まえがき
2012年6月25日にウェブサイト(「市民福祉教育研究所」)を開設して10年が経った。当初は勝手気ままな運営・管理であったが、多くの方々のご指導とご支援を得て、それなりの体裁を整えることができるようになった。長らくご厚誼をいただいている皆様には感謝あるのみである。
筆者は5、6年程前から、ブログの読者層を福祉教育に関心をもつ大学の学部生に絞りこんで拙稿を草することにしている。「講義録」、そのメモ(草稿)である。本冊子は、それらのうちから、38本の拙稿を収録したものである。収録に際しては、改題や若干の加筆修正をほどこしている。また、日本福祉教育・ボランティア学習学会に参加した際の、次のような感想や問題意識のもとに収録している。
日本福祉教育・ボランティア学習学会第25回北海道大会(2019年11月)
「自由研究発表」や「課題別研究」報告などでは、ひとえに筆者の浅学菲才によるものであるが、「心を揺らす」報告はさほど多くはなかった。新味のない(使い古された)テーマについて、場所や組織、人を替えただけの、あるいは横文字や権威づけられた(古めかしい)過去の言説を多用した議論では、福祉教育実践や研究の推進は望むべくもない。歴史的・社会的・文化的実践であるはずの福祉教育実践をめぐって、その現場から乖離(かいり)した抽象的な言葉・概念や思考をこねくり回すのも、然りである。そこからは、原理や理論のない、視野が狭く定型化され、矮小化された実践が生み出されるだけである。そうした福祉教育実践さえも、厳しい時代状況に押しつぶされようとしている(されている)。意図的にか無意識的にか、それを理解・認識しない実践者(あるいは実務家)や研究者がいる。また、お互いの「傷」をなめ合い、慰め合っている人たちもいる。そこからは、福祉教育実践や研究の「展望」や「未来」は見出せない。
そこで、いま求められるのは、歴史的視点や哲学的思考を重視しながら、福祉教育とは「そもそも何か」、それは「いかにあるべきか」「いかに取り組むべきか」を、危機的な現場や生々しい実践との関わりのなかで本質的・根源的に問い直すことである。「理論と実践」の関係性について探究することなく、単なる「実践(事例)」研究にとどまりがちな福祉教育研究の現状も気にかかる。
日本福祉教育・ボランティア学習学会第24回あいち・なごや大会(2018年11月)
「分科会」(自由研究発表)に参加した際、ある種の懸念や危惧が筆者の頭をよぎった。福祉教育実践や研究は、その基軸である地域性と共働性をはじめ、多様性と共通性、学際性と総合性、創造性と変革性などについての「知」と「心」と「力」の育成・共有を確かなものにしてきたか。その取り組みはタコツボ化し、硬直化しているのではないか、というのがそれである。多少具体的にいえば、福祉教育は、① その成立基盤であり構成要素でもある科学的な「社会認識」の形成、② その理念や思想とされる「社会的包摂」や「共生社会」についての単一的思考からの解放、そして③ その地域・社会の真の「あるべき姿」を展望し未来(あす)を切り開く「市民性」(市民的資質・能力)の育成、などをめぐる問題点や限界についての懸念や危惧である。
日本福祉教育・ボランティア学習学会第23回長野大会(2017年11月)
福祉教育はこれまで、一面では、子どもと高齢者、健常者と障がい者、ICIDH(国際障害分類)とICF(国際生活機能分類)、排除と包摂、対立と共生などの「二項対立」的な「分かりやすさ」のなかで論じられ、取り組まれてきた。その際、「協同実践」(参加者が相互に学び合う関係性)の重要性が指摘されながらも、主体と客体の関係性を前提にしがち(なりがち)であった。しかも、「包摂」や「共生」の概念的・抽象的な思考や理解にとどまり、日常の地域生活場面においてその感覚化や行動化を促すことに、必ずしも主体的・積極的であったとは言えない。
そしていま、「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」の実現が声高に叫ばれるなかで、「包摂」や「共生」が未だ「お守り言葉」(鶴見俊輔)として使用されている感がある。それは、人々を「思考停止」に陥らせたり、ある種の「刷り込み」を可能にする恐れなしとしない。その要因や背景については、① 福祉教育が自らの思想や哲学について十分に言及せず、実践(実践科学としての性格)を重視(尊重)してきたこと、② 福祉教育がその固有性や自律性を十分に追究せず、学習内容や方法が確固たるものになっていないこと、③ 福祉教育が「政治」(福祉政治と教育政治)と対峙する議論を十分に展開せず、未整理の部分が多いこと、などを挙げることができる。
それらの結果として、福祉教育は、政府・行政主導による福祉・教育改革の推進が図られるなかで、以前にも増して、統制的で定型化された実践活動が展開されている(されようとしている)。それはちょうど、国や県が建設・管理する道路のルートに沿って、カーナビの指示通りに車を走らせる「ヒト」(福祉教育)のようでもある。先日、筆者が長野県上田市からの帰途、心地よいスピードで、自動運転車にでも乗っているような気分のなかで思ったことである(蛇足ながら、筆者の車は絶滅危惧種のマニュアル車である)。
日本福祉教育・ボランティア学習学会についてはこれまで、格別の思いをもちながら、実に多くのことを学び、経験させていただいた。そこで多少なりとも身に付けてきた筆者なりの福祉教育実践・研究についての視点や知識、経験などはすでに、時代遅れのものになっている。そうした認識に立って、新たな視点や論点のもとでさんざんな現在(いま)を終わらせ、未来(あす)に向けて、「まちづくりと市民福祉教育」の新たな地平を拓いていただきたい、というのが本冊子のタイトルに込めた願いである。
市民福祉教育研究所の主宰者や共同研究者、そして多くの読者の皆様方には、引き続き倍旧のご厚誼を賜りますようお願い申し上げます。
2022年6月25日/阪野 貢
ⅰ~ⅱ
ⅲ~ⅳ
01/福祉教育を哲学するための初学
―糸賀一雄・阿部志郎・大橋謙策の言説から―
現在社会福祉の社会科学は混迷のうちにその理論的責任を放棄しがちである。それに代わって社会福祉の「価値」は一人歩きをし、ある種の無政府状態にある。「福祉の心」等が氾濫し、ソフトな精神が説かれている。戦争前夜や世紀末に、そのような精神は「慰籍」(いしゃ:なぐさめいたわること)にこそなれ、反福祉の対抗力になり得なかったことを、15年戦争で経験したことである。(吉田久一『日本の社会福祉思想』勁草書房、1994年10月、まえがき、ⅲページ)
行政は「思想」や「理論」ではなく、「思想」や「理論」に対して、行政は「禁欲」的でなければならない。社会福祉にあっては、むしろ行政と「思想」は「教育」も含めて、緊張関係が望ましい。(吉田久一『同上書』214ページ)
〇筆者の手もとに「哲学」に関する本が2冊ある。三谷尚澄(みたに・なおずみ)の『哲学しててもいいですか? ―文系学部不要論へのささやかな反論―』(ナカニシヤ出版、2017年3月。以下[1])と広井良典(ひろい・よしのり)の『福祉の哲学とは何か―ポスト成長時代の幸福・価値・社会構想―』(ミネルヴァ書房、2017年3月。以下[2])、がそれである。
〇いま、文部科学省によって、「大学改革」という名のもとで、教員養成系・人文社会科学系「学問」の「不要論」がうたわれている。また、「学問」ではなく、「実践力」の養成に特化した職業訓練機関(「専門職大学」)や資格取得機関への転換が図られている。それは、「社会」的要請によるものであるというが、その際の「社会」は(政治に大きな影響力を持つ)「財界」のことを意味する。
〇こうした潮流に対して、[1]で三谷はいう。「頼るもののない時代のただなかに、拠って立つべき足場をもたないままに放り出された人間は、どうやって日々をしのいでいけばよいのだろう。(中略)そんなときだからこそ、それほど立派でも力強くもない人間にも届くことのできる倫理の言葉を探しておく必要があるのではないか。そして、その点において、(中略)哲学と呼ばれてきた知的営みがきわめて大きな知的貢献を行なうことができるのではないか」(81~82ページ)。「論理的・批判的に思考する」能力と「箱の外に出て思考する」能力(「異質なもの」や「自分とは違った考え方や意見」に対する「感受性」や「耐性」。さまざまな状況に柔軟に対応するために必要とされる「器量」)の育成(120、151ページ)、「市民的器量(civic virtue)」「哲学の器量を備えた市民」の育成(105、195ページ)などを目的とする教育がこの国の大学から姿を消すことがあってはならない、と。
1
〇政治と社会の右傾化、福祉の私事化と教育の国家統制が進んでいる。こうした現在の社会情勢のなかで、「いつか来た道」論が唱導される。しかし、その「危機」は、「時代の繰り返し」であり、歴史の繰り返しではない(吉田久一『日本社会事業思想小史―社会事業の成立と挫折―』勁草書房、2015年10月、はしがき、ⅴページ)。新しい歴史をつくるのは、草の根の民主主義であり、歴史的で社会的な内容を失うことのない「市民」による組織的・体系的な活動や運動である。
〇[2]の広井にあっては、「ポスト成長時代」の日本社会は、(a)政府の借金の際限なき累積と将来世代へのツケ回し、(b)人々の「社会的孤立」の高さ(「無言社会」)、の“危機”状況にある。と同時に、「新たなつながり」やネットワーク化を志向する動き(「関係性の進化」「関係性の組み換え」)がみられる。このような状況においてこそ、「人々の行動や判断の導きの糸となるような、新たな価値原理や社会構想が求められている」。いま、「福祉の哲学とは何か」が問われるところである(まえがき、ⅱ~ⅲページ)。なお、[2]では、「福祉」を積極的ないしポジティブな営みとして捉え、「幸福」や「公共性」「宗教」「コミュニティ」「生命」などとの関わりについて多面的・多角的な思考を展開している。それは、これまでの「福祉思想」や「福祉思想研究」とは異なる「新たな視点」からのアプローチであり、「独自の考察と構想」を提起するものでもある。付記しておく。
〇もはや旧聞に属するが、「福祉の思想や哲学」といえば筆者は先ず、「この子らを世の光に」「発達保障」の糸賀一雄(いとが・かずお)と、「ボランティアの互酬性」「コミュニティ重視志向の地域福祉」の阿部志郎(あべ・しろう)を思う。糸賀は、「福祉の実現は、その根底に、福祉の思想をもっている。実現の過程でその思想は常に吟味(ぎんみ)される。(中略)福祉の思想は行動的な実践のなかで、常に吟味され、育つのである」(糸賀一雄『福祉の思想』日本放送出版協会、1968年2月、64ページ)という。阿部は、「福祉の哲学は、机上の理屈や観念ではなく、ニードに直面する人の苦しみを共有し、悩みを分ちあいながら、その人びとのもつ「呻き」(うめき)への応答として深い思索を生みだす努力であるところに特徴がある」(阿部志郎『福祉の哲学』誠信書房、1997年4月、9ページ)と主張する。二人はともに「実践的思想家」であり、それは、先駆的な現場実践(キリスト教福祉実践)を通して形成された幅の広い、奥行きの深い「福祉の思想」であり「福祉の哲学」である。なお、周知のように、「世の光」とは新約聖書(「マタイによる福音書」)の「山上の垂訓(説教)」のひとつである(「あなたがたは世の光である」)。「互酬」とは「贈与と返礼」の社会的相互行為を意味する。
〇本稿では、[1]と[2]を読んだことをきっかけに、糸賀の「この子らを世の光に」という言葉と阿部の「互酬と地域福祉」についての言説を改めて、『福祉の思想』と『福祉の哲学』から確認することにする(抜き書きと要約)。
2
糸賀一雄:「この子らを世の光に」
(精神薄弱児の教育は)彼らについて何を知っているか、彼らにたいして、また、彼らのために何をしてやったかということが問われるのでなく、彼らとともにどういう生きかたをしたかが問われてくるような世界である。(51ページ)
この子らはどんなに重い障害をもっていても、だれととりかえることもできない個性的な自己実現をしているものなのである。人間とうまれて、その人なりの人間となっていくのである。その自己実現こそが創造であり、生産である。私たちのねがいは、重症な障害をもったこの子たちも、立派な生産者であるということを、認めあえる社会をつくろうということである。「この子らに世の光を」あててやろうというあわれみの政策を求めているのではなく、この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよみがきをかけて輝かそうというのである。「この子らを世の光に」である。この子らが、うまれながらにしてもっている人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬということなのである。障害をもった子どもたちは、その障害と戦い、障害を克服していく努力のなかに、その人格がゆたかに伸びていく。3才の精神発達でとまっているように見えるひとも、その3才という発達段階の中味が無限に豊かに充実していく生きかたがあると思う。生涯かかっても、その3才を充実させていく値打ちがじゅうぶんにあると思う。(177ページ)
この子たちは、自己実現という生産活動ばかりではなく、もうひとつ別な新しい生産活動をしている。心身障害をもつすべてのひとたちの生産的生活がそこにあるというそのことによって、社会が開眼され、思想の変革までが生産されようとしているということである。ひとがひとを理解するということの深い意味を探究し、その価値にめざめ、理解を中核とした社会形成の理念をめざすならば、それはどんなにありがたいことであろうか。(178ページ)
阿部志郎:「互酬」と地域福祉
哲学という言葉は、「知恵の探求」という意味である。哲学は、答えそのものによってよりも、むしろ問いによって性格づけられる。哲学は学問の一分野であるが、「学問」が「問いを学ぶ」「問われて学ぶ」という字で構成されているのは興味深い。(9ページ)
福祉の哲学とは、福祉とはなにか、福祉はなにを目的とするか、さらに人間の生きる意味はなにか、その生の営みにとって福祉の果たすべき役割はなにかを、根源的かつ総体的に理解することであるが、それには、福祉が投げかける問いを学び、考えることである。それはニードの発する問いかけに耳を傾けることからはじまる。(9ページ)
3
互酬は、親族・地域共同体を維持するための不可欠な行為で、今でもアジアの共同体は互酬で成り立っている。戦後の日本社会では、共同体は封建遺制として否定され崩壊の途をたどったのに、目標とするコミュニティは未だつくられていない。でも、互酬は生き続ける。香典、香典返し、結婚祝い金、引き出物、中元、歳暮の風習は、ヨーロッパ社会ではまったくみられない。しかし、共同体を維持する機能としての互酬は失われ、かつアジアの互酬を支える宗教性も日本社会にはないのが実態だ。(92ページ)
互酬制と近代型福祉、さらに伝統的ボランティアと有償型サービスとのあいだに深いギャップがあり、ときおり、雑音が聞こえぬわけでもない。アジアの共同体のなかにたくましく息づいている互酬制―分かち合いの相互扶助―に今ひとたび目を向け、そして日本の地域社会の現実を見直したうえで、自立と連帯の福祉社会を創出する発想に切り換えるのが望ましいのではないか。時代とともにニードが変わるから対応が多様化するのは当然である。その態様はどうであれ、住民が福祉を学習し、理解し、実践に参加するまちづくりを推進する必要を痛感せずにはいられない。(126~127ページ)
〇「福祉の思想や哲学」の探究は、実証的・実践的なものでなければならない。それによってその思想や哲学は広め、深められ、また新たな思想や哲学の形成が図られることになる。ここでは、筆者の姿勢が評論家的なそれであることを承知のうえで、糸賀の「この子らを世の光に」に対して伊藤隆二の「この子らは世の光なり」(『この子らは世の光なり』樹心社、1988年9月)、阿部の「ボランティアの互酬性」に対して仁平典宏の「贈与のパラドックス」(『「ボランティア」の誕生と終焉―<贈与のパラドックス>の知識社会学―』名古屋大学出版会、2011年2月)についての言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。
伊藤隆二:「この子らは世の光なり」
糸賀一雄氏は戦後、最初の公立福祉施設「近江学園」をつくり、この子らの教育福祉に邁進(まいしん)し、ついに「この子らに世の光を」を「この子らを世の光に」に転回させたのである。「この子らを」というとき、われ(または、われわれ)は主体で、「この子ら」は客体になる。主体が客体に働きかけ(あるいは操作し)、「世の光に」まで高めてやるのだという発想には、ある種の傲慢(ごうまん)さがあるし、「この子ら」の本質への誤解がある。また、「この子らを世の光に」というとき、まだこの子らが「世の光」であることを認めていない。そこで教育し、きたえ、みがきをかけて、やっと世の光になりうるのだという見方である。わたくしは、この子らと長く深くかかわっているが、この子らは生まれながらにして「世の光」だと知った。正確にいうと、生まれたときから死ぬときまで、いや死んでもなお世の光でありつづける。「この子らは(そのままで)世の光である」。「この子ら」は主体であって、世を照らしつづけているのである。(223~224ページ)
4
仁平典宏:「贈与のパラドックス」
阿部志郎も「互酬性」を基盤に据えたボランティア論の担い手の一人である。阿部は1973年の時点では、ボランティアの報酬性を明確に否定していたが、1994年には態度を180度と言ってもいいほど「軟化」させている。彼はまず、共同体や地域社会において不可欠な行為として「互酬性」を取り上げ、「香典―香典返し、結婚祝い金―引き出物、中元、歳暮の風習」を例示する反面、その基盤は失われてきているという。その一方で、新たに登場してきた「相互に有料で利用し、有償でサービスを提供する」「市民参加型福祉サービス」に、「互酬の近代化・組織化」を見る。彼によると、これらは「(1)会員の自主性にもとづく、(2)友愛・協同の思想にたつ、(3)有償とはいえ実費弁償的性質のもので収益を目的としない、(4)グループとして、ボランタリー・アソシエーションの性格を保つ」ことから「広義のボランティアの原則からはずれていない」と述べる。このように、ここで「互酬性」という思想財を獲得することによって、「ボランティア」という言葉は高い汎用可能性を配備することが可能になった。担い手にとって効用があると言えるなら、経験・楽しさ・友達づくり・評価・金銭的対価などを、区別なく堂々と「ボランティア」として肯定できる。<贈与のパラドックス>は、このような形で「解決」されるべきこととなった。(381~382ページ)
〇仁平の「贈与のパラドックス」(paradox:「逆説」「矛盾」)とは、贈与は行為者の真の意図とは別に、交換や見返り、偽善や自己満足などとして外部観察されがちである、という意味であろう。平易に言えば、「贈与の偽善性」「贈与の疑わしさ・怪しさ」である。ボランティアについての言説の歴史は、こうした「贈与のパラドックス」を如何に解決するかの歴史であった、と言ってよい。
〇いま改めて「福祉の哲学」の必要性を強調する一人に、大橋謙策(おおはし・けんさく)がいる(注①)。大橋は、「住民と行政との関係を上下の関係で捉えるのではなく、住民の自立と連帯を前提にし、対等の立場で問題解決を図る新たな社会哲学、社会システムが求められ、社会福祉のような歴史的に国の『社会の制度』として発展してきたものも従来にない発想が求められている」(大橋謙策『社会福祉入門』放送大学教育振興会、2008年3月、30ページ)として、次の3つの「思想」を取りあげる。併せて、大橋の言説の一部を「再認識」しておくことにする(抜き書きと要約)。
大橋謙策:「博愛」の精神
第1は、フランスの近代市民革命の際にうたわれた「博愛」の思想である(自由と平等を担保する「博愛」)。
5
第2は、ノーマライゼーションやソーシャルインクルージョンといった思想である(「社会的包摂」)。
第3は、自分たちで相互扶助組織をつくり、対応しようとする考え方である(「協同組合方式」)。(『社会福祉入門』28~30ページ)
内務省官僚・井上友一は、救済事業の精神的関係を強調して風化行政を提唱する。すなわち、救済行政は「風気善導の事、之が神髄」となり、物質的救済=経恤的行政は二の次となる。明治38(1905)年、井上らの提唱により組織された報徳会(二宮尊徳)の「教」の1つに「推譲」(すいじょう)論がある(注②)。その「貯蓄といふことと、公益、慈善といふことをば二宮翁の教では合せて推譲といふ一つの言葉で現はして居ります」とする考えと同じである。風化的救済制度は、社会事業分野だけではなく、報徳会などと結びつきながら、社会教化の役割を担っており、戦前社会教育の理論的支柱でもあった。その後の社会事業の精神性、物質性あるいは社会事業と社会教育における相違分類などに多大な影響を与えた。(大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全社協、1986年9月、216~217ページ)
ソーシャルワークを展開する際の価値の1つは、人間性を尊重し、社会正義と公正を守ることであり、人々の自由と平等を保障することであるが、それらを標榜すればするほど、人々が社会的にも、個人的にも“博愛”という社会の神聖な責務を遂行することが求められる。(そのためには)伝統的な意識と行動を尊重しつつも、新たな社会システムに必要な価値、意識として“博愛”の精神の涵養とそれを推進する福祉教育が求められる。(『社会福祉入門』227ページ)
〇大橋はライフワークとして、全国各地で草の根の地域福祉実践の向上に取り組んでいる(「実践的研究」)が、最近の政策動向に関して、「地域福祉が“我が事”になり、その危険性を警鐘すべきである。戦前の歴史を忘れた政策は恐ろしい」という(筆者への書簡)。ここで、社会福祉の「精神性」や福祉思想による「社会教化」について思い起こしておきたい。
〇「博愛」に関しては、とりあえず次の諸点に留意したい。(1)フランス革命は、新興の「ブルジョワジー」(有産階級、中産階級)による革命である。(2)その理念は、「自由、平等、友愛」であり、「自由、平等、博愛」ではない。(3)「自由」は、多様性を保障するが、不平等を生むことにもなる。(4)「平等」は、突き詰めれば全体主義や不自由を生む。(5)「友愛」とは、他者を自分の本当の兄弟のように愛すること(社会秩序)を意味する。(6)「博愛」には、「慈善」と同様に、階級差別的な意味合いがある、などである(注③)。
6
〇最後に、冒頭に記した福祉思想史研究者の吉田久一の次の一節を引いておく。
(私の)半世紀にわたる現場および研究を通じての社会福祉生活の反省と展望は、社会福祉はいつの日も社会科学に信頼を持つこと、社会福祉問題を背負いながら懸命に生きようとしている人間を見失わないこと、の二点に尽きるように思う。(吉田久一『日本社会福祉思想史』(吉田久一著作集1)川島書店、1989年9月、17ページ)
注
①「福祉を哲学する」一人に秋山智久がいる。秋山は、「福祉哲学の必要性」を次の8点に要約している。(1)平和・人権・安全の希求、(2)人間尊重の確認、(3)社会福祉の進む方向の示唆、(4)社会福祉的人間観の確立、(5)「倫理綱領」の検討、(6)実践の価値観の探求、(7)社会福祉利用者の人間としての不幸、人生の不条理の解明、(8)実践の拠り所としての価値観・人生観の提供。これらの必要性は、秋山にあっては、将来より広義の「福祉哲学」が体系化されるときに、その主要な「構成要素」ともなるものである(秋山智久・平塚良子・横山穫『人間福祉の哲学』ミネルヴァ書房、2004年6月、45~47ページ)。
②1906(明治39)年に、半官半民の「報徳会」が結成され、報徳運動が展開された。この運動では、二宮尊徳の報徳思想――「至誠(誠を尽くす)・勤労(よく働く)・分度(身をわきまえる)・推譲(世の中のために尽くす)」に基づいた、主として地主層に対する善導が行われた(阪野貢『市民福祉教育をめぐる断章―過去との対話―』大学図書出版、2011年1月、15ページ)。
③フランス革命の理念は「自由、平等、友愛」である。「自由」は放置すればアナーキズム(無政府主義)に行き着く。「平等」は突き詰めたら全体主義や共産主義になる。「友愛」は友を愛するであり、他の宗教や民族は除外される。「博愛」とは違う(中川淳一郎・適菜収『博愛のすすめ』講談社、2017年6月、35、98ページ)。
7
02/民俗としての福祉」と「福祉教育の目的」
―岡村重夫の「1976年論文」を起点に―
〇春が戻ってきた(内山節の「横軸の時間」)。筆者は、定年を契機に、年金で生計を維持しながら、80坪ほどの農地で自家用野菜を育てる(「定年百姓」「年金百姓」になれるわけがない)家庭菜園者でもある。それが、「老人」(※)である自分の新たな生きがいやレクリエーションになっている。いまは、毎晩のように食卓に上がる“つみ菜”の春の香りを楽しんでいる。昨日(3月5日)は、春ジャガイモの植え付けをおこなった。
※民俗学者の宮田登(みやた・のぼる、1936年~2000年)は、『老人と子供の民俗学』(白水社、1996年3月)で、〈おい〉には「盛りを過ぎた」という語感がある〈老い〉と、「追加する」というイメージがある〈追い〉の二つがある。落ち目になっていくというマイナスの〈おい・老い〉を意味する前に、プラスイメージの〈おい・追い〉があった、という(5~6ページ)。
※農(百姓仕事)は季節による単純な繰り返しの作業ではなく、自然を相手にした繊細で創造的な仕事である。アメリカの精神科医で老年学者のジーン・コーエンは、『いくつになっても脳は若返る』(野田一夫監訳、ダイヤモンド社、2006年10月)で、「創造性」は年をとるとより一層深まり、豊かになり得る。ガーデニングは「小さな創造性」が発揮しやすい分野である、という(225、227ページ)。
〇筆者の手もとに、安室知(やすむろ・さとる)の『都市と農の民俗―農の文化資源化をめぐって―』(慶友社、2020年2月)という本がある。この本では、「現代日本における農の存在意義について、生活者の目線に立ち、国の政治や経済とは別の角度から捉え直し」ている。その際の切り口は、都市や農村における「農の文化資源化」である。「文化資源化」とは、「人が遺伝的に獲得したもの以外のすべてを文化とし、それを何らかの目的をもって資源として利用すること、および利用可能な状態にすること」をいう。安室にあっては「現代民俗学においては、文化資源化は避けて通ることができない問題である。現代において民俗伝承とされるものは、程度の差こそあれ、商品化や観光化など何らかの形で資源化されているといってよい」(9ページ)ここで筆者は、都市における「市民農園」とともに、無農薬・有機栽培野菜の商品化やグリーン・ツーリズム(農山漁村地域における滞在型の交流・余暇活動)、棚田のオーナー制度や観光などを思い出す。
〇筆者が暮らす岐阜県S市は、700年以上の伝統をもつ“刃物のまち”として知られている。まちには何故か、喫茶店と寿司屋が多い(筆者にはそう思える)。住民に
8
は、労働に追われることから、また家事時間の削減を図るために喫茶店で「モーニング」の朝食をとり、夕食を外食ですませる習慣があるのであろうか。それは、S市の刃物産業は部品製造業者と工程加工業者による社会的分業体制が採られていることから、零細企業や家内工業が多いことによると思われる。また、喫茶店や寿司屋は、コミュケーションや接待・商談の場となっているのであろう。
〇喫茶店の「モーニング」といった“日常の実際の暮らし”“人間の生”を民俗学の視点で探り、それを「ヴァナキュラー(vernacular)」と称して、「現代民俗学」(「現代学」としての民俗学)の研究対象とする本がある。島村恭則(しまむら・たかのり)の『みんなの民俗学―ヴァナキュラーってなんだ?―』(平凡社、2020年11年)がそれである。この本で、島村は、「ヴァナキュラー(俗)」について次のように定義づけている。「民俗学とは、人間(人びと=〈民〉)について、〈俗〉の観点から研究する学問である」。その際の「〈俗〉とは、①支配的権力になじまないもの、②啓蒙主義的な合理性では必ずしも割り切れないもの、③「普遍」「主流」「中心」とされる立場にはなじまないもの、④(支配的権力、啓蒙主義的合理性、普遍主義、主流・中心意識を成立基盤として構築される)公式的な制度からは距離があるもの、のいずれか、もしくはその組み合わせのことをさす」(16、31ページ)。
〇別言すれば、〈俗〉とは、「対覇権主義的、対啓蒙主義的、対普遍主義的、対主流的、対中心的、対公式的な観点を集約的に表現したもの」(30、107ページ)である。それらの観点を持ち、それらの世界を研究対象とするのが「民俗学」である。島村によると、こうした観点や志向は、「日本の民俗学の基底部に確実に存在している」(29ページ)。なお、「覇権」とは「強大な支配的権力」(20ページ)を意味し、「啓蒙」とは「非合理的な世界にいる無知蒙昧な人を、明るい世界に導いて賢くすること」(17ページ)、「普遍」とは遍(あまね)く通用すること、を意味する。
〇周知の通り、「日本民俗学の創始者」と言われる人に柳田國男(やなぎた・くにお、1875年~1962年)がいる。その柳田民俗学に対して批判的な論陣を張る民俗学者に赤松啓介(あかまつ・けいすけ、1909年~2000年)がいる。筆者の手もとに、赤松の『差別の民俗学』(筑摩書房、2005年7月)という本がある。赤松は例えば、次のように批判する。「柳田系民俗学の最大の欠陥は、差別や階層の存在を認めようとしないことだ。いつの時代であろうと差別や階層があるかぎり、差別される側と差別する側、貧しい者と富める者とが、同じ風俗習慣をもっているはずがない。差別する側、富める者は、どうすれば自分の優位を示せるかを、いつの場合でも最大の関心にしている」(165ページ)。
〇赤松にあっては、民俗学は、伝承(「口頭伝承」「民間伝承」)や民俗に内在する階級性や差別論理と切り結び、それを読み解くことに意味があり、避けがたい必然がある。そして、日本社会の重層的な差別構造を見据えて、「解放の民俗学」を標榜し、「実践の民俗学」に執着する。赤松はいう。「一般の民俗学と、私たちの民俗学はどこが違うのか。
9
権力や行政の民衆支配に協力するための調査、学術的研究のためという学閥的、また立身出世型のタネ探し、そうしたものがこれまでの民俗学であったといえる。(中略)解放の民俗学は、立身出世や金儲け、憐憫(れんびん。情けをかけること)などとは無縁のものである。あらゆる底辺、底層からの民俗の堀り上げ、掘り起こし、その人間性的価値の発見と、新しい論理、思考認識の道を開くということであろう。しかし、それは今後においても、とうてい平坦な道ではありえないのである」(116~117ページ)。
〇唐突であるが、ここで想起されるものに、岡村重夫(おかむら・しげお、1906年~2001年)の論稿「福祉と風土―民俗としての福祉こそ基底―」がある。日本生命済生会社会事業局発行の雑誌『地域福祉』1976年3号(通巻121号)、1976年7月、4~9ページに掲載されている。岡村がそこで指摘することは、「われわれの社会生活や個人意識は、強く日本の風土によって規定される事実、従ってまたその共同生活を基盤とする社会福祉も、日本特有の風土性をもつという事実」(6ページ上段)である。
〇岡村はその論稿で、「民俗としての福祉」について概念規定はしない。ただ、福祉を「生活の次元」で捉えれば、福祉は風土によって規定され伝承された共同生活上の「生活の知恵」「生活の工夫」であり、「風土の産物」である、とする。次の一節を引いておく。
福祉とは、すぐれた人々の日常生活上の困窮に対する地域住民の共同的な援助に由来するものであると考えるならば、それは、人々の日常生活のいとなまれる環境、すなわち歴史的であると同時に空間的、自然的な風土との関連を無視することはできないであろう。社会福祉は政府の政策である以前に、すでに生活者が共同生活を守るために工夫した、いわば「生活の知恵」であった。(4ページ下段~5ページ上段)
主として輸入文化に支えられた官製社会福祉や専門家の社会福祉論と、民俗としての社会福祉も、また二重構造的に考えられるけれども、重要なことは、民俗としての福祉こそが基底となって、その上に社会福祉政策や社会福祉文化が消長するということである。福祉の風土とは、まさしくこの基底部分であると考えられる。そしてこの基底部分が掘りくずされ、分解しないためには、外来の上部構造に対して、生活者の見解を対置させ、近視眼的な専門家や法律を鋭く批判しなければならない。(9ページ下段)
〇古くは一番ケ瀬康子(いちばんがせ・やすこ、1927年~2012年)の指摘(「社会事業諸技術の文化的基盤」『社会事業』1958年2月号、全国社会福協議会)を引用するまでもなく、欧米の社会福祉やソーシャルワークの理論や思想、価値や倫理については、直輸入的に摂取し定着を図るのではなく、日本の文化や風土、日本人の国民性、社会構造や生活環境の特質などを十分に踏まえた日本的展開が求められる。ここで思い起こしておきたい。安易な輸入理論や思想(なかでも周回遅れのそれ)への依存には、十分注意すべきである。
10
〇ところで、「1976年」と言えば、岡村重夫の「福祉教育の目的」と題する論稿を思い出す。それは、伊藤隆二・上田薫・和田重正編著『福祉の思想・入門講座 ③福祉の教育』(柏樹社、1976年4月)の13~36ページに収められている。そこで岡村は、「福祉教育」は社会福祉の専門的知識や技術をもった福祉事業従事者を養成する「福祉専門教育」ではなく、一般市民の地域社会における福祉問題や社会福祉に対する関心を高めるものである(「福祉一般教育」)として、次のように述べている。
福祉教育の目的は、単に現行の社会福祉制度の普及・周知や「不幸な人びと」に対する同情をもとめることではなくして、社会福祉の原理ともいうべき人間像ないしは人間生活の原点についての省察を深めることであり、この省察にもとづく新しい社会観と人類文明の批判をも含まなくてはならないであろう。さらに言うならば、このような新しい社会観や生活観にもとづく具体的な対策行動の動機づけによって、福祉教育の目的は完結するものである。(19~20ページ)
〇そして、岡村にあっては、「真の福祉教育の目的」は具体的に以下の3点に集約される。そのなかで岡村は、次のように厳しく指摘する。福祉教育において「外在的な社会制度の欠陥を指摘する場合に、自分の内面的な偏見や人間観を自己批判することなしに、(あるいは)ひとの内面的文化を問うことなしに、単なる同情心や恩恵をよりどころとした『外面的福祉』の世論を造成することは、(それが)実現すればするほど福祉サービスの対象者は『気の毒なひと』として一般社会から疎外される結果になり終わり、福祉教育の目的は自己矛盾に陥らざるをえない」(34ページ抜き書き)。いまだに観念的な「福祉の心」や「思いやりの心」を育成する福祉教育が叫ばれ、その表層的な実践が展開されているなかで、改めて強く認識すべき指摘である。
(1)福祉的人間観の理解と体得
社会福祉は、その根底において独自の人間観に支えられねばならない。社会福祉の人間観は、社会的=全体的=主体的=現実的存在としての人間像である。この人間像の基礎にある仮説は、すべての個人が生活者であり、生活はいかなる場合にも、自己自身を貫徹してやまないということである。社会福祉の人間観は、抽象的に、あるいは観念的に「人格の尊厳」を主張するのではなく、具体的な生活者としての個人の重み、生活の重みを主張するものである。(31~32ページ抜き書き)
(2)現行社会制度の批判的評価
現在の社会制度によって福祉的人間性を無視せられ、そのような人間像による自己実現を妨げられている個人の生活実態を明らかにしなくてはならない。福祉教育の目的は、現行の社会制度から疎外され、「社会的・全体的・主体的・現実的な人間
11
像」実現の機会を奪われている人が、どこに、またどれだけいるかを認識させることでなくてはならない。このことによって、福祉教育は、単なる人間観の教育よりすすんで具体的な教育目標をもつことができる。(33ページ)
(3)新しい社会福祉的援助方式の発見
福祉は本質的に社会福祉である。その「社会」とは、対等平等の個人によって形成される共同社会(コミュニティ)であり、社会福祉は、「慈善」や「施し」ではなくて、対等平等の個人が相互に援助し合う相互援助を本質とする。対等平等の個人が、全体的な自己実現の機会を提供されるように組織化された地域共同社会において、人びとはサービスの客体であると同時に主体にもなりうるような相互援助体系こそ、福祉的人間観から発展する新しい社会福祉体系である。その体系のなかで社会の果たすべき責任と個人の果たすべき責任とを明確にすることが福祉教育の第三の目的である。(35ページ抜き書き)
〇「民俗としての福祉」は、岡村の着想を手がかりに、今後洗練されるべき「形成途中の概念」(岡田哲郎)であると評される(福山清蔵・尾崎新編著『生のリアリティと福祉教育』誠信書房、2009年3月、180ページ)。また、「生活主体者の論理」を強調する岡村理論には、地域福祉の主体形成や福祉教育についての論究がほとんどみられないと言われる。そんななかで、「生活の知恵」「生活の工夫」としての「民俗としての福祉」という概念の明確化を図る。個人の社会生活の実態を生活者の目線に立ち、国の政治や経済とは別の角度や位相から捉え直す。そして、それを基底として地域住民の「相互援助の地域共同社会」に対する理解やそれに基づく行動のあり方を問う。それがいま、「福祉教育」実践や研究に改めて求められるひとつの歴史的・社会的視点や認識であろう。岡村の「民俗としての福祉」と「福祉教育の目的」の「1976年論文」は、その点においても注目すべき論稿(論考)である。「民俗としての福祉」と「(市民)福祉教育」の親和性・関連性に留意したい。
〇「人間(「民」)が遺伝的に獲得したもの以外はすべて文化」であり、「俗」である。それゆえに、民俗学はすべての学問の基底に位置づく。民俗学は非普遍や非主流、非中心などの民俗事象を研究対象とする。それゆえに、民俗学は「グラスルーツ(草の根)の学問」とも呼ばれる。また民俗学は、普遍や主流、中心などとされる側の基準によって形成された知識体系を相対化し、それを乗り越える知見を生み出そうとする学問である(島村恭規、30、256ページ)。「民俗としての福祉」の延長線上に「福祉民俗学」が構想されるとすれば、それは一面においてこうした民俗学に通底するものであろう。そしてそこに、生活主体者としての一般市民に対する福祉教育の新たな論理が見出される、あるいは見出すべきであろう。
〇なお、「福祉民俗学」を提唱するひとりに柴田周二(しばた・しゅうじ)がいる。柴田にあっては、「『福祉民俗学』を提唱する主たる理由は、福祉文化の基礎
12
としての自立と協同の人間関係の根底に存在する、福祉をうけることを権利とする個人の協同を支える小集団をいかに形成するか、あるいはそれが形成されるための課題は何かを探究することである」(『福祉文化研究』Vol.24、日本福祉文化学会、2015年3月、63ページ)。別言すれば柴田は、「福祉社会を支える福祉文化の基礎を個人の自立と協同の人間関係とそれを支える小集団の形成に求め、福祉文化のあり方を、制度面だけでなく、人々の生活態度の面から考察する学問を『福祉民俗学』として位置付け、その方法と課題について」考察する(『人間福祉学研究』第10巻第1号、京都光華女子大学、2017年12月、8ページ)。
〇また、六車由実(むぐるま・ゆみ)は、「介護現場は民俗学にとってどのような意味をもつのか?」、「民俗学は介護の現場で何ができるのか?」という二つの方向性から問題提起をしようとして「介護民俗学」を掲げる。その際の問題意識のひとつは、「民俗研究者が地域で行っている聞き書きや調査が、地域の高齢者の介護予防につながる地域資源になりうるのではないか」ということにある(『驚きの介護民俗学』医学書院、2012年3月、6、227ページ)。本稿の最後に、六車の次の一節を引いておくことにしたい。
これまで民俗学は、地域の民俗の保存とそれを使った地域活性化という点で、地域づくり、まちづくりには積極的に関わってきた。高齢化がますます進み、在宅介護が地域における切実な問題となる今後は、このように高齢者が地域で暮らしていくことを支える介護予防事業に関わっていくことが、実践的な学問である民俗学に対して求められていくのではないだろうか。/だが、一方で私は、「介護予防」という言葉に少なからぬ違和感を覚えている。/介護予防という言葉には、介護は予防されるべきもの、という考え方が露骨に反映されている。/要介護状態になることは人間にとっては誰しもが迎える普遍的なことであり、(中略)介護を問題化するのではなく、介護を引き受けていく社会へと日本社会を成熟させていく(ことが必要である。)/そこで私は、「介護準備」という言葉を使ってみたい。(227~228ページ)
謝辞
本稿を草するに際しては、日本福祉大学の副学長・原田正樹先生と付属図書館にご高配を賜った。記して感謝申し上げます。
13
03/「大橋福祉教育原論」再考の視座と枠組み
―新たな思考軸の構築をめざして―
福祉教育とは、「憲法13条、25条等に規定された人権を前提にして成り立つ平和と民主主義社会を作りあげるために、歴史的にも、社会的にも疎外されてきた社会福祉問題を素材として学習することであり、それらとの切り結びを通して社会福祉制度、活動への関心と理解をすすめ、自らの人間形成を図りつつ社会福祉サービスを受給している人々を、社会から、地域から疎外することなく、共に手をたずさえて豊かに生きていく力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることを目的に行われる意図的な活動」と規定することができる(「学校外における福祉教育のあり方と推進」全社協・全国ボランティア活動振興センター、1983年9月、15ページ)。
〇ここ10年ほどの福祉教育学界は、地域福祉の主流化が進むなかで、良しにつけ悪しきにつけ、その視座が「教育と福祉」から「地域福祉と福祉教育」に矮小化され、俯瞰的議論から遠ざかっているようである。また、実践を支える理論や思想・価値、歴史などへの関心は未だ低い。実践方法の原理・原則の探究が不十分であり、理論的枠組みも不明確な福祉教育実践論が展開されているようでもある。
1 福祉教育の概念規定
〇上記の福祉教育の概念規定は、30年以上も前に大橋謙策によってなされたものである。今日においてもしばしば引用される。この概念規定以外にも、「福祉教育とは何か」について論考したものは複数、捉え方によっては多数あるが、大橋のそれがよく援用される。それは、「人権」や「平和と民主主義」といった普遍的な理念や価値に基礎をおいた理念型の定義であり、また包括的で汎用性が高いことに起因するといってよい。具象的な定義はその解釈を狭くするが、抽象的定義はその抽象度によって解釈を広げ、読み手の洞察によって解釈を深めることができる。そうした点で、この定義は多くの人が「使える」、多くの人にとって「使いやすい」ものになっているのであろう。
〇周知のように、全社協・全国ボランティア活動振興センターが1980年9月、「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)を設置し、翌1981年11月に「福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―」について研究の中間成果を纏め、報告した。委員会の設置は、全国各地で福祉教育実践の進展が図られ、学校における福祉教育のあり方について一定の理論的整理が求められるようになってきたことへの対応であった。次いで、1982年9月に第2次の「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)が設置され、翌1983年9月に「学校外における福祉教育の
14
あり方と推進」と題する中間報告が行われた。大橋の福祉教育の定義は、第1次ではなく、「第2次福祉教育研究委員会」報告のなかで述べられている。そこではまた、次のように述べられている。「社会教育行政における福祉教育の促進には二つの視点が『車の両輪』としてなければならない。第一は、国民が社会福祉問題を学習し、それへの関心と理解を促進させる福祉教育活動の促進であり、第二には、今日の社会福祉問題の中心的課題を担っている障害者、高齢者の社会教育(学習、文化、スポーツ活動)の促進である」(15ページ)というのがそれである。後者(「第二」)に関してはさらに、「今日の社会福祉サービスの主たる対象である障害者、高齢者の学習、文化、スポーツ活動を豊かに促進させることが、国民の障害者観、老人観を変え、ひいては社会福祉観を変えて、ともに生きていく街づくりをすすめる上で重要」(16ページ)であるとされた。
〇ところで、大橋のこの定義は、全社協の「第2次福祉教育研究委員会」報告以前の1982年3月、神奈川県の「ともしび運動促進研究会」(委員長・大橋謙策)が編集し、「ともしび運動をすすめる県民会議」が発行した『ともしび運動促進研究会中間報告』で述べられている(4ページ)。「ともしび運動」は、長洲一二県知事の提唱によって、1976年10月から展開された行政・県民協働の福祉コミュニティづくり(自立と連帯のまちづくり)運動である。具体的には、「障害者の自立促進を」「おとしよりに生きがいを」「連帯感にあふれた地域社会づくり」などをその目標とし、「『ともしび運動』によってすすめられるべき課題の第一は“福祉教育の促進”である」(4ページ)とされた。
〇以上を要するに、大橋の福祉教育論については、一面では「子ども・青年の発達(の歪み)」を軸に体系化された教育論としても評価されるが、併せて高齢者や障がい者の「社会教育の促進」や「福祉コミュニティの形成」との関わりで福祉教育を捉える研究の視座に注目しないと、その定義や所説を読み解くことはできないということである。
2 福祉教育と「社会福祉問題」
〇先に記した大橋の福祉教育の定義についてその構成要素を弁別すると、次のようになる。(1)憲法第13条、第25条等に基づく人権思想をベースにする。(2)歴史的・社会的存在としての社会福祉問題を素材とする。(3)社会福祉問題との切り結びを通して、社会福祉制度や活動への関心と理解を進める。(4)社会福祉問題を解決する実践力を身につけるために、実践に基づく体験学習を重視する。(5)「自立と連帯の社会・地域づくり」の主体形成を図る、などがそれである。
〇大橋の定義における鍵概念のひとつは「社会福祉問題」である。大橋は、1981年2月に刊行された吉田久一編『社会福祉の形成と課題』(川島書店)所収の論文「高度成長と地域福祉問題―地域福祉の主体形成と住民参加―」(231~249ページ)で、高度経済成長期以降、「社会福祉問題の国民化と地域化」(大橋謙策『地域福
15
祉の展開と福祉教育』全社協、1986年9月、3~11ページ)が進んでいるが、地域で福祉問題を解決するためには、それができる「住民の形成とネットワークづくり、とりわけそこにおける住民参加の問題」(238ページ)が重要であり、焦眉の課題であるとする。そのうえで、地域福祉の主体形成のための福祉教育の必要性と、福祉行政の「地方分権主義」への転換を図り、地方自治体が自律性をもって「地域社会福祉計画」を住民参加のもとに策定することの必要性を指摘している。
〇福祉教育が学習素材とする「社会福祉問題」、とりわけ高度経済成長期以降のそれは、大橋にあっては、「戦前の大河内一男の社会政策と社会事業という整理や戦後の孝橋正一の社会問題と社会的問題という整理でも、包含できない課題として創出されてきた」(231ページ)。公害・環境問題と外的な生活破戒、過疎問題と家庭破戒、過密問題と生活の共同的集団的再生産機能の弱まりと不安定化、合理化・機械化による生活リズムの破戒や老人福祉問題の深刻化などが、「従来の問題にくわえてあらわれてきた」ものである(232~234ページ)。
〇地域住民のこれらの具体的な生活破戒の“状況”については、簡潔明瞭にカテゴライズしても、他の領域や次元の“状況”で説明するだけではその本質に迫ることはできない。社会福祉問題の分析は、それを現代社会の仕組みと運動法則によって必然的に生み出される構造的な「社会問題」として、社会科学的に捉えることによってはじめて可能となる。そうした分析のうえで、その問題解決に向けて、批判的・論理的かつ創造的に思考・判断・実践する“力”の育成・向上をいかにして図るか。そのための福祉教育実践の具体的展開について検討することが求められる。
〇以下に、上記の論文中から、「福祉教育と地域福祉の主体形成」に関する叙述部分を記しておく。大橋の「福祉教育の理念と実践の構造」についての所説の基本的部分(特色)を概観・俯瞰することができる。
福祉教育は、国民が社会福祉を自らの課題として認識し、福祉問題の解決こそが社会・地域づくりの重要なバロメーターとして考え、共に生きるための福祉計画づくり、福祉活動への参加を促すことを目的に行なわれる教育活動である。したがって、福祉教育は少なくとも次の諸点を構成要件として意識的に行なわれてこそ意味がある。
第一は、差別、偏見を排除し、人間性に対する豊かな愛情と信頼をもち、人間をつねに“発達の視点”でとらえられる人間観の養成、第二に社会福祉のもつ劣等処遇観、スティグマ(恥辱)をなくすことが必要で、そのためには国民の文化観、生活観を豊かにすることに他ならないこと、第三に、人間は人々との豊かな交流の中で生きる以上、生活圏の狭い障害者等の社会福祉サービス受給者の生活がいかに非人間的であるかをコミュニケーションの手段も含めてとらえられること、第四に複雑な社会における歴史的、社会的存在としての福祉問題を分析できる社会科学的認識が必要なこと、第五に今日の福祉は、福祉行政の中でも細分化されているが、その
16
解決には関連行政たる労働行政、教育行政、保健衛生行政などを含めて地域的課題を総体的にとらえる力が必要であること、の五つを基本に、情報の周知徹底、体験・交流などによって感覚として体得することなどが方法論的にも加味されて、はじめて福祉教育の実践といえる。
福祉教育は、住民の福祉意識を変え、福祉問題をトータルにとらえ、問題解決のための福祉計画づくり、具体的解決のための実践などを行なえる住民の形成であり、それこそ地域福祉の主体形成といえよう。(243ページ)
3 福祉教育と「地域福祉の主体形成」
〇大橋は、岡本栄一によって「住民の主体形成と参加志向の地域福祉論」と評されるように、「地域福祉の主体形成」を重視する。その点について、大橋は、前記の著書『地域福祉の展開と福祉教育』において、「地域福祉の主体形成のしかたと主体として形成されるべき力量には、次のような7つのことが考えられる」とした。(1)社会福祉に関する情報提供による関心と理解の深化、(2)地域福祉計画策定への参加と政策立案能力、(3)社会福祉行政のレイマンコントロール(政治や行政の一部を一般市民に委ねること:阪野)、(4)社会福祉施設運営への参加、(5)意図的、計画的な福祉教育の推進、(6)地域の社会福祉サービスへの参加(ボランティア活動)による体験化と感覚化、(7)社会福祉問題をかかえた当事者の組織化と当事者のピア(仲間、peer)としての援助、がそれである(46ページ)。その後、大橋は、この「地域福祉の主体形成」(「住民の主体形成」)の7つの「枠組み」を整理し、「『地域福祉の主体』形成には、4つの課題がある」として、4つの主体形成の枠組みを提示する。すなわち、(1)地域福祉計画策定主体の形成、(2)地域福祉実践主体の形成、(3)社会福祉サービス利用主体の形成、(4)社会保険制度契約主体の形成、である(大橋謙策『地域福祉論』放送大学教育振興会、1995年3月、75~82ページ)。それは同時に、福祉教育の課題でもある。
〇この大橋の4つの主体形成については、7つから4つに“綺麗”に整理・集約された故にか、4つの側面が並列的に理解されがちで、その内的・構造的な相互関連性の把握を困難なものにしている。主体としての「住民」は、基本的には労働主体と(労働以外の)生活主体の統一的存在であろうが、政治主体・経済主体・文化主体であり、また地域の自治主体や変革・創造主体でもある。「住民」はこれらの側面を重層構造的にもつ存在である。地域の自治主体や変革・創造主体に関していえば、住民主体の社会福祉問題の解決や「自立と連帯の社会・地域づくり」を推進するためには、個人的主体形成のみならず集合行為主体や運動主体の形成が必要かつ重要となる。こうしたことを踏まえたうえで、地域福祉(住民)の主体形成を促進する福祉教育実践の内容や方法について具体的に検討することが肝要となる。
17
4 「大橋福祉教育論」に対する批判
〇以上が、「社会福祉問題」と「主体形成」の鍵概念を中心にみた「大橋福祉教育論」の概括である。こうした大橋の所説に対してこれまで、「地域福祉と福祉教育」を説く地域福祉研究者からの系統的な批判はあまりみられない。それは、大橋の所説が一定の理論体系を作り上げていることによるが、大橋のそれが「福祉教育原理論」として前提され、そのうえで立論されていることにもよるといってよい。そういうなかで、生涯学習やESD(持続可能な開発のための教育)の研究者である松岡廣路が、論文「福祉教育・ボランティア学習とESDの関係性」(『持続可能な社会をつくる福祉教育・ボランティア学習(日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要)』第14号、2009年11月、8~23ページ)において、大橋の所説に批判的考察を加えている。
〇松岡の大橋批判は、大橋の福祉教育の定義は「汎用的であるがゆえに、同時に、脆弱性を併せもっている」。「脆弱性を項目化すると、<未分化な学習者像>、<社会福祉活動の内実の曖昧さ>、<楽観的な社会形成ビジョン>、<教育概念の曖昧さ>と約言できる」(13ページ)、というものである。そして、松岡は、「脆弱性の高い『福祉教育』の定義に基づいてしまうと、時代の大きな物語に押し流され、重要と思われる要素が外延化され、体制的要素を内包とする対象化(理論化)と実践化が、当然のごとく進んでいく。福祉教育が、現実と理想の拮抗関係の中に位置することを意識し、従来の枠組みを等閑視しないという批判的な姿勢を保つことが、今まさに重要である」(16ページ)として、「批判的創造性」の観点の必要性と重要性を説いている。松岡の批判は必ずしも、「大橋福祉教育論」をその理論的体系化の過程も視野に入れて、総合的・体系的に行うものにはなっていない。とはいえ、「社会的・福祉的課題の解決に不可欠な『批判的創造性』が、実践における学びの目標・内容(いわゆる『学びのベクトル』)から排除されている」(16ページ)という指摘は、首肯されるところである。
5 「大橋福祉教育論」再考のための枠組み
〇ある理論や所説を、内在的にしろ外在的にしろ批判的に考察するためには、その枠組みを構造的に捉え、それを主体的に再構成することが求められる。その点において、「大橋福祉教育論」を超える新たな福祉教育論の理論的枠組みを構築し、新たな実践方法を創造するためには、先ずはいま一度「大橋福祉教育論」の理論的枠組みの構築化の過程を時系列的に把握するとともに、その枠組みの構造を総合的に理解する必要がある。そこで、以下では、そのためのひとつの方法として、大橋が行った福祉教育についての2つの「講演」からそのレジュメの枠組みと項目をみることにする。日本福祉教育・ボランティア学習学会の第2回大会と第10回大会での講演である。
18
(1)福祉教育・ボランティア学習の理論化と体系化の課題(第2回大会・基調講演/1996年11月23日/日本社会事業大学)
出典:『日本福祉教育・ボランティア学習学会第2回大会』1996年11月、5~9ページ。
19~20
〇地域づくりや地域福祉の主体「形成」は、福祉「教育」やボランティア活動(ボランティア「学習」)が推進されればそれで可能になるものではない。それは、子ども・青年や成人などの地域住民が、地域の社会福祉問題の本質を科学的に理解・分析し、変革的・創造的に問題解決を図ることのできる“力”を獲得し、しかもそれを具体的・現実的に行使することによって初めて可能となる。その主体形成ができなければ、福祉を学ぶことやボランティ活動は単なる「善行」にとどまり、無批判的で体制適応(順応)的な住民主体を形成することになる。福祉教育は「両刃の剣」になりかねない、といわれるところである。
〇そういう意味からも、上記の枠組みと項目のなかから、ここではとりわけ「形成と教育と学習」について留意しておきたい。それは、上述の松岡が、大橋の定義は「意図的な活動」と明記されていることからも「福祉教育が、ややもするとフォーマルな教育が中心であるとの理解(誤解)を許す脆弱性を有している」(15ページ)と指摘する点に関わることである。
〇大橋の指摘を俟つまでもなく、福祉教育を進めるにあたっては、その対象である子ども・青年あるいは成人などの「学習者」の発達特性や発達課題、学習者が置かれている状況などを理解すること(「学習者理解」)が重要となる。それは、「人格発達論」(「人間発達論」)にまで深められなければならない。そのうえで、子ども・青年や成人の、地域づくりや地域福祉の「形成」と「教育」と「学習」との関係を改めて考えてみる必要がある。
〇宮原誠一によると、「形成」は、人間の社会的生活における自然成長的な過程として捉えられる。それが豊かであることによってはじめて、組織的体系的な制度であり、目的意識的な過程としての「教育」が成り立つ。換言すれば、人間の「形成」の過程を、それぞれの時代の社会、政治、経済、文化の必要に基づいて「望ましい方向」に制御しようとする人間の努力が「教育」という営為である。宮原にあっては、広義の「教育」は「形成」と呼ばれるべきであり、学校教育や社会教育などの狭義の「教育」は「形成」を前提とする。すなわち、狭義の「教育」は、人間の「形成」のうちにあるひとつの営為であり、「形成」の過程に内包されるひとつの要因に過ぎない。
〇「形成」は、人間が社会的生活そのものによって“形づくられる”過程である。それは、第一次的には社会的・自然的環境によって行われる。とすれば、「形成」は「学習」なしには成り立たず、「学習」は「形成」に不可欠なものとして位置づけられる。そこから、「形成」と「教育」の関係は、「学習」と「教育」の関係になる。その関係について、勝田守一は、「学習のないところに教育はない」「教育は学習の指導である」という。勝田にあっては、「形成」にはその前提として「学習」があり、「形成」は自己の希望や意欲による目的意識的な営為である。従ってそれは、「自然成長的」(宮原)ではない(佐藤一子・ほか「宮原誠一教育論の現
21
代的継承をめぐる諸問題」『東京大学大学院教育学研究科紀要』第37巻、東京大学、1997年12月、311~331ページ。宮崎隆志「教育本質論における宮原誠一と勝田守一の差異について」『北海道大学大学院教育学研究科紀要』第83号、北海道大学、2001年6月、1~24ページ、等参照)。
〇いずれにしても、宮原と勝田の「形成」「教育」「学習」などをめぐる「教育」の概念や本質についての再検討は、福祉教育やボランティア学習の概念把握や本質理解に対してひとつの視座やアプローチの仕方を与えてくれるであろう。地域づくりを担う子ども・青年や成人などの多様な実践・運動主体の育成・確保が求められ、市民活動や教育活動のあり方が厳しく問われている今日、その再検討の意義は大きいと考えられる。それは、宮原と勝田は、「連帯」の概念を基底に地域を捉え、勝田は「自立と連帯」の場として地域を理解する。そのうえで、“地域づくりと教育実践(地域教育計画)”について言及するからでもある。
(2)学会の新たなる10年に向けて~福祉教育・ボランティア学習学会の今後の課題―学会創設10年の総括~(第10回大会・総括講演/2004年11月28日/神奈川県立保健福祉大学)
出典:「実践と研究の未来」『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報(10周年記念)』第10号、2005年12月、91ページ。
〇学校は、「学習者」(生徒)と「指導者」(教師)、その両者を媒介する「教材」(教育内容)によって構成される。そこでの教育活動は、教科活動と教科外活動(道徳、特別活動、総合的な学習の時間)、学習指導と生活指導という2つの領域や機能に分けられる。また、教科活動と教科外活動、学習指導と生活指導はともに、学校や教育活動の理念や目的・目標を達成するうえで重要な機能を果たすものであり、学校教育において重要な意義をもつ。教育の理念や目的・目標の明確化なくして、学習者の主体的・創造的な学習活動や指導者の意欲的・積極的な学習・生
22~23
活指導は促進されず、教育の成果を期待することはできない。そこから、教育の「理念・目的・目標」は、学校や学校教育の構造を成す重要な内部要素であるといえる。そして、「理念・目的・目標」「学習者」「指導者」「教材」は、相互に作用・影響し合い、相乗効果を生み出すものとして存在する。
〇こうした認識に立って、以上の枠組みと項目から、ここでは「福祉教育の構造」に関する研究・実践課題について一言する。
〇管見によれば、福祉教育は、(1)理念・目的・目標、(2)学習者、(3)指導者・支援者、(4)素材・教材、(5)教育内容・方法(評価を含む)などによって構造化される(「福祉教育の構造」)。それらの構成要素のうち、例えば(1)については、福祉教育(「市民福祉教育」)は、「自立(independence)と自律(autonomy)、共働(coaction)と共生(symbiosis)」という理念のもとで、「福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図る」ことを目的とする。福祉教育は、そのために、地域の「社会福祉問題」を発見・理解・解決するための横断的・重層的な実践プログラムを開発・編成し、地域を基盤とした総合的・複合的な「地域をつくる学び合い」(東京都生涯学習審議会答申「地域における『新しい公共』を生み出す生涯学習の推進~担い手としての中高年世代への期待~」2002年12月)の支援を行う教育営為である、といえる。
〇そう考えたとき、(2)に関しては、「子ども・青年」のみならず、「成人」(中高年世代)の状況について分析・理解すること(「学習者理解」)。(3)に関しては、求められる資質・能力や知識・技能とは何かを探究し、その育成・向上を図ること(「指導者・支援者育成」)。(4)に関しては、学習者の問題意識や学習意欲を喚起し、教育(学習)目標を達成するために、身近な地域・生活「素材」(具体的事象)を掘り起し、「教材」化すること(「教材開発」)。(5)に関しては、地域(「地元」)や「まちづくり」に焦点をあてたカリキュラムやプログラムを開発・編成し、実施・展開、評価すること(「プログラム編成」)、などが求められる。これらは、福祉教育における普遍的な課題でもあるが、人権侵害や立憲主義・民主主義・平和主義の後退、福祉や教育の改悪・切り捨てなどが激しく進行するいまこそ、福祉教育を体制内的な教育営為にしないためにも、自律的・批判的・創造的に取り組むことが求められる重要な研究・実践課題であるといえよう。
〇周知の通り、教育の形態は大きく次の3つに分類される。(1)定型教育(formal education:制度化された学校において、構造化されたカリキュラムに基づいて教師と生徒の関係によって展開される教育。学校教育など)、(2)不定型教育(non-formal education:学校の教育課程として行われる教育の外部において、一定の学習者に対して、ある学習目的を達成するために意図的・組織的に行われる教育。社会教育など)、(3)非定型教育(informal education:日常的な生活経験(体験)や環境によって、知識や技能などを習得する無意図的・非組織的な教育。家庭教育など)、がそれである。
24
〇福祉教育はこれまで、学校における福祉教育を中心にしながらも、学校外における福祉教育、成人を対象とした社会教育における福祉教育等の多様な分野で実践展開が図られてきた。具体的には、家庭や学校をはじめ、社協や公民館、福祉施設、民生委員・児童委員、NPO・ボランティア団体、自治会・町内会、企業、その他の関連施設・組織・団体などが、多様な“機会”や“場”を設けて福祉教育に取り組んできている。これまでの経過や現状・実態を踏まえると、福祉教育は、子ども・青年や成人などの地域住民を対象に、フォーマル、ノンフォーマル、インフォーマルの3つの形態の教育活動を相互に媒介し、関連づけ、学校や地域などで展開される多様な教育活動として構造化されることになる。「福祉教育の構造」について検討し、その再構築を図るに際して、上述の5つの構成要素とともに留意すべき点である。(「付記」のマトリックス図を参照されたい。)
むすびにかえて
〇大橋は、「教育と福祉」に関する初期の著作『地域福祉の展開と福祉教育』のなかで、「本書は、学術論文というよりも実践的研究書という方があたっているかもしれない。筆者の問題関心は、教育と福祉における“問題としての事実”に学びつつ、問題、課題をどう実践的に解決するのかという点にある」(「まえがき」)と述べている。この「実践的研究」の姿勢は、その一貫性を保ちながら「大橋福祉教育論」を深化・体系化させていく。
〇いわれるように、「実践的研究」は、「実践を通しての研究」と「実践に関する研究」に大別される。前者は仮説探索型の研究であり、後者は仮説検証型のそれである。この両者を循環的に組み合わせ、相互作用を引き起こすことによって、実践性と科学性を備えた、さらにはそれらを統合した研究と理論構築が可能となる。「大橋福祉教育論」を再考し、新たな福祉教育論を展開するに際して留意すべきひとつの視点・視座である。
〇改めていうまでもなく、上記の大橋「講演」の枠組みは壮大である。同時にそれは、幅広く奥深い「大橋福祉教育論」再考に向けた多様な視点・視座とアプローチの方向性を示すものでもある。「理論」(所説)は新たな時代や現実によって不断に凌駕され、更新されていく。「大橋福祉教育論」が「福祉教育原理論」としてその普遍性と不変性を今後も保持し続けるか否かの評価についてはひとまず置くとして、「大橋福祉教育論」をいかに継承し、新しく展開するかは福祉教育の実践者や研究者に課せられた大きな課題である。
補遺
(1)大橋謙策は、福祉教育とボランティア活動の関係性について、例えば次のように述べている。
ボランティア活動の契機・動機が(中略)自己満足的なもの、慈善的なものであったとしても、多くのボランティアはその活動を通して厳しいものの見方・考え方を修得していく。
25
社会福祉一つとってみても単なる人のやさしさ、情熱だけでは解決できず、制度の確立と住民の協働がなければならない。ボランティアたちはそれらに関する意識を豊かにしはじめる。/社会福祉に関する意識は、知的理解のみではなかなか変容しない。社会福祉問題を抱えた人々との交流の中で、あるいはその問題解決の実践・体験の中で変容する。それだけにボランティア活動の推進は重要である。と同時に、福祉教育が求められる背景を解決するためにもボランティア活動を豊かなものにしなければならない。
(大橋謙策「福祉教育の構造と歴史的展開」一番ヶ瀬康子・小川利夫・木谷宜弘・大橋謙策編著『福祉教育の理論と展開』(シリーズ福祉教育1)光生館、1987年9月、74ページ。)
(2)福祉教育とその近似概念である「ボランティア学習」の関係性については、例えば長沼豊は次のように述べている。参考に供しておきたい。なお、長沼は、ボランティア学習は3つの構成要素から成るという。①ボランティア活動のための学習(目的としてのボランティア活動)、②ボランティア活動についての学習(対象としてのボランティア活動)、③ボランティア活動による学習(手段としてのボランティア活動)、がそれである。
福祉教育とボランティア学習は、ある実践では領域接近的に、ある実践では融合形として、ある実践は福祉教育の発展として(結果として)ボランティア学習がある、というように、重層的、輻輳(ふくそう)的に領域や方法が重なり合っているといえるだろう。
(長沼豊『新しいボランティア学習の創造』ミネルヴァ書房、2008年12月、135ページ。)
(3)また、福祉教育とボランティア学習の「違い」と「関係」について、全社協の『新 福祉教育実践ハンドブック』では次のように述べられている。
福祉教育とボランティア学習は、(中略)双方とも人権尊重・異文化理解をベースに、共生文化・市民社会の創造を大目標に掲げる実践です。(中略)しかし概念的には、学習素材・期待される成果・手法において若干の違いがあるともいえます。/ボランティア学習の概念の中心に位置づけられる、「ボランティア活動に組み込まれている学び」という発想は、(中略)リアル空間での学びを強調するものです。(中略)安易な疑似体験や講話的な福祉教育への警鐘としてボランティア学習をとらえることこそが重要なのです。/現在、福祉教育とボランティア学習は、ともすると、異なる文脈で実際の教育現場に導入されていますが、両者の特徴を総合することが求められています。理念的にも、福祉教育とボランティア学習は相補う関係にあります。
(上野谷加代子・原田正樹監修『新 福祉教育実践ハンドブック』全社協、2014年3月、32~33ページ。)
26
付記
「市民福祉教育の構造」をマトリックス図で示すと次のようになる。
27
04/生活綴方教育と福祉教育
―国分一太郎の「1936年論文」をめぐって―
福祉教育の歴史は終戦直後から始まると捉えるのが通説である。しかし、それは戦前の福祉教育に関する歴史をふまえたものではない。戦前に関しては、更なる検討が必要とされる2つの説があるにすぎない。それは福祉教育の遡及的原点を大正デモクラシー期の新教育運動に見出す説と、地方改良運動に見出す説である。前者に関しては村上(1994)が、大正デモクラシー期の新教育運動の中でも、とりわけ「池袋児童の村小学校」の野村芳兵衛による生活教育や修身教育の実践を、福祉教育の遡及的原点として紹介している。後者に関しては、大橋(1997)が地方改良運動の諸実践の中には今日の福祉教育と同じような実践がみられると述べている。(三ツ石行宏「<解題>福祉教育史研究の課題と展望―阪野論文に導かれて―」日本福祉教育・ボランティア学習学会20周年記念リーディングス編集委員会編『福祉教育・ボランティア学習の新機軸~学際性と変革性~』大学図書出版、2014年10月、52ページ)
〇筆者は、福祉教育の歴史研究に関して、1930年代の生活綴方教育の実践や運動のなかに今日の福祉教育実践の側面や要素が含まれていたのではないかという仮説を設定している。その実証的検討の端緒になるであろうと思われる論考に、太郎良信「国分一太郎による生活綴方教育批判の検討―1936年から1939年における―」『文教大学教育学部紀要』第45集、文教大学、2011年12月、21~38ページ、がある。
〇太郎良信(たろうら・しん)はその論考で、国分一太郎(こくぶん・いちたろう、1911年2月~1985年2月)は、1930年以降1935年までは綴方(作文)を通して生活の現実に学ぶ教育実践(「生活勉強」)について説いていた。1936年から1939年にかけての時期には生活綴方教育批判の立場に転じ、また綴方教師たちに地域における啓蒙活動に取り組むことを呼びかけた、と述べる。その点を太郎良は、生活綴方教育批判を主題としていると考えられる国分の7本の論文を時系列に並べ、丁寧かつ深く分析・検討することによって明らかにしている。
〇1936年は、二・二六事件が発生した年である。それは、1929年10月に始まる世界恐慌をひとつの契機に経済的・政治的・社会的矛盾と混乱が深刻化するなかで、日本が軍国主義化・ファシズム化を進め、日中戦争(1937年7月勃発)と太平洋戦争(1941年12月勃発)への道を辿るターニングポイントとなった。1936年はまた、国分にとっても特筆されるべき年である。国分がその重要な担い手であった北方性教育運動(生活綴方教育運動)が衰退傾向を示し、その運動の拠点であった北方教育社(1929年6月、秋田市に創立)が同年8月に閉鎖に追い込まれている。それは、
28
「視学などの圧力と、内部的な脆弱性」(津田道夫『国分一太郎―抵抗としての生活綴方運動―』社会評論社、2010年1月、150ページ)によるものであった。なお、1936年の前年1月に、国分がその中心的役割を果たした北日本国語教育連盟(秋田市)が正式発足し、8月には国分がその組織強化活動に関わった北海道綴方教育連盟(釧路市)が設立されている。
〇さて、本稿では、太郎良が紹介・検討する7本の論文のうちから、国分が「社会事業」に関心をもち、生活綴方教育と社会事業の関係や社会事業の教育的効果などについて言及する2本の論文(以下、「1936年論文」と記す。)のポイントを紹介する。それは、福祉教育の遡及的原点をどこに見出すかということだけではない。前述の三ツ石が指摘する福祉教育史研究のひとつの課題である「戦前と戦後の福祉教育史の連続・不連続を検討する必要性」(『前掲書』54ページ)にどう応えるかという、その端緒を開くことになればという思いによる。それはまた、福祉教育史研究が手つかずの分野・領域の史資料を収集・分析・評価し、福祉教育像を豊かなものにすることを願ってのことである。
(1)国分一太郎「社会事業的文化事業的教師として」『日本文化と国民教育』第2巻第5号、東宛書房、1936年8月、74~79ページ
かうした困難なる生活を生きる子供をかゝへて青年教師は何とするか。或る人は歴史の秩序を信ずる事によつて、この現実の中に真実を、砂の中の砂金のかけら程でもいいからみつけさせて行かうと精神的になる。ある人はこの困惑は薬だといふ。この困難にまけぬやうな意志だけが大切だと説教する。乞食根性をもつなといふ。困難はやがて幸福のもとと出世美談みたいな真理を活用する。
ある青年教師は、子供とはそんな現実主義者ではない。夢の人だといつて、のびのびと、ゆるやかに魂と身を伸さうと賢明なことを言ふ。だがその子は家に帰ると、あまりにも多産な我が母のために、その弟妹をおばねばならぬ。そして背柱湾曲と統計表に計算される。ありのまゝの現実を認識させる事だけが一番だ。あとは何も出来ないと言ふ。真実をかけ真実をみよといふ。見てどうするかと言へば答はない。あるとしても「真実のみが、未来をはらんでゐる」と深遠だ。あとはどうにもならぬとアナーキーになり、更に虚無におちいる。そこである若者どもは生活意欲をもたせようといふ。それには自分がもつ事だといふ。所が、その生活意欲とは何ぞやと質問をする先生が出る。生活意欲とは貧乏でなくなりたいといふだけものではないと答へられると、そんなら凶作の時に何故そんな事を叫び出したと叱る。もう一人はこんご、多分に空想的だと度々いふ。(76~77ページ)
そこで小学教師よ。青年教師よ。如何に生きんとするや――とせつぱつまつて来た。
曰く社会事業的教師とならん。曰く文化事業的教師とならん――とこの際答へたい。だが僕たち一人でそんな事をされるとは限らない自分の生活は困らぬから社会事業にしたがふといふわけにはいかないのが薄給中の薄給の青年教師だ。壮丁の検
29
査成績がわるいとすぐ、保健省設置を提議できる陸軍とは何といふ羨しい熱心な存在だらう。我々教員は一番村に近くゐて、村の人々とも一番近い所にゐて、その子等の上にその人々の生活を知りつくしながら、医療国営一つ、生活安定一つの徹底をも、建議できない人間共である。漢字の存在や歴史的仮名遣ひが、如何に国民生活を不便にし子供を苦しめつゝありと知りながら、それが廃止の建議案をすら、直ちには出す事が出来ない。それをなし得る団結がほしい。社会事業にしても、今の担当者は村の有力者や教育者の古手であつて、青年教師の手中にはない。だが、社会事業的出発のし方は大小とりまぜて色々ある。その小さい所からはじめて、日本の青年教師が手をつないで大きな社会事業をなし得る機会をまつことが大切ではないだらうか。託児所が論ぜられ、実践され、校外教育が再吟味され、地域中心の学校施設が問題とされ、生産学校が行はれはじめたのもみな、教育が社会事業の側にうごいて来た証明できる。紙芝居の教育的実践さへもがそれである。
社会事業には、解釈の浅さはあつても、行動の重要さをとらねばならぬ。よい社会事業は、よい社会改造を目標としてゐる筈だ、歴史がゆがめる社会事業があるにはあるにしても、それを駄目だと解釈して、貧しきものは貧しきまゝにして置いていい筈はない。文化の大衆への浸透、それもまたその不可能や困難をかこつより、よい文化合理化されたそれを、小刻みに与へて行く必要は十分にあるのだ。老年教師を啓蒙することもひとつだ。
じつとしてゐるよりは行動をした方がいい。行動は社会事業的な面が一番今のところ進歩的だとしたら、青年教師はそこへ行くだらう。それをきらつて、「生活を描け描け(くの字点:阪野)」とばかりいつてるのは、「貧しい事がなくなると、よい綴方が出なくなる」と心配する事の愚に等しい。
といつて、教室からとび出し、学校をはなれて、防貧や救貧事業にのり出せとか、保健衛生事業にでかろといふのではない。「純粋の情熱」や「きれいな知性」をいだいて無為に過さんよりは、社会的な悪を憂い、物事を心がけの悪さからだと考へずに、社会の矛盾がなせる業だとなして活動しようとする、社会事業家の生き方のその態度を、青年教師こそ、色々の先生方の層に先んじてもたねばならぬのだ。
かういふ物の考へ方を先生がもつことがそもそも大事な生き方の精神となるのだ。僕らが育てた国民が大きくなつたら、すべての代議士が退職積立金法案には賛成を無条件にするように、農業保健法は立派に制定してくれるやうにとか、小作法はにぎりつぶさぬやうにとねがひたいならば、まことに気永な話ではあるが、社会政策的見地にたつ考へ方を国民に充満させねばならぬ。それの尖兵隊は社会事業家であらう。その尖兵の行動を見習ふこともなくして、意欲がどうの態度がどうの、リアリズムがどうのといつた所で、それが単なる精神的な「覚悟」に終らなかつたら御目出度うだ。
僕達青年教師は、小さい頃、人道主義的見知で育てられたらしい。その頃の青年教師に。だが真にヒユーマニストとして生きてゐる人間は何人ゐよう。前述の如く孤立して僅かに情熱をセンチと化するが落ちではないか。逆に封建的な精神で人間、
30
子供を律しようとしてゐないとは言へぬ。
青年教師が、意欲をいひ、モーラルをいふ若さは悪いといはぬ。それはよい。だが現実とそれでは、まだまだ(くの字点:阪野)距離があるやうに出来てゐるといふ方が正直だ。その距離をうづめる手段も持たないでは困るのだ。
社会を愛し、文化を愛する青年教師の全日本的聯結が、それぞれの報告にもとづいて社会事業的、文化啓蒙的教育の行動形態を建設するの急務が叫ばれて欲しい。(77~79ページ)
〇本論文は、当時25歳の国分が「青年訓導の立場から」書いたものである。
〇国分は、絶対的貧困にあえぎ、社会矛盾にさらされている東北農村の子どもたちの「現実生活」と、それに向き合う青年教師の状況を述べる。その際、「情熱と知性」を本質とする青年教師の教育実践(生活綴方教育)を、「自嘲的」「揶揄的」に描いている(太郎良「前掲論文」28ページ)。そのうえで、国分は、自分たちが育てられた「人道主義的見地」ではなく、「社会政策的見地」に立って、青年教師に「社会事業的教師」になるよう呼びかける。「『純粋の情熱』や『きれいな知性』をいだいて無為に過さんよりは、社会的な悪を憂い、物事を心がけの悪さからだと考へずに、社会の矛盾がなせる業だとなして活動しようとする、社会事業家の生き方のその態度を、青年教師こそ、色々の先生方の層に先んじてもたねばならぬ」。「よい社会改造を目標」とする「よい社会事業」の行動は、「一番今のところ進歩的」である、と国分はいう。しかし、その言説は、青年教師に対して「社会事業家の生き方のその態度」の必要性を説くにとどまっている。国分自身の社会事業的教師として、具体的な教育実践に裏づけられたものにはなっていない、といえよう。
〇なお、「教育が社会事業の側にうごいて来た証明」についての指摘は、「教育福祉」の視点を示すものとして留意しておきたい。
(2)国分一太郎「文壇的批評と教壇的批評」『教育・国語教育』第6巻第10号、厚生閣書店、1936年10月、152~157ページ
主観的なものを客観的なものへ、個人的なものを社会的なものへ生活の眼をひらかせるの道は、つねに「現実生活」の把握によつて「現実生活」で証明し、現実生活にとかしこんで導かねばならぬ。自然発生的な社会認識をもつた子供を科学的な社会認識に導くことも、生物的人間を社会的人間にひきあげることも、すべて「生活」によつて証明しつゝ、あるひは他教科の各面に於て心づかひつゝあるひは子供達が村の社会的事業や、文化事業にかこまれてゐる事を自覚させ乍ら順次にわからせていかねばならぬ。(156ページ)
人間教育とか、純粋感情の教育とか(情操陶冶)といふレツテルを張つてやつて来た綴方教育が、産業の発達による社会的情勢の変化によつて、漸次、より広範囲な生活教育として、その直接的な武器として、生活態度の陶冶と、生活技術の鍛錬と
31
にまで進展したことによるともいへるであらう。そして社会事業の方が、概念的な小学教育よりは、より教育的感化をもたらすといはれる如く、概念的な知的学科や、観念的な情操教科に比して、より現実的な綴方の方が有意義なものとされ、それには昔さながらの文壇的ひとりよがりの指導よりは、より教壇的な協働生活関係としての、生活組織器関(ママ、機関:阪野)として役立つやうに吟味されるに至つたのである。(157ページ)
僕達の綴方も、あらゆる教科が、生活を証明材料として引つさげて来り、綴方の道をゆたかにしてくれる限りは喜んでむかへるであらう。それらによつて生活の知性がたかまり、生活が充実し、生活行動が真摯になるならば、綴方にとつて其れはこのましき限りである。それよりも却つて、綴方が綴方の垣の中にとぢこもる如きは、その機能を衰微させる自己矛盾として、むしろ警戒するに価することなのである。貧しさを深刻にかいた綴方があつてくれるやうに、貧しさよ永遠に亡ぶ勿れ――等といふのは綴方の望む処ではない。貧しさのなくなるやうに、防貧事業や救貧事業が、あるひはもつと根本的な社会事業が、学校の周囲でどしどし(くの字点:阪野)と行はれる事などは綴方にとつて慶賀すべき事である。即ち、綴方の局外よ。他教科にとどまらず、学校全般、社会全般の批判も、どしどし(くの字点:阪野)と綴方の垣を越えて来てほしいのである。かくしてこそ、綴方はますます(くの字点:阪野)生活組織としての機能を発揮するに便利であらう。(157ページ)
〇本論文は、国分によると、「世代の綴方論」としては「消極的駄文」であり、「児童作品批評に於ける若干の解剖」を行う「警告的駄文」(153ページ)である。
〇国分は、子どもの綴方に対する教師の批評は、「文芸評論」の影響を受けて、優秀な、見本(サンプル)となる作品などをよしとする「文壇的批評」の傾向にある。そうではなく、個々の子どもの「現実生活」や生活認識などに留意した「教壇的批評」が重要である、と説く。加えて国分は、現実生活を客観的・社会的・科学的に把握させることが肝要であり、「子供達が村の社会的事業や、文化事業にかこまれてゐる事を自覚させ乍ら順次にわからせていかねばならぬ」という。
〇そして、国分は、生活綴方と社会事業の関係について言及する。国分にあっては、社会事業によって感化されたことを綴方(作文)に書くことは、現実生活から学び、生活行動に生かすことであり、概念的・観念的な教育に比して教育的であり有意義である。また、生活綴方は国語教育にとどまらず、学校教育や校外教育への広がりをもつことによって、子どもたちの社会事業への関心を促すことになる。すなわち、「社会事業が、学校の周囲でどしどしと行はれる事などは綴方にとつて慶賀すべき事である」。
〇以上の「1936年論文」において、国分は、生活綴方教育についてネガティブに論じている。その際、その論拠は必ずしも明確であるとはいえない。また、社会事業
32
による教育・啓蒙とその教育的効果への関心と期待を示している。その際の社会事業の言辞については、観念的・抽象的なものにとどまっている。とはいえ、当時、国分は、生活綴方教育の実践や運動において指導的役割を担っていた。そういうなかで、国分の社会事業に関する関心や発言は、青年教師(綴方教師)たちにどのような影響を与え、どのような取り組みを生み出したのか。その前提として、国分がよしとする綴方教師としての「教師像」はどのようなもので、どのような特質をもつものであったか。今後の研究課題とすべきところである。
〇太郎良は、前掲の論考で、「視学等から監視や干渉を受けて、つねに弾圧をおそれていた」国分にあっては、生活綴方教育批判は「視学等の心証を良くするためのものであった可能性がある」(36ページ)という。そうだとすれば、国分の社会事業への関心は単に、そのためのものであったのか。そうではなく、ファシズムの常態である公権力による教育の支配・統制が強化されるなかで、それに対抗する教育実践として、「社会改造」を目標とする社会事業に期待したのか。興味のあるところである。
〇なお、国分は、1938年3月に教職を免ぜられた。1941年10月には、左翼的傾向をもつ北方性教育運動(「抵抗としての生活綴方運動」)の関係で警察に逮捕されている。また、1938年1月に健民健兵政策を推進するために厚生省が創設され、同年4月には人的・物的資源を統制運用するために国家総動員法が公布、5月に施行された。それを契機に、社会事業は戦時厚生事業へと変質し、戦時体制の枠組みに組み込まれていく。
〇いずれにしろ、国分が社会事業の教育的効果に関心を示したことについては、個人的にも時代的にも厳しい状況に追い込まれていったこととの歴史的文脈・関係性のなかで考究する必要があろう。国分は、1943年7月に判決が下される過程で「転向」を余儀なくされている。国分の社会事業への関心とその呼びかけは、生活綴方教育批判を行うなかでの、「抵抗」「転向」あるいは「偽装転向」としてのそれであったのか。綴方教師たちはその点をどのように受け止め、どのような社会事業的な教育実践に取り組んだのか。それとも、綴方教師に対する弾圧が強まるなかで、取り組むことができなかったのか。あるいは、教育現場の綴方教師たちは、国分の呼びかけに対して端(はな)から一顧だにしなかったのか。それらを歴史的・実証的に明らかにすることが求められよう。
〇周知のように、敗戦後の生活綴方教育は、1950年7月の「日本綴方の会」(1951年9月「日本作文の会」と改称)の発足や、国分の『新しい綴方教室』(日本評論社、1951年2月)、無着成恭の『山びこ学校』(青銅社、1951年3月)等の刊行などを契機に復活・興隆する。そして、1950年代前半にひとつの頂点を迎える。それは、戦後の新しい教育(教育の民主化)のなかで、戦前の生活綴方教育を継承・発展させようとするものであったと評される。そこでは、貧困からの脱出が最重要課題とされたが、具体的に「現実生活」がどのように把握され、「生活教育」がどのように規定されていったのか。綴方教師によって「社会事業的」な教育実践は展開されたのか。「戦前と戦後の福祉教育史の連続・不連続」に関する研究課題のひとつである。
33
〇日本はいま、戦時中の社会体制への回帰が加速し、“政治”と“教育”は「危機」状況にある。戦時体制下において、綴方教師たちによる社会事業的な教育実践は、戦時厚生事業に再編されていった社会事業と軌を一にして、戦争に協力することになったのであろうか。そうだとすれば、同じ轍を踏まないためにも、こんにちの福祉教育(市民福祉教育)のあり方は厳しく問われる必要がある。あえて付記しておきたい。
注
軍国主義ファシズム最頂期の1940(昭和15)年には、「治安維持法」(1925年4月公布、5月施行)によって全国で300人を超える生活綴方教育運動の指導的立場にあった教師たちが検挙・投獄され、弾圧された(乙訓稔「国分一太郎の生活綴方教育の理念」『実践女子大学生活科学部紀要』第50号、実践女子大学、2013年3月、52ページ)。
補遺
周知のように、1937年5月に「教育科学研究会」を結成した城戸幡太郎と留岡清男は、雑誌『教育』(第5巻第10号、岩波書店、1937年10月)において生活綴方教育批判を行った(1938年生活教育論争の発端)。「綴方教育は児童の生活を理解し、生活態度を自覚せしむることはできるが、彼等の生活力を涵養することはできぬ。彼等の生活力を涵養するには彼等の生活問題を解決することのできる生活方法を教へねばならぬ」(城戸幡太郎「生活学校巡礼」48ページ)。「生活主義の綴方教育は、畢竟(ひっきょう。要するに:阪野)、綴方教師の鑑賞に始まつて感傷に終るに過ぎない」(留岡清男「酪聯と酪農義塾」60ページ)、がそれである。こうした手厳しい批判に対して、「社会事業的教師」(綴方教師)たちはどのように反応し、どのような新しい教育課題を見出し、またどのような教育実践を展開したのか。こんにちの福祉教育実践にも通じるであろう点として、興味深いところである。
謝辞
本稿を草するにあたっては、文教大学教育学部教授の太郎良信先生に格別のご高配を賜った。ネット検索でも全くヒットしない雑誌『日本文化と国民教育』に掲載されている国分の「1936年論文」については、先生が私蔵されているものをコピーしご送付いただいた。記して感謝申し上げます。
34
05/「山びこ学校」と解放制教育実践
―改めて無着成恭の『山びこ学校』を読む―
〇筆者の机の上に4冊の本がある。岩田正美『貧困の戦後史―貧困の「かたち」はどう変わったのか―』(筑摩書房、2017年12月。以下[1])と無着成恭編『山びこ学校―山形県山元村中学校生徒の生活記録―』(青銅社、1951年3月。以下[2])、そして佐野眞一『遠い「山びこ」―無着成恭と教え子たちの四十年―』(文藝春秋、1992年9月。以下[3])、奥平康照『「山びこ学校」のゆくえ―戦後日本の教育思想を見直す―』(学術出版会、2016年2月。以下[4])、がそれである。
〇1945年8月の敗戦(1931年9月の柳条湖事件から始まる15年戦争の終結)によって、すべての国民の生活は「飢餓状態」「絶対的貧困状態」「総スラム化現象」に陥った。[1]は、戦後日本の貧困の「増減」ではなく、その「かたち」の変容を描き出したものである。敗戦直後の貧困の「かたち」は「孤児」「浮浪者」「戦傷病者」「失業者」などであり、現代のそれは「子どもの貧困(ひとり親家庭)」「単身高齢者」「ホームレス」「ネットカフェ難民」などであろう。
〇[1]で岩田はいう。「『自立』支援という政策目標は、個人の怠惰が貧困を生むという、きわめて古典的な理解に基づいている。だが問題は、怠惰ではないのだ。貧困を個人が引き受けることをよしとする社会、そうした人びとをブラック企業も含めた市場が取り込もうとする構図の中では、意欲や希望も次第に空回りし始め、その結果意欲も希望も奪いさられていく。だから問題は、『自立』的であろうとしすぎることであり、それを促す社会の側にある」(324~325ページ)。「貧困の責任を個人が引き受け、貧困を不可視化する市場や企業の日本的な仕組みを変えていくのは困難な道程であろうが、そのような転換なしには、重なり合った貧困はますます社会から遠ざかろうとして、その『かたち』すら明確には見出せなくなるかもしれない。『かたち』が曖昧な貧困の放置は、この社会の不安と分断を不気味に拡大させていくことになるだろう」(326~325ページ)。強く首肯するところである。
〇いま、日本では「民主主義の根幹の破壊」や「教育現場への国家権力の介入」が進んでいる。それは、「公の崩壊」や「政治と行政の歪み」などと指摘される以前の、「主権者は誰か」ということが厳しく問われていることを意味する。日本人はこれまで、厳然と残るタテ社会の人間関係のなかで、真の「主権者」になった経験がないのではないか。そんなことをも思いながら筆者は、何十年ぶりかに、「戦後民主主義教育の金字塔」と評された無着成恭(むちゃく・せいきょう、1927年3月~)の[2]を読む気になった。その冒頭をかざるのが、石井敏雄の詩「雪」(1ペ
35
ージ)である。「雪がコンコン降る/人間は/その下で暮しているのです」。山形県の僻地の寒村(貧しい村)で貧困と闘い、たくましく生きた子どもたちの生活綴方、なかでも江口江一の「母の死とその後」(2~18ページ)には胸が締めつけられ、重い痛みを覚える。佐藤藤三郎の「答辞」(岩波文庫版、1995年7月、297~301ページ)には、無着の生活綴方教育実践の神髄に触れる思いがする。
〇ここで、佐藤の「答辞」(1951年3月23日)の一節を紹介しておくことにする。
私たちは、はっきりいいます。私たちは、この三年間、ほんものの勉強をさせてもらったのです。(中略)
私たちが中学校で習ったことは、人間の生命(いのち)というものは、すばらしく大事なものだということでした。そしてそのすばらしく大事な生命も、生きて行く態度をまちがえば、さっぱりねうちのないものだということをならったのです。(中略)
私たちの骨の中しんまでしみこんだ言葉は「いつも力を合わせて行こう」ということでした。「かげでこそこそしないで行こう」ということでした。「働くことが一番すきになろう」ということでした。「なんでも何故? と考えろ」ということでした。そして、「いつでも、もっといい方法はないか探せ」ということでした。(中略)
私たちはもっと大きなもの、つまり人間のねうちというものは、「人間のために」という一つの目的のため、もっとわかりやすくいえば、「山元村のために」という一つの目的をもって仕事をしているかどうかによってきまってくるものだということを教えられたのです。
〇[2]に併せて、[3]と[4]を読むことにした。[3]は、「教育(教師)と宗教(僧侶)」「栄光と挫折と変節」の間で苦悩した無着と、その後の高度経済成長を底辺から支えた43人の子どもたちの人生の軌跡を描いたルポルタージュである。例えば、無着は、山元中学校に赴任して6年目の1954年4月に退職(「谷間の英雄」の「村からの追放」)し、上京する。1956年4月に明星(みょうじょう)学園に再就職し、27年間にわたって教鞭を執る傍ら、「教育タレント」活動(TBSラジオ「全国こども電話相談室」のレギュラー回答者など)を行った。石井敏雄は、農業や出稼ぎ(土建業)で生計を立て、その後、家族とともに神奈川県に移住している。江口江一は、就職した山元村森林組合で植林活動に腐心するが、32歳になる直前に生涯を終えた。残された長男は6歳、江口が父親を亡くした歳であった。佐藤藤三郎は、農業高校を卒業後、農民と著述家(評論家)として生き、「もの言う農民」(大牟羅良『ものいわぬ農民』岩波新書、1958年2月)として多くの著作を持っている。
〇[4]は、「『山びこ』実践とその思想が、日本の教育実践と理論の質的飛躍の基盤となる可能性をもっていたとするならば、それはなんだったのか。それは戦後教
36
育実践・思想・理論史において、どこにいってしまったのか」(17ページ)を問うものである。それを明らかにするために、「山びこ」実践に対する教育界内外にわたるさまざまな領域の言説を検討し、その議論の跡を丹念に辿る学術書(戦後日本の教育思想史研究)である。
〇[4]で奥平はいう。「子どもたちが生活と労働に組み込まれているという点をテコにして、子どもたちを生活と学習の従属者から、学習と生活の主体者に転換していく教育、それが『山びこ』実践だった」(11ページ)。「『山びこ学校』と生活綴方への情熱は50年代後半になると急速に衰退する。衰退はまず教育研究の領域で、次に教育実践の領域に広がっていった。(中略)どうしてこれほどまでに急速に、『山びこ』実践礼賛から教科・教材研究へと、関心が絞り込まれていったのか(「生活綴方教育の縁辺(えんぺん)化」187ページ)。『山びこ』実践とその生活綴方実践は、今から見れば、一時的に流行した歴史的出来事としておけばいいのか。それとも、やはり戦後教育実践の画期をなすものであり、戦後教育の実践と研究の基本的方向を示す典型だと位置づけ、継承すべき実践だったのか。教育学が理論的賞賛の後に、理論化の努力を中断してしまったように見えるのはどうしてか。賞賛を持続するにせよ、そこから離れるにせよ、戦後実践史における位置づけができずに経過していったのはどうしてか」(8ページ)。これらの指摘は、生活綴方教育実践に今日の福祉教育実践の視点や枠組み、側面や要素が含まれていたのではないかと考える筆者にとって、興味深い。福祉教育の実践と理論のより一層の進展を図る過程で、常に留意すべきところである。民主主義が危機にさらされ、アクティブラーニングをめぐる空疎な議論やコミュニティ・スクールの無批判的な導入が進められている今日において、なおのことである。
〇以下では、[4]から、「市民福祉教育」の実践や研究に「使える」論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
教育は、歴史的・社会的で具体的な生活課題に立ち向かう子どもに、文化の継承と批判・抵抗・革新(「文化伝達と文化革新」)を促す営みである
教育という営みは疑いもなく子どもを既成文化の枠組みの中に取り込むことである。しかし教育の成功によって既成文化に取り込まれた子どもたちは、他方ではその既成文化の改革者になるように期待されてきた。文化の継承者であることと文化の革新者であることを共に実現する教育という難問、あるいは文化革新の方法を内にもつ文化継承の方法の発見という難題が、教育・学習の思想にはつきまとっている。
子ども時代は既成文化の徹底した受容・継承者に、一人前になったら文化革新者にという常識的な実践的考え方は、それなりに有効に働いているのだが、そこでは継承者から革新者への転換過程が教育学的考察の外に放り出されて、偶然に委ねられている。支配的文化に悪の浸透する危険がある社会においては、文化伝承と文化批判・抵抗・革新との転換あるいは関係の実践は、教育的計画として構想されなければならない。「山びこ」実践の継承に固執したいくつかの教育思想は、文化継承・
37
革新問題にどのように悪銭苦闘したか。(18ページ)
子どもたちは歴史的具体的生活課題に立ち向かいつつある生活主体だという「山びこ」実践の基盤となっていた視点を、どこかに置き忘れてしまった。(335ページ)
教育が社会的統制であることは避けられない。しかし教育のその場において、その「社会」統制を「子ども」・学習者の歴史的生活的主体形成過程に絶えず転換する、そのような実践と制度のあり方を求め続ける教育思想の系譜が生まれていた。その教育思想の系譜を見直す必要がある。(335~336ページ)
「山びこ」実践は、個々の生活問題の主体化と客観化・社会化を通して地域・社会改革を進める、綴方による共同主体形成の取り組みであった
「山びこ」実践では、教師も子どもたちも、自分の生き方・道徳を前面に出して行動し、討論し、教育し、学習し、生活することを課題としていた。
それは、社会改革の既成理論や未来社会構想を鵜呑みにして、自分自身と子どもたちにそのまま受け取らせようとすることではなかった。社会改革=村・地域社会の改革もその未来構想も、無着自身にとって、いまだ未知の探究課題だった。無着のしたことは、生活の現実に子どもたちの目を向けさせ、子どもたちに生活現実が抱えている問題を具体的に発見させ、そして子どもたちと一緒に、村と生活をつくり直していく方法を見つけ出し、その問題解決の実践に参加していくことだった。
したがって「山びこ」実践によって形成されつつあったのは、山村社会の改革を担おうとする教師と子どもたちの共同主体だった。そして生活綴方と文集は、生活現実の認識・分析と村や学級の交流と共同を支え、促進する強力な手段だった。(70ページ)
「山びこ」学級は、教師と生徒が一緒になって、生活と学習の共同体をつくっている。そこには、多様なレベルの主体性をもつ子どもたちと教師がいて、その多様なレベルの主体が集まっていた。それら多様な主体は、無着を頂点とする共同主体となっていた。その共同主体の中で、対話、討論、協同活動・行動・遊びなどを通して、個別の主体が承認され、矛盾を醸成し、一層高いレベルの主体へと発展していく。「山びこ」実践はそういう構造をもっていたと見ることができる。個別の未熟な主体性を認め、受け入れるという指導者無着の姿勢は、子どもたちそれぞれみんなの姿勢と見方になっていった。(74ページ)
「山びこ」実践には、「解放制教育実践システム」として、限定化した「子ども」と「社会」を現実のそれに帰還(螺旋的展開)させる機能が働いていた
どのような教育システムであれ、教育を意図し計画するためには、無限に複雑多様な現実をそのまま取り込むことはできない。一定の視点をもって「子ども」と「社会」とを限定して構成して、教育の要素とせざるを得ない。学校教育がその教育計画において想定する「子ども」と「社会」は、現実の子どもと社会そのままではあ
38
り得ない(159ページ)
「山びこ」実践が従来の教育実践と異なるところは、実践それ自体のなかに、絶えず現実に生活する子どもに帰り、その子どもの現実生活に帰って、「子ども」と「社会」を更新し続ける実践システムになっていたことである。現実の子どもと社会への帰還を実現する主要な方法的回路になったのが、「山びこ」実践の生活綴方だった。
現実の子どもと社会に立ち帰って、狭い枠組みの内に切りつめられた「子ども」と「社会」を拡張し、子どもたちが納得する新しい「子ども」と「社会」へと更新しつづける教育システム成立の可能性を「山びこ」実践に見ることができる。そのように、現実の子どもと社会への帰還のルートをもつものを「解放制教育実践システム」と呼び、現実への帰還の制度・方法をもたず内部完結するものを「閉鎖制教育実践システム」と呼んで区別することができる。(159ページ)
(無着は)「子ども」が現実生活の課題を背負って生活主体として学校で学習し生きることができたこと、それがいかに貴重で特色のある実践システムだったかということ、それを理解していなかった。そのために無着は数年の悪戦苦闘の後に、自身の直観と情熱によって切り拓いた教育実践の解放制システムという特色を放棄し、在来型の閉鎖制システムの範囲の実践に落ち着いてしまった。それは無着だけに生じた選択ではなくて、1950年代後半以降から60年代に続く日本の教育界の多勢に生じた選択でもあった。(160ページ)
教育は、人間形成の生活的総合性と全体目的について自覚的であり、個別領域における妥当性だけを追求する「局部的合理主義」に陥ってはならない
戦後教育学の代表的担い手の一人である宮坂哲文も、生活綴方教育実践への世間の興奮が冷めた後でも、生活綴方教育の意味を高く評価し続けた一人だった。(240ページ)
宮坂は徹底した生活教育論者だった。その「生活」は子どもの具体的で身近な生活から、子どもの所属する集団と全体社会の生活まで、全生活を意味した。その全生活過程が必要とする人間形成の有機的部分として学校の教育・学習・訓練は存在する、と見たのである。現実の子どもと子どもが生きる社会との諸関係の総和が、子どもの人間形成過程である。学校の教育過程はその一部であり、教科指導や生活指導はさらにその一部である。そうした総合的生活連関、言いかえれば人間形成の生活的総合性から切り離されて教育の目的・過程・方法・技術が設定されるとき、局部的合理主義に転落する危険が生れる。生活綴方的教育方法は子どもの具体的生活に即して教育を更新していく道筋をもっている、と宮坂は判断していた。(245~246ページ)
学校教育は歴史的社会的生活実践の一環として位置づけられなければならない。宮坂はこの点を重要なことだと考えていた。生活綴方によって、子どもの学校生活は、具体的現実的生活実践全体の一環としての位置を得ることができる。宮坂が教育実践と理論について強く警戒していたことは、教育が向かうべき全体目的についての自覚的反省を忘却し、実践の個別領域に視野を限定し、そこだけで自足する実
39
践と理論になることだった。(251ページ)
〇日本の戦後教育には、「学習者の主体性を主導的性格とする教育実践と教育理論」([4]335ページ)を求める教育思想の系譜があった。それを駆動したのが無着の「山びこ」実践であり、その理論化に取り組んだのが小川太郎や大田堯、勝田守一、宮坂哲文らの教育学者であった。また、「山びこ」実践は、鶴見俊輔(哲学者)や上原専禄(歴史学者)、鶴見和子(社会学者)らの思想に大きな影響を与えた。
〇奥平は[4]で、小川太郎や鶴見俊輔らの多くの、多面的な言説を丁寧に辿り検討することを通して、「山びこ」実践や生活綴方教育実践の未発の「ゆくえ」を描き出そうとする。国や行政、社会組織やシステムなどを民間企業化し全体主義化することをねらって、政治が教育に介入し、教育内容や方法に対する統制が進められている今日において、である。
〇ここで思い出すのは、江口俊一の生活綴方「父の思い出」([2]26~31ページ。岩波文庫版、47~52ページ)の次の一節である。「みんな父のかえりを待っているところへ舞いこんだものは、昭和二十二年の秋、『戦死をした』という一片の電報だけだった。私はもちろんお母さんも、弟も、としとったばんちゃんも、若いずんつぁ(若いほうのおじいさん)も、家内中みんなが『ちきしょう』と思った。しかし、誰に『ちきしょう』といえばよいのかわからなかった」([2]28ページ)。涙がこぼれる。とともに、真の「主権者」とその教育についての思いを強くする。
〇最後に、「生活綴り方運動」の問題点や弱点を指摘しながらも、『山びこ学校』の理解者であった鶴見俊輔の次の一節を付記しておくことにする(久野収・鶴見俊輔『現代日本の思想―その五つの渦―』岩波書店、1956年11月)。
戦後の生活綴り方運動の新しい頂点をつくった無着成恭の方法は、マルクス主義的であると多くの都会的評論家から批判されたが、その創案者の無着は、マルクス主義の文献とは別個に、プラグマティズムの文献とも別個に、また生活綴り方運動それ自身の文献からさえも別個に、つまりほとんど何の文献の系統にもよらず、山形県山元村の現地の中学生に社会科を教えるというその実際上の問題を解決する努力の中から、直線的に『山びこ学校』という文集をつくったのである。(94~95ページ)
プラグマティズムというのは、行為(プラグマ)が思想に先んじることを主張する立場であるとするならば、生活綴り方運動は、哲学史上のプラグマティズムよりも、もっと徹底的にプラグマティックな運動の形をもっている。(75ページ)
アメリカのプラグマティズムが、哲学書から無意味な議論をおいだすための、「読み方」の方法としてはじめて工夫されたのにたいして、この日本のプラグマティズムは、自分の生活の真実を描くための「書き方」の理論として出発したため、環境に対する働きかけの面が強い。アメリカのプラグマティズムが〔形而上学的迷路に
40
思想が入るのをふせぐためにつくられた〕防禦的プラグマティズムであるのにたいして、生活綴り方運動は、〔生活改善に目をむけさせる〕攻撃的プラグマティズムとなった。(75~76ページ)
41
06/歴史的視点や哲学的思考を欠いた福祉教育の未来
―高久清吉著『哲学のある教育実践』から考える―
〇2019年11月23日~24日、日本福祉教育・ボランティア学習学会第25回北海道大会が北星学園大学(札幌市)で開催された。大会テーマは、「未来へつなぐ、みんなでつなぐ。~多文化共生社会を育む福祉教育とボランティア学習~」であった。圧巻で感動的だったのは、本田優子(ほんだ・ゆうこ、札幌大学教授、アイヌ文化・アイヌ史)による「アイヌ文化からみる多文化共生社会の創造」と題する「基調講演」であった。アイヌ語に、「ヤイコシラㇺスイェ」という言葉がある。「ヤイ」は「自分」、「コ」は「に対して」、「シ」は「自分」、「ラㇺ」は「心」、「スイェ」は「を揺らす」、「ヤイコシラㇺスイェ」で「自分に対して自分の心を揺らす」となる。それは日本語の「考える」という意味である。「考える」とは「心を揺らす」こと、筆者にとって目から鱗(うろこ)が落ちる一言であった。
〇「自由研究発表」や「課題別研究」報告などでは、ひとえに筆者の浅学菲才によるものであるが、「心を揺らす」報告はさほど多くはなかった。新味のない(使い古された)テーマについて、場所や組織、人を替えただけの、あるいは横文字や権威づけられた(古めかしい)過去の言説を多用した議論では、福祉教育実践や研究の推進は望むべくもない。歴史的・社会的・文化的実践であるはずの福祉教育実践をめぐって、その現場から乖離(かいり)した抽象的な言葉・概念や思考をこねくり回すのも、然りである。そこからは、原理や理論のない、視野が狭く定型化され、矮小化された実践が生み出されるだけである。そうした福祉教育実践さえも、厳しい時代状況に押しつぶされようとしている(されている)。意図的にか無意識的にか、それを理解・認識しない実践者(あるいは実務家)や研究者がいる。また、お互いの「傷」をなめ合い、慰め合っている人たちもいる。そこからは、福祉教育実践や研究の「展望」や「未来」は見出せない。
〇そこで、いま求められるのは、歴史的視点や哲学的思考を重視しながら、福祉教育とは「そもそも何か」、それは「いかにあるべきか」「いかに取り組むべきか」を、危機的な現場や生々しい実践との関わりのなかで本質的・根源的に問い直すことである。本稿の裏テーマ(「福祉教育哲学」の必要性を問う)が意味するところはここにある。なお、「理論と実践」の関係性について探究することなく、単なる「実践(事例)」研究にとどまりがちな福祉教育研究の現状も気にかかる。
〇そんな思いのなかで、筆者の手もとにある高久清吉(たかく・せいきち、筑波大学名誉教授、教育哲学・ヘルバルト研究)の『哲学のある教育実践―「総合的な学習」は大丈夫か―』(教育出版、2000年4月)を読み返すことにした。以下に、筆者なりに再確認・再認識しておきたい、高久の言説のいくつかをメモっておくことに
42
する(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
「哲学のある教育実践」という言葉
「哲学のある教育実践」という言葉に接した時、ある人は、教育についての確固とした信念や信条をもった教師による実践とか、教育の理念や理想に基づく明確な思想に貫かれた実践を思い浮かべるかも知れない。また、人によっては、考え方や判断の筋道がすっきりとした実践、教師の体系的な見方や考え方が際立っているような実践をイメージするかも知れない。いずれにしても、「哲学のある教育実践」が意味するものは、だれにも共通一様に理解されるというのはあり得ないようである。(108~109ページ)
「哲学」の意味
「哲学」の意味は、通常、大きく次のような二つに分けられる。一つは、「哲学すること」(Philosophieren)、もう一つは、「哲学」(Philosophie)である。
「哲学すること」とは筋道の通った知的活動そのもの、この活動の「過程」にこそ哲学の本質があると見る立場である。それに対し、「哲学」とは知的活動の「結果」または「所産」として導き出された内容の体系、それが本来の哲学であるとする立場である。この二つの意味は、よく「過程としての哲学」と「結果としての哲学」という言葉で表現されている。この二つを切り離して別々のものと見なすことはできないが、「哲学」の意味を、一応、この二つに分けるのは妥当である。(109~110ページ)
「哲学のある教育実践」の意味
「哲学」の意味を二つに分けるとすると、これに対応して、「哲学のある教育実践」の意味も二つに分けられる。「哲学のある教育実践」の「哲学」を「過程としての哲学」と理解すれば、「哲学のある教育実践」とは、哲学的な見方や考え方が大きく作用する教育の実践、言い換えれば、教育実践上のさまざまな問題や事柄が哲学的な見方や考え方に基づいて吟味され、判断され、構想される実践ということになる。これに対し、「哲学」を「結果としての哲学」と理解すれば、「哲学のある教育実践」とは、哲学的な思考から生まれた内容、つまり、教育に関する明確な「思想」に基づく実践ということになる。
「哲学のある教育実践」のこのような二つの意味は、実は、一方がなければ、他方も成り立たないという表裏の関係にある。哲学的な考え方によって明確な思想が導き出されるし、明確な思想が前提となって、実践上のさまざまな問題や事柄についての哲学的な考え方も行われることになるわけである。(110ページ)
〇以上を簡潔に言えば、高久にあっては、「哲学」とは「いわゆる学問領域として
43
の哲学やその学説内容ではない。いつでも、全体的・根本的なものを踏まえながら、実践や実際上の個々の問題を筋道立てて主体的・構造的にとらえていこうとする思考の働きそのもの」(まえがき、ⅵページ)をいう。そして、「哲学のある教育実践」は、「教育の理論または哲学と結び付き、これによって支えられ、方向づけられた教育実践」(97ページ)と定義づけられる。
〇そのうえで高久は、教育現場と教師について、次のように指摘する。「哲学をもたないで教育の実際の仕事に従事している教師たちに共通して認められる欠点は、本質と現象、全体と部分、本と末、重と軽との間の区別がはっきりせず、これらを簡単に混同してしまうことである」。「さまざまな問題や事柄への対応に追いまくられる教育現場において、教師のものの見方や考え方は強力に狭められてしまい、現象に振り回される本末軽重の見分けもできなくなってしまう」(112ページ)。そこで、現場教師に求められるのは、「教育の理論または哲学と、教育実践との生きた結び付きを求める問題意識」である(97ページ)。「教育現場にとって何よりも必要なのは、『普遍的理念』、つまり、教育の本質的・原理的なものをしっかりと踏まえ、これに基づく哲学的な考え方を展開していくことである」(112ページ)。
〇こうした指摘は、学校現場を含めた地域・社会における福祉教育(「市民福祉教育」)にも通底する。福祉教育学界(学会)が探究すべきものは、福祉教育の場当たり的な、対処療法的な方法・技術ではない。哲学的思考によって生み出される「福祉教育思想」(「福祉教育哲学」)と、それに貫(つらぬ)かれた福祉教育の「理論と実践」である。その際の哲学的思考は言うまでもなく、自律的で理性的、批判的な思考であり、その論理化と体系化が「哲学する」ということでもある。改めて再確認・再認識しておきたい。
〇アイヌは、この世の中にあるあらゆる存在を「カムイ」(神)とみなす。その神(カムイ)と人間(アイヌ)との関係は、「神ありて人あり、人ありて神あり」という、互いに相手に対して権利・義務を負う「相互扶助」(ウタㇱパ ウカスイ)の関係にある。アイヌはカムイに対して「祈り」や「供物(くもつ)」を捧げる。カムイはアイヌを「守護」し「食料」や「道具」を授ける。前述の本田は、時間軸と空間軸における「共生」の基本は互いに自分の責任を果たすことであり、そこに「人間存在の本質」をみる。
〇「人間存在の本質」の追究は、「人間について、人生について、生き方について学び考える」こと、すなわち「哲学する」ことである。それは、福祉教育実践や研究においてもその根幹をなす。この点に関して、内田樹(うちだ・たつる、神戸女学院大学名誉教授、フランス現代思想・教育論)の新刊本(『生きづらさについて考える』毎日新聞出版、2019年8月)のなかの一節を紹介しておくことにする(抜き書き)。福祉教育実践や研究、福祉教育を「哲学する」、そのための「構え」として留意したい。
44
教育事業の受益者は共同体の未来である
学校教育というのは商品の売り買いではい。そこには市場における「商品」に相当するものも、「消費者」に相当するものも存在しない。
教育事業の利益は、教育を受けた若者たちがやがて人間的な成熟を遂げて、共同体の次世代を支えるという仕方で未来において償還される。教育事業の受益者は教育を受ける個人ではなく、共同体の未来である。(40ページ)
オープンマインド(開放的であること)は学びの基本の構えである
武道の教えに「座を見る・機を見る」ということがあります。座とは「いるべき場所」、機とは「いるべき時」のことです。(180ページ)
武道的な意味での「正しい場所」とは「どこにでもいける場所」のことであり、「正しい時」というのは「次の行動の選択肢が最大化する時」のことです。
「正しい位置」というのは空間的に決まった座標のことではなくて、その時々において最も自由度の高いポジションを選択できる「開放度」のことです。
生きていくうえで最も大事なのは、ニュートラルで、選択肢の多い、自由な状態に立つことです。それはできるだけ「オープンマインド」でいることと言い換えることもできます。オープンマインドこそは、学ぶ人にとっと最も大切な基本の構えです。(181ページ)
自分が理解でき、共感できることだけを聴き、自分がすでによく知っている分野についての知識を量的に増大させることは「学ぶ」とは言いません。「学ぶ」というのは、自分の限界を超えることです。自分が使っている「わかる/わからない」の枠組みを踏み抜けてゆくことです。
若い人達たちが感じている「生きづらさ」は「正しい位置」にいないことで生じた心身の歪みがもたらす詰まりや痛みです。自分が機嫌よくいられる場所はどこにあるのか、心身のどこにも詰まりやこわばりや痛みが生じないような姿勢はどうやったら見つかるのか、何よりもそれを求めて行ってほしいと思います。(182ページ)
45
07/人間尊重と社会正義
―宇沢弘文を読む―
〇日本は、相変わらずの「アメリカ追随と周回遅れの経済・社会改革」が病理化している。そういうなかで、「民意の歪曲・封じ込めと国策・政策の強行」「官僚・行政の暴走・劣化と政治・社会の荒廃」「自立・自己責任の強要と国家責任の縮小」が進んでいる。日本社会の危機的状況である。いま、「市場原理主義からの脱出と定常型社会への転換」「地域の内発的発展とローカリズムの推進」「競争教育・教育統制からの解放と共働・共創の教育改革」が強く要請される。
〇客観的な事実よりも個人的な感情や信条へのアピールが重視され(「ポスト真実」)、口当たりのよい言葉やスローガンが横行闊歩(おうこうかっぽ)している。出生前診断の拡大によって「命の選別」が懸念され、家庭や学校、福祉施設における「いじめ」や虐待など、生命(いのち)の尊厳が軽視・蹂躙(じゅうりん)されている。社会福祉は、極端な市場原理主義がいう「国家による窃盗」(下記『始まっている未来』15ページ)ではない。しかし、市場原理主義的な政策の推進によって子ども・高齢者・障がい者などの社会的弱者に対する福祉・教育の内部的矛盾が露呈し、形骸化が一層顕著になっている。とりわけ国家主権の自らの放棄(従属・植民地化)と国民の管理・統制の強化(隠蔽・制裁)が目に余る。
〇そんなことを思いながら、改めて宇沢弘文(うざわ・ひろふみ、1928年~2014年)を読むことにした。その直接的なきっかけは、筆者の周辺で見聞きした「ある種の作為を持って設置された政府系の審議会や委員会に参加することを誇りとする」某学究の“変節”。「住民主体や市民性形成の強調が社会福祉の公的責任の後退や社会保障の削減を招いている」という某検討会の委員の“短絡”。「住民参加をベースにした福祉計画策定の提案(プロポーザル)が採用されなくなった」という某シンクタンクの研究員の“嘆き”。そして、「人権侵害と過酷な労働・生活環境に置かれている現代版女工哀史」である某中国人技能実習生の“悲憤”(ひふん)の涙、などにある。
〇宇沢は経済学者・思想家であり、「ノーベル経済学賞に最も近い」と評された。1997年11月に文化勲章を受章している。宇沢の著作と言えばまず、『自動車の社会的費用』(1974年)と『社会的共通資本』(2000年)を想起する。宇沢の研究対象は「環境」「医療」「教育」「農村」など広範囲にわたった(宇沢弘文『宇沢弘文 傑作論文全ファイル』東洋経済新報社、2016年11月)。また、宇沢は、自動車が抱える問題をはじめ水俣病などの公害問題や成田空港建設の問題、地球温暖化問題、そして教育問題等々、多様な社会問題に真摯に取り組んだ。周知の通りである。
46
〇筆者の手もとにある宇沢の著作は6冊である。
『自動車の社会的費用』岩波新書、1974年6月
自動車は現代機械文明の輝ける象徴である。しかし公害の発生から、また市民の安全な歩行を守るシビル・ミニマムの立場から、自動車の無制限な増大に対する批判が生じてきた。本書は、市民の基本的権利獲得を目指す立場から、自動車の社会的費用を具体的に算出し、その内部化の方途をさぐり、あるべき都市交通の姿を示唆する。(カバー「そで」より)
『日本の教育を考える』岩波新書、1998年7月
「私たちはいま改めて、教育とは何かという問題を問い直し、リベラリズムの理念に敵った教育制度はいかにあるべきかを真剣に考えて、それを具現化する途を模索する必要に迫られています」――社会正義・公正・平等の視点から経済学の新しい展開を主導してきた著者が、自らの経験をまじえつつ、教育のあり方を考えてゆく。(カバー「そで」より)
『社会的共通資本』岩波新書、2000年11月
ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を安定的に維持する――このことを可能にする社会的装置が「社会的共通資本」である。その考え方や役割を、経済学史のなかに位置づけ、農業、都市、医療、教育といった具体的テーマに即して明示する。混迷の現代を切り拓く展望を説く、著者の思索の結晶。(カバー「そで」より)
『始まっている未来―新しい経済学は可能か―』岩波書店、2009年10月
世界と日本に現れている未曾有の経済危機の諸相を読み解きながら、パックス・アメリカーナ(アメリカの力によるアメリカのための平和)と市場原理主義で串刺しされた特殊な時代の終焉と、すでに確かな足取りで始まっている新しい時代への展望を語り合う。深い洞察と倫理観に裏付けられた鋭い論述は、「失われた二〇年」を通じて「改革者」を名乗った学究者たちの正体をも遠慮なく暴き出し、「社会的共通資本」を基軸概念とする宇沢経済学が「新しい経済学は可能か」という問いへのもっとも力強い「解」であることを明らかにする。(カバー「そで」より) 内橋克人(経済評論家)との対談本。2つの「補論」を収録。
『経済学は人びとを幸福にできるか』東洋経済新報社、2013年11月
第1部:市場原理主義の末路、第2部:右傾化する日本への危惧、第3部:60年代アメリカ――激動する社会と研究者仲間たち、第4部:学びの場の再生、第5部:地球環境問題への視座、の構成で論文や講演録が全20章に纏められている。池上彰(ジャーナリスト・東京工業大学教授)の「『人間のための経済学』を追究する学者・宇沢弘文――新装版に寄せて」を収録。
『人間の経済』新潮新書、2017年4月
富を求めるのは、道を開くため――それが、経済学者として終生変わらない姿勢だ
47
った(「経済学の原点は、人間が人間として人間らしく生きていくためにこそ、豊かさや、もろもろの道具としての財、つまりは経済の力が必要なのであって、決してその逆――豊かさが満たされれば人間らしく生きられる、ではない。」『始まっている未来』内藤克人:84、89ページ)。「自由」と「利益」を求めて暴走する市場原理主義の歴史的背景をひもとき、人間社会の営みに不可欠な医療や教育から、都市と農村、自然環境にいたるまで、「社会的共通資本」をめぐって縦横に語る。人間と経済のあるべき関係を追求し続けた経済思想の巨人が、自らの軌跡とともに語った、未来へのラスト・メッセージ。(カバー「そで」より) 宇沢国際学館・占部まり(宇沢の長女で内科医)の「前文」を収録。
〇本稿では、以上の著作に展開される宇沢の言説のうちから、「ゆたかな社会」「社会的共通資本」そして「教育」に関する論攷(ろんこう)を再確認し再認識することにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
ゆたかな社会とは
ゆたかな社会とその条件
ゆたかな社会とは、すべての人々が、その先天的、後天的資質と能力とを充分に生かし、それぞれのもっている夢とアスピレーション(aspiration:熱望、抱負)が最大限に実現できるような仕事にたずさわり、その私的、社会的貢献に相応しい所得を得て、幸福で、安定的な家庭を営み、できるだけ多様な社会的接触をもち、文化的水準の高い一生をおくることができるような社会である。(『社会的共通資本』2ページ)
このような社会は、つぎの基本的諸条件をみたしていなければならない。
(1)美しい、ゆたかな自然環境が安定的、持続的に維持されている。
(2)快適で、清潔な生活を営むことができるような住居と生活的、文化的環境が用意されている。
(3)すべての子どもたちが、それぞれのもっている多様な資質と能力をできるだけ伸ばし、発展させ、調和のとれた社会的人間として成長しうる学校教育制度が用意されている。
(4)疾病、傷害にさいして、そのときどきにおける最高水準の医療サービスを受けることができる。
(5)さまざまな希少資源が、以上の目的を達成するためにもっとも効率的、かつ衡平(こうへい)に配分されるような経済的、社会的制度が整備されている。(同上書、2~3ページ)
ゆたかな社会とリベラリズム
ゆたかな社会はまた、すべての人々の人間的尊厳と魂の自立が守られ、市民の基本
48
的権利が最大限に確保できるという、本来的な意味でのリベラリズム(liberalism:自由主義)の理想が実現される社会である。(同上書、3ページ)
「自由主義」を英語にすると、どちらかというと Libertarianism と言うのでしょうか、自由を最高至上のものとする考え方になります。
本来リベラリズムとは、人間が人間らしく生き、魂の自立を守り、市民的な権利を十分に享受できるような世界をもとめて学問的営為なり、社会的、政治的な運動に携わるということを意味します。そのときいちばん大事なのが人間の心なのです。(『人間の経済』90ページ)
社会的共通資本とは
制度主義と社会的共通資本
(資本主義も社会主義も混乱と混迷のさなかにあって)市民的自由が最大限に保証され、人間的尊厳と職業的倫理が守られ、しかも安定的かつ調和的な経済発展が実現するような理想的な経済制度が存在するであろうか。それは、どのような性格をもち、どのような制度的、経済的特質を備えたものか。(中略)その設問に答えて、ソースティン・ヴェブレン(Thorstein Bunde Veblen、1857年~1929年)のいう制度主義(Institutionalism)の考え方がもっとも適切にその基本的性格をあらわしている。〈ヴェブレンの制度主義の思想的根拠は、これもまたアメリカの生んだ偉大な哲学者ジョン・デューイ(John Dewey、1859年~1952年)のリベラリズムの思想にある。〉私たちが求めている経済制度は、一つの普遍的な、統一された原理から論理的に演繹されたものでなく、それぞれの国ないしは地域のもつ倫理的、社会的、文化的、そして自然的な諸条件がお互いに交錯してつくり出されるものだからである。制度主義の経済制度は、経済発展の段階に応じて、また社会意識の変革に対応して常に変化する。生産と労働の関係が倫理的、社会的、文化的条件を規定するというマルクス主義的な思考の枠組みを超えると同時に、倫理的、社会的、文化的、自然的諸条件から独立したものとして最適な経済制度を求めようとする新古典派経済学の立場を否定するものである。(『社会的共通資本』20ページ。〈 〉内4ページ。※)
※宇沢は、経済成長至上主義(効率第一主義)の弊害を指摘し、新古典派経済学(市場原理主義)を金儲け主義の最(さい)たるものとして批判した。「儲けようというのは企業が生存するために必要なことです。儲けることが悪いのではなくて、それによってどういう社会的、人間的な結果をもたらすかといことを常に心に留める必要がある。(中略)それぞれの職業的な規律と規範があって、それを守りながらそれぞれの営業なり、あるいは人間的な営みをすることがいちばん大事です」(『経済学は人びとを幸福にできるか』34ページ)と説いている。
49
社会的共通資本(宇沢によるSocial Overhead Capitalの訳語)は、この制度主義の考え方を具体的なかたちで表現したもので、(資本主義と社会主義の二つの経済体制の枠組みを超える)二十一世紀を象徴するものであるといってもよい。(同上書、「はしがき」ⅰページ)
社会的共通資本とその類型
社会的共通資本(Social Common Capital)は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。社会的共通資本は、一人一人の人間的尊厳を守り、魂の自立を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割を果たすものである。(中略)社会的共通資本の具体的な構成は、それぞれの国ないし地域の自然的、歴史的、文化的、社会的、経済的、技術的諸要因に依存して、政治的なプロセスを経て決められるものである。(同上書、4ページ)
社会的共通資本は自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の三つの大きな範疇にわけて考えることができる。自然環境は、大気、水、森林、河川、湖沼(こしょう)、海洋、沿岸湿地帯、土壌などである。社会的インフラストラクチャー(infrastructure)は、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなど、ふつう社会資本とよばれているものである。(中略)制度資本は、教育、医療、金融、司法、行政などの制度をひろい意味での資本と考えようとするものである。(同上書、5ページ)
社会的共通資本の管理・運営
社会的共通資本は私的資本と異なって、個々の経済主体によって私的な観点から管理、運営されるものではなく、社会全体にとって共通の資産として、社会的に管理、運営されるようなものを一般的に総称する。社会的共通資本の所有形態はたとえ、私有ないしは私的管理が認められていたとしても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理、運営されるものである。(同上書、21ページ)
社会的共通資本は、それぞれの分野における職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規律にしたがって管理、運営されるものであるということである。社会的共通資本の管理、運営は決して、政府によって規定された基準ないしはルール、あるいは市場的基準にしたがっておこなわれるものではない。この原則は、社会的共通資本の問題を考えるとき、基本的重要性をもつ。(同上書、22~23ページ)
50
社会的共通資本とコモンズ
(社会的共通資本の管理・維持の形態として、コモンズの考え方が重要となる。)コモンズ(Commons)の概念はもともと、ある特定の人々の集団あるいはコミュニティにとって、その生活上あるいは生存のために重要な役割を果たす希少資源そのものか、あるいはそのような希少資源を生み出すような特定の場所を限定して、その利用にかんして特定の規約を決めるような制度を指す。(同上書、84ページ)
伝統的なコモンズは、灌漑用水、漁場、森林、牧草地、焼き畑農耕地、野生地、河川、海浜など多様である。さらに、地球環境、とくに大気、海洋そのものもじつはコモンズの例としてあげられる。これらのコモンズはいずれも、(中略)社会的共通資本の概念に含まれ、その理論がそのまま適用されるが、ここでは、各種のコモンズについて、その組織、管理のあり方について注目したい。とくに、コモンズの管理は必ずしも国家権力を通じておこなわれるのではなく、コモンズを構成する人々の集団ないしコミュニティからフィデュシアリー(fiduciary:信託)のかたちで、コモンズの管理が信託されているのが、コモンズの特徴づける重要な性格であることに留意したい。(同上書、84~85ページ)
教育とは
教育と人間的成長
一人一人の子どもがもっている多様な先天的、後天的資質をできるだけ生かし、その能力をできるだけ伸ばし、発展させ、実り多い幸福な人生をおくることができる一人の人間として成長することをたすけるのが教育だといってよいでしょう。そのとき強調しなければならないのは、教育は決して、ある特定の国家的、宗教的、人種的、階級的、ないしは経済的イデオロギーによって支配されるものであってはならないということです。(『日本の教育を考える』10ページ)
能力の育成と人格の形成
一人一人の子どもがもっている個性的な資質を大事にし、その能力をできるだけ育てることが教育の第一義的な目的であることはいうまでもありませんが、同時に、子どもたちが成人して、それぞれ一人の社会的人間として、充実した、幸福な人生をおくることができるような人格的諸条件を身につけるのが、教育の果たすもう一つの役割でもあります。そのために、教育は、個別的な家庭あるいは、狭く地域的ないしは階級的に限定され場ではなく、できるだけ広く、多様な社会的、経済的、文化的背景をもった数多くの子どもたちが一緒に学び、遊ぶことができるような場でおこなわれることが望ましいわけです。学校教育制度が、上のような教育の理念からの必然的な帰結でもあり、現実に世界のほとんどの国々で学校教育制度がとられているのも、このような事情からです。(同上書、11ページ)
51
学校教育とインネイト
インネイト(innate)という言葉は、ふつう生得的、先天的、本有的などと訳されていますが、あえてインネイトという言葉を使うのは、一人一人の子どもが生まれたときすでに、その心のなかに、これら(言葉を話すこと、数を数えること)の理解力、能力をもっていることを強調したいと思うからです。
学校教育にさいして、もっとも困難な問題は、このインネイトな理解力、能力と、子どもたちが家庭や近所で学んだ後天的な理解力、能力とが、どちらも一人一人の子どもについて個性的であり、千差万別であるということです。これらの個性的な特性をもつ子どもたちを、一つの教室に集めて、同時に教えなければならないわけです。学校教育にさいして、もっとも留意しなければならない点でもあります。(同上書、14ページ)
ジョン・デューイの教育機能(「教育の3大原則」)
ジョン・デューイは、その古典的名著『民主主義と教育』のなかで、学校教育制度は三つの機能を果たしていると考えました。社会的統合、平等主義、人格的発達という三つの機能です。
学校教育の果たす第一の機能として、デューイが取り上げているのは、社会的統合ということです。若い人々を教育して、社会的、経済的、政治的、文化的役割を果たすことができるような社会人としての人間的成長を可能にしようとすることです。(中略)
第二の機能は、平等に関わるものです。学校教育は、社会的、経済的体制が必然的に生み出す不平等を効果的に是正するというのが、デューイの主張したところだったのです。学校教育が機会の平等化をもたらし、社会、経済体制の矛盾を相殺する役割を果たす(中略)機能を、デューイは、平等主義的機能と呼んだわけです。
デューイの強調した第三の機能は、個人の精神的、道徳的な発達をうながすという教育の果たす重要な役割であって、人格的発達の機能とも呼ばれるべきものです。(中略)(同上書、45~46ページ)
学校教育制度と社会的矛盾の拡大再生産
ヴェトナム戦争を契機として起こったアメリカ社会の倫理的崩壊、社会的混乱によって、デューイの教育理念にもとづく公立学校を中心とするアメリカの学校教育制度もまた大きく変質せざるを得ませんでした。デューイの掲げた平等主義的な教育理念にもとづいてつくり出されたアメリカの学校教育制度が現実の非人間的、収奪的状況のもとで、逆にアメリカ社会のもつ社会的矛盾、経済的不平等、文化的俗悪さをそのまま反映し、拡大再生産する社会的装置としての役割をはたすことになってしまったのです。(同上書、48ページ)
52
日本の学校教育と政治・官僚支配
基礎教育が社会的共通資本として位置づけられているとき、各小中学校はそれぞれ独立した社会的組織として、職業的規範にしたがって、経営されることが要請されます。これらの組織が、決して国家の統治機構の一部として官僚的支配を受けてはならないのは当然です。(中略)小中学校の教師は、教育サービスを売る労働者となり、聖職としての教師の職業的規範も誇りも失わざるを得なくなってしまいました。文部(科学)省はまた、教科書検定制度をたくみに利用して、自民党のもっていた、時代錯誤の、偏向したイデオロギーを基礎教育に持ち込んだのです。日本社会は現在、経済的、技術的観点からみて、世界でもっとも高い水準を誇っていますが、その反面、知性の欠如、道徳的退廃、感性の低俗さという面で、問題が生じています。その、もっとも大きな原因は、戦後五十年間にわたって、日本の基礎教育が文部官僚によって管理、支配されてきたことにあるといっても過言ではないと思います。(中略)日本の基礎教育制度の欠陥を象徴する「いじめ」の現象の原点はもっぱら、文部官僚による学校関係者に対する「いじめ」にあるといってもよいと思われます。(同上書、89~90ページ)
〇宇沢は、経済学の重要な理論を紹介・分析し、自身の知的探究の軌跡や思想の遍歴を回顧する。そのなかで、「社会的共通資本」の考え方や「人間の経済」(人間の心を大事にする経済学。人々がゆたかに暮らせる社会のための経済学)の理論を展開する。しかも、その要点を何度も繰り返し、丁寧に論攷する。「人間尊重と社会正義」「理知と気概」「批判と啓発」そして「痛快無比」などが、「理論経済学者」「社会活動家」としての宇沢の「世界」「宇宙」である。
〇宇沢の社会的共通資本の考え方は、医療や教育などの「現場」からは受容され、共感を得たと評される。それはひとつは、「人間尊重と社会正義」を実現するという「リベラル」の価値観を共有することによるのであろう。医療と教育(そして自然環境)は、社会的共通資本の「原点」であり、「次の世代に受け継いでいくべき聖なる営み」(『始まっている未来』32ページ)である。その観点から言えば、社会的共通資本として「まちづくりと市民福祉教育」について論究することが必要かつ重要となる。その際、宇沢は社会的共通資本の管理・運営主体を政府や市場ではなく、職業的・自律的専門家とりわけ大学人などの有識者に求めるが、コミュニティデザイナーやコミュニティソーシャルワーカーもその主体として期待されようか。
〇社会的共通資本の理論は、エビデンスに基づく実証的な分析・研究や、政策・制度を持続可能なものにするための財政運営に関心を持つ研究者や実務家からは、一定の距離が置かれている。
〇およそ30年間にわたって宇沢の「仕事」に伴走してきた岩波書店の編集者・大塚信一が、「宇沢思想入門」を「コンパクトに、一般読者向き」に書いている。『宇
53
沢弘文のメッセージ』(集英社新書、2015年9月)、がそれである。大塚はいう。宇沢の「人柄と学問は一体化したもので、両者を切り離すことはできない点にこそ、宇沢の仕事の偉大さと素晴しさがある」(10ページ)と。また、大塚によると、原田正純(はらだ・まさずみ、1934年~2012年。水俣病の研究と患者の救済に献身的に取り組んだ医師)が、宇沢から「やさしくなくては学者でない」ということを身をもって教わったと書いている(同上書、216ページ)。
〇なお、『始まっている未来』の対談者である内橋克人はいう。21世紀の最大の課題は、分断・対立・競争を原理とする「競争セクタ―」ではなく、連帯・参加・協同を原理とする「共生セクター」の足腰をいかに強くしていくかにある。「共生経済」とは、F(食料)とE(エネルギー)とC(ケア)の自給圏(「FEC自給圏」)を人間の生存権として追求していく経済のあり方である。地域・社会の一定のエリア内で人々が連帯・協同し、政策決定過程にまで参加していく共生セクター(部門)を構築し、FEC自給圏を形成するに当たって、宇沢の社会的共通資本が重要な要素になることは言うまでもない(同上書、100~101ページ)。付記しておきたい。
補遺
「マルクス経済学」「ケインズ経済学」「新古典派経済学」の概略を記しておくことにする。
54
08/福祉教育における「正義感覚」
―伊藤恭彦著『さもしい人間』に学ぶ―
さもしい:①見苦しい。みすぼらしい。②いやしい。卑劣である。心がきたない。
正義:①正しいすじみち。人がふみ行うべき正しい道。②正しい意義または注解。➂(justice)㋐社会全体の幸福を保障する秩序を実現し維持すること。現代ではロールズが社会契約説に基づき、基本的自由と不平等の是正とを軸とした「公正としての正義」を提唱。 ㋑社会の正義にかなった行為をなしうるような個人の徳性。(新村出編『広辞苑』(第六版)岩波書店、2008年1月)
〇周知のように、2015年6月、選挙権年齢を満18歳以上に引き下げる改正公職選挙法が成立した(施行は2016年6月)。そしていま、高校生らの政治や選挙への関心を高め、政治的教養を育む教育のあり方が問われている。
〇「まちづくりと市民福祉教育」について考えてきた筆者は、これまで、「政治」(とりわけ地方政治)を重要な検討課題のひとつとして位置づけてきた。また、各地のまちづくりにかかわるなかで、地域における政治的・社会的権力や地元住民(「有力者」)の言動に戸惑ったこともあった。そのとき、正義感をひけらかすわけではないが、「さもしい」や「正義」という言葉が脳裏に浮かんだのも偽らざる事実である。
〇筆者の手もとに、伊藤恭彦(いとう・やすひこ)の『さもしい人間―正義をさがす哲学―』(新潮社(新潮新書)、2012年7月)という本がある。この本は、政治「哲学的思考を思い切り『低空飛行』させ」(18ページ)、わかりやすく、ユーモアを交え、ときには自虐ネタをふりかけながら、「さもしさ」の正体を追う。そして、伊藤の主張(結論)は、シンプルでクリアである。「私はいろいろな考え方や生き方をする人々が、ゆるやかに共存している社会が望ましいと思う。正義という言葉を使って一人一人をお説教するのではなく、最低限の正しい制度についてみんなで考え、合意し、それを形作ることを目指した方がいい。正義は制度を通して実現される。制度とは、すべての人間を架け橋でつなぐ最低限の絆でもある」(205ページ)、というのがそれである。
〇以下に、(1)「さもしさ」と「正しさ」、(2)「お互い様」の倫理と制度化、(2)「私憤」と「公憤」、という項目を設けて、伊藤の言説の要点を紹介することにする(抜き書きと要約)。
(1) 「さもしさ」と「正しさ」
私たちは既に十分豊かであるにもかかわらず、他の人をさしおいて貪欲に利益を追
55
求しているかもしれない。さらには誰かの不幸の上に自分の豊かな生活を作り上げているかもしれない。こうした態度を「さもしい」と呼びたい。(14ページ)
「さもしさ」が人と人との関係を意味しているとするならば、その反対語は「正しさ」になる。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは倫理の体系の中に「正しさ」(正義)を位置付け、それが人間関係においてとても重要であることを説いた。「不正な人と思われているのは、(1)法律に反する人と、(2)貪欲な人、すなわち、不平等な人である」という。(57ページ)
「さもしい」とは倫理的に言うと不正な人間関係を意味している。不正だと言う理由は、自分の「分」を超えて何かを得ようとするからである。一人一人が「分」を超えて欲望を追求すると、すごく不平等な人間関係ができあがってしまう。これを押さえ込むためには、一人一人の「分」を確定する基準が必要だ。しかし、この基準を確定できるほど、私たちの社会は単純ではない。そこで生きている人間はみな違い、おかれた環境もみな違うからである。(71~72ページ)
「分」とは、ある人がもっている価値であり、その人の必要性や功績や長所などにあったその人にふさわしいものをいう。不正とは自分の「分」を守らないことであり、正義とは「その人にふさわしいものを与える」ことを意味する。(59~62ページ)
各人の「分」を決めるにあたり、分かりやすい基準は、自由な行動と自己責任である。(72ページ)
自由社会(市場社会)は、競争社会である。市場社会の競争は全員に参加を強制する。競争である以上、順位がつく。かくして市場競争は必然的に不平等を生み出す。(98~99ページ)
不平等の発生を必然と捉えた上で、問題を含んでいない不平等とは何か。別の言い方をすれば、許される(倫理的に許される)不平等とは何か。これが不平等と格差(不平等が、ある限度を超し、問題を含んでいる場合の表現)を検討するときに中心に据えられなければならない問いだ。不平等に対してこうした問いを『正義論』の著者ジョン・ロールズも立てている。
ロールズは現代社会にふさわしい正義として、①「基本的な自由を全員に保障すること」、②「機会(ライフチャンス)の実質的平等をはかること」、そして、③「それでも残る不平等は社会の最も不利な人々の利益になること」、という三点を指摘している。不平等はあってもよいが、社会で最も不遇な人々の状況改善に役立たなくてはならないというわけだ。
不平等や格差を捉えるときには、視点を不平等の底辺にいる人々に定めなければな
56
らない。もし、不平等の底辺にいる人々が過酷な状態に放置されているならば、その不平等は問題だと言える。(101~102ページ)
(2) 「お互い様」の倫理と制度化
共同体社会の名残として、私たちの社会には「お互い様」という考えが残っている。「困った時はお互い様」である。(106ページ)
「お互い様」は、日本的共同体関係に源をもつ言葉だと思われる。共同体的なもたれ合いという互酬性がここには含まれている。ただ、同時に「お互い様」には、相手の立場になってみるという大切な洞察が含まれている。つまり、自分の視点と他人の視点を入れ替えてみるわけだ。共同体的な倫理と正義は異なるかもしれないが、「お互い様」の倫理には公平さや正義につながる視点が含まれている。そう考えてみると、「お互い様」という美しい発想を、制度の中に組み込んでいくことは正義を満たす一つのルートになるだろう。
できることなら困っている人を助けたいとほとんどの人は思うだろう。ただ、助けることを個人に任せると、同じ苦境に立ちながらも、助けられる人と助けられない人という不公平が生じる。だから、市場社会の底辺で苦しむ人々を助けるための基本的な仕組みは、社会制度にした方がよい。(113~114ページ)
お互いに助け合うという制度は、自己責任を曖昧にするものではない。不運な人を助けることは、その人がまた自己責任に基づいて行動していく途を確保することでもある。つまり、自由な選択とか自己責任とかいった価値を、助け合いの制度は損なうのではなく、逆に輝かすことになるのだ。(123ページ)
不平等の底辺で苦しむ人々を助けることは、最低限の正義だと思う。
私たちはこのような正義感を制度にきちんと組み込む必要がある。そして、そんな制度をつくり、制度の維持に貢献したならば、後は自由に自分の欲望を追求しても「さもしい」とは言われない。(137ページ)
(3) 「私憤」と「公憤」
正義は、人を苦しめる構造、人を食い物にして利益を得てしまう構造、この構造を改革することである。正義が求めるのは、構造を規制する制度の形成や制度の改革である。(159~160ページ)
社会の中で苦しんでいる人を助けることが、正義の優先課題である。正義という規範に従って社会を構想してみること、これが今、私たちに求められることだ。(197ページ)
正義はそれを支える感情も必要としている。それは「むかつき」といった私憤では
57
ない。
「私が公平に扱われていない」という怒りを、同じように社会で不公平に扱われている人々の境遇と重ねあわせることで生じる「これはおかしいだろう」という感情だ。私的なむかつきではなく、社会の不正を訴える怒りである。それは私憤ではなく、またバラバラな私憤の寄せ集めとしての興奮でもない。社会全体の不公平や不正義に対する憤り、つまり公憤だ。
不公平に対する公憤を紡ぎ合わせ、それを社会的な公平感に高めていくこと、これが現実社会に生きる私たちの正義感になる。そしてそれが制度改革を導くだろう。(197~198ページ)
〇以上から分かるように、伊藤は、社会の不公平や不平等の「さもしい」問題を解決するのは、「正しさ」(正義)にかなった公平な「制度」である。先ずは政治による制度の形成が肝要である、と説いている。そういうなかで、次の一節は大いに首肯するところである。
政治家の中にもやたら道徳的お説教をしたがる人がいる。「親を敬え」「郷土を愛せ」「公共心をもて」などと。そのメッセージ自体には問題がないとしても(本当は問題の多い道徳を語っている場合も多いが)、お説教は政治家の仕事ではない。政治家は全身全霊をかけて制度の再構築に取り組むべきだ。そのために税金で雇われている。上から目線で道徳を語るヒマがあったら、制度構築のために政治学、政治哲学、公共政策学などを学ぶべきだ。(205~206ページ)
〇ただ、制度の構築は政治(政治家)の役割であるが、そのすべてを政治に任せておけばよいというものではない。国政であれ地方政治であれ、政治をつくるのは私たち一人ひとりである。したがって、制度(法規、仕組み、きまり)の形成や運営、改革に直接的あるいは間接的に参加(参画)し、公平・公正で平等な社会を創り、それを保持するのは私たち一人ひとりである。その際、「私憤」や「公憤」を感じる能力、「正」や「不正」を判断する能力、すなわち「正義感覚(the sense of justice)」が問われることになる。
〇私たちは、親子の愛情や信頼関係に基づく親の指示や命令、禁止などを通して、道徳的な感情や態度を習得する。また、自分の身の回りや日常生活における仲間との関係で、正義や不公平(不正義)の感覚や感情を持ったり、表出したりする。それはより広い地域・社会における正義を求め、さらには政治的あるいは法的な正義を求める感覚や感情を醸成することになる。そして社会での正義感覚は、制度を遵守することに向けられ、また必要に応じてそれを改革することによってより一層の「秩序だった社会」が形成・保持されることを要請する。
〇このように、社会における正義や制度による秩序は、家庭での親子関係や集団で
58
の仲間関係における正義感覚によって基礎づけられる。そして、その正義感覚は、子ども・若者が地域・社会のなかで成長するにつれて徐々に習得されていく。
〇そうだとすれば、子どもから大人までの正義感覚をいかに育成し、発達させるかが重要な問題となる。それを「まちづくりと市民福祉教育」に引き付けて言うとすれば、市民福祉教育を通じた正義感覚の育成が、(子どもから大人までの)市民の人権意識や地域における助け合いの意識を高め、市民的資質や能力(シティズンシップ)を形成し、それに基づいたまちづくりの社会的実践や運動を促すことになる。言い換えれば、正義感覚は、市民的資質や能力の重要な構成要素であり、市民によるまちづくりはそうした正義感覚に基づいた理解力と判断力、実践力を欠いては機能しない、ということである。その意味では、市民福祉教育における正義感覚の育成という課題は、シティズンシップやその教育のあり方を追求するなかでより明確なものとなる。
〇正義感覚は、家庭教育をはじめ学校教育や社会教育(すなわち生涯学習)、道徳教育や人権教育など、さまざまな場や内容・方法によって育成される。また、その社会の正義にかなった制度に関心をもったり、正義にかなう公平な制度の形成・構築にかかわるなかで、正義感覚は醸成される。
〇「まちづくりと市民福祉教育」はこれまで、「共生」の理念のもとで、政治や社会への参加(参画)や協働(共働)を重視してきた。しかし、「正」「不正」を判断するのに必要な正義感覚の育成・形成については、必ずしも十分に関心を払ってきたとは言えない。まちづくりの実践や運動に向けた、またその実践や運動における(子どもから大人までの)市民の正義感覚の育成・醸成が大きな課題になる。
〇本稿で言いたいのは、「共生と社会正義の教育によるまちづくり」という点(視点、視座)についてである。その教育の機会は、実質的に、(子どもから大人までの)すべての市民に平等に保障されなければならない。とともに、それぞれの市民が置かれている個別的な現実的状況(個人的要因や環境的要因)を十分に考慮しながら、教育内容や方法の適切性や公正性を追求する必要がある。さもないと(教育機会の平等保障だけでは)、「共生と社会正義の教育」という美名のもとで、市民を選別し、新たな不平等を生み出すことになりかねない。強調しておきたいところである。
補遺
〇 不平等や格差を肯定する立場に立つと、不平等や格差そのものを解消するための取り組みは消極的なものにならざるを得ない。その際の取り組みは、いわゆる勝ち組と負け組のうち、負け組の人びとに「再チャレンジ」の機会を用意することになるが、結果的には勝ち組と負け組の入れ替えをするだけに過ぎない。しかも、その機会をとらえて努力する限りでは支援(「助け合いの制度」)の対象とされるが、努力の質量によって支援の対象から外されることになる。そこにあるのは排除の論理(排除の正当化)である。
59
〇そこで求められるのは、個人の「意欲」「能力」「努力」などの有無や質量を個人的・内面的なものに押しとどめるのではなく、それを下支えする多面的・重層的な社会システムをどう構築するかということである。すべての人が、その属性や帰属にかかわりなく、「自立と連帯(共生)」の社会的な互恵的信頼関係のなかで平等に扱われ、共に支え合い、それを通して社会への完全参加を果たすことが強く求められる。
60
09/主権者教育とシティズンシップ教育
―新籐宗幸著『「主権者教育」を問う』を読む―
全体主義的な管理統制が強い日本社会にあって、中央集権的で巨大なシステムである学校や行き過ぎた競争と管理による教育を変えることは難しい。だからこそ、児童・生徒や教員、保護者や地域住民などが共働して政治を革め、真に自律的・主体的な主権者(国の政治のあり方を決定・実行することができる権力をもつ者。国民・市民)による政治を創る教育が求められる。
〇教育基本法(2006年12月22日公布・施行)の第14条(政治教育)は、「良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」と謳(うた)っている。まず、この条文を押さえておきたい。
〇日本において「主権者教育」の必要性が声高に叫ばれるようになるのは、2000年代以降である。その政策化のひとつの重要な契機は、総務省が2011年4月に設置した「常時啓発事業のあり方等研究会」(座長:佐々木毅)の報告である。その「最終報告書」(2011年12月)では、子ども・若者に対する新たなステージとしての「主権者教育」の必要性と重要性を説き、現代に求められる新しい主権者像のキーワードは「社会参加」の促進と「政治的リテラシー(政治的判断力や批判力)」の向上である、とした。そして、「主権者教育」を次のように規定する。「欧米においては、コミュニティ機能の低下、政治的無関心の増加、投票率の低下、若者の問題行動の増加等、我が国と同様の問題を背景に1990年代から、シティズンシップ教育が注目されるようになった。それは、社会の構成員としての市民が備えるべき市民性を育成するために行われる教育であり、集団への所属意識、権利の享受や責任・義務の履行、公的な事柄への関心や関与などを開発し、社会参加に必要な知識、技能、価値観を習得させる教育である。その中心をなすのは、市民と政治との関わりであり、本研究会は、それを『主権者教育』と呼ぶことにする」(7ページ)。
〇いまひとつ注目すべきは、文部科学省が2015年10月、1969年10月の文部省初等中等教育局長通達「高等学校における政治的教養と政治的活動について」を廃止し、それに代わって同通知「高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について」を発出したことである。1969年通達では、「国家・社会としては未成年者が政治的活動を行なうことを期待していないし、むしろ行なわないよう要請している」。「生徒が政治的活動を行なうことは、学校が将来国家・社会の有為な形成者として必要な資質を養うために行なっている政治的教養の教育の目的の実現を阻害するおそれがあり、教育上望ましくない」などとして、学
61
校内外における政治的活動を「禁止」した。そのねらいは、1960年代後半にベトナム反戦運動等を契機に多発・激化した学生運動(大学闘争)やその高校・高校生への波及(高校紛争)を阻止しようとするところにあった。
〇2015年通知では、「今後は、高等学校等の生徒が、国家・社会の形成に主体的に参画していくことがより一層期待される」。「現実の具体的な政治的事象も取り扱い、生徒が有権者として自らの判断で権利を行使することができるよう、より一層具体的かつ実践的な指導を行う」などとした。その背景には、「18歳が世界標準」というなかで、選挙権年齢が「満18歳以上」(2016年6月施行)、成年年齢が「18歳」(2022年4月施行)にそれぞれ引き下げられたことがある。それに伴って、「主権者教育」の重要性が強調されることになる。
〇しかし、2015年通知の内実は、「高等学校等の生徒による政治的活動等は、無制限に認められるものではなく、必要かつ合理的な範囲内で制約を受ける」などと、学校や教員の「指導」等による、学校内外における政治的活動の規制を求めるものとなっている。すなわちそれは、基本的には政治的活動の自由化を促したり、容認したりするものではない。
〇2015年9月、総務省と文部科学省は、高等学校等の生徒向け副教材として『私たちが拓く日本の未来―有権者として求められる力を身に付けるために―』の<解説編><実践編><参考篇>と教師用の<活用のための指導資料>を作成・公表した。それは、政府主導の「主権者教育」の展開をこと細かく指示するものとなっている。また、選挙権年齢の引き下げによる「主権者教育」の強調は、「有権者教育」に縮小・限定される恐れなしとしない。そこで、民主主義を成り立たせる前提である「人権」や「思想・良心(信条)の自由」などに基づく議論が必要かつ重要となる。
〇2017年3月に小・中学校、2018年3月に高等学校の「新学習指導要領」が告示された(小学校では2020年度、中学校では2021年度から全面実施、高等学校では2022年度から年次進行で実施)。それに基づいて、小・中学校と高等学校では、児童・生徒の発達段階に応じた「主権者教育」を実施し、主権者として必要な資質・能力を教科等横断的な視点で育成することとされている。高等学校では、従来の「現代社会」に代わって、「公民」科の新しい必修科目「公共」が設けられている。
〇また、文部科学省は2018年8月、新学習指導要領の下での学校・家庭・地域における「主権者教育」の推進方策について検討するために、「主権者教育推進会議」(座長:篠原文也)を設置した。そして、2021年3月に「今後の主権者教育の推進に向けて」最終報告を公表した。そこでは、主権者教育をめぐる課題と今後の推進方策に関し、(1)(小・中学校、高等学校、大学、教師養成・研修等)各学校段階等における取り組みの充実、(2)家庭、地域における取り組みの充実、(3)主権者教育の充実に向けたメディアリテラシー(メディアからの情報を批判的・創造的に読み解く能力)の育成、などについて提言する。そして、その提言を実現するために、(4)社会総がかりでの「国民運動」としての主権者教育推進の重要性を説く。
62
こうした文部科学省の取り組みは、前述の2015年通知や『私たちが拓く日本の未来<活用のための指導資料>』に示された考え方の周知を図ろうとするものであり、内容的には新味に欠ける。
〇ところで、3月13日、新藤宗幸(しんどう・むねゆき、行政学・地方自治論専攻)が亡くなった(享年75)。4月1日、「18歳、きょうから成人」である。そんななかで、新藤の著作の一冊である『「主権者教育」を問う』(〈岩波ブックレット No.953〉岩波書店、2016年6月。以下[1])を再読することにした。
〇[1]における議論・言説の要点のひとつは、こうである(抜き書きと要約)。「主権者教育」は、現実の政治の実態を棚にあげ、単に新有権者に「政治的な教養を育む教育」を説くのではない(10ページ)。「主権者教育」は、まず現実の政治が生み出している社会的問題事象の中身を学習し、政治にどのような利害が反映されているのかを学ぶことから始めるべきである(15ページ)。「主権者教育」に求められているのは、日々生起する政治的事象の内実をみる眼を養うことであり、また政治権力の行動の意味を洞察する能力を高めることである(7ページ)。「主権者教育」は、政治権力に従順な人間を育てることではない(21ページ)。
〇「主権者教育」と表裏一体で強調されるものに、「教育における政治的中立性」がある。続けて新藤はいう。政権の言説やそれを忖度した同調の「政治性」は不問に付され、それらに対する批判的言説が「政治的中立性」に反するとされる傾向にある(23ページ)。「教育における政治的中立性」という場合の「政治」とは、「政治」一般をさしているのではなく、あくまで「政党政治」を意味する(30ページ)。「教育における政治的中立性」とは、政党政治の介入を排除する規範としての意味をもつものである(30ページ)。しかも、それだけではなく、教員にあっては自らの思想・信条や専門的知識にもとづいて、物事には社会的にも学問的にも多様な見解があることを示しつつ、自らの見解を説かねばならない(31ページ)。こうした能動的な教育と教員による「政治的中立性」を保障するためには、文部科学省から校長にいたる「タテの行政系列」を改革する必要がある。同時に、首長のもとの教育行政への市民参画を徹底するとともに、学校ごとに生徒・教員・市民が参画する運営組織をつくるなどして、「教育行政の政治的中立性」が実現されなければならない(43ページ)。
〇日本においては、国家による統一的・画一的な管理主義教育や教育行政が、学校現場や教育委員会を「思考停止」状態に追いやり、生徒の自主的・主体的な活動を制約あるいは否定してきた。そういうなかで、真の「主権者教育」の推進を図るためには、如何にして生徒の政治的関心を高め、政治的教養を豊かにするか。そして、学校内外における多様な政治的問題状況に異議申し立てをし、政治的活動への参加を促すか、が問われることになる。そのためには例えば次のようなことが求められる、と新藤はいう。政治的教養を培うにあたって、若者に限らず大人たちが生活の場に生じているさまざまな市民運動や社会運動との接点をもつ(61ページ)。学
63
校は地域の多様な集団と生徒の交流の場を用意し、生徒たちが地域の課題を通じて政治のあり方を考える機会とする(63ページ)。地方自治体の首長や各行政セクションの職員、教育委員会や教育長・教育委員、自治体の議会や議員などと交流し、地域政治や地域行政の役割やあり方などについて議論する(64、65ページ)。学校を「地域に開かれた学校」「民主的な学校」にするために教員は、市民としての感性を磨きつつ、教育のプロフェッション(専門職)として、市民の支援を得ながら、学校改革や教育改革に立ち上がる(59、60ページ)、などがそれである。
〇日本における「主権者教育」のモデルのひとつは、イギリスの「シティズンシップ教育(Citizenship Education)」である。それを方向づけたのは、政治学者のバーナード・クリック(Bernard Crick)らが中心となってまとめた1998年9月の政府答申「シティズンシップのための教育と学校でのデモクラシーの指導(Education for citizenship and the teaching of democracy in schools)」(「クリック・レポート」)である。イギリスでは、この答申に基づいて2002年から、中等教育段階(第7学年~第11学年。日本の小学校1年~高校1年)でシティズンシップ教育が必修化された。
〇クリック・レポートでは、シティズンシップを構成する要素として、「社会的・道徳的責任(social and moral responsibility)」「コミュニティへの関与(community involvement)」「政治的リテラシー(political literacy)」の3つが挙げられている。この3つの事柄は、相互に関連性を有し、依存関係にある。クリックによればシティズンシップ教育は、ボランティア活動の促進に偏りがちであるが、「能動的な市民(active citizen)」の育成こそがその中心に位置づけられるべきである。そのためには、「政治的リテラシー」(政治的判断力や批判力)を中核的な内容とするシティズンシップ教育が肝要となる。なお、この「3つの柱」について、クリック・レポートは次のように述べている(下記「参考文献」(3)122、123、124ページ)。
社会的・道徳的責任
子どもたちが、権威のある者ならびにお互いに対して、幼少からの自信や社会的・道徳的な責任ある態度を教室の内外で見につけることです。このような学習は学校の内外を問わず、子どもたちが集団で行動したり遊んだりするときあるいは自分たちの地域における活動に参加するときに、時と場所を選ばずに展開されるべきです。
コミュニティーへの関与
自分たちの社会における生活や課題について学び、それらに有意義な形で関われるようになることです。社会参加・社会奉仕活動を通じた学習もここに含まれます。
政治的リテラシー
児童・生徒が知識・技能・価値観といったものを通じて、市民生活(public life)について、更には自身が市民生活において有用な存在となるための手段について学ぶことです。
64
〇シティズンシップ教育の一環として考える「まちづくりと市民福祉教育」についても、同じことが言える。すなわち、「市民福祉教育」が「まちづくり」のための地域貢献活動やボランティア活動、あるいはサービスラーニングなどとの関連性を問うとき、主権者・政治主体としての子ども・青年から大人までの「市民」に求められる政治的リテラシーの育成にとりわけ留意する必要がある。別の著作で述べているクリックの次の一節を引いておく(下記「参考文献」(2)199~200ページ)。留意したい。
イギリスでも合衆国でも、多くの指導的政治家たちはシティズンシップを、イギリスでは「ボランティア活動」に、合衆国では「公共奉仕学習」(サービス・ラーニング)に切り詰めようとしている。しかし、ここには難しさがある。ボランティア活動一辺倒になってしまうと、善意あふれる年寄りたちが若者に何をすべきかを言って聞かせるだけに終わってしまいかねないのだ。ボランティアに与えられた任務の目的や方法を誤っていると思ったり、つまらないことのよう思ったりしたときに、その改善策を提案してゆく責任を与えないでおいて、それを全うする責任だけを引き受けさせるということになれば、ボランティアたちは市民として扱われていないことになる。こうなれば、ボランティアは単なる使い捨ての要員にされかねないし、また彼らを幻滅させることになるだろう。
補遺
〇日本における「シティズンシップ教育」の政策化に関しては、経済産業省(委託先:三菱総合研究所)が「シティズンシップ教育と経済社会での人々の活躍についての研究会」(委員長:宮本みち子)を設置し、2006年3月に「報告書」、同年5月に「シティズンシップ教育宣言」(パンフレット)をそれぞれ発表している。「報告書」では、「シティズンシップ」について、「多様な価値観や文化で構成される社会において、個人が自己を守り、自己実現を図るとともに、よりよい社会の実現に寄与するという目的のために、社会の意思決定や運営の過程において、個人としての権利と義務を行使し、多様な関係者と積極的に(アクティブに)関わろうとする資質」(20ページ)と定義している。
〇また、「シティズンシップ教育宣言」では、「シティズンシップ教育の必要性」について、「報告書」中の説述(9ページ)を次のようにまとめている(3ページ)。
私たち研究会では、成熟した市民社会が形成されていくためには、市民一人ひとりが、社会の一員として、地域や社会での課題を見つけ、その解決やサービス提供に関する企画・検討、決定、実施、評価の過程に関わることによって、急速に変革する社会の中でも、自分を守ると同時に他者との適切な関係を築き、職に就いて豊かな生活を送り、個性を発揮し、自己実現を行い、さらによりよい社会づくりに関わるために必要な能力を身につけることが大切だと考えます。
65
一方で、こうした能力を身につけることは、いかなる人々にとっても、個々人の力では達成できないものであり、家庭、地域、学校、企業、団体など、様々な場での学びや参画を通じてはじめて体得されうるものであると考えます。
上記のような能力を身につけるための教育、すなわちシティズンシップ教育を普及して、市民一人ひとりの権利や個性が尊重され、自立・自律した個人が自分の意思に基づいて多様な能力を発揮し、成熟した市民社会が形成されることを期待しています。
なお、私たち研究会の提言は、市民に奉仕活動などを義務付けたり、国家や社会にとって都合のよい市民を育成しようという目的のものではありません。
参考文献
(1)新藤宗幸『「主権者教育」を問う』(岩波ブックレット No.953)岩波書店、2016年6月
(2)バーナード・クリック、添谷育志・金田耕一訳『デモクラシー』(<一冊でわかる>シリーズ)岩波書店、2004年9月
(3)長沼豊・大久保正弘編、バーナード・クリックほか著、鈴木崇弘・由井一成訳『社会を変える教育 Citizenship Education ~英国のシティズンシップ教育とクリック・レポートから~』キーステージ21、2012年10月
(4)蒔田純『政治をいかに教えるか―知識と行動をつなぐ主権者教育―』弘前大学出版会、2019年6月
(5)日本学術会議政治学委員会政治過程分科会『報告 主権者教育の理論と実践』日本学術会議、2020年8月
(6)全国民主主義教育研究会編『「公共」で主権者を育てる教育を』(民主主義教育21 Vol.15)同時代社、2021年7月
66
10/「内田教育論」にみる公共的市民の育成
―内田樹・他『おせっかい教育論』を再読する―
〇樋口裕一によると、読書には二通りの方法がある。「実読」と「楽読」がそれである。「実読」とは、「何か行動に結びつけるために、情報や知識を得ようとして行う読書、つまり何かに役立てようとする読書」である。「実読」は、「何らかの意味で発信し、他者にその本の意義を示したり、その本から得た知識を他者に披露したり、その情報を実行に移したり」しなければ意味がない。「楽読」とは、「何かに役立てたいと思うのでなく、ただ楽しみのためだけに読む読書」である。樋口にあっては、「この二つの読書の両方があってこそ、人生は豊かになる」(樋口裕一『差がつく読書』角川書店、2007年6月、12、17ページ)。
〇政治(政治家)の劣化や右傾化、厚顔無恥な権力闘争がとまらない。日本の破綻や崩壊のカウントダウンが始まっているかのようである。不安感や恐怖心が増すばかりである。そんな思いのなかで、鷲田清一・内田樹・釈徹宗・平松邦夫著『おせっかい教育論』140B(イチヨンマルビー)、2010年10月。以下[1])を読み返すことにした。教育の政治や経済からの独立性をはじめ、教育の市民性や地域性、教育現場の主体性や自律性などを如何に保証するかということに思いを致しながら、そしてひとまず焦燥感を抑えながら、「教育危機」「教育崩壊」について考えてみようということである。
〇[1]は、関西を拠点に活躍する鷲田(臨床哲学)、内田(フランス現代思想)、釈(宗教学)、そして平松(元大阪市長)の4人による2回の座談会(2009年10月と2010年1月)の記録と書き下ろしを収録したものである。以下は、そのなかから、筆者が留意したい内田樹(うちだ・たつる)の発言と論述を抜き書きあるいは要約したものである(見出しは筆者)。なお、樋口がいう「実読」と「楽読」について言えば、内容的には「内田教育論」についての「実読」であり、心情的には私的な「楽読」である。
共同体の支援/教育は公共的市民を育て共同体の維持・存続を図るための活動である
教育の基本的な機能は、子供たちを大人にして、自分たちが構築し運営している共同体あるいは自治体のフルメンバーとして、それを担い得るような公共性の高い市民を育てることである。/学校教育が今、歪んでしまったのは、自己利益を達成するために人は教育を受けるのだという思想が広まってしまったからである。教育活動を「商品」としてとらえるロジックが、教育の現場を侵食している。教育がビジネスになっている。それが教育崩壊の根本にある。/学校教育を子供たちに授けることによって、最大の利益を受けるのは共同体そのものである。共同体を支える公民的な意識を持った人間、公共の福利と私的利益の追求のバランスを考えて、必ず
67
しもつねに私的利益の追求を優先しないようなタイプの大人を、社会のフルメンバーとして作っていくということは、共同体の存続にとって死活的に重要である。本来は、共同体の全メンバーは「ありとあらゆる機会に、子供たちを成熟に導く」という活動に身を捧げないといけない。(26~27ページ)
一般ルールの停止/学校は共同体のなかで社会的ルールが一時停止する場所である
学校は、(公共的市民の育成を図る場であるとともに)、社会や共同体が経済合理性なりある種のルールに基づいて動いているなかで、そこと断絶していて、社会のルールが通用しない場であるべきである。「ノーマンズ・ランド」(no man’s land)というか「逃れの街」というか、そうした現世のルールが適用されない場としての機能を持つべきである。「社会のルールが一時停止している場所」を作っておいて、そこにうまく社会に適応できないさまざまなタイプの才能を受け容れられるようにする。/「イノベーター(革新者)になるかもしれない子供たち」にフリーハンド(他からの制約や束縛を受けないこと)を保証するのは学校の重要な人類学的機能なのである。そういう子供たちは序列化とか格付けとかはなじまない。学校では、子供たちのなかに潜在するある種の非社会的・反社会的な部分についても、できるだけ広く受け入れ、そして面白がる余裕が欲しい。日常的な価値観が一時停止したような空間、「タイム」がかけられる場というのは、共同体のなかになければいけない不可欠な要素なのである。「一般ルールが停止する場所」は共同体の安全保障のために絶対に必要なのである。その機能はまずは学校が担わないといけない。(38~39ページ)
多様な個性/学校には生徒と教師の多様性が互いに生かされる環境が必要である
文科省は、一貫して教員たちの規格化・標準化を推し進めてきた。その結果、学校では、一定の価値観の枠内の人しか教壇に立てないようになってきている。/「教育力」というのが実体としてあって、生徒の方は真っ白な状態(「タブラ・ラサ」ラテン語:tabula rasa)で、教育力のある教師が教えればどんな子供も必ず能力が伸びるということはあるはずがない。教師(教育)の打率は1割もいかない。(しかしそれが将来どこかで、大きく花広くこともある。)教師と生徒の出会いは偶然的なものであり、教師の打率を上げるためには、訳の分からない教師がずらっと並んでいる方がいい。子供の訳の分からなさと同じぐらいの訳の分からなさの多様性が必要なのである。子供の個性と同じだけの数の個性の教師が並んでいることが理想的な教育環境なのである。それを、教師のあるべき条件を限定し、条件をどんどん狭めてゆくというのは、完全に方向が逆なのであり、教育は崩壊してしまう。/また、教育は、中枢的にコントロールしてはいけない。それをしようとすると、プログラムを標準化せざるを得ない。教育プログラムは多様であることによって機能するのである。(56、146~147、162~163ページ)
68
教育権の独立/教育危機を解消するのは教師のパフォーマンスの向上支援である
いま教育は危機的状況にある。それは、教員の努力不足や、子どもたちの無能化・怠惰化や、親たちのクレーマー(苦情を言う人)化といった個別的な原因によって起きているのではない。また、教育官僚たちは「処罰の恐怖を通じて、人を操作し、支配する」という古典的方法を手放そうとしないが、そうした文科省ひとりの責任でもない。「上の言うことに従わないものには罰を与える」という恫喝(どうかつ)の方法しか思いつかないという、私たち全員が罹患しているある種の「思考停止」の帰結なのである。/教育危機の現況の臨んで、私たちがまずなすべきことは、なによりも教育現場に「誇りと自信と笑い」を取り戻すことである。「自律的な教員の、多様な創意工夫を支援すること」である。/教員がいま必要としているのは、「敬意」であって「恫喝」ではない。「支援」であって「査定」ではない。「フリーハンド」であって「管理」ではない。/教育の危機に対処しうるのは現に教壇に立っている教師だけである。そのためには、「教師のパフォーマンスを向上させること」が肝要となる。/教師たちが、その潜在能力を発揮し、そのポテンシャル(潜在能力、可能性)を開花させ、持続的にオーバーアチーブする(期待以上の成果を上げること)以外に方途はない。だから、教育行政がなすべきことは一つしかない。それは教師たちのパフォーマンスが向上するために最良の支援を行うことである。/政治も市場もメディアも、教育のことに口を出すべきではなく、教育のことは現場に任せるべきである。一言でいえば、「教育権の独立」の実現である。(199、201、202、205、207、208~209ページ)
〇筆者は、教育は「待つ」ことであり、相互信頼の積み上げによって互いの創造性を「引き出す」ことである、と考えている。前述の鷲田の著作に『「待つ」ということ』(角川学芸出版、2006年8月)がある。そこでの一節を紹介しておきたい。
待たなくてよい社会になった。/待つことができない社会になった。/意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性をわたしたちはいつか無くしたのだろうか。偶然を待つ、じぶんを超えたものにつきしたがうという心根をいつか喪(うしな)ったのだろうか。時が満ちる、機が熟するのを待つ、それはもうわたしたちにはあたわぬことなのか‥‥‥。(7、10ページ)
〈待つ〉は偶然を当てにすることではない。何かが訪れるのをただ受け身で待つということでもない。予感とか予兆をたよりに、何かを先に取りにゆくというのではさらさらない。ただし、そこには偶然に期待するものはある。あるからこそ、なんの予兆も予感もないところで、それでもみずからを開いたままにしておこうとするのだ。その意味で、〈待つ〉は、いまここでの解決を断念したひとに残された乏しい行為であるが、そこにこの世への信頼の最後のひとかけらがなければ、きっと、
69
待つことすらできない。いや、待つなかでひとは、おそらくはそれよりさらに追いつめられた場所に立つことになるだろう。何も希望しないことがひととしての最後の希望となる、そういう地点まで。だから、何も希望しないという最後のこの希望がなければ待つことはあたわぬ、とこそ言うべきだろう。(19ページ)
〇「待つ」ことによって「時」と「場」が整えられ、新たな「動き」や「働き」が生まれる。「拙速」は教育においては最大の禁忌(きんき)である(内田、[1]200ページ)。また、教育はすべての国民や市民のものであり、私たちの教育についての思考停止は許されない。これは、「教育」(と「まちづくり」)の底流に置くべき基本的な考え方と姿勢である。強調しておきたい。
70
11/「大田教育学」にみる「生命の視点」
―大田堯・中村桂子著『百歳の遺言』の視座―
〇筆者の手もとに、大田堯(おおた・たかし、教育研究者)と中村桂子(なかむら・けいこ、生命誌研究者)の対談本『百歳の遺言―いのちから「教育」を考える』(藤原書店、2018年4月。以下[1])がある。その「帯」の文章(「帯文」)は、次の通りである。「『生きる』ことは『学ぶ』こと/生命(いのち)の視点から教育を考えてきた大田堯さんと、40億年の生きものの歴史から、生命・人間・自然の大切さを学びとってきた中村桂子さん。教育が『上から下へ教えさとす』ことから『自発的な学びを助ける』ことへ、『ひとづくり』ではなく『ひとなる』を目指すことに希望を託す」。
〇[1]の内容は深くて広い。生命(いのち)とは何か、人間とは何か、教育とは何かについての対談は、本質的かつ学際的であり、鮮(あざ)やかで心地よいものでもある。ここでは、[1]から次の2つの文章だけを紹介しておくことにする(見出しと、※は筆者)。
教育は生命の「根源的自発性」を補助する「アート」である
学習権の学習とは、食事や呼吸とおなじく、情報を自ら獲得したり、発信したりする営みである。いわば脳・神経系の行う新陳代謝の一つであり、人間が生きつづけていくうえでの生存権の一部、基本的人権のことをいう。子どもは生まれると同時に情報の新陳代謝を始める。情報は姿、形のないものだが、それなしには生きること、成長、発達すらもありえない。
教育はその天賦の学習力、生命の根源的自発性を補助する技(アート)である。したがって、上から与えられ、受けるものではなく、むしろその子その子(大人)に与えられたユニークな学習力に寄り添って、ひびき合い、「ひとなる」、一人前になるのを助ける重要な役柄を果たすものである。めいめいが自分の学習力の流儀で、教育を選び取る権利が保障されなければならない。それが「学習権を保障する教育への権利」だということになる。マララさんがテロへの唯一の武器として使った、エデュケーションの訳語としての教育は、この生存権としての学習権の保障を求める「教育」なのである。(大田、122~123ページ)
※マララ・ユスフザイ(Malala Yousafzai):2014年のノーベル平和賞を受賞したパキスタンの人権運動家。次の一節は、2013年7月に国連本部で行った演説のなかの名言である。
One child, one teacher, one book and one pen can change the world. Education is the only solution. Education first.(1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン
71
が、世界を変えられるのです。教育以外に解決策はありません。教育こそ最優先で
す。)
教育は「ひとなり」であり、「人づくり」ではない
「ひとなる」に対する言葉は「ひとづくり」でしょう。政府の看板政策として「人づくり革命」という言葉が使われています。それには「生産性革命」が並んでいますから、効率よい労働に従事する人材(この言葉も気になるものです)獲得を目的とする「人づくり」であることがわかります。
生きものは多様であるところに意味があり、もちろん人間にも多様性が重要です。(中略)私たち人間も生きものの一つとしてこの歴史の中で生まれてきたのですから違いをもつ一人ひとりが存在することに意味があるのです。その一人ひとりが思いきり生きることを応援するのが社会の役割でしょう。現代社会は、効率を求め、人間を機械のように見てしまう恐さがあります。大田先生の「ひとなる」という言葉には、均一のものを早くつくるという見方に対して、生きものとしての時間を大切にし一人ひとりが個性を生かして育っていく過程を見つめる眼を感じます。
生きものにとって大事なのは続いていくことであり、今一番望むことは次世代、その次の世代と続く未来の人々に誰もが生き生きと生きられる社会を渡すことです。(中略)今やるべきことは、もっともっと人間について考えることなのではないでしょうか。(中村、128、129~130、134~135ページから抜き書き)
〇[1]を読んだあと筆者は、芋(いも)づる式に、大田が[1]のなかで紹介している(14ページ)『地域の中で教育を問う』(新評論、1989年11月。以下[2])と、[2]のなかで紹介している(2ページ)『教育とは何かを問いつづけて』(岩波書店、1983年1月。以下[3])を再読することにした。その理由は、大田の「戦後の教育と教育研究」の足跡を再認識することにあり、それを通して[1]の理解を深めたいという思いからでもある。大田によると、「『地域の中で教育を問う』ということは、ふつうの人、人民(ピープル)に教育をゆだねるという心をこめたもの」([1]19ページ)であり、「『教育とは何かを問いつづけて』は、戦後の私の教育探求の跡を一思い(ひとおもい)に学生諸君に語ったのが基となって」([2]2ページ)いる。
〇ここで、[2]と[3]からそれぞれ、一つの文章を紹介しておくことにする(見出しは筆者)。
教育は「地域」からの教育改革の「土俵づくり」が重要である
子どもたちが、単に親のものでなく、まして国家に従属するものではない。人類という動物種の一員であることを考えると、子育てという事業は、種の持続という最
72
も広い意味での公的事業だというべきである。
一大事業としての教育は、当然地域を基盤として進められる。地域は幼年期から学童期、青年期、壮老年期を通じての人間発達の社会的胎盤である。(中略)かりに、中央権力のもとでどんな理想的な教育改革の構想がねられたとしても、この地域からの改革の土俵づくりなしにはその実現は不可能である。この土俵づくりに決定的な役割を果たすのが地域の親と教師とである。
「子は天からの授かりもの」、みんなで育てるほかはない(中略)。そういう中で、はじめて親は過大な身勝手な注文を抑制し、教師もみんなの知恵を借りて子を育てるということで、親の参加に寛容になる。こういう親や教師の、子育てをめぐる協力の中での自己変革なしには、教育改革の土俵はできあがるはずはない。([2]341、343~344ページから抜き書き/付記(補巻)369、370~371ページから抜き書き)
教育は人間という「種の持続」を図ることをめざすものである
私自身の戦後の歩みも、(中略)人間にとって「教育とは何か」ということを尋ね続ける旅であったともいえそうです。
そのあげく、いま辿りついているのは、教育を人間という種の持続の問題の一環として捉えるということです。子育て・教育という次の世代への働きかけも、その時代、その社会のさまざまな要求を無視することはむろんできません。それらは教育にとって必要不可欠なものです。けれども、そういうあらゆる当面の諸要求に優先して、教育は人を人らしくすること、種の持続をはかることをめざすものだということです。
平和を願い、戦後にこだわりながら、教育とは何かを求めての私の旅は、これからも続けられます。それにしても、うかつにも教育という大それた研究課題を選んだ私としては、子育て・教育が統治者の便宜のためのものでないこと、教育学者や教師のためにあるのでもないこと、突き上げられるような実感なしに、軽々しく人権としての教育を口にしないことなどを心にとめつつ、さまざまの試練に耐えて、子どもの人としての自立を励ます親や教師たちの努力に学びながら、種の持続のいとなみとしての教育を問いつづけたいと考えています。([3]216、227ページから抜き書き)
〇大田にあっては、「子は天からの授かりもの」である。子どもが育つこと、一人前になること、「人格の完成をめざす」ことを、「ひとなる」という。人間は、全ての動植物がもっている「変わる力」「自己創出力」(「根源的自発性」)によって、置かれた環境のなかで「折り合い」をつけながら生きている。それは学習を重ねることでもある。生きものの根本には学習がある。その内発性による学習(学習権)を支援・保障し、一人ひとりの「持ち味を引き出し合う」ものが、教育である。それを通して人間は、人間という「種の持続」を図るのである。そういう意味
73
において、教育は公的な事業であり、人類の一大事業である(大田堯『大田堯 自
撰集成 4 ひとなる―教育を通しての人間研究』藤原書店、2014年7月。大田堯・山本昌知『ひとなる―ちがう・かかわる・かわる』藤原書店、2016年10月、等参照)。ここに「大田教育学(教育人間学)」の原点のひとつ(「生命の視点」)がある。
〇大田と中村の対談([1])は、福祉教育の実践と研究における根源的な問いでもある「生命の哲学」(いのちを生きること)について思い至らせる
付記
大田はいう。教育に対する国の介入が一段と悪化している。私たち自身の内面にある「教育」の既成観念(上から同化・同調を求めて教えたがる。教えることが過剰、学ぶことが過少)を克服する必要がある。「自然の生命が求める教育とは何か」を考え合おう、というのが『自撰集成』(全4巻・補巻)発刊の背景・理由である。
(1)『生きることは学ぶこと―教育はアート』(大田堯 自撰集成 1)藤原書店、2013年11月
(2)『ちがう・かかわる・かわる―基本的人権と教育』(大田堯 自撰集成 2)藤原書店、2014年1月
(3)『生きて―思索と行動の軌跡』(大田堯 自撰集成 3)藤原書店、2014年4月
(4)『ひとなる―教育を通しての人間研究』(大田堯 自撰集成 4)藤原書店、2014年7月
(5)『地域の中で教育を問う<新版>』(大田堯 自撰集成 補巻)藤原書店、2017年11月
74
12/「しんがり」:社会劣化の時代における思想
―鷲田清一と駒村康平を読む―
〇筆者の手もとに、鷲田清一(わしだ・きよかず、臨床哲学)が著した『しんがりの思想―反リーダーシップ論―』(〈角川新書〉KADOKAWA、2015年4月。以下[1])という本がある。[1]で鷲田はいう。「縮小社会・日本に必要なのは強いリーダーではない。求められているのは、つねに人びとを後ろから支えていける人であり、いつでもその役割を担えるよう誰もが準備しておくことである」。いま、「新しい市民のかたち」「自由と責任の新しいかたち」が問われている([1]カバー「そで」、「帯」)。
〇鷲田の論はこうである。日本は、高度経済成長の「右肩上がり」の時代から「右肩下がり」の時代に移行し、人口減少や少子高齢化などによる「縮小社会」が進行している。しかしいまだに、この国の政治・経済は「成長」を至上命題として考え、多くの人は拡大思考から解放されないでいる。
〇かつて出産から子育て・教育、看護や介護、看取りと葬送(そうそう)、もめ事解決、防犯・防災などの基本的な生活活動(生命に深く関わる「いのちの世話」)は、地域社会で住民が共同で担ってきた。しかし、高度消費社会の進展が図られるなかで、それらの活動も、納税やサービス料を支払うことによって、行政や専門家、サービス企業に責任放棄・転嫁(「押しつけ」)され、委託(「おまかせ」)されている。別言すれば、市民が「顧客」や「消費者」という受け身の存在に成りさがっている(「市民の受動化」)。それは、「責任を負う」ということをめぐっての、この社会の「劣化」であり、市民の「無能力化」を意味する。
〇いま、こうした「右肩下がり」の時代を見据えて、いかにダウンサイジング(downsizing、縮小化)していくかが問われている。そこで求められるのは、人や組織を引っ張っていく強いリーダーシップ(リーダー)ではなく、社会全体への気遣い・目配りや周到な判断ができ、「退却戦」もいとわないフォロワーシップ(フォロワー)である。それが「しんがりの思想」である。これこそが、市民が受動性から脱して「市民性」(シティズンシップ)を回復させ、それを成熟させる前提になる。「市民性」とは、「地域社会のなかで、みなの暮らしにかかわる公共的なことがらについてともに考える、そしてそれぞれの事情に応じて公共の務めを引き受ける、そんな市民・公民としての基礎的な能力」([1]88ページ)をいう。
〇そして、鷲田にあっては、「市民性の回復」すなわち(対抗的な)「押し返し」の活動は、たとえばボランティアやNPOの活動、Uターン、Iターンの動きなどに見ることができる。リーダーや市民にはいま、「しんがり」の務めと「押し返し」のアクションを行なうことが求められている。その際に重要なのは、リーダーシッ
75
プではなくフォロワーシップである。
〇鷲田は[1]で、梅棹忠夫(うめさお・さだお、1920年~2010年、民俗学者)の「請(こ)われれば一差し舞える人物になれ」([1]215ページ)という一言を引いて本文を閉じる。「成熟した市民」「賢いフォロワーとなる市民」の姿である。
〇筆者の手もとにもう一冊、駒村康平(こまむら・こうへい、経済学者)が編んだ『社会のしんがり』(新泉社、2020年3月。以下[2])という本がある。[2]は、2014年度から2018年度まで慶應義塾大学で行われた全労済協会寄附講座「生活保障の再構築―自ら選択する福祉社会」をもとに、さまざまな分野や地域で、変化する社会経済が引き起こす諸課題を克服すべく格闘している「しんがり」たちの活動をまとめたものである([2]8ページ)。
〇駒村の思い・願いは、すなわちこうである。「しんがり(殿軍:でんぐん)」とは、戦いに敗れて撤退する本隊を守るために最後まで戦場に残り、敵を食い止める部隊のことである。社会や地域が大きく変化し、その対応に既存の諸制度が対応できないときに、起きている問題に格闘する人や組織は必ず必要である。そうした人々や組織を「しんがり」と呼び、「先駆け(先駆者)」だけが褒(ほ)めそやされる時代に、「しんがり」の活躍にも光を当てたい([2]8~9ページ)。
〇駒村はいう。今日の日本社会は、人口減少や格差の拡大などによる社会の劣化が進んでいる。また、戦前・戦中の適者生存や優生思想が強まり、再び危機の時代を迎えている。LGBT(性的少数者)をめぐる生産性の議論や相模原障害者施設殺傷事件(2016年7月)などがそれである。そんななかで、地域社会を維持するために自ら社会問題を考え、構想し、地域の問題は住民自身で解決するという意識のもとで行動できる市民を育てる。また、平和のために時代や場所を超えて他者の困窮(困りごと)を想像し、共感できる市民を増やす、それが強く求められる。駒村が期待する「市民」は次のようなものである([2]23~24ページ)。
(1)充実した熟議ができるような市民になってほしい
社会や国に影響を及ぼす大きな政治的な諸問題について、伝統にも権威にも屈従することなく、よく考え、検証し、省察し、議論を闘わせる市民になってほしい。
(2)他者への敬意を払うような市民になってほしい
自分たちとは人種、宗教、ジェンダー、セクシュアリティが異なっていたとしても、他の市民を自分と同等の権利を持った人間と考え、敬意を持って接するようになってほしい。
(3)他者、他国の人の気持ちを想像、共感できる市民になってほしい
さまざまな政策が自分そして自国民のみならず他国の人々にとってどのような意味、影響を持つかを想像、理解できるようになってほしい。
76
(4)人の「物語」を聞くことにより、人生の意義を広く、深く理解できる市民になってほしい
幼年期、思春期、家族関係、病気、死、その他、さまざまな人生の出来事について、単に統計・データとして見るのではなく、一人ひとりの人生の「物語」として、理解することによって、多様な生き方に共感できるようになってほしい。
(5)政治的に難しい問題でも自ら考え、判断できる市民になってほしい
政治的な指導者たちを批判的に、しかし同時に彼らの手にある選択肢を詳細にかつ現実的に理解したうえで、判断するようになってほしい。
(6)世界市民として自覚し、社会全体の「善」に想いをはせてほしい
自分の属する集団にとってだけではなく、社会、人類全体にとっての「善」について考えてほしい。複雑な世界秩序の一部として自分、自国の役割を理解し、人類が抱えている国境を超えた、複雑で知的な熟議が必要とされる多様な諸問題の解決を考えてほしい。
〇言うまでもなく、地域の問題は地域住民の問題であり、住民自身で解決するという意識が重要である。その地域社会(まち)のありようを最終的に決めるのは、「市民」でなければならない。その点で市民には、鷲田がいう「市民性の回復と成熟」、駒村がいう(1)から(6)の「市民性」(市民としての資質・能力)の形成が求められる。地域の問題はまた、複雑化・複合化し、多様化、困難化している。その点で市民には、多領域の専門家との「共働」が肝要となる。先ずは問題把握や解決に向けて「熟議」する公共的な“場”の構築であろう。さらに市民には、政治や行政に対する一辺倒な批判だけでなく、まちの将来展望を踏まえた課題解決活動や運動の取り組みが求められる。これらは、筆者がいう「市民福祉教育」に通底する。
〇なお、鷲田は[1]で、福澤諭吉の『学問のすゝめ』の一節、「一人にて主客二様の職を勤むべき者なり」(岩波文庫、1978年1月、64ページ)を引く。それは、「ふだんは公共のことがらを、市民のいわば代理として担う議会や役所にまかせておいてもいいが、そのシステムに致命的な不具合が露呈したとき、あるいはサービスが決定的に劣化したときには、いつでも、対案を示す、あるいはその業務をじぶんたちで引き取るというかたちで、人民が『主』に戻れる可能性を担保しておかなければならないということである」([1]197~198ページ)。これは、「顧客」「消費者」としての市民の、鷲田がいう「押し返し」である。世間から押しつけられるものではなく、地べたから立ち上がる、「責任」の新しいかたち(感覚)であ。得意げに口汚くののしるだけの市民(クレーマー)は無用であり、ときに有害でもある。付記しておきたい。
77
13/「障がい者」:言葉とフレーズと福祉教育
―荒井裕樹を読む―
〇1970年代から80年代にかけて、日本脳性マヒ者協会「青い芝の会」神奈川県連合会の横田弘(よこた・ひろし)や横塚晃一(よこづか・こういち) らは、「障害者は不幸」「障害者は施設で生きるしかない」「障害者は殺されてもやむを得ない」といった固定的な価値観(常識)と闘った(下記[3]134ページ。注①②)。その後、「完全参加と平等」(1981年の「国際障害者年」)をはじめ「バリアフリー社会」「自立生活」「地域生活支援」「地域共生社会」、あるいは「共生共育」(インクルーシブ教育)などの実現をめざした障がい者運動が展開された。2016年4月に「障害者差別解消法」(「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」)が施行され、同年7月にはその対極に位置する「相模原障害者施設殺傷事件」が起きた。「差別を解消するための法律を作れば、そのうち差別は克服される」といってしまえるほど、この社会は単純な仕組みにはなっていない([3]13ページ)。元施設職員の犯人・植松聖(うえまつ・さとし)は「重度障害者は不幸をばらまく存在であり、絶対に安楽死させなければいけない」と断言した。そしていま、早くも事件の風化が進んでいる。ここに障がい者差別の「現在」があり、青い芝の会の「過去」の闘争やその思想が浮かび上がる。
〇筆者の手もとに、荒井裕樹(あらい・ゆうき、専門は障害者文化論、日本近現代文学)の本が5冊ある。(1)『まとまらない言葉を生きる』(柏書房、2021年5月。以下[1])、(2)『車椅子の横に立つ人―障害から見つめる「生きにくさ」―』(青土社、2020年8月。以下[2])、(3)『障害者差別を問いなおす』(筑摩書房、2020年4月。以下[3])、(4)『障害と文学―「しののめ」から「青い芝の会」へ―』(現代書館、2011年2月。以下[4])、(5)『差別されてる自覚はあるか―横田弘と青い芝の会「行動綱領」―』(現代書館、2017年1月。以下[5])、がそれである。
〇荒井は、「この社会に存在する数々の問題について『言葉という視点』から考えること」を仕事にする気鋭の「文学者」である。専門は、厳しい境遇に追いやられている「被抑圧者の自己表現活動」([1]20ページ)である。主な研究対象(テ―マ)は、障害や病気と共に生きる人たちの「言葉」であり、障がい者運動や患者運動に関わる(関わった)人たちの表現活動である。荒井はいう。1970年代に、障がい者の苦労をわかってもらうのではなく、世間の障がい者差別と闘った「青い芝の会」神奈川県連合会の横田は、「障害者は不幸」「障害は努力して克服すべき」という考えが常識だった時代に「なんで障害者のまま生きてちゃいけないんだ?!」と言った([1]151ページ)。障がい者運動家たちからもらった最大のものは、「『正しい』とか『立派』とか『役に立つ』といった価値観自体を疑う感覚」([1]244ペー
78
ジ)である。「ある人の『生きる気力』を削(そ)ぐ言葉が飛び交う社会は、誰にとっても『生きようとする意欲』が湧(わ)かない社会になる。そんな社会を次の世代には引き継ぎたくない」([1]29ページ)。荒井が依拠する基本的な視点や認識のひとつであり、ひとりの「学者」としての覚悟(姿勢)である。
〇[1]は、「言葉」に潜む暴力性を明らかにし、その息苦しさ(「言葉の壊れ」)に抗(あらが)うための18本のエッセイ集である。荒井は、「言葉の殺傷力」、特に2010年代以降に顕著になった「言葉が壊されている」現実に、猛烈な危機感を持つ。「言葉というものが、偉い人たちが責任を逃れるために、自分の虚像を膨らませるために、敵を作り上げて憂さを晴らすために、誰かを威圧して黙らせるために、そんなことのためばかりに使われ続けていったら、どうなるのだろう」([1]247ページ)。これが[1]の各エッセイに通底する問題意識である。空虚なスローガンやキャッチフレーズとともに、質疑や質問に向き合わず、討論やコミュニケーションを遮断した安倍政権の汚く卑劣な言葉やフレーズを思い出す。
〇[2]は、学術誌に掲載した論文と文芸誌やネットジャーナルに寄稿したエッセイの14本の論考から成っている。荒井の研究者人生「最初の10年間の総括」([2]222ページ)である。ほとんどの人が「車椅子の横に立つ人」を障がい者の「身内」か「介護者(福祉職)」と決めつけてしまう。障害や障がい者をめぐるある種の固定観念や思い込み(ステレオタイプ)にとらわれ、それを定型的・限定的に捉えてしまう狭い範囲での想像力は、何から生み出されるのか。障がい者が経験する現代社会における「生きにくさ(生きづらさ)」や、それをめぐる「語りにくさ(語られにくさ)」を言葉でどう捉えるのか。こうした「にくさ」が交錯(こうさく)する問題について考える端緒を開こうとするのが[2]である。そして荒井はいう。「いつか(その)正体を見極めて、ぶち壊したいと思う」([2]34ページ)。
〇[3]は、1970年代から80年代にかけてさまざまな抗議行動(闘争)を繰り広げた「青い芝の会」神奈川県連合会の問題提起を、その運動に参加した障がい者たちの言葉やフレーズ、思想や価値観などを通して丹念に振り返り、「障害者差別を問い直す」。例えば、青い芝の会が「障害者と対立関係にある健康な者」「障害者を差別する立場にいる健康な者」を「健全者」([3]73ページ)と呼んだ。あるいは、憲法第25条に規定された「生存権」を「生きる権利」「この世に存在する権利」([3]194ページ)という意味で使ったことなどに言及し、そこに青い芝の会の思想をみる。そして荒井はいう。「障害者本人たちが、障害者抜きに作られた『常識』に対して、異議申し立てを行なってきた経緯」([3]22ページ)について、その具体的な事例を一つひとつ調べていくことが重要である。障がい者差別についてあまりにも早急にあるいは短絡的に「解決」を求める発想は、「弱い立場の人に我慢や沈黙を強いたり、そうした『解決』に馴染(なじ)めない人たちを排除したりする方向へと進みかねない」([3]252ページ)。複雑に入り組んだ障がい者差別の問題につ
79
いて考える荒井のスタンス(立場)である。
〇本稿では、福祉教育(とりわけその実践)に関してしばしば見聞きする言葉やフレーズのいくつかを[1][2][3]から抜き出し、荒井のその論点や言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。
「障害」という言葉と定義
これまで「障害」は「不幸の代名詞」「生きにくさの象徴」のように考えられてきた側面がある。([2]192ページ)/「障害学」のなかでは、「障害」は二つに分類される。個人の身体的な欠陥や欠損、あるいは機能不全という意味の「インペアメント(impairment)」(医学モデル・個人モデル)と、社会的障壁という意味の「ディスアビリティ(disability)」(社会モデル)である。([2]187、188ページ)/「障害」は立場や見方によって定義がさまざまに変化し得る相対的なものである。([2]189ページ)
人は程度の差こそあれ、何らかの障害を抱えながら生きていると考えた方がよい。[2]190ページ)/自分には何ができて、何ができないのか。どこからが自分の手に負えない状況になってしまうのか。何かできないことに直面した際、誰に、どれだけのサポートを求めれば良いのか。自分のなかに「障害」を見出すというのは、こうした点について考えることでもある。([2]192ページ)
ここでいう「障害」とは、「ある特定の文脈や状況のなかで、他の多くの人がそれほど苦労せずにできることができず、そのことで日常生活に支障をきたすこと」という意味である。([2]194ページ)/人は誰しも「障害的要素」や「障害者的側面」をもっているはずであり、そうした内省(リフレクション(reflection))を通じて、社会を捉え返すことが大切である。([2]195ページ)
「障がい者」に対する紋切り型の表現
障害者に対する紋切り型の表現は、これまでも繰り返し批判されてきた。記憶に新しい例で言えば、Eテレの情報バラエティ番組「バリバラ(Barrierfee Variety Show)」が、日本テレビ系列の有名チャリティ番組「24時間テレビ」にぶつけて「障害者×感動の方程式」と題した番組を組み、障害者が感動や勇気を与える存在として描かれることを「感動ポルノ」(Inspiration porn)と批判したことが話題になった。([2]24ページ)
もともと「感動ポルノ」という言葉は、豪州(オーストラリア)のジャーナリスト、ステラ・ヤング(Stellar Young)のものとされている。Eテレの同企画を詳細に報じた『朝日新聞』(2016年9月3日)の記事は、当日の番組の様子を次のように伝えている。<番組では冒頭、豪州のジャーナリストで障害者の故ステラ・ヤングさんのスピーチ映像を流した。ステラさんは、感動や勇気をかき立てるための道具として障害者が使われ、描かれることを、「感動ポルノ」と表現。「障害者が乗り越えなければならないのは自分たちの体や病気ではなく、障害者を特別視し、モノと
80
して扱う社会だ」と指摘した。([2]27ページ)
「不幸」や「悲劇」を健気(けなげ)な努力によって乗り越える障害者の姿が涙とともに「消費」されることは珍しくない。([2]113ページ)
障がい者の「役に立たない」という烙印
戦時中の障害者たちは、「お国の役に立たない」ということで、ものすごく迫害された。「国家の恥」「米食い虫」という言葉で罵(ののし)られた。/そうした迫害に苦しんだ人たちだからこそ、「障害者を苦しめる戦争反対!」とはならない。むしろ、なれないのだ。/迫害されている人は、これ以上迫害されないように、世間の空気を必死に感じ取ろうとする。どういった言動をとればいじめられずに済むか、自分をムチ打つ手をゆるめてもらえるかを必死になって考える。([1]104~105ページ)
誰かに対して「役に立たない」という烙印を押したがる人は、誰かに対して「役に立たないという烙印」を押すことによって、「自分は何かの役に立っている」という勘違いをしていることがある。/特に、その「何か」が、(「国家」「世界」「人類」などの)漠然とした大きなものの場合には注意が必要だ。/「誰かの役に立つこと」が、「役に立たない人を見つけて吊るし上げること」だとしたら、断然、何の役にも立ちたくない。([1]107ページ)
「障がい者はもっと遠慮するべきだ」という暴力
老若男女、障害や病気の有無にかかわらず、「遠慮」をまったく感じないでいられる人は現実的にはほとんどいない。だから、みんなが、どこかで、誰かに「遠慮」している。/それでも、障害や病気がある人の「遠慮」は、場合によっては命に関わる。([1]178ページ)
日本の障害者運動が最初に闘ったのは、「遠慮圧力」だった。/<生きるに遠慮が要るものか>というフレーズは、障害者運動の神髄だとさえ言える。/「みんな、それなりに遠慮しているのだから、障害者も弱者なんていう言葉にあぐらをかかず、もっと遠慮するべきだ」/いまでも、こうした意見を持つ人がいる。/でも、この世の「遠慮圧力」は、みんなに等しく均一にかかっているわけではない。やはり、どこかで、誰かに、重くのしかかっている。([1]183ページ)
自分たちが生きる社会のなかで、「生きること」そのものに「遠慮」を強いられている人がいることを想像してみてほしい。「遠慮圧力」が、ときには人を殺しかねないことを想像してみてほしい。/確かに、ある程度の「遠慮」は美徳かもしれないけれど、誰かに「命に関わる遠慮を強いる」のは暴力だ。([1]184ページ)
81
「障害は個性」「みんな違ってみんないい」という言葉
1990年代以降、「障害は個性」や「みんな違ってみんないい」といった言葉が、障害者との共生をめざす文脈でしばしば見かけられるようになった。しかし、これらの言葉は、どちらかというと「障害者と仲良くするための言葉」であり、障害者差別という人権侵害を抑止したり糾弾したりする「闘う言葉」ではないようである。([3]231~232ページ)
ある差別について語る言葉がない(少ない)ことは、その社会に差別が存在しないことを意味しない。むしろ、差別について語る言葉が少ないほど、その社会が差別に対して鈍感であることを意味している。([3]232ページ)
「障がい者も同じ人間である」というフレーズ
障害の有無にかかわらず、人は皆、等しくかけがえのない存在であり、等しい尊厳を有した存在であるという意味において、「障害者も同じ人間」というフレーズはまったく間違ってもいなければ、無力なきれいごとでもない。([3]235ページ)
「人間」とは極めて普遍的で抽象的な言葉だからこそ、ともすると、個々人の抱えた事情を一切無視して、少数者を多数者の論理に従わせたり、多数者の価値観を少数者に受け入れさせたりする抑圧的な言葉として、いかようにも転用できてしまう。/つまり、「障害者も同じ人間なのだから」という表現は、障害者に対して我慢や自制を強いる表現としても使われかねないのである。([3]236ページ)
障害者たちが障害者運動のなかで叫んできた「障害者も同じ人間」というフレーズは、「障害者も生物学上『人間』に分類される存在である」などといった意味ではない。運動の蓄積に鑑(かんが)みるならば、この言葉は「障害者も社会のなかで共に生活する者である」といったメッセージとして育て上げられてきたフレーズである。/「障害者も同じ人間」というフレーズは、「他の人々に認められている社会参加への機会や権利は、障害者にも等しく認められるべきである」といった意味内容で使われなければならない。([3]239ページ)
障がい者の「差別と区別は違う」という定型句
「差別と区別は違う」というのは、障害者差別が起きたときにも出てくる定型句である。/「差別」は不当に「されるもの」であり、「区別」は不利益が生じないように「してもらうもの」である。/「不利益の生じる区別」は「差別」だし、そもそも属性を理由に「不利益」を押しつけることは許されない。/「差別と区別は違う」というフレーズは、「それは差別だ!」と批判された側が思わず口走るというパターンが多かったように思う。([1]124、125ページ)
この社会は「権利」という概念に鈍(にぶ)いけど、それと対になって「差別」への感性も鈍い。「差別」への感性を鈍らせないためにも、「権利」に敏感でなければならない。([1]126ページ)
82
「隣近所」で生きる障がい者との「闘争(ふれあい)」
障害者が排除されるのは抽象的な「地域」ではなく、具体的な「隣近所」であることから、横田は「障害者は隣近所で生きなければならない」と言った。これは、「障害者は、目に見えて、声が聞こえる距離で生きなければならない」ということだ。障害者が身近にいない社会では、障害者はどんな人なのかといった想像力が希薄になる。([2]77ページ)
逆に、障害者にとっても、様々な人たちが混在している社会のなかで生きなければ、「自分とは何者か」「自分と社会はどのような関係にあるか」について考える機会を失う。「障害者が遠い社会」や「障害者にとって遠い社会」では、障害者について語る言葉も、障害者と語らう言葉も貧困になる。言葉が貧困なところに想像力は育まれない。([2]77、78ページ)
横田は、障害者は周囲の人々と軋轢を起こしながら・起こしてでも(「隣近所」で)生きなければならないと言った。小さな諍(いさか)いは、相手と言葉を交わし、相手が何者なのかを考える契機になる。横田が「闘争」という言葉に「ふれあい」というルビを振ったことは有名なエピソードだ。([2]78ページ)
「自己責任」という言葉とその不気味さ
「自己責任」という言葉に、おおむね次の三点において不気味さを覚えている。
一つ目は、2004年の「イラク邦人人質事件」で騒がれた時から、「自己責任の意味が拡大し過ぎている」という点だ。/これまでも、病気・貧困・育児・不安な雇用などで生活の困難を訴える人が、「甘え」「怠(なま)け」といった言葉でバッシングされることはあった。近年では、こうした場面にも「自己責任」が食い込んできた。([1]189、190ページ)
二つ目は、「自己責任」が「人を黙らせるための言葉」になりつつある、という点だ。/社会の歪みを痛感した人が、「ここに問題がある!」と声を上げようとした時、「それはあなたの努力や能力の問題だ」と、その声を封殺(ふうさつ)するようなかたちで「自己責任」が湧き出してくる。([1]190~191ページ)
三つ目は、この言葉が「他人の痛みへの想像力を削(そ)いでしまう」という点だ。/「自己責任」という言葉には「自らの行ないの結果そうなったのだから、起きた事柄については自力でなんとかするべき」「他人が心を痛めたり、思い悩んだりする必要はない」という意味が込められている。([1]191ページ)
「自己責任」というのは、声を上げる人を孤立させる言葉だ。/「従順でない国民の面倒など見たくない」という考えを持った権力者は、今後も「自己責任」という言葉を使い続けていくだろう。国民が分断されていることほど、権力者にとって好都合なことはないからだ。([1]195ページ)
83
人が「生きる意味」について議論すること
人が「生きる意味」について、軽々に議論などできない。障害があろうとなかろうと、人は誰しも「自分が生きている意味」を簡潔に説明することなどできない。「自分が生きる意味」も、「自分が生きてきたことの意味」も、簡潔な言葉でまとめられるような、浅薄なものではないからである。([3]234ページ)
私が「生きる意味」について、第三者から説明を求められる筋合いはない。また、社会に対して、それを論証しなければならない義務も負っていない。もしも私が第三者から「生きる意味」についての説明を求められ、それに対して説得力のある説明が展開できなかった場合、私には「生きる意味」がないことになるのか。/だとしたら、それはあまりにも理不尽な暴力だとしか言えない。([3]234ページ)
この社会のなかで、誰かに対し、「生きる意味」の証明作業を求めたり、そうした努力を課すこと自体、深刻な暴力であることを認識する必要がある。/重度障害者に対し「生きる意味」の証明作業を求めるような価値観は、必ず、重度障害者以外に対しても牙(きば)を剥(む)く。([3]235ページ)
〇上記の[4]は、「障害者によって描かれた文学」作品を研究対象に、それらの作品が生み出された文学活動の歴史と意義について考察する。具体的には、俳人で運動家の花田春兆(はなだ・しゅんちょう)と文芸同人団体「しののめ」、詩人で運動家の横田と「青い芝の会」神奈川県連合会をとり上げる。そして、「障害者自身がいかに自己の存在意義について悩み、いかに自己と社会との関係性について折り合いをつけてきたのか、その内省的な思索の変遷過程を、可能な限り同時代の障害者自身の文学表現から読み解いていく」([4]8ページ)作業を行う。それは、障がい者や障がい者運動の「内面史」を語ることでもある。荒井はいう。戦後日本の障がい者運動のなかでは、「文学は決して周縁的・副次的な存在ではなく、人脈を繋ぎ、思想を練磨していく上で、むしろ中心的な役割を果たしていたとさえ言える」([4]8ページ)。
〇上記の[5]は、横田が1970年5月に書き上げた「青い芝の会」の「行動綱領 われらかく行動する」(「補遺」参照)の解釈を通して、その歴史や思想、その意義について考察する。「行動綱領」は、「一人の重度脳性マヒ者が、この社会に厳然と存在する障害者差別に頽(くずお)れてしまわないために、自分を鼓舞し支えようとして綴った言葉」([5]299ページ)である。「青い芝の会」の活動には、「『自分たちの苦労と悲しみをわかってもらいたい』という迎合的な姿勢や、『障害のある人もない人も、共に手を取り合ってがんばろう』といった朗(ほが)らかな雰囲気は微塵もなかった」([5]14ページ)。彼らは、差別者を容赦なく徹底的に糾弾し、非妥協的で戦闘的な姿勢を貫き通した。荒井によると横田は、差別者と対峙して自覚
84
的あるいは無自覚な差別を問いただし、その壁を乗り越えて明日を切り拓き、自分自身を解き放つためには「差別されてる側の自覚から湧き上がる怒りが必要だ」([5]299ページ)とした。障がい者(被差別者、被抑圧者)の「自覚」がキーワードである。ここに、『差別されている自覚はあるか』というタイトルの意味をみる。
社会のすべてが、障害者と共生する時が来るとは私には考えられない。/私たち障害者が生きるということは、それ自体、たえることのない優生思想との闘いであり、健全者との闘いなのである。(横田:[4]225ページ)
私達は生きたいのです。/人間として生きる事を認めて欲しいのです。/ただ、それだけなのです。(横田:[5]103ページ)
注
① 1970年5月に起きた実母による障がい児殺害事件に対する減刑嘆願反対運動をはじめ、優生保護法改悪反対運動および「胎児チェック」反対運動(1972年から1974年)、川崎バス闘争(1977年から1978年)、養護学校義務化阻止闘争(1975年から1979年)などがそれである。その概要と詳細は[3](41~47、128~145、150~176、188~220ページ)を参照されたい。
② 横田と横塚の言説(思想)については次の著作を参照されたい。
横田弘著『障害者殺しの思想』JCA出版、1979年1月
横田弘著、立岩真也解説『障害者殺しの思想(増補新装版)』現代書館、2015年6月
横塚晃一著『母よ!殺すな』すずさわ書店、1975年1月
横塚晃一著、立岩真也解説『母よ!殺すな(増補復刻版)』生活書院、2007年9月
85
補遺
横田の手になる「行動綱領 われらかく行動する」は、次の通りである([5]29~30ページ)。
荒井による各項目の解説文(「注釈めいたもの」)をメモっておくことにする([5]121~142ページの抜き書きと要約)。
一、われらは自らがCP者である事を自覚する
障害者運動は障害者が主体となり、障害者の主体性が発揮されるかたちでなされなければならない。そのためには自分がCP者(脳性マヒ者)であることを自覚し、CP者としての思考や考え方がなければならない。それがすべての原点である。
一、われらは強烈な自己主張を行なう
障害者が障害者のまま生きていくために、障害者としてしか生きられない自分の存在を「自己主張」すべきである。この社会の常識自体が障害者の存在を否定的に捉えている。そんな常識を<健全者エゴイズム>として捉え直さない限り、障害者は<自己解放>の道を歩むことはできない。
一、われらは愛と正義を否定する
母親がわが子を愛するが故に障害児を殺した事件が起きた。その愛を圧倒的多数の人たちが支持すれば、それは正義になる。その「愛と正義」の名のもとに、障害児は殺され、あるいは施設へと送られた(送られている)。「障害者のためを思っ
86
て」という健全者だけに都合のよい「愛と正義」について、人間の心を凝視しなければならない。「福祉は思いやり」という発想も怖い。非常時に真っ先に犠牲になるのは障害者である。
一、われらは問題解決の路を選ばない
障害者が成し得ることは、「不満があるなら何か具体的な対案や代替案を示せ」という発想に応えることではなく、次々と問題提起を起こす以外にない。安易な問題解決は<安易な妥協>を生む。安易な妥協は、「正義」として受け止められ、「誰」が「何」を考えなければならないのかという点を曖昧にしてしまう。妥協は、弱い立場の者がしぶしぶ折れる(折られる)ことになる。
87
14/「ふつう」:普通に暮らすことの功罪
―深澤直人と佐野洋子を読む―
(1)「ふつう」は私とあなたの「あいだ」にある
私は、周りのあなたとの類似性を重視し、そこに安寧や安心を感じる。
私は、周りのあなたとの相異性に緊張し、そこに不安や劣等感を感じる。
(2)「ふつう」は私とあなたの「ふだん」にある
私が「ふつう」を意識するのは、日常の生活場面においてである。
しかもその現実の場面は、生活と人生のひとコマに過ぎず、常に変化する。
(3)「ふつう」の隣に「特別」がある
私には社会的に許容される独自性欲求があり、それが自尊感情を高める。
その一方で、社会意識である孤独感や差別意識・偏見を生む。
(4)- ➀ 私は「ふつう」を求め、あなたを「ふつう」にさせる
私は、人並みを求め、周りから目立つあなたを攻撃する。
それが窮屈で、生きづらい地域・社会をつくる。
(4)-➁ 私は「ふつう」を捨て、あなたと「わがまま」をいう
私は、生き方や価値観を変え、あなたと権利や不満を主張する。
それが地域・社会を革め、豊かな未来を切り拓く。
〇こんなことを思いながら、深澤直人(ふかさわ・なおと)の『ふつう』(D&DEPARTMENT PROJECT、2020年7月。以下[1])と佐野洋子(さの・ようこ)の『ふつうがえらい』(新潮文庫、新潮社、1995年3月。以下[2])を読んだ。深澤は世界的に有名な(身の回りにあるさまざまな製品をデザインする)プロダクトデザイナーである。深澤のデザイナー活動のテーマや哲学は、「ふつう」という概念にある。それは、「ふつう」という価値が日本人の生活の根底をなすことによる。[1]は、その「ふつう」について雑誌に15年間にわたって連載したコラムを書籍化したものである。佐野(1938年~2010年)は、絵本作家、エッセイストであり、代表作に絵本『100万回生きたねこ』(講談社、1977年10月)がある。[2]には、佐野が自分を「生きる」ことの思いや行動を装飾のない「なま」の文章に乗せた73篇のエッセイ(「世間話」)が収められている。それらは単純明快で、歯に衣着せぬストレートなところが面白い。
〇[1]では、「ふつう」の良さに気づき、「ふつう」は「日常のあたりまえに通り過ぎる出来事を自覚したときに感じるもの」(26ページ)であるという思いに至る。そんななかから、筆者が留意したい一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
88
知識の世界とリアルな世界の「ふつう」/―経験に基づくリアルな世界の「ふつう」が人間を幸せにする
頭で勝手に思い込んでいるものと、目で見ているものの形は違う。人間は実際にそのものを目の前にして見ているときでさえも、思い込んだ形をしているように捉えてしまう。極端な言い方をすれば目に見えるすべてはその人の概念であって先入観が成す世界なのかもしれない。先入観を成すものは経験なしに得た情報である場合が多い。デザインをしていると二つの世界の存在が見えてくる。一つは他から得た情報とその集積の知識が成す世界。これを「常識」とか「ふつう」とか言うのかもしれない。もう一つは先入観なく見た、あるいは感じたそのままの世界。経験から得た情報とその集積としてのリアルな世界である。これも言ってみれば「ふつう」である。人間はこの二つの世界観と二つの「ふつう」を持ち合わせ、そこを頻繁に行き来している。人は後者のようなリアルな「ふつう」に出会ったとき、自己の思い込みや先入観に気付き、「あ~、な~んだ、これもふつうなんだ」などと安心したり、驚いたりしていい気持ちになる。身体は常にリアルに触れているのに、思考は与えられた情報を信じている。だから既に触れていた感触を何かによって自覚させられたとき、はっとするのだ。(中略)リアルな世界の「ふつう」に触れたとき人間は幸せになる。(52~54ページ)
「変える」ことと「変えない」デザイン/デザインはしっくりいっていないことを正し、改善することである
長く使われてきたものは、もう生活の分子になっているから簡単に変えようとしてはいけない。「保守的」といわれるかもしれないが、「保守」ということばには二つの意味がある。一つは、「正常な状態を保つこと」。もう一つは、「旧来の風習・伝統・考え方などを重んじて守っていこうとすること」。それは、まさしく長い年月を経て「ふつう」になってきたことを「ふつう」のままにしておこう(と)することだと思った。保守の反対は革新で、その意味は旧来の制度を改めて新しく変えることである。制度を改革するのであって、よいものを新しく作ることとは違う。変えるのではなく、しっくりいっていないことを正し、改善すること。デザインは「変える」こととか「新しく」作ることだと思い込んでいる人は少なくない。そういったデザインの一般論に反抗して「変えない」ということは易(やさ)しくない。「自分のデザイン」というような気持ちを捨てなければならない。でも、そうやっていいものを継承して現在の生活に合わせて少しずつ直していこうとすれば、いつか自然に新しいものがぽろっと生まれる時がある。新しいのに、ずっといいものと繋がっているようなものができる時がある。(201~203ページ)
「美しい」と「いい雰囲気」をつくるデザイン /デザインは暮らしという全体の「雰囲気」をつくることである
89
椅子や家具をデザインする時も、心がけるのは、もはや「形」とか「自己表現」などでは、毛頭ない。いい雰囲気を醸(かも)し出す物かどうか、を問いながら、私はデザインする。(中略)いい雰囲気とは、調和の事かもしれない。(中略)「綺麗」とか「美しい」という事は、それがよい物かどうかを決める、最も重要な事ではない。「雰囲気がいい」事のほうが上である。物が、単一で美しい、などという事など、ないのだ。雰囲気を醸し出す物でなければ、「いいデザイン」とは言えない。新しければいい、などという事はデザインの基準ではない。/「いい感じ」を醸し出す物が、「いい雰囲気」をつくる。デザイナーは、物だけをデザインしてはいられない。暮らしという全体の「雰囲気」をつくらなければいけない。結局は、空気をつくるのだ。(310~312ページ)
〇以上を要するに、①事実(本物)に触れる経験、②「ふつう」になったものを「変えない」デザイン、③空気(意識)を醸成するデザインが重要であるというのであろう。唐突ながら、これらは「まちづくりと市民福祉教育」にも通底する。誤解を恐れずにそれを別言すれば、まちづくりはそのまちの歴史や文化によって生み出された「ふつう」を磨くことである、と言えようか。
〇[2]では、「ふつう」はシンプルであり、「えらい」は生まれてから死ぬまでの、誰もが行う人間の野性的な、普段の営みにこそあるという思いに至る。ここでは、[2]に収録されている河合隼雄(1928年~2007年。臨床心理学)の「解説」文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
ふつうの人とえらい人 /「ふつう」は「生き物であれば、誰でも持っているもの」であり、「よくいきている」ふつうの人のほうがえらい
「正しいというのは正義というのではない。」(192ページ)/「正義」の方は必ず理由をもっている。「かくかくしかじか」という理由によって正しいという。それは理由によって支えられており、その理由はイデオロギーとかによって支えられている。つまり、それは正しい理論、正しい認識、などというものによって支えられ、立派に見えるけれど、そこから知らぬ間に生きた人間が消え去ってしまう。それに対して、佐野洋子のいう「正しい」は、まず生きた人間が先行している。生きた人間の存在を通して、正しいという叫びがとびだしてくる。「私は野性の中にある知性こそが、本当の知性だ、そして、それは人間が生き物であれば、誰もが持っているものだと思う。」(193ページ)と書かれている。/「誰でも持っているもの」を言いかえると「ふつう」になる。その「ふつうがえらい」のだ。(中略)現代人は自分が「生き物」であることを忘れているのだ。うまくやったり、努力したりすれば何でもできる、と思いすぎている。今世紀になってテクノロジーが異常に発達した
ので、うまくやれば何でも可能と思いすぎているのだ。「えらい」人を見ると、自分も同じように「えらく」なろうとする。そのことによって無理をしすぎて、「生き物」である自分を見失ってしまうのだ。そのような偽物の「えらさ」ではなく、「生
90
き物であれば、誰でも持っているもの」としての「ふつう」のところに、でんと腰をすえると、世間の評価と関係のない「えらさ」を獲得できる。しかし、そのためには、人はひとりひとり個人差があり、自分ではどうしようもない欠点が沢山あることをはっきりと認識する必要がある。(285~286ページ)
〇筆者の手もとに、精神科医である泉谷閑示(いずみや・かんじ)の『「普通がいい」という病』(講談社現代新書、2006年10月。以下[3])と車椅子の「障害当事者講師」である小林亮平(こばやし・りょうへい)の『普通じゃなくなった人生』(文芸社、2014年3月。以下[4])がある。[3]にこういう一文がある。
ある親御さんが、「私は、息子に普通の子になって欲しかった。ある時、息子は『普通って何!』と言った。私は、何でもいいから普通に、みんなと足並みを揃えて欲しいって思って育ててきた。普通じゃないと他人に説明できないから、ただ分かりやすい人になって欲しいという気持ちだった」と、話されたことがありました(中略)。/しかし、どんな人も、決して最初から「普通」を求めていたはずはありません。/この親御さんの場合は、ご自身が幼い頃から周囲の視線や言葉によって傷ついてきた歴史があって、「普通」でないことはこんなにもまずいことなのかと考えるようになった。それで、どこか窮屈さを感じながらも、「普通」におびえ、「普通」に憧(あこが)れ、「普通」を演じるようになった。そして、わが子もそうやって生きるべきだと考えるようになったのです。(41、42ページ)
〇この一文から、「普通」は「考えや行動が同じ」であり、「他人に説明しなくても分かる状態」をいうのであろう。また、「普通」は、「一般的」「標準的」「多数派」といった意味をもち、自分が所属する「世間」(集団や組織)との関係性の調和を重視する日本文化(日本人)の伝統的な価値観である。「普通」の認知領域や設定基準によって、積極的・肯定的、消極的・否定的、あるいは好意的・非好意的な感情や思考・行動を生む。そして、周りの人への気配りが共有され、周りの人と調和したときのポジティブな感情や思考が、幸福感や満足感(well-being)として意味づけられる。上の一文から、こうした言説を想起する。
〇小林は、大学時代、突然「小脳出血」を発症し、重篤な後遺症が残ることになる。その治療やケア、リハビリが壮絶なものであったことは想像に難くない。小林はいう。
普通に大学を卒業して、普通に就職して普通に結婚したかったです。平凡な結婚生活で、子供もできて‥‥‥。でも、もう僕の人生は普通じゃなくなりました。あんな病気さえしなければ、その望みだって叶ったかもしれないのに。あんな病気さえしなければ、大学時代の思い出をもっと作れたかもしれないのに。あんな病気さえ
91
しなければ、大切な人の気持ちが離れていかないように何かしらできたかもしれないのに。ちくしょう‥‥‥。ちくしょう‥‥‥。/しばらくは、ただ何となく時間だけが過ぎていきました。新しい自分の人生を受け入れるのが嫌でも、時間というものは正確に流れていくもので、それはそれとして「とりあえず何か始めなければ」と漠然とですが、しだいにそう思うようになりました(56~57ページ)。
〇[4]で小林は、病状や治療、リハビリなどについて冷静に振り返り、また日々の出来事とその感情的な心の動き(心情)や偽りのない本当の気持ち(真情)を淡々と吐露(とろ)する。小林は、授業中に発症したときに保健室に連れて行ってくれた大学の友達と、自分の人生を受け入れて前向きに生きることを教えてくれた、一緒にリハビリをした女性、その二人の“死”に直面する。そんななかで、自らの“死”を考え、凄絶(せいぜつ)な苦悩を経験した小林は、「しっかりと生きる」ことを覚悟する。そこには、自分が周りの人との関わりのなかで、自分を引き受け、ありのままの自分を考え、人生を描き、それらを伝え合う、そしてそのなかで自分を生き抜く、それが「普通」である。また、そうでなければならない、という小林の強い意志がある。そして、「自分を放(はな)ち、自分を育(はぐく)む」小林の姿を見る。筆者にはそう思えてならない。
92
15/「弱さ」:「弱さの強さ」と「強さの弱さ」
―天畠大輔と澤田智洋の思想―
「ある社会がその構成員のいくらかの人々を閉め出すような場合、 それは弱くもろい社会なのである。障害者は、その社会の他の異なったニーズを持つ特別な集団と考えられるべきではなく、その通常の人間的なニーズを満たすのに特別の困難を持つ普通の市民と考えられるべきなのである。」(国連総会決議「国際障害者年行動計画」1980年1月30日採択)
〇筆者の手もとに天畠大輔(てんばた・だいすけ)の『<弱さ>を<強み>に―突然複数の障がいをもった僕ができること』(岩波新書、2021年10月。以下[1])と、澤田智洋(さわだ・ともひろ)の『マイノリティデザイン―「弱さ」を生かせる社会をつくろう―』(ライツ社、2021年1月。[2])という本がある。天畠は、四肢マヒ、発話障害、嚥下(えんげ)障害、視覚障害などの重複障害を抱える、「世界でもっとも障害の重い研究者のひとり」である。澤田は、「息子に視覚障害があるとわかってから、『強さ』だけで戦うことをやめた」コピーライターであり、「言葉とスポーツと福祉」が専門の広告クリエイターである。ともに1981年生まれの気鋭のヒトである。
〇[1]で天畠は、生活上の困難(「弱さ」)と徹底的に向き合いながら、独自のコミュニケーション法(「あ、か、さ、た、な話法」)を創り、24時間介助による一人暮らし、大学進学、会社の設立(介護者派遣事業所)、大学院での当事者研究(博士号取得)、全国各地の重度障がい者と介助者の相談支援活動など、自身の人生の軌跡と生き様を紹介する。その際のキーワードのひとつは「当事者力」「当事者研究」である。天畠はいう。「当事者力」とは、「自身の抱える困難<弱さ>を自覚し、社会にその困難<弱さ>と解決の方法を訴えていく力」(182ページ)である。「当事者研究」は、障がい者の生活が制度によって “ 囲われた生活 ” になっている状況を打開し、「個人的なこと」を「政治的なこと・社会的なこと」に結びつける。すなわち当事者研究には、障害の「個人モデル」を「社会モデル」に転換し、社会規範を変える・社会変革を促す障がい者運動を再び活性化させる可能性がある(212ページ)。
〇いまひとつのキーワードは「合理的配慮」であろう。合理的配慮とは、「障がいのある人が、過度な負担を伴わず社会参加の機会を得られるように社会の障壁を取り除き、障がい者に配慮すること」(69ページ)をいう。2016年4月の障害者差別解消法の施行をきっかけに社会で大きく注目を集めるようになった。
〇天畠の「合理的配慮」に関する論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。
93
「弱さ」を「強み」にする「合理的配慮」
介助者の介入ありきで論文を書きあげるという、一般的に考えられている規範(かくあるべきもの)からは外れてしまう自分の「弱い」部分にあえてスポットを当て、逆にそのことの合理性の証明を(個人的なことを徹底的に深堀りする)当事者研究によって実践してきた。そしてそれを発信することで、社会の見方を変え、すでにある合理性の考え方やその境界線を変化させること、ひいては合理的配慮の範囲を広げていくことにも繋がる、という可能性を実感した。/合理的配慮は「与えられるもの」ではない。「でき上がっているもの」でもない。当事者が自分のニーズを発信して、何が合理的であるかを社会と対話しながら、つくり上げていくものなのである。/障がい者が合理的配慮を受けるのは権利であるが、配慮を受けるためには相応の「責任を負う」。(73~74ページ)/「当事者が制度の上にあぐらをかいてはいけない」(74ページ)
介助者と協働で書いた論文は「自分の論文」と言えるのだろうか‥‥‥。介助者の能力に「依存」して、僕は自分の能力を水増しさせているのではないか‥‥‥。僕は論文執筆における「能力の水増し問題」に長く苦しめられることになった。(130ページ)/僕は「介助者と協働で論文執筆する研究方法」にみずから疑問を持ちながら、介助者と協働で博士論文を書き上げた。しかし、ある意味自分の<弱さ>と徹底的に向き合っていく作業ともいえるその過程で、誰しもが自分一人の能力で生きているわけではない、ということに気がついた。ちなみに僕は<弱さ>という言葉を、社会的規範からはみ出てしまうこと、それに付随する生きづらさという意味で使っている。(131ページ)
僕は常に介助者との関係性のなかで自己決定をしている。(204ページ)/一見すると僕の自己決定のあり方はとても特殊なように思えるが、他者とかかわりながら生きていく以上、「健常者」であっても発話が可能な障がい者であっても、基本はみんな同じである。誰もが、自分以外の他者の影響を受け、ときに〝妥協〟しながら、日々自己決定をしていると言えるのではないか。(204~205ページ)/研究の結果たどり着いたのが、「<弱い>主体としてのあり方を受け入れる」という思いである。他者の意見に左右されながら、そして協働しながら、モノを生み出していくことは、障がいがあるゆえの特別なことではなく、人間誰もがそういった側面を持っている。そのことへの気づきによって、僕の持つ生きづらさは軽減された。さらに、それがいかに合理的であるかということを論理的に分析していくことで、逆に自分の<弱さ>が<強み>になることもある、という発見に至った。(205ページ)
94
今の社会で能力主義から自由に生きられる人はほとんどいないのではないか。(225ページ)/能力主義は、個人の努力や責任を求めるあり方である。しかし、重度障がい者の置かれている現状をみれば、個人の努力や責任ではどうにもならないことのほうが多いのである。/僕は介助なしでは何もできない。しかし、だから多くの人とかかわり、深く繋がり、ともに創りあげる関係性を築いていける。それが僕の<強み>になっている。能力がないことが<強み>なのである。自分だけで何もできないことは、無能力と同義ではない。(226ページ)
〇[2]で澤田はいう。だれもが持つマイノリティ性である「苦手」や「できないこと」、「障害」、「コンプレックス」は、克服しなければならないものではなく、生かせるものである。だれかの弱さは、だれかの強さを引き出す力である(12ページ)。人はみな、なにかの弱者・マイノリティであり(42ページ)、人はみな、クリエイターである。(324ページ)。そこに「マイノリティデザイン」という新して言葉と考え方を見出す。
〇澤田は「運動音痴」すなわち「スポーツ弱者」である。そこで、「スポーツ弱者を、世界からなくす」ことをミッションに、90競技以上の「ゆるスポーツ」を発案する。粘り気のあるハンドソープを手につける「ハンドソープボール」、イモムシをモチーフにした衣装を着てコート内を這う「イモムシラグビー」、穴の開いたラケットを使う「ブラックホール卓球」等々である。勝利至上主義や強者にハンデをつけるスポーツではなく、「勝ったらうれしい、負けても楽しい」「健常者と障がい者の垣根をなくした」スポーツである。その競技場には、「弱さを強さに変える」仕事をする、「(目の見えない息子の)弱さを生かせる社会」を(息子に)残したいという澤田の姿がある。
〇澤田の「マイノリティデザイン」に関する論点や言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。
マイノリティデザインは「弱さを生かせる社会」を創る
「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」。トルストイの言葉である。/「弱さ」のなかにこそ多様性がある。(51ページ)/だからこそ、強さだけではなく、その人らしい「弱さ」を交換し合ったり、磨き合ったり、補完し合ったりできたら、社会はより豊かになっていく。/息子が目に見えないという「弱さ」と、自分のコピーを書けるという「強さ」をかけ合わせる。自分がスポーツが苦手という「弱さ」と、いろいろな人の「強さ」をかけ合わせる。/今、僕は「強さ」も「弱さ」も、自分や大切な人のすべてをフル活用して仕事をしている。弱さは無理に克服しなくていい。あなたの弱さは、だれかの強さを引き出す力だから。/弱さを受け入れ、社会に投じ、だれかの強さと組み合わせる――これがマイノリティデザインの考え方である。そして、ここからしか生まれない未来がある。(52ページ)/マイノリティとは、「社会的弱者」ではな
95
く、「今はまだ社会のメインストリームには乗っていない、次なる未来の主役」である。(42ページ)
すべての「弱さ」は社会の「伸びしろ」
「迷惑かけて、ありがとう」。昭和のプロボクサーでありコメディアンのたこ八郎さんの言葉である。(326ページ)/迷惑とは、あるいは弱さとは、周りにいる人の本気や強さを引き出す、大切なもの。/だからこそ、お互い迷惑をかけあって、それでも「ありがとう」と言い合える関係をつくれたなら、これ以上の幸せはない。/すべての弱さは、社会の伸びしろ。(327ページ)
〇筆者の手もとに、上記の2冊のほかに、「弱さ」をテーマにした本が2冊ある。高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)・辻信一(つじ・しんいち)の『弱さの思想―たそがれを抱きしめる―』(大月書店、2014年2月。以下[3])と、鷲田清一(わしだ・きよかず)の『<弱さ>のちから―ホスピタブルな光景―』(講談社、2014年11月。以下[4])がそれである。
〇[3]は、2010年から2013年にかけて行われた「弱さの研究」(共同研究)に基づく、高橋(作家、社会批評家)と辻(文化人類学者、環境運動家)の対談本である。その研究の「目的と意義」は次の通りである。
「弱さの研究」の目的と意義
社会的弱者と呼ばれる存在がある。たとえば、「精神障害者」、「身体障害者」、介護を必要とする老人、難病にかかっている人、等々である。あるいは、財産や身寄りのない老人、寡婦、母子家庭の親子も、多くは、その範疇(はんちゅう)に入るかもしれない。自立して生きることができない、という点なら、子どもはすべてそうであるし、「老い」てゆく人びともすべて「弱者」にカウントされるだろう。さまざまな「差別」に悩む人びと、国籍の問題で悩まなければならない人びと、移民や海外からの出稼ぎ、といった社会の構造によって作りだされた「弱者」も存在する。それら、あらゆる「弱者」に共通するのは、社会が、その「弱者」という存在を、厄介なものであると考えていることだ。そして、社会は、彼を「弱者」を目障りであって、できるならば、消してしまいたいなあ、そうでなければ、隠蔽(いんぺい)するべきだと考えるのである。/だが、ほんとうに、そうだろうか。「弱者」は、社会にとって、不必要な、害毒なのだろうか。彼らの「弱さ」は、実は、この社会にとって、なくてはならないものなのではないだろうか(かつて、老人たちは、豊かな「智慧」の持ち主として、所属する共同体から敬愛されていた。それは、決して遠い過去の話ではない)。/効率的な社会、均質な社会、「弱さ」を排除し、「強さ」と「競争」を至上原理とする社会は、本質的な脆(もろ)さを抱えている。精密な機械には、実際には必要のない「可動部分」、いわゆる「遊び」が
96
ある。「遊び」の部分があるからこそ、機械は、突発的な、予想もしえない変化に対処しうるのだ。社会的「弱者」、彼らの持つ「弱さ」の中に、効率至上主義ではない、新しい社会の可能性を探ってみたい。(高橋:11~12ページ)
〇[3]では、“大きいこと”や“速いこと” などを良しとする「強さ」の思想と“小さいこと”や“遅いこと” などに価値を見出す「弱さ」の思想を対比するなかで、「弱さの再発見」を説き、「弱さの思想」の必要性が打ち出される。
〇要するにこうである。人間は、身体をもつ存在(身体的存在)であり、必ず死を迎える有限性がある、本質的に「弱い」存在である(有限性=弱さ)。それゆえに人間は、家族やコミュニティを形成し、支え合い・分かち合い・補い合うという「内なる力(パワー:Power)」によって生きている。そしてそこに、やさしさや思いやり、明るさや楽しさなどの人間的な価値や意味が見出されることになる。政府や法律などによる強制力をもつ「外なる力(フォース:Force)」ではなく、この「内なる力」こそが真の強さである(7ページ)。すなわち人間には、「弱さ」のなかに多様な可能性があり、「強さ」が潜んでいる。「弱さの強さ」である(71ページ)。
〇現代社会は、経済成長をひとつのゴールとする競争社会である。競争は、多様性を犠牲にし、均質性や効率性を重視する。そこでは「強さ」が追求され、「弱さ」が排除される。その意味で、現代社会は強者に向けて設計されている社会である(74ページ)。現実世界では、社会的・経済的・(自然)環境的な破綻が露わになり、「強さ」と信じられてきたものの「弱さ」が明らかになっている。「強さの弱さ」である。そしていま、「強さ」をめぐる競争ではなく、多様な者たち同士がお互いの「弱さ」を補い合いながら如何に豊かに生きるか、すなわち多様性を如何にとりもどすか、人間に根源的に備わっていた「弱さの思想」を如何に育てるかが問われている。それは、「弱さ」を中心とした共同体を形成すること、弱者に向けて社会を設計し直すことを意味する(95ページ)。そこでは、「弱さの思想」の入口として、競争の「勝ち」「負け」や、人間の「弱さ」や「強さ」という二元論から自由になることが求められる(203ページ)。
〇次の一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。
「弱さの思想」と社会改革
この社会は、弱いとか強いとかというふうに二元論的にできていて、強さを上に、弱さを下にした固定的なヒエラルキーでオーガナイズされている。弱さの思想とは、その「強さ・弱さ」の二元論そのものを超えていくことである。この二項対立を溶かしていく、あるいは無効化していく。それが、社会を支配・被支配のない、よりよい場所へと変えていくのに役立つことになる。社会について言えることはそのまま自分にも言えるわけで、まずは内なる二元論やヒエラルキーからいかに自ら
97
を解き放つか、である。(辻:203~204ページ)
〇なお、高橋と辻は、「勝ち」「負け」や「弱さ」「強さ」の二元論から自由になるための方策、すなわち「弱さの思想」(「勝たないし、負けない」、「勝ち負け」そのものを超えるという考え方(161ページ) ) に基づく社会を実現するための具体的方策については言及しない。ここでは、そのひとつとして、社会的に弱い立場に置かれている人々の「内なる力」を育成・強化し、社会改革に向けた下からの草の根運動としてその力を臨機応変に発揮する、そのための教育的営為が必要かつ重要となる、と言っておきたい。
〇[4]で鷲田(哲学者)は、僧侶をはじめ教師、建築家、ゲイバーのマスター、性感マッサージ嬢、精神科医、医療シーシャルワーカーなど、人を「温かくもてなす」(hospitable) 仕事をする13人へのフィールドワーク(聞き書き)を通して、ケア(世話)する人がケアを必要としている人に逆にケアされるという反転(「ケアの反転」)の意味を追い、ケア関係の本質に迫る。そこでは、自分と他者の弱さを受け入れ、その存在を認め合い、信頼して他者に身をあずける関係(「存在を贈りあう関係」)が必要かつ重要となる。鷲田はいう。「『弱さ』は『強さ』の欠如ではない(松岡正剛)」(226ページ)。「弱い者には強い者を揺さぶるような力(弱さの力)がある」(210ページ)。「〈弱さ〉はそれを前にしたひとの関心を引きだす。弱さが、あるいは脆(もろ)さが、他者の力を吸い込むブラックホールのようものとしてある」(212ページ)。「ケアを、『支える』という視点からだけではなく、『力をもらう』という視点からも考える必要がある」(221ページ)。
〇鷲田による“まとめ”のエッセイ(「めいわくかけて、ありがとう」:たこ八郎)から、次の一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
「存在を贈りあう関係」と生きる力
じぶんがここにいることがだれかある他人にとってなんらかの意味をもっていること、そのことを感じることができれば、ひとはなんとかじぶんを支えることができる。(231ページ)/じぶんの存在が、「ふつうのひと」としてではなく、看護され、介護されるべきひとという規定を受けることが、病院や施設のなかでひとをいかに生きづらくしているかは、しばしば語られてきたことである。ひとは世話をしてもらう、聴いてもらうばかりでなく、じぶんだってひとの世話ができる、じぶんだって聴いてあげられる、じふんだってここにいる意味があるのだ、という想いが閑(しず)かに湧いてくるとき、ちょっとばかり元気になるものだ。/じぶんのしていることが、あるいはじぶんの存在が、だれか別のひとのなかである意味をもっていると確認できること、そのことが生きる意味をもはやじぶんのなかに見いだせなくなっているひとがなおもかろうじて生きつづけるその力をあたえるということとともに、その逆のこと、つまり他者に関心をもたれている、身守られているのではな
98
く他者への関心をもちえているということもまた、ひとに生きる力というものをあたえてきたのではないだろうか。(232ページ)
99
16/「連帯」:人間の本来的な存在を問う
―馬淵浩二著『連帯論』にみる論理と倫理―
「人間の尊厳と存在意義―生の無条件の肯定と豊かに生きるということ―」について筆者は、次のように考えている。すなわち、人がそれぞれ、みんなと豊かに生きるためには、「“ただ生きる”ことの保障」と「“よく生きる”ことの実現」、そして「“つながりのなかに生きる”ことの持続」が必要かつ重要となる。
「“ただ生きる”ことの保障」は、人はそれぞれ、いま、ここに生きているというそのことに本源的な価値がある、という考えに基づいている。
「“よく生きる”ことの実現」は、人にはそれぞれ、やりたいこと・やれること・やらなければならないことがある、という考えに基づいている。
「“つながりのなかに生きる”ことの持続」は、人はそれぞれ、社会や歴史・文化・環境などとのつながりのなかに生きている、という考えに基づいている。
〇筆者の手もとに、馬淵浩二(まぶち・こうじ、倫理学・社会哲学専攻)の『連帯論―分かち合いの論理と倫理―』(筑摩書房、2021年7月。以下[1])という本がある。馬淵はまず、(1970年代以降の)新自由主義の影響のもとで消費主義をはじめ個人主義や能力主義が強化され、多元化や多様化が進み、格差や分断が拡大した現代社会にあって、「連帯」という言葉はすでに「賞味期限」が切れているのだろうか、と問う。その答えは「否」である。そのうえで馬淵は、「連帯(solidarity)」概念の類型化と最大公約数的な定義を試みる。具体的には、代表的な「社会的連帯(social solidarity)」「政治的連帯(political solidarity)」「市民的連帯(civic solidarity)」「人間的連帯(human solidarity)」についての主要な論者の連帯論を辿り、自身の「人間的連帯論」を構想する。その基底にあるのは、人間は連帯的存在であり、相互扶助的な関係のなかでしか生きられないという人間観である。すなわち、[1]の基調を成すのは「連帯は人間存在の基本構造である」(313ページ)というテーゼである。
〇馬淵は「連帯」を次のように定義する。
連帯とは、共通の性質・利益・目的を共有する複数の者たちが、あるいは他者の利益・目的の実現に関与する複数の者たちが、協働や扶助(の責任)を引き受けることで成立する結合のことである。この結合は、自然発生的であったり、目的意識的であったり、制度的であったりする。この結合には、一体感の感情が伴うことが少なくない。(50ページ)
100
〇連帯とは、人々が結合し、互いに協力し支え合うことであるが、それは様々な場面や文脈において成立する。この定義には上述した連帯の代表的な類型が包摂されている。「社会的連帯」は、「接着剤のように人々を繋ぎ止め、社会の成立に資する結合関係」「同じ社会の成員であるという条件のもとで成立する連帯」を意味する。「政治的連帯」は、「政治的大義(共通の目標)の実現をめざす者たちのあいだに成立する協力関係」「同じ政治的大義に関与しているという条件のもとで成立する連帯」を意味する。「市民的連帯」は、「福祉国家の制度を介して市民のあいだに成立する相互扶助関係」「同じ福祉制度を支えているという条件のもとで成立する連帯」を意味する。「人間的連帯」は、「人類の一員である個人のあいだに成立する普遍的な道徳的関係」「人間であるという理由で成立する連帯」を意味する(42、280ページ)。
〇馬淵が構想する「人間的連帯」について加筆すれば、それは「国家、社会、政治集団といった特定の集団のなかで成立する連帯ではなく、人間あるいは人類という集団の内部で成立する連帯」(281ページ)である。それは、「全人類が結合している」ということを意味し、「人間は本来的に連帯的存在であるという人間の存在様式を表現するもの」(296ページ)である。別言すれば、「人間の存在構造」を指し示す・形容する言葉(302ページ)である。その意味において、馬淵にあっては、「人間的連帯」は他の様々な種類の連帯に通底する共通の「分母」(303ページ)であり、「母体」(312ページ)となる。
〇本稿では、馬淵の論点や言説のうちから、例によって市民福祉教育の実践・研究に「使える」あるいは「使いたい」次の5点に限ってメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。それは、上記の管見に新たな視点や思考を加味したいという思いによる。
人間は本来的に「連帯的存在」である/人間の生は相互扶助や連帯によって成立している
新自由主義の過去数十年にわたる影響のもとで、自助努力や自己責任という発想が持て囃(はや)されてきた。自助努力や自己責任の主張は一面では正しい。しかし、この主張を不当に全面化することは避けなければならない。なぜなら、そのことによって、人間に関する一個の真理が覆い隠されてしまうからである。それは、他者たちに支えられなければ、人は生きられないという真理である。新自由主義は、この連帯の真理を抑圧し隠蔽(いんぺい)してきた。だが、自助努力や自己責任という発想が妥当する領域など高が知れている、それは、人間の生という氷山の一角にすぎず、その下には分厚い連帯の層が存在し、その山頂を支えているのである。新自由主義の狭隘(きょうあい)なイデオロギーに抗して、人間は連帯的存在として見出され、思考されなければならない。(15ページ)
連帯はそれ自体では「正当性」を保証しない/連帯は「共同性」以外の価値や尺度を必要とする
連帯は、ある集団に属する者たちを結合させ、支え合いを実現する。だが、連帯はそれが働く集団の性格に応じて、「悪のための連帯」として実現される可能性も残
101
される。その意味で、連帯が成立しているという事実だけで連帯の正当性や倫理的正しさが保証されるわけではない。(318ページ)
連帯論には人間の共同性や利他性を強調する傾向があるが、人間はいつも共同性や利他主義にもとづいて生きているわけではない。(211ページ)
個々の連帯が正当化されうるものであるためには、連帯が帯びる共同性の価値とは別の価値や別の尺度が必要になるだろう。たとえば正義という尺度が必要になるかもしれない。連帯する者たちの一部に犠牲が強いられ、一部が特権を享受する事態が生み出される場合、その連帯は正義に悖(もと)る可能性がある。あるいは、連帯がどのような目的を実現しているのか、どのような価値を促進しているのか、集団の外部に悪しき影響を及ぼしてはいないか――そうした事柄についての思考が連帯論には必要となる。そのような事柄を思考するためには、正義以外にも自由、平等、差異、人権といった他の価値や尺度が考慮されなければならないかもしれない。(318~319ページ)
しかし他方で、連帯が他の価値を支えているという一面を忘れてはならない。人々の自由や平等が毀損(きそん)された状況を変えようとするとき連帯が生起する。自由を行使すね人物の生存が危ういとき、それを支えるのも連帯である。(325ページ)
連帯は「排除の論理」を内包する/連帯は包摂と排除という両義性を持っている
連帯が連帯であるがゆえに自身の内部に生み出してしまう負の要素のひとつとして、「排除」が挙げられる。(319ページ)
集団は、集団に属する者たちと、そうでない者たちとのあいだに境界線を引くことによって成り立つ。あるいは、境界線が引かれることによって、集団が立ち上がる。「彼ら」とは異なるものとして、「われわれ」集団が生み出されるのであ。その集団の連帯が機能するとき、それは一方で当該の集団の結合を強化するが、その結合の強化が他方で排除を生み出すことに貢献する。すなわち、集団の外部に敵を作り出してそれを攻撃したり、集団の内部から「不純」な分子を排除して外部に放逐(ほうちく)する。(319、320ページ)
そうであるなら、連帯をめぐって次のような論点が浮上する。誰が連帯によって結合するのか、誰がその結合から排除されるのか、包摂されたり排除されたりする場合の条件はどのようなものか。その線引きは正当なものか。これらの問いは、連帯の「正しさ」を判定するうえで、欠かすことのできない参照事項となるだろう。いずれにせよ、ある場面で連帯を主張するとき、かならずそこから排除される者たちが存在するという構造的事実に、連帯論は敏感でなければならない。(320、321ページ)
連帯は「感情」によって成立する/連帯は人間の感情の及ぶ範囲や程度に左右される
連帯感という言葉が存在することからも分かるように、連帯の成立にとって感情は重要な要素である。集団の成員たちによってある種の感情が共有されていなけれ
102
ば、連帯が成立し持続することは困難だろう。連帯と親和的な感情は、共感や親近感や一体感といったものであろう。こうした感情が共有されず、成員たちが憎しみ合っていたり、利己主義が支配的であったりするような集団においては、連帯は成立し難いはずである。(321ページ)
だが、感情は、連帯にとって諸刃の剣である。ひとつには、感情が及ぶ範囲の問題がある。人間の感情の及ぶ範囲は狭い。規模が比較的小さな集団の内部でなら連帯は容易に成立するだろう。だが、感情が及ぶ領域を超えたところに存在する者たちとのあいだに連帯が成立することは困難になる。(321、322ページ)
人は、感情の及ぶ範囲にいる者たちだけと結び付いているわけではない。このような世界にあっては、見知らぬ者たちとの連帯がひとつの焦点となる。そのような連帯はいかにして可能になるのか。感情の広がりと関係の広がりが大きくずれてしまう世界にあって、感情の広がりの外部に存在する者たちとのあいだに、どのようにして連帯を立ち上げることができるのだろうか。連帯に刻まれた包摂と排除の問題、「われわれ」と「彼ら」を分かつ境界線の問題は、感情という問題の地平においても未決の問題なのである。(322ページ)
連帯には「水平的連帯」と「垂直的連帯」がある/連帯は権力性・階層性を排除できない
連帯の現象形態として、水平的連帯と垂直的連帯がある。水平的連帯では、(相互依存関係にある)個人が横に連なる。これに対して、連帯する個人のあいだに、垂直的な位階秩序が生み出されることがあるかもしれない。そのような垂直的な権力関係によって規制されている連帯が、垂直的連帯である。たとえば、一国の指導者が危機を乗り越えるためだと称して、国民に団結や自己犠牲を訴えることがある。それは、権力者によって組織され、動員される連帯である。(323ページ)
連帯をひとつの理念として捉え、階層性が廃棄され平等性によって特徴づけられる結合だけを連帯と呼ぶこともできる。ただし、そこでは、階層性が廃棄され、あまねく平等性によって特徴づけられる連帯が現実にどれほど存在するかという疑問が生じる。また、連帯から階層性を完全に排除できるかという問題も存在する。(323、324ページ)
かりに垂直的権力が連帯に伴うことが避けがたいことなのだとすれば、その事態にどのように対処すべきかを考えなければならない。その場合、許容される権力とそうでない権力とを識別すること、つまり、垂直的権力の許容される範囲を確定することが、ひとつの論点となる。(324ページ)
〇人間は身体と不可分な「身体的存在」(297ページ)であり、人間はその生(生存や生活)を自足できない「非自足的存在」(299ページ)である。それゆえに人間は、外部の物質(とりわけ自然)や他者に依存せざるを得ない。すなわち、人間は本来的に、他者との相互扶助や連帯の関係のなかでしか生きられない存在である。
103
これが、馬淵が説く人間観の核心のひとつである。そして、(社会福祉における)自助努力や自己責任を前提とした「自立生活支援」や「依存的自立」などの言説とは異なる評価を得るところである。自助努力も自己責任も社会的レベルの連帯を通じてなされ、果たされるのである。馬淵が[1]の「あとがき」で、「私が述べたかったのは、連帯によって私たちの生が成立しているという、その事実だけである」(376ページ)という意味はここにある。
〇「人間の存在構造」に刻まれた支え合いと「分かち合いの論理と倫理」(333ページ)は、人々が連帯するときに立ち上がる。その連帯は、私と他者との相互依存関係を重視する際、「自律」や「自由」の価値を不可欠とする。人間は自律し、自由であることによって「相互に排他的であるのではなく、むしろ相互に結び付き連帯する」(108ページ)。私だけの自律や自由は、他者を支配したり、他者からの信頼や承認が得られなくなったりする。すなわち、連帯は、単なる道徳的規範や国家などの介入(強制)によるのではなく、個々人の主体的・能動的な思考や行動による自律や自由によって支えられる。同時に連帯は、個々人の自律や自由を実質化し、その実現を図るのである。さらにそれを支えるのは「平等」という価値である。
〇筆者の手もとにもう一冊、齋藤純一(さいとう・じゅんいち、政治理論・政治思想史専攻)の『不平等を考える―政治理論入門―』(筑摩書房、2017年3月。以下[2])という本がある。[2]は、格差や分断、不平等が拡大・深化する現代社会にあって、人々の「平等な関係」とは何かを根底から問いなおし、その関係を再構築するための「制度」―市民の間に平等な関係を維持するための生活条件を保障する(広義の)社会保障制度と、市民を政治的に平等な者として尊重する(熟議)デモクラシーの制度のあり方等について考察する。その際、「不平等」とは、その人に「値しない」(「ふさわしくない」「不当である」)「有利-不利が社会の制度や慣行のもとで生じ、再生産されつづけている事態」(17ページ)をいう。「熟議デモクラシー」とは、「数の力」(「選挙デモクラシー」)ではなく、「理由の力」を重んじ、「質的に異なった意見や観点を、たとえそれがごく少数の者が示すにすぎないとしても、尊重すること」(75ページ)をいう。
〇齋藤にあっては、社会保障の目的は、「たんに貧困に対処し、すべての人が人間らしいまともな(decent)暮らしが送れるようにする(事後的な保護・救済:阪野)だけではなく、深刻な社会的・経済的不平等をも規制し、平等な自由を享受しうる条件をすべての市民に保障すること(事前の支援:阪野)にある」(134ページ)。こうした「社会保障の制度を支持し、それを介して互いの生活条件を保障しようとする市民間の連帯」が「社会的連帯」である(94ページ)。その社会的連帯は、次のような理由によって必要とされ、市民によって受容されなければならない。①国力(戦力・生産力等)を増強するための「生の動員」、②人生に起こりうる病気や事故などの「生のリスク」の回避、③生まれ持った能力や境遇の「生の偶然性」がもたらす不当な格差の改善、④生・育・老・病・死という「生の脆弱性」
104
によって生まれる支配-被支配関係の阻止、⑤人々の多様な生き方を促す「生の複数性」の尊重、がそれである(98、99、101、103、104ページ)。
〇そして齋藤はいう。「生の動員」を除く4つの理由はいずれも、「生きていくために人々が他者の意思に依存せざるをえない状態に陥るのを避け、市民の間に平等な関係を保つことを重視している。他者に依存しながらも、その意思に服することを強いられない自律が可能となるのは、依存とそれへの対応が人々の間に支配-被支配を生みださないようにする制度化された保障が確立されているときである」(105ページ)。すなわち、齋藤にあっては、誰もが避けられない「他者に依存すること」と、「他者の意思に依存すること」を区別し、特定の他者の意思に依存せずに生きることすなわち「自律」を可能にするための制度が(「事前の支援」としての)社会保障である(107ページ)。「私たちの生において依存関係が避けられないからこそ、『自律』が価値をもつのである」(107~108ページ)。留意したい。
105
17/「共生」:共生のプロセス
―寺田貴美代の「社会福祉と共生」論文の論点と枠組み―
〇「共生」(symbiosis:共に生きる)は、耳に心地よい言葉である。それゆえにか、まちづくりや福祉教育などのスローガンや修飾語として、多用(濫用)される。また、個人的な心がけや心情のレベルで語られたり、究極の目的や理想として位置づけられることも多い。その際には、社会的な矛盾や対立、差別や排除などの事態が隠蔽されたり、「同化」や「統合」が推進あるいは強制されたりする危険性が生じることになる。「地域共生」(regional symbiosis:地域で共に生きる)は、地域社会でのノーマライゼーションやインテグレーション、そしてインクルージョンなどの理念の実現を通して、その推進が図られることになる。ノーマライゼーション(normalization:通常化)は、一人ひとりが当たり前の普通の生活をすること。インテグレーション(integration:統合化)は、社会的に分離・隔離されてきた人たちを一般社会に受け入れ一緒に生活すること。インクルージョン(inclusion:包摂)は、すべての人を社会の構成員として包み込みみんなで生活すること、である。共生とノーマライゼーションなどの概念は対立概念や同一概念ではなく、相互に連関し補強し合う概念である。
〇本稿では、「社会福祉と共生のまちづくり」に関する視点や論点をめぐって、寺田貴美代(てらだ・きみよ)の論文「社会福祉と共生」(園田恭一編『社会福祉とコミュニティ―共生・共同・ネットワーク―』東信堂、2003年3月、31~65ページ所収。以下[1])を紹介する。[1]は、寺田の博士論文の一部を抜粋して再構成したものである。その博士論文は、『共生社会とマイノリティへの支援―日本人ムスリマの社会的対応から―』(東信堂、2003年12月。以下[2])として出版されている。
〇寺田は、人間社会(「総論」)と社会福祉領域(「各論」)における「共生」の概念を整理・検討し、主要な論点として次の4つを取り上げる。①社会的差別と「共生」、②ノーマライゼーションと「共生」、③福祉コミュニティと「共生」、④生活の質と「共生」、がそれである([2]では、「情緒的理解による『共生』」を加えた5点を取り上げている)。そして、「社会福祉領域における共生概念の可能性」について考察する。その際、マジョリティ(majority)とマイノリティ(minority)については、集団に所属する人数の規模によって「多数者(派)」「少数者(派)」と訳されることが多いが、寺田は、集団に帰属する権力関係によって規定する(「優位集団」「社会的弱者集団」)。ただし、その区分はあくまでも概念上の表現であり、明確な境界によって二分されるとは限らないという(下記の図1参照)。
〇そのうえで、「マジョリティ文化への志向」を縦軸、「マイノリティ文化への志向」を横軸にした「共生に関する分析枠組」を提示し、「共生」へ移行する過程を
106
「共生のプロセス」として捉え、その検討を進める。その際の主要な概念のひとつが、アイデンティティ(identity)である。それについては、「同一性」「主体性」「帰属意識」などと訳されるが、寺田は、社会や文化とのかかわりから捉えている(下記の図2参照)。
〇以下に、[1]のなかで注目したい論点や言説のいくつかを紹介することにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
共生は、マイノリティとマジョリティの両方を含む、全ての人々の異質性の尊重を前提とする
社会福祉領域における共生が、差別の克服を課題としているならば、その前提は、マイノリティとマジョリティの両方を含む、全ての人々の異質性の尊重に他ならない。共生は、マジョリティがマイノリティを同化や統合することではなく、また、マジョリティがマイノリティに譲歩や優遇措置をとることでもない。マイノリティ、マジョリティのいずれもが特権を持たず、対等な立場に立つことが基礎条件である。その上で、異質性との対峙によって生じる衝突や葛藤を強調するだけでなく、相互の認識・理解を通じて、尊重し合い、変容し合うことが求められる。(51ページ)
共生にはプロセスという視点が不可欠であり、そのプロセスは異質性との接触によって引き起こされる無数の変容過程である
現実の人々の状況は多様であり、人々がそれぞれに持つ文化的背景や社会的役割も当然のことながら異なっており、それぞれに意義や価値を有している。同じ属性や志向の者同士でさえも、人々は一枚岩ではなく、マイノリティ、マジョリティに関わらず、個々人の状況や立場に添って理解する必要がある。現代社会における文化やアイデンティティの多様化は、そこに生じる課題の多様化も意味しており、他者との葛藤や対立は、相互理解および関係の深化に伴う、相互の認識・態度の変化を引き起こす。その意味において、直接的かつ横断的な異質性との対峙は、共生に至るための契機として捉えることができよう。そして、この過程が単発的なものであっては、たとえ一時的・表面的には問題が収束したとしても、根本的な解決には結びつかない。そのため、共生にはプロセスという視点が不可欠であり、このプロセスが、より積極的に繰り返される状態を「共生の進展」、逆に、繰り返されない、あるいは逆行する状態を「共生の後退」と解釈することができる。つまり、共生のプロセスは、状況に応じて不断に変化する多様な関係の中で、異質性との接触によって引き起こされる無数の変容過程であり、この限りない営みなくして、共生社会の実現はありえないのである。(59ページ)
107
共生は、相互理解と尊重に基づき自―他の相互関係を再構築する営みであり、動態的な変容のプロセスである
共生を定義するならば、「人々が文化的に対等な立場であることを前提とし、その上で、相互理解と尊重に基づき、自―他の相互関係を再構築するプロセスであり、それと同時に、双方のアイデンティティを再編するプロセスである」ということができると考える。そして共生社会とは、個々の異質性に対する評価や批判ではなく、理解と尊重を前提とする社会であり、決して固定化されたものではない。相互作用によって常に変容し、新しく組み直され、生まれ変わる柔軟性を持った社会である。それにもかかわらず、このプロセスが、初めから完了している社会――言い換えれば、全く変容することなく他者との共生が可能な社会を「共生社会」として考えるならば、異なる人々の価値観やアイデンティティが、恒常的に一致するということはありえない以上、共生を単なる夢物語に終わらせてしまうことになる。(中略)問題にしなければならないのは、理想ではなく、現実である。「共生社会」を「理想社会」と読み替え、現実から乖離させてはならない。現実性を持たない理念や規範として、共生を位置づけることは、現実問題を何ら解決に導かないばかりか、問題の本質を見失うことにもなりかねない。(60~61ページ)
〇以上のような「共生」や「共生社会」の実現を図るためには、社会全体が共生の意味や、その視点や実践方法(共生のプロセス)などについて認識し理解することが必要かつ重要となる。そのための教育的営為(「市民福祉教育」)が問われる。また、共生は、個人のレベルだけでなく、集団的レベルでも展開されるものである。「異質な集団同士が接触し、相互の認識・理解が進展することによって、(中略)集団のさまざまな側面で共生が生じることになる」([1]61ページ)。留意しておきたい。
〇ここで、図1と図2を示しておくことにする。図1(筆者作成)は、マジョリティとマイノリティを規定するひとつの要素である「集団規模」(多数と少数)を横軸、「権力関係」(優位と劣位)を縦軸にして、その関係性を示したものである。これは素朴な理解に基づくものであるが、マジョリティとマイノリティの卑近な実態である。ちなみに、第Ⅰ象限に属する人々は、多数派で、社会的に優位に置かれる傾向にある。マジョリティの典型のひとつである。第Ⅲ象限のそれは、少数派で、社会的弱者として位置づけられることが多い。マイノリティの典型のひとつである。しかし、少数派であっても、第Ⅱ象限で示されるように社会的に強い影響力をもつ人々がいる。
〇図2(寺田作成)は、共生について分析するための枠組みとして、人々の多様なアイデンティティの状況を把握する全体的な見取り図を示したものである。これは、あくまでも抽象的な類型であり、現実には多様な個人がこの4つの象限(タイプ)のいずれかに厳密に収まるというものではない。ちなみに、第Ⅰ象限は、「マジョリティ文化とマイノリティ文化の両方共、強く志向し、その融合を図るタイプ」である。第Ⅲ象限は、「マジョリティ文化とマイノリティ文化の両方への志向が弱
108
い、あるいは志向しない・できないタイプ」であり、「自立型」(選択的に志向しない場合)と「孤立型」(非選択的に孤立せざるを得ない場合)がある([1]52ページ)。
〇共生は、社会福祉や教育における重要な基礎的概念である。社会福祉や教育の目的や目標を達成するためには、共生の実態や背景を科学的視点に立って歴史的・思想的に分析する必要がある。とともに、地域・社会の自然や風土、文化(暮らし)などとの関係性において、多面的・多角的に検討することが求められる。寺田の[1][2]は、そのための必読基本文献のひとつである。
〇ところで筆者の手もとには、寺田のもの以外に、「共生」を論じた本として井上達夫・名和田是彦・桂木隆夫『共生への冒険』(毎日出版社、1992年5月)と黒川紀章『新・共生の思想―世界の新秩序―』(徳間書店、1996年2月)がある。井上達夫(いのうえ・たつお、法哲学)と黒川紀章(くろかわ・きしょう、建築家)は、早い時期から共生について言及している。論点(要点)の一部を参考に供しておくことにする。
〇井上らは、その本の「序章」で、次のように述べている。「我々のいう《共生》とは、異質なものに開かれた社会的結合様式である。それは、内輪で仲よく共存共栄することではなく、生の形式を異にする人々が、自由な活動と参加の機会を相互に承認し、相互の関係を積極的に築き上げてゆけるような社会的結合である。symbiosisをモデルとする『共生』概念と区別するために、英語で表記するなら、conviviality(コンヴィヴィアリティ)という言葉がふさわしい。日本語の表現としては、安定した閉鎖系としての『共生』は、symbiosisの旧来の訳語に従って『共棲』と表記し、『共生』という言葉は、我々のいう《共生》、すなわち、異質なものに開かれた社会的結合様式を意味するものとして使うことを、提案したい」(25ページ)。すなわち、井上らの共生概念は、「開かれた社会的結合様式」を意味し、「調和」や「協調」といった「安定した閉鎖系」は想定されていない。
〇黒川は、その本の「まえがき」で、「そもそも『共生』という言葉は、仏教の『ともいき』と生物学の『共棲(きょうせい)』を重ねて私がつくった概念であ
109
る」(1ページ)という。黒川の共生論について、上述の寺田は、「その定義は極めて流動的かつ曖昧である。異質な主体間に『聖域』や『中間領域』を設定し、共生ではなく『共存』あるいは『共棲』の議論に留まっている」([1]、62ページ)として、検討対象から割愛している。筆者も首肯するところである。ちなみに、黒川にあっては、「聖域」はお互いに入ってほしくない領域で、文化的伝統の根幹をなすものであり、例えば日本の天皇制やコメづくりがそれである。「聖域があればこそ、国相互の尊敬に基づく共生が可能となる」(328ページ)。「中間領域」は、「無理やりどちらかに分類されてしまったり、あるいは排除されてしまった領域や要素である。この意味で中間領域は曖昧性、両義性、多義性を含んでおり、流動的で浮遊している」。換言すれば、中間領域とは、「対立する二項、異質な文化、異質な要素」の間に「仮設的」(tentative:テンタティブ)に設定する共通項である(330ページ)。
110
18/「きずなと思いやり」:その問題性
―長谷川眞理子と山岸俊男の知見と発想―
〇長谷川眞理子(はせがわ・まりこ)と山岸俊男(やまぎし・としお)の『きずなと思いやりが日本をダメにする―最新進化学が解き明かす「心と社会」―』(集英社インターナショナル、2016年12月)が面白い。本書は、進化生物学者の長谷川(総合研究大学院大学)と社会心理学者の山岸(一橋大学大学院)の対談本である。人間社会の問題を解決するに当たって人を過大評価してはならない。「心がけ」や「お説教」では社会は変わらない。革新をもたらす人は周りの「空気を読まない人」である。こういった指摘には、「まちづくり」や「市民福祉教育」について考えるヒントが示されている。
〇本書のなかから、「プレディクタブルな人」と「思いやり」や「差別」に関する二人の知見や発想の要点を紹介することにする(見出しは筆者)。
相互協調性の質
「日本人は相互協調的である」。相互協調性(interdependence)は、質的には、ポジティブなものとネガティブなものの2種類に分けられる。前者は、何かの問題について、協力して一緒に解決しようというものである。後者は、集団の問題を解決するのではなく、集団内で波風を立てないように行動するというものである。その人たちは、いわゆる「空気を読む」人であり、いつも「びくびく」している。
相互協調性と対照的なものは独立性(independence)である。独立性にもポジティブとネガティブの二つがある。ポジティブ・インディペンデンスは、他者と積極的に関わり、自己主張することに躊躇しないというタイプである。ネガティブ・インディペンデンスは、「誰も私に構わないでくれ」という、他者との関わりに消極的なタイプである。
プレディクタブルな人
「人間は社会的動物である」。ヒトは、社会なくして生きられない存在であり、自分の独立を守り維持するためには、他者とコミュニケーションを取り、協力する必要がある。その際、相手の主張や反応を予測したうえで自己主張をしないと、摩擦や衝突が生じることになる。そこに求められるのは、プレディクタブル(predictable)、つまり「予測可能な」人間(「分かりやすい人」)になることである。
プレディクタブルになるということは、自分の旗幟(きし、立場や主張)を鮮明にし、首尾一貫した行動規範に基づいて行動すること(「言行一致」)を意味する。それはつまり、他者と自分との違い(個別性)を明確にすることであり、それはま
111
た多様性を歓迎することでもある。そうすることによって、他者から信頼・評価される存在となり、フレンド(friend)=味方=仲間を増やすことになる。
思考力のトレーニング
「個性と多様性の尊重、共生社会の実現」。いまの日本では、これらの言葉や理念が心がけや説教、スローガンとして語られ、その際には「思いやり」「絆」などが強調される。多様性のある社会や共生社会の構築は、個々人の異質性や不明性について相互に認識し、理解することから始まる。即ち、自分とは違う他者が、どのような世界観や思想を持っているかを把握する。とともに、自分なりの価値観や原理原則の確立を図り、それに基づいて一貫性のある行動をとることが求められる。多様性や共生は、「違うこと」に耐えることであり、思いやりの心の育成を図れば済むようなものではない。「みんな違ってみんないい」は、それほど簡単ではない。
「ヒトは社会システムのなかで動いている」。即ち、自分はどういう種類の人間かということを鮮明にし、お互いにそれを理解し、他者と衝突しながら言及し議論し、一緒に何かに取り組んで行く。そういうヒトにとって必要かつ重要なのは、心がけを説く「心の教育」ではない。複雑な議論を展開し、社会づくりに関する制度設計を行う「思考力のトレーニング」である。
社会を変えるには、個人レベルの心がけや行動ではなく、社会科学の知見を踏まえて物事について思考・判断・表現する人たちが、ひとつのコアを形成し、社会変革の原動力になってくれるのを期待するしかない。(以上、第7章:243~288ページ)
差別の利得
「差別は偏見から生まれると思われている」。しかし、差別の原因は偏見ではない。差別と偏見は切り離して考えるべきである。
社会のなかで差別が行われるのは、そこに何らかのメリットがあるからである。少なくとも、当初の段階ではメリットがあり、それによって差別が構造化され、継続的に行われてきた。逆に言えば、差別することによってデメリットやコストが増えるのであれば、そうした差別は生まれない。従って、差別をなくすには、差別をすることによって得られるメリットよりも、差別をしないことで得られるメリットを大きくすることである。差別は感情ではなく、利得の問題である。そういう意味では、競争社会は「差別をなくす社会」であり、競争なき社会は「差別の社会」「差別を温存する社会」であると言える。
差別構造の追及
「差別問題を『心でっかち』で考えてはならない」。差別は、第一義的には、社会構造の要因によって起こるものであり、その結果である。社会に差別構造がある
112
と、それによって差別を正当化する現実が生まれ、その現実が差別構造をさらに補強していく。そしてますます、差別は正当化され、固定化されていく。
差別の解消は、個人の意識(「心がけ」)を変えたり、スローガンを叫ぶだけでは不可能である。差別の現実(「結果」)を直視し、それを生み出してきた(いる)社会構造(社会システム)を追及し、制度改革を進めることが肝要となる。(以上、第5章:181~203ページ)
〇以上に基づいて、「プレディクタブルな人=個性的であり、多様性を歓迎する人」(257ページ)すなわち「社会変革の原動力になる人」(288ページ)のあり方について考える際の視点や枠組みを、筆者なりに図式化(素案)しておくことにする。
〇なお、プレディクタブルな人は、フレンド=味方だけではなく、エネミー(enemy)=敵をつくることにもなる。「出る杭(くい)は打たれる」。「和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ」である。それは、相互協調性を意味するが、他者からの承認欲求(独立性)の裏返しでもある。付記しておきたい。
補遺
中島義道(なかじま・ よしみち)の『「思いやり」という暴力―哲学のない社会をつくるもの―』(PHP研究所、2016年2月)も、同意できない点もあるが、痛快で面白い。言説の一部を紹介(抜き書き)しておくことにする。なお、本書は、中島著『<対話>のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの―』(PHP研究所、1997年11月)のタイトルを変えたものである。
113
わが国の人間関係において、最も重視されるのは、「他人を思いやる」ことであり、そのためには「本当のことを言わないこと」である。この国では、「お上」は「思いやり」や「優しさ」といった人間の根源的価値に関してまで個人のなかに踏み込もうとする。「思いやり」を持つことがなぜ必要なのかという問いを忘れて、「思いやりを持とう!」という掛け声だけが列島にこだまする。この国では、「思いやり」や「優しさ」を声高に唱え、人々から生き生きとした思考力を奪っている。「思いやり」や「優しさ」という名のもとに、とりわけ弱者の叫び声は完全につぶされつづける。風通しの悪い社会である。(4、11、13、76、165ページ)
この国では、「思いやり」はほとんどの場合「利己主義の変形」として機能してしまう。自分の身に危険がふりかからない範囲での「思いやり」など、気楽な「思いやり」である。この国では、みんな「思いやり」という名のもとに真実の言葉を殺している。「対話」を封じている。しかも、ほとんどの者はその暴力に気づいていない。(166~168ページ)
この国では「優しさ」は今やエスカレートして熱病にまでなっている。これほどまでに「優しさ」が叫ばれている空気のなかで、弱い人間は「優しさ」によって殺されてゆく。精神的に破綻してゆく。最新型の「優しさ」の特徴をなすものは、他者との対立や摩擦を徹底的に避けることであり、この目的を達成するために「言葉」を避ける。ひとことで言うと、自分に異質な者としての他者を徹底的に恐れるのである。(183~184ページ)
「対話」(「哲学的対話」)とは、各個人が自分固有の実感・体験・信条・価値観にもとづいて何ごとかを語ることである。正真正銘の「対話」とは、身分・地位・知識・年齢等々ありとあらゆる「服」を脱ぎ捨てて、全裸になって「言葉」という武器だけを手中にして戦うことである。「対話」とは全裸の格闘技である。(120、141~142ページ)
「対話」のある社会は、「思いやり」とか「優しさ」という美名のもとに相手を傷つけないように配慮して言葉をぐいと呑み込む社会ではなく、言葉を尽くして相手と対立し最終的には潔(いさぎよ)く責任を引き受ける社会である。それは、対立を避けるのではなく、何よりも対立を大切にしそこから新しい発展を求めてゆく社会である。それは他者を消し去るのではなく、他者の異質性を尊重する社会である。(228~229ページ)
この国で要求されるのは「和の精神」である。「和」とは、現状に不満をもつ者、現状に疑問を投げかける者、現状を変えてゆこうとする者にとっては最も重い足かせである。「和の精神」はつねに社会的勝者を擁護し社会的敗者を排除する機能をもつ。そして、新しい視点や革命的な見解をつぶしてゆく。かくして、「和の精神」がゆきわたっているところでは、いつまでも保守的かつ定型的かつ無難な見解が支配することになる。(61~62ページ)
114
19/「贈与」:コミュニズムとアナキズム
―モース著『贈与論』の議論から―
贈与概念を初めて体系的な社会分析のために用いた研究は、マルセル・モースの『贈与論』である。その主要な問いは、贈物の中に潜むいかなる力が、貰い手に返礼させるのかというものである。これに対するモースの答は神秘性を帯びている。つまり、マオリ族が用いる「ハウ」という観念それ自体に原因を求めた。「ハウ」とは、「物の霊、とくに森の霊や森の獲物の霊」とされ、返礼されずにいると―もち主を殺してでも―元の場所に戻りたがる「贈与の霊」である。贈与者は、贈物をハウと共に送ることで、貰い手に対して神秘的で危険な力を行使していることになる。この観念を媒介として、富、貢納、贈与の義務的循環と、それを通じた社会的結合関係の維持機能を説明するというのが、かの古典的名著の主旨であった。(下記[5]、28ページ)
〇筆者の手もとに3冊の本がある。白井聡(しらい・さとし)著『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社、2020年4月。以下[1])、斎藤幸平(さいとう・こうへい)著『人新世の「資本論」』(集英社、2020年9月。以下[2])、内田樹(うちだ・たつる)著『コモンの再生』(文藝春秋、2020年11月。以下[3])がそれである。現代の日本社会は、「格差」「分断」「貧困」、そして「コロナ禍」などの言葉で語られる。その現状は、「グローバル資本主義末期における、市民の原子化・砂粒化、血縁・地縁共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠(さくばく)たる」([3]6ページ)ものである。この3冊の本は、こうした行き詰まる資本主義社会の「いま」と、向こう側の新たな「社会像」について思考する際に役立つ。
〇[1]にあっては、自立が強制され、自己決定(自己責任)が追及される現代資本主義社会を生き延びるための「武器」になるのは、カール・マルクスの『資本論』である。1980年代以降の新自由主義(ネオリベラリズム)は、「小さな政府」「規制緩和」「市場原理主義」などをキーワードに、社会の仕組みだけではなく、人間の魂や感性、センスを変えてしまった。資本による生産・労働過程のそれのみならず、労働者の魂、人間の全存在(身体・心理・文化・社会的諸側面の全体。人間の「全体性」)の「包摂」である(66、67ページ)。[1]は、『資本論』のキモを平易に解説した画期的な入門書であるが、裏にあるテーマは「新自由主義の打倒」(222ページ)である。別言すれば、「資本主義を内面化した人生から脱却するための思考法」(「帯」)である。
〇[2]において斎藤は、「マルクスが求めていたのは、無限の経済成長ではなく、大地=地球を〈コモン〉として持続可能に管理することであった」(190ページ)として、「資本主義の転換」を迫る。その際の〈コモン〉とは、「社会的に人々に共
115
有され、管理されるべき富のことを指す」。それは、資本主義(新自由主義)でも社会主義(国有化)でもない「社会像」(「脱成長コミュニズム」)であり、「水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理する」(141ページ)ことをめざす。
〇[3]で内田はいう。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)によって、グローバル資本主義と新自由主義は大規模な修正を余儀なくされることになる。その先に取り得る選択肢のひとつが「コモンの再生」である。それは「いま」、世界各地で、共同・協働のネットワークの再評価が始まっていることからもうかがい知ることができる(270ページ)。内田にあっては、国民国家がより小さな政治単位に分割されてゆく「『地域主義』がこれからの流れ」(261ページ)になるなかで、「コモン(共有地)」とは(「私」ではなく)「私たち」による「ご近所」共同体(6ページ)である。
〇いま、資本主義社会の行き詰まりについて批判する文脈で、またコミュニティの再興が叫ばれ、「コモンズ」(共有資源)や「コミュニズム」(共同体主義)について論じられるなかで、「贈与」が注目されている。「贈与」は多義的で、多用あるいは乱用されている感があるが、その言葉で思い出すのはマルセル・モースの『贈与論』である。モース(1872年~1950年)は、フランスの社会学者・文化人類学者であり、協同組合運動を中心とする社会主義思想への共感・共鳴を示していた。1925年に出版された『贈与論』は、「バイブル的存在」(小林修一)、「現代贈与論の原点」(平尾昌宏)などと評される。周知の通りである。
〇以下では、モース著・森山工(もりやま・たくみ)訳『贈与論 他二篇』(岩波文庫、2014年7月。以下[4])におけるモースの基本的な議論・主張のうちから、(1)「贈与の3つの義務」と(2)「全体的社会的事象」についてのみ再確認しておくことにする。それは、「市民福祉教育」実践・研究に「使える」であろう理論や方法に関する筆者の個人的な関心による。
〇モースにあっては、伝統的な「贈与」は、「贈り物をおこなう義務」「贈り物を受け取る義務」、そして「受け取った贈り物に対してお返しをする義務」の3つの義務から成っている。この「贈与」「受領」「返礼」という義務のうち、その根幹に位置づけられるのは第3の義務すなわち「返礼」である。それは、「贈与」と「受領」の義務を前提としている(101ページ)。要するに、モースがいう「贈与」は、相互性(互酬性)に基づく義務的な「贈与交換」(「贈与と交換」「贈与=交換」「贈与という名の交換」)である。そして、モースによると、「贈与」「受領」「返礼」は「気前よく」(60ページ)なされねばならず、「借りを返さないままでいる」(395ページ)と劣位に置かれたり、対抗関係を生み出すことになる。この点は現代社会においても然りである。「ギフト(gift)という一つの単語が『贈り物』という意味と『毒』という意味」(37ページ)の両義性を持つといわれる所以でもある。物の贈与には悪意や敵対といった感情的要素(感情的価値)が備わっている
116
のである。モースはいう。「物には依然として情緒的な価値(精神的価値:筆者)が備わっているのであって、貨幣価値に換算される価値(金銭的価値:筆者)だけが備わっているわけではない」(393ページ)。
〇「返礼」の義務の特徴は、「贈与の恩恵に浴した人には、もらったものと等価のものに、さらに何かを上乗せしてお返しすることが義務づけられるようになること」(15ページ)にある。そして、「贈与」「受領」「返礼」が果たす機能は、物の交換や流通それ自体ではなく、「贈り物を受け取るということ、さらには何であれ物を受け取るということは、呪術的にも宗教的にも、倫理的にも法的にも、物を贈る側と贈られる側とにある縛りを課し、両者を結びつける」(43ページ)ことにある。すなわち、「贈与」「受領」「返礼」の循環・体系は、個人や集団などの間に友好的な関係(紐帯)を生み出し、その維持・強化を促すのである。モースはいう。「社会が発展してきたのは、当のその社会が、そしてその社会に含まれる諸々の下位集団が、さらにその社会を構成している個々人が、さまざまな社会関係を安定化させることができたからである。すなわち、与え、受け取り、そしてお返しをすることができたからである」(450ページ)。
〇ところでモースは、「贈与」は、「社会生活をかたちづくるあらゆることが、ここで混ざり合っている」という。それは、「宗教的な制度であり、法的な制度であり、倫理的な制度である―この場合、それは同時に政治的な制度でもあり、家族関係にかかわる制度でもある。それはまた、経済的な制度である」。それゆえにモースは、これを「『全体的な』社会的現象」(「全体的社会的事象」)と呼ぶことを提唱する(59ページ)。これは、「『全体』への強い志向性にもとづいて学術的探究に臨む」(「訳者解説」476ページ)モースの社会学・文化人類学の特徴を示すものである。ここで、次の一文を引いておくことにする。「全体を丸ごと考察すること、これによって、本質的なことがら、全体の動き、生き生きとした様相を把捉(はそく)することができたのであり、(中略)社会生活を具体的に観察することのうちに、新しい諸事象を見いだす手段がある。(中略)全体的社会的事象を考究すること以上に差し迫ったものはないし、また実り多いものもない」(442ページ)。
〇上述したように、モースは[4]で、「贈与の3つの義務」に基づく贈り物が循環することによって、社会的連帯・紐帯が生み出されることを指摘した。その点に関して、私事ながら40年以上も前のことであるが、他界した伯父の「献体」のことを思い出す。「献体」という贈与行為についてはどう考えるのか。公益財団法人・日本篤志献体協会によると、「献体の最大の意義は、みずからの遺体を提供することによって医学教育に参加し、学識・人格ともに優れた医師・歯科医師を養成するための礎となり、医療を通じて次の世代の人達のために役立とうとすること」(同ホームページより)にある。現在、わが国には献体篤志家団体が62団体あり、献体登録者の総数はおよそ30万5000人を越え、そのうちすでに献体した人は約14万人に達している(2019年3月31日現在)。
〇伯父は晩年、百姓仕事などのすべてを娘婿に渡し、近くの寺院で奉仕活動に没入した。
117
その伯父の献体行為は、宗教的な動機も考えられるが、見返りを求めない、利他主義に基づく不特定の匿名他者への自発的な贈与であった。また、伯父が普段所属していたアソシエーション(機能集団)やコミュニティ(共同体)に対する個人的な感情(正義、責任、義務、感謝、愛、自己実現など)の発露であったろう。しかもそれは、医学教育に参加し、医療を通じて次世代の人達に役立とうとする公的な贈与であったといってよい。さらに言えば、医学や医療技術、生命科学や生命倫理などの発展をもたらし、回りまわって伯父の家族の自己利益にもつながることが想定される。いずれにしろ、伯父の献体行為は何らかの個人的・社会的な連帯意識に基づくものであり、またその行為の結果として人々の個人的・社会(文化)的な連帯意識の形成が促される。あえて指摘するほどに目新しいものではないが、ひとつの論点として再確認しておきたい。
〇筆者の手もとに2冊の本がある。仁平典宏(にへい・のりひろ)著『「ボランティア」の誕生と終焉―〈贈与のパラドックス〉の知識社会学』(名古屋大学出版会、2011年2月。以下[5])と山田広昭(やまだ・ひろあき)著『可能なるアナキズム―マルセル・モースと贈与のモラル』(インスクリプト、2020年9月。以下[6])がそれである。そこに見いだされるひとつの論点([5]の〈贈与のパラドックス〉、[6]の「支配への抵抗」)について留意したい。
〇[5]において仁平は、「ボランティアをはじめとする参加型の市民社会の諸カテゴリーは、『善意』や『他者のため』と解釈される契機を不可避的に含むことになる。(中略)この『他者のため』と外部から解釈される行為の表象」を「贈与」と呼ぶ(10ページ)。そのうえで、「近現代の日本におけるボランティア言説の展開をたどり、参加型市民社会のあり方を鋭く問いなおす」(「帯」)。サブタイトルにいう〈贈与のパラドックス〉(paradox:逆説、矛盾)とは、贈与は行為者の真の意図とは別に、交換や見返り、偽善や自己満足などとして外部観察されがちである、という意味である。平易に言えば、「贈与の偽善性」「贈与の疑わしさ・怪しさ」である。
〇「アナキズム」には、「無政府主義」「政治的極左」「革命思想」といったイメージがつきまとう。その実は互酬性や相互扶助に基づく「支配に抗する思想」である。[6]において山田は、モースの『贈与論』を手がかりに、多くの思想家の議論・言説について言及し、「来たるべき経済」(贈与経済)社会を模索する。そして山田は、「非中心性、自主的連合、そしてつねにダイレクトに否を表明できる直接民主主義、これらはアナキズムの変わることのない基底である」(228ページ)。アナキズムは「個人的自由の追求と連帯の追求とがけっして矛盾しないと考える思想」である。「個人の自由の確保こそが真の連帯の条件である」(195ページ)、という。なお、ここで筆者は、アナキズムに関して「地域主義」(「小さな政府」)の理念を基盤に、「市民」のつながりや集まりである「地域コミュニティ」における「共働」をイメージしている。誤解を恐れずに付記しておきたい。
118
アナキズムとは、個人の自由を抑圧・侵害するようなあらゆる支配権力(とくに国家権力)を否定し、上からの組織化や統制を拒否しながら、合意によって自由で調和的な社会を建設しようとする思想である。したがってその根本には、権力による支配や強制なしに、社会を運営していくことが可能だとする発想がある。方法は大別してふたつある。ひとつは直接政治の領域に入って、国家権力を打倒しようとするものであり、もうひとつは国家権力と直接対決するのではなく、権力支配とは無縁な空間を(多くの場合、小規模かつ分散的性格の自治的協同体を建設するなどの方法で)非政治領域のなかに作り上げることによって、国家による権力支配を骨抜きにしていこうとするものである。(上記[6]、195、196ページ。中見真理(なかみ・まり)著『柳宗悦―時代と思想―』東京大学出版会、2003年3月、59~60ページ。)
補遺
筆者の手もとに、在野の日本近代史家・渡辺京二(わたなべ・きょうじ)の本『幻のえにし―渡辺京二 発言集』(弦書房、2020年10月)がある。少し長くなるが、次の一文を引いておきたい。なお、渡辺は、『苦海浄土―わが水俣病』(講談社、1969年1月)などで知られる作家・石牟礼道子(いしむれ・みちこ)を「50年間一緒にやってきた戦友」(本書、119ページ)という。二人の「道行き」(歩み)については周知のことである(米本浩二『魂の邂逅―石牟礼道子と渡辺京二―』新潮社、2020年10月)。
自分というものがこの世に生まれてきて満足するような人間のあり方というのは、一人一人が独立するしかないんですよ。一人一人が独立してね、自分の主人公になってね、そういう本当に独立した人間がある地域を介してね、地域というのは土地、土地は自然ということでもあるけれども、そういうものを介して、お互いが結びついて、その土地の生活を守り抜いていくということしか無いんですよ。
要するに、僕らは自分自身をまず独立させることなんですよ。それはどういう意味かというと、自分の考えを持つことなんですね。自分の考えを持つ。(253~254ページ)
自分の頭で考えるということは、コモンセンスで考えることなんです。コモンセンス。つまり普通の良識です。生活する上での普通の理屈で考えればいいわけなんですよ。すべての事柄は。そうするとおかしい事は、いくら理論ぶって言ったっておかしいわけなんです。そういう健全な批判能力みたいなものをね、保持していこうというのが、自分が一人である事なんですよ。(255ページ)
つまり自分は一人である、自分は自分の考えで生きている、国からも支配されない、いわゆる世論からも妄想からも支配されないというあり方ができるのは、自分がある土地に仲間とともに結びついていると感じるからなんだ。ところがそういう基盤がなくなっているからね。自分が生きている土地に相当するのは、自分がともに生きてきた仲間なんだよ。
119
自分がこの世の中で自分でありたい、妄想に支配されたくないという同じ思いの仲間がいる。それが小さな国である。自分が自分でありたいという自分と、同じく自分が自分でありたい人たちで作った仲間が、小さな国になっていく。そういうものをしっかり作るということが僕の思う革命なのさ。それ以外はない。(257~258ページ)
120
20/自己決定と自己責任:その虚飾と欺瞞
―小松美彦と吉崎祥司の言説から―
〇1990年代後半以降、財界の要望に応える「小さな政府」を実現するために、「措置から契約へ」という社会福祉基礎構造改革の推進が図られた(1998年6月:中央社会福祉審議会社会福祉構造改革分科会「社会福祉基礎構造改革について(中間まとめ)」等)。そのなかで、「自己選択」「自己決定」すなわち「自己責任」が声高に叫ばれるようになった。また、「市場原理の導入」などの新自由主義的教育改革の推進が図られた(1996年7月:中央教育審議会「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について(第一次答申)」等)。そこでは、子ども・青年が抱える困難や不利益を、「自己責任」として個々人が引き受ける「生きる力」の育成が強調されるようになった。周知の通りである。
〇「自己決定」と「自己責任」は口当たりのよい言葉である。しかし、その言葉に関して、「自己」すなわち「個人」「ひとり」については曖昧であり、「共に」決定する、「共に」責任を取るなどとはあまり言わない。また、「自己決定」と「自己責任」の実相は、外見だけを飾り(虚飾)、人目をあざむき、だます(欺瞞)という危険性がある。
〇自己決定や自己責任について論述した本は、筆者の手もとには、次の4冊しかない。
(1) 小松美彦著『「自己決定権」という罠―ナチスから相模原障害者殺傷事件まで―』言視舎、2018年8月(以下[1])
本書(語りおろし)は、『自己決定権は幻想である』(洋泉社新書y、2004年7月)の増補改訂版である。旧版では、「自己決定権」の概念それ自体や「自己決定権」への無条件の信頼は非常に危ういことを論じている。旧版のインタビュー(2003年)から15年後のこんにちでは、主に医療や福祉の分野において、「自己決定権」「自己決定」という言葉と概念は当たり前のものになっている。しかし、その問題性は見えにくい形でますます拡がっている。「自己決定権」に加えて、「人間の尊厳」という言葉と概念も巧妙に作用し、差し迫った状況にある(3~4ページ)。小松美彦(こまつ・よしひこ、生命倫理学専攻)は、その問題状況をダイナミックに論考する。
(2) 吉崎祥司著『「自己責任論」をのりこえる―連帯と「社会的責任」の哲学―』学習の友社、2014年12月(以下[2])
小泉政権(2001年4月~2006年9月)によって、競争原理を基本理念とする規制緩和の推進が図られた。そのなかで、1990年代以降の「自己責任論」が、政財界においてより一層強調されるようになった。また、経済の低成長下における社会保障費の削減を理由づける
考え方として、「自立・自助論」が展開された。ヨーロッパなどと比べて、日本では、社会的責任の観念が必ずしも十分に定着しているわけではない(6~13ページ)。こうした特殊「日本型自己責任論」(13ページ)について吉崎祥司(よしざき・しょうじ、哲学専攻)は、その内容と特質を批判的に検討し、それを克服する
121
ための課題と道筋を明らかにする。
(3) 高橋隆雄・八幡英幸編『自己決定論のゆくえ―哲学・法学・医学の現場から―』九州大学出版会、2008年5月
本書では、生命倫理における基本的概念のひとつである「自己決定」をめぐって、その歴史的由来や概念の意味、法的観点からの問題、医師や看護師の専門職の自律性とのかかわり、等々について多面的に論考する。そのなかで、小柳正弘(専攻は哲学)は、「『私たち』の自己決定」について、次のように述べている。自己決定の主体である「自己」は、理念としては「強い個人」が前提とされている。しかし、現実には「弱い個人」が主体として困難を引き受けているのが現状である。それでも「私」が自己決定しなければならないとすれば、私は他者によって支えられなければならない。すなわち、私が他者とともに「私たち」として決定することが必要となる。「自己が自己のことを決定する」という自己決定には、もうひとつ、「私たちが私たちのことを決定する」という自己決定の理念型が存在することを思い起さなければならない、と。(38~40ページ)。特筆しておきたい。
(4) 湯浅誠『どんとこい、貧困!』イースト・プレス、2011年7月
本書は、現代日本の貧困問題を現場から訴え続け、社会的包摂を説く湯浅誠(社会活動家)が子どもたちに書き下ろした自己責任論である。そこでのキーワードのひとつに、「溜め(ため)」がある。湯浅にあっては、それは、「がんばるための条件」「その人が持っている条件」を意味するが、基本的な「溜め」となるのは「お金」「人間関係(親や友達など)」「精神(的なもの)」の三つである。「家にお金がなくて、人間関係に恵まれないなら、社会がその人の“溜め”になればいい」。(49ページ)。また、自己責任論をふりかざす人たちに共通しているのは、「上から目線」である。自己責任論は「問い」を外に、社会に出てこないように封じ込めること、自己責任論の一番の目的、最大の効果は、相手を黙らせることである。自己責任論は、弱いものイジメが横行し、生きづらい、誰も幸せでない、満ち足りない社会をつくる(153~157ページ)。
〇さて、本稿ではまず、[1]において留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。
自己責任論と「自己決定」「自己決定権」
政府の言う自己責任論は、国家や支配権力が、基本的に人々を強制したいと考えている事実の裏返しの表現にすぎない。自己決定をするのなら自分で責任をとれという、身の蓋もない態度の裏側には、文句を言わずに言うことを聞けという、国家の冷徹で傲慢な態度が透けて見える。(18ページ)
122
自己決定と自己決定権とはまったく違うものである。自己決定イコール自己決定権だと単純に考えていると、権利という制度的な思弁の土俵の上で、思わぬ落とし穴
にはまってしまう危険がある。(19~20ページ)
私たちの行動には、「思わず~する」という無意識の行動、すなわち言葉で考えるというよりも身体全体で考えると言ったほうがよいようなものがあり、自己決定には、そういった具体的な生の実相が、まるごと含まれている。
これに対して、自己決定権にはこのような自ずからなる要素はない。自己決定権は、言葉によって普遍化された人為的な権利であり、思弁によって客観化された制度であり、さらには個別の実相を他人事に変えてしまう装置であり、したがって、いつでも政治的な恣意によって道具にされるという危険性をもったものである。(20ページ)
自己決定権批判の根拠
自己決定権という考え方には、根本的に問題がある。
①人が生きていくすべての場面において、個人が何かを決めるということは、決して個人の問題にとどまらない。自己決定権という言葉によって、人間関係の尊重すべき貴重な機微(微妙な事情・おもむき)が覆い隠されてしまっている。
②「本人の意思による」という自己決定権という言葉が謳(うた)われ、その美しい響きが無為に受け入れらてしまったことによって、(政府や政治に対する)人々の抵抗が鈍ってしまった。
③いったん自己決定権を盾(たて)にしてしまうと、さまざまなことに関して、自分のことは自分で決めればよいのだから、他人には口を出してほしくないという壁ができてしまう。その結果として、自己決定権が他者同士のコミュニケーションを遮断・排除する道具として機能する危惧がある。
④死は果たして自己決定できるのか。死は一個人に閉じ込められたものではなく、家族や医師、看護師など実に多くの人がかかわる。死は、周囲の人々すべてにまたがる、人間関係のなかでおきる事柄である。(40~49ページ)
自己決定・自己決定権と「共決定」
自己決定とは、起こっている事柄それ自体のことである。あるいは生の具体的な局面で私たちが絶えず行っている個々の判断や選択や行為そのもののことである。その意味では、人間が自己決定なしに通常の社会生活を送ることは、とてもできないと言ってよい。
自己決定権とは、自己決定することを社会や国家が、個人の権利として認めるということである。「する」あるいは「せざるをえない」のが自己決定であるのに対して、「認められる」あるいは「するために使う」のが自己決定権であると言ってよい。(98ページ)
私たちは、いつも他者とのかかわりのなかで自分の行動を決定している。同じように、自分が決定した行動は、いつもまわりの他者たちに少なからぬ影響を及ぼして
123
いる。決定すればそれで終わりということは本来的にない。
自己決定とは、他者との複雑な網の目のなかで行われるしかないものであり、そういう意味では、純粋な自己決定はない。私たちの行う決定は、好むと好まざるとにかかわらず、いつも本質的に「共決定」であることを強いられているといえる。(98ページ)
「共決定」と関係性・共同性
共決定とは、猶予のある場合にそうすべきだといモデルである。そのモデルを不毛なものにしないためには、それぞれがそれぞれの立場から努力し、徹底的に話し合いながら決めていくことである。(102ページ)
関係性を大切にする立場は、まず内と外を区別しない。個々の人間的な交渉から目をそらさないことを原則として、これを守ることができるのであれば、どこまでも外に広がっていこうとする態度のことである。(103ページ)
共同性を重視する立場は、私たちは私たち、あなたたちはあなたたちというように、そもそも内と外に縁取りをこしらえておいて、二つを区分けし固定していこうとする態度のことである。(103~104ページ)
だから、関係性を重視する立場は相互の異質性を厭(いと)わないし、共同性を重視する立場では自分たちのなかにある同質性に、まず目を向けるということになる。(104ページ)
個々の人間の具体的な実存を前にすれば、抽象的な同質性などというものは、はじめからどこにもない。共同体の掲げる同質性は、いつも避けがたい抽象性を帯びてしまい、個々人の具体的な個別性にあるかけがえのなさを、共同体の意思の名をもって、裏切っていくことになる。(105ページ)
「人権」と「存在」
「人権」とは、結局、国家や社会によって与えられる人為的なものである。しかし、それ以前に、障害者にせよ健常者にせよ、その人がいるということ、「存在」していること自体が第一次的なもののはずである。これ自体は絶対に否定できない。(311ページ)
仮に、心や意識が本当に絶無のまま生きている人がいるとして、それをどう考えたらよいのか。それでもその人が“そこにいる”という厳然たる事実が、その人から被(こうむ)る迷惑と呼ばれることまで含めて、私たち自身が“いる”ことを何らかの形で支えてくれているのである。「迷惑をかける―かけられる」という関係をもてることは、実は人間の豊かさに思われる。(316ページ)
「自己決定権」にせよ、「人間の尊厳」にせよ、検討にあたって必須のことは、型どおりの「人権」的な思考ではなく、誰々がいた、あるいは誰々がいるという「存在」ベースで考え直すことである。(319ページ)
124
〇次に、[2]において留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。
「自己責任論」の機能
「自己責任論」の機能とは、さしあたり、①競争を当然のこととし、②競争での敗北を自己責任として受容させ(自らの貧困や不遇を納得させ)、③社会的な問題の責任をすべて個人に押しつけ(苦境に立たされた“お前が悪い”)、④しかもそうした押しつけには理由がある(不当なものではない)と人びとに思い込ませ(る)ことによって、⑤抗議の意思と行動を封殺する(“だまらせる”)、というものである。そのようなものとして、「自己責任論」は、新自由主義的支配の合理化・正当化のためのイデオロギー(支配層の思想形態)であることを本質としている。(11ページ)
「自己責任論」の特徴
「自己責任論」は、次のような特徴をもっている。
①「自己責任論」は、「社会的責任」と「個人的責任」を意図的に混同したうえで、「社会的責任」を否定する、あるいは相対化する。
②「自己責任論」は、社会的責任の否定にとどまらず、社会的な問題をすべて「個人」のうちに押し込め、個人的な解決を迫る。
③「自己責任論」は、個人が抱える困難は、誰のせいでもなく、当の本人の努力や能力の不足によるもので、その事実を受け入れよと強く迫る。一生懸命努力していても報われない場合は、そもそも「能力」が不足しているからだ、と個々人の「能力」の有無・高低をあげつらう。
④「自己責任論」は、本質的に「社会問題」であるのにもかかわらず、社会的責任に蓋(ふた)をして、問題をもっぱら個人的なものに還元し、しかも困難の最終的な原因を個人の能力に求めることで、「責任」を自認させ、抗議の意思も封じる。
⑤「自己責任論」は、それが流布しやすい理由の一つに、「一人前」の人間は、他人に頼らずに自立すべきもの・自ら助けるべきもの、という「自立・自助」の世間的常識がある。誰にも頼らずにちゃんと生活をたてていけないような人間は一人前ではない、といった「自立」観を前提としている。
⑥「自己責任論」では、何にせよ、自分で決定し、選択したことの結果について自分で責任をとるのは当然であり、ある人がおかれた状況・境遇は、そうした決定・選択の結果なのだから「自己責任」であるという一見もっともらしい理屈のもとで、「自己決定=自己責任」が説かれる。
125
⑦それらの結果として、「自己責任論」は、人びとの間に、多重的な分断をもたらし、個人を孤立化させるにとどまらず、たがいを敵視するように仕向ける。
これらの諸特徴をもつ「自己責任論」が通用しやすい特有の土壌(「社会文化」)が日本社会にはある。(16~17ページ)
自己決定の前提と条件
自己決定には、それを簡単に許さない前提や条件(困難性)がある。①自己決定は、社会制度や時代の支配的な社会的観念や意識、社会の風潮や趨勢、慣習や風俗などの「状況」の「圧力」や「傾向性」のもとで行われる。②「状況」の圧力や傾向性に対して自覚的・批判的であるためには、十分な情報の獲得と、「選択」の結果についての適切な判断が必要とされるが、それが困難である。③「状況」や「選択」にかかわる基本的な情報が獲得されているとしても、従属的位置にある労働者に、その特定の社会関係において自由な選択を行うことは許されない。(55~58ページ)
こうして、「自己決定」は多くの場合、疑似的で、決定者の「自己責任」を問えるようなものではない。つまり、「自己決定」は、個人の「自己責任」に直結させることができるようなものではない。真に自由な自己決定・選択が可能になる前提・条件の周到な吟味なしに、自己決定を自己責任に直結させるような「自己決定論」は、多く欺瞞をかかえるものである。(58ページ)
そこで、労働者が自己決定する際の鍵になるのは、個人が他者と「共にする決定」の場と仲間、連帯する組織を作り出すことである。(60ページ)
〇筆者はかつて、『みんなのなかにわたしがいる みんなとともにわたしがいる』(三重県社会福祉協議会、2004年3月)というタイトルの「小学生からの福祉読本」の作成にかかわったことがある。そこでの根本的な考え方は「実存」「自立」「共生」「まちづくり」「参画」「共働」などであった。
〇そのことを思い出しながら、改めて[1]における小松の言説を要約する。「自己決定」は、実際には、社会的広がりや他者との関係性(「関係としての私」「われわれのわれ」198ページ)のなかで行われる。「自己決定権は、個人主義を擬装しながら、実際には抽象化され、普遍化されることによって、いつでも国家共同体に転化・悪用されかねない危険性をもったもの」である。その意味で、「自己決定権を個々人の具体的な実存の側から見てみれば、そんなものは、はじめからないのだと極論してもよい。それをあるのだとなお言い募るのであれば、幻想としてあるのだと言うしかない」(106ページ)。これが、小松が最も強く主張する「自己決定権の欺瞞性」、すなわち「自己決定権という罠」である。
126
21/相互支援と相互実現
―舘岡康雄らによる「支援学」の体系化について―
ケアリングコミュニティとは、「共に生き、相互に支え合うことができる地域」のことである。筆者はそれを地域福祉の基盤づくりであると考えている。/そのためには、共に生きるという価値を大切にし、実際に地域で相互に支え合うという行為が営まれ、必要なシステムが構築されていかなければならない。こうしたケアリングコミュニティは、①ケアの当事者性(エンパワメント)、②地域自立生活支援(トータルケアシステム)、③参加・協働(ローカルガバナンス)、④共生社会のケア制度政策(ソーシャルインクルージョン)、⑤地域経営(ローカルマネジメント)といった5つの構成要素により成立している。(原田正樹「ケアリングコミュニティの構築に向けた地域福祉―地域福祉計画の可能性と展開―」大橋謙策編著『ケアとコミュニティ―福祉・地域・まちづくり―』ミネルヴァ書房、2014年4月、100ページ)
〇筆者は、管見ながら、しかもその一部に過ぎないが、人と人が共に生き、共に支え合うこと(「相互依存」interdependence)によって自己成長と相互成長、自己実現と相互実現を促す地域社会、すなわち「ケアリングコミュニティ」(caring community)に関して次のように考えている。(1)地域のあらゆる住民が「安心」して暮らせるまちは、「安全」と「信頼」と「責任」のまちである。安心=安全×信頼×責任、である。(2)まちづくりは、そこに暮らす住民が相互に支援し合う(「相互支援」の)地域コミュニティを創造するために、意識と思考と行動の変革を図ることから始まる。まちづくりは相互支援であり福祉教育である。(3)「自立」(「依存的自立」)は、自己選択と自己決定、そして自己責任に基づく自己実現の過程を通して達成される。それは、個人的なものにとどまらず、歴史的・社会的・文化的状況や背景によって規定される。自立は自己実現のための手段であり、歴史的社会的性格(特徴)を持つ。(4) 自己決定と自己実現は、個人的営為ではなく、自分と他者との相互の認識と行動に基づいた自己成長と相互成長を通じて初めて可能となる。自己実現は「相互実現」である。(5)現在の日本社会では、格差社会や管理社会が進展するなかで、持続可能な相互支援型社会を如何に形成するかが問われている。管理は画一化や受動化を促進し、支援は多様性や能動性を尊重する。地域共生社会は相互支援型社会である。なお、これらとともに、またこれらを可能にするためには、まちづくりや地域福祉についての多様な政策・制度的対応や専門機関・専門家による対応などが必要かつ重要であることは言うまでもない。
〇筆者の手もとには、そのタイトルやサブタイトルに「支援」などの文言が含まれている本が4冊ある。
127
(1) 支援基礎論研究会編『支援学―管理社会をこえて―』東方出版、2000年7月
(2) 舘岡康雄著『利他性の経済学―支援が必然となる時代へ―』新曜社、2006年4月
(3) 舘岡康雄著『世界を変えるSHIEN学―力を引き出し合う働きかた―』フィルムアート社、2012年11月
(4) 森岡正博編著『「ささえあい」の人間学―私たちすべてが「老人」+「障害者」+「末期患者」となる時代の社会原理の探究―』法藏館、1994年1月
〇本稿では、それぞれの本のなかで論じられている「支援」に関する言説について、筆者なりにいま一度押さえておきたい一節を、抜き書きあるいは要約することにする(見出しは筆者)。
(1) 支援基礎論研究会編『支援学』
〇「支援学」(Supportology)は、1993年に発足した「支援基礎論研究会」(オフィス・オートメーション学会〈現・日本情報経営学会〉の研究部会)が7年余にわたる研究活動を通して新しく開拓した学問分野である。「本書は、ハウツーを教える入門書ではなく、広く支援現象、支援行為一般の研究の指針を与えることを目的にした見取り図である」(2ページ)。ここでは、本書に収録されている今田高俊(いまだ・たかとし。現在は東京工業大学名誉教授)の論稿「支援型の社会システムへ」における言説について紹介する。
管理型社会システムから支援型社会システムへ
現在、行き過ぎた管理機構のひずみや亀裂が集中的にあらわれ、管理の限界がいたるところで露呈するようになっている。管理を中心とする運営法では、もはや活力ある社会を確保できない状態である。/意義のある人生や生活を築き上げるためには、管理に代わる社会の仕組みが必要である。管理に代わる新しい社会編成の在り方としてもっとも有望なものは支援である。支援型の社会システムへの構造転換をはかることが、現在、さまざまな形であらわれている社会問題を解決するために不可欠である。/1990年代以降、ボランティア活動やNPO(非営利組織)、NGO(非政府組織)による活動活動が高まった。これらの活動は、管理ではなく支援を、市民自身の自発的な意志によっておこなおうとする動きである。(9~10ページ)
支援の定義
支援とは、何らかの意図を持った他者の行為に対する働きかけであり、その意図を理解しつつ、行為の質を維持・改善する一連のアクションのことをいい、最終的に
128
他者のエンパワーメントをはかる(ことがらをなす力をつける)ことである。(11
ページ)
支援と自省的フィードバック
支援は、自分で勝手に目標を立てて効率よくそれを達成するという、従来の私的利益の追求行為からは区別される。被支援者がどういう状況に置かれており、支援行為がどう受け止められているかを常にフィードバックして、被支援者の意図に沿うように自分の行為を変える必要がある。これができない支援は本当の意味での支援ではない。(12ページ)
支援と配慮とエンパワーメント
支援をおこなう当事者は、あくまでも自分の生き甲斐や自己実現を得るという動機が前提になっている。この意味では、私的なものである。ただし、この私的性格は、被支援者の行為の質が改善され、被支援者がことがらをなす力を高めることを前提としており、いわゆる利己的な行為ではない。私的な自己実現が、直接、他者に対する気遣い、配慮へとつながっている。要するに、支援には、他者への「配慮 care」と「エンパワーメント」が決定的に重要である。(12ページ)
支援と支援システム
実際に支援が成立するためには、一連の支援行為がばらばらになされるのではなく、それらがまとまりをもったシステムを形成することが必要である。また、支援は固定したシステムではうまくいかない。被支援者が置かれている状況変化にあわせて、システムを変えていく必要がある。/支援システムは、人的・物的・情報的資源を関係づけ、それらが支援を効果的に実現できるようなモデル(ノウハウ)を備えることが重要である。(12~13ページ)
支援学の体系化
20世紀が管理の世紀であるとすれば21世紀は支援の世紀である。今後、管理が消滅することはありえないが、少なくても支援の発想が社会のなかに組み込まれ、肥大化した管理の仕組みを縮小する方向に進まざるをえないだろう。弱肉強食型の競争主義とそのグローバル化が進みつつあるが、これがアナーキー(無秩序)な社会あるいはその反動として管理主義の強化につながってはますます住みにくい世界になる。そうならないためにも今後、支援学を深め体系化していくことが重要である。管理に代わる支援の発想を持って、グローバル時代の共生原理をつくりあげていくことが、われわれの責任である。(234ページ)
〇管理型社会から支援型社会への転換が求められている。支援は、支援者(支援主体)と被支援者(被支援主体)というセットで意味をなす行為であり、①「他者への働きかけ」を前提にして、②「他者の意図の理解」、③「行為の質の維持・改
129
善」、④「エンパワーメント」を構成要素とする。支援には、支援者の「自省的フィードバック」と、被支援者への「配慮」と「エンパワーメント」が重要である。支援の実質化を図るためには、「ヒト、モノ、カネ、情報」などの資源を効果的・効率的に活用し、またそのためのモデル(ノウハウ)を備えることが必要となる。とともに、支援システムを形成し、しかもそのシステムは被支援者の置かれた状況に応じて柔軟・自在に変化・対応する(「自己組織化」する)ことができるものでなければならない。
〇支援学は管理学に対置される。支援学は、社会生活上の諸問題を解決し、被支援者の「エンパワーメント」を図ることによって自己実現が達成され、それを通じて共生社会の創造に貢献することを使命とする。
〇以上が今田の言説、その一部である。注目されるのは、支援の概念に「エンパワーメント」が含意されていることである。そこから、支援が成立するためには、被支援者の意図が優先され、支援者の支援が自己目的化してはならないことになる。今田にあっては、「自分の意思を前面にださない」「相手への押しつけにならない」「相手の自助努力を損なわない」が、「支援に要請される条件」(15ページ)となる。
(2) 舘岡康雄著『利他性の経済学』
〇本書は、とりわけその前半は、舘岡康雄(たておか・やすお、現在は静岡大学大学院)の博士論文「”支援”の理論化と実証化に関する研究―利他的なビジネスモデルがもたらす経済合理性―」(東京工業大学社会理工学研究科)がベースになっている。舘岡は1996年から「プロセスパラダイム」の概念を提唱するが、「支援」と「プロセスパラダイム」に関する言説のみを抜き書き(要約)する。
自己中心の「管理」と相手中心の「支援」
管理は、自分から出発して相手を変える、相手をコントロールする行動様式である。それに対して支援は、相手から出発して相手との関わりにおいて自分を変える、自分で(自由意志で)自分をコントロールする行動様式である。/すなわち、管理は自己中心の行動様式であり、支援は相手中心の行動様式である。/したがって、管理の被行為者は「させられている」のであり、支援の被行為者は「してもらっている」のである。(86~87ページ)
リザルトパラダイムからプロセスパラダイムへ
いま時代は、あらゆる分野で「リザルトパラダイムからプロセスパラダイムへ」と動いている。パラダイム(paradigm)とは、その時代に共通するものの見方や捉え方(価値観、枠組み、考え方)をいう。/管理行動では、管理者は計画を提示し、その計画と被管理者の結果とのズレが重要とされる。そこでは、「結果」(リザルト、result)が重視され、管理者と被管理者の関係は「させる/させられる」の一方
130
向の関係にある。管理行動はリザルトパラダイムにおける行動様式である。/支援行動では、支援者は相手の刻々変わる状況を知り、それに合わせて被支援者と相互作用を行ないながら支援を達成していく。そこでは、「過程」(プロセス、process)が重視され、支援者と被支援者の関係は「してもらう/してあげる」の双方向の関係にある。支援行動はプロセスパラダイムにおける行動様式である。(87、88、93~94ページ)
〇以上が舘岡の言説、その一部である。舘岡にあっては、支援はあくまでも支援者の自由意志で行われものであり、支援をするかしないかは支援者に委ねられる。「動員による支援」「支援の管理」「支援の制度化」などは想定されていない。また、舘岡の言説で重要なのは、「プロセスパラダイム」についての提言である(91~97ページ)。相手(被支援者)の動きに合わせて自分(支援者)も動きを変える。また、相手(被支援者)にも自分(支援者)の動きに合わせて動きを変えてもらう。両者が寄り添ってこうした動き(動的な活動)をするとき、その過程(プロセス)で問題解決能力が高まり、両者は「合一の方向に向かう」(100ページ)、とされる。留意しておきたい点である。
(3) 舘岡康雄著『世界を変えるSHIEN学』
〇舘岡は、民間企業の人事部での経験を踏まえて、2001年から「SHIEN学」を提唱する。本書は、学生やビジネスマンが気軽に読める「SHIEN学の入門書」である。「支援」をあえて「SHIEN」とローマ字表記する意義、「管理」「支援」「SHIEN」あるいは「協働」などの概念の相互関連、SHIEN「学」の学問としての成立要件や理論的枠組みと体系性、などについての言及は必ずしも十分なものであるとは言えないが、要点を紹介する。
SHIENと「お互いの力を引き出し合う能力」
「支援」は上位者が下位者に、力のあるものが力のないものに、施すという概念である。/SHIENは、互いに助け合うことで、重なり(つながり、関係性)のなかったところに重なりをつくり、「してもらう/してあげる」を交換するという、新しい時代の問題解決法のひとつである。/SHIEN学では、相手の力を引き出したり、逆に相手からも自分の力を引き出してもらったりする能力を「してもらう/してあげる能力」と呼ぶ。/SHIENの原理というのは厳密なシステムではなくて、重なりがなかったところに重なりをつくったり、相手からしてもらうことと、こちらがしてあげることを、相互に交換したりすること。ただそれだけである。(13、35、58、155ページ)
131
「してもらうこと」と「豊かな関係性」とSHIEN学
「してもらう」能力を高めるためには、自分の「弱みを相手に見せること」が非常に大切であり、「相手によい質問をすること」「相手を褒(ほ)めること」も有効である。それによって自分と相手との豊かな関係性を深めることができる。/「してもらう/してあげる」というのはテクニックではなく、非常にいい関係性があるからこそ生まれるものである。志が同じで、ひとつの目標に向かっていく集団があったならば、惜しみなくお互いの能力を出し合っていって、一緒につくるよろこびを感じることが、お互いが幸せになる、何よりの方法である。/「してもらうこと」がSHIEN学のスタートであり、本質である。(60~65ページ)
プロセスパラダイムの時代と競争的共存の時代
これからの、「動いているものを動くままに」捉えるプロセスパラダイムの時代は、今までのリザルトパラダイムの時代の、「善か悪か」「有か無か」「量か質か」「ハードかソフトか」といった二項対立を越えて、新しい解へジャンプすることができる自由な社会である。/そういう時に大切になってくるのは、「してもらう能力」である。新しい時代には「してもらう」ことは必須となる。/苦手なことはしてもらってよいのである。そして自分は、自分の得意なことで相手をSHIENする。また今、競争的共存の時代が来たともいえる。競争しているのだけど、同時に共存してもいるわけで、ひとり勝ちの時代はすでに終わっているのである。/人間関係でいえば、「関係をつくることに積極的」(「関係積極性」)であることが大切な時代である。(82~83、119ページ)
リザルトパラダイムとプロセスパラダイムの違い
20世紀型のリザルトパラダイムと21世紀型のプロセスパラダイムの違いは、図1の通りである。(43ページ)
132
〇以上が舘岡の言説、その一部である。舘岡は、上下関係のなかでの一方向の支援(「施し」)を「支援」、対等な関係のなかでの双方向の支援を「SHIEN」とする。そして、「SHIEN」は、新しい時代(プロセスパラダイムの時代)における、「新しい働きかたを実現する行動原理」(15ページ)となる、という。
〇舘岡にあっては、「SHIEN学」でいう「SHIEN」とは、「自分よりも他人を大事にしたり、助けたりする考え方(=利他性)を軸に、行動を起こすこと全般」(18ページ)を指す。「SHIEN学の本質」「SHIENの神髄」は、「してもらう/してあげる能力」であり、お互いの力を引き出し合うことである。そこで重要になるのが、自分と相手を「つなぐ」こと、「関係性を高め合う」ことであり、舘岡はそれを「重なりをつくる」という。
(4) 森岡正博編著『「ささえあい」の人間学』
〇本書は、生命倫理や法哲学、仏教哲学などを研究する5人の共同研究のプロセスを纏めたものである。読み応えのある包括的で深淵(しんえん)なテーマ設定がなされているとともに、一般にありがちな共同研究の成果報告でないところがユニークで興味深い。本書の「ささえあいの人間学」とは、人と人が互いに「ささえあって」生きるという形の社会原理を探究し、人々にささえられながら生まれ死んでいく人間の「いのち」のあり方について議論する枠組み(学問)である。ここでは、本書に収録されている土屋貴志(つちや・たかし。現在は大阪市立大学)の論稿「『ささえる』とはどういうことか」等における言説について紹介する。
「ささえ」と「ささえあい」
人間同士の「ささえ」は、すべて「ささえあい」にほかならないのではないか。というのは、人間は必ず何らかの「他者」を必要とする存在であり、その意味で、完全に自分の力で自立しているわけではないからである。現実の「ささえ」の場面においては、一方向的な「ささえ」(「ささえる」側は自立しており「ささえられる」側は依存するだけであるような状況)が成立しているわけではなく、必ず両方向的な「ささえあい」(双方が「ささえ」「ささえられ」合っているような状況)になっているのである。/人間は何らかの他者を「ささえる」ことによってよろこびを得る存在であり、他者が何も返すことができなくてもその他者によって「ささえられている」ことになるのである。(105ページ)
「ささえる」と「ともにいる」
「ささえる」ことは、「相手にかかわっていこうとする」ことである。/「かかわり」こそ「ささえ」の基盤であり、かかわりのないところには相手もなく、したが
133
って相手への働きかけもあり得ないからである。その意味で、かかわりを保っていこうとする姿勢こそ何にもまして必要なものであり、なくてはならないものである。/しかも、時間を惜しまず、傍に共にいるということ、この「ともにいる」ということこそ、かかわりの本質を表すことである。/「ともにいる」ということ、かかわっていく姿勢によって「ともにいる」ということを示すことが、「ささえる」ということの最も基本的な事項になるのである。(57~58、60~61ページ)
「かかわり」と「受容」
相手にかかわっていくとは、相手を受け容れていくことである。相手を受け容れる余裕がなければ、かかわっていくことはできない。もしその余裕がないまま無理にかかわろうとするなら、必ずひとりよがりに終わることになる。相手を受け容れるということは、結局のところ、相手に対していろいろな気持ちを抱く自分自身を受け容れることに他ならない。その意味で、いつでも、どんな相手にも、求めに応じてかかわってゆけるようにするには、つねに自分自身をみつめて、あらゆる自分を受け容れる用意が必要である。相手を受け容れる余裕は、実は自分自身を受け容れる余裕から生まれるからである。(59~60ページ)
「ささえ」と「共感」
「ささえ」の根底にあるべき考え方は、「共感」が達成されるように努めるべきである、ということである。/「ささえ」の場面では、「共感」が必然的な前提になっている。/「共感」とは、相手の私的な世界を、あたかも自分自身のものであるかのように感じとり、しかもこの「あたかも‥‥‥のように」という性格を失わないことである。いいかえれば、①相手の体験を、その本人が感じているままに感じ取ること、②相手の体験はあくまでその人自身の体験であり、私自身の体験とは別であるとわきまえていること、この二つの条件を同時に満たすことである。/ただし、「共感」だけで相手を「ささえた」ことにはならない。「こころのささえ」の場面を離れて、相手が具体的な介助や援助や治療を要求している場合には、「共感」の達成だけでは「ささえあい」の達成は不十分なものとなる。(281、290~291、296、299ページ)
〇土屋にあっては、「ささえる」ということについての原則的な考え方のひとつは、「どんな事実であれ、その人に関する事実は第一義的にその人本人のことであって、他の人のことではない」(52ページ)。「事実に直面しそれを受け容れなければならないのはその人自身なのであって、他の人が代わってやることは決してできない」(50~51ページ)ということである。ある事実についての当事者性(「自分のこと」である度合い)について言えば、本人が最も「当事者」であり、身近な人ほど「当事者性」が高く(つまり、より「自分のこと」であり)、身近でない人
134
ほど低い(逆に言えば、「第三者性」すなわち「ひとごと」である度合いが高い)ということになる。しかし、具体的な「ささえ」の場面では、問題になるのはつねにいま現在目の前にいる相手であり、「当事者性の序列」は問題にならない(51~53ページ)。土屋の基本的な言説として押さえておきたい点である。
〇以上の叙述を踏まえて、ここではひとまず、「支援」とは、自分・支援者(支援主体)と相手・被支援者(被支援主体)の「要求と必要と合意」「受容と共感とエンパワメント」に基づいて、「相互支援と相互作用」「相乗作用と相乗効果」「自己実現と相互実現」を図る活動(行動様式)でありプロセスである、と理解しておくことにする。その際、支援者や被支援者は、個人だけでなく、集団や組織、コミュニティ、社会などを含む。「支援主体」や「被支援主体」の意味するところである。
〇ところで、筆者はこれまで、「まちづくりと市民福祉教育」について論考する際に、「共働」(coaction)の概念を重視してきた。また、その構成要素として、①多様な個人や集団・組織・コミュニティ・社会、②目標や価値観の共有化と統合化、③新しい場(ステージ、プラットホーム)の創設、④その場への主体的・自律的な参加(参集、参与、参画)、⑤多面的な相互作用による相互補完や相乗効果、⑥社会的統合や融合の達成、などを考えてきた。
〇図2は、「支援」に留意しながら、多様な主体による「対抗」から「共働」への過程を、ひとつのモデルとして図示したものである。例えば、「対抗」段階では、内部(当事者間)における上下関係や外部(第三者)との対等(並立)な関係における競争、管理、支配を意味している。「連携」段階では、役割と責任の相互確認や協力の相互促進に向けた行動を起こす。「協働」段階では、目標の明確化を図り、舘岡がいう「重なりのなかったところに重なりをつくる」即ち「関係づくり」(パートナーシップづくり)を進め、協同することを意味する。そして、新しく設けられた「場」における相互補完やそれによる相乗効果によって協働の融合・一体化が図られ、相互支援や相互実現が成立する。それが「共働」の段階である。こうした段階の過程を通して、「創発」(単純な総和以上の成果が生み出されること)や「共創」(イノベーションによって新しい価値を共に創ること)、「共生」(すべての人の人格と個性を尊重し、共に支え合いながら共に生きること)が実現することになる。
〇筆者が本稿で言いたいのは、「相互支援」と「相互実現」、そのための「共働」が「地域共生社会」の神髄である、ということである。
135
付記
上野谷加代子(同志社大学)は、人が共に支え合って生きていくためには「助け上手と助けられ上手」になることが大切である、と説く(『たすけられ上手 たすけ上手に生きる』全国コミュニティライフサポートセンター、2015年8月)。森岡正博(早稲田大学)は、人間は他からささえられてはじめて生活でき、自己決定できる存在であり、「他からささえられ、他をささえてゆく」ことこそが「人間」の本質である、と言う(森岡正博「序 方法としての『ささえあい』」森岡正博編著『「ささえあい」の人間学』20ページ)。
136
22/愛郷心と愛国心
―将基面貴巳を読む―
最近、戦争が始まる “臭い” がする / あんた、戦争を知ってるか / 気をつけなよ / もうこりごりだからな。
〇筆者が、「愛国」や「愛国心」についていま改めて考えなければならないと思ったきっかけは、要介護高齢者(女性)の、痛みに耐えるようなこの“うめき声”である。そして、彼女はいつも、自分が生まれ育った「里」のことを心配している。
〇筆者の手もとに、将基面貴巳(しょうぎめん・たかし、ニュージーランド・オタゴ大学教授、政治思想史専攻)の処女作である『反「暴君」の思想史』(平凡社、2002年3月。以下[1])と、新刊本である『日本国民のための愛国の教科書』(百万年書房、2019年8月。以下[2])と『愛国の構造』(岩波書店、2019年7月。以下[3])の3冊がある。
〇[1]は、「現代日本は『暴政』への道を歩んでいるのではないか。そんな想念がこのごろしきりに脳裏をよぎる」(10ページ)という書き出しで始まる。「このごろ」とは、バブル崩壊(1991年3月~1993年10月)後10年余が経過し、小泉純一郎内閣(2001年4月~2006年9月)によって「規制緩和」や「構造改革」という名の新自由主義的政策が推進された時代であろう。
〇[1]は、「危機的様相を日ごとに深める祖国(日本)を念頭におきつつ、政治をいかに監視すべきか。不正な権力にはどのように抵抗すべきか」(232ページ)について真正面からとり上げたものである。そこにおいて、将基面は、「共通善」思想に立脚する「国民社会」の建設の必要性を説く。「共通善」(common good)とは、「社会や国家など政治共同体全体にとっての善のことを指し、ある特定の個人や集団にとっての善とは明確に区別されるものである」(10ページ)。その「共通善」の実現に国民は、直接的な責任を持たない。「それは権力担当者が引き受けるべき責務である」(35ページ)。「暴政」とは、「ある一部の権力者や権力がひいきにする特定の集団が利益を享受することを目的とする政治のことである」(10ページ)。
〇将基面はいう。「共通善思想が浸透した社会では、国民一人ひとりが、国民全体の理想と利益に対して責任を負っていることを自覚し、そうした共通の理想と利益を一人ひとりがおのおのの立場から不断に探求する。また、権力が不正を働いていることを知るならば、これを公の場ではっきりと批判し、たとえ一人であっても不正権力に立ち向かう個人がいれば、その人を『社会』」(特に社会の木鐸〈ぼくたく。指導者〉たるジャーナリズム)が援護する。権力に擦(す)り寄り、既得権益にしがみ付いてはなれようとしない者や、反社会的なビジネスを行う者や組織を公
137
の場で批判し、たとえそうした行為が自らの目的にかない、自分の利益になるとしても、自らは手を出さないよう、自身をコントロールする」(232~233ページ)。このような倫理的感覚・態度をもつ人々が、日本という国家権力に対峙する存在としての「国民社会」を探求し創出することが、現代日本に求められる。将基面の主張のひとつである。
〇国家権力は、被治者を統制・強制する。「いざとなれば、自国民に対してさえ銃口を向け、私有財産を没収し、個人のあらゆる権利と自由を侵害しうる存在である」(39ページ)。国民はこのことを十分に認識し、国民社会の理想像の創出を権力担当者に一切任せてはならない。国民は、一人ひとりが「共通善」を不断に追求し、政治に対する関心を強め、権力を厳重に監視する。そして、正当性や妥当性を欠く場合には、権力に抵抗の意思を明示しなければならない。それは、「国民各自が自分の良心の問題として、悩み、決断すべき問題」(39ページ)であり、国民の倫理的義務である、と将基面はいう。
〇こうした将基面の言説は、「反時代的」(234ページ)なものであり、その底流に流れるのは以下に述べる「共和主義的パトリオティズム」の思想である。
〇[2]は、「日本人なら日本を愛するのは当然であり、自然である」という単純な社会通念に対して歴史的・哲学的に批判する、中学生でも理解できる平易な「教科書」である。内容的には、通俗的な「愛国心」や「愛国心教育」に関する言説への「解毒剤」(将基面)としての効能が期待される。別言すれば、日本の長所ばかりを見て欠点を見ようとしない「日本バカ」(65ページ)にならないための、日本の若者へのエールである。なお、[2]は[3]の「副産物」(将基面)でもある。
〇[2]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。
批判的愛国者のすすめ
日本語の「愛国」「愛国心」は、英語で言うとパトリオティズム(patriotism)である。ナショナリズム(nationalism)も日本語では「愛国」と訳される。(33ページ)
現代の日本では、「愛国」「愛国心」=ナショナリズムという理解が一般的である。日本語の「愛国」は、「ナショナリズム的パトリオティズム」の意味で理解されている。しかし、ヨーロッパで「愛国」という場合、「共和主義的パトリオティズム」を指す。この考え方が世界的・歴史的には本来のものである。(44、51ページ)
ナショナリズムとは、自らのネイション(nation.国民、民族)の独自性にこだわり、それに忠実であることを求める思想である。(42ページ)
共和主義とは、市民の自治を通じて、市民にとっての共通善(特に自由や平等、そしてそうした価値の実現を保証する政治制度)を守ることを重視する思想である。(35ページ)
「ナショナリズム的パトリオティズム」は、自国を盲目的に溺愛し、自国の失敗や過ちの経験から学ぶことなく、ひたすら自国の歴史や文化を誇りに思う自画自賛
138
(自国礼賛)である。(116、117ページ)
政治的・経済的に権力を持つ人たちは、批判の対象とならざるを得ない。なぜなら、権力を持たない人々にはできないことをその政治的・経済的権限で可能にできる人々は、大きな責任を背負っているからである。(120ページ)
本来の「愛国」「愛国心」とは、常に政治権力に対して批判的なまなざしを注ぎ、市民の自由や平等を守る「共和主義的パトリオティズム」である。権力に対して批判的な態度をとることが愛国的(patriotic)なのである。(123ページ)
「報道の中立性」という犯罪
報道機関の重要な役目は、強制力や影響力を持っている人たちを監視することである。
ところが、昨今ではマスメディアが「報道の中立性」という名目で権力批判をしないことが当たり前になっている。これほど甚(はなは)だしい勘違いはない。勘違いどころかほとんど犯罪的な過ちである。
報道機関は、権力を持たない人々を代弁するためにあるのである。事実を客観的に報道するだけではなく、権力を持つ人々の仕事内容を、権力を持たない人々の立場から批判するためにあるのである。それをして初めて、報道機関は仕事を立派に成し遂げたということができるのである。(121~122ページ)
〇「現代世界で静かに進行する変化の一つは、『愛国』が政治を語る言葉として復活していることである」([3]2ページ)。「愛国という問題が今日ますます徹底的な思考を要する課題として急浮上している」([3]322ページ)。そういうなかで、[3]は、欧米と日本の多様な現代パトリオティズム論を歴史的観点から批判的に検討し、その固有の性格をあぶり出し、その問題性の一端を明らかにする。約言すれば、愛国=パトリオティズムについての歴史的・哲学的な構造の解明が[3]の目的である(12ページ)。
〇[3]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
「愛のまなざし」と愛国
愛国的であることを「祖国への愛」と読み換えるならば、その「愛」は盲目なものであってはならず「愛のまなざし」という観点が重要である。自国に「愛のまなざし」を注ぐということは、「私の国」に対してあらゆる規範的な判断を停止することではない。誇るべ長所だけでなく、恥ずべき欠点も含めて正確に「私の国」を理解することが、「愛のまなざし」に含まれる。一方で、愛する自国に長所を見出すことを喜ぶが、他方で、様々な過失や過誤を見出して、そのことに悩み苦しみ、欠点を改めようと努力するのである。このような「愛のまなざし」に基礎づけられた
139
愛国的態度であってはじめて、それは道徳的義務ではないにせよ、望ましいものでありうると結論づけられるであろう。(222ページ)
「愛のまなざし」(loving attention,loving gaze)において重要なのは、愛の対象を可能な限り明瞭に理解しようとする点である。「愛のまなざし」の下にある対象は、「あばたもえくぼ」ではなく、「あばた」は「あばた」として認識される。「愛のまなざし」は、まなざしの対象に、良いところを見ようと心がけつつも、長所も短所も同様に、正確に理解する。すなわち、そのまなざしが「愛」に発するために、対象に好意的に接するが、しかし、その対象を正確に理解するという意味で、対象を分析し評価することも怠らないのである。共和主義的パトリオティズムを胸に抱く市民は、祖国に対してこのような「愛のまなざし」を持っている。祖国への愛は盲目ではなく、むしろ「祖国を鋭く見つめることを要求する」のである。(170ページ)
愛国と排除の論理
愛国的であるということは、無条件に道徳的正当性を主張できるものではない。にもかかわらず、愛国的であることが国民としての当然の義務であるかのような主張を巷間(こうかん。世間)で目にすることも少なくない。愛国的であることが義務であるとする認識が広く共有されるならば、それはどのような帰結をもたらすのか。(222~223ページ)
自国のアイデンティティに基礎づけられた愛国は、極端な場合、排外的で外国人を忌み嫌ったり見下(みくだ)したりする態度に結びつきやすい。他方、自国民であっても、愛国的ではないと判定される人々は、愛国者たちによって公的な避難や攻撃にさらされることが少なくない。
愛国が熱狂化すればするほど、文化や人種、宗教的背景を共有する同一国民の間においてさえ、思想信条を異にする一部の人々を「非国民」「売国奴」であると排撃する傾向が増大することは広く認識されている。(226ページ)
国家の聖性と愛国
国家は、正統な義務を独占する「聖なる」存在である(国家は国民に様々なサービスを提供する組織、神社のように国民にとってありがたい・尊いもの、正当な暴力を独占・行使する存在である)。愛国的であることを義務として承認することは、国家という「聖なる」存在の忠実な信徒であることを意味する。
国家の聖性への信仰は、当然、国家を尊崇(そんすう)することを必要とし、国家のための犠牲を要求する。国家のために死ぬことを拒否するのは、国家の聖性を認める限り、極めて難しい。(282ページ)
現代という歴史的地点において愛国的であるということが道徳的義務であると主張しうるとすれば、それは国家の聖性を認める限りにおいてにすぎない。「国家の聖
性を認める限りにおいて」という限定条件は極めて重要である。(283ページ)
140
現代において当然視されているが必ずしも自覚されていない国家信仰を掘り崩(くず)すには、政府(さらには国家)を批判する市民たちが、非国民や国賊などと罵(ののし)られても動じないことが必要である。現代日本の文脈では、「反日」などと非難罵倒(ひなんばとう)されても、これに対して、自分たちこそが愛国的なのだと応答すべきではない。なぜなら、そうした自己弁護は、すなわち「お前は反日だ」という非難を支える国家への崇拝感情を裏書きする(実証する)ことになるからである。(283~284ページ)
〇筆者の手もとには[1][2][3]のほかに、姜尚中(カン・サンジユン、東京大学名誉教授、政治学・政治思想史専攻)の『愛国の作法』(朝日新聞社、2006年10月。以下[4])や佐伯啓思(さえき・けいし、京都大学名誉教授、現代社会論・社会思想史専攻)の『日本の愛国心―序説的考察』(NTT出版、2008年3月。以下[5])がある。姜にあっては、愛国とは、自然な感情の発露としての妄信などではなく、「理にかなった信念」「自分自身の思考や感情の経験に基づいた確信」(54ページ)による行為である。愛郷は、自分が生まれ育った故郷への愛、情緒や感情によるものである。佐伯にあっては、「戦後日本の愛国心をめぐる感情は、(「あの戦争」によって)ある『負い目』を背負い、その『負い目』をめぐって展開している」(中公文庫版、2015年6月。255ページ)。そういった認識に立って「日本的精神の行方」を探求するなかで、「もうひとつの愛国心」(388ページ)を描き出そうとする。
〇将基面は、[4][5]について、「平成時代を代表する日本の愛国心論」である。しかし、いずれも「基本的には啓蒙書」であり、「愛国=パタリオティズムの包括的・体系的議論を必ずしも指向するものではない」([3]9ページ)と評している。
〇ここでは、[4][5]で言及している「愛郷と愛国」「愛国心と愛郷心」について、その一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。
姜尚中―「愛郷と愛国」、その微妙な共棲関係
「愛郷」と「愛国」の関係は、「微妙な共棲(きょうせい)関係」にある。
つまり、一方では、「愛郷」は、ナショナリズムという特定の歴史的段階において形成された一定の教義によって利用され、時として排斥される関係にある。
例えば、上からの「郷土教育」が説かれるのは、画一的な「愛国心」などを強制する場合に、空洞化した実感的な部分を補完する必要があるためである。『美しい国へ』の著者(安倍晋三)が「国を自然に愛する気持ちをもつ」ために、「郷土愛をはぐくむことが必要だ」と述べているのは、そうした「郷土教育」の効用を意識しているからであろう。つまり、「愛郷」は「愛国」に「自然な」感情の装いをほどこす補完的な役割を果たしていることになるのである。(154~155ページ)
141
佐伯啓思―愛郷心は愛国心の換喩的表現
「愛郷心」とは「愛国心」のいわば換喩(かんゆ。比喩)的表現にすぎない。「郷」は「国」の象徴的な代理になっており、換喩的に「国」を表現している。この二つの概念を変換すれば「パトリオティズム」が二重性を帯びていることは別に不思議ではなかろう。「愛郷心」は結構だが「愛国心」は危険だ、という議論は説得力がない。
そして、「愛郷心」と「愛国心」が重なり合うという意味での「パトリオティズム」にある種の強い情緒が伴うのは、「郷」にせよ「国」にせよ、その何か大事なものが失われつつあるからではなかろうか。そこにはあの種の喪失感が付着するのではないだろうか。繰り返すが、ある国の歴史的な伝統や文化や風土がそのままそこにあり、それらに自明のものとして囲まれているとき、人は、わざわざ「愛郷心」や「愛国心」を感じる必要もないであろう。ほとんど無自覚にそれらに囲まれて生活しているだけである。それらが失われつつあるという喪失感に囚(とら)われたとき、もしくは、たとえば外地にあってそこにどうしようもない距離感をもったときにこそ、「愛郷心」や「愛国心」を感じるというべきなのであろう。(132~133ページ)
近代社会は、人々の流動性を高め、急激に都市化を行い、なつかしい風景を破壊していった。このことが近代の人々にパトリオティズムを抱(いだ)かせるのである。(133ページ)
〇もう2冊ある。市川昭午(いちかわ・しょうご、国立大学財務・経営センター名誉教授、教育行政学専攻)の『愛国心―国家・国民・教育をめぐって―』(学術出版会、2011年9月。以下[6])と鈴木邦男(すずき・くにお、政治活動家、50年以上も愛国運動をリードしてきた人物)の『〈愛国心〉に気をつけろ!』(岩波書店、2016年6月、以下[7])である。将基面は、[6]について、「戦後の愛国心論では『忠誠問題が無視されてきた』と指摘し、そこに戦後日本における愛国心論の一つの特徴を見ている」([3]121ページ)。[7]については、「72ページの小冊子(岩波ブックレット)ながら、充実した作品である。愛国心の旗印のもと現代日本で広がりつつある排外主義を的確に批判している」([2]193ページ)と評している。それぞれの一節を紹介しておくことにする。
愛国は究極的には殉国を求める
愛国心や愛国心教育の問題が敬遠されたり嫌われたりするのは、それが究極において国家に対する忠誠の問題となるからであろう。
国民国家は国民を保護し、その権利を保障する代わりに、国民に法律を守らせ、国民の自由を制約する。国家が国民の安全と国の独立を守るための共同防衛装置である以上、国民の側も国を大切に思うだけでは足りず、国防の義務に従うことが要求される。それは一旦緩急(かんきゅう。危急)ある場合には愛国だけでは不十分であり、究極的には殉国(じゅんこく。国のために命をなげだすこと)が求められる
142
ということである。([6]87ページ)
〈愛国心〉を汚れた義務にしてはならない
「同じ日本人なんだから」「日本を愛する愛国心をもっているのだから」という視野の狭い仲間意識のもと、排他的な傾向が強まっている。政権を批判したり、日本の問題点などを指摘したりすると「反日!」とののしられる。「他国に学んで、日本のここを良くしよう」などと言っても、「お前は外国の肩をもつのか」と怒鳴られる。その結果、「日本はすばらしい」「日本人は最高」といった自画自賛の言葉が氾濫し、そしてその足下で排外主義が跋扈(ばっこ。強くわがままに振る舞うこと)しているのが現状ではないのか。([7]52ページ)
最近、“里” の夢をよく見る / 人っ子一人いない / おかしな空模様だ / なぜか、いつもそこで夢は終わる。
付記
本稿でとり上げた本の一覧である。
(1)将基面貴巳『反「暴君」の思想史』(平凡社新書)平凡社、2002年3月
(2)将基面貴巳『日本国民のための愛国の教科書』百万年書房、2019年8月
(3)将基面貴巳『愛国の構造』岩波書店、2019年7月
(4)姜尚中『愛国の作法』(朝日新書)朝日新聞社、2006年10月
(5)佐伯啓思『日本の愛国心―序説的考察』(中公文庫)中央公論新社、2015年6月
(6)市川昭午『愛国心―国家・国民・教育をめぐって―』学術出版会、2011年9月
(7)鈴木邦男『〈愛国心〉に気をつけろ!』(岩波ブックレット)岩波書店、2016年6月
143
23/まちづくりの思想としての地域主義
―玉野井芳郎著『地域主義の思想』を読む―
地域というのは、人が生き、働き、思考する場であり、従って拡大し、重層する性質をもっている。地域主義というのは、その場から、その存続の可能性を信じながら、関連する全体を見通すことである。(古島敏雄。下記[4]カバー・前そで)
私たちが価値の基準を常に大都会や中央や外国において、私たち自身の生活や地域環境を軽視しつづけたこと、そのことを厳しく問い直すことがなければ、地域主義は育たないだろう。(河野健二。下記[4]カバー・後ろそで)
〇本稿は、玉野井芳郎(たまのい・よしろう、1918年~1985年)の「地域主義」論の抜き書きである。そのひとつのねらいは、それによって「まちづくりの思想としての地域主義」についての理解や思考が促され、真に豊かな地域社会を再生・創造する視点・視座や方向性、そのための枠組みなどを見出すことができれば、というところにある。
〇筆者の手もとにある玉野井の本は、(1)『地域分権の思想』(東洋経済新報社、1977年4月。以下[1])と(2)『エコノミーとエコロジー』(みすず書房、1978年3月。以下[2])、(3)『地域主義の思想』(農山漁村文化協会、1979年12月。以下[3])、それに清成忠男・中村尚司との共編著(4)『地域主義―新しい思潮への理論と実践の試み―』(学陽書房、1978年3月。以下[4])、この4冊である。
〇周知の通り、玉野井は、経済学者であり、思想家、社会運動家であった。なによりも1970年代における「地域主義」「地域主義経済学」の提唱者・主唱者として著名である。1970年代は、高度経済成長(1955年~1973年)のひずみが露呈し、公害の続発や過疎・過密現象の激化をはじめ、自然環境の破壊や生活環境の悪化、住民の地域帰属意識の希薄化や連帯感の喪失などが進んだ時代であった。そんななかで地方分権や市民自治を重視する「地方の時代」や、自然・生態系や環境の保護を説くエコロジー思想などに基づく「住民運動」が注目された。
〇玉野井はいう。「現存の社会・経済システムに自然・生態系を導入することは、社会システムに〝地域主義〟(regionalism)を導入することにひとしいのである」([2]60ページ)。「60年代から70年代にかけて全国各地でまき起った激しい住民運動がなかったなら、地域主義の思想がこれほど広汎な社会的支持を得ることはなかったであろう」([3]18ページ)。「地域主義とは、<非政治的な市民文化の勃興>をこそ目指すべきものであって、そこには、市場経済的『市民社会』を突きぬけた地平(社会)に登場するであろう新たな『市民』(ビュルガー Bürger:ドイツ語)の再生が期待されている」([1]ⅲページ)。すなわち、玉野井の「地域主
144
義」の背景には「エコロジー」や「住民運動」があり、新たな市民を再生する「社会変革」の方向が打ち出されていた。そして、玉野井の「地域主義の思想」は、「下から」の「内発的地域主義」によって、実践的に「地域共同体の構築」をめざしたのである。その理念的方向については、「地域的個性を背景としながら、独自の経済・伝統・文化の多様性を生かした地域分権的自治の自主的自発的確立」と要約される(杉野圀明「『地域主義』に対する批判(上)」『立命館経済学』第28巻第2号、立命館大学経済学会、1979年6月、22(190)ページ)。
〇本稿では、[3]を中心に、玉野井の「地域主義の思想」について個人的に留意したい議論や論点の一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
「地方分権」は「地域分権」、「地方の時代」は「諸地域の時代」を意味する
「中央」そのものが地方分権、いや正しくは地域分権の確立を中央集権的に達成するというのは、もともと論理的矛盾ではないだろうか。すなわち、国が権力とカネをもって地域分権を達成するという道筋には、ほんらい大きい限界が横たわっているものとみなければならない。しかもその道筋には、国からのカネとモノの画一的な大量投入にともなう地域の混乱と荒廃が、いつものことながら待ち受けているはずである。([3]14ページ)
各自治体は、地域住民の総意を体現して、「地方の時代」にふさわしい自主・自立の姿勢を国にたいして表明しなければならないように思われる。最近、「国と地方は上下の関係でなく、対等の立場でそれぞれの機能を生かした協力関係でなければならない」と適切に提言されている。(それは)「地方」といわれるものが、単数の「国」と同一平面上にある単数の「地方」ではなく、「国」とは次元を異にして、歴史と伝統を誇る複数的個性の諸地域――そこには人間の生き生きとした生活感情がある――からなっていることを是認することにほかならない。「地方の時代」とは、正しくは「諸地域の時代」を意味するのである。([3]14~15ページ)
「地域主義」は実践的に地域共同体を構築することをめざす
国が「上から」提唱し組織する「官製地域主義」と区別して、「内発的地域主義」の私なりの定義を掲げておこう。――それは、「地域に生きる生活者たちがその自然・歴史・風土を背景に、その地域社会または地域の共同体にたいして一体感をもち、経済的自立性をふまえて、みずからの政治的・行政的自律性と文化的独自性を追求することをいう。」
この定義をめぐって、まず経済的自立というのは、閉鎖的な経済自給を指しているのではなく、とりわけ土地と水と労働について地域単位での共同性と自立性をなるべく確保し、そのかぎりで市場の制御を企図しようとしている。次に政治と行政については「自律」という表現を用いているように、地域住民の自治が強調されている。最後に、地域に生きる人びとがその地域――自然、風土、歴史をふまえたトータルな人間活動の場――と「一体感」をもつという重要な思想が語られていること
145
に注意してほしい。([3]19ページ)
地域主義はもはや論理的構築というよりも実践的・歴史的構築の対象といってよい。([2]60ページ、[3]181ページ)
「地域主義」は地域生活者による「生活づくり」を最大の課題とする
地域主義のエコロジー基礎は、当然のことながら大気系と水系と土壌生態系より構成される。だからその地域性は、同時に季節性を含むことになる。地域主義における〝地域〟とは、このようなに空間的地域と時間的季節性によって特徴づけられる人間の生活=生産の場所と考えなければならない。([3]10ページ)
「地域主義」はなによりもまず地域共同体の構築をめざすことを提唱する。この提唱にたいして、「地域主義」とはかつての農村共同体の復活をはかる封建的反動だなどと非難するなら、それは見当違いもはなはだしいといわなければならない。こんにち求められている町づくりや村づくりはこれまでのような「ものづくり」ではない。町や村に棲む人びとの「生活づくり」こそが最大の課題なのだ。地域共同体の構築という「地域主義」の課題は、「ものづくり」から「生活づくり」への転換という時代の展望を含意するものであることが知られなければならない。([4]9ページ上・下段)
人間生活の日常性にかかわる諸問題については、その決定の主体は、国や社会のレベルにおける抽象的個人ではなくて、諸地域のレベルに位置する地方自治体であり、正しくはそれを構成する地域住民=地域に生きる生活者でなければならない。([3]22ページ)
「諸地域の時代」とは諸自治体が「憲法」や憲章などを制定する時代のことである
地域に生きる人々の文化・生活権は国レベルの法律ではなくて、地方の各自治体においてこそ確立されるべきものである。地方の時代とは諸地域の時代のことであり、諸地域の時代とは諸自治体がそれぞれの本格的な「憲法」、憲章、または条例を制定する時代のことであるといってよいのではなかろうか。なるほどこれらは、いずれも法律の下位規範であるかもしれない。しかし、何が地域の生活者=住民にとって真に共通の利益となるべきものであるかを自分自身の手で書くということは、法律にまさるとも劣ることのない「よきしきたり」をうちたてることを意味する。これが自治体の自己革新でなくて何であろう。([3]38~39ページ)
「地域主義」がめざす地域共同体は市町村レベルにおける「開かれた共同体」である
私たちの生活の小宇宙は、中央からの権力や金(かね)の支配から独立した、なによりも自立的な共同体でなければならない。これが第一の眼目と思われるが、それにとどまるものではない。第二には、この共同体は外にたいして開かれたものでなければならない。行政単位の面からすると、「わたしのまち」「わたしのむら」を代表する市町村は、都道府県の自治体レベルにたいして、「下から上へ」の情報の
146
流れを根幹とする開かれた行政システムの基礎単位となるべきものであろう。([3]124ページ)
地域主義がめざす地域共同体は開かれた共同体でなければならない。開かれたという意味は、上からの決定をうけいれるというより、下から上への情報の流れをつくりだしてゆく。そればかりか地域と地域との横の流れを広くつくりだしてゆくことをも意味する。([4]9ページ下段)
それは、「中央」を否定して無政府の混乱した体制をつくりだすというのではない。それは「中央」を、個性的諸地域の自立にもとづく地域分権に照応する、あるべき「中央」へと復位させるものといってよい。([3]17ページ)
「内発的地域主義」は「行政への住民参加」ではなく「住民への行政参加」をめざす
地域主義とは、金(かね)や政治権力の優位するMacht(権力:ドイツ語)の世界から、あらためて真のRecht(法と正義:ドイツ語)の世界を復位させてゆく努力を開始しなければならない時代と考えられる。([1]ⅲページ、[3]118~119ページ)
地域主義とは、単なる地方主義の域をこえて、内発的地域主義であるということを確認しなければならない。となると、自治体行政と住民との関係も、まさしく主客を転倒させなければならない。行政への住民参加ではなく、住民への行政参加ということとなり、ここに自立的主体による内発的地域主義の主張があらわれる。([3]119ページ)
〇地方分権改革は、1993年6月に衆参両院で「地方分権の推進に関する決議」がなされたことから始まる(それを起点とする)。1999年7月にはいわゆる「地方分権一括法」(2000年4月施行)が成立し、国と地方の関係が上下・主従の関係から対等・協力の関係に変わり、機関委任事務制度が廃止され、国の関与の新しいルール化が図られた。2021年3月、「第11次地方分権一括法案」が閣議決定されている。
〇「自治基本条例」が全国で最初に施行されたのは、2001年4月、北海道ニセコ町の「ニセコまちづくり基本条例」である。自治基本条例は、他の条例や施策の指針となる、自治体の自治(まちづくり)の方針と基本的なルールを定める条例であり、「自治体の憲法」と言われる。2021年4月現在、全国397自治体(全国1718市町村)で制定されている。
〇玉野井の「地域主義」は、一面では、これらの動きを生み出すものでもあった。しかし、「地域主義」は、1970年代を中心にひとつのブームを巻き起こしたが、その後はいわれるほどの進展はみせなかった。その原因は奈辺にあるのか。その点をめぐって例えば、①自然環境や生態系と人間との関係性(破壊と脅威)や、巨大な独占資本による経済とそれに支配される地域経済(第一次産業や地方小工業など)との関連性(競争と収奪)などについての実証的分析なしに、規範的議論や主張(べき論)がなされている。②市場経済や政治・官僚・産業機構(癒着体制)がもたらす現実の地域社会の構造的矛盾について、科学的分析が不十分なまま、抽象的
147
な議論にとどまっている。③「地方分権」(「地域分権」)という政治や行政に関わる議論でありながら、現実の政治・権力構造や政治・行政過程の分析を欠いている。④地域共同体が消滅しているなかで、また現実の中央集権的な行政システムのなかで、如何にして「地域主義」の実現を図るかという方法論が不明確である。⑤「まちづくり」の方向と展望は、その地域に自分を同一化する「定住市民」を必要とするが、その能動性や主体性を如何に育成・形成するかという論理が欠落している、などと評されることによるのであろう。これらを総じて別言すれば、地域・住民が地域の実態を踏まえて主体的・自律的に統治権を行使する(国の地方への関与を縮小するという「地方分権」と対峙する)「地域主権」(regional sovereignty)の「社会変革」の課題や方法、展望が見いだせない、ということであろう。
〇玉野井の「地域主義」に共感するところは多い。「地域主義」は、公害反対運動や生活環境を守る住民運動、それに「まちづくり」の実践・研究などに大きな示唆を与えた。しかし、それが規範的であるがゆえに、理論構築については厳しい評価を受けた(受けている)ことも確かである。(筆者による)以上の諸点はその一部であり、相互に関連し重なり合っているが、「まちづくりと市民福祉教育」に関する課題に通底するものでもある。そしてそれは、新たな「社会像」としての「コミュニズム」(共同体主義)や「地域主権社会(国家)」とそのための「市民」の育成・確保のあり方を問うことになる。あえて付記しておきたい。
148
24/「地域学」と「地域協働教育」
―山下祐介著『地域学入門』を基に―
〇筆者の手もとに、山下祐介(やました・ゆうすけ、社会学専攻)の『地域学入門』(ちくま新書、2021年9月。以下[1])と『地域学をはじめよう』(岩波ジュニア新書、2020年12月。以下[2])という本がある。山下というと、『限界集落の真実―過疎の村は消えるか?』 (ちくま新書、2012年1月)や『地方消滅の罠―「増田レポート」と人口減少社会の正体』(ちくま新書、2014年12月)を思い出す。
〇人口の高齢化によって「限界集落」はいずれ消滅する(注①)、とその危機が声高に叫ばれるようになったのは2007年頃からである。そして、2014年5月、民間の政策提言組織である日本創成会議・人口減少問題検討分科会(座長・増田寛也)が、減少する若年女性人口の予測から、「2040年までに全国約1800の自治体のうち、そのほぼ半数の896の自治体が消滅する可能性がある」と発表した。いわゆる「増田レポート」である。とりわけ「消滅可能性都市」という言葉は衝撃的であり、大きな波紋を呼んだ。「消滅する」と名指しされた市町村やそこで暮らす人々の不安や恐怖、そして怒りは相当なものであった。
〇そうしたなかで山下は、「高齢化によって消滅した集落」はなく、「限界集落」問題はいわば「つくられた」ものである。増田レポートが説く「極点社会」(大都市圏に人々が凝集し、高密度のなかで生活している社会)におけるひとつの道筋である「選択と集中」は、国家の繁栄のために地方(地域)や農家の切り捨てに帰結する。地方消滅の“警鐘”にこそ地方消滅の“罠”がある、としてそのレポートの「うそ」を暴いた。以後、山下は、生身の人間の暮らしや個々の地域の歴史や現在の実像を明らかにし、そこからの学びの作業を通して「(山下)地域学」を描いてきた。[1] はその集大成である。
〇山下にあっては、地域は人間の生存の基盤であり、「足もとの地域を知ることが、自分を知ることにつながる」。自分の足下にある地域について学ぶこと、それが「地域学」である([1]11ページ)。そこで山下は、地域の実像を、「生命」「社会」「歴史と文化」の3つの切り口(側面)から捉える。「生命」では、環境社会学の視点(視座)から、地域を、一定の環境のなかで育まれる生命の営み(生態)として切り出す。「社会」では、農村社会学や都市社会学、家族社会学の視点から、地域を、そこで展開される人々の集団の営みとして描き出す。「歴史と文化」では、歴史社会学や文化社会学などの視点から、地域を、連綿と続く歴史と文化の蓄積の営みのなかに見出す([1]11ページ)。
〇そして、日本社会はいま、人々の暮らしや地域が「近代化」(「西欧化」)や「グローバル化」によって大きく変容し、「地域の殻が内側からも、外側からも、崩壊する間際にある」([1]300ページ)。そうした「地域を見直し、新たな国家とのハイブリッドとして再生させる」ための「認識運動」([1]301ページ)として山下
149
は、「地域学」を構想する。それは、「地域の殻が破られはじめている」流れに抗(あらが)い、新しい未来を拓(ひら)く「抵抗としての地域学」([1]302ページ)であり、「生きる場の哲学」([1]308ページ)そのものである。
〇[2]は、「中高生、大学初級者向けのもので、『地域学入門』のさらなる導入編」([1]22ページ)である。そこでは、「どの地域にも固有の歴史や文化があり、人々の営みがある。それらを知っていくことで、地域の豊かさ、そして自分や自分が生きる社会、そして未来が見えてくる」(カバー紹介文)として、地域学の魅力を伝える。
〇「地域学」の類似用語に「地元学」がある。地元学を提唱する2人の言説を紹介しておきたい。まずは地元学を代表するひとりである結城登美雄(ゆうき・とみお、民俗研究家)のそれである。結城は、「いたずらに格差を嘆き、都市にくらべて『ないものねだり』の愚痴をこぼすより、この土地を楽しく生きるための『あるもの探し』。それを私はひそかに『地元学』と呼んでいる。(中略)『地元学』は都市やグローバリズムへの否定の学ではない。自然とともに生きるローカルな暮らしの肯定の学でありたい」(結城登美雄『地元学からの出発―この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける』農山漁村文化協会、2009年11月、2ページ)と説く。結城にあっては、地元学は、「理念や抽象の学ではない。地元の暮らしに寄り添う具体の学」(14ページ)であり、その土地の人びとの声に耳を傾け、そこを生きる人びとの暮らし方や地域のありようを学ぶものである。「美しい村などはじめからあったわけではない。美しく生きようとする村人がいて、村は美しくなるのである」(柳田邦国男)。(下記[3]28ページ)
〇また、地元学のもうひとりの第一人者である吉本哲郎(よしもと・てつろう、地元学ネットワーク主宰)は、「地域のもつ人と自然の力、文化や産業の力に気づき、(それを)引き出していく手法が地域学である」(カバー紹介文)。「自分たちであるもの(モノ、コト、ヒト)を調べ、考え、あるものを新しく組み合わせる力を身につけて(人、地域の自然、経済の3つの)元気をつくることが地元学の目的である」(17、22、38ページ)という。吉本にあっては、暮らしを「つくることを楽しむ」ことが大事であり(32ページ)、地域やまちの衰退は「つくる力」の衰退に起因するものである。その「つくる力」の衰退は、「考える力」の衰退であり、「調べる力」の衰退である(22、23ページ)。
〇ここで、[1] から、山下の「地域学」に関する論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
「地域」は、固定化された空間ではなく、「私」の立場やものの見方・考え方によって認識される
「地域」はそもそも、誰かが世界の一部を切り取ることによって浮かび上がってくるものである。/何かを切り取らないと地域は出てこない(地域は境界性をもつ)。そして、その「切り取り方」にも色んなやり方があって、それは文脈にもよ
150
れば、時代によっても違う(地域は文化性・歴史性をもつ)。/そもそも世界のすべてはつながっている。どこかで切れ切れになっていて、「地域」がきれいに分かれているなどということはない。すべてはつながっているのだが、そのつながっているもののなかから、何らかの固まりを切り出してきたときに「地域」は立ち現れる。しかもそれが、全体の一部でありながら決して断片ではなく、それのみでなお一つの全体でありうるもの、それが地域である(地域は統一性・総合性をもつ)。(13ページ)/「地域」は、互いにつながりあっている世界の中から、何らかの固まりを見つけ、切り出してくる者がいるから「地域」になるのである。地域はだから、その「切り出してくる者」の立場やものの見方によって変わる。その者の見方がしっかりしていれば地域はしっかり示される。逆にその者の見方がぼんやりとしていれば、地域はぼんやりとしか見えないことになる。(13~14ページ)
「地域」という存在を欠き、国家と個人しかない認識は、危うい認識であり生き方である
いまや国民の多くは、空間的にも時間的にも、また暮らしにおいても仕事においても地域から切り離されて存立しており、地域を見出すどころか、地域とできるだけ無縁なまま暮らしている。/多くの人にとっては、日常の中に「地域」を認識しづらい状況にあり、宙ぶらりんな社会の中で、個人が国家やグローバル市場にだけ向き合って暮らしているかのような錯覚が、むしろ一般的な認識となってしまった。/実にちっぽけな一人一人の人間が、実に大きな装置の中で生きるようになっている。暮らしを成り立たせている環境が、広く際限のないものになっている。/こうした装置(や環境)を実際に保持し、また動かしているのは地域である。それは具体的には地方自治体であり、様々な事業体の集積であり、地域社会(村や町内社会)の形をとる。国はただ、これらが作動する条件を整えるのにすぎない。(286ページ)/いまを生きる私たちは、こうした地域のありようを想像力を働かせて再認識せれば、いったい自分がどんな基盤の上にいるのか、まったく気付かないような環境の中に暮らしている。それどころか、一部の人々の視野にはすでに地域は存在せず、国家と個人しかない認識さえ確立されているようだ。だがそれは、すべてを国家に委ね、依存するしかないという危うい認識である。自分がどのように生きているのかもわからぬままただ生きているとすれば、これほど危うい生き方はない。私たちは地域を知るきっかけを取り戻さなくてはならない。(286~287ページ)
専制主義国家であり、民主主義国家でない日本社会を変革するのは、「地域主義」(地域ナショナリズム)である
弱者批判や地方切り捨て、国家の高度武装化、トップの専横の容認や全体主義の礼賛といった言説が、政治学者でも政治家でもないふつうの人々の間で展開されている。そこではどうも、この国の挙国一致体制をさらに進めてより完全なものとし、海外との経済競争に打ち勝つべくしっかりとした体制を整えよという主張さえ広が
151
っているようだ。/国家というものは、具体的には下から、国民や地域の現実の力によってはじめて作られていくものである。排除や分裂を伴う(自分の内部にあるものを否定し、その一部を排斥する)国家は危うい。(295ページ)/個人主義の中から立ち現れるナショナリズム(nationalism、国家主義)に対して、むしろ個人主義をさらに強く推し進めることで国家そのものを否定していこうという、コスモポリタニズム(cosmopolitanism、世界市民主義)の立場も表明されている。この超個人主義=脱国家主義的なコスモポリタニズムははたして、ナショナリズムを解消し、国家のない世の中をつくる適切な道筋になるのだろうか。(296ページ)/敵国と自国との差異だけを強調し、個人と国家の関係のみを際立たせる国民国家ナショナリズムの思考法には根本的な欠陥が潜んでいる。他方でそれをコスモポリタニズムによって解消しようとしても、それで問題が解決するものでもない。国家ナショナリズムにも、コスモポリタニズムにも、どちらにも大切なものが欠けている。(297ページ)/それは地域である。危険な一国ナショナリズムに対抗できるのは、コスモポリタニズムではなく、その内部に確立される地域主義―地域ナショナリズム―である。(297~298ページ)
地域の人材を育てること、「地域教育」は学校の持つ大切な役割である
学校はそもそも地域のためのものではなく、国家のために必要な人材をつくる機関として設立された。そしていま国家が必要としているのは、この国が苛烈な国際競争を勝ち抜くのに必要な経済力・生産力を実現する人材である。学校教育は、地域教育などのためではない。この国の国際競争力を、人材育成という場から高めるために、一丸となって敵(海外の企業群)に立ち向かうためである。子供たちには、地域の人間であるよりは国家人として、さらには国際人・コスモポリタン(世界主義者)として育つことが強く求められている。(287~288ページ)/学校は外向きにだけではなく内向きに、すなわち国内の運営バランスを実現するために、子供たちを適切に教育して各所に配置する装置でなければならない。そのためにも、一人一人が自分の人生の調整を自ら適切に実現できるよう、人としての成熟をうながすものであるべきだ。私たちの暮らしはいまも地域と国家の両方でできている。地域の人材を育てることは、学校の持つ大切な役割である。だが、現実には近年、国家だけが尊重され、地域が極度に軽視されてきた。(288ページ)/学校が今後とも地域を継承する人材を育てる場であるのか、それとも地域と子供たちのつながりを断ち、国家や国際社会対応の人材供給の場になるのか、私たちはその分岐点にいる。(249ページ)
〇山下にあっては、「地域学」は抽象的な言語や普遍的な理論を学ぶものではなく、具体的な時空にいる「私」を地域のうちに“生きているもの”として浮かび上がらせ、見定めていく、そんな学びの作業である([1]16ページ)。また、私たちの暮らしや、身近な地域と国家と世界が大きく変容するなかで、その変化に対応するた
152
めの最低限の認識法が「地域学」である([1]309ページ)。その認識の視点や言説のひとつが、上記のメモである。
〇筆者の手もとにもう一冊、柳原邦光(やなぎはら・くにみつ、フランス近代史専攻)ほか編著の『地域学入門―<つながり>をとりもどす』(ミネルヴァ書房、2011年4月。以下[3])という本がある。[3]は、「地域を考える」「地域をとらえる」「地域をとりもどす」という3部構成から成っている。柳原によるとそれは、「地域」をめぐる今日の困難や課題の現状を打開するための「希望の学」として「地域学」を構想するものである。すなわち、「地域学」は、地域課題をたちどころに解決するための処方箋を提示するものではなく、「現代の諸課題の根底にある問題性を探り出し、そこから諸課題をとらえ直して、未来を考えようとする」ものである([3]2ページ)。
〇いずれにしろ、「地域学」は、日本学術会議(地域学研究専門委員会)が2000年6月に報告した「地域学の推進の必要性についての提言」(注②)などにあるように、その研究や実践の必要性は認識されていよう。しかし、その理論化や体系化はまだ緒についたばかりであろうか。筆者としては、とりわけ「実践の学」としての「地域学」に注目したい。それは、「市民福祉教育(学)」と同様に、すでに地域で展開されているさまざまな実践や、そこから生まれる新たな知見に多くを学びたいからである。
〇ところで、「地域学」の必要性は、大学に設置されている学部名からも知ることができる。大学で「地域」を最も早く学部名に取り入れたのは1996年10月に設置された、岐阜大学の「地域科学部」(1997年度開設)である。その後、鳥取大学の「教育地域科学部」(1999年度開設。2004年度「地域学部」に改組)、金沢大学の「人間社会学域・地域創造学類」(2008年度開設)などが設置され、2015年度には高知大学に「地域協働学部」が開設されている。以後、国公立大学や私立大学でいわゆる「地域系学部・学科」の新設が続き、「地域学」が大学教育の場に普及する。
〇高知大学地域協働学部の目的は、「地域力を学生の学びと成長に活かし、学生力を地域の再生と発展に活かす教育研究を推進することで、『地域活性化の中核的拠点』としての役割を果たす」ことにある。そこでは、「地域協働教育」を通じて、地域資源を活かした6次産業化を推進してニュービジネスを創造できる「6次産業化人」や、「産業、行政、生活・文化の各分野における地域協働リーダー」の育成が図られている(高知大学地域協働学部ホームページ)。
〇高知大学地域協働学部では、「地域志向教育」あるいは「地域協働教育」を通して、「地域協働マネジメント力」の育成をめざしている。「地域協働マネジメント力」は3つの能力によって構成される。(1)「地域理解力」、(2)「企画立案力」、(3)「協働実践力」がそれである。(1)「地域理解力」は「地域の産業及び生活・文化に関する専門知識を活用して、多様な地域の特性を理解し、資源を発見できる力」と定義される。その能力を構成するのは、「状況把握力」「共感力」「情報収集・分析力」「関係性理解力」「論理的思考力」である。(2)「企画立案力」は「課題を発
153
見・分析し、解決するための方策を立案し、その成果を客観的に評価する能力」と定義される。その能力を構成するのは、「地域課題探究力」「発想力」「商品開発力」「事業開発力」「事業計画力」「事業評価改善力」である。(3)「協働実践力」は「多様な人や組織を巻き込み、互いの価値観を尊重しながら、参加者や社会にとっての新しい価値を生み出す活動をリードする力」と定義される。その能力を構成するのは、「コミュニケーション力」「行動持続力」「リーダーシップ」「学習プロセス構築力」「ファシリテーション能力」である(注③)。これらの諸能力やその見方・考え方については、「まちづくりと市民福祉教育」に関するそれに通底するものでもあり、参考になろう。留意したい。
〇なお、高知大学地域協働学部がいう「地域志向教育」とは、「地域課題の解決や地域の再生、発展を目的とした教育」(下記注③、25ページ)である。[3]で取り上げられている「地域協働教育」は、「大学が教育面で地域に協力を仰ぐ地域連携教育から地域との関係を一歩進め、大学が地域と協働で学生の教育と学生参加の地域づくり活動を行うもの」。「生活に根ざして学問的知識や方法論を駆使することを会得した地域づくりの人材を大学と地域が一緒に養成していく」教育をいう(藤井正「地域に向き合う大学」[3]292、293ページ)。付記しておく。
注
① 周知の通り、「限界集落」という用語は、高知大学人文学部教授であった大野晃(おおの・あきら、社会学専攻)が1980年代後半から提唱してきた概念である。大野にあっては、「限界集落」は「65歳以上の高齢者が集落人口の半数を超え,冠婚葬祭をはじめ田役,道役などの社会的共同生活の維持が困難な状態に置かれている集落」をいう(大野晃『限界集落と地域再生』静岡新聞社、2008年11月、1ページ)。その点をめぐって山下は、「限界集落」問題はいわば「つくられた問題」としての色彩が強かったとして、次のように述べている。「『限界集落』の語をつくって注意喚起しようとした提唱者の意図に反し、その後の議論は、集落消滅を避けられない既定路線であるかのように取り扱っていった」。「『地方消滅』や『自治体消滅』は起きない」(山下祐介『地方消滅の罠』290~291ページ)。
② 日本学術会議の「提言」では、「地域学は、もっとも広義の『地域にかかわる研究』を指すものである。 現地研究(フィールド科学)に根ざして人文科学・社会科学・自然科学を統合的、俯瞰的に再編成しようとする学問的営為を、地域学と呼ぶ」。また、「提言」では、現地研究に根ざした基礎研究としての「地域学」の展開が必要とされている理由について、次の2点を指摘している。
1)わが国は明治以来、世界諸地域を相手どってそのおのおのを総合的にとらえようとする基礎研究としての地域学構築の地道な努力を十分にしないまま、いわば学
154
理・学説としてのディシプリン(学術専門分野:阪野)だけを欧米から輸入してきた。そのために、わが国の学術専門分野は、とかく欧米の理論を追いかけるものとなってしまった面があることは否定できない。あらためて今日、もっとも基礎的な現地研究に立ち戻り、現地研究に立脚した学問を創り出す努力が必要になってきている。現地研究という「地を這う」ような地道な作業を経ないかぎり、しっかりした骨格をそなえる学問体系の構築は望めない。
2)従来の専門分化したディシプリンにしがみついているだけでは、あるいはまた、そのいくつかを寄せ集めてみる程度では、現在の世界の趨勢を的確に把握することができないばかりか、目前に危機的に発生している問題に対処し、それを解決することがむずかしくなっている。地球環境・生態系の破壊をいかにくい止めるか、世界的規模で公正をいかに実現するか、そして持続可能性・世代継承性に裏付けられた発展の道筋をいかに発見するか、など、人類的課題がつよく自覚されるなかで、水、食料、健康、人口、エネルギー、ライフスタイル、経済システム、価値観、教育、情報秩序、参加とパートナーシップ、民主主義、その他ありとあらゆる問題への取り組みが、何をとってみても、知識の統合を要求するとともに、これを具体的な場所に根ざした地域学として実現することを必須のものとしている。
③ 湊邦夫・玉里恵美子・辻田宏・中澤純治「地域協働教育への学生の意識~地域協働学部第1期生調査の結果から~」『高知大学教育研究論集』第20巻、2016年3月、25~33ページ。本稿では、高知大学地域協働学部第1期生(67名)を対象に、2015年4月に実施した調査の結果を事例として、「地域志向教育」を行う学部を選択した学生の学部教育に対する意識と将来像 について検討している。
補遺
高知大学地域協働学部第1期生調査にみる「地域協働マネジメント力」の(1)「地域理解力」、(2)「企画立案力」、(3)「協働実践力」の各構成能力について理解するために、各調査項目の質問文を紹介しておくことにする。その回答の選択肢は、「あてはまる」「どちらかといえばあてはまる」「どちらかといえばあてはまらない」「あてはまらない」の4つである。
(1)「地域理解力」
「状況把握力」
・身の回りの現状を客観的に理解して説明する方である
「共感力」
・人の話に興味を持ち、積極的に聴こうとする方である
「情報収集・分析力」
155
・起こった出来事や課題について理解するために、必要な情報を集めて整理しようとする方である
「関係性理解力」
・さまざまな出来事のつながりを理解しようとする方である
「論理的思考力」
・問題が起きたときに、すぐに結論を出すよりも、なぜそれが起きたのかを筋道を立てて考える方である
(2)「企画立案力」
「地域課題探究力」
・身近な地域の課題を発見し、その課題に取り組むことができる
「発想力」
・課題に対して取り組むための新しい方法を考えるのが好きである
「商品開発力」
・特産品を使って商品化することに関心がある
「事業開発力」
・自分でアイディアを思いつき、そのアイディアに基づいてイベントや事業を始めることに関心がある
「事業計画力」
・課題を解決するために必要な行動をリストアップして、その順序を決めることに関心がある
「事業評価改善力」
・自分の行動を振り返り、良い点と悪い点を見つけ出して次の行動に生かすことができる
(3)「協働実践力」
「コミュニケーション力」
・人の話を最後まで聞いてから、自分の話を始めることができる
・相手が自分の話を理解できるように話すことができる
「行動持続力」
・自分で決めたことは最後までやり通す
「リーダーシップ」
・グループにとって必要なことを自ら進んで実行することができる
・自分が提案した計画や企画を、他の人々に参加してもらいながら実現することができる
「学習プロセス構築力」
・授業時間以外にも、自分で計画を立てて学習することができる
「ファシリテーション能力」
・考えが違う相手と話し合いながら合意点を探ることができる
156
25/「縮減社会」と「縮充社会」
―小滝敏之と山崎亮を読む―
〇筆者の手もとに2冊の本がある。小滝敏之(おたき・としゆき)の『縮減社会の地域自治・生活者自治―その時代背景と改革理念―』(第一法規、2016年4月。以下[1])と山崎亮(やまざき・りょう)の『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』(PHP研究所、2016年11月。以下[2])である。小滝(千葉経済大学、元官僚)は、「縮減社会」の「地域自治・生活者自治」について、その背景や理念・方策などを幅広い視点で捉え、広範な学問分野の言説を多く引用しながら、歴史的、理論的かつ実証的に論述する。山崎(東北芸術工科大学、コミュニティデザイナー)は、「縮充する社会」をつくるためには、人々の主体的な「参加」が必要不可欠であるとして、「まちづくり」などの8つの分野における「参加」の潮流を、各分野を牽引するリーダーとの対話を通して纏めあげる。「縮充」とは、「人口や税収が縮小しながらも地域の営みや住民の生活が充実したものになっていく」([2]17~18ページ)ことをいう。
〇以下に、2冊の本から、筆者なりに注目しておきたい論点や言説のいくつかを紹介(引用、抜き書き)することにする。
[1] 小滝敏之/「縮減社会」における「地域自治・生活者自治」
生きた人間(実存的人間)の生活世界を考えていくにあたっては、一元論(monism)はもとより、白か黒かというような二元論では割り切れない点が多々あることを銘記しなければならない。二元論的把握を回避しようとするならば、「他律」対「自律」、「統治」対「自治」、「競争」対「協力」というごとき対立図式から、一方的に「自律」や「自治」の優位性を説くのみでは不十分である。最終的には、「他律(ヘテロノミー)」と「自律(オートノミー)」の両立・共存を目指し得る「相互律(アレロノミー)」の観点が必要となってくる。(ⅵ~ⅶページ)/「相互律」は「理屈の上では矛盾しているものが、矛盾し反撥しながらも、互いに他の存在を否定せず、これを承認し合っている」ような状態を指す言葉で、これこそが「実在の論理」である。(54ページ)
「人口減少社会」や「縮小社会」を論じるにあたっては、社会実体の量的側面のみならず質的側面についても目を向けなければならない。/最も危惧すべき質的縮減の側面は、「家族機能の縮減」であり、「地域における共助機能の縮減」であり、「社会的連帯の縮減(低下)」であり、「コミュニティ意識の縮減(薄弱化)」である。(24ページ)
「縮減社会」において設定されるべき「共通価値」(common values:社会の成員により共有される価値規範)は、「ローカリゼーション(地域社会化)」、「共助社
157
会(共に助け合う社会)」、そして「実存的な生活世界におけるコンヴィヴィアリティ(共歓共生:共に歓びをもって生きること)」である。(62ページ)/今後は、「競争原理」とは対極的な「協力原理」に基づく社会システムを再生し強化していかなければならない。その方策の重要な柱が「社会関係資本」すなわち「ソーシャル・キャピタル(social capital)」の形成であり、「市民的共同体」すなわち「シヴィック・コミュニティ(civic community)」の結束強化である。(68ページ)
生活者住民が「共通価値」を実現していく上で必要なのは「生活者自治」である。「生活者自治」とは自治体主体の「地方自治」ではない。行政学的・行政法学的な既成概念としての「住民自治」とも異なり、実存的生活世界を基盤とする生活者住民の固有の自治権に基づく社会的・政治的・経済的営為を指す。人が人を動かすという意味での政治(自治)の主役、自分たちの地域をどうしていくのか、どう変えていくのかを決める主役は、政治家や行政官などではなく、地域社会の生活者住民にほかならない。(125ページ)/都市部であれ農村部であれ、地域で暮らす生活者住民(小さき民)の「内発性と自治」こそが、自らの基盤である地域社会(コミュニティ)を守り育てていく根幹である。(133ページ)
「地方政府とは地域住民である」。それは、地域住民が地方政府の主役であることを意味している。自治体の首長・職員や議員が主役のままで、住民・市民がたまに参加を求められるごとき受動的な「市民参加(citizen participation)」などではなく、住民・市民が自律的に主導する「市民参画(citizen engagement)」が求められている。/「市民参画(シティズン・エンゲイジメント)」というのは、「人びとが、一連の関心と機構とネットワークをもって、討議(deliberation)と共働行動(collective action)のために一緒に参加し、市民的一体性(civic identity)を育成し、統治過程(governance process)に人びとを巻き込むこと」を意味している。(143ページ)
実存的生活世界という場に生きる生活者、すなわち地域社会・近隣社会に生きる住民こそが、「自治生活」の主体として近代システムに振り回されることなく、人間社会に本源的な協同(協働)・連帯・共助の精神を取り戻し、真の自治と新たな生を切り拓いてゆくことができるのである。私たちは、生活する足元の地域社会や共同体に改めて目を向け、連帯・共助の精神を再生・創造していかなければならない。(181ページ)/国(中央政府)であれ自治体(地方政府)であれ「政府」の権限や責務以上に留意しなければならないのは住民自身の責務であり、生活者住民の主体的努力と自治意識である。(188ページ)
158
[2] 山崎亮/「参加」が創り出す「縮充する社会」
人口が減り、少子化と高齢化によって活気を失ったまちが再び元気になるためには、そのまちに暮らす人たちの「参加」が不可欠になる。「参加なくして未来なし」である。(14~15ページ)/「楽しさ」は、参加型社会の重要なキーワードになる。「正しい」だけでは仲間は増えない。どんなに立派な取り組みでも、つまらなければ長続きはしない。活動することに、「楽しさ」を見出せてこそ、参加は市民にとって社会を変革する有効な方法となり得る。その意味で、「楽しさなくして参加なし」である。(36ページ)/「楽しさなくして参加なし」「参加なくして未来なし」を縮めて言えば、「楽しさなくして未来なし」ということになる。つまり、「楽しさ」と「未来」とを結びつけるしくみが「参加」だということになる。(19ページ)
地域をよくするための関わり方には、「物理的介入」と「心理的介入」の2つのアプローチがある。(59ページ)/ハンナ・アレント(1906年10月~1975年12月、ドイツ出身の哲学者:阪野)は、人間の生産的な行為を「労働」「仕事」「活動」の3つに分類した。お金のためではなく、モノを残すためでもなく、自ら主体的にやりたいと感じ、そこに他者が何らかの価値を見出せる行為を「活動」と位置づけた。そして、「活動」に重きが置かれてこそ、豊かな社会はつくられるとアレントは論じている。(61ページ)/「活動」する人たち、もしくは「活動」する意識を持った人たちが「市民」になる。地域をよくするための「心理的介入」(ワークショップなどで住民の生活を意識から変えていこうとする活動)は、「住民」(「一般の人」)を「市民」に変えていく活動をいう。(61~62ページ)/コミュニティデザイナーの仕事は、「住民」の意識が「市民」へと変わるように支援することである。したがって、住民の主体的な変化を促すために介入するのが役目になる。(64ページ)
「参加」には発展性がある。参加することの楽しさを知れば、「参画」する意欲が生まれる。他者がつくった計画に加わることは「参加」だが、計画の策定段階に自ら加わることは「参画」になる。「参画」の動きが活発な分野では、もっと高次元の現象が起こり得る。それが「協働」(コラボレーション)という活動である。(68ページ。図1:67ページ)
行政への住民参加(住民活動の原動力)には、「住民がやりたいこと」「住民ができること」「行政が求めていること」の3つがある。この3つ輪が重なるところに、縮充の時代に求められる「参加」「参画」「協働」のヒントがある。(146ページ。図2:145ページ)/この3つの輪を「自分がやりたいこと」「自分にできること」「社会が求めていること」と書き換えれば、人生を傾けて取り組める活動を探り当てることができるかもしれない。(426ページ)
159
日本の戦後の社会福祉に欠けていたのは、「わたしたち」にとっての「教育」だった。課題というのは“当事者”の参加なしには解決できない。法律を整えたり、施設をつくったり、お金を与えたりしても、当事者である「わたしたち」に課題を解決する意欲がなければ、社会が豊かになることはない。言い換えれば、当事者が学ぶことによって課題解決の道は開かれる。/これからの地域福祉に必要な知恵を、「わたしたち」は、どこで学ぶのか。現場で学べばいい。地域の活動に参加して、人と人とのつながりのなかで体験し、発見し、感動し、共感しながら知恵を会得(えとく)することに勝る教育はない。(355ページ)
学校や社会教育の現場などの教育の分野がいよいよ参加型に変わろうとしている(アクティブラーニング、コミュニティ・スクール等:阪野)この動きは、あらゆる分野に影響を及ぼし、参加型社会から参画型社会、さらには協働型社会へと発展していく大きな推進力になる可能性がある。いよいよ本丸である。(358~359ページ)
市民参加の形態(「参加した市民の目的意識」)は、おおよそ3つの年代に分けて整理することができる。/(1)戦後から1970年頃までの「第1期」―「不可避的な課題の解決」のための参加:災害や公害などによる人命や健康への深刻な被害、あるいは(市民から見た)政治の暴走といった生活に及ぼす大きな影響をくい止めようとする目的意識。(2)1970年代から1995年頃までの「第2期」―「公共的な課題の解決」のための参加:一億総中流社会や福祉社会が叫ばれるなかで、「住民vs.行政・企業」ではなく、「住民&行政・企業」という視点で都市計画やまちづくりを進めようとする目的意識。(3)1995年以降の「第3期」―「関係性の課題の解決」のための参加:地域のつながりが希薄化するなかで、生活から欠落したコミュニケーションと人間関係の再構築を図ろうとする目的意識。(402~405ページ)/第4期「参加の時
160
代」が2020年から始まるとすれば、その機運はすでに起きつつある。いまわれわれが感じている「新しい参加形態」は、きっと第4期「参加の時代」の胎動なのだろう。(445ページ)
〇以上を端的に纏めると、小滝は、「縮減社会」の「自治」とその役割について地域社会・近隣社会のレベルで捉え、「生活者」の視点に立って言及する。その際、成長・競争の社会理念に対して、共生・共助の地域づくりの理念を提言する。そして、地域の独自性や多様性、生活者住民の主体性や自律性などを重視した「内発的発展(振興)」や「自助努力」、「自治意識」に基づく地域づくり(「自己責任社会」への転換)の必要性を説く。そのためには、著しく低下してきた住民・市民の「公共精神(public spirit)」や「市民精神(civic spirit)」の喚起・向上を図ることが肝要となる(207ページ)、という。改めて確認しておきたい。
〇また、山崎は、日本の人口減少社会の希望は市民の「参加」にある。「縮充する時代の行方には、正確もなければゴールもない。『学び』というインプットと、『活動』というアウトプットを、つねに市民が織り返している状態にこそ大きな意味がある」(440ページ)、という。シンプルであり、それ故に訴求性の高い結論である。留意したい
補遺
(1)「アレロノミー(allelonomie)」について小滝敏之は次のように述べている。
「競争」と「協力(相互扶助)」とを両立させながら「共存」していく両立的観点―「競争」の全面否定ではなく、非情な「優勝劣敗」の原理とは異なる「共存共栄」の原理に通じる途を求める視点―こそ重要というべきであろう。/「アレロノミー」とは、経済学者の難波田春夫が、ギリシャ語由来の「ヘテロノミー(heteronomy)・他律」や「アウトノミー:オートノミー(autonomy)・自律」という概念と対照的な概念用語として造り出した言葉である。(54ページ)
(2)「コンヴィヴィアリティ(conviviality)」について小滝敏之は次のように述べている。
「コンヴィヴィアリティ」という言葉は、もともとイヴァン・イリイチの創り出した造語であり、本書では「共歓共生」ないし「共に歓びをもって生きること」と意訳しているが、「自立共生」、「自律共働」、「共愉」などと訳されることもある。(63ページ)
(3)山崎亮が「対話」した「医療・福祉」分野のインタビュイーは大橋謙策である。山崎は次のように述べている。
大橋さんの言葉を借りれば、福祉事業者や研究者の間で70年代からスローガンのようにいわれていた「福祉のまちづくり」が、90年代から「福祉でまちづくり」へと変わったのである。(331ページ)/大橋さんは、2010年代は「福祉でまちづくり」から「福祉はまちづくり」といわれる時代へと移行したと話していた。(335ページ)
161
26/「市民社会論」:規範や実体としての「市民」
―山口定の「市民社会論」を読む―
〇筆者の手もとに、「市民社会論」というタイトルの本が4冊ある。(1)山口定(やまぐち・やすし)著『市民社会論―歴史的遺産と新展開―』(有斐閣、2004年3月。以下[1])、(2)吉田傑俊(よしだ・まさとし)著『市民社会論―その理論と歴史―』(大月書店、2005年7月。以下[2])、(3)今田忠(いまだ・まこと)著・岡本仁宏(おかもと・まさひろ)補訂『概説市民社会論』(関西学院大学出版会、2014年10月。以下[3])、(4)坂本治也(さかもと・はるや)編『市民社会論―理論と実証の最前線―』(法律文化社、2017年2月。以下[4])、がそれである。
〇[1]において山口は、「市民社会」論をめぐる戦後の問題意識とその変遷、継承すべき戦後デモクラシーの遺産を明らかにし、1990年代に本格化しはじめた「新しい市民社会」論の特徴と内容、とりわけ「市民社会(論)の再構築」の動きを整理する(「帯」、320ページ)。終章の「むすび」で山口は、「市民社会」を「国家」「市場」とは区別される第3の領域として捉えるのではなく、「理念(とりわけ平等・公正)」・「場(共存・共生の場)」・「行為(自律的行為)」・「ルール(公共性のルール)」の4つの要件の総体として捉えるのが正しいのではないか、という。そして、「市民社会」とは、「さまざまの『公共空間』・『アソシエーション空間』が出会い、政治のあり方、経済のあり方、社会のあり方について、『共存・共生』の原理の上に立って協議する『場』を用意する諸条件の総体である」と再定義する(322ページ)
〇[2]で吉田は、「マルクスは階級社会または階級闘争論の理論家とみなされているが、そうであるだけではなく、彼は一貫した市民社会論の理論家でもある。彼の理論的出立点はヘーゲルの市民社会と国家の問題にあったが、その後も、市民社会概念と階級社会概念を中軸とした歴史観(「市民社会史観」と「階級社会史観」)を形成し、近代ブルジョア的社会、国家そして将来的協同社会についての総体的理論を樹立した」(53ページ)という。その視点・視座から、吉田は、マルクス市民社会論の再構成を軸に、現代的市民社会論の理論的問題と、西欧と戦後日本の市民社会論の歴史的展開について考察する。そこにおいて吉田は、国家や市場から独立した市民社会を構築する現代的市民社会論を批判する。とともに、「歴史貫通的な<土台>としての市民社会、ブルジョアジーとともに発展する近代ブルジョア的市民
162
社会、そして将来社会における協同社会としての市民社会の重層的構成をもつ」(66~67、68ページ)マルクスの市民社会論(「重層的市民社会論」)について説く。
〇[3]の著者である今田は、日本の市民社会の構築に向けて、1980年代から30年以上にわたって実践・研究し問題を提起し続けてきた「歴戦の勇士」(岡本:ⅴページ)である。長年の経験と知見を基に、その集大成として、大学学部レベルの講義を取りまとめたものが[3]である。その内容は、日本の市民社会論の歴史的展開やデモクラシー思想の変遷をはじめ、フィランソロピーとボランティア、市民社会組織、社会的経済と社会的企業、パブリックとコモンズ、市民社会と政府・企業などと広範囲・多岐にわたる。1998年9月に設立された「市民社会ネットワーク」設立趣意書で今田はいう。「市民」は「政治的・社会的権利・義務を持ち、公共性を自覚した自立・自律した個人」である。「そのような市民がつくる社会が市民社会であり、市民社会の政治のルールが民主主義である」(16ページ)。
〇[4]は、今日的な市民社会の実態と機能を体系的に学ぶ概説入門書である。具体的には先ず、市民社会について考える際の5つの基礎理論(理論枠組)――①熟議民主主義論、②社会運動論、③非営利組織経営論、④利益団体論、⑤ソーシャル・キャピタル論を解説する。続いて、市民社会の盛衰を規定する諸要因のうちから特に重要と思われる6つの要因――①市民社会を支える資源としての「ボランティア・寄付」、②人々を市民社会へと誘う「価値観」、③市民社会の発展を促す政府と市民社会組織との「協働」、④新自由主義と市民社会の関係性(「政治変容」)、⑤市民社会を規定し構造化する「法制度」、⑥市民社会に決定的な位置を占める宗教や宗教団体(「宗教」)を解説する。そして最後に、市民社会がどのような帰結をもたらしているか(「市民社会の帰結」)の実態について、ローカルな視点やグローバルな視野から解説する。[4]は、それらを通して現代市民社会論の明日を問う著作でもある。
〇本稿では、「まちづくりと市民福祉教育」に関して論及するにあたって、山口定([1])と坂本治也([4])の言説から「市民社会」「市民」について個人的に留意したい議論や論点の一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
山口定の言説
目的概念としての「市民社会」の定義
われわれのいう意味での「目的概念としての市民社会」は、第1に、まず「国家」(あるいは官僚支配)から「社会」が自立するという意味での「社会の自立」を、第2に、「封建制」や前近代的な「共同体」との関係において個々人が自立するという意味での「個人の自立」を、そして第3に、「大衆社会」ならびに「管理社会」との関係において個々人が「自立」を回復し、公共社会を「下から」再構成するという意味での「個々人の自立と公共社会の回復」をその中心的内容とするものである。(12~13ページ)
163
「規範的人間型」としての「市民」の概念
「市民」とは「自立した人間同士がお互いに自由・平等な関係に立って公共社会を構成するという<共和感覚>に支えられ、そうした人々の自治を社会運営の基本とすることを目指して公共的決定に主体的に参加しようとする自発的人間型」をいう。(9ページ)
「ブルジョア社会」「資本主義社会」「市場社会」と「市民社会」
90年代初頭以降、本格的に登場しはじめた「新しい市民社会」論(=現代的市民社会論)には、旧来の、そしてとりわけ戦後日本の人文・社会科学において論じられた「市民社会」論(=近代的市民社会論)とは異なるさまざまの特徴がある。(149ページ)
「新しい市民社会」論においては、中心的なキーワードである「市民社会」の概念そのものにまつわる重大な意味転換が見受けられる。すなわち「市民社会」は、これまでの「ヘーゲル=マルクス主義的系譜」の中では事実上「ブルジョア社会」と等置されてきたのだが、それに対して、90年代初頭以来、「ブルジョア社会」とは明確に区別されるばかりか、場合によっては、「ブルジョア社会」もしくは「資本主義社会」「市場社会」と正面から対立し、必要ならこれをコントロールするという方向性をもったものという位置づけが与えられている。(149~150ページ)
「新しい市民社会」論の特徴をとらえるのに重要なのは、「国家」と並んで「経済」もしくは「市場」という領域を別個に設定して、その両者に対置される独自の領域としての「市民社会」をクローズアップさせ、その意義を強調することである。(154ページ)
「市民社会組織」の4つの要件
「新しい市民社会」論においてそもそも、「団体」(あるいはアソシエーション)一般と「市民社会」団体すなわち「市民社会組織」(辻中豊)との定義上の区別は何か、つまり、どのような団体が「市民社会組織」なのか。(183ページ)
「市民社会組織」さらには「市民(運動)団体」たることを自称する場合には、①その構成員同士の自由・平等な諸権利の相互承認、②人々の自発的・自律的な合意に基づく組織運営、③情報公開が保障された上で行われる理性的討議による「公共性」の推進、④異質者間の共存・共生を可能にする多様性の相互承認の4つを、その内部組織のあり方に関する基本的なスタンスとすべきである。この要件のどれをはずしても、歴史的に形成され、維持され、かつあらためて蘇(よみがえ)ってきた「市民社会」の理念そのものの中核が失われることになるからである。(189~190ページ)
坂本治也の所説
「市民社会」の定義
今日的な文脈における市民社会は、政府、市場、親密圏(家族、恋人、親友関係)との対比において定義される。すなわち、①中央・地方の統治機構による公権力の
164
行使ないし政党による政府内権力の追求が行われる領域としての政府セクター、②営利企業によって利潤追求活動が行われる領域としての市場セクター、③家族や親密な関係にある者同士によってプライベートかつインフォーマルな人間関係が構築される領域としての親密圏セクター、という3つのセクター以外の残余の社会活動領域が市民社会である。
換言すれば、公権力ではないという非政府性(non-governmental)、利潤(金銭)追求を主目的にしないという非営利性(non-for-profit)、人間関係としての公式性(formal)という3つの基準を同時に満たす社会活動が行われる領域が市民社会である(図1-1)。そして、市民社会にはさまざまな団体、結社、組織が存在しており、それらは「市民社会組織(civil society organization、CSOと略記されることもある)」と呼ばれる。(2ページ)
「市民社会組織」の具体例
市民社会組織には、個々の市民によって自発的に活動が始められた福祉団体、環境保護団体、人権擁護団体、スポーツ・文化団体、宗教団体、ボランティア団体などはもちろん、政府セクター寄りとみなされる政治団体、行政の外郭団体、社会福祉法人、学校法人、市場セクター寄りとみなされる業界団体、労働組合、農協、医療法人、親密圏セクター寄りとみなされる自治会・町内会、地縁団体など、多様性に満ちた雑多な団体・組織が含まれる。
また、一般社団法人、一般財団法人、特定非営利活動法人、宗教法人、消費生活協同組合などの特定の法律にもとづいた法人格をもつ団体はもちろん、法人格を有さない任意団体であっても、通常は市民社会組織としてみなされる。さらに、さまざまな社会運動・市民運動においてみられる、恒常的な組織としての実体をもたない運動体も、市民社会内部の存在として位置づけられる。(2~3ページ)
165
規範としての「市民」「市民社会」の概念
「市民」や「市民社会」という概念は、しばしば特定の規範的立場にとっての理想的な状態や到達すべき目標を表すために用いられる。たとえば、「市民」を「自主独立の気概をもち、理性的な判断や議論ができ、能動的に政治参加や社会参加する人々」と限定的に定義するような場合である。あるいは、「市民社会」を「人々が相互に尊重し合い、理性にもとづいて対等に対話を行うことを通じて、公共問題を自主的に解決していこうとする社会」と定義するような場合である。
これらの場合、「市民」や「市民社会」は「民主主義にとって理想的な人々」「めざすべき善き社会」といった規範的ニュアンスを含むことになる。また、そのような条件を満たさない人々や社会は「市民」や「市民社会」ではない、ということになる。(6ページ)
「市民社会」の3つの機能
市民社会はアドボカシー機能、サービス供給機能、市民育成機能という3つの重要な機能を有している。(12ページ)
(1)アドボカシー機能/アドボカシー(advocacy)とは、「公共政策や世論、人々の意識や行動などに一定の影響を与えるために、政府や社会に対して行われる主体的な働きかけ」の総称である。具体的には、①直接的ロビイング(direct lobbying)=議員・議会や行政機関に対する直接的な陳情・要請、②草の根ロビング(grassroots lobbying)=デモ、署名活動、議員への手紙送付など、団体の会員や一般市民を動員するかたちでの政府への間接的働きかけ、③マスメディアでのアピール=マスメディアへの情報提供、記者会見、意見広告の掲載など、④一般向けの啓発活動=シンポジュウムやセミナーの開催、統計データ公表、書籍出版など、⑤他団体との連合形成、⑥裁判闘争、といった多様な活動形態が含まれる。(12ページ)
(2)サービス供給機能/市民社会は、政府、企業、家族と同様に、さまざまな有償・無償の財やサービスを供給する。特に、市民社会の役割が大きいのは、福祉、介護、医療、環境、教育、文化芸術、スポーツなどの領域における対人サービス供給である。これらの領域では、政府、企業、家族では十分満たされなくなったニーズを、市民社会のサービス供給によって満たす動きが昨今強くみられるようになっている。(13ページ)
(3)市民育成機能/市民社会は人々が出会い、集い、語らい、取引や交渉を行う社交の場である。家庭や職場に比べると、市民社会における人間関係は、より多様な年齢、職業、階層の人々と交わる可能性が高いものとなる。また、そこでの関係性は、基本的に公権力や貨幣価値の力によって義務的ないし強制的に発生するものではなくて、個人の自由意思にもとづいて、自発的に形成され、不要になったら解消されるものである場合が多い。
このような多様かつ自発的な人間関係が育まれる市民社会組織への参加は、人々を民主主義に適合的な「善き市民」へと育成する機能があるとされる。(14ページ)
166
〇以上のメモから、「市民社会」論にいう「市民」には、「自立的」をはじめ「自律的」「理性的」「能動的」などの規範的価値や態度・行動が求められる。「自立的な市民」とは自助的自立や依存的自立をしている市民(「できる市民」)、「自律的な市民」とは自分で考え・行動し・責任を負う市民(「ブレない市民」)、「理性的な市民」とは知性や教養に基づいて合理的に判断する市民(「賢い市民」)、「能動的な市民」とは社会への参加や働きかけを行う市民(「行動する市民」)である。それらは、実体として存在する「市民」ではなく、理念的・規範的な「市民」像である。
〇また、「市民活動」と「市民運動」に関して、管見を交えて、とりあえず次のように整理できよう。すなわち、「市民活動」とは、特定の組織や団体に属さないいわゆる一般「市民」を中心に、環境・平和・人権・福祉・教育・文化・地域・まちづくりなど公共領域における広範な問題の発見と解決をめざして、協働的かつ継続的に取り組む集合行為である。そして、「市民運動」はひとつは、「市民自治」、ひいては「市民社会」の実現をめざす。
〇「市民」の要件と「市民活動」「市民運動」の成立条件でとりわけ重要なものは、「自律性」である。「自律」(autonomy)とは、権力に伏さず・権威に同調せず、自らの判断によって自らの行為を決定あるいはコントールすることである。その判断や行為決定を可能にするためには、自分が持つ知性や教養に基づいて、自分を取り巻く環境や直面している出来事・問題などについて認識・理解し、思考することが必要となる。また、自律は、自己判断に基づいて自分の行為を自分で規制・統制することから、他からの強制や拘束、妨害などを受けない、個人の自由意志を前提とすることはいうまでもない。その自由意志は、他人の言動に影響されないだけでなく、自分の欲求にも影響されずに自分をコントロールする意志を含意する。こうした自律にこそ「人間の尊厳」を見いだすことができる。
〇要するに、真に「市民社会」に求められる「市民」像は、「自律的で理性的」な市民である。一面では、それを前提に、「自立的な市民」や「能動的な市民」が存在することになる。
〇人が自ら思考・判断し、自律的に行動するためには、個々人の自由意志と社会的責任に立脚した権利意識や自治意識をもって自覚的・能動的に学び続けることが肝要となる。こうした人間(「自律的で理性的な市民」)の育成・確保は、教育が取り組むべき根本的かつ現代的課題である。そしてまた、「まちづくり」に必要不可欠な営為である。それはまさに、「市民福祉教育」の課題でもある。
〇上述のメモからいまひとつ、「市民」の要件を満たさない人々は「市民」ではない、という議論について一言したい。すなわち、日本社会はいま、分断や格差、貧困、偏見や差別が拡大し、自立が強制され、自己決定(自己責任)が追及されている。加えてコロナ禍にある。そんな社会にあって、「市民」の要件(自覚・意欲・能力など)を欠く、あるいはそれが不十分であるとみなされる高齢者や障がい者、子ども、生活困窮者、外国籍住民などがいる。形式的・外見的には市民であって
167
も、実質的・本質的には市民ではない状況に追い込まれ、社会的に排除されている人々である。市民になろうとしても、あるいは市民になることが期待されても、市民になりえない人々である。
〇現代市民社会には、抑圧され排除される人々(「市民」)が存在し、それを生み出す歴史的社会構造がある。ここに、現代「市民社会論」が取り組むべき本質的な課題が存在する。「社会変革論としての市民社会論の現代的意義」([2]34ページ)が問われるところである。そして、現代市民社会が抱える歴史的社会問題を抉(えぐ)り出し、その根本的・本質的な解決を志向する「まちづくりと市民福祉教育」の内容や方法が問われることにもなる。目に見えない新型コロナウイルスによって、「存在」する意味を問う時間と空間の余裕もなく、(自分も含めて)ただ必死に生きているヒト(「市民」)がいるなかで、改めて強く認識したい。
補遺
「市民社会」を構想する前提として、「大衆社会」からの“個人の自立”が問われることになる。「市民」と「大衆」の特性と関係性をひとつの座標図で表すと図1のようになろうか。
「市民社会」について論じるにあたって、「市民活動」と「住民活動」を区別し、その特性と関係性をひとつの座標図で表すと図2のようになろうか。
168
27/「人新世」における「変革への途」
―斎藤幸平著『人新世の「資本論」』を読む―
〇いまだに積読(つんどく)を続けている本にカール・マルクスの『資本論』がある。筆者がそれを読もうと思ったきっかけは、当時、社会福祉(社会事業)を学ぶ学生の必読書であった孝橋正一の『全訂・社会事業の基本問題』(ミネルヴァ書房、1962年5月)に挑戦していたときであったと記憶している。孝橋の「社会事業とは、資本主義制度の構造的必然の所産である社会的問題」を対象にする、という一節である。(その後、筆者は、マルクス経済学者宇野弘蔵の「原理論」「段階論」「現状分析」のいわゆる三段階論にハマった時期があった。今は昔である。)
〇「資本論」という言葉が本のタイトルにあるだけで積読になっていた本が、筆者の手もとにある。斎藤幸平(さいとう・こうへい)の『人新世の「資本論」』(講談社新書、2020年9月。以下[1])がそれである。今回は、「資本論」という言葉に対するアレルギー反応が起きる前に、一気に通読することができた。それは、現代に生きる者(ヒト)として、地球を破壊するほどに進んでいる「気候変動」やその影響に関心をもたざるを得ないことによる。とともに、「気候危機」とも言われるその原因の資本主義を丁寧に解き明かし、鋭く批判し、それゆえに刺激的である斎藤の議論・主張による。とりわけ、『資本論』第1巻の刊行後に「マルクスが取り組んでいたのはエコロジー研究と共同体研究」(179ページ)であった。晩年のマルクスは、「資本主義がもたらす近代化が、最終的には人類の解放をもたらす」という「進歩史観」(史的唯物論)と決別した(152ページ)。マルクスがめざした「コミュニズムとは、平等で持続可能な脱成長型経済(定常型経済)」(195ページ)であったという、斎藤による、マルクスの再解釈・再発見(「マルクスの復権」「マルクス理解の理論的大転換」)によるところが大きい。
〇[1]のタイトルの「人新世」(ひとしんせい)とは、斎藤によると、「人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを『人新世』(Anthropocene)と名付けた。人間たちの活動の痕跡(こんせき)が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である」(4ページ)。現在の地球の環境危機は、人(ヒト)の経済活動すなわち資本主義それ自体がもたらしたものであり、地球は新たな地質時代に突入した、というのである。
〇斎藤は[1]で、環境危機を乗り越えようとする多様な主義・主張や運動に言及し、その問題点や限界を抉(えぐ)り出す。自然エネルギーや気候変動対策への公共投資によって、新たな雇用や経済成長を生み出そうとする「グリーン・ニューディール」(気候ケインズ主義)や、ロボットや人口知能(AI)の技術革新を加速させ
169
れば、持続可能な経済成長が可能になると主張する「加速主義」などについてである。それとともに、斎藤は、「マルクスが求めていたのは、無限の経済成長ではなく、大地=地球を<コモン>として持続可能に管理することであった」(190ページ)という。そして、気候変動問題の解決策として「脱成長コミュニズム」を提唱する。それは、資本主義の転換を迫る、資本主義でも社会主義でもない平等で持続可能な「社会像」である(コミュニズムは一般的には共産主義と訳される)。
〇[1]から、<コモン>(共有資源)や「脱成長コミュニズム」に関する斎藤の言説について、筆者が留意したい一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
いま求められる脱成長型のポスト資本主義
資本主義は、利潤を増やすための経済成長をけっして止めることはない。/資本は、(経済成長のための)手段を選ばない。気候変動などの環境危機が深刻化することさえも、資本主義にとっては利潤獲得のチャンスになる。山火事が増えれば、火災保険が売れる。バッタが増えれば、農薬が売れる。ネガティブ・エミッション・テクノロジー(大気中の二酸化炭素を回収・除去する技術)は、その副作用が地球を蝕(むしば)むとしても、資本にとっての商機となる。いわゆる惨事便乗型資本主義だ。/このように危機が悪化して苦しむ人々が増えても、資本主義は、最後の最後まで、あわゆる状況に適応する強靭(きょうじん)性を発揮しながら、利潤獲得の機会を見出していくだろう。環境危機を前にしても、資本主義は自ら止まりはしない。/だから、このままいけば、資本主義が地球の表面を徹底的に変えてしまい、人類が生きられない環境になってしまう。それが、「人新世」という時代の終着点である。/それゆえ、無限の経済成長をめざす資本主義に、今、ここで本気で対峙しなくてはならない。私たちの手で資本主義を止めなければ、人類の歴史が終わる。(117~118ページ)
環境危機に立ち向かい、経済成長を抑制する唯一の方法は、私たちの手で資本主義を止めて、脱成長型のポスト資本主義(「脱成長コミュニズム」)に向けて大転換することである。(119ページ)
「脱成長コミュニズム」を実現する道としての<コモン>
マルクスは、人々が生産手段を<コモン>(common)として共同で管理・運営するだけでなく、地球をも<コモン>として管理する社会を、コミュニズム(communism)として構想していた。(142~143ページ)
<コモン>とは、社会的に人々に共有され、管理されるべき冨のことを指す。(中略)/<コモン>は、アメリカ型新自由主義とソ連型国有化の両方に対峙する「第3の道」を切り拓く鍵だといっていい。つまり、市場原理主義のように、あらゆるも
170
のを商品化するのでもなく、かといって、ソ連型社会主義のようにあらゆるものの国有化をめざすのでもない。第3の道としての<コモン>は、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することをめざす。(141ページ)
(すなわち、マルクスがそう考えたように)<コモン>の思想は、貨幣や私有財産を増やすことをめざす個人主義的な生産から、将来社会においては「協同的富」を共同で管理する生産に代わることをめざすのである。(201ページ)
「脱成長コミュニズム」を実現するための具体的方策
「脱成長コミュニズム」をどのように実現させるのか、そのためになすべきことは大きく5点にまとめられる。
(1)使用価値経済への転換/生産の目的を商品としての「価値」(儲け)の増大すなわち利潤の獲得ではなく、「使用価値」(有用性。商品やサービスの質)に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却する。別言すれば、生産を社会的な計画のもとに置き、人々の基本的ニーズを満たすことを重視する。
(2)労働時間の短縮/労働時間を削減して、生活の質を向上させる。社会の再生産にとって本当に必要な生産に労働力を意識的に配分し、金儲けのためだけの、意味のない仕事を大幅に減らす。「使用価値」の経済に向けた転換には、労働時間の短縮が根本条件である。
(3)画一的な分業の廃止/画一的な労働をもたらす分業を廃止して、労働の創造性を回復させる。資本主義の分業体制のもとでは、労働は画一的で、単調な作業が多い。労働をより創造的な、自己実現の活動に変えていくためには、多種多様な労働に従事できる生産現場の設計が好ましい。
(4)生産過程の民主化/生産のプロセスの民主化を進めて、経済を減速させる。「使用価値」に重きを置きつつ、労働時間を短縮するために、開放的技術を導入していく。そのためには、一部の経営陣の意向に基づいて非民主的な決定が行われるのではなく、労働者たちが生産における意思決定権を握る必要がある。
(5)エッセンシャル・ワークの重視/使用価値経済に転換し、労働集約型のエッセンシャル・ワーク(生活維持に不可欠な仕事)を重視する。ロボットやAIでは対応しきれない、ケアやコミュニケーションを必要とする介護や看護、保育や教育などの労働がしっかりと評価される必要がある。(300~314ページ)
<コモン>と「社会的共通資本」(宇沢弘文)の違い
(<コモン>に関して、より一般的に馴染みがある概念として、宇沢弘文の「社会的共通資本」がある。)宇沢は、人々が「豊かな社会」で暮らし、繁栄するためには、一定の条件が満たされなくてはならない。そうした条件が、水や土壌のような自然環境、電力や交通機関といった社会的インフラ、教育や医療といった社会制度
171
である。これらを、社会全体にとって共通の財産として、国家のルールや市場的基準に任せずに、社会的に管理・運営していこうと考えたのである。<コモン>の発想も同じだ。/ただし、「社会的共通資本」と比較すると、<コモン>は専門家任せではなく、市民が民主的・水平的に共同管理に参加することを重視する。そして、最終的には、この<コモン>の領域をどんどん拡張していくことで、資本主義の超克(ちょうこく。困難を乗り越えること)をめざすという決定的な違いがある。(141~142ページ)
〇経済成長は確かに、私たちの生活や社会を物質的に豊かにした。それは、資本主義のグローバル化が進むなかで、グローバル・ノース(北の先進国)によるグローバル・サウス(南の発展途上国)からの労働力の搾取や自然資源の収奪のうえに成り立っている。グローバル・ノースの「過剰発展」や大量生産・大量消費のライフスタイル(「帝国的生活様式」)は、グローバル・サウスの人々の劣悪な生活条件に依存している。そしてまた、グローバル・サウスはそのグローバル・ノースに依存せざるを得ない。ここに資本主義の「矛盾」と「悲劇」がある(27~30ページ)。いずれにしろ、資本主義社会は、絶えず「外部性」を作り出し、そこに負担や犠牲を強いる・転嫁することによって発展してきたのである。
〇現代の資本主義は、「不平等を一層拡大させながら、グローバルな環境危機を悪化させてしまう」。資本主義は、豊かさを生み出すシステムではなく、「私たちの生活に欠乏をもたらしている」。「持続可能で公正な社会」を実現するためには、資本主義によって解体させられた、人々が生産手段を自律的・水平的に「自治管理」「共同管理」する<コモン>を再建する必要がある。そのための唯一の選択肢が、マルクスにみる「脱成長コミュニズム」である(258、290、360ページ)。斎藤の、ラディカルな主張である。
〇それを換言すれば、生産手段を<コモン>として社会的に所有し、民主的に管理することによって、経済活動は減退するが、現代の環境危機を乗り越えることはできる。このコミュニズムの萌芽は、「21世紀の環境革命として花開く可能性を秘めている」(323ページ)、となる。ここに本書の核心があり、思考や概念の斬新さをみる。
〇そして、斎藤は、「資本の専制から、この地球という唯一の故郷を守る」ためには、「3.5%」(ハーヴァード大学の政治学者エリカ・チェノウェスらの研究による)の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がることであるという(362、364ページ)。この点は非現実的な楽観論と評されるおそれなしとしないが、社会に大きなインパクトを与えた多くの抗議活動や社会運動は、最初は少人数で始まっている。本稿のタイトルにいう「変革への途」が含意するところでもある。
172
付記
〇論拠は不明であるが、斎藤の挑発的で小気味よい指摘やフレーズに次のようなものがある。あえて付記しておくことにする。
2015年9月に国連で開かれたサミットによって採択され、各国政府も大企業も推進する「SDGs」(エス・ディー・ジーズ、Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)は、「アリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背(そむ)けさせる効果しかない。(中略)SDGsまさに現代版『大衆のアヘン』である」(4ページ)。
「高度経済成長の恩恵を受けてあとは逃げ切るだけの団塊世代の人々が、脱成長という『綺麗事(きれいごと)』を吹聴している。(中略)若いころに経済成長の果実を享受しておきながら、一線を退いたそのときから『このままゆっくり日本経済は衰退していけばいい』と言い始めたというわけである(120ページ)。(ちなみに、「平等に、緩(ゆる)やかに貧しくなっていけばいい」という上野千鶴子(うえの・ちずこ)は1948年生まれであり、「本当に豊かな生き方は『ローカル』と『定常経済』にある」という内田樹(うちだ・たつる)は1950年生まれである)。
(「定常型社会」論を展開する広井良典(ひろい・よしのり)や社会経済学者の佐伯啓思(さえき・けいし)によれば)「資本主義的市場経済を維持したまま、資本の成長を止めることができるという」(128~129ページ)。「利潤獲得に駆り立てられた経済成長という資本主義の本質的な特徴をなくそうとしながら、資本主義を維持したいと願うのは、丸い三角を描くようなものである。まさに、真の『空想主義』である。これが旧世代の脱成長論の限界なのだ」(133ページ)。
173
28/「対話する社会」と豊かさの条件
―暉峻淑子著『対話する社会へ』を読む―
〇周知の通り、まちづくりの進展に関して、「統治(government)から共治(governance)へ」、「参加(participation)から協働(collaboration)へ」、そして「行政主導から住民主導へ」などと言われてきた。今後は、「市民主導」(citizens’ initiative)による「共働」(coaction)のまちづくりが要請される。その際には、多様な人々や集団・組織・団体などの、多様なあるいは特別の思いや願いを紡ぐ「対話」が不可欠となる。より具体的には、そのための「機会」や「場」をいかにつくるかが問われることになる。「対話」は民主主義の基本であり、まちづくりの根幹的な技法である。
〇いま、筆者の手もとに、「対話」をテーマにした 暉峻淑子(てるおか・いつこ)の新刊『対話する社会へ』(岩波新書、2017年1月、以下[1])がある。暉峻は、「戦争・暴力の反対語は、平和ではなく対話」である(ⅰページ)。「対話は、人類が持つ特権の一つであり、人間の本性(ほんしょう)にもっとも添ったコミュニケーションの手段」である(ⅴページ)。「対話する社会とは、多様な思考、多様な感受性に出会い、想像力を豊かにする社会」である(164ページ)、という。暉峻は卒寿(90歳)を前にしている。
〇暉峻の著作といえば先ず、『豊かさとは何か』(岩波新書、1989年9月)を思い出す。日本は経済大国であるが、「豊かな国」ではない。日本は「豊かさへの道を踏みまちがえた」(16ページ)、という。およそ30年前の本である。次に、『豊かさの条件』(岩波新書、2003年5月)を思い出す。「21世紀の私達の課題は、グローバルな競争にあるのではなく、また武力によって解決することにあるのでもなく、助け合う互助にある」(240ページ)、という。この2冊の本で暉峻が告発した課題の多くは、いまなお未解決のままであり、より一層深刻化してもいる。警鐘を鳴らした「格差や不公正の拡大」や「好戦的社会の到来」などが現実となっている。3冊目として、『社会人の生き方』(岩波新書、2012年10月)がある。この本は、暉峻にあっては「前著2冊の最終章」(240ページ)である。暉峻はいう。「社会に支えられると同時に、社会をより良く変えていく社会人の生き方の中に、未来への希望を見出したい」(ⅳページ)。
〇[1]は、地域・社会の分断・対立や格差を超え、公正な社会を実現するための「対話」について説く、「警世の書」である。そこには、真の「豊かさ」や「まちづくり」の姿が見えてくる。以下に、[1]の読後メモとして、筆者なりに注目しておきたい論点や言説のいくつかを抜き書きあるいは要約することにする(見出しは筆者)。
174
対話は平和をつくる
平和(平穏な生活)を支えているのは、暴力的衝突にならないように社会の中で対話し続け、対話的態度と、対話的文化を社会に根づかせようと努力している人びとの存在である。対話のない社会はいつか病み、犠牲者を出し、平和はあるとき、あっけなく崩れてしまう。(ⅱページ)/対話や討論がない社会とは、支配者にとってこの上なく都合がいい社会である。誰も批判者がいない沈黙の社会である。(130ページ)/対話がなくなれば、対話の代わりに、命令と監視が支配するという現実がやってくる。(140ページ)/人類が多年の経験の蓄積の中で獲得した対話という共有の遺産を、育て、根づかせることが、平和を現実のものとし、苦悩に満ちた社会に希望を呼び寄せる一つの道である(ⅶページ)
対話は民主主義を守る
対話や討論を軽視したり抑圧したり、無関心だったり、自粛したりする文化様式は、民主主義の価値観を標榜する現代社会に適合しない。(178ページ)/対話は、日常の中にあり、とくに多様な欲望が渾然(こんぜん)としている市場社会(効率性と利潤を追求する社会)では、対話によって、取り返しのつかない断絶が起こるのを未然に防いでいる。今や、対話はいろいろな意味で欠くことのできないコミュニケーションの手段になり、バラバラの個人をつなぎ、非人間化していく社会に人間性をとり戻し、子どもたちの個性ある人格発達の培養土となっている。対話する社会への努力が、民主主義の空洞化を防ぎ平和をつくりだしているのである。(253ページ)
対話は自由で創造的である
対話は、議論して勝ち負けを決めるとか、意図的にある結論に持っていくとか、異議を許さないという話し方ではない。対話とは、対等な人間関係の中での相互性がある話し方で、何度も論点を往復しているうちに、新しい視野が開け、新しい創造的な何かが生まれる。両方の主張を機械的にガラガラポンと足して二で割る妥協とは違う。個人の感情や主観を排除せず、理性も感情も含めた全人格を伴った自由な話し合い方が対話である。(ⅴ~ⅵページ)/対話は、上の人への忖度や自己保身のお世辞ではなく、また、一般論や抽象論でなく、人間としての対等な立場で、その時その場にもっとも必要な自分の考えや感情を、自分の言葉で語る話し合いである。そこで必要な言葉とは、その時その場にもっとも適切で、一度きりの貴重な言葉である。(131~132ページ)/言葉の本質は対話にある。(175ページ)
対話は開かれた応答である
権力による画一的な抑圧があるところに自由で多様な対話はない。権力とは政治権力のことだけではなく、利潤第一を求める効率の強制力のこともある。生徒や教師に対して自由とゆとりのない管理・監督や競争の教育環境のこともある。(111ペー
175
ジ)/権威主義的な話し方は、聞き手に自分の考えを押しつけ思い込ませようとする、閉ざされたものである。それに対して、対話は開かれている。お互いに応じ合う中で新しい意味が生まれ、変化し、新しい理解が生まれる可能性が広がっていく。対話はともに考えていく手段であり、そこでの理解は、一人の人間の可能性を超えるものとして、お互いの間で作られていく。こうしたことを達成するためには、対話の参加者が耳を傾け、相手に届くような応答をする必要がある。応答は言葉の持つ基本的性質なのである。その意味ではお互いの責任ある態度が対話的関係を作り出すとも言える。(123ページ)
〇生活の「豊かさ」は、安全で安心して快適に暮らせる日常の家庭・地域生活のなかにある。その「豊かさ」を獲得・実現するためには、およそ次のような条件が必要となろう。
(1)基本的人権の尊重や自由・平等と民主主義の確保を前提に、人々の個別具体的な発達保障と生活保障の具現化と共生や支え合いの創出が図られること。
(2)すべての人が個性的・創造的に自分を生きる(生き抜く)ために多様な選択肢が準備され、その選択の自己決定やそのための支援がなされること。
(3)自分の生きがいや自己実現のための活動にとどまらず、他者や地域・社会のための、社会変革を進める社会貢献活動(共働活動)に参加できること。
(4)そのための個人的な尊敬と信頼に基づく熟議やさまざまな知識や経験による想像力と創造力によって、明るい社会と未来が開拓・共創されること。
(5)以上のことを可能にし、相互支援と相互実現、地域・まちづくり、社会変革と社会創造を推進するための教育・学習(市民福祉教育)が、すべての人の生涯にわたって自律的・主導的に行われること。
〇まちづくりは、一人ひとりの市民の日常的な家庭・地域生活の営みのなかで、地道に、継続的かつ漸進的に取り組まれることが肝要である。そして、そのプロセスを通して、一人ひとりがお互いに多様な思いや願い、価値観などにふれながら、既存の価値観やシステムを無批判に受け入れるのではなく、社会変化への対応と社会変革の推進を主体的・積極的に図る市民に育つことが必要かつ重要となる。そこに求められるのは「自由な対話」と「開かれた学び」、そして「緩(ゆる)やかなつながり」である。すなわち、「対話型社会」である。
〇この国の政治は対話が拒否され、議会は多数決が強行されている。この国には「傲岸不遜」(ごうがんふそん)「厚顔無恥」(こうがんむち)の政治家(政治屋)や(自称)リーダーがあまりにも多い。「こんな人たちに負けるわけにはいかない」(2017年7月1日)と発言する人と、その取り巻きたちである。その姿や言動は哀れであり、滑稽ですらある。
176
こうした状況は身近な地域・社会においても見られる。日本の社会はあいかわらず、「上意下達」「空気を読む」社会である。それはすなわち、「忖度(そんたく)」文化の社会でもある。
〇民主主義の錬磨・再建と対話能力の育成・向上が喫緊の課題である。多様性と異質性を受け入れ、さまざまな価値観や指向性を肯定する「対話」がいま、極めて重要になっている。本稿を草しようと思った最初の思いである。
付記
〇暉峻が説く「会話」と「対話」、「討論」を簡潔に言えば、「会話」は挨拶や雰囲気を和らげる雑談、「人間社会の潤滑油」。「対話」は対等な人間関係のなかで行われる双方向の、個人的な話し合い。「討論」(ディスカッション)は目的が明示され、よりよい解決のための結論が求められる話し合い、である(88~93ページ)。
〇「〈対話〉のある社会」とはどのような社会か。中島義道(元電気通信大学教授、専攻はドイツ哲学)の言説の一節を紹介しておくことにする(中島義道『〈対話〉のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの―』PHP研究所、1997年11月)。
〈対話〉のある社会とはどのような社会か。それは、私語が蔓延しておりながら発言がまったくない社会ではなく、私語がなく素朴な「なぜ?」という疑問や「そうではない」という反論がフッと口をついて出てくる社会である。それは、弱者の声を押しつぶすのではなく、耳を澄まして忍耐づよくその声を聞く社会である。それは、漠然とした「空気」に支配されて徹底的に責任を回避する社会ではなく、あくまでも自己決定し自己責任をとる社会である。それは、アアしましょう・コウしましょうという管理標語・管理放送がほとんどなく、各人が自分の判断にもとづいて動く社会である。それは、紋切型・因習的・非個性的な言葉の使用は尊重されず、そうした言葉使用に対しては「退屈だ」という声があがる社会である。それは、相手に勝とうとして言葉を駆使するのではなく、真実を知ろうとして言葉を駆使する社会である。それは、「思いやり」とか「優しさ」という美名のもとに相手を傷つけないように配慮して言葉をグイと呑み込む社会ではなく、言葉を尽くして相手と対立し最終的には潔(いさぎよ )く責任を引き受ける社会である。それは、対立を避けるのではなく、何よりも対立を大切にしそこから新しい発展を求めてゆく社会である。それは他者を期し去るのではなく、他者の異質性を尊重する社会である。(203~204ページ)/こうした社会の実現を望まない人は、自覚的無自覚的に他人の言葉を封じている。他人の叫び声を聞かない(聞こえない)耳をつくっている。真実を求めようとせず、〈対話〉を全身で圧殺している加害者である。(204~205ページ)
〇「対話」の類語に「会話」がある。「会話としての正義」を提唱する井上達夫(東京大学教授、専攻は法哲学)の言説の一節を紹介しておくことにする(井上達
177
夫『共生の作法―会話としての正義―』創文社、1986年6月)。
コミュニケーションは達成さるべき一定の目的―情報伝達・意志決定・合意・コンセンサス・相互理解・了解・和解・宥和・融和・交感・交霊・合一・洗脳(?)等々―をもつが、会話はそのようなものをもたない。強いて会話の目的なるものを挙げるとすれば、会話自体を続けることである。/会話の唯一の目的が会話を続けることにあるとするならば、会話の歪曲とは例えば、返答を拒否し続けたり、相手に話す機会を与えなかったり、相手の話と無関係に話し続けたりすることであるが、このような場合、会話は歪曲されたのではなく消失したのである。(251ページ)/会話とは異質な諸個人が異質性を保持しながら結合する基本的な形式である。利害・関心・趣味・愛着・感性・信念・信仰・人生観・世界観等々を共有することなく我々は他者と会話できる。/会話は「分からず屋」を排除しない。「この分からず屋め!」と怒鳴り合っていつも喧嘩分かれする二人の頑固親父が、終生会話的連帯のうちにあるというほほえましいパラドックス(逆説)を会話は可能にする。また、期待を裏切る言動は言語ゲームの敵ではあっても会話の敵ではない。それを契機に意外な方向へ発展してゆくところに、人間の生の営みとしての会話の深みがある。定められた手続きに従うだけの会話は死せる会話である。(254ページ)
178
29/生活者とまちづくり
―天野正子の「現代生活者論」を読む―
〇筆者の手もとに、「現代生活者論」を説いた天野正子(あまの・まさこ、1938年3月~2015年5月、社会学者)の本が2冊ある。『「生活者」とはだれか―自律的市民像の系譜―』(中央公論社、1996年10月。以下[1])と『現代「生活者」論―つながる力を育てる社会へ―』(有志舎、2012年11月。以下[2])がそれである。
〇天野は、[1]と[2]を通して、「生活者」の概念の軌跡を辿り、理論の集大成を図るなかで、その歴史的・現代的な意味を問い直す。とともに、国家・市場経済・専門家などに支配・管理されない「生活者」の、自律的な暮らしや他者との「つながり」(共同性・公共性)のあり方を模索する。それは、「まちづくり」や「福祉教育」に通底する研究の視点・視座でもある。本稿で[1]と[2]を取り上げる理由のひとつは、ここにある。また、天野の論理的思考とその文学的表現は、訴求性やストーリー性も高く、筆者を惹きつける。
〇以下で、天野の「現代生活者論」の論点や言説のいくつかを紹介することにする(抜き書きと要約)。
日本社会が高度経済成長期をひたすら走っている頃には、生活者という言葉を、今ほど広範に聞くことはなかった。「生活者」がひんぱんに用いられるようになるのは、1980年代末から90年代にかけての時代である。([1]7ページ)/その背景には、明らかに日本社会の仕組みが「生産者」優位に偏りすぎてきたことへの反省がある。また、生活にゆとりが感じられず、「豊かな社会」のなかに、都市問題や環境・安全・資源問題などのさまざまな課題が山積していることへの不安がある。/「生活者」とは、そうした反省や疑問、不安などが入り交じった混沌のなかから生み出された、人びとの願望や期待のこめられた、新しい人間類型のラベルとみるべきである。([1]11ページ)
「生活者」という言葉が使われるのは、人びとの行動の形態や属性(消費者や勤労者、国民など)をさすのでも、また、「主婦感覚」や「庶民感覚」の持ち主といった感覚レベルの特徴をさすためでもない。「生活者」とは、特定の行動原理にたつ人びと、あるいはたつことをめざす人びとの、一つの「理想型」として使われている。([1]11~12ページ)/「生活者」の行動原理の一つは、「労働者」や「消費者」に対置され、その両方を含む全体としての生活の場から発想し、問題解決をはかろうとすることである。生活者という言葉は、生活が本来もっている全体性と、その全体を自らの手のなかにおきたいと願う主体としての人びとをさす。/もう一
179
つの行動原理は、「個」に根ざしながら、他の「個」との協同により、それまで自明視されてきた生き方とは別の「もう一つの」(オルターナティヴな)生き方を選択しようとすることである。生活者とは、自分の行動に責任をもちつつ、他者との間にネットワークをつくり、「あたりまえ」の生活に対抗的な新しい生き方を創出しようとする人びとをさす。そして、「生活者」にとって、それぞれの私的な利害を異にする人びとが対話を重ね、「私」を超えていく場としての地域・市民領域へのかかわりかたが重要になる。([1]13~14ページ)
生活者という概念は時代により、さまざまな意味をこめられ、一つの理想型として使われてきた。しかし、それらに通底しているのは、それぞれの時代の支配的な価値から自律的な、いいかえれば「対抗的」(オルターナティヴ)な「生活」を、隣り合って生きる他者との協同行為によって共に創ろうとする個人――を意味するものとしての「生活者」概念である。/私たちは、いまその生活者概念の原点に立ち戻って、大衆消費財化しつつある(意味内容のあいまいなままに安売りされ、消費されている)「生活者」をとらえなおし、みずみずしく力強い響きをとりもどすことの必要な、時代を迎えているのである。([1]236ページ)
「生活者」とは、なによりも、無名であるが、しかし、それぞれに「わたし」をたずさえた、その意味で固有の名をもって存在し、生きる現場ともいうべき家族や地域の暮しを基底に、暮し方、ひいては自分の生き方を意識化し見直すことに、社会の展望拠点を求めようとする人びとである。さらにいえば自らの無名性において、他者との共通の主題・関心のもとに相互につながり、小さな共同性・公共性への回路を模索していく過程への参画を果たそうとする人たちである。/生活者は、多くの場合、すでに存在する何者かを指す概念ではない。生きる拠点である「生活」が破壊され、あるいは危機に陥ったときに、あらためて意味を担って浮上してくる概念である。そう考えるなら、生活者とは、日本社会の大きな転換過程で向きあう不安感やリスク感、日常的な暮し方への反省や疑問、新しい生き方やライフスタイルへの願望や期待の入り交じった混沌のなかから生み出された、どこにでも存在するごく「普通の人びと」である。([2]ⅰ~ⅱページ)
ネットワーク型コミュニティは、家族という親密でミクロな関係でも、国家や行政、市場というマクロな関係でもない、その中間に形成される、しゃべる、笑う、まなざす、振舞うなど、自他が身体を介して出会う<生>の現場に、小さな共同性、公共圏を創出していく営みである。([2]ⅷ、206ページ)/歴史的経験から学ぶことなしに、他者とつながる力を蓄えるのはむずかしい。状況の「破壊」と時代の転換が急速にすすむ今、ネットワーク型コミュニティの歴史的経験とそこに蓄積された経験知に学び、それを基盤に、国家や市場から自由なもう一つの共同性、
180
公共性への回路を模索することがこれまで以上に重要性を増している。([2]ⅸ~ⅹページ)
東日本大震災による、地震・津波・原発事故という複合的な災害は、人間生命の再生産に最大の価値をおくジョン・ラスキン(John Ruskin、1819年~1900年、イギリスの社会思想家:阪野)の言葉――「生命のほかに富というものは存在しない」(There is no wealth but life)と、それを踏まえて、「生きること」が相互に異なる「人びととの“間”にある」こと、「つながり」を生きることと同義語であることを実践してきた歴史のなかの生活者像を、あらためて思い起こさせるものであった。/専門家支配や中央管理システム、市場経済にふりまわされない、自律的な新しい暮しのスタイルと共生のしくみをどう創りあげていくのか。その可能性はなによりも、時代を生き抜く概念として「生活者」の内実を問い、実質的な生命を与え、鍛えあげるなかから生れてくる。([2]297~298ページ)
〇筆者はこれまで、「市民福祉教育」について語る際に、基本的な考え方として、「生命」「生活」「生涯」すなわちライフ(Life)は人間の成長・発達の過程であり、それはまた教育の過程でもある、と言ってきた。天野の[1][2]の言説によってその点を加筆すれば、「生活」(Life)とは、その時代の社会、経済、政治、文化などの諸条件のもとで、生命(生きる力)の再生産を行い、自分を生き抜くための、生涯にわたる主体的・自律的で共同的・公共的な営み(具体的な行動)の過程である。そして、その過程を通して、曖昧模糊としたものであることも少なくないが、生活者の思想性(考え方)や哲学性(生き方)が形成される。しかもそれは、時間の経過(歴史性)のなかで広狭や浅深のあいだを揺らぎ、ときには要求や必要、意欲や志向を変える、ということになろうか。
〇地域に生きる一人ひとりの住民は、その生活や人生のさまざまな場面や過程で、自己責任が伴う自己選択や自己決定を行い、他者の支援を受けながら自分の人生を切り開いていく。「他者(ひと)まかせにしない、できることは自分で、一人でできないことは他者(ひと)と支えあって」というのが、生活者本来の生き方である([2]ⅳページ)。約言すれば、「自立と連帯」「自律と共生」である。しかし、住民は必ずしも、生き方について論理的・体系的に考え、自覚的・能動的に行動する(できる)とは限らない。煩雑で混沌とした日々の生活のなかで、また社会のしがらみを抱えながら、自分の思いや考えを自分のなかに閉じ込めてしまう。「長い物には巻かれろ」「郷に入っては郷に従え」であり、「沈黙」と「従属」である。それは、自分が自分の「生活」の主体であることを放棄し、自分の「生活」をみんなと共に創ることを止めることを意味する。教育的営為(「生活者教育」)が求められるところである。
〇天野は[1]で、生活雑誌『暮らしの手帖』を創刊した花森安治(1911年~1978年)の次の言葉を紹介している。「戦争に巻き込まれたのは、自分を含む民衆一人ひとりが守りたい自分の暮らしを創ってこなかったから」である([1]36~37ペー
181
ジ)。
〇日本社会では、「縮小社会」「格差社会」「右傾社会」「監視社会」などが進展し、国際的には同盟関係の強化などが図られている。また、その「現場」である地域社会と「担い手」である地域住民は、生活の不安や混乱のなかにある。「地方創生」という名の地域破壊も進んでいる。そうした「いま」、花森のこの言葉(「自分の暮らしを創る」)に思いを致すことが強く求められる。それは、国家の権力や意志に抗する生活者像であり、生活に根ざした自律と変革の思想である。
〇天野によれば、生活者とは、「生産や消費、労働や余暇、福祉や環境など、『生活』を細切れではなく総体として把握し、社会の支配的な価値からの自律を求める人たち」([2]238ページ)である。これを要するに、生活者は、(1)生活の全体性を把握する主体であり、(2)自律的な新しい暮らしのスタイルと共生のしくみを創りあげていく主体である([1]13~14ページ、[2]297~298ページ)。そこで、生活者を理解するにあたっては、生活者の生活意識をはじめ、生活様式や生活構造、生活環境や生活問題、そして生活史などの、生活の実相を総合的・学際的に把握することが求められる。また、対抗的な生活をとなりに生きる他者と創りあげるためには、生活の「共同性と公共性」(つながり)の実現に向けた日常的実践や社会運動(「生活者運動」)と、その統合をめざす取り組みが重要となる。まちづくりや市民福祉教育に通底する言説のひとつである。
〇また、天野にあっては、「生活者」とは、「あたりまえ」の生活に対する「対抗的な」「もう一つの」(オルタナティヴ、alternative)新しい生き方を創出しようとする人びとである([1]13ページ)。とともに、「生活者」は、参加の自発性という点で「市民」(citizen)と、「居住すること」から問題を組み立てていく点で「住民」とを統合する視点をもつ概念である([2]240ページ)。すなわち、別言すればそれは、「対抗的自律型市民」と言えよう。
182
30/「共生保障」としてのまちづくり
―宮本太郎著『共生保障』を再読する―
〇筆者の手もとに、宮本太郎(みやもと・たろう、政治学・福祉政策論専攻)の本が2冊ある。『生活保障―排除しない社会へ―』(岩波新書、2009年11月。以下[1])と『共生保障―<支え合い>の戦略―』(岩波新書、2017年1月。以下[2])がそれである。
〇[1]は、人々の生活は雇用と社会保障がうまくかみあってこそ成立するという前提に立つ。そして、雇用と社会保障を包括する「生活保障」という視点から、日本と各国の雇用と社会保障の連携を比較分析し、ベーシックインカムやアクティベーション(活性化)などの諸議論にも触れながら、日本で生活保障システムがどのように再構築されるべきかを論じる。その際、所得保障だけではなく、大多数の人が就労でき、あるいは社会に参加できる「排除しない社会」のかたちを問う。とともに、そうした社会を実現するために必要な「生きる場」(人々が誰かにその存在が「承認」されていることで、生きる意味と張り合いを見出すことができる場)が確保される生活保障のあり方について考える。なお、ベーシックインカムとは、就労や所得を考慮せずにすべての国民に一律に一定水準の現金給付を行なう考え方である。アクティベーションとは、雇用と社会保障の連携強化を図り、社会保障給付の条件として就労や積極的な求職活動を求める考え方である。
〇[2]は、[1]の延長に位置づけられ、生活保障の新しいビジョンとして「共生保障」を提示する。本稿は[2]の(限定的な)再読メモである。宮本はいう。旧来の日本型生活保障は、現役世代の「支える側」(「強い個人」)と高齢者・障がい者・困窮者などの「支えられる側」(「弱い個人」)を過度に峻別してきた。そして、双方の生活様式を固定化し、「支えられる側」を一定の基準によって絞り込みながら、 社会保障・社会福祉の支出を医療や介護などの人生後半に集中させてきた(「人生後半の社会保障」)。ところがいま、高齢世代や子育て世代、非正規や単身の現役世代を中心に、生活困窮・孤立・健康などの様々な問題を、しかもそれらを複合的に抱える事態・状況が拡大・深刻化している。そこで、「支える側」と「支えられる側」という二分法から脱却し、生活保障の新しいビジョンとして、(すべての人の福祉ニーズに応える)普遍主義的な「共生保障」の制度や政策を構築する必要がある(「補遺」参照)。これが[2]における宮本の問題意識であり、議論(提唱)である。その際宮本は、「共生保障」は、地域における人々の「支え合い」を可能にするよう、「地域からの問題提起を受けとめつつ、社会保障改革の新たな方向付けにつなげる枠組みである」(48ページ)という。
〇宮本は、[2]で「共生」について次のように述べる(抜き書きと要約)。
183
(日本社会では)人々が支え合いに加わる力そのものが損なわれ、共生それ自体が困難になっている。こうした現実に分け入ることなく、規範として共生を掲げ続けるならば、それは現実を覆い隠すばかりか、困難になった支え合いに責任をまる投げしてしまうことにもなりかねない。(ⅳページ)。
共生という言葉は、その意味がいささか漠然としているゆえに、誰も反論しがたく、だからこそ都合良く使われてしまうところがある。今、社会の紐帯が根本から揺らいでいることから、「共生社会」が盛んに提起されるが、人々がどのように関わり合い、誰が何に対して責任をもつ構想なのか、はっきりしないことが多い。(223ページ)
共生や支え合いは規範として押し付けられる筋合いのものではない。一見したところ利他的な行為であっても、共生は長期的に見ると自己に利益をもたらす(「手段としての共生」)。また、人々が互いに認め認められる相互承認の関係を取り結ぶことができれば、共生はそれ自体が価値となる(「目的としての共生」)。共生や支え合いは、人々にとって手段でもあり目的でもあり、したがって本来は自発的な営みなのである。(194ページ)。
〇こうした指摘は、国(厚生労働省)がその実現を図る「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」について考える際の重要なポイントとなる。「我が事・丸ごと」の政策は、社会保障や社会福祉の国家責任が地域社会に転嫁され、社会保障・社会福祉費の削減と自助・互助による支援体制の推進が図られている。それを一言で言えば、「他人事(ひとごと)・丸投げ」である。確かな「共生」には、政府主導による「上から」の規範としてではなく、地域・住民の、地域・住民による、地域・住民のための「下から」の支え合いの戦略と、それを踏まえた事業化や制度化が強く求められる。なお、国が説く「地域共生社会」は、「制度・分野ごとの『縦割り』や「支え手」「受け手」という関係を超えて、地域住民や地域の多様な主体が 『我が事』として参画し、 人と人、人と資源が世代や分野を超えて『丸ごと』つながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていく社会」(厚生労働省「『地域共生社会』の実現に向けて 」2017年2月)をいう。耳ざわりの良い(口当たりの良い)言葉が連なる、“美しく”まとめられた一文である。ここで筆者は、中身がスカスカ(浅薄皮相)な、「活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする」(なんと白々しいことか)という「美しい国、日本」(2006年9月に召集された第165回国会における安倍内閣総理大臣の所信表明演説)という言葉を思い出す。
〇宮本は、[2]で「共生保障」について次のように述べる(抜き書きと要約)。
共生や自立というテーマが政府から打ち出されるとき、そこには行政と政治の責任が曖昧にされ、人々の助け合いや自助にすりかえられる危険もある。共生保障とは、そのようなすりかえを回避し、人々の支え合いのために行政と政治が果たすべ
184
き条件を示す政策基準でもある。(219~220ページ)
共生保障は、年金や医療などを含めた生活保障のすべてに関わるものではない。それは、次のような制度や政策を指す。
第一に、「支える側」を支え直す制度や政策を指す。これまで男性稼ぎ主を中心とした「支える側」は、支援を受ける必要のない自立した存在とされてきたが、「支える側」と目される多くの人々は経済的に弱体化し孤立化し、力を発揮できなくなっている。
第二に、「支えられる側」に括(くく)られてきた人々の参加機会を広げ、社会につなげる制度と政策である。そのためにも、人々の就労や地域社会への参加を妨げてきた複合的困難を解決できる包括的サービスの実現が目指される。
第三に、就労や居住に関して、より多様な人々が参入できる新しい共生の場をつくりだす施策である。所得保障については、限定された働き方でもその勤労所得を補完したり、家賃や子育てコストの一部を給付する補完型所得保障を広げる。(47ページ)
人々を共生の場につなげ、共生の場自体を拡充していく共生保障の戦略は、それ自体が生成途上のものである。このような考え方をより具体化していくためにも、地域におけるさらなる創造的な取り組み、社会保障改革の新展開、そして両者をつなぐ共生保障の政治が必要である。生活保障の新しい理念は、そのような地域、行政、政治の連関のなかで活かされ、練磨されていくべきものであろう。(221~222ページ)
〇「支える側」を子育て支援や介護サービス、リカレント教育などによって支え直し、「支えられる側」に就労支援や地域包括ケア、生活支援サービス(見守り・外出支援・家事支援)などを通して社会への参加機会を提供する。それは、より多くの人々が共生や支え合いの「場」(居住・就労・活動の場や領域)に参入することを意味する。その「場」は、地域における居住(高齢者や現役世代などが支え合いながら一緒に暮らす、あるいは一人暮らしの高齢者が地域の生活支援を受けながら暮らす「地域型居住」)の場をはじめ、コミュニティ(共同体)や就労の場、共生型ケアの場など、人々が直接、間接に相互の必要を満たし合う場(フィールド)を指す(51、52、94ページ)。
〇宮本は、「共生保障」型の地域福祉や地域組織づくりについて、その実践事例を紹介する。「ひきこもりで町おこし」を進めた秋田県藤里町社会福祉協議会の取り組みや、「このゆびとーまれの共生型ケア」を進めた富山市の民間デイサービス事業所「このゆびとーまれ」の取り組み、「小規模多機能自治」と呼ばれる島根県雲南市の市民と行政による協働のまちづくりの取り組みなどがそれである。
185
〇藤里町社協の取り組みは、ひきこもりの若者の居場所や交流拠点、働き場所として、2010年に地域福祉の拠点「こみっと」を開設し、それを特産品づくりによる町おこしへとつなげた実践である。それは、「障害や生活困窮など、働きがたさを抱えていた人々が、支援を受けつつも多様なかたちで働くことができる新しい職場環境」(82ページ)を指す「ユニバーサル就労」の考え方による。「このゆびとーまれ」のそれは、高齢者だけでなく子どもや障がい者などの誰もが利用できるデイケアハウスを1993年に開所し、それを「地域密着・小規模・多機能」をコンセプトとした共生型福祉施設、そしてその後の「富山型デイサービス」へと発展させた実践である。それは、「福祉のなかから当事者同士の支え合いをつくりだし、部分的には支援付き就労にもつなげていく試み」(106ページ)である「共生型ケア」の考え方による。それらの詳細については次の文献を参照されたい。
・菊池まゆみ『「藤里方式」が止まらない― 弱小社協が始めたひきこもり支援が日本を変える可能性?』萌書房、2015年4月
・菊池まゆみ『地域福祉の弱みと強み―「藤里方式」が強みに変える―』全国社会福祉協議会、2016年10月
・惣万佳代子『笑顔の大家族このゆびとーまれ―「富山型」デイサービスの日々―』水書坊、2002年11月
〇雲南市では、「まちづくりの原点は、主役である市民が、自らの責任により、主体的に関わることです」(雲南市まちづくり基本条例前文)という基本理念のもとに、2010年に公民館を地域づくり・生涯学習・地域福祉を担う交流センター(公設民営・指定管理)に改組する。そして、そこに自治会(地縁型組織)や消防団(目的型組織)、PTA(属性型組織)などがつながり、地域の総力を結集して地域課題を自ら解決し、住民主体のまちづくりを進める地域自主組織(小規模多機能自治)を概ね小学校区に立ち上げた。そこでは、要援護者の安心生活見守り事業や高齢者の買い物支援事業などが展開されている。地域自主組織は、市の財政支援や人的支援などを受けながら、地域間の連携や行政との協議・協働を図り(「地域自主組織取組発表会」「地域円卓会議」「地域経営カレッジ」等)、さらには2015年に「小規模多機能自治推進ネットワーク会議」を設立して全国の他地域とのネットワークを構築している。特筆されるところである。
〇なお、こうした「好事例」について、宮本は次のようにもいう。「『好事例』は、既存制度を超える『技』(『裏技』『荒業』を含めて)を備えた突出したリーダーシップによる例外的事例に留まっている」(ⅴページ)。「新聞やメディアは、地域で広がるひとり親世帯や高齢世帯の困窮、孤立をクローズアップし、時に警鐘を乱打する。その一方で、地域における困窮者支援やまちづくりの『好事例』を積極的に取り上げ、これを持ち上げる。さらに、国の社会保障改革の停滞について伝える。だが、深刻な地域の現実と一部の『好事例』と停滞する社会保障改革が、時々のトピックスに伴って代わる代わる前面に出て、相互につながらない」(ⅵページ)。「地域では、人々の支え合いを支え、共生を可能にしようとする多
186
様な試みが広がっている。しかし、こうした動きは、『好事例』に留まり大きな制度転換にはつながっていない」(218ページ)。留意しておきたい。
〇「共生保障」の観点から「まちづくりと市民福祉教育」について一言しておきたい。(「支えられる側」とされがちな)高齢者や障がい者、子どもなどが自律的・能動的な地域生活を営むためには、「支える側」による個別具体的な支援とともに、安全・安心な生活環境が整備され豊かな社会関係が構築されなければならない。しかも、生活上の困難や社会的課題を抱える高齢者や障がい者、子どもにはそれゆえに、地域社会を構成する一員であるとともにまちづくりの主体であることを認識し、その役割を果たすことが期待される。その際、(まちづくりの主体である)その地域に暮らす多様な人々との相互理解や相互承認、共働や支え合い、それを保障するための仕組みが必要かつ重要となる。それが、「まちづくりと市民福祉教育」の内容や方法を決める。
〇周知の通り、(1)1970年代以降の高齢化社会の進展を背景に、高齢者の学習活動の奨励や社会参加活動の促進が図られるなかで、高齢者の学習・教育プログラムが開発、提示されてきた。(2)1960年代にアメリカで生まれた身体障がい者の自立生活運動を契機に、日本では1980年代以降、障がい者が自律的に地域生活を営むための自立生活プログラムが組織化され、その普及が図られてきた。(3)学校教育においては1980年代から「地域学習」が取り組まれ、1980年代後半には「環境教育」が注目される。2002年度から小・中学校で(高等学校では2003年度から)全面実施された「総合的な学習の時間」では、「まちづくり学習」の取り組みが行なわれるようになった。こうしたなかでまちづくり学習プログラムの開発が進むことになる(「付記」参照)。(4)1990年代以降、社会の階層化・ 分裂化が指摘され、政治や社会に積極的・主体的に参加する「能動的市民」(民主主義社会の形成者)の育成が求められた。イギリスでは 2002 年に、公教育の中等教育段階でシティズンシップ教育が必修化された。日本では2006 年に、経済産業省によって「シティズンシップ教育宣言」が出された。それをきっかけに、東京都品川区の小中一貫教育のなかでの「市民科」の設置(2006年)、お茶の水女子大学附属小学校における「市民」科の授業の取り組み(2007年)などがクローズアップされた。以後、学校教育のみならず、生涯学習の一環としてシティズンシップ教育プログラムの開発と実践が展開されることになる。
〇これらは、「まちづくりと市民福祉教育」に含まれるべき学習・教育活動であるが、市民福祉教育実践として十分に取り上げられてこなかった。共生保障としての「まちづくりと市民福祉教育」の重要な要素であり、積極的な議論の展開が求められる。
補遺
普遍主義的改革の「三重のジレンマ」
宮本は[2]で、1990年代からの社会保障改革の基調は普遍主義的改革であったが、その改革は空転し、掲げた目標のように進んでいない。それは、3つの深刻なジレンマま
187
あるいは矛盾―(1)国と自治体の財政的困難、(2)自治体の縦割り行政の制度構造と機能不全、(3)「支える側」の中間層の解体と雇用の劣化のなかで進行してきたからである、という。留意しておきたい(抜き書きと要約)。
第一に、本来は大きな財源を必要とする普遍主義的改革が、(経済)成長が鈍化し財政的困難が広がるなかで(その打開のための消費税増税の理由づけとして)着手されたということである。高齢社会が到来するなかで、高齢者介護については社会保険化(介護保険)が可能だったが、障がい者福祉や保育のニーズは、介護に比べて誰しも不可避とはいえない面があり、社会保険化は困難であった。したがって、財政的困難のなかで税財源へ依拠するというジレンマがいっそう深まった。
第二に、自治体の制度構造は「支える側」「支えられる側」の二分法に依然として拘束されている面がある。にもかかわらず、普遍主義的改革においては、その自治体にサービスの実施責任が課された。
第三に、救貧的福祉からの脱却を掲げた普遍主義が、中間層の解体が始まり困窮への対処が不可避になるなかですすめられた、という逆説である。日本社会で救貧という課題が現実味を増すなかで、救貧的施策からの転換が模索されるという皮肉な展開となったのである。そして新たな目標であった自立支援は、雇用が劣化して多くの人々の就労自立が困難になるなかで取り組まれた。
すなわち、共生保障とも重なる普遍主義的改革は、財政危機、自治体制度の未対応、雇用の劣化による中間層の解体という三重のジレンマのなかで、進行したのである。この三重のジレンマこそが、普遍主義的改革の展開とその結果を方向づけた。(153~154ページ)
付記
1.子供を対象とした「まちづくり学習」の経緯
1.1都市計画・まちづくりの分野での経緯
都市計画の中で子供やその教育の問題が本格的に取り上げられるようになったのは、1970年代からであり、80年代に入ると「地域学習」への期待から、各自治体によるまちづくり関連の副読本が相次いで登場した。
80年代後半には世田谷区が主催する「まちづくりコンクール」や、杉並区での「知る区ロード探検隊」など、自治体による直接的な「まちづくり学習」の取り組みがおこなわれるようになり、90年代半ばには、自治体による子供参加のまちづくり学習の取り組みが、10府県336市区町村で640以上行なわれていた。
さらに90年代には建築学会を始め、様々な専門家、市民団体が関心を寄せ、取り組みの内容は多様化し、事例数も増加傾向にある。
188
都市計画・まちづくりの分野では、これまで1)まちづくりの将来の担い手としての子供への着目、2)都市計画・まちづくりへの子供の視点の取り入れ、3)まちづくりへの子供参加が進む中で、その参加がお飾り的な物とならないために、の3点から子供に対する「まちづくり学習」が取り組まれてきた。
1.2教育の分野での経緯
一方、教育の分野では身近な地域やそこでの子供の生活、体験を教材とする「地域に根付いた教育・学習」が、繰り返し試みられ、「まちづくり学習」の素地となるものが存在すると言える。
このような取り組みは様々な理由から、これまで一般には広まらなかったが、1996年の中央教育審議会の答申によって、学校教育では、2002年から「総合的な学習の時間」の導入、体験的、問題解決的な学習の充実、地域との連携などが図られるようになり、「まちづくり学習」を行なう上での条件が整いつつあると言える。
2.「まちづくり学習」の近似概念の整理と理念の構築
2.1「まちづくり学習」の定義
「まちづくり学習」とは、「環境」のための学習であり、主な目的はまちづくりを自らの問題として捉え、関わってゆこうとする主体的意識の育成とそのために自らの「環境」を自分で判断するための価値観の育成である。
子供を対象とすることは、価値観や関心が発育の途中であるため多くの配慮が必要である点、携わる大人も共に学び合う事が可能であること(つまり「教育」と言うよりも、むしろ「学習」である)の2点においてまちづくりに関する「市民教育」と区別される。
2.2近似概念の整理
近似する概念としては、「環境教育」と「地域学習」の2つを挙げることができる。
「環境学習・教育」とは本来、人間と取り巻く環境全般に渡るものであり、「判断力」や「主体的態度」の育成を定義に含むが、日本においては公害を契機として再認識されたことから、その範囲は狭く捉えられがちで、一般的な環境問題や自然保護に偏重していた。
「地域学習」は、学校教育において1980年代から取り組まれ、身近な地域や地域社会について、地形、土地利用、公共施設、歴史、人の営み、それを守るための働きなどをテーマに「調べ学習」を行なうものである。
しかし、調べたことから思考するという発展的学習が行なわれることは非常に少ない。
つまり、まち(身近な環境)を対象とする「環境教育」であり、「地域学習」よりも一歩進んで、得た知識から考察し、まちに対して何らかの働きかけをしようとする学習である「まちづくり学習」は新しい概念であると言える。
この「環境教育」の偏りを補うべく、70年代後半から建築の分野では、イギリスにおける「環境教育」を手本とした「住環境教育」の議論が、都市計画の分野においても「まちづくり教育」「まちづくり学習」などの議論が起こっている。(以下略)
189
【注】
安藤真理「子供を対象とした『まちづくり学習』の学校教育における展開の可能性に関する研究―横浜市の取り組みの分析を通して―」『2001年度/東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻・修士論文(概要)』より。
謝辞
転載許可を賜りました東京大学工学部都市工学科/大学院工学系研究科都市工学専攻 都市デザイン研究室に厚くお礼申し上げます。
190
31/まちづくりと市民福祉教育の「当事者」
―向谷地生良らの「当事者研究」をめぐって―
〇「まちづくりと福祉教育」の「当事者」とは誰か。その当事者は立ち位置をどこに取り、どのような姿勢でその実践や研究に取り組むべきか。本稿のねらいは、この素朴で基礎的な質問にひとまず応えるための文献と、そこでの注目(留意)すべき論点や言説を紹介(再認識)することにある。なお、以下の文献は、筆者の手もとにある、限られたものであることを断っておきたい。
(1)中西正司・上野千鶴子『当事者主権』岩波新書、2003年10月、以下[1]
(2)上野千鶴子『ケアの社会学―当事者主権の福祉社会へ―』太田出版、2011年8月、以下[2]
(3)日本福祉教育・ボランティア学習学会機関誌編集委員会編『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報(特集 福祉教育・ボランティア学習と当事者性)』Vol.11、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2006年11月、以下[3]
(4)石原孝二編『当事者研究の研究』医学書院、2013年2月、以下[4]
(5)柳田邦男『「人生の答」の出し方』新潮社、2004年4月、以下[5]
(6)一番ヶ瀬康子『社会福祉の道』風媒社、1972年12月、以下[6]
(7)一番ヶ瀬康子・大橋謙策編『学校における福祉教育実践 Ⅰ―保育所・幼稚園・小学校-』(シリーズ福祉教育 第2巻)光生館、1988年4月、以下[7]
〇周知のように、国(厚生労働省)によっていま、「地域共生社会政策」(「我が事・丸ごとの地域づくり」注①)が推進されている。確かで豊かな地域共生社会の実現を図るためには、行政や専門家による積極的・革新的な取り組みとともに、地域住民の学習・文化活動や「まちづくり」の主体形成、当事者の参加(参集、参与、参画)や共働が重要な課題となる。
〇「福祉教育」に関する主要な教育実践に、障害や高齢の疑似体験(車いす体験やアイマスク体験)や、障がい者や高齢者との訪問・交流活動がある。その展開に際しては、障がい者や高齢者などの当事者の参加や共働を如何に図るかが厳しく問われる。それは、場合によっては、「貧困的な福祉観の再生産」(原田正樹)を結果することになるからである。
〇「まちづくりと福祉教育」の当事者は、そこに暮らす子どもから大人までの全ての地域住民である。当然のことながら、「障害当事者」「高齢当事者」や社会福祉サービスの「必要者」「利用者」などもそれに含まれる。むしろ彼・彼女らが、「まちづくりと福祉教育」で重要な位置と役割を占めるべきである。まちづくりに
191
ついていえば、地域・福祉意識の醸成・変革が求められる地域住民をはじめ、専門的な知識や技術をもつ実践者(専門家)や研究者も当事者である。学校福祉教育についていえば、子どもと教師、保護者、さらには地域住民も当事者である。
〇なお、『広辞苑(第7版)』(2018年1月)によると、「当事者」とは「その事または事件に直接関係をもつ人」をいう。「当事者」に関しては、「受益者」から「当事者」への移行、「当事者」研究から「当事者研究」への展開、などが指摘される。さらに、「当事者性」という用語に関して、当事者(障がい者等)の特性、当事者(障がい者等)の主体性、非当事者(非障がい者等)による当事者(障がい者等)の受容・共感や自己同一化の程度、などと多義的で、多様な意図をもって使われる。
〇このように「当事者」(広義)についてあれこれと思考を巡(めぐ)らしながら、[1]から[7]の文献における「当事者」とその立ち位置や姿勢に関する論点や言説の一部を紹介する(抜き書、要約)。
(1)「当事者主権」:中西正司・上野千鶴子
当事者とはだれか? 当事者主権とは何か?
ニーズを持ったとき、人はだれでも当事者になる。ニーズを満たすのがサービスなら、当事者とはサービスのエンドユーザー(商品を使う人:阪野)のことである。だからニーズに応じて、人はだれでも当事者になる可能性を持っている。
当事者とは、「問題をかかえた人々」と同義ではない。問題を生み出す社会に適応してしまっては、ニーズは発生しない。ニーズ(必要)とは、欠乏や不足という意味から来ている。私の現在の状態を、こうあってほしい状態に対する不足ととらえて、そうではない新しい現実をつくりだそうとする構想力を持ったときに、はじめて自分のニーズとは何かがわかり、人は当事者になる。ニーズはあるのではなく、つくられる。ニーズをつくるというのは、もうひとつの社会を構想することである。([1]2~3ページ)
当事者主権は、何よりも人格の尊厳にもとづいている。主権とは自分の身体と精神に対する誰からも侵されない自己統治権、すなわち自己決定権をさす。私のこの権利は、誰にも譲ることができないし、誰からも侵されない、とする立場が「当事者主権」である。([1]3ページ)
当事者主権とは、私が私の主権者である、私以外のだれも―国家も、家族も、専門家も―私がだれであるか、私のニーズが何であるかを代わって決めることを許さない、という立場の表明である。([1]4ページ)
現代社会に必要なのは、個人個人が当事者となり、自分自身の人生に対する主権を行使することではないだろうか。そうすることで、社会は自分たちの望む方向に変わる。障害者は一歩先に自立したが、むしろ多くの非障害者はまだ自立できてはい
192
ない。世の中をこんなものさ、と受け入れていれば、自分のニーズにさえ気づかない。そのために、非障害者は当事者にさえ、なれないのだ。障害者の自立の理念に学んで、変えられないと思っている社会を変えてみようではないか。([1]205~206ページ)
(2)「当事者主権」:上野千鶴子
「当事者主権」とは、中西正司とわたしが共著『当事者主権』のなかで造語したものだが、「主権」という強い用語を当てたのは、「他者に譲渡することのできない至高の権利」という含意から来ている。人権の拡張によって得られた「ケアの権利」は、この当事者主権にもとづいていなければならない。だからこそ、ケアの権利の積極的/消極的の軸は、ケアすること/ケアされることの自己決定権の有無にもとづいて立てられたのである。([2]65ページ)
日本語の造語である「当事者主権」には、対応する英語圏のテクニカル・タームが存在しない。「自己決定権」を字義通り訳してself-determinismという訳語を対応させることは、(中略)「自己決定・自己責任」のネオリベラリズムの用語と混同されるおそれがあるため、採用を避けたい。当事者主権の訳語には、individual autonomyを暫定的に当てることとする。それは社会的弱者の自己統治権を意味するからである。([2]66ページ)
「当事者主権」という概念が障害学の分野から生まれたのは偶然ではない。というのも、「消費者主権」同様、援助の対象となっていながらその実、援助の内容についての自己決定権を長きにわたって奪われてきたのが障害者だったからである。障害者に限らず、女性、高齢者、患者、子どもなどの社会的弱者に「当事者能力」が奪われてきたことを前提に、それらの人々の「自己決定権」を主張するために、「当事者主権」という用語がつくられる必要があった。「当事者主権」とは何よりも社会的弱者を権利の主体として定位するために、必要とされた概念なのである。([2]67ページ)
(3)「当事者性」:松岡廣路
(障がい者や高齢者などの:阪野)「当事者」の学習が周辺に置かれたり、「当事者」が介在しない「非当事者」の教育・学習中心の福祉教育・ボランティア学習が推進されたりすることを懸念して、「当事者性」という考え方を、理論的なキー概念とすることも必要ではないだろうか。「当事者性」は、個人や集団の当事者としての特性を示す実体概念というよりも、「当事者」またはその問題的事象と学習者との距離感を示す相対的な尺度と捉えられるべきであろう。「当事者」またはその問題との心理的・物理的な関係の深まりを示す度合いといってもよい。
「当事者性が高め深められる」とは、たとえば、気軽にボランティアをはじめた後、徐々に対象者が身近な存在となり、その人との関係抜きには自分の生活を考え
193
られなくなるような状況を指す。あるいは、「社会的に恵まれない、かわいそうな人」という発想から抜け出て、対象者の抱える問題を自分にとっての問題と捉えるようになり、対象者がともに解決のための行動を起こす仲間になったりするすることを意味する。(中略)福祉教育・ボランティア学習とは、「当事者性」を高め深めることを支援することによって、何らかの成果(問題意識・主体性・解決に向けての具体的行動)を得ようとする実践と言い換えることができるだろう。([3]18~19ページ)
(福祉教育・ボランティア学習における教育的な実践課題〈方向性〉として、次の3つを析出することができる。:阪野)ひとつは、〈包括的な当事者をいかに組織化するのか〉という方向性である。「包括的な当事者」とは、障害当事者に限定または固定化するのではなく、個人を取り巻く、親・施設職員・ソーシャルワーカーそしてボランティアや地域住民まで拡張して捉えるべきであるという考えである。包括的な当事者を組織化するということは、いわゆる当事者や家族・専門スタッフだけではなく、ボランティアあるいはそこに暮らす地域住民や子どもたち各々が、より「当事者性」の高い人たちに触れ合うことで共感・一体感・同時存在感を増し、自らの「当事者性」を高め深めていく過程を内在するものということができる。
もうひとつは、〈潜在的な当事者の意識化をいかに進めていくのか〉という方向性である。ニーズを意識化している人々のみを当事者と捉えるのではなく、問題の真っ只中に居るにもかかわらず問題を意識化しえていない人々も、潜在的な当事者であり、子どもや地域住民も、本来の当事者である。潜在的な当事者の意識化とは、己の問題状況を自覚し、それとの心理的・物理的距離感としての「当事者性」を高めるということである。
(そして3つ目は:阪野)〈いかに異なる当事者の連帯を促進するのか〉という方向性である。子ども・女性・障害者・高齢者・勤労者・在日外国人などの多様な生活者が埋没している今日の反福祉的状況を克服する包括的な力動を推進するものとして、福祉教育・ボランティア学習の意義が期待されている。当事者の連帯とは、異なる「当事者性」を重ね合い、多極的かつ有機的に「当事者性」を高め合っていくということになる。福祉教育・ボランティア学習は、そうした「当事者性」の深化・統合をいかに具体的に促進するのかを課題とする実践と同定しえるであろう。([3]16~20ページ。抜き書き、要約)
(4)「当事者研究」:石原孝二・河野哲也・池田喬
(べてるの家の実践では:阪野)「当事者性」について独特の理解がなされてきた。つまり、「自分のことは、自分がいちばん、“わかりにくい”」という理解のもとに、「自分のことは、自分だけで決めない」ということが当事者性の原則として受け継がれてきたのである。
194
自分が受けるサービスを自分で選択する権利を取り戻すという当事者運動における「当事者」とは異なり、べてるの家における「当事者」とは、自らの苦労を取り戻し、人とのつながりを回復することによって、自分を再発見していく人のことなのである。そうした再発見の場として機能するのが当事者研究にほかならない。(石原[4]28ページ)
当事者研究が自己を再発見していく営みであることは、べてるの家の当事者研究においても示されていたポイントである。当事者研究とは、当事者が人とのつながりの中で、苦労を取り戻し、言葉を取り戻し、自らの歴史性を取り戻していく作業であった。また、べてるの当事者研究の理念「自分自身で、共に」の「共に」には、当事者の仲間と共に、というだけでなく、専門家と共に、という意味が込められている。しかしこの場合の専門家の立ち位置は、あくまでも、当事者の主観的現実に寄り添う、ということにある。(石原[4]48ページ)。
当事者研究において目指されているのは、障害当事者が自分自身で自分の問題に取り組み、自発的に生活の質の向上を目指すことである。この形を見るならば、当事者研究の過程は、治療というよりも、デューイがいう意味での自己「学習」に近いといえないだろうか。(河野[4]84ページ)
当事者研究は、デューイの問題解決学習(Problem Solving Learning)の一種だといってしまってよいほどだ。(河野[4]87ページ)
こうした当事者による学びにおける教育者の役割は、生活の質を向上させようとする当事者の試みを尊重しながら、それが可能になるような当事者のケイパビリティ(潜在能力)を共同で開発していくことにある。何を学ぶことがどのようなケイパビリティを開発することにつながるのか、それがどのような生活の質の向上と結びついているのか。こうした学びの価値が当人にとって可視化されていることが、学習意欲を維持する。教育者は、学習目標を定めてそこへの道を教授するインストラクターではなく、当人が生活の質を高めるための選択肢を示唆するコーチでなければならない。
当事者研究は、自分の成長にかかわる知、すなわち、自己教育であり、自己教育以外に成長の道はないのである。これが当事者研究の優位性である。(河野[4]88ページ)
当事者研究が目指しているのは、当事者同士の共同的な探求の中で自己理解を深め、自分の問題に対する対処法を知ることであり、それを通して最終的に自律性を確保することである。したがって、当事者研究とは、比較不可能な個性を主張するための閉鎖的な自己表現ではありえない。当事者が、自己についての言及が絶対のものであり、無謬(むびゅう。まちがいがないこ:阪野)であると考えてしまえば、それは集団・個人の両レベルにおいて当事者の孤立を招き、最終的に当事者の活動を閉塞させてしまうだろう。
195
当事者研究は、当事者同士の相互援助によって障害を持った人々の共同性を確保すると同時に、その個々人の差異化と分節化を促し、自分自身で自発的に学びながら生きる手段を提供するものである。当事者が医学定義によって外から分類されるのではなく、当事者が自分の抱えている問題をどのように対処しているかという自己学習の観点からつながり合うときにこそ、当事者研究の大きな意味が明らかになる。(河野[4]109~110ページ)
当事者研究は、診断名や社会的なカテゴリーによる理解ではなく、当事者たちによる研究によって自分たちについての理解を獲得しようとする。当事者研究における当事者性とは、結局、その人その人の身体と言葉を介した生きる主体性だといえるのかもしれない。だとすると、この主体性は、健常者や研究者・専門家といったカテゴリー的理解の適用によって「私は当事者ではない」と思考するときにまさに逸(そら)されているものである。当事者とは、一人一人が、当事者研究に触れることを通じて「自分自身で、共に」なるべき何かなのである。(池田[4]146~147ページ)
当事者研究は、研究者・専門家も含めた私たちの一人一人が共に自分自身で考えるチャンスの場なのである。(池田[4]147ページ)
(5)「2.5人称の視点」:柳田邦男
私はかねて、拙著『この国の失敗の本質』(講談社、1998年12月、のち講談社文庫に)や『緊急発言 いのちへⅡ―医療事故・鉄道事故・臨界事故・大震災』(講談社、2001年9月)などで、専門化社会の専門家あるいは専門的職業人に求められるのは、ひとりひとりが「2.5人称の視点」を身につけることと、その視点を業務のなかで確実に生かせるような組織的な取り組みをすることだと提言してきた。1人称は被害者や患者や障害者本人、2人称はその家族。3人称は友人・知人や仕事でかかわり合う職業人からアカの他人まで。医療者や福祉の従事者をはじめ、行政官、法律家、教育者、ジャーナリストなどは、3人称の立場なのだが、冷たく乾いた3人称であってはならないはずだ。これからの専門的職業人には、3人称の冷静で客観的な判断をする立場を維持しながらも、被害者・患者・障害者などの弱い立場の人に対し、《自分が当事者あるいは家族だったら》という気持ちで寄り添うことも求められている。かと言って、2人称の家族と同じ気持ちになってしまったら、感情が同一化して、冷静で客観的な判断ができなくなる。そこで私は、これからの専門的職業人のあり方として、3人称と2人称の2つの立場を視野に入れた潤いのある「2.5人称の視点」の定着を提言したのだ。
そのためには具体的にどうすればよいのか。問題に取り組むときに、まず自ら現場に行き、被害の状況を実感するとともに、被害者、患者、障害者の生の声を聞くことだ。法規や理論の適用を机上で考える前に、現場を踏む。そうしてこそ本当に「わかる」という事実認識ができるのだ。そして、「法規上できない」とか、「科学的に証明されていないから何
196
もできない」といった、ネガティブな発想を捨て、「現行の法規でも被害の拡大防止と救済の対応をする方法があるはずだ」とか、「根本的には法規をどう変えるべきか」とか、「科学的な証明はまだできていなくても、因果関係が黒に近い灰色であるなら、被害の拡大を防ぐためにまず手を打とう」(結果として白となって企業に損害が生じても、それは社会的に必要なコストとして行政が責任をとろう)というポジティブな発想をこそ優先すべきなのだ。「2.5人称の視点」の実践とは、そういう取り組みを指している。それが専門的職業人と行政・企業・学問の組織が、今まさに水俣病事件から学ぶべき課題なのだ。([5]192~193ページ)
(6)「“熱い胸”と“冷たい頭”」:一番ヶ瀬康子
“熱い胸”と“冷たい頭”というのは、私は感性的認識と理性的認識ということを別の言葉でいっているわけです。つまり“熱い胸”というのは感性的認識で、それは、大事にしないといけないけれど、そこにとどまっている限りより根本的な解決につながらないし、また自分はよいつもりでやっていても、結果的には間違っている場合もでてきます。なぜそうなったかということを深めながらより深い実践の展望を生みだすためには、なぜそうなったかという科学的認識あるいは理性的認識を媒介におかなければいけない。これが、“冷たい頭”だということです。
“熱い胸”から出発して“冷たい頭”をねりあげていきながら、“熱い胸”の正しい生かし方というものを、互いに深めていこうということの意味です。([6]57~58ページ)
(7)「感性的認識・理性的認識・主体的認識」:一番ヶ瀬康子
私は社会福祉への認識は、つぎの3つの段階をへて行われると考えている。それは、(1)感性的認識、(2)理性的認識、(3)主体的認識の3段階である。
(1)の感性的認識とは、“社会福祉”の必要を、漠然と心情的に認識している段階である。ことに自らと異なる他への認識の壁をこえつつ、他者との共感・共鳴あるいは愛情などを基底として、連帯への想いをいだきはじめる段階である。この段階での行動は、単純で、偶発的なものが多く、いわば慈善的なものにおわる場合も少なくない。しかし、自己中心的また排他的活動ではない他者との積極的関係がめばえはじめる段階である。
(2)の理性的段階とは、(1)の連帯への想いと素朴な活動が展開する過程で、そのことの意味や在り方を、より考究し有効性を検討しはじめる段階であるといえよう。それは、感性的段階での素朴な経験の集積のなかから会得し、その在り方を確認するレベルのものからはじまる。そして、他者たとえば高齢者の心理や生活上の特徴などをふまえて、その高齢者の状況を尊重しながらかかわりあうというレベル、さらにたとえば高齢者をめぐる社会福祉の在り方などにかんする矛盾の認識にいたるまで、多層でまた多様な道筋をたどるものと思われる。いずれにしても、(1)の感性的段階よりは、関係や環境との矛盾を客観視しながら、その在り方の認識に到達する
197
段階であるといえよう。
それらに対し、(3)の主体的段階は、たとえば高齢者をめぐる問題など社会福祉の状況や矛盾に対し、積極的にかかわりながら、その充実、改善あるいは開拓、創造のための在り方を把握していく段階である。この段階では、たんに制度的な社会福祉を知っている、あるいは活用できるだけではなく、それをくみこみながら、もっと本質的な福祉を実現する社会福祉を自発的に創造していくための方向、方法に対し認識し、さらに自らのかかわり方への自覚をともなっていく段階である。つまり偶発的なボランティアとしてのレベル以上に、福祉を実現するための自発的な社会福祉(Voluntary Social Welfare)実践者としての認識の段階とも考える。
もちろん、以上のような3つの段階は、確然としているものではない。それは、発達の道筋のなかで、いわば螺旋的に、しだいにひろがりをもちつつ深まっていくのではないだろうか。([7]6~7ページ)
〇以上のうち、とりわけ[4]は、筆者にとっては何回読んでも衝撃を受け、感動を覚える本である。[4]でいう「当事者研究」は、2001年2月に北海道の「浦河べてるの家」(精神障がい者の地域活動拠点)で始まったものである。その「研究」の成立に重要な役割を果たした一人に、向谷地生良(むかいやち・いくよし)がいる。
〇べてるの家の当事者研究は、障害や問題を抱える当事者に対して、医師(専門家や研究者)が診断し治療(援助)するのではない。当事者自身が自らの苦労や困難、苦悩や苦しみに向き合い、自発的・主体的に問い直し、それを言語化し、問題解決へ向けて対処(行動)する。そして最終的に自律性を確保する。その実践(作業)を「研究」という言葉を用いて、仲間や支援者とともに共同的・公共的に行い、それを通じて人や社会との「つながり」の回復を図るのである。
〇べてるの家の当事者研究では、「3度の飯よりミーティング」「手を動かすより口を動かせ」というキャッチフレーズ(理念)のもとで、「自分を語る」ことが重視される。それは、単に個人的な体験談を話すことではなく、その閉塞性からの脱却を図るために、「共同的に言葉や知を立ち上げていく」(池田[4]133ページ)のである。別言すれば、当事者は自己体験を表現する言葉が少ないがゆえに、「自分を語る」なかで仲間と共に言葉を考え、紡(つむ)ぎ、それを通して見地を見出し、知見を広げていくのである。この共同行為によって、個人的な体験が「その人だけの自己完結的なものではなくなり、普遍性とか広がりとかつながり」(向谷地[4]153ページ)を持つことになる。
〇それは、1人称である当事者が、「研究」という3人称的な立ち位置から自分の問題を外在化し、仲間と共有化していくことを意味する。この点において当事者研究は、柳田邦男がいう「2.5人称の視点」の実践であると言ってもよい。客観的で冷静な3人称(他人、専門家)の立場を踏まえながら、1人称(わたし、当事者)や2人称(あなた、家族)の心情を共感的に理解し寄り添う(当事者や家族の身になって考
198
える)姿勢(実践)がそれである(資料①)。さらに、この潤いのある「2.5人称の視点」は、一番ヶ瀬康子がいう「“熱い胸”と“冷たい頭”」や社会福祉への「感性的認識・理性的認識・主体的認識」についての言説を想起させる。[5]と[6][7]を紹介するところである。
〇なお、[4]で河野は、べてるの家の当事者研究は「障害当事者が自分自身で自分の問題に取り組み、自発的に生活の質の向上を目指す」(河野[4]84ページ)点において、デューイの「問題解決学習の一種」(河野[4]87ページ)であるという。また、向谷地によると、当事者研究はそれをまちづくり(地域づくり)に繋げていくことによって、「足腰の強い市民社会をつくる基本」となる。浦河では「地域の課題や困難を市民みんなが持ち寄って、研究的に、アイデアを出し合って形にしていく」「町民当事者研究」を進めている(向谷地[4]174ページ)。この言説には、「まちづくりと福祉教育」に関して「2.5人称の視点」に注目するとともに、障がい者や高齢者自身が中心的な役割を果たす「まちづくりと福祉教育」を推進したり、地域住民による「地域共生社会」の「研究」という意味での「住民当事者研究」のあり方を考えたりするためのヒントがある。付記しておきたい。
注
① 2016年10月に厚生労働省に設けられた「地域における住民主体の課題解決力強化・相談支援体制の在り方に関する検討会(地域力強化検討会)」(座長・原田正樹)が、2017年9月、『地域力強化検討会 最終とりまとめ~地域共生社会の実現に向けた新しいステージへ~』を発表した。そのなかで、「地域づくりの3つの方向性」について次のように整理し、「これら3つの地域づくりの取組の方向性は、(中略)互いに影響を及ぼしあうものということができる。『我が事』の意識は、その相乗効果で高まっていくとも考えられる」と述べている(7ページ)。
(1) まちづくりに広がる地域づくり
「自分や家族が暮らしたい地域を考える」という主体的、積極的な姿勢と福祉以外の分野との連携・協働によるまちづくりに広がる地域づくり
(2) ネットワークにより共生の文化が広がる地域づくり
「地域で困っている課題を解決したい」という気持ちで、様々な取組を行う地域住民や福祉関係者によるネットワークにより共生の文化が広がる地域づくり
(3) 一人ひとりを支えることができる地域づくり
「一人の課題から」、地域住民と関係機関が一緒になって解決するプロセスを繰り返して気づきと学びが促されることで、一人ひとりを支えることができる地域づくり
なお、原田は、この「地域づくりの3つの方向性」を、(1)まちづくりにつながる「地域づくり」、(2)福祉コミュニティとしての「地域づくり」、(3)一人を支えることができる「地域づくり」、と別言している(『平成30年度 地域福祉推進セミナー―基本資料―』島根県社協・島根県社協地域福祉推進委員会、2018年10月、93ページ)。
199
資料
➀ 2.5人称の視点―3人称の客観性を捨てないが1人称に寄り添う姿勢―
注 柳田邦男「被害者の精神史~70年の歩みと転機のいま~」『日本記者クラブ 2015年度総会記念講演』(2015年5月27日)資料より
補遺
「障害学(ディスアビリティ・スタディーズ)とは簡単に言えば、障害、障害者を社会、文化の視点から考え直し、従来の医療、リハビリテーション、社会福祉、特殊教育といった『枠』から障害、障害者を解放する試みである」(石川准・長瀬修編著『障害学への招待―社会、文化、ディスアビリティ』明石書店、1999年3月、3ページ)。その「障害学」の成立の背景について、次の言説によって確認しておくことにする。「『まちづくりと福祉教育』の当事者」について思考する際に留意すべき点のひとつである。
医療・教育・福祉などの領域での各種専門職の働きかけが抑圧的なものであったという経験が、1960―70年代以降、障害者自身によって各国で語られ始めた。「〈障害〉を持つ障害者たちの「語り」ではなく、彼らを援助することの権限を与えられてきた専門家たちの「語り」が〈障害〉という現実を構成する支配力」を有してきたことが告発され始めたのである。障害者は、医療では治療やリハビリテーションによって「正常性」へと近づけるべき存在として、教育では社会への適応を支援すべき存在として、福祉では保護の対象となるべき存在として、非障害者の専門家によって位置づけられてきた。このことが、結果として障害者に否定的なアイデンティティを押し付けることにつながったという現実が、障害当事者からの強い批判の的となった。
200
そこには、問題の「代弁」や「共感」といったことに潜む危険性への自覚がある。これまで障害をめぐって「問題」とされたのは、多くの場合、障害者を取り巻く周囲の人々が「問題」としてとらえた事柄であって、障害者自身にとって「問題」と感じられた事柄ではなかった。したがって、問題解決を志向する取り組みは必ずしも障害者自身にとって望ましい方向に向かうものであるとはいえなかった。このような背景の下、ディスアビリティ・スタディーズは障害者自身による問題の定義づけを重視し、当事者の手による調査研究の重要性を強調したのである。それにあたっては、従来とは異なるオルタナティブな研究目標の探求も必要であるとされ、社会的抑圧の経験から出発して政治的取り組みを促進することへの貢献が一つの目的であるとされた。(星加良司「当事者性の(不)可能性―ディスアビリティ・スタディーズの存在理由」崎山治男・伊藤智樹・佐藤恵・三井さよ編著『〈支援〉の社会学―現場に向き合う思考―』青弓社、2008年11月、212ページ)
201
32/「関係人口」とよそ者
―田中輝美と敷田麻美の論考から―
〇地域づくりに関してしばしば、「よそ者、若者、ばか者」という3者が挙げられ、その役割が指摘される。従来のシステムや活動に対して批判的で、新しい見方を醸成する「よそ者」、しがらみのない立場から、新たなエネルギーによって次の時代を切り拓く「若者」、旧来の価値観の枠組みからはみ出し、既成概念を壊す「ばか者」がそれである(真壁昭夫『若者、バカ者、よそ者―イノベーションは彼らから始まる!』PHP研究所、2021年8月参照)。そこに通底するのは、常識や固定観念にとらわれず、客観的にモノゴトを考え、前向きに行動する姿勢や態度である。彼らは地域づくりの現場で、ときに好意的・肯定的に評価され、またときには地域や組織から受け入れられず、軽視あるいは排除される。
〇私事にわたるが、筆者がいま暮らす“まち”に定住して25年が過ぎた。そして僭越ながら、ある思いや願いのもとで、地域との関わりにおいて「よそ者、若者、ばか者」の役割を多少とも果たそうとしてきた(している)。しかし、地域からの基本的な評価は、いまだに地域外からの「よそ者」(移住者)である。コトによってはある役割を果たすことが要請・期待されるが、それとて地域に住む一般的な住民とは異質な「よそ者」「見知らぬ者」に対してである。そうしたなかで、「よそ者、若者、ばか者」に無頓着・無関心に暮らす地域住民が多い。これが、多かれ少なかれ伝統的な共同性や社会関係が残る農村部や中山間地域を抱える、地方の小都市(人口約8万6,000人)のひとつの実相である。
〇また、地元の行政やJA等の広報誌などでは最近、「関係人口」に関する記事が目につくようになった。それは、移住者や新規の就農者の増加を図りたいという考えによるのであろう。また、「農福連携」の記事も散見される。農福連携とは、「障がい者等が農業分野で活躍することを通じ、自信と生きがいを持って社会参画を実現していく取り組み」である。「担い手不足や高齢化が進む農業分野において、新たな働き手の確保につながる可能性がある」(農林水産省ホームページ)という。そこでは、いわゆる「健康・生きがい就労」が強調され、劣悪な労働条件や職場環境のなかでの就労が余儀なくされている。それは、安価な労働力を補填・補充する、技能実習生として働く「低度」外国人材の非熟練労働の実態と重なる(安田峰俊『「低度」外国人材―移民焼き畑国家、日本―』KADOKAWA、2021年3月参照)。
〇筆者の手もとに、田中輝美(たなか・てるみ、ローカルジャーナリスト、島根県立大学)の『関係人口の社会学―人口減少時代の地域再生―』(大阪大学出版会、2021年4月。以下[1])がある。
〇「関係人口」という用語は、高橋博之(たかはし・ひろゆき)と指出一正(さしで・かずまさ)の二人のメディア関係者が2016年に初めて言及したものである。
202
「関係人口」とは、高橋にあっては「交流人口と定住人口の間に眠るもの」、指出にあっては「地域に関わってくれる人口」をいう。その後、田中輝美は「地域に多様に関わる人々=仲間」(2017年)、総務省は「長期的な『定住人口』でも短期的な『交流人口』でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者」(2018年)、農業経済学者である小田切徳美(おだぎり・とくみ、明治大学)は「地方部に関心を持ち、関与する都市部に住む人々」(2018年)、河井孝仁(かわい・たかよし、東海大学)は「地域に関わろうとする、ある一定以上の意欲を持ち、地域に生きる人々の持続的な幸せに資する存在」(2020年)としてそれぞれ、「関係人口論」を展開する(73~75ページ)。
〇田中は[1]で、こうした抽象的・多義的で、農村論や過疎地域論に偏りがちな(都市部における関係人口を切り捨ててしまう)関係人口論に問題を投げかけ、関係人口について社会学的な視点から学術的な概念規定を試みる。関係人口とは「特定の地域に継続的に関心を持ち、関わるよそ者」(77ページ)である、というのがその定義である。この定義づけで田中は、関係人口を、移住した「定住人口」でも観光に来た「交流人口」でもなく、新たな地域外の主体、別言すれば「一方通行ではなく、自身の関心と地域課題の解決が両立する関係を目指す『新しいよそ者』」(69ページ)として捉える。その際、地域とどのように関わるかについて、関係人口の空間(「よそ者」)とともに、時間(「継続的」)と態度(「関心」)に注目する。
〇こうした定義づけを踏まえて田中は、関係人口が地域再生に関わった事例の分析を行い、関係人口が(1)どのように地域再生の主体として形成されていくのか、(2)地域再生にどのような役割を果たすのか(14ページ)、という2点を明らかにする。そのなかで、現代の人口減少社会における地域再生の方向性と具体的な方法論を示す。これが[1]における「関係人口」研究の目的である。なお、田中が調査対象としたのは、関係人口が島根県海士(あま)町で廃校寸前の高校の魅力化という教育課題に関わった事例、島根県江津(ごうつ)市でシャッター通り商店街の活性化という経済課題に関わった事例、そして香川県まんのう町で過疎地域の高齢者の生活支援という福祉課題に関わった事例、この3つである。
〇上記(1)の「地域再生主体の形成」について田中は、パットナム(Robert D.Putnam,アメリカの政治学者)の「社会関係資本論」をよりどころにアプローチする。社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)論とは、地域・社会における人々の相互関係や結びつきは、ネットワークや互酬性、信頼性などによって規定されるという考え方である。田中は、地域再生主体の形成過程について次のようにいう。先ず、①地域課題に関心や問題意識をもつ関係人口は、その課題解決に向けて主体的に動き出し、その際に関わった地域住民と社会関係資本を構築する過程で地域再生の当事者・主体として形成される。続いて、②その関係人口が社会関係資本を構築する過程で、最初につながった地域住民とは別の新たな地域住民が地域再生主体として形成され、両者(地域再生主体としての関係人口と同じく地域再生主体として
203
形成された地域住民)の「協働」という相互作用によって地域課題に立ち向かう。そして、③その地域住民が自ら社会関係資本を構築する力をつけたことで地域内にまた、新たな地域住民や新たな関係人口との間に多層的な社会関係資本が構築され、連続的に地域課題の解決を図る(250、273、308ページ)。
〇この3つのステップ――①関係人口が地域課題の解決に動き出す。/関係人口が地域住民との間に社会関係資本を構築する。→②関係人口と地域住民との間に信頼関係ができる。/社会関係資本が別の住民に転移する。→③地域住民が地域課題の解決に動き出す。/地域住民が別の地域住民や関係人口との間に社会関係資本を構築する、これが「地域再生サイクル」(279ページ)である。ここでの要点は、地域再生主体とは「主体的に地域課題を解決する人」であり、「地域再生の主役はその地域に暮らす住民」である。田中はいう。「人口減少が前提となる現代社会の地域再生においては、『心の過疎化』に起因する主体性の欠如が報告され続けてきた地域住民が主体性を獲得し、地域再生の主体として形成されることが欠かせない。その形成を促すカギとなる存在が、関係人口である」(308~309ページ)。ここで重要なのは、地域住民が地域外の関係人口をどれだけ呼び込んで活用したかという量ではない。問われるのは、新たな地域住民が「地域再生の主体性」をどのように獲得したかという、地域住民と関係人口との間の関係性の「質」である(309ページ)。すなわち、地域住民が関係人口を資源として客体化するのではなく、地域住民と関係人口が対等な主体として「協働」していくなかで互いが、どのように地域再生主体として形成されていくかが重要になる(312ページ)。
〇上記(2)の「地域再生における関係人口の役割」について田中は、敷田麻美(しきだ・あさみ、北陸先端科学技術大学院大学)の「よそ者論」をよりどころにアプローチする。敷田の言説を引いて、田中はいう。「よそ者」とは「異質な存在」であり、地域住民との関係によってその異質性が左右される。そして、よそ者と地域住民がどのように関わるかによっていろいろな変化(「よそ者効果」)が起きる(116ページ)。その「効果」についての敷田の言説を、田中は次のように紹介・説述する。①地域の再発見効果(よそ者は地域に不慣れなことが幸いして、地域資源の価値や地域のすばらしさを見出すことができる)、②誇りの涵養効果(地域住民は地域外の視点を持つよそ者を意識することで、自らの地域のすばらしさを認識する)、③知識移転効果(地域住民がよそ者と接することで、地域にない知識や技能を補う効果が期待できる)、④地域の変容を促進する効果(地域がもともと持っている資源や知識を、よそ者の刺激を利用して変化させることができる)、⑤「地域とのしがらみのない立場からの解決案」の提案(よそ者は地域のしがらみにとらわれない立場だからこそ、優れた解決策を提案できる)、この5つがそれである(116~118ページ。各項目の表記は敷田による)。
〇田中にあっては、関係人口と地域住民との「協働」によって、このような「よそ者効果」が発現し、創発的な課題解決が可能になる。この点と上述の「地域再生サイクル」の知見から田中は、地域再生における関係人口の役割は、①地域再生主体
204
の形成と②創発的な課題解決の促進の2つであることを明らかにする。以上が田中の議論である。その内容については、地域福祉論の領域から言えば必ずしも特段の新味があるものでもないが、社会学的な視点・視座から3地域の事例の質的研究を地域再生活動の発展段階に沿って丹念に行う。そして、「社会関係資本論」や(以下に記すような)「よそ者論」に依拠して「関係人口」についての整理がなされている。注目されるところであろう。
〇ここで、上述の敷田の「よそ者と地域づくり」に関する論考について若干ふれておきたい。そのひとつは、「よそ者と地域づくりにおけるその役割にかんする研究」(『国際広報メディア・観光学ジャーナル』No.9、北海道大学、2009年9月、79~100ページ。以下[2])である。なお、[2]の決定版として、敷田の「よそ者と協働する地域づくりの可能性に関する研究」(『江淳の久爾(えぬのくに)』第50号、江沼地方史研究会(石川県加賀市立中央図書館内)、2005年4月、74~85ページ)がある。
〇[2]で敷田は、意図的に起こる効果と意図せずとも起こる効果の両方を含めて、「よそ者の地域づくりへのかかわりが起こす変化」を「よそ者効果」とする。そして、田中が紹介・説述した5項目を次のように換言し、それらの効果は複合的に同時に起きているが、それがどのように発現するかが重要となる、という。項目の換言は、①技術や知識の地域への移入、②地域の持つ創造性の惹起や励起、③地域の持つ知識の表出支援、④地域(や組織)の変容の促進、⑤しがらみのない立場からの問題解決(89ページ)、である。
〇敷田はさらに、「よそ者効果の活用」についていう。地域づくりの本来の姿は、地域がよそ者に依存するのではなく、よそ者をひとつの「資源」として適切に活用することにあり、「よそ者活用戦略」「よそ者活用モデル」が必要となる。その際、よそ者はあくまで「有限責任」を持つ存在であり、また地域づくりには「最適解」はないことから、地域の多様な選択肢を提示することが求められる存在である。その点に留意し、地域がその主体性を発揮しながらよそ者とどのような相互関係を形成するか、そのプロセスが地域づくりでは重要となる。それによって、一方だけではなく、「よそ者と協働しながら地域もよそ者も相互変容し、それが結果的に地域を持続可能にすることにつながる」のである。敷田にあっては、その「相互変容」のプロセスこそが地域づくりである(97ページ)。この点の「協働」は、筆者がかねてから主張してきた「共働」に通底するものであろう。
〇敷田のいまひとつの論考は、「地域づくりにおける専門家にかんする研究:『ゆるやかな専門性』と『有限責任の専門家』の提案」『国際広報メディア・観光学ジャーナル』No.11、北海道大学、2010年11月、35~60ページ。以下[3])である。
〇[3]で敷田は、地域づくりの背景と変遷を分析したうえで、地域づくりにおける専門性のあり方や専門家と地域の関係性について考察する。そして、「ゆるやかな専門性」と「有限責任の専門家」について提案する。その際のスタンスは、地域づくりには専門家が必要であるというものである。なお、「専門家」とは、「ある特定の分野において卓越した知識と技術・技能を持ち(場合によってはそれらを総合
205
化・体系化している)、それを表現することができる人」を指し、そこに研究者を含める。「地域」とは、「一定の地理的広がりを持つ土地や空間と、そこに居住・滞在する地域住民間の関係性」(37ページ)を表わし、社会学で用いられる「地域社会」や「地域コミュニティ」と同義とする(37ページ)。そして、「地域づくり」とは、「地域社会の課題を解決し、よりよい状態を目指すために地域社会にはたらきかけて仕組みを構築してゆくプロセスとその内容」(40ページ)をいう。
〇敷田にあっては、地域づくりはこれまで、①地域の経済の活性化やインフラの整備をめざした「地域振興型」から、②地域の特定課題の解決をめざした「テーマ型」を経て、③総合的な地域づくりのために地域社会全体のデザインをめざす「統合デザイン型」へと質的に移行してきた。それに伴って、地域づくりの専門家に求められ能力や状態も、①知識の提供や特定事業・業務の遂行・アドバイス、②対象テーマ・分野についての調査研究や実践、③地域関係者による地域づくりの課題発見や解決策の創出と課題解決、へと変化した。したがってまた、地域づくりの専門家の関与や責任も、①業務や委託の範囲内での限定責任、②自主的な活動範囲における条件つき責任、③地域との関わりの範囲と内容の拡大による無限責任、へと変化してきた(45ページ)。そのうえで敷田は、地域づくりに関わる専門家の専門性について、「ゆるやかな専門性」と「有限責任の専門家」について言及する。
〇「ゆるやかな専門性」とは、「専門家が自らの専門性の範疇だけで地域づくりに関与するのではなく、専門性を主体的に拡張や拡大することである。また自らの専門性を背景に地域内外の関係者と地域(資源)を関係づけることで、地域づくりを支援する『ゆるやかさ』を維持することである」(51、56ページ)。「有限責任の専門家」とは、総合化した地域づくりのなかで、専門家が地域づくりへの関与を主体的にコントロールして一定の期間と範囲内で地域づくりに関わり、一定の範囲に限定して責任を負うことをいう(54~55、56ページ)。住民が直接の当事者となる最近の地域づくりにおいて、この「ゆるやかな専門性」と「有限責任の専門家」の考え方は、地域の利益と専門家の役割やキャリア形成にとって重要であり、地域にも専門家にも「相利的」(55ページ)である。 [3]における敷田の主張である。
〇ここで筆者は、「福祉でまちづくり」の「スーパースター」(田中輝美の言葉)的な「関係人口」や地域づくりの専門家(「実践的研究者」)といえる大橋謙策(おおはし・けんさく、日本地域福祉研究所)の「バッテリー型研究方法」を思い出す。大橋は、全国各地の地域福祉(活動)計画の策定や地域福祉の研修会・セミナーなどに関わるが、その際の視点や姿勢はおよそ次のようなものである。以下でいう「地域」は福祉等の関係者や関係機関・組織、地域住民などを意味し、「関係人口」は大橋を指す。
206
(1) 地域による実践の理論化・体系化と関係人口としての理論仮説の提起と検証(バッテリー型研究方法)を行う。
(2) 地域と長期間にわたって関わり、特定あるいは総合的・統合的な事業・活動への支援を継続的に行う。
(3) 地域による実践活動の活性化と、地域と行政や関係機関との協働を成立させるコミュニティソーシャルワーク機能(触媒・媒介機能)の展開、そのためのシステムの整備を支援する。
(4) 多種多様な、あるいは潜在的な地域課題の解決に向けた専門多職種によるチームアプローチの必要性や重要性を提唱し、その実現を図る。
(5) 地域との相互作用や相互学習の過程を通して、地域内外との交流や福祉等関係者(実践者)の組織化を促す。
(6) 地域による実践のプロセスとその結果の客観化・一般化や実践仮説の検証を図るために、著作物の刊行や地域によるそれを支援する。
(7) 地域による問題発見・問題解決型の共同学習(福祉教育)を徹底的に行い、地域(地域住民や専門家等)の社会福祉意識の変容・向上を図る。
(8) 地域との共同実践を通して地元自治体における福祉サービスの整備や、全国の地方自治体や国への政策提言を行い、その具現化の制度化・政策化を促す、
などがそれである。これらを総じていえば、地域による「草の根の地域福祉実践」を豊かなものにするために「継続は力なり」の意志を体して、理論と実践を往還・融合する探究的な「実践的研究」に取り組み、「福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク」を追究する、ここに大橋の「関係人口」としての具体的・実践的な視点や姿勢を見出すことができる。しかもそれらは、地域づくりや地域再生に「関係人口」が果たすべき役割や機能のひとつのモデルとして整理されよう。
〇なお、上記の(6)に関する文献に例えば次のようなものがある。紹介しておきたい。表記した地名は大橋が関わった地域である(それはそのほんの一部に過ぎない)。
・東京都狛江市/大橋謙策編著『地域福祉計画策定の視点と実践―狛江市・あいとぴあへの挑戦―』第一法規出版、1996年9月
・富山県氷見市/大橋謙策監修、日本地域福祉研究所編『地域福祉実践の課題と展開』東洋堂企画出版社、1997年9月
・岩手県湯田町(現・西和賀町)/菊池多美子著/『福祉の鐘を鳴らすまち―「うんだなーヘルパー」奮戦記―』東洋堂企画出版社、1998年9月
・富山県富山市/大橋謙策・林渓子共著『福祉のこころが輝く日―学校教育の変革と21世紀を担う子どもの発達―』東洋堂企画出版社、1999年1月
207
・山口県宇部市/宇部市教育委員会編『いきがい発見のまち―宇部市の生涯学習推進構想―』東洋堂企画出版、1999年6月
・島根県瑞穂町(現・邑南町)/大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著『安らぎの田舎(さと)への道標(みちしるべ)―島根県瑞穂町 未来家族ネットワークの創造―』万葉舎、2000年8月
・岩手県遠野市/日本地域福祉研究所監修、大橋謙策・ほか編『21世紀型トータルケアシステムの創造 ―遠野ハートフルプランの展開―』万葉舎、 2002年9月
・長野県茅野市/土橋善蔵・鎌田實・大橋謙策編集代表『福祉21ビーナスプランの挑戦―パートナーシップのまちづくりと茅野市地域福祉計画―』中央法規出版、2003年2月
・香川県琴平町/越智和子著『地域で「最期」まで支える―琴平社協の覚悟―』全国社会福祉協議会、2019年7月
208
33/ソーシャルワーカーとソーシャルアクション
―井手英策と高良麻子を読む―
所得制限は、さまざまな政治対立を生みだす原因となっている。日本の予算は、義務教育、外交、安全保障をのぞき、ほとんどが低所得層や障がい者、ひとり親世帯などの「だれかの利益」でできている。そして大半の給付には、所得制限という自助努力、自己責任の象徴である分断線が網の目のようにこまかく引かれている。受益者を限定すれば安あがりではある。だが、こうした制度設計そのものが、政府の公正さへの強い反発を生みだし、社会の分断を加速させるのである。(下記[1]222ページ)
〇筆者が「井手英策」(いで・えいさく、慶応義塾大学、財政社会学)についてまず思い出す言葉を五つ挙げるとすれば、「分断社会」「All for All(みんながみんなのために)」「ベーシック・サービス」「ライフ・セキュリティ」そして「財政改革(消費税増税)」である。
〇井手の新刊書に、『欲望の経済を終わらせる』(インターナショナル新書、集英社インターナショナル、2020年6月。以下[1])がある。そして、筆者の手もとには、単著である『幸福の増税論―財政はだれのために』(岩波新書、2018年11月。以下[2])と、柏木一惠・加藤忠相・中島康晴との共著である『ソーシャルワーカー―「身近」を革命する人たち』ちくま新書、2019年9月。以下「3」)がある。
〇[1]では、「新自由主義がなぜ日本で必要とされ、影響力を持つことができたのか、歴史をつぶさに振り返り、スリリングに解き明かす。グローバル化もあって貧困層がふえるなか、個人の貯蓄に教育も老後も委ねられる日本。本来お金儲けではなく、共同体の『秩序』と深く結びついていた経済に立ち返り、経済成長がなくても、個人や社会に何か起きても、安心して暮らせる財政改革を提言」する(カバー「そで」)。
〇[2]では、「なぜ日本では、『連帯のしくみ』であるはずの税がこれほどまでに嫌われるのか。すべての人たちの命とくらしが保障される温もりある社会を取り戻すために、あえて『増税』の必要性に切り込み、財政改革、社会改革の構想(自己責任社会から、頼りあえる社会へ)を大胆に提言する」(カバー「そで」)。
〇そして[3]では、「多くの人が将来不安におびえ、貧しさすらも努力不足と切り捨てられる現代日本。人を雑に扱うことに慣れきったこの社会を、身近なところから少しずつ変革していくのがソーシャルワーカーだ。暮らしの『困りごと』と向き合い、人びとの権利を守る上で、何が問題となっているのか。そもそもソーシャルカークとは何か。未来へ向けてどうすればいいのか。ソーシャルワークの第一人者たち(柏木・加藤・中島)と研究者(井手)が結集し、『不安解消への処方箋』を
209
提示」する(カバー「そで」)。
〇本稿では、[1][2][3]を併読(再読)して、留意しておきたい井手(一部は中島)の言説(提唱、提案)のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
「勤労国家」と「弱者救済」
(勤労、倹約、貯蓄という自助努力と自己責任を前提として作られた「勤労国家」にあって、)生活水準の低下、将来への不安、国際的な地位の劣化などのきびしい状況が進んでいる。この状況を乗りこえる方法は、端的にいえば、ふたつにしぼられる。ひとつは、もう一度かつてのような成長を取りもどし、自己責任で将来不安にそなえられる状況を作る、勤労国家再生アプローチである。もうひとつは、低所得層や生活支援の必要な人たちを救済し、彼らを社会のなかに包摂していく格差是正アプローチである。([2]32、34ページ)
(ところが、現在の日本は、人口の急減や超高齢化などによる経済規模の縮小が進むなかで、)「成長なくして未来なし」という、成長に依存する社会モデル(「成長依存型社会」)はもう限界に達している。また、日本社会は、共在感(「ともにある」という感覚:井上達夫)や仲間意識をもてない、利己的で孤立した「人間の群れ」と化しつつあり、格差是正や社会的包摂についての関心も低い。「弱者救済」を正義として語る時代はおわりつつある。([2]46、47、49、52、96ページ)
「頼りあえる社会」と「ライフ・セキュリティ」
消費を手びかえ、勤労、倹約、貯蓄の自助努力にはげみ、将来不安におびえて生きる自己責任社会をつづけていくのか、税による満たしあいをつうじて、だれもが安心して生きていける、経済活動も刺激する「頼りあえる社会」をめざすのか。痛みと喜びを(税で)分かちあう「頼りあえる社会」をつくりあげ、「私たち」という連帯の土台を再生しなければ、多くの人びとが感じている生きづらさはつづく。([1]174、175ページ)
そこで、消費税を軸に全員が痛みを分かちあいつつ、一定以上の収入や資産を持つ富裕層や大企業への課税でこれを補完すること、以上を財源として、すべての人びとに医療や介護、子育て、教育、障がい者福祉などの「ベーシック・サービス」(現物給付)を提供することが重要となる。そのサービスは、人びとが安心してくらしていける水準をみたす必要がある。これは、「ベーシック・インカム」(現金給付)ではなく、「社会保障」(Social Security)を超える、「生活」と「生命」の保障すなわち「ライフ・セキュリティ」(Life Security/生の保障)という考え方である。([1]222ページ、[2]84、135ページ)
210
「尊厳ある生活保障」と「品位ある命の保障」
「ライフ・セキュリティ」は、「均等な人びと」というときに、「人間らしい生」という共通点に着目し、すべての人たちを受益者として等しくあつかう。人間ならばだれもが必要とする/必要としうる(可能性がある)ベーシック・サービスを、すべての人びとに均等に配分することをめざす。「尊厳ある生活保障」である。([1]223ページ)
「ソーシャル・セキュリティ」をさらに推しすすめ、すべての「命と暮らし(=life)」を保障する「ライフ・セキュリティ」に編み変えていくことは、「救済の政治」を「必要の政治」へと転換することにほかならない。つまり「困っている人を助ける」から、「みんなの必要を満たす」への政治思想の転換である。([3]23ページ)
他方、社会的、経済的条件によって、他者と均等になれない人びとにたいしては、富裕な人より少ない税負担を、富裕な人より相対的に手厚い保障を提供することをめざす。消費税とともに富裕層や大企業への課税を強化し、生活扶助、住宅手当、職業教育・職業訓練も充実させる。「品位ある命の保障」である。([1]223ページ)
「公・共・私のベストミックス」と「ソーシャルワーク」
きわめて多様になっている個別のニーズを政府によるサービス給付だけで満たすことはむつかしい。したがって、「公」が共通のニーズを満たしていくのと同時に、「共」や「私」の領域とつながりを強め、個別のニーズ、別言すれば一人ひとりの「こまりごと」をどのように解消するかもあわせて検討されなければならない。「公・共・私のベストミックス」である。([1]225ページ)
「公」の領域は、自治会やボランティア団体などのさまざまなアクター(人や組織)が交錯する場である。そこでは、さまざまな地域ニーズを満たそうとするアクターを接続する、接着剤のような機能が必ず求められる。([3]221、222ページ)
そこで注目されるのが、ソーシャルワーク/ソーシャルワーカーである。ソーシャルワーカーにもとめられているのは、たんなる福祉やサービスの提供者としての役割ではない。接着剤のような役割が求められ、その資質がハッキリと問われることとなる。([1]225ページ、[3]222ページ)
ソーシャルワークの核心は、個別の「こまりごと」にたいして、それを発生させている「環境」それ自身を変革していくことにある。またその「こまりごと」は、かならずしも低所得層の生活困難にかぎられるものではなく、介護や子育て、教育など、所得の多寡とは関係なく生じうる個別の案件と向きあうのがソーシャルワーカーの第一の任務である。([1]226ページ)
「地域変革」と「組織変革」
ソーシャルワークは、「社会の変化と開発、つながり」を促進する実践である。その際の「社会」とはどこかにあるものではない。人びとのより身近で影響をおよぼ
211
せる「地域」や「組織」のなかに埋もれた資源を発掘し、ときには開発・創出(社会資源の発掘・開発・創出)しながら、他者との対話と関係構築を積み重ねるなかで形づくられる、総体としての環境、それがソーシャルワーカーにとっての「社会」である。([3]38、43ページ)
ソーシャルワークの実践では、人びとのニーズを中心に、人びとと地域社会環境との関係を調整することが重要となる。地域で暮らす多様な人びと相互の接点(対話やかかわり)を創り出すことこそが、地域社会に、お互いさまを共感し合える互酬性と多様性、人びとの信頼関係を創出し、すべての地域住民が決して排除されることのない地域変革を推進する原動力となる。([3]74、75ページ)
ソーシャルワークの中核に据えられているのは「社会環境の改善」であり、「社会変革」(social reform)である。その社会変革を個人(ミクロ)と国家(マクロ)の関係でとらえてしまうと、その実現可能性は遠のいていく。社会変革を個人と地域(メゾ)の関係でとらえれば、その実現可能性は格段に高まる。([3]65、77、78ページ)
ソーシャルワーカーの手の届かないところにある「社会変革」を取り戻すためには、まず、地域を変えていく道筋を示す必要がある。と同時に、ソーシャルワーカーが所属する組織を変革する方途も検討していかなければならない。ソーシャルワーカーの大部分は組織人である。それゆえ、経営の方針や組織内の上下関係の論理によって、彼らが状況に対して柔軟かつ迅速に対応することが難しい場合がどうしても存在する。(そこで、ソーシャルワークについて根本的に問い、共通理解を深め、)ソーシャルワーカーは連帯しなければならない。総合的な生き物である人間尊厳を守るために。([3]78、216ページ)
「社会変革」と「個人のアイデンティティ変容」
「地域を変える」には、地域社会で暮らす一人ひとりのアイデンティティの変容が重要な契機となる。個人のアイデンティティの変容は、人びとの関係構造の変容による。つまり、人びとのかかわりの密度や質、そのリアリティが、関係構造を変容させ、一人ひとりのアイデンティティをも変化させていく。([3]80、82ページ)
個人のアイデンティティの変容、すなわち人びとの関係構造の変容を求めるためには、黙殺・無理解・不安や恐怖・排除に支配された関係性を、対話・理解・信頼・包摂にもとづく関係性へと変容させていくことが肝要である。([3]82ページ)
日本のソーシャルワークには、法や制度への行き過ぎた順応がしばしば見られる。また、法や制度だけでなく、社会環境それじたいを主体的に創造・変革していくという発想が希薄である。これらが相まって、ソーシャルワークとは何か、ソーシャルワークにおける正義とは何か、という共通理解もまた深められずにいる。これらの課題を乗り越えるためには、「社会変革」と「ソーシャルアクション」(社会的活動)の考えかたが必要となる。([3]83、84ページ)
212
「プラットホームの世紀」と「ソーシャルワーカー」
国や地方がさまざまな施策に細かく介入し、複雑化するニーズを一つひとつ満たしていくことには限界がある。したがって、国と地方、そして地域のそれぞれに「新たなプラットホーム」を作り直していかなければならない。([3]221ページ)
ベーシック・サーズを土台とするライフ・セキュリティによって誰もが安心して生き、暮らすという基本権が保障される。この「パブリック・プラットホーム」のうえにソーシャルワーカーの社会変革をつうじた地域の人的・制度的ネットワークという「コミュニティ・プラットホーム」が重層的に重なり合う。そうすれば、人びとの生存権も幸福追求権の双方が射程に収められることとなる。([3]221ページ)
「市場の世紀」ともいうべき20世紀は、「プラットホームの世紀」である21世紀へと大きな変貌を遂げる。その変貌の中心にソーシャルワーク/ソーシャルワーカーが存在する。([3]222ページ)
〇「地域変革」と「社会変革」の推進を図るソーシャルワーク/ソーシャルワーカーの重要なアプローチ・実践方法のひとつに、「ソーシャルアクション」がある。本稿の理解を深めるためにここで、ソーシャルアクションに関する調査報告と言説の一部を紹介しておくことにする。
〇ひとつは、日本社会福祉士養成校協会(2017年4月より日本ソーシャルワーク教育学校連盟)が2016年10月から翌年1月にかけて実施した「地域における包括的な相談支援体制を担う社会福祉士養成のあり方及び人材活用のあり方に関する調査研究事業」の<実施報告(暫定版)>(2017年3月)である。そこでは、地域包括支援センター(全数:4,729ヶ所、6,575票)と市区町村社協(全数:1,846ヶ所、2,961票)の職員を対象にした調査で、例えば「地域への働きかけ」について次のような報告がなされている。
〇「制度・施策の課題等の解決に向けて、地域住民が行政に対して働きかけを行うことを支援する」か、という質問に対して、「全く実施していない」「あまり実施していない」と答えた地域包括支援センターの職員が79.7%、市区町村社協の職員が76.2%を占めている。また、そうした支援に「対応する力量」を有しているか、という質問に対して、「全く有していない」「あまり有していない」と答えた地域包括支援センターの職員が76.4%、市区町村社協の職員が69.9%を占めている。ソーシャルワーカーによるソーシャルアクションの実践は乏しく、力量や意識は低いと言わざるを得ない。
〇また、「所属する組織の管理運営」について次のような報告がなされている。「必要な場合、組織のミッションやルールを超えた対応を行うよう、上司や同僚に働きかける」か、という質問に対して、「全く実施していない」「あまり実施していない」と答えた地域包括支援センターの職員が54.0%、市区町村社協の職員が58.0%を占めている。また、そうした働きかけに「対応する力量」を有しているか、という質問に対して、「全く有していない」「あまり有していない」と答えた地域
213
包括支援センターの職員が55.7%、市区町村社協の職員が56.3%を占めている。前述した、ソーシャルワーカーによる「組織変革」に関して、留意しておきたい。
〇いまひとつは、高良麻子(こうら・あさこ、法政大学、社会福祉学)の『日本におけるソーシャルアクションの実践モデル―「制度からの排除」への対処―』(中央法規、2017年2月、以下[4])における言説である。高良にあっては、日本における「ソーシャルワークの方法としてのソーシャルアクションは、研究と実践ともに停滞して」おり、「ソーシャルアクションの実践方法を、日本の現状をふまえた形で示す必要がある」。そこで、社会福祉士によるソーシャルアクションの調査・分析を通して、「日本における社会変動およびニーズの多様化等をふまえたソーシャルアクションの実践モデルを構築する」([4]3ページ)ことを[4]の目的とする。
〇高良によると、ソーシャルワークにおけるソーシャルアクションとは、「生活問題やニーズの未充足の原因が社会福祉関連法制度等の社会構造の課題にあるとの認識のもと、社会的に不利な立場に置かれている人びとのニーズの充足と権利の実現を目的に、それらを可能にする法制度の創設や改廃等の社会構造の変革を目指し、国や地方自治体等の権限・権力保有者に直接働きかける一連の組織的かつ計画的活動およびその方法・技術である」([4]183ページ)。その主なモデルには「闘争モデル」と「協働モデル」の二つがある。
〇「闘争モデル」とは、「『支配と被支配』や『搾取と被搾取』といった対立構造に注目し、それによる不利益や被害等を署名、デモ、陳情、請願、訴訟などで訴え、世論を喚起しながら、集団圧力によって立法的および行政的措置等をとらせる」モデルである。約言すれば、「デモ、署名、陳情、請願、訴訟等で世論を喚起しながら集団圧力によって立法的・行政的措置を要求する」モデルである。「協働モデル」とは、「制度から排除されている人びとのニーズを充足する非営利部門サービスや既存制度が機能するしくみを開発し、そのサービスを当事者のアクション・システムへの参加を促進するしかけとしながら、これらの実績等によって、法制度の創設や関係構造の変革等を多様な主体と協働しながら進めていく」モデルである。約言すれば、「多様な主体の協働による非営利部門サービス等の開発とその制度化に向けた活動によって法制度の創造(創設)や関係等の構造の変革を目指す」モデルである。([4]184、183ページ)。
〇そして高良はいう。従来のソーシャルアクションは、「集団圧力によって社会福祉の制度やサービスの拡充・創設・改善を集中的に要求していく(闘争モデル)が主であった」。本研究の事例研究で明らかになったソーシャルアクションは、「集団の力でニーズを充足する非営利部門サービスやしくみを開発してその実績を示し、主に地方自治体の行政職員、議員、サービス提供事業主体等と協働しながら、新たな政府部門サービスやしくみを創っていく(協働モデル)が主であった」([4]139ページ)。
〇高良によってソーシャルアクションの「協働モデル」が提示されたことは、ソーシャルアクションの実践・研究において意義深い。ただ、高良は、「闘争モデルの
214
ソーシャルアクションを、社会福祉関連法に規定される組織に属するソーシャルワーカーが被雇用者として実践することは現実的ではない」([4]189ページ)という。そうであれば、「組織に属する被雇用者」という点で、「地域変革」と「社会変革」の実現可能性は低くなる。そのような状況を打開するためには、「協働モデル」と「闘争モデル」をいかに活用するか、両モデルをいかに併用するか。あるいは、社会的弱者主体の社会福祉運動におけるソーシャルアクションにいかに取り組むか、社会的弱者の利益や権利を擁護・代弁(アドボカシー)するソーシャルアクションにいかに取り組むか、などが問われることになる。
〇いずれにしろ、社会福祉関連法制度の「縦割り」や「制度のはざま」が解消されず、「制度からの排除」が引き起こされている今日、「闘争モデル」のソーシャルアクションを展開することはソーシャルワーカーの社会的責務である。そして、今日においてもその役割は失われていない。それは、「すべてのソーシャルワーカーが避けては通れない実践課題であり、(『地域変革』と)『社会変革』の要諦」(中島[3]79ページ)である。留意したい。
〇ところで、山東愛美(さんどう・まなみ)は、ソーシャルアクションをそのプロセスに基づいて次の二つに類型化している。要求や闘争による「ダイレクトアクション」と交渉や調整による「インダイレクトアクション」がそれである。山東にあっては、その特徴は次の表のようになる。
〇そして山東は、2010年頃から、「ソーシャルアクションが論じられる際には、インダイレクトアクションをイメージすることが増えつつある」。それは、従来のソーシャルアクションとして認識されてきたダイレクトアクションの「完全な変容ではなく、分化・多様化」によるものである。こうした傾向がみられるのは、「地方分権や地域包括ケアなどの制度・政策的背景や、地域を基盤としたソーシャルワークやコミュニティソーシャルワークの台頭などの理論的動向も反映されていると考えられる」、という(山東愛美「日本におけるソーシャルアクションの2類型とその背景―ソーシャルワークの統合化とエンパワメントに着目して―」『社会福祉学』第60巻第3号、日本社会福祉学会、2019年11月、44ページ)。高良のそれとともに、留意しておきたい言説である。
215
〇なお、以上のほかに、筆者の手もとに社会変革とソーシャルアクションに関する本が2冊ある。(1)小熊英二著『社会を変えるには』(講談社現代新書、2012年8月、以下[5])と(2)木下大生・鴻巣麻里香編著『ソーシャルアクション! あなたが社会を変えよう! ―はじめの一歩を踏み出すための入門書―』(ミネルヴァ書房、2019年9月、以下[6])がそれである。[5]は、「社会を変える」ということについて歴史的、社会構造的、そして思想的に考察したものである。小熊は、「思考や討論のためのテキストブックとして本書を使ってもらえればいい」(513ページ)、という。[6]は、ソーシャルアクションの実践者とその実践者を支援することで間接的にアクションを起こした人々の物語集である。鴻巣は、「あなたのアクションは本の中にはありません。フィールドに出かけましょう」(ⅶページ)、という。
〇本を読んでいると、新たな気づきや学びとともに、“確かにその通りである”(「至言」)という一文に出合うものである。それが読書の魅力や醍醐味でもある。次に、[5][6]から、筆者にとって、「社会を変える」の至言の一文のみをメモっておくことにする(抜き書き、見出しは筆者)。
「参加して何が変わるのか」「参加できる社会、参加できる自分が生まれる」
運動とは、広い意味での、人間の表現行為です。仕事も、政治も、芸術も、言論も、研究も、家事も、恋愛も、人間の表現行為であり、社会を作る行為です。それが思ったように行なえないと、人間は枯渇します。「デモをやって何が変わるのか」という問いに、「デモができる社会が作れる」と答えた人がいました。「対話をして何が変わるのか」といえば、対話ができる社会、対話ができる関係が作れます。「参加して何が変わるのか」といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれます。([5]516~517ページ)
誰もが何かの「当事者」であり、誰もが何かの「非当事者」である
障がい者、引きこもり、被差別部落、貧困、在日外国人、オキナワ、フクシマ、女性、LGBT。誰もが何かの「当事者」であり、誰もが何かの「非当事者」なのだ。私たちを「当事者」と「非当事者」に分断しようとする力に常に抵抗し続け、作られた境界を共に超えていこうとすることが、社会を変えることにつながるのかもしれない。([6]52ページ)
〇日本における「ソーシャルアクション」の実践や研究、それに教育は、「乏しく」「停滞しており」「脆弱である」などと評される。その背景は何か、その問題や原因は奈辺にあるか。「ソーシャルアクション」は、当事者を含む社会福祉運動なのか、ソーシャルワーカーによる援助技術なのか。「ソーシャルアクション」とコミュニティソーシャルワークやアドボカシー(擁護・代弁)の概念との関係性や整合性をどう考えるか。「ソーシャルアクション」におけるソーシャルワーカーの役割や専門性をどこに見出すか。検討すべき残された課題は多い。[5]と[6]は、これらの課題検討のひとつのとば口(入り口)にあるとも言えよう。
216
34/断絶の時代の「分断社会」を考える
―井手英策・他著『分断社会を終わらせる』を読む―
〇スローガンだけの「いま」の政治では社会は変わらない。そのことを知りつつも、響きの良い言葉に淡い期待を寄せてきたのではないか。そのあいだに地域・社会では、静かに地殻変動が起こり、「断絶」(「不連続」)すなわち新たな時代への兆候が見られる。コロナ禍における地方自治体の地域主権の取り組みや、「#検察庁法改正案に抗議します」というツイッターデモなどが注目される。「いま」を「過渡期」と前向きに評価するのは、楽観的すぎるだろうか。「マネジメントの父」と言われ、グローバル化などを説いたP.F.ドラッカーの『断絶の時代―来たるべき知識社会の構想―』(林雄二郎訳、ダイヤモンド社、1969年1月)を想起する。
〇筆者の手もとに、そのタイトルに「分断」「分断社会」という文言が入っている本が4冊ある。
(1)井手英策・古市将人・宮崎雅人『分断社会を終わらせる―「だれもが受益者」という財政戦略―』筑摩書房、2016年1月(以下[1])
他人に対して冷淡で不機嫌な社会――。それが今の日本だ。世代間、地域間、性別間、所得階層間それぞれの対立が激化し、人々は、バラバラな存在へと追いやられている。永続的な経済成長をあてにする「勤労国家レジーム」が、こうした状況を生み出した。井手らは本書で、財政を通じて(財政社会学によって)日本社会の閉塞状態を解き明かし、打開策を示す。すなわち、分断社会を終わらせるべく、すべての人の基礎的ニーズを満たすという「必要原理」に基づく財政戦略を提唱する。そして、暮らしの安心の実現が、格差是正と経済成長を実現させることを説き、来るべき未来を構想する。(カバー「そで」、15ページ)
(2)塩原良和『分断と対話の社会学―グローバル社会を生きるための想像力―』慶應義塾大学出版会、2017年4月(以下[2])
マイノリティや社会的弱者への排外主義・社会的排除という風潮がある。マイノリティとは、その人が有する差異に基づいて社会的に不利な立場に固定化されてしまった人々をいう。そういう人々や、障がい者や貧困層といった社会的弱者が置かれている立場や思いに対する「想像力」が不足している。あるいは、想像すること自体を拒絶していると思わざるをえない出来事が頻発している。塩原は本書で、現代のグローバリゼーションという社会変動とそれに伴って出現する「分断」の時代状況を読み解く「想像力」と「対話」について考える。塩原にあっては、他者に対する「想像力」とは、「個人が知識を活用しながら自らの共感の限界や制限を押し広
217
げて、他者を理解しようとする努力」である。急激な変化の時代においては、現状の問題点を見極め、より良い社会と人間の生き方を考えていく「批判的思考」が不可欠である。その前提となるのが、社会と歴史に対する「批判的想像力」である。塩原にあっては、「対話」とは、「人間であるかもしれないし、そうではないかもしれない『他者』との共約不可能な差異を前提としつつ、それでも他者を理解し承認するためにその声に耳を傾け、それに応答しようとする営み」である。その際の「他者」に関して、「対話」とは人間同士のコミュニケーションと、自然や歴史・科学などに注意深くあることを意味する。「共約不可能」とは、両者を単純に比較してどちらが正しいのかを比較することができないことをいう。(1、4、6、11~12、15、25、193~194ページ)
(3)井手英策・松沢裕作編『分断社会・日本―なぜ私たちは引き裂かれるのか―』(岩波ブックレットNo.952)岩波書店、2016年6月
なぜ、日本社会は正規労働者と非正規労働者、非正規労働者と生活保護受給者というように、「彼ら」と「われわれ」が引き裂かれ、分断されているのか。分断は、人々の存在を尊重することの欠如に由来する。分断が問題なのは、社会のいたるところに境界線が引かれ、相手の立場や境遇を理解する前提ともいうべき「想像力」が次第に失われていくことである。その時どきの支配者は、社会の凝集力を維持するために、もっともらしい装いをした偏ったイデオロギーによって人々を理念的に結合し、社会や国民を力ずくで「建設」しようとする。こうした分解と国家的・理念的結合が、全体主義の時代を生むメカニズムである。社会が他者への想像力をなくし、価値を分かち合えなくなったとき、社会は人間の群れとなる。井手・松沢らにあっては、分断をなくし、対立点をなくするためには、この社会に無数に引かれ、混線してしまっている分断線を一つひとつ解きほぐしていき、新しい秩序や価値を創造し、痛みや喜びを共有することを促すような仕組みを作り出していくしかない。今の「分断の政治」を「共通の政治」に変えられるかどうかである。(2、15、61、78、85~86ページ)
(4)吉川徹・狭間諒多朗編『分断社会と若者の今』大阪大学出版会、2019年3月
今の若者は「日本社会のあり方について肯定的になっている」、「価値観がゆるやかに保守回帰している」、「日常の活動が消極的でおとなしくなっている」などの傾向にあると言われる。吉川らは本書で、2015年1月に実施した「第1回階層と社会意識全国調査」のデータに基づき、さまざまなトピックから、若者(20~30代の若年成人)における「今」の捉え方に「分断」が生じていることを明らかにする。「今」の捉え方とは、今という時間や今の自分、今の社会をどのように考えているのか、ということを意味する。そこで扱う若者の意識や態度・行動は、「現在志向(将来のために努力するよりも今現在を楽しむことを重視する態度)」「権威主義的態度」「自民党支持」「消費」「幸福感」「大学進学志向」「働き方と自由」「性別役割分業意識」などである。要するに吉川らは、今の若者は一括(ひとく
218
く)りにすることはできない。社会的な立ち位置(社会階層の高低)によって、それぞれの意識に強弱があり、複雑な様相を呈していることを描き出す。(2、255~258ページ)
〇以上のうちから本稿では、井手英策(いで・えいさく)の[1]と塩原良和(しおばら・よしかず)の[2]の2冊の本から、筆者なりに再認識しておきたい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
[1]井手英策・他『分断社会を終わらせる』
「勤労国家レジーム」と「分断社会」
「勤労国家レジーム」とは、「成長や所得の増大がなければ人間らしく生きていけない枠組み」をいう。それは、所得減税と公共投資(公共事業)を骨格とする。そのもとでは、社会保障は就労ができない人向けの現金給付に集中し、育児・教育・医療・福祉・介護などの現物給付(サービス)を個人や市場原理に委(ゆだ)ね、租税負担率を低く抑えるレジーム(体制)となる。それは、財政の「限定性」(現物給付の占める割合が限定される)、「選別性」(給付が低所得層や高齢者、地方部などに集中する)、そしてその背景となる「自己責任性」(国民の自助努力と自己負担が前提となる)として特徴づけられる。それはまた、歳出の抑制・削減を意味する(25~27ページ)
高度経済成長期に原型が育まれ、1970年代に定着し、1990年代に全面化した勤労国家レジームは、長期にわたって人々の生活や考え方に強い影響を与えてきた。だが、経済環境、社会構造、財政ニーズの変化を受けて、このレジームは明らかに社会の不安定要因となりはじめている。勤労国家レジームの機能不全とその負の遺産が、所得階層間、地域間、政府=納税者間、世代間の対立を強めている。「分断社会」はこうして生み出されたのである。(41ページ)
勤労国家の「負の遺産」(「3つの罠」)
「勤労国家レジーム」の3つの性質(「限定性」「選別性」「自己責任性」)は、それぞれ複雑にからまり合いながら、「再分配の罠」「自己責任の罠」「必要ギャップの罠」を日本社会にもたらし、生きづらさや閉塞感、不安感を人々に与えてきた。(28~41、182ページ)
「再分配の罠」は、低所得層や地方住民を救済することによって受益者にし、負担者になる中高所得層や都市住民が不信感(政治不信)を強め、所得再分配への合意を難しくすることをいう。(29~30、41~42ページ)
「自己責任の罠」は、自己責任社会・日本では、経済成長が難しくなり政府の役割・期待が大きくなると、経済成長へのさらなる依存が進み、新たなニーズに対応できない政府への不信感も強まるという逆回転(負の循環)をいう。(36~37、41~42ページ)
219
「必要ギャップの罠」は、例えば、現役世代(子育て)と高齢者(介護)の必要(ニーズ)がズレることによって生み出される対立の構図をいう。(38~39、41~42ページ)
「受益のないところに共感はない」というリアルな現実が人々の目の前に横たわっている。(32ページ)
「救済型の再分配」と「共存型の再分配」
所得再分配政策の肝は、受益者の範囲を広げて、社会全体で課題を共有することで対立を解消する「したたかさ」にある。これこそが日本の政治に欠けていた視点であり、限界性や選別性、自己責任性を重視してきた勤労国家の負の遺産である。
貧しい人を助ける「救済型の再分配」だけが再分配なのではない。そのような再分配だけで財政ができているわけでもない。慈善心が財政を作ったのではない。人間の必要が財政を作り出したのである。
歳をとって所得を失うリスク、失業するリスク、病気になるリスクなどは、個人で完全に対処するのは難しいし、リスクに直面すると、誰しも身動きがとれなくなる。誰にでも訪れうるリスクをメンバー全員で共有できるような再分配、困った時はお互いさまという意味での「共存型の再分配」も、財政の重要な機能である。(58ページ)
「必要原理」と「分断社会」
日本社会が陥っている「3つの罠」から抜け出すためには、人間の生存・生活にかかわる基礎的ニーズを財政が満たすというアプローチが肝要である。その核となるのが「必要原理」である。それは、経済成長を前提とした、「市場原理」に基づく「救済型の再分配」とは別物である。「人間に共通する利益」に着目し、幅広い受給者のニーズを満たしていく、「広く負担を課し、広く給付する」「だれもが受給者」という理念や財政戦略をいう。従来の「成長=救済型モデル」を「必要=共存型モデル」に取って代えることである。(32、142、182~183ページ)
中間層を受益者とすることで「再分配の罠」を乗り越える。自己負担ではなく社会でリスクを共有し合うことで「自己責任の罠」から脱出する。人間の生活に必要なサービスをライフスタイルに応じてバランスよく配分することで「必要ギャップの罠」を解消する。「誰かの利益」を「みんなの利益」に置き換え、これらを束ねた結果として経済成長や財政再建を実現する。
これは、必要原理を起点として、少しずつ受益者の範囲を拡大し、人間と人間が対立する原因を消失させ、分断社会そのものを終わらせようというものである。(183ページ)
220
[2]塩原良和『分断と対話の社会学』
マジョリティの「勘違いの共感」
マジョリティ(「ふつう」だとされる人々)側に立つ人々がマイノリティに「共感」(他者の経験や感情を自分のことのように感じること)したからといって、それが直ちに「加害可能性」への気づきをもたらすとは限らない。加害可能性とは、自らが知らないうちにマイノリティにとっての加害者になっていたのかもしれないという意味である。また、共感が「連累」(れんるい)への自覚をもたらすとは限らない。連累とは、自らが受益してきた社会構造によって他者が苦しみを被ってきたという意味である。そのような共感は、マジョリティの人々が自らとマイノリティを過度に同一視し、そもそも社会構造的に異なる立場にあるかれらを、あたかも自らと同じ立場に立つものであるかのように錯覚することになりかねない。
「あなたの痛み、私にもわかる」というマジョリティ側からの共感の表明が、マイノリティ側からの「あなたに何がわかるのか」という拒絶にしばしば直面する理由がこれである。そんなとき、マジョリティの人々はマイノリティの人々の「傷つきやすさ」をわかったつもりになっているが、実は他者という鏡に映った自分自身の「傷つきやすさ」を眺(なが)めているにすぎない。要するにそれは、マイノリティの境遇に同情する「善意の」マジョリティが陥りがちな「勘違いの共感」なのである。(4、9、166~167ページ)
マイノリティの「傷つきやすさ」
マイノリティの置かれた不公正な状況の是正をめざすためには、そうした不公正がいかにして歴史的に形成され、社会的に構造化されてきたのかに注目する必要がある。それは必然的に、今を生きるマイノリティが抱える「傷つきやすさ」が、マジョリティの人々の「傷つきやすさ」と安易に同一視できるものではないという理解を導く。そしてそうした独特の「傷つきやすさ」を緩和するために、マイノリティが置かれた経済社会的なヴァルネラビリティ(不安定さ)を緩和する措置が、ときには優先的に与えられねばならなということになる。これが、マイノリティへの支援・優遇措置を正当化する論理である。(167ページ)
「とりあえず、なりゆき」任せの対話
「想像力」を養うためには、他者との「対話」が必要になる。それは、とりあえず「なりゆき」に任せてやってみることが、意外と有効で実践的な戦略である。
グローバリゼーションの時代とは、自分が始めた小さな行為がきっかけとなり、それが他者とつながることで、大きな流れになることが可能な時代である。それゆえ他者との対話と想像力を推し進めていくために、とりあえず身近な誰か、あるいは何かとの真摯な対話の試みから始めて、なりゆきに任せてみるのも悪くない。その可能性を信じる勇気と楽観性を持てるかどうかが、この見通しの悪い世界のなかで
221
「リアル」でいられるか、現状追認や大勢順応に陥ってしまうのか、分かれ目になる。一つひとつの小さな対話がつながり、やがて大きな対話的想像力のネットワークになっていけばよい。それが社会(世界)を変えることになる。(207~208ページ)
〇「いま」の社会は、「地域共生社会」「全世代型社会保障」といったスローガンだけが躍り、その実は子どもから高齢者まですべての人が「生きづらい」社会である。表現の自由が失われ、監視と検閲がまかり通り、公務員やメディア関係者らも委縮する「息苦しい社会」である。近未来の全体主義社会を風刺し、警鐘を鳴らしたイギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説『1984年』(高橋和久訳、早川書房、2009年7月)を想起する。
〇正義感をひけらかして政権批判を繰り返し、政策や制度の問題点や課題をあげつらうだけでは、社会は変わらない。「批判」は、「既存の常識を疑い、それとは異なる(オルタナティブな)新しい発想、価値観、方法を創造すること」([2]14ページ)である。
〇「いま」求められるのは、「断絶の時代」認識と、「分断社会」についての“熱い胸”と“冷たい頭”すなわち感性的認識と理性的認識、そして主体的認識である(一番ヶ瀬康子)。
〇日本の政治や経済、社会は未曽有の危機にある。教科書で学んだ「先進国」や「経済大国」そして「民主国家」のニッポンは、地に落ちた。「がんばろう」「大和魂」「絆」などには危うさがつきまとう。そんななかで、ネットなどを通じた“共働”によってコミュニケーションの幅を広げ、新たな市民運動を展開することを経験している。また、「次の選挙であなたの対立候補に投票しますよ」(相澤冬樹)という言いまわしを再認識した。「ふつう」の市民が政治について自由に語り自律的に行動することが、民主主義を豊かにし、健全なものにする。その民主主義を支えるのはメディアである。その先に「生きやすい」「ゆったりとした」社会の”共創”があろう。そこで問われるのが井手や塩原らがいう「(批判的)想像力」と「対話」であり、その育成や推進である。自戒の念を込めて、改めて確認しておきたい。
222
35/地域を生きる・地域を拓く・地域を創る
―鶴見和子と岩佐礼子の「内発的発展論」から―
〇「ないものねだりは愚痴である。あるものを探して磨くのが自治である」。「地元学は時間がかかる。人が育つ時間が必要だからである」。これは、「地元学」の提唱者である吉本哲郎の言葉である。筆者は、ときにこのフレーズを思い出しながら、「地域」とかかわってきた。その際、自分のなかに設定したテーマは常に、「まちづくりと市民福祉教育」であった。また、「まちづくりは人づくり、人づくりは教育づくり、教育づくりは政治づくり」「まちづくりは市民主権・市民自治の理念に基づく市民運動」であることを念頭に置いてきた。
〇「地元学」に関連して思い及ぶものに、鶴見和子(つるみ・かずこ)の「内発的発展論」や赤坂憲雄の「東北学」、原田正純の「水俣学」、あるいは山崎亮の「コミュニティデザイン」などがある。鶴見は2006年7月に鬼籍に入るが、赤坂との対談を中心に編まれた『地域からつくる』(藤原書店)が2015年7月に出版された。中央から(政府主導の)「地方創生」が推進され、「地方版総合戦略」(「都道府県まち・ひと・しごと創生総合戦略及び市町村まち・ひと・しごと創生総合戦略」)の策定が要請されているこんにち、「中央」でも「地方」でもなく、「地域からつくる」が重要な意味をもつ。
〇『地域からつくる』を読んだ機会に、鶴見の『内発的発展論の展開』(筑摩書房)の再読と岩佐礼子(いわさ・れいこ)の『地域力の再発見』(藤原書店)を再読することにした。本稿は、この3冊について筆者が関心をもった論点や言説の一部を抜き書きし、紹介するものである。
(1) 鶴見和子『内発的発展論の展開』筑摩書房、1996年3月
内発的発展は多様性に富む社会変化の過程である
内発的発展とは、目標において人類共通であり、目標達成への経路と創出すべき社会のモデルについては、多様性に富む社会変化の過程である。共通目標とは、地球上すべての人々および集団が、衣食住の基本的要求を充足し人間としての可能性を十全に発現できる、条件をつくり出すことである。それは、現存の国内および国際間の格差を生み出す構造を変革することを意味する。
そこへ至る道すじと、そのような目標を実現するであろう社会のすがたと、人々の生活のスタイルとは、それぞれの社会および地域の人々および集団によって、固有の自然環境に適合し、文化遺産にもとづき、歴史的条件にしたがって、外来の知識・技術・制度などを照合しつつ、自律的に創出される。したがって、地球的規模で内発的発展が進行すれば、それは多系的発展であり、先発後発を問わず、相互に、対等に、活発に、手本交換がおこなわれることになるであろう。(9~10ページ)
223
内発的発展は地域を単位とし伝統の再創造を図る
(内発的発展の単位は地域である。)地域とは、定住者と漂泊者と一時漂泊者とが、相互作用することによって、新しい共通の紐帯を創り出す可能性をもった場所である。(25~26ページ)
内発的発展には、文化遺産、またはもっと広くいえば伝統のつくりかえの過程が重要である。伝統とは、ある地域または集団において、世代から世代へわたって継承されてきた型(構造)である。伝統にはさまざまな側面がある。第一は、意識構造の型である。世代から世代へ継承されてきた考え、信仰、価値観などの型が含まれる。第二は、世代から世代に継承されてきた社会関係の型である。たとえば、家族、村落、都市、村と町との関係の構造等が含まれる。第三は、衣・食・住に必要なすべてのものをつくる技術の型である。少なくともこれら三つの側面について、古くから伝わる型を、新しい状況から生じる必要によって、誰が、どのようにつくりかえるかの過程を分析する方法が、内発的発展の事例研究には不可欠である。(29ページ)
地域の小伝統の中に、現在人類が直面している困難な問題を解くかぎを発見し、旧いものを新しい環境に照らし合せてつくりかえ、そうすることによって、多様な発展の経路をきり拓くのは、キー・パースンとしての地域の小さき民である。その意味で、内発的発展の事例研究は、小さき民の創造性の探究である。(30ページ)
政策としての内発的発展という表現は矛盾をはらんでいる
政策としての内発的発展という表現は、矛盾をはらんでいる。地域住民の内発性と、政策に伴う強制力との緊張関係が、多かれ少なかれ存続しないかぎり、内発的発展とはいえない。たとえ政策として取り入れられた場合でも、それが内発的発展でありつづけるためには、社会運動の側面がたえず存続することが要件となる。(27ページ)
(2) 赤坂憲雄・鶴見和子『地域からつくる―内発的発展論と東北学』藤原書店、2015年7月
地域学は内発的発展論に支えられた知の運動である
地域学は、それぞれの地域に生きる人々が、外なる人々とも交流しながら、みずからの足元に埋もれた歴史や文化や風土を掘り起こし、それを地域資源としてあらたに意味づけしつつ、それぞれの方法や流儀で地域社会を豊かに育ててゆくことをめざす、野(の/や)の運動である。(赤坂、37ページ)
内発的発展論とは、それぞれの地域に暮らす人々が、みずからの足元に埋もれている歴史や文化や風土を掘り起こすことを通じて、内からの力を呼び覚ましながら、明日の地域社会を協同して育て創造してゆく、そのための実践的な導きの理論であ
224
り、東北学はそうした内発的発展論に支えられた知の運動である。(赤坂、12ページ)
地域学と内発的発展論とは、「汝の足元を深く掘れ、そこに泉あり」(ニーチェ)という促しの声において重なり、共鳴しあっている。(赤坂、37ページ)
内発的とは自治の精神に基づき時間をかけて立ち向かうことをいう
内発的発展論という言葉だけ聞くと、それは狭い地域やムラなり共同体なりに閉じこもり、外部の人間たちに対して、それを寄せ付けない狭い意識をもった発展の形なのではないかと誤解されてしまう怖れがある。内発的と外発的を区別するのは主体の在り方である。つまり、内発的とは、その土地に暮らす人々が内発的な欲求や自治の精神をもって、何かに立ち向かうことをいう。(赤坂、191ページ)
その土地で長い間、何代にもわたって生きてきた人たちの暮らしの流儀とか知恵とかをきちんと汲み上げる形で、もう一度、内発的に作り上げていく努力が必要なのである。外発的に、そこに暮らす人々をさしおいて頭越しに、性急に外から押し付けられるものは信頼できない。(赤坂、194、197ページ)
内発というのは発酵する、熟成する期間を必要とする。(鶴見、195ページ)
内発的であるには異質なものに対して開かれた態度が求められる
内発的であるとは、内に閉じ籠もり、地域ナショナリズムを主張することではない。むしろ逆に、外に向けて、それゆえ異質なるものにたいして開かれた態度が求められる。
ムラ社会を巡回する漂泊者の群れこそが、ムラ社会存続の不可欠の要件である。漂泊者との交流、つまり漂白と定住とのたえざる相互作用があってはじめて、地域社会は活力を保つことができるのである。
ムラ社会にとって、漂白する人々は異質なるものであり、異文化を背負って登場する訪れ人である。鶴見さんはそこに、ムラ社会が活性化されるための不可欠の要件を認める。創造への豊かな契機が、漂白という異質なるものとの出会いのなかに隠されている、という発見でもある。(赤坂、218~219ページ)
内発的発展論は教育学であり教育民俗学である
内発的発展論は、分野としては社会学よりも教育学である。社会学でいえば、社会化の理論である。人間のひとりひとりの可能性を実現、顕在化していく、伸ばしていく。それが教育である。(鶴見、98ページ)
その土地に暮らす地元民がその土地の歴史や文化を掘り起こし、それを日常に、生活に役立て、それを伸ばしていく。これは民俗学であるが、教育民俗学であり、民俗学的教育である。それが内発的発展論である。(鶴見、115~116ページ)
225
〇周知のように、内発的発展論は、1970年代中頃に提起された理論である。それは、従来のいわゆる「外来型開発」を批判し、住民の自治と参加による、住民主体の地域発展のあり方を問うものである。それを主導したのが鶴見和子である。その後、1990年代以降、新自由主義(市場原理主義)を背景に、自立自助や規制緩和を前提とした地域開発(地域社会)政策の展開や制度改革が推進されることになる。その内実は行財政改革であり、その一環として地方分権改革や福祉・教育改革が進む。そしてこんにち、その流れのなかで、内発的発展の概念や言説が政府主導の「地域振興」や「地域間競争」「地方創生」などをめぐる論理に内包化されている。すなわち、内発的発展の政策的推進が図られている。それは、一面では、外来型開発への対抗理論として措定され展開された内発的発展論の、理論としての特徴や歴史的意義、理論的有効性が問われることを意味する。
〇そもそも、グローカル化や高度情報化の時代にあって、地域の発展が「内発性」だけで完結する地域は存在しない。現実的には、その多少にかかわらず地域外の資源などに目を向けざるを得ない。地域資源を主体としつつも必要な外部資源の活用や導入を図ることを通じて、その地域の資源が生かされ、また新しく創り出されることになる。すなわち、地域のより豊かな持続的発展を指向するには、「内発性」と「外発性」を二項対立的に捉えるのではなく、その有機的連携や協働(共働)を図ることが必要かつ重要となる。それは必ずしも、地域住民の主体性や主導性としての「内発性」自体を軽視したり、狭隘に追い込んだりするものではない。
〇鶴見の言を俟つまでもなく、内発的発展を外部からの強制力によって政策的に推進することは、論理的には矛盾をはらんでいる。だからといって、ただひたすらに自立・自律による「内発性」を強調し、「外発性」を軽視あるいは否定することは、地域住民が直面している問題状況や地域課題の客観的把握を困難にする。とともに、地域住民がもつ内発的発展の潜在的能力を低下させ、発展の方向性を見失うことにもなる。すなわち、ここでは、地域住民の内発力と政策に伴う強制力との緊張関係のなかで、地域住民の主体性・能動性や自律性を厳しく問うことが必要かつ重要となる。それは、内発的発展の実践過程における、地域住民の地域づくり主体としての力量形成とそのあり方を問うことを意味する。鶴見が、「漂泊(者)と定住(者)の交流」を説き、「内発的発展論は教育学であり、教育の方法である」と強調するところである。
〇内発的発展は、政府や行政機関による「上から」の啓蒙・啓発ではなく、地元住民の「下から」の気づきや疑問、興味や関心などを基盤とする。したがってまず、個々の住民(鶴見がいう「キー・パースンとしての地域の小さき民」)の、地域づくり(まちづくり)主体としての個人的力量をいかに形成するかが重要となる。そして、個人的対応での課題や限界が生じたり、集団的・組織的対応を必要とする場合に、地域内・外の他者や他機関との交流や連携・共働のための(による)集団的力量形成が肝要となる。例えば、「地域住民―地域組織・団体―行政(職員)」の連携・共働関係の構築とそのための(それによる)教育は不可欠なものとして考え
226
られなければならない。そこには、新しい、「共通の価値、目標、思想等」としての「共通の紐帯 (common ties)」(『内発的発展論の展開』25ページ)を創り出す可能性がある。
〇いずれにしろ、内発的発展の現実的な実践過程において最も重視されなけれぱならないのは、地域づくり(まちづくり)のための個人的・集団的主体形成(力量形成)であり、地域住民によるそのための不断の自己教育・相互教育である。それは、鶴見がいうように、「発酵・熟成」する期間や過程を必要とする。それによって、地域づくりのより確かで豊かな運動としての展開が推進されることになる。
(3) 岩佐礼子『地域力の再発見―内発的発展論からの教育再考』藤原書店、2015年3月
「持続可能な発展」は巨大な「システム社会」を前提とする
「持続可能な発展(開発)」(Sustainable Development:SD)は、大量生産、大量消費、大量廃棄に依存する資本主義や市場主義といった巨大システムからの脱却はせず、むしろそのシステムを最大限に利用し、言うなれば近代化のグリーン化を目指すものだった。換言するとエコロジー的近代化である。それは、環境保全と経済発展は両立するという前提に立って持続可能な発展を目指すことであり、環境規制の強化、環境税の導入、環境に配慮した技術革新の促進など、ドイツや北欧諸国の政策に代表される。
エコロジー的近代化には、水俣病患者が体験したような社会的差別や断絶、孤立や家族や共同体の崩壊といった社会的な問題に答える用意ができていない。そこには社会的な持続可能性についての配慮が欠如していると言えるだろう。(43~45ページ)
「持続可能な発展を支える教育」は多領域を横断する包括的教育である
「持続可能な発展を支える教育」(Education for Sustainable Development:ESD)は、あらゆる人々が、地球の持続可能性を脅かす諸問題に対して計画を立て、取り組み、解決方法を見つけるための、多様な分野の教育である。これを起点として多文化共生教育、ジェンダー教育、平和教育、人権教育、開発教育と、ESDはありとあらゆる教育を包含しながら複雑化し、一つの教育概念としての一貫性が疑問視されてきている。(71~72ページ)
色々な分野の教育をESDは次々と取り入れているが、どういった教育がESDではないのか、というESDとESDでないものとの境界線がぼんやりしているから生じるのである。これは〇〇教育といった、教育内容でESDを固定化して捉えるときに生じてしまう混乱であり、このアプローチには明らかな理論的限界がある。(85~86ページ)
「持続可能な発展のための内発的共育」は環境や社会の変動に寄り添う「共育」である
「持続可能な発展のための内発的共育」(Endogenous Education for Sustainable Development:EESD:内発的ESD)は、SDを支えるのは〇〇教育である、といった固定的な教育の捉え方ではない。発展過程の変動に寄り添って変化するような、動的
227
なものとして教育や学習を捉えるものである。それは、人間として生きていくためには必要不可欠な、発展の変動に左右されない一貫性のある基本的な共育でありながらも、発展の過程で生じる社会変動や環境変動の際に外来の知識や知恵、技術などの要素を外から取れ入れながら、変動を乗り越えていく知恵を生み出すためにダイナミックに変化する共育である。すなわち、平常時の「静的」な動態と変動時の「動的」な動態という二つの動態を持つ共育をいう。(86~87ページ)
「ESD」という国際的に認識された教育概念は、地域レベルまで戦略的に上意下達式に地域の文脈に沿って普及し、新たな価値観を創造していくことであり、現場から内発的に立ち上がってくる教育及び学習のあり方とは根本的に異なっている。(73ページ)
「内発的ESD」は既存のESDを内発的なものに転換するという意味ではなく、あくまでも「持続可能な発展を支える内発的な共育」という意味を持つ。(87ページ)
「共育」とは、学校教育に囚われない、創造的で、相互的な、生活世界の視点から「教育」を置き換えた用語である。それは、内発的発展の過程において人々が共に学び合い教え合い育つという意味に加え、この共に育つプロセスにおいて学習と教育が一体化している状態を示す。(76ページ)
「持続可能な発展」は内発的で自律的な「創造的前進」をいう
持続可能な発展とは、声高に地球環境問題を唱えることや、エコタウンの建設や、化石エネルギーから自然エネルギーへの転換や、エコツーリズムによる街づくりといった可視的な「取り組み」を意味するのではなく、このような人々の普遍的な共同の祈念に導かれた、自律的で暗黙的な「創造的前進」そのものを指すのではないだろうか。風土に根ざし、しっかりと自分の立つ足元を見つめながら、今を生きるものたち、目に見えないものたち、声なきものたち、それらすべてとのつながりを身に引き受け、人間の潜在的可能性を発現しながら持続を希求するメカニズム、即ち内なる持続可能性の構築こそが「生命から内発する力」の源であり、発展を人間の成長の視角で捉えようとした鶴見が内発的発展論で追求していた真の意味ではないのか。この内なる持続可能性の構築を支えるものが、内発的発展に埋め込まれた内発的ESDである。
人間の潜在的可能性を発現するという意味での内発性とは、自分自身の主体的な力でもあり、願いや祈りを共有する仲間の力を借り、自発的に結集する力、共同性の力でもある。(372ページ)
〇先述の、鶴見の内発的発展論は外来型開発に対抗するものであるが、ESD は、経済発展と環境保全との折り合いをつける教育でもある。また、ESDにおいては、「環境」の概念が自然環境という狭義のものから、社会・経済・文化環境などの広義のものに拡張されてきた。それに伴って内包化(総合化)された平和教育や人権教
228
育、あるいは福祉教育は、ESDとの親和性や同質性が強調される。その結果、ESDはそれ固有の構成要素や内容を曖昧化させ、平和教育や人権教育などの既存の教育についてはそのものの存在意義や特徴を希薄化させる恐れなしとしない。この点については、「まちづくりと市民福祉教育」においても、それが人権教育や道徳教育、共生教育(インクルーシブ教育)、防災・安全教育などとの親和性が高いがゆえに、強く留意すべきところである。
〇また、ESDは、学校や地域において総合的に展開されることが期待されている。学校教育に関していえば、2008年1月の学習指導要領改訂に関する中央教育審議会答申で、「持続可能な社会を構築することが強く求められている」として、ESDの取り組みの重要性が指摘された。この答申を踏まえて、学習指導要領にESDの視点が盛り込まれた(小・中学校は2008年3月、高等学校は2009年3月にそれぞれ改訂・公示)。以降、ESDの普及が図られるが、いわれるほどには進展していない。地域のESDについては、リーダーシップの養成やネットワークの形成(コーディネーターやファシリテーターの育成)が肝要となるが、これも進んでいるとはいい難い。その背景に何があり、そ〇の原因は奈辺にあるのか。本質論的かつ実践論的検討が求められよう。
〇ESDは、個人を対象とした知識伝達や能力形成のための教育として捉えられている。この従来型の教育に対して岩佐(「内発的ESD」)は、人、モノ、コト、そして自然が有機的にかかわる地域(「生活世界」)の内発的発展を支えるための、人間(地域)の潜在的可能性を発現させ、共同性や自律性そして創造性を育成する「共育」のあり方を提示する。それは、地域に暮らす高齢者や障がい者、外国籍住民など、すべての「ヒト」が「共働」する「まちづくりと市民福祉教育」における重要な視点・視座のひとつでもある。
229
36/障がい者差別と「生の無条件の肯定」
―野崎泰伸の思想から―
〇筆者は、福祉教育実践や研究の重要な課題のひとつでもある「障がい者差別と生の思想」に関して、野崎泰伸(のざき・やすのぶ、倫理学専攻)の本を読み返すことにした。『生を肯定する倫理へ―障害学の視点から―』(白澤社、2011年6月。以下[1])と『「共倒れ」社会を超えて―生の無条件の肯定へ!―』(筑摩書房、2015年3月。以下[2])がそれである。再読のきっかけのひとつは、盟友(S氏)からの次のような返信メールである。「あなたがいう福祉教育に哲学や思想、倫理がないという話は、『保育指針』にそれがないということと重なります。何をどう教えるかはあっても、なぜそれが必要なのかは“自分の問題”として掘り下げられて来なかった。だから、児童福祉施設でありながら保育所は、社会福祉の『人権や社会正義、多様性の尊重‥‥‥』というような基本理念と重ならないのです」(2018年10月)。いまひとつのきっかけは、国会議員による笑止千万の妄言(「LGBTのカップルは子供を作らない、つまり『生産性』がない」『新潮45』2018年8月号)や、中央省庁や地方自治体などによる「障害者雇用水増し問題」の発覚(2018年8月)にある。さらには、「相模原障害者施設殺傷事件」(2016年7月)を引き起こした元施設職員の「この世から障害者がいなくなればいい」という言葉を思い出すことによる。
〇[1]は、「障害学」の視点から、障がい者にとって「正義」とは何かを問い、生を肯定する「倫理」を新たに構想しようとしたものである。野崎は言う。この社会で障がい者が「生きづらい」のは、軽減・克服すべき個人の身体(障害)に問題があるのではなく、健常者を「正常」とする価値観にとらわれている社会に責任がある。従って、その「生きづらさ」を解消するためには、障がい者を分断・排除している社会が負担を負わなければならない。また、「障害はないほうがよい」という言説がある。その多くは「障害者は存在しないほうがよい」という議論にすりかわってしまう。その「すりかえ」は、社会的負担の拒否を表明するものである。1970年代の「青い芝の会」などの障がい者運動は、「障害からの解放」ではなく(障害によってこうむる)「差別からの解放」を求めた。それらの運動は、「障害者の生存を無条件に肯定する」という「当たり前のことを当たり前に」要求したものであり、その主張に「学問」は学ぶべきである。改めて確認しておきたい野崎の言説のひとつである。
〇[2]は、「犠牲」という視点から、障がい者が抱える諸問題(「生きづらさ」)を検討することによって、「生の無条件の肯定」という思想の構築を図ろうとしたものである。野崎は言う。この社会では、経済成長至上主義や功利主義(「最大多数の最大幸福」)の考え方のもとで、貧富の格差や少数者の犠牲が前提・容認されている。そうしたなかで、障がい者が抱える「生きづらさ」の問題が私事化・矮小
230
化され、障がい者やその家族、支援現場は犠牲を強いられ、追い詰められる。そして、閉鎖的な関係性が形づけられ、そこでのみ「生きづらさ」が共有されることになり、「共倒れ」が引き起こされていく。そしてまた、「何を言っても」「どうせ」この社会は変わらないという諦(あきら)めが、自分の暮らしを守ることに傾注させ、異質な存在(他者)を排除することを促す。こうした「犠牲の構造」のもとに障がい者を差別・抑圧し、捨て置くこの社会に抗するには、「生の無条件の肯定」という正義が問われ、倫理が求められなければならない。改めて押さえておきたい野崎の言説のひとつである。
〇野崎の言説について、筆者にとって意味不明や理解不能な点がいくつかある。例えば、野崎の言説の原点でもある「青い芝の会」の運動の「愛と正義を否定する(愛と正義のもつエゴイズムを鋭く告発する。人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉である)」や「問題解決の路を選ばない(安易な問題解決は危険な妥協ヘの出発である。問題提起を行なうことのみが、われらの行ない得る運動である)」という「行動綱領」([1]40ページ)。「障害はないほうがよい」という言説が「障害者は存在しないほうがよい」という議論に「すりかえ」られるという、その構造。「生の無条件の肯定」が起きるのは「奇跡であり、狂気の瞬間でもある」([1]197ページ)が、それは「感情や気持ちの問題」ではなく、広く「社会構造の問題」をも問うものであるという思考。WHOのICIDH(国際障害分類)からICF(国際生活機能分類)への移行について論究しないこと、等々がそれである。これらに関する分析や理論(論理)の展開については今後に期待することにして、以下では、福祉教育実践や研究に思いを致しながら、再確認あるいは再認識したいいくつかの論点や言説を紹介しておくことにする(引用、抜き書き。見出しは筆者)。
(1)『生を肯定する倫理へ―障害学の視点から―』
障がい者問題の本質と「障害をもつ者ともたざる者との断絶」
障害者問題は特殊な問題ではなく、みんなの問題である。そのことを説明するために、次のようなことが言われる。みんな老いていくし、不慮の事故で障害者になったりする。あるいは、昨今では精神的な病になってしまう者も多い。このことから、誰もが障害や老いによっていつしか自分の身に社会的なハンディを背負わされるようになる。([1]8ページ)
こうした理解は「いま障害をもっていない者への説明」としては適切だ。だが、現に障害を有する者にとっては、こうした言われ方が生ぬるいと感じられるのもまた事実である。実際に「明日障害をもつかもしれない人」にとって「いままで障害を有してきた身体/精神がこの瞬間感じるもの」を感じ取ることは不可能である。障害をもつ者ともたざる者との間のこの断絶は、あなたと私が違う人間である以上、けっして完全に埋めることなどできないはずである。まずは、この断絶の存在を深く認識しなければ、なにも始まらない。
231
それでは「どのように」障害者の問題は〈私たち〉の問題であるということができるのであろうか。それは次のように考えることができる。現在の私たちの社会が、障害者を生きにくくさせていること、障害があるだけで人間扱いされないような社会に、あなた自身も、私も住んでいることを、あなたや私はどう考えるのか、を問わなければならないのである。そして、これこそが、障害者問題が〈私たち〉の問題であるという理由のもっとも基本的な部分なのである。([1]9ページ)
障害者を排除する社会にあなたや私が住むということ、そしてそのことをあなたや私はどう考えるのか、というところに問題の本質があると述べた。この問題には、2つの側面があると思われる。1つは、社会の正しさの問題、つまり正義の問題であり、もう1つは、こうした問題を自身から引き離さず、棚上げすることなく考えるという要素である。([1]10ページ)
障害学と「障害はないほうがよい」という言説
障害学とは、多くの健常者が考えるような発想、すなわち障害はなおしたり、克服すべきものだという視点を基本的にはもたない。そうした視点は、障害を「異常なもの」と考える発想であり、この社会で生活したければ、健常者のように「正常」になるように努力しなさい、という結論を導きやすい。なぜならば、この社会が健常者中心で回っているからである。これに対して、障害学の視点とは、まず「この社会で障害者が〈人間らしく〉生きていくためには、(障害者のほうではなく)社会はどのようにあるべきか」を考えるのである。([1]19ページ)
障害学では、障害を障害者個人のインペアメント(機能障害:阪野)の治療という枠組みから、社会における障壁が障害者を無力化するという枠組みへの変更を促す。([1]20ページ)
(障害についての2つの考え方である:阪野)医学モデル(個人モデル)と社会モデルとの違いは、次のように言うことができる。障害の医学モデル――障害者が〈生きづらい〉のは障害者本人の責任である。だからこそ、障害は本人が軽減・克服すべきものなのである。障害の社会モデル――障害者が〈生きづらい〉のは社会の責任である。したがって、障害者本人の〈生きづらさ〉の解消のためには、社会が負担を負わなければならない。
障害を社会的文脈において理解するということは、障害者の〈生きづらさ〉を誰が負担すべきか、つまり「帰責性の問題」が中核的な議論となる、と言えよう。([1]26ページ)
「障害はないほうがよい」という言説は、その多くが「障害者は存在しないほうがよい」という議論にすりかわってしまうことに注目すべきである。社会モデル的に考えれば、「障害はないほうがよい」という問いに対する答えは定まらないはずである。([1]27ページ)
「障害はないほうがよい」が「障害者は存在しない方がよい」にすりかわってしまう背景には、社会的負担の問題がある。つまり、「障害はないほうがよい」を「障
232
害者は存在しないほうがよい」にすりかえるのは社会的負担の拒否を表明しているのである。そのように考えたとき、「障害はないほうがよい」を問わせる場自体が、「すりかえ」も含めて、私たちが構築したものにすぎないとも言えるはずである。([1]27ページ)
障がい者運動と「障がい者の生存を無条件に肯定すること」
1970年前後に、重度障害者が個々の場面において声をあげ始めた。(中略)(そうしたなかで:阪野)特に注目されるのが、脳性マヒ者の団体である「青い芝の会」の活動であろう。([1]36ページ)
(「青い芝の会」の:阪野)障害者本人が訴え、求め続ける障害者解放とは、障害からの解放ではなく、(障害によってこうむる)差別からの解放なのである。これは障害学でいうところの「医学モデルから社会モデルへ」というパラダイムシフト(支配的な考え方の劇的な変化:阪野)に符号している。([1]37ページ)
日本における戦後障害者運動を(中略)思想的に見ていけば、とりわけここ40年間の障害者本人による運動に胚胎(はいたい。芽生え、きざすこと:阪野)するのは、障害者の生存を無条件に肯定することであると言える。私は、この運動が面白いのは、当たり前のことを当たり前に言っていることにあると思っている。彼らの主張はしばしば非論理的であると言われたりもするが、私は明快な筋が通っていると考えている。障害者によって主張されたから意味があるのではなく、障害者によって主張された数々の主張が、社会において普遍性を帯びるからこそ、この運動には意味があると私は考えている。まず学問がなすべきことは、障害者運動の主張を学ぶことであり、それによって学問自身をとらえ返すことにあると、私は考える。([1]45~46ページ)
「当事者研究」と当事者が語ること
近年、「当事者研究」というものがなされている。それは、当事者自身の手によって、当事者が直面する問題を、当事者内部にとどまらず、当事者と(当事者を捨て置く)社会との関係によって考察していこうとするものである。([1]166ページ)
当事者が語り出すとき、さまざまな点で考えるべきことがある。まずは、そこに行きつくまでにその当事者がいかなる困難を経験してきているかは、想像すべきであろう。([1]167ページ)
語り出した当事者を勇気があると賞賛することも問題である。まず、誰が、何がそこまで当事者を語れなくさせてきたのかが問われるべきである。(中略)語り出す当事者を英雄化してしまうのは、「語ることのできる主体」を期待するだけの非当事者であると言わずに、他になんと言えようか。それはまた、いまだ沈黙せざるを得ない当事者たちへ向けた無言の圧力でもあるのだ。([1]167ページ)
233
そもそも、語り出す当事者の主張が、当事者一般の意見を代表するわけでもない。また、いったん語り出した当事者の主張の内容が、当事者であるというだけで正しさを担保されるわけでもない。ではなぜ、当事者の主張が大切になってくるのか。ここまでの理路をたどってくれば、当事者の(生きづらさ)を捨て置く学問体系や私たちの社会が不正義であるからだ、ということができる。それを正すためには、これまでの学問体系や私たちの社会に、ただ単に当事者の主張をつけくわえたもので満足してはならない。それだけでは語る主体の物語で終わってしまう。([1]167~168ページ)
正義と倫理的命令としての「生の無条件の肯定」
正義というものが存在するのであれば、それはどのような生が生きることをも無条件に肯定しなければならない。生の無条件の肯定が、倫理的命令である。([1]193ページ)
(1)「生の無条件の肯定」は、感情や気持ちの問題ではない。「生の無条件の肯定」は、広く社会構造の問題をも問うものであり、条件をつけながら特定の存在だけを「生きる価値がある」とする社会構造に反対するものだと言える。(2)「生の無条件の肯定」は、生命の神聖性原理ではない。生命の価値を、他の価値と比べて絶対で最高の価値であるとする「生命の神聖性」という原理とも一線を画し、それがなければ他の、自由や平等などといった価値が実現しないという意味で、基本的かつ原初的な価値であると言える。(3)「生の無条件の肯定」は、スティグマを与えるものではない。当事者にスティグマを与えたり、スティグマを黙認する社会のようなものが、「生の無条件の肯定」を体現するはずもない。(4)「生の無条件の肯定」は、現前するものではない。「生の無条件の肯定」は、いまだ達成されたものでもないし、将来達成されるものでもないからこそ、正義なのである。([1]194~198ページ抜き書き)
(2)『「共倒れ」社会を超えて―生の無条件の肯定へ!―』
「生きづらさ」と共依存による「共倒れ」の社会
困っているとき、弱っているときに、誰かに何かをお願いしたり頼ったりすることを妨げてはなりませんし、誰かにSOSを発信すること自体はけっして悪いことではありません。(中略)〈生きづらさ〉をひとりで抱え込む必要などないからです。他方で、ある特定の相手と閉じた関係性が形づくられ、そこでのみ〈生きづらさ〉が共有されるような場合、「共倒れ」の危険性が出てきます。というのも、弱っている相手、支えが必要な相手を支えたくても支えきれなくなった場合、もはやそれは「共に生きる」状態ではなく、「共倒れ」と呼ぶにふさわしい状態だからです。([2]75ページ)
Xという条件を満たしていなければ生きる価値などないと思わせるような構造や価値観がこの社会に存在しているからこそ、共依存による「共倒れ」が起こってしまうのだと私は考えています。(中略)ですから私は、共依存による「共倒れ」を防ぐには、家族や近親者だけに責任を負わせてはならないと考えています。誰もが無
234
条件に生きてよいというメッセージを社会が発し、それを可能にするような制度を整えることが、より根本的な解決法であろうと思うのです。([2]76~77ページ)
「犠牲のシステム」と「豊かに」生きられる社会
犠牲とは、交換や譲渡ができないもの、しないものを、その社会において、それができるようにする力のことである、と言ってよいのではないでしょうか。そして、真の「豊かさ」とは、交換不可能性、譲渡不可能性を源泉とする価値のことなのです。であるなら、交換不可能性、譲渡不可能性に基づく価値を、自発的にせよ強制的にせよ、社会に差し出してはならないのであり、それらの価値を守るために、交換可能な価値は存在すると考えることもできるのではないでしょうか。ここで私は、(中略)
交換不可能な価値を差し出さなくてもすむような社会を創出するためにこそ、交換可能な価値を使う必要があると述べているのです。
交換可能な価値の代表が貨幣であり、交換不可能な価値の代表が身体や生命、環境、尊厳です。交換可能な価値は、使用することによって価値が生まれ、交換不可能な価値は、そこに存(あ)るだけで
本源的な価値を有していると言えるかもしれません。([2]96ページ)
「豊かに生きる」とは、すべての生が、先述のような意味において犠牲にならないことであると私は考えています。人の生命や尊厳など交換不可能なものを、貨幣など交換可能なものに「交換」させ、それを「美談」に仕立て上げ、そうした「交換」を社会に埋め込んでいく装置が、「犠牲のシステム」なのです。([2]96~97ページ)
他者を犠牲にしない、そして私という存在も犠牲にされない社会(「犠牲のない社会」:阪野)こそが、他者と共に「豊かに」生きられる社会であると言えるのではないでしょうか。([2]97ページ)
障がい者の「生そのもの」を選別する「教育」と「観念」
日本の道徳教育においては、「生命の尊さを理解し、かけがえのない自他の生命を尊重する」(中学校学習指導要領:阪野)などと、生きることや生命を尊重することの大切さを児童・生徒に理解させることが重視されている。([2]190ページ)
(分離教育を前提とするこの国の:阪野)学校教育においては、障害のある「生そのもの」が、「学校教育に順応できる(順応させるに値する)」かどうかが、当人および家族の意向よりも優先的に問われることになるのです。つまり、障害のある「生そのもの」は、「この社会で生きるに値する/生きさせるに値する」かどうかが問われることになるわけです。こうして、障害をもつ子どもの「生そのもの」は、一般化・抽象化された「生命」観に基づく価値序列によって選別の対象となっていくのです。
235
こうした動きを、根本のところで推し進めているのは、政治や法律であるというよりはむしろ、「障害者の「生そのもの」は、生きるに値する/生きさせるに値するかどうかが問われても仕方がない」という、広く私たちを覆う観念なのではないでしょうか。そして、そのような観念は、世論によって強化され押し広げられ、私たちを、障害をもつ人を、「犠牲の構造」へと巻き込んでいくのです。([2]194~195ページ)
「生の無条件の肯定」と「権力に抗する倫理の姿」
一般化・抽象化された「生命」ではなく、個別・具体的な「生命」に目を凝らしてみると、ただそこに存在しているだけで、それは絶対的なのです。個別・具体的な「生命」は、ある空間と時間において間違いなく存在し(ています:阪野)。だからこそ、それは比類がないのであって、絶対的なのです。(中略)この「生きているということそのもの」(「生そのもの」)こそ、あらゆる生の原形であって、私たちはこうした「生そのもの」を無条件に肯定しなければならないのではないでしょうか。なぜなら、「生そのもの」の否定は、原理的な水準において、すべての生の否定を意味するからです。こうした理由によって「生命の価値」「生命の尊厳」といった一般的・抽象的な次元よりもいっそう深い水準において、「生そのもの」を無条件に肯定する必要があるのではないかと私は考えているのです。([2]191~192ページ)
権力は「生そのもの」を、一般化・抽象化された「生命」に基づく価値序列に当てはめ、「生きるに値する生/生きさせるに値する生」であるかどうか選別していきます。その過程で権力は、「生そのもの」に「尊厳」を付与することで、「生そのもの」を肯定する回路を絶ってしまいます。だからこそ私たちは、そうした力に抵抗しなければならないのです。「生そのもの」を、それ自体として受け取ること、したがって、一般化・抽象化された「生命」として受け取ってはならないということ、「生そのもの」を無条件に肯定すること。それこそが、「生の無条件の肯定」が指し示す倫理の地平なのです。([2]200ページ)
社会運動と「民主的アプローチ」
多くの社会運動は、「他者と共に豊かに生きられる社会」の実現を目指しています。裏を返せばそれは、この社会が、まだそうなっていないことを意味しています。(中略)現安倍政権は、異質な人間を排除し、同質な人間をのみ成員とする社会を作ろうとしているように思えてなりません。異質な人間を異質なまま、この社会のメンバーとして受け入れようとせず、同質化を強要し、それに従わない人は構成員とみなさず、放遂しようとしているのです。それによってこの社会は、他者と出会う機会を失っていき、同質な人間だけで完結した、閉じた社会になっていくのではないでしょうか。([2]180ペジ)
社会運動にかかわる上で肝要なのは、ある属性をもつ人びとを差別し、見殺しにするこの
236
社会を、「犠牲の構造」の上に成り立つこの社会を絶対に許さないという思いと、いつの日か、そうした社会を変革することができるという信念ではないかと私は思うのです。([2]215~216ページ)
いくら「来るべき社会」について議論をしても、その基底に「正しさ」がなければ、何の意味もありません。人びとがもし、「政治的な力による調整」によって多数派を形成することこそ民主主義の実践だと考えているとすれば、端的に言ってそれは誤りです。結局のところそれは、政治的に力の強いものこそが「正しい」と言っているのと同じです。複数あるプランのうち、もっとも論拠が確かで妥当性が高いのは何かをめぐって、意見交換をしながら合意を形成し、それに基づいて社会を運営していくというのが、あるべき民主主義の姿ではないでしょうか。([2]222ページ)
〇野崎の言説の核心は、「『生の無条件の肯定』は正義であり、倫理的命令である」という点にある。それを[1]では「障害者」の視点に立って、[2]では「犠牲」という視角から論究するのであるが、その主張を際立たせようとするあまり、論理の飛躍や混乱、不整合が散見される。例えば、野崎は「負け惜しみではなく、障害がないほうがよい、とは思わない障害当事者も存在する」ことから「『障害はないほうがよい』という問いに対する答えは定まらない」([1]27ページ)と言う。その意見については、筆者にも「自分がCP(Cerebral Palsy:脳性マヒ)であることを誇りに思っている」(本ブログ「雑感(20)」2014年10月1日投稿)という知人がいるが、一般論としては首肯しかねる。「障害はないほうがよい」。
〇とはいえ、必ずしも新味性があるとは言えないが、野崎の言説から福祉教育実践や研究が学ぶべき論点や主張も多い。例えば、「身体や生命は、そこに在るだけで本源的・絶対的な価値を有している」。「一般化・抽象化された『生命』ではなく、個別・具体的な『生命』に目を凝らすことが重要である」。「学校教育においても、障害のある『生そのもの』は価値序列によって選別の対象となっている」。「生きる・生きさせるに値するかどうかを問うという考え方は、世論によって強化・拡大されていく」。「これまでの学問体系や私たちの社会に、ただ単に当事者(障がい者)の主張をつけくわえるもので満足してはならない。それだけでは語る主体の物語で終わってしまう」、などがそれである。
〇最後に、野崎の言説に通じるものでもあるが、本稿のタイトルとりわけ「自分の存在意義」(自分が存在している意味や価値。レーゾンデートル)に関して、平易に次のように言っておきたい。「人がそれぞれ、他者とともに豊かに生きるということ」=「人はそれぞれ、いま、ここに生きているというそのことに本源的な価値がある」(「ただ生きる」ことの保障)×「人にはそれぞれ、やりたいこと・やれること・やらなければならないことがある」(「よく生きる」ことの実現)×「人はそれぞれ、社会や歴史、自然・環境などとのつながりのなかに生きている」(「つながりのなかに生きる」ことの持続)。
237
補遺
野崎泰伸は、「倫理」と「倫理学」そして「哲学」について次のように述べている。
「倫理」とは、「人としてあるべき道についての掟」のようなものである。「倫理学」とは、「いかに生きるべきか」について考える学問である。「哲学」とは、人生のあらゆる出来事について、その根源にさかのぼって探究する学問である。倫理学は哲学のひとつの領域である([2]49ページ)。「障害とは何かを問うていく営為は哲学的であり、障害者とともに生きる社会はどうあるべきかを考える営為は倫理学的でもある」([1]21ページ)。
238
37/「できる・できない」を問う
―立岩真也の思想から―
A:「生まれながらにして目が見えないのです。普段は、何も見えない生活ですから、いまさら見えても困ります。」
B:「高校生の時に全盲になりました。視力が徐々に低下していく時が一番怖かった。もう一度、故郷の景色を見たいものです。」
C:「私は、自分が脳性マヒであることを誇りに思っています。だからこそ、いまの生活や活動ができるのです。」
〇筆者の手もとに、読みづらいと思い込み、読みあぐねてきた本がある。それは、多面的・多角的な視点の提示や問題提起をはじめ、縦横無尽で複雑な論理の展開、思考過程の多岐にわたる詳細な言語化、それに個性的で独特の文体(文章のスタイル)の駆使などによるのであろう。それは実は、「障害」や「病」をめぐる社会のあり様とその問題点や課題などについて、読み手に対して誠意を尽くし、慎重かつ丁寧に解明しようとする「仕事」である。そこには、「誰もが不利益を不当に被る」ことのない「公平な社会」のための「強靭(きょうじん)な思想」がある(「帯」)。その本は、立岩真也(たていわ・しんや、社会学専攻)の『不如意の身体―病障害とある社会―』(青土社、2018年11月。以下[本書])である。「不如意」(ふにょい)とは、「思うようにならないこと」をいう。
〇本書を読み進めるなかで、立岩の言説のうちから次の2点に留意しておきたい。ひとつは、社会に対する基本的な視点や考え方である。一部を引いておく。
近代を問題にするとはこの(次の)二つをともに問題にすることである。一つは、この社会における所有に関わる規則とそれに関わって生じる現実の財の配置である。一つは、人とその行ないと行なうことのできることの間の関係を巡る価値――能産的であることにおいて人は価値を有するという価値――である。(98ページ)
〇平易に換言すれば、「私たちの社会は自分ですることに価値を置いており、生産した分、あるいは能力・生産に応じた分(だけを)取ることを正当としそれを社会のきまりとしている」(368ページ)。要するに、この社会は、能力と業績を基準にして評価する社会、「その基本に『能力』に関わる価値と規則を有している社会」(97ページ)である。そして立岩は、この能力主義・業績原理に強い異議を唱える。
〇立岩は、その社会で生きるにあたっては、障害によって「できない」ことがあっても、「(1)自分でする、自分でできるようになる。そのために「学習する」とか「訓練する」とか「なおす」ことがなされる。(2)自分ができるために、自分以外の人・設備を使って、補う。(3)他人にやってもらう」(362ページ)という方法
239
がある。「自分でできないこと、その代わりに他の手段を使うこと、他の人にさせることは常にその本人にとってマイナスではない」(309ページ)。障害は「ないにこしたことはない」と言うが、立岩にあっては、それは大切な主題ではない。「あるものはあるのだから、あとはどうやって生きていくか、生きていくための方法を考えること」(298ページ)が重要になる。「障害があるのはよいことかわるいことかといった議論に加わらず、まず障害者が生きていけるためにすべきことをすること」(317ページ)である。「そう簡単に障害はない方が(本人にとって)よいと言ってほしくない、言うべきでない」(318ページ)と立岩は訴える。
〇いまひとつは、立岩は、「障害とは何か」、とは問わない(101ページ)。「障害とは何か」を定義することは必要ないとして、「不如意の身体」(思うようにならない身体)の「障害と病に関する契機」を挙げる。「(1)機能の差異があり、(2)姿形・生の様式の違いがあり、(3)苦痛があり、そして(4)死の到来がある。加えれば、(5)加害性がある」(21ページ)というのがそれである。
〇この5つの契機のうち、立岩にあっては、「障害」は、(1)機能・能力、その有無・差異(「できないこと」)と(2)姿形・生の様式、その差異(「異なること」)に関わり、加えて(5)加害性(「加害的であること」)が懸念されてきた。それに対して「病」は、伝染の可能性等によって(5)加害性(の可能性)が恐れられ、「社会防衛」(収容・隔離)の対象になってきたのでもあるが、(3)「苦しいこと」と(4)「死に至ること」、あるいはそれを惹起させるものである(21、37、102ページ)。
〇5つの契機のうち、「歴史的現実的には相当に大きな部分を占めてきた」(102ページ)のが「加害性」である。その点に関する立岩の言説の一部を引いておく(抜き書きと要約)。
精神障害や発達障害のある部分について「(自傷)他害」が問題にされてきた。ハンセン「病」や精神「病」も加害性をもつものとして社会によって扱われ、そして「防衛」の対象になってきた。なにか身体的なものに関わるよからぬもの全般が「病」という札を貼られ、その中で「機能」に関わる部分が「障害」と括(くく)られてきたのかもしれない。そして同じ施設にハンセン病療養者が入り、結核療養者が入り、結核が流行らなくなると、重症心身障害児と呼ばれる人が入り、筋ジストロフィーの子どもたちが入り、そして大人になっていった。ここで加害性(からの防衛)と負担(の軽減)は明らかにつながっている。そして「狭義の」加害性~社会防衛は現実にはどれほどの重みをもっているか。一般に反体制的な気分の社会運動においては治安が問題にされるのだが、いったい実際にはそれはどれほどのものであるのかは考えておいてよい。(30~31ページ)
加害(性)はとにかく難しいように思える。わるいことをしたら罰せられるのはよい。しかしその人がわざとやったことでなければ、自らの意志で止めることができなかったことなら、やはりその人の責任は問えないだろう。そして死刑は私はいや
240
だ。そしてどんな手を打ったとしても、悲しいことではあるが、加害行為がまったくなくなることはない。ずっと言われ続けてきたことではあるが、加害を減らす手段は本人を罰したり介入したりする以外に、様々にある。貧乏を減らすのが本来は一番てっとり早い。そして、それをなくすため、減らすためといって、犯罪を行なう確率が高いとされる集団に属しているからといってその人(たち)を特別に扱うといったことは極力しない方がよい。(138~139ページ)。
〇すなわち、「不如意の身体」の「加害性」は、「不如意」ゆえに本人の意に反して出現する(した)「加害行為」が社会的に恐れられ、「社会防衛」の対象にされてきたことを意味する。その際の「加害行為」については、その「(自己)責任」の有無や所在、その「抑制(実施)」の可否や方法、その「(社会)防衛」の是非や負担などをめぐって、ことはそれほど単純でも簡単でもない。
〇冒頭に記したA、B、Cの(筆者の知人の)話に関して、立岩の論点や言説から、筆者なりに留意しておきたい点のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約)。
身体障害は、動かず、不便であるだけだ。障害者は、機能や姿形においても、できる/できないにしても、違うことの受け止めにしても、生まれた時からの人と中途からの人は異なる。前者の人は、違いを意識するのは他人との比較のときで、自分については他人と違っている状態が初期値で通常の状態であって、その自身においては「同じ」である。(28~29ページ)
障害があることがマイナスであると判断されることがあることを否定しようと思わない。しかし正/負は微妙であり、しかもそれは環境によって左右される。(環境として既に存在する社会の方は健常者用の、健常者的社会ではある。)現実において、その社会において、障害はない方がよいことはある。全面否定の必要はない。できた方がよいことがあるが、しかし「本来」とまでは言えない。このことがあまりに単純化されている。だから、障害はない方がよいに決まっているという決めつけは「あまりに無神経」だといった指摘は、なにか「感情論」にすぎないと受け止める人がいるかもしれないけれど、やはり当たっているのである。(314~315ページ)
障害があることが本人にとってよいかわるいかは定まらない。この単純な意味で、障害がないこと自体がよいとは言えない。他方、周囲にとっては、(負担という点では)障害があることは確実に都合がわるく、ないことはよいことである。「本人」がこのことの隠れ蓑(かくれみの。実体を隠すための手段)?に使われ、本人だけのこととされることがある。そして当人もそんな周囲から学習し、自分のこと
241
を負担に思ったりするだろう。障害はない方がよいという主張の問題は、誰にとってという人称不明のまま、むしろ本人にとってよいことになってしまい、区別がつかない。その中で周囲の都合が優先されることがある。だからどのように異なるのかをはっきりさせる必要がある。(315~316ページ)
できた方がよいのは、一つは、自分のことは自分でというきまりのあるこの社会においてはできることが必要とされるからである。しかしそれはつまりは、人のことを手伝うのは面倒だという以外のことではない。できることは総量としてしかるべく存在すればよい。自分ができなくてはならないわけではない。「ない方がいいでしょ」という問いに「はい」と答えてもかまわないのだが、ただ、「できたらいいに決まっている」と言われるときには、できない(そしてしなくてよい)人とその周囲の人の異なりが看過されている可能性がある。いや実際看過している。だからこのことは忘れないようにしよう。(323ページ)
〇本稿のテーマに関する立岩の主張は簡潔・明瞭である。障害と病の有無や差異に関わりなく、またできなくても、なおらなくても、自分以外の人や設備によって補ってもらうことでみんなが「公平」に暮らせればそれでよい、のである。できる/できないの言説は、自分(本人)ができなくても、他人(本人の周囲の人)ができれば何とかなる、ということである。
242
38/二項対立の思考:「分かりやすさ」の罠
―仲正昌樹を引く―
〇本冊子の「まえがき」で、「二項対立」的あるいは「二分法」的な思考についてふれた。その点についての理解をいますこし深めるために、仲正昌樹(なかまさ・まさき、政治思想史)の『「分かりやすさ」の罠―アイロニカルな批評宣言―』(筑摩書房、2006年5月)から、次の言説を引いておくことにする(抜き書きと要約)。
なぜ二項対立にハマるのか?
二項対立というのは、いろいろな意味で使われる言葉だが、政治的にネガティヴな意味で使われている時は、おおよそ①実際にはいろいろ複雑な争点があって単純にイエス/ノーを言えないはずのところを強引に単純に割り切って敵と味方で全面的に対立している(かのような)構えを見せること、②対立している双方の論理が、相手方の言い分のイエス/ノーをそのままひっくり返しただけで、第三者的には、合わせ鏡のように左右対称になっているように見えてしまうこと――を指している。(13~14ページ)
二項対立をやっている人たちは、なぜ、ステレオタイプ(型どおり)な台詞(せりふ)を語り続けるのだろうか? 答えは“簡単”である。斎藤貴男(ジャーナリスト)が指摘しているように、相手方が単純なレトリック(修辞、言い回し)で庶民の目をくらまし、複雑な現実に目を向けさせないようにしているので、自分たちも庶民にまず“目をさまして”もらうため仕方なく、庶民が振り向いてくれるような庶民にとって分かりやすい単純な言葉で語っている、というのである。しかし、それではまるで、庶民には全然主体性がなくて、右から何か吹き込まれたら右になびき、左から吹き込まれたら左になびくので、たくさん言ったもの勝ちだと言っているようなものである。(15ページ)
カンタンに二項対立している人たちに対して、第三者的な立場から批評を加えると、「自分の問題としてではなく、他人事のように語っている」などという拒絶反応をする人々がいる。二項対立の一方の側に身を置いていないのは、高見に立ったつもりになって無責任なことを言っている不真面目な輩(やから)である、という妙な価値観が働いているのである。「今はもう冷戦的な二項対立的発想の時代ではない」と言いながら、自分自身はますます二項対立的な図式にハマり込んでいる大小の評論家が増殖している。(17ページ)
人はどうして分かっていながら「二項対立」図式に自らハマっていき、そこから抜け出せなくなってしまうのか。「世界は複雑であり、二項対立では片づけられない」ことを多くの人は抽象的には理解しているが、いざ自分の考えを表明すべき立
243
場に立たされると、何らかの形で「世界」を、自分にとっての「敵/味方」に単純に切り分けて、“分かりやすい答え”を出して、安心しようとする。その安心感を振り切って、複雑さを再認識するのは非常に困難になる。「哲学」は、思考を単純化してしまう「分かりやすくて心地よい言葉」に抵抗してきたと言えるが、現代日本において顕著に見られるように、時として哲学者自身が自覚的無自覚的に、二項対立的な「分かりやすさの罠」にハマってしまうことがある。(17~18ページ)
すべての二項対立が悪ではない
最近では、「敵/味方が最初から決まっていて妥協や歩み寄りの余地がない二項対立的な論争は不毛だ」という感じで、“二項対立”が悪者扱いされることが多いが、「二項対立的になる」ことは常に悪いことであるとは限らない。単なるフリートークではなく、一つの「答え」を出すことを目的として論議する場合、イエス/ノーに意見がはっきりと分かれるような二項対立的な問題設定をどこかでする必要がある。(31~32ページ)
特定の価値観・世界観を持っている人々が、自らの価値観・世界観を直接的に反映する形で論争の土俵を設定すると、最初から妥協や、自らの立場を変化させる余地がなくなってしまうことになりがちである。そうした世界観レベルの二項対立とは一応切り離した形で、最初の時点で便宜的にイエス/ノーの立場を二項対立的に設定しておいて、議論を進めていくうちに互いに(立場を)移動し合ったり、第三、第四の立場を設定できる可能性を認めることができるのであれば、(暫定的で変動可能な)二項対立的論争形態はむしろ有用であると言うべきだろう。(34ページ)
修辞的アイロニーと哲学的アイロニー
フリードリヒ・シュレーゲル(1772年~1829年、ドイツ初期ロマン派の思想家)は、単なる修辞的アイロニーと哲学的アイロニーを分けている。修辞的アイロニーというのは、自分の言葉を洒落(しゃれ)たものに見せるためにちょっとだけ逆説的に聞こえる表現(皮肉)を使ってみるというようなことであり、思考の枠組みにおける大きな変容を伴っていないようなものである。それに対して哲学的アイロニーは、「対話」などの形を取りながら、「哲学する主体」が無自覚に依拠している「秘密の意図」を“反省”的に明らかにして、“主体”の視野を拡げていく営みである。(188ページ)
「アイロニー」の語源になったギリシャ語の<eironeia>は、(相手の思考が生まれるのを助ける)「産婆術」(ソクラテスの対話形式の哲学)を意味していた。(190ページ)
〇二項対的な思考は、議論における相違点や対立点を鮮明にする。しかし、その反面、議論に参加する人々の立場や立ち位置を硬直化させ、議論それ自体を不毛なも
244
のにしてしまう危険性がある。そこで、自分自身の古い思考の枠組みを解体して再構築(「脱構築」)しながら、自分の立場や立ち位置から一歩踏み出し、思考する。それによって、硬直化した二項対立を俯瞰(ふかん)することができ、「敵/味方」の両極がそれぞれ持つ非合理な思い込みを明らかにすることができる可能性が開かれる。これが仲正がいう「アイロニカルな思考」であろうか。仲正の「アイロニー」は単なる「皮肉」(修辞的アイロニー)ではない(ちなみに、筆者に対する「皮肉」のひとつに、「字が達筆すぎて読めない‥‥‥」がある)。
〇二項対立には、多かれ少なかれ「グレーゾーン」(中間領域、境界領域)が存在する。そのことを前提に、あるいはそれに着目して議論することも必要かつ重要となる。グレーゾーンの発生は、議論の条件や状況が不明確であったり(認識の限界)、それに対する判断や基準に差異があり(認識のずれ)、それらを特定化できないことなどによる。とはいえ、その判然としないグレーゾーンを新たな視点で整理することによって、汎用性の高い思考やその枠組みを生み出すこともできよう。留意しておきたい点である。
〇また、不毛な二項対立を克服するためには、議論の前提や条件などについて事前に予備的に調査・吟味し、“かみ合った”議論が実現可能かどうかを検討する必要がある(フィージビリティ・スタディ/実現可能性調査:feasibility study/略 FS)。例えば、正/誤や真/偽などの「結論」だけを議論する二項対立は、双方の立場や立ち位置による「正当性」を主張するにとどまり、新たな結論や合意を得ることは難しい。双方が、前提条件や状況について、幅広い情報のもとに多面的・多角的に思考し、理解や認識を深めることができれば、正当性のある判断をいくつか見出す可能性(選択肢)が広がる。それが、冷静かつ複眼的な思考による議論を促すことになる。付記しておきたい。
〇以前にも増して、多様性を包摂する「地域共生社会」の実現に向けた福祉教育プログラムの研究・開発が求められている。またそれを社会的に普及・発展させるための枠組みを如何に構築するかが問われている。そういうなかで、今はもう、二項対立的に、概念的・抽象的に「排除と包摂」や「対立と共生」などを唱え(説い)て「コト」が済む時代ではない。
〇例えば、「社会的排除」には、経済的・社会的・政治的・文化的な次元や領域があり、それらが複合的に組み合わさっている。また、国や地域社会、家族、個人などの各レベルでその様相は異なる。さらには排除が排除を生む「累積的排除」や複数の「ヒト・モノ・コト」による同時「並行的排除」などがある。「包摂」には、「排除」と“闘う”知識や能力、時間や資源を必要とする。また、事後的かつ予防的な対策や主体的かつ積極的な事業・活動などが重要となる。
〇「排除と包摂」を「カンタンに、キレイに、分かりやすく」説くのではなく、その複雑な具体的事象を複雑なままに思考・理解し、その状態やプロセスから本質を
245
見出すことが必要かつ重要となる。二項対立的な単純な発想を越え、関係性を重視し、当事者意識(当事者性)を尊重する「第三者」的な立場や立ち位置を、新しく自覚することが肝要となる。仲正の言説を通して再認識した、「二項対立の思考」に関する基本的な事項である。
246
247~248