〇1970・80年代の東京都における「福祉教育研究」(報告書)で注目されるものに、東京都社協の「福祉教育研究委員会」(委員長・一番ヶ瀬康子、1970年度~1973年度)がまとめた『社会福祉の理解を高めるために』と、「福祉教育推進研究委員会」(委員長・大橋謙策、1985年3月~1987年12月)がまとめた『学校における福祉教育を考える―都内中学校・高校の実践をとおして―』がある。ともに総合的かつ実践的な検討が行われ、福祉教育の必要性と重要性が提起されるとともに、福祉教育実践の理論的先鞭がつけられた。
〇前者は、1970年11月に東京で開催された「昭和45年全国社会福祉会議」の第3専門委員会において「社会福祉の理解を高めるために―教育と社会福祉―」というテーマのもとに、福祉教育について研究協議されたことを契機にするものである。報告書は3部からなり、1971年3月、1972年7月、1974年3月にそれぞれ刊行された。そこでは、住民の社会福祉への認識を高めるためには、住民自身による主権者・生活者としての問題発見、生活経験学習が必要であり、福祉教育を住民の自主的学習権として捉えている。
〇初年度の報告書『社会福祉の理解を高めるために―福祉と教育―』(1971年3月)では、社会福祉の理解を高めるための「社会福祉教育」を、民主的「市民教育」として捉え、「生活権保障を実質化するための教育」として性格づけている。そして、福祉教育を展開するうえでの要点や課題について言及している。以下は、しばしば引用される一節である(3~5ページ。一部抜き書き)。それは、福祉教育実践の視点や「構成要件」を示している。
〇後者は、「福祉教育研究委員会」の研究の流れに続くものであるが、1977年度から始まる「児童・生徒のボランティア活動普及事業」(国の名称は「学童・生徒のボランティア活動普及事業」)の取り組みを踏まえたものである。内容的には大きく4部からなっている。第1は、福祉教育実践研究の視点で福祉教育の必要性を学校教育と社会福祉の立場から説き、福祉教育の基本的な考え方について述べている。第2は、学校教育現場における福祉教育実践を活動形態別にまとめ、福祉教育の進め方について述べている。第3は、学校における福祉教育を進めるうえで、社会福祉施設・家庭・社協に求められる条件整備や役割について述べている。そして第4は、それらの点を踏まえて、今後の福祉教育推進上の留意点や課題などについて述べ、提言を行っている(8ページ)。
〇ここでは、委員会での議論をふまえてまとめられた「福祉教育の概念」と、福祉教育実践の「構成要件」についての記述を紹介しておくことにする(31~32ページ)。
〇なお、東京都社協は、上記の報告書の刊行後、広報誌『福祉広報』(第189号、1984年8月。第352年、1988年3月)に福祉教育研究委員会(一番ヶ瀬)での研究の経緯や内容の概要について、また福祉教育推進研究委員会(大橋)に参加した現場教員らによる座談会の様子を報じている。参考に供しておく。
〇東京都教育庁指導部は、『福祉教育指導資料』を1983年3月と1986年3月に作成・配布した。前者は、「福祉教育の基本的な考え方を示すとともに、各学校種別ごとに学習指導要領に基づいて指導内容とその扱い方の例等」(1ページ)を中心に編集されている。後者(「第2集」)では、「福祉教育の内容を更に具体的にするため、各校種別の各教科・領域における実践事例を示すとともに、東京都社会福祉協議会の『児童・生徒のボランティア活動普及事業』協力校の実践事例及び関連資料」(「はじめに」)をまとめている。
〇本稿では、東京都社協の『研究報告書』と東京都教育庁指導部の『指導資料』の一部を紹介することにする。なお、私事にわたるが、筆者(阪野)は1985年7月から1995年7月の期間、東京都社協「社会福祉協議会職員研修」(「福祉教育」)の講師を務めさせていただいた。東京ボランティアセンター(現・東京ボランティア・市民活動センター)の初代所長・吉澤英子先生や2代目所長・山崎美貴子先生先生、福祉教育担当であった森本佳樹さんなどには格別のご指導とご厚情を賜った。感謝である。吉澤先生には、全国児童館連合会(現・児童健全育成推進財団)でもお世話になった。
(1)東京都社協・福祉教育研究委員会『社会福祉の理解を高めるために―福祉と教育―』(福祉教育研究委員会報告)1971年3月、「まえがき」「委員名簿」「目次」、1、3~7ページ(抜粋)
(2)東京都社協・福祉教育研究委員会『社会福祉の理解を高めるために―住民の社会福祉問題の認識に関する調査報告―』(福祉教育研究委員会報告)1972年7月、「まえがき」「委員名簿」「もくじ」「はじめに」(抜粋)
(3)東京都社協・福祉教育研究委員会『社会福祉の理解を高めるために―社会福祉の学習と実践について―』(福祉教育研究委員会報告)1974年3月、「まえがき」「目次」、1ページ(抜粋)
(4)東京都社協『福祉広報』第189号、1974年8月、1~4ページ(抜粋)
(5)東京都教育庁指導部『福祉教育指導資料』1983年3月、「はじめに」「目次」、3~5ページ(抜粋)
(6)東京都教育庁指導部『福祉教育指導資料』(第2集)1987年3月、「はじめに」「目次」、3~5、28、50、70、72ページ(抜粋)
(7)東京都社協『学校における福祉教育を考える―都内中学校・高校の実践をとおして―』(福祉教育推進研究委員会報告書)1988年3月、「あいさつ」「もくじ」「はじめに」「委員名簿」、17~36、113~119、165~168ページ(抜粋)
(8)東京都社協『福祉広報』第352号、1988年3月、2~7ページ(抜粋)
〇「あの頃の福祉教育、その記憶と記録」は、ブログ読者のご意見やご要望もあって、10回を重ねた。1970年代から1980年代(一部1990年代)にかけての福祉教育は、組織化や制度化の道程にあり、理論化や体系化も緒についたばかりであった。しかし、そこには、福祉や教育が抱える多様で複雑な課題を解決するために、強い熱意と信念をもった実践家や研究者が互いの実践や研究から学び合い、新しい福祉教育を創り出す“喜び”と“楽しさ”、そして何よりも“輝き”があった。
〇日本社会はいま、政治や行政、福祉や教育などの多くの局面において、「劣化」や「瓦解」が進んでいる。「地域共生社会」について云々(うんぬん)するどころではない。2018年8月、中央省庁や地方自治体、さらには裁判所などによる障がい者雇用の水増しの実態が白日のもとにさらされた。それは、「障がい者の存在を否定すること」につながり、「一億総活躍社会」「働き方改革」「女性の社会進出」そして「我が事・丸ごとの地域共生社会づくり」などもすべて画餅に帰す事態である。なお、障がい者雇用制度では、特定子会社の雇用を親会社の雇用とみなし、障がい者を特殊な職場環境に追いやることができる。それは、ノーマライゼーションの理念に反するものでしかない。
〇2年前の2016年7月、日本中を震撼させた相模原市の障がい者施設殺傷事件が起こった。障がい者の雇用問題にしろ施設殺傷事件にしろ、これらはヒトが「よりよく生きる」(ための福祉と教育)以前の、「ただ生きる」(ための福祉と教育)の意味を問うている。日本社会では、高尚な理念の空転(「言葉のお守り的使用」:鶴見俊輔)が続き、偏見・差別・抑圧は何ら解消されていない。むしろ、新たな偏見や差別が顕在化してきている。一言でいえば、「日本社会が危ない」(破局的事態)。
〇そうしたなかで、今回の連載は、あの頃の高揚感を思い出し、豊かで快適な地域・社会づくりの担い手を育成する「福祉教育」(「市民福祉教育」)の原点に立ち返り、その基礎・基本について再確認や再認識することの必要性や重要性を痛感していることによる。それは「歴史に学ぶ」ことを意味する。そしてその底流には、稚拙ながらも、筆者の「市民福祉教育は福祉と教育の根幹をつくる」という思いや考えがある。
付記
国レベルの動きに関する資料を紹介しておきたい。
資料1は、全社協「要望書(案) 『福祉教育』を学習指導要領に位置づけて下さい」(1984年5月15日)である。文部省への提出が予定されていたが、結果的には提出されなかった。資料2は、厚生省社会局「福祉教育のあり方について(要望)」(1984年5月31日)である。自民党内の「教育問題連絡協議会」に提出された。資料3は、全社協(会長・灘尾弘吉)から臨時教育審議会(会長・岡本道雄)に提出された「教育改革に関する提案について」である。それを報じた福祉新聞の「社説」が資料4である。
なお、時期が前後するが、周知の通り1977年2月17日、厚生省社会局長・児童家庭局長名で文部省初等中等局長に宛てて「福祉教育のあり方について(要望)」が提出された。
その全文は、本ブログの「ディスカッションルーム」(78)「あの頃の福祉教育、その記憶と記録(9):栃木県社会福祉教育センターによる「社会福祉教育」―資料紹介―/2018年8月20日」で紹介している。参照願いたい。
資料1 全社協/要望書(案) 「福祉教育」を学習指導要領に位置づけて下さい/1984年5月15日
資料2 厚生省社会局/福祉教育のあり方について(要望)/1984年5月31日