阪野 貢/桜井正成著『コミュニティの幸福論』再読メモ ―「幸せのシェア」と「パッチワーク型コミュニティ」―

生きづらいのは特別の人だけ?
SNSの友達やフォロワーが多い人は幸せ?/「これからはモノの豊かさより心の豊かさ」、そう言っているのは高齢者だけ?!/ウチでは気を遣いすぎるくらい遣うのに、ソトでは冷たいのが日本人?!
――絆は、しがらみ。「ほどほどな幸せ」で生きていこう。(下記「帯」)

〇筆者(阪野)の手もとに、桜井正成著『コミュニティの幸福論―助け合うことの社会学―』(明石書店、2020年9月。以下[1])という本がある。その「帯」は、[1]の内容を次のように紹介する。「『助けたくない、助けられたくない』日本のあなたとわたし、身近なギモンや俗説の真相究明に挑んだ国内外の学術的研究を紹介しつつ、家族や地域、趣味・ボランティアのグループ、SNSやネットゲームといったあらゆる“コミュニティ”を取り上げて、人と人との関わり合いを問いなおす」(「帯」)。
〇現代の日本社会は、血縁(家族)・地縁(地域社会)・社縁(会社)による社会的なつながりが希薄化あるいは崩壊した「無縁社会」(橘木俊詔)であると言われる。そんななかで、「コミュニティ」という言葉は多様性・多義性の高い概念として使われる。[1]で桜井は、「コミュニティ」を「人と人とのあつまりや、その関係性・空間」(ⅶページ)と定義し、地域、居場所、インターネット、当事者、働くこと、災害などさまざまな観点から幅広く「コミュニティ」を捉える。そして桜井は、「コミュニティで人と人とが(あなたと私とが)幸せに生きるには?」ということを追求し、考える(ⅶページ)。そしていう。「あなたが幸せならば誰かも幸せになる。コミュニティの幸せとはそうした性質を強くもつている。ともに幸せになっていくのである」(ⅸページ、語尾変換)。
〇[1]のうちから、桜井の言説や論点のいくつか(概要)をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

人と人が関わり合って人を助けることは助けた人も幸せにする
「人のために何かする」行動は、社会心理学などでは「利他的行動」、「向社会的行動」と呼ばれている。この行動は、「コミュニティと幸せ」に重要な意味合いをもっている。それは、人が誰かを助けることは、助けられた人にとってだけでなく、助けた人も幸せにする、ということである。(6ページ)/(現代の、自己責任が問われる個人化社会にあって)人と人との関わり合いは、幸せを生む可能性がある。(7ページ)

人と信頼し合って広く付き合う多様な人間関係によって幸福感が得られる
日本は人との円滑な関係に価値を置いている文化であるために、人と調和したときに幸福を感じるのではないか(「協調的幸福」)。(19ページ)/北米の文化と比較したときに、家族などの身近な人との関係が良好であることが、幸福に与える影響はより大きいとされている。(20ページ)/身近な特定の人だけ信頼して親密に付き合うのではなく、皆が信頼し合って広く付き合う(信頼を「解き放つ」)ことによって、多様な人間関係から幸福感を得られる人が増えるのではないか。(36、38ページ)

日本のボランティア活動はウチでの活動が盛んでありソトに目が向かないでいる
日本でボランティア活動を行なっている人は、個人で行なうというよりも、団体に所属して行なっていることが多い。そしてそのもっとも多い団体の形態は町内会などの組織である。(52ページ)/日本のボランティア活動は、お互い知り合い同士のなかで行なわれる、身内(「ウチ」)での活動が盛んであるがゆえに、「ソト」の見知らぬ他人を助けることに目が向かない可能性が考えられるのではないか。つまり、「助けを求める」見知らぬ他者に気づけない人が多くいる可能性がある。(60ページ)

助けられるとき「居心地の悪さ」を感じて助けを求めない・求められない人がいる
人は助けてもらうとき、ありがたみと同時に申し訳なさも感じる。(68ページ)/ウチとソトの壁が厚い(意識が強い)日本文化においては、ソトの人から助けられることも、そして助けることも、強い「居心地の悪さ」を感じる(「心理的負債」)。(86ページ)/関係性が永続的に続くような固定した人間関係では、助ける・助けられるというプラスの互酬性は、裏返せば、迷惑をかける・かけられるという、マイナスの関係性も積み重なっていくのではないか。(78ページ)/(従って)助ける側の人は、ウエメセ(上から目線、象徴的支配)にならないように気をつけなければならない。そして、助けられる側の人には助けを求められない(求めることが心理的負担となる)状況があるので、それを社会として、あるいはコミュニティとして解消する必要がある。(89ページ)

〇以上のような議論(論拠)に基づいて桜井は、国内外の学術的知見や事例を紹介しながら、子ども・若者らの「生きづらさ」の現状を多角的・多面的な分析する(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

地域コミュニティ:ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)には負の側面がある
ソーシャル・キャピタル(social capital、社会関係資本)は、地域・社会における人々の信頼関係や互酬性の規範、ネットワーク(社会的つながり)の状態を示す概念である。/信頼、規範、ネットワークが強くあるコミュニティでは、経済的の発展や犯罪の防止、教育の成果、被災地の復興などに、有用であるとされている。(112ページ)/しかし、①外部者の排除(閉鎖的になる)、②個人の自由の制限、③集団のメンバーからの過度な要求、④規範の水準の押し下げ(皆が楽な方に、悪い方に流されてしまう現象)、といった負の側面がソーシャル・キャピタルにあることも指摘されている。(114ページ)/このようなソーシャル・キャピタルの両面性は、日本語での「絆」が同時に「しがらみ」を意味することを思い出させる。(115ページ)

居場所とコミュニティ:助けが必要な子どもほど助けを得られるつながりも居場所もない
居場所には、1人でいる「個人的居場所」と他の人と一緒にいる「社会的居場所」がある。/個人的居場所もときに人には必要であるが、生きづらさの解消のためには、最終的には社会的居場所がより重要な役割を果たす。人と話せて、安心でき、自分の存在や役割を確認できる場が重要となる。(125ページ)/現在の子ども・若者にとっては、自宅(ファーストプレイス)でもない学校・職場(セカンドプレイス)でもない社会的な居場所(サードプレイス)となり得るのは、インターネット空間である可能性が高い。(135ページ)/しかも、助けが必要な子どもほど、助けを得られるつながりも居場所もない、という現状にある。(137ページ)

インターネットとコミュニティ:オンライン・コミュニティが現実社会のコミュニティに影響を及ぼす
SNSでのオンライン・コミュニティと現実の生活との関連はより多様化・複雑化し、そこでの幸福は一様ではなくなっていくことが予想される。(174ページ)/今後、オンライン・コミュニティがオフラインの現実社会のコミュニティに影響を及ぼし、その意味やあり方をますます変えていく可能性がある。そしてそこでの個人の幸せのあり方も、多様に広がっていきそうである。(176ページ)

「当事者」とコミュニティ:「当事者」という表現はそうでない人たちとの線引きを明確化する
LGBTに限らず、「当事者」という言葉は、当事者「以外」の人たちを、その当事者が抱える問題のソトの人=よそ者と位置づけることにもなりかねない。(200ページ)/当事者(コミュニティ)のウチとソトのあいだの壁を低くする、あるいはそのあいだをつなぐことは、当事者にとっても、当事者以外にとっても、その社会での生きやすさにつながると言えるのではないか。(207~208ページ)/当事者とそうでない(と思っている)者とのコミュニケーションのなかにこそ、お互いの生きづらさを明らかにし、共有し、問題を解決していく道筋があり、またそれを促進するような支援のあり方が必要ではないかと考えられる。(208ページ)

「働くこと」とコミュニティ:就労支援には支援者たちのネットワークづくりと小さなコミュニティが重要である
働くことから排除され、ホームレス状態になる若者は、多重的な社会的排除の状態にある。(220ページ)/社会的排除は人間関係からの排除でもある。(222ページ)/「働くこと」が支えられる(若者の就労支援)には、就労困難な若者個人を支援し就職支援をするだけでは、その支援達成に向けては不十分であり、それに加えて若者支援の社会ネットワークの構築が必要になる。(229ページ)/それが社会的包摂を推進する。(234ページ)/このような「支えるコミュニティ」は、大きな集団ではネットワークの密度が低くなることから、小さなものが、さまざまに存在していることが理想である。(229ページ)

災害とコミュニティ:一人ひとりがどこかでは助けてもらえる社会をつくることが重要である
災害に強いコミュニティとは、「レジリエンス」(resilience)なコミュニティである。レジリエンス(強靭)とは、何かが起きたときでも柔軟に対処できるしなやかなコミュニティのあり方をいう。(251ページ)/(災害などでコミュニティがこわれたときの対応策として)一人ひとりがどこかでは助けてもらえる、あるいは助け合える関係性が社会でつくられることが重要である(「パッチワーク型コミュニティ」)。(271ページ)

〇以上を踏まえて桜井は、「助け合うコミュニティづくり」のためのアプローチについて提示し、「幸せなコミュニティづくり」の手法を紹介する(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

助け合うコミュニティづくりの3つのパターン
皆が助け合える幸せなコミュニティをつくるには、問題を「個人化」させて自己責任とせず、①「助けられる人が助ける」、②「贈与を交換にする」、③「ソトをウチにする」、という3つのパターン(方法、アイディア)がある。(277ページ)/①「助けられる人が助ける」の方法は、常に援助される側にまわってしまいがちな人でも、誰かを・何かを助ける場面をコミュニティでつくることができれば、「心理的負債」を減らすことができるのではないか。いわば、ケアするコミュニティ(ケアリング・コミュニティ)の可能性である。(277ページ)/②「贈与を交換にする」の方法は、「贈与」であった援助を、対価を払うことで「交換」という規範へと変えてしまうことである。地域通貨(特定のグループや地域で流通させるクーポン券)やボランティアの時間預託制度などである。(280、281~282ページ)/③「ソトをウチにする」は、ソトの人に頼れないのであれば、「ソトをウチに」することによって、ウチの人を新たにつくってしまう、という方法である。他人と住み暮らすシェアハウスという取り組み(シングルマザー・シェアハウスなど)がそれである。(283~284ページ)

幸せなコミュニティづくりの2つの手法
「幸せなコミュニティづくり」のためのコミュニティ・ソーシャルワークの代表的な手法には、コミュニティ・オーガナイジング(Community Organizing:CO)とアセットベースド・コミュニティ・ディベロップメント(Asset Based Community Development:ABCD)の2つがある。/コミュニティ・オーガナイジングは、地域課題に焦点を当て、個人の関係構築や組織化を進め、社会変革に対する行動を起こすものである。(286ページ)/それは日本の住民運動や障害者運動とよく似ている。(290ページ)/アセットベースド・コミュニティ・ディベロップメントは、地域資源に着目し、地域住民主導の参加型プロセスで、人と人とのつながり(ソーシャル・キャピタル)を醸成し、内発的な発展を志向するものである。/それは例えば、コミュニティ・デザイン(山崎亮)や、地元学(吉本哲郎)などの手法がそれである。(295ページ)

「幸せのシェア」と「パッチワーク型コミュニティ」
誰かが誰かに寄り添い支援する、誰かがどこかで見守っている「つぎはぎ」の助け合いやコミュニティづくり(パッチワーク型支援、パッチワーク型コミュニティ)が重要である。ただそれは、支援の網の目が均一でないので、どこかで支援の網からもれる可能性がある。(とはいえ)支援を受ける側にとって選択肢があることや、「絆」を超えた「縁」を新たに結ぶことなどによって、「幸せのシェア」(共有・分かち合い)が柔軟で、風通しの良い「幸せなコミュニティ」を作っていく第一歩として効果的な手段である。(303、304、308ページ)/「幸せのシェア」と「パッチワーク型コミュニティ」がこれからどうやって日本で根付いていくのか。またそれは、コミュニティでの幸せが築かれるためにどれだけの意味があるのか、が問われるところである。(309ページ)

〇[1]で桜井は、国内外の多くの学術的な研究と事例を取り上げ、「ウチとソト」「絆と縁」といった日本文化論を根幹に据えながら、多様なコミュニティ活動を読み解き、新たなコミュニティ論を展開する。そして桜井は、「(本書の)文章は、教科書でも一般書でも、研究書でもない、でもそれらすべてでもある」(312ページ)という。それ故にではなく、筆者の感受性の低さによるのであろうか、[1]に登場する数多くの地域(地元)や事例(実践)から、それぞれに固有の音や色そして匂い、そこに生きる個々人の痛みや苦しみ、あるいは心地よさなどが、必ずしも十分に肌感覚として伝わってこない。桜井が指摘する山崎亮や吉本哲郎らの、その地域(コミュニティ)の土(組織)や暮らし(活動)の匂いがする実践や研究が思い起こされるのは、筆者だけであろうか。
〇筆者の手もとに、[1]と同じようなタイトルの、山崎亮+NHK「東北発☆未来塾」制作班著『まちの幸福論―コミュニティデザインから考える―』(NHK出版、2012年5月)がある。そこで山崎はこういう。「コミュニティの活動、言い換えれば、人と人とのつながりが機能するまちの暮らしは、住民ひとりひとりの『やりたいこと』『できること』『求められること』が組み合わさって実行されてこそ、初めて実現するものではないか。『できること』を他者に委ね、『求められること』を拒否し、『やりたいこと』だけに時間と労力を費やす人々の生活からは、成熟した豊かなコミュニティの姿を展望することはできない」(165ページ)。そして山崎は断言する。「コミュニティデザインに教科書はない」(144ページ)。

付記
地域福祉の視点から「ケアリング・コミュニティ」(caring community)を捉えると、それは「福祉サービスを必要とする人を社会的に排除するのではなく、地域社会を構成する一人として包摂し、日常生活圏域の中で支えていく機能を有しているコミュニティのことである」(大橋謙策編著『ケアとコミュニティ―福祉・地域・まちづくり―』ミネルヴァ書房、2014年4月)。簡潔に換言すれば、人と人が共に生き、相互に支え合うコミュニティをいう。そこでは、相互の関係性を大切にし、お互いによりよく生きようという「相互実現的自立」(interdependence)が重視される(原田正樹)。