府」は、かつての民衆を支配した「お上」の対極にある。混乱する地域と孤立化した人間を支えるには欠かせない、ヒトのココロを優先させる地域経営の装置である。真の人間性と英知による「民治」の「市民の政府」が期待される。(86ページ)
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16/内発的なまちづくりとコミュニティデザイン
―山崎亮の「コミュニティデザイン論」について―
〇筆者が地域福祉計画・地域福祉活動計画の策定に関わったのは、1988年7月、東京都狛江市社会福祉協議会が設置した「狛江市ボランティア活動推進事業運営委員会」(委員長・大橋謙策)の末席を汚したことが最初である。爾来、福祉教育実践の視点・視座に留意しながら、各地の社会福祉協議会の事業・活動や計画づくりに参加してきた。そこでは、いろいろな人たちとの「幸運な偶然」(山崎亮『まちの幸福論』119~122ページ。注(1))があり、それを通して実に多くの気づきや学びがあった。そんなことを思い出しながら、山崎亮(やまざき・りょう)の本を読み返すことにした。以下がそれである。
(1) 山崎亮『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる―』学芸出版社、2011年5月。(以下[1])
(2) 山崎亮+NHK「東北発☆未来塾」制作班『まちの幸福論―コミュニティデザインから考える―』NHK出版、2012年5月。(以下[2])
(3) 山崎亮『コミュニティデザインの時代―自分たちで「まち」をつくる―』中央公論新社(中公新書)2012年9月。(以下[3])
〇周知の通り、山崎は、「日本でただひとりのコミュニティデザイナー」「地方再生の救世主」などと紹介されることもあるという、斯界の第一人者である。山崎によると、コミュニティデザイナーとは、「モノをつくらないデザイナー」「地域の課題を、地域の人たちが解決するための場をつくるデザイナー」([2]9、16、122ページ)である。また、「コミュニティデザイナーは『救世主』ではない。この仕事は〝主〟になってはならない仕事だ。まちづくりの主体となるのは、その地域で暮らす住人である。(コミュニティデザイナー:筆者)がリーダーシップを発揮して、『みなさんでこういうまちをつくりましょう』と言ってしまったら、住民主体のまちづくりはできなくなる」([2]122ページ)。要するに、住民主体の内発的な「まちづくり」すなわち「コミュニティデザイン」を進めるために、人と人を結びつけ、その関係性を深める“しくみ”を「デザイン」(注(2))することが、コミュニティデザイナーの仕事である。その際、いわれる「地方消滅」をただ不安がり嘆(なげ)くのではなく、いわゆる「活動する市民」(注(3))を如何に確保・育成するかのプロセスをデザインすることが肝要となる。山崎は次のよういう(抜き書きと要約)。
社会の課題を解決するためのデザインについて考えるとき、2つのアプローチがあるような気がする。ひとつは直接課題にアプローチする方法。困っていることをモノのデザインで解決しようとする方法である。(中略)
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一方、課題を解決するためにコミュニティの力を高めるようなデザインを提供するというアプローチもある。(中略)
コミュニティデザインに携わる場合、後者のアプローチを取ることが多い。コミュニティの力を高めるためのデザインはどうあるべきか。無理なく人々が協働する機会をどう生み出すべきか。地域の人間関係を観察し、地域資源を見つけ出し、課題の構成を読み取り、何をどう組み合わせれば地域に住む人たち自身が課題を乗り越えるような力を発揮するようになるのか、それをどう持続させていけばいいのかを考える。([1]246~247ページ)
コミュニティデザイナーは、コミュニティデザインという方法によって、そのまちに暮らす住民自らがまちの現状を把握し、問題を理解し、課題を解決していくプロセスをデザインする、地域支援(まちづくり支援)の専門家である。その方法は、山崎によると、基本的には次の4段階によって進められる。
第1段階:ヒアリング
ヒアリングの内容は大きく分けて、「どんな活動をしているのか」「その活動で困っていることは何か」「ほかに興味深い活動をしている人がいたら紹介してくれないか」の3点である。
地域の情報を調べ、人の話を聴き、地域の人間関係を把握し、現地を歩いて回るうちに、その地域でどんなことをすればいいのかが少しずつ見えてくる。
第2段階:ワークショップ
地域の特徴や課題を整理、共有し、取り組んでみたいプロジェクトやその実現の方法などについて話し合う。
その手法は、ブレーンストーミング、KJ法、ワールドカフェ(カフェのようなリラックスした空間で次々とテーブル=カフェを移動しながら、違う人とミーティングを重ねる手法)など、話し合う内容や集まったメンバーによって決める。
第3段階:チームビルディング
アイデアが出そろった段階で、「誰がどのプロジェクトを担当するのか」を決めることになる。その際、自分が取り組みたいプロジェクトを選んでもらいつつ、メンバーの調整を行いながら、担当チームをつくる。
チームごとに構成員の役割を決めて、本人たちが協力してプロジェクトが進められる体制を構築する(チームビルディング)。
第4段階:活動支援
できあがったチームの活動(特に初動期の活動)を支援する。チームが活動を進めるために相談に乗ったり、情報提供を行ったり、必要なスキルを得る機会を設けたりなどする。
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初動期のサポートは、チームの活動内容を見ながら徐々に減らしていく。自分たちだけで活動できるようになるのが最終目標なので、チームにできることが増えたらコミュニティデザイナーは手伝いを減らす。([3]180~195ページ)
〇まちづくりには、地域の特性や課題に応じたクリエイティブな思考やオリジナルなアイデア、斬新なセンスなどが求められる。そこから、コミュニティデザイナーには、それらを生み出す知識や情報(事例)、態度や行動、そしてアイデアを“かたち”にしブラッシュアップする(磨き上げる)技能(スキル)などが必要となる。また、個々の住民(個人的実践主体)の主体形成のみならず、それを集団的実践主体や運動主体へと育成・向上させるためのメソッド(手法、やりかた)を身につけることも肝要となる。
〇なお、山崎においては、アメリカの心理学者ダニエル・ゴールマン(Daniel Goleman)の「社会的知性」(SQ:Social Intelligence Quotient)に関する所説を引用し、コミュニティデザイナーには次のような能力が求められることになる。(1) “読み取り能力”(「社会的意識」:ゴールマン)、すなわち「他人の感情を読み取る能力」「人の話をしっかり聴く能力」「相手の意図や思考を理解する能力」「社会のしくみを知る能力」の4つの能力と、(2) “そのうえでどう行動するか”という能力(「社会的才覚」:ゴールマン)、すなわち「相手と同調する能力」「自分の意図を効果的に説明する能力」「他者に影響を与える能力」「人々の関心に応じて行動する能力」の4つの能力、がそれである([3]219~220ページ。ダニエル・ゴールマン 土屋京子訳『SQ 生きかたの知能指数―ほんとうの「頭の良さ」とは何か』日本経済新聞出版社、2007年1月、130~158ページ)。
〇いずれにしろ、まちづくりには、「まちの人たちが主体となれる方法論で(地域の:筆者)課題を解決していける人材」、つまり「ファシリテーター」が必要となる([2]154ページ)。周知の通り、全国には、2009年度から実施されている国(総務省)の「集落支援員」や「地域おこし協力隊」の事業などを活用し、地域の課題解決やまちづくりに取り組む人材を積極的に導入している地方自治体がある。2014年度における(専任)集落支援員は221団体(5府県216市町村)、858人(自治会長などとの兼務の(兼任)集落支援員は3,850人)、地域おこし協力隊員は444団体(7府県437市町村)、1,511人を数える。その数は増加傾向にあるが、決して多くはない。また、受け入れ態勢の不備や地域(地元)住民との意識のズレなどによって、その制度が十分に機能しているとはいえない。
〇まちづくりのソフト事業である人材育成は、何よりも地域が取り組むべき課題である。そこでは、まちづくりをファシリテート(支援、促進)する人材の確保・育成とともに、「活動する市民」や一般住民へのまちづくに関する意識啓発・教育が必要かつ重要となる。 2014年度に東北芸術工科大学(山形市)に日本で最初の「コミュニティデザイン学科」(学科長・山崎亮)が開設された。学科の合言葉は、「ふるさとを元気にするデザインを学ぼう!」であるという。コミュニティデザイン(まちづくり)の本格的な人材育成は始まったばかりである。
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〇フランスの経済学者トマ・ピケティ(Thomas Piketty)の『21世紀の資本』(山形浩生・他訳、みすず書房、2014年12月)がベストセラーになっている。そこでの言説のひとつは、先進国では経済的格差が拡大し、固定化する傾向にある。その原因は保有する資産の多寡にある。資産家は投資によってさらに資産を増やし、その一方で低所得者は、賃金が上がらない限り資産形成を行うことができない、というものである。同じような言い回しをすれば、地域では生活環境の格差が拡大し、固定化する傾向にある。その原因のひとつは、住民主体のまちづくり(コミュニティデザイン)とその啓発・教育の事業・活動の実施度にある。住民主体のまちづくりが活発な地域は、その実態(実情)や特性を活かした新たなまちづくりを推し進める。その取り組みが低調な地域では、地域の課題を発見し、それを解決するための「人のつながり」(山崎)が広がらない。筆者が本稿でいいたいことのひとつはここにある。それは、市民福祉教育に通底するものでもある。
注 (1) 「幸運な偶然」について、山崎は次のように述べている。「『偶然』と『幸運』はイコールではない。偶然を一時的な出来事で終わらせてしまうか、それとも自分の人生を豊かにする幸運に変えられるかは、本人次第である。(中略)偶然を幸運に導いてくれるのが、(肯定から入る:筆者)〝Yes,and〟のコミュニケーションでもある。(中略)『幸運』は天から与えられるものではなく、人が自分の意志で見つけていくもの」である([2]121~122ページ)。「まちづくりで最も重要なことはコミュニケーション能力である」([1]91ページ)。留意しておきたい言説である。
(2) 山崎にあっては、「デザイン」とは「社会的な課題を解決するために振りかざす美的な力」である。すなわち、多くの人たちに関係している課題を見つけ、それをたくさんの人が共感するような“美しい方法”で解決しようとする行為をいう([3]233ページ)。
(3) 「活動する市民」とは、まちづくりについて主体的・自律的・能動的な態度・行動を有する住民をいう。
補遺
山崎は、「コミュニティデザインとまづくりは同じではない。(中略)横文字を組み合わせたコミュニティデザインよりはまちづくりのほうが理解してもらいやすい。(中略)まちづくりという言葉は馴染みがあるのだろう。それならそれでいい」([3]213~214ページ)としながら、次のように述べている。
(地域のさまざまな:筆者)人の集まりが力を合わせて目の前の課題を乗り越え、さらに多くの仲間を増やしながら活動を展開することを支援するのが(中略)コミュニティデザインである。これは、コミュニティの力を増幅させるという意味で「コミュニティエンパワメント」や「コミュニティオーガニゼーション」と呼ばれ
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る手法に近いのかもしれない。あるいは、社会福祉の分野でいわれる「コミュニティワーク」や、開発途上国支援の分野でいわれる「コミュニティディベロップメント」に近い方法なのかもしれない。いずれも「つくることを前提としないコミュニティづくり」であるから、今後はこうした分野の知見を活かしながら、コミュニティデザインの実践を続けたいと思う。([3]123ページ)
前述の「コミュニティデザイン学科」の創設は、コミュニティデザインという学問領域の成立を前提にする。実践の単なる積み重ねによる実践知だけでなく、学問としての体系化を図るためには、先ずはコミュニティデザインの精緻な概念整理や「コミュニティの力」の構成要素の分析・考察、そしてコミュニティエンパワメント等との関連性の検討などが求められよう。
なお、筆者は、取り敢えず本稿ではまちづくりとコミュニティデザインをほぼ同義に捉え、記述している。
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17/「批判的思考」と「変革能力」
―福祉教育し「批判」と「変革」を要件とする―
〇筆者の手もとに、「批判的教育学」(Critical Pedagogy)の必読書であるマイケル・W・アップル、ジェフ・ウィッティ、長尾彰夫編著『批判的教育学と公教育の再生―格差を広げる新自由主義改革を問い直す―』(明石書店、2009年5月。以下[1])がある。そこには長尾の論稿「教育改革のポリティックス分析―新たな『教師論』の構築に向けて」が収録されている。
〇本稿では、長尾彰夫(ながお・あきお)の言説のなかから、筆者なりにいま一度認識しておきたいいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
(1)新自由主義・新保守主義と公教育の破壊
自由経済と強い国家を追求する新自由主義と新保守主義(注②)の勢力は、一方で「民主主義」を口にしつつ、他方では民主主義の意味そのものを根底から変え、さらなる格差や不平等を作り出している。また、「伝統」を声高に叫びつつ、それに異を唱えるものは徹底的に排除する。こうした「改革」がもたらす最大の問題は、公教育の破壊である。(3ページ)
(2)批判的教育学・批判的教育学者の使命
批判的教育学は、新自由主義と新保守主義による政策と実践が子どもや教師に与える影響(問題状況)を明らかにする。究極的には、非民主的な「改革」を押し戻し、真の「民主主義と市民性」に基づく「改革」を推し進める。そのために、進歩主義的な社会運動と協力しながら行動する。それが批判的教育学や批判的教育学者の使命である。(3~4ページ)
(3)現代の教育改革の特徴
教育改革はしばしば、官邸・内閣を中心とした時の政治的権力によって推進される(中曽根内閣が1984年8月に設置した「臨時教育審議会」や安倍内閣が2006年10月に設置した「教育再生会議」等)。それは、従来型の、文部科学省の官僚的・行政的権力による教育改革とは異なる。しかも、その両者の間には、共通性(点)と異質性(点)が存在する。現代における教育改革は、こうした微妙にして深刻な矛盾と対立を含んだ権力構造の分析なしには、その実像と特徴を捉えることはできない。(151ページ)
(4)ポリティックスの意味
ポリティックス(politics、政治学)とは、政党や政治が行っているような狭い意味での「政治的な事柄」「政治活動」を意味するのではない。ある事態や事柄をめぐって、それに関わる様々な人々や集団が、それぞれの利益と被害に関わるパワー(権力)を行使していく過程、およびそれによって生み出されていく(権力的な)
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諸関係をいう。(152ページ)
(5)教育改革のポリティックス分析
教育改革のポリティックス分析では、教育改革に関わるさまざまな集団や組織の利害や権力(パワー)が、どのように複雑に作用しているかというその状態(権力作用の関係)を具体的・現実的に分析する。その際、何のためにポリティックス分析を行うのかという、ポリティックス分析のめざすべきところをどこに設定するのかを明らかにしておくことが重要となる。(154ページ)
(6)教育改革と教師の「批判的権力」
教師は、教師としての視点と立場に基づくパワー(権力)を行使しながら、教育改革に関わっていくことが求められる。そのパワーの根底に据えられるべきは、教師が実際的な教育現場に関わっていくという専門性であり、それを基礎に、教育政策を批判的に捉え対象化していくいわば「批判的権力」である。教育改革のポリティックス分析では、教師が「批判的権力」をいかに獲得していくか、それを可能にする「教師論」とはいかなるものかが重要な課題となる。(163~164ページ)
〇「学校における福祉教育」は、歴史的・客観的な評価・分析を行わないまま、「指定校制度」を過去のものにしつつある。それに代わって登場した「地域を基盤とした福祉教育」は、ただ時流に乗ることを優先し、曖昧な「地域指定」や「実践主体」のもとで進められている。その当然の帰結として、一部の社協(職員)や学校(教師)を除いて、社協と学校の関係が表層化・限定化し希薄化している。そしていま、福祉教育関係者は、文部科学省が進める「コミュニティ・スクール(Community School)」や「アクティブ・ラーニング(Active learning)」に何の躊躇もなく、無邪気に秋波を送っている。
〇こうした動向や実態(課題)を生み出したその時々の福祉・教育政策に対して、福祉教育の実践(実践者)や研究(研究者)は、十分な関心を持って臨んできたであろうか。それぞれの福祉・教育政策の真の狙いを抉(えぐ)り出すことなく、それらを無批判的・盲従的に是認し受容する。そのうえで福祉・教育政策に適応(適合)する福祉教育実践のあり方を探究してきたのではないか。長尾の言説から、福祉教育の実践や研究のあり方を厳しく問ういくつかの示唆を得ることができる。
〇筆者の手もとには、もう1冊、ヘンリ―・A・ジルー著、渡部竜也訳『変革的知識人としての教師―批判的教授法の学びに向けて―』(春風社、2014年1月。以下[2])がある。[2]は、アメリカの批判的教育学者であるジルー(Henry A. Giroux)が1970年代から80年代にかけて発表した論文を集録し刊行(1988年)したものの全訳である。
〇訳者の渡部によると、ジルーの教育論は「二部構成」から成っている。そのひとつは、「生徒(特にこの場合、被抑圧者たちの子どもたち)が日頃慣れ親しんでいる文化的経験に結びつく仕方で自分たちの社会的ポジションを力動的に捉えていけ
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るような知の枠組みを提供していくアプローチ」即ち「批判の言説」である。いまひとつは、「必要ならばその社会的ポジションの変革に向けて文化的経験の読み替えを行い(既存の社会体制に疑問を呈するような新たな解釈可能性の発見)、同じ問題意識に立つ外部の団体などと協力して実際に変革への力をつけていくためのアプローチ」即ち「可能性の言説」である。この二つの言説を換言して要約すれば、「日常言説の自明性を疑うための批判的分析と新たな可能性の提言」となる。(383ページ)
〇ジルーの批判的教育学については原典に当たっていただくことにして、ここでは、[2]のタイトルでもある「変革的知識人」(transformative intellectuals)に関する次の一節を付記するにとどめる。
(1)学校は論争的領域である
学校は実際のところ、政治や権力から隔離された客観中立の装置などではなく、権威の諸形態、知識の型、道徳的規則の諸形態、過去の見方や未来の展望などのうちのどれを正当化して子どもに伝えていくべきかという問題をめぐる闘争を具体化して表現した論争的領域である。学校は決して中立的な場ではなく、教師も同じく中立的な立場にいることなど不可能である。(237ページ)
(2)教師は教育改革の主体である
教師は教育改革の主体である。教師は学校の官僚的組織のなかで、専門職化された技術職ではない。即ち、教師は単に、前もって定められた目標を効果的に達成するために職業的に準備をするパフォーマーとして見なされるようなことはあってはならない。教師は、知への価値に対して特別に貢献し、また若者の批判的パワーを高めること(思慮のある能動的な市民を育成すること)に自由でなければならない。(230、235ページ)
(3)教員養成の変革が求められる
教師が生徒を活動的・批判的市民に育てるためには、教師が変革的な知識人となるべきである。現在の大学や教員養成ではしばしば「ハウ・ツー」が優先され、そのような仕事をどのようにこなすのか、与えられた知識体系を教授するのに最善の手法をどのようにマスターするのか、といったところに力点が置かれている。「変革的知識人」としての教員養成のあり方を問う必要がある。(232、237ページ)
〇ジルーの言説に関しては、教育は本質的に政治であり、権力である。学校は現実的にも、政治や権力の構造と機能を持っており、それゆえに子どもの批判的主体性の育成や能動的市民性の形成を図る場として存在する。学校教育は「政治的中立性を確保しなければならない」「権力と結びつくことがあってはならない」というのは、幻想である。学校教育では、学校外部の地域・社会におけるそれ(政治や権力)との関わりで、どのような理念や目的や価値観を有する政治や権力の場として
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学校を位置づけるかが問われることになる。これらの点を再認識しておきたい。
〇ジルーがいう「変革的知識人としての教師」については、少なくとも社会科教師にはそのあり方が問われることになるが、全ての教師にその素養や能力が求められるとは言い難い。この点を「市民福祉教育」に引き寄せて言えば、先ずは、福祉教育担当の学校教員や社協職員、そして「活動する市民」「市民エリート」(坂本治也)などが福祉・教育政策を批判し変革する知識や能力を身につける必要があろう。その際の福祉教育は、「思いやり」などの特定の価値観を押し付ける道徳主義や、「共に生きる」などの口当たりの良い言葉を唱えるスローガン主義に基づくものでないことは言うまでもない。
〇福祉教育は、人権尊重や社会正義の価値を基盤に、福祉・教育政策を批判し変革するソーシャルアクションやアドボカシー(註➀)についての思考(批判的思考)と実践(変革能力)を要件とする。本稿で再認識したいのはこの点である。
注
①アドボカシー(advocacy)は、元々は「擁護」や「支持」「唱道」などを意味する言葉である。やがて、「政策提言」や「権利擁護」など、特定の政策を実現するために社会的な働きかけを行う活動を示すようになった。また、「政府や自治体に対して影響をもたらし、公共政策の形成及び変容を促すことで、社会的弱者、マイノリティー等の権利擁護、代弁の他、その運動や政策提言、特定の問題に対する様々な社会問題などへの対処を目的とした活動」とも定義される(「日本アドボカシー協会」ホームページより)。
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18/国家主義的教育と主権者教育
―内田樹著『街場の教育論』を再読する―
〇筆者は、20年前の1997年3月に、「地方回帰」する若者の動きではないが、都市部から現在の「まち」に移住してきた。(翌年1月からは「猫の額」ほどの畑を耕す「にわか百姓」を気取っている。)それを機に、全国紙の購読はやめ、地方紙の「岐阜新聞」をとることにした。その2017年5月26日号に、「互いに監視する社会に」「立憲主義廃絶への一本道」という見出しの記事が掲載されていた。以下はその一節である(抜き書き)。
共謀罪の法案成立後、政府は「隣人を密告するマインド」の養成を進め、「市民が市民を監視し、市民が隣人を密告する」システムを作り出そうとするだろう。/なぜか「国民主権を廃絶する」と明言している政党に半数以上の有権者が賛成し続けている。/私権を制限され、警察の恣意的監視下に置かれるリスクを当の市民たちが進んで受け入れると言っているのである。/それは「国民は主権者ではない」ということの方が多くの日本人にとってはリアルだということである。戦後生まれの日本人は生まれてから一度も「主権者」であったことがない。家庭や学校でも、就職先でも、社会改革を目指す組織においてさえ、常に上意下達の非民主的組織の中にいた。/日本人にはそもそも「主権者である」という実感がない。だから、「国民主権を放棄する」ことにも特段の痛みを感じない。現に、企業労働者たちは会社の経営方針は「上」が決めることであり、その適否について発言する必要がないと思い込むに至っている。
〇この記事は、内田樹(うちだ・たつる、思想家・武道家)が寄稿したものである。内田といえば先ず、「新書大賞2010」の授賞作品『日本辺境論』(新潮社、2009年11月)を思い出す。「政治の劣化と右傾化」「日本の財政破綻と崩壊」などが叫ばれる今日的状況のなかで、上の記事を目にしたことを機に、「街場(まちば)シリーズ」の1冊である『街場の教育論』(ミシマ社、2008年11月。以下[1])を読み返すことにした。
〇内田によると[1]は、「学校の先生たちが元気になるような本」(292ページ)、「教育について熱く論じるのは、よくない」ということを熱く論じている本である。また、そこで述べる唯一の実践的提言は、「政治家や文科省やメディアは、お願いだから教育のことは現場に任せて、放っておいてほしい」ということである(2ページ)。[1]は、こういった皮肉(アイロニー)の効いた、刺激的なフレーズから始まる。以下は、筆者が改めて認識し、留意したい内田の論点や言説のメモである(抜き書きと要約)。
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「内田教育論」は4つの考え方を前提とする
(1) 教育制度は惰性の強い制度であり、簡単には変えることができない。(2) それゆえ、教育についての議論は過剰に断定的で、非寛容なものになりがちである。(3) 教育制度は一時停止して根本的に補修するということができない。その制度の瑕疵(かし。欠陥)は、「現に瑕疵のある制度」を通じて補正するしかない。(4) 教育改革の主体は教師たちが担うしかない。人間は批判された、査定され、制約されることでそのパフォーマンスを向上するものではなく、支持され、勇気づけられ、自由を保障されることでオーバーアチーブ(期待以上の成果を上げること)を果たすものである。/ざっとこれくらいのことが(内田)教育論の前提である。(22ページ)
教育改革の主体は私たちである
私たちの国の教育に求められているのは「コスト削減」や「組織の硬直化」ではない。現場の教員たちの教育的パフォーマンスを向上させ、オーバーアチーブを可能にすることである。それに必要なのは、現場の教師たちのために「つねに創意に開かれた、働きやすい環境」を整備することに尽きる。/教員たちが発明の才を発揮し、新しい教育方法を考案し、実験し、議論し、対話し、連帯することができる、そういった生成的な労働環境を作り出すこと。それが私たち(国民)に許された唯一可能な「教育改革」の方向である。(20、21ページ)
教育は時間がかかり成果も多様である
教育は「キーを押してから文字が表示されるまで長い時間がかかる」ようなシステムである。/教育は入力から出力までのあいだに「時間がかかる」。それはそこを行き交うものが商品やサービスではなく、人間だからである。/それどころではない。教育というのは「差し出したものとは別のかたちのものが、別の時間に、別のところでもどってくる」システムである。喩(たと)えて言えば、キーボート―を押すと、ディスプレイに文字が出る代わりに、三日後に友だちから絵葉書が届いたとか、三年後に唐茄子(とうなす)を二個もらったとか、そういうどこをどう迂回(うかい)したのかよくわからないような「やりとり」が果たされるのが教育というものの本義である。(27、28ページ)
教育とは外部との通路を開くことである
教育の本質は、「こことは違う場所、こことは違う時間の流れ、ここにいるのとは違う人たち」との回路を穿つ(うがつ。開ける)ことにある。/勉強しているときには、子どもたちも一瞬、無人島という有限の空間に閉じ込められていることを忘れて、広い世界に繋(つな)がっているような開放感を覚える。四方を壁で取り囲まれた密室の中に、どこからか新鮮な風が吹き込んできたような爽快感を覚える。そういうことがきっとあるはずである。/「今ここにあるもの」とは違うものに繫
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がること。それが教育というもののいちばん重要な機能なのである。(40ページ)
学びとは鳥瞰的視座に離陸することである
「学び」は、自分には理解できない「高み」にいる人(メンター、先達)に呼び寄せられ、その人がしている「ゲーム」に巻き込まれるというかたちで進行する。この「巻き込まれ」(involvement)が成就するためには、自分の手持ちの価値判断の「ものさし」ではその価値を考量できないものがあるということを認めなければならない。自分の「ものさし」を後生大事に抱え込んでいる限り、自分の限界を超えることはできない。知識は増え、技術も身につき、資格も取れるかもしれない。けれども、自分のいじましい(せせこましい)「枠組み」の中にそういうものをいくら詰め込んでも、鳥瞰(ちょうかん)的視座に「テイクオフ」(take-off、離陸)することはできない。それは「領地」を水平方向に拡大しているだけである。「学び」とは「離陸すること」である。(59ページ)
学びとはブレークスルーのことである
「学び」を通じて「学ぶもの」を成熟させるのは、「私には師がいる」という事実そのものである。私の外部に、私をはるかに超越した知的境位が存在すると信じたことによって、人は自分の知的限界を超える。「学び」とはこのブレークスルーのことである。/ブレークスルーとは、自分で設定した限界を超えるということである。限界を作っているのは私たち自身である。「こんなことが私にはできるはずがない」という自己評価が、私たち自身の「限界」をかたちづくる。/ブレークスルーとは、「君ならできる」という師からの外部評価を「私にはできない」という自己評価より上に置くということである。それが自分自身で設定した限界を取り外すということである。「私の限界」を決めるのは他者であると腹をくくることである。(155、156ページ)
専門家は他者とコラボレートできなければならない
専門教育とは、「内輪(うちわ)のパーティ」のことである。そこは「専門用語で話が通じる」場所、あるいは「通じることになっている」場所である。/専門家とは、他の専門家とコラボレートできることである。そのためには、自分がどのような領域の専門家であって、それが他の領域とのコラボレーションを通じて、どのような有用性を発揮するかを非専門家に理解させられなければいけない。/専門家は、他の専門家と共同作業をしないと何の役にも立たない。自分ひとりで何でもできる専門家というのは形容矛盾である。/専門家の手柄は自分の専門のことしかできないが、その代わり、他の専門家と「合体」すると爆発的なパフォーマンスを発揮するということである。/日本の教育プログラムにいちばん欠けているのは、「他者とコラボレーション」する能力の涵養である。今の日本の教育の問題という
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のはもしかすると、ぜんぶがこの一つの点に集約されるのかもしれない。(90、92、105ページ)
教師は学びの当事者である
教師というのは、生徒をみつめてはいけない。生徒を操作しようとしてはいけない。そうではなくて、教師自身が「学ぶ」とはどういうことかを身を以て示す。それしかない。/「学ぶ」仕方は、現に「学んでいる」人からしか学ぶことができない。教える立場にあるもの自身が今この瞬間も学びつつある、学びの当事者であるということがなければ、子どもたちは学ぶ仕方を学ぶことができない。これは「操作する主体」と「操作される対象」という二項関係とはずいぶん趣(おもむき)の違うものである。/学びの場というのは本質的に三項関係なのである。師と、弟子と、そして、その場にいない師の師。その三者がいないと学びは成立しない。/教師が教壇から伝えなけれはいけないことは、畏敬の念を抱く師がいるということ、ただ一つである。それだけで教育は十分に機能する。(142、143、152ページ)
教師は学びを起動させる
子どもの成熟は葛藤を通じて果たされる。/人間は必ず葛藤のうちにあり、人間のすべての感情は葛藤を通じて形成される。/人間は自分が学びたいことしか学ばない。自分が学べることしか学ばない。自分が学びたいと思ったときにしか学ばない。/教師の仕事は「学び」を起動させること、それだけである。「外部の知」に対する欲望を起動させること、それだけである。そして、そのためには教師自身が、「外部の知」に対する烈(はげ)しい欲望に現に灼(や)かれていることが必要である。(114、158、252、255ページ)
〇周知の通り、内田は、「稀代の論客」の一人である。いわゆる「内田本」を読むと、俊英(しゅんえい。優れて秀でていること)な視点や鋭利な知性に驚かされる。また、小気味よい論調や豊饒(ほうじょう)な言葉、広く深い造詣(ぞうけい)などに魅せられる。それらが、数多くのファンや信奉者を生み出しているのであろう。
〇ただ、内田の「議論」や「主張」「言説」は必ずしも、そのすべてが科学的・体系的なデータやエビデンス(証拠、根拠)に基づくものであるとは言えない。過剰に身体感覚的であったり、ときには論理の飛躍がある。なじみの薄い漢字や熟語、カタカナ言葉の多用や、巧みな論法の駆使は、衒学的(げんがく。学問や知識があることをひけらかすこと)でさえある。さらに言えば、「知識人の単なるプロパガンダ(政治・思想宣伝)は、読む人を惑わし、思考停止に陥らせる」という、その危険性がゼロとは言えない。土と汗のにおいがする「にわか百姓」(筆者)の、おしゃれで上品な知識人に対する全般的・抽象的な感想である。なお、10年ほど前に本書を読んだときの感想も、このようなものであったと思われる。ただ、その時代
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的背景や社会的状況は、いまの方がより厳しくなっていることは多言を要さない。
〇政治・経済・社会の危機の時代にあって、先ず強く求められるのは国家主義的教育に抗し、主権者教育を推進する「教育の自由と良心」である。そして、第一線の教育現場(学校、地域・社会)やそこでの実践に証拠や論拠を求める、教育に関する草の根の思想(考え方)や哲学(生き方)である。また、大切にすべきは、教育思想や教育哲学以前の、その「まち」に暮らす子どもや保護者、その「まち」にある学校の子どもや教師などの個々人の教育への切実な「願い」や「思い」である。
〇本稿の最初に紹介した内田の新聞寄稿文では、「立憲主義廃絶」への強い怒りや憂いに満ちた、反体制・反権力の姿勢が明示される。そして、[1]で内田は、教育へのビジネスモデルの導入や市場原理主義・グローバル資本主義の教育への介入を批判し、それを通して教育の本質に迫る。また、皮相的な「あるべき教師像」ではなく、「真の教師」のあり方を探究する。その切り口はシャープである。
〇そうした内田の言説の枠組み(フレームワーク)や論点(イシュー)から、「福祉教育」は多くを学び、その教育活動を検証する必要がある。福祉教育は、(1)国家主義的教育に対峙し、真の主権者教育の積極的推進を図ってきたであろうか。(2)それらの教育営為とは、無視はしないまでも、付かず離れずの立ち位置を保ち、絶妙な「間合い」をとってきたのではないか。(3)個別具体的な地域や学校の現実(実態)を丹念に掘り起こし、その問題の歴史的・社会的・文化的背景や本質、真実などをあぶり出してきたか。そこでは、(4)「思いやり育成プログラム」(「こころの教育」)の研究開発に汲々(きゅうきゅう)としてきた(している)のではないか、等々がそれである。これは、筆者自身の福祉教育実践や研究の取り組み姿勢や価値観を問うものでもある。
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19/「生死の教育」を考える
―大谷いづみと松田純の言説―
〇日本における「生命倫理教育」の草分けであり、「尊厳死」言説の研究に優れた業績をあげていると評されるひとりに、大谷いづみ(おおたに・いづみ)がいる。筆者が大谷の論考にふれたのは、松原洋子・小泉義之編『生命の臨界―争点としての生命―』(人文書院、2005年2月)に所収の「『いのちの教育』に隠されてしまうこと―『尊厳死』言説をめぐって―」(論文)と「『問い』を育む―『生と死』の授業から―」(語りおろし)が最初である。
〇印象に残っている大谷の「語り」に、次のようなものがある(抜き書きと要約)。それぞれの語り口(切り口)はシャープであり、多くの示唆を得る。また、本質を突いた文や単語は聞き手(読み手)をハットさせる。
◍私は高校教師時代から、「人権」「平和」「民主主義」の三語は極力使わないで授業をしてきた。この三語はすでに答えるべき解答が用意されている、思考停止を引き起こす言葉でしかないからである。(143ページ)
◍ロリ・アンドリュース(ヒトゲノム解析機構)は出生前診断を「この世への入会審査」と言ったが、だとすれば尊厳死言説はこの世の「会員審査」だということである。自由な自己決定によって自らが会員制クラブの維持のためにクラブ外に出ていくこと、すなわち自らの質の低さを自認して自らを死へと廃棄することを納得するための概念装置が、「犠牲」「尊厳」なのではないか。(144、145ページ)
◍会員制クラブの正会員や準会員、員数外も、「何か」に怯(おび)えている。そのひとつが、役に立つ人間でなければならないという強迫観念である。その強迫観念は、役に立たないと見なせる人間への憤怒(ふんど)や憎悪(ぞうお)と表裏一体のはずである。その憤怒と憎悪を、妬(ねた)みや嫉妬(しっと)と連動させて正当化したのが、まさにナチズムだったのではないか。(150ページ)
◍ジェンダー論や障害学に期待するところはあるが、それが旧態然とした「人権」の話しに終始するのだとしたら、結局は「告発する被差別者」のスティグマを自ら招いて終わるだけで、さしたる展望はもてない。(151ページ)
◍世の中を支えているのは現場で日々賽の河原(さいのかわら:無駄な努力)のような労働にたずさわっている「小さき人々」なのであって、「天下国家を机上で脳天気に論じている高等遊民とその卵たち」に何がわかるか、という思いがないわけではない。現場の「上がり」が研究生活であるかのような、現場・研究双方の一部の見方にも抵抗がある。(中略)他方で、現場の体験に自閉しているだけでは閉塞
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感を深めていくばかりだろうというのも実感としてある。(154ページ)
〇今回改めて、大谷のその「論文」と「語り」を読むことにした。以上の「語り」に加えて、留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
「癒し系授業」と「悩ませ系授業」
「いのちの教育」「死の教育」は、実は癒しブームと連動した「癒し系授業」だと見なせなくもない。子どもたちの生と死をめぐって、現実に起きる「事件」が、へたな小説を凌駕(りょうが:上回る。超える)してしまったような現代にあって心身疲れ果てた教師が、感動の涙に至る「癒し系授業」に活路を見いだしたくなるのは、わからないでもない。これに対して、バイオテクノロジーと先端医療の発達がもたらす生と死の問題群の、倫理的・法的・社会的ディレンマに向き合う生命倫理教育は、「悩ませ系授業」だと、わたしは本気で考えてはいるが、一見価値中立にその是非を問いつつ、結果、先端医療技術のつゆ払い(つゆはらい:先導して道を開く)役を果たす意味において、両者が補完関係を形成するであろうことは、見逃せない点である。(論文:95ページ)
「いのちの輝き」と「自分らしい死」
「いのちの教育」は、それだけが独立して作用するわけではない。だから、授業者や世間が期待するほど、生徒に影響力をもつわけではないことを、安心してもいる。しかし、一方では、「安楽死」や「尊厳死」が自己決定権にもとづく権利として教科書に叙述されて語られ、「自分らしい死」が「いのちの輝き」とともに語られる。他方では、少子高齢社会への懸念がつぼ型に移行しつつある人口ピラミッドとともに語られる。生老病死(しょうろうびょうし)を語るその枠組みは、太田典礼が著書で安楽死を提案した枠組みと重なってはいないだろうか。(論文:118ページ)
「自分は生きる」と「他者を殺す」
生老病死をディベイトのような二項対立の是非で問う問い方を批判し続けてきた。答は多様にあるはずなのに、たった二つの答に収斂(しゅうれん)させる問い方
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に、最初から、生理的嫌悪感を感じていたのだが、最近ようやく、その理由がはっきりした。生命倫理問題に関して、是か非か、という問いに答えることを強要することは、究極、自分が死ぬか生きるか、他者を生かすか殺すかという問いへの答を強要することに他ならない。しかも、「生命は尊いにしても、先端医療の発達した現在の、その尊さの複雑困難な状況」を、これでもかと提示した条件の下に答えさせるわけで、一見価値中立に見えるが、実際には、問い自体が「自分は生きる、他者も生かす」ことが肯定されにくい位置に置かれているわけである。このような問いは、問い方それ自体がまったく倫理的ではない。(語り:132~133ページ)
先端医療や高齢社会のつゆ払いと後始末
生死にかかわる問いは、教師の意図や教育技術がどうであれ、また意識的であれ無意識であれ、教師生徒双方が何らかの形で、「自分自身」を問題に織り込むことを余儀なくする。(136ページ)
ただ、当然落とし穴もある。生命倫理問題のディレンマを討論させたり考えさせたり、死に直面した人の話を聞いたり遺書を書かせ感性と体験に訴えたりして、教室の空気が「動く」ことに、教師は目を奪われがちである。(中略)だからこそ、考えたり感動したりした「その先」が何なのか、それを考える必要がある。生命倫理教育と死の教育は、一歩間違えば、先端医療と高齢社会のつゆ払いと後始末を相補的に成す危険性と隣り合わせである。(語り:137ページ)
「生命倫理教育」「死の教育」と「生死の教育」
学校での「生死の教育」は今後どうなっていくべきか。第一、大きくは生命倫理教育と死の教育に二分されている現在の生死の教育を止揚して、自己を問い、他者に問いかけ、社会を変革してゆく地平を切り拓くものにしていくこと。第二に、そのためには、生命倫理学と死生学だけを親学問にするのではなく、医療社会学や文化人類学、科学技術社会論、社会福祉学やジェンダー論、障害学など、近接領域、関連領域からの知見を貪欲かつ批判的に取り入れてゆくこと。第三に、生死の教育が、言挙げ(ことあげ:言葉を発すること)できない「小さき人々」の、言葉にならない言葉を掬(すく)い取ってゆくことである。
(語り:140ページ)
〇以上の大谷の、鋭い考察と深い洞察、そして強い筆力には驚嘆させられる。語るべきは「美しく死ぬ作法」ではなく、「みっともなくても生きのびろ」ということである(語り:139ページ)、という。大谷の論点や言説は「市民福祉教育」に通底するものが多い。市民福祉教育のねらいのひとつは、「生きる力」ではなく、「生きのびる力」を育てることにある。それが豊かなまちづくりを促す。再確認してお
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きたい。
〇さて、筆者の手もとに、松田純(まつだ・じゅん)著『安楽死・尊厳死の現在―最終段階の医療と自己決定―』(中公新書、2018年12月。以下[1])と梶田叡一(かじた・えいいち)著『〈いのち〉の教育のために―生命存在の理解を踏まえた真の自覚と共生を―』(金子書房、2018年6月。以下[2])がある。
〇[1]で松田は、「21世紀初頭、世界で初めてオランダで合法化された安楽死。同国では年間6000人を超え、増加の一途である。容認の流れは、自己決定意識の拡大と超高齢化社会の進行のなか、ベルギー、スイス、カナダ、米国へと拡散。他方で精神疾患や認知症の人々への適用をめぐり問題も噴出している。“先進”各国の実態から、尊厳死と称する日本での問題、人類の自死をめぐる思想史を繙(ひもと)き、「死の医療化」(患者の「死ぬ権利」ではなく、法の下で医師が死を管理すること:阪野)と言われるその実態を描く」(「帯」より)。
〇松田は、「安楽死」を三つに区別する。①狭義の安楽死――医師が患者に致死薬を注射して生命を終結させる行為など。②医師による自死介助――医師が患者に致死薬を処方し、患者が自らそれを服用して生命を終結させることなど(服用でない形もある)。③生命維持治療の中止――「消極的安楽死」とも呼ばれ、臨床上の方針として、生命を維持するためのさまざまな治療を中止あるいは開始しないこと、がそれである(「はじめに」ⅱページ)。世界では①②③を「尊厳死」と呼ぶが、日本では「安楽死」と区別して、③のみが一般的に「尊厳死」と呼ばれている。
〇松田によると、現代の安楽死論の論調に、「自分の生命に対する処分権(死ぬ権利)」(205ページ)、すなわち自己決定権(憲法13条から導出される人権のひとつ)に基づく安楽死正当化論がある。しかし、そこには、「本人の自発的な要望による安楽死から、非自発的な安楽死の強制へのなし崩し的な拡大」、すなわち「『死ぬ権利』から『死ぬ義務』への転換」(208~209ページ)という危うさが潜んでいる。いわゆる「すべり坂」(〈安楽死を〉公共政策化すると、障害などを抱えた弱い立場にある人が、本人の意思に反して、家族や社会の負担とされ、被害を受ける可能性が増大すること)への懸念である(28ページ)。別言すれば、「なし崩し的な運用」への不安である。
〇また、松田によると、自己決定の判断をするためには、「自律」(autonomy)が鍵概念となる。その点について松田は、「自律」至上主義的な考え方に対して、「自律・独立と依存は表裏の関係にある」「人間は自由にして依存的な存在」(215ページ)であることを重視する。
〇松田にあっては「自律」とともに、「健康」(health)がいまひとつの鍵概念になる。「健康」については、WHO(世界保健機関)憲章「前文」の「身体的・心理的・社会的に完全に良い状態」という定義を想起する。それに対して松田は、健康を「完全に良い状態」という静止状態として捉えるのではなく、「立ち直り、復元力、適応力」として動的に捉えることが重要であるとする(222ページ)。オランダ
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の女性医師マフトルド・ヒューバーが提唱する新しい健康概念、つまり「たとえ病気で苦境に陥ってもなんとか事態に適応し、人々の支援を受け入れ(=依存を受け入れ)、気落ちすることなくポジティヴに生きていくという健康観」(230ページ)である。
〇松田がいう「自律」と「健康」に留意しておきたい。「死」について考えることは、「生」の意味やあり方を問うことでもある。
〇次に、[2]における梶田の言説については、次の一節だけをメモっておくことにする。「尊厳死」思想に通底する根本的な言説である(見出しは筆者)。
「いのちの教育」はヒトがそこに存在していること自体を理解し承認することから始まる
「人間としての尊厳=ヒューマン・ディグニティ」という言葉は、「能力があるから」でなく、「役に立つ」からでなく、ましてや「美しいから」とか「感動を与えるから」でもなく、人間一人ひとり、そこに存在していること自体として、かけがえのない大切さがある、ということです。(「プロローグ」2ページ)
私自身と同じように、他の人も与えられた〈いのち〉を精いっぱい生きている存在なのだ、という根本的立場の同一性の認識がなくては、一人ひとりの個性や能力や社会的位置づけ等々の違いを乗り越えて互いが互いを無条件に尊重する、といった事態は生じないのではないでしょうか。(「プロローグ」3ページ)
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20/「まなびほぐす」ことと「誤解する権利」
―鶴見俊輔に学ぶ―
〇戦後言論界の中心人物の一人であった哲学者の鶴見俊輔が、2015年7月20日に亡くなった(享年93)。雑誌『思想の科学』や「ベ平連」、「九条の会」などが思い出される。
〇筆者の手もとには、鶴見の本は3冊しかない。(1)『教育再定義への試み』(岩波書店、1999年10月。以下[1])、(2)『誤解する権利―日本映画を見る―』(筑摩書房、1959年12月。以下[2])、(3)『学ぶとは何だろうか―鶴見俊輔座談―』(晶文社、1996年3月。以下[3])、がそれである。この3冊も、他の著作と同様に、豊富なテーマや項目について自在に考えが述べられ、語られている。その思考は、拡散的思考から最終的には収束的思考(ジョイ・ギルフォード)に導かれる。とりわけ[1]では、生涯にわたって自分らしさをつくり、守るための「自己教育」論が展開される。[2]では、議論や論争は誤解のうえに成り立っていることを理解する(注①)。そして[3]では、豊かな感性と柔軟な思考、多様な他者(幅広い分野)との繋がりや関わりの重要性を思い知らされる(注②)。
〇これらから、「まちづくりと市民福祉教育」に関するいくつかの視点や論点を読み取り、今後の立論の参考にしたい。以下に、[1]と[2]から、鶴見の言説の一部を紹介する(抜き書きと要約)。
[1] 『教育再定義への試み』
教育は、連続する過程であり、相互にのりいれをする作業である。教える―教えられる、そだつ―そだてられるは、同時におこり、そして一回でおわるのでなく、その相互作用はつづいていく。(43ページ)
教育は、それぞれの文化の中で生き方をつたえるこころみである。それは、あたらしく生まれてくるものにとっては、まえからくらしている仲間をまねることからはじまる。(中略)教えようとおとながこころみるときに、相手の失敗、抵抗、逸脱などから、自分の生き方への思いなおしのいとぐちを見つけることがある。それが、教育が連続する過程であるということであり、教える―教えられるという相互的な過程であるということだ。(中略)
私の言いたいことは、今の日本は学校にとらわれすぎているということ。学校がなくても教育はおこなわれてきたし、これからもおこなわれるだろう。学校の番人である教師自身がそのことを心の底におけば、学校はいくらかは変わる。(45~46ページ)
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たくさんのことをまなび(learn)、たくさんのことをまなびほぐす(unlearn)。それは型どおりのスウェーターをまず編み、次に、もう一度もとの毛糸にもどしてから、自分の体型の必要にあわせて編みなおすという状景を呼びさました。ヘレン・ケラーのように盲聾唖(もうろうあ)でなくとも、この問題は、学校にかよったものにとって、あてはまる。最後にはみずからのもうろくの中に編みこまなければならない。これがむずかしい。今の自分の自己教育の課題となる。(107~108ページ)
教師が教師であることによって、尊敬されるべきだと考えている教師は、教育をになう条件を現代では失っている。親が親であることによって、尊敬されなくてはならないという考えも、現代では考えなおす必要がある。
生徒の前に、自分自身をもっと前に出す方法を考えたらどうだろう。(131ページ)
死ぬことの準備までを自己教育とし、人間の絶滅までを見すえて自己教育の中にいれる。(中略)自己教育の道しるべ(こざかしく言えば、措定)を、終わりに書く。
一 くらしそのものは、くらしの意識より大きい。そしてもっと重大なものを含んでいる。私自身のくらしは、私の考えをこえる重さをもつ。
二 記録にのこるわずかの数の個人を越える偉大な個人が人間の総体にいる。人間の総体は、どんな偉大な個人より偉大である。
三 専門の思想家の仕事をこえる仕事が、専門の思想家外の人の仕事にはある。教育専門家以外の人たちによって大切な教育がこれまでになされてきたし、今もなされている。(186~187ページ)
「人は生きているかぎり、今をどう生きるかという問題をさけることができない。今生きているということが、問題をつくる」(132ページ)。鶴見にあっては、そういう人生のさまざまな問題に個々人が立ち向かうときに支えとなるのが、「教育」である。すなわち、教育は、学校教育に焦点化された狭いものではなく、一人ひとりの人間の「くらしそのもの」に関わる、生涯にわたる「自己教育」である。
鶴見は言う。教育(自己教育)は、それぞれの文化のなかで「生き方」を伝える試みであり、それは「まねる」ことから始まる。また、教育は、学んだことを解(ほぐ)す――「まなびほぐす」(ヘレン・ケラーの言葉)ことであり、解したものを自分の寸法に合わせて編みなおす営みである。それによって、教育の目的である「自分らしさ」(integrity)を構築することになる。その自分らしさとは、ひとつに纏められた「全体」(total)ではなく、そっくりそのままの「まるごと」(whole)を意味する(34~43ページ)。
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〇要するに、教育は、「集団として型にはめこむ」(34ページ)ものではなく、従って教師(「教育専門家」)の専有物ではない。教育がもつ本来の姿は、すべての世代の人による教える―教えられるという相互行為のなかに、連続的に見出される。鶴見が説くところである。
[2] 『誤解する権利』
学問および評論を商売にするようになってから、とうぜんに論争の中にまきこまれることになり、いかに多くの論争が、誤解の上になりたっているかに気がつかざるを得ない。(中略)
誤解する権利と逆に、誤解される権利というものがある。われわれは、自分たちの心情を直接的にみんなに手わたしすることはできないので、何らかの行動に託して手わたしするほかない。だが、この行動というのは、ずいぶんでこぼこした形のもので、見方によってちがう仕方で光を反射し、どんな動機をその行動の背後に想定するかによって、ぜんぜんちがった意味をもつ行動として映ずる。(中略)
誤解をとくという消極的な作業は、精神衛生的によくないばかりか、客観的に無益でもある。論争という活動がもともと誤解する権利の活発な行使を前提としている以上、むしろわれわれは、誤解される権利を十分に活用して、自分で考えて意味のあると思う行動をどんどんつみかさねてゆくべきではないか。日常のつきあいの世界でも、誤解される権利をもっと活発に行使してゆくほうが、からっとした空気をつくれるように思う。(239~240ページ)
〇住民参加型のまちづくりでは、住民相互の対話や意見交換が重要な役割を果たす。ときにはそれが、議論や論争に発展することがある。それは、住民個々人の意見や見解の相違を尊重し前提にする限り、至極当然のことであり、無益なことではない。
〇鶴見は、論争は「誤解する権利」と「誤解される権利」の行使である。「誤解をとく」ことは「客観的に無益」である、という。論争は、妥協点を見つけるものではなく、争点や立場の明確化とその認識の共有化を図ることによって新しい価値を創造することに意義がある。「誤解する権利」と「誤解される権利」を活発に行使することによって、自主的・自律的を思考や行動を促すことになる。「まちづくりと市民福祉教育」に関して、鶴見の言説に首肯するところである。
〇以上を要するに、(1)まちづくりの主体形成は、住民が相互に学び―学び合う過程であり、学んだことを解(ほぐ)し、編み直す過程である。(2)まちづくりのための議論や論争は、「誤解する権利」と「誤解される権利」を活発に行使することであり、それによって新しい価値を創造する。筆者が鶴見の言説を通して学んだポイントである。
〇ところで、唐突であるが、2015年9月19日未明、安全保障関連法が参議院本会議で可決・成立し、日本の立憲主義・民主主義・平和主義に大きな傷痕を残すことにな
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った(注③)。「戦争をしない国」から「戦争ができる国」への転換である。この事態を鶴見はどのように評価し、どのように開陳したであろうか。それを読んだり学んだりすることはもはやかなわないが、いま、[1]の次の一節を思い出す。
私の息子が愛読している『生きることの意味』の著者高史明の息子岡真史が自殺した。
『生きることの意味』を読んだのは、私の息子が小学校四年生のときで、岡真史(一四歳)の自殺は、その後二年たって彼が小学校六年生くらいのときだったろう。彼は動揺して私のところに来て、
「おとうさん、自殺をしてもいいのか?」
とたずねた。私の答は、
「してもいい。二つのときにだ。戦争にひきだされて敵を殺せと命令された場合、敵を殺したくなかったら、自殺したらいい。君は男だから、女を強姦したくなったら、その前に首をくくって死んだらいい。」(170~171ページ)
注
① 本書は、その副題「日本映画を見る」から分かるように、「大衆映画の時評」を集成したものであり、「誤解する権利を使うことによって成りたっている」(241ページ)。
② 本書は、鶴見の対談集「鶴見俊輔座談」全10巻(晶文社)のうちの1巻である。対談者は、谷川俊太郎をはじめとする19名であるが、いずれも「学ぶ」ということを対談テーマにはしていない。ブックカバーの表紙裏書には、次のように記されている。「あたえられたものをそのままのみくだす人間になりたくない。つねに新しい自分のいまの状況のなかから考えていきたい。ああも言えるこうも言える、別の見かたがありうるというその揺れを大切にする。‥‥‥自分自身が何かを求めていることが大切なのであって、すでにそれを得たと思ってしまうのは、まずいんじゃないですか」。これが鶴見が言う「学ぶ」ということである。
また、鶴見は、本書の「あとがき」で次のように述べている。「書かないことが、書くことの中心にあり、話さないことが話の中心にある。書く当人自身が書けないことがのこり、話す当人が話せないことがのこるというだけでなく、書く当人が書かないと自分できめていることがあり、話す当人が話さないと自分できめていることがある」(441ページ)。含蓄のある言い回しである。「書いてないこと」「言わなかったこと」を心にとめるのが「学ぶ」ということなのだろう。それは、「行間」や「言外」の真意を読み取ることでもある。
③ 福澤諭吉は『学問のすすめ』で次のように述べている。付記しておきたい。
ダメな政府に対して取るべき手段
人民も政府もそれぞれの役割を果たして仲良くやっているときは申し分ないが、そうではなくなって、政府がその役割を逸脱して暴政を行うこともある。その場合、
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人民がとるべき行動は以下の三つのみである。
すなわち、信念を曲げて政府にしたがうか、力をもって政府に敵対するか、身を犠牲にして正義を守るか、この三か条だ。
第一の「信念を曲げて政府にしたがう」のは、たいへんよくない。
天の正しい道理にしたがうのは、人たる者の仕事である。なのに、その信念を曲げて、政府が作った人造の悪法にしたがうというのは、人たるものの仕事を放棄したことになる。
さらに、一度信念を曲げて、不正の法にしたがったならば、後世の子孫に悪い例を残し、天下に悪い習慣を広めることになる。(中略)
第二に「力をもって政府に敵対する」のは、もちろん一人の力でできることではない。必ず仲間が必要になる。これがすなわち内乱である。これは決して上策とは言えない。
現に戦いを挑んで政府に敵対するときは、物事の道理はしばらく放っておかれ、ただ力の争いになる。(中略)
第三の「身を犠牲にして正義を守る」とは、天の道理を信じて疑わず、いかなるひどい政治のもとで、どんなに過酷な法で苦しめられようとも、その苦痛に耐え、くじけずに志を持ち、何の武器をも持たず、少しの暴力も使わず、ただ、正しい道理を唱えて政府に訴えることである。以上、三つの策の内、この第三の策をもって上策の上とする。(福澤諭吉/齋藤孝訳『現代語訳 学問のすすめ』筑摩書房(ちくま新書)、2009年2月、96~98ページ)。
付記
鶴見の『学ぶとは何だろうか』と同じようなタイトルの本に、第27代東京大学総長を務めた政治学者の佐々木毅のエッセイ『学ぶとはどういうことか』(講談社、2012年3月)がある。佐々木は、「学ぶ」ということは、一定の時間と空間のなかで行われる人間の活動である。人間は「学び続ける動物」であり、「学びは人生と歴史の構成要素」である、と捉える。そして、「学びの4段階」ついて説いている。第1段階:事実ないし確実とされている知識や情報を「知る」こと、記憶すること。第2段階:知識や情報の内容を「理解する」こと。第3段階:事実や事実の関係とされている知識や情報を「疑う」こと。第4段階:既存の知識や情報を「超える」こと、がそれである(79~106ページ)。あえて付記しておくことにする。
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21/「ふだんの くらしの しあわせ」と「共働活動」
―「協同実践」と「ふつうに くらす しあわせ」―
筆者が平仮名の「ふくし」(ふだんの・くらしの・しあわせ)という言葉を使い始めたのは、1990年代中頃から2000年前後にかけての時期であろうか。その直接的なきっかけは、茨城県社協主催の福祉教育セミナー(1994年2月、1998年1月、2000年1月、2001年1月)に参加したことにあるが、そこで修得したのは「ふくし」=「普通の・暮らしの・幸せ」であった。(『まちづくりと教育づくり、周辺領域からのアプローチ』市民福祉教育研究所、11ページ)
〇「地域福祉は、福祉教育ではじまり、福祉教育でおわる」といわれる。その「福祉教育」について、2004〈平成16〉年9月に全社協に設けられた「社会福祉協議会における福祉教育推進検討委員会」(委員長・大橋謙策)の『報告書』(2005〈平成17〉年11月発行)は、「地域福祉を推進するための福祉教育とは、平和と人権を基盤にした市民社会の担い手として、社会福祉について協同で学びあい、地域における共生の文化を創造する総合的な活動である」と定義している。この定義におけるキーワードのひとつは、「協同で学びあう」ことと「共生の文化」であろう。
〇『報告書』は、「協同で学びあう」とは、「一方的に誰かが誰かに教えるのではありません。さまざまな立場の住民が、お互いに議論し、研鑽しあうなかで、相互に気づきあうことが重要です。そのためにはフォーマルな学びの場だけではなく、たとえば日常の活動のなかにある学び(インフォーマルな側面)が大切にされる必要があります。つまり地域福祉を推進する福祉教育とは、地域のなかで教える場をつくることだけではなく、学ぶ活動を豊かにしていくことです。このことを意図した福祉教育の実践方法を『協同実践』といいます」(『報告書』、8ページ)。「共生の文化」とは、「一人ひとりのいのち(存在)が大切にされ、お互いがそれぞれの違いと存在を認めあい、何人も排除されることなく、豊かに共に生きていくことができる地域社会を創造することに価値をおき、重視する文化のこと」(『報告書』、9ページ)、と説いている。
〇ここで、『報告書』がいう「学びの場」に関して、P・H・クームス(P.H.Coombs)がWorld Educational Crisis,1968(『世界の教育危機』)において、教育の形態を大きく次の3つに分けていることを確認しておくことにする。①定型教育(formal):制度化された学校において、構造化されたカリキュラムに基づいて教師と生徒の関係によって展開される教育活動。学校型教育。②不定型教育(non-formal):定型教育(学校型教育=学校の教育課程として行われる教育活動)の外部において、一定の学習者に対して、ある学習目的を達成するために意図的・組織的に行われる教育活動。日本の「社会教育」に極めて類似した概念である。③非定
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型教育(informal):日常的な生活経験(体験)や環境によって、知識や技能などを習得する無意図的・非組織的な教育。家庭・職場・遊び場等での学びや、テレビの視聴による学びなどがそれである。
〇福祉教育とりわけ筆者がいう「市民福祉教育」は、この3つの形態の教育・学習のすべてを包摂する総合的、統一的な展開が図られなければならないことはいうまでもない。また、「共生の文化」について『報告書』は、「一人ひとりのいのち(存在)が大切にされ、お互いがそれぞれの違いと存在を認めあい、‥‥‥」(下線は筆者)と述べる。「共生の文化」は、そうした「存在」にとどまらず、一人ひとりが、そしてお互いが自分のいのちを、いま、“よりよく生きる”という「実存」を含意する、と理解したい。そうした実存を否定、排除しないのが「共生の文化」である。
〇さて、本稿では、福祉教育の推進方法のひとつとされる「協同実践」(cooperation)について考える。そこで先ず、用語について述べることにする。『広辞苑』(第6版、岩波書店、2008年)をみると、「協同」とは「ともに心と力をあわせ、助けあって仕事をすること。協心」とある。類似・関連する言葉に「共同」「協働」「共働」などがある。「共同」とは「二人以上の者が力を合わせること。『協同』と同義に用いることがある。二人以上の者が同一の資格でかかわること」、「協働」とは「協力して働くこと」、さらに「共働」については「相互作用に同じ」とし、「相互作用」とは「互いに働きかけること。二個または二個以上の事物・現象が相互に作用しあって原因となり結果となること。交互作用」と説明されている。いずれにしろ、協同は、2人以上の者が心をあわせ、助け合いながらことを行う場合に用いられる言葉であるといえよう。
〇ここで、「協働」という言葉について付言しておくことにする。「協働」は、アメリカのインディアナ大学の政治学者であるヴィンセント・オストロム(Vincent Ostrom)が1977年に刊行した著作―Comparing Urban Service Delivery Systems(『都市サービスの配達システムの比較』)のなかで、「地域住民と自治体職員とが共同して自治体政府の役割を果たすこと」を意味する言葉としてcoproduction(co「共に」、production「つくる」)という造語を用いたことを起源とする、といわれている。日本で最初にcoproduction理論が紹介されたのは、1985〈昭和60〉年12月の荒木昭次郎の論文(「公的サービスの協同生産理論モデル―その実際的適用への批判的分析と評価―」『季刊行政管理研究』第32号、行政管理研究センター、1985年、30~41ページ)においてである、といわれる。荒木は、そのなかで、「公と私のパートナーシップ」に関して「市民と市職員との協働的活動」という言葉を使っている。次いで、荒木は、1990〈平成2〉年10月、『参加と協働―新しい市民=行政関係の創造―』(ぎょうせい)を出版し、コプロダクション理論について論述する。
〇「協働」に関する英語は、こんにち、coproduction とは違った cooperation や
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collaboration、あるいは partnership などといった言葉が用いられている。その訳語としてあてられる日本語もまちまちである。また、行政と市民の連携・「協働」が叫ばれるなかで、「行政活動を市民が補完・代替する」こと、「市民活動を行政が補完・代替する」ことが問われている。とともに、一面では「協働」という名のもとで行政の「下請け化」が進行しているともいわれる。留意しておきたい点である。
〇ところで、福祉教育に関して「協同実践」という言葉・概念を最初に使ったのは原田正樹である。原田は、最近の論稿で、協同実践について次のように解説している。「福祉教育に関する一連の実践を担当者個人が担うのではなく、プロセスそのものを、複数の人間が互いにかかわり合いながら進めていくという実践方法である。(中略)さまざまな立場のメンバーがかかわりながら実践をつくり上げていくのである。実は、この異なったスタッフ同士で企画をすることから、すでにスタッフ間の『学び』が始まる。この学び合いを大切にしながら進められるプログラムでは、参加者相互の学びが大切にされる。この双方向的な『学び合う関係性』を大切にした実践の方法が『協同実践』の特徴である」(岩間伸之・原田正樹『地域福祉援助をつかむ』有斐閣、2012年、199~200ページ)。
〇要するに、福祉教育でいう協同実践とは、複数の人間(住民、市民)が地域の社会福祉問題について共有化・共通認識し、それぞれの立場の違いを大切にしながら、問題解決に向けての、双方向的な「学び合う関係性」「学びの関係づくり」(原田)を大切にした実践方法である、と理解できよう。しかし、協同実践の構造や性質をはじめ協同実践が生みだす効果やそれを成功させるための方法や条件などについては、これまで必ずしも理論的かつ具体的に言及・議論されてきたとはいえない。協同実践の方法やその研究をめぐっては、たとえば次のような疑問や課題が残る。
(1)協同実践の展開によってグループのメンバー間により親密な人間関係が形成され、 より高いレベルの積極的・主体的な活動が新たに生みだされたことをもって協同実践に特有の効果とみなすのか。
(2)協同実践ではグループの大きさやメンバーの多様性はどの程度が効果的なのか。
(3)協同実践の効果は一時的なグループにおいては現れにくいであろうが、効果を生むためのグループの継続性や凝集性についてはどう考えるか。
(4)協同実践にはさまざまな協同のレベル(同調、協調など)が存在するであろうが、それぞれのレベルに対応した相互活動はどうあるべきか。
(5)協同実践では個々のメンバーが強い主体性をもつことを認めないのか。あるいはどの範囲や程度までメンバー個々人の主体的活動を認めるのか。
(6)協同実践の展開過程におけるメンバー間の相互作用のダイナ ミックスについてどう考えるか。
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(7)協同実践において生起するであろう離合集散についてどう考え、対応するか。
(8)協同実践に必要な専門的技能(対人技能、集団技能など)とは何か。メンバーはその技能をどのように習得するか。
(9)協同実践には複数の人間がかかわり、またそれゆえに意見の調整などに多くの時間と労力を要する傾向にあることを考えると、必ずしも単独実践に比べて協同実践が効果的な実践方法であるとはいいきれない。問題の種類や内容によっては単独実践の方が効果的な場合もある。この点についてはどう考えるか。
(10)協同実践であっても、実践そのものは基本的には一人ひとりの人間のなかで営まれる。そこから、協同実践のあり方について検討する際には、一人ひとりの実践(個別性)といろいろな人たちとの実践(協同性、共同性)、そしていろいろな内容や方法の実践(多様性)という視点が必要かつ重要となる。実践の協同(共同)性を強調するあまり、その個別性とそれに基づく多様性を軽視することがあってはならない。この点についてはどう考えるか。
〇周知のように、教育界では、ノーマライゼーション理念の浸透を背景に、インクルーシブ教育の推進やそのためのシステムの構築の必要性が指摘され、「協同学習」という教授法・指導方法の理論や技法についての研究が重視されている。たとえば、アメリカでは19世紀から協同学習の活用が図られているが、日本では、2004〈平成16〉年5月に「日本協同教育学会」が設立され、「互恵的な信頼関係を基盤とした協同に基づく教育・学習環境の創造・実践・普及を通し、民主社会の健全な発展に寄与する」ための実践・研究が行われている。
〇協同実践に類似・関連する用語・概念である協同学習について、以下に2つの言説の一部を紹介する。ひとつは、デイヴィッド・W・ジョンソン(D.W.Johnson)、ロジャー・T・ジョンソン(R.T.Johnson)、イデッス・ジョンソン・ホルベック(E.J.Holubec)の言説である。D・W・ジョンソンらによると、「協同学習とは、スモール・グループを活用した教育方法であり、そこでは生徒たちは一緒に取り組むことによって自分の学習と互いの学習を最大に高めようとする」ものである。「協同学習の場面では、生徒たちの目標達成のしかたは相互協力関係になっている。すなわち、生徒たちはグループの他の生徒も一緒に目標を達成した時だけ、自分たちの目標に到達できたと考えるようになっている」。「競争学習と個別学習は、それらが適切なものである限りは協同学習を補完してくれる」のであり、「3つの学習事態のうち協同学習がもっとも重要である」(D・W・ジョンソンほか、杉江修治ほか訳『学習の輪―アメリカの協同学習入門―』二瓶社、1998年、18~20ページ)。
〇そして、D・W・ジョンソンらは、「協同学習」と「旧来のグループ学習」のそれぞれがもつグループの特徴の違いを次のようにまとめている。協同学習グループは、①相互協力関係がある、②個人の責任がある、③メンバーは異質で編成、④リ
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ーダーシップの分担をする、⑤相互信頼関係あり、⑥課題と人間関係が強調される、⑦社会的技能が直接教えられる、⑧教師はグループを観察、調整する、⑨グループ改善手続きがとられる。旧来の学習グループは、①協力関係なし、②個人の責任なし、③メンバーは等質で編成、④リーダーは指名された一人だけ、⑤自己に対する信頼のみ、⑥課題のみ強調される、⑦社会的技能は軽く扱うか無視する、⑧教師はグループを無視する、⑨グループ改善手続きはない(32ページ)。すなわちこれである。
〇いまひとつは、関田一彦・安永悟の言説である。関田らは、「協同学習とは協力して学び合うことで、学ぶ内容の理解・習得を目指すと共に、協同の意義に気づき、協同の技能を磨き、協同の価値を学ぶ(内化する)ことが意図される教育活動」である、とする。そして、次の条件を満たす(または、満たそうと意図される)グループ学習を共同学習と定義したいとして、4項目(条件)を指摘する(関田一彦・安永悟「協同学習の定義と関連用語の整理」『協同と教育』第1号、日本協同教育学会、2005年、13~14ページ)。
(1)互恵的相互依存関係の成立
クラスやグループで学習に取り組む際、その構成員すべての成長(新たな知識の獲得や技能の伸長など)が目標とされ、その目標達成には構成員すべての相互協力が不可欠なことが了解されている。
(2)二重の個人責任の明確化
学習者個人の学習目標のみならず、グループ全体の学習目標を達成するために必要な条件(各自が負うべき責任)をすべての構成員が承知し、その取り組みの検証が可能になっている。
(3)促進的相互交流の保障と顕在化
学習目標を達成するために構成員相互の協力(役割分担や助け合い、学習資源や情報の共有、共感や受容など情緒的支援)が奨励され、実際に協力が行われている。
(4)「協同」の体験的理解の促進
協同の価値・効用の理解・内化を促進する教師からの意図的な働きかけがある。たとえば、グループ活動の終わりに、生徒たちにグループで取り組むメリットを確認させるような振り返りの機会を与えるのである。
〇ところで、筆者はこれまで、原田がいう「協同実践」に替えて、「共働活動」(coaction)という用語を使ってきた。そして、それは、グループのメンバーによって共有化された目標のもとで、各メンバーが主体的・自律的に参加して行う協同(共同)活動を意味する。その本質は、メンバー間の対等で平等な人間関係と、一体的・組織的かつ柔軟な活動を展開するための相互依存・補完・協力の相互作用にある。要するに、共働活動とは、多様な個人や集団が共生関係を形成し、多面的な
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相互作用によって社会的統合や融合を達成していく過程で展開される協同(共同)活動をいう、と述べてきた。しかし、この説述は必ずしも、説得的で、明確であるとはいえない。前述の「協同実践」に関する疑問や課題、D・W・ジョンソンや関田一彦らの言説などについて考察するなかで、共働活動の内容や特質について検討することが求められる。それは、市民福祉教育の理論と実践の展開と発展・深化を促すことになろう。
〇誤解を恐れずにあえて言えば、「共働」は、平面上に2つの円を描いた場合、「2点で交わる」2つの円の重なった部分を指すのではない。「外部にある」2つの円の両方に重なる、新たな(3つ目の)円を描き、そこで営まれる相互支援・相互補完・相互実現のための活動が「共働」である。別言すれば、それぞれの土俵(2つの円)に軸足をおきながらも、新たな土俵(3つ目の土俵)を造り、その同じ土俵に上がって両者ががっぷりと組み合い、相撲をとる。そんなイメージであろうか。
補遺
「ふつうに・くらす・しあわせ」について、清水将一の次の説述を紹介しておくことにする(清水将一『ボランティアと福祉教育研究』風詠社、2021年6月、118~122ページ)。
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22/「共感」とは心に人を住まわせること
―金森俊朗を読む―
〇金森俊朗(かなもり・としろう)が2020年3月に亡くなった(享年73)。金森は、1969年3月に金沢大学教育学部卒業後、石川県内の小学校(小松市立小学校1校、金沢市立小学校7校)で38年間教鞭をとった。1990年前後から本格的に、「いのちの授業」(「性の授業」「デス・エデュケーション」等)に取り組んだ。それは、教育界のみならず医療や福祉の世界でも全国的に注目を集めるようになる。
〇金沢市立南小立野(みなみこだつの)小学校4年1組の「金森学級」(35人、10歳の子どもたち)が、2002年4月から1年間、NHKテレビの長期取材を受けた。それが翌2003年5月、「NHKスペシャル・こども輝けいのち 第3集・涙と笑いのハッピークラス~4年1組 命の授業~」というタイトルで放映された。それは、多くの人々の感動を呼び、国際的にも高く評価された。
〇筆者の手もとに、金森の「いのちの授業」(教育実践とその思想)に関する本が8点ある。以下がそれである。
(1)NHK「子ども」プロジェクト『NHKスペシャル こども 輝けいのち/4年1組 命の授業―金森学級の35人―』日本放送出版協会、2003年9月(以下[1])
NHK「子ども」プロジェクトの取材記録である。そのときのディレクターは言う。「放送後、5年生になったみんなと会う機会があった。番組を見たみんなの気持ちは、たぶん陽くんの言葉が一番うまくまとめている。『おもしろかった。たしかにおもしろかったけどな、オレらの1年間はもっと重たいもんやで』。ぐうの音も出なかった」(156ページ)。続けてディレクターは、「学校が持つ可能性、そして子どもたちが本来持っている力は、まだまだ捨てたものではないはずなのだ。実は私は、(全国の学校に)そのことを伝えたかった」のである、と言う(157ページ)。
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(2)金森俊朗『いのちの教科書―学校と家庭で育てたい生きる基礎力―』角川書店、2003年10月(以下[2])
金森学級では、①給食の一限目、食材の一つひとつと丁寧に向かい合う。②“包”むという漢字から、母親の心を学ぶ。③友だちの家族が亡くなったら、共に死を考える。④父母、祖父母に話を聞いて、自分史を人体図にまとめる。⑤末期ガンの患者や障がい者と、じかに語り合う。⑥どろんこサッカーや川への飛び込み、自然のなかで激しい遊びをする。⑦日々の気持ちは仲間に宛てて、「手紙ノート」に書く。これらによる「いのちの学び」は、学校と家庭で育てたい「生きるための基礎力」である、と金森は言う(カバー「そで」)。
(3)NHK「子ども」プロジェクト編『NHKスペシャル こども・輝けいのち:ジュニア版2 涙と笑いのハッピークラス』汐文社、2004年6月(以下[3])
[1]のジュニア版である。金森学級の朝は、「手紙ノート」から始まる。毎日3人ずつ交代で、クラスメイトに宛ててノートに手紙を書く。家で書いてきたその手紙を、みんなの前で読んで聞かせる。テーマは「なんでもいい」。金森は言う。「みんながやったのは、自分をわかってもらって、そして友だちをわかろうという、そういうわかり合う努力でした」(99ページ)。金森授業の核心のひとつは「つながり合う」である。
(4)金森俊朗『希望の教室―金森学級からのメッセージ―』角川書店、2005年4月(以下[4])
本書では、どこの地でも、誰でも実践しうる基本的な日常の学びが提示される。金森は言う。「私はあえて『ガキはガキらしくせい』と繰り返し言い続けた。この場合の『ガキ』とは、もっと自分にこだわり、わがままを通そうとして激しくぶつかってもいい、一見『馬鹿げたフェスティバル文化』(ボディー・コミュニケーションの遊びや活動)をいつでもどこでも展開していいよ、との意味を込めて使ったことばである」(249ページ)。
(5)金森俊朗『子どもの力は学び合ってこそ育つ―金森学級38年の教え―』(角川oneテーマ21)角川書店、2007年10月(以下[5])
「子どもたちもいっぱい悩みを抱えている」。「どのような親・教師・学校が子どもの生きる力を育てるのか」。その問いに対して金森は、「これからは、危険や災害を見通し、備える力・いざというとき瞬時に判断する力・人と人とをつないで協力する力・困難の中でなけなしの条件を引き出す力が必須である」。それらの力=真の学力は、学び合ってこそ育つ。本書では、その力を習得、発揮するための具体的なプロセスを開示する(「帯」)。
(6)金森俊朗『金森俊朗の子ども・授業・教師・教育論』子どもの未来社、2009年1月(以下[6])
金森にあっては、「子どものリアリティから学び、人間を深く捉える」。「子どものなかに社会や時代を読む」ことが、教師としての最低要件である。「子どもの内面世界を無視した外からの『モラル』『規範意識』の徹底に、子どもたちはストレスや悲しみを自他いずれかに向かって爆発させる。社会と時代の痛みを共に背負う
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深い人間的な共感があってこそ、働きかけの厳しさは子どもに受容され、力につながる」のである(294、295ページ)本書では、金森授業の教育観と哲学、実践の神髄が語られる(「帯」)。
(7)金森俊朗『「子どものために」は正しいのか』(学研新書)、学研教育出版、2010年10月(以下[7])
「子どものために」という親心が子どもを追い詰めている? 子どもの個性は、「できること」にしか認められず、「できたか、できなかったか」の成果主義評価の下で悩む現代の子どもたち。厳しい現実を生き抜くために、今本当に必要な力とは?(カバー「そで」)。この問いに対して、「金森学級には理想の子どもたちがいる」と言う。①年間数千ページの本を読む。②外で友たぢと豊かに関わり遊ぶ。③家族と自分、仲間を大切にする。④高度な言語力と思考力れをもつ、がそれである(「帯」)。
(8)金森俊朗・辻直人『学び合う教室―金森学級と日本の世界教育遺産―』(角川新書)、KADOKAWA、2017年4月(以下[8])
金森にあっては、子どもは「自ら学び、友と学び合う」ことこそが「生きる力」であると分かっている。金森学級では、子どもたちが「学ぶ力」だけでなく、仲間と学び合う、競争社会を超える「生きる力」を身につける。その金森実践の根底・源泉には、日本の教育史上で“非主流”とされてきた生活綴方教育・生活教育がある(カバー「そで」)。共著者である辻は、その歴史や理念について説述し、それに基づく金森実践の本質に迫る。生活綴方教育・生活教育は「世界教育遺産」として誇られるものであり、今日の教育状況のなかでこそ、その教育が大きな意味をもっている、と辻は言う。
〇本稿では、以上から、筆者が注目したい金森の子ども観や教育観、教育実践とその思想などをめぐって、視点・視座や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。
「つながり合う」と「生きる希望」
生きるということは、仲間と「つながり合う」ことである。([2]12ページ)/子どもたちが何よりも求めているのは、学ぶことの喜び、友と学び合う楽しさ、学ぶことの意義を実感することである。/それをひと言で、「生きる希望」と呼ぶ。学校は、生きる希望や夢を学ぶことによって、横並びの関係性([8]116ページ)のなかで学び合うことによって、子どもを育む場である。/この「仲間と共に希望を育む学び」に力を入れることは、決して「学力」に重さを置く教育と対立するものではない。それを内に含みつつ、はるかに超えて、生きる力に直結した言語能力や思考能力を育てていく。それが、確かな学力ともなる。/今の教育改革は、子どもを集団からばらばらにして、競争させ、自己肯定感を奪い、一緒に生きよう! という「共同の思想」をつぶすものである。([2]16ページ)
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「学び合う」と「いのち輝く」
学力とは、自分と自分を取り巻く世界を読み解き、それを自分のことばで表現し、他者に伝え、交流し合う力である。その学力は、自分の存在やこれから生きる社会や自然にどのような希望があるかを見出す力として発揮されなければならない。([4]166ページ)/(すなわち)自分の真実を知り、感動した心を自分のことばで表現し、他者に伝え、伝えたことによって、返ってきた他者の考えに耳をすませ、さらに確かなものにする。つまり、交流し合う力があって初めて学びが得られるのであり、その交流し合う力まで含めて「学力」と呼ぶ。/(そこから)教育とは、自分が深くわかる、つまり人間を理解するということが、その目的であると言ってよい。それは、「いのち(が)輝く」ことであり、そのために一番大事なことは、本物の生きざまに触れ、生の大切さを学び([2]23ページ)、人間の存在の尊厳を学ぶという視点を持つことである。([5]139ページ)
「子どもの生命力」と「生活教育」
教育とは、子ども(人間)が内に持っている成長・発達の可能性を引き出し、大きく育む営みである。([8]20ページ)/現代の子どもも、動物・哺乳動物としての原始性・野性・動物性を心身の奥に秘めている。([8]26ページ)/それは、過酷な条件のなかでも生き抜くことができる逞(たくま)しい心身の力であり、生活意欲や、命の危険を察知・予知し危険を乗りこえたり、避けたりする力である。五感を中心とする鋭い感覚や感性などを意味する。([8]30ページ)/それらが全面的に発揮される時と場所を保障すれば、子どもはまちがいなく、全身、全運動・感覚器官から喜びを放射し、友とつながり、生活意欲を高める。それは、学習意欲、表現意欲・表現力、好奇心、集中力,切り替える力などを高める。([8]37ページ)/その可能性を大きくきり拓(ひら)く教育の中心柱は、生活綴方教育であり、その土台をなす生活教育である。([8]44ページ)/生活綴方教育とは、生活のありのままの様子や日頃の思いを素直に記録することを追求した作文教育である。([8]171ページ)/生活教育とは、子どもの生活実感や経験、日常生活における場面を大事にして行われる教育実践である。([8]185ページ)
「キャッチャー」と「ピッチャー」
教育実践はもちろん、子どもに関わる仕事をしている人たちは、「キャッチャー」である。子どもは「ピッチャー」で、さまざまな球を投げてくる。([4]7~8ページ)/人間が生まれて生きるのは、それぞれが幸せになるためである。そのために学校があり、人間は学び合っている。/「仲間と一緒にハッピーに生きようぜ!」。([5]173ページ)/その思いを実現するために、大人はキャッチャーになって、子どもがピッチャーとして投げる好奇心、日々の生活からの学び、内面の喜怒哀楽を全人格と全人生をかけて受け止め、豊かに返球する。すなわち、子どもに根ざした意味ある学びと生活を創造することが大切である。/「豊かな返球」の
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なかでも、特に大切にしていて特徴的なのは、フェスティバル文化論である。学習や行事は、人と人とをつなげ、フェスティバルのように楽しく感動的でなければならない。([5]173~174ページ)
「ボディー・コミュニケーション」と「馬鹿げたフェスティバル文化」
「(土砂降りの雨が降った日、泥水のなかに飛び込む)どしゃぶりどろんこ」「(運動場に書いたS字の陣地を、片足跳びなどで移動しながら取り合う)エスケン」「(厳冬期のプールでの)イカダ乗り」「(田んぼでの)米作りや農園作り」「障がい者や妊婦・末期がん患者らとの交流体験」など、「もの・こと・人・自然とのボディー・コミュニケーション(体感・体験)」の活動([8]32ページ)は、一年間で多彩に展開する。/「どしゃぶりどろんこ」や「エスケン」「イカダ乗り」を典型とする活動をあえて、「馬鹿げたフェスティバル文化」と呼ぶ。([4])245ページ)/一見「馬鹿げた」文化は人間が持つ攻撃性を発散させたり、豊かに育むために必要なものである。とりわけ子どもにとって、その文化は、人間が本性として持つ攻撃性を、積極性や挑戦心や人や自然と交わる力に転化し、育む大きな役割を持っている。([4]247ページ)/一見「馬鹿げた」文化は、本来子どもたちに、子どもであるがゆえに無条件に保障されるべきものである。([4]248ページ)
「共感」と「共育・響育・協育」
心拓(ひら)いてわかってもらえる努力をし、それを聞いた側がキャッチする。その時に、それを批評しない、分析しない。自分のなかにある同じ悲しみ、痛み、悩みを語る。それによって一緒に担って一緒に歩いていこう、友だちのなかに自分を、他者のなかに自分を、自分のなかに他者を発見し合って生きる。それが「共感」である。いま、その関係性を築くことが求められている。(「6」60ページ)/そこから、教育は「共育」「響育」「協育」と言い換えてもよい。([8]252ページ)/「全人格と全人生(を)かけて聞かなきゃ言ってくれない」「聞いてくれる人、聞いてくれる仲間がいれば言う」。/心の世界、「聞いてくれる人」、授業でも同じである。心の世界になるともっと、とことん聞いてくれる人にしかしゃべらない。心の扉は外側から引っ張っても、開けようとしても開かない。本人が内側から開けてくれないと。心の扉は内側にしか取っ手がないのである。(「6」100ページ)/その点でまた、教育は、子どもを通して浮き彫りになる保護者の実像に、深く共感する営みである。保護者や地域の積極的な応援・協力を必要とする。そこから、子どもと保護者、そして地域が協働して「学び」を創るために、教師の人間性や専門性、市民性や社会性が問われることになる。(「6」286、287~288ページ)
〇金森の「いのちの授業」はシンブルであり、根源的である。約言すれば、「いのち」には何の約束も保証もない。しかも、一回限りである。子どもたちは、さまざ
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まな「生」や本物の「生きざま」に直に触れ、自ら学び、多くの友だちや大人との「つながり」のなかで学び合う。それによって、「生きている自分」と「生かされている自分」に出会い、人間の多様な存在と個人の尊厳について理解する。そして、自分らしく、またみんなが輝いて生きる喜びを実感する。「金森実践」は、こうしたことを子どもの心に「原風景」として刻み、「生きる希望、源泉」([7]204ページ)を育むのである。そこに見出すキーワードは、「いのちと生活」「表現と共感」「学び合いと感動」であり、それらに通底するのは「つながり合う」である。
〇本稿の冒頭に記したNHKの番組では、奥深い、感動的な学びの場面が多い。2003年2月、金森学級では、「いのちの授業」が続いていた。そんなある日、翼(つばさ)くんの父親が突然に亡くなった。光芙由(みふゆ)さんは、3歳の時に父親を奪われた。3月20日、金森学級の「しめくくりの会」(「お別れ会」)の日の様子である([1]152~153ページ、[3]96~98ページ)。金森実践の真骨頂を見る。
クラスのみんなは一人ひとりが板きれを持って運動場に集合した。光芙由と翼のお父さんに手紙を書くためだ。2メートル四方の大きな文字を運動場に刻む。
どのように手紙を出すかについて、はじめは気球に乗せて空に飛ばすという案も出されたが、時間的に間に合わないということもあり、「天国からでも見えるような」大きな手紙ノートを書くことになったのだ。
運動場の土は、思ったより硬くなかなか掘れない。「と」や「ち」など画数が少ない文字を掘り終えた子は、漢字に苦戦している仲間の応援に加わった。
手紙ノートの文章は、健太(けんた)が中心となって考えた。
光芙由のお父さんも翼のお父さんも若くして亡くなった。光芙由や翼をどんなに心配していることだろう。考えに考え抜いた言葉は、結果として、金森学級みんなの誓いの手紙となった。
光芙由と翼のお父さんへ
二人はいつも元気だ
私たちがそばに
いるから安心してね
書き終わった後、みんなでいっしょに、この手紙ノートを読みあげた。祐人(ゆうと)がぽつりとつぶやいた。
「死んでしまったら普通の手紙は届かないけど、心の手紙はきっと届くと思う」
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23/「無縁社会」×「統制社会」
―奥田知志を読む―
「“助けて”と言えない無縁社会」×「“違った意見”が言えない統制社会」。気がつけば民主主義が民主的な手続きによって内側から壊れている。
〇2018年11月24日~25日、日本福祉教育・ボランティア学習学会の第24回大会(「あいち・なごや大会」)が日本福祉大学(愛知県東海市)で開催された。
〇奥田知志(おくだ・ともし、牧師、NPO法人抱樸理事長)の記念講演―「共に生きる意味」と、それを受けて行われた大橋謙策(おおはし・けんさく、北福祉大学大学院教授、元日本社会事業大学学長)との対談―「共生文化の創造にむけた学び」は圧巻であった。宗教や実践・研究の体系を持つヒトは強くて深い。聞き手は感銘を受け、心が揺さぶられる。
〇周知のように、奥田は、生活困窮者(ホームレス等)に対して、信仰(神学)に支えられた深い洞察とそれに基づく個別的で包括的かつ持続的な「人生支援」を行っている。奥田はいう。「自己責任論の社会が私たちから奪ったものがある。それは『助けて』という一言である」(奥田知志『「助けて」と言おう―3・11後を生きる―』日本キリスト教団出版局、2012年8月、37ページ)。大橋は、地域福祉の理論と思想、方法(コミュニティソーシャルワーク)、そして福祉教育について実践的研究を進めている。大橋はいう。「新たな社会システムに必要な価値、意識として“博愛”の精神の涵養とそれを推進する福祉教育が求められる」(大橋謙策『新訂 社会福祉入門』放送大学教育振興会、2008年3月、227ページ)。
〇筆者が奥田を知ったのは、NHKクローズアップ現代取材班編著『助けてと言えない―いま30代に何が―』(文藝春秋、2010年10月)である。その本の「帯」の一文、「言えない/孤独死した39歳の男性が便箋に残した最後の言葉は『たすけて』だった」に衝撃を受けたことを覚えている。いま筆者の手もとに、奥田が執筆した本(単著、共著、分担執筆)が6点ある。
(1)奥田知志『もう、ひとりにさせない―わが父の家にはすみか多し―』いのちのことば社、2011年6月(以下[1])
本書の内容をあえて言えば、「絆の神学」とも言うべきであろうか。しかし、それは空論ではなく、具体的な「ホームレス」との出会いの中から紡(つむ)ぎだされた「絆の物語の神学」である。この時代に「だれ」と、どのような「絆」を結んで生きるのかと、この本は問いかけている。(関田寛雄「推薦の言葉」6ページ)
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(2)奥田知志『「助けて」と言おう―3・11後を生きる―』日本キリスト教団出版局、2012年8月(以下[2])
震災以来声高に叫ばれ続ける「絆」という言葉。しかし多くの場合、そこで意味しているのは自分に都合のよい絆のこと。ホームレス支援の現場と震災支援の中で見えてきた、傷つくことを恐れて自己責任論の中に逃げ込む現代人の心のあり方を問う。(「帯」より)
(3)奥田知志・茂木健一郎『「助けて」と言える国へ―人と社会をつなぐ―』(集英社新書)集英社、2013年8月(以下[3])
ホームレスが路上死し、老人が孤独死し、若者がブラック企業で働かされる日本社会。人々のつながりが失われて無縁社会が広がり、格差が拡大し、非正規雇用が常態化しようとする中で、私たちはどう生きればよいのか? 本当の“絆”とは何か? いま最も必要とされている人々の連帯とその倫理について、社会的に発信を続ける茂木健一郎と、長きにわたり困窮者支援を実践している奥田知志が論じる。対談本。(カバー「そで」より)
(4)佐藤彰・奥田知志・宋富子/明治学院150周年委員会編『灯を輝かし、闇を照らす―21世紀を生きる若い人たちへのメッセージ―』いのちのことば社、2014年3月(以下[4])
本書は、明治学院150周年記念連続講演会(2013年11月、明治学院高校主催)を再録したものである。奥田の講演「その日、あなたはどこに帰るか?―誇り高き大人になるために」が収録されている。メッセージは、「誇り高い人類として生きたいのならば、『助けて!』と言ってください。『助けて!』は、新しい社会を創造するために欠かせない言葉です」。(77ページ)
(5)奥田知志・稲月正・垣田裕介・堤圭史郎『生活困窮者への伴走型支援―経済的困窮と社会的孤立に対応するトータルサポート―』明石書店、2014年3月(以下[5])
奥田知志によって名づけられた「伴走型支援」の思想・理念・仕組みを確認するとともに、その成果と課題を実証的に明らかにしたうえで、これからの生活困窮者支援の方向性を示す必要があると考えた。それが本書である。(稲月正「はじめに」4ページ)
(6)埋橋孝文/同志社大学社会福祉教育・研究支援センター編『貧困と生活困窮者支援―ソーシャルワークの新展開―』法律文化社、2018年9月(以下[6])
本書は、①「伴走型支援」の内容、②家計相談支援の意味と方法、③学校ソーシャルワークの背景と機能、④保育ソーシャルワークの今後の方向性など、生活困窮者および(子どもの)貧困に関するホットイシューズを取り上げている。講演記録集。(埋橋孝文「序」3ページ)
〇本稿では、以上のうちから、[1]の論考について筆者が留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
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「一人称」で語られる「安心・安全」は人を無縁へと押しやる
「安全、安心の街づくり」とは、いったい何であったのか。そもそもホームレス状態の人々を「タイプの違う人」と呼び、「治安や秩序が乱れる」と決めつけているのは差別である。「安全、安心の街づくり」が人を排除し、その人たちを死へと向かわせている。「安心・安全」が、人を無縁へと押しやっているのである。
あえて問いたい。「安心・安全はそんなに大事か」と。自分たちの「安心・安全」を追求する地域社会が、「自分の安心・安全」を守るために他者との出会いのチャンスを自ら閉ざし、敵対心を燃やす。あるいは、それを理由に無関係を装う。(92ページ)
実際の「安心・安全」は、常に「一人称」で語られる。私の安心・安全、我が町の安心・安全、我が国の安心・安全、我が家の‥‥‥。そこには、あなたの安心・安全や彼らの安心・安全は存在しない。全部が「我がこと(一人称)」なのだ。
そもそも人が出会い、共に生きようとする時、人は多少なりとも自分のスタイルやあり様を変えざるを得なくなる。すなわち、自らの都合を一部断念せざるを得なくなる。出会いというものは、その意味で自分の「安心・安全」のみを願う私たちにとって、「危険」だと言わざるを得ない。出会いによって人は学ぶ。そして学ぶと、人は変えられ、新たにされる。(93ページ)
「自己責任論」は社会の無責任を肯定し人を分断・排除する
自己責任論社会とは、困窮状態に陥ったその原因も、またそこから脱することも、すべては本人次第、本人の責任であるという考え方である。現在の社会は、この自己責任論に席巻された感がある。(162~163ページ)
自己責任論の構造は、ある人に関する責任を、ある一定の範囲に押しとどめて理解するというものである。自己責任、あるいは身内の責任は、自分自身、あるいは家族という一定の範囲に責任を押しとどめた。その結果、周囲は無責任を装えたのだ。「自己責任論」は、社会の無責任を肯定するための理屈だった。
自己責任論的な構造は、日本社会においては以前からあったと思う。しかし、当時成長を続ける社会というものが前提として存在していたゆえに、がんばればチャンスを手に入れられるという時代でもあった。すなわち、個人のがんばりが効く時代であった。自己責任という言葉は、教育的な面も含め、ある程度の意味があったのだ。
しかし、現在のような低成長期において、企業社会や家族的経営と呼ばれたものは崩壊し、終身雇用制は原則ではなくなった(賃金労働者の4割が非正規雇用である:阪野)。公の行う社会保障も先細るなかで、自己責任は「励まし」ではなく、人を分断、排除するための用語となった。(168ページ)
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「孤族」の時代は「何が必要か」とともに「だれが必要か」を問う
ホームレス支援において重要なのは、「ハウスレス」と「ホームレス」という、2つの困窮という視点である。ハウスレスは家に象徴される、食糧、衣料、医療、職などあらゆる物理的(・経済的:阪野)困窮を示す。もうひとつは、ホームレス。それは、家族に象徴されてきた関係を失っている、すなわち関係的困窮(無縁:阪野)を言う。税制と社会保障の一体的改革は、ハウスレス問題にとって重要な課題である。経済の動向がこの先どのようになるのか。労働者の権利がどのように守るのかなど、課題は山積である。しかし一方で、たとえ食べられるようになったとしても、だれと食べるのかという問題は、さらに重要な事柄なのだ。
この視点に立ち、野宿者支援をしてきた私たちが考え続けたことは、この人には今何が必要か、ということとともに、この人に今だれが必要か、ということであった。そして今日、このホームレス問題は、野宿状態という物理的困窮の有無にかかわらず、多くの人々が抱えている問題となっている。(171ページ)
「無縁社会」や「孤族」の時代は、ホームレス問題がもはや路上の問題ではないことを明示している。このホームレス化を促進したもの、その最大の要因が「自己責任論」であったと思っている。(172ページ)
「傷」つくことなしにだれかと出会い「絆」を結ぶことはできない
自己責任社会は、自分たちの「安心・安全」を最優先することで、リスクを回避した。そのために「自己責任」という言葉を巧妙に用い、他者との関わりを回避し続けた。そして、私たちは安全になったが、だれかのために傷つくことをしなくなり、そして無縁化した。
長年支援の現場で確認し続けたことは、絆には「傷」が含まれているという事実だ。(209ページ)
傷つくことなしにだれかと出会い、絆を結ぶことはできない。出会ったら「出会った責任」が発生する。だれかが自分のために傷ついてくれる時、私たちは自分は生きていてよいのだと確認する。同様に、自分が傷つくことによってだれかがいやされるなら、自分が生きる意味を見いだせる。自己有用感(自分は人の役に立っているという意識:阪野)や自己尊重意識にとって、他者性と「きず」は欠くべからざるものなのだ。(210~211ページ)
「傷つくという恵み」――国家によって犠牲的精神が吹聴された歴史を戒(いまし)めつつ、今こそ他者を生かし、自分を生かすための傷が必要であることを確認したい。(211ページ)
〇言うまでもなく、民主主義の存立基盤は「参加」「熟議」「自治」であり、「多数決」はそのひとつの要素でしかない。民主主義イコール多数決ではない。
〇日本社会はいま、福祉や教育の世界においても、規制緩和や市民参加(「我が事・丸ごと」等)が声高に叫ばれるなかで、民主主義の崩壊が進み、国家権力によ
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る管理・統制が強化されている。「地域参加による学校づくりのすすめ」(「コミュニティ・スクール」等)や市民によるまちづくり(「地域福祉計画」等)の「主体性」や「自律性」も所詮は、規制緩和と同時並行的に管理・統制の変更や強化が図られるなかでのものに過ぎないのか。こうした社会認識のもとで改めて[1]を読むと、奥田らの地べたを這いずり回り、血がにじむ取り組みにただただ頭が下がる。とともに、日本社会の危うさを痛感する。
〇福祉教育についての議論は、「学会」の界隈だけにあるのではない。個別具体的な実践や研究が展開されている福祉教育現場こそが重視されなければならない。「学会」は、最新の福祉教育実践や研究の成果を持ち寄り、多面的・多角的な視点から議論し、実践・研究の深化や発展を図る“現場”である。その“現場”ではいまだに、(岡村重夫や大橋謙策らの)権威ある学説を無条件に受け入れたり、眼前の地域・社会や新たな社会福祉問題に向き合おうとしない「報告」が散見される。高齢者や障がい者、生活困窮者、外国籍住民などを福祉教育実践や研究の「共働者」ではなく、言い古された「当事者」として位置づけるモノも多い。また、気鋭の実践家や研究者による実践・研究の学際的・総合的視点からの掘り起こしやブラッシュアップ(磨き上げること)も、必ずしも十分であるとは言えない。「あいち・なごや大会」に参加して思ったことのひとつである。
補遺
奥田の言説のキーワード・キーコンセプトのひとつに「伴走型支援」がある。奥田によるとそれは、「1988年にホームレス支援が始まり、以来、路上での生活やその後の看取りまで続く営みのなかで生まれた支援論である。学者が豊富な知識を駆使して構築した体系ではない。日々の経験が積み重ねられ、何よりも当事者から学ぶなかで澱(おり。液体の底に沈んだカス:阪野)が沈殿していくようにできた支援論である」([6]27ページ)。奥田は、生活困窮者支援における「伴走型支援の7つの理念」について次のように整理している。([5]56~72ページ抜き書き)
(1)家族(家庭)機能をモデルとした支援
家族(家庭)が持っていたと想定される機能に、①包括的、横断的、持続的なサービス提供機能、②記憶の蓄積と記憶に基づくサポートプラン策定機能、③持続性のあるコーディネート機能、④役割の担い合いによる自己有用感提供機能、がある。伴走型支援は、これらの家族(家庭)機能をひとつのモデルとした支援である。
(2)早期的、個別的、包括的、持続的な人生支援
伴走型支援は、生活困窮者が社会的に孤立状態にあり、しかも多様で複合的な課題を抱えているとの認識に立つがゆえに、早期的、個別的、包括的、持続的な支援でなければならない。それは「自立支援」にとどまらず、「人生支援」である。
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(3)存在の支援
伴走型支援は、従来の問題解決型の「対処・処遇の支援」に加えて、「伴走そのもの」を支援とする。伴走者と当事者が、向き合うこと、関係すること自体が支援である。
(4)参加包摂型の社会を創造する支援
伴走型支援は、徹底して個人に寄り添うことから始まる。当然の帰結として、社会や地域を問うことになる。困窮者支援は、経済的困窮状態にあり、社会的に孤立した「個人の社会復帰を支援する」といわれるが、問題の本質は「そもそも復帰したい社会であるかどうか」というところにある。
(5)多様な自立概念を持つ相互的、可変的な支援
伴走型支援は、生活自立や社会参加を基軸とした社会的自立、経済的自立など多様な自立概念から構成される。伴走は、助けられたり助けたりという相互的な関係である。また、助けられた者が助ける側に変われる可変性が担保されなければならない。
(6)当事者の主体性を重視する支援
伴走型支援は、当事者が自分で自分を助ける力を得ることである。当事者は「できない人」ではなく、「自分を助けることができる人(になる)」との認識に立つ。「まず自助、次に共助、最後に公助」という順番が重視されるが、自助は、公助や共助が適正に機能している状況において成立する。
(7)日常を支える支援
伴走型支援は、人生支援である。そして人生の大半は、なにげない日常である。伴走型支援は、この日常を支える支援である。伴走型支援は、「日常は問題が起こる場所である」という認識に立ち、日常を支える参加包摂型社会の構築をめざす。
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24/「定常型社会」と地域コミュニティ
―広井良典の「定常型社会論」について―
〇地方で暮らす筆者にとって、年度替わりが近づくと、心臓が規則正しく鼓動し肺でゆっくりと呼吸をする「静かな時間」が、多少とも揺らぐ。過日、地区の高齢者の寄り合いに参加した際、求めに応じて自分の意見を開陳することになった。話の途中で、寄り合った人たちの心模様が頭をよぎった。「空気」が支配する地域コミュニティのなかで、①歴史や文化の継承・発展や経済や生活の拡大・成長に貢献してきたという思いから、昔ながらの「つながり」(関係性)にこだわり、その制度やシステムを守ろうとする人がいる。②なるようにしかならないという思いから、ひとまず様子見して大勢に従い、いまの「つながり」をやむなしとして、それらしく振舞う人がいる。③精神的な豊かさや生活の質的充実を志向・実現したいという思いから、その時の流れやその場の力関係に異を唱え、新しく「つながり」を組み換えようとする人がいる。
〇今回の寄り合いも、何代にもわたって住み続けている①の圧勝、外部から移住してきた移住一代の③の惨敗で終わった。旧住民であれ新住民であれ、自らを「一般住民」や社会的地位(階層)の中位層に位置づけている②はいつも、賢い処世術で利口に日和る(ひよる)。これが、筆者が暮らす地方都市(人口約8万8,000人、過疎区域含む)の中心市街地の周辺地域(地区)の現実である。
〇蛇足ながら筆者は、「梯子(はしご)を外される」(梯子はかかっていなかった)、「出る杭(くい)は打たれる」(出る杭は抜かれる)ことを二度三度、経験した。。さすがに「あほらしくってやってらんねーよ」。いまだに「世間」の「空気」が読めない自分がいる。そうであっても、「我がまち・我がこと」(さすがに「丸ごと」とはいかないが)である移住一代(筆者)が住むこの地域・社会は、持続可能か?
〇いま、ここで、これまでの自分とこれからの自分を精一杯生きるしかない。そんなことを思いながら、「定常型社会」を提唱する広井良典(ひろい・よしのり、京都大学こころの未来研究センター)を読み返すことにした。筆者の手もとには、広井が書いた本が7冊ある。
(1)『定常型社会―新しい「豊かさ」の構想―』(岩波新書)岩波書店、2001年6月(以下[1])
経済不況に加え、将来不安から閉塞感をぬぐえない日本社会。理念と政策全般にわたる全体的構想の手掛かりは何か。進行する少子高齢化のなかで、社会保障改革はどうあるべきか。広井は本書で、資源・環境制約を見据えて、持続可能な福祉社会のあり方を論じながら、「成長」にかわる価値の追求から展望される可能性を提示する。(カバー「そで」より)
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(2)『グローバル定常型社会―地球社会の理論のために―』岩波書店、2009年1月(以下[2])
環境問題が深刻化し、またグローバル化の進展にともなって格差が拡大するなかで、地球規模での福祉社会の実現をいかにしてめざすのか。広井は本書で、有限な地球社会において持続可能な福祉社会の実現をはかるには、経済成長を絶対的な目標としない、環境・福祉・経済を統合した新たな社会モデルを構築することこそが必要であるとする。そして、「グローバル定常型社会」という新しい世界像を提示し、かつローカルなレベルからの実現の方途を示す。(カバー「そで」より)
(3)『コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来―』(ちくま新書)筑摩書房、2009年8月(以下[3])
戦後の日本社会で人々は、会社や家族という「共同体」を築き、生活の基盤としてきた。だが、そうした「関係性」のあり方を可能にした経済成長の時代が終わるとともに、個人の社会的孤立は深刻化している。「個人」がしっかりと独立しつつ、いかにして新たなコミュニティを創造するか――この問いの探究こそが、わが国の未来そして地球社会の今後を展望するうえでの中心的課題となる。広井は本書で、都市、グローバル化。社会保障、地域再生、ケア、科学、公共政策などの多様な観点から、新たな「つながり」の形を掘り下げる。(カバー「そで」より)
(4)『創造的福祉社会―「成長」後の社会構想と人間・地域・価値―』(ちくま新書)筑摩書房、2011年7月(以下[4])
「限りない経済成長」を追求する時代は終焉を迎え、人類史上三度目の「定常期」に直面している。飽和した市場経済のもとで社会は、「平等と持続可能性と効率性」の関係をいかに再定義するべきか。「拡大・成長」のベクトルにとらわれたグローバル化の果てに、都市や地域社会のありようはどう変化するのか。そして、こうした「危機の時代」に追求される新たな価値原理とは、人間と社会をめぐる根底的思想とは、いかなるものか。広井は本書で、再生の時代に実現されるべき社会像を、政策と理念とを有機的に結びつけ構想する。(カバー「そで」より)
(5)『人口減少社会という希望―コミュニティ経済の生成と地球倫理―』(朝日選書)朝日新聞出版、2013年4月(以下[5])
高度成長期の発想や価値観の枠組みの中で、あるいはその延長線上で物事を考える限り、人口減少社会は敗北あるいは”衰退”に向けた進行としか考えられない。しかし、新たな視座で状況を見るとき、それはむしろ全く逆に、日本社会が真の豊かさを実現していくことに向けての大いなる道標として立ち現れる。広井は本書で、「ポスト成長」の時代において浮上する様々な課題や方向性を、コミュニティ、ローカル化、まちづくり、都市・地域、政治、社会保障、資本主義等々といった多様な話題にそくして論じる。そして、これからの時代において問われてくる理念や価値、あるいは世界観のありようを、「地球倫理」というコンセプトを軸に展開する。(15、16ページ)
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(6)『ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来―』(岩波新書)岩波書店、2015年6月(以下[6])
冨の偏在、環境・資源の限界など、なおいっそう深刻化する課題に、「成長」は解答たりうるか。広井は本書で、近代科学とも通底する人間観・生命観にまて遡(さかのぼ)りつつ、人類史的なスケールで資本主義の歩みと現在を吟味する。そして、定常化時代に求められる新たな価値とともに、資本主義・社会主義・(人間と自然・環境との相互関係を考える)エコロジーが交差する先に現れる社会像を、鮮明に描く。(カバー「そで」より)
(7)『人口減少社会のデザイン』東洋経済新報社、2019年10月(以下[7])
現在の日本社会は「持続可能性」という点において”危機的”と言わざるをえない状況にある。①財政あるいは世代間継承性における持続可能性(「経済成長がすべての問題を解決してくれる」という思考が根強い)、②格差拡大と人口における持続可能性(若者に対する社会保障等の支援がきわめて手薄であり、若い世代の雇用や生活が不安定になっている)、③コミュニティないし「つながり」に関する持続可能性(日本は人々の社会的孤立度が高く、それが家族あるいは自分が属する集団以外の”他人”への無関心や他者との支え合いへの忌避感を生んでいる)、などがそれである。広井は本書で、これらの問題の所在と今後の方向性を大きな視野に立って、かつ分野横断的な視点からクリアにする。そして、「持続可能性」や個人の創発性に軸足を置いた社会のあり方に転換するための具体的な方策や対応、理念、時代認識について提起する。(15~21、310ページ)
〇以上のうちから本稿では、[1][3][7]の3冊の本から筆者なりに再認識しておきたい言説や論点のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。[1]は広井「定常型社会論」の原論である。[3]は新たなコミュニティの創造を問う必読書であり、[2]とセットをなしている。[7]は[1]から[6]の延長線上にある。
(1)『定常型社会』岩波書店、2001年6月([1])
定常型社会とは、「高齢化社会」と「環境親和型社会」を結びつける概念である
閉塞感が現在の日本社会をあらゆる局面において覆っている。その背景の根底には、戦後の、あるいは明治期以来の日本が一貫して追求してきた「(経済)成長」ないし「物質的な富の拡大」という目標がもはや目標として機能しなくなった今という時代において、それに代わる新たな目標やを価値を日本社会がなお見出しえないでいる、というところに閉塞感の基本的な理由があるように思われる。(ⅰページ)
「定常型社会」とは、さしあたり単純に述べるならば、「(経済)成長」ということを絶対的な目標としなくとも十分な豊かさが実現されていく社会ということであり、「ゼロ成長」社会といってもよい。(ⅰページ)
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「定常化社会」は、基本的には、経済成長の究極の源泉である需要そのものが成熟ないし飽和状態に達しつつある、ということであるが、関連する重要な要因として次の二点がある。
第一は、高齢化ないし少子化という動きと不可分のものとして、人口そのものが2007年をピークに減少に転じるということである。第二は、環境問題との関係である。資源や自然環境の有限性が自覚されるようになり、経済活動それ自体の持続性ということを考えても、経済の規模の「定常性」が”要請”されるようになった。このように、定常型社会とは実は「高齢化社会」と「環境親和型社会」というふたつを結びつけるコンセプト(概念)でもある。(ⅱページ)
定常型社会を三つのレベルで捉え、これからの社会の姿を構想していく必要がある
定常型社会という社会像を考える場合、次のような三つの意味(ないし定義)がある。
第一は、「マテリアルな(物質・エネルギーの)消費が一定となる社会」という意味での定常型社会である(「脱物質化」としての定常型社会)。消費や経済の「情報化」、つまり「情報の消費」(モノそのものよりデザインや付加価値に主たる関心が向けられるような消費)の定常化や「IT」(情報技術)化によって、経済そのものとしては「成長」を続けるという社会である。(142~143ページ)
第二は、「(経済の)量的拡大を基本的な価値ないし目標としない社会」という意味での定常型社会である。「量的拡大」よりも「質的変化」に主たる価値が置かれるような社会と言い換えてもよいし、GDP(国内総生産)などが増加しない「ゼロ成長社会」という姿ともつながっていく。(144ページ)
第三は、「〈変化しないもの〉にも価値を置くことができる社会」という意味での定常型社会である。ここで〈変化しないもの〉とは、たとえば自然であるとか、コミュニティであるとか、古くから伝わってきた伝統行事や芸能、民芸品等々といった意味である。(145ページ)
定常型社会は自ずと、社会の分権化(分権型社会)ないし分散化(分散型社会)を導くことになる
日本(特に戦後の日本)がきわめて中央集権的な社会となっていったのは、他でもなく「(経済)成長」という日本社会全体の目標と不可分のものであったと思われる。つまり「成長」という(国家あるいは国民挙げての)目標を達成するために、各種制度や経済システムその他すべてが強力かつ一元的に編成されたのであり、中央集権化はその自然な帰結であった。「成長」という目標に向けて社会全体がきわめて「求心的」なものになったのが戦後の日本社会だったのである。
逆にいえば、「成長に向けての社会全体の編成・統合」という強い推進力ないし求心的な目標が(これまでのように)機能しなくなれば、社会が「中央集権的」でな
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ければならない理由はどこにもなくなるのである。その意味で、定常型社会は自ずと社会の分権化ないし分散化を導くことになる。(164~165ページ)
逆にいえば、このことを抜きにして(つまり「成長」が日本社会全体の目標であるという価値観を維持したままで)いくら「地方分権」を論じてもそれは表層的なものになるだろう。裏返していえば、分権型ないし分散型社会というものは、「定常型社会」という社会全体のイメージとセットで考えてはじめて、より豊かでのびのびとしたものとして再定義されるのではないだろうか。(165~166ページ)
定常型社会へのソフトランディングが、新しい「豊かさ」のかたちをつくるのである
いまの日本社会に何より求められているのは、第一に「成長」後の社会の構想としての「定常型社会=持続可能な福祉国家」のビジョンであり、第二に現実的なプロセスとしての、各政党による「理念と政策」の提示と、それによって可能となる「価値の選択」をめぐる議論である。日本の場合、成長のカーブが急傾斜だったぶん、「定常化」への移行の”落差”は他の先進諸国に増して大きく、経済社会システムから人々の価値観に至るまで、それは困難をきわめる課題であろう。が、閉塞状況を抜け出す途が、「成長」のあくなき追求ではなく、「定常型社会へのソフトランディング」にあることだけは間違いない。
そしてその先に、あるいはそのプロセスのひとつひとつの歩みの中に、私たちの新しい「豊かさ」のかたちは確実に存在しているのである。(179ページ)
〇要するに広井にあっては、日本の経済・社会は「拡大・成長」志向から「成熟化・定常化」へと転回している。「定常型社会」は、「退屈で停滞的な社会」(153ページ)ではなく、真の意味での「豊かさ」を実感できる「持続可能な福祉国家/福祉社会」として構想される。それは、「個人の生活保障がしっかりとなされつつ、それが資源・環境制約とも両立しながら(資源や自然環境の有限性を自覚しながら)長期にわたって存続しうる社会」(ⅵページ)の姿のことである。そこでは、学習・文化・スポーツ・レクリエーションや「ケア」(介護、保育、健康・医療、福祉、教育、等々)、さらには「自己実現」に向けた学習・教育・趣味などに時間が消費される(「時間の消費」)。この点が[1]における本質的な論点のひとつである。
〇なお、広井は、[2]から[7]のそれぞれにおいて、人類史のなかの「定常型社会」について「概念図」を示して説述している。そこでは、要するに、「人口や経済の量的な拡大・成長の”後”の時代に、真に豊かな文化的な革新が生じる」([7]161ページ)。定常期は、「真の意味での各人の『創造性』が発揮され開花していく社会」であり、「文化的創造の時代」([4]46ページ)である。しかもそれは、人類の歴史の「長いタイムスパンをとればむしろ”常態”ともいうべきあり方であり」([2]130~131ページ)、現代という時代は人間の歴史のなかで「第3(3度目)
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の成熟・定常期への移行期」([7]161ページ)である。
〇ここで、[3]と[7]における概念図を参考のために供しておくことにする(上図:「人類史の中の『定常型社会』[3]266ページ、下図:「人類史における拡大・成長と定常化のサイクル」[7]160ページ)。
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〇広井の主張は概略こうである。人類の歴史を長い目で見ると、定常化のサイクルが3回あった。(1)約20万年前頃にアフリカでホモ・サピエンスが誕生し、狩猟採集社会の前半に一気に人口が増加した。そこには、自然信仰や「互恵的利他主義」(互酬性)が存在していた。後半になると社会は安定し、定常化していく。その過渡期の時代・狩猟採集社会の後半期、いまからおよそ5万年前の時期に、「心のビックバン」(文化の爆発)と呼ばれる現象が起こった。すなわち、フランスのラスコー洞窟の壁画や日本の縄文時代の装飾品などに代表される文化的・芸術的作品が一気に生まれた。(2)時代が下(くだ)って、約1万年前にメソポタミアで農耕が始まった。そこでまた人口が増えて「都市」が形成され、各地に波及していった。この農耕社会においても、後半は定常化していく。紀元前500年前後に、ドイツの哲学者カール・ヤスパースが「枢軸時代」(すうじく:物事の中心)と呼んだ「精神革命」(伊東俊太郎)が同時多発的に起こった。ギリシャ哲学をはじめ、インドの仏教、中国の儒教や老荘思想、中東の旧約思想(キリスト教やイスラム教の源流)などの「普遍的な価値原理」を志向する思想や宗教がそれである。(3)さらに時代が下った約300~400年前には、産業化・工業化社会が始まり、また一気に人口が増大した。そしていま、第4の拡大・成長へ向かうのか、あるいは第3の定常型社会を迎えるのか、その岐路に立っている。第3の定常型社会では、①自然や地球資源の制約や有限性、②地球全体の風土的・環境的な多様性、③「ローカル」(地域的・個別的)と「ユニバーサル」(普遍的、宇宙的)の総合化・循環的融合(「グローバル」(多様生成的))、などを内容とする価値や倫理(「地球倫理」)が要請されるのであろうか([4]236~259ページ。[7]152~161、299~303ページ)。
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(2)『コミュニティを問いなおす』筑摩書房、2009年8月([3])
閉鎖性の強いコミュニティのなかで、個人の社会的孤立が深刻化している
戦後の日本社会とは、一言でいえば「農村から都市への人口大移動」の歴史であった。都市に移った日本人は、(独立した個人と個人のつながりという意味での)都市的な関係性を築いていくかわりに、「カイシャ」そして「(核)家族」という、いわば”都市の中のムラ社会”ともいうべき、閉鎖性の強いコミュニティを作っていった。
そうしたあり方は、経済全体のパイが拡大する経済成長の時代には、カイシャや家族の利益を追求することが、(パイの拡大を通じて)社会全体の利益にもつながり、また個人のパイの取り分の増大にもつながるという意味で一定の好循環を作っていた。しかし経済が成熟化し、そうした好循環の前提が崩れるとともに、カイシャや家族のあり方が大きく流動化・多様化する現在のような時代においては、それはかえって個人の孤立を招き、「生きづらい」社会や関係性を生み出す基底的な背景になっている。(9~10ページ)
コミュニティは、①生産と生活、②農村と都市、③空間と時間という3つの視点が重要である
「コミュニティ」というとき、①「生産のコミュニティ」と「生活のコミュニティ」、②「農村型コミュニティ」と「都市型コミュニティ」、③「空間コミュニティ(地域コミュニティ)」と「時間コミュニティ(テーマコミュニティ)」という三つの点を区別して考えることが重要である。(11ページ)
①については、都市化・産業化が進む以前の農村社会においては、「生産のコミュニティ」と「生活のコミュニティ」はほとんど一致していた。すなわち、農村の地域コミュニティが、そのまま「生産のコミュニティ」でありかつ「生活のコミュニティ」でもあった。高度成長期を中心とする急激な都市化・産業化の時代において、両者は急速に”分離”していくとともに、「生産のコミュニティ」としてのカイシャが圧倒的に優位を占めるようになっていった。経済が成熟化すると同時に、カイシャや家族という存在が多様化・流動化している現在、”地域という「生活のコミュニティ」は回復しうるか”という問いが浮上している。(12ページ)
②については、「農村型コミュニティ」とは、”共同体に一体化する(ないし吸収される)個人”ともいうべき関係のあり方を指し、それぞれの個人が、ある種の情緒的(ないし非言語的な)つながりの感覚をベースに、一定の「同質性」ということを前提として、凝集度の強い形で結びつくような関係をいう。これに対し「都市型コミュニティ」とは”独立した個人と個人のつながり”ともいうべき関係のあり方を指し、個人の独立性が強く、またそのつながりのあり方は共通の規範やルールに基づくもので、言語による部分の比重が大きく、個人間の一定の異質性を前提とするも
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のである。(15ページ)
現在の日本の状況は、集団の内部では過剰なほど周りに気を遣ったり同調的な行動が求められる一方、一歩その集団を離れると誰も助けてくれる人がいないといった、「ウチとソト」との落差が大きな社会になっている。このことが、人々のストレスと不安を高め、生きづらさや閉塞感の根本的な背景になっている。(17ページ)
日本社会における根本的な課題は、「個人と個人がつながる」ような、「都市型のコミュニティ」ないし関係性というものをいかに作っていけるか、という点に集約される。(18ページ)
③については、人間の「ライフサイクル」というものを全体として眺めた場合、「子どもの時期」と「高齢期」という二つの時期は、いずれも地域への”土着性”が強いという特徴をもっている。戦後から高度成長期をへて最近までの時代とは、一貫して”「地域」との関わりが薄い人々”が増え続けた時代であり、それが現在(超高齢社会)は、逆に”「地域」との関わりが強い人々”が一貫して増加する時期にある。(19、20ページ)
こうした意味において、「地域」というコミュニティがこれからの時代に重要なものとして浮かび上がってくるのは、ある種の必然的な構造変化である。加えて、現役世代についても、ポスト産業化時代には(職住近接、SOHO〈ソーホー/Small Office/Home Office/小さな事務所や自宅で働く事業者。テレワーク、在宅勤務〉などのトレンドの中で)地域との関わりが相対的に増加していくことになる。(20~21ページ)
〇広井は「コミュニティ」という言葉・概念について、ひとまず次のように理解する。「コミュニティ=人間が、それに対して何らかの帰属意識をもち、かつその構成メンバーの間に一定の連帯ないし相互扶助(支え合い)の意識が働いているような集団」(11ページ)、がそれである。
〇そのうえで広井は、日本の経済・社会はいま、成熟化・定常化の時代にあって、「地域」という空間を舞台にしたコミュニティの重要性が高まり、それに適応する人々の関係性(つながり)や行動様式を組み換えることが求められている、という。すなわち、人間にとって本質的で補完的な「農村型コミュニティ」と「都市型コミュニティ」、「地縁型コミュニティ」と「テーマ型コミュニティ」をいかに融合させるか。感情的・情緒的レベルのつながりではなく、集団を超えて、人と人が独立しながら、「普遍的な原理やルール」によってつながるという関係性をいかに形成するか、がいま問われている。その原理やルールは、形式的な挨拶やお礼の言葉なども含むが、「人間が(所属する集団の違いを超えて)”人として”遵守すべき規範原理であったり、言語化された共通の理念であったりする」(249ページ)。それは、前述の「地球倫理の可能性」と重なることにもなる(そして、私事ながら本稿の冒頭の話につながる。本ブログの<雑感>(105)2020年3月31日投稿、を参照されたい)。
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(3)『人口減少社会のデザイン』東洋経済新報社、2019年10月([7])
現在の日本社会は「破局シナリオ」に至る蓋然性(実現性)が高い
日本社会が持続可能性において危機的である。特に次のような点が重要ないし象徴的な事柄と言える。(15ページ)
①財政あるいは世代間継承性における持続可能性
日本政府の債務残高ないし借金は1,000兆円あるいはGDPの約2倍という、国際的に見ても際立って大きな規模に及んでおり、膨大な借金を将来世代にツケ回している。その背景には、「経済成長がすべての問題を解決してくれる」という高度経済成長時代に染みついた発想を今も根強く引きずっているという点がある。「人口減少社会のデザイン」において重要なのは、こうした「拡大・成長」型の思考の枠組みから抜け出していくことにある。(16、18ページ)
②格差拡大と人口における持続可能性
高度成長期を通じて貧困世帯は一貫して減っていったが、1995年を谷として生活保護を受ける人の割合は増加に転じ、その後も着実に増えている。日本においては若者に対する社会保障その他の支援が国際的に見てきわめて手薄であり、特に若い世代の雇用や生活が不安定になっている。そのことが未婚化・晩婚化の背景ともなり、それが出生率の低下につながり、人口減少をさらに加速させるという、悪循環が生まれている。(18、19ページ)
③コミュニティないし「つながり」に関する持続可能性
「社会的孤立」は、家族などの集団を超えたつながりや交流がどのくらいあるかに関する度合いを指している。日本は社会的孤立度が先進諸国の中でもっとも高い国ないし社会になっている。現在の日本社会は”古い共同体(農村社会など)が崩れて、それに代わる新しいコミュニティができていない”という状況にあり、そのことが「社会的孤立」という点に現れている。(19、20ページ)
日本は「持続可能シナリオ」よりも「破局シナリオ」に至る蓋然性(がいぜんせい)が高い。「破局シナリオ」という表現の主旨は、財政破綻、人口減少加速(←出生率低下←若者困窮)、格差・貧困拡大、失業率上昇(AI・人工知能による代替を含む)、地方都市空洞化&シャッター通り化、買物難民拡大、農業空洞化等々といった一連の事象が複合的に生じるということである。(21ページ)
「持続可能性」や個人の創発性に軸足を置いた社会モデルを志向する必要がある
「持続可能な福祉社会」を志向・実現するために不可避の論点を記すと、次のようになる。(「帯」より。311~313ページ)
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①将来世代への借金のツケ回しを早急に解消
②「人生前半の社会保障」、若い世代への支援強化
③「多極集中」社会の実現と、「歩いて楽しめる」まちづくり
④「都市と農村の持続可能な相互依存」を実現する様々な再分配システムの導入
⑤企業行動ないし経営理念の軸足は「拡大・成長」から「持続可能性」へ
⑥「生命」を軸とした「ポスト情報化」分散型社会システムの構想
⑦21世紀「グローバル定常型社会」のフロントランナー(先導者)日本としての発信
⑧環境・福祉・経済が調和した「持続可能な福祉社会」モデルの実現
⑨「福祉思想」の再構築、”鎮守の森”に近代的「個人」を融合した「倫理」の確立
⑩人類史「3度目の定常化」時代、新たな「地球倫理」の創発と深化
〇①から⑤は、比較的具体性が高く、⑥から⑩はより中長期的な時代認識や理念に関わる内容となっている。以上のうち、③の「多極集中」について広井は次のように説く。それは、「一極集中」でも、その対概念としての「多極分散」のいずれとも異なる都市・地域のあり方である。国土あるいは地域の「極」となる都市やまち・むらが多く存在し、その極となる場所はできる限り生活に必要な諸機能が集約され、歩行者中心の「コミュニティ空間」(歩いて楽しめる街)が重視される都市・地域のあり方をいう(122ページ)。
〇④については、次のことが指摘される。農村の過疎化等の問題は、「人口減少社会」それ自体に原因があるのではない。それは、農村(地域)がもつ固有の価値や風土的・文化的特性を活かしながら、地域の活性化に資するヒト・モノ・カネ等の流れと、それを支える公共政策や社会システムをどうつくるかという、「政策選択や社会構想」の問題である(31、51ページ)。その問題解決を図る主体はまず政府である。いま、「東京(都市)は進んでいる、地方(農村)は遅れている」という発想の転換が求められる。「若い世代のローカル志向」「高度成長期の”地域からの離陸”の時代から、”地域への着陸”の時代への変化」(52ページ)が見られる。
〇⑥の「ポスト情報化」は広井にあっては、資本主義と科学の基本コンセプトは17世紀以降、「物質→エネルギ→情報→生命」という流れで変遷・進化してきた。「情報化」には「グローバル化」を促すベクトルと、「ローカル化」ないし分散化を促すベクトルの両方が含まれているが、「情報」はすでにその成熟期に入っている。これからの「ポスト情報化」時代の科学や経済社会・生活・消費の基本的なコンセプトは、「生命/生活(life)」である(139、143、146ページ)。
〇⑦の「グローバル定常型社会」という言葉や概念の基底にあるのは、次のような認識(展望ないし視座)である。「21世紀後半に向けて世界は、高齢化が高度に進み、人口や資源消費も均衡化するような、ある定常点に向かいつつあるし、またそうならなければ持続可能ではない」(76ページ)。日本は世界一の超高齢社会である。
〇⑧の「持続可能な福祉社会」とは、(「持続可能性」は「環境」と関わり、「福祉」は富の分配の公正や個人の生活保障に関わるものなので)、「個人の生活保障
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や分配の公正が実現されつつ、それが環境・資源制約とも調和しながら長期にわたって存続できるような社会」を意味する。別言すれば、「持続可能な福祉社会」という言葉・概念の主眼は、「環境」と「福祉」の問題をトータルにとらえる点にある(282~283ページ)。
〇⑨の「福祉思想」に関する言説の大枠はこうである。江戸時代までの日本人は、神道と仏教と儒教をそれなりにうまく組み合わせて一定のバランスを保ってきた。明治維新前後から第2次世界大戦までの時期は、富国強兵と国家神道などによって「福祉思想の形骸化(政治化)」が進んだ。戦後から高度成長期をへて最近に至る時期は、「経済成長」が日本人の“宗教”ないし精神的な拠り所になり、「福祉思想の空洞化」が進んだ。そして現在の日本の状況においては、“神仏儒”の伝統的な世界観や倫理を再評価するとともに、独立した個人が個別の集団やコミュニティを超えてつながるという「公共性」(「集団を超える価値原理」)への志向が重要になっている(296~298ページ)。いずれにしろ、福祉思想や価値原理についての探究や構築が持続可能な福祉社会の実現において、強く求められる。
〇地域コミュニティの中心として特に重要視される場所は、学校や福祉・医療関連施設であろう。広井は⑨の「鎮守の森」(神社の境内やその周辺にある森林)について、それは日本人の自然観や自然信仰との関連で、「地域コミュニティの拠点として存在しており、現在の日本におけるコミュニティの再生という課題とも深い次元でつながっている」(126~127ページ)という。
〇⑩の「地球倫理」については、一部既述のように、①自然や地球資源の制約や有限性、②地球全体の風土的・環境的な多様性、③「ローカル」(地域的・個別的)と「ユニバーサル」(普遍的、宇宙的)の総合化・循環的融合(「グローバル」(多様生成的))、などを内容とする価値や倫理をいう。別言すれば、”神仏儒”の「神」(自然信仰)と「仏儒」(普遍宗教や普遍思想)、近代的な原理としての「個人」ないし「個人の自由」という価値、それに「第3の定常化時代」における「プラスα」、すなわち「伝統的な価値としての、”神仏儒”」+「近代的な原理としての個人」+「α」からなる理念や価値、世界観(すなわち思想・哲学・原理)が「地球倫理」を可能にする。(299ページ)。なお、通常「グローバル」「グローバリゼーション」という言葉が使われる場合は、世界が均質化・一様化していくといった意味で使われることが多い(302ページ)。広井がいう「グローバル」との違いに留意したい。
付記
内閣総理大臣の諮問機関であった国民生活審議会(2009年廃止)の総合企画部会が、2005年7月に『コミュニティ再興と市民活動の展開』と題する報告書を提出した。[3]が出版された4年前、いまから15年前のことである。旧聞に属するが、そこでいう「多元参加型コミュニティ」は、「地縁型(エリア型)コミュニティ」と
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「テーマ型コミュニティ」の融合を説く広井の言説に通底する。ここで、長い引用になるが、「多元参加型コミュニティ」に関する一節を紹介しておくことにする(抜き書き。見出しは一部調整)。
コミュニティを求める経済社会の変化
これまでの経済発展は、国民の生活水準の向上をもたらす一方で、企業や行政が主体となって暮らしのニーズを満たす環境を生み出した結果、身近な問題であっても地域の人々が「自立」して積極的に解決に動く意欲を希薄化させた面も否定できない。
しかしながら、近年、経済社会における変化が進む中で、このような人々の意識に大きな変革が求められている。
●暮らしにおける多様なニーズの出現
核家族化が進み、家族だけではこなしきれない高齢者の世話や育児への相互扶助に関するニーズ、地域の魅力を再認識して交流を増やしたいというニーズ、防犯・防災など暮らしの安全・安心を高めたいというニーズ、健康寿命の伸長に伴う退職後の生きがいを発揮する機会に関するニーズなど、多様なニーズが新たに出現している。
●人々の社会的孤立の深刻化
独り暮らしの高齢者やいわゆる「ニート」と呼ばれる若者など、人と人とのつながりに属さず社会的に孤立した人々が増え、高齢者の孤独死、引きこもりの増加などの問題が発生している。そうした人々をつながりの中に回帰し、共に支え合う社会へと変えていくことが急務となっている。
●企業や行政が果たす役割の限界と新たな動き
これまで経済発展の中で暮らしのニーズを満たしてきた企業や行政の対応には限界がある。そもそも、営利企業は本質的に採算を考慮せざるを得ず、社会的に重要であっても市場で評価されない財・サービスの提供について制約がある。このため、企業の社会的責任(CSR)に対する認識が高まる中で、地域活動を行う団体との協力・連携などに関心が寄せられている。一方、行政も公平性を原則とするため、均質的なサービスを提供するには効率的であっても、多種多様なニーズにきめ細かに対応することにはなじまない。加えて、昨今の厳しい財政制約の中で、これまで行政が担ってきた公共サービスの提供をより効率的な主体に任せていく動きが進んでいる。
こうした経済社会の変化の中で、企業や行政だけでなく、人々の暮らしを支える担い手としてコミュニティの役割が再び注目されている。(4~5ページ)
コミュニティ再興の必要性とその動き
●コミュニティとは、「自主性と責任を自覚した人々が、問題意識を共有するもの同士で自発的に結びつき、ニーズや課題に能動的に対応する人と人とのつながりの総
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体」のことをいう。
●経済社会の変化の中で、企業や行政だけでなく、人々の暮らしを支える主体として、自己解決能力を備えたコミュニティの役割が再び注目されている。
●同じ生活圏域に居住する住民の間でつくられるエリア型コミュニティが停滞する一方で、特定のテーマの下に有志が集まって形成されるテーマ型コミュニティが登場している。しかし、現状では、この2つのコミュニティの間において理解不足などの垣根が存在している事例が見られる。
●コミュニティを再興していくためには、①多様性と包容力、②自立性、③開放性という3つの条件を備える必要がある。
●そのためにも、エリア型コミュニティとテーマ型コミュニティとが補完的・複層的に融合し、多様な個人の参加や多くの団体の協働を促していく形が考えられ、いわば多元参加型とも呼べる新しい形のコミュニティを志向することが求められる。
●現在、各主体の連携を通じて様々な活動が進められているが、今後地域全体に広めていく上で、コミュニティ内外にネットワークを拡大・融合しうる市民活動団体の役割が期待される。(3ページ)
コミュニティ再興のために
(1)市民における公共心の育成
コミュニティ再興においては、エリア型コミュニティであれ、テーマ型コミュニティであれ、その基礎的な構成員である市民の参加が根源となる。その際に、市民の意識において、地域が抱えるニーズや課題に自ら取り組むという公共心が第一に求められる。
(2)3つの条件を満たす「多元参加型コミュニティ」の形成
経済社会の変化を背景にコミュニティの役割に対する期待が高まる一方で、旧来コミュニティの機能停滞や新旧コミュニティの対立がみられる中、コミュニティの再興のためには、形成されるコミュニティが次の3つの条件を満たすことが必要と考えられる。
●多様性と包容力
第一に、個人の自由な生活様式を前提として、幅広い世代や多様な価値観を持つ人々の参加を受け入れる大きな包容力が求められる。その際、社会的に孤立している人々もつながりの一員として受け入れることが重要である。
●自立性
第二に、地域の問題を市民自らの問題と受け止め、行政任せではなく、自立的に取り組む姿勢が必要である。課題によっては、行政に積極的に提案や働きテーマかけを行うこともありうる。資金や人材など活動に必要な資源についても自立できることが望まれる。
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●開放性
第三に、コミュニティの参加者が開放的になって、コミュニティ外との積極的な対話や交流を図ることが重要である。これにより、外部からのいわば新しい風を迎え入れるとともに、コミュニティ内部の情報を発信する機会に恵まれ、更なる協力関係の発展につながることも考えられる。
上述のような条件を満たすコミュニティの姿として、地域的に区分されたコミュニティを基礎としながら、従来のエリア型コミュニティとテーマ型コミュニティが必要に応じて補完的・複層的に融合することで、多様な個人の参加や多くの団体の協働を促す、いわば「多元参加型コミュニティ」が想定される。こうしたコミュニティの中では、主体間に厚いネットワークの層が形成されることとなろう。(9~10ページ)
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25/「消費社会」から「関係の豊かな社会」へ
―古沢広祐とバルトリーニを読む―
〇筆者の手もとに2冊の本がある。(1)古沢広祐著『みんな幸せってどんな世界―共存学のすすめ―』(ほんの木、2018年3月。以下[1])と(2)ステファーノ・バルトリーニ著、中野佳裕訳『幸せのマニフェスト―消費社会から関係の豊かな社会へ―』(コモンズ、2018年7月。以下[2])、がそれである。古沢広祐(ふるさわ・こうゆう)は環境社会経済学、イタリアのバルトリーニ(Stefano Bartolini)は経済学、中野佳裕(なかの・よしひろ)は社会哲学を専攻する。本稿では、それぞれの論述から、注目しておきたい論点や言説のいくつかを紹介しておくことにする(抜き書きと要約。[1]は語尾変換。見出しは筆者)。
(1)古沢広祐著『みんな幸せってどんな世界―共存学のすすめ―』
人類社会ではいま、生存環境の危機、グローバル社会経済システムの歪み、人間存在の空洞化(実存的危機。存在の不安定化や揺らぎ:阪野)が進行している([1]176~177ページ)。古沢は、世界が直面している経済・社会・文化・自然などの諸問題について多面的・多角的に考察し、「みんなが幸せに生きる世界」への道筋を探る。その際に拠って立つ視点が「共存」である。そして、互いの存在を受け入れ、「関係性の豊かさ」を追究する「共存学」を構想する。
「共生」と「共存」
「共存」という考え方は、これまでキーワードとされることが多かった「共生」という理想よりも緩やかな概念である。(中略)「共生」や「みんなが幸せであること」のように、全員が一つの価値観を共有することを理想とする世界は簡単には実現しないし、持続もしない。実際の世界で起きている出来事はもっと多様で複雑である。他者や他文化を許容し、受け入れ、変化を強制しないという意味で、「共存」を考えたい。多様な考え方や価値観、存在のあり方を探って困難な問題を解決に導くには、「共存」を土台に考えることこそ意味がある。
([1]11~12ページ)
「環境的適正」と「社会的公正」
新時代を象徴するキーワードとして、「持続可能な発展・開発(Sustainable Development)」という言葉が世界的に定着してきている。([1]42ページ)
持続可能な開発とは、より具体的には「環境、経済、社会について調和のとれた発展をめざすこと」と解釈されるのが一般的である。補足して言いなおすと、「発展の原動力である経済発展を、環境的適正(調和)によって、また社会的公正(貧困
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や格差の是正)によって、調和をはかる(調整される)こと」となる。([1]43ページ)
「結束型」紐帯と「橋渡し型」紐帯
人間存在のあり方については、「社会関係資本」(ソーシャルキャピタル)という考え方を手がかりにしてとらえることもできる。地域社会の基盤を強化する働きとして、近年注目されてきた概念である。人々のつながりや関係性が、地域社会の土台・基礎を形づくっている様子を示す。そこには、狭く限定的な結びつきとしての「結束型」紐帯(ちゅうたい)と、広域性をもつ多様でゆるやかな「橋渡し型」紐帯の二つのタイプがある。
地域がその存在基盤を揺るがされるとき、この二つの要素が微妙に重なりながら地域再建の動きとして展開されると考えられる。仲間内だけの狭い関係(結束型)だけに閉じこもらず、開かれた関係性(橋渡し型)が生じて、その両方がうまく連動することで思いがけない展開が生まれるのである。([1]130ページ)
「共存」と「共存学」
現代という時代が「共生」という理想ではとらえがたい状況にあり、混迷期を迎えていることへの仕切りなおし的な意味をもつ。
「共存学」では、対立や敵対を回避しつつ、より創造的な関係性への契機を含み込んだ状況に光をあてて究明していくこと、多角的視点から世界をとらえなおす取り組みをしてきた。「共存」とは、「多様な人間集団(地域社会、国家、国際社会)の存在様式において、敵対的関係(他者の否認)ではなく、互いに存在を受け入れ(存在受容)、関係性を維持しつつ多様性構築の可能性を保持する様態」ととらえている。
人間の世界は複雑な関係、安定性を欠いた緊張状態を内在させている。そこに、協調的関係と秩序が形成される過程として、対立、敵対、諸矛盾の克服・調整を経つつ、安定性や持続性に向かう共存の関係が形成されてきた。そして、共存からより安定した共生の関係が模索されてきた。それは一方向的で単純な動きではなく、複雑なダイナミズムと矛盾を秘めた多義的・重層的な諸関係を内在させている。いわば「共生」にいたるまでには多義的な経過や展開があり、その原初的形態とも呼ぶべき「共存」をキーワードに、諸問題を探る試みとして共存学は構想されたのである。([1]182~183ページ)
(2)ステファーノ・バルトリーニ著、中野佳裕訳『幸せのマニフェスト―消費社会から関係の豊かな社会へ―』
深刻な現代社会の危機は、「関係性の衰退や幸福感の低下」([2]12ページ)によって特徴づけられる。バルトリーニは、“幸せ”の問題を主観的・個人的なものとしてではなく、社会的・制度的な問題として捉える。そして、「関係性の貧困」や「防衛的資本主義」に関するデータ分析を通して、脱物質主義的な社会構想(政策
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案)を提示する(注(1):阪野)。バルトリーニはいう。「経済成長を盲目的に信頼する文化」は「古びてきている」([2]318ページ)。アメリカは模倣すべき「モデル」ではない。
「関係性の衰退(貧困)」と「防御的な経済成長(資本主義)」
幸福度に関する、1975~2004年の米国のデータによると、所得の増加は幸福度にプラスの効果を与えるが、それ以上にマイナスの効果が上回っている。その主な要因は関係性の衰退である。さまざまな指標は、孤独、コミュニケーションの困難さ、不安、孤立感、人間不信、家庭崩壊、世代間の分断の増大、連帯や誠実さの低下、社会参加・市民参加の減少、社会環境の悪化を示している。
この幸福度指標は、社会関係財という概念を統計学的に示した結果である。この指標は、社会関係を通じて得られる人間の経験の質を示している。社会関係財が幸福度に与える影響は非常に大きい。([2]27ページ)
社会関係の悪化を引き起こす傾向にある経済的・社会的組織の類型を、〈防御的な経済成長によって動かされる資本主義〉(防衛的な資本主義)と呼ぼう。このようなタイプの資本主義では、経済成長が社会関係の悪化を引き起こすとき、経済の拡大成長によって社会関係(および環境)の破壊を推進するプロセスが発生し、そのプロセスが経済成長を導く。自己展開するこのメカニズムによって、私的所有に基づく富は増加し、コモンズ―社会関係財、環境―はますます欠乏していく。([2]31ページ)
社会関係の悪化は、さまざまな意味で現代人を〈働き詰めの生産者〉と〈熱心な消費者〉に変えてしまった。現代人はアイデンティティと魂の抜けた居住区に暮らし、それゆえに社会関係の悪化に一層晒(さら)され、より多く働き、生産し、ストレスを溜(た)め込んで慌(あわ)ただしく生活し、自動車を乗り回している。それゆえ、お金が必要となる。現代人はこのように暮らしながら社会関係と環境を悪化させ、そこから逃げようとする。これこそが防御的な経済成長の悪循環だ。([2]49ページ)
「消費文化」と「外発的」動機
我々の社会関係の質に影響を与えるきわめて重要な要素は、文化だ。(中略)関係性の悪化を導く文化は「消費」文化である。
消費文化、すなわち消費主義文化は、生活における外発的動機づけを重視し、内発的動機づけは軽視する。外発的動機づけと内発的動機づけの区別は、行為の動機を支える手段の違いとして現れる。「外発的」という言葉は、お金のように、人間の活動の本質とは関係のない動機につけられる。これに対して「内発的」という言葉は、友情や連帯や市民感覚など人間の内面における動機を指す。要するに、消費主義的な価値観を採用する諸個人は、感情、社会関係一般、社交的な行動をあまり重視せず、お金、消費財、経済的成功などの外発的な目標に高い優先順位を置く。([2]34ページ)
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米国社会における社会関係の衰退の最も有力な要因は、この類の消費文化の普及である。([2]36ページ)
「社会関係財」と「社会関係資本」
社会関係財は、社会科学で広く使用されている「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」概念の一構成要素である。社会関係資本は、諸個人の間や個人と制度の間に存在するあらゆる種類の非経済的関係を指す。社会関係財以外にも、たとえば政治投票への参加、市民意識、制度に対する信頼などが社会関係資本に含まれる。([2]89ページ)
ロバート・パットナムは、米国の社会関係資本が1960年代以降衰弱しており、この傾向が米国内の社会的まとまりと民主主義の安定性を長期間脅かしていることを指摘している。([2]89ページ。注(2):阪野)
「ポスト・デモクラシー」と「民主主義の衰退」
コリン・クラウチ(イギリスの社会学者・政治学者)が使用する「ポスト・デモクラシー」という用語は、現代民主主義がその政治的意思決定過程において経済エリートからの大きな影響を受けている事実を示す。政治的意思決定は多くの場合、選挙で選出された政治家と経済的権益を独占する民間グループ〔=大企業など〕の間のやりとりに基づいている。その一方で、投票だけでなく討議や自主組織を通じて大衆が公共的選択に参加する可能性は著しく減っている。
ポスト・デモクラシーは民主主義ではない。なぜなら、公共的問題の管理を民主主義以前の状況―つまりは閉鎖的なエリート集団に帰属させる状況―にまで後退させているからだ。市民の役割は選挙の投票に行くだけとなった。しかも選挙は、事前に決められた限定的なテーマへと公共の議論を誘導する情報伝達の専門家たち〔=マスメディアなど〕によってコントロールされている。選挙という儀式の外で、市民は受動的で従順で無感動に生きる役を演じるように求められているのだ。([2]60~61ページ)
ポスト・デモクラシーは、防御的な資本主義の制度的支柱のひとつだ。我々に必要なのは生活可能な世界であり、より大きな経済的繁栄ではない。しかし、ポスト・デモクラシーは生活可能な世界をつくるのではなく、お金を増やすように我々を駆り立てる。([2]61~62ページ)
ポスト・デモクラシーは、お金を求める経済競争に火をつける。([2]62ページ)
〇バルトリーニによると、現代資本主義社会の病理の原因は、消費主義的価値観・文化の普及拡大による社会関係や親密な人間関係の悪化にある。その典型はアメリカに見られるが、ヨーロッパや日本においても例外ではない。そうした病んだ「消費社会」に取って代わるべきは、脱物質主義的価値観・文化に基づいて社会的共有
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財を重視する「関係性の豊かな社会」である。その社会を構築し支えるのは、内発的動機による労働である。
〇バルトリーニはいう。「消費主義の普及の主犯格は経済システムと教育制度である」([2]36ページ)。市場経済システムのもとでは、社会関係は個人的・物質的な利潤に基づくものとなる。関係性の豊かなまちづくりを進めたり、信頼・協力関係や満足度の高い労働の実現を図るためには、「連帯経済」の成長が求められる。連帯経済活動には、企業の社会的責任や非営利組織(NPO)、社会的協働組合などによるさまざまな活動があるが、それらは内発的動機づけに支えられている([2]306~307ページ)。
〇「学校は既存の体制(ステータス・クオ〈Status quo:阪野〉)を変革するためのエンジンとならねばならないのに、現在ではそれを再生産するために機能している」([2]58ページ)。「現代学校教育のキーワードは、認知能力を偏重する教育、生徒を社会から隔離する教育、課題の増加」([2]59ページ)である。「生徒が彼ら自身のニーズに応じて社会的・制度的環境を変える能力を発達させる教育を行うべきだ」([2]57ページ)。バルトリーニの教育言説である。
〇日本社会では、民主主義の根幹を揺るがす「政治の劣化」と「行政の劣化」が加速している。「地方創生」(「まち・ひと・しごと創生」)や「一億総活躍」(「働き方改革」)、「地域共生」(「我が事・丸ごと」)などの「お守り言葉」(鶴見俊輔)が多用され、乱舞している。真に成熟した社会とは到底思えず、負の現象が顕著に見られるスカスカの「定常型社会」である。アメリカ以上に深刻である。
〇最後に、[2]の訳者である中野佳裕の解説文「関係の豊かさとポスト成長社会」中の「日本への示唆―関係の豊かな社会は可能だ」([2]335~339ページ)を筆者なりに別言して、次のように述べておきたい。
グローバリズムの時代は終焉を迎え、世界各地でローカリズムの推進が図られている。しかし、日本の政界や産業界は、「経済成長神話」の呪縛にとらわれ、凋落するアメリカに追随(「アメリカ信仰」)している。そして、周回遅れの経済・社会改革や教育改革に余計な汗を流し、とりわけ現場はその「改革」とやらに振り回されている。教育は、「市場原理」や「競争原理」が導入され、政府による統制強化や右傾化が進んでいる。あるべき教育は、その時代の国家権力や経済社会のニーズに迎合することではない。いま求められるのは、主体性・創造性や自律性・内発性を重視した「関係の豊かな社会」(バルトリーニ)、「みんなが幸せに生きる世界」(古沢)の形成とそのための「市民」の育成である。
注
(1) 「働き方の改革」と「資本主義的労働」
バルトリーニは、「我々がもし幸福感に満ちた生活を欲するのであれば、(中略)生き生きとしたコミュニティや豊かな社会関係の発展を妨げる社会的・経済的・文化的制約を取り除く必要がある」([2]176~177ページ)という。そして、そのた
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めの政策(「幸せのための政策」)として、①「関係の豊かな都市をつくる」、②「子どものための政策」、③「広告に対する政策」、④「民主主義を変える」、⑤「働き方をどう変えるか」、⑥「健康のための政策」、などを提案する。
そのうちの、例えば⑤「働き方の改革」については、「労働満足度を改善するために何をすべきかについて明確なレシピを抽出できるだろう。それは、興味をもてるような仕事、ストレスの低い仕事、意味のある仕事、人間関係・社会関係構築の手段となる仕事の4目標に集約される」([2]237ページ)とする。そして、具体的に、①働く人の自由裁量と自律性を高める。②圧力、管理、インセンティブ(目標を達成するための奨励・刺激:阪野)など、労働組織のなかでストレスを生み出す要素を減らす、③仕事のプロセスが面白くなるように、労働内容をリデザインする、④労働と生活の他の側面を両立可能にする、⑤職場の人間関係の質を改善する、などを提案する。
例によって唐突であるが、資本主義社会(資本主義的生産様式)が根源的・恒常的に抱える「矛盾」に、「賃労働」(労働力の商品化)や「労働疎外」がある。労働疎外には、マルクスによると、①労働の生産物からの疎外、②労働行為における疎外、③(自由に意識的・創造的に活動することができる生き物である人間の)類的存在からの疎外、④人間からの人間の疎外、の4つがある(マルクス、城塚登・田中吉六訳『経済学・哲学草稿』(文庫)岩波書店、1964年3月)。資本主義社会における労働は、資本によって強制される「苦役」(マルクス)であり、基本的には「内発的動機」によって行われるものではない。こうした考えに立つと、バルトリーニが説く「防御的資本主義」も資本主義社会の「矛盾」のひとつのあらわれ(現象形態)である。また、上述の対症療法的な諸提案については、資本主義社会の本質的理解に基づく議論が求められる。あえて付記しておきたい。
(2) 「社会関係資本」と「社会関係財」
バルトリーニは、「社会関係財は、社会科学で広く使用されている『社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)』概念の一構成要素である」といい、ロバート・パットナムの議論についてふれる。
アメリカの政治学者ロバート・D・パットナム(Robert D.Putnam)は、1993年に出版した『哲学する民主主義』(河田潤一訳、NTT出版、2001年3月。原題 Making Democracy Work)において、「社会関係資本」を次のように定義している。「調整された諸活動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴」(206~207ページ)、がそれである。要するに、社会関係資本は、人々の協調行動を活発にすることによって、社会の効率を高める働きをする社会的な関係をいう。そして、その内実・構成要素は「信頼」「規範」「ネットワーク」の3つである。パットナムはいう。「信頼、規範、ネットワークのような社会資本の一つの特色は、普通は私的財である通常資本とは違い、普通は公共財である点である」(211ページ)。
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筆者はパットナムの言説から、社会関係資本は、人々の協調行動を活発にする「ネットワーク」(社会的つながり)と、そこから生まれる「互酬性の規範」(お互いさまの支え合い)、そして一般的な人々に対する「信頼感」によって構成される、と理解している。
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26/『1984年』と『茶色の朝』、そして “ いま ”
―緊張と憂鬱と恐怖―
タイトルは文章の顔である。タイトルを効果的なものにするためには、文章の内容を正確かつ簡潔に表現するとともに、現実性や普遍性、そして訴求性の高い用語を使うことが重要となる。『1984年』と『茶色の朝』は、今回再読した本のタイトルである。
〇『1984年』(高橋和久訳、早川書房、2009年7月)は、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説である。「情熱と暴力と絶望」(トマス・ピンチョン「解説」507ページ)に満ちた小説であり、読み進めると“緊張と憂鬱と恐怖”が襲う。
〇この小説の舞台は、主人公のウィンストン・スミスが住む「3強国」のひとつ、オセアニアである。その「党」は、3つのスローガン「戦争は平和なり/自由は隷従なり/無知は力なり」を掲げている。
〇「戦争は平和なり」(war is peace)は、戦争はその継続化によって存在しなくなる(見せかけの平和)。「真の恒久平和とは、永遠の戦争状態と同じ」(307ページ)である、という意味である。「自由は隷属なり」(freedom is slavery)は、権力に隷属(屈従)すれば、思想・良心に従って行動する真の自由ではなく、監視下の自由(錯覚の自由)が保障される。「隷属は自由なり」(409ページ)、という意味である。「無知は力なり」(ignorance is strength)は、知識のない思考は空虚であり、思考のない知識は盲目である。従属(服従)は思考停止と洗脳によって実行される。「階級社会は、貧困と無知を基盤にしない限り、成立しえない」(293ページ)、という意味である。
〇いまひとつ注目しておきたい党のスローガンに、「過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする」(56ページ)というのがある。過去は記録と記憶のなかに存在するが、権力者は歴史を書き換え捏造(ねつぞう)する、という意味である。
〇『茶色の朝』(藤本一勇訳、大月書店、2003年12月)は、フランスとブルガリアの二重国籍をもつ心理学者フランク・パヴロフによって書かれた寓話である。これは、ファシズムや全体主義を批判した小さな物語であり、「私たちのだれもがもっている怠慢、臆病、自己保身、他者への無関心といった日常的な態度の積み重ねが、ファシズムや全体主義を成立させる重要な要因であることを、じつにみごとに描きだして」(高橋哲哉「メッセージ」41ページ)いる。
〇この寓話に登場する俺と友人のシャルリーが住む国では、犬や猫をはじめすべてのもの、朝までもが「茶色」でなければその存在が許されなくなっていく。「茶色」はナチスや極右の人びとを連想させる色である(高橋「同上」35ページ)。俺はいう。
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それから俺たちはテレビをつけた。/そのあいだ、/茶色の動物たちは横目でおたがいの様子をうかがっていた。/どちらのチームが勝ったかもう覚えていないが、/すごく快適な時間だったし、すっかり安心していた。/まるで、街の流れに逆らわないでいさえすれば/安心が得られて、面倒にまきこまれることもなく、/生活も簡単になるかのようだった。/茶色に守られた安心、それも悪くない。(14ページ)
ひと晩じゅう眠れなかった。/茶色党のやつらが/最初のペット特別措置法を課してきやがったときから、/警戒すべきだったんだ。/けっきょく、俺の猫は俺のものだったんだ。/シャルリーの犬がシャルリーのものだったように。/いやだと言うべきだったんだ。/抵抗すべきだったんだ。/でも、どうやって?(28ページ)
〇そして“いま”、日本は確実に、オセアニアの「党」のスローガンや「茶色党」の政治とは無縁ではない状況、すなわちファシズムや全体主義国家への道を歩んでいる。例えば、国旗掲揚と国歌斉唱の強制(国旗国歌法:1999年8月施行)、有事体制づくりと国民への戦争協力の強要(国民保護法:2004年9月施行)、道徳教育と愛国心教育の推進(新教育基本法:2006年12月施行)、情報公開の抑制と国民の知る権利の侵害(特定秘密保護法:2014年12月施行)、個人情報の一元管理と国民監視の強化(マイナンバー法:2015年10月施行)、そして平和主義の空洞化と「戦争ができる国」への転換(安全保障関連法案:2016年3月施行)、などがそれである。とりわけ最近では、立憲主義(憲法によって国家権力を制限し、国民の人権を保障する思想)が否定され、議会制民主主義や熟議民主主義が危機に瀕している。日本の政治の劣化であり、国家の疲弊である。
〇『1984年』と『茶色の朝』は、ウィンストンと俺の“いま”の心情を表した次の一節で終わる。悲しみと恐怖、そして怒りが込みあげてくる。
万事これでいいのだ。闘いは終わった。彼は自分に対して勝利を収めたのだ。彼は今、<ビッグ・ブラザー>を愛していた。(463ページ)
だれかかドアをたたいている。/こんな朝早くなんて初めてだ。/‥‥‥/陽はまだ昇っていない。/外は茶色。/そんなに強くたたくのはやめてくれ。/いま行くから。(29ページ)
〇上記の高橋が『茶色の朝』に寄せるメッセージは、「やり過ごさないこと、考えつづけること」である。唐突ながらそれは、“まちづくり”についても言える。それは、それぞれの地域や住民に求められる、主体的で自律的な姿勢や態度、行動である。言い換えれば、地域・社会における歴史的・社会的事象の存在に気づかないふりをせず、それを常に意識し、自分たちの知識と思考で対応することである。そこでは、地域主権や住民(市民)主権の観点が重要となり、「上から目線」で“地方創生”を図ろうとする権力者は不要となる。深く心に刻みたい。
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