老爺心お節介情報/第64号(2025年1月10日)

「老爺心お節介情報」第64号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりなくお過ごしでしょうか。
東北、北陸地方の方々は豪雪のようですから、
くれぐれもご自愛の上ご活躍下さい。
「老爺心お節介情報」第64号を届けます。

2025年1月10日  大橋 謙策

寒 中 お 見 舞 い 申 し 上 げ ま す

〇皆様には、お変わりなくお健やかに新年を迎えられたことと思います。今年もなにとぞよろしくお願いいたします。
〇私の年末年始は、昨年12月に訪ねた能登半島地震、豪雨災害の被災者に思いを馳せながらも、穏やかに過ごすことが出きました。久し振りに和服を着て、優雅にお正月を過ごしました。
〇とはいうものの、以下に述べる3つのことが、今年のお正月の出来事でした。

〇第1の出来事は、今回の賀状をもって、「年賀状仕舞い」をさせて頂きました。
〇葉書代が値上げになったからということではなく、2023年10月に、最後の「大橋謙策ゼミホームカミングデー」を行ったこと、昨年10月で81歳になったことから「年賀状仕舞い」をさせて頂きました。年賀状は多い時で、1250枚の年賀状を出しました。それは大学で教えた卒業生との交信の中で、教えた教員も生きているから、卒業生も頑張ってほしいというメッセージの一形態でした。
〇同時に、私は1960年代から社会福祉、取り分け社会福祉協議会の職員として地域福祉実践に頑張っていられる方々とバッテリー型研究を行ってきましたので、「現場職員との関係人口」として、情報交換をしたいという意味合いも含めて年賀状を出してきました。
〇年賀状を投函するために、時には温泉に泊まり込んで、私の汚い字で宛名書きや短信を認めました。
〇今回の年末年始は、「年賀状仕舞い」に込めた万感と永らくご厚誼を頂いた方々との交流を思い浮かべながら過ごしました。
〇本当に多く方々に支えられ、教えを受けて今日まで人生を送れてこれたなという万感の思いで一杯でした。

〇第2の出来事は、拙著『地域福祉とは何か』が、初版三刷になるということなので、当初の約束通り、巻末に索引を入れさせていただくことにして、その作業をしたことでした。
〇第一刷が出来たとき、元日本福祉大学学長の二木立先生に拙著を恵贈させていただいた際、二木先生からなぜ索引がないのかと叱られました。出版事情や出版期日の関係もあり、当時は索引を入れられませんでした。
〇今回の三刷りに際しては、索引を入れて欲しいと中央法規出版にお願いし、できることになりました。その索引を作る作業に年末年始追われました。
〇しかしながら、改めて拙著を読み直しながら、「自伝的地域福祉研究・実践」を振り返る機会になりました。
〇至る所に、論述の不十分さを“発見”し、自分の研究不足を感ずるとともに、教え子たちがその不十分のところを補完・発展させてくれることが日本社会福祉学の向上につながるのだがと“切ない思い”を抱きながら祈念していました。
〇索引は、<事項索引>で、約300項目、<人名索引>で約110名の方々の索引を作成しました。
〇社会福祉士の養成講座のような、細切れの知識習得でなく、一つの論題について、歴史、哲学、理念、システム、実現の方法を体系的に学ぶ古座、科目がなくなってしまって、これからの社会福祉学の発展はどうなっていくのだろうかをいうことが、改めて年末年始の私の頭を常によぎっていました。

〇第3の出来事は、孫が高校生バレーボールの“甲子園”と呼ばれている「春高バレーボール大会」に出場するので、初めて応援に行きました。
〇孫は、私からみるとどう見ても不器用で、運動神経が鈍い(情感で言っているのではなく、何回かスキーに連れて行って教えての実感です)と思っていたのですが、学童保育でみたバレーボールの漫画を通して、バレーボールに魅力を感じ、小学校4年生から地域クラブでバレーボールを始め、それが性に合っていたのか、小学校でも、中学校でも全国大会に出場していました。
〇孫は決して身長が高い方ではありませんので、1998年から国際ルールになった「リベロ」というポジションで試合に出ています。
〇私自身、中学、高校と少しバレーボールを齧りました(当時は9人制)ので、それなりにルール等分かっているつもりでしたが、この「リベロ」というポジションとルールは今回初めて理解できました。
〇「リベロ」とは、アタッカーのように攻撃には加わることができない、ボールのレシーブを専門にする守備専門のポジションです。
〇この「リベロ」は、身長の低い人でもバレーボールに参加できるという考えの基に導入されたということですが、孫はこのポジションがあったので、好きなバレーボールで試合にも参加できたようです。
〇現在、高校3年生ですが、昨年から8月のインターハイ、10月の佐賀国体に出場し、今度は「春高バレーボール大会」にでるというので、応援はこれが最後のチャンスかと思い、東京体育館に足を運びました。
〇東京体育館は2階席、3階席とも応援の人々で一杯でした。試合の出場校毎に応援の入場者を入れ替える応援システムでした。
〇孫の高校の応援者は750名という大応援団でしたが、対戦相手の高知市立商業高校は110名の応援団で、あまりの格差に可哀想な思いがしました。
〇孫の応援団は、チアガール、学ランの応援団、ブラスバンドの鳴り物入りで、その上に応援の人々に細長いバルーンが配られ、応援する際に2本のバルーンをたたくというものでした。
〇テレビで、サッカー場や野球場で、その光景を見ていましたが、実際に応援団席でそれを行おうとは思いませんでした。周りは大きな声を出して応援しているのですが、私と私の妻と、隣に座っている女性は、大声を出したり、バルーンをたたいたりという行動はどうしてもとれませんでした。サッカー場や野球場の光景と同じような、情熱溢れる応援はいいとしても、私にはどうしてもそこまではできませんでした。
〇約4時間、東京体育館の喧騒の中にいましたが、私にはとても同調できる雰囲気ではありませんでした。試合自体は手に汗握る熱戦で、スコアも大差のない接戦で、結果として孫の高校は2回戦に進みました。
〇結果的には、孫の高校は目標のベスト8には進めず、ベスト16の3回戦で熊本の鎮西高校に2-1で敗れ、姿を消しました。
〇この「リベロ」というシステムを見て、考えましたが、これは多文化共生、地域共生社会政策の考え方と似ていると思いました。身長が低いというハンディを持っていてもバレーボールを楽しみたい、試合に出たいという願いを実現させてくれるシステムです。
〇孫はこのポジションを手に入れることでバレーボール人生を全うできたのだと思います。仲間に恵まれ、仲間に支えられて、8年間の楽しいバレーボール人生を送れたようです。
(2025年1月10日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。