「ふつう」とは、「こうあるべき」にも似ています。親、教師、学校の「こうあるべき」が息子を追い詰めたのだと思います。(保護者からのメール。下記[1]206ページ)
学校では、多様性を認める動きの広がりを感じる一方で、支援級の増加に表れているように、障害がある子の「緩(ゆる)やかな排除」が同時に進んでいるように思います。(教師からのメール。同上、210ページ)
高校卒業後は職を転々としました。職場で「おまえのどこが障害者だ? 障害者手帳を返上するつもりで働け」と言われたりしました。今は、無職の私ですが、自殺せずに、精いっぱい生きています。(ASD、LD、知的障害を持つ人からのメッセージ。同上、216、217ページ)
〇筆者(阪野)の手もとに、信濃毎日新聞社編集局著『ルポ「ふつう」という檻(おり)―発達障害から見える日本の実像―』(岩波書店、2024年7月。以下[1])がある。[1]の “ 帯 ” は、「学校で、職場で。『ふつうであること』をめぐって葛藤を抱える人たち、それを支える人たちの姿を丹念に描き出し(た)」と記す。また 、“ カバー・そで ” では、発達の「特性がある人が負った心の傷、『ふつう』をめぐる本人や保護者の葛藤、学校教育のゆがみ‥‥‥。増え続ける発達障害の周辺を、地方新聞の記者たちが丹念にルポ。人が自分らしく生きることを阻む、生きづらい令和時代の日本を深堀りした」とある。なお、「発達障害」には、自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如・多動症(ADHD)、学習障害(LD、限局性学習症ともいう)などが含まれる(41ページ)。
〇ある教師は「連載記事を読みながら、胸が詰まり涙が出ました」(209ページ)。ある保護者は「胸をえぐられるような思いで連載記事を読みました」(212ページ)、と投書する。取材に参加した記者たちは、「自分が多数派であり、自分の中に『ふつう』があることに無自覚ではいられませんでした。自分自身をえぐりながら記事を書いていきました」(ⅷページ)と吐露(とろ)する。そしていう。
デジタル技術や人工知能(AI)は、人により速く、効率的に生きることを求めています。だからと言って、発達の特性を「障害」とし、生きづらい人たちに苦しさの原因と結果を背負わせているだけでは、社会は立ちゆきません。まずは、その生きづらさの根っこにあるものを、当事者も周囲の人たちも「異(い)なもの」とせず、心に置いてみること。そして「聴く」こと。そうすることで、多くの人が感じる生きづらさの背景にある社会の構造、そこにつながる私たちの意識の中の「ふつう」に目を向ける道が開かれるのではないか――。取材班は、希望へのヒントにたどり着きました。(ⅷページ)
ある小学生に、「どんな人がそばにいたらいい?」と尋ねたことがある。その子は「うちの犬みたいに、黙って話を聴く人」と言った。「犬は、私の言ったことを良いとか違うとか、言わない」/小さな声が胸に刺さった。聴くより前に、自分の意見を言っていないか。人のことを分かったような気になっていないか――。(190ページ)
取材班の記者たちの中にも「ふつう」はあり、それは容易に解体されないし、報道機関はむしろこの社会の秩序を補強する側にあるのだろう。だが、「ふつう」を凝視することは、社会の構造を問う態度につながる。そのきっかけは、生きづらさの語りを「聴く」ことから始まる。それが、取材班が身をもってたどり着いた差しあたりの終着点だった。(222ページ)
〇この社会はどこまでも、健康で、普通の学校に行き、仕事に就き、家庭を築くことなどを「ふつう」のこととして求める。その社会が求める「ふつう」の生き方が困難で、そこに「生きづらさ」を感じている人たちがいる。その人たちの “ 語り ” を「聴く」ことが、「生きづらさ」を共有し、それを生み出す社会の背景や構造を問うことに通じる。これが[1]の基底的な視点・視座である。
〇その点を踏まえて、[1]のなかから、「ふつう」という「檻」に閉じ込められていること、すなわち「ふつう」に縛られて発達特性(障害)を否定的に考えることに関して、その論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
責任を持って「ふつう」という言葉を使う
「多様性」や「共生」といった言葉が流布し、誰もが肯定するに違いありませんが、現実社会ではそれはいかに心許ないものか。自分が発達障害ではないかと恐れ自死した男性の娘の中学生は、「普通」という言葉への怒りを作文にぶつけました。「己の『普通』が他の人の人生にどのような影響を及ぼすのか、責任を持って『普通』という言葉を使ってほしい」(ⅷ~ⅸページ)/私たちが目を凝らして見つめるべきことは、社会が「ふつう」とする物差しに合わせられるかどうか、なのでしょうか。問われるべきなのは、自分は「ふつう」の側にいると思っている一人一人、社会そのものではないのでしょうか。(ⅹページ)
「ふつう」がこの社会の「生きづらさ」の根源である
保護者や教育・福祉関係者は、良かれと思って人を「ふつう」に矯正しようとしてしまう。(219ページ)/その矯正する力に従えない人は次第に分離され、(中略)一人、個別化されて社会から漏(も)れ落ちていく。漏れ落ちないでいる人も「ふつう」に耐えながら、漏れ落ちないように、「ふつう」にしがみつく。これが、この社会の「生きづらさ」の根源そのものではないだろうか。(220ページ)/生きづらさの根源には高度な資本主義社会が横たわっていて、その社会で「役立ち」ながら生活していくために「ふつう」が私たちにすり込まれている。人材への要請と教育・社会システムは結びついていて、私たちに求められる「ふつう」のハードルは間違いなく高くなっている。令和の時代に「ふつう」であることは、とても難しいことなのだ。(221ページ)
「ふつう」からの解放が自己認識を新たにする
私は連載の経験を経て、この同僚たちを含む一人一人が多様であることを肌で感じられるようになった。みんな個性や特性があり、見た目に分からない生きづらさを感じている。人の内側には ” 深い海 ” があることを想像できるようになった。(222~223ページ)/人に対して「ふつう」という「冷たい定規」を当てはめないだけでなく、自分に対してもそうだ。自分のことを「ふつう」だと認めて安心するのをやめ、心の中で「健常であること」や「新聞社のデスク」といった自己認識を一つずつ剝(は)がしてみる。すると、本当の自分が何者か分からなくなる。むしろそこから、自分の個人的な経験が捉え直され、個性や意思のか細い声が聞こえてくる気がする。(223ページ)
「周りの子が豊かに育てば、障害は長所に変わる」
「子どもを座らせなくちゃ、静かに話を聞かせなくちゃと先生が思えば思うほど、発達障害は増えますよ」。大阪市立大空小学校初代校長の木村泰子さんは、発達障害の子が増える原因をこう指摘する。大空小は、木村さんの方針で特別支援教育の対象の子と障害がない子が同じ教室で学び、補助教員や地域住民、学生ボランティアを積極的に受け入れて運営。(中略)木村さんから見れば、言うことを聞かない子に困った先生が、子どもを「特別」な存在にしてしまう。「学校が変われば発達障害は生まれない」と言う。(70ページ)/子どもの一番の支援者は大人ではなく、「周りの子ども」であり、「周りの子が豊かに育てば、障害は長所に変わる」とも。/木村さんは、学校の最上位の目的は「すべての子に学習権を保障すること」だと強調する。(71ページ)
〇そして[1]は、「日本のインクルーシブ教育には理念とかけ離れた現実がある」と糾弾する。本稿の「まとめ」にかえておくことにする。
文部科学省は障がい児を排除しない「インクルーシブ(包み込む)教育システム」の構築を唱えるが、普通学校では学力が重視され、障がい児の受け入れに消極的である。文科省が言う「個別の配慮」はスローガンだけで、一人一人の先生の属性や理解に任されている。(74、80ページ)/特別支援学校は施設環境が貧弱であり、図書館の蔵書が少なかったり、図書館が設置されていないところもある。(99ページ)/民間のフリースクールの利用については、原則自己負担であり、保護者の経済的負担が重い。(100ページ)/民間事業者も参入する「放課後等デイサービス」については、公費の不正受給や質の確保の問題が発生している。(116ページ)/(ことほどさように)日本のインクルーシブ教育においては、理念と懸け離れた現実(分離と排除)があり、発達の特性がある子どもにとって、学校に居場所があり安心して学べるかどうかは、教師の感度や力量によって大きく左右される。それが現場の実態である。(74、105ページ)/日本の「インクルーシブ教育」とは、「ふつう」の側のための社会秩序を維持する装置なのではないか。(219ページ)
補遺
「学びの場」の枠組みと現状
義務教育の9年間の子どもたちの学びの場は、学校教育法などの法令に基づき、①小中学校の通常の学級、②通級による指導(通級指導教室)③特別支援学級(支援級)、そして④特別支援学校(小・中学部)という4つの枠組みに大きく分かれている(106~110、116ページ)。
➀小中学校などの通常の学級
最も多くの子どもが通っているのは、国や地方公共団体、学校法人が設置する小中学校や義務教育学校(小学校から中学校までの義務教育を9年間一貫して行う学校)の通常学級である。2013年度:1,005万4,000人→2023年度:894万8,000人。
②通級による指導(通級指導教室)
通常学級に在籍し学習におおむね参加できるが、比較的軽度の障害があり、一部特別な指導を必要とする子どもが通う。2013年度:7万7,000人→2021年度:18万2,000人。
③小中学校の特別支援学級(支援級)
障害がある子どものために、学校の中に通常学級とは別に設けられる学級で、小中学校の教育課程に準じつつ、子どもの状態に合わせて特別の教育課程を編成することができる。2013年度:17万4,000人→2023年度:37万2,000人。
④小・中学部の特別支援学校
学校教育法は、視覚や聴覚、知的な障害がある子ども、体が不自由な子どもや慢性的な疾患があり病弱な子どもが学ぶ場として、都道府県に特別支援学校(幼稚部、小学部、中学部、高等部)の設置を義務づけている。2013年度:6万7,000人→2023年度:8万4,000人。
⑤フリースクール
以上の他に、不登校の子どもに学習支援をしたり教育相談をしたりする民間のフリースクールがある。2015年度:474カ所。
⑥放課後等デイサービス
2012年4月に児童福祉法に位置づけられた支援(障がい児通所支援サービス)であり、障害のある子どもが放課後や長期休暇の際に通い、訓練や支援を受けることができる。原則として障害のある18歳までの就学児を利用対象とする。2012年度:3,107事業所→2022年度:1万9,408事業所。
なお、主に6歳までの未就学の障害のある子ども対する通所支援サービスに「児童発達支援」がある。2013年度:2,453事業所→2021年度:8,995事業所(厚生労働省ホームページより)。
付記
次の記事を参照されたい。
阪野 貢/「ふつう」別考―深澤直人著『ふつう』と佐野洋子著『ふつうがえらい』等のワンポイントメモ―/<雑感>(122)/2020年10月30日/本文