あらゆるものは相関連していて しかもそのひとつひとつは独自性を失わないで、各々その位置にある
〇筆者(阪野)は先月、愛知県知多郡美浜町にある杉本美術館を訪ね、杉本健吉画伯(1905年~2004年)の芸術の世界を楽しんだ。そこで出会ったのが、上記の、ウォルト・ホイットマン(1819年~1892年、アメリカの詩人)の「奇蹟」の一節である(注①)。そこには、あらゆる「ヒト」や「モノ」の存在や共生について思いを致す時空があった。“深奥”である。
〇先日、あるブログ読者から、「社会参加とサービス・ラーニング」について考える際の基礎的・基本的な資料を紹介してもらいたい旨の依頼が寄せられた。そのテーマに関する資料で筆者がまず思い出すのは、唐木清志先生(筑波大学)の次の文献である。唐木先生は、「社会科教育の理論と方法」を専門とするが、アメリカの「サービス・ラーニング(Service Learning」(以下、「SL」と略す。)の概念や理論を日本に広めたことでも知られる、SL研究の第一人者である。
(1)唐木清志著『子どもの社会参加と社会科教育―日本型サービス・ラーニングの構想―』東洋館出版社、2008年11月
(2)唐木清志著『アメリカ公民教育におけるサービス・ラーニング』東信堂、2010年2月
(3)小島弘道監修/唐木清志・西村公孝・藤原孝章著『社会参画と社会科教育の創造』学文社、2010年10月
(4)唐木清志・岡田泰孝・杉浦真理・川中大輔監修/日本シティズンシップ教育フォーラム編『シティズンシップ教育で創る学校の未来』東洋館出版社、2015年3月
〇ここでは、必読書である文献(1)から、唐木先生の「社会参加」と「SL」についての論点や言説の一部を紹介(引用、抜き書き)することにする。その詳細は原典にあたっていただきたい。
◆社会科の本質としての社会参加
これからの教育改革の進むべき方向性は、社会の形成に参画できる市民を育成するために、子どもの学びの場を教室から社会へと広げ、さまざまな意思決定の場に参加できる機会を子どもに保障していくことが必要である。(25ページ)
社会科教育とは市民の教育を意味し、協力して社会の共同福祉を実現できる人間の育成こそを目指すべきである。それを見失った社会科は、もはや社会科とは言えない。
社会科の教師として、公民的資質(注②)の中核に社会参加を位置付けておくことは重要である。そのような理解に基づくことで、教師は、自らが計画・実践した社会科授業が子どもたちの「よりよい社会の形成に参画する資質や能力」の育成に有効であったかどうかを点検することができる。(32~33ページ)
「社会参加」を社会科の方法として利用することは重要である。社会参加を社会科の方法として捉えることの意義は二つある。
一つ目は、社会参加することによって得られる社会的有用感は、社会の一員としての自覚を深めるのに必要不可欠であるということである。ここでは社会的有用感を「個人の社会参加活動が社会のさまざまな意思決定に影響を及ぼすことができるという感覚」と捉えておきたい。
二つ目は、社会認識の質は社会参加という具体的な経験を通してさらに高められるということである。社会認識とは、何よりも社会的事象を知ることを意味する。社会的事象を正確に知ることが社会認識の第一歩であるということに異論を挟みこむ余地はない。(33~34ページ)
◆日本型サービス・ラーニングとその必要条件
SLを「地域社会の課題解決を目指した社会的活動(サービス活動)に子どもを積極的に関与させ、子どもの市民性(シティズンシップ)を発達させることをねらいとした一つの教育方法」と捉えることにする。(51ページ)
カーネとウェストハイマー(Josepf kahne & Joel Westheimer)は、数多く存在するSL実践には、「慈善(Charity)」を志向したものと「変革(Change)」を志向したものの二つがあることを主張する。
慈善を志向するSL実践では、子どものサービス活動を慈善活動と捉え、子どもの態度形成に力点が置かれている。一方、変革を志向するSLでは、子どものサービス活動を変革活動と捉え、子どもの批判的思考力の育成と変革活動に必要な諸技能の習得に力点が置かれている。どちらも価値のある実践であるが、本書では後者の「変革を志向するSL」こそが、市民性(シティズンシップ)の育成を目指す教育として、SLでは特に大切にされるべきだと考える。(60~61ページ)
SLは政治教育的な性格を有する教育方法でもある。この背景には、アメリカではSLを市民育成のための教育として理解していることがある。このことは、日本にSLを導入する際には、SLの可能性として考慮すべき視点でもある。SLを慈善活動(ボランティア活動)を中心とした「心の教育」の道具として用い、福祉施設への訪問や清掃活動だけで終わらせるのは非常に残念な話である。SLを通じて、子どもたちをどのような市民に育て上げることができるのか。社会科教育では、そのことを中心的に論じていく必要がある。(62ページ)
(アメリカのSLをそのままのかたちで日本の社会科教育や学校教育に導入することはできない。)「日本型サービス・ラーニング」を誕生(成立)させるには、アメリカのSLの性格を生かし、日本の社会的・教育的文脈を考慮しながら、次の五つの必要条件が必要である。
(1)地域社会の課題を教材化すること
SLでは、地域社会の課題を「地域社会のニーズ」という言葉で表現する。そこには、SLで取り上げる地域社会の課題は地域社会の住民の多くが早急な解決を強く望んでいる課題でなければならない、という意思が働いている。
社会科で取り上げる課題は、教科書の中ではなく、地域社会の中に存在する。その認識なくして、SLはスタートできないだろう。また、そのような認識を深めるためには、まずは教員自らが地域社会へ足を運び、地域社会を知り、地域社会の課題を追究していく必要がある。
なお、地域社会の課題は「教育」「犯罪と安全」「健康と福祉」「環境」「まちづくり」に分類される。
(2)プロジェクト型の学習を組織すること
地域社会の課題が見つかったら、その教材研究を進めながらも、次の段階として単元開発をしなければならない。
日本型SLの単元は、子どもの学習活動がプロジェクト型となるように開発される必要がある。
日本型SLにおいては、「Ⅰ.問題把握」→「Ⅱ.問題分析」→「Ⅲ.意思決定」→「Ⅳ.提案・参加」の四段階を子どもが辿(たど)ることができるよう、教師は授業を組織していかなければならない。Ⅰの段階では、事態の深刻さの理解と課題解決意欲の喚起、Ⅱの段階では、問題の状況・実態の理解と原因の追究、Ⅲの段階では、課題解決方法の有効性や実施されている公共政策の有効性の検討、Ⅳの段階では、解決方法や公共政策の提案や、課題解決活動への参加・関与、などをすることになる。
プロジェクト型の学習の諸段階は、大人社会でも通用するものである。
(3)振り返りを重視すること
SLでは振り返りの時間を十分に確保することを強調する。
SLでは「読む」「書く」「為す」「話す」の四つの振り返りの手法を効果的に利用することが必要である。
振り返りの場面が体験の後に設定されるとは限らない。それは体験の前でも、体験中でも組織することができる。
(4)学問的な知識・技能を習得、活用する場面を設定すること
地域社会の課題を分析するためには、さまざまな学問的な知識が必要となる。「学問的」とは、地域社会の課題を多面的・多角的に理解するための理論的枠組みを意味する。
SLでは「サービス」という体験だけでなく、「ラーニング」という学び(認識)も大切にする。子どもが地域社会の課題に関心を持ち、その課題の解決に向けて提案・参加をしていく過程で、学問的な知識が必ず必要とされる。子どもは習得した学問的な知識を実際に活用することによって初めて、「生きて働く知識」を身に付けることになるのである。
(5)地域住民との協働を重視すること
SLがSLであるゆえんは、日本型SLの学習段階の「Ⅳ.提案・参加」の存在にある。この学習段階を充実したものとしていくためには、必ず地域住民との協働が必要となる。
子どもに重要な役割を担わせることで、地域社会も発展することができる。小学生も中学生もすでに「子ども市民」であり、大人と同じあるいはそれ以上の役割を担わせても、立派に地域社会を支えていくことができる。
SLの授業では、地域住民と子どもたちが同じテーブルで活発に意見交換する学習場面を設定したい。それが「協働」という発想である。(62~71ページ)
〇周知の通り、アメリカのSLの基礎(原型)は、ジョン・デューイ(John Dewey、1859年~1952年)の「経験主義教育」(注③)に見出される。アメリカでは、1970年代に「参加学習」、1990年代に「コミュニティサービス」の教育方法が注目される。そして、1990年に制定された「国家及びコミュニティ・サービス法(National and Community Service Act)」によって、SLが広く実践されることになる。類似の教育活動は、イギリスやフランスでは「シティズンシップ教育」、韓国では「自願奉仕」として1990年代後半以降に導入されている。
〇日本では、2000年以降、全国各地の学校・地域で社会参加学習を導入し、子どもの「市民性」や「公共性」を育成する先進的な教育実践が展開されることになる。お茶の水女子大学附属小学校の「市民」(2002年度設置)をはじめ、東京都杉並区立和田中学校の「よのなか科」(2003年度設置、2008年度「よのなか科NEXT」改編)、大阪教育大学附属池田中学校の「市民科」(2003・2004年度実施)、東京都品川区立小・中学校の「市民科」(2006年度設置。小中一貫教育)、東京都立高等学校の「奉仕」(2007年度設置。2015年度「人間と社会」改編)、京都府八幡市立小・中学校の「やわた市民の時間」(2008年度設置)等の学校設定教科・科目の開設などがそれである。その取り組みは、学校や教員、教育行政などのかかわり方によって多様である。また、社会科をベースにするか、道徳・特別活動・総合的な学習の時間として位置づけるか、地域社会や住民との協働をどのような形態で推進するか、などによって特色のある、地域性を生かした教育が展開されている。
〇また、2008年3月に改訂され、2012年4月から全面実施された中学校学習指導要領の「社会」「地理的分野」中の「身近な地域の調査」に、「身近な地域における諸事象を取り上げ,観察や調査などの活動を行い,生徒が生活している土地に対する理解と関心を深めて地域の課題を見いだし,地域社会の形成に参画しその発展に努力しようとする態度を養う」ということが記述された。続いて、2009年3月に改訂され、2013年4月から学年進行で実施された高等学校学習指導要領の「特別活動」において、「ボランティア活動などの社会奉仕の精神を養う体験的な活動や就業体験などの勤労にかかわる体験的な活動の機会をできるだけ取り入れること」が明示された。それらを受けて、さまざまな社会参加型の授業(体験的学習)が開発されるに至っている。
〇さて、唐木先生が文献(1)で提案するのは、「社会参加教育」といった新しい教育ではない。あらゆる教育を貫く「串」として「社会参加」を機能させることである(注④)。社会科教育に求められるのは「社会の変化に対応する教育」ではなく、「社会の変化を創造する教育」である。新・教育基本法(2006年12月公布・施行)が第1条(教育の目的)でいう「平和で民主的な国家及び社会の形成者」は、社会の変化を「創造する」教育においてこそ育てられる(154ページ)。これが唐木先生の主張である。
〇また、唐木先生は、「日本型」という概念を用いて、日本の社会的・文化的背景や学校教育(社会科教育)の現状に即したSLを提案する。しかも、「社会参加」と「SL」はいわゆる体験学習の一種であり、「教育方法」のひとつであるとして、授業づくりや学習活動について例示的・具体的に説く。そこにある唐木先生のテーマ(あるいは思想)は、「地域社会を意識した市民(community-minded citizen)」(166ページ)の育成である。それは、地域性に基礎を置きながら普遍性に通じるものである(注⑤)。
〇先行研究の少ないテーマや分野の研究では、「アメリカでは~」「イギリスでは~」といういわゆる「出羽の守(でわのかみ)」のパターンに陥りがちである。文献(1)はそうではない。「日本型」の提言の書であり、その具体化を志向する。また、唐木先生は、日本の「未来を創る子どもたち」や学校教育・社会科教育における「社会参加」について「熱い胸」を抱き、「冷たい頭」で探究する。初版から10年近くが経った今日でも、その問題意識や研究の姿勢は変わらない。文献(1)が「必読書」の所以でもある。僭越ながら敢えて付記しておきたい。
注
① 「すべてのものは相関連し、しかも、おのおの独自のものをもって、その定めの位置にいる。」(「奇蹟」ウォルト・ホイットマン著/長沼重隆訳『世界の詩集10 ホイットマン詩集』角川書店、1967年12月、189ページ)
② 「社会科の目標は、取りも直さず『公民的資質の育成』である。社会科の目標で公民的資質という言葉が初めて使われたのは1968(昭和43)年度版『小学校学習指導要領』である。『公民=市民+国民』と理解する枠組みは、今日まで継承されていると考えられる。公民という言葉の解釈次第では、社会科の使命が国家や社会に都合のよい人間を育てることだと曲解される可能性もある。社会科の教師であるなら、そのことは知っておいた方が良い。」(唐木 文献(1):30~31ページから抜き書き)
③ 「教育とは、経験の意味を増加させ、その後の経験の進路を方向づける能力を高めるように経験を改造ないし再組織することである」(デューイ著/松野安男訳『民主主義と教育(上)』岩波書店、1975年6月、127ページ)
④ 図1は、「〇〇教育と社会参加の関係性」を示したものである(唐木 文献(1):155ページ)。図2(「市民福祉教育と社会参加と共働の関係性」)は、図1をベースに、筆者の「市民福祉教育」に関する管見の一部を図示したものである。図中の「市民福祉教育」の横断部分は、国際理解教育や情報教育など、さまざまな教育(「〇〇教育」)と共通の基盤をもつことを意味する。「共働」は、共通の目標に向かって対等な立場で相互に協力・補完し合い、相乗効果をあげる活動を意味する。そこでは、横断的で緩やかなネットワーク(プラットホーム)の形成が重要となる。「市民」は、民主主義(自由・平等・人権)や公共性の感覚・意識を体得し、地域・社会全体の利益や福祉向上のために行動することのできる住民を意味する。
⑤ この言説は、筆者の「市民福祉教育」にも通底する。SLは、市民福祉教育を充実・発展させるためのひとつの考え方であり、教育方法(educational method)である。
補遺
中央教育審議会は、2012年8月の「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて―生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ―」という答申のなかで、大学教育におけるSLの必要性を強調している。その際、SLの用語について次のように説明している。
教育活動の一環として、一定の期間、地域のニーズ等を踏まえた社会奉仕活動を体験することによって、それまで知識として学んできたことを実際のサービス体験に活かし、また実際のサービス体験から自分の学問的取組や進路について新たな視野を得る教育プログラム。
サービス・ラーニングの導入は、①専門教育を通して獲得した専門的な知識・技能の現実社会で実際に活用できる知識・技能への変化、②将来の職業について考える機会の付与、③自らの社会的役割を意識することによる、市民として必要な資質・能力の向上、などの効果が期待できる。(「用語集」『同答申』38ページ)
なお、SLの考え方や実践について論じるときに、「コミュニティサービス(community service)」という用語(概念)が使われる。それは、「地域貢献活動」をはじめ「社会的活動」「サービス活動」「社会奉仕活動」などと訳される。コミュニティサービスは、意図的・計画的に展開される地域貢献活動(サービス=貢献活動)であり、SLにおいて利用される教育活動である。従ってそれは、一定の枠組みやノルマ(単位や卒業要件など)のなかで取り組まれ、「振り返り」や「評価」の作業が組み込まれる。周知のように、「ボランティア」は、活動の動機として個人の自発性や主体性が重要視される。