社会力と市民福祉教育

福祉や教育の世界において、「生きる力」をはじめ「社会力」「地域力」「福祉力」「教育力」などの言葉・用語が多用されている。それは、その表現が端的であるがゆえに、多くの人びとに受け入れられやすいからであろう。しかし、その内実については、必ずしも構造的・体系的かつ実践的に十分に明らかにされているわけではない。「○○力」の用語については、響きのよい、単なるスローガンとしてのそれにとどめないためにも、その概念のより一層の深化と総合化、科学化と体系化を図るとともに、その「力」を育成し向上させるための具体的な実践プログラムの研究・開発を進めることが求められる。
「生きる力」は文部科学省が好んで使う言葉である。それは、1996〈平成8〉年7月の第15期中央教育審議会答申(第1次)―「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」で提唱されたものである。そこでは、生きる力は、(1)確かな学力―知識・技能に加え、自分で課題を見つけ、自ら学び、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力、(2)豊かな人間性―自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、(3)健康・体力―たくましく生きるための健康や体力、などからなるとされた。また、その答申を受けて、小・中・高等学校に「総合的な学習の時間」が新設された(小・中学校は2002〈平成14〉年度、高等学校は2003〈平成15〉年度から実施)。しかし、その後、いわゆる「ゆとり教育」が子どもたちの学力の低下や学習の階層分化などを引き起こしたとして政策転換が余儀なくされ、授業時間数・学習内容の増加や道徳教育の推進などが図られ、それに反して「総合的な学習の時間」についは授業時間数が削減された。
ここで取りあげる「社会力」(social competence)は、門脇厚司(かどわき あつし、教育社会学者)が提唱する言葉(造語)である。門脇によると、社会力とは「社会を作り、作った社会を運営しつつ、その社会を絶えず作り変えていくために必要な資質や能力」のことをいう(『子どもの社会力』岩波書店、1999年、61ページ)。その社会力の基盤になる能力は、①「他者を認識する能力」と②「他者への共感能力ないし感情移入能力」の2つである。①の他者認識能力とは、「社会生活をともにしている人たちがそれぞれどんな社会的位置を占めて行動しているかが分かる」とともに、「相手の立場に立って、あるいは相手の身になって、ものごとを見たり考えたりすることができる」ということである。②の他者への共感能力(感情移入能力)とは、「相手の立場や相手がおかれている状況についての理解があり、また相手がそのような立場と状況にあって、何を考え何を欲しているかも分かっている、それゆえに、その相手に対して同情的かつ好意的な感情を寄せることができることをいう。『思いやり』という言葉があるが、まさに相手に対して好意的な『思い』を『遣〈や〉る(送る)』ことといってもいい。」(『子どもの社会力』65~67ページ)。そして、門脇は、文部科学省が唱える「生きる力」には社会力が含まれており、「社会力は『生きる力』の核である。」「社会力は学力である。」「社会の現状に関心を持ち、社会の運営にかかわり、社会をよりよくする営みにもコミットしようという態度が身についてさえいれば、結果として、基礎的な学力も高くなるし、そういう結果になるのは理にかなっている。」とする(『社会力がよくわかる本』学事出版、2005年、220~231ページ)。
また門脇は、こんにち、「非社会化」「社会化不全」現象が一層強まり、かつ地域的にも年齢的にも広まりをみせているなかで、共に生きることを是とし核とする共生社会―「互恵的協働社会」(「社会を構成する誰もが、一人ひとりの能力の多寡にかかわらず、お互いに自分の能力を他の人たちのために役立て活用することで成果をあげ、成果を分かち合うことで互いに感謝し感謝されることを喜びにして生きていける社会」)の実現を図る必要がある。それは、「人が人とつながり、社会をつくる力」である社会力を育てることで十分可能である、とする(『社会力を育てる』岩波書店、2010年、208ページ。下線は阪野)。
ここで、門脇がいう「互恵的協働社会」について一言すると、それは抽象的、観念的に過ぎて具体性に欠け、体系性や科学性に限界や問題がないとはいえない。とともに、その社会を創造し、運営、変革するための条件や方策・方法等についての言及も必ずしも十分ではない。そこにあるのは、「協働の精神」を育成するための教育の必要性をめぐる言説のみである、ともいえる。社会力の形成は、主体的・能動的・自律的な子どもから大人までの住民による、住民主導の、「下から」のものでなければならない。従来型の行政主導の、「上から」のものにでもなれば、集団主義的・全体主義的教育に偏向する危険性が全くないとはいえない。留意しておきたい。
さて、門脇にあっては、「社会力が欠けているのは何も若い世代だけではなく、先行世代である大人たち自身が相当に社会力を欠いているのが現状である」(『子どもの社会力』64ページ)。低下・衰弱した子どもや若者の社会力を形成・育成するためには、子どもや若者が他者、とりわけ大人とかかわり、継続的に「相互行為」(interaction)することが必要かつ重要となる。「他人(ひと)との交わりが人間(ひと)を育てる」のである。併せて、「大人こそ子どもの友だち」「大人の愛情が社会力の温床」「大人の適切な応答が不可欠」であり、そうでなければならないのである(『社会力がよくわかる本』109~153ページ)。端的にいえば、「社会の成員が互いに他者に関心と愛着と信頼感をもつ」ことである(『子どもの社会力』70ページ)。なお、門脇のいう相互行為とは、「互いに、相手から働きかけられたその内容に影響されて行為を返し、次に相手が自分に返してくる行為に影響を与える意図をもって相手に行為を返す、という行為の取り交わし」のことである(『社会力を育てる』115ページ)。相互行為は、社会力とともに門脇の言説の重要なキー概念である。
さらに門脇は、まちづくりと社会力に関して次のように述べている。「近い将来、地方主権が現実になるということは、地域の福祉(well-being)が向上し、住みよいまちになるかどうかは、他でもない、住民自身の自覚と責任にかかるということです。そのとき、真っ先に問われるのは住民一人ひとりがどれだけ社会力を身につけているかになるはずです。言葉を替えれば、住民がどけだけしっかりと人的ネットワークを築き、そして地域のために知恵や口を出すと同時に、そこでともに生きる人びとのために自ら汗を流し(労力を提供し)、金を出すか(身銭を切るか)にかかるということです」(『社会力を育てる』229ページ)。この点に関して門脇は、多少具体的に、「社会の今後のあり方を根本的に考え直し、社会の改革に取り組む」ためには、次のようなことが求められるという。それは、「人間や社会への強い関心であり、社会の仕組みを解剖する能力であり、あるべき社会を考えデザインする構想力であり、何よりそうした社会を作り運営していく能力と意欲である」(『子どもの社会力』71ページ。下線は阪野)。こうした能力や構えが、「社会力」である。
なお、門脇は、社会力と市民性(citizenship)に関して、社会力の行き着くところはシティズンシップ(市民としての資質と能力)であるとして、次のように述べている。「社会を構成している人間として、その運営に積極的に関わっていくということが『社会力があること』だとしたら、まさにシティズンシップがあるということだと言ってもいい。」(『〈大人〉の条件』岩波書店、2001年、181ページ)。
以上を要するに、門脇は、『子どもの社会力』(岩波新書、1999年12月)以来、「社会力」に関する著作を矢継ぎ早に刊行して地域や学校で社会力を育てる必要性や重要性を説き、「『社会をつくり、社会を変えていく力』こそ真の学力である」という学力観に立って、「産業社会に役立つ人間を育てる教育から脱却して、個々の人びとの善き生と社会の健全な発展を両立させる教育へと一刻も早く、教育の目標を転換しなければならない」とするのである(『社会力を育てる』158、171ページ)。 
ここで、この点に関して、木原勝彬(きはらかつあきら、ローカル・ガバナンス研究所)の「住民自治力・市民社会力の強化による地域再生」をめぐる次の言説を紹介しておきたい。
第2期地方分権改革(2007〈平成19〉年度~)の目標は、「国から地方への本格的な権限と税財源移譲による充実した地方自治の確立であり、住民自治力・市民社会力に支えられた市民主権型自治体の構築にあるのではないだろうか。ここでいう住民自治力とは、地域の課題解決力、地域に必要な公共サービスの供給力、地域の意思形成・決定力、地域の軌範(「規範」―阪野)形成力、関係主体との協働力で構成される地域住民の『自律と自己統治』力である。また、市民社会力とは、公共セクター・市場セクターから独立する、市民活動、コミュニティ活動、NPO活動などの市民的公共圏を担う市民セクターとしての力量で、上記の住民自治力を基盤に政策形成力、連帯力、対抗力で構成される。連帯力とは、市民セクターを構成する多様な活動団体間の共感・協力・連携力であり、社会の結束力でもある。対抗力とは、公共セクター・市場セクターへの異議申し立て、アドボカシーなどによる批判力である。地方分権時代の自治体像である市民主権型自治体の構築は、民主主義の理想である『市民による、市民のための、市民の政府』の実現にあり、市民・NPO・コミュニティ組織等が、政治的意思決定、政策形成、公共サービスの供給、行政評価などに、主権者の責務として直接的に関与する市民統治型自治体の創造にある。」(木原勝彬「市民主権型自治体への道―住民自治力・市民社会力の強化による地域再生―」コミュニティ政策学会編集委員会編『コミュニティ政策』第5号、東信堂、2007年、3ページ。下線は阪野)。
門脇のいう「社会力」の育成や「互恵的協働社会」の創造、木原のいう「住民自治力・市民社会力」の強化や「市民主権型自治体」の構築をより確かで、豊かなものにするためには、個々の住民(個人的実践主体)の主体形成のみならず、それを集団的実践主体や運動主体へと育成・向上させることが求められ、そのあり方が厳しく問われる。それはまさに、市民福祉教育に課せられた大きな課題である。そしてそれは、子どもから大人まで、社会から孤立したり社会的に排除されている人びとを含めたすべての地域住民がかかわることを必要とする福祉の(による)まちづくり、換言すれば「誰も排除しない、されないまちづくり」が要請されていることによる。