[Ⅰ]
〇福祉教育の理論(わかる)と実践(できる)と研究(さがす)において多大な貢献をしてきた者に、大橋謙策と阪野貢、原田正樹がいる。なかでも大橋は、周知の通り、日本における地域福祉および福祉教育研究の草分け的存在であり、その貢献度は極めて高い。大橋は、1970年代以降(本格的には1980年前後から)、現場で生じる「問題としての事実」に学び、その実践的な解決をめざす「実践的研究」を志向する。 初期の著作である『地域福祉の展開と福祉教育』(全国社会福祉協議会、1986年9月)は今日においても、「実践的研究書」としての輝きを失っていない。生涯学習の視点に基づく福祉教育の実践・研究の推進と、「日本地域福祉研究所」などによる全国的規模での「福祉でまちづくり」の取り組みは特筆される。
〇阪野は、福祉教育の歴史研究を基盤にしながら、大橋の福祉教育論を継承し発展させつつ、「まちづくりと市民福祉教育」という概念を提示してその理論化・体系化を図る。そのひとつの集大成でもある『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』(みらい、2009年10月)は、従来の学校福祉教育や地域を基盤とした福祉教育の枠を超え、「まちづくり」とそのための「市民」の育成をめざす福祉教育のあり方を探究する。「ふくし」を「ふだんの くらしの しあわせ」というフレーズで捉えて表示するのは、1990年代中頃からである。「市民福祉教育研究所」(オンライン組織)での取り組みも特筆に値する。
〇原田は、地域福祉の主体形成に関わる地域福祉実践研究法について考察し、その理論化・体系化を図る。その著作『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』(中央法規出版、2014年10月)は、大橋の上記の著作の「今日的な続編でありたい」とするものでもある。福祉教育については、福祉教育の理論と実践の乖離を指摘し、それを克服するために、学際的・総合的かつ実践的なアプローチによって福祉教育の新たな理念の構築と実践構造の再検討を進める。原田にあっては、「共に生きること 共に学び合うこと」は、福祉教育が大切にしてきた・大切にすべきメッセージである。原田の、全国社会福祉協議会主催の「全国福祉教育推進委員会」などでの取り組みは特筆されるべきものである。
[Ⅱ]
〇ここで、大橋と阪野・原田の福祉教育論の要点のいくつかを素描する。まず大橋のそれである。大橋は「福祉教育」の概念を次のように規定する。すなわち、福祉教育とは「憲法13条、25条等に規定された人権を前提にして成り立つ平和と民主主義社会を作りあげるために、歴史的にも、社会的にも疎外されてきた社会福祉問題を素材として学習することであり、それらとの切り結びを通して社会福祉制度、活動への関心と理解をすすめ、自らの人間形成を図りつつ社会福祉サービスを受給している人々を、社会から、地域から疎外することなく、共に手をたずさえて豊かに生きていく力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることを目的に行われる意図的な活動」と規定することができる(第2次福祉教育研究委員会(委員長:大橋謙策)『学校外における福祉教育のあり方と推進』全国社会福祉協議会、1983年9月)。
〇この概念規定は40年以上も前のものであるが、今日においてもしばしば引用される。それは、阪野によると、「人権」や「平和と民主主義」といった普遍的な理念や価値に基礎をおいた理念型の定義であり、また包括的で汎用性が高いことに起因する。具象的な定義はその解釈を狭くするが、抽象的な定義はその抽象度によって解釈を広げ、読み手の洞察によって解釈を深めることができる。そうした点で、この定義は多くの人が「使える」、多くの人にとって「使いやすい」ものになっているのである。また阪野は、大橋の福祉教育論については、一面では「子ども・青年の発達(の歪み)」を軸に体系化された教育論としても評価されるが、併せて障がい者や高齢者の「社会教育の促進」や「福祉コミュニティの形成」との関わりで福祉教育を捉える研究の視点・視座に注目しないとその定義や言説を読み解くことはできないことを指摘する。
〇大橋はまた、学校教育において「自由と平等」は教えられてきたが、「博愛」精神の教育が欠けていたことを指摘する 。そして、障害を持つ人々や社会的な支援を必要とする人々の幸福追求権(憲法第13条)と、社会全体で担う「博愛」の精神を公教育で再構築する必要性を強く訴える 。この「博愛」の再構築という主張は、単なる倫理的な呼びかけに留まらない。大橋は、日本の文化的・歴史的背景、特に閉鎖性や儒教的な排除の論理が福祉の理念形成に与える負の影響を深く見据え、その克服のために「博愛」という普遍的価値観を福祉教育の根幹に据える必要性を論じるのである。これは、福祉教育は単なる知識や技術・技能の伝達や個人の意識変革を図るだけではない。社会全体の文化や規範を「博愛」の精神に基づいて再構築することを通じて、社会の根深い構造的差別や排除の論理に抗する「価値観の変革」をめざすべきだという、極めて本質的で哲学的な課題提起である。深く留意したいところである。
〇こうした点を含めて、大橋の福祉教育論の概要や評価などについてはひとまず、阪野のブログ記事――阪野貢/「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて(Ⅵ)―大橋謙策の「福祉教育原論」に関する研究メモ―/2022年10月25日/本文を参照されたい。
〇次に阪野のそれである。阪野は「市民福祉教育」を次のように規定する。「市民福祉教育とは、福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図るための教育活動であり、その内容は、人間の尊厳と自由・平等・友愛の原理に立って、平和・民主主義・人権と、自立・共生・自治の思想のもとに構成され、その実践では、歴史的・社会的存在としての地域の社会福祉問題を素材にし、課題解決のための体験学習と共働活動を方法上の特質とする」(ウェブサイト「市民福祉教育研究所」フロントページ/本文)。
〇阪野が提唱する市民福祉教育は、「人間の尊厳」「自由・平等・友愛」「平和・民主主義・人権」といった普遍的な人間観と社会観に基づいている。また、現代社会において子どもと大人、障がい者や高齢者などすべての人の「自立・共生・自治」が問われるなかで、「まちづくり」に参加(参集、参与、参画)する主体的・自律的な「市民」の育成を図る市民福祉教育の重要性を認識し指摘するものである。すなわちそれは、「ふくし」は社会的支援を要求する・必要とする人や専門家だけの問題ではなく、市民一人ひとりの日常生活(「ふだんの くらしの しあわせ」)と社会全体の平和・安寧・福祉(「みんなが 満足していて 楽しいこと」)に関わる普遍的な課題であるという視点・視座に基づくものである。それはまた、大橋が指摘する「博愛」の欠如や社会の閉鎖性といった問題意識を、より普遍的な市民社会の形成という視点から継承・発展させるものであるとも言える。
〇また阪野は、「福祉文化」の概念を、一番ヶ瀬康子の言説を引用し「福祉の文化化」と「文化の福祉化」が統合されたものとして捉える。前者は、社会福祉は質・量ともに豊かで快適な人間らしい生活を保障するものであること、後者は、障がい者や高齢者を含むすべての人が文化創造の担い手であることを含意する。そのうえで、「福祉」が単なるサービス提供や社会的支援に留まらず(憲法第25条)、人々の生活そのものを豊かに快適にし(憲法第13条)、社会全体の文化、人間の豊かな創造性や感性を育む福祉文化として根づくかせるべきものである主張する。
〇さらに阪野は、「協働」(collaboration)と「共働」(co-action)の概念を明確に区別し、「対抗」から「共働」へのプロセスを支援学の視点から提示して市民自治とまちづくりの立ち位置とプロセスを考察する 。「協働」は往々にして、行政主導や専門家主導の枠組みのなかで行われる「協力」に近いニュアンスを持つ。それに対して「共働」は、市民が主体的・自律的に、対等な立場で互いに働きかけ、共に新たな価値を創造していく能動的な関係性を意味すると考えられる。この区別は、単に市民を行政の活動に「参加させる」だけでなく、市民自身が「主体」として福祉を「つくりあげる」という、市民参加(参画)の質的向上への強い志向を示すものである。これは、福祉教育が市民のエンパワーメントを通じて、真の市民社会を構築するための重要な手段(「思想的武器」)となる・ならなければならないという阪野の思想を反映していると言えよう。
〇そして原田である。原田らにあっては、地域ぐるみの福祉教育が必要かつ重要となるなかで、「地域福祉を推進するための福祉教育とは、平和と人権を基盤にした市民社会の担い手として、社会福祉について協同で学びあい、地域における共生の文化を創造する総合的な活動」である(福祉教育推進検討委員会(委員長:大橋謙策)『社会福祉協議会における福祉教育推進検討委員会報告書』全国社会福祉協議会、2005年11月)。この規定における鍵概念のひとつ、すなわち原田福祉教育論のそれは「協同実践」である。原田はいう。「福祉教育における『協同実践』においては、専門的な知識や技術の伝達ではなく、福祉の魅力や難しさをみんなで考える。その時には、子ども同士だけではなく、福祉教育実践に関わる大人も含めて相互の学び合いが必要になってくる」(原田正樹『福祉教育の理論と実践方法―共に生きる力を育むために―』全国社会福祉協議会、2022年3月)。さらにそれは、学校や地域だけでなく、また障がい者や高齢者、地域のボランティアだけでなく、さまざまな関係者や関係機関・団体を福祉教育に巻き込み、「サービスラーニング」の視点による福祉教育実践を協同実践として成立させための組織(「福祉教育推進プラットホーム」)やコーディネーター(「福祉教育推進員」)を求める。とともに、その実践を「内省」(かえりみて見直すこと)し「省察」(ふりかえり考えめぐらすこと)する効果的・総合的かつ創造的なふりかえり(「リフレクション」)を不可欠とする。
〇原田福祉教育論の、もうひとつの鍵概念に「相互依存的自己実現」がある。それは、人間の脆弱性を前提としたうえで、個人の自立や自己実現だけでなく、それを乗り越え、関係性のなかで互いに支え合いながらより良く生きること、社会全体の「共に生きる力」の育成を図ることをめざす視点である。すなわちそれは、福祉教育は地域福祉の下位概念・従属概念ではなく、個人の福祉意識を変容させ(「貧困的な福祉観の再生産」の克服)、地域を変革する力の育成を図る営為である、という主張に通底するものである。要するに、「相互依存的自己実現」という概念は、超少子高齢化問題や多様で複雑な福祉課題を抱える現代社会において、従来の自立支援の限界を乗り越え、より包括的で持続可能な地域社会を構築するための新たなパラダイムを提供するものである。
〇この点を別言すれば、原田は、その主著『地域福祉の基盤づくり』で、「地域福祉を福祉教育によって支えあうことができる社会、ケアリングコミュニティをどう構築していくことができるかを問うことが『地域福祉の基盤づくり』である」という。これは、福祉教育と地域福祉が単なる補完関係ではなく、相互に影響し合い、変革を促すダイナミックな関係にあることを示唆するものである。すなわち、福祉教育は地域変革の主体化を図り、個人の意識変革を促す一方で、地域福祉の実践はその意識変革をさらに深化させるのである。そして、ここでいう「ケアリングコミュニティ」とは、原田にあっては、「共に生き、相互に支え合うことができる地域」のことである。それは、地域福祉の基盤づくりである。そのためには、共に生きるという価値を大切にし、実際に地域で相互に支え合うという行為が営まれ、必要なシステムが構築されていかなければならない。こうしたケアリングコミュニティは、①ケアの当事者性(エンパワメント)、②地域自立生活支援(トータルケアシステム)、③参加・協働(ローカルガバナンス)、④共生社会のケア制度・政策(ソーシャルインクルージョン)、⑤地域経営(ローカルマネジメント)といった5つの構成要素により成立している。
〇上述の大橋は、ケアリングコミュニティの実現には「地域福祉の4つの主体形成」が重要であるという。➀地方自治体においてどういう福祉サービスを整備するべきかという地域福祉計画策定主体の形成、➁制度化された福祉サービスをどう有効に、合理的に、過不足なく利用するかという地域福祉サービス利用主体の形成、➂地域から差別・偏見をなくし、福祉サービスを必要としている人を支える福祉コミュニティをどうつくるかという地域福祉実践主体の形成、➃対人サービスとしての社会福祉を支える社会保険制度をどうつくるかという社会保険制度の契約主体の形成、がそれである。この言説と併せて、原田のケアリングコミュニティの5つの構成要素についての議論は、阪野がいう「まちづくりと市民福祉教育」の理念や構造、内容や方法に繋がるものでもある。
〇なおここで、大橋と阪野・原田がともに、福祉教育実践(体験学習)における「疑似体験」の危険性について言及していることをあえて付記しておきたい。3氏は特に、目的やねらいが吟味されない形だけの障害・高齢の疑似体験(車椅子体験、アイマスク体験、高齢者疑似体験など)は、障がい者や高齢者への誤解やステレオタイプを強化する可能性があることを厳しく批判する。形骸化した体験活動は「障がい者は不幸である」「施設にいるべきだ」といった固定観念を強化し、真の理解や共生を妨げる可能性がある、と警鐘を鳴らすのである。それは、地域・地元の福祉課題を素材化(教材化)しない、地域・住民との連携・協働を欠いた、形だけの「まちづくり」や「ケアリングコミュニティ」づくりに関しても同様である。
[Ⅲ]
〇大橋と阪野・原田の福祉教育論を分析・検討(素描)すると、3氏はともに「地域福祉と福祉教育の不可分性と有機的連携」「主体形成の重視と市民参加の促進」「まちづくり・社会変革の推進と地域共生社会の実現」「実践と理論の往還的関係の重視と実践研究の推進」などを強調している。そして、3氏のそれは個別の研究ではなく、相互に影響し合い、継続的に取り組まれ、学術的な系譜を形成していることが分かる。この学術的な連続性は、そこに生み出された相乗効果として、単なる知識の継承に留まらず、先行研究の課題意識を共有し、福祉教育を取り巻く時代状況や背景に対応しながら福祉教育の理論と実践を深化させてきた、と言ってよい。阪野が大橋福祉教育論の再考を試み、原田が大橋の著作の「続編」を意図した点から、阪野と原田は大橋理論の単なる継承者ではなく、批判的・発展的継承者として新たな視点や概念を導入し、福祉教育学界の活性化に貢献してきた、とも言えようか。また、大橋を中心に阪野と原田の3氏が日本福祉教育・ボランティア学習学会の設立に大きな役割を果たしたことは、衆目の一致するところである。
〇大橋と阪野・原田の連なりや、阪野がいう「共働」や原田がいう「協同」の関わり、すなわち「協働研究」は、福祉教育の実践や研究の質を高めるだけでなく、学術コミュニティ内での知識の創造、共有、そして発展を促進するひとつのケースである。それはまた、大橋と阪野とりわけ原田との、大橋がいう「バッテリー型研究」のもうひとつの姿であろう。また、福祉教育の学術的・学際的な深化と、実践者と研究者の協働研究による実践研究の今後の方向性を示すものでもあろう。
〇さらに言えば、3氏の言説に限らず、ときに➀福祉教育の概念は抽象的で広範囲になりがちであり、それゆえに議論が曖昧なものになる。➁高尚な理念や理想主義的な理論が先行しがちであり、それゆえに実践への落とし込みが難しい。そして➂多様なアクター(主体)との連携・協働の深化や、社会変革に向けた「ソーシャルアクション」機能(問題提起や政策提言、権利擁護など)の強化をどう図るか。➃実践研究の質の向上と実践評価の理論と方法論をどのように構築するか、などが問われる。こうした点に留意しつつ、グローバルな社会課題(気候変動、貧困、紛争など)の深刻化、AIやデジタル技術の進展といった文脈のなかで、新たな福祉教育はどのような理念や構造、内容や方法を持つものとして再構築されるべきか、さらなる探究が求められよう。とりわけ、福祉教育の理論と実践と研究における「学際性」と「グローカル性」「変革性」、そして「哲学性」についてである。