阪野 貢/新訂「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて―総目次・文献一覧―

新訂「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて
―総目次・文献一覧―

阪野 貢/市民福祉教育研究所

はじめに
   ―「まちづくりと市民福祉教育」実践と研究の現状と課題―
01 「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて
   ―その本質に迫るいくつかの鍵概念に関する研究メモ―
02 「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて
   ―その哲学的思考に関する研究メモ―
03 「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて
   ―その文化的・芸術的視点からのアプローチに関する研究メモ―
04 「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて
   ―「まちづくりと市民福祉教育」実践に関する基礎知識メモ―
むすびにかえて


はじめに

―「まちづくりと市民福祉教育」実践と研究の現状と課題―


市民福祉教育とは、福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図るための教育活動であり、その内容は、人間の尊厳と自由・平等・友愛の原理に立って、平和・民主主義・人権と、自立・共生・自治の思想のもとに構成され、その実践では、歴史的・社会的存在としての地域の社会福祉問題を素材にし、課題解決のための体験学習と共働活動を方法上の特質とする。

〇2012年6月25日にウェブサイト(「市民福祉教育研究所」)を開設して12年が経った。当初は勝手気ままな運営・管理であったが、多くの方々のご指導とご支援を得て、それなりの体裁を整えることができるようになった。長らくご厚誼をいただいている皆様には感謝あるのみである。ちなみにいま、ブログ記事の表示数は30万9000回、訪問者は15万5000人、投稿記事は1500本を数えている。
〇福祉教育の実践と研究の世界では、実に多くのことを学び、経験させていただいた。そこで多少なりとも身に付けてきた筆者なりの福祉教育実践・研究についての視点・視座や知識、経験などはすでに、時代遅れのものになっている(賞味期限あるいは消費期限が切れている)。そうした認識に立って、皆様に、新たな視点・視座のもとでさんざんな現在(いま)を終わらせ、未来(あす)に向けて新たな地平を拓いていただきたいという願いのもとで、226本の文献とそれに関する記事(学部学生を対象にした講義(議論)のためのメモ)を「『まちづくりと市民福祉教育』論の体系化に向けて」と題して集成することにした。そこには、かつて大学の「福祉教育コース」や社協の「福祉教育研修会」などで、学生や社協職員らと福祉教育について楽しく活発に議論したことが忘れられない自分がいるのであろうか。今は昔‥‥‥であるのだが。
〇「市民福祉教育研究所(オンライン組織)」の主宰者や運営協力者、共同研究者、そして多くの読者の皆様方には、引き続き倍旧のご厚誼を賜りますようお願い申し上げます。

   2024年5月10日
                               阪野 貢


日本福祉教育・ボランティア学習学会第20回とうきょう大会(2014年11月)

〇2014年11月8日と9日に、日本福祉教育・ボランティア学習学会の第20回大会が日本社会事業大学(東京都清瀬市)で開催されました。
〇筆者(阪野)は、8日午前中の「特別課題研究(とうきょう企画)」の③「福祉教育・ボランティア学習の原理を探る」という分科会で、「福祉教育の歴史研究」に関して三ツ石行宏先生(神戸親和女子大学)と “対談” する機会を得ました。50名近くの参加者とともに、多くの「気づき」と「学び」のある、有意義なひと時を過ごすことができました。
〇三ツ石先生は、福祉教育の歴史研究に精力的に取り組まれており、既に複数の論稿を発表されています。今回は、三ツ石先生の玉稿「福祉教育史研究の現状と課題」(『日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要』第22号、2013年11月、68~76ページ)と筆者の拙稿「地方改良運動にみる福祉教育実践―福祉教育の遡及的原点を求めて―」(『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』第13号、2008年11月、120~129ページ)をベースに、互いにその考えや思いを語るものでした。
〇三ツ石先生からの質問や参加者との議論のうちから、先生が最初に提示された次の質問に対する筆者の回答の概要を以下に記すことにします。「福祉教育史の研究上の課題はどこにあると思うか?」、というのがそれです。
〇福祉教育研究が科学的な研究を志向し、福祉教育の理論化と体系化を図るに際しては、福祉教育の歴史研究はその基本的部分に据えられなければならない。しかし、『学会年報』(第13号)に、「福祉教育研究は、これまで、福祉教育の歴史に無関心であった」(120ページ)と書いたが、その状況は今日においても変わっていない。それは何故か?
〇福祉教育は、その実践が先行してきたが故に、その理論的な整理や研究が “後追い” しがちであった。そういうなかで、福祉教育の歴史研究は、取り残されてきたのではないか。それは、研究者の問題意識が希薄だったのか。研究者が怠慢だったのか。あるいはまた、日本福祉教育・ボランティア学習学会における研究活動の姿勢に問題や限界があったのか、等々いろいろと考えられる。
〇福祉教育研究における歴史研究の課題については、先ずは福祉教育史研究についての問題意識を高め、研究の振興を図ることが強く求められる。その際に、 “歴史研究は理論研究を無視しては成立しない” ということに十分留意することが肝要となる。それは、「実践は歴史によって創られ、理論は歴史によって試される。実践のない理論は空虚であり、理論のない実践は盲目である」(120ページ)という言葉をもちだすまでもない。
〇一般に、「歴史に関心が集まるのは歴史の転換期においてである」といわれる。福祉教育はこれまで、子ども・青年の発達の歪みや、高齢者や障がい者が抱える生活問題や偏見・差別の実態などに焦点をあてて実践を積み上げ、また理論化の作業を進めてきたといってもよい。
〇その子どもは、6人に1人が貧困であり、3200万人の65歳以上の高齢者は10人に1人が老後破産をしている、といわれる。障がい者に関しては、ICFの視点や社会的包摂の理念が語られてはいるが、その内実化や実現を図るにはまだ多くの時間と努力を要する。
〇高齢者や障がい者、子ども、外国籍住民など多くの人々の人権が侵害され、平和と民主主義が危機的な状況にある。政治の世界では右傾化が進み、教育の世界では例えば「道徳の教科化」が推し進められている。こうした今日的状況は、いままさに「歴史の危機的転換期」にあるといわざるを得ない。歴史が “逆方向” に進もうとしているいまこそ、歴史研究が重視されなければならない。
〇福祉教育史研究の研究方法論上の課題についていえば、福祉教育に関する歴史的事象をどういう視点や視座で捉え、分析するか。その際の枠組みをどのように設定するか。また分析の手続きや手順をどのように踏むか、等々についての議論がこれまで十分に行われてこなかった。これは福祉教育史研究の “遅れ” の何ものでもないが、喫緊の重要課題として認識することが強く求められる。
〇「福祉教育史研究の意義と課題」については、筆者は、『学会年報』(第13号)で次のように書いている。

福祉教育研究における歴史研究は、福祉教育の歴史的事実を実証的に解明することからはじまる。すなわち、それは、たんに福祉教育の変遷を押さえるだけでなく、その変遷の意味を明らかにすることである。その際、その史実を社会的・経済的・政治的・文化的諸条件との相互関連のなかで捉えることが肝要となる。それを通じて科学的・客観的に今日の福祉教育の到達点を押さえ、それが抱える問題点や課題を発見し、その本質を把握する。そして、それを解決し克服するための適切な方向を見定め、具体的な解決策を見出す。
ここに、福祉教育史研究の意義と課題があり、研究の重要性を指摘することができる。要するに、現在を読み解き、未来を拓くための有効な方法の一つに歴史があり、歴史研究があるのである。(120ページ)

〇福祉教育研究における歴史研究について、研究者の “問題意識の希薄” や “怠慢” などといったが、その点をめぐって実践者に関して一言付け加えておきたい。
〇社会的事象は、常にその歴史的背景や状況のもとで生じるものである。当然のことながら、福祉教育実践も、歴史性をもって存在し、展開されてきた。今後も、展開されなければならない。つまり、福祉教育実践に取り組む際には、実践者はその歴史性について常に、また強く認識することが求められる。そうでないと、新たな、しかも確かで豊かな福祉教育実践の展開を期待することはできない。実践者も福祉教育実践の歴史性を強く認識すべきである。

【初出】
<雑感>(21)阪野 貢/福祉教育の歴史研究と福祉教育実践の歴史性―第20回大会に参加して―/2014年11月11日/本文

日本福祉教育・ボランティア学習学会第23回長野大会(2017年11月)

〇福祉教育はこれまで、一面では、子どもと高齢者、健常児(者)と障がい児(者)、ICIDH(国際障害分類)とICF(国際生活機能分類)、排除と包摂、対立と共生などの「二項対立」的な「分かりやすさ」のなかで論じられ、取り組まれてきた。その際、「協同実践」(参加者が相互に学び合う関係性)の重要性が指摘されながらも、主体と客体の関係性を前提にしがち(なりがち)であった。しかも、「包摂」や「共生」の概念的・抽象的な思考や理解にとどまり、日常の地域生活場面においてその感覚化や行動化を促すことに、必ずしも主体的・積極的であったとは言えない。
〇そしていま、「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」の実現が声高に叫ばれるなかで、「包摂」や「共生」が未だ「お守り言葉」(鶴見俊輔)として使用されている感がある。それは、人々を「思考停止」に陥らせたり、ある種の「刷り込み」を可能にする恐れなしとしない。その要因や背景については、①福祉教育が自らの思想や哲学について十分に言及せず、実践(実践科学としての性格)を重視(尊重)してきたこと、②福祉教育がその固有性や独自性を十分に追究せず、学習内容や方法が確固たるものになっていないこと、③福祉教育が「政治」(福祉政治と教育政治)と対峙する議論を十分に展開せず、未整理の部分が多いこと、などを挙げることができる。
〇それらの結果として、福祉教育は、政府・行政主導による福祉・教育改革の推進が図られるなかで、以前にも増して、統制的で定型化された実践活動が展開されている(されようとしている)。それはちょうど、国や県が建設・管理する道路のルートに沿って、カーナビの指示通りに車を走らせる「ヒト」(福祉教育)のようでもある。先日(2017年11月)、筆者(阪野)が長野県上田市からの帰途、心地よいスピードで、自動運転車にでも乗っているような気分のなかで思ったことである(蛇足ながら、筆者の車は絶滅危惧種のマニュアル車である)。

【初出】
<雑感>(58)阪野 貢/二項対立の思考:「分かりやすさ」の罠―仲正昌樹を再読する―/2017年12月25日/本文

日本福祉教育・ボランティア学習学会第24回あいち・なごや大会(2018年11月)

〇2018年11月の日本福祉教育・ボランティア学習学会第24回大会(「あいち・なごや大会」)の「分科会」(自由研究発表)に参加した際、ある種の懸念や危惧が筆者(阪野)の頭をよぎった。福祉教育実践や研究は、その基軸である地域性と共働性をはじめ、多様性と共通性、学際性と総合性、創造性と変革性などについての「知」と「心」と「力」の育成・共有を確かなものにしてきたか。その取り組みはタコツボ化し、硬直化しているのではないか、というのがそれである。多少具体的にいえば、福祉教育は、①その成立基盤であり構成要素でもある科学的な「社会認識」の形成、②その理念や思想とされる「社会的包摂」や「共生社会」についての単一的思考からの解放、そして③その地域・社会の真の「あるべき姿」を展望し未来(あす)を切り開く「市民性」(市民的資質・能力)の育成、などをめぐる問題点や限界についての懸念や危惧である。

【初出】
<雑感>(71)阪野 貢/「冷たい社会」を「冷たい頭」で考える、そこには「厳しい闘い」と「本当の優しさ」がある:子ども・青年と大人の社会認識や市民性を形成するための愉快な“学び”について―タカツボ的思考からの脱却とネットワーク型思考の展開―/2019年1月12日/本文

日本福祉教育・ボランティア学習学会第25回北海道大会(2019年11月)

〇2019年11月23日~24日、日本福祉教育・ボランティア学習学会第25回北海道大会が北星学園大学(札幌市)で開催された。大会テーマは、「未来へつなぐ、みんなでつなぐ。~多文化共生社会を育む福祉教育とボランティア学習~」であった。圧巻で感動的だったのは、本田優子(ほんだ・ゆうこ、札幌大学教授、アイヌ文化・アイヌ史)による「アイヌ文化からみる多文化共生社会の創造」と題する「基調講演」であった。アイヌ語に、「ヤイコシラㇺスイェ」という言葉がある。「ヤイ」は「自分」、「コ」は「に対して」、「シ」は「自分」、「ラㇺ」は「心」、「スイェ」は「を揺らす」、「ヤイコシラㇺスイェ」で「自分に対して自分の心を揺らす」となる。それは日本語の「考える」という意味である。「考える」とは「心を揺らす」こと、筆者(阪野)にとって目から鱗(うろこ)が落ちる一言であった。
〇「自由研究発表」や「課題別研究」報告などでは、ひとえに筆者の浅学菲才によるものであるが、「心を揺らす」報告はさほど多くはなかった。新味のない(使い古された)テーマについて、場所や組織、人を替えただけの、あるいは横文字や権威づけられた(古めかしい)過去の言説を多用した議論では、福祉教育実践や研究の推進は望むべくもない。歴史的・社会的・文化的実践であるはずの福祉教育実践をめぐって、その現場から乖離(かいり)した抽象的な言葉・概念や思考をこねくり回すのも、然りである。そこからは、原理や理論のない、視野が狭く定型化され、矮小化された実践が生み出されるだけである。そうした福祉教育実践さえも、厳しい時代状況に押しつぶされようとしている(されている)。意図的にか無意識的にか、それを理解・認識しない実践者(あるいは実務家)や研究者がいる。また、お互いの「傷」をなめ合い、慰め合っている人たちもいる。そこからは、福祉教育実践や研究の「展望」や「未来」は見出せない。
〇そこで、いま求められるのは、歴史的視点や哲学的思考を重視しながら、福祉教育とは「そもそも何か」、それは「いかにあるべきか」「いかに取り組むべきか」を、危機的な現場や生々しい実践との関わりのなかで本質的・根源的に問い直すことである。「理論と実践」の関係性について探究することなく、単なる「実践(事例)」研究にとどまりがちな福祉教育研究の現状も気にかかる。

【初出】
<雑感>(98)阪野 貢/歴史的視点や哲学的思考を欠いた福祉教育:「福祉教育哲学」の必要性を問う―高久清吉著『哲学のある教育実践』再読メモ―/2019年12月12日/本文

最近の福祉教育の実践や研究をめぐって‥‥‥

〇「福祉教育の歴史」の概略を知りたい、という連絡をある方から複数回いただきました。また、熱心なブログ読者(S氏)からは、最近の福祉教育の実践や研究をめぐって、「他地域の実践事例を見聞しても、以前のようにワクワク感が沸かなくなってきた。」「現場における実践的研究の重要性が認識されていない。またその研究の独自性の追求が弱い。」「教育実践と研究活動は不可分であり、往還関係で捉えることが重要である。」「現場実践と研究をつなぐ仕掛けやシステムはどうあるべきか。それはどのように機能すべきか。」「実践現場の課題と大学人らによる研究の課題設定にズレが生じているのではないか。」「研究者による実践評価の基準がよく分からない。基準の開示すらない。」「教育学分野からの福祉教育研究が期待したほどには進展しない。」「学会発表でも研究の視点や枠組み、データの収集・分析方法などに曖昧なものが散見される。」等々、実に多くの指摘をいただきました。厳しいものばかりです。
〇「ズレ」に関しては、筆者(阪野)は、最近の政治(政策・制度)による新しい歴史の始まりと実践現場とのズレ、個別的実践への政治的意向の反映や統制も気にかかります。「福祉教育を通していま守るべきものは何か、拓くべきものは何か」。主体的・自律的な福祉教育実践と研究の意義や方向性が、以前にも増して厳しく問われているように思うのは筆者だけでしょうか。

【初出】
<ディスカッションルーム>(54)阪野 貢/「福祉教育の歴史」についての断章:「現場実践の二極化」と「課題別研究の進展」の時代―資料紹介―/2015年12月20日/本文

福祉教育の本質に迫る理論的・歴史的かつ哲学的論考について‥‥‥

〇熱心なブログ読者から複数のメールが届いた。ひとりの盟友からはありがたい、また厳しい内容のものをいただいた。感謝である。あえてその一部(総評的な一文)を記しておくことにする。

● 読破された本とそれに基づくテーマのボリュームに圧倒されました(本の紹介とテーマの表示が狙いなのでは?)。貴兄の10年余にわたるこうした努力に敬服します。10年間は当然必要とする内容だと思いました。貴兄の知識や経験から語られる啓発的で、議論の呼び水的な内容は、ブログを読む若い人には魅力的で刺激的だと思います。ますますの健筆を期待します。
● 相変わらず、難しい論考です。「当事者論」に関連して言えば、貴兄の文章は、完全に男性による福祉教育論ですね。今日的に言えば、なぜジェンダーやセクシャリティ、ダイバーシティの問題が取り上げられないのか。不思議に思います。フロイドをはじめとした男性心理学者が今日的に手厳しく批判されているのをもちろんご存じだと思います。心理学だけでなく、歴史学、医学、社会学、そして貴兄の福祉教育論も男性史観ですね。
● 「障碍者論」に関連して言えば、「青い芝の会」のことが詳しく出ていますが、当時あの運動(川崎バス闘争:1977年~1978年)の発端となった川崎市営バスを通学等で利用していたものとして懐かしく読ませていただきました。横田弘が「闘争」という言葉に「ふれあい」というルビを振ったことを思い出しながら、一人の人間の疑問や私憤によって世の中を変えることができた例が少なくないことを改めて認識しています。貴兄が福祉教育に期待するところでしょうか。
● 貴兄は「まちづくり」に関して批判的思考と社会変革を強調されますが、批判力と変革力はつながるものなのか、延長線上なのか、よくわかりません。また、教育概念でくくられた「福祉教育」と主体形成論の「福祉教育」が私のなかでは結びつきません。さらに、貴兄が多用される「市民」はひとつの理念であり、理想的な目的概念ですから、実在するヒトではありません。そう考えると、貴兄の福祉教育論のキー概念である「市民福祉教育」を「市民・福祉教育」として捉えれば、私のなかでは一つひとつの論考への違和感が少なかったかな、という感じです。

〇ここで、「主権」と「住民」、「市民」について一言しておきたい。「主権」とは、他に譲ることのできない、また他から侵されることのない最高の自己決定権。「住民」(residents)とは、県民や市・町・村民など、一定の行政区域に住んでいる人。「市民」(citizen)とは、市民社会や公共性などについての関心と理解のもとに、まちづくりへの主体的・自律的参加と「共働」を進めることができる人。その際の「共働」とは、住民・市民や行政をはじめ多様な主体が新しい「場」(ステージ、プラットホーム)を創設し、そこにそれぞれが参加(参集、参与、参画)して対等・協力の関係のもとで、また相互作用・相互補完・相乗効果により、共有化した目標を達成するために事にあたること(共同、協同)をいう。「住民」は、生涯にわたる教育・学習によって、また相互交流や実践活動などを通して「市民」へと自己変革、自己変容する。「市民主権」「市民自治」は、単なる理想概念ではなく、未だ不完全であるが、未来に向かって実現せんとする規範概念である。
〇福祉教育学界では、教育方法・技術論的な観点からの研究は盛んであるが、福祉教育の本質に迫る理論的・歴史的かつ哲学的論考はいまだに少ない。そうした福祉教育研究の現状と課題、その背景(要因)を明らかにするとともに、福祉教育実践・研究の新たな展開の方向性と可能性を探ることが、いま、改めて求められている。それに応えるためには、多面的・多角的な視座に基づく福祉教育理論の構築や刷新に関する総合的な研究が肝要となる。それは、歴史的視点や哲学的思考を大事にしながら、如何にして理論と実践の往還・融合の具現化を図るかを探究するものでなければならない。

【初出】
<雑感>(161)阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」再考―新たな福祉教育の理論研究を求めて―/2022年9月1日/本文

            


01「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて

―その本質に迫るいくつかの鍵概念に関する研究メモ―


はじめに―大橋謙策と原田正樹の言説―
(1)大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全国社会福祉協議会、1986年9月。
(2)大橋謙策『地域福祉とは何か―哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク―』中央法規出版、2022年4月。
(3)原田正樹『共に生きること 共に学びあうこと―福祉教育が大切にしてきたメッセージ―』大学図書出版、2009年11月。
(4)原田正樹『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』中央法規出版、2014年10月。

01 市民社会/規範や実体としての市民社会
(1)山口定『市民社会論―歴史的遺産と新展開―』有斐閣、2004年3月。
(2)吉田傑俊『市民社会論―その理論と歴史―』大月書店、2005年7月。
(3)今田忠・岡本仁宏補訂『概説市民社会論』関西学院大学出版会、2014年10月。
(4)坂本治也編『市民社会論―理論と実証の最前線―』法律文化社、2017年2月。

02 玉野井芳郎/地域主義
(1)玉野井芳郎『地域分権の思想』東洋経済新報社、1977年4月。
(2)玉野井芳郎『エコノミーとエコロジー』みすず書房、1978年3月。
(3)玉野井芳郎『地域主義の思想』農山漁村文化協会、1979年12月。
(4)玉野井芳郎・清成忠男・中村尚司編『地域主義―新しい思潮への理論と実践の試み―』学陽書房、1978年3月。

03 ソーシャル・キャピタル/「活動する市民」と「シビック・パワー」
(1)ロバート・D・パットナム、河田潤一訳『哲学する民主主義』NTT出版、2001年3月。
(2)坂本治也『ソーシャル・キャピタルと活動する市民―新時代日本の市民政治―』有斐閣、2010年11月。

04 シーシャルアクション/ソーシャルワーカーとソーシャルアクション
(1)井手英策『欲望の経済を終わらせる』(インターナショナル新書)集英社インターナショナル、2020年6月。
(2)井手英策『幸福の増税論―財政はだれのために―』岩波新書、2018年11月。
(3)井手英策・柏木一惠・加藤忠相・中島康晴『ソーシャルワーカー―「身近」を革命する人たち―』ちくま新書、2019年9月。
(4)高良麻子『日本におけるソーシャルアクションの実践モデル―「制度からの排除」への対処―』中央法規出版、2017年2月。
(5)小熊英二『社会を変えるには』講談社現代新書、2012年8月。
(6)木下大生・鴻巣麻里香編『ソーシャルアクション! あなたが社会を変えよう! ―はじめの一歩を踏み出すための入門書―』ミネルヴァ書房、2019年9月。

05 コミュニティデザイン/「福祉はまちづくり」の時代における「市民」
(1)山崎亮『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる―』学芸出版社、2011年5月。
(2)山崎亮+NHK「東北発☆未来塾」制作班『まちの幸福論―コミュニティデザインから考える―』NHK出版、2012年5月。
(3)山崎亮『コミュニティデザインの時代―自分たちで「まち」をつくる―』中公新書、2012年9月。
(4)山崎亮『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』PHP研究所、2016年11月。

06 コミュニティ・オーガナイジング/COのプロセスとステップ
(1)マシュー・ボルトン、藤井敦史・ほか訳『社会はこうやって変える!―コミュニティ・オーガナイジング入門―』法律文化社、2020年9月。
(2)鎌田華乃子『コミュニティ・オーガナイジング―ほしい未来をみんなで創る5つのステップ―』英治出版、2020年11月。

07 関係人口/地域再生主体としての「新しいよそ者」
(1)田中輝美『関係人口の社会学―人口減少時代の地域再生―』大阪大学出版会、2021年4月。

08 主権者教育/市民社会の形成とシティズンシップ教育
(1)新籐宗幸『「主権者教育」を問う』岩波ブックレット、2016年6月。

09 自律教育/個人的・集団的自律と「自己教育力」
(1)岡田敬司『自律者の育成は可能か―「世界の立ち上がり」の理論―』ミネルヴァ書房、2011年7月。
(2)梶田叡一『自己教育への教育』(教育新書)明治図書、1985年6月。

10 共生教育/「包摂と排除」とインクルーシブ教育
(1)倉石一郎『包摂と排除の教育学―戦後日本社会とマイノリティへの視座―』生活書院、2009年11月。
(2)倉石一郎『教育福祉の社会学―〈包摂と排除〉を超えるメタ理論―』明石書店、2021年6月。

11 地域教育経営/つながりと熟議
(1)荻野亮吾・丹間康仁編著『地域教育経営論』大学教育出版、2022年10月。

12 まちづくり/幻想と打開
(1)木下斉『まちづくり幻想―地域再生はなぜこれほど失敗するのか―』(SB新書)SBクリエイティブ、2021年3月。

13 社会関係資本/地域社会のつくり方
(1)荻野亮吾『地域社会のつくり方―社会関係資本の醸成に向けた教育学からのアプローチ―』勁草書房、2022年1月。

14 3.5%/市民的抵抗
(1)エリカ・チェノウェス、小林綾子訳『市民的抵抗―非暴力が社会を変える―』白水社、2023年1月。

15     コモンズ/福祉コミュニティの創出
(1)宮本太郎編『自助社会を終わらせる――新たな社会的包摂のための提言』(岩波書店、2022年6月。

16     宇沢弘文/社会的共通資本
(1)宇沢弘文『自動車の社会的費用』(岩波新書)岩波書店、1974年6月。
(2)宇沢弘文『日本の教育を考える』(岩波新書)岩波書店、1998年7月。
(3)宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波新書)岩波書店、2000年11月。
(4)宇沢弘文『始まっている未来―新しい経済学は可能か―』岩波書店、2009年10月。
(5)宇沢弘文『経済学は人びとを幸福にできるか』東洋経済新報社、2013年11月。
(6)宇沢弘文『人間の経済』(新潮新書)新潮社、2017年4月。

17     共生/共に生きる
(1)寺田貴美代「社会福祉と共生」園田恭一編『社会福祉とコミュニティ―共生・共同・ネットワーク―』東信堂、2003年3月。

18     鶴見和子/内発的発展論
(1) 鶴見和子『内発的発展論の展開』筑摩書房、1996年3月。
(2) 赤坂憲雄・鶴見和子『地域からつくる―内発的発展論と東北学』藤原書店、2015年7月。
(3) 岩佐礼子『地域力の再発見―内発的発展論からの教育再考』藤原書店、2015年3月。

19     共生保障/まちづくりと市民福祉教育
(1)宮本太郎『生活保障―排除しない社会へ―』岩波新書、2009年11月。
(2)宮本太郎『共生保障―<支え合い>の戦略―』(岩波新書、2017年1月。

20     同調圧力/世間と社会
(1)鴻上尚史・佐藤直樹『同調圧力―日本社会はなぜ息苦しいのか―』(講談社現代新書)講談社、2020年8月。
(2)岡檀『生き心地の良い町―この自殺率の低さには理由がある―』講談社、2013年7月。

21     地域力/その構成要素
(1)宮城孝『住民力―超高齢社会を生き抜く地域のチカラ―』明石書店、2022年1月。

22     まちづくり/ひとつの視点と視座
(1)大橋謙策『地域福祉論』放送大学教育振興会、1995年3月。
(2)伊藤穣一・ジェフ・ハウ、山形浩生訳『9プリンシプルズ―加速する未来で勝ち残るために―』早川書房、2017年7月。

23     社会運動/みんなで「わがまま」
(1)富永京子『みんなの「わがまま」入門』左右社、2019年4月。
(2)大畑裕嗣・成元哲・道場親信・樋口直人編『社会運動の社会学』有斐閣、2004年4月。
(3)小熊英二『社会を変えるには』講談社、2012年8月。
(4)中條共子『生活支援の社会運動―「助け合い活動」と福祉政策―』青弓社、2019年8月。
(5)村木厚子・今中博之『かっこいい福祉』左右社、2019年8月。

24     生活者/対抗的自律型市民
(1)天野正子『「生活者」とはだれか―自律的市民像の系譜―』中央公論社、1996年10月。

25 ボランティア/今昔
(1) 早瀬昇『「参加の力」が創る共生社会―市民の共感・主体性をどう醸成するか―』ミネルヴァ書房、2018年6月。
(2)大阪ボランティア協会監修、小田兼三・松原一郎編『変革期の福祉とボランティア』ミネルヴァ書房、1987年7月。
(3)中野敏男「ボランティアとアイデンティティ―普遍主義と自発性という誘惑―」『大塚久雄と丸山眞男―動員、主体、戦争責任―』青土社、2001年12月。
(4)小林啓治『総力戦体制の正体』柏書房、2016年6月。
(5)丸山千夏『ボランティアという病』宝島社新書、2016年8月。

26 アクティブ・ラーニング/地元に学び、地域を創る「地元学」
(1)吉本哲郎『地元学をはじめよう』(岩波ジュニア新書)岩波書店、2008年11月。
(2)中央教育審議会「アクティブ・ラーニングに関する答申」2012年8月。
(3)中央教育審議会「アクティブ・ラーニングに関する諮問」2014年11月。
(4)阪野貢「富山県福祉教育サポーター養成カリキュラム(私案)」2015年4月。

27 「まちづくり学」/キャパシティ・ビルディングのアプローチ
(1) 織田直文『臨地まちづくり学』サンライズ出版、2005年3月。
(2) 西村幸夫編『まちづくり学―アイディアから実現までのプロセス―』朝倉書店、2007年4月。
(3) 日本福祉のまちづくり学会編『福祉のまちづくりの検証―その現状と明日への提案―』彰国社、2013年10月。
(4) 日本都市計画学会関西支部新しい都市計画教程研究会編『都市・まちづくり学入門』学芸出版社、2011年11月。
(5) 株式会社オオバ技術本部『まちづくり学への招待―どのようにして未来をつくっていくか―』東洋経済新報社、2015年5月。

28 合意形成/マルチステークホルダー・プロセス
(1) 土木学会誌編集委員会編『合意形成論―総論賛成・各論反対のジレンマ―』土木学会、2004年3月。
(2) 猪原健弘編著『合意形成学』勁草書房、2011年3月。
(3) 倉阪秀史『政策・合意形成入門』勁草書房、2012年10月。
(4) 内閣府国民生活局企画課『安全・安心で持続可能な未来のための社会的責任に関する研究会 報告書』内閣府、2008年5月。

むすびにかえて―地域と「地域学」―
(1)山下祐介『地域学入門』ちくま新書、2021年9月。
(2)山下祐介『地域学をはじめよう』岩波ジュニア新書、2020年12月。
(3)柳原邦光・ほか編『地域学入門―<つながり>をとりもどす―』ミネルヴァ書房、2011年4月。


02「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて

―その哲学的思考に関する研究メモ―


  はじめに―哲学のある教育実践―
(1)高久清吉哲学のある教育実践―「総合的な学習」は大丈夫か―』教育出版、2000年4月。

01   「ふくし」の哲学
(1)三谷尚澄『哲学しててもいいですか? ―文系学部不要論へのささやかな反論―』ナカニシヤ出版、2017年3月。
(2)広井良典『福祉の哲学とは何か―ポスト成長時代の幸福・価値・社会構想―』ミネルヴァ書房、2017年3月。
(3)糸賀一雄『福祉の思想』日本放送出版協会、1968年2月。
(4)阿部志郎『福祉の哲学』誠信書房、1997年4月。
(5)伊藤隆二『この子らは世の光なり』樹心社、1988年9月。
(6)仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉―<贈与のパラドックス>の知識社会学―』名古屋大学出版会、2011年2月。
(7)大橋謙策『社会福祉入門』放送大学教育振興会、2008年3月。

02   「正義感覚」の育成
(1)伊藤恭彦『さもしい人間―正義をさがす哲学―』新潮新書、2012年7月。

03   「人間的連帯」の言説
(1)馬淵浩二『連帯論―分かち合いの論理と倫理―』筑摩書房、2021年7月。
(2)齋藤純一『不平等を考える―政治理論入門―』ちくま新書、2017年3月。

04   「自己決定」の実相
(1)小松美彦『「自己決定権」という罠―ナチスから相模原障害者殺傷事件まで―』言視舎、2018年8月。
(2) 吉崎祥司『「自己責任論」をのりこえる―連帯と「社会的責任」の哲学―』学習の友社、2014年12月。
(3) 高橋隆雄・八幡英幸編『自己決定論のゆくえ―哲学・法学・医学の現場から―』九州大学出版会、2008年5月。
(4) 湯浅誠『どんとこい、貧困!』イースト・プレス、2011年7月。

05   「世間」からの解放
(1)阿部謹也『「世間」とは何か』講談社現代新書、1995年7月。
(2)阿部謹也『学問と「世間」』岩波新書、2001年6月。
(3)佐藤直樹『「世間」の現象学』青弓社、2001年12月。
(4)山本七平『「空気」の研究』文藝春秋、1983年10月。
(5)鴻上尚史・佐藤直樹『同調圧力―日本社会はなぜ息苦しいのか―』講談社現代新書、2020年8月。
(6)岡檀『生き心地の良い町―この自殺率の低さには理由がある―』講談社、2013年7月。

06   「しょうがい」と疑似体験の陥穽
(1)荒井裕樹『まとまらない言葉を生きる』柏書房、2021年5月。
(2)荒井裕樹『車椅子の横に立つ人―障害から見つめる「生きにくさ」―』青土社、2020年8月。
(3)荒井裕樹『障害者差別を問いなおす』ちくま新書、2020年4月。
(4)荒井裕樹『障害と文学―「しののめ」から「青い芝の会」へ―』現代書館、2011年2月。
(5)荒井裕樹『差別されてる自覚はあるか―横田弘と青い芝の会「行動綱領」―』現代書館、2017年1月。
(6)佐藤貴宣・栗田季佳編『障害理解のリフレクション―行為と言葉が描く〈他者〉と共にある世界―』ちとせプレス、2023年3月。

07   「生」の倫理
(1)野崎泰伸『生を肯定する倫理へ―障害学の視点から―』白澤社、2011年6月。
(2)野崎泰伸『「共倒れ」社会を超えて―生の無条件の肯定へ!―』筑摩書房、2015年3月。

08   「しんがり」の姿勢
(1)鷲田清一『しんがりの思想―反リーダーシップ論―』角川新書、2015年4月。
(2)駒村康平編『社会のしんがり』新泉社、2020年3月。

09   「助けて」の創造
(1)奥田知志『もう、ひとりにさせない―わが父の家にはすみか多し―』いのちのことば社、2011年6月。
(2)奥田知志『「助けて」と言おう―3・11後を生きる―』日本キリスト教団出版局、2012年8月。
(3)奥田知志・茂木健一郎『「助けて」と言える国へ―人と社会をつなぐ―』集英社新書、2013年8月。
(4)佐藤彰・奥田知志・宋富子、明治学院150周年委員会編『灯を輝かし、闇を照らす―21世紀を生きる若い人たちへのメッセージ―』いのちのことば社、2014年3月。
(5)奥田知志・稲月正・垣田裕介・堤圭史郎『生活困窮者への伴走型支援―経済的困窮と社会的孤立に対応するトータルサポート―』明石書店、2014年3月。
(6)埋橋孝文、同志社大学社会福祉教育・研究支援センター編『貧困と生活困窮者支援―ソーシャルワークの新展開―』法律文化社、2018年9月。

10   「愛郷心」の相克
(1)将基面貴巳『反「暴君」の思想史』平凡社新書、2002年3月。
(2)将基面貴巳『日本国民のための愛国の教科書』百万年書房、2019年8月。
(3)将基面貴巳『愛国の構造』岩波書店、2019年7月。
(4)姜尚中『愛国の作法』(朝日新書)朝日新聞出版、2006年10月。
(5)佐伯啓思『日本の愛国心―序説的考察―』中公文庫、2015年6月。
(6)市川昭午『愛国心―国家・国民・教育をめぐって―』学術出版会、2011年9月。
(7)鈴木邦男『〈愛国心〉に気をつけろ!』岩波ブックレット、2016年6月。

11   「差別」の本質
(1)キム・ジへ、尹怡景訳『差別はたいてい悪意のない人がする―見えない排除に気づくための10章―』大月書店、2021年8月。
(2)神谷悠一『差別は思いやりでは解決しない―ジェンダーやLGBTQから考える―』集英社新書、2022年8月。

12   「共感」の功罪
(1)山竹伸二『共感の正体―つながりを生むのか、苦しみをもたらすのか―』河出書房新社、2022年3月。
(2)ポール・ブルーム、高橋洋訳『反共感論―社会はいかに判断を誤るか―』白揚社、2018年2月。
(3)永井陽右『共感という病―いきすぎた同調圧力とどう向き合うべきか?―』かんき出版、2021年7月。

13   「利他」の学問
(1)伊藤亜紗編、中島岳志・若松英輔・國分功一郎・磯崎憲一郎『「利他」とは何か』集英社新書、2021年3月。
(2)中島岳志『思いがけず利他』ミシマ社、2021年10月。
(3)若松英輔『はじめての利他学』NHK出版、2022年5月。

14   “Well-being ”  の視点
(1)マーティン・セリグマン、宇野カオリ監訳『ポジティブ心理学の挑戦―“幸福”から“持続的幸福”へ―』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2014年10月。
(2)前野隆司『幸せのメカニズム―実践・幸福学入門―』講談社現代新書、2013年12月。
(3)前野隆司『実践・脳を活かす幸福学 無意識の力を伸ばす8つの講義』講談社、2017年9月。
(4)前野隆司・前野マドカ『ウェルビーイング』日経文庫、2022年3月。
(5)前野隆司『ディストピア禍の新・幸福論』プレジデント社、2022年5月。
(6)渡邊淳司・ドミニク=チェン監修・編著『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために―その思想、実践、技術』ビー・エヌ・エヌ、2020年3月。
(7)石川善樹・吉田尚記『むかしむかし あるところに ウェルビーイングがありました―日本文化から読み解く幸せのカタチ―』KADOKAWA、2022年1月。
(8)草郷孝好『ウェルビーイングな社会をつくる―循環型共生社会をめざす実践』明石書店、2022年7月。
(9)内田由紀子『これからの幸福について―文化的幸福観のすすめ―』新曜社、2020年5月。

15   「自前」の思想
(1)清水展・飯嶋秀治編『自前の思想―時代と社会に応答するフィールドワーク』京都大学学術出版会、2020年10月。
(2)佐高信・田中優子『池波正太郎「自前」の思想』集英社新書、2012年5月。
(3)伊藤幹治『柳田国男と梅棹忠夫―自前の学問を求めて』岩波書店、2011年5月。

16   「生きづらさ」の正体
(1) 中西新太郎『〈生きにくさ〉の根はどこにあるのか―格差社会と若者のいま―』(前夜セミナーBOOK)特定非営利活動法人 前夜、2007年3月。
(2) 湯浅誠・川添誠編『「生きづらさ」の臨界―“溜め”のある社会へ―』旬報社、2008年11月。
(3) 香山リカ・上野千鶴子・嶋根克己『「生きづらさ」の時代―香山リカ×上野千鶴子+専大生―』専修大学出版局、2010年11月。
(4) 岡田尊司『「生きづらさ」を超える哲学』(PHP新書)PHP研究所、2008年12月。
(5)小山真紀・相原征代・舩越高樹編『生きづらさへの処方箋』ナカニシヤ出版、2019年2月。

17   「相互支援」の人間学
(1)支援基礎論研究会編『支援学―管理社会をこえて―』東方出版、2000年7月。
(2)舘岡康雄『利他性の経済学―支援が必然となる時代へ―』新曜社、2006年4月。
(3)舘岡康雄『世界を変えるSHIEN学―力を引き出し合う働きかた―』フィルムアート社、2012年11月。
(4)森岡正博編著『「ささえあい」の人間学―私たちすべてが「老人」+「障害者」+「末期患者」となる時代の社会原理の探究―』法藏館、1994年1月。

18   「ふつう」の功罪
(1)深澤直人『ふつう』D&DEPARTMENT PROJECT、2020年7月。
(2)佐野洋子『ふつうがえらい』(新潮文庫)、新潮社、1995年3月。
(3)泉谷閑示『「普通がいい」という病』(講談社現代新書)、講談社、2006年10月。
(4)キリーロバ・ナージャ『6ヵ国転校生・ナージャの発見』集英社インターナショナル、2022年7月。

19   「批判的教育」の使命
(1)マイケル・W・アップル、ジェフ・ウィッティ、長尾彰夫編著『批判的教育学と公教育の再生―格差を広げる新自由主義改革を問い直す―』明石書店、2009年5月。
(2)ヘンリ―・A・ジルー、渡部竜也訳『変革的知識人としての教師―批判的教授法の学びに向けて―』春風社、2014年1月。

20   「対話」の技術
(1)山口裕之『コピペと言われないレポートの書き方教室―3つのステップ―』新曜社、2013年7月。
(2)山口裕之『「大学改革」という病―学問の自由・財産基盤・競争主義から検証する―』明石書店、2017年7月。
(3)山口裕之『人をつなぐ 対話の技術』日本実業出版社、2016年4月。

21   「 弱さ」のデザイン
(1)天畠大輔『<弱さ>を<強み>に―突然複数の障がいをもった僕ができること』岩波書店、2021年10月。
(2)澤田智洋『マイノリティデザイン―「弱さ」を生かせる社会をつくろう―』ライツ社、2021年1月。
(3)高橋源一郎・辻信一『弱さの思想―たそがれを抱きしめる―』大月書店、2014年2月。
(4)鷲田清一『<弱さ>のちから―ホスピタブルな光景―』講談社、2014年11月。

22   「 共同体」の教育的営為
(1)内田樹『サル化する世界』文藝春秋、2020年2月。
(2)内田樹・平川克己『沈黙する知性』夜間飛行、2019年11月。

23   「贈与」の意義
(1)白井聡『武器としての「資本論」』東洋経済新報社、2020年4月。
(2)斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社、2020年9月。
(3)内田樹『コモンの再生』文藝春秋、2020年11月。
(4)マルセル・モース、森山工訳『贈与論 他二篇』岩波文庫、2014年7月。
(5)仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉――〈贈与のパラドックス〉の知識社会学』名古屋大学出版会、2011年2月。
(6)山田広昭『可能なるアナキズム――マルセル・モースと贈与のモラル』インスクリプト、2020年9月。

24   「共事者」の実践的態度
(1)斎藤幸平『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』KADOKAWA、2022年11月。

25   「思いやり」の暴力
(1)長谷川眞理子・山岸俊男『きずなと思いやりが日本をダメにする―最新進化学が解き明かす「心と社会」―』集英社インターナショナル、2016年12月。
(2)中島義道『「思いやり」という暴力―哲学のない社会をつくるもの―』(PHP研究所、2016年2月。
(3)清水将一『ボランティアと福祉教育研究』風詠社、2021年6月。

26   「哲学対話」の方法
(1)梶谷真司『考えるとはどういうことか―0歳から100歳までの哲学入門―』幻冬舎新書、2018年9月。
(2)河野哲也編『ゼロからはじめる哲学対話―哲学プラクティス・ハンドブック―』ひつじ書房、2020年10月。

27   「地域共生社会」の模索
(1)渡邉琢『介助者たちは、どう生きていくのか―障害者の地域自立生活と介助という営み』生活書院、2011年2月。
(2)渡邉琢『障害者の傷、介助者の痛み』青土社、2018年12月。

27   「まちづくりの哲学」の構築
(1)アーク都市塾企画/戸沼幸市編著『まちづくりの哲学』彰国社、1991年12月。
(2)代官山ステキなまちづくり協議会企画・編集、蓑原敬・宮台真司『まちづくりの哲学―都市計画が語らなかった「場所」と「世界」―』ミネルヴァ書房、2016年6月。

むすびにかえて―支配に抗する思想―
(1)松村圭一郎『くらしのアナキズム』ミシマ社、2021年10月。


03「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて

―その文化的・芸術的視点からのアプローチに関する研究メモ―


はじめに

01   「時間」と「空間」の座標― 内藤廣(建築家)から学ぶ―
(1)内藤廣『建築のちから』王国社、2009年7月。
(2)内藤廣『場のちから』王国社、2016年7月。
(3)内藤廣『空間のちから』王国社、2021年1月。

02   「塑する」ことと「繋ぐ」こと―佐藤卓(グラフィックデザイナー)から学ぶ―
(1)佐藤卓『塑する思考』新潮社、2017年7月。

03   「福祉文化」活動を通した「ゆるやかな絆」―今中博之(ソーシャルデザイナー)から学ぶ―
(1)村木厚子・今中博之『かっこいい福祉』左右社、2019年8月。
(2)アトリエ インカーブ編『共感を超える市場―つながりすぎない社会福祉とアート―』ビブリオ インカーブ、2019年9月。
(3)今中博之『社会を希望で満たす働きかた―ソーシャルデザインという仕事―』朝日新聞出版、2018年10月。

04   「1984年」と「個性」と「多様性」―ジョージ・オーウェルと村田紗耶香(小説家)に学ぶ―
(1)ジョージ・オーウェル、高橋和久訳『1984年』(新訳版)早川書房、2009年7月。
(2)村田紗耶香『信仰』文藝春秋、2022年6月。

05   「社会」と「自分」を「考える」  ―池田晶子(哲学者、文筆家)から学ぶ―  
(1)池田晶子『14歳からの哲学―考えるための教科書―』トランスビュー、2003年3月。

06   「教養」と「教育」―教養人(安部謹也・ほか)から学ぶ―
(1) 安部謹也『「教養」とは何か』(講談社現代新書)講談社、1997年9月。
(2) 梅田正己『「市民の時代」の教育を求めて―「市民的教養」と「市民的徳性」の教育論―』高文研、2001年5月。
(3) 村上陽一郎『あらためて教養とは』(新潮文庫)新潮社、2009年4月。
(4) 中央教育審議会「新しい時代における教養教育の在り方について(答申)」2002年2月。
(5) 日本学術会議 日本の展望委員会 知の創造分科会『21世紀の教養と教養教育(提言)』2010年4月。

07   「福祉」はアートであり、デザインである―東京藝大と東大における体験型授業から学ぶ―
(1)東京藝術大学 Diversity on the Arts プロジェクト編『ケアとアートの教室』左右社、2022年1月。
(2)山中俊治『だれでもデザイン―未来をつくる教室-』朝日出版社、2021年11月。

08 共同体の狂気の「負の歴史」―映画「福田村事件」から学ぶ―
(1)辻野弥生『福田村事件―関東大震災・知られざる悲劇』五月書房新社、2023年7月。

むすびにかえて


04「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて

―「まちづくりと市民福祉教育」実践に関する基礎知識メモ―


はじめに

01 アクションリサーチ:その概念、原則、プロセス
(1)矢守克也『アクションリサーチ―実践する人間科学―』新曜社、2010年6月。
(2)CBPR研究会『地域保健に活かすCBPR―コミュニティ参加型の活動・実践・パートナーシップ―』医歯薬出版、2010年7月。
(3)武田丈『参加型アクションリサーチ(CBPR)の理論と実践―社会変革のための研究方法論―』世界思想社、2015年3月、Kindle版:太洋社、2019年10月。
(4)JST社会技術研究開発センター・秋山弘子編著『高齢社会のアクションリサーチ―新たなコミュニティ創りをめざして―』東京大学出版会、2015年9月。
(5)草郷孝好編著『市民自治の育て方―協働型アクションリサーチの理論と実践―』関西大学出版部、2018年3月。
(6)芳賀博編著『アクションリサーチの戦略―住民主体の健康なまちづくり―』ワールドプランニング、2020年3月。
(7)安梅勅江編著『エンパワメントの理論と技術に基づく共創型アクションリサーチ―持続可能な社会の実現に向けて―』北大路書房、2021年2月。
(8)平井太郎『話し合いが変わる 地域でアクションリサーチ』農山漁村文化協会、2022年3月。

02 コミュニティ・エンパワメント:その概念、原則、プロセス
(1)安梅勅江『エンパワメントのケア科学―当事者主体チームワーク・ケアの技法―』医歯薬出版、2004年9月。
(2)安梅勅江編著『コミュニティ・エンパワメントの技法―当事者主体の新しいシステムづくり―』医歯薬出版、2005年4月。
(3)安梅勅江編著『健康長寿エンパワメント―介護予防とヘルスプロモーション技法への活用―』医歯薬出版、2007年8月。
(4)安梅勅江編著『いのちの輝きに寄り添うエンパワメント科学―だれもが主人公、新しい共生のかたち―』北大路書房、2014年11月。
(5)安梅勅江編著『エンパワメントの理論と技術に基づく共創型アクションリサーチ―持続可能な社会の実現に向けて―』北大路書房、2021年2月。

03   「まちづくりと市民福祉教育」におけるリフレクション
(1)「特集/福祉教育・ボランティア学習におけるリフレクション」『研究紀要』Vol.20、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2012年11月。
(2)熊平美香『リフレクション―自分とチームの成長を加速させる内省の技術―』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2021年3月。
(3)西原大貴『「自分の可能性」を広げるリフレクションの技術』日本実業出版社、2023年4月。
(4) 千々布敏弥『先生たちのリフレクション―主体的・対話的で深い学びに近づく、たった一つの習慣―』教育開発研究所、2021年11月。
(5)学び続ける教育者のための協会(REFLECT)編『リフレクション入門』学文社、2019年1月。

04 ケアリングコミュニティと福祉教育
(1)大橋謙策編著『ケアとコミュニティ―福祉・地域・まちづくり―』(講座ケア 新たな人間-社会像に向けて 第2巻)ミネルヴァ書房、2014年4月。
(2) 原田正樹「ケアリングコミュニティの構築をめざして」『月刊自治研』第59巻696号、自治労サービス、2017年9月。

05 コミュニティ・オーガナイジングと学習・トレーニング
(1)韓国住民運動教育院、平野隆之・穂坂光彦・朴兪美編訳著『地域アクションのちから―コミュニティワーク・リフレクションブック―』全国コミュニティライフサポートセンター、2018年3月。
(2)朴兪美「韓国住民運動教育院の地域組織化のトレーニング」『日本福祉大学研究紀要―現代と文化』第140号、日本福祉大学福祉社会開発研究所、2020年3月。


むすびにかえて

―「まちづくりと市民福祉教育」における「共働」―


〇福祉の世界では、「参加から協働へ」ともいわれ、「協働」(coproduction、collaboration)という用語(ターム)が使用、強調されるようになって久しい。また、その概念は、地方自治(「新しい公共と公私協働」等)やまちづくり(「参画と協働によるまちづくり」等)の分野で多用されてきた。
〇例えば、横浜市は、他に先駆けて協働の概念を導入した自治体として有名である。横浜市では、1999年3月に「市民活動推進検討委員会」(委員長・堀田力)が報告した「横浜市における市民活動との協働に関する基本方針」(「横浜コード」)を基本的理念として、諸施策・事業を協働の視点のもとに推進してきている。その「横浜コード」では、行政が市民活動と協働するに当たっての6原則を提示している。(1)対等の原則(市民活動と行政は対等の立場にたつこと)、(2)自主性尊重の原則(市民活動が自主的に行われることを尊重すること)、(3)自立化の原則(市民活動が自立化する方向で協働をすすめること)、(4)相互理解の原則(市民活動と行政がそれぞれの長所、短所や立場を理解しあうこと)、 (5)目的共有の原則(協働に関して市民活動と行政がその活動の全体または一部について目的を共有すること)、(6)公開の原則(市民活動と行政の関係が公開されていること)、がそれである。また、2004年7月に策定された「協働推進の基本指針」では、「協働」を「公共的サービスを担う異なる主体が、地域課題や社会的な課題を解決するために、相乗効果をあげながら、新たな仕組みや事業を創りだしたり、取り組むこと」と定義づけている。
〇全社協が、2005年3月、『「協働」による福祉のまちづくり推進のための人材養成のあり方・研修プログラム』と題する報告書を纏めている。そのなかで、山口稔(関東学院大学)は、「協働活動とは何か」について次のように説述している。多少長くなるが、以下に述べる「市民福祉教育」との関わりがあることから、その一文をあえて紹介する。「①コミュニティワークにおける協働活動とは、住民、住民組織、NPO、福祉団体、施設・機関・組織、行政など、地域福祉にかかわる複数の主体が、それぞれの情報・経験・知識・技術などあらゆる資源をもちより交換しあい、対話と信頼、合意形成、自主性・主体性の尊重、対等な立場をもって具体的な問題解決活動に取り組むとともに主体形成を図る非制度的な協力関係をもつ活動である。②協働関係を築くに当たっては、行政のみならず、住民も含め、あらゆる主体に責任が伴うということが忘れられがちである。住民を取り上げるならば、行政依存体質ではない、自己の確立と主体的参画が求められる。すなわち、住民の協働活動の主体としての力量を高めることは、対等な協働関係にとって必須条件である。③対等な関係が成立するためには、各主体がそれぞれのもつ特質を最大限に生かしながら自立性、主体性をもつ必要がある。」(37ページ)。すなわちこれである。
〇なお、一種の流行語のように「協働」という用語を多用するのは行政や社協であるが、政治的な意味(概念)や政治参加の局面では、行政と市民が対等な立場で「協働」することは考えられない。行政参加の局面においては、「協働」は実態として存在している。ただし、両者の前提に「信託」の概念やシステムがあることに留意したい。行政がいう「協働」には、こうした点についての認識が希薄であったり、無自覚であることが多い。そこで、市民には、「信託」とそれに加えて「オンブズマン」「リコール」などについの認識や自覚が求められる。併せて留意しておきたい。
〇「協働」に類似・関連する用語に「共働」(coaction)がある。この用語を使用する自治体は多くはないが、例えば、福岡市では、2008年度に、「共働事業提案制度」を設けている。その目的は、市民の発想を活かした提案を募集し、NPOと市の「共働」による相乗効果を発揮することで市民に対するきめの細かいサービスを提供するとともに、地域課題の効果的・効率的な解決や都市活力の向上を図ることにある。この制度がめざす「共働」とは、「事業の企画段階から、NPOと市が対等な立場で、意思の疎通を図りながら意見を出し合い、適切なパートナーシップに基づき事業に取り組むこと」である。
〇また、「共働のまちづくり」を進める福岡県の古賀市では、『第4次古賀市総合振興計画(2012~2021)』(2012年6月)で、「共働」について次のように解説している。「『キョウドウ』とは、さまざまな主体が共通の目標に向かって、対等な立場で、相互に補完しあい、相乗効果をあげながら、社会的課題の解決にあたること。『キョウドウ』の表記方法には、『協働』や『共働』などがあるが、古賀市ではどちらかがどちらかに追従する関係ではなく、お互い対等の立場で『ともに』取り組んでいくという意味を込め、『共働』と表記している。」(7ページ)、というのがそれである。さらに、同県の宇美町は、2013年7月、「宇美町共働のまちづくり推進のための指針」を策定するが、「共働」には次のような意味が込められているとしている。「町民等と行政は、暮らしやすい町を築いていくためにパートナーシップを確立し、それぞれの責務と役割を認識しあい、認め合い、尊重しあい、対等な立場で、共に考え、共に協力し、共に行動していくまちづくりの実現を目指す」(3ページ)、がそれである。そして、「横浜コード」と同じく、(1)共有の原則(活動に必要な情報を共有すること)、(2)相互理解の原則(お互いの共通性や違い・特性を理解して協力し合い、相乗効果を生むように努めること)、(3)自主・自立の原則(役割分担や責任を明確化するとともに、自主性を尊重し、お互いに独自性、専門性を高めること)、(4)対等の原則(対等な横の関係で、成果を拡充し、相互に補完し合うこと)、(5)公開の原則(取り組みについて積極的に情報公開していくこと)を「共働の原則」とし共通認識することによって、よりよいパートナーシップを築くことができる、としている(11ページ)。
〇豊田市では、「共働によるまちづくり」「共働社会」の実現をめざして諸施策・事業に取り組んでいる。豊田市は、2005年10月に「豊田市まちづくり基本条例」を制定するが、その第2章「まちづくりの基本的な原則」第5条「共働によるまちづくり」で、「市民及び市は、共通の目的を実現するために、互いの立場を尊重し、対等な関係に立って、共にまちづくりを推進することに努めるものとします。」と定めている。豊田市総合企画部の手になる「豊田市まちづくり条例の考え方」(2005年10月)によると、「共働によるまちづくり」は、「市民及び市が、共通の目的を実現するために、それぞれの役割と責任の下、対等な関係に立って、相互の立場を尊重し、共に働く・行動すること」(7ページ)を意味するものである。また、「条例の考え方」では、諸事業・活動を A:行政が専属的に行う分野、B:行政活動に市民が参入する分野、C:市民と行政が一緒に活動する分野、D:市民活動に行政が連携する分野、E:市民が専属的に行う分野、の5つの分野に分けている。そのうえで、B、C、D の分野の活動を「協働の活動」とし、A+B+C+D+E によって「共働によるまちづくり」をめざす、と説いている(8ページ)。なお、直近の2013年3月に策定された『第2期豊田市市民活動促進計画』(2013年度~2017年度)をみると、「共働」について次のように説明されている。「市民と行政が共に考え、共に行動することでよりよいまちを目指すこと。市民と行政が協力・連携すること(通常これを「協働」といいます。)のほか、共通する目的に対して、市民が専属的に行う分野や、行政が専属的に行う分野をそれぞれの判断で、それぞれに活動することも含まれます。」(2ページ)。
〇以上の「定義づけ」や「解説」について、その構成要素を分析すると、共通するいくつかの基本的要素を見いだすことができる。その言葉を整理あるいは換言するとすれば、「対等な立場」「相互理解」「共通の目標」「連携・協力」「情報公開」「相互補完」「相乗効果」などがそれである。現状では、「協働」とりわけ「共働」の概念は観念的・多義的で、曖昧なものに留まっており、理論的にも実践的にもその問題点の明確な整理と広く深い検討が求められるといわざるを得ない。
〇ところで、筆者(阪野)はこれまで、「市民福祉教育」や福祉教育でいう「協同実践」などとの関わりで、「共働」「共働活動」という用語を使ってきた。次のような一文がそれである。いささか長きにわたるが、再掲する。

福祉教育でいう協同実践は、これまで、ややもすると形式的で活動至上主義に陥り、そこでの人間関係はとりわけ地域における福祉教育実践においては権威主義的な上下関係(「ピラミッド型」)になりがちであったといってよい。またそれは、実践の基盤になる共通の土俵づくりがないまま、あるいは不十分なまま、実際には既存のそれぞれの土俵でのひとり相撲に終わってしまい、理念だけが空転しているようでもある。共働活動は、メンバー間の対等で平等な人間関係と、市民としての個々のメンバーの主体的・自律的な参加に基づく一体的・組織的かつ柔軟な活動を展開するための相互作用を強調するところに協同実践との違いがある(『市民福祉教育の探究』みらい、2009年、80~81ページ)。

「参加と協働」は響きのよい言葉である。しかし、そこには、いくつかの問題点や限界が見いだされる。たとえば、参加が提唱される一方で、住民の責任や責務が強調されている。住民の政策形成過程への参加の重要性が指摘されながら、現実的には行政サービスの担い手としての参加に偏っている。また、協働は、相変わらず行政主導・行政優位のそれにとどまっている(『市民福祉教育をめぐる断章』大学図書出版、2011年、3ページ)。

市民と行政が「パートナーシップ」以上の高いレベルの市民参加を実現するためには、市民にも行政にも、対等な立場で、実質的・実効的な「参加と協働」をいかに展開するかが問われることになる。その際にまず求められるのは、行政においては「お上」意識の変革や行政組織の改革である。市民においては、能動的で理性的・自律的な生活主体や権利主体、自治主体として、個人的責任だけでなく社会的責任を負うべき存在として自らを形成することである。ここに、教育的営為や学習活動的要素が必要とされ、「市民福祉教育」が存立する(『同上書』、4~5ページ)。

シティズンシップ教育は、国家や社会にとって都合のよい、無批判・無抵抗の体制依存的市民を育成するものではない。それは、市民「参加」という名の「動員」や、行政の「下請け」化、「補完」化を促すものではない。また、官製的なボランティア・市民活動の振興、いわんや奉仕活動の義務化の推進を図るものではない。それは、市民一人ひとりが個人としての権利と義務を行使し、主体的・自律的な個人が自分の意思決定に基づいて社会的・政治的・経済的分野で能動的・積極的に行動する、時には多数派の決定に対する市民的不服従や良心的拒否を許容する成熟した市民社会の形成を志向する教育である。そのために必要となる能力が意識、知識、スキルである。
こうしたシティズンシップ教育、すなわち市民的資質・能力の育成は、福祉文化の創造や福祉のまちづくりの主体形成を図る市民福祉教育とかさなり合い、参考にすべき点が多い。シティズンシップ教育の一環としての市民福祉教育の展開のあり方や方向性について追究する必要がある。それは、福祉教育の実践と研究にとって喫緊の課題である(『同上書』48~49ページ)。

今日、国や地方自治体の行政改革と財政再建が焦眉の課題とされるなかで、「新しい公共」の創出や「新たな支え合い」の強化が叫ばれ、住民(市民)やボランティア、NPO、地域組織・団体などと行政の「協働」が推進されている。しかし、その取り組みの多くは、自治体主導・自治体優位の、「上から」の「新しい公共」であるといわざるを得ない。真に求められるのは、主体的・能動的・自律的な住民による住民主導・住民優位の、「下から」の「新しい公共」である。それは、「新しい公共」の創出にとって、新しい「私」の育成(住民の主体形成)が大きな課題となることを意味する(『同上書』84ページ)。

筆者はこれまで、協同実践(注①)に替わる用語として「共働活動」(coaction)を使ってきた。それは、グループのメンバーによって共有化された目標のもとで、各メンバーが主体的・自律的に参加して行う協同(共同)活動を意味する。その本質は、メンバー間の対等で平等な人間関係と、一体的・組織的かつ柔軟な活動を展開するための相互依存・補完・協力の相互作用にある。要するに、共働活動とは、多様な個人や集団が共生関係を形成し、多面的な相互作用によって社会的統合や融合を達成していく過程で展開される協同(共同)活動をいう。
市民福祉教育においては、こうした共働活動(体験学習)が重視される。そこでは、目標達成のためのアセスメント能力やプランニング能力、コーディネート能力、メンバーシップやリーダーシップ、それに共感的・共生的な生活理解・支援能力などの諸能力の育成と、その過程での「平和・民主主義・人権と、自立・共生・自治」などの価値観の形成が重要な課題となるのである(『同上書』68ページ)。

〇以上の叙述から、「まちづくりと市民福祉教育」における「共働」に関する概念図を作成すれば、以下のようになろうか。

「まちづくりと市民福祉教育」における「共働」―社協を中心に―

【初出】
<ディスカッションルーム>(18)阪野 貢/福祉によるまちづくり、協働と共働、市民福祉教育/2013年8月25日/本文
<ディスカッションルーム>(20)阪野 貢/協働と共働/2013年9月16日/本文

注 ➀
福祉教育における「協同実践」とは、複数の人間(住民、市民)が地域の社会福祉問題について共有化・共通認識し、それぞれの立場の違いを大切にしながら、問題解決に向けての、双方向的な「学び合う関係性」「学びの関係づくり」を大切にした実践方法をいう(原田正樹)。しかし、協同実践の構造や性質をはじめ協同実践が生みだす効果やそれを成功させるための方法や条件などについては、これまで必ずしも理論的かつ具体的に言及・議論されてきたとはいえない。協同実践の方法やその研究をめぐっては、たとえば次のような疑問や課題が残る。それは、「共働実践」のあり方を問うものでもある。

(1)協同実践の展開によってグループのメンバー間により親密な人間関係が形成され、 より高いレベルの積極的・主体的な活動が新たに生みだされたことをもって協同実践に特有の効果とみなすのか。
(2)協同実践ではグループの大きさやメンバーの多様性はどの程度が効果的なのか。
(3)協同実践の効果は一時的なグループにおいては現れにくいであろうが、効果を生むためのグループの継続性や凝集性についてはどう考えるか。
(4)協同実践にはさまざまな協同のレベル(同調、協調など)が存在するであろうが、それぞれのレベルに対応した相互活動はどうあるべきか。
(5)協同実践では個々のメンバーが強い主体性をもつことを認めないのか。あるいはどの範囲や程度までメンバー個々人の主体的活動を認めるのか。
(6)協同実践の展開過程におけるメンバー間の相互作用のダイナ ミックスについてどう考えるか。
(7)協同実践において生起するであろう離合集散についてどう考え、対応するか。
(8)協同実践に必要な専門的技能(対人技能、集団技能など)とは何か。メンバーはその技能をどのように習得するか。
(9)協同実践には複数の人間がかかわり、またそれゆえに意見の調整などに多くの時間と労力を要する傾向にあることを考えると、必ずしも単独実践に比べて協同実践が効果的な実践方法であるとはいいきれない。問題の種類や内容によっては単独実践の方が効果的な場合もある。この点についてはどう考えるか。
(10)協同実践であっても、実践そのものは基本的には一人ひとりの人間のなかで営まれる。そこから、協同実践のあり方について検討する際には、一人ひとりの実践(個別性)といろいろな人たちとの実践(協同性、共同性)、そしていろいろな内容や方法の実践(多様性)という視点が必要かつ重要となる。実践の協同(共同)性を強調するあまり、その個別性とそれに基づく多様性を軽視することがあってはならない。この点についてはどう考えるか。

【初出】
<まちづくりと市民福祉教育>(12)阪野 貢 /「協同実践」と市民福祉教育/2012年10月30日/本文