学校における福祉教育実践のプログラムとしてしばしば採りあげられるものに、「障害」の疑似体験や「障がい者」との交流活動がある。
前者については、車椅子やアイマスクなどが使われる。その際、障害理解にとどまらず、障がい者理解や障がい者の生活理解、さらには障がい者もその構成員である地域社会についての理解をすすめる。そして、それを通して人間を全人的にとらえ、人間の尊厳すなわち個々の人間の「実存」(よりよく生きる存在)に価値を見いだす。こうしたプログラムが準備されることは必ずしも多くない。
後者のひとつに、「あきらかにその姿や言動が自分たちとは違う障がい害」「障害を乗り越えて、いきいきと暮らす障がい者」との交流がある。そもそも「違う」こと(異質)はいけないのか、また障害は「乗り越え」(克服)なければならないのか。乗り越えなければならないバリアフルな考え方をもち、そうした社会や文化をつくっているのは誰か。こうした点を追究するプログラムは必ずしも多くない。
また、交流に際して、いまなおWHO(世界保健機関)のICIDH(国際障害分類、1980年)の考え方に基づいて障害や障がい者を捉えがちである。機能障害(Impairment)→能力障害(Disability)→社会的不利(Handicap)、がそれである。それに変わって、ICF(国際生活機能分類、2001年)の考え方に基づいて、個々の障がい者の生活にかかわる環境因子(Environmental Factors)や個人因子(Personal Factors)を重視する。そして、「何ができないか」よりも「何ができるか」というポジティブな側面に注目して、障がい者がいかに「活動」(Activities)、「参加」(Participation)しているかを考える。こうした福祉教育実践プログラムは、いまだ十分に開発・実施されているとはいえない。
福祉教育に関するキーワードのひとつである「共生」は、異質と同一、挫折と克服、受動と能動、そしていわれるように依存と自立、他律と自律、分離と統合、排除と包摂など、それぞれの相互関連性において成立する、といってよい。
学校福祉教育、しかも筆者(阪野)がいう市民福祉教育の一環としてのそれを実践する際に、障がい者をその客体や教材として位置づけることは許されない。市民福祉教育のねらいを達成するためには、障がい者をいわゆる「福祉教育サポーター」として位置づけ、ときには障がい者自身がプランナーやコーディネーター、ファシリテーターとしての機能や役割を果たすことができるプログラムが求められる。本稿では、福祉教育サポーターとしての障がい者のあり方をめぐって、以下の諸点を指摘しておくことにする。
(1)学校における福祉教育の指導者はあくまでも教師である。福祉教育サポーターとしての障がい者(以下、「社会人講師」と同じようなニュアンスで「障がい者講師」という。)は、教師との連携・共働のもとに直接的・間接的に子どもを指導・助言・援助する。また、ときには子どもと教師の間にあって意思の疎通を図ったり、子どもの理解や関心の程度に応じて個別的に対応するなどして、教育効果を高める役割を果たすことが期待される。
(2)障がい者講師による福祉教育実践は、障害や障がい者に対する理解と関心を広め、深めることにとどまるものではない。子どもや教師が、それを通して地域社会に関する関心と愛着をもち、障がい者らとともに偏見や差別のない福祉文化の創造や福祉の(による)まちづくりのための実践や運動に参加するのを促すものでなければならない。
(3)障がい者講師が自己の経験や知識・能力などを活かして子どもの指導・助言・援助にあたることは、自己の経験や知識をさらに豊かなものにする。とともに、生きがいの創造や社会参加・地域貢献の促進を図ることになる。すなわち、障がい者講師による福祉教育実践活動は、それ自体がそのまま自己表現や自己実現、さらには社会還元の活動でもある。
(4)障がい者講師による福祉教育実践活動が、豊かなあるいは特異な「社会経験」や、得意分野のある意味では専門的で個別的な「知識や情報」を単に子どもに伝えるだけでは、福祉教育の進展にはつながらない。障がい者講師には、福祉教育の意義と必要性についての基礎的理解をはじめ、子どもの学習関心や意欲・能力などを発展させるための指導者としての資質や基礎能力などの育成・向上を図ることが必要不可欠となる。
(5)障がい者講師を、豊かな経験や個別専門的な知識・技能を有する特定の者に限定することは、指導の「地域性」(地域性を活かした指導)の定着を困難にする。とともに、ときには「障害」「障がい者」「障がい者の生活」理解を差別的・慈善的なものにし、障がい者に対する偏見や差別を助長することにもなる。特筆すべき個別的な経験も知識・技能ももたない、その地域に暮らすいわゆる一般の障がい者をも視野に入れ、指導者としての確保と養成・研修を図ることが肝要となる。それによって、地域に根づいた、その地域ならではの確かな福祉観を体得することができる福祉教育実践の展開が可能となる。
(6)福祉教育実践を計画的・組織的・継続的に展開するためには、障がい者講師の組織化を図ることが必要となる。障がい者講師集団の結成は、障がい者同士の仲間意識や連帯感を生み、福祉文化の創造や福祉の(による)まちづくりへの連携・共働活動を促すことにもなる。また、障がい者講師の教育活動は、その障がい者講師が所属し、日頃活動する障がい者団体・グループの事業・活動との関連において展開されることが肝要となる。それによって、その教育活動がそれだけにとどまるのではなく、それを通して障がい者団体・グループの事業・活動の活性化を促すことが期待される。
(7)障がい者講師の指導者としての質・量の確保と有効活用を図るためには、人材の発掘、養成・研修、活用、そして評価という一連のプロセスが統一的・総合的に推進されなければならない。しかも、人材の発掘から活用を総合的に進めるためには、人材バンクの設置が必要かつ重要となる。また、評価を通して人材登録を行い、一定の研修を義務づけることによって、豊かな福祉教育実践の展開を促すことになる。そうした役割は、当面、社会福祉協議会や「市民活動センター」に期待されようか。
“確か”で“豊か”な市民福祉教育の推進を図るためには、本稿で採りあげた「福祉教育サポーター」の制度化が求められる。その際には、国や大学・民間団体等で取り組まれている「教育サポーター」制度がひとつの参考になろう。それに関する調査研究のひとつに、文部科学省の委託を受けて日本システム開発研究所が実施した「団塊世代等社会参加促進のための調査研究」がある。その『報告書』(2008年3月)では、教育サポーター制度を「学校や社会教育施設など教育関係機関において講師や指導者として、あるいは施設職員の補助として他者の教育活動を支援する人材を登録・派遣する制度」と定義づけている。また、神戸市では、2007〈平成19〉年度からユニバーサル社会の実現に向けて、「こうべUD大学」を開講し、「こうべUDサポーター」の養成を図っている。岐阜県可児市にあるNPO法人「NPOなんでもサポートセンター岐阜」では、2011〈平成23〉年5月に「岐阜コミュニティ創造大学」を設立し、「地域再生のため、新しい公共を担うリーダー」たり得る「コミュニティ創造士」(Community Creative Planner=CCP)の養成に取り組んでいる。これらも参考になろう。