「老爺心お節介情報」第43号
お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第43号を送ります。
ご自愛の上、ご活躍下さい。
2023年5月5日 大橋 謙策
〇皆さんお変わりありませんでしょうか。季節の変わり目の日々の気候変動が激しく、体調管理が容易ではありません。お互いにくれぐれも気を付けましょう。
〇新型コロナウイルス感染症が感染症分類で2類から5類に変更になることで、規制緩和が進み、本当に人出が急速に増えました。
〇嬉しい便りがあります。私の教え子の朝倉香織さんが鳥取県社会福祉協議会の事務局長に4月1日付けで就任しました。体に気を付けて職務を遂行してほしいと願うばかりです。
〇「老爺心お節介情報」第42号でご案内した『福来の挑戦――氷見市地域福祉実践40年の歩み』の出版記念を兼ねた氷見市地域福祉実践セミナーが4月15日~16日に行われ、全国各地(宮城、群馬、長野、岐阜、愛知、静岡、香川、佐賀、宮崎等)から200名を超える参加者で盛会裏に行われました。原田正樹日本福祉大学学長や、全社協地域福祉部の高橋良太部長、香川県社会福祉協議会の日下直和事務局長等も参加して頂き、久しぶりの対面でのセミナーを満喫しました。
〇私は35年ぶりに氷見市内の2つの地区の住民座談会に参加しました。35年前に、地区社会福祉協議会作りのために入り、住民座談会をした地区です。その後地区社会福祉協議会がつくられ活動を展開してきたものの、それもマンネリ化し、形骸化していたのを、氷見市社会福祉協議会職員のエリア担当制の導入とともに、担当職員が地区社会福祉協議会の活動を住民の生活課題を明らかにするアンケート調査などを行い、地域生活課題を明らかにして、再活性化してきている実践を垣間見ることができました。
〇求められたコメントで、私は2つのことを言いました。その一つは、なぜ地区社会福祉協議会を1980年代に作ろうとしたのかという点です。それは、岡村重夫の一般コミュニティ論と福祉コミュニティ論との関係であったが、今や一般コミュニティ全体が社会福祉の普遍化の中で生活のしづらさを考えなければならない時代(地域の住民の自治能力が減退し、かつ高齢化することで地区に住むすべての住民が生活のしづらさを抱え、地域自体の存続が危ぶまれる時代)になってきているので、単に地区社会福祉協議会の再活性化に取り組むだけでは十分でないこと、二つ目に、地域自体の力がなくなり、自治会活動もままならない状況のなかで、内閣府、国土交通省、農林水産省、総務省などが「地域づくり協議会」づくりを市町村に推奨している時代に、それらの活動と無関係に地区社会福祉協議会 活動を位置づけていたのでは社会福祉協議会の存在が意味がなくなることを指摘しました。
〇社会福祉協議会が進める地域福祉は、“地域の基盤があったらばこそ”の活動でもあり、その地域のぜい弱化と無関係に社会福祉協議会及び地域福祉関係者は地域福祉を語るべきでないことを戒めました。
〇それにしても対面でのセミナーはいいですね。残念だったのは、懇親会で私はお酒を飲めず、ノンアルコールとウーロン茶、ジンジャエールなどを飲んでいたことです(2023年4月26日記)。
Ⅰ 憲法第13条と「社会福祉観の貧困」「人間観の貧困」「貧困観の貧困」「生活観の貧困」
〇5月3日は憲法記念日。筆者は、日本社会事業大学の講義で、よく「社会福祉観の貧困」「人間観の貧困」「貧困観の貧困」「生活観の貧困」という用語を使用して講義をしてきた。
〇それは、社会福祉を志している学生が陥り易い社会福祉観を問い直す作業過程として、その用語を使ってきた。
〇筆者は、社会福祉を憲法第25条からだけ説き起こすのではなく、それとともに憲法第13条からも説き起こすべきだと1960年代末から言ってきたし、論文にも書いてきた。
〇憲法第25条の社会権的生存権の規定は、人類が歴史的に獲得してきた権利であり、国民のセーフティネット機能として重要であることは重々分かったうえで、それだけだと提供される社会福祉サービスがちまちました“最低限度の生活保障”の域を出ないことになるし、その反動として、社会福祉サービスを提供する側のパターナリズムが避けられないと考えてきたからである。
〇それらのことを実感する機会は、1970年に女子栄養大学に助手として採用され、勤務し始めて改めて痛感したし、同じく1970年から始めた聖心女子大学の非常勤講師の勤務からも痛感させられた。
〇女子栄養大学では、昼食を大学の食堂で摂るのだけれど、その食堂はキャフェテリア方式で、自分の好み、自分の懐具合、自分が食べたい分量を自分で考えるという“主体性”が常に求められる。
〇当時の社会福祉施設の食事は盛っ切りで、自分(福祉サービス利用者)の主体的選択の余地はなく、かつ食器も割れない食器で供されていた。日常生活における食事の持つ意味、食事に伴う生活文化などを女子栄養大学でいろいろ教わった。
〇当時、島根県出雲市の長浜和光園がバイキング方式の食事を提供し始めていて、社会福祉施設における食事に関わる問題の重要性を随分と学ばせてもらった。食事を通して学ぶ食文化、食事の場における会話、食事を作る生活技術など日常生活における食事の持つ意味は大きい。女子栄養大学では、当時核家族化が進む中での“子どもの孤食”の問題が大きく取り上げられていた。
〇筆者は、当時の女子栄養大学の社会福祉の科目を受講している学生に、夏休みの宿題として、社会福祉施設を訪問し、その施設の食事の実態を分析するレポート課題を出した。そのレポートに書かれた当時の分析と今日とを比較出来たらとても良かったと思うのだけれど、そのレポートは女子栄養大学を退職した際に、廃棄処分してしまったことが残念である。
〇他方、聖心女子大学でも社会福祉の科目を教えていたのであるが、同じように夏休みの宿題として、社会福祉施設を訪問してボランティア活動を行い、学生なりの社会福祉施設の評価を求めるレポートを課した。その際、学生から質問があった。訪ねる社会福祉施設は日本の社会福祉施設でなければ駄目かという質問である。その学生は、夏休みに入ると同時に、父母がいる海外へ行くという。その海外の社会福祉施設の訪問記でもいいのかという質問であった。そのような境遇の学生が数人いた。日本と海外の社会福祉施設との比較が図らずも行うことができた。社会福祉施設を取り巻く福祉文化の違いを期せずして学生同士で論議できたことはおもしろかった。
〇1992年、筆者は日本社会事業大学の長期在外研究が認められ、イギリスに半年間滞在した。それも、筆者はロンドン大学などへの派遣ではなく、自由にさせて頂いた。
〇筆者は、ロンドンのケンジントン&チェルシー区に滞在し、区内にあるホスピスやボランティアセンターなどに出入りさせてもらった。ホスピスでは、余命いくばくもない人々が、私が訪問する度に、私に向かって“エンジョイしているか”と尋ねられる日々であった。そのホスピスでは、余命いくばくもないのに、ドリンキングパーティもあり、かつ犬のボランティアも登録されていて連れてこられたり、浴室にはカラフルな壁画が描かれていたりという福祉文化の違いを様々な形で私に問いかけてきた。
〇筆者は、憲法第13条に基づく社会福祉観を考える場合、生活上の様々な事象に対し「快・不快」を基底として、生活を楽しむ、生活を再創造するというリクリエーションが大切ではないかと考え、1980年代後半に、日本社会事業大学の故垣内芳子先生や日本レクリエーション協会の園田碩哉さん、千葉和夫さん(のちに日本社会事業大学の教員)、淑徳短期大学の木谷宜弘先生(元全社協ボランティア活動振興センター長)等と“社会福祉における文化の問題、レクリエーションの位置”について研究を行った。社会福祉施設の食事、社会福祉施設のインテリア、社会福祉施設職員のユニフォーム、行動規範などについて調査研究をした。その結果は、1989年4月に『福祉レクリエーションの実践』(ぎょうせい)として上梓された。その『福祉レクリエーションの実践』には、筆者が日本社会事業大学研究紀要第34集に寄稿した「社会福祉思想・法理念にみるレクリエーションの位置」と題する論文が収録されている。
〇その論文では、(1)社会福祉とレクリエーション、(2)レクリエーションの捉え方の視角、(3)西洋の社会福祉思想とレクリエーション及び娯楽、(4)日本における社会福祉思想にみるレクリエーション及び娯楽、(5)社会福祉六法の目的と生活観、(6)施設最低基準にみる生活観、(7)在宅生活自立援助ネットワークの構成要件、(8)在宅福祉サービスの供給方法と施設整備の在り方について論述している。権田保之助の社会事業や娯楽の捉え方や如何に社会福祉法の目的が狭隘であるかを論述すると同時に、入所型社会福祉施設のサービスを分解して、地域で住民の必要と求めに応じてサービスパッケージをすれば、社会福祉施設の位置と役割が変わることを指摘している(当時はケアマネジメントという用語は使われてなく、筆者は必要なサービスをパッケージして提供するという意味でサービスパッケージという用語を使用していた)。
〇1996年に総理府の社会保障審議会が社会保障の捉え方を見直し、事実上福祉サービスを必要としている人のその人らしさを支えるサービスに転換させる勧告を出す。憲法第25条に基づく“最低限度の生活保障”への偏りを反省し、事実上憲法第13条を法源とする社会保障、社会福祉への転換が求められた。
〇しかしながら、相も変わらず社会福祉分野では、“上から目線のサービスを提供してあげる”という考え方や姿勢が蔓延っているし、生活を楽しく、明るく、楽しむ自立生活支援にはなっていない。
〇社会福祉分野では、故一番ケ瀬康子先生等が「福祉文化学会」を設立し、社会福祉サービスの考え方や社会福祉における文化性について研究を推進してきたが、その研究枠組みは必ずしも私の先の論文の枠組みとは同じではない。
〇他方、1970年代から播磨靖男さんたちのわたぼうしコンサートを始めとして、社会福祉の枠にとらわれない障害者文化の向上に貢献する実践があるが、それらがどれだけ社会福祉分野に影響を与えて、社会福祉の質を変えたかは定かでない。
〇憲法記念日の今日、改めて社会福祉の在り方、考え方と憲法第13条との関り、社会福祉従事者の“内なる社会福祉観、人間観、生活観、貧困観”を見直す契機になればとこの小稿を書いた(2023年5月3日記)。
(注記)
この「老爺心お節介情報」は、私のメールアドレスに登録されている人を中心に送付していますが、時々メールの送信ミスがあるようです。
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログに、阪野貢先生が誤字脱字を修正してくれた上で、閲覧できるように転載されています。「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索して、入手してください。