〇筆者(阪野)の手もとに、小松理虔(こまつ・りけん)著『小名浜ピープルズ』里山社、2025年5月。以下[1])がある。小松は「地域活動家」「ローカルアクティビスト」として知られる。[1]は、小松が生まれ・暮らす福島県いわき市小名浜での人との出逢いや触れ合い、出来事や活動の情景などを生き生きと描いたエッセイである。そこに書かれるのは、2021年つまり東日本大震災から10年を経た後の小名浜で生きる人たち(「小名浜ピープルズ」)と「ぼく」(小松)が交わした生の言葉(声)、すなわちリアリティである(19~20ページ)。その内容について[1]の “帯” は、こう記す。「東北にも関東にも、東北随一の漁業の町にも観光地にもなりきれない。東日本大震災と原発事故後、傷ついたまちで放射能に恐怖し、風評被害は受けたが直接の被害は比較的少なかった、福島県いわき市小名浜。著者はこの地で生まれ育ち〈中途半端〉さに悶えながら地域活動をしてきた。当事者とは、復興とは、原発とは、ふるさととは――10年を経た『震災後』を地元の人々はどう暮らしてきたのか。魅力的な市井の人々の話を聞き、綴った、災害が絶えない世界に光を灯す人物録」。そこで小松が問いかけるのは、今後も、どこかで起こりうる災害や出来事を、如何にして「自分ごと」として捉え、関わっていくことができるか(183ページ)、という点である。
〇[1]にしばしば登場する言葉に「中途半端さ」と「共事者」がある。その言葉に関する一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
中途半端な「当事者」としての葛藤
2011年の東日本大震災でも、ぼくの家はたしかに被災地とされる地域に含まれるけれど、倒壊したわけでも家族が命を失ったわけでもない。(11ページ)/たしかにつらい時期はあった。ぼくはある一面では被災者だったが、別の一面では被災者ではなかった。/ぼくは震災後、さまざまな活動を始めたが、外の人たちは、ぼくたちの活動を「被災地での取り組み」にカテゴライズしていく。ぼくはいつの間にか、「被災地でがんばっている男性」になった。(12~13ページ)。/ある時期から、ぼくの投稿は「福島で被災した当事者の声」としてひとり歩きしていった。閲覧数やリツイート数がものを言う世界で、自分の言葉に力を持たせるために、あるいはだれかを非難するために、「当事者」の言葉は好き勝手に都合よく持ち出され、本人の意志と関係ない方向で広がり、その先で論争をつくり出す。そこかしこに「真の当事者」が出現し、誤解や分断が深まり、語りにくい空気が生まれていった。部外者であればこんなことを悩まずに済んだのだろうか。ぼくは当事者と非当事者の間で、自分の「中途半端さ」に苦しめられた。(13ページ)
「共事者」という新しい視点
どこかに加害者としての側面があって、どこかで被害者の側面もある。ある課題では当事者であり、だけどある課題では当事者とは言えず、かといって無関心を決め込むわけにもいかないから、いろいろなことに興味や関心を持つけれど、すべての社会課題に関われる余裕もない。そういう中途半端で、曖昧で、揺らいでいる自分をそのまま丸ごと受け止めてみるしかないし、そこで踏みとどまるしかないんじゃないか。/なんなら、中途半端であることそれ自体に意味があるはずだし、当事者でも専門家でもないからこそ果たせる役割だってあるんじゃないか。そう考えられるようになって、ぼくは「わたしの被災」を語っていいんだ、そうやって自分の立場から語っていかないと震災や原爆事故の影響だってわからないじゃないかと思うようになった。そのプロセスで「共事者」なんと言葉が自分のなかから生まれた。共事者とは中途半端な人たちのことだ。自分自身の中途半端さに意味を見出したくて、つまり自分をなんとか勇気づけたくて出てきた言葉だった。(14~15ページ)
〇小松にあっては、東日本大震災で直接的な被害を免れたものの、被災地に住む者として当事者というレッテル(「被災地でがんばっている男性」)を貼られ、そのことが中途半端な当事者としての葛藤であった。そんななかで、地元でのさまざまな活動や人々との関わりを通して、この「中途半端さ」を否定するのではなく、それを受け入れ、むしろそこに意味を見出すようになる。すなわち、当事者と非当事者との間で揺れ動く存在を肯定的に認める。しかし、その立ち位置は、当事者でも専門家でもないという中途半端で曖昧なものである。またそれゆえに、それは多様な視点から物事を捉え、異なる立場の人々を結びつけ、新たな価値や役割を生み出す。その存在を小松は「共事者」と名付ける。
〇共事者は、「当事者の周囲にいて、関心を寄せたり、興味を持ったり、事の推移を見守ったりしている。つまり『事を共に』する」(177ページ)。小松はいう。「被災者とは言えないけれど被災地に生きている。被災地に生きているわけではないけどその土地に思いを寄せている。被災とは別の、でも似たような悲しみや苦しみを感じている。そんな『中途半端な人たち』が、ぼくたちの身近なところにたくさんいるということを忘れてはいけない」(18ページ)。
〇以上、小松が説く・提唱する「中途半端さ」とは、ある出来事において直接的な当事者ではないものの、無関係でもないという複雑で曖昧な立ち位置にある状態を指す。その葛藤からそれを肯定する過程で紡ぎ出された「共事者」という概念は、特定の事柄に対して当事者か非当事者(部外者、傍観者)かという単純な二項対立的な見方を超えて、より多角的で多様な「当事者性」や「共事者性」を認める視座を提供する。
〇また、「中途半端さ」を肯定し「共事者」という概念を創出したこの視点は、「まちづくり」においても大きな意味を持つ。それは、特定の専門家や一部の熱心な地域活動家だけでなく、それぞれが抱える「中途半端さ」や「曖昧さ」を認め合い、緩やかな連帯や共感のネットワーク(「弱い紐帯の強み」:アメリカの社会学者マーク・グラノヴェッター)を構築しようとするなかで「事を共にする」という、新たなコミュニティ形成のあり方を提示する。ここで、次の一文を引いておく(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
「寄り添えなさ」に向き合う
その人が見ている世界と自分に見えている世界が異なるのだとすれば、同情は傲慢になり、共感は暴力になってしまわないだろうか。他者とまったく同じ経験をした人はいないのだし、結局のところ、その当事者本人に成り代わることもできないのだから。体験も経験も悲しみも死者との向き合い方も人によって異なる。あなたの悲しみ、わかります、などとはますます言えなくってしまう。/じゃあどうすればいいんだろう。(223ページ)。/ぼくにできることといえば、その「寄り添えなさ」にこそ向き合うことじゃないか。ぼくらはみな、だれかの悲しみのよそ者だ。いま目の前にいる人は、自分とは異なる方法で悲しみと向き合っているかもしれない。自分の知っている世界などちっぽけで、その外側に、幾重にも幾重にも世界が広がっているかもしれない。そう想像してみる。寄り添えない世界に立って、それでもなお、他者との間に、細々とでもいいから手繰り寄せられそうな線を探し出そうとする。そんな営みの先に、きっと新たな世界が広がっていく。(224ページ)
〇さらに言えば、➀「中途半端さ」と➁「共事者」、そして➂「寄り添えなさ」という3つの視点は、「市民福祉教育」においても重要な意味を持つ。例えば、「中途半端さ」は、それを否定するのではなく、その姿勢を受け入れ、意味づけることを通して自己肯定感を育む。「共事者」は、他者への無関心を乗り越え、他者と「事を共にする」という連携・協働の姿勢を促す。「寄り添えなさ」は、他者理解の限界を認めながらも、継続的な傾聴と対話を通じて真摯に向き合う心構えや態度を養う。そして、これらの視点(➀自己肯定感の育成、➁無関心の克服と協働の促進、➂対話の心構えの養成)から人々は、地域の出来事や課題あるいは「まちづくり」について、多様な人々との緩やかなネットワークを構築する。そしてまた、その過程で人々は、主体的・協同的に学び、新たな価値や役割を見出すことになる。付記しておきたい。
Ⅲ
アンチ・アンチエイジングの思想が示す「老い」論
―上野千鶴子著『アンチ・アンチエイジングの思想』のワンポイントメモ―
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「人間、役に立たなきゃ、生きてちゃ、いかんか」(259ページ)。「生きるのに、遠慮はいらないわよ!」(266ページ)。「人は人の手を借りて生まれ、人の手を借りて死んでゆく。そういうものだ。そのどこが悪いのか」(301ページ)。「安心して要介護になれる社会を!」(275ページ)。
〇筆者(阪野)の手もとに、上野千鶴子著『アンチ・アンチエイジングの思想――ボーヴォワール『老い』を読む』(みすず書房、2025年4月。以下[1])がある。「老いは文明のスキャンダルである」。これは[1]の冒頭の一文であり、上野がシモーヌ・ド・ボーヴォワール(Simone de Beauvoir, 1908-1986)の『老い(La Vieillesse)』(1970年)から受け取った核心的なメッセージである。人は皆、老い、衰え、やがて依存的な存在になる。これは、誰も抗(あらが)うことのできない普遍的な自然のプロセスである。しかし、現代の文明(社会システムや価値観の総体)は、この老いの現実を無価値なもの、恥ずべきものとして捉える。そして、そこから逃避し、それを拒否し、隠蔽しようとする。PPK(ピンピンコロリ)という理想の強要や、認知症予防という自己責任論の拡散などがそれである。老いを避け、若さ(自立)を維持・追求することを至上命題とする思想・価値観(「アンチエイジング」)こそが、人間存在の根源的な事実を無視した恥ずべき現代文明の言語道断な事実・欠陥(「スキャンダル」)である。これが上野の主張である。
〇上野は、「老人」についてこう言う。老人は老人として生まれるわけではない。加齢にしたがってやがて老人になる。ここまでは自明である。だが人は単に老人になるのではない。人は、長い間「他者」として蔑視してきた当の老人に自分自身が変貌したことを認めざるを得なくなる(「老いとは他者になる経験である」(7ページ))。そして、社会が押しつける老人のカテゴリーにしぶしぶ同意し、いわば二級市民であることに同意したときに初めて、ホンモノの「老人になる」のである(21、86、93ページ)。
〇そして、言う。「高齢者が好奇心を失わず、前向きに生き、死ぬまで成長を続ける(ことに価値がある)という高齢者観こそ、エイジズム(年齢差別)と呼ぶべきではないのか」(226ページ)。「人は老いる。老いれば衰える。加齢は成長と衰退の過程、『生涯発達』とか『生涯現役』といったかけ声をわたしは信じない」(261ページ)。「エイジズムの背後にあるのは、『生涯現役思想』こと効率と生産性優位の価値観である」(252ページ)。「ひとは依存的な存在として生まれ、依存的な存在として死んでいく。それなら『老い』に抗うアンチエイジングの自己否定的な試みよりも、老いを受容するアンチ・アンチエイジングの思想が、今ほど必要とされている時代はないのではないだろうか」(226ページ)。
〇ここで、次の一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
エイジズムとアンチ・アンチエイジング:人は老い、衰え、依存のなかで尊厳を持って生きる存在である
私たちはセクシズム(性差別)の被害者でもあるけれど、エイジズム(年齢差別)の被害者でもある。/わたしたちは「若い(あるいは年齢より若く見える)ことが価値であるような社会に住んでいる。若い者ももはや若くない者も、その価値を内面化している。だからこそ、「お若いですね」が高齢者に対する「ほめ言葉」になり、高齢者もそれをうれしがる。/若さを維持するためのアンチエイジングは、健康食品やサプリメント、スポーツジム、ファッション、コスメなどさまざまな業界で一大市場を形成しており、高齢者たちはそれに虚しい投資を続けている。いわば自己否定のための投資というようなものだ。(13ページ)/アンチエイジング(老いや衰えを否定的に捉える思想・高齢者観:阪野)がこれほどに世の中に浸透した思想ならば、わたしたちはそれに対抗しなければならない。だからこそ、アンチ・アンチエイジング(老いによる弱さや依存を肯定的に捉える思想・高齢者観:阪野)なのである。(14ページ)
児童福祉と高齢者福祉:高齢者福祉は社会的「姥捨て」の制度的保障でもある
「子供は未来の現役であるから、社会は彼に投資することによって自分自身の未来を保証するのに反し、老人は社会からみれば執行猶予期間中の死者にすぎない」(ボーヴォワール)/児童福祉には根拠がある。次世代の生産性の担い手を育てることだからだ、他方、ただ死んでいくのを待つだけの高齢者には、何の生産性もない。/「なぜ老人を介護するのか」と問いを立て、答えを「人格崇拝」と「社会連帯」に求める立論は、わたしを納得させるものではないし、この問いに明快なこと答えを出した者はいない。だが、ともあれ、高齢者への社会福祉が世界的に進んできたことは確かである。(172ページ)/高齢者福祉には、なにがしか家族から高齢者を切り離したいという「姥捨て」(うばすて)の要素が見られる。すなわち高齢者福祉とは社会的「姥捨て」の制度的保障――それもみじめでない程度の――と考えてもよい。そして「みじめさ」の程度は、当該の社会が判定する。(174ページ)
自立と依存:社会は依存のネットワークであり、自立とは依存先の分散である
介護保険法にいう「自立」とは「依存のない状態」手っ取り早くいえば介護保険を使わないか、そこから「卒業」することを言う。他方、障害者総合支援法にいう「自立」とは、支援を受けながら何をしたいかを自己決定することを言う。(299~300ページ)/(高齢者と障害者の)「自立」と「自律」、「介護」と「介助」の違いは、障害者の権利が障害者による当事者運動の成果だったのに対し、高齢当事者による権利運動が存在しなかったことによる。(301ページ)/自覚するにせよしないにせよ、人は依存の網の目のなかで生きている。自分が依存される立場にも依存する立場にもあることを、認めたらよい。依存が悪なのではない。依存を可能にしない/できない社会が悪なのだ。(298ページ)/自分がしたいことをできない時。人に頼って何が悪いか。人に助けてもらったからといって、その人の言いなりになる必要は少しも無い。(300ページ)/人は老いる。老いて衰える。やがて依存的な存在になる。人は人の手を借りて生まれ、人の手を借りて死んでゆく。そういうものだ。そのどこが悪いのか。(301ページ)/
〇最後に、例によって、以上の言説を「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて一言しておきたい。それはこうである。市民福祉教育はこれまで、高齢者に関して、「お年寄り」に対する「思いやりの心」の育成や「互いに支え合う地域共生社会」の創造を強調してきた。上野の言説に依拠すれば、思いやりの心の育成という情操教育や道徳教育の視点は、老いることを非効率的で非生産的な現象として否定的に捉える社会構造を温存させ、自立を絶対視し、依存を悪とする思想を追認することにならないか。地域共生社会の創造というまちづくり学習や市民性教育の視点は、高齢者に対し、依存しない自立を要求し、地域貢献に取り組む生涯現役の高齢市民を要請することにならないか。
〇そこで、市民福祉教育は、高齢者を保護の対象と見なす一面的で情操的な単なる思いやり教育から脱却する。そして、老い、衰え、依存する存在としての高齢者の尊厳を「他者に依存する権利」として構造的・制度的に保障する社会システムへの変革を志向する。そのためのエイジズムへの権利意識と社会システムの理解を深め、それに基づいて「安心して老い、互いに頼り合えるまちづくり」に取り組むための教育へと転換する必要があろう。
追補
上野千鶴子「老い」論の深層
―辺見庸著『コロナ時代のパンセ』のワンポイントメモ―
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〇本稿は、<雑感>(248)阪野 貢/アンチ・アンチエイジングの思想が示す「老い」論―上野千鶴子著『アンチ・アンチエイジングの思想――ボーヴォワール『老い』を読む』(みすず書房、2025年4月)のワンポイントメモ―/2025年10月24日/ の追補である。
〇筆者(阪野)の手もとに、芥川賞作家・ジャーナリストである辺見 庸(へんみ・よう)の本『コロナ時代のパンセ――戦争法からパンデミックまで7年間の思考』(毎日新聞出版、2021年4月。以下[1])がある。[1]は、「戦争法」(安保法制)から新型コロナウイルスのパンデミックに至る、「人倫の根源が抜け落ちた危機の7年間」(帯)の時代を辺見が凝視し、その疑いを鋭い思索(パンセ)として綴ったエッセイ集である。
〇ここでは、<雑感>(248)の追補として、[1]から、おのれの無知と無関心を問う「オババと革命」、おのれがケアされる哀しみについて吐露する「西瓜のビーチボール」、そのエッセイの一節をメモっておく(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
不可視化される「オババ」:無知と無関心を問う
駅近くをあるいていると、よく蓬髪短躯(ほうはつたんく)の老婦人をみかける。わたしはかのじょを心のなかで(失礼ながら)オババと呼んでいるのだが、見かけよりはよほど若いのかもしれない。ゴム草履を履き、襤衣(らんい)ながらも、背筋をぴんとのばしてスタスタと忙しげにどこかへとむかっている。その姿をみるたび、ああ、きょうは元気そうだなとホッとする。どうじに、さまざまな感情が胸に渦巻く。このひとの塒(ねぐら)はどこなのだろう。どうやって生活しているのか。身よりはないのか。支援者はいるのだろうか‥‥‥。そして、はっと気づく。オババにかんするそうした疑問が、わたしにとって、ほんとうは、けっして切実ではないことに。/すれちがい、ワンブロックもあるかぬうちに、わたしはかのじょのことをあらかた忘れているのである。だいいち、わたしはかのじょの面立(おもだ)ちをまったくおぼえていない。声も知らない。名前も知らない。そして、かのじょについてなにも知らないことが、わたしの気分をなにがなし〝楽〟にしているのかもしれないと心づく。(170ページ)/わたしはオババを知らない。目をあわせたこともない。かのじょを天才的だとおもったことはある。快も不快も、わたしになんらの印象ものこさない。その身のこなしと目差し、気息(きそく)において、けだし天才的ではないかと。ちがう! わたしがかのじょの名前はおろか面差(おもざ)しも知らないのは、よくよくおもえば、わたしがかのじょを正視せず、なにも問うたことがないからだった。(172ページ)
〇辺見は、まちなかで見かける「オババ」に対し、その存在や生活を「切実ではないこと」として遠ざけ、無知と無関心によって自分が精神的に〝楽〟になっていることを自覚する。この個人的な無知や無関心は、上野が批判する「アンチエイジンの思想」の根底にある、「老い」や「弱者」を意識的に排除・遮断する現代社会の構造を、個人の内面レベルで反映したものと言える。
抵抗する「ビーチボール」:ケアされる哀しみ
介護老人保健施設に通いはじめて1カ月、目も気持ちもずいぶん慣れてきた。/施設にあっては他者の発見より、おのれを見なおすことのほうが多いかもしれない。総合着座体操というプログラムがあって、わたしのような通所者と諸症状のひかくてき重い車椅子の高齢入所者がいっしょになって着座したままラジオ体操などの運動をする。先日はラジオ体操のあと、西瓜の模様のビーチボールをつかい、女性指導員が意外なトレーニングをはじめた。なにかの童謡を口ずさみながらリズミカルに歩きまわり、ビーチボールを参加者に手わたして問う。「冷たいの反対はなーに?」。ビーチボールを持たされたおばあちゃんが嬉々として答える。「あったかい!」。「あたりい!」と指導員。/わたしはドキドキする。西瓜のビーチボールがこちらに回ってくるのではないか。いや、まさかそんなことはあるまい、と自己内問答。まさか点‥‥‥の根拠には<わたしは〝かれら〟とちがうのだから>があった。思わずハッとする。このばあいの〝かれら〟は、かれらなんかという区別か差別のニュアンスが滲(にじ)んでいたからだ。なんということだ!じぶんに舌打ちする。心がざわざわする。(中略)西瓜のビーチボールがわたしの膝にのせられた。<脳トレ質問>がだされる。/「明るいの反対はなーに?」/胸のなかに鉄の玉ができて、焼けるほど熱くなる。まっ赤になって胸のなかでゴロゴロ転がる。われながらたまげる。激怒しているのだ、わたしは。明るいという形容詞の反対はなにかとためらいもなく問うあなたは、わたしをかれらなんかといっしょにしているのだな。なんという無礼! 目が焔(ほむら)を噴(ふ)いた。/わたしはじぶんの怒りのはげしさにだじろぐ。にしても、なぜこんなにも憤るのか?おそらく、認知症と混同されたことだけではない。ここにかれらなんかといっしょにいること、そうせざるをえない心身の老い。それに焦っているじぶん。そして、どうしようもなく末枯(すが)れてゆくなりゆきをまだ諦観できないじぶんにいらだって、かれらなんかとじぶんを懸命に区別しようとし、同時に、他人にも区別してもらいたがったのである。目がうるんでくる。風景が掠(かす)れる。(199~201ページ)。
〇辺見は、「老い」を生きる自分が個としての尊厳を失い、「かれらなんか」として十把一絡げに同じ要介護者として扱われる屈辱に激しく抵抗する。この「老い」に伴う不安や主体性の喪失感の赤裸々な吐露こそ、上野の「アンチ・アンチエイジングの思想」、すなわち「老い」の否定的な意味合いを転換しその価値を肯定することの重要性を力強く裏付けるものと言える。
〇以上踏まえ、一言したい。辺見が描く「オババ」に対する無知と無関心と、「老い」に伴う尊厳の喪失への抵抗に対して、「老い」を自分の生の一部として能動的に捉え、主体的な生の課題として引き受ける意識や姿勢を育むことが肝要となる。そして、自己の尊厳を守り抜く主体的な生き方を可能にするため、「老い」についての社会的・思想的な学びを求め深めることが求められる。これは、「市民福祉教育」の重要な教育内容のひとつとして位置づけられるべきである。特に、「老い」を生きる高齢者自身が、これまでありがちであった福祉教育の一方的な客体(思いやりの対象)としてではなく、自己の重要な学習課題として「老い」に主体的に向き合う側面は、市民福祉教育の根幹をなす教育内容として確立されるべきであろう。
Ⅳ
「ごみ屋敷」考:「ごみは、
人がごみと認識したときにごみになる。」
―梅川由紀著『ごみと暮らしの社会学』のワンポイントメモ―
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〇筆者(阪野)の手もとに、梅川由紀著『ごみと暮らしの社会学―モノとごみの境界を歩く―』(青弓社、2025年5月。以下[1])がある。[1]では、ごみを単なる解決すべき環境「問題」としてではなく、日常生活に密着した「生活文化」として捉える(「問題としてのごみの研究」から「生活文化としてのごみの研究」へ)。そのうえで、「現代日本の都市部に住む人々にとって、家庭から排出されるごみはどのような存在なのか」を明らかにする(27ページ)。具体的には、「ごみとモノの境界がどこにあるのか、時代によってその境界がどう揺れ動いてきたのか、ごみとモノの価値の違いとは何なのか」などについて、多くの雑誌や資料の分析、ごみ屋敷におけるフィールドワークを通して論述する(カバーそで)。
〇その際、梅川にあっては、モノには、「機能的価値」、「心情的価値」、「可能性的価値」という3つの価値が存在する。「機能的価値」とは「モノがもつ機能面に対する価値」(279ページ)、「心情的価値」とは「モノに与えた個人的な思い出や意味に対する価値」(281ページ)、「可能性的価値」とは「モノを所有することで得られるだろう未来の可能性に対する価値」(282ページ)をいう。モノは、この「3つの価値のいずれか、あるいは複数の価値をもつ対象(物品)」である。一方、ごみは、「モノの3つの価値を失ったもの、あるいは価値を放棄した対象(物品)」である(293ページ)。そして、梅川は、「モノとごみの間に存在し、完全にモノやごみとは言いきれない、あいまいな価値をもつ状態」(54ページ)、別言すれば「モノの3つの価値の一部を有し、一部を失った対象(物品)」(293ページ)として「マージナルな対象(物品)」というカテゴリーを想定する。それは要するに、モノとごみとの曖昧な境界領域(マージナル)に存在する中古品やリユース品などである。
〇また、梅川は[1]で、高度経済成長期の生活様式の変化によってごみと人間の関係、ごみとモノの境界がどのように変化したか、その社会的プロセスを追究する。例えば、掃除機の普及によって、掃除の仕方が「掃き出す」から「吸い取る」へ変わり、チリやホコリがごみとして意識されるようになる。その背景には、住宅構造の変化などがある。冷蔵庫の普及によって、食品を「冷やす」だけでなく「保管」することが可能になり、買いすぎや作りすぎなどによる余剰品を生み出すことになる。その背景には、食の洋風化や女性のライフスタイルの変化、マイカーの普及などがある(181ページ)。また、プラスチック製品の普及によって、モノの「古さ、汚れ、傷」を「味や風合い」ではなく劣化と捉え、使い捨ての行動を加速させることになる(210ページ)。その背景には、大量生産・大量消費の経済システムの確立や、耐久性よりも利便性や衛生・清潔を重視する社会意識の変化などがある。
〇続いて梅川は、こうしたモノとごみの境界が曖昧になり、モノの価値を放棄できない人々が抱える問題として、「ごみ屋敷」問題に焦点を当てて論を展開する。すなわちこうである。1968年には存在していたと考えられるごみ屋敷という現象が、大きく社会問題化したのは2006年頃からである(221ページ)。その問題性については、①防災・防犯機能の低下、②ごみなどの不法投棄の誘発、③火災の発生の誘発、④土壌汚染や水質汚濁のおそれ、⑤病害虫・悪臭の発生、⑥風景・景観の悪化、などが指摘されている(辻山幸宣。224~225ページ)。
〇ごみ屋敷の住人にとって、堆積された物品はごみではなく、上述の心情的価値や可能性的価値を放棄できずにいるマージナルな対象(物品)であるケースが多い。現代社会は物質的な豊かさと情報過多を特徴とし、物品やサービスの効率的な消費や短期間での更新(アップグレード)が絶えず求められる。その結果、たとえそのモノに潜在的な価値が残っていたとしても「価値を放棄する能力」(断捨離や整理能力)が社会的な規範として強く求められている(291~292ページ)。従って現代社会では、ごみ屋敷に堆積するこうしたマージナルな対象を「廃棄物=ごみ」と見なし、公的な介入による処分を促す。また、そのような合理的な行動をとることが「ふつう」と理解され、社会の機能維持に不可欠な規範として作用するのである(294ページ)。
〇すなわち、ごみ屋敷の住人は、現代社会の支配的な価値観(社会規範)、すなわちモノとごみを厳密に区別し(「モノとごみの二極化」303ページ)、廃棄することを前提とする消費社会に対して対抗的に応答する人である。その人がモノの価値を放棄できない要因は、社会的孤立やセルフ・ネグレクト(自己放任)といった生活上の課題、精神疾患(「ためこみ症」)や認知機能の低下などが複合的に絡み合って生じている(226~232ページ)。そして、この問題のより深い背景には、現代社会が抱える大量生産・大量廃棄の構造的な問題が横たわっており、ごみ屋敷は社会のひずみが個人に表れた現象として理解されるべきである。
〇およそ以上が、梅川の主張・言説のひとつのポイントである。ここから、ごみ屋敷の問題は、単なる個人的な迷惑行為ではなく、また単に「ごみを片づける」という表層的な対処に留まるものではない。そこには、その住人の価値観を尊重し、生活に寄り添いながら、生活支援や精神的ケア、地域とのつながりの再構築などを図る「福祉的対応」(238~239ページ)が不可欠となる。そして、持続可能で実効性のあるそのような支援を地域全体で実現するためには、「まちづくりと市民福祉教育」の視点・視座が重要となる。すなわち、「ごみ屋敷」問題は、地域社会全体で支え合うべき「まちづくり」の課題である。とともに、モノとごみに対する社会意識(すなわち生活文化)を変革し、住人に対する偏見やスティグマの解消を図って地域共生社会の基盤を築くための「市民福祉教育」の課題でもあるのである。
Ⅴ
―奥田知志著『わたしがいる あなたがいる なんとかなる』のワンポイントメモ―
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「生きる意味のない “いのち”」なんて、あってたまるもんか
〇筆者(阪野)はかつて、本ブログに<雑感>(70)「“助けて”と言えない無縁社会」×「“違った意見”が言えない統制社会」:気がつけば民主主義が民主的な手続きによって内側から壊れている―奥田知志を読む―/2018年12月25日/本文 をアップした。今回、久しぶりに、奥田知志の新刊『わたしがいる あなたがいる なんとかなる―「希望のまち」のつくりかた―』(西日本新聞社、2025年8月。以下[1])を読んだ。
〇奥田は、北九州市において、30年以上にわたり生活困窮者支援の最前線に立ち続けてきた。[1]は、その活動の歩みから、支援の現場で培われた思想・哲学、そして誰も取り残さない「まち」をめざす未来への提言までを綴った随筆を集成したものである。それは、北九州市の特定危険指定暴力団の本部事務所の跡地という「怖いまち」の象徴だった場所を、「なんとかなる」「希望のまち」に再生する物語である。
〇いま、孤立と分断、困窮と格差、偏見と差別が常態化している。自己責任や身内の責任が必要以上に強要され、「助けて」と言えない人が増えている。自分だけ良ければいいという「自分病」(79ページ)が蔓延している。そんな構造的な問題を抱える現代社会にあって、奥田が理事長を務める認定NPO法人「抱樸(ほうぼく)」では、人と人との横の「つながり」を大切にし、「出会いから看取りまで」という伴走型支援を実施してきた。そしていま、「誰もひとりにしない」まち、「なんちゃって家族」のまち、「助けて」と言えるまち、の実現をめざして、(「なんとかする」ではなく)「なんとかなる」を合言葉(モットー・哲学)に「希望のまち」プロジェクトの推進を図っている。奥田は言う。「『希望のまち』は、『縦の成長』を羨望しつつも『横の成長』で共存するまちでありたい」(235ページ)。
〇「誰もひとりにしない」まちは、「ハウスレス(経済的困窮)」のみならず「ホームレス(社会的孤立)」の解消を最大の目標とする(174ページ)。「なんちゃって家族」のまちは、「家族機能の社会化」によって、家族でもなんでもない赤の他人が温かく緩やかにつながって日常を共に過ごす新しい家族の形を築く場をめざす(224~226ページ)。「助けて」と言えるまちは、誰もが「助けて」と言え、「助けて」と言われる相互扶助・支援や相互実現の関係性が機能する社会の実現をめざす(240ページ)。そして、「希望のまち」は、「助ける」と「助けられる」という営みが「いいかげん(ちょうど良い加減)」になるなかで創られ、どんな人も取り残すことのない「地域共生社会」を言う(245ページ)。
〇その「地域共生社会」について奥田はこう言う。それは奥田からの愛あるメッセージであり、奥田の確かな覚悟である。
われわれは、お互いが「共感不可能」の中に生きている。それを認めることが「共生」の始まりだ。いわば「共感不可能性の共感」である。/今、世界は「わかりやすさ」を軽薄に求めているように見える。「敵か味方か」「白人か有色人種か」。性的マイノリティーを侮辱し、多様性を否定し、他の民族や文化をヘイトする。「意味のないいのちと意味のあるいのち」と簡単に言う。「わかりやすい分類」は「分断」に過ぎない。/「別の人間」が「別の人間」として共存する。そのとき「別の人間である」あなたを尊重し、出会いを喜ぶことができるか。「わかりにくさ」、つまり「不可解性への耐性」が今求められている。それこそが相互豊穣の契機となる。/抱樸が創る「希望のまち」は「別の人間」が集まる場所。「別人」であることを喜べる場所。自分は自分のまま生きていてよい場所。わかりにくいが、面白い場所。(中略)そんなまちを創りたい。(267~268ページ)
〇およそ以上が、奥田の主張・言説のひとつのポイントである。それを、「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて一言(別言)しておきたい。
〇奥田にあっては、人はその複雑さゆえに、互いの存在を完全に理解するには限界がある。人を安易に二項対立的に分類したり、ある概念に押し込めることはできない。それぞれが、それぞれの違いを認め合い、理解できないそれぞれの部分も受け入れることが真の「共生」の土台となる。この考え方を市民福祉教育の観点から捉え直せば、真の共生を実現するための市民福祉教育は、この「不可解性」を学ぶ教育でなければならない。その目的は、自分にとって「不可解」な他者を排除せず、その存在を尊重できる市民的資質・能力を育成すること(市民性形成)にある。これは、「多様性」や「共生」を表面上・抽象的に語る姿勢を超え、生きづらさが社会構造的に常態化している現実と対峙することに繋がる。そして、この「不可解性の受容」を出発点として、誰もが生きやすい土壌を地域に耕し、構造的な変革としての「まちづくり」を推進することが、いま、真に求められているのである。「対峙」とはただ向き合うことだけではない。自分をつくり変え(再構築)、まちをつくり変える(再設計)、「創造のプロセス」を言う。
〇奥田はいま、「誰もひとりにしないまち」の実現をめざして、「希望のまち」づくりを進める。建物・施設としての「希望のまち」は、救護施設や交流スペースなどの複合的な機能を内包しながら、「地域の中に施設がある。施設の中に地域がある」(259ページ)という、日常に開かれた空間をめざすものである。この「まち」の重要な機能は、「なんちゃって家族」の関係性の創出であり、「助けて」と言い合えるコミュニティを地域に根差した日常の生活圏で構築することにある。この思想は、特別な活動ではなく、誰もが孤立しない何気ない日常を創り出すことにある。この点を市民福祉教育に落とし込むならば、そのための教育的営為(市民福祉教育)は、特定の施設・機関や活動のなかだけにあるのではなく、日常の生活圏全体を学びのフィールドとして、みんなの生涯にわたる “ふだんのくらし” のなかでこそ育まれるべきものである。
〇また、奥田が言う「なんとかなる」は、無責任・無批判な楽観論ではない。また、「なんとかする」という自己完結的な責任論でもない。それは、「わたしがいる あなたがいる」から「なんとかなる」という、他者への信頼を基盤とし、人と人との関係性(「つながり」)のなかで共同体的な問題解決を志向するものである。市民福祉教育の文脈では、市民一人ひとりが困難に直面した際に、自己責任論に陥ることなく、誰かとつながっていれば「なんとかなる」と信じられる地域的な安心感を醸成する営みと言える。この安心感こそが、誰もが「助けて」と言える「希望のまち」(みんながつながるまち)を築く土台となるのである。
補遺
本ブログの<雑感>(235)に、新美一志/福祉教育における「当事者性」と「相互主体性」に関する一考察―松岡広路、阪野貢、鯨岡峻の言説をめぐって―/2025年6月22日/本文 がアップされている。併せて参照されたい。
5つの物語
―思想とメッセージと覚悟―
発 行:2025年12月15日
著 者:阪野 貢
発行者:田村禎章、三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所