〇久しぶりに「町内会」に関する本を読んだ。玉野和志の新刊『町内会―コミュニティからみる日本近代―』(ちくま新書、2024年6月。以下[1])がそれである。[1]で玉野は、多くの研究者の言説を引きながら、町内会の歴史を解明し、その特質や現状について解説する。それを踏まえて、「これからの町内会や市民団体が、どのように日本の地域社会を支えていけばよいかを展望する」(10ページ)。その概要は以下の通りである。
〇「町内会」の概念について、玉野は規定する。「町内会・自治会は、『共同防衛』を目的とする『全戸加入原則』をもった地域住民組織である」(28ページ)。この定義でいう「共同防衛」とは、その地域に住む人々に求められる「生活協力を円滑に安心して行うことができるように、みんなでもって気をつけて、災害や外敵の侵入、内的な秩序破壊としての犯罪の発生などを防ぐ」こと(48ページ)を意味する。この「共同防衛」と「生活協力」という本質的な機能(目的)ゆえに、町内会は全戸加入原則をもつことになる。
〇町内会の歴史的成立過程について、玉野は解明する。町内会は大正・昭和初期以降、政府によって、社会不安を抑えるために行政の執行過程への協力を求めることで人々を統治する形態として期待され、育成されてきた(町内会の「統治性」)。町内会が政府や行政による日本的統治の「芸術品」(58ページ)と言われる所以である。戦時中は天皇制ファシズムの底辺を支える「町内会・隣組」として、国家によって奨励され、戦争に動員された。敗戦後はアメリカ占領軍=GHQによって出された町内会の解散・禁止令をくぐり抜け、戦後も行政への協力を通して自らの存在を示してきた。こうした町内会を積極的に支えたのは、主として「都市の自営業者層」(123ページ)であった(町内会の「階級制」)。
〇1970年代になると、「都市自営業者層の一部は一方で町内会を通して行政の執行過程に協力し、他方では政治家の個人後援会組織を支えることで、政治的意思決定にもそれなりの影響力を行使することのできる存在となっていった」(150ページ)。1970年代に、現在の「町内会体制」が確立されたのである(95、151ページ)。なお、1969年9月に、内閣府の国民生活審議会調査部会コミュニ ティ問題小委員会が『コミュニティ―生活の場における人間性の回復―』という報告書を公表する。そして政府は、この報告書に基づいて1970年代のコミュニティ政策を展開することになる。そこでは、旧来からの町内会による協力が尊重された。
〇1980年代以降、経済の自由化やグローバル化、そして市民社会の台頭が進行し、都市自営業者は経済的基盤を失い、町内会に代わる市民活動団体への期待がふくらんでいく。ちなみに、特定非営利活動促進法(NPO法)が1999年12月に施行される。そんななかで町内会は、2010年代後半以降現在に至って、保守的・閉鎖的な体質への批判や若い世代の無関心、それによる町内会への加入率の低下や担い手の不足・高齢化などによって、存続の危機が叫ばれることになる。その一方で、阪神・淡路大震災(1995年1月)や東日本大震災(2011年3月)などによって、町内会への期待が高まることにもなる。また、2000年12月に北海道ニセコ町で制定された「自治基本条例」を皮切りに、「町内会を名指しにしているわけではないが、『まちづくり条例』や『自治基本条例』などを制定し、これにもとづく住民協議会などの地域自治組織を作る自治体も増えている」(156ページ)。
〇町内会の今後について、玉野は展望する。町内会の弱体化が進み、維持・存続が困難になっているなかで、「町内会はいざというとき、住民どうしが助け合うこと(共助)や、行政や政治に要求すること(公助)が、円滑に連動できるように、日頃からゆるやかなつながりを維持することに、その存在意義がある」(175ページ)。そこで、「町内会という日本の近代が生み出したかけがえのない資産を、行政との折衝と議会への政治的要求とを可能にする、市民の協議の場へと受け継ぐことはできないか」(173ページ)。「町内会がいざというとき、外国人も含めたあらゆる住民と行政職員、さらには議員も集まって討議=闘技する場を提供できるならば、日本の自助、共助、公助もずいぶんと違ったものになるにちがいない」(177ページ)。
〇以上の言説について一言すれば、①「都市の自営業者層」に支えられた町内会のあり様は、当時もいまも、そのまま地方の農村部の町内会にも該当した(する)とは思えない。筆者が所属する下記のS市H自治会の実態(光景)の一端からも推測することができようか。
〇②いわゆる「住民が主役のまちづくり」には、住民と行政と議会による「共働」を必要不可欠とするが、そのための具体的な条件や施策についての言及がなされていない。なかでも一般住民に、まちづくりに求められる主体的・自律的な意識や力量が備わっているとも思えない。そのための教育・啓発の推進が肝要となる。
〇③行政職員の数は他の先進諸国に比べてかなり少ないと言われ、また一般行政職員は部門を超えて幅広く頻繁に移動するなかで、町内会は下請けの分業構造のなかに位置づけられてきた(いる)と言える。とすれば、行政職員が、期待される共働活動に能動的・積極的に参加する・取り組めることができるかについても疑問を感じざるを得ない。
〇④「自助」「共助」「公助」については、公助より共助、共助より自助といったようにその優先順位が問われることがある。それよりも、自己責任や自己努力による「自助」が強調され、地域コミュニティが衰退するなかで「共助」が瓦解し、制限的な「公助」のさらなる縮小が進むいわゆる「無助社会」の実相について、その認識は不十分なものに留まっていると言わざるを得ない。
〇これらの点を別言すれば、要するに、町内会の「危機」が叫ばれ、行政と町内会や市民活動団体などとの新たな地域共働(協働)体制のあり方が探求されるこんにち、戦前からの町内会と行政との相互依存関係や行政協力制度について如何に歴史的・構造的に分析・検討するか。そしてそれを受けて、如何にして地域共働体制を時代や地域の要請に応えうるものに構築していくか、が問われるのである。
〇ところで、筆者が住むS市は、日本の中心に位置し、清流として名高い長良川が流れる豊かな自然、積み重ねられた歴史、育まれてきた文化など貴重な地域資源を背景に地場産業が栄え、刃物のまちとして発展してきた(「自治基本条例」前文、2014年12月施行)。2024年10月現在の人口は8万4,036人、世帯数は3万6,475世帯、自治会数は563団体を数える。筆者が所属するH自治会は、2024年4月現在、307世帯、3事業所で構成されている。筆者は一「個人会員」として、回覧板を回すことをはじめ、ゴミステーション清掃、自治会一斉側溝清掃、公民センター・神社清掃、春・夏・元旦祭、交通安全指導、防災訓練、そして老人クラブ例会や敬老祝賀会などの活動や行事に参加することになっている。ちなみに、個人会員(世帯単位)の会費は月額700円、2023年度の自治会決算額は約1,500万円(内、前期繰越金1,100万円、自治会費264万円、補助金113万円、入会金29万円(10世帯入会)など)、2024年度の支出予算額は約1,382万円(内、事業費・助成金等約625万円、次期繰越金約756万円など)である(「令和5年度 H自治会定期総会」資料より)。
〇このようなH自治会とそこでの活動に関して筆者は、かつて次のように書いた。地方の町内会のひとつの実相である。再掲しておきたい。
地方で暮らす筆者にとって、年度替わりが近づくと、心臓が規則正しく鼓動し肺でゆっくりと呼吸をする「静かな時間」が、多少とも揺らぐ。過日、地区の高齢者の寄り合いに参加した際、求めに応じて自分の意見を開陳することになった。話の途中で、寄り合った人たちの心模様が頭をよぎった。「空気」が支配する地域コミュニティのなかで、①歴史や文化の継承・発展や経済や生活の拡大・成長に貢献してきたという思いから、昔ながらの「つながり」(関係性)にこだわり、その制度やシステムを守ろうとする人がいる。②なるようにしかならないという思いから、ひとまず様子見して大勢に従い、いまの「つながり」をやむなしとして、それらしく振舞う人がいる。③精神的な豊かさや生活の質的充実を志向・実現したいという思いから、その時の流れやその場の力関係に異を唱え、新しく「つながり」を組み換えようとする人がいる。
今回の寄り合いも、何代にもわたって住み続けている①の圧勝、外部から移住してきた移住一代の③の惨敗で終わった。旧住民であれ新住民であれ、自らを「一般住民」や社会的地位(階層)の中位層に位置づけている②はいつも、賢い処世術で利口に日和(ひよ)る。これが、筆者が暮らす地方都市(過疎区域含む)の中心市街地の周辺地域(地区)の現実である。
蛇足ながら、その寄り合いでは、筆者の話に対して「学校の先生だったかもしれないが‥‥‥」という、聞こえよがしのつぶやき(嘲笑と愚弄)があった。「梯子(はしご)を外される」(梯子はかかっていなかった)、「出る杭(くい)は打たれる」(出る杭は抜かれる)ことも二度三度。さすがに「あほらしくってやってらんねーよ」。いまだに「世間」の「空気」が読めない自分がいる。そうであっても、「我がまち・我がこと」(さすがに「丸ごと」とはいかないが)である移住一代(筆者)が住むこの地域・社会は、持続可能か?
また、ある年度の自治会総会で、まったくもって不合理な事柄について意見を述べると、重鎮(何代も続くかつての豪農)から「先人の素晴らしい知恵に基づくものであり、まったく問題はない!」と、一蹴される。しかも、地元有力者の息子と思われる若い人から、「あんた、しゃべり過ぎだよ!」という決定打を浴びせられてしまう。重ね重ねご丁寧なことである。その後の議事は、何事もなかったかのように静かに、淡々と進められることになる。後日、一人の参加者から、「私もあんたと同じ意見なんだが‥‥‥」と話しかけられた。いつでも、どこにでもある光景であり、特筆すべきものでもないことは承知しているのだが‥‥‥。なお、日頃の寄り合いや年度総会の参加者は、そのほとんどが男性(世帯主)である。
こんな “ まち ” であり、自治会であるとはいえ、ここで、これまでの自分とこれからの自分を精一杯生きるしかない。
(<雑感>(106)あほらしくってやってらんねーよ! とはいえ:「定常型社会」と地域コミュニティ―広井良典の「定常型社会論」を読む―/2020年4月26日/一部加筆修正。⇒本文)。
備考
首都圏近郊の都市における自治会の加入率は、「2000年代の初めには50%近くになっていたと思われる」([1]13ページ)。全国の市区町村における加入率(世帯単位)は、2021年71.8%(2010年78.0%、2015年75.3%、2020年71.7%)となっている(総務省「自治会等に関する市区町村の取組に関するアンケート」2022年2月)。なお、上記のH自治会の「規約」には、「脱会の時は、(ゴミステーションや公民センターの利用など)一切の権利を放棄する」とある。