阪野 貢/新訂「「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて―その文化的・芸術的視点からのアプローチに関する研究メモ―

新訂「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて
―その文化的・芸術的視点からのアプローチに関する研究メモ―

阪野 貢/市民福祉教育研究所

 

はじめに
01 「時間」と「空間」の座標  ― 内藤廣(建築家)から学ぶ  ―
02 「塑する」ことと「繋ぐ」こと  ―佐藤卓(グラフィックデザイナー)から学ぶ  ―
03 「福祉文化」活動を通した「ゆるやかな絆」 ―今中博之(ソーシャルデザイナー)から学ぶ  ―
04 「1984年」と「個性」と「多様性」 ―ジョージ・オーウェルと村田紗耶香(小説家)から学ぶ  ―
05 「社会」と「自分」を「考える」―池田晶子(哲学者、文筆家)から学ぶ―
06 「教養」と「教育」―教養人(安部謹也・ほか)から学ぶ―
07 「福祉」はアートであり、デザインである  ―東京藝大と東大における体験型授業から学ぶ  ―
08 共同体の狂気の「負の歴史」―映画「福田村事件」から学ぶ―
むすびにかえて

 


はじめに


〇「文化」とは、人間らしい生活のあり方をいう。文化とは、日常生活のなかにあって、生活を豊かにするものである。また、生活それ自体が文化であり、文化でなければならない。
〇そもそも、文化という言葉は包括的で多義的な概念である。また、その言葉には、主観的・理念的要素が入りやすい。同様に、「福祉文化」という言葉も抽象的であり、多義的である。それゆえ、安易に使うことにもなりかねない。
〇福祉文化とは何か。1989年7月に創設された福祉文化学会(現・日本福祉文化学会)の初代会長であった一番ヶ瀬康子は、福祉文化を「福祉の文化化」と「文化の福祉化」が統合化された概念として捉える(一番ヶ瀬康子編著『福祉を拓き、文化をつくる』中央法規出版、1991年5月)「」。一番ヶ瀬は、「福祉の文化化」についていう。社会福祉は本来、人間としての幸せを求めての日常生活での努力を意味する。とすれば、社会福祉は当然、
文化的な生活をめざさなければ意味がない。また、社会福祉の究極の目的は、自己実現や自己超越への援助であり、そのあり方を追求していくことにある。その視点に立てば、文化を含み得ない社会福祉はあり得ない、と。また、「文化の福祉化」についてこう説明する。真の文化は、人びとの暮らしのなかから生れる。本来の文化が生み出されるためには、一部の条件に恵まれた人だけの努力では限界がある。高齢者や障がい者をはじめすべての人が、草の根からの文化創造をめざして、日々の生活が営まれてこそ、文化の基盤はより広く、深まり、高まる、と。
〇そこでまず、一番ヶ瀬のいう「福祉の文化化」に関していえば、それは、社会福祉それ自体をいかに質・量ともに豊かな、文化的なものにしていくか、文化の香りのするグレードの高いものにしていくかということを意味する。そこから、福祉文化とは、日常生活の量的充実と質的充実・向上を図り、人びとの健康で快適な生活や情感の安定を保証する「生活の質としての文化」であるといえる。さらにはまた、人びとの日常生活に心の潤いと安らぎ、豊かさなどをもたらす文化であるともいえようか。そういう福祉文化の創造には、人に対する優しさや思いやり、人と人との第一次的・直接的な触れあいや支えあいが必要かつ重要となる。その点において、福祉文化とは、「優しさの文化」「思いやりの文化」であり、「触れあいの文化」「支えあいの文化」であるともいえよう。なお、福祉の文化化は、内容的には、福祉行政の文化化や行政の福祉文化化などを求めことになる。
〇次に、「文化の福祉化」に関していえば、まず文化は、人びとの日常的な生活行為のなかに現れ、創られるものである。そこから、高齢者や障がい者などの福祉サービス利用者を含め、すべての人が生活主体として、文化の創造主体であり活動主体であるといえる。しかし、例えば芸術文化についていえば、こんにちにおいてもまだ、芸術家や文化人などと呼ばれる一定の条件に恵まれた一部の人だけのものであるとか、特定の人が美術館や音楽ホールなどの特定の場所や機会にふれるものであるという認識が強い。とりわけ福祉サービス利用者にとっては、芸術文化は無縁の存在となっている。こういった文化状況の偏りを是正し、すべての人びとに対して、とりわけ文化的貧困のもとに置かれてきた福祉サービス利用者やその家族などに対し、文化を享受する機会の確保・拡充や文化活動への参加の機運の醸成などを図ることが求められる。
〇いずれにしろ、福祉文化については、いまだ抽象的な理念が提唱されているにすぎない。今後、福祉文化創造に向けての積極的な取り組みが求められるが、福祉文化が実質を伴わない単なるスローガンやイメージアップのためのものに終るとすれば、真に豊かな生活は実現しない。福祉文化という言葉を、実質を伴わない空念仏や一時の流行語に終らせるべきではない。

初出】
阪野 貢「福祉文化のまちづくりと福祉教育」『福祉文化研究』Vol. 2、福祉文化学会、1993年3月、18~20ページ。

〇本稿は、「文化と芸術」「アートとデザイン」「自己表現と問題解決」などの視点から「まちづくりと市民福祉教育」に関して草してきた拙稿(論点や言説についてのメモ)の一部を集成したものである。

 


01 「時間」と「空間」の座標  ― 内藤廣(建築家)から学ぶ  ―


<文献>
(1)内藤廣『建築のちから』王国社、2009年7月、以下[1]。
(2)内藤廣『場のちから』王国社、2016年7月、以下[2]]。
(3)内藤廣『空間のちから』王国社、2021年1月、以下[3]。

〇「文章を書く建築家」と評される内藤廣が上梓した3部作の本には、その時々の信条や心象を言葉にした、哲学的で、専門的知識に裏打ちされた玉稿が収められている。内藤は[1]で「建築の本懐(本意)は、その誕生にあるのではなく、その後、時代と共に生きていく時間の中にこそある」(18~19ページ)。「大衆が心から望むものと建築家が実現しようとするもの、そのベクトルが一致する時、建築は街を変え、人びとを変えていく力となる」(20ページ)、と説く。[2]で「建築の依って立つところ、それは大地だ。大地とその場所に生きる人間だ」(12ページ)。いま、建築という価値が大きく毀損(きそん)され、本質的な意味で「建築の冬の時代」(12ページ)が到来しつつある。そんななかで必要とされるのは、「場所の持っている内在的な力、人を生かしめる内発的な力」(20ページ)である「場のちから」であり、それを全身で受け止めるような体験である(12ページ)、という。[3]で「空間の本性は、『和解の場』のことなのかもしれない」。「建築や環境が内包する空間とは、(「人と自然」、「生と死」、「過去と未来」、「復興と街造り」など)全てのものが流れ込み、もつれあい、そしてその和解を用意する場のことなのではないか」(34ページ)、と問う。そして、建物の空間や街の空間を豊かなものにするのは、可能な限り「時間が生まれ育っていくような空間」をつくることだけである(236ページ)、と言い切る。
〇3冊の本に通底する基本的な言説のひとつは、次のようなものである。すなわち、「建築」(architecture)は「人間」の「身の置き所」([3]206ページ)を「構築する意志」であり、「建物」(building)はそのための道具、具体的なモノである([3]232~233ページ)。大切なのは(守るべきは)、「空間」と「時間」によって織りなされている「建築」という名の意志である。本来の建築の価値は、「人の生きる長さを越えて何事かを伝える」([3]5ページ)ところにあり、メッセージを伝えることによって建築は生命を与えられる。その際の(本当の)価値は、「生み出すものではなく、生まれてくるものであり、なおかつきわめて個人的なもの」([3]89ページ)である。
〇そして、内藤にあっては、建築について自分の思考を磨き、建物が生み出された内実について(技術や経済や制度の側から)説明するためには、言葉の助けが必要となる。「文章を書く」ひとつの所以でもある。内藤はいう。「建物を建てる際の現実的な体験は、建築に対する思い込みに修正を迫る。現実と思考、そのやりとりの試行錯誤が言葉になり文章になる」。「建築と文章とは切っても切れない関係にある」([1]82ページ)。
〇ここでは、[1][2][3]における論点や言説から、「まちづくりと市民福祉教育」に関して「使える」であろう・留意したい一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。1

[1]『建築のちから』
「建築の力」は空間や時間と人びととの開放的な共感のなかに現れる
われわれは、建物の完成にこだわり、品質にこだわり、意図したものができ上がる作品性に神経質になり、その結果、いちばん大切なことを見失ってはいまいか。社会制度の命ずるところ、資本主義経済が望むところ、そうしたものに対する律儀さが建物の質に無意識のうちに現れているのなら、人びとは建物から距離を置くだろう。なぜなら、建物が社会や資本に顔を向けて、人びとに背を向けているからだ。
「建築の力」(建築のなかに生まれてくる価値:筆者)はそういうところには現れない。「建築の力」は人びととの共感の中に現れる。それは、発注者、建設関係者、設計者、住民、不特定多数の人びと、よりよい社会を目指すそうした人たちの運動体、そうしたものの中で初めて兆(きざ)すはずだ。そのためには建築という価値は「完結的」であってはならない。開かれていなければならない。空間的に開かれている、あるいは時間的に開かれている必要がある。いちばん望ましいのは「空間にも時間にも開かれている」ということだ。そう誰もが感じられるような状況となった時、「建築の力」は熱湯がいきなり泡立つように内側から湧き上がってくる。([1]19ページ)

建築には空間に身を置き時間のなかに生きる人間に対する洞察が不可欠である
おそらく建築の中には、「わかりやすい価値」と「わかりにくい価値」が存在する。「わかりやすい価値」はわかりやすいのだから容易に広まる。([1]233ページ)
一方、「わかりにくい価値」は伝わりにくいから、いくら声を大にしてもなかなか広まらない。建築に時代を超えていく本質的な生命力というようなものが存在するとしたら、それはこの中にしかない。多くの場合、「わかりにくい価値」は空間の中にある。空気の肌触り、陰影の深さ、音、匂い、そうした目に見えない空間の質に価値の重点が置かれた場合、そこに表現されたもの、建築家が精魂込めて託したもの、それはきわめて高度でわかりにくいものになる。その空間に身を置き、時を過ごし、体験しなければわからない。メディアも写真家もこうした価値には不親切であり続けた。
しかし、このあり方は、誰にでも開かれているわけではない。これを現実のものとするには、才能が要る。たくさんの要素を同時に想像し、それを空間の中に結び合わせなければならないからだ。経験と直観が必要なことはいうまでもないが、それが一級のものになる
ためには、何より、その空間に身を置く人間というものにたいする深い洞察が不可欠で、
それだけのものを身につけた建築家はめったにいない。([1]233~234ページ)

[2]『場のちから』
建築は空間の「湿り気」・人の感情の総体と向き合わなければならない
モダニティ(近代性、近代的なもの:筆者)は、わたしたちの身の回りを覆い尽くしつつある。それは、世界的な経済構造や社会構造と連動して、いまだに生活の隅々にまで浸潤し続けている。便利さ、明るさ、速さ、安さ、そしてなによりわかりやすさ、この力には抵抗し難いものがある。しかし、人という存在は、それだけでは遥(はる)かに足りない。人の感情を受け止め、人が尊厳を保持しうる空間とは、そんなものに支配された空間ではないはずだ。
モダニティがもたらす空間は何故か乾いている。現代建築も乾いている。雑誌で目にする様々な作品には、明らかに「湿り気」が欠落している。([2]123~124ページ)
空間に「湿り気」を求めたい。ここで言う「湿り気」とは、感情の襞(ひだ)や心の陰影を受け止める空間の質のことだ。([2]124ページ)
建築という価値も、本来はそうした人の感情に生起する様々な質に内包すべきである。そのためには設計は、喜び、夢、希望、愛着、悲しみ、打算、矛盾、裏切り、葛藤、追憶、といった人の感情の総体と向き合わねばならないだろう。この態度は設計者に多大の忍耐を強いるが、結果として、出来上がる空間に「湿り気」をもたらすはずだ。この困難さに耐えることは、それ自体が「建築に感情を取り戻すための戦い」なのだ。([2]124ページ)

都市計画は終わりも完成もない物語(物語ること)のプロセスである
誰であれ志のある都市計画家を思うとき、その職業の難しさと悲しさを思わずにはいられない。彼らは100年を夢想し、理想を思い描き、今日の日常的な無理難題を扱う。それでいて、都市の時間に終わりのないこともよく知っている。華々しくテープを切るようなゴールなどない。すなわち、すべてはプロセスであって、目の前の現実は過ぎ去る一側面でしかない。そのことを誰よりも熟知している。また同時に、自らが夢想する未来もまた過ぎ去る一側面でしかないことも知っている。人間のそして人間社会の性(さが)を嫌というほど見ながら、それでも社会の改良を諦めない。都市計画家とはそういう存在なのだ。難しさと悲しさが浮かぶのはそれ故だ。([2]183ページ)
終わりのない都市の物語は、たとえそれがプロセスであったにせよ、そして、それがたとえ見果てぬ夢であったとしても、空間デザインを旋律(メロディー)に、そして社会システムを通奏低音に、より美しい韻律(リズム)を奏でることが出来るはずだ。ソフトウェアとはその韻律のこと。その韻律にこそ人間社会の希望がある。([2]186ページ)

[3]『空間のちから』
建築は「つまらなくて価値のあるもの」「生き生きと生きる」を価値の中心に据える
建築が本来担わなければならない長い時間からすれば、「面白さ」は初期に求められる付加的な要素に過ぎない。([3]83~84ページ)
建築に「面白さ」を求めることは危険だ。一発芸と同じで、「面白さ」は一時もてはやされるが、すぐに「時代遅れ」になる。「面白さ」があったにしても、それはやはり建築の原理原則に適ったものでなくてはならないはずだ。しかし、それはそうたやすく手に入る類のものではない。昨日目新しく話題になった建物が、見る間に日常風景の中に飲み込まれ、忘れ去られていく様をいくつも見てきた。だから、「面白さ」を建築という価値の中心に据えていいはずがない。
世の中の公共建築を見渡してみると、「面白くて価値のないもの」ばかりが目立つようになってきている。そこで、逆説的なようだが、あえて「面白さ」を捨てて、「価値のあるもの」を目指してはどうか、また、多くの人が「生きること」、「生き生きと生きること」を価値の中心に据えてはどうか。
「面白さ」はわかりやすく、それ故伝わりやすいから流布しやすく、それ故に容易に消費されていく。とかく人の心は飽きやすい。それに対して、建築的体験の中に留まるような「わかりにくさ」は言葉になりにくい。それ故、伝わりにくい。この矛盾を乗り越える必要がある。([3]84~85ページ)

〇ここで、評論家・加藤周一(1919年~2008年)の『日本文化における時間と空間』(岩波書店、2007年3月。以下[4])を思い出す。確認しておきたい。加藤はいう。日本文化のなかには3つの異なる「時間」が共存している。①(『古事記』にみられる時間のような)始めなく終りない直線=歴史的時間、②(四季を中心とした)始めなく終りない円周上の循環=日常的時間、③(人生の)始めがあり終りがある普遍的時間、である。そして3つの時間のどれもが、「今」に生きることを強調する([4]28~36ページ)。日本における(閉鎖的な)「空間」の特徴は3つある。①(神社の建築的空間がそうであるように)空間の秘密性と聖性が増大する(人に見せず、大事にする)「オク」(奥)の概念、②(神社には塔がないように)建築は平屋または二階建てで、地表に沿って広がり、天に向かって伸びていくことはない「水平」面の強調、③(武家屋敷や都会の地下的のように)時とともに変わる必要に応じて家屋などを増やしていく「建増し」思想、である([4]164~174ページ)。これらによって「私の居る場所」、すなわち「ここ」を重視する。要するに、日本文化に内在する時間と空間の概念は、自分がいる「今=ここ」に集約され・強調される。それは「全体から部分へ」ではなく、「部分から全体へ」という思考過程をたどるものであり、日本文化の基本的な特徴(「今=ここ」の文化)である。その時間における典型的な表象・表現が現在主義であり、空間におけるそれが共同体集団主義である([4]233~238ページ)。
〇このような加藤の言説に対して内藤は、[2]において次のように要約して持論を展開する(抜き書きと要約。見出しは筆者)。留意しておきたい。

建築の本質は「今・ここ」を確かなものにするために「待つ」ことにある
加藤周一の「今・ここ」論を要約すると、「今・ここ」という時空の中の一点から世界の認識を広げていくという癖のようなものが(日本)文化の基層に根強くあるのではないか、という提示だ。西欧の時間と空間とは、個人という存在の外部に普遍的な尺度を設定し、自分と世界を定位しようとするが、この国の文化はそれとは違って、「今・ここ」という内部化された座標のもとに育まれてきたのだが、これがかつて戦争へと向かう精神を生み出した、というのである。([2]112~113ページ)
建築や都市に課せられた大きなテーマは、「今・ここ」の確かさではなかったか。しかし、情報化社会の出現と共にこれが急速に希薄になりつつある。今問題にすべきは、失われつつある「今・ここ」が生命を持つためにはどのようにすれば良いのかということだ。つまり、現在を起点に、時間と空間の幅を広く捉えること、それが建築や都市に課せられた大きなテーマなのではないか。([2]113ページ)
近年、建築が育んできた文化は、あまりにも一足飛びに未来を志向しすぎてはいまいか。そこには、その未来に至る持続的な時間が消去されている。どこかの時点で、建築は「待つ」ことを辞めたのである。([2]114ページ)
「待つ」という行為を通して、人は広がりのある「今・ここ」を引き出すことが出来る。([2]113ページ)
「待つ」ためには、未来を想起し、そこから現在を逆照射する逆立ちしたような意識が必要だ。「待つ」ことは建築にふたたび持続的な時間概念を導き入れることである。おそらく、「待つ」ことを想起することは、建築に新たな質をもたらすはずだ。([2]115ページ)

【初出】
<雑感1>(138)阪野 貢/「時間」と「空間」の座標・尺度で「生きる」ということについて考えるために―建築家・内藤廣の「ちから」3部作に学ぶ―/2021年6月21日/本文

 


02 「塑する」ことと「繋ぐ」こと  ―佐藤卓(グラフィックデザイナー)から学ぶ  ―


<文献>
(1)佐藤卓『塑する思考』新潮社、2017年7月、以下[1]。

デザインの本質は、物や事をカッコよく飾る付加価値ではありません。あらゆる物や事の真の価値を、あらゆる人間の暮しへと繋ぐ「水のような」ものなのです。(「帯」)

〇日本を代表するグラフィックデザイナーの一人である佐藤卓が書いた[1]は、デザインのノウハウ本ではない。佐藤がデザインに関する「仕事」を高く積み上げ、それを深く掘り下げることによって体得した「思考」について論じたものである。その際の重要なキーワードは「塑(そ)する」である。また、注目したいキーワードに「繋(つな)ぐ」がある。「1」はつまりは、人間の「生き方」すなわち「哲学」の書である(筆者にとって「塑する」とは馴染みのない言葉である。連想するのは「粘土・彫塑」「木材・彫刻」といった程度である)。
〇佐藤は[1]でいう。「人の営みの中で、デザインが一切関わっていない物(モノ)や事(コト)など一つもない。政治、経済から医療、福祉、衣食住、教育、科学、技術、エネルギー、社会活動、等々まで、どんな分野のどんな物事にも、すでにデザインがある」(74ページ)。「人がなし得る全ての企てには、計画的であるか否かにかかわらず、必ずデザインが及んでいる」(75ページ)。「デザインは全ての人間の営為を成り立たせるために必要なもの」(77ページ)である。
〇ここでは、佐藤のこのような視点を首肯したうえで、留意したい言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「人の営み」とデザイン
デザインは日常ありとあらゆるところに隠れている。意識化されるデザインなど、そのごく一部にすぎず、ほとんどのデザインに対して我々は無意識である。(8~9ページ)
どんな技術にせよ情報にせよ、人に届けるためには何かしらのデザインを必ず経なければならない。これは、それぞれの人の思想や好き嫌いの問題ではなく、人が人として生きていく上でどうしても避けられない事実である。(9ページ)

「弾性」と「塑性」
「柔(じゅう)よく剛(ごう)を制(せい)す」という言葉がある。しなやかな柔軟さが一見強そうな堅さを結果的には負(ま)かしてしまうものだ、を意味する。この「柔」という言葉は、さらに「弾性(だんせい)」と「塑性(そせい)」の二つの性質に分けられる。(47ページ)
弾性とは、例えば釣り竿のように、外部から力が加わって形を変えても、その力がなくなれば元の形に戻ろうとする性質である。塑性とは、例えば粘土のように、外部からの力で凹(へこ)むと、そのままの形を保つ性質である。それは、加わった力次第でそのつど形状を変化させる。(47ページ)

「自分らしさ」と「ありのまま」
人生訓上の「柔」は、これまでは「弾性」をイメージして語られてきた。いかなることに当っても自分を見失うな、常に自分の形を忘れず、自分に戻れ、といった具合にである。(48ページ)
これに対して「塑性」は、自分の形などどうでもよく、そのつど変化してもかまわないのだ、となる。しかし、そもそも自分とは何か、自己意識はどこから来て、なぜ自分は今ここに存在するのか。人生のそんな基本についてまるで分かっていない自分に、どんな形があるものなのか。自分を分かっていない自分が、自分の形をどう決めるというのか。何を考えているにしても、すでに考えている自分が存在するのだから、「自分らしさ」を気にかける必要はなく、そのつど与えられた環境で適切に対応している自分のままがいいのではないか。(48~49ページ)
自分のままであるかどうか(自分を強く意識していないかどうか)を自覚するためには、折あるごとに自分を疑ってみなければならない。何かよい案を思いついても、その直後に、これは第三者にもちゃんと伝わるのだろうか、と自分を疑ってみる。(51ページ)

「やるべきこと」と「やりたいこと」
塑性的であるとは、社会の流れにただ身を委(ゆだ)ねることでも、無闇(むやみ)に付和雷同することでも、ましてや世の中に媚(こ)びて流行を追うことでもなく、置かれた状況を極力客観的に受け止め、適切に対応できる状態に自分をしておくことである。それは、世の中に流されない冷静な判断の下、自分が今なるべきものになる、「やるべきこと」をやる姿勢である。塑性的であれば、やるべきことが、まさに「やりたいこと」になる、と言い換えてもいい。(60ページ)

「表現」と「個性」
デザインの仕事では、とかく個性的な表現を求められる傾向がある。そこで、自分らしさとは何かと考えざるを得なくなる。(49ページ)
本来、個性は誰にでもあって、個性のない人など、この世に存在しない。表現以前の思考の段階がすでに充分個性的なので、個性は、それと意識していない状態のほうがむしろ出やすいのではないか。(54ページ)
なすべきこと(「やるべきこと」)についてできるだけ客観的に思考し、見極めるところに、その人ならではの個性が出る。一般には、目に見える表現に個性があるとされがちであるが、それは違う。表現以前のその人その人の思考、ひいては生き方や思想に個性は確実に潜んでいる。(54ページ)

「発想」と「繋ぐ」
未知の事象が突如現れたかのように、「無」から何かを発想するなど、絶対にあり得ない。必ず「それ以前」が存在する。つまり発想とは、ある目的のために今まで繋がっていなかった事物同士を繋げる試みであり、自分が「無」から純粋に生み出すのではけっしてない。すでにあるのに気がつかずにいた関係を発見して繋ぐ営為が、発想である。(55ページ)

「仕事」と「塑性」
全ての仕事は「これから」のためにある。将来のために、今、何をしておくべきかを考え、事を為すことである。(168ページ)
あらゆる仕事という仕事の基本は、「間に入って繋ぐこと」である。(57ページ)
何かと何かの間に入って両者を繋ごうとすると、当然、繋ぎ方はそのつど異なる。臨機応変な繋ぎ方を可能にするため、一定の形を持たずにおく、それこそが塑性による「柔」の姿勢である。自分の形を持っていると、帰巣本能のようにそこに帰っておけば安心であり、その形が自分が社会的に認知される効力にもなる。(58ページ)
しかしながら、一つの自分の形を持ってしまえば、それ以外のあまたの可能性を狭めるのだと知っておくべきである。(58ページ)

「感性」と「仕事」
デザインは「感性の仕事だ」と言われる。それは、感性は特別な人にしか備わっていないといったニュアンスさえ感じられる。(62ページ)
そもそも感性とは何なのか。それが外部からの刺激、あるいは情報を感受する能力だとするなら、周囲の環境から何らかを感じ取る力に差はあれど、感性がまったくない人などいるわけがない。(62ページ)
誰にでもふつうに備わっている感性をさらに活かす能力、すなわち感じ取った内容を世の中に役立つなにものかに変換していく能力を技術として身につけているのがデザイナーの本分である。(64ページ)
感性が必要ない仕事などあり得ないのだし、感性を持たない人などいない。感性を活かすための技術が、それぞれの仕事でそれぞれに必要なのである。その技術とは、聞き・話し・見せるコミュニケーション能力であり、発想する能力であり、具体的な形にする能力である。(65ページ)

「ほどよい関係」とデザイン
昔から普段よく言われてきた「ほどほど」や「いい塩梅(あんばい)」などの言葉が、実は日本人が忘れてはならない大切な感性をしかと伝えている。(115ページ)
度が過ぎない、ほどのよいところを見極める(「ほどほどを極める」114ページ)、そこにこそ、デザインを考える、ひいては人の営為を考える上での大切なヒントがある。(258ページ)
秩序と無秩序、国と国民、伝統と現代、人と人、人と物事‥‥‥。それらのほどよい関係を見つけるためにこそ、人の営みにはデザインがあり続けるのである。(259ページ)

〇以上から、冒頭に記した[1]「帯」の一節に注釈を加えるとすれば、次のようになろうか。すなわち、デザインの本質は、物や事をカッコよく飾るために外から価値を付け足すこと(「付加価値」)ではない。あらゆる物や事がもともと持っている真の価値を見出し、その価値をあらゆる人間の暮しへと繋ぐ、われわれが生きる上でなくてはならない(「水のような」)ものである。デザインの本質は自己表現ではなく、何かと何かを「繋ぐ」ことである。デザイナーの仕事は、あらゆる物事を社会や不特定多数の人の間に入って、ほどよく繋ぐことであり、装飾を施す(デザインする)ことが目的ではない。
〇ここで、山崎亮の「コミュニティデザイン」(community design)の言説を思い出す。確認しておきたい。山崎によると、コミュニティデザインとは、地域コミュニティの課題をその地域の人たちが自ら解決できるよう、「場」や「しくみ」をデザインすることである。コミュニティデザイナーの仕事は、住民主体の内発的な「まちづくり」すなわちコミュニティデザインを進めるために、人と人を結びつけ、なさすぎでも、ありすぎでもない「いいあんばいのつながり」(山崎亮『コミュニティデザインの時代』中央公論新社、2012年9月、10~11ページ)をデザインすることである。佐藤の言説と通底するところである。
〇改めて佐藤は、「(政治・経済や医療・福祉、科学・芸術など全ての)人の営みの中でデザインと関わりのない物事は何ひとつないのだとすれば、必然的にデザイン教育へと意識が向かう」(216ページ)。「デザインは、我々を取り巻く地球環境を人の営みと共に気づかい(気づいて思いやる)考えることでもある」(220ページ)、という。そこで、デザインマインドを育む「デザイン」の授業を、「英語の早期導入や道徳の成績評価化の前に、むしろ国語・算数・理科・社会・体育・デザイン」として一日も早く、小学校低学年から始めてはどうか、と提案する(220ページ)。
〇また、山崎もいう。「これからの地域福祉に必要な知恵を、『わたしたち』は、どこで学ぶのか。現場で学べばいい。地域の活動に参加して、人と人とのつながりのなかで体験し、発見し、感動し、共感しながら知恵を会得(えとく)することに勝る教育はない。その生き方(Life)こそが、21世紀を生きていく『わたしたち』にとって最高の財産(Wealth)になるであろう」(山崎亮『縮充する日本』PHP研究所、2016年11月、355ページ)。
佐藤と山崎のこの言説については、「まちづくりと市民福祉教育」について思考する筆者にとって、同感(首肯)するところである。
〇佐藤にあっては、「ある課題を深く掘り下げて行くために、場合によっては一定の枠(=形)をあらかじめ決めて(=持って)おく必要があることまで否定するつもりはない」(61ページ)。そう言いながらも、弾性的に自分の形あるいはスタイルを持つことには否定的である。「一つの自分の形を持ってしまえば、それ以外のあまたの可能性を狭める」、と佐藤はいう。
〇この点を「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究に引き寄せて言えば、その実践・研究をめぐる状況や課題は、歴史的・社会的に形成され変質する。その点を認識したうえで、「まちづくりと市民福祉教育」の科学的・体系的で学際的な深化・発展を期するためには、独自(固有)の分析視点・視角や枠組み、アプローチの仕方や分析方法、言語体系や論述方法などを設定・構築することが必要かつ重要となる。とは言え、すべての実践家(学術的実践家)や研究者(実践的研究者)が同一の実践・研究方法による必要はない。根源的な価値観や共通する科学的な知識・考え方を踏まえたうえで、異なった実践・研究方法を採ることによって新たな可能性や展望を切り拓くことができる。それぞれの形あるいはスタイルを持つ実践・研究の成果を、「共働」の視点に立って、如何に融合化・統合化するかが重要となる。それによってはじめて、「まちづくりと市民福祉教育」の総体としての推進が図られることになる。

【初出】
<雑感>(54)阪野 貢/生き方をデザインする:「塑(そ)する」ことと「繋(つな)ぐ」こと―佐藤卓著『塑する思考』読後メモ―/2017年10月27日/本文

 


03 「福祉文化」活動を通した「ゆるやかな絆」 ―今中博之(ソーシャルデザイナー)から学ぶ  ―


<文献>
(1)村木厚子・今中博之『かっこいい福祉』左右社、2019年8月、以下[1]。
(2)アトリエ インカーブ編『共感を超える市場―つながりすぎない社会福祉とアート―』ビブリオ インカーブ、2019年9月、以下[2]。
(3)今中博之『社会を希望で満たす働きかた―ソーシャルデザインという仕事―』朝日新聞出版、2018年10月、以下[3]。

〇[1]は、今中博之(社会福祉法人素王会理事長、アトリエ インカーブ クリエイティブディレクター)と村木厚子(元厚生労働事務次官)の対談本である。「自力と他力」「内閉と開放」「市場と制度」などの二項対立的なキーワードを通して、「福祉は何故、低くみられるのか」「福祉をかっこいい業界にするにはどうすべきか」を語り合う(「帯」)。[2]は、今中と松井彰彦(東京大学大学院教授)の講演と対談を中心に編んだものである。そこでは、「共感を求めすぎないこと」「閉じながら “ときどき” 開くこと」の重要性を説きながら、「市場×福祉」について論じ合う。[3]は、「あなたの『怒り』は何ですか」というフレーズで始まる。今中の怒りは、障がい者などの社会的に弱い立場に置かれている人、すなわち「ふつうではないとみなされる人」をさらに痛めつける人や社会のシステムに向けられる。
〇[1]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

文化の市場性と福祉文化
私は、社会福祉学者の一番ヶ瀬康子氏がいう「福祉の文化化と文化の福祉化」を実践する母体としてアトリエ インカーブ(デザイン事務所)を位置づけています。彼女はそれを「福祉文化」という概念で表現しました。生活の質が問われて久しい昨今、「社会福祉の究極の目的が、自己実現への援助であり、その在り方を追求していくことであるという視点にたつならば、文化をふくみ得ない社会福祉はあり得ないといっても過言ではない」と主張します。私も同感です。ただ、文化の「市場性」については、これまであまり議論が進んでこなかった。今後の課題は、市場性を意識した福祉文化をつくっていくことです。(20ページ)

越せない溝と「かっこいい福祉」
私にとって「かっこいい」とは、クールやスマートではなく、わかりあえないと認めることだったように思います。認めるためには、たくさんの時間が必要です。私の優しさとあなたの優しさは違うってことや、私の怒りとあなたの怒りも違うってこと。共感ができなくても理解できるまで話す、聞く。ながい時間のなかでわかりあえないことがわかるようになってきます。そうして紡がれた幸せを「かっこいい福祉」、その企てを「かっこいい社会福祉」というのだと思います。(197~198ページ)

〇[2]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

障がい者の芸術文化活動と「市場の力」
好きな人がいれば手を組めばいいし、嫌いな人なら手を切ればいい。選択肢の多い市場では「差別をしない取引」が可能です。つまり、市場の中には社会的に弱い人だから差別をするという行動規範は薄いのです。ゆえに、しがらみも少ない。だからこそ市場は、国を超えて人と人をつなげていくのです。
問題は、どの程度の市場化(開き方)をするかです。共感的消費者だけにアプローチしていては、広がりません。狭くて逃げ場所のないコミュニティは差別がはびこります。かといって、つながりすぎ、共感を求めすぎては、綻(ほころ)びが出てきます。身の丈にあったいい塩梅(あんばい)。そこがポイントです。
近江商人の理念である「三方よし」(売り手良し、買い手良し、世間良し)の場合のみ取引をすることです。(203~204ページ)

アートを通じた自己実現と相互実現
インカーブでは、社会福祉事業として障がい者の芸術文化活動を進めていくために「閉じながら“ときどき”開く」ことを心がけてきました。(中略)インカーブの事業の目的は、知的に障がいのあるアーティストの日常が作品制作を通して平安であることです。
アートの商業的価値を慮(おもんぱか)ることは、共感を超える市場につながります。その実現のためには、つながりすぎないこと、共感を求め過ぎないことではないでしょうか。(205ページ)

〇以上のメモに関して、若干付言しておきたい。まず、「市場」についてである。市場は、需要者と供給者が出会い、契約と取引が行われ場である。松井の言によれば、「いろんな人が集まって、一定のルールのもとにお互いにプラスになるように取引する場である」([2]88ページ)。当然、そこでの人間関係は対等である。市場では、この対等な「契約関係」とともに、人と人との「信頼関係」も必要かつ重要となる。信頼関係は、相手との対等な関係を築くための人間関係であるが、それゆえに「倫理性」(「一定のルール」)が要求される。今日の市場経済社会では、契約関係だけでなく、それ以上に信頼関係が重要となる。この点を含意するのが、今中がいう「好きな人がいれば手を組めばいいし、嫌いな人なら手を切ればいい」という言説であろう。しかし、簡単に「嫌いな人なら手を切ればいい」とはいえないのも人間社会である。そこで求められるのは、「仲間をつくる営為であり、(たとえ嫌いであっても・嫌いになっても)仲間外れにしないという行動」である。それを「福祉」と呼んでいい。
〇次に、「共感的消費者」についてである。共感的消費者とは、商品の品質ではなく、「障がい者がつくった」という商品の背景に思い入れをもって購入する人たちをいう(神谷梢[2]6ページ)。「社会福祉の事業者は、『共感的消費者』にアプローチしてきた。ただ、その範囲はとても狭く、見慣れた仲間うちに限られている。共感的消費者だけに依存し続ければ、マーケットは永遠に広がることはない。これが社会福祉の市場化の限界点である」([2]200ページ)と今中はいう。周知の通り、消費には「機能的消費」「記号的消費」「共感的消費」の3つの形態がある。ブランドネームなどの付加価値を消費する記号的消費ではなく、その商品の機能や効用を消費する機能的消費と、その商品への “こだわり” や “想い” に共感して消費する共感的消費が肝要である。
〇いまひとつは、「福祉文化」についてである。前述の一番ヶ瀬がいう「福祉の文化化」に関していえば、それは、社会福祉それ自体をいかに質・量ともに豊かな、文化的なものにしていくか、文化の香りのするグレードの高いものにしていくかということを意味する。そこから、福祉文化とは、日常生活の量的拡大と質的充実を図り、人びとの健康で快適な生活と情感の安定を保証する生活の質としての文化であるといえる。別言すれば、人びとの日常生活に心の潤いや安らぎ(内面的豊かさ)、社会的・経済的・文化的豊かさなどの「平安」をもたらす文化である。そういう福祉文化を創造するためには、人と人との “であい” “ふれあい” “ささえあい” が必要かつ重要となる。
〇こうした「福祉の文化化」をより確かなものにするためには、福祉政策や行政の文化化を図ることが肝要となる。「福祉政策・行政の文化化」のねらいは、住民の参加と合意形成のもとに、障がい者などを含めたすべての住民の主体的・自律的な文化活動の推進を図り、すべての住民が文化を享受し創造するための条件整備や環境醸成をおこなうことにある。
〇「文化の福祉化」に関していえば、文化は人びとの日常的な生活行為のなかに現れ、創られるものである。そこから、障がい者などを含めた、生活主体としてのすべての人が、文化の創造主体であり、活動主体であるといえる。しかし、例えば、芸術文化についていえば、今日においてもまだ、一定の条件に恵まれた一部の人だけのものであるとか、特定の場所や機会にふれるものであるという認識が強い。こうした芸術文化状況の偏りを是正し、とりわけ芸術文化の貧困のもとに置かれてきた障がい者などに対しては、芸術文化を享受する機会の確保・拡充や芸術文化活動(創作活動)への主体的参加を促す環境醸成を図ることが肝要となる。
〇アトリエ インカーブでは、創作活動と日常生活が共存している。作品制作を通して平安(福祉)を追求している。それはまさに「福祉文化」である。その実践は、荒廃したいまの日本社会を変革し、新たな地平を開く視点や力を生み出している。
〇なお、タイトルに使った「ゆるやかな絆」は、大江健三郎(文)・大江ゆかり(画)の『ゆるやかな絆』(講談社、1996年4月)による。それは、[1]と[2]を読むなかで思い至ったものである。ただし、記号的消費(使用)ではない。「ゆるやかな絆」をめぐって大江は、次のように述べている。僕らは「ゆるやかで、人を束縛するところは少しもなく、その両端にいる同士はお互いにひそかな敬愛の心を抱いているが、それを口にしないまま時が流れて行き、……というような、真の家族についての感情教育」を受けていたのである(講談社文庫、1999年9月、111ページ)。
〇[3]の裏テーマは、「怒りと希望:社会に怒りラディカル(徹底的)に抗すること・目の前の一人を慮(おもんぱか)ること・社会的課題をデザインで解き希望に変えること」であろうか。今中は、怒りをつくり出す社会的課題に対峙し、「ソーシャルデザインという仕事」を通して「怒りを希望に変える」「社会を希望で満たす」デザイナーである。今中にあっては、デザインは「整理整頓」(今中のデザインの原点)であり、デザイナーは「社会改良者」「社会活動家」である。デザイナーには、「目の前の一人を慮(おもんぱか)る」(220ページ)、「『なんとなく、分かる』ゆらいだ状態を受け入れる」(113ページ)、「身の丈にあった組織のサイズと、目の届く活動内容にする」(117ページ)、「熱い胸と冷たい頭の態度を身につける」(126ページ)ことなどが必要かつ重要となる。一言をもってすれば、社会に対して“ しなやかに、したたかに ”であろうか。
〇今中の仕事場であるアトリエ インカーブは、知的に障がいのあるアーティストと、デザイナーであるスタッフが日常を暮らす場所(「デザイン事務所」)である。そこでは、アーティストによって制作活動が行われ、その(生活)支援活動や環境整備活動がデザイナー(スタッフ)によって展開される。インカーブの運営理念は「閉じながら開く」(48ページ)である。事業の目的は「作品制作をおこなう、知的に障がいのあるアーティストの日常が平安であること、そして彼らの作品に尊厳を取り戻すこと、それに伴って市場で正当な評価を得ること」(137ページ)にある。それ故に、「デザインと福祉」「福祉とアート」「文化と福祉」「市場と福祉」が重視される。
〇今中の人生とアトリエ インカーブの誕生と展開については、今中の著作『観点変更―なぜ、アトリエ インカーブは生まれたか―』(創元社、2009年9月)に詳しい。そこでは、例えば、次のような言説に注目したい。「アートはアカデミズムに犯されず、自らのためにつくりだしたものであり、『創造=オリジナル』である。デザインはその真逆に位置する」(89ページ)。「取材を受けた後、新聞に踊る文言は『頑張っている障害者』や『アートで生きがい作り』、『障害者アート』だった」(144ページ)。「ヒトもモノもコトも、見る角度によって、美しくも、醜(みにく)くも、優しくも、冷たくもなる。ヒトもモノもコトも、見る角度や高さを少しずつコントロールすることができるようになってきた。私はそれを『観点変更』と呼ぶ」(273ページ)。「私は彼らのクリエイティブな能力に心酔してインカーブを立ち上げた。お涙頂戴や見世物小屋として立ち上げたわけではない」(298ページ)、などがそれである。それらは筆者に、糸賀一雄の『福祉の思想』(日本放送出版協会、1968年2月)を学生時代に読んだときの感動を蘇(よみがえ)らせる。
〇[3]の論考から、福祉教育実践や研究において、筆者が注目あるいは留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。それは、「目から鱗(うろこ)」の、福祉教育論の「作品」「テクスト」でもある。

アーティストの尊厳と作品の尊厳
(インカーブのアーティストの作品は)初めから評価されたわけではないし、作品が売れたわけでもない。私は「美術館」で展覧会をすべき作品だと思っていたが、美術関係者からは「公民館や市役所のロビー」での展示をすすめられた。バザー商品と同じように展示すれば購入者も現れるかもしれないというアドバイスもいただいた。
一方で、社会福祉関係者からの風当たりも強烈だった。立ち上げてまもないインカーブの事業を講演会で説明したときだった。「あんたらは、障がい者を食い物にしてるだけや。デザインやアートみたいなもんで障がい者が食べていけるわけないやろ。知的障がい者は文句いわへんから、スタッフが好きなことやってるだけやないか」。大阪弁で罵声が浴びせられた。(35ページ)
障がいがあるというだけで彼らの作品をカテゴライズ(分類、区分)し、評価の俎上に載せることをためらったり、市場性があることを認めないのは時代錯誤といえるだろう。(37ページ)
誰もが障がい者の社会参加を当然のことと思えるようになるためには、障がい者もみんなの土俵に上がる必要がある。特別に仕立てられた土俵ではなく、市場というフラットな土俵(現代アートを扱う一般のアート市場:筆者)に上がらなくてはならない。(39ページ)
インカーブやアーティストの矜持(きょうじ。誇り)を守るために、公民館のロビーではなく、お涙ちょうだいの展覧会でもない、作品の尊厳を傷つけない「美術館」で発表し、美術の俎上に載せることを目指したのだ。(42ページ)

デザインとソーシャルデザイン
コトやモノを計画的・意識的につくる行為は確かにデザインである。しかし本来はそれだけではない。つくった先を見据えること、そしてその先の暮らしや環境にも責任を負うことがデザインである。(50ページ)
デザインは、モノの姿や形よりも、「計画」や「意図」にその本質がある。(62ページ)
インカーブのような「障がい者のための社会福祉事業」を興すことも広義のデザインである。(63~64ページ)
ソーシャルデザインとは、「社会的課題を解決」するための、「意図的な企て」を「整理整頓」することで、利益追求を第一義にせず、「社会貢献」をおこなうことだ。ソーシャルデザインの実践は「ソーシャルワーク」を重ね合わせながら考える必要があるため、二つの領域を「行ったり来たり」しながら進めていかなければならない。(58ページ)
ソーシャルデザインは、金もうけを第一義に考えるのではなく、あくまで「生活の困りごと」をデザインの思考や手段を用いて解消することが目的である。その生活は個人のミクロのレベルを起点に考えられる。つまり「市場をつくろう」と思い立つのは、あくまで目の前で「生活の困りごと」を持った個人のためであり、その個人に相対さない限り困りごとの真実は見えてこない。(54ページ)

ソーシャルデザインとコミュニティデザイン
この数年間、ソーシャルデザインと並行して「コミュニティデザイン」という言葉も頻繁に使われるようになった。(中略)ソーシャルデザインは、対象を「目的を一つとしない人々」を含めた集団で、個人から地域、さらに政策や運動などの社会的課題を射程に置く。一方のコミュニティデザインは、「目的を一つとする人々」の共同体で、その社会的課題は、個人から地域までを対象としている。(65ページ)
馴染みのある日本のソーシャルデザイン(「コミュニティデザイン」:筆者)は、過疎化する地方の再生のために、その地域の市民をエンパワーする仕組みや、事業デザインをおこなうことだ。(中略)私が話すソーシャルデザインは、ラディカル(革新的、根源的)で荒唐無稽(こうとうむけい)な物語にうつっているのかもしれない。(160ページ)

ソーシャルデザイナーと「可視化する能力」
ソーシャルデザイナーは、「社会的課題を解決するための意図的な企てを整理整頓する人間」である。彼らに必要とされるのは「社会的課題」を「発見」する能力、その社会的課題を解決するための「バランスの良い」意図的な企て、そして課題を「整理整頓」するときに必要な「狭義のデザイン」能力である。(69~70ページ)
①「社会的課題」を「発見」する能力については、自らの興味と関心、そして怒りが生まれてくる課題を発見してほしい。発見するには、哲学や宗教に裏付けされた思想が必要である。「哲学・宗教抜きのデザインと社会福祉は愛のないセックス」だと言えないだろうか。(70、71ページ)。
②「バランスの良い」意図的な企てについては、両極端な二つの道を否定することから入り、一つの計画を立てること(仏教でいう「中道」)である。(72ページ)
社会的課題にはそれぞれの暗閣(くらやみ)がある。いかんともしがたい状況に出くわすことがある。(中略)その暗闇に分け入るために、ソーシャルデザイナーの覚悟とメンタルのタフさとラフさが要求されている。(73ページ)
③課題を「整理整頓」する能力については、デザイナー独自の能力は、「可視化する能力」である。色や形をつくり、文章を書き、企画書に仕立て、プレゼンテーションをおこない、依頼者・顧客の課題を解決することである。時代が変わってもデザイナーの中核をなす基本のスキルは、可視化する能力につきる。(73~74ページ)

「公と共と私」と「閉じながら開く」
社会を希望で満たしていくために、地域やNPO法人、社会福祉法人は協働すべきである。中でも私は、社会福祉法人を使い倒すことで「公と共と私」をつなぎ直せる可能性にかけてみたい。(139ページ)
現在はおこなっていないが、インカーブの設立当初「見学会」を開いていた。(中略)毎月の見学会には多様な分野から大量の人がインカーブにやってきた。行政は「社会福祉施設は地域に開かれた存在になりましょう」と指導する。その言葉を鵜呑みにした私は、見学会を真面目に開催していた。(142ページ)
そもそもインカーブは、誰を「主体」として仕事をしているのか。それは間違いなく障がいのあるアーティストであり、彼らの制作環境を整えることが第一義である。その主体性を脅やかすモノやコトに抗していくのがわれわれスタッフの仕事であり、ソーシャルデザイン/ソーシャルワークである。開き過ぎれば彼らの精神状態はアップダウンし心の波が立つ。スタッフも見学者へのアテンド(世話、接待)が増え、本来の仕事であるアーティストとの関係が希薄になる。
その後、私がインカーブを「閉じながら開く」組織にしていこうと考えたのは、彼らを慮(おもんぱか)ることができなかった見学会の反省からだった。(143ページ)

マイノリティ(少数派)とダイバーシティ(多様性)
私は「デザイナー」の属性と「障がい者」の属性があり、二つを行ったり来たりしながら仕事をしてきた。(214ページ)
「東京2020  NIPPONフェスティバル」の「主催プログラム」を検討していた文化・教育委員会の進行台本には、「今中委員には、〈障がいを持つ当事者〉として、また、知的に障がいのある現代アーティストたちの創作活動の支援者として、ご協力いただいた」と記されていた。文章のはじめにある〈障がいを持つ当事者〉である私が、「トークンマイノリティ」だと気づいたのはそのときだった。
トークンは「証拠」という意味で、トークンマイノリティは「お飾りのマイノリティ」ともいわれる。「トークンマイノリティ」ということを否定的に捉えれば、委員会のメンバーにマイノリティ(社会的少数者)の人も含めておけばイメージが良くなるという打算であり、まさにバランスを取るために形ばかりに入れるマイノリティのことだといえる。一方で肯定的に捉えれば、多様な人々の参加によって多様性を実現しているとも、自己と他者のシームレス化(境界線を消すこと)の実現に一役買ったともいえる。(215ページ)
メガネをかけたアスリートはオリンピックに出場し、車椅子に乗るアスリートはパラリンピックに出場すると、われわれは思い込んでいないか。メガネと車椅子が同じ福祉用具なら両者はパラリンピックに出るべきである。メガネがファッションなら、車椅子もファッションである。そうであるなら、オリンピックとパラリンピックは、どちらか一方でいい。メガネも車椅子も有用性という意味では差異はない。(216~217ページ)

〇「怒りは感情的なものではなく、希望を追い求めるがゆえの態度である」(228ページ)。[3]の「あとがき」のワンフレーズである。ここに、「福祉文化」や「ソーシャルデザイン」についての今中の思想や哲学、その核心を見る。多言を要さないであろう。

補遺(1)
〇今中の著作のひとつに、『壁はいらない(心のバリアフリー)、って言われても』(河出書房新社、2020年7月)がある。デザイナーと障がい者の2つの属性をもつ今中が、自らの人生を綴った自分史であり、怒りや安らぎをその時々の心情を吐露した本でもある。
〇ここであえて、次の3点に限ってメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

(1)障壁と防壁
「壁」には、「壊すべき壁」(障壁)と「自分を守ってくれる壁」(防壁)の2つがある。壁をゼロにしたからといって共生がかなうわけではない。小さな心の壁は、他者と適度な距離感をあたえ共生には欠かせない存在である。一方で、壊すべき壁を完全にフラットにすることは不可能である。(1~2ページ)

(2)閉じながら開く
困っている人の存在やその人の悩みを「知って欲しい」と思う人が、多すぎる。その人たちは「いいひと」であり、悪意のない善意の持ち主である。しかし、開きっぱなしだと害虫が侵入し(疲弊する)、閉じっぱなしだとカビ臭くなる(脆弱になる)。そこで、壁の中に籠(こも)りながらも、つながりをもち、時が来たら壁の上から顔を出すという、「閉じながら開く」が重要となる。(89、91ページ)

(3)多様性のややこしさ
マジョリティ(多数派)には、(きっと)悪意はない。ただ、悪意のない善意ほどややこしいものはない。多様性はややこしい。初めて見る規格外は恐怖であるが、それが多様性である。つまずくことを躊躇するなら、多様性のある社会は実現しない。つまづくことを覚悟するしか、多様性のある社会は実現できないのである。(21、108ページ)

補遺(2)
〇今中の著作のひとつに、『なぜ「弱い」チームがうまくいくのか―守り・守られる働き方のすすめ―』(晶文社、2022年4月)がある。そこでは、「デザインと社会福祉と仏教を行ったり来たりしながら」(24ページ)、働き方・仕事論や組織マネジメント・リーダーシップ論、そして生き方・人生論などが広く深く説かれる。
〇今中の主張はシンプルである。「弱い人はお互いを守り合いながら長く生存できる。強い人を守る人はいない、強い人は生き残れない」。極論すればこれだけである。その際のキーワードは、「弱さ」と「多様性」である。今中はいう。「チームに一番必要なのは弱さである」。すなわち、人間はそもそも、弱い存在であり、弱いからこそチームを組んで生き延びようとする。弱く矛盾した存在としての個人が有機的につながることによって、チームは機能する。チームは強い人だけでは構成できないのである(9、113ページ)。
〇そしていう。「多様性を失ったシステムは崩壊する」。すなわち、共生社会はバラツキを是とする社会(多様性のある社会)であり、その違いをひとまとめにせずお互いを認め合う。違いが交差すれば違和感も生まれるが、それ以上に異なる視点が有効に機能し、新たな希望が見つかる。弱い人も強い人も、異なるものが異なるものとして共存・協働することが肝要である(17、103ページ)。
〇「弱さ」と「多様性」に関して、いくつかの言説を紹介しておくことにする。
・高橋源一郎/「効率的な社会、均質な社会、『弱さ』を排除し、『強さ』と『競争』を至上原理とする社会は、本質的な脆(もろ)さを抱えている」(高橋源一郎・辻信一『弱さの思想―たそがれを抱きしめる―』大月書店、2014年2月、12ページ)。
・天畠大輔/「僕は介助なしでは何もできない。しかし、だから多くの人とかかわり、深く繋がり、ともに創りあげる関係性を築いていける。それが僕の<強み>になっている。能力がないことが<強み>なのである。自分だけで何もできないことは、無能力と同義ではない」(天畠大輔『<弱さ>を<強み>に―突然複数の障がいをもった僕ができること―』岩波新書、2021年10月、226ページ)。
・澤田智洋/「『弱さ』の中にこそ多様性がある。だからこそ、強さだけではなく、その人らしい『弱さ』を交換し合ったり、磨き合ったり、補完し合ったりできたら、社会はより豊かになっていく」(澤田智洋『マイノリティデザイン―「弱さ」を生かせる社会をつくろう―』ライツ社、2021年1月、51~52ページ)。
・熊谷晋一郎/「凡庸(ぼんよう)コンプレックス」、すなわち個性のない・どこにでもいる規格化・平準化された「ふつう」の人間が、「奇妙に多様性を奨励する社会の中で、相対的に可視化された(奇抜な)障害者への嫉妬が芽生えるという転倒した現象も起きている」(熊谷晋一郎「『用無し』の不安におびえる者たちよ」里見喜久夫『障害をしゃべろう! 上巻 ―「コトノネ」が考えた、障害と福祉のこと―』青土社、2021年10月、185ページ)。

【初出】
<雑感>(73)阪野 貢/「怒りと希望」:社会に怒りラディカル(徹底的)に抗すること・目の前の一人を慮(おもんぱか)ること・社会的課題をデザインで解き希望に変えること―今中博之著『社会を希望で満たす働きかた』読後メモ―/2019年1月28日/本文

 


04 「1984年」と「個性」と「多様性」 ―ジョージ・オーウェルと村田紗耶香(小説家)から学ぶ  ―


<文献>
(1)ジョージ・オーウェル、高橋和久訳『1984年』(新訳版)早川書房、2009年7月、以下[1]。
(2)村田紗耶香『信仰』文藝春秋、2022年6月、以下[2]。

〇[1]『1984年』は、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説である。「情熱と暴力と絶望」(トマス・ピンチョン「解説」507ページ)に満ちた小説であり、読み進めると “緊張と憂鬱と恐怖” が襲う。
〇この小説の舞台は、主人公のウィンストン・スミスが住む3強国のひとつ、オセアニアである。その国では、ビッグ・ブラザーが率いるイングソックという名の政党による一党独裁体制がとられている。その党は、3つのスローガン「戦争は平和なり/自由は隷従なり/無知は力なり」を掲げている。
〇「戦争は平和なり」(war is peace)は、戦争はその継続化によって存在しなくなる(見せかけの平和)。「真の恒久平和とは、永遠の戦争状態と同じ」(307ページ)である、という意味である。「自由は隷属なり」(freedom is slavery)は、権力に隷属(屈従)すれば、思想・良心に従って行動する真の自由ではなく、監視下の自由(錯覚の自由)が保障される。「隷属は自由なり」(409ページ)、という意味である。「無知は力なり」(ignorance is strength)は、知識のない思考は空虚であり、思考のない知識は盲目である。従属(服従)は思考停止と洗脳によって実行される。「階級社会は、貧困と無知を基盤にしない限り、成立しえない」(293ページ)、という意味である。
〇いまひとつ注目しておきたい党のスローガンに、「過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする」(56ページ)というのがある。過去は記録と記憶のなかに存在するが、権力者は歴史を書き換え捏造(ねつぞう)する、という意味である。
〇筆者はここで、「洗脳」と「盲従」、「上意下達」と「統制」という言葉について思う。福祉教育も、権力や権威に洗脳され、権力や権威に盲従しているところはないか。また、上意下達や統制について「見て見ぬふりをしている」ところや、「見ぬふりをして見ている」ところはないか。今年は「2022年」である。ロシアのウクライナ侵攻が始まり、日本を取り巻く安全保障環境がより一厳しさを増している。そんななかで、「 “ふくし” は平和のシンボルであり、身近な “ふくし” を学ぶことは世界の平和を創る道に通じる」ことを改めて、心(胸)に強く刻みたい。
〇[2]『信仰』は、芥川賞作家の村田紗耶香の最新刊である。6編の短編小説と2編のエッセイが収録されている。エッセイのひとつ「気持ちよさという罪」では、「個性」と「多様性」という言葉との出会いや、そのときの率直な思いが述懐され、その言葉の暴力性が述べられる。メモっておくことにする(抜き書き)。

●確か中学生くらいのころ、急に学校の先生が一斉に「個性」という言葉を使い始めたという記憶がある。今まで私たちを扱いやすいように、平均化しようとしていた人たちが、急になぜ? という気持ちと、その言葉を使っているときの、気持ちのよさそうな様子がとても薄気味悪かった。(中略)「さあ、怖がらないで、みんなももっと個性を出しなさい!」と言わんばかりだった。そして、本当に異質なもの、異常性を感じさせるものは、今まで通り静かに排除されていた。(110ページ)
●当時の私は、「個性」とは、「大人たちにとって気持ちがいい、想像がつく範囲の、ちょうどいい、素敵な特徴を見せてください!」という意味の言葉なのだな、と思った。(中略)「個性」という言葉のなんだか恐ろしい、薄気味の悪い印象は、大人になった今も残っている。(111ページ)
●大人になってしばらくして、「多様性」という言葉を最初に聞いたとき、感じたのは、心地よさと理想的な光景だった。例えば、(中略)仲間同士の集まりで、それぞれいろいろな意味でのマジョリティー、マイノリティーの人たちが、互いの考え方を理解しあって、そこにいるすべての人の価値観がすべてナチュラルに受け入れられている空間。発想が貧困な私が思い浮かべるのは、それくらいだった。(111~112ページ)
●私はとても愚かなので、そういう、なんとなく良さそうで気持ちがいいものに、すぐに呑み込まれてしまう。だから、「自分にとって気持ちがいい多様性」が怖い。「自分にとって気持ちが悪い多様性」が何なのか、ちゃんと自分の中で克明に言語化されて辿り着くまで、その言葉を使って快楽に浸るのが怖い。そして、自分にとって都合が悪く、絶望的に気持ちが悪い「多様性」のこともきちんと考えられるようになるまで、その言葉を使う権利は自分にはない、とどこかで思っている。(112ページ)
●私がついていけないくらい、私があまりの気持ち悪さに吐き気を催すくらい、世界の多様化が進んでいきますように。今、私はそう願っている。(117ページ)

〇筆者はここで、「障害と個性」「分離と統合」「排除と共生」「多様性と包摂」などの言葉とともに、「車椅子体験と障がい者との交流」について思う。そして、その “ぎこちなさ”  や  “危うさ”  に思い至る。これまでの福祉教育プログラムは、子どもたちやマジョリティ(多数派)に属していると思っている(思わされている)人たちに、「気持ちよさという罪」を負わせてきたのではないか、と疑心暗鬼になり、自責の念に駆られる。

【初出】
<雑感>(31)阪野 貢/『1984年』と『茶色の朝』、そして“いま”―読後メモ―/2015年9月8日/本文
<雑感>(160)阪野 貢/村田紗耶香が述懐する「個性」と「多様性」―その言葉の暴力性―/2022年8月27日/本文

 


05 「社会」と「自分」を「考える」  ―池田晶子(哲学者、文筆家)から学ぶ  ―


<文献>
(1)池田晶子『14歳からの哲学―考えるための教科書―』トランスビュー、2003年3月、以下[1]。

〇久しぶりに池田晶子の著書『14歳からの哲学―考えるための教科書―』(トランスビュー、2003年3月、以下[1])を読み返すことにした。池田は、日本語による「哲学エッセイ」を確立したと評される、稀有(けう)な自称文筆家である。[1]は、長年にわたり、年代を超えて読み継がれている池田の代表作である。なお、池田は、2007年2月に46歳の若さで亡くなっている。
〇[1]は、哲学の歴史や哲学者の考えを紹介・解説するものではない。「14歳以後、一度は考えておかなければならないこと」(「帯」)として、「考える」「言葉」「自分とは誰か」などの30のテーマについて、哲学の専門用語を使わず、平易な文章で読者に語りかけ・問いかける。本稿では、次の3つのテーマについてメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

目に見えない「社会」は観念であり、観念が変わらなければ現実社会は変わらない
目に見えないのに存在するもの、それは思いや考えである。思いや考えのことを、ここではまとめて「観念」と呼ぶことにしよう。(82ページ)
「社会」というのは、明らかにひとつの「観念」であって、決して物のように自分の外に存在している何かじゃない。「社会」は、観念として、自分や皆の「内に」存在しているものなんだ。(82ページ)
社会を変えようとする場合、先ず自分が変わるべきなんだ。社会は、それぞれの人の内の観念なのだから、現実を作っている観念が変わらなければ現実は変わらないんだ。(83ページ)
世のすべては人々の観念が作り出しているもの、その意味では、すべては幻想と言っていい。社会がそうなら、国家というものもそうなんだ。人は、「日本」という国家が、外の物のように存在していると思って、それが観念であるということを忘れて、その観念のために命を賭(か)けて戦争したりする。観念のために命を捨てるなんて芸当ができるのは、生物のうちでも人間だけだ。これはとても不思議なことだ。(83、84ページ)
「社会」というのは、複数の人の集まりという単純な定義以上のものではない。それ以上の意味は、人の作り出した観念だということだ。複数の人が集まれば、複数の観念が集まり、混合し、競い合って、その中で最も支配的な観念、つまり最も多くの人がそう思い込む観念が、その集団を支配することになる。これが言わば「時代」というものだけれど、これも人々が自分で作り出している観念であることに変わりはない。「社会の動き」とは、つまり「観念の動き」であると見る習慣を身につけよう。(84ページ)

「自分」を愛するということがそのまま、「世界」を愛するということである
自分であるところのもともとの自分は、ただ自分であるということ。ただ自分であるということは、他人がいるから自分であるのではなく、他人がいてもいなくても、他人がいるかいないかに関係なく、その自分としてあるということだ。他人の存在は、自分が自分であると気づくためのきっかけにすぎない。自分の存在は他人の存在に依(よ)ってはいないのだから、その意味で、自分というのは絶対的な存在なんだ。(66ページ)
「世界」つまりすべてのことは、自分の存在に依っている。自分が存在しなければ、世界は存在しないんだ。自分が存在するということが、世界が存在するということなんだ。世界が存在するから自分が存在するんじゃない。世界は、それを見て、それを考えている自分において存在しているんだ。つまり、自分が、世界なんだ。(67ページ)
嫌いな人、イヤな人は、ああ、そういう人なんだな、丸ごと認めて受け容れてあげるんだね。むろん大変なことだよ。でも、それが自分のためなんだ。それができなければ、君が自分を本当に愛することはできない。自分を愛していない人生を生きるというのは、とても苦しいものだ。だって、嫌いな人からは離れればいいけど、誰が自分から離れることができるだろう。嫌いな自分と四六時中一緒にいるなんてことが、苦しくないわけがないじゃないか。(104ページ)
自分とは世界なのだ。だから、自分を愛するということが、そのまま、世界を愛するということなんだ。だから、もしも君が世のため人のために何かをしたいと願うのなら、一番最初にしなければならないことは何か、もうわかるはずだ。(104ページ)

「思う」ことではなく、「考える」ことこそが全世界を計る正しい定規になる
わからなくて不思議なことを、それが本当のことなのかどうかを知ろうとして、人は「考える」といことを始めるんだ。「考える」は、それまでの、ただなんとなく「思う」ということとは全然違うことなんだ。(8~9ページ)
考えるというのは、それがどういうことなのかを考えるということであって、それをどうすればいいのかを悩むってことじゃない。(9ページ)
自分が思っていることが、ただ自分がそう思っているだけではなく、本当に正しいことなのかどうかを知るためには、考えるということをしなければならないんだ。「本当にそう思う」ということと、「本当にそうである」ということとは、違うことだ。(14、15ページ)
人は、「考える」、「自分が思う」とはどういうことかと「考える」ことによって、正しい定規(尺度、基準)を手に入れることができるんだ。自分ひとりだけの正しい定規ではなくて、誰にとっても正しい定規、たったひとつの正しい定規だ。(16ページ)
その定規は、君が、考えれば、必ず見つかるんだ。正しい定規はどこだろうってあれこれ探して回っているうちは、それは見つからない。考えることこそが、全世界を計る正しい定規になるのだとわかった時に、君は自由に考え始めることになるんだ。(17ページ)
考えるということは、答えを求めるということじゃないんだ。考えるということは、答えがないということを知って、人が問いそのものと化すということなんだ。謎が謎として存在するから、人は考える、考え続けることになるんだ。(196、197ページ)

〇以上のポイントは、「社会は観念として、自分の内に存在している」(82ページ)。「自分が世界であり、世界(すべてのこと)は自分において存在している」(67ページ)。「自分は自分でしかないことによってすべてである(絶対的存在)」(68ページ)。「自分を愛するということがそのまま、世界を愛するということである」(104ページ)。「本当に生きるということは、わからないことをわからないと思わないで、誰にとっても正しいことを、考える・考え続けるということである」(23ページ)、となろうか。

【初出】
<雑感>(102)阪野 貢/「社会は世界観に基づく」「生は死を内包する」を「考える」ために:ひとつの哲学言説―いま、改めて池田晶子著『14歳からの哲学』を読む―/2020年2月24日/本文

 


06 「教養」と「教育」―教養人(安部謹也・ほか)から学ぶ―


<文献>
(1) 安部謹也『「教養」とは何か』(講談社現代新書)講談社、1997年9月、以下[1]。
(2) 梅田正己『「市民の時代」の教育を求めて―「市民的教養」と「市民的徳性」の教育論―』高文研、2001年5月、以下[2]。
(3) 村上陽一郎『あらためて教養とは』(新潮文庫)新潮社、2009年4月、以下[3]。
(4) 中央教育審議会「新しい時代における教養教育の在り方について(答申)」2002年2月、以下[4]。
(5) 日本学術会議 日本の展望委員会 知の創造分科会『21世紀の教養と教養教育(提言)』2010年4月、以下[5]。

〇福祉教育実践や研究の画期をなしたものに、1980年9月に全社協に設置された「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)の中間報告「福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―」(1981年11月)がある。そこでは、福祉教育は、「国民の社会福祉への関心と参加の促進」をめざす意図的な教育活動である。福祉教育は、人権思想に基づいた社会福祉の営みの主体として、市民一人ひとりが担ういわば「福祉人」の育成を図るものであり、現代を生きるにふさわしい人格形成にかかわるものである、と述べられた。これは、市民イコール福祉人の「教養」に通底するものでもあり、今さらながら改めて注目しておきたいところである。
〇1990年代後半には、例えば高橋智(東京学芸大学)が、教育学教育や教師教育における「国民的福祉教養」の構想について論究している(注1)。また、大橋謙策(当時・日本社会事業大学)が、高校福祉科の設置とのかかわりで、子ども・青年の発達を促すものとしての福祉教育を基底に、すべての高校生に「国民的教養としての福祉教育」を展開することについて言及している(注2)。
〇これらは20年から30年以上も前のことで、旧聞に属する。さらに、それ以前の1970年代後半以降に「教養主義」の「没落」や「終焉」が指摘されたことは、周知の通りである。そしていま、グローバリゼーションとローカリゼーションが同時進行するなかで、「知識基盤社会」(注3)と「市民参加型社会」の時代を迎えている。知識基盤社会は、新しい知識・情報・技術の重要性が飛躍的に高まる社会であり、そこでは大学教育等の改善のみならず、子どもから大人までの「生きる力」を如何に育成するかが重ねて問われることになる。市民参加型社会は、参加と協働(共働)による市民主権・市民自治のまちづくりを進める社会であり、そのまちづくりの担い手となり得る市民としての教養(「市民的教養」「シティズンシップ」)を如何に形成し、そのための教養教育を如何に再活性化するかが問われることになる。
〇福祉の(による)まちづくりの市民的教養(「市民的福祉教養」)は、それを形成・涵養するための確かな教養教育や豊かな実践軽軽を積みあげることによって育まれる。こうした視点に立って「市民福祉教育」について論究することは、“まちづくりの福祉教育”の今日的課題である。
〇本稿では、筆者(阪野)の手もとにある資料から、「教養」に関する基本的な論点や言説の一部を紹介することにする。

(1) 安部謹也『「教養」とは何か』講談社([1])
「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のためになにができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状況」を「教養」があるというのである。(56ページ)

教養があるということは(中略)「世間」(「大人が互いに結んでいる人間関係の絆」:阿部、18ページ)の中で「世間」を変えてゆく位置にたち、何らかの制度や権威によることなく、自らの生き方を通じて周囲の人に自然に働きかけてゆくことができる人のことをいう。これまでの教養は個人単位であり、個人が自己の完成を願うという形になっていた。しかし「世間」の中では個人一人の完成はあり得ないのである。個人は学を修め、社会の中での自己の位置を知り、その上で「世間」の中で自分の役割をもたなければならないのである。(180ページ)

(2) 梅田正己『「市民の時代」の教育を求めて―「市民的教養」と「市民的徳性」の教育論―』高文研([2])
現代における「市民」とは、ひと言でいえば、民主主義と人権の思想を体現した人間類型といえます。
いくつかのキーワードがあげられます。思想・言論の自由をはじめとする「市民的自由」、特権や差別を認めない「平等」、自主性・自発性にもとづく「参加」、主体的に引き受ける「責任」、そして「自治」です。
「市民」とはつまり、うんと単純化していえば、自由と平等の原則に立って、一人ひとりの尊厳を守るとともに、全員が参加し、全員が責任を引き受けることによって、自分たちの社会を自分たちの手で治めてゆくこと(自治)のできる人間類型ということになります。(145ページ)

「市民」を育てる教育は、自立した「市民」として「自治」に参加するために必要な知識と認識、それにもとづく一定の見識の面での教育と、「市民」として実際に行動するさいに必要な自覚と能力、技能、態度をめぐる教育の2つの側面が考えられます。前者を「市民」として身につけておきたい教養すなわち「市民的教養」の教育、後者を、「権利主体」としての自覚をはじめ、「公共の精神」、話し合い(討議)の能力と技能、他者にはたらきかけ互いに協力できる能力などの「市民的徳性」の教育と名づけてみました。
なお、「市民的徳性」という用語については、「市民」としての自覚、能力、技能、態度のすべてが含まれていると考えられる「シティズンシップ」という言葉を使った方がよいかも知れません。(146~150ページから抜き書き)

日本の教育をささえてきたのは、国家主義と立身出世主義(学歴主義)の二本の柱でした。教育の中心に「国家」をすえる考え方は、20世紀をもってその歴史的役割を終えました(ただし国家主義は消滅したわけではなく、幾年もたたないで復活してきます。)。日本の社会にも明確に質的な変化が生じつつあり、日本も明らかに「市民の時代」に入っています。日本の教育はその価値基軸を「国家」から「市民」に転換していかなくてはなりません。「市民的教養」の修得と「市民的徳性」の育成を二本の柱として、新しい学校をどう構想するかが問われています。(64、80、101、104、141、238ページから抜き書き)

(3) 村上陽一郎『あらためて教養とは』新潮社([3])
自分の中にきちんとした規矩(きく。分別のための「基準」「ものさし」「枠組み」:村上)を持っていて、そこからはみ出したことはしないぞという生き方のできる人こそが、最も原理的な意味で教養のある人と言えるのではないか――というのが私の年来の主張なのです。その上に、一般的な意味での教養、つまり何がしかの知識、何がしかの経験、そして専門家としてではなく、人間一般としての「広さ」、そうしたものが相俟(あいま)って教養が論じられるようになる。しかし、慎(つつし)みを形造る規矩が欠けると、それこそ教養というのはものすごく安っぽくなって、口にするのも恥ずかしいようなものになりかねないんじゃないかというのが私の基本的な考え方です。(28ページ)

今日では、社会が「知識に基礎を置く社会」(knowledge-based society)という言葉で規定されるほど、様々な分野の知識が社会を動かしています。それを身につけなければ生きていけない。社会の中で活動することができない。専門性が求められる一方で、しかし、専門以外の様々な知識に通暁(つうぎょう)していることで、初めて現代社会に生きる資格が与えられるとさえ思われます。その意味での「教養」が、エリート階級だけでなく一般の人々にとっても、現代ほど必要とされる社会はありません。その意味での教養は、現代社会のなかで人間が生きるための「力」そのものです。(88ページ)

ドイツ語の〈Bildung〉というのは、英語のに近い言葉です。つまり「造り上げる」ことですね。では何を「造り上げる」のかというと、「自分」という人間をきちんと造り上げていくことであり、これが「教養」なのではないかと思うのです。(中略)
自分を修めること、きちんとした人間として、正しいと思う方向に向かって自分を造り上げていくことをもって教養と理解するとなると、市井(しせい)の中に埋もれている生活者(中略)の中にも、自分をしっかり持って、自分を見つけて、自分をきちんと造り上げていく人はいると確信しています。(中略)
何を材料にして自分を造り上げるか。広い知識や広い体験は決定的に大事な材料の一つですけど、全部ではない。造り上げるというと、いかにも何かがちがちに造り上げた完成品ができてしまうように見えますけど、そうじゃないんですね。自分というものを固定化するのではなく、むしろいつも「開かれて」いて、それを「自分」であると見なす作業、そういう意味での造り上げる行為は実は永遠に、死ぬまで続くわけです。(中略)一生をかけて自分を造り上げていくということにいそしんでいる、邁進(まいしん)している。それを日常、実現しようと努力している人を、われわれは教養のある人というのではないか、そう私は思っています。(185~187ページ)

(4) 中央教育審議会「新しい時代における教養教育の在り方について(答申)」([4])
教養とは、個人が社会とかかわり、経験を積み、体系的な知識や知恵を獲得する過程で身に付ける、ものの見方、考え方、価値観の総体ということができる。(中略)人には、その成長段階ごとに身に付けなければならない教養がある。それらを、社会での様々な経験、自己との対話等を通じて一つ一つ身に付け、それぞれの内面に自分の生きる座標軸、すなわち行動の基準とそれを支える価値観を構築していかなければならない。教養は、知的な側面のみならず、規範意識と倫理性、感性と美意識、主体的に行動する力、バランス感覚、体力や精神力などを含めた総体的な概念としてとらえるべきものである。

新しい時代を生きるための教養として、社会とのかかわりの中で自己を位置付け律していく力や、自ら社会秩序を作り出していく力が不可欠である。主体性ある人間として向上心や志を持って生き、より良い新しい時代の創造に向かって行動することができる力、他者の立場に立って考えることができる想像力がこれからの教養の重要な要素である。

教養教育については、これまで、主として高等教育における問題として議論されることが多かった。しかし、(中略)教養の涵養は個人にとって生涯の課題であり、教養を身に付ける努力は、いずれの年齢や職業においてもすべての人に求められるものである。教養教育の在り方を検討するに当たっては、高等教育だけでなく、幼児期からの家庭教育、初等中等教育も含めた学校の教育活動全体、地域での様々な活動、社会生活における様々な体験や学習を通じて、いかに教養を身に付けていくかを考える必要がある。

(5) 日本学術会議 日本の展望委員会 知の創造分科会『21世紀の教養と教養教育(提言)』([5])
現代社会において生起し深刻化するさまざまな問題や課題に適切に対応し、その平和的な解決を図っていくには、それらの問題や課題の解決に向けての多様な取り組みに参加・協働する知性・智恵・実践的能力の形成と、それらの多様な取り組みを支え推進する基盤としての市民社会の豊かな展開が重要である。
そのためには、次の三つの公共性を活性化することが重要である。第一に、集合的意思決定過程(政治)の開放性・透明性(情報公開・情報開示)が確保され、その過程への十分な市民参加があること(市民的公共性)、第二に、さまざまな問題や課題を自分たちの協力・協働により解決・達成すべきものとして引き受け、その協力・協働に参加する活力あるカルチャーが息づいていること(社会的公共性)、第三に、社会のすべての成員が、その尊厳を尊重され、安全かつ豊かな文化的・社会的生活を享受する権利を有する存在であることが、承認され前提となっていることである(本源的公共性:社会的存在としての人間の生存権に関わる公共性)。
現代の多様化・複雑化・流動化する社会では、この3つの公共性の活性化とその担い手となりうる市民としての知性・智恵・実践的能力(市民的教養)の形成が、いま切実に求められている。(ⅳ~ⅴ、4~5ページ)

21世紀に期待される教養は、現代世界が経験している諸変化の特性を理解し、突きつけられている問題や課題について考え探究し、それらの問題や課題の解明・解決に取り組んでいくことのできる知性・智恵・実践的能力であると言ってよいであろう。その多面的・重層的な知性・智恵・能力を、学問知、技法知、実践知という三つの知と市民的教養を核とするものとして捉える。
学問知は、学問・研究の成果としての知の総体であり、その学習を通じて形成される知である。それは、錯綜する現実や言説(研究を含む)を分析的・批判的に検討・考察し、同時に、諸問題を自分に関わる問題として思慮し、そしてまた、自分の生き方や考え方を自省する知でもある。技法知は、メディアの活用、多種多様な情報・資料の編集、数量的推論、自国語・外国語、学術的な文章作成能力、言語的・非言語的な表現能力・コミュニケーション能力などを構成要素とする知で、学問知および実践知の学習・形成と活用の基礎となるものである。実践知は、日常のさまざまな場面で実際に活用・発揮(実践)される知で、市民的・社会的・職業的活動に参加・協働し、共感・連帯し、同時に、自らの在り方・生き方・振る舞い方を自省し調整していく知である。
他方、市民的教養は、上記の三つの公共性、すなわち本源的公共性、市民的公共性、社会的公共性についての理解を深め、その実現に向けたさまざまな活動やプロジェクトに参加し、連帯・協働していく素養と構えを指す。
大学教育・教養教育では、これら三つの公共性に開かれ、その実現を志向し、その実現のための活動やプロジェクトに参加し協働するうえで必要とされる学問知・技法知・実践知を育んでいくこと、それを核とする「市民的教養」を育んでいくことが重要である。(ⅴ~ⅵ、17~18ページ)

〇「教養」とは何か。以上からも分かるように、その捉え方は多様である。その点を知るのには、歴史的視点から教養主義について論述する竹内洋の『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化―』((中公新書)中央公論新社、2003年7月)、哲学・思想の領域から教養主義の復活を説く仲正昌樹の『教養主義復活論―本屋さんの学校Ⅱ―』(明月堂書店、2010年1月)、なども興味深い。
〇ここで、以上に紹介した論点や言説を参考に、「教養」の構造と性格について暫定的な管見を述べておくことにする(図1参照)。

図1 「教養」カラー
〇「教養」は、「知識」「経験」「知性」「価値観・規範」を構成要素とする。
幅広い知識を修得するためには、知的な好奇心と懐疑心、追究心が必要である。経験を社会的意義のあるものにするためには、その活動・行為を外向化・社会化するとともに、継続的に取り組み、展開することが必要である。知性とは、物事について的確に思考し、判断し、表現する知的な能力をいう。教養の形成には、知的な側面のみならず、行動や判断の基準(規範)やそれを支える価値観の構築が必要であり、「教養の原点」(村上[3])はここにある。
〇また、教養は、家庭や地域・社会におけるさまざまな生活体験を通して形成される。教養は、子ども・青年の発達段階に応じて、また高齢期まで生涯にわたって形成される。教養は、現代社会や現代世界の変化や問題に対応するものである。教養は、新しい時代を切り拓き、未来社会を創造するものである。これらの点をめぐって、学校(小・中・高・大学教育))における教養教育をはじめ、市民社会や国際社会を生きるための子ども・成人に対する教養教育のあり方が問われることになる。


(1) 高橋智「教育学教養と福祉教養―教育学教育における福祉教養の意義―」『東京学芸大学紀要.第1部門、教育科学』第48集、東京学芸大学紀要出版委員会、1997年3月。
(2) 大橋謙策「高校における福祉教育の位置と高校福祉科」大橋謙策編集代表『福祉科指導法入門』中央法規、2002年4月。
(3) 「知識基盤社会」(knowledge-based society)とは、「新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す」社会をいう(中央教育審議会「我が国の高等教育の将来像(答申)」2005年1月)。その進展を図るためには、大学教育等の改善のみならず、小学校から大学までの一貫した取り組みが必要である。また、知識基盤社会を生き抜くためには子どもから大人まで、「生きる力」の育成を図ることが重要となる。

追記
2013年7月14日の朝日新聞の「天声人語」―「キョウヨウとキョウイク」が面白い。
老後をどう生き生きと過ごそうかと誰しも考える。そこには秘訣があるらしい。「キョウヨウ」と「キョウイク」なのだという。教養と教育かと思いきや、さにあらず。「今日、用がある」と「今日、行くところがある」の二つである。なるほど何も用事がなく、どこにも行かない毎日では張り合いがあるまい、という記事である。老後を豊かに過ごすには、地域・社会との「関わり」「つながり」が必要かつ重要である、ということか。

【初出】
<ディスカッションルーム>((52)阪野 貢/市民的福祉教養と市民福祉教育:「教養」について考える―資料紹介―/2015年11月16日/本文

 


07 「福祉」はアートであり、デザインである  ―東京藝大と東大における体験型授業から学ぶ  ―


<文献>
(1)東京藝術大学 Diversity on the Arts プロジェクト編『ケアとアートの教室』左右社、2022年1月、以下[1]。
(2)山中俊治『だれでもデザイン―未来をつくる教室-』朝日出版社、2021年11月、以下[2]]。

〇[1]と[2]は、東京藝術大学や東京大学で中高生や社会人を対象に行なわれた体験型授業の様子をまとめたものである。[1]は、2016年より開設された、約100人の社会人と約30人の藝大生が共に学ぶ履修証明プログラム(Diversity on the Arts Project、通称:DOOR)の講義と実践の様子(体験)を記録したものである。そこでは、「アート×福祉」をテーマに、共生社会を支える人材の育成とコミュニティの醸成をめざす(2ページ)。講義で取り上げる具体的なテーマは、貧困、障害、性的マイノリティ、引きこもりなど多岐にわたる。講師もアーティストや障がい者、福祉の専門家、現代社会に生きづらさを感じている当事者など多様である。
〇DOORでの「学び」は、次のようなことを基本的な考え方(コンセプト)にする。共生社会の実現には、創造性(アート)とそれが活きる環境を耕す(cultivate)ことが重要である(4ページ)。何かを学ぶうえで、「誰と学ぶのか」、学びの対象と「どう出会うのか」が重要な要素となる(5ページ)。アート(=創造性)の領域では「個人の主観」が大切にされるが、自分の主観の深いところには他者との共通点がある。アートも福祉も、多くの人たちとの「対話」(「創造のコミュニケーション」)や「協同」のなかで、異なった何かと自分とが融合し、変化し、豊かになっていく(7、8ページ)。すなわちこれである。
〇身近にある、状態としての多様性(diversity)に対して「想像」を巡らし、対話し、歩み寄り、見えないものを知覚することによって、共生社会の「創造」に向けて動き出す(236、238ページ)。多様性が創造性(creativity)を生み、育てるのである。
〇[1]から、「まちづくりと市民福祉教育」に関して、「気になる」あるいは「使える」論点や言説のいくつかをメモっておく(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者。見出しの後の氏名は講義者)。

アートと福祉は多様性を特性とする/日比野克彦
アートと福祉は、アプローチこそ違え、視座が「多様性」を重視しているのは同じである。多様性のある社会を築いていくためには、違いを認め合う「アートの特性」を基盤にして、そのうえに福祉や経済などさまざまなものを組み立てていくことが肝要になる。(17ページ)

被支援者との共感不可能性を共感する/奥田知志
ホームレスなどの生活困窮者を支援する際、「大変でしたね」「わかります」というと、10人にふたりくらいは「野宿をしたこともないのに何がわかるんだ」と怒る。支援活動を行なううえでは、この「共感不可能性」を常に意識していなければならない。相手との対等性をいかに保ち、共感不可能性にどれほど共感できるかが重要となる。(40ページ)

アートは既成の価値観に異議を唱えること/久保田翠
知的障害があるひとの、「よくわからない」行為も、本人が生きるために不可欠なことであり、生きている証である。知的障害のあるひとたちの存在自体がアートであり、彼らの生き様そのものがひとつの表現である(「表現未満、」)。表現やアートはできあがった作品だけをさすのではない。知的障害のあるひとたちの存在をまるごと認め、彼らに対する見方を変えこと、すなわち既成の価値観に異議を唱えることがアートである。(59、61ページ)

ALLY(アライ)の存在は重要であるが‥‥‥/松岡宗嗣
性的マイノリティの存在は「いない」のではなく、「見えていない」のである。性的マイノリティのひとびとは、「ふつう」や「あたりまえ」とされる規範的な性のあり方の枠組みから排除されることで、さまざまなライフステージごとの困難に直面する。「ALLY(アライ)」は、「支援者」「同盟」「味方」を意味する。アライになるためには、「知る」こと、「変わる」こと、そして「行動する」ことといったステップが必要となるが、誰もが誰かのアライになれる。しかしその際の、「当事者ではないが味方」という考え方は、二項対立的な考えにつながる。「かわいそうなマイノリティを助ける」という考え方は、自分自身の差別意識を不可視化する。(85、91、98、99、100ページ)

対話がつながりの回復を図る/六車由実
介護現場では、利用者の人生や経験について話を聞くことで、彼らそのものを理解し、思い出を共有すること。それと共に、個人史からそのひとたちが生きてきた時代や地域の歴史、生活のあり方を知り、伝えていくこと、が大切となる(「介護民俗学」)。利用者同士や利用者とスタッフによる平等で開かれた「対話」によって、スタッフから利用者へという一方的な固定化された関係性が修復される。介護現場で一番大切なのは、要介護度が上がらないようにする支援(自立支援介護)ではなく、「つながりの回復」を図る支援である。つながりがあれば、老いや病、認知症で体が動かなくなったとしても、ひとは最後まで希望をもって生きていける。(123、129、131ページ)

〇[2]は、2017年に22名の中高生に対して、山中俊治(デザインエンジニア)の研究室(東京大学生産技術研究所)で行なわれた「デザイン」に関する4日間の特別授業を再現したものである。そこでは、身の回りのものをよく観察してアイデアを生み出し、「そこに新しい価値を見出し、形に落とし込み、人に伝え、一緒に完成させていくデザイナーの営み(デザインの方法)の根幹」(5ページ)が具体的に綴(つづ)られている。山中にあってはそれは、「人間がなにかを生み出す時の普遍的な方法」(6ページ)である。また、デザインは「人工物、あるいは人工環境と人の間で起こるほぼ全てのことを計画し、幸福な体験を実現すること」(43ページ)と定義づけられる。
〇デザインは、人びとが日常生活上のベネフィット(benefit:利益、恩恵、便益)を得て効率よく、豊かに暮らすために、安全性や操作性、格好よさや愛着、値段などをトータルにプランニングする営為である(44ページ)。それは、感覚的なものと科学的な知識を融合する営みである。その仕事を行なうデザイナーは、それが「総合的な営み」であるという点において、映画監督やオーケストラの指揮者に近いともいえる(51ページ)。
〇[2]から、「まちづくりと市民福祉教育」に関して、「気になる」あるいは「使える」論点や言説のいくつかをメモっておく(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

サイエンスとアートとデザイン/デザインする
サイエンスとアートの目的は真理の探求にある。デザインはいつも誰かをハッピーにすることをめざす。サイエンスは、客観性を追求して記述し、検証しあって知識を共有する。アートは、主観を追求して表現し、「共感」を共有する。その共感を確実なものにするために、評論が大切な役割を果たす。デザインは、サイエンスとアートの両方の知見から得たことを統合して、安全性や操作性、格好よさなどの高いモノをつくる。(47、49、51ページ)

デザインはアイデアが命である/アイデアを出す
デザインのコアになるのはアイデアである。アイデアの本質はそもそも偶然である。アイデアのヒントはいつも観察のなかに、他人の頭のなかにある。また、知識や経験、情報のなかにある。そしてアイデアは、それらを「つなぎ替える」「つなぎ直す」ことである。要するに、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」(ジェームス・W・ヤング)。(174、186、188、190、344ページ)

スケッチを描くということ/スケッチする
スケッチを描くということは、自分が何を見て、何を見ていないかを意識することである。描くということは、そこを見ることと連動していて、見ていないところは描けないし、描く時には必ず見ようとする。私たちは注目しているところ以外を見ておらず、無意識に、全部は見ないようにしている。絵を描くことで意識的に見る範囲を限定したり、見る範囲を決めることができる。スケッチに全ては描かない。最も重要なエッセンスを抽出して(抽象化して)リアリティを与えるということが、スケッチの表現の根幹である。(70、71、110ページ)

デザインが社会変革を促す/未来を拓く
義足をデザインしているとき、失われた体の一部を補完するというより、新しい体を作っている感覚がある。義足は障がい者のために作ったものであるが、実は、障がい者を見る社会のほうが変わるきっかけになる。義足は大量生産ではなく、一人ひとりの切断者に合わせて、「かっこよく」「美しく」作る。一人ひとりのためのデザインが、そのものに目を向けさせ、社会の意識を変え、未来を拓く。いま、みんなのためのデザインから一人ひとりのためのデザインへと、時代は流れている。(318、320、323ページ)

〇以上を要するに(一面的であるが)、アートは、多様性にアプローチしてその異なる存在を認識し、より理解を深め、問いを投げかける(自己表現、問題提起の)営みである。デザインは、過去や「いまここ」から学び、一人ひとりに合わせたものの存在を生み出し、社会変革をもたらす(他者実現、問題解決の)営みである。その点においてアートとデザインは、「まちづくりと市民福祉教育」が内包する営みでもある。留意しておきたい。
〇前述のように、DOORでの「学び」のキーワードのひとつは、「創造性」と「多様性」である。その点に関して、重ねて次の一節を引いておく(抜き書き)。

アート=創造性は、誰のなかにでもある。ひとはどんな苦境においても、創造性を完全に忘れることはない。むしろ、そうした創造性に小さな喜びや希望を見出し、自己と向き合い、ときに他者とそれを共有することで、ひとはひとらしくあり続けることができ、「生きよう」とする思いをも強くできる。([1]3ページ)。

ダイバーシティ(多様性)をめざす、という言葉をよく聞く。しかし、多様性とは状態であり、すでに私たちの周りに存在しているものである。こうした多様性があるという状況を、どれだけセンシティブ(敏感)に感じとれるかということが重要になる。「さまざまなひとがこの世界で生きている」と言葉ではわかっていても、どれだけその状況を意識できるかどうかは、個々によって開きがある。多様なひとびとがいて、さまざまな世界の感じ方がある、ということをより意識できるようになってほしい。([1]232~233ページ)

〇創造性は時に、「ひらめき」すなわち偶然から生まれる。その「ひらめき」は、個々人の「記憶された知識や経験」に基づいてもいる。したがって、創造性は不確かであり、独創的である。しかしその本質は、新しい快適で豊かな未来社会を拓くところにある。多様性は一面では、マジョリティ(多数派)の文化や視点から唱えられる。一方からの多様性の強調は、“出る杭は打たれる”日本社会にあって、同調圧力を強めることにもなる。しかしその本質は、マイノリティ(少数派)の文化や視点を中心に据えた共生社会を形成するところにある。そこでまずは、創造性も多様性も、その人がその人らしく、共に生きられる地域・社会を共に創ることをめざして、さまざまなヒト・コト・モノをそれぞれに「気にする」ことから始まる。付記しておきたい。

【初出】
<雑感>(153)阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」はアートであり、デザインである―東京藝大で “福祉”を学び、東大で “デザイン” を学ぶ―/2022年6月6日/本文

 


08 共同体の狂気の「負の歴史」―映画「福田村事件」から学ぶ―


<文献>
(1)辻野弥生『福田村事件―関東大震災・知られざる悲劇』五月書房新社、2023年7月、以下[1]。

〇筆者(阪野)の手もとに、辻野弥生著『福田村事件―関東大震災・知られざる悲劇』(五月書房新社、2023年7月。以下[1])と佐藤美侑・米原範彦編『映画「福田村事件」公式パンフレット』(太秦、2023年9月。以下[2])がある。映画「福田村事件」を観た際に購入したものである。部落差別のなかを生き抜いてきた売薬行商団の支配人(29歳)の「朝鮮人なら殺してええんか」、惨状を前に鳴咽(おえつ)を漏らしながら、初行商旅の子ども(13歳)の「なんで、なんでなんで、俺たち、なんで、なんでなんで‥‥」が胸に刺さった、深く重い映画である。
〇「福田村事件」の概要はこうである。「関東大震災が発生した1923(大正12)年9月1日以降、(「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が略奪や放火をした」などの流言蜚語(りゅうげんひご)が飛び交い)各地で『不逞鮮人』(ふていせんじん)狩りが横行するなか、9月6日、四国の香川県からやって来て千葉県の福田村に投宿していた15名の売薬行商人の一行が朝鮮人との疑いをかけられ、地元の福田村・田中村の自警団によって、ある者は鳶口(とびぐち)で頭を割られ、ある者は手を縛られたまま利根川に放り投げられた。虐殺された者9名(胎児を含めると10名)のうちには、6歳・4歳・2歳の幼児と妊婦も含まれていた。犯行に及んだ者たちは法廷で自分たちの正義を滔々(とうとう)と語り、なかには出所後に自治体の長になった者まで出て、事件は地元のタブーと化した。そしてさらに、行商人一行が香川の被差別部落出身者たちだったことが、事件の真相解明をさらに難しくした」([1]帯)。なお、福田村では、殺人罪で逮捕された「かれらは自分たちの代表で捕まったのだという同情の意識から、見舞金のみならず、村をあげて農作業の援助もしたといわれる」([1]141ページ)。また、第2審(1924年9月)で懲役3年から10年の判決が言い渡され、千葉刑務所に収監されたが、その際、「福田村及び田中村では、一人前、800円位の餞別を贈ったと」([1]185ページ)されている。そして、1926年12月、「大正天皇の死去により、翌年多くの犯罪者が恩赦を受けているが、福田村事件の被疑者8名(福田村4名、田中村4名)も、第2審から2年5カ月後に全員恩赦で無罪放免になっている」([1]187ページ。)
〇関東大震災の混乱のなかで起こった福田村事件は、元をたどれば日本が1910(明治43)年8月に朝鮮を植民化したことが遠因になっていた。韓国併合によって多くの朝鮮人が日本に移住し、その一方で朝鮮半島で抗日闘争が激化するなかで、その「暴徒」に対して日本人(福田村の住民)の多くが不安と恐怖(反逆、報復)を感じ、差別意識を強めていった。その際、流言蜚語(デマ)の拡散に大きな役割を果たしたのは、政府・官憲の情報であり、新聞の報道であった。また、朝鮮人虐殺は、6,000人以上とされているが、軍・警察が主導し、主に役所や警察の教唆煽動(きょうさせんどう)によって組織された「自警団」によって行われた。それは、「国家(福田村)を憂えて」の蛮行であり、集団の狂気、共同体の暴力であった。「同調圧力」の強い現代の日本社会と「権力監視」の使命を放棄した日本のメディアの現状において、「負の歴史」に学ぶ意義は大きい。
〇スクリーンにおける船頭・田中倉蔵の一言と、それに対して悲しく笑っている売薬行商団の支配人・沼部新助の最期の一言である。([2]81ページ)

〇福田村の村長・田向龍一と新聞記者・恩田楓のやり取りである。その後、駐在が保護した生き残りの6人を連れて行く。([2]84ページ)

〇香川県の売薬行商について辻野はいう。「もともと香川県は全国一の小さな県で、『五反百姓』といって平均5反くらいしか農地を持たなかった。多くは5反以下で、小作率も全国一と高く、小作争議も頻発した。十分な耕作面積を得られない被差別部落の人たちは、行商で稼ぐしかなかったのである」([1]133~134ページ)。貧困は、歴史的・社会的要因によって階級的・構造的に作り出される不平等である。それは、生活や人生を破壊する恐怖であり、暴力である。「福田村事件」は、ロシア革命(1917年)や米騒動(1918年)などをきっかけにさまざまな社会運動が勃興する時代背景のもとで、民族差別とともに、部落差別とそれに基づく貧困に起因するものでもあった。強く認識したい。なお、香川県では、「福田村事件」の翌年1924年に県水平社が結成されている。
〇最後に、映画「福田村事件」の監督・森達也の次の一文を引いておく。「映画はフィクションだ。エンタメの要素も強い。だから実在していない人もたくさん登場する。物語を紡ぎながら事実を補強する。/でもそれは史実とは微妙に違う。だからこそ、この本の位置は重要だ。もう一度書く。忘れてはいけない。忘れたらまた同じことをくりかえす。過去にあった戦争や虐殺よりも恐ろしいことがひとつだけある。戦争や虐殺を忘却することだ」([1]242ページ)。2023年は関東大震災から100年の節目に当たる。

付記
本稿のタイトル「殺されてもよい人はいない、忘れられてもよい人はいない」は、美術作家・飯山由貴の言葉である。飯山は問う。「私たちは『殺されてもよい人はいない』ことを当たり前とする社会を、それを当たり前のこととする文化を、作れているのだろうか」([2]37ページ)。

【初出】
<雑感>(189)阪野 貢/殺されてもよい人はいない、忘れられてもよい人はいない ―辻野弥生著『福田村事件』のワンポイントメモ―/2023年10月5日/本文

 


むすびにかえて


〇地域の文化開発や文化創造にとって、その基盤は人材である。福祉文化を創り、育てる人材の発掘と育成が重視されなければならない。また、福祉文化の質は、住民リーダーの資質や力量によって決まるといってもよい。個々の住民の福祉文化活動が質の高ものであっても、そこに新しい視点と柔軟な思考、それに豊かな経験などを備えた優れたリーダーがいなければ、それは福祉文化として育たないであろう。個々の住民の能力や技術、エネルギーをいかに結集するか、住民リーダーの存在が問われることになる。
〇また、高齢者や障がい者などの福祉サービス利用者を、地域の活性化や福祉文化の創造を図る主体として位置づけ、その推進方策について検討することも重要である。高齢者や障がい者がもつ知識や経験などを生かすための日常的な “ 出番 ” や “ 晴舞台 ” を準備することが求められる。さらに、子どもについても、明日の文化の担い手として、しかも現役のそれとして、日常的な福祉文化活動に参加することが期待される。
〇高齢者や障がい者などの福祉サービス利用者をはじめ、すべての住民は、単なる文化の受け手としてのみ存在するのではない。文化的生活を主体的・能動的に享受し、豊かな福祉文化を創造する主体として存在することが期待される。また、文化の香りのする福祉のまちづくりを推進するためには、その実践や運動に主体的・積極的に取り組む住民を必要不可欠とする。ここに、福祉教育が求められる。
〇福祉教育は、住民の日常生活に立脚した営みであり、すべての住民が地域生活主体として、日常生活が展開される地域社会のなかで共に手をたずさえて豊かに、文化的に生きるための活動である。そういう福祉教育を推進する際、その主役は、あくまでも地域の主人公としての住民である。
〇いずれにしろ、福祉教育の振興は、地域の自治能力や教育力、福祉力などの向上をもたらす。とともに、地域の福祉文化を生み出す。芸術や文化に完結や完成がないように、教育にも本来、完結や完成はない。福祉教育への継続的で計画的な取り組みが求められる。そこにはじめて、文化の香りのする福祉のまちが誕生するのである。

初出】
阪野 貢「福祉文化のまちづくりと福祉教育」『福祉文化研究』Vol. 2、福祉文化学会、1993年3月、21~22ページ。

〇「(市民)福祉教育」に固有の実践・研究方法は構築・確立されているか、ということをめぐっては、例えば、日本福祉教育・ボランティア学習学会編『福祉教育・ボランティア学習の新機軸-学際性と変革性―』(大学図書出版、2014年10月)から読み解くこともできよう。筆者は、福祉教育実践の理論化や研究の科学的体系化は言われるほどには進んでいないと思っている。ここ10年近くは、「先進的」「独創的」と評される実践事例の単なるモデル化や定型化による「福祉教育プログラム」の研究開発が進められてきた。そのうえにいま、政府主導による形式的で画一的な、財源の裏付けを欠いた、理念や理想としての「地域共生社会」づくりが強調(強制)されている。気にかかるところである。言うまでもなく、地域づくり(まちづくり)を推進するためには、そのノウハウやヒト、モノ、カネ、情報が必要である。
〇また、「地域共生社会」については、原田正樹の次の指摘を胸に刻んでおきたい。「これまで『総論賛成・各論反対』と言われてきたが、7・26(相模原殺傷)事件はこの『総論』でさえも全否定し、共生社会を実現していくことの難しさを思い知らされた」(原田正樹「7・26(相模原殺傷)事件を考える-事件が問いかける意味とは-」『ふくしと教育』第22号、大学図書出版、2017年2月、13ページ)。
〇改めていま、(市民)福祉教育の理論的・実証的かつ実践的研究のあり方が厳しく問われている。その際、「福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成」を図る「まちづくりと市民福祉教育」にあっては、本稿で提示した「文化的・芸術的視点からのアプローチ」が必要かつ重要となる。強く認識したい。

 


備 考 ― <文献>一覧  ―


はじめに

01 「時間」と「空間」の座標― 内藤廣(建築家)から学ぶ―
(1)内藤廣『建築のちから』王国社、2009年7月。
(2)内藤廣『場のちから』王国社、2016年7月。
(3)内藤廣『空間のちから』王国社、2021年1月。

02 「塑する」ことと「繋ぐ」こと―佐藤卓(グラフィックデザイナー)から学ぶ―
(1)佐藤卓『塑する思考』新潮社、2017年7月。

03 「福祉文化」活動を通した「ゆるやかな絆」―今中博之(ソーシャルデザイナー)から学ぶ―
(1)村木厚子・今中博之『かっこいい福祉』左右社、2019年8月。
(2)アトリエ インカーブ編『共感を超える市場―つながりすぎない社会福祉とアート―』ビブリオ インカーブ、2019年9月。
(3)今中博之『社会を希望で満たす働きかた―ソーシャルデザインという仕事―』朝日新聞出版、2018年10月。

04 「1984年」と「個性」と「多様性」―ジョージ・オーウェルと村田紗耶香(小説家)から学ぶ―
(1)ジョージ・オーウェル、高橋和久訳『1984年』(新訳版)早川書房、2009年7月。
(2)村田紗耶香『信仰』文藝春秋、2022年6月。

05 「社会」と「自分」を「考える」  ―池田晶子(哲学者、文筆家)から学ぶ―  
(1)池田晶子『14歳からの哲学―考えるための教科書―』トランスビュー、2003年3月。

06 「教養」と「教育」―教養人(安部謹也・ほか)から学ぶ―
(1) 安部謹也『「教養」とは何か』(講談社現代新書)講談社、1997年9月。
(2) 梅田正己『「市民の時代」の教育を求めて―「市民的教養」と「市民的徳性」の教育論―』高文研、2001年5月。
(3) 村上陽一郎『あらためて教養とは』(新潮文庫)新潮社、2009年4月。
(4) 中央教育審議会「新しい時代における教養教育の在り方について(答申)」2002年2月。
(5) 日本学術会議 日本の展望委員会 知の創造分科会『21世紀の教養と教養教育(提言)』2010年4月。

07 「福祉」はアートであり、デザインである―東京藝大と東大における体験型授業から学ぶ―
(1)東京藝術大学 Diversity on the Arts プロジェクト編『ケアとアートの教室』左右社、2022年1月。
(2)山中俊治『だれでもデザイン―未来をつくる教室-』朝日出版社、2021年11月。

08 共同体の狂気の「負の歴史」―映画「福田村事件」から学ぶ―
(1)辻野弥生『福田村事件―関東大震災・知られざる悲劇』五月書房新社、2023年7月。

むすびにかえて