先日、インターネット上の次のようなニュース記事が目に飛び込んできました。
ダウン症児外し入学式写真 長野の小学校、校長がおわび
長野県内の公立小学校で今月初めの入学式での新入生の集合写真をめぐり、同校にも通うことになった特別支援学校のダウン症の男児が外れた写真と、加わった写真の2種類が撮影された。校長が男児の母親に対して提案した。校長は、「配慮が不足していた」として男児の両親におわびした。
筆者(阪野)は過去に、ある特別支援学校の「学校評議員」を5年ほど務めたことがあります。上の記事をみて、学校評議員に就任した初年度の、最初の「学校評議員会」に出席した際に配付された資料のことが思い出されました。その資料は、保護者や学校関係者に配付する『学校だより』でしたが、そこには 1 か月ほど前の卒業式の集合写真が掲載されていました。その写真をみるとなんと、一人の卒業生の顔の部分がマジックで黒く塗りつぶされていました。それは親の意向に基づく、先生方の万やむを得ない “処置” であったとのことですが、怒りと悲しみ、そして虚しさがこみあげてきました。席上、その感情を抑えることができませんでしたが、上の記事をみていま、「またか……!」という思いがしてなりません。
学校評議員制度は、学校(教員)と家庭(保護者)と地域(住民)が連携・協力しながら教育活動の活性化を図り、地域に開かれた学校づくりを推進することを目的に、2000年4月に導入されたものです。学校評議員には、学校運営に関して多様な意見を幅広く開陳することが求められます。しかし、筆者が務めた5年間では、学校評議員会は各年度わずか2回の開催で、しかも短時間の授業参観と教育活動についての簡単な状況報告を受け、「学校評価アンケート」に答えるというものでした。学校評議員制度そのものと学校当局の取り組みに疑問を感じたのは、筆者だけではなかったのではないか。そんなこともいま、思い出しています。
周知のとおり、福祉教育には、①学校を中心とした福祉教育(学校福祉教育)、②地域を基盤とした福祉教育(地域福祉教育)、③社会福祉専門教育(社会福祉教育)、という3つの領域があるといわれてきました。①の領域の、児童・生徒に対する福祉教育を実施するに当たっては、先生方の障害観や障がい者観、それに福祉観などが厳しく問われることになります。しかし、これまで、学校の先生方に対する型通りの「福祉教育研修」は行われてきましたが、先生方を教育対象にした「福祉教育」については十分に言及され、系統的に実施されてきたとはいえません。また、教員免許取得希望学生たちが、一部の「介護等体験」を除いて、「福祉」にふれる機会はほとんどありません。こうしたことが上の記事や、筆者が経験したような事態を生ぜしめるひとつの要因になっている、といえるのではないでしょうか。
最近、岡本榮一先生(大阪ボランティア協会)が、雑誌『ふくしと教育』(第16号、大学図書出版、2014年2月)で、「福祉教育の展開領域」として次の4つの領域を提示しています。①成長期の学童向けの福祉教育、②一般成人向けの福祉教育、③専門職養成の福祉教育、④大学生向けの福祉教育=福祉国家論、がそれです。筆者も以前から、その内容(「福祉国家論」)については岡本先生の見解とは若干異なりますが、④の領域の必要性を痛感しています。
独立した「福祉教育」の授業科目を開設する福祉系大学が極めて少ないこともまた、大いに気になるところです。
福祉教育は “人間の尊厳” を追求する「人権教育」を基本として成り立つ意図的な教育活動である、と理解されてきました。そこには、福祉教育は “仲間をつくり、仲間を大切にし、仲間外れをつくらない” ための教育実践である、という意味も含まれています。最後に、この点を改めて確認しておきたいと思います。