「仲間とつながりハッピーに生きる」:「共感」とは心に人を住まわせることである。その心に定員はない。―金森俊朗の「いのちの授業」を読む―

〇金森俊朗(かなもり・としろう)が2020年3月に亡くなった(享年73)。金森は、1969年3月に金沢大学教育学部卒業後、石川県内の小学校(小松市立小学校1校、金沢市立小学校7校)で38年間教鞭をとった。1990年前後から本格的に、「いのちの授業」(「性の授業」「デス・エデュケーション」等)に取り組んだ。それは、教育界のみならず医療や福祉の世界でも全国的に注目を集めるようになる。
〇金沢市立南小立野(みなみこだつの)小学校4年1組の「金森学級」(35人、10歳の子どもたち)が、2002年4月から1年間、NHKテレビの長期取材を受けた。それが翌2003年5月、「NHKスペシャル・こども輝けいのち 第3集・涙と笑いのハッピークラス~4年1組 命の授業~」というタイトルで放映された。それは、多くの人々の感動を呼び、国際的にも高く評価された。
〇筆者(阪野)の手もとに、金森の「いのちの授業」(教育実践とその思想)に関する本が8点ある(しかない)。以下がそれである。

(1)NHK「子ども」プロジェクト『NHKスペシャル こども 輝けいのち/4年1組 命の授業―金森学級の35人―』日本放送出版協会、2003年9月(以下[1])
NHK「子ども」プロジェクトの取材記録である。そのときのディレクターは言う。「放送後、5年生になったみんなと会う機会があった。番組を見たみんなの気持ちは、たぶん陽くんの言葉が一番うまくまとめている。『おもしろかった。たしかにおもしろかったけどな、オレらの1年間はもっと重たいもんやで』。ぐうの音も出なかった」(156ページ)。続けてディレクターは、「学校が持つ可能性、そして子どもたちが本来持っている力は、まだまだ捨てたものではないはずなのだ。実は私は、(全国の学校に)そのことを伝えたかった」のである、と言う(157ページ)。
(2)金森俊朗『いのちの教科書―学校と家庭で育てたい生きる基礎力―』角川書店、2003年10月(以下[2])
金森学級では、①給食の一限目、食材の一つひとつと丁寧に向かい合う。②“包”むという漢字から、母親の心を学ぶ。③友だちの家族が亡くなったら、共に死を考える。④父母、祖父母に話を聞いて、自分史を人体図にまとめる。⑤末期ガンの患者や障がい者と、じかに語り合う。⑥どろんこサッカーや川への飛び込み、自然のなかで激しい遊びをする。⑦日々の気持ちは仲間に宛てて、「手紙ノート」に書く。これらによる「いのちの学び」は、学校と家庭で育てたい「生きるための基礎力」である、と金森は言う(カバー「そで」)。
(3)NHK「子ども」プロジェクト編『NHKスペシャル こども・輝けいのち:ジュニア版2 涙と笑いのハッピークラス』汐文社、2004年6月(以下[3])
[1]のジュニア版である。金森学級の朝は、「手紙ノート」から始まる。毎日3人ずつ交代で、クラスメイトに宛ててノートに手紙を書く。家で書いてきたその手紙を、みんなの前で読んで聞かせる。テーマは「なんでもいい」。金森は言う。「みんながやったのは、自分をわかってもらって、そして友だちをわかろうという、そういうわかり合う努力でした」(99ページ)。金森授業の核心のひとつは「つながり合う」である。
(4)金森俊朗『希望の教室―金森学級からのメッセージ―』角川書店、2005年4月(以下[4])
本書では、どこの地でも、誰でも実践しうる基本的な日常の学びが提示される。金森は言う。「私はあえて『ガキはガキらしくせい』と繰り返し言い続けた。この場合の『ガキ』とは、もっと自分にこだわり、わがままを通そうとして激しくぶつかってもいい、一見『馬鹿げたフェスティバル文化』(ボディー・コミュニケーションの遊びや活動)をいつでもどこでも展開していいよ、との意味を込めて使ったことばである」(249ページ)。
(5)金森俊朗『子どもの力は学び合ってこそ育つ―金森学級38年の教え―』(角川oneテーマ21)角川書店、2007年10月(以下[5])
「子どもたちもいっぱい悩みを抱えている」。「どのような親・教師・学校が子どもの生きる力を育てるのか」。その問いに対して金森は、「これからは、危険や災害を見通し、備える力・いざというとき瞬時に判断する力・人と人とをつないで協力する力・困難の中でなけなしの条件を引き出す力が必須である」。それらの力=真の学力は、学び合ってこそ育つ。本書では、その力を習得、発揮するための具体的なプロセスを開示する(「帯」)。
(6)金森俊朗『金森俊朗の子ども・授業・教師・教育論』子どもの未来社、2009年1月(以下[6])
金森にあっては、「子どものリアリティから学び、人間を深く捉える」。「子どものなかに社会や時代を読む」ことが、教師としての最低要件である。「子どもの内面世界を無視した外からの『モラル』『規範意識』の徹底に、子どもたちはストレスや悲しみを自他いずれかに向かって爆発させる。社会と時代の痛みを共に背負う深い人間的な共感があってこそ、働きかけの厳しさは子どもに受容され、力につながる」のである(294、295ページ)本書では、金森授業の教育観と哲学、実践の神髄が語られる(「帯」)。
(7)金森俊朗『「子どものために」は正しいのか』(学研新書)、学研教育出版、2010年10月(以下[7])
「子どものために」という親心が子どもを追い詰めている? 子どもの個性は、「できること」にしか認められず、「できたか、できなかったか」の成果主義評価の下で悩む現代の子どもたち。厳しい現実を生き抜くために、今本当に必要な力とは?(カバー「そで」)。この問いに対して、「金森学級には理想の子どもたちがいる」と言う。①年間数千ページの本を読む。②外で友たぢと豊かに関わり遊ぶ。③家族と自分、仲間を大切にする。④高度な言語力と思考力れをもつ、がそれである(「帯」)。
(8)金森俊朗・辻直人『学び合う教室―金森学級と日本の世界教育遺産―』(角川新書)、KADOKAWA、2017年4月(以下[8])
金森にあっては、子どもは「自ら学び、友と学び合う」ことこそが「生きる力」であると分かっている。金森学級では、子どもたちが「学ぶ力」だけでなく、仲間と学び合う、競争社会を超える「生きる力」を身につける。その金森実践の根底・源泉には、日本の教育史上で“非主流”とされてきた生活綴方教育・生活教育がある(カバー「そで」)。共著者である辻は、その歴史や理念について説述し、それに基づく金森実践の本質に迫る。生活綴方教育・生活教育は「世界教育遺産」として誇られるものであり、今日の教育状況のなかでこそ、その教育が大きな意味をもっている、と辻は言う。

〇本稿では、以上から、筆者が注目したい金森の子ども観や教育観、教育実践とその思想などをめぐって、視点・視座や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「つながり合う」と「生きる希望」
生きるということは、仲間と「つながり合う」ことである。([2]12ページ)/子どもたちが何よりも求めているのは、学ぶことの喜び、友と学び合う楽しさ、学ぶことの意義を実感することである。/それをひと言で、「生きる希望」と呼ぶ。学校は、生きる希望や夢を学ぶことによって、横並びの関係性([8]116ページ)のなかで学び合うことによって、子どもを育む場である。/この「仲間と共に希望を育む学び」に力を入れることは、決して「学力」に重さを置く教育と対立するものではない。それを内に含みつつ、はるかに超えて、生きる力に直結した言語能力や思考能力を育てていく。それが、確かな学力ともなる。/今の教育改革は、子どもを集団からばらばらにして、競争させ、自己肯定感を奪い、一緒に生きよう! という「共同の思想」をつぶすものである。([2]16ページ)

「学び合う」と「いのち輝く」
学力とは、自分と自分を取り巻く世界を読み解き、それを自分のことばで表現し、他者に伝え、交流し合う力である。その学力は、自分の存在やこれから生きる社会や自然にどのような希望があるかを見出す力として発揮されなければならない。([4]166ページ)/(すなわち)自分の真実を知り、感動した心を自分のことばで表現し、他者に伝え、伝えたことによって、返ってきた他者の考えに耳をすませ、さらに確かなものにする。つまり、交流し合う力があって初めて学びが得られるのであり、その交流し合う力まで含めて「学力」と呼ぶ。/(そこから)教育とは、自分が深くわかる、つまり人間を理解するということが、その目的であると言ってよい。それは、「いのち(が)輝く」ことであり、そのために一番大事なことは、本物の生きざまに触れ、生の大切さを学び([2]23ページ)、人間の存在の尊厳を学ぶという視点を持つことである。([5]139ページ)

「子どもの生命力」と「生活教育」
教育とは、子ども(人間)が内に持っている成長・発達の可能性を引き出し、大きく育む営みである。([8]20ページ)/現代の子どもも、動物・哺乳動物としての原始性・野性・動物性を心身の奥に秘めている。([8]26ページ)/それは、過酷な条件のなかでも生き抜くことができる逞(たくま)しい心身の力であり、生活意欲や、命の危険を察知・予知し危険を乗りこえたり、避けたりする力である。五感を中心とする鋭い感覚や感性などを意味する。([8]30ページ)/それらが全面的に発揮される時と場所を保障すれば、子どもはまちがいなく、全身、全運動・感覚器官から喜びを放射し、友とつながり、生活意欲を高める。それは、学習意欲、表現意欲・表現力、好奇心、集中力,切り替える力などを高める。([8]37ページ)/その可能性を大きくきり拓(ひら)く教育の中心柱は、生活綴方教育であり、その土台をなす生活教育である。([8]44ページ)/生活綴方教育とは、生活のありのままの様子や日頃の思いを素直に記録することを追求した作文教育である。([8]171ページ)/生活教育とは、子どもの生活実感や経験、日常生活における場面を大事にして行われる教育実践である。([8]185ページ)

「キャッチャー」と「ピッチャー」
教育実践はもちろん、子どもに関わる仕事をしている人たちは、「キャッチャー」である。子どもは「ピッチャー」で、さまざまな球を投げてくる。([4]7~8ページ)/人間が生まれて生きるのは、それぞれが幸せになるためである。そのために学校があり、人間は学び合っている。/「仲間と一緒にハッピーに生きようぜ!」。([5]173ページ)/その思いを実現するために、大人はキャッチャーになって、子どもがピッチャーとして投げる好奇心、日々の生活からの学び、内面の喜怒哀楽を全人格と全人生をかけて受け止め、豊かに返球する。すなわち、子どもに根ざした意味ある学びと生活を創造することが大切である。/「豊かな返球」のなかでも、特に大切にしていて特徴的なのは、フェスティバル文化論である。学習や行事は、人と人とをつなげ、フェスティバルのように楽しく感動的でなければならない。([5]173~174ページ)

「ボディー・コミュニケーション」と「馬鹿げたフェスティバル文化」
「(土砂降りの雨が降った日、泥水のなかに飛び込む)どしゃぶりどろんこ」「(運動場に書いたS字の陣地を、片足跳びなどで移動しながら取り合う)エスケン」「(厳冬期のプールでの)イカダ乗り」「(田んぼでの)米作りや農園作り」「障がい者や妊婦・末期がん患者らとの交流体験」など、「もの・こと・人・自然とのボディー・コミュニケーション(体感・体験)」の活動([8]32ページ)は、一年間で多彩に展開する。/「どしゃぶりどろんこ」や「エスケン」「イカダ乗り」を典型とする活動をあえて、「馬鹿げたフェスティバル文化」と呼ぶ。([4])245ページ)/一見「馬鹿げた」文化は人間が持つ攻撃性を発散させたり、豊かに育むために必要なものである。とりわけ子どもにとって、その文化は、人間が本性として持つ攻撃性を、積極性や挑戦心や人や自然と交わる力に転化し、育む大きな役割を持っている。([4]247ページ)/一見「馬鹿げた」文化は、本来子どもたちに、子どもであるがゆえに無条件に保障されるべきものである。([4]248ページ)

「共感」と「共育・響育・協育」
心拓(ひら)いてわかってもらえる努力をし、それを聞いた側がキャッチする。その時に、それを批評しない、分析しない。自分のなかにある同じ悲しみ、痛み、悩みを語る。それによって一緒に担って一緒に歩いていこう、友だちのなかに自分を、他者のなかに自分を、自分のなかに他者を発見し合って生きる。それが「共感」である。いま、その関係性を築くことが求められている。(「6」60ページ)/そこから、教育は「共育」「響育」「協育」と言い換えてもよい。([8]252ページ)/「全人格と全人生(を)かけて聞かなきゃ言ってくれない」「聞いてくれる人、聞いてくれる仲間がいれば言う」。/心の世界、「聞いてくれる人」、授業でも同じである。心の世界になるともっと、とことん聞いてくれる人にしかしゃべらない。心の扉は外側から引っ張っても、開けようとしても開かない。本人が内側から開けてくれないと。心の扉は内側にしか取っ手がないのである。(「6」100ページ)/その点でまた、教育は、子どもを通して浮き彫りになる保護者の実像に、深く共感する営みである。保護者や地域の積極的な応援・協力を必要とする。そこから、子どもと保護者、そして地域が協働して「学び」を創るために、教師の人間性や専門性、市民性や社会性が問われることになる。(「6」286、287~288ページ)

〇金森の「いのちの授業」はシンブルであり、根源的である。約言すれば、「いのち」には何の約束も保証もない。しかも、一回限りである。子どもたちは、さまざまな「生」や本物の「生きざま」に直に触れ、自ら学び、多くの友だちや大人との「つながり」のなかで学び合う。それによって、「生きている自分」と「生かされている自分」に出会い、人間の多様な存在と個人の尊厳について理解する。そして、自分らしく、またみんなが輝いて生きる喜びを実感する。「金森実践」は、こうしたことを子どもの心に「原風景」として刻み、「生きる希望、源泉」([7]204ページ)を育むのである。そこに見出すキーワードは、「いのちと生活」「表現と共感」「学び合いと感動」であり、それらに通底するのは「つながり合う」である。
〇本稿の冒頭に記したNHKの番組では、奥深い、感動的な学びの場面が多い。2003年2月、金森学級では、「いのちの授業」が続いていた。そんなある日、翼(つばさ)くんの父親が突然に亡くなった。光芙由(みふゆ)さんは、3歳の時に父親を奪われた。3月20日、金森学級の「しめくくりの会」(「お別れ会」)の日の様子である([1]152~153ページ、[3]96~98ページ)。金森実践の真骨頂を見る。

クラスのみんなは一人ひとりが板きれを持って運動場に集合した。光芙由と翼のお父さんに手紙を書くためだ。2メートル四方の大きな文字を運動場に刻む。
どのように手紙を出すかについて、はじめは気球に乗せて空に飛ばすという案も出されたが、時間的に間に合わないということもあり、「天国からでも見えるような」大きな手紙ノートを書くことになったのだ。
運動場の土は、思ったより硬くなかなか掘れない。「と」や「ち」など画数が少ない文字を掘り終えた子は、漢字に苦戦している仲間の応援に加わった。
手紙ノートの文章は、健太(けんた)が中心となって考えた。
光芙由のお父さんも翼のお父さんも若くして亡くなった。光芙由や翼をどんなに心配していることだろう。考えに考え抜いた言葉は、結果として、金森学級みんなの誓いの手紙となった。

光芙由と翼のお父さんへ
二人はいつも元気だ
私たちがそばに
いるから安心してね

書き終わった後、みんなでいっしょに、この手紙ノートを読みあげた。祐人(ゆうと)がぽつりとつぶやいた。
「死んでしまったら普通の手紙は届かないけど、心の手紙はきっと届くと思う」

付記
本稿を草することにしたきっかけのひとつは、次の記事にある(『岐阜新聞』2020年6月7日付朝刊)。