キャリア研究では、明確な目標を立て、そこに到達するために「逆算」して、計画化に努力していくという考え方(「キャリア・プランニング」論)ではなく、偶然のチャンスを生かして、上手に転換を図りながら自分のキャリアを歩んでいくという考え方(「計画的な偶発性(プランド・ハプンスタンス)」の理論)が主流となっている(児美川孝一郎著『夢があふれる社会に希望はあるか』KKベストセラーズ、2016年4月、136~137ページ)。
〇本稿は、<雑感>(177)夢の正体とキャリア教育の功罪―児美川孝一郎著『夢があふれる社会に希望はあるか』のワンポイントメモ―/2023年6月4日投稿、そのなかの上記の一節に関する追補である。
〇いま、いわゆるVUCA(ブーカ)――Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の時代にあって、自分の「経歴」や「職歴」、すなわち「キャリア」(career)を他人まかせや組織まかせではなく、自らどのように構想し形成・開発していくかが問われている。
〇まず、「キャリア」という言葉・概念について簡単に押さえておきたい。ひとつは、厚生労働省の「キャリア形成を支援する労働市場政策研究会」報告書(2002年7月)がいう「キャリア」と「キャリア形成」についてである。いまひとつは、中央教育審議会の「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」答申(2011年1月)がいう「キャリア」と「キャリア発達」についてである。
「キャリア」と「キャリア形成」
―厚生労働省「キャリア形成を支援する労働市場政策研究会」報告書(2002年7月)―
近年、労働市場の変化や労働者等の職業意識の変化に伴い、「キャリア」や「キャリア形成」等の言葉が個人の職業生活を論ずる場合のキーワードの一つとなっている。(中略)
「キャリア」とは、一般に「経歴」、「経験」、「発展」さらには、「関連した職務の連鎖」等と表現され、時間的持続性ないし継続性を持った概念として捉えられる。
「職業能力」との関連で考えると、「職業能力」は「キャリア」を積んだ結果として蓄積されたものであるのに対し、「キャリア」は職業経験を通して、「職業能力」を蓄積していく過程の概念であるとも言える。
「キャリア形成」とは、このような「キャリア」の概念を前提として、個人が職業能力を作り上げていくこと、すなわち、「関連した職務経験の連鎖を通して職業能力を形成していくこと」と捉えることが適当と考えられる。
また、こうした「キャリア形成」のプロセスを、個人の側から観ると、動機、価値観、能力を自ら問いながら、職業を通して自己実現を図っていくプロセスとして考えられる。
「キャリア」と「キャリア発達」
―中央教育審議会「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」答申(2011年1月)―
人は,他者や社会とのかかわりの中で、職業人、家庭人、地域社会の一員等、様々な役割を担いながら生きている。これらの役割は、生涯という時間的な流れの中で変化しつつ積み重なり、つながっていくものである。また、このような役割の中には、所属する集団や組織から与えられたものや日常生活の中で特に意識せず習慣的に行っているものもあるが、人はこれらを含めた様々な役割の関係や価値を自ら判断し、取捨選択や創造を重ねながら取り組んでいる。
人は、このような自分の役割を果たして活動すること、つまり「働くこと」を通して、人や社会にかかわることになり、そのかかわり方の違いが「自分らしい生き方」となっていくものである。
このように、人が、生涯の中で様々な役割を果たす過程で、自らの役割の価値や自分と役割との関係を見いだしていく連なりや積み重ねが、「キャリア」の意味するところである。このキャリアは、ある年齢に達すると自然に獲得されるものではなく、子ども・若者の発達の段階や発達課題の達成と深くかかわりながら段階を追って発達していくものである。(中略)
このような、社会の中で自分の役割を果たしながら、自分らしい生き方を実現していく過程を「キャリア発達」という。
〇要するに、厚生労働省報告では「キャリア」とは、単なる「職歴」ではなく、職業経験を通してあらゆる経験が持続的・継続的に蓄積・連鎖して構築されていくこと(またその過程やさま)をいう。中央教育審議会答申では「キャリア」とは、「人が、生涯の中で様々な役割を果たす過程で、自らの役割の価値や自分と役割との関係を見いだしていく連なりや積み重ね」の総体を意味する。この点に関して文部科学省は、「『働くこと』については、職業生活以外にも家事や学校での係活動、あるいは、ボランティア活動などの多様な活動があることなどから、個人がその学校生活、職業生活、家庭生活、市民生活等の生活の中で経験する様々な立場や役割を遂行する活動として、幅広くとらえる必要がある」(文部科学省『中学校キャリア教育の手引き』2011年5月、16ページ)とする。留意しておきたい。
〇筆者(阪野)の手もとに、J.D.クランボルツ・A.S.レヴィン著、 花田光世・大木紀子・宮地夕紀子訳『その幸運は偶然ではないんです!―夢の仕事をつかむ心の練習問題―』(ダイヤモンド社、みすず書房、2005年11月。2022年2月・第18刷。以下[1])という本がある。クランボルツ(1928年~2019年)は、代表的なキャリア理論のひとつである「計画的偶発性理論/計画された偶発性理論」(Planned Happenstance Theory)の提唱者として著名である。
〇計画的偶発性理論の骨子は、① 人生やキャリアは、(その8割が)想定外の出来事や「偶然の出来事」(happenstance)によって影響を受ける。② 偶然の出来事に対して積極的に行動・努力することによって、キャリアを発展させることができる。③ 偶然の出来事をただ待つだけでなく、それを引き寄せる・創り出すために積極的に行動し、変化する状況に注意を向けることによってチャンスが生まれる。また、チャンスが来たときにそれを掴(つか)める準備をしておくことによってキャリア形成を図ることができる、というものである。
〇[1]はこういう。「人生には、予測不可能なことのほうが多いし、あなたは遭遇する人々や出来事の影響を受け続ける。結果がわからないときでも、行動を起こして新しいチャンスを切り開くこと、偶然の出来事を最大限に活用することが大事」である(1ページ)。「この本を通してあなたに伝えたいのは、結果がわからないときでも、行動を起こして新しいチャンスを切り開くこと、偶然の出来事を活用すること、選択肢を常にオープンにしておくこと、そして人生に起きることを最大限に活用すること。(中略)うまくいっていない計画に固執するべきではない」ことである(2ページ)。「この本で伝えたい基本的なことは、積極的に行動してチャンスをつかみ、新しい経験を最大限に活かそうとすることで満足のいくキャリア、満足のいく人生を見つけることができ」ということである(206ページ)。
〇そして、偶然の出来事をキャリア形成に繋げるためには、次のような行動(「行動原則」)が求められるという。① 好奇心(curiosity)/興味や関心をそそる活動に積極的に関わり、それを学びの経験にする(206ページ)。② 持続性(persistence)/失敗してもキャリアの夢を見続け、それが実現するための行動を起こし努力する(52ページ)。③ 楽観性(optimism)/失敗に対して悲観的にならず、建設的な行動を助けるような前向き(ポジティブ)な考え方を持つ(209ページ)。④ 柔軟性(flexibility)/ひとつの目標や計画に固執せず、他の選択肢にもオープンになる(82ページ)。⑤ 冒険心(risk taking)/結果が不確かであっても、新しい活動に挑戦し、行動を起こしてチャンスを切り開く(1ページ)、がそれである(「訳者あとがきにかえて」225ページ参照)。
〇およそ以上が、筆者の偏狭な関心事にもとつぐ[1]の議論の抜き書き・要約であり、<雑感>(177)の追補である。
〇なお、本稿を草することにした意図にいまひとつ、私事にわたるがT氏のキャリアをめぐる筆者の思いや願いがある。氏は今年度から、厳しい条件を承知のうえで所属機関を移籍し、研究・教育のステージを変えることになった。それに関して[1]のなかから、クランボルツとレヴィンの次の言葉を借りたい。T氏への敬意とエールでもある。いつも好奇心を持ち、いつも学び、いつも挑戦してほしいのである(223ページ)。
想定外の出来事は常に起こります。その中のいくつかは、あなた自身の行動の結果として起きています。そしてその中のいくつかは、あなたのキャリアに大きな影響を与える可能性があるのです。(27ページ)
あなたが夢を追求する道中では、よく目を開き耳をすませておくことをお勧めします。チャンスがやってきたときにそれをつかむ準備ができていれば、想定外の出来事があなたをさらによい結果へと導く可能性があります。(53ページ)
付記
〇筆者の手もとに、雇用ジャーナリストの海老原嗣生(えびはら・つぐお)が書いた『クラウンボルツに学ぶ夢のあきらめ方』(星海社新書、2017年4月。以下[2])という本がある。[2]では、キャリア論の「基礎中の基礎(バイブル)」(8ページ)と評するクランボルツの計画的偶発性理論を平易に、小気味よく解説している。図1は、計画的偶発性理論のポイントを整理したものである。参考に引いておくことにする。海老原はいう。「夢はときにあきらめる(消化する)べきものであり、ときに新たに見つける(代謝する)べきものである」。そのため(代謝するため)にはまず「踏み出すこと(好奇心、楽観性、冒険心)」、もう一度「いちから始めること(柔軟性)」、そして「続けること(持続性)」が重要となる。