いま、筆者(阪野)の手もとに、雑誌『ボランティア』(富士福祉事業団発行)が10冊ほど収められた手製のファイル(「高島先生の思想と哲学」)がある。雑誌の各号には、「わが国ボランティアの先駆者」(三浦富雄)と評された高島巌先生(1976年5月没、享年78)の原稿や関連記事が掲載されている。筆者は、1975年頃から児童養護施設・双葉園にお邪魔するようになった。そして、園長の高島先生から直接、「いそいではいけない/かまえてはいけない/たえることだ/まつことだ/いのることだ」という“ボランティアする心の原点”についてご指導いただいた。およそ40年も前のことである(注①)。
『ボランティア』の1979年10月号(「福祉教育を考える」)に、「日本のボランティアの父」(大橋謙策)と評される木谷宜弘先生(2012年10月没、享年83)の一文が載っている。それは、1979年8月に開催された「学童・生徒の福祉教育を考えるつどい」における木谷先生の報告(「まとめ」)である。その2年前に、「学童・生徒のボランティア活動普及事業」がスタートしている。その点において、この報告には、木谷先生の福祉教育への熱い思いや強い願いが込められている。以下に、編集者による前書きと木谷先生の報告を紹介する。
「学童・生徒の福祉教育を考えるつどい」から
「学童・生徒の福祉教育を考えるつどい」が、8月7、8日、東京・大手町のサンケイ会館で開かれた。全国から約300名の関係者が参加したが、行政、社協、ボランティア推進機関担当者にまじって、小・中・高校教諭など学校関係者が出席者の半数を占め、なかでも多くの小学校長が出席して注目された。
つどいでは、福祉教育の重要性が強く叫ばれるようになった今日、これからの、小・中・高校生に対する福祉教育を、どう進めればよいのか。社会福祉、社会教育、青少年団体などで、いままで推進されてきた実績をふまえて、そのありかたを中心に、お互いの理解を深め、発展の方策をさぐった。
ここに紹介するのは、このつどいを主催した全国ボランティア活動振興センター・木谷宜弘主幹の、福祉教育についてのコメント(中略)である。
(「福祉教育を考える」『ボランティア』第14巻第5号・通巻第161号、富士福祉事業団、1979年10月、3ページ)
学校における福祉教育を考える――全国ボランティア活動振興センター主幹・木谷宜弘
「福祉には教育の支えが必要だ」と、かねがね思っている。それは、福祉の風土づくりという「百年の計」に相当する大仕事は、人間の意識変革なしには成立しえないからである。そして、この人間の意識変革は、教育活動によってなされていく。
「福祉教育」という言葉が使われるようになったのも、このような観点からで、この言葉の概念規定が論議されたのは、昭和45年度全国社会福祉会議であった。翌年に「福祉教育とは、憲法にもとづく社会的基本権としての、生活上の福祉の確保をさまたげる諸問題を、地域社会における住民が、みずからの問題として、自覚的に認識し、その解決のための運動を、継続的に展開するのを援助するための、教育的活動である」と定義づけられた(注②)。その対象は、一般成人に対して行われるものと、児童、生徒に対して行われるものとに分けられるが、学校における福祉教育は後者の教育体系の一部であるといえる。
社会福祉の分野においては、実践が理論に先行することが常で、学校における福祉教育も、その実践は終戦直後にはじまった。昭和22年、福島県(徳島県:阪野)でスタートした「子ども民生委員制度」は今日の社会福祉協力校の前身であった。「すべてのお友だちを幸福にしよう」という合言葉のもとにすすめられたこの制度は、後に、全県下の小・中学校はもとより、一部県外にまで波及した。
昭和24年、中央共同募金会委員会が、「国民たすけあい共同募金、学習指導の手引」を製作して、中学、高校に配布し、教師の協力を求めることによって、学校における福祉教育の必要性について、一石を投じた。昭和25年、神奈川県において、「社会福祉研究普及校制度」がはじめられた。この制度は、学校教育の荒廃が目立つようになった昭和40年ころから、他県へ波及しはじめ、昭和50年には、10県に広がっていた。
全国社会福祉協議会が、この制度の実現に取り組んだのは、昭和46年ごろからであったが、実際に、国庫補助が実現し、都道府県社協の協力によって、全国普及がはじまったのは、昭和52年度からであった。現在、3年目を迎え全国に638校(うち国庫補助対象校は288校)の小・中・高校がこの実践に参加している。
今回、厚生省、文部省、青少年育成国民会議の後援のもとに開催した「学童・生徒の福祉教育を考えるつどい」は、以上のような歴史的経緯を背景として実施されたもので、当日、参加した学校教師、社協職員、行政関係者、ボランティアなど300名の、貴重な実践、経験をふまえて、その中から、学校における福祉教育の今後のすすめ方、発展方策を明らかにしようというものであり、このつどいの開催とこれからの実践は、福祉と教育が1つの目標をめざして協働するという点で、画期的意味をもっている。それだけに難問も多く、じっくり腰をすえてかからなければならない「運動」であると心得ている。
5つの柱
小・中・高校生の福祉教育について、重要な点だけを、とりまとめますと、5つの柱になるようであります。
まず第1は、福祉教育の概念をどうとらえるか、ということです。これには、いろいろ論議もございますが、一応福祉教育と学校教育との「教育」という観点からみた概念は、一致してきているようであります。人間教育――心を豊かにする人間教育、あるいは市民教育、全人教育を、1人1人の主体性を確立しながら、思いやりのある、そういう態度や考え方を身につけていく。こういう点では、学校教育も福祉教育も共通である、ということが打ち出されています。
これは両者における大事な基盤です。その基盤が共通し、かつ目標等も共通するものではありますけれども、しかしまた、福祉固有の視点というのも存在するわけでありまして、その視点からいいますならば、学校教育の学習全教科、またその他学科外の活動などを、もう一度見直して、それにより福祉の理解、あるいは人権というようなものの感覚を、もっと身につける必要があるのではないかと思うのであります。
長年にわたる社会的な風潮が作られるなかで、人間の、1人1人の人権が尊重されるという状況が、だんだんと家庭や学校、地域社会の中で培われる機会がなくなってきています。で、こういう感覚を、体験学習を通して身につけさせる。学校教育に、努めてそういうあり方なり視点を持ち込むことが、学校教育全体を完成させていくということにもなるのではないでしょうか。
福祉ということは、ずいぶん変わってまいりました。昔の救貧的な福祉という考え方ではありません。気の毒だとか、かわいそうだということではなくて、すべての人たちと共存していく。そういう社会をどう作るのか。お互いに自立し、助け合える、そういう社会をどう作るのか。また、そういうものは、与えられるものではなくて、1人1人が参加し、そして求め作り出していく、という主体的な態度や考え方が、身につかなければならないことなのです。そういう意味で、福祉というものの視点を、もう一度学校教育の中で考えていただくことが、とても大事だと思われます。
2番目に、福祉教育の方法という立場から考えてみましょう。福祉教育というものは、実践と学習とを並行していくところに特徴があります。体験学習ということばが、そういう意味で、よく使われているわけですが、その「体験学習」を、あまり狭くとらえてはならない。つまり障害者、老人らと交流することが、体験学習だというふうに、狭く、それだけに限定してとらえてはならない。福祉の視点から考えてみた場合、教科の全般において、さまざまな体験学習を織り込むことができるように思います。
また、行事中心という考え方も大切ではありますが、日常生活との関連を考えていく、日常生活全般にわたって、体験学習を考えていく必要があるでしょう。生活実践のなかで、そういうものを積み上げていく、ということが大事です。
学校内だけで完結するということも、それだけではいけないのではないか。やはり家庭、地域社会、そういうところへ目を向けていくということも、大事でしょう。ボランティア実践を、単に奉仕するということではなく、その精神的な基盤である福祉の視点、あるいはお互いが自立し合い、その自立を助け合う、こういうふうな精神的な基盤についても、考えていかなければならない。そういう体験学習、実践と学習のくり返しのなかで、教育指導側は、それを積極的に推進する必要があるでしょう。
福祉教育の方法の2つ目として、学校の年間計画の中に、福祉教育を正確に位置づける。そういうことの設計図を作ることが、大事だということも打ち出されています。そして3つ目には、子どもの成長、発達の段階に応じたプログラムが、大事だということです。とくに子どもの自主性、主体性を、どう育てていくかという場合、今日の子どもたちの実態のなかで、これはなかなか難しい点もあるようです。
いったいどうやって、そういう自主性、主体性を培っていけばいいのか。福祉教育という観点のなかで、そこで出されております手がかりは、1つは共鳴と共感というものが、そういうプログラム、あるいは体験学習の中に織り込まれることによって、子どもたちは、その中から呼びさまされていく、ということが見られるのではないでしょうか。それからまた、異年齢間の交流、同学年同士ではなくて、学校でも縦の学年の交流、あるいは社会的に、老人や障害者や青年や、さまざまな縦の年代層の交流というのも、1つの手がかりになると思えるのです。
そこで、教科の中に、そういう福祉というものの視点を織り込む、そういうプログラムを織り込むと同時に、教科の中から、逆に体験学習を引き出していくということも、考えていくべきではないか。それを身近な問題から考えていく。そして取り組むということで、社会的な弱者というのは、けっして社会に存在するだけのものではなく、学校の同じクラスの、同じ仲間でも、いわば落ちこぼれがどんどん出ているのであって、こういう状況のなかで、そういう問題を考えることができるのではないだろうか。
あるいは、皆がどんなに健常だと思う状態であっても、医学的にはノイローゼになっていたり、苦しみ悩むそういう状況を、多くの子どもの中に見られるわけで、そういう状況の子どもたちに対する相互のかかわりあいという問題を、生活の中で、学校生活の中でも、いわば福祉の視点のうちに、問題としてとらえることができるでしょう。
柱の3番目は、これはどうしても、まず学校の先生がたの、意識の問題で、教師間の合意づくりを、どう進めたらよいかということです。
これは非常に、重要なポイントでありますけれど、難しいものを含んでいるといえそうです。教師のかたがたの、意識統一というものは、いっぺんに図れるわけではない。やはりそこに、非常な情熱を傾ける先生がいらっしゃらねばならない。そういう核になる先生が、まず自らの情熱を燃やすことによって、周囲を高めていく。影響を及ぼしていく。こういう存在になることが、大事ではないかということです。
郷土学習というのが、教師集団で深められていて、いろいろ例示されています。そして、その郷土学習などのなかから、学習全教科における福祉の視点を皆で考え、共通の理解が広がっていくことが期待されます。
なおまた、学級運営という側面から考えた場合、これは1人の先生の問題ではなく、すべての先生の問題になってくるでしょう。そういう1つの困難を突破した経験も語られていますが、こうして先生自身を変え、そこで当然子どもたちが変わり、非常に大きな影響力、あるいは説得力が生じることになります。子どもたちと一緒になって、福祉体験をすすめていくなかで、そういう変化を、大きく子どもたちの生活の中に生かし、影響を与えた例はたくさんあります。
4番目の大きな柱は、「学校と地域社会」ということばで表現できると思います。今日の社会は非常に閉鎖されている。縦割りになっている。管理化され、制度化がすすんでいる。したがって専門化、分化されている社会であって、ともするとお互い閉鎖的な存在になりやすいわけです。
社会福祉の分野では、今「施設の社会化」ということが、非常に強く叫ばれています。しかし家庭自体も、社会化していないのではないか、というふうなこともいわれております。学校とて、社会に開かれた存在として、開放される、開かれていくことが大事ではないでしょうか。そして、ともにそういう視点で考えた場合、お互いに結びつく接点が、生まれてくると思うのであります。
そこで学校としては、外に出て行く―福祉体験の場合、よく施設を訪問するという形で、交流が見られるわけで、それも1つのやり方ですけれども、学校の中に地域的なそういうものを呼び入れる、福祉的な資源を招き入れていくということも、大事なことではないでしょうか。老人であるとか障害者を学校に招いて、子どもたちの先達、先生として、いろいろな点での指導をしてもらうということも、逆にあっていいのではないでしょうか。
あるいはこれが、学校が地域活動に参加することにつながる。その場合、地域参加プログラムを企画する段階から、学校の先生が参加していくということが大事であり、地域社会側の配慮も必要でしょう。同時に、何といってもPTAが、その媒介となってもらいたいものです。福祉教育を課題として、PTAとともに考えるというふうなことが大事でしょう。それを通じて家庭の教育、地域社会における教育機能を進捗させることも、大いに重要でありましょう。
福祉と教育は、今相互に支え合って、はじめて相互に完結し合えるという関係にあると思います。そういう意味では、相互にどう理解し合うかという努力が必要です。よそゆきのつきあいではなく、ふだん着のままのつきあいが大事です。日ごろの人間関係づくりを、心から進めていくということが大事です。
そういう努力は、学校だけではなくて、地域社会側の努力も求められるわけです。地域社会の側としては、さまざまな社会的な問題、福祉の課題を、学校も共有化していく努力を、積極的に働きかけていく必要があると思います。確信をもって学校に呼びかけていく。誠意をもって働きかけていく。こういうことによって、学校も機能を果たすことになります。
誠意ある働きかけ、そして小さな働きかけが、割りと少ないのではないでしょうか。及び腰で、ただ頭を下げながら、働きかけるというふうな状況が見られるのではないでしょうか。そういう意味では、地域課題、福祉課題は、すべて現場にある人たちの、共通の課題と思います。それと取り組む、あるいは学習する、話し合う、そういう点を共有化していく必要があります。
そういう場合、やはり社会福祉協議会の果たす役割は、非常に大きいようです。とくに情報などを提供すること、また、いろいろな関係者を融合し、組織化する、一緒に協働し合える状態を作る、そういう共通の土俵作りに、力を尽くしている。それらをもっと掘り下げること、あるいは連絡調整というふうな問題について、より努力をする必要があるでしょう。
5番目の柱は、そういう福祉教育をするための条件づくりということです。いくつかの大事な側面が打ち出されているのですが、その1つに、今回のように全国のかたがたが話し合うという機会を持てたことが、ずいぶんと大きな支えになるようであります。学習や経験交流の場を、小地域から全国規模の地域まで、できるだけ頻繁に持つべきではないか。福祉と教育の、両者の立場の人たちが、ともに机を囲んで勉強し合い、経験を交流することが大事であるということです。
ところでこういう場合、かなり行政官の席などが目につきます。けれどもこれは、公民相互の努力により、その結果の、現場で活動する人々が、よりお互いに結びつくことによって、そういう立場の席は埋ずめていけることになるでしょう。いや両者の、もっとスムースな接近も、必要であると思うのです。福祉教育といった場合に、これは「手づくりの運動」というのが本筋だからです。弾力的に、創造的に取り組むべきです。あまり教科書的に、画一的にすすめるものではありません。
最後に、学校においても、地域社会の中にも、こういう福祉教育という視点をふまえる人が、いよいよ必要ではないかと思われます。これからはそういう人づくりを、何としてもすすめていきたい。そういう意味で、制度的にも、たとえば福祉教育主事の配置であるとか、あるいはコーディネーターの整備というふうなことを、考えるべきだと思います。
以上、今回の集いにおける出席者の発言、提案の大筋を咀嚼し、「学童・生徒の福祉教育」を考える5本の柱として、まとめてみました。
不十分ではありますが、ご報告として申し述べました。
(木谷「学校における福祉教育を考える」『前掲誌』4~8ページ)
以上から、読みすぎの感なきにしもあらずだが、福祉教育(学校における福祉教育と地域を基盤とした福祉教育)を捉える視点として、(1)形成的固有の視点、(2)問題解決の視点、(3)人間教育の視点、(4)生涯学習の視点、(5)市民主体の視点、(6)生活実践の視点、(7)市民運動の視点、という7つの視点を押さえておきたい。このような視点から、福祉教育の基本的な性格や特徴、構造や機能などについて多面的・多角的かつ複合的に分析・考察することが求められる。なお、7つの視点のうち、例えば(1)は、福祉教育は歴史的社会的背景と必要性のもとに形成され、それ自体としての固有性を備える教育活動である、という視点である。(7)については、木谷先生は、福祉教育は「じっくり腰をすえてかからなければならない『運動』である」。「運動を進めていくためには、運動の思想、哲学というものがなければなりません」(木谷「どう進めるか―学び合いながら―」『前掲誌』12ページ)、という。市民運動としての福祉教育「運動の思想、哲学」の構築は、今日も、ひとつの大きな課題として残されている。また、木谷先生が使用する「福祉の風土づくり」「郷土学習」という用語は、「福祉のまちづくり(運動)」につながるものとして注目しておきたい(注③)。
注
① 高島巌先生は、「児童福祉一筋の道」を歩まれ、1951年5月に制定・宣言された「児童憲章」の草案を起草したひとりである。また、「母の日」の制定に尽力されたことでも知られる。筆者が初めて双葉園を訪ねたとき先生は、開口一番、「双葉園の印象はどうですか。双葉園がこの“まち”にあることに違和感を感じられたのであれば、それは私の“負け”です」と話された。いまでも鮮明に覚えている。「施設の社会化と地域化」が議論されていたときである。
2代目園長の星野卓郎先生と3代目園長の高島昭子先生にも、格別のご指導やご支援をいただいた。双葉園にお邪魔すると、必ず玄関にはスリッパが一組並べてあった。そして、先生が出迎えてくれた。おいしいお茶をいただきながら、豊富な経験に基づく「児童養護」の理論と実践や福祉マインドなどに関する話をお聴きするのは、筆者にとっては“学び”そのものであった。また、贅沢で至福の時間でもあった。懐かしく思い出される。
② 1971年5月、全国社会福祉協議会の福祉教育研究委員会(委員長・重田信一)によって報告された「福祉教育の概念について―福祉教育に関する中間答申―」である。
「福祉教育とは、憲法にもとづく社会的基本権としての生活上の福祉の確保をさまたげる諸問題を解決し、かつ、住民の生活における福祉を増進するために、地域社会における住民が、それをみずからの、および、住民共通の課題として認識し、そのうえにたって、福祉増進の住民運動を自主的・継続的に展開するのを側面的に助けることを目的としておこなわれる教育活動である。」(阪野貢『市民福祉教育をめぐる断章―過去との対話―』大学図書出版、2011年1月、70~81ページを参照されたい。)
③ 市民運動としての「福祉の風土づくり」運動は、京都市(1973年)や横浜市(1974年)が先導的な役割を果たし、1970年代半ば以降、市民(住民)と行政の協働によって展開された。学校教育における「郷土学習」に関しては、小学校では1968年改訂(1971年度実施)、中学校では1969年改訂(1972年度実施)の学習指導要領から、「地域学習」という用語が使用されるようになった。なお、「郷土」は心情的な要素をもち、「地域」は客観的な意味をもつ用語である。
補遺――「ボランティアのはたらきの原点」「ボランティアする心の原点」(高島巌)
ボランティアのはたらきは
かまえたものであってはならない
ボランティアのはたらきは
活動ではない
生活なのだ
活動にはかまえがある
けれども
生活にはかまえはない
活動には限界がある
けれども
生活には限界はない
ボランティアのはたらきは
もてるものが
もたないものに
ではない
しあわせなものが
ふしあわせなものに
ではない
もてるものも
もたないものも
しあわせなものも
ふしあわせなものも
ともに考え
ともに学び
ともに生活しあうことなのだ
いそいではいけない
かまえてはいけない
たえることだ
まつことだ
いのることだ
人間はみな
ボランティアする権利をもっているのだ
その権利は人間にだけあたえられた
楽しき権利なのである
高島巌『子どもは本来すばらしいのだ』誠信書房、1963年6月