阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」再考―新たな福祉教育の理論研究を求めて―

〇筆者(阪野)は、『ワンポイントメモ35+3 まちづくりと市民福祉教育―視点と論点―』、『ワンポイントメモ23+3 日本社会・まちづくり・教育づくり―視点と論点―』、『ワンポイントメモ13+3 まちづくりと教育づくり、周辺領域からのアプローチ―視点と論点―』(市民福祉教育研究所、2022年6月、追補版 2022年7月)をブログにアップした。過去の244本の記事(拙稿)から80本を選択し、3分冊に集成したもの(電子書籍?)である。
〇早速、海外の読者を含め、熱心なブログ読者から複数のメールが届いた。ひとりの盟友からはありがたい、また厳しい内容のものをいただいた。感謝である。あえてその一部(総評的な一文)を記しておくことにする。

●読破された本とそれに基づくテーマのボリュームに圧倒されました(本の紹介とテーマの表示が狙いなのでは?)。貴兄の10年余にわたるこうした努力に敬服します。10年間は当然必要とする内容だと思いました。貴兄の知識や経験から語られる啓発的で、議論の呼び水的な内容は、ブログを読む若い人には魅力的で刺激的だと思います。ますますの健筆を期待します。
●相変わらず、難しい論考です。「当事者論」に関連して言えば、貴兄の文章は、完全に男性による福祉教育論ですね。今日的に言えば、なぜジェンダーやセクシャリティ、ダイバーシティの問題が取り上げられないのか。不思議に思います。フロイドをはじめとした男性心理学者が今日的に手厳しく批判されているのをもちろんご存じだと思います。心理学だけでなく、歴史学、医学、社会学、そして貴兄の福祉教育論も男性史観ですね。
●「障碍者論」に関連して言えば、「青い芝の会」のことが詳しく出ていますが、当時あの運動(川崎バス闘争:1977年~1978年)の発端となった川崎市営バスを通学等で利用していたものとして懐かしく読ませていただきました。横田弘が「闘争」という言葉に「ふれあい」というルビを振ったことを思い出しながら、一人の人間の疑問や私憤によって世の中を変えることができた例が少なくないことを改めて認識しています。貴兄が福祉教育に期待するところでしょうか。
●貴兄は「まちづくり」に関して批判的思考と社会変革を強調されますが、批判力と変革力はつながるものなのか、延長線上なのか、よくわかりません。また、教育概念でくくられた「福祉教育」と主体形成論の「福祉教育」が私のなかでは結びつきません。さらに、貴兄が多用される「市民」はひとつの理念であり、理想的な目的概念ですから、実在するヒトではありません。そう考えると、貴兄の福祉教育論のキー概念である「市民福祉教育」を「市民・福祉教育」として捉えれば、私のなかでは一つひとつの論考への違和感が少なかったかな、という感じです。

〇福祉教育学界では、教育方法・技術論的な観点からの研究は盛んであるが、福祉教育の本質に迫る理論的・歴史的かつ哲学的論考はいまだに少ない。そうした福祉教育研究の現状と課題、その背景(要因)を明らかにするとともに、福祉教育実践・研究の新たな展開の方向性と可能性を探ることが、いま、改めて求められている。それに応えるためには、多面的・多角的な視座に基づく福祉教育理論の構築や刷新に関する総合的な研究が肝要となる。それは、歴史的視点や哲学的思考を大事にしながら、如何にして理論と実践の往還・融合の具現化を図るかを探究するものでなければならない。
〇福祉教育の理論研究に関して一言しておきたい。理論研究に関してまず押さえておくべきは、大橋謙策と原田正樹のそれである。大橋の『地域福祉の展開と福祉教育』(全国社会福祉協議会、1986年9月。以下[1])と『地域福祉とは何か―哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク―』(中央法規出版、2022年4月。以下[2])、原田の『共に生きること 共に学びあうこと―福祉教育が大切にしてきたメッセージ―』(大学図書出版、2009年11月。以下[3])と『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』(中央法規出版、2014年10月。以下[4])に注目すべきである。衆目の一致するところであろう。
〇大橋は[1]で、「本書は学術論文というよりも実践的研究書である」(ⅳページ)、「筆者の問題関心は、教育と福祉における“問題としての事実”に学びつつ、問題、課題をどう実践的に解決するのかという点にある」(ⅳページ)、「『地域福祉を推進する住民の主体形成』を意図的に行う営みが福祉教育である」(ⅲページ)という。「実践的研究書」という一言が、筆者の福祉教育実践・研究の起点となっている。具体的には、1990年4月からの狛江市社会福祉協議会における福祉教育実践(あいとぴあカレッジ、福祉えほん・幼児のあいとぴあ)を嚆矢とする。それは、拙稿「地域における福祉教育の計画と学習プログラム」(『日本の地域福祉』第5巻、日本地域福祉学会、1992年3月)として纏められている。
〇原田は[3]で、「福祉教育を通して育みたい力は『共に生きる力』である。個人のなかで完結する生きる力だけではなく、他者と共に生きることができる力を大切にする。そのために、私たちはいのちや他者、そしてその生活基盤である地域について考えてみることが、まず福祉教育をとらえるスタートである」(11ページ、語尾変換)という。障がい者施設で介護職員として働いたことに基づく原田の、地域共生教育としての福祉教育論の出発点である。筆者が原田の理論研究について、感性的・理性的・主体的認識(一番ヶ瀬康子)の確かさと豊かさを痛感することにつながる点でもある。
〇大橋の[2]は、「50年間の実践的研究を振り返りながら、地域福祉の考え方をまとめたもの、地域福祉についての集大成」である。そこには「補論」として、「戦前社会事業における『教育』の位置」と「福祉教育の理念と実践的視座」と題する論考が収録されている。それはともに、36年前の[1]に収録されているものでもある。とりわけ「福祉教育の理念と実践的視座」は、その歴史的・社会的背景に留意しながら、今後の福祉教育の理論研究において立ち返るべきひとつの原点である。
〇原田の[4]は、「地域福祉計画づくりを中心とした地域福祉実践の分析であり、地域福祉の主体形成に関わる地域福祉実践研究法に関する著書」(大橋謙策「推薦の辞」)である。原田は、「大橋先生が『地域福祉の展開と福祉教育』を上梓されたのが1986年である。本書の内容(構想)は、その今日的な続編でありたいと考えた」(231ページ)という。そこに、大橋-原田の師弟関係を超えた、研究者としての真摯な姿勢を見る。
〇[1]と[4]の次に求められるのは、大橋と原田の理論研究に批判的検討を加えながら、その特徴、有効性と限界、歴史的・現代的意義などを明らかにする。そして、それを通して福祉教育の原理や哲学、理念、歴史、対象、機能、展開方法、存在意義などの根源的な課題を解く、新たな理論研究であろう。その際、科学一般に求められる特性と、福祉教育研究に固有の研究方法すなわち固有の分析視点や枠組み、手順と手続き、言語体系、そして記述の方法(古川孝順)などが問われることになる。そこではじめて、実践の学・課題解決の学としての「福祉教育学」の構築の方向性が見えてくる。若い実践者や研究者に期待するところである。