自己教育力と市民福祉教育

市民福祉教育は、福祉文化の創造や福祉の(による)まちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な住民(市民)の育成を図るための教育活動である。市民福祉教育のこのような規定は、内実的には、子どもから大人まで、教育の全領域において、また生涯学習とのかかわりで「自己教育力」(self-directed learning、self-educational ability)の育成を必要とする。
自己教育力という言葉(概念)は、社会教育における基本的な概念のひとつである「自己教育」と同様に、多義的で、その解釈は多様であ。たとえば、稲川三郎は、その著『自己教育力を育てる指導の実際』(黎明書房、1985年)で、自己教育力とは、「字義的に解釈すれば、『自分が』『自分を』『教育する』『力』ということになる。あるいは、『自分で』『自分を』『教育することのできる』『力』ということになる。と言うと、『自分が自分を』『自分で自分を』というのであるから、同じひとりの自分の中に、『教育する自分』と、『教育される自分』とが、なければならないということになる」(70ページ)と述べている。稲川によるこの部分の説述については、平易で分かりやすいとはいえ、その本質すなわちその性格や内容などについて理解するには不十分であるといわざるを得ない。
ところで、学校教育の改善策のひとつとして自己教育力の育成を最初に提唱(政策提言)したのは、1980年代の中央教育審議会である。具体的には、第13期中央教育審議会に設置された「教育内容等小委員会」が、1983年11月にそれまでの審議結果を取りまとめた「審議経過報告」においてである。そこでは、「自己教育力とは、主体的に学ぶ意志、態度、能力などをいう」として、次の3点について説いている。(1)「自己教育力とは、まずもって、学習への意欲である。児童生徒に学習への動機を与え、学ぶことの楽しさや達成の喜びを体得させることが大切である」。(2)「自己教育力は、さらに学習の仕方の習得である。今後の社会の変化を考えると、将来の日常生活や職業生活において、何をどのように学ぶかという学習の仕方についての能力を身に付けることが大切である」。(3)「自己教育力は、これからの変化の激しい社会における生き方の問題にかかわるものである。特に中等教育の段階では、自己を生涯にわたって教育し続ける意志を形成することが求められている」(『文部時報』第1279号、ぎょうせい、1983年、32~33ページ)。すなわち、自己教育力は、(1)学習への意欲、(2)学習の仕方の習得、(3)生き方の探求(生涯にわたる自己教育の意志の形成)、の3つの構成要素からなる、というのである。
なお、この「『自己教育力』の育成」等の「報告」は、「答申」でないがゆえに、学習指導要領の改訂にはつながらなかった。また、自己教育力という言葉に関しては、教育内容等小委員会の報告が出される10年以上も前、1971年4月の社会教育審議会答申(「急激な社会構造の変化に対処する社会教育のあり方について」)のなかで、社会教育の基礎は「自発的な学習意欲」にあることが力説されている。中央教育審議会は、1981年6月に「生涯教育について」の答申を出すが、そこでは、「今日、変化の激しい社会にあって、人々は、自己の充実・啓発や生活の向上のため、適切かつ豊かな学習の機会を求めている。これらの学習は、各人が自発的意思に基づいて行うことを基本とするものであり、必要に応じ、自己に適した手段・方法は、これを自ら選んで、生涯を通じて行うものである。その意味では、これを生涯学習と呼ぶのがふさわしい」とされた。この点を付記しておく。
第13期の中央教育審議会教育内容等小委員会報告以降、自己教育力について述べているものに、1984年9月に内閣総理大臣(中曽根康弘)の諮問機関として設置された臨時教育審議会の答申がある。たとえば、1986年4月の第2次答申では、「初等中等教育の改革」に関する「教育内容の改善の基本方向」について、「初等中等教育においては、生涯にわたる人間形成の基礎を培うために必要な基礎的・基本的な内容の修得の徹底を図るとともに、社会の変化や発展のなかで自らが主体的に学ぶ意志、態度、能力等の自己教育力の育成を図る」と述べ、具体的には「創造力・思考力・判断力・表現力の育成」(『教育改革に関する答申(第一次~第四次)』大蔵省印刷局、1988年、87ページ)を重視している。また、同答申では、「これからの学習は、学校教育の自己完結的な考え方を脱却するとともに、学校教育においては自己教育力の育成を図り、その基盤の上に各人の自発的意思に基づき、必要に応じて、自己に適した手段・方法を自らの責任において自由に選択し、生涯を通じて行われるべきものである」(67ページ)。そのためには、「生涯学習を可能にし、促進し得るような社会の制度と慣行を生み出す学習社会の建設」(65ページ)をめざした、「生涯学習体系への移行」による「21世紀のための教育体系の再編成」が必要である、としている。
その後、第15期中央教育審議会が、1996年7月、「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の第1次答申において、「ゆとり」のなかで「生きる力」を育むことを重視する、と提言した。その点に関して次のように述べている。「これからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を『生きる力』と称することとし、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた」。
次いで、2003年10月には、第2期中央教育審議会によって、「初等中等教育における当面の教育課程及び指導の充実・改善方策について」答申がなされた。そこでは、「生きる力」を知の側面から捉えた「確かな学力」の育成を進めるべきであることの考え方が示された。そして、「子どもたちに求められる学力としての『確かな学力』とは,知識や技能はもちろんのこと,これに加えて,学ぶ意欲や,自分で課題を見付け,自ら学び,主体的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力等までを含めたものであり,これを個性を生かす教育の中ではぐくむことが肝要である」と述べている。
「自己教育力」は、およそ以上のような答申や報告に基づく教育施策の歴史的変遷のなかで、今日の学校教育におけるひとつの鍵概念である「生きる力」や「確かな学力」などに包含される重要な能力として位置づけられている、といえよう。なお、発表(発行)の時期は前後するが、ここで、当時日本教育新聞編集局長であった有園格の次の論説に留意しておきたい。「自己教育力のとらえ方、考え方にはさまざまな解釈、論理の展開がみられる。しかしこれは自己教育力を人間の基本的な諸能力、価値志向、生き方の探究などを包括した統合概念として位置づけてきたからである。だからといって統合概念としての自己教育力の位置づけが間違っているとはいえないし、むしろ人間の問題を統合的にとらえる教育観および教育実践の目を育てることに役立つものと考える」(「教育改革論議と自己教育力」北尾倫彦編集『自己教育力を考える』(別冊指導と評価2)日本図書文化協会/図書文化社、1987年、18ページ)。
ここで、自己教育(力)に関するひとつの言説を紹介しておくことにする。今日おいてもしばしば引用あるいは援用される、梶田叡一のそれである。
梶田は、その著『自己教育への教育』(明治図書、1985年)で、「教師によって、またその学校での教育によって、教えられ育まれてきたものを土台として、自分自身でさらに学び、成長し続けることができるかどうかということ」、すなわち「自己教育の力を育てるということは、学校教育の持つ本質的な使命である。いや、教育という営みの全てが持つ本質的な使命と言ってもよい」(11ページ)。「自己教育とは、結局のところ、その人の生き方の問題にほかならない。(中略)自らの接するところ体験するところのすべてを、自己の認識の拡大深化のための糧とし、自己成長のためのきっかけとする、というのが自己教育である」(49、52ページ)と説いている。そして、自己教育への構えや意欲、そのための技能(「自己教育の構えと力」)を意味する「自己教育性」は、次の4つの側面が特に重要な意義をもつと考える。(1)成長・発達への志向、(2)自己の対象化と統制(コントロール)、(3)学習の技能と基盤、(4)自信・プライド・安定性、がそれである。それぞれについて、梶田は、(1)は、自分なりの「ねがい」(長期的な目標)と「ねらい」(当面の目標や課題)、そして「やる気」(達成と向上の意欲)をもって、自己の成長・発達をめざす力、(2)は、自分自身の現状や課題、可能性などについて認識、評価し、自分自身をコントロールして一定の方向へ向けていく力、(3)は、基礎的・基本的な学力(知識、理解、技能)と、それに基づく学び方の能力(知識、技能)、(4)は、以上の3つの側面を支える、自分なりの自信とプライド、そしてそれに支えられた心理的な安定性、であると述べ、自己教育力はこうした4つの側面から構成されるとしている(36~53ページ)。
以上から、ここで、論拠が不十分であることは承知のうえで、市民福祉教育のひとつの鍵概念となる自己教育力についての管見を述べておくことにする。
その要点は、自己教育力は学習への意欲の形成や学習の仕方の習得などとして狭く捉えるべきではない。自己教育力は、学校教育においてのみ育成されるものではない。それは、稲川がいう「自分が自分を」「自分で自分を」教育する力だけではなく、他者や、自分を取り巻く社会的状況や文化的環境、自分のライフステージやライフスタイルなどによって影響される。すなわち、自己教育力は、生涯にわたって自発的に学ぶ意欲(欲求と意志)や姿勢をもって、地域・社会の新たな変化や問題状況に主体的かつ積極的に対応し、自分ひとりであるいは他者と協働しながら、課題解決を自律的・能動的に図るために必要な能力である。それは、自らの生き方について、自省しながら是正・改善し、よりよい生き方を創造していく能力でもある。そういう点において、自己教育力は、「自己学習」「自己形成」「自己啓発」「自己統制」「自己陶冶」「自己実現」等々の概念を統合したものである。そしてそれは、福祉の(による)まちづくりにつながり、またつなげなければならない重要な概念である、といえよう。市民福祉教育は、こうした自己教育力をいかに育成し、その伸長を図るかが問われるのである。
なお、自己教育力に似た言葉に「自己学習力」がある。それは、知識や情報などを対象に、単に自分でそれらを学び、身につれる力を意味する。自己学習力は、自己教育力とは異なり、自らの「生き方」の問題やよりよい価値の創造を含まない言葉(概念)である。付記しておく。