大橋謙策/異なる国の文化・生活慣習と多文化理解―キリーロバ・ナージャ著『6ヶ国転校生・ナージャの発見』を読んで―

〇私が、国によって文化や言語が違い、その結果として「ものの見方、考え方」が違うことに関心を持つようになったのは、何歳の頃か定かでない。ただし、笠信太郎の『ものの見方・考え方』を読んで、非常に興味をそそられたことは覚えている。
〇そんなこともあり、私は1960年代に社会福祉方法論としてのケースワークを習ったが、その内容が基底になる文化、言語の違いがあるにも関わらず、アメリカの“直輸入”的で、どうにも馴染めず、学習が進まなかった。
〇当時、“社会福祉と文化”との関係を極める必要があると考え、社会人類学や民俗学、文化論等の書物を読んだが、奥が深く、幅が広くとても自分には研究できないと考え、“文化・民俗学・社会人類学の視点からの社会福祉研究”を断念した思い出がある。しかしながら、その命題は、いつも私の心に、私の思考に引っかかる命題であった。
〇1990年代半ばに「村山談話」がだされ、日本が侵略した韓国、中国への私の贖罪感、こだわりも少し解消され、韓国への調査研究に出掛けられるようになった。その折に、韓国と日本の食文化、食事作法の違いに、改めて驚かされた。1970年代から、アメリカ、ヨーロッパに出掛けていたにも関わらず、その当時は食事マナーに気がとられていたのか、あまり注目していなかったが、韓国への旅行では食文化、食事作法をはじめとして様々な文化の違い、生活習慣の違いがあるにも関わらず、日本は“侵略”し、日本語を強制し、創氏改名まで強制した蛮行になんとも心が痛んだ。この“蛮行”をすべての日本人に理解してもらわないと、真の交流にはならないと思っている。
〇朝日新聞の1月9日の「天声人語」で紹介されていたキリーロバ・ナージャ著『6ヵ国転校生・ナージャの発見』(集英社インターナショナル、2022年7月)を読んだ。学校の給食、テスト、体操での整列の仕方等、国々によってこんなにも違うのかと改めて驚いた。それは、現象、制度が違うだけでなく、そのことを通して何を獲得するのか、なにを学ぶのかまで左右する大きな違いがあることに驚かされた。国の違う学校の試験でも、「正答」を求めない試験もあるという。つまり、社会生活の中で、常に「正答」は一つではないことを考えさせる取組でもある。一つの価値基準が全てという画一的な思考法とは異なる取り組みである。
〇この本を読んで、多文化理解とは、その国の、その民族の生活様式、文化を理解するだけでなく、それらがもたらす思考方法の違いにも目を向けなければ、その理解は皮相的なものになることを教えられた。まさに“ものの見方、考え方”の違いを理解することが多文化理解なのではないかと教えられた。そこでは自分にとって“「ふつう」こそ個性だ”という記述はとても考えさせられる記述であった。
〇以前悩んだ文化、社会人類学あるいは民俗学をきちんと学ばないと“生活に関わるソーシャルワーク”の理解は深まらないのではないかと改めて考えている。研究者生活を50年間もやってきて、いまさらながら、何をしてきたのだろうかという“自虐的自戒”に囚われる。
〇私は2005年に書いた「わが国におけるソーシャルワークの理論化を求めて」(相川書房『ソーシャルワーク研究』Vol31No1、2005年所収)において、中根千枝の社会構造研究において日本をタテ社会と論じた枠組みを援用して、日本の社会福祉、ソーシャルワークの問題について論究した。そこでは、日本には実質的にソーシャルワーク実践、研究が1990年までなかったと主張している。
〇我々は、多文化理解、多様性等について、“分かっている気になっている”が、本当に分かっているのであろうか。『6ヵ国転校生・ナージャの発見』を読んで、改めて福祉教育の奥の深さ、難しさを思い知らされた。この本は、福祉教育関係者、地域福祉関係者の必読文献と言っていい本である。
 
 
付記
キリーロバ・ナージャ/「ふつう」が最大の個性だった!?
「環境が変わると、ガラッと変わるものは?」
答えは、「ふつう」だ。転校するたびに今まで「ふつう」だと思っていたことが、急に通用しなくなる。転校生なら少なからずみんな経験している気がする。
絶対的な「ふつう」がないんだとしたら、自分の「ふつう」ってなんだろう? 今まで考えたことはなかったけれど、誰かの「ふつう」を真似する限り、二番煎じにしかならないし、自分の本当のよさが生きてこない気がした。
子どものころはなかなか気づけないけれど、まわりと違う自分の「ふつう」こそが、「個性」の原料だ。そう気づいてから、今まで嫌いだった自分の「ふつう」がなんだか少しだけかわいく見えた。
そう、みんな「ふつう」でいいし、「ふつう」に対するコンプレックスをもっともっと捨てられるといいなと。
「ふつう」を磨いていくことが、「個性」を磨くことよりずっと早いという発見をしてから、ずっとそう思っている。(114~118ページ抜粋)