〇筆者(阪野)の手もとに、「紛争解決」「変革」「世界的」ファシリテーターなどと評されるアダム・カヘン(Adam Kahane)の『敵とのコラボレーション』(小田理一郎監訳・東出顕子訳、英治出版、2018年10月。以下[1])という本がある。サブタイトルは「賛同できない人、好きでない人、信頼できない人と協働する方法」である。かつて『手ごわい問題は、対話で解決する』(ヒューマンバリュー訳、ヒューマンバリュー、2008年10月)を著したアダムが[1]で、「対話は最大の関心事ではない」(9ページ)、「対話が最善の選択肢ではない」(182ページ)という。「協働や対話の伝道師」とも評されてきてアダムのこの言葉に、驚きを禁じ得ない。
〇[1]でアダムは、多様化・複雑化、分断化・孤立化、それゆえに「敵化(enemyfying )」(自分ではなく相手に問題の原因や責任を求め、相手を自分の敵と見なす姿勢や態度)が進む現代社会にあって、(1)サブタイトルにあるように、賛同できない人・好きでない人・信頼できない人たちと如何に協働し問題解決を図るかを提起する。(2)問題解決に際して協働や対話が必ずしも最善の選択肢ではなく、それ以外にどのような選択肢があるか、協働やそれ以外の選択肢はどのようなときに有効に機能するかについて論述する。そして(3)従来型のそれを超える新たなコラボレーション(Collaboration、協働)、すなわち「ストレッチ・コラボレーション(Stretch Collaboration)」とその実践方法(手法)について提示する(188~189ページ)。
〇上記の(1)に関して、「従来型の窮屈なコラボレーション」をめぐるアダムの言説、その一部をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
これまでのコラボレーションの想定
従来のコラボレーションの解釈は、みんながみんな同じチームの一員となって、同じ方向をめざし、こうなるべきと合意して、必ずそうなるようにし、必要なことをみんなにさせるというものだ。つまり、コラボレーションは統制下に置けるものであり、そうしなければならないという想定がある。(24ページ)
これまでのコラボレーションの難題
コラボレーションの難しいところは、前に進むためには、賛同できない人、好きではない人、信頼できない人も含め、他者と協力しなければならないが、一方、背信行為をしないためには、そういう人々と協力してはいけないということだ。この難題はますます深刻になっている。(37ページ)
(コラボレーションにおける)上位の者が下位の者を変えるという根本的に階層制に根差した前提は、誰をも自己防衛に走らせてしまう。人は変化が嫌いなのではなく、変化させられるのが嫌いなのだ。(67ページ)
コラボレーションの困難は、一つの正しい答えがあるという前提をもつことから始まる。正しい答えを知っていると確信していると、他者の答えを受け入れる余地がほとんどなくなってしまうので、協力するのがいっそう難しくなる。(72ページ)
〇現代社会の個人主義化や多様化が進み、それに伴って変動性(Volatility)、 不確実性(Uncertainty)、複雑性(Complexity)、曖昧性(Ambiguity)が増すいわゆるVUCA(ブーカ)の時代にあるなかで、従来のコラボレーションの難しさ(難題)についてアダムはいう。「従来のコラボレーションの想定は間違っている。複雑な状況で多様な人々と一緒に仕事をする場合、コラボレーションはコントロールできるものではないし、そうする必要もない」(24ページ)。「従来のコラボレーションは時代遅れになってきている」(77ページ)。「慣れていて、安心感があるから、うまくいくと知っているからという理由で、従来型コラボレーションを採用してしまうと、むしろ敵化が増大し、状況をさらに手に負えなくしてしまう」(78ページ)。そこでアダムにあっては、非従来型のアプローチによるコラボレーション、すなわちコントロールせず、実験しながら共に学び前進する方法(「合意なき前進」を可能にする方法)を採用する必要がある。それは、「従来型コラボレーションを包含し、またそれを超えるストレッチ・コラボレーション」(92ページ)である。
〇上記の(2)に関して、「問題の複合する状況に対する4つの対処法」をめぐるアダムの言説、その一部をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
問題の複合する状況に対応する4つの選択肢
問題の複合する状況に直面しているときは常に、4通りの反応、すなわちコラボレーション、強制、適応、離脱の選択肢がある。常にこの4つの選択肢から選ぶ必要がある。(53ページ)
コラボレーションを試みるのは、置かれている状況を変えることを望み、かつ他者と協力して(多方向的に)変える以外に変化を実現する方法がないと考える場合だ。
コラボレーションのプラス面(チャンス)は、他者と協力して、より効果的な打開策を見つけ、今の状況にできるかぎり大きく、持続的な影響を及ぼす点にある。しかし、コラボレーションは特効薬ではない。そのマイナス面(リスク)は、実り少なく、遅々として進まない。大幅に妥協する、相手側に取り込まれる、自分たちにとって最も重要なことを裏切るという結果になることだ。(53~54ページ)
強制を試みるのは、今の状況を他者と協力せず(一方的に)変えるべき、あるいは変えられるかもかもしれないと考える場合だ。
強制のプラス面は、それが多くの人にとって自然で習慣的な考え方と一致するという点にある。マイナス面は、自分たちがなすべきだと考えていることを押し通そうとすれば、違う考えの人たちに押し返され、それによって意図する結果を達成できないことだ。(54、56ページ)
適応を試みるのは、今の状況を変えられないから、それに耐える方法を見つける必要があると考える場合だ。
適応のプラス面は、変えられないものを変えようとすることにエネルギーを費(つい)やさずに何とか生きていける点にある。マイナス面は、身を置いている状況が過酷だと適応できなくなり、生き残るだけで必死という事態になることだ。(56~57ページ)
離脱を試みるのは、今の状況を変えられず、もはやそれに耐える気もないという場合だ。離脱が簡単で気楽な場合もあれば、自分にとって重要な多くのことをあきらめなければならない場合もある。(57ページ)
〇アダムにあっては、複雑化・複合化した問題を解決する方法には、「コラボレーション」「強制」「適応」「離脱」の選択肢がある。多くの人は、人間が関係的・依存的存在であることから、コラボレーションを定番の・最善の選択と考えがちであるが、選択肢のひとつに過ぎない。コラボレーションの選択は、「力」という実用的な観点から言えば、「それが目標を達成する最善の方法である場合」に限られる。「一方的な選択である強制と適応と離脱が不可能で、受け入れ難い場合」に、多方向的な選択であるコラボレーションを選ぶことになる。「関係者の力が互角で、誰も意志を押しつけられない場合」のみコラボレーションが選択されるのである(58ページ)。
〇上記の(3)に関して、「ストレッチ・コラボレーション」をめぐるアダムの言説、その一部をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
新しいコラボレーションの方法―3つのストレッチ―
(これまでとは違ったコラボレーションの推進を図るためには)従来のコラボレーションの概念を引き伸ばし(視野の広い考え方を持ち)、根本的に取り組み方を変えること(「ストレッチ」)が求められる。
第1に、他の協働者(コラボレーター)との関係について、チーム内の共有目標と調和を重視するという狭い範囲に集中することから抜け出し、チーム内外の対立とつながりの両方を受け入れる方向に広げていかなければならない。
第2に、取り組みの進め方について、問題、解決策、計画に対する明確な合意があるべきと固執することから抜け出し、さまざまな観点や可能性を踏まえて体系的に実験する方向に広げていかなければならない。
第3に、状況にどう関与するか、すなわち私たち自身が果たす役割について、他者の行動を変えようとすることから抜け出し、自分も問題の一因であるという意識で状況に取り組み、自身を変えることを厭(いと)わない方向に広げていかなければならない。(25~26ページ)
「関わること(つながり)」と「主張すること(対立)」―その相補性―
調和のとれた(「愛」すなわち「統一の衝動」による)関わりは受け入れるが、調和しない(「力」すなわち「自己実現の衝動」による)主張(競争、論争、運動、訴訟など)は拒否する。これを続ければ最後には自分たちが問題解決に取り組んでいる社会システムを窒息させることになる。(106、110~111ページ)
従来型コラボレーションは関わることに重きを置き、そのために主張する余地がないから、コラボレーションが硬直化して弾力性を失い、壊れやすくなる。麻痺状態に陥り、行き詰まる。それとは対照的に、ストレッチ・コラボレーションは、関わることから主張することへ、またその逆へと生成的に循環し、社会システム――家族、組織、国家など――をより高いレベルへ進化させる。(119ページ)
関わることが屈服をもたらし、相手を操作する恐れがあるなら、主張を促進するときだ。主張することが抵抗をもたらし、相手に強要する恐れがあるなら、関わりを促進するときだ。大切なのは、静的なバランスの位置を保つのではなく、動的なアンバランスに気づき、それを修正することなのだ。(ストレッチ・コラボレーションに求められる)関わることと主張することの両方を使うスキルとは、注意を怠らず、勇気をもって必要なら逆方向に動けるようにすることだ。(121ページ)
〇「3つのストレッチ」は要するに、①「対立や偽りのない関係をオープンに受け入れること」(多様性を受け入れること)、②「うまくいかないかもしれない不慣れな新しい行動をやってみること」(試行錯誤すること)、③「現状に対する自分の役割と責任を引き受けること」(我が事にすること)、である(83ページ、丸括弧内は筆者)。換言すれば、①「多様な他者と協働するときは、一つの真実、答え、解決策への合意を要求できないし、要求してはならない」こと(同じ方向をめざす必要はない)、②コラボレーションの成功とは、参加者が互いに賛同するとか信頼するということではなく、「行き詰まりから脱して、次の一歩を踏み出すこと」(それぞれの解決策を試みる)、③誰かに、何かをさせるのではなく、「自分の役割と責任を見つめ、認めて、自分の仕事を進めていくこと」(共創者として自分にできることを行う)、となろう(76、135、161ページ、丸括弧内は筆者)。
〇以上のうち、第3のストレッチ(③)はアダムにあっては、「最大のストレッチ」である。その状況・事態(「舞台」)に自分の身を置き、行動すること(「ゲーム・フィールドに足を踏み入れること」)は、傍観者ではいられないし、他責にすることもできない。それは、「隔たりと行動の自由が減り、つながりと対立が増えるということであり、スリルや怖さを感じることにもなりえ」(153ページ)、「快適ではない」(81ページ)。そうしたなかで、ストレッチ・コラボレーションの参加者(共創者)には如何なる姿勢や態度が求められるか。アダムは次のようにいう(抜き書き)。
目標は、非の打ちどころのないコラボレーションをすることではなく――社会活動では、そんなことは不可能だろう――自分のしていること、自分が及ぼしている影響への自覚を高め、より迅速に行動修正し、学べるようになることだ。ストレッチを学ぶときに直面する第一の障害は、習慣的な物事のやり方の慣れ親しんだ快適さに打ち克つことだ。「こうあらねば」という平叙文から「こうもできそうだ」という仮定文に移行する必要がある。ストレッチ・コラボレーションでは、異質な他者(賛同できない人、好きでない人、信頼できない人)から遠ざかるのではなく、そういう人に向かっていくことが求められる。敵は最大の師になりうるのだ。(180、181ページ)
〇異質な他者と正面から向き合い、「関わること」と「主張すること」(「関与」と「敵対」、「愛」と「力」)はアダムにあっては、「複雑な問題を進展させるための手段として対立するものではなく、補完し合うもの、どちらも正当で必要なもの」(102ページ)である。アダムの主張の要点のひとつである。