〇筆者(阪野)の手もとに、武井哲郎の『「開かれた学校」の功罪―ボランティアの参入と子どもの排除/包摂―』(明石書店、2017年2月。以下[1])という本がある。「開かれた学校」を「善」とする者にとって、またそれに対して懐疑的な者にとっても、「功」と「罪」、「排除」と「包摂」という両義的な言葉(キーワード)によって興味・関心が引き起こされる。
〇[1]では、教室での学習や生活から排除されがちなマイノリティの子どもと、教師と異なる立場にある学習支援ボランティア(「学びの場に参入するボランティア」)との関係性に着目する。そして、「授業に継続して携わるボランティアの存在が学びの場に及ぼす影響を功罪両面から明らかにする」(45ページ)。その際、3つのリサーチ・クエスチョン(RQ)を設定し、それに則(のっと)って4つの事例を分析する(インタビュー調査による質的研究)。3つのRQは次の通りである(RQ1~RQ3、47ページ)。それぞれ(検討課題)を具体的に別言すれば、以下のようになる(RQ(1)~RQ(3)、45~46ページ)。
RQ1:教師と異なる立場にあるボランティアの参入は、学びの場における子ども同士の関係性にどのような影響を及ぼすことになるのか。
RQ2:教室での学習や生活から排除されがちな子どもとの関係において、ボランティアはいかなる役割を担うことになるのか。
RQ3:授業に継続して携わるボランティアは、自身の存在や立場をどのように捉えているのか。
RQ(1):教室空間にボランティアが参入することによって、ニューカマーの子どもや障害のある子どもが学級内で劣位に置かれる構造を崩(くず)すことは可能なのだろうか。それとも逆に、ボランティアの参入は、ニューカマーの子どもや障害のある子どもに付与されるスティグマを維持・強化する結果を招くだけなのであろうか。
RQ(2):学びの場に参入したボランティアとは、学校の価値や規範を自明視し、それを一方的に子どもへと押し付ける〈指導〉的な役割を担う存在でしかないのか、それとも、個別性への配慮と応答に重きを置く〈支援〉的な役割まで担いうる存在なのだろうか。さらには、現状への異議申し立てをも厭(いと)わずにボランティアが子どもの意思を代弁しその権利を擁護すること、すなわちボランティアによる「アドボカシー」は実現可能なのか。
RQ(3):学びの場において多様な背景を有した子どもたちと出会うなかで、ボランティアを「する側」は自身の存在や立場をどのように捉えるようになるのか、そして、ボランティアが〈指導〉的な役割ではなく、〈支援〉的な役割を担うために何が重要となるのか。
〇[1]で取り上げられた事例の1つ目は、脳性麻痺による体幹機能障害と軽度の知的障害をもつシン君のB小学校での事例である。武井はいう。シン君に対する「介助ボランティア」(10名)による特別な配慮は、「同質性の前提」や「一斉共同体主義」(30ページ)によって成り立つ日本の学校文化において、「例外的な措置」としてみなされた。その結果、シン君に付与されたスティグマは軽減・解消されず(107ページ)、シン君の共同体からの周辺化は助長された。そのことを武井は、「差別や排除を生み出す学級構造の問題性を詳(つまび)らかにできないまま、結果的に、学校の持つ価値や規範を補完することになったボランティアは、〈支援〉的な役割ではなく、〈指導〉的な役割を担う存在であった」(109ページ)、と認識する。
〇2つ目の事例は、シン君とほぼ同じ障害をもつリンさんのB小学校での事例であるが、リンさんは高学年を迎えるとボランティアによる学習面への介助は不要になる。武井はいう。「同質性の前提」が揺らがない以上、障害のある子どもが「劣位に置かれる状況を変えるのは難しい」(147ページ)。ボランティア(8名)は〈支援〉的な役割を果たすが、その役割を担うためには「①子どもとの対等な関係性、②イニシアティブの移譲(介護のイニシアティブを子どもの側に委ねること)」(151ページ)の2つが重要であることが明らかとなった。とはいえ、「たとえボランティアの介入が合理的な配慮にあたるのだとしても、他の児童からは反発の声が上がることになる」。そこで武井は、「ボランティアが〈支援〉的な役割を担ったからといって、教室での学習や生活から排除されがちな子どもの包摂に繋がるかは定かでなく、ボランティアの手を借りることが原則的に許されないという学級の規範を崩すための方策を探らねばならない」(152ページ)、と指摘する。
〇3つ目の事例は、コミュニティ・スクール(保護者・地域住民等で構成する学校運営協議会を設置する学校)の指定を受けたC小学校の事例である。それは、特定の子どもの介助だけを行うのではなく、不特定多数の子どもに関わる(一対多の関係性をもつ)「個別支援ボランティア」(2名)の活動事例である。武井はいう。C小学校では、「子ども同士の関係性に序列がつくられないよう、ボランティア自身があえて授業で出された課題の内容を理解できずにいるかのように振る舞う異質な存在」(193ページ)を演じた。その「異質性の顕在化」によって、「日本の学校で暗黙に共有されている『同質性の前提』を崩すことこそ、学びの場から差別や排除の論理を駆逐するための契機となり得」(194ページ)る可能性を見出している。また、ボランティアが教室での学習や生活から排除されがちな子どもの意思を代弁する役割(アドボカシー)を担おうとする。しかし武井にあっては、「教師との間には上下の関係を認識し、その指示や意向にはできるだけ従おうとしていることからも、ボランティアの立場で学習指導や生活指導の在り方に異議を申し立てるのは難しい」(199ページ)。そこで、「ボランティアによる『アドボカシー』の困難性を乗り越えるための条件を検討すること」(200ページ)が今後の課題となる。
〇4つ目の事例は、脆弱な立場に置かれているボランティアによる「アドボカシー」の可否に関するB小学校の学習支援ボランティア(10名)の事例である。武井はいう。「専門性の侵害を忌避する教師を前にして、非専門家であるボランティアが授業の内容や展開にまで働きかけることはできず、両者が対等な関係を築くことは難しい」(208ページ)。B小学校では、「教室内で脆弱な立場に置かれているボランティア同士が、授業に携わるなかで生じる不安や懸念を共有しながら、独自のネットワークを構築している」(239ページ)。そこで武井は、「ボランティアという立場ゆえの限界を相互に確かめ合いながら判断することが可能な状況にあったからこそ、教室での学習や生活から排除されがちな子どもの意思を代弁し、その権利を擁護するべく、教師とのコンフリクト(意見の衝突、不一致)をも厭(いと)わずに現状への異議申し立てを行うことができた」(242ページ)、と分析する。
〇以上の事例分析を通して武井は、それが含意する(インプリケーション)次の3点を提示する(見出しは本文より引用)。
(1)保護者・地域住民による「教育活動への参加」がもたらす影響
ボランティアが「一斉共同体主義」とも称される日本の学校文化を無批判に受け入れて活動するだけなのであれば、教室での学習や生活から排除されがちな子どもたちを、より不利な立場に追い込むことにもなりかねない。通常の学級に在籍する児童・生徒の多様化が進むなかで、保護者・地域住民による「教育活動への参加」を過度に礼賛するべきではないだろう(258~259ページ)。
(2)教師の専門性に介入するボランティアの困難と意義
依って立つべき専門性を有していないボランティアが、教師の指示や判断に対抗できるかというと必ずしもそうではなく、学校組織に「ゆらぎ」を与えるのは容易でない(260~261ページ)。(しかし)依って立つべき専門性を有していない保護者・地域住民であっても、差別や排除を生む学びの場の構造を批判的に問い直し、現状に対するオルタナティブ(代替)を提起することは可能である(262~263ページ)。
(3)学校―家庭・地域が異質な価値をぶつけ合うことの重要性
子どもの最善の利益を保障するという目的に照らせば、学校―家庭・地域の間で異質な価値がぶつかり合うことそれ自体を排除するべきではなく、むしろ、困難を抱える子どもたちに向き合う責任を三者(教職員・保護者・地域住民)が分有する契機として積極的に評価する必要がある(264ページ)。(すなわち)家庭や地域とのコンフリクトを回避するべく、現状に対する異議申し立ての声を全て封じ込めようとすることなどあってはならない。なぜならば、保護者・地域住民から上がる異議申し立ての背後には、教室での学習や生活から排除されがちな子どもたちの声が潜んでいる可能性が捨てきれないからである(266ページ)。
〇以上が[1]における武井の論点や言説の骨子である。それを「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて一言する。
〇学校における主要な福祉教育活動のひとつに、高齢者や障がい者が学校を訪問し子どもたちと交流する活動がある。その際の高齢者は元気で生き生きと暮らす高齢者であり、障がい者は障害を乗り越えて前向きに暮らす障がい者であることが多い。介護や介助を要する高齢者や障がい者との交流は福祉施設でのそれが多い。しかもその際は、学校(教師)と施設(職員)によって事前準備がなされ、定型化されたプログラムを無難にこなすことがよしとされる。そこでは、高齢者や障がい者の多様性や異質性、個別性は捨象される。そして、こうした訪問・交流活動のねらいは一様に、精神主義的・道徳主義的な「思いやりの心」「福祉の心」の育成に置かれる。
〇こうした高齢者・障がい者の訪問・交流活動を「開かれた学校」づくりの一環として捉え、「学習指導」の視点からRQ(問い、課題)を例示すると次のようになろうか(RQ10プラス1)。それは内容的には、高齢者・障がい者による「単発的な訪問・交流活動が学びの場に及ぼす影響、その光と影」である。それを誤解を恐れずに極言すれば、高齢者・障がい者を学校や教師にとって使い勝手の良いだけの存在にするか、あるいは高齢者・障がい者が学校教育や子ども・教師を揺さぶる存在になることを期待するか、ということになる。本稿のむすびにかえたい。
RQ①:「同質性の前提」や「一斉共同体主義」の学校文化が無批判に受け入れられるなかで、高齢者・障がい者によって異質な価値を持ち込み、ぶつけ合うことは可能か、それは学校文化や教育を揺さぶることになるか。
RQ②:点数学力の競争と序列化を基本としながら理念的に協調や共生が叫ばれる教室での学習や生活において、高齢者・障がい者による学習指導は特別で例外的な活動とされるのではないか。
RQ③:教室での学習や生活において高齢者・障がい者はどのような役割や機能を果たすべきか、高齢者・障がい者に過剰期待や過重負担をかけないか、そのためには、またそれを防ぐためにはどのような事前確認や準備が必要か。
RQ④:素人である、また多様で異質な高齢者・障がい者によって子どもの関心や意欲が喚起され、教師がもっていない情報や知識・技能が提供されることは果たして可能か、また学習指導のねらいが期待通り達成されるか。
RQ⑤:脆弱な高齢者・障がい者による学習指導への参入が、高齢者・障がい者の社会的弱者としての烙印(スティグマ)を強化しないか、あるいは教室内で脆弱な立場に置かれている子どもをより不利な立場に追い込むことにならないか。
RQ⑥:過去に、あるいは差別や排除のなかで学んだ高齢者・障がい者にあっては、学校文化や教育の現状はどのように映り、どのように認識されるか、あるいはその点の事実認識は追求せず、等閑視してよいか。
RQ⑦:高齢者・障がい者によって子ども・教師との関係性について、あるいは教室での学習や生活の現状について異議申し立てがなされた場合、教師や学校は高齢者・障がい者による学習指導に消極的にならないか。
RQ⑧:学習指導に参入する高齢者・障がい者は子ども・教師との関係において、あるいは高齢者・障がい者同士においていかなる苦悩や葛藤を抱くか、それを解決するための学校内外におけるネットワーク化は可能か。
RQ⑨:高齢者・障がい者による学習指導が高齢者・障がい者自身や子ども・教師たちの社会貢献や地域活動への関心・意欲・態度を生み出し、地域とともにある学校づくりや共生のまちづくりを志向することになるか。
RQ⑩:学習指導終了後、高齢者・障がい者、そして子ども・教師は学習指導の過程や状況をどのように評価するか、その評価は高齢者・障がい者や子ども・教師にどのようにフィードバックされ、活動の改善に役立てられるべきか。
<プラス1>
RQ⑪:高齢者・障がい者による学習指導以前に、子どもたちが多様性や異質性を認め合う授業や学級経営、そのための教師の力量形成などのあり方が問われるべきではないか、その課題や方策はなにか。
備考
1996年7月に答申された第15期中央教育審議会第1次答申(「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」)で、「開かれた学校」が提示された。その要旨はこうである。子どもの育成は、学校・家庭・地域社会との連携・協力なしにはなしえない。これからの学校は、社会に対して「開かれた学校」とならなければならない。そこで学校は、保護者や地域住民に自らの考えや教育活動の現状について率直に語る必要がある。とともに、保護者や地域住民、関係機関の意見を十分に聞くなどの努力を払う必要がある。また、学校がその教育活動を展開するに当たっては、地域の教育力を生かしたり、家庭や地域社会の支援を受けることに積極的であるべきである。例えば、非常勤講師として地域住民を採用したり、保護者や地域住民を学校ボランティアとして協力してもらうなどの努力をすべきである。さらに、学校は、地域社会の子どもや大人に対する学校施設の開放や学習機会の提供などを積極的に行い、地域社会の拠点としての様々な活動に取り組む必要がある。
文部科学省はその後、「開かれた学校」の制度化(学校評議員制度、学校運営協議会制度、学校支援地域本部事業など)を進める。しかし、学校の閉鎖性・画一性や教育の均質性・一斉性が容易に解消されず、また教師集団の凝集性が高いなかで、保護者や地域住民の学校への参加や支援の限界や形骸化が指摘されることになる。すなわち、「地域に開かれた学校」づくりや「地域とともにある学校」づくりは、言われるほどには進まず、それが企図するところも十全に果たされていない。
付記
本稿を草することにしたひとつのきっかけは、あることから筋ジストロフィーを患う中学生のことを思い出したことにある。彼は、教職員による全面的な支援を受けて、学校挙げての福祉教育に先駆的に取り組んでいた地元のA中学校に通った。地域の人たちにも理解があった。時が経つにつれて複数の生徒たちには、教師による学習支援や生活支援が「特別な扱い(えこひいき)」と映るようになっていった。そんななかで、彼に対するいじめや暴力が明るみになった。それは、学校における福祉教育のあり方を厳しく問うことになる。その後、彼は、「建築家になって大きなビルを建てたい」という夢を抱いて地元の高校に進学することを志望する。しかし、障害があるがゆえに入学は許されなかった。しばらくして彼は、懸命に生き、懸命に学んだ足跡を残して、若くして亡くなった。
子どもには残酷な一面がある。福祉教育は脆弱であり、共生を保障するとは限らないことを痛感した事例である。