〇またまた私事に渡ることをお許し願いたい。筆者(阪野)は先日、市民福祉教育研究所の主宰の一人である田村禎章先生と、研究所の現状と課題などについて話す機会があった。そこでの話題のひとつは、研究所はオンライン組織であるが、それゆえの可能性と限界、メリットとデメリットなどがあり、その点をめぐって議論するなかで「組織」の今後のあり方について考える必要がある、というものであった。その折、筆者は、野中郁次郎(のなか・いくじろう)ほか著『失敗の本質―日本軍の組織論的研究―』(中公文庫版・改版、2024年12月。以下[1])を読んでいた。
〇野中は 「知識経営(ナレッジマネジメント)」(個人が持つ知識やノウハウを組織的に共有・活用する経営手法)の生みの親として知られる経営学者である。2025年1月に鬼籍に入(い)られている。享年89。野中らによる[1]は、そのカバーに「累計100万部突破 戦後80年。私たちにはまだこの本が必要だ」とある。1984年5月初版のロングセラーである。
〇[1]の最大のねらいは、「大東亜戦争における諸作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗ととらえ直し、これを現代の組織にとっての教訓、あるいは反面教師として活用すること」にある。いうまでもないが、「大東亜戦争の遺産を現代に生かすとは、次の戦争を準備することではない」(23ページ)。すなわち、[1]は、「大東亜戦争における日本軍の作戦失敗例からその組織的欠陥や特性を析出し、組織としての日本軍の失敗に籠められたメッセージを現代的に解読する」(26ページ)のである。
〇[1]は、「日本軍の最大の失敗の本質は、特定の戦略原型(パラダイム)に徹底的に適応しすぎて学習棄却ができず自己革新能力を失ってしまった」(395ページ)ことにあるという。すなわち、こうである。日本軍は、過去の成功事例に過度に適応し過ぎる(縛られる)「過剰適応」によって、環境の構造的な変化に対して「自らの戦略と組織を主体的に変革するための自己否定的学習ができなかった」(393~394ページ)。つまり、新たな環境変化に「もはや無用もしくは有害となってしまった既存の知識を捨てる学習棄却(unlearning)ができなくなり」(369、411ページ)、組織としての自己革新能力を持つことができなかったのである。過剰「適応は適応能力を締め出す」(adaptation precludes adaptability)のである。(349ページ)
〇そしてまた、「日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、多分に情緒や空気が支配する傾向がなきにしもあらずであった」(283ページ)。すなわち、「人間関係を過度に重視する情緒主義や、強烈な使命感を抱く個人の突出を許容するシステム」(30ページ)が存在した。そうした「空気が支配する場所では、(科学的思考が、組織の思考のクセとして共有されるまでには至らず)あらゆる議論は最後には空気によって決定」(283、284ページ)されたのである。
〇[1]における鍵概念のひとつに、「自己革新組織」「組織文化」「組織学習」がある。[1]はそれらの概念を用いて、日本軍の失敗の本質に迫るのである。下記の「自己革新組織の原則」の理解を促すためにまず、それぞれの概念規定の一文を引いておく。
「自己革新組織」
一つの組織が、環境に継続的に適応していくためには、組織は環境の変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革することができなければならない。こうした能力を持つ組織を、「自己革新組織」という。(348ページ)
「組織文化」
組織文化とは、組織の過去の環境適応行動の結果として組織成員に共有されるに至った、規範的な行動の仕方である。(346ページ)/組織文化(organizational cultures)は、組織が環境に適応した結果、組織成員に明確にあるいは暗黙に共有されるに至った行動様式の体系、をいう。(370ページ)
「組織学習」
組織は学習しながら進化していく。つまり、組織はその成果を通じて既存の知識の強化、修正あるいは棄却と新知識の獲得を行なっていく。組織学習(organizational learning)とは、組織の行為とその結果との間の因果関係についての知識を、強化あるいは変化させる組織内部のプロセスである。(367ページ)
〇[1]では、「日本軍の失敗に籠められたメッセージの現代的解読」(33ページ)として、「自己革新組織の原則」が明確かつ体系的に整理される。[1]のポイントであり、メモっておくことにする(抜き書きと要約)。
自己革新組織の原則
自己革新組織とは、環境に対して自らの目標と構造を主体的に変えることのできる組織である。(393ページ)/自己革新能力のある組織は、以下にのべるような条件を満たさなければならない。(375ページ)
➀ 不均衡の創造
適応力のある組織は、環境を利用してたえず組織内に変異、緊張、危機感を発生させている。(中略)組織は進化するためには、それ自体をたえず不均衡状態にしておかなければならない。(375ページ)/均衡状態からずれた組織では、組織の構成要素間の相互作用が活発になり、組織のなかに多様性が生み出される。組織のなかの構成要素間の相互作用が活発になり、多様性が創造されていけば、組織内に時間的・空間的に均衡状態に対するチェックや疑問や破壊が自然発生的に起こり、進化のダイナミックスが始まるのである。(375~376ページ)
➁ 自律性の確保
自律性を確保しつつ全体としての適応を図るためには、組織はその構成要素の自律性を確保できるように組織の単位を柔構造にしておかなければならない。(379~380ページ)/小さな環境の変化に敏感に適応することができるためには、それぞれの組織単位が自律性を持つことが必要である。(中略)各組織単位が自律的に環境に適応すれば、適応の仕方に異質性、独自性を確保でき、どこかに創造的な解を生み出す可能性を持つ。(380ページ)/組織単位間の相互の影響度が軽く自由度が高いと、予期しない環境変化に対する脆弱性が小さくなる(環境変化に、より対応しやすくなる)。(380ページ)
➂ 創造的破壊による突出
組織がたえず内部でゆらぎ続け、ゆらぎ(不均衡)が内部で増幅され一定のクリティカル・ポイント(臨界点)を超えれば、システムは不安定域を超えて新しい構造へ飛躍する。そのためには漸進的変化だけでは十分でなく、ときには突然変異のような突発的な変化が必要である。したがって、進化は、創造的破壊を伴う「自己超越」現象でもある。(中略)つまり自己革新組織は、不断に現状の創造的破壊を行ない、本質的にシステムをその物理的・精神的境界を超えたところに到達させる原理をうちに含んでいるのである。(382ページ)/創造的破壊は、ヒトと技術を通じて最も徹底的に実現される。ヒトと技術が重要であるのは、それらがいずれも戦略発想のカギになっているからである。(383ページ)
➃ 異端・偶然との共存
およそイノベーション(革新)は、異質なヒト、情報、偶然を取り込むところに始まる。官僚制とは、あらゆる異端・偶然の要素を徹底的に排除した組織構造である。日本軍は、異端者を嫌った。(386ページ)/そもそも軍隊とは、合理性と効率性(官僚制組織の原理)を追求した、近代的組織、すなわち合理的・階層的官僚制組織の最も代表的なものである。(23、24ページ)/およそ日本軍の組織は、組織内の構成要素間の交流や異質な情報・知識の混入が少ない組織でもあった。(386ページ)
➄ 知識の淘汰と蓄積
組織は進化するためには、新しい情報を知識に組織化しなければならない。つまり、進化する組織は学習する組織でなければならないのである。組織は環境との相互作用を通じて、生存に必要な知識を選択淘汰し、それらを蓄積する。(388ページ)/日本軍は、個々の戦闘結果を客観的に評価し、それらを次の戦闘への知識として蓄積することが苦手だった。(389ページ)/戦略的思考は日々のオープンな議論や体験のなかで蓄積されるものである。(391ページ)
➅ 統合的価値の共有
自己革新組織は、その構成要素に方向性を与え、その協働を確保するために統合的な価値あるいはビジョンを持たなければならない。自己革新組織は、組織内の構成要素の自律性を高めるとともに、それらの構成単位がバラバラになることなく総合力を発揮するために、全体組織がいかなる方向に進むべきかを全員に理解させなければならない。組織成員の間で基本的な価値が共有され信頼関係が確立されている場合には、見解の差異やコンフリクト(葛藤)があってもそれらを肯定的に受容し、学習や自己否定を通してより高いレベルでの統合が可能になる。(392ページ)
〇要するに、「自己革新組織の原則」すなわち「自己革新できる組織の条件」は、①たえず不均衡を発生させる。②それぞれの単位で自律性を持たせる。③不断に現状の創造的破壊を行なう。④異端や偶然を取り込む。⑤新たな知識を蓄積する。⑥統合的な価値・ビジョンを共有する、であるという。
〇また、[1]はいう。「組織にも文化が形成され、それが直接あるいは間接に当該組織の成員のものの見方や行動を規定する」。「組織が新たな環境変化に直面したときに最も困難な課題は、これまでに蓄積してきた組織文化をいかにして変革するかということである」(370ページ)。そして思う。環境変化によって生じる「課題が組織を鍛(きた)える」。
〇市民福祉教育研究所のブログは開設して丸12年が経過し、新しいステージを迎えたいま、これらを私事としても心に刻んでおきたい。