「老爺心お節介情報」第72号
地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様
お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第72号を送ります。
皆様ご自愛ください。
2025年7月15日 大橋 謙策
〇6月末から酷暑が続き、この夏が思いやられると思っていたところ、梅雨の戻りかと思える気候になり、体調管理が難しいこの頃ですが、皆様にはお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇7月12日~13日に、高知県黒潮町で第22回四国地域福祉実践セミナー(こんぴらセミナーから通算すると28回目)が開催されました。現地の会場参加者が約400名、オンライン参加者が約100名で、盛会裡に行われました。お馴染みの地域福祉俳句にも投句しました。
黒潮の 藁焼きカツオ 半夏生 兼喬
〇今回の黒潮町での第22回地域福祉実践セミナーで学びたいと思っていた点は、大きく3つありました。
〇第1点は、南海トラフ地震で黒潮町には34メートルの津波が押し寄せるという予測で、その防災政策がどうなっているかという点、第2点目は、黒潮町は人口約9800人の町で、厚生労働省の地域共生政策の一つのモデルとされた全世代対応型の、かつ集い、通い、時には泊まることもできる「小さな拠点」が6つもあり、その実践がどうなっているかということでした。 第3点目は、人口減少、趙高齢化社会、限界集落が進むなかで、子ども・青年が地域にどう関わっているのか、その一環としての子ども民生委員活動の状況を知りたいと考えたことです。
〇2日間に亘る素晴らしい四国地域福祉実践セミナーを開催してくれました黒潮町社会福祉協議会坂本あや会長はじめ黒潮町社会福祉協議会の職員の皆様、また物心両面でセミナーを支えてくれた大西勝也町長はじめ黒潮町の役場の職員の皆様、更には共催団体としてこちらも物心両目に亘って支えてくれた高知県社会福祉協議会の白石研二局長をはじめとした職員の皆様や後援してくださった近隣市町村の社会福祉協議会関係者に対し、心より感謝とお礼を申し上げる次第です。
(2025年7月15日記)
Ⅰ 住民主体の居場所づくり・ふれあいあったかセンターの実践
〇高知県には「ふれあいあったかセンター」が現在55か所ある。この「ふれあいあったかセンター」は、富山県の共生型デイサービスをモデルに、高知型に再編したという。
〇四国地域福祉実践セミナーで、過去に津野町の床鍋地区の廃校の小学校を活用した集い、通い、泊まれる機能をもったセンターの実践や四万十市の大宮地区でのJA撤退後のガソリンスタンド経営、ATMの設置運営の事業などの実践が報告されていたので、筆者は集落活性化事業(集落活性化センター)と「ふれあいあったかセンター」の機能とを同じものと考え、記憶していたようである。確かに当初は、その両者は一体的に考えられ、推進される予定であったが、「ふれあいあったかセンター」の設置が先行し、結果的に各々が別の形態で運営される羽目になった面があるといわれ、納得した。
〇今回のセミナーでは、黒潮町の6か所の「ふれあいあったかセンター」のうち、4か所を運営しているNPO法人しいのみの実践(残りの2か所は黒潮町社会福祉協議会が運営)と佐川町のNPO法人とかの元気村が運営している「ふれあいあったかセンター」の実践が大変参考になった。
〇NPO法人しいのみの実践は、2014年2月6日から開始されている。その実践の信条は①子どもから高齢者、障害者、誰でもオッケー、②365日いつでも地域づくり、人づくりオッケー、③集い、移送支援、買い物代行、子ども食堂、地域食堂、居場所づくり、地域のお祭りの手伝い、歌謡ショーの企画、男の料理教室、手芸などの趣味活動支援、認知症カフェ等地域の中の必要なことが何でもできる素敵な仕組みを掲げている。
〇発表されたNPO法人事務局長の濱村美香さんは、実践の「まとめ」として、ⅰ)「ふれあいあったかセンター」事業の活動は、すべて「人づくり」、「地域づくり」につながっている、ⅱ)“一人の人も取りこぼさない”を守りぬくためには、決まりや制度だけでは限界がある。だから地域が大事。ⅲ)災害時には必ず役に立つつながりができている、ⅳ)取り組んでみて、自分自身が一番つくられた等を挙げていた。
〇NPO法人とかの元気村が運営している「ふれあいあったかセンター」は、黒潮町と同じ2014年から運営開始されている。
〇高知県には、34市町村があるが、2024年度段階で、高知市、香南市、梼原町の3市町にはなく、あとの市町村にはすべて設置されていて現在55か所になっている。個所数は、55か所であるが、各々の「ふれあいあったかセンター」が小地域にブランチを設置しているので、実際の個所数はもっと多いという。
〇現在の「ふれあいあったかセンター」の運営は1か所、ほぼ1500万円の補助で運営されており、その運営費は高知県と設置市町村とが50%づつ支出してくれている。
〇佐川町の人口は、約11000人で高齢化率は41・9%である。佐川町は5つの地区からなりたっていて、「とがの(斗賀野)」地区は、人口2965人で、高齢化率41・2%である。
〇NPO法人とかの元気村は、地区内にあった35団体が協議を重ね、2005年に一つにまとまり、NPO法人とかの元気村をつくった。2017年には、集落活動センターあおぞらが設立され、地域の課題、ニーズに応じて様々な活動に総合的に取り組む地域づくりの拠点になっている。
〇NPO法人とかの元気村が運営している「ふれあいあったかセンター」は、そのような地域住民の地域づくりの流れの一環として、地域住民たちが斗賀野地区にも「ふれあいあったかセンター」が必要ではないかという住民の要望、主体的取り組みの中で設置されたという。
〇佐川町には、5つの地区に各々「ふれあいあったかセンター」が設置されている。
〇「とがのふれあいあったかセンター」は、センターの必須事業として求められている①全世代対応型の集い、②見守り等必要な方への訪問、③生活の困りごとへの生活支援、④日常生活の困りごとの相談、⑤保健・医療・介護などの専門機関へのつなぎの機能の他に、「とがのふれあいあったかセンター」独自の取組としてⅰ)一時的ショートステイ、ⅱ)拠点への送迎の他に、買い物支援や外出支援、ⅲ)保健や医療のミニ講座や地域の文化活動を行っている人を招いての生涯学習、Ⅳ)小学校、幼稚園、保育園などとの交流活動を行っている。
〇生活支援サービスでは、「あったかお助け隊」と呼ばれるボランティアスタッフが約40人登録されていて、有料ではあるが窓ふき、換気扇の掃除、草刈り等もする。それらのニーズを把握するために、民生委員を中心に“あったか利用者独居・高齢者世帯、障害者へのニーズ調査”を訪問で行い、必要に応じていろいろな機関へつないでいる。これらの活動には、子どもや学生も参加しているという。また、高知大学とも連携して、学生たちが参加しているという。2024年度には、「あったかお助け隊」活動に93人が参加してくれた。
〇「とがのふれあいあったかセンター」の目指す姿は、「ともに支えあいながら誰もが排除されることなく、安心して自分らしく暮らせる地域づくり」、「一人ひとりが、住み慣れた大好きなこの地域で、生きがいややりがいを感じ、つながり支え合いながら暮らせる地域づくりを目指します」である。今まさに求められている「地域共生社会」の構築に向けた実践は素晴らしいものであった。
〇高知県の「ふれあいあったかセンター」の実践は、本当に素晴らしいもので、全国の人口減少地域、超高齢化社会地域、限界集落の関係者に是非学んで欲しいと思った。黒潮町の大西勝也町長が“黒潮町の福祉を日本一にする”と言う発言が納得できる実践、町政が黒潮町で実感できた。
〇今、全国の市町村、地区集落で、地域づくりの担い手がおらず、自治会活動も停滞し、まさに“限界集落”という集落機能が崩壊寸前になってきている。
〇そのような中、総務省は「地域づくり協議会」の政策を打ち出し、自然発生的に成立してきた町内会や自治会機能を再編成しようとしている。
〇黒潮町のセミナーの前日、筆者は香川県丸亀市社会福祉協議会に招聘されて、丸亀市飯山南コミュニティセンター協議会の実践を見聞きすることができた。
〇丸亀市社会福祉協議会は、4年前から市民向けに社会福祉協議会の活動報告会を開催しており、その講師、アドバイザーを筆者が務めてきた。それは、丸亀市社会福祉協議会の業務を理事会、評議員会で承認されればいいというものではなく、住民から会費を頂いているのだから、住民の皆様に直接社会福祉協議会活動を報告し、理解、評価して頂き機会として4年前に始められた。
〇他方、丸亀市社会福祉協議会は、地域福祉担当職員と訪問介護等介護担当職員で「地域担当制」を敷いて、市内17地区(地域包括支援センターは市直営で5か所)毎に活動を展開している。各地区担当職員は、各地区の民生委員協議会の会合やコミュニティセンターの会合、行事に参加し、潜在化しがちな住民のニーズを発見したり、関係者とともに相談や支援の活動を展開している。
〇そのような関わりもあり、この7月11日に飯山南コミュニティセンター協議会の活動と丸亀市社会福祉協議会の飯山南地区担当職員の活動報告が行われた。
〇飯山南コミュニティセンター協議会は、総務省の「地域づくり協議会」の活動であるが、高知県黒潮町や佐川町の「ふれあいあったかセンター」と同じ様な活動を展開している。
〇飯山南地区は、人口約6000人弱である。この地区には、大化の改新で作られた口分田の条里制がきれいに残っている地域である。水害ハザートマップのために空撮された写真には物の見事に一辺110m(1丁)の四角い条理が映し出されている。この地域には、飛鳥時代か奈良時代初期に作られたという「法勲寺」後もあり、歴史を感じさせる地域である。
〇飯山南コミュニティ協議会には、総務環境美化部、ふれあい交流部、防災部、福祉部、文化育成部、健康スポーツ部、実行委員会(法の郷ふれあいまつり、広報委員会)が設置されている。職員は非常勤も含めて4名が勤務している。人件費補助は、人口割によって違うが、コミュニティセンターの指定管理料として、2025年度は市から年間約1600万円が支給され、そのほとんどが人件費として支出されている。
〇飯山南コミュニティ協議会の活動は、現在「法の郷第4次まちづくり計画―みんなで育てる住みよいまち法の郷―」に基づき運営されている。活動費の予算規模は市からの補助金約370万円を含めた年570万円ほどで運営されている
〇飯山南コミュニティセンターは、「予約なしで、いつでもおしゃべりができる居場所づくり」、「セルフコーヒーメーカーで挽きたてのコーヒーが飲める」をモットーに、地域食堂、絵本の読み聞かせをしているライブラリー、高齢者等移動手段支援事業、避難行動要支援者避難訓練等の活動を展開している。更には、30分500円の有料ではあるが草抜き、ゴミ出し、散髪、ちょっとした大工仕事等の住民参加型の生活支援サービスをしているし、その他、農繁期の忙しい時の農村食堂や夏休み子ども学習支援食堂などのユニークな活動もしている。
〇飯山南コミュニティ講義会の広報誌は、全国公民館報コンクールで金賞、特別賞を受賞するなど高い評価を得ている広報誌であるが、モットーは“現在の地域課題を提起し、知ってもらう”で、自治会未加入世帯にも情報発信をしている。
〇黒潮町、佐川町、飯山南コミュニティ協議会の実践を見聞きして、筆者は戦後初期の公民館活動を思い浮かべた。
〇戦後初期に、文部省公民課長、社会教育課長を歴任し、文部次官通牒「公民館の設置運営について」(昭和21年7月5日、発社第122号、各地方長官あて)について深く関わり、かつ1946年に『公民館の建設ー新しい町村の文化施設』を上梓している寺中作雄が考えた公民館は社会教育の機関であり、社交娯楽の機関であり、自治振興の機関であり、産業振興の機関であり、青年養成機関であるといった多面的な機能を持った文化施設である。
〇寺中作雄が考えた公民館の事業は町村の特殊性や町村民の要望に応じて決定される事で、必ずしも画一的にすべきものではないが、一応の形態としては,教養部、図書部、産業部、集会部が考えられ、其の他必要に応じて、体育部や社会事業部や保健部等の設置が考えられるとしている。
〇また、公民館の維持に関わる経費は、一般町村費及び寄付金によるものを原則としているが、公民館維持会を設立して、公民館に積極的な熱意を持った篤志家の支持を得る事も一法であり、その際には町村の一般会計とは切り離して、特別会計にすることが必要であるとも述べている。
〇更には、公民館の組織運営は最も自治的な機関であり、全町村民から選ばれる公民館委員会によって全町村民の参加と支持によって為される。・・町村自体が自治体であり、公選町村長によって運営されるものであるが、其の自治行政が法規に制約されて不円滑不活発に陥りがちな現在、公民館は或る程度法規の制約からも自由に、官憲の監督からも解放されて、純粋に自治的に運営されることによって、町村民に対し「真の自治とは何ぞや」との観念を正しく誘導し、町村自治に新しい血を通わしめ、爽快な涼風を吹き送る役目を担当するものである“と、一種の”自治的な原始社会“ともいえるコミューンのような思想、哲学を掲げている。
〇ところで、文部次官通牒「公民館の設置運営について」は昭和21年7月5日に発出されているが、同じ昭和21年12月18日付で「公民館経営と生活保護法施行の保護施設との関連について」が各地方局長あてに、文部省社会教育局長、厚生省社会局長の連名で発出されている。
〇その通知では、公民館で宿所を提供する事業や託児事業、授産事業を行うことができるし、その際の費用は生活保護法に基づき国が費用の10分の8、都道府県が10分の1を負担するとも述べている。
〇また、公民館運営委員と民生委員とは協力して社会事業と社会教育との緊密な関連を図るよう配慮することが明記されている。
註1 『社会教育法解説』及び『公民館の建設』は、1995年に国土社から現代教育101選の一つとして、寺中作雄著『社会教育法解説 公民館の建設』として復刻されている。
註2 大阪府の方面委員制度を大阪府の林市蔵知事とともに1918年に創設した小河滋次郎は“救貧は教育であり、対象者の自信、自助、自尊の精神を傷つけざるとともに、彼らの市民として、公民として、国民の一人としての人格を尊重保全し、救済の必要なからしむべく、一日も早く自ら其の運命を回転向上するに至らしめんことを努むる”のが、救貧事業の使命であり、本領であると述べている。(『社会事業研究』第10巻8号、大正11(1922)年)
註3 大阪府の副知事、知事を務めた中川和雄は、1926年京都市生まれ、東京大学法学部卒業後、厚生省に入省し、社会福祉事業法の制定に関わる。その後、1957年に大阪府に出向し、1983年副知事、1991年~95年に知事を務める。中川和雄は、戦前の社会事業には精神性と物質性の両側面があったが、戦後GHQの指示もあり、社会事業の精神性は文部省に移管され、厚生省は物質的支援のみに限定させられたと筆者に話をしてくれた。
物質的援助は、生活困窮者及び生活のしづらさを抱えている人の生活技術能力や家政管理能力などの自活能力が高い時には有効であるが、様々な社会生活上のぜい弱性を抱えている人(ヴァルネラビリティを有する人)には、物質的援助だけでは問題解決につながらない。今日の生活困窮者自立生活支援法に基づく伴走型の生活支援の必要性はまさにそのことを示している。
しかしながら、公民館は1949年に制定された社会教育法により、社会教育機関としての位置に矮小化されていく。
戦前の雑誌「社会事業」等で論陣を張った牧賢一(西窓セツルメントの主事も歴任)は、戦後の全国社会福祉協議会で事務局長、常務理事などを務めるが、その牧賢一が昭和28(1953)年に著した『社会福祉協議会読本』(中央法規出版)の中で、「公民館の目的は教育活動であり、それは個人の人格の完成とその能力の育成である。しかるに、社会福祉協議会は「地域社会の完成」を目的とする。しかし、協議会と公民館とは、いろいろ違う点があるけれども、その目的及び活動において切り離すことができない密接な関連を持っている」と述べ、なぜなら、本来公民館の仕事は社会事業の領域で長い歴史をもっているセツルメント事業(隣保事業)から変形したものである。そのセツルメント事業が終戦後経費の関係で非常に不振な状態におちいったときに、文部省が公民館という形で法的裏付けをもって打ち出したので、これが社会事業ではなく社会教育事業ということになったわけである。
したがって、「公民館が社会福祉協議会がやろうとしていることまで含めて、申し分のない活動をしているなら、そこに重ねて協議会をつくることは不要である」が、実際の公民館があるべき姿になっていないので、自分たちは社会福祉協議会を作ったとしている。
同じような論説は、『公民館日報第38号』(昭和26年10月)にも掲載されている。そこでは、「最近、社会福祉協議会が町村に設置されることになって、人の面や、仕事の面で公民館とかち合うことになって困るという事情を福祉協議会の側からも、公民館の側からも訴えてきている。・・・要はその地域が明るく住みよくなればいいわけで、それがどのような形で行われようと問題ではないと思う。・・・社会教育ということは、結局我々が営む社会生活を改善し、進歩させるための機能ということができる。・・社会改良のための諸条件である政治や産業等と結びつきながら、これらを教材として人間の形成を通じて社会形成を行うところに社会教育の仕事がある」と述べている。
Ⅱ 潮町の防災教育と避難タワーでの取り組み
〇南海トラフ地震で、34・4mの津波(最大震度7、沿岸に津波が到達する時間2分)という内閣府の発表が2012年3月31日に出されたことを踏まえ黒潮町では、防災教育、防災活動が活発である。
〇黒潮町では、地域担当する職員と住民によるワークショップや避難道の点検、避難訓練等を行っている。避難行動要支援者等には、自力避難の可否、避難先への到達所要時間、避難方法、自宅の耐震性や家具転倒防止策の状況、連絡先などを記入してもらい、それを基に町、社会福祉協議会、ふれあいあったかセンターが災害時要配慮者への支援体制と其の調整を行っている。地域調整会議では、①顔の見える関係づくり、②福祉専門職の参加、③地域全体の避難ルールと整合性を持たせるために、地区防災計画との整合性を重視している。そのようなことを踏まえて、視覚障害者の「お試し避難訓練」や在宅医療機器使用者の避難訓練、高校生と行う地区避難訓練等行っている。高校生と行う避難訓練では、「逃げトレ」アプリを使用し、各地点の津波到達時間をシュミレーションしている。この高校生と行う地区避難訓練は、普段避難訓練に消極的な人たちを誘い出すのに成功している。宮崎県日向沖の地震の際の「南海トラフ地震に関する臨時情報」が出されて以降、車いすの障害者も避難タワーに車いすで上る訓練をしたり、福祉避難所「高齢者生活支援センターこぶし」の開設を要請し、事前の「おためし避難」が重要だということも認識できた。
〇防災教育と福祉教育を兼ねて、小学生には通学路などの危険個所の発見や地域で暮らす人を知ろうということで「まち歩きと危険個所の発見」のプログラム、中学生には自宅までの津波到達予想時間の視えるかをしてお知らせするプログラムをもって高齢者宅を訪問するプログラム、高校生は避難所での要配慮者への対応訓練、避難所開設運営訓練などを行った。
〇黒潮町には、6つの津波避難タワーが設置されている。その中で、最後に設置され、最も高い津波避難タワーが黒潮町の浜地区(合併前の佐賀町浜地区)の避難タワーで、18mの津波が想定されている地区である。この浜地区には、浜地区を囲む高台に避難場所が5か所設置されているが、この避難タワーは町中に設置されている。この避難タワーには、230人の避難者が想定されており、それら避難者のために必要な様々な災害用備品が備蓄されている。マット、テント、充電器、水、簡易トイレ、紙パンツ等住民の知恵、要望で準備されたもので、そのすべてが行政の補助金で購入、用意されたものではなく、河内香自主防災会長をはじめとした地域住民の努力で準備されたものも多い。
〇この避難タワーを上るのには階段とスロープを使って上ることになっている。津波の大きな衝撃にも耐えるようこのタワーを守るための衝撃防止の柱も備えられているし、屋上にはヘリコプターがホバリングしながら緊急搬送できる設備も備えられている。
〇自主防災会の河内香会長たちは、「防災かかりがま士の会」という、積極的にお節介をして防災を進め、避難活動を誘導する会を作り活動している。
〇黒潮町は、多様な防災プログラム(防災学習プログラム、防災缶詰プログラム、地域防災実感プログラム、佐賀地区津波避難タワー見学会、宿泊型夜間避難訓練プログラム)を開発し、町内外の人への防災教育を展開している。
〇今回のセミナーでは、この他、今治市の山林火災への取組も報告された。
Ⅲ 子ども民生委員活動と福祉教育
〇筆者は、1980年代に福祉教育が必要とされる背景、要因の第1に“子ども・青年の発達の歪み”を挙げている。
〇イギリスでは、アレック・ディクソンによるコミュニティボランティア協会が1962年に創設され、青少年のボランティア活動を推奨をしている。その背景には、1963年に出されたイギリス中央教育審議会の答申「HALF OUR FUTURE」と題する報告書がだされ、未来を担う若者、青年の半分の成長がゆがんでいるというショッキングなレポートがあった。アレック・ディクソンは、若者、青年の発達を取り戻すために、コミュニティに入り、高齢者等を訪問し、何かお手伝いすることがあるかどうかのニーズ調査を行い、それに応じるボランティア活動をすることが必要であると訴えた。
〇日本の福祉教育は、1970年前後に第2の波を迎えるが、それは1970年に日本がの高齢化社会になったことを踏まえたもので、その対策的意味合いもあって、その必要性が説かれた。
〇しかしながら、筆者は日本でもイギリスと同じような子ども・青年の発達の歪みが指摘され始めていた時期なので、子ども・青年の発達を保証する機会として福祉教育の推進をするべきであると提唱してきた(1978年には久徳重盛が『人間形成障害病』を上梓。筆者は1970年に青年の中に「まあね族」と「べつに族」が登場し、社会関係、人間関係が希薄化、あるいは持てない青年が登場してきている問題を指摘)。
〇子ども民生委員活動は、戦後、徳島県民生委員連盟の常務理事をしていた平岡國市が西祖谷山村で実践したのが発祥とされている。
〇現在は、日開野博先生によれば、天草市社会福祉協議会、倉敷市社会福祉協議会、土佐清水市社会福祉協議会、徳島県石井町で行われており、かつ徳島県民生児童委員協議会が毎年県内の3~5所を指定し、補助金を5万円ほど出して活動を鵜維新しているとのことです。
〇今回のセミナーでは、土佐清水市の子ども民生員活動が報告された。
〇土佐清水市は、2012年に人口が15961人であったのが、2025年には11418人となり、4543人の人口減少であった。高齢化率は逆に39・3%だったものが52・2%となり、15歳未満の子どもの数は1440人だったのが、672人に減少している。したがって、小学校数も8校から3校(2026度には2校)になる。中学校は5校だったのが1校になった。このような状況の中、一人暮らし高齢者は2421人に増大している。
〇土佐清水市社会福祉協議会では、行政と協働して、地域福祉計画づくりで市内8~10か所で住民座談会を開催、区長、民生委員児童委員、地域福祉協力員等との小地域での情報交換会を市内50地区で開催、地域住民支え合い事業を旧中学校区(市内5地区)で年間4~5回を目途に実施するなど、地域住民のニーズ把握に努めてきた。
〇子ども民生員活動は、“高齢者とふれあいたい”、“民生委員の仕事を知ってほしい”という小学校の校長や主任児童委員の発案で始められた。
〇子ども民生委員活動を始めるに当たっては、社会福祉協議会職員や民生児童委員が先生になり、福祉について学び、その後小学校管内の地区民生児童委員から小学校の児童への委嘱がおこなわれ、「子ども民生委員証」が手渡しで交付される。
〇土佐清水市子ども民生委員は、民生児童委員信条と同じように信条を持っている。信条は、①わたしたちは、地域の人に、笑顔で明るく、心をこめて元気よくあいさつします、②わたしたちは、地域の民生委員、児童委員の皆さんと協力して、地域の人たちとすすんで交流します、③わたしたちは、地域の人たちや友だちに愛情をもって接します、④わたしたちは、ありがとうの感謝の気持ちを忘れず、地域を大切にしますの4か条からなっている。
〇子ども民生委員は、この信条に基づき、高齢者宅を訪問したり、生き生きサロンを訪問して楽器演奏や歌の披露、レクリエーションなどを行ったり、会食をともにしている。その他、子ども目線での防災マップを作製したりもしている。
〇このような活動を通して、子ども目線で、地域で気づいたことを大人や地域に発信したりしている。他方、高齢者宅を訪問した際などに会話が続かない自分を自己覚知したり、相手の目を見て話すことの必要性を確認したり、話題や話し方の工夫をする必要性に気がつくなど自分自身の成長につながることを実感している。これこそ、子ども・青年の成長に必要な福祉教育の成果であり、高齢者等から「ありがとう」との言葉をもらって自己肯定感の高揚につながる実践となっている。
(2025年7月15日記)