〇若松英輔(批評家、随筆家)の『ひとりだと感じたとき あなたは探していた言葉に出会う』(亜紀書房、2023年10月)を読みました。「気になる14+1のワンフレーズ」を抜き書きしました。誰が何を書いているか、自分が書くのに何が役立つか、そんなことを気にする苦しみから解放されたい。自分なりのこれまでの学びを思い起こし、自分なりのこれからの学びを楽しみたい。そんなことを願っています。
生活は水平的な方向のなかで広がりを求めて営まれるのに対して、「人生」は一点を掘り下げるようにして深まっていく。(7ページ)
自分を「受け容れる」とは、それまでの過去を抱きしめ、ゆっくり明日に向かって進んでいこうとする営みである。(14ページ)
同情の眼は、相手に弱者の姿を見出すが、「共感」の眼は、弱者の奥にもう一度立ち上がろうとする勇者の姿を見る。(18ページ)
「祈る」とは、願いを鎮め、彼方からの声に耳をかたむけること、無音の言葉を聞くことなのではないだろうか。(28ページ)
「ひとり」のときを生きる(孤独を生きる)とき、人はそれまで見過ごしてきた、さまざまなものに出会い直す。(35ページ)
「書く」とは、頭にあることを言葉にすることではなく、心の奥にあって、言葉にならなかったものを照らす営みなのである。(40ページ)
書かれた言葉、話された言葉は、誰かに受けとめられたとき、初めて「言葉」になる。(49ページ)
苦しみながらでも生きている。この現実が、「生きがい」が存在することを確かに告げ知らせている。(55ページ)
自分のものであるよりも、何かのはたらきで自らの手もとにあると感じられるもの、それを人は「分かち合う」。(63ページ)
「成長」は上に向かって芽を伸ばすことだが、「成熟」は、大地に深く根を下ろすことである。(72ページ)
「味わう」とは、意味を解釈することではない。書き手が強く感じながらも言葉にできなかったことをすくいとろうとすることである。(107ページ)
「年を重ねる」とは、言葉にできることを多く持つのではなく、語り得ないものを心に積み上げていくことなのではないだろうか。(109ページ)
二人の作品(筋ジストロフィーの兄弟の詩と画)は、病は存在しない、病を生きる人間が存在するだけだ、そう語っているようにも感じられる。(121ページ)
命の尊厳は亡くなってからも続く。死とは、生命の状態から純粋な「いのち」へと変容することだといえるかもしれない。(129ページ)
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「新しさ」とは、単に新規性があることを意味しない。むしろ、古くならない何かを指す。(142ページ)