阪野 貢/フレイレの「教育論」再読:社会変革(まちづくり)のための「対話」再考のために ―パウロ・フレイレ著『被抑圧者の教育学』等のワンポイントメモ―

夢がなければ、変化はありえない。希望なしには夢がありえないように。/たたかいは希望を生み出す母体だが、希望が消えるときに闘いは息絶えるのだ。/いまある状態が、すべてではない。ものごとを変える、変えることができる、という意志と希望を失ったそのときに、教育は、被教育者にたいする非人間化の、抑圧と馴化(じゅんか。環境に適応していくこと)の行為の手段になっていく。(下記[2]127~128、253ページ、帯)

〇筆者(阪野)の手もとに、批判的教育学の先駆者として知られるブラジルの教育学者・哲学者パウロ・フレイレ(Paulo Freire、1921年~1997年)の本が2冊ある(それしかない)。『被抑圧者の教育学』(1968年。新訳版、三砂ちづる訳、亜紀書房、2011年1月。以下[1])と、『希望の教育学』(1992年。里見実訳、太郎次郎社エディタス、2001年11月。以下[2])がそれである。もう一冊、フレイレ研究の第一人者と評される里見実の『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』(太郎次郎社エディタス、2010年4月。以下[3])がある。
〇[1]の中心テーマは、ヒューマニゼーション、すなわち「人間化」についてである。フレイレにあっては、人間は「より全き人間であろうとすること」([1]22ページ)をめざす、未完の存在である。その人間は、非人間的な状況(抑圧状況)に置かれ、「自由への恐怖」を覚えている。人間化は、そうした抑圧の現状を直視し、その状況を批判的に再認識して、社会を変革するよう行動する主体になっていくことをいう。自由への恐怖は、抑圧者においては抑圧する自由を失う恐れであり、被抑圧者においては自由を引き受ける=責任を引き受けることへの恐れである。「抑圧者の暴力は、抑圧者自身をも非人間化していく」([1]22ページ)のであり、抑圧者も被抑圧者も非人間的な状況に置かれているのである。そこにおいて、抑圧からの解放を可能にするのは、抑圧者ではなく、非抑圧者である。非抑圧者は、客観的な現実を主観的に認識すること〔A〕によって自分の状況を捉えなおし、批判的思考態度を醸成する。そして、そのプロセス(「意識化」)を通して主体的に社会の変革を図ろうとする行動を取る(「人間化」)、そういう存在である。その際、抑圧からの解放を可能にするためには常に、「自由」を探究・希求する姿勢〔B〕が必要不可欠となる。その際の本当の自由は、自律的に生き、責任を引き受けるところにあり、それは抑圧-被抑圧の関係を乗り越える、双方による「対話」によって可能となる。フレイレはいう。

〔A〕
主観性と客観性が弁証法的に合一し、認識は行為と、逆に行為は認識と連動する。このような弁証法的な合一性が、現状の変革という現実への行為と思考を生み出すのである。([1]13~14ページ)

〔B〕
自由とは、成し遂げて手に入れるものであり、与えられるものではなく、常に探求する姿勢によって得られるものだ。常に探求する姿勢は、責任ある行動を要求する。自由であるための自由、はだれにもない。自由がないから自由のために闘う必要がある。自由はまた、人間にとって届くところにないような理想目標というわけではない。神話をつくり上げるようなものでもない。常に自由を探求していく姿勢というものが、常によりよき存在であろうとする人間にとって欠くべからざることである。([1]29~30ページ)

自由への恐れがあるかぎり、他の人と連帯はできないし、他の人の呼びかけも、自分への呼びかけも聞こえてこないし、本当の意味での共生、共に生きる、ということを目ざすこともできない。ただ群れて集まることを好むだけだ。自由を希求する過程でもたらされる豊かな創造的な人間同士の交わりよりも、自由でない状況に適応することを好むようになる。([1]31ページ)

自由とはだから、出産のようなものだといえよう。痛みをともなう出産である。この出産によって新しい人間が産み出される。抑圧する者とされる者の間の矛盾を乗り越え、そのどちらの側にも自由をもたらして、生き生きと生きるような新しい人間。/矛盾を乗り越えることとは、もはや抑圧する者でも抑圧される者でもない、本来の意味で自由な新しい人間を世界に送り出す、という出産と同じ行為なのだ。([1]32ページ)

〇ところで、“パウロ・フレイレ”の『被抑圧者の教育学』というと先ず、「銀行型教育」と「問題解決型教育」という言葉・概念を思い浮かべる。
〇「銀行型教育」(「預金型教育」[3]108ページ)とは、教師が預金者で生徒が預金箱(銀行口座)であるかのように、教師が生徒に対して一方的に知識や情報を「伝達」し、生徒はそれをただ受動的に受け取るだけという教育形態をいう。フレイレはいう。

「銀行型教育」の発想では、人間は適応しやすく御しやすいものである、と認識されてしまうことはまったく驚くにあたらない。知識を詰め込めば詰め込むだけ、生徒は自分自身が主体となって世界にかかわり、変革していくという批判的な意識をもつことができなくなっていく。/受動的な態度をより従順な形で求められれば求められるほど、世界は変革すべきものではなく、与えられている現実のかけらが世界であり、そこに適応するしかない、と感じるようになる。([1]83ページ)

〇「問題解決型教育」(「問題化型教育」[3]135ページ)とは、教師と生徒が対等な「対話」を通して互いに学び合い、生徒が主体的に現実の状況を問題化し、批判的に思考し、問題の解決策を探求し、社会変革への参加を促すという教育形態をいう。フレイレはいう。

対話なくして問題解決型学習はない。/対話を通して矛盾を超えていくところには、結果として新しい関係性が生まれる。(中略)教育する側とされる側は対等な関係として立ち現れてくる。([1]102ページ)/問題解決型教育を目ざす教師は、生徒の認識活動に応じて、常に自らの認識活動をやり直していく。生徒は単なる従順な知識の容れ物ではなく、教師との対話を通じて、批判的な視座をもつ探求者となる。そしてその教師もまた同様に批判的な視座をもつ探求者となっていく。([1]103~104ページ)/問題解決型教育は固定した反動主義(体制維持:阪野)ではなく、革命的な未来を目ざしている。([1]111ページ)

〇フレイレは、晩年の主著である『希望の教育学』のなかで、下記のようにいう。すなわち、「私が考えるだけでは、考えたことにならない」のであり、同じ土俵に乗って、民主主義的な立場で相手と「対話」することによって、はじめて考えることができるのである([3]30ページ)。

「もし他人もまた考えるのでなければ、ほんとうに私が考えているとはいえない。端的にいえば、私は他人をとおしてしか考えることができないし、他人に向かって、そして他人なしには思考することができないのだ」/これは対話的な性格をふくんだ定言であり、したがって、権威主義者にはなじまない。だからこそ権威主義者たちは対話を、生徒の教師の思想の交流を、頑強に忌避するのである。/教師と生徒の対話は、両者を同等の立場に立たせるものではないが、しかしそれは、両者の立場を民主主義的なものにする。(中略)対話は対話に参加する諸主体の相互の尊敬、権威主義が引き裂き、妨げてきた互いに尊重しあう関係の樹立を意味しているのである。([2]163~164ページ)

〇フレイレは、[1]のなかで、「教育の対話性」について言及する。具体的には、対話に必要な5つの条件を示す。「愛」「謙虚さ」「人間への信頼」「希望」「批判的思考」がそれである。それぞれの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

世界と人間に対して深い愛情のないところに対話はない。世界を引き受けることは創造と再創造の営みであり、愛のないところでそういうことはできない。/愛は対話の基礎であり、同時に対話そのものでもある。お互いの主体的な関係のうちに立ち上がるものであり、支配したりされたりする関係のうちに生まれるものではない。([1]122ページ)

謙虚さのないところにも対話はない。人間というものが続いていくこの世界を“引き受ける”ためには傲慢であってはならない。/対話は人と人がお互いに出会い、お互いの知恵を共有するような行為だから、どちらか一方が謙虚さをもたなければ、対話として成り立たない。([1]124ページ)

人間という存在に深い信頼がなければ、対話は成立しない。人間はなにかをすることができ、また再び何らかの行為に向かうものである、ということへの信頼。創造し、再創造する力への信頼。人間はよりよきもの、全きものを目ざすものである、ということへの信頼であり、また人間のそのような力は一部のエリートだけの特権としてあるのではなく、すべての人の権利としてあるのだ、ということへの信頼、のことである。/人間への信頼は対話の“先駆的”与件とでもいおうか。対話の前にすでにそこにあるべきものだ。([1]125~126ページ)

愛、謙虚さ、人間への信頼、これらがあってはじめて対話は水平的なものとなり、お互いの関係が本来の意味での深い、“信頼”に満ちたものになることは当然である。(中略)だからこそ、「銀行型」の教育に深い信頼関係が生まれることがないのである。([1]127ページ)

希望のないところには対話もない。人間は不完全なものであり、だからこそ希望が人間の本質であり、だからこそ探求を止めない。/対話というものは、“よりよき存在”に近づきたいとする人間同士の出会いなのであるから、絶望のうちに行なわれるものではありえない。話す人が自分のやっていることに何の希望ももっていないのならば、対話することは無理である。出会いは空虚で実りのないものとなってしまう。([1]128~129ページ)

本来の意味での思考がないところには、どこまでいっても本来の対話はない。批判的に思考すること。それは、世界と人間を対立するものとしてとらえる発想を認めず、世界と人間のわかちがたい共生について考えていくことだと思う。/具体的にいうと、それは、現実に起こっていることを、固定されたものとしてとらえるのではなく、プロセスととらえ、常に生成されていくものとしてとらえるということでもある。([1]129ページ)

〇フレイレがいう「問題解決型教育」は、子どもや教師、保護者や地域住民が暮らす地域に顕在化する課題やテーマに向き合うことから始まる。そして、生徒と教師は、対等な立場で相互的に、その課題やテーマについて対話し、理解を深め、批判的思考力を養い、社会変革に参加する。その際の地域の課題やテーマは、国レベルのそれであり、グローバルな世界レベルのそれでもある。そういった「グローカル」な認識(地球規模の視野で考え、草の根の地域視点で行動すること)が重要となる。その点に関して、フレイレの次の一文を引いておく。

リージョナル(地域的)なものはローカル(地方的)なもののなかから立ち現れ、ナショナル(全国的な)なものはリージョナルなものから、コンティネンタル(大陸的な)なものはナショナルなものから、そして全世界的なものは、それぞれのコンティネンタルなものをとおして立ち現れる。/ローカルなものにへばりついて全体的な展望を見失うことが誤りであるのと同様に、自分の足場を顧みずに、ただ全体ばかりを鳥瞰(ちょうかん)しているのも誤りだ。([2]122ページ)

〇また、「いま」の、日本の学校教育は国家主義、中央集権主義が強化され、教師も生徒も物言わぬ立場に置かれている(フレイレ「沈黙の文化」)。教師は政治的中立性が要求され、主体的・批判的な授業の展開ができないでいる。保護者や地域住民の学校参加(コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)など)も、言われるほどには進んでいない。外国籍住民の子どもたちもその多くは差別・抑圧されている。これらはまさに政治的課題である。その点に関して、フレイレの次の一文を引いておく。

中立的な教育実践などというものは、かつて存在したことはなかったし、いまも存在しない‥‥‥([2]105ページ)/教育者は政治的であるからこそ、中立たりえないからこそ、倫理性を要求されるのだ。([2]108ページ)/教育はほんらい、指示的で政治的な行為であらざるをえず、ぼくは自分の夢や希望を生徒たちのまえに包み隠さずに示すべきであり、だからこそかえって、生徒たちの考えや立場を尊重することが、ぼくにつよく求められるのだ。ぼくが倫理的たらんとするのは、その認識があるからだ。自分のテーゼ、立場、選好を、真剣に、厳しく、かつ情熱をもって主張すること、しかし同時に、反対意見をいう権利を尊重し、それを支援すること、――それは、発言する権利と、自分の考えや理想のために「争う」義務を教える、またそのなかで相互に尊重しあう精神を教える最良の方法であるはずだ。([2]109ページ)/教育の政治性や指示性を否定することはできない。それがいけないなら、どんな課題の遂行も不可能だ‥‥‥([2]110ページ)

〇筆者(阪野)はかつて下記のように書いた(<雑感>(210)「教育の公共性」を考える:「まちづくりと市民福祉教育」は政治の課題である―宮寺晃夫著『教育の正議論』再読メモ―/2024年7月8日/本文)。改めて思い起こしたい。“まちづくりは人づくり 人づくりは教育づくり 教育づくりは政治づくり”である。

「まちづくりと市民福祉教育」はこれまで、政治的領域に位置づけて論じることに必ずしも積極的であったとはいえない。まちづくりは、公共性をはじめ地域性や多様性、自律性や共働性などが厳しく問われる活動であり運動である。教育や学校は、国家による巨大な政治システムであり、そのもとでの教育行政の重層構造に組み込まれている。そうであるがゆえに、「まちづくりと市民福祉教育」には、多くの市民一人ひとりに、また地域の多様な主体に改善や改革についての確かな決意や覚悟、そして行動が求められる。/そして、「いま」の政治へのアプローチなくして、「いま」の、また「新しい」「まちづくりと市民福祉教育」の推進を図ることは難しい。その点で、「まちづくりと市民福祉教育」は政治的な課題であり、政治的設定を必要とする。