阪野 貢/「民主主義を動詞にする」という一章 ―宇野重規著『自分で始めた人たち』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、宇野重規(うの・しげき)著『自分で始めた人たち―社会を変える新しい民主主義―』(大和書房、2022年3月。以下[1])がある。[1]は、東京大学公共政策大学院と諸団体が開催する「チャレンジ!!オープンガバナンス(Challenge Open Governance:COG)」という企画や東京大学教養学部前期課程の「全学体験ゼミナール」を通して、宇野が知り合った人たちとの対話を集めたものである。COGは、自治体と市民がともに抱える地域課題を協働して解決していくこと(オープンガバナンス)をめざして、自治体とタッグを組んだ市民や学生チームが課題解決のアイディアを応募し、審査委員が評価するというコンテスト形式のプレゼン大会である(2ページ)。
〇[1]における宇野のねらいは、「新たな民主的な政治参加の文化の確立」(8ページ)をめざして、多様な社会的経験に基づく実践的な民主主義を考えることにある。宇野にあっては、[1]のポイントは次の3点になる(5~8ページ、抜き書き)。

(1)デジタル化時代の民主主義
特別な場所や立場になくても、多くの人が容易に知や情報にアクセスできることこそが、民主主義の基礎条件である。その意味では、現代のデジタル化の進展は、民主主義の新たな可能性を開くのかもしれない。いわゆる「デジタルトランスフォーメーション(Digital Transformation:DX、AI・ビッグデータ・画像解析など、コンピュータやインターネットを中心としたデジタル技術を活用した変革)」も、単なる技術的変化ではなく、政治や経済、社会のあり方を変えてこそ、意味がある。

(2)日常に根差した民主主義
選挙だけが民主主義ではない。地域の無名の市民による自治の活動に、民主主義の原動力を見出すことができる。地域の社会的課題を市民自らが解決していくことこそが、現代にふさわしい民主主義といえる。「政府」や「役所」はそのための手段に過ぎない。私たちは今こそ、民主主義を自分たちのものにする必要がある。

(3)社会を変える人の力
社会を変えるような人たちは、社会的地位に付随するものではない、平場で発揮される強いリーダーシップを持っている。そのような人たちは、自らが率先して動き、自らの情熱と行動、そして魅力的な「言葉」で人を動かしている。そこにはその人の人格に根差す「人間力」のようなものが重要な働きをしているように感じられる。

〇[1]に登場する人たちは、何故か女性ばかりである。宇野は、「偶然」である。「地域や活動の現場を支え、主導されている方に女性が目立つということは、日本社会の可能性ともいえる」(5ページ)という。彼女らの熱量には圧倒される。その対話に基づいておこなわれた「座談会 これからの民主主義を考える」(231~270ページ)で、宇野らは深く語る。宇野らの思いやメッセージをメモっておくことにする(切り抜きと要約)。

澁谷遊野/COGは、民主主義を名詞ではなく動詞としてやっている感じがする。民主主義やオープンガバナンスが名詞として、概念的なものとして語られるのと比べて、日常生活と地続きのところにある、日常とつながっているというところにすごく共感した。(243ページ)

奥村裕一/役所は市民と一緒に仕事をしようとする姿勢が足りないし、市民には、社会のことを自分のこととして捉え、一端を自分たちが担っていこうとする姿勢が足りていない。私の最終目標は、オープンガバナンスが当たり前の社会を実現することです。現段階の目標達成率は0.1%ぐらいでしょうか。(247ページ)

宇野重規/「デモクラシー」とは本来、人々が実際に力を持って世の中を動かしているという実感のようなものです。日本語の「民主主義」をもっともっと手触りや手応えのある言葉にするためにも、自らの実感に裏打ちされた「自分たちのことは自分たちで決めたい、変えていきたい」という思いや経験を蓄積していきたい。(268ページ)

〇これまでときに、あるいは一面では、「まちづくりと市民福祉教育」が字面(じづら)で語られてこなかったか。理念としてのそれではなく、「動詞としての民主主義」を考え、新たな民主的な市民参加の文化やそれに基づく福祉文化の創造や確立を如何に図るかが、問われよう。