〇筆者(阪野)の手もとに、伊東豊雄(いとう・とよお)著『誰のために 何のために 建築をつくるのか』平凡社、2025年4月。以下[1])がある。伊東は、人間の感覚を重視し、現実社会と向き合い、建築が人間や自然といかに共存していくべきかを探求し続ける日本を代表する建築家である、と評される。
〇本稿では、伊東の多岐にわたる奥深い建築思想の内から、例によって恣意的であるが、次の3点についてメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
「流れ」と「淀み」:動と静と調和の有機的共存
伊東にあっては、建築は、単なる機能的な構造物や壁で切り分けられた閉鎖的・固定的な「容器」(「部屋」)ではなく、多様な人々が自由に集い、活動し、関係性を築く開放的・流動的な「場所」である(「流れ」)。とともに、人々が立ち寄り、安らぎ、思索する空間でもある(「淀み」)。この「流れ」と「淀み」は、対立するものではなく、相互に補完し合い、調和することによってより豊かな建築空間となる。すなわち、理想的な空間とは、「流れ」(動)と「淀み」(静)がバランスよく共存する有機的な状態をいう。(25~27、38~41ページ)
「人に生きる力を与える建築」:知性と身体感覚と自然の統合
伊東は、「人に生きる力を与える建築」を追求する。それは、知的にデザインされた機能的かつ効率的な快適さだけでなく、人に感動を与え、生命力を感じさせる、すなわち身体感覚や五感を大切にする「いのち輝く」建築である。それは、その場所(地域)の風土や自然と調和し、歴史や文化と共鳴する、それゆえに人々の活気や創造性を引き出し、社会との繋がりを生み出す建築である。従ってそれは、「空間としての力強さではなく、時間として持続しうる力強さを持つ建築、すなわち生き続け、呼吸をする建築」(138ページ)でなくてはならない。そしてまた、「作家の姿が消えて自然の力が浮かび上がってくるような建築」(164ページ)でもなければならないのである。(122~125、126~134ページ)
「みんなの家」プロジェクト:公共性と社会性と共創性の融合
伊東らは、東日本大震災を契機に、被災地でみんなが集い、交流し、互いに支え合う小さな居場所として、「みんなの家」プロジェクトに精力的に取り組んでいる。それは、行政が住民に提供する空間ではなく、また建築家が設計して住民に与えるものでもない。住民が主体的に参加し、自分たちの手で創り上げていく小さなコミュニティの場である。すなわち、建築は、社会的な課題に応えるものであり、開かれた公共性とその地域・社会の文脈に根ざした社会性を持つものでもある。それゆえに建築家には、「社会の内側」に身を置き、地域・社会の課題に向き合い、人々とともに未来を創造する社会的な存在としての役割を果たすことが求められることになる。(135~141、142~150ページ)
〇伊藤の言説(建築観)は、建築を介して人々が集い、繋がり、多様性を尊重し合って豊かに「生き抜く」「生き合う」共生社会の実現を図るという、「まちづくり」の目標に通底するものである。そのまちづくりの基盤に位置づけられ、まちづくりの起爆剤や羅針盤の役割を果たすべき営みが、「市民福祉教育」であろう。[1]から読み取ったことのひとつである。