阪野 貢/「中途半端さ」と「共事者」が “弱い紐帯の強み” を生む ―小松理虔著『小名浜ピープルズ』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、小松理虔(こまつ・りけん)著『小名浜ピープルズ』里山社、2025年5月。以下[1])がある。小松は「地域活動家」「ローカルアクティビスト」として知られる。[1]は、小松が生まれ・暮らす福島県いわき市小名浜での人との出逢いや触れ合い、出来事や活動の情景などを生き生きと描いたエッセイである。そこに書かれるのは、2021年つまり東日本大震災から10年を経た後の小名浜で生きる人たち(「小名浜ピープルズ」)と「ぼく」(小松)が交わした生の言葉(声)、すなわちリアリティである(19~20ページ)。その内容について[1]の “帯” は、こう記す。「東北にも関東にも、東北随一の漁業の町にも観光地にもなりきれない。東日本大震災と原発事故後、傷ついたまちで放射能に恐怖し、風評被害は受けたが直接の被害は比較的少なかった、福島県いわき市小名浜。著者はこの地で生まれ育ち〈中途半端〉さに悶えながら地域活動をしてきた。当事者とは、復興とは、原発とは、ふるさととは――10年を経た『震災後』を地元の人々はどう暮らしてきたのか。魅力的な市井の人々の話を聞き、綴った、災害が絶えない世界に光を灯す人物録」。そこで小松が問いかけるのは、今後も、どこかで起こりうる災害や出来事を、如何にして「自分ごと」として捉え、関わっていくことができるか(183ページ)、という点である。
〇[1]にしばしば登場する言葉に「中途半端さ」と「共事者」がある。その言葉に関する一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

中途半端な「当事者」としての葛藤
2011年の東日本大震災でも、ぼくの家はたしかに被災地とされる地域に含まれるけれど、倒壊したわけでも家族が命を失ったわけでもない。(11ページ)/たしかにつらい時期はあった。ぼくはある一面では被災者だったが、別の一面では被災者ではなかった。/ぼくは震災後、さまざまな活動を始めたが、外の人たちは、ぼくたちの活動を「被災地での取り組み」にカテゴライズしていく。ぼくはいつの間にか、「被災地でがんばっている男性」になった。(12~13ページ)。/ある時期から、ぼくの投稿は「福島で被災した当事者の声」としてひとり歩きしていった。閲覧数やリツイート数がものを言う世界で、自分の言葉に力を持たせるために、あるいはだれかを非難するために、「当事者」の言葉は好き勝手に都合よく持ち出され、本人の意志と関係ない方向で広がり、その先で論争をつくり出す。そこかしこに「真の当事者」が出現し、誤解や分断が深まり、語りにくい空気が生まれていった。部外者であればこんなことを悩まずに済んだのだろうか。ぼくは当事者と非当事者の間で、自分の「中途半端さ」に苦しめられた。(13ページ)

「共事者」という新しい視点
どこかに加害者としての側面があって、どこかで被害者の側面もある。ある課題では当事者であり、だけどある課題では当事者とは言えず、かといって無関心を決め込むわけにもいかないから、いろいろなことに興味や関心を持つけれど、すべての社会課題に関われる余裕もない。そういう中途半端で、曖昧で、揺らいでいる自分をそのまま丸ごと受け止めてみるしかないし、そこで踏みとどまるしかないんじゃないか。/なんなら、中途半端であることそれ自体に意味があるはずだし、当事者でも専門家でもないからこそ果たせる役割だってあるんじゃないか。そう考えられるようになって、ぼくは「わたしの被災」を語っていいんだ、そうやって自分の立場から語っていかないと震災や原爆事故の影響だってわからないじゃないかと思うようになった。そのプロセスで「共事者」なんと言葉が自分のなかから生まれた。共事者とは中途半端な人たちのことだ。自分自身の中途半端さに意味を見出したくて、つまり自分をなんとか勇気づけたくて出てきた言葉だった。(14~15ページ)

〇小松にあっては、東日本大震災で直接的な被害を免れたものの、被災地に住む者として当事者というレッテル(「被災地でがんばっている男性」)を貼られ、そのことが中途半端な当事者としての葛藤であった。そんななかで、地元でのさまざまな活動や人々との関わりを通して、この「中途半端さ」を否定するのではなく、それを受け入れ、むしろそこに意味を見出すようになる。すなわち、当事者と非当事者との間で揺れ動く存在を肯定的に認める。しかし、その立ち位置は、当事者でも専門家でもないという中途半端で曖昧なものである。またそれゆえに、それは多様な視点から物事を捉え、異なる立場の人々を結びつけ、新たな価値や役割を生み出す。その存在を小松は「共事者」と名付ける。
〇共事者は、「当事者の周囲にいて、関心を寄せたり、興味を持ったり、事の推移を見守ったりしている。つまり『事を共に』する」(177ページ)。小松はいう。「被災者とは言えないけれど被災地に生きている。被災地に生きているわけではないけどその土地に思いを寄せている。被災とは別の、でも似たような悲しみや苦しみを感じている。そんな『中途半端な人たち』が、ぼくたちの身近なところにたくさんいるということを忘れてはいけない」(18ページ)。
〇以上、小松が説く・提唱する「中途半端さ」とは、ある出来事において直接的な当事者ではないものの、無関係でもないという複雑で曖昧な立ち位置にある状態を指す。その葛藤からそれを肯定する過程で紡ぎ出された「共事者」という概念は、特定の事柄に対して当事者か非当事者(部外者、傍観者)かという単純な二項対立的な見方を超えて、より多角的で多様な「当事者性」や「共事者性」を認める視座を提供する。
〇また、「中途半端さ」を肯定し「共事者」という概念を創出したこの視点は、「まちづくり」においても大きな意味を持つ。それは、特定の専門家や一部の熱心な地域活動家だけでなく、それぞれが抱える「中途半端さ」や「曖昧さ」を認め合い、緩やかな連帯や共感のネットワーク(「弱い紐帯の強み」:アメリカの社会学者マーク・グラノヴェッター)を構築しようとするなかで「事を共にする」という、新たなコミュニティ形成のあり方を提示する。ここで、次の一文を引いておく(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「寄り添えなさ」に向き合う
その人が見ている世界と自分に見えている世界が異なるのだとすれば、同情は傲慢になり、共感は暴力になってしまわないだろうか。他者とまったく同じ経験をした人はいないのだし、結局のところ、その当事者本人に成り代わることもできないのだから。体験も経験も悲しみも死者との向き合い方も人によって異なる。あなたの悲しみ、わかります、などとはますます言えなくってしまう。/じゃあどうすればいいんだろう。(223ページ)。/ぼくにできることといえば、その「寄り添えなさ」にこそ向き合うことじゃないか。ぼくらはみな、だれかの悲しみのよそ者だ。いま目の前にいる人は、自分とは異なる方法で悲しみと向き合っているかもしれない。自分の知っている世界などちっぽけで、その外側に、幾重にも幾重にも世界が広がっているかもしれない。そう想像してみる。寄り添えない世界に立って、それでもなお、他者との間に、細々とでもいいから手繰り寄せられそうな線を探し出そうとする。そんな営みの先に、きっと新たな世界が広がっていく。(224ページ)

〇さらに言えば、➀「中途半端さ」と➁「共事者」、そして➂「寄り添えなさ」という3つの視点は、「市民福祉教育」においても重要な意味を持つ。例えば、「中途半端さ」は、それを否定するのではなく、その姿勢を受け入れ、意味づけることを通して自己肯定感を育む。「共事者」は、他者への無関心を乗り越え、他者と「事を共にする」という連携・協働の姿勢を促す。「寄り添えなさ」は、他者理解の限界を認めながらも、継続的な傾聴と対話を通じて真摯に向き合う心構えや態度を養う。そして、これらの視点(➀自己肯定感の育成、➁無関心の克服と協働の促進、➂対話の心構えの養成)から人々は、地域の出来事や課題あるいは「まちづくり」について、多様な人々との緩やかなネットワークを構築する。そしてまた、その過程で人々は、主体的・協同的に学び、新たな価値や役割を見出すことになる。付記しておきたい。