〇筆者(阪野)の手もとに、辻浩(つじ・ゆたか)の本が7冊ある(しかない)。
(1)辻浩著『住民参加型福祉と生涯学習―福祉のまちづくりへの主体形成を求めて―』ミネルヴァ書房、2003年12月(以下[1])
(2)辻浩著『現代教育福祉論―子ども・若者の自立支援と地域づくり―』ミネルヴァ書房、2017年10月(以下[2])
(3)辻浩著『<共生と自治>の社会教育―教育福祉と地域づくりのポリフォニー』旬報社、2022年10月(以下[3])
(4)島田修一・辻浩編『自治体の自立と社会教育―住民と職員の学びが拓くもの―』ミネルヴァ書房、2008年8月
本書では、自治体の自立には住民と職員の「学び」が不可欠であるという考えのもとに、住民と職員の協働による地域づくりの実践を取り上げ、自治の主体に育っていく姿を明らかにする。
(5)上田幸夫・辻浩編著『現代の貧困と社会教育―地域に根ざす生涯学習―』国土社、2009年8月
本書では、「社会教育は社会問題教育である」(小川利夫)という考えのもとに、社会教育の本質を再認識し、今日の深刻な問題を解決するのに社会教育が有効であることを示す。
(6)辻浩・細山俊男・石井山竜平編『地方自治の未来をひらく社会教育』自治体研究社、2023年3月
本書では、優れた実践の創造と職員の働き方は循環しながら発展していかなければならないという考えのもとに、社会教育職員の取り組みを紹介し、そのための適切な社会教育労働(公務労働)のあり方を論究する。
(7)辻浩編『高度経済成長と社会教育』大空社出版、2024年1月
本書では、1950年代半ばから70年代初めにかけての高度経済成長期における社会教育の実践的・理論的課題をおさえながら、「地域社会教育実践史」を描く。
〇本稿では以上のうちから、辻の単著である3冊([1]から[3])を取り上げ、そこでの論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。例によってそれは、限定的で我田引水のものになることを断っておきたい。
(1)辻浩著『住民参加型福祉と生涯学習』
〇[1]のテーマは、生涯学習の視点から、「福祉のまちづくりを住民の主体的な参加ですすめるための視点や方法を明らかにする」(1ページ)ことにある。そこで辻は、住民参加による福祉のまちづくりの課題として、①批判精神と創造的情熱を統合すること、②困難を抱えている住民の参加を考えること、③住民参加を社会構造や社会規範のなかでとらえ実践的に解決すること、の3点を指摘する(1~3ページ)。そして、「当事者主体」「学習の自由の尊重」「住民と社会教育職員の学び」に焦点を当てて社会教育・生涯学習の歴史と理論と実践を提示する。その際辻は、これらの課題とめざすべき方向性について、抽象化・体系化された一般論として提起することよりも、実践者にその「苦悩や喜び」(4ページ)を語らせる(実践者の文章を引用する)というスタイルを取る。そこから、実践者とその実践に対して真摯に・誠実に向き合う辻の熱い姿勢が見て取れる。
〇併せて辻は「福祉のまちづくり」は、社会参加や自己実現を含むノーマライゼーションをめざして展開される必要がある。また、無償のボランティア活動に加えて非営利活動・市民活動も含めて住民の連帯に依拠して進められる必要がある。それはまた、住民によるインフォーマルサービスと自治体によるフォーマルサービスの関連を視野に入れて議論する必要がある。さらに、「福祉と教育」の共同性の追求とそこから生まれるその公共性のあり方を考える必要がある、という。こうしたことなどから辻は、「福祉のまちづくり」、その中心課題である「福祉に関する住民の理解を深め、誰もが社会に参加し豊かな交流がもてる地域社会をつくること」(18ページ)を、「社会参加を軸とした主体形成をめざす生涯学習」の視点(24ページ)から考察することになる。
〇その際辻は、「福祉と教育」(「教育福祉」と「福祉教育」)の関連(連携)をその歴史と実践から問い、住民の生活実態や人権問題に注目しながら追究する(論を進める)。
今日、違いが尊重される「共生」文化の育成と「協同」による地域社会経済発展に基づく地域づくりが求められる
今日、経済のグローバル化のなかで、一般労働者や「周辺地域」における貧困が深刻になってきている。構造的な失業に典型的に現れる「社会的排除」を克服するためには、地域社会経済発展の戦略が必要であり、そのための協同活動が求められている。/社会教育と社会福祉の関連を考える際、まずは社会教育の場面に参加していない人への機会の提供と、そこでの学習の内容や方法が問題となるであろう。しかし注意しなければならないのは、学習を通して住民の同質化を強要する結果になることであり、違いが尊重される共生の文化を育むことが大切である。また、経済的要因による社会的排除の問題が深刻になっているなかにあって、協同による地域社会経済発展という戦略のもとで人権問題を考えることが必要になってきている。(43ページ)
福祉教育プログラムが開発されればされるほど、「行為の中の省察」を行える「反省的実践家」が強調されなければならない
福祉教育のプログラム開発は、たんなる便利な教材づくりではなく、それを活用する視点を同時に提案してきた。しかし、プログラムが魅力的であればあるほど、福祉教育の実践者がそれに頼ってしまうという傾向も見られる。その意味で、福祉教育プログラムの活用と福祉教育の実践場面での実践者の主体的判断をどう組み合わせるかが課題となる。/そこで注目されるのが、ドナルド・ショーン(Donald Alan Schön)が提起する「行為の中の省察」(reflection-in-action)や「反省的実践家」(reflective practitioner)という視点である。(190ページ)/福祉教育プログラムが開発されればされるほど、実践者は実践を通じて「状況との対話」や「自己との対話」を行い、(自分の行為や考え方を振り返り、その改善を図りながら成長していく:阪野)「反省的実践家」が求められる。(191ページ)
困難を抱えた住民が社会参加するためにはまず、人と人が語り合い受け止め合える地域社会をつくることが必要である
現代社会は困難を抱えた人たちが社会から孤立し、存在証明を喪失するという現実を生み出している。また、そのような現実を生み出す装置として「世間」が機能し、困難を抱える人たちの異議申し立てを許さない精神的な構造がつくられている。さらに、そのような「世間」に向かって異議申し立てをした場合には、自分とは別の困難を抱えた人を差別する結果に陥ることが多いということも重要である。これらの議論から見えてくる現代社会の課題は、困難を抱えた人々が自分たちで語りあい、受けとめあえる関係をつくり、その関係を地域社会が認め、そこから何かを学ぶことではないだろうか。(217ページ)/福祉教育が主催者の意図に反して差別意識の助長につながる可能性があることは時に指摘されるが、その歯止めをどのようにかけるは難しい。住民誰もが自分らしく生きることのできる地域をつくるためには、一足飛びに人権や共生という価値やそれを実現する方法を提起するのではなく、困難を抱えた住民がまずは親密圏をつくり、そこでの話し合いや活動を地域が認めていくことが、遠回りに見えて意外に近道なのではないだろうか。(218ページ)
大人が地域の福祉に参加しながら共同意志を形成し、子どもとの関係をつくる教育改革が求められる
障害をもつ人への差別意識や偏見をなくすためにはできるだけ早い時期に障害をもつ子どもともたない子どもが触れ合うことが大切だといわれ、「総合的な学習の時間」の導入にともなって、子どもへの福祉教育の機会が増えてきている。(222ページ)/今日の教育改革に関する中央教育審議会の議論は、子どもを学校教育、社会教育、家庭教育でどのようにしていくかに議論が偏り、大人の学習や成長が子どもの発達や地域の教育力を高めるという文脈はほとんど見られない。しかも、子どもへの期待の核心は、経済のグローバル化のなかでますます激しくなる競争にうち勝つ「たくましい日本人」である。(223ページ)/このように、子どもの意見を聞かず、社会の退廃への有効な手立てを示さないまま、一部の大人が特定の価値にもとづいて、未来の国民像を議論しているところに、今日の教育改革に関する議論の欠陥がある。/まずは大人が地域の福祉に参加しながら、地球的な課題を考え、他者の声を「聴く」ことをはじめれば、そのことをもって、子どもとの対話が生まれ、大人と子どもの共同の関係が築けるのではないだろうか。(224ページ)
(2)辻浩著『現代教育福祉論』
〇[2]の課題は、「教育と福祉が連携して、すべての子ども・若者の豊かな人間発達を保障する道筋を明らかにすること」(ⅰページ)にある。その際、「子ども・若者の自立支援と地域づくり」というサブタイルが示すように、「困難をかかえた子ども・若者の自立支援の一環で、教育の機会均等を実現するための方策に思われがちな教育福祉から、人間発達にかかわる教育的価値と誰をも排除しない地域づくりにかかわる教育福祉にまで視野を広げて検討する」(ⅲページ)。そこで辻は、教育福祉を次のように定義する。「教育福祉とは、教育と福祉が連携して、子ども・若者あるいは成人が安定した生活基盤のもとで豊かな人間発達を実現することをめざす概念である。しかしそれは、静態的なものではなく、社会構造の中で生み出される問題を見据え、制度・政策を求め、実践を展開する動態的なものである。教育福祉は、困難をかかえる子どもにも等しく教育の機会を提供するためのものと見なされがちであるが、それだけではなく、教育全体のあり方を見直す視点であり、さらには、地域づくりの視点を提供するものでもある」(1ページ)。
〇そして辻は、この定義に基づいて教育福祉における4つの論点を提起する。①すべての子ども・若者にかかわる教育福祉(教育福祉は困難をかかえた子ども・若者の課題だけではなく、すべての子どもの幸せにつながる教育のあり方を全体的に検討することが必要である)。②「地域と教育」という視点からの教育福祉(教育福祉は学校内に限定されるものではなく、学校と地域が連携するなかで子ども・若者にかかわる多様な人々が共通に学ぶべきものであると考える必要がある)。③まちづくりにつながる教育福祉(教育福祉は困難をかかえた子ども・若者の課題解決のためにまちづくりと連動する必要があるが、それだけではなくまちづくりをすすめる契機としても考えることが必要である)。④社会教育・生涯学習の本質としての教育福祉(教育福祉は社会教育・生涯学習に内包されるが、その意義が大きくなるなかで教育改革と地域づくりに迫ることが必要である)、がそれである(4~9ページ)。こうした広く・新しい視野・枠組みのもとで辻は、これまでの教育福祉の歴史的・理論的な展開を丁寧かつ誠実に振り返り、そして今日的な課題に焦点を当てながら「現代」教育福祉論を展開する。
「開かれた学校づくりにおける教育福祉」と「生活と地域からの教育改革としての教育福祉」をつなぐ理論的探求が求められる
教育福祉は便宜上、学校を中心に行われる「学校教育福祉」と地域を中心に行われる「地域教育福祉」に区分され、それぞれに個別領域の中で実践するタイプと領域横断的に実践するタイプがある。(34ページ)/「開かれた学校づくりにおける教育福祉」を追求する学校教育福祉と「生活と地域からの教育改革としての教育福祉」を追求する地域教育福祉は連携できることが多い。困難をかかえた子どもに対して社会的な制度や地域の力も活用して支援しようというスクールソーシャルワークと、住民やNPOが地域の現実を見つめ学習しながら子どもを支援する実践をつくってきていることが連携することで、今日の教育の全体を見直し、「学習権保障論としての教育福祉論」を大きく発展させることができる。/個別領域を重視した「学校・学級経営の中での教育福祉」や「成人教育の機会均等をめざす教育福祉」は課題が単純でわかりやすい。しかし、子ども・若者の生きづらさが問題となり、その解決が切実な社会の課題になっている中で、多機関連携重視の教育福祉論の発展がめざされている。すなわち、「開かれた学校づくりにおける教育福祉」と「生活と地域からの教育改革としての教育福祉」をつなぐ理論的探求が求められているのである。(36ページ)
社会福祉のなかには具体的に問題を解決する「教育福祉」よりも、意識改革で問題を乗り切る「福祉教育」を重視する発想がないとは言い切れない
小川利夫の教育福祉論は、「教育福祉と福祉教育の関連」について、一つに、福祉教育が現実の教育福祉問題から切り離されてはならないこと(現実は切り離されていることが多いことへの批判を含む)、二つに、教育福祉と関連する福祉教育は、国家権力が支持するものと困難をかかえた民衆が支持するもののせめぎ合いの中で展開されていることを指摘した。(51ページ)/今日では学校教育と並んで車の両輪のように見られることが多い社会教育であるが、歴史的には学校教育を刺激し改革するものとして社会教育が存在した。それは社会の民主化と関連することであるが、必ずしもそうでないこともあった(近代日本の感化救済事業や社会事業は、生活支援のための「物質的救済」には消極的で、「精神的救済」に重要な位置が与えられた:53ページ)。このことは社会福祉が教育福祉を軽視して福祉教育に力を入れることを警戒しなければならないという指摘につながる。具体的に問題を解決する教育福祉よりも、意識改革で問題を乗り切る福祉教育を重視する発想が、今日の日本の社会福祉の中にないとはいいきれない状況の中で忘れてはならないことである。(53ページ)
今日、教育福祉は「教育運動」と「当事者主体」と「地域づくり」の交わりによって展開されるようになっている
今日、教育福祉は「教育運動」と「当事者主体」と「地域づくり」の交わりによって展開されるようになっている(図1:162ページ)。ここでは、一つに、教育運動を当事者が中心となって展開するようになってきていることが注目される(①の領域)。二つに、当事者が自らの権利を行使できるようになることを支援する地域での取り組みが見られることが注目される(②の領域)。三つに、ボランティア活動やNPOの力で、福祉のまちづくりとして子ども・若者の困難と教育にかかわる実践が展開されるようになってきていることが注目される(③の領域)。(そして)これらの根底に、自治の力による教育福祉のまちづくりがある(④の領域)。(161~163ページ)
図1 教育福祉をめぐる重層構造
教育運動や当事者主体と結びついた地域づくりを進めることによって、真に自治的な地域づくりが可能になる
今日、高齢社会や生活困窮者の増加、過疎化、地域保全などに対応するために、政策として「行政と住民の協働(公私協働)」の必要が強く求められている。それは当初、財政的に厳しい中で地域課題を解決しなければならないという側面と、住民が自分たちのくらしを見つめかかわることの大切さという側面が融合したものであったが、今日、それに加えて、日本の国づくりの方向に積極的に協力する国民形成という色合いが強くなってきているように思われる。/このような福祉のまちづくりと「公私協働」の複雑な状況の中で、政策に振り回されない歯止めが求められている。そして<図1>のように、教育運動や当事者主体と結びついた地域づくりをすすめることは、一つの歯止めになると考えられる。切実な課題をもった人のことを念頭におき、その人たちの発達を中心に地域づくりをすすめれば、国づくりの方向性に疑問が生じることもあり、真に自治的な地域づくりが可能になる。(163ページ)
(3)辻浩著『<共生と自治>の社会教育』
〇[3]の目的は、「すべての人が社会に参加して人間らしく生きることができる地域社会を、住民と職員(社会教育職員)の学びに依拠してつくるための実践的な課題を明らかにすること」(3ページ)にある。その際の視座は、「社会教育」をはじめ「共生」「自治」「教育福祉」「地域づくり」というキーワーで表される。辻はいう。「教育福祉と地域づくりの取り組みに含まれる学習を通して、人びとは<共生と自治>の力を身につけ、社会教育(「権利としての社会教育」)はそこで重要な役割を果たす」(5ページ)。「教育福祉」とは、「困難をかかえた人に対して、教育と福祉、すなわち豊かな人間発達の保障と生活基盤の安定をともに追求することである」(3ページ)。<共生と自治>は、「共生のために自治が必要であり、共生によって自治が高まる」(5ページ)という関係にある。こうした思考に基づいて辻は、<共生と自治>の視点から、戦後日本の社会教育論と社会教育実践を問題史的通史として跡づける。加えて、今日的な社会教育実践について、自らの理論的・実践的探究を丁寧かつ真摯に振り返りながら論究する(6ページ)。
「権利としての社会教育」では「学習の自由」と「教育の機会均等」と「人びとのつながり」を追求することが求められる
戦後日本の学習と教育の権利保障の動き(自己教育と条件整備を求める動き:阪野)は、1950年代後半から、その運動にかかわる住民と職員、研究者の間で「権利としての社会教育」と呼ばれるようになった。/「権利としての社会教育」は近代社会の中で確立した自由権と社会権を求めるものだったが、1970年代にユネスコで(自由権と社会権に続く:阪野)第三世代の人権(連帯の権利)が議論され、80年代に入って日本の社会教育でもそれに依拠した議論がはじまる。競争に苛(さいな)まれて人と人とがつながれなくなる一方で、障害のある人たちの社会参加が唱えられ、新たに定住する外国人が増えてくる中で、「連帯の権利」は社会教育を考える新しい視点となった。/しかし今日の状況を見ると、施設の貸し出しや講師の選定、展示内容、配架図書などをめぐって自由が侵害される事案が生じ、争いが起きないようにあらかじめ自己規制することも多くなっているように思われる。また、所得格差が他の要因とも絡(から)んで意欲格差にまで及んでいる中で、等しく教育機会を保障するとはどういうことかが問われている。したがって、社会教育研究は自由権と社会権の追求をないがしろにするわけにはいかない。「権利としての社会教育」では「学習の自由」と「教育の機会均等」と「人びとのつながり」を追求することが求められている。(30~31ページ)
住民参加による福祉のまちづくりはその実践が住民の統制や動員に転じないかを見極めることが重要である
福祉のまちづくりは、困難をかかえた人が地域とかかわりながら自己実現をめざすノーマライゼーションの理念にかなうものであるが、一方で、高齢化によって福祉予算の増額が必要であるにもかかわらず、財政構造を抜本的に改革できないことから、「自助」と「共助」で乗り切ろうとする側面がある。また、「地域包括ケアシステム」をつくるには住民への説明が必要であるが、はじめから政策的にゴールが設定され、そこに辿(たど)り着くことが求められる学習は主体的な学習ということはできない。福祉のまちづくりをめぐって、地域課題を学び実践することでかかわった人びとの人格や能力が豊かに形成されるのか、それとも地域課題への動員的な参加が恒常化し義務的な雰囲気にすらなっていくのか、それを見極めることが重要である。(73ページ)
「学習の自由」「教育の機会均等」の実現と「関係形成」「相互承認」を結びつけた社会教育論の展開が求められる
今日、多様な価値観を認めあってともに生きることができる社会をめざすことが求められ、仲間とともに主体的に課題に取り組むことも大切なことと考えられている。このような中で、「学習の自由」や「教育の機会均等」への関心をもたず、(障害のある人とない人、高齢の人と若い人というように、立場の違う人が交流し、共感することができる:142ページ)「関係形成」や「相互承認」のみに注目する社会教育の考え方もある。(81ページ)/このような中で、「学習の自由」や「教育の機会均等」という課題を捨象して「関係形成」や「相互承認」を追求する社会教育論は、一つに、今日起きている問題に目を閉ざしている点で、二つに、課題は残っているとはいえ今日の状況をつくってきた歴史的な努力に思いを馳(は)せない点で、三つに、これまで関係形成や相互承認ができなかったことが個人の責任にされてしまう点で、気づかないうちに今日的な新しい権力的統制に追随することにならないだろか。「学習の自由」と「教育の機会均等」を今日的な状況の中で実現することと「関係形成」「相互承認」を結びつけた自己教育運動に注目した社会教育論が求められる。(82ページ)
地域・自治体づくりには、学習をはじめ、住民のエネルギーとネットワーク、住民と職員の協働、一般住民の理解と合意などを生み出す仕組みや仕掛けが必要である
(「住民主体」で地域・自治体づくりをすすめる)長野県阿智村では、さまざまな課題をもつ住民が学習を通して共通認識をつくり、そこで出てきた課題を自治体職員もともに考える仕組みがある。地区の計画づくりや広報説明会、村の予算概要の配布を通して、住民が地域課題を自覚して、それを職員とともに考えることができ、公民館や社会教育研究集会で取り上げられることで、その課題を全村的に共有し、解決に取り組もうとする住民の出会いが生まれる。そして、具体的な活動は村づくり委員会や地域自治組織で取り組まれ、協働活動推進課がそれを後押しして、議会は政策をつくる。このようなことを通して、課題に取り組む住民のエネルギーが蓄積され、職員も住民とともに活動する意識をもち、そのことが労働組合で交流されている。(193~194ページ)/ここで注目すべきことは、このような学習と計画策定と情報発信を通して、地域の中で多くの住民から理解を得て合意をつくっていくということである。また、活動にかかわる住民のネットワークが形成され、そのことで当初の目的を達成した後も新しい展開があることも注目される。(194ページ)
アクション・リーチでは➀実践の流れを阻害しない、②実践者の執筆を支援する、③研究を受け止めてもらえる基盤をつくることが重要となる。
社会教育を研究する者の多くが、研究と実践のかかわりを求めて、フィールドをもって研究に取り組み、その方法論(アクション・リサーチ)をめぐる議論もなされている。(157ページ)/実践にかかわる研究者は、細かい事情を理解して鮮明な課題を提起するようになっていく実践者に対して、「負い目」を感じることもある。(161ページ)/実践の根幹にせまるアクション・リサーチのためには、(現在の取り組みだけに注目するのではなく)その実践が生まれる歴史的背景や社会的文脈を知らなければならないし、実践をつぶさに把握している実践者に学ばなければならない。(162、163ページ)/(研究者が実践者とアクション・リサーチを進めるためには、次のようなことが必要かつ重要となる:阪野)第一に、実践をリードする気持ちを抑えて、実践の流れを阻害しないようにするということである。研究者が実践の流れの中に身を置き、求められることに何とか応えていく中で、その先駆性や意義を察知して、それを住民や職員に伝えていくことは、研究者の認識の変容をともなう研究につながると考えられる。(210、211ページ)第二に、実践者が研究者に先立って論稿を書き、場合によっては実践者が執筆できる機会をつくったり、執筆を支援したりすることが大切であるということである。優れた実践を展開しそこに研究者を巻き込むのは力量の高い実践者であり、実践の経緯やその中で感じ取ったことを発信する力ももっている。実践をつぶさに知っている実践者や住民が先に執筆してこそ、研究者が書くべきことが見えてくる。(211ページ)第三に、アクション・リサーチを受け止めてもらえる基盤をつくりながら研究をすすめることが必要であるということである。研究の成果は本来、直接的であれ、間接的であれ、新しい政策の立案や優れた実践の広がりに貢献するものでなければならない。(そのためには)自分の研究を受け止めてもらえる状況を意識的につくることが必要になってきている。(212ページ)
〇以上の限定的なメモからではあるが、辻の言説は「生涯学習と社会教育と教育福祉」「社会教育と地域福祉と地域づくり」「学校教育と社会教育と地域づくり」「共生と自治と社会教育」「歴史と理論と実践」「研究者と実践者と住民」などの視点や枠組みのもとに、また「歴史研究と社会調査とアクション・リサーチ」の手法を用いた多面的・多角的な思考によって展開される、と言えよう。そこに通底するのは、「子ども・若者あるいは成人が安定した生活基盤のもとで豊かな人間発達を実現することをめざす」([2]1ページ)地域づくりについての熱い思いと真摯な姿勢である。
〇また、[1]から[3]を時系列に沿って見ると、辻の「生涯学習論」やそのひとつの側面である「地域づくり教育論」や「教育福祉論」の形成過程、すなわち社会教育や生涯学習の実践や研究の抽象化・体系化の方法と過程がわかる。それは、戦後日本の社会教育研究や生涯学習研究の到達点(成果)でもあり、次の新たな実践や研究への展望を開くものであると言えよう。辻は、研究者の立ち位置や方法について、地域住民や現場職員の「学習」による認識や行動を重視し、その「歴史と実践のなかから苦悩と喜びをともなって立ちのぼってくるような記述をめざしている」([14ページ])とする。強く意識したい。
〇辻の言説の特徴のひとつは、批判的精神と創造的情熱の統合と、困難を抱える住民の社会参加の重視(「当事者主体」)の姿勢にある。そしてその言説は、「社会構造の中で生み出される問題を見据え、制度・政策を求め、実践を展開する動態的なもの」([2]1ページ)である。そこでは、当事者が中心となって展開する「教育運動」が重視される。しかも辻は、「学習権保障としての教育福祉」 を主軸(前提)に、教育全体のあり方を見直す教育改革の視点とともに、主体的・自律的な住民(子ども・若者や成人)による「地域づくり」に視座を置いて「論」を展開する。例によって唐突ではあるが、これらは「まちづくりと市民福祉教育」の実践と研究に課せられたものでもある。強く再認識したい。
追記
辻浩先生の「現代教育福祉論」理解を福祉教育の視点・視座から広げ深めるために、原田正樹先生の「福祉と教育の接近性」についての論稿を紹介しておきたい。『ふくしと教育』通巻34号、大学図書出版、2023年2月、2~3ページに収録されている。転載をご許可いただいた原田正樹先生に感謝申し上げます。