福祉教育は“教育する”ことができるのか:「差別」の権利と「共生」の義務―宮寺晃夫著『教育の正義論』読後メモ―

〇2016年4月、「障害者差別解消法」(「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」)が施行された。それによって、共生社会の実現をめざして、障がい者への「合理的配慮」が行政機関や学校、事業者などに義務化された。また、国民には、「障害を理由とする差別の解消の推進に寄与するよう努めなければならない」(第4条「国民の責務」)ことが求められた。「合理的配慮」とは、障がい者から社会的障壁の除去について要請があった場合、過度な負担にならない範囲で、障害に基づく差別(区別、排除、制限など)を解消するために行う必要かつ適当な変更や調整のことをいう。法律の施行から1年以上が経った。いま、「合理的配慮」をめぐって、福祉教育が取り組むべき具体的な実践的・理論的課題は何か、その追究が厳しく問われている。
〇2016年7月、知的障害者の大規模福祉施設「津久井やまゆり園」で、「相模原障がい者殺傷事件」が起きた。マスコミ報道によると、被告(植松聖)は、「最低限度の自立ができない人間を支援することは自然の法則に反する」と言う。事件の発生から1年が経過しても、彼の思考(観念、思想)には何のブレもない。彼は、「(その施設に)3年間勤務することで、彼らが不幸の元である確信をもつことができました」。「意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだと考えております」と言い切っている。また、その施設の家族会前会長(尾野剛志)は言う。「僕が名前と顔を出して息子のことを語るのも、黙ってしまうと植松に負けたことになるんじゃないかと思うからです」。「(施設の)建て替え問題にしても、(犠牲者の)匿名の問題にしても、知的障害者を含めた障害者と言われる方々が差別されているという現実が、まず問題だと思っています」。「差別を根本的に変えるには100年かかるかもしれません」(『創』第47巻第8号、創出版、2017年8月、22~39ページ)。
〇われわれの社会はこれまで、障がい者を「排除」「隔離」「分断」してきた。いままた、優生思想や排外主義が国民生活に影を落としている。そのようななかで、共生社会とは、その実現に向けた取り組みは、そのひとつとしての福祉教育の存在意義は、などについて根源的に問い直すことが強く求められている。福祉教育は“教育する”ことができるのか。福祉教育を正当化・有効化する理論的・実践的研究は進んだのか(注①)。
〇ところで、筆者(阪野)の手もとには、「未読」や「積読」(つんどく)の本が多少なりともある。また、本の読み方も、その関心や必要性に応じて、通読や精読、飛ばし読み、拾い読み、斜め読み、あるいは目次や見出し、注釈だけを読むなど、まちまちである。今回は、宮寺晃夫著『教育の正義論―平等・公共性・統合―』(勁草書房、2014年5月。以下「本書」。)を「通読」することにした。それは、あの日から1年以上が経った「障害者差別解消法」(施行)と「相模原障がい者殺傷事件」(発生)についてのひとつの“想い”によるものである。
〇本書は、宮寺(専攻は教育哲学)が2006年から2013年の間に発表した11本の論文を編んだものである。内容的には、教育基本法の改正や教育委員会の形骸化、道徳教育の特別教科化など、教育の国家統制や右傾化の推進が図られるなかで、「正義」の理念や概念から教育のあり方(「正義の教育」)を問うている。その際の基本的なスタンスは、「平等と教育」「公共性と教育」「統合と教育」について、さまざまな考え方や立場の人びとが参加して公平に議論する「公論の場」を取り戻す(「復興」する)ことにある。宮寺が求めるのは、現在の「閉鎖的で不正義」な教育体制の打破である。
〇本書に収録されている論文に、「政治と教育は『差別』にどのように向き合ってきたか―H・アーレントの『統合教育』批判―」(以下「本論文」。初出原稿:「教育学と政治学は出会えるか―アーレントの『統合教育』批判を読む―」『近代教育フォーラム』第16号、教育思想史学会、2007年9月、221~231ページ)がある。
〇アメリカ公民権運動における重大事件(人種差別暴動)のひとつに、1957年9月に発生した「リトルロック事件」がある(注②)。その事件を素材に、政治哲学者のH・アーレント(Hannah Arendt、1906年~1975年)が、1959年の論稿「リトルロックの省察 “Reflections on Little Rock”」で「統合教育(融合教育)」批判を展開した(注③)。例えば、アーレントによると、人間の生活・活動は「個人的領域」「社会的領域」「政治的領域」の3つの領域に分けられる。それぞれの領域の支配原理は、個人的領域は「排他性」、社会的領域は「差別=識別」、政治的領域は「平等」である。学校は、社会的領域に属するものであり、白人と黒人の「人種統合教育」という政治的課題を社会的領域に持ち込むことは領域侵犯(社会的領域への政治介入)である(注④)。
〇本論文で宮寺は、アーレントの「統合教育」批判を手がかりに、「共生の強制は個人の自由と両立するか」(205ページ)という問題について、教育(論)と政治(学)との対比のもとで検討する。例えば、上述のアーレントの言説については、宮寺は、「『統合された学校』は、家庭環境、階層、人種など多様な出自と文化的背景を有する子どもに占められており、(中略)政治的実験場とみられてしかるべきである。このことにあえて着目しないアーレントは、学校論、いや教育論を、彼女の政治学のなかに正当に位置づけていない」(207ページ)。アーレントは、「あくまでも、『統合教育』の正当化を義務論の観点で追究しようとする」。「『統合教育』がもたらす効用(帰結論)には一切言及していない」(205ページ)と批判する。
〇すなわち、宮寺は、「学校が社会的領域に属する空間であるのは、あくまでも子どもにとってであり、大人にとっては、学校が同時に政治的領域にも属する」。大人は、「親として、地域社会の一員として、国家の担い手として、(個人的領域、社会的領域ばかりでなく、政治的領域にも)それぞれ異なる役割を同時に演じ、異なる責任を同時に負っている」(206ページ)と言う。また、宮寺にあっては、統合教育は「融合」をもたらし、「寛容と協和の精神」(205ページ)を芽生えさせるのである。
〇以下では、本論文の読後メモとして、「教育と政治における差別」をめぐって、アーレントと宮寺の言説のいくつかを抜き書きすることにする。それは、「福祉教育」について議論する際のひとつの視点・視座でもある。

(1) 「差別=識別」と「差別=分断」/識別の軽視は画一化や等質化を進め、逸脱者を排除する/「みんな違うけど、みんな仲間」
日本語で表わせば、どちらも「差別」と訳される英語に、「ディスクリミネーション」(discrimination、差別=識別)と「セグリゲーション」(segregation、差別=分断)がある。(192ページ)
人びとの間には、身体や性向や能力や育ちなどの点で、さまざまな差異がみられる。差別=識別(ディスクリミネーション)とはその差異の見極めのことであり、それに基づいて、人びとはそれぞれ交渉の相手を選び、交際の範囲を画する。誰とでも等しく付き合うべきだ、と言われても、仕事を一緒にしたり、休暇を共に過ごしたりする相手や仲間は、やはり差異の見極めに基づいて絞(しぼ)られていく。そうすることで社会が成り立っている、とアーレントは次のように断言する。「どのような程度にしろ、なんらかの差別=識別がなされないならば、社会はすぐに存在しなくなるであろうし、人と人との自由な結びつき(フリー・アソシエーション)や仲間づくり(グループ・フォーメーション)といった大変重要な可能性もなくなるであろう。」そうした差別=識別、すなわち差異の見極めが軽視されていくと、人びとは“誰でも一緒”という画一主義(コンフォーミズム)におちいり、やがてそれは国家の構成員を等質性(ホモジャニーティ)へと導いていくことになる、とアーレントは言う。(中略)アーレントにとって、国家の構成員の等質化は、とりもなおさず人種的少数者の言論と行為を封殺し、かれらを異邦人に仕立ててしまうことにつながる。それだけに、等質にみえる人びとの間に差異を再認し、異化しつづけていくことは、国家の構成員が画一主義に同調していかないために重要である、とアーレントはみている。(192~193ページ)
この差別=識別が、いわれのない偏見と結びつくと、人びとの間に分断を生じさせる。(193ページ)

(2) 教育と政治における「差別」/理念と現実、本音と建前は乖離する/「賛成と反対を超える」
教育(論)の現場では、「差別をしてはいけない」のは証明が不要な“公理”であり、それが目的にすえられる限り、「なぜ差別してはいけないのか」という発問は、差別意識を取り除くための反問として使われることはあっても、「差別は社会的権利である」という“命題”に展開されていくことはまずない。それに対して、「差別する人もいる」、「そういう人を無くすことはできない」という複数性(さまざまな立場からの討議)を踏まえて差別問題に取り組むのが政治学である。ここには、明白なズレがある。政治と教育の間には容易に越えられない溝があり、そこに架橋するには、実践的だけでなく、理論的にも重要な課題が残されている、とアーレントは示してくれているように思われる。(210ページ)

(3) 社会変革と「進歩主義の教育」/児童中心主義の教育は、大人の責任を子どもに転嫁する/「共生社会づくりは、みんなの手で」
アーレントにとって、社会を変革していかなければならない主体は(中略)子どもではない。社会の矛盾を正していかなければならないのは大人(中略)である。大人の教育責任は(中略)自分たちの社会に子どもを導き入れていくことにある。大人はこの責任を逃れて、社会変革の可能性を将来の大人に期待している。これは責任転嫁にほかならないが、大人の責任放棄に支持を与えてしまっているのが、アーレントによれば進歩主義の教育である。それは「子ども中心主義」とも呼ばれ、ジョン・デューイの教育理論の代名詞ともされている。社会が長年にわたり解決しようとしながらも、未解決のままに残されている難題を、「子ども中心主義」の名で子どもに押し付けているのが進歩主義の教育である、とアーレントはみている。そうした難題に、人種差別の解消と人種の融合がふくまれている。「統合教育」は、まさに大人の、いや人類の宿題を子どもに託するようなものである。(199ページ)

〇一般的に使われる「差別」という言葉は、国籍や障害、性的指向などの差別対象の多様化や、知る権利やプライバシーの権利、自己決定権などの人権概念の拡大が進むなかで、その定義づけが難しくなっている。「差別」には、政治的権力(法制度や行政施策など)と社会的権力(企業やメディアなど)、そして個人などによる差別がある。また、実態的差別(差別の行動や生活実態)と心理的差別(差別の観念や意識)がある。差別意識には、現実の差別実態に基づいて形成(学習)されたものと、支配者側の権力によって差別思想が注入されたものとがある。
〇これまで、福祉教育は、「社会福祉問題」としての「差別」を実践・研究対象としてきた。しかし、そこでの議論は、「共生社会の実現」という視点からのものが多く、「差別」の実態を深く鋭くえぐれ出し、それを広く社会に“告発”して「社会問題」化してきたか。また、権力に強く“対抗”してきたかというと、疑問符が付く。さらに言えば、これまでの福祉教育論では、高齢者や障がい者、外国籍住民などの「差別される側」の視点に立った議論に留まり、「差別される側」に内在する「差別」(「被差別者間差別」)や「差別する側」の問題について十分に議論されてきたであろうか。これまた、疑問とするところである。
〇福祉教育は、「啓発」と「教育」、「学校を中心とした領域(学校福祉教育)」と「地域を基盤とした領域(地域福祉教育)」、「福祉教育事業」と「福祉教育機能を有する事業」のように大別されてきた。福祉教育は、市民主体のまちづくりを進める教育事業・活動であり、子どもや高齢者、障がい者などすべての市民(住民)の参加を必要とする。また、福祉教育は、地域の社会福祉問題を素材とすることから、それぞれの教育領域や事業・活動だけで自己完結はしない。連携・協働(「共働」)が重視される。これまでの2分法の止揚をめざす「市民福祉教育」の探究が求められるところである。
〇「弱者である障害者に思いやりの心で接するのは健常者として当然のことです」。これは、「差別する者」と「差別される者」がその場(教室)にいないことを前提にした、T市の学校福祉教育(障がい者との交流授業)における教員の指導である。「われわれは社会の底辺にいるお年寄りのために援助の手を差し伸べるべきである」。これは、S市の地域福祉計画策定委員会における策定委員(高齢者)の見下し(みくだし)発言である。筆者がそこで感じたことのひとつは、違いを認めない「同調意識」や「同調圧力」であった。福祉教育の“怖さ”でもある。


① 福祉教育では、共生や共生社会について、「総論賛成、各論反対」という言い方をしてきた。「相模原障がい者殺傷事件」は、総論そのものを否定し、総論自体の合意形成が図られていない現実を露呈させたと言われる。いま、単なる実践プログラムやHow toではなく、福祉教育本質論についての歴史的・理論的研究が求められる(市江由紀子・戸枝陽基・原田正樹「〈鼎談〉地域共生社会の実現に向けて―障害差別と偏見に向き合う―」『日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要』第28号、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2017年6月、18ページ)。
② 宮寺は、「リトルロック事件」をめぐるアーレントの論稿について次のように解説している。

論文「リトルロックの省察」(1959)は、南部のアーカンソー州の州都リトルロックの公立高校での「統合教育」(インテグレイテット・エデュケーション)、つまり白人生徒と黒人生徒の共学の実施をめぐり、これまで入学を認められなかった黒人生徒の入校を妨害しようとして起きた“暴動”の鎮圧に、州政府(フォーバス知事)が消極的であったこと、いや、単に消極的というよりも、州兵を出動させて黒人生徒の入校を阻止したことに対して、連邦政府(アイゼンハワー大統領の共和党政権)が連邦正規軍を投入して、黒人生徒の入校を確保したことにふれて書かれたものである。リトルロックの“暴動”は、「統合教育」の徹底により人種差別の撤廃を図る中央政府と、それに消極的な州政府との対立を象徴する出来事として、全米の注目されるところとなった。アーレントは、論文「リトルロックの省察」で、中央政府による「統合教育」の強行実施に批判的なスタンスをとっている。とはいえ、もちろん州当局による「分離教育」の続行を支持しているわけでもない。学校という社会と地続きの空間を、政治的な力を行使してまで平等化しようとすることが、どこまで正当か、という問題をアーレントは提起するのである。(196ページ)

③「リトルロックの省察」は、「リトルロックについて考える」と題して、ハンナ・アレント著/ジェローム・コーン編/中山元訳『責任と判断 “Responsibility and Judgment”』(筑摩書房、2007年2月、253~277ページ)に収録されている。以下は、「訳者あとがき」の一節である。

「リトルロックについて考える」は、リトルロック事件の直後にアレントが書いた文章であり、(中略)リベラル派を刺激し、アイヒマン裁判のときにおとらぬ激しい批判にさらされた文章である。同時代の事件について書いていたアレントにはよくみえない事実などもあったようだが、アレントのスタンスは明確であり、黒人の生徒たちを人見御供(ひとみごくう。生贄(いけにえ)として差し出すこと:阪野)のようにして、白人と黒人の教育の分離の問題を解決させるのは間違いだというものである。
この事件が公民権運動にもたらした影響はきわめて大きく、生徒たちは結局は「ヒーロー」となり、黒人の権利回復に貢献することになった。結果としてはアレントの見込み違いという側面もあるのはたしかだが、このアレントの判断の背後には、幼い頃のユダヤ人としての経験があることも見落とすべきではないだろう。(中略)当時のドイツでは反ユダヤ主義的な傾向が強かったが、アレントの母親は学校において教師が反ユヤダ主義的な発言をした場合には、アレントに直ちに退席して帰宅して報告するように告げていた。そして母親は校長に抗議の手紙を送るのだった。しかし仲間の生徒たちから反ユダヤ主義的なからかいをうけても、ただひたすら耐えるようにと告げていたのだった。
アレントはこの母親の教えの背後にある基本的な考え方を、この論文では明確な原則として作りあげている。学校という領域は政治的な原則と社会的な原則が交錯する場である。教師は平等性を原則とする政治的な立場に立たされている。しかし仲間の生徒たちとアレントは、差別を原則とする社会的な領域で生きているのである。この原則の違いは明確なものであり、公民権運動にたいするアレントのスタンスを明確にする上で役立っているのである。(390ページ)

④ この点をめぐって、アーレントは次のように述べている。その前段で彼女は、「政治体において平等はそのもっとも重要な原則であるが、社会におけるもっとも重要な原則は差別である。社会とは、政治的な領域と私的な領域にはさまれた奇妙で、どこか雑種のようなところのある領域である」(『責任と判断』266ページ)と言う。

大衆社会とは、差異の境界をあいまいにして集団の違いを均(な)らす社会であり、これは個人の全人格的な一体性よりも、社会そのものに危険をもたらすものである。個人的な全人格的な一体性の〈根〉は、社会的な領域の彼方にあるからである。しかし順応主義は大衆社会だけの特徴ではなく、すべての社会でみられるものである。その集団を集団たらしめる差異の全般的な特徴に順応しない人々は、その社会的な集団にうけいれられないのである。アメリカにおける順応主義のもつ危険性は(これはアメリカ合衆国の建国以来の危険性である)、住民がきわめて不均質であるために、社会的な順応主義が絶対的な力を発揮して、国民としての均質性に代わる傾向があることだ。
いずれにせよ政治体にとって平等が不可欠なものであるのと同じように、社会にとっては差別と差異は不可欠なものなのだ。だから重要なのは、どうすれば差別をなくすことができるかではなく、どうすれば差別をそれが正当に機能する社会的な領域のうちにとどめておくことができるか、そして差別が破壊的な力を発揮する政治的な領域や個人的な領域にはいり込まないようにできるかということにある。(『責任と判断』267ページ)