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阪野 貢/フレイレの「教育論」再読:社会変革(まちづくり)のための「対話」再考のために ―パウロ・フレイレ著『被抑圧者の教育学』等のワンポイントメモ―

夢がなければ、変化はありえない。希望なしには夢がありえないように。/たたかいは希望を生み出す母体だが、希望が消えるときに闘いは息絶えるのだ。/いまある状態が、すべてではない。ものごとを変える、変えることができる、という意志と希望を失ったそのときに、教育は、被教育者にたいする非人間化の、抑圧と馴化(じゅんか。環境に適応していくこと)の行為の手段になっていく。(下記[2]127~128、253ページ、帯)

〇筆者(阪野)の手もとに、批判的教育学の先駆者として知られるブラジルの教育学者・哲学者パウロ・フレイレ(Paulo Freire、1921年~1997年)の本が2冊ある(それしかない)。『被抑圧者の教育学』(1968年。新訳版、三砂ちづる訳、亜紀書房、2011年1月。以下[1])と、『希望の教育学』(1992年。里見実訳、太郎次郎社エディタス、2001年11月。以下[2])がそれである。もう一冊、フレイレ研究の第一人者と評される里見実の『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』(太郎次郎社エディタス、2010年4月。以下[3])がある。
〇[1]の中心テーマは、ヒューマニゼーション、すなわち「人間化」についてである。フレイレにあっては、人間は「より全き人間であろうとすること」([1]22ページ)をめざす、未完の存在である。その人間は、非人間的な状況(抑圧状況)に置かれ、「自由への恐怖」を覚えている。人間化は、そうした抑圧の現状を直視し、その状況を批判的に再認識して、社会を変革するよう行動する主体になっていくことをいう。自由への恐怖は、抑圧者においては抑圧する自由を失う恐れであり、被抑圧者においては自由を引き受ける=責任を引き受けることへの恐れである。「抑圧者の暴力は、抑圧者自身をも非人間化していく」([1]22ページ)のであり、抑圧者も被抑圧者も非人間的な状況に置かれているのである。そこにおいて、抑圧からの解放を可能にするのは、抑圧者ではなく、非抑圧者である。非抑圧者は、客観的な現実を主観的に認識すること〔A〕によって自分の状況を捉えなおし、批判的思考態度を醸成する。そして、そのプロセス(「意識化」)を通して主体的に社会の変革を図ろうとする行動を取る(「人間化」)、そういう存在である。その際、抑圧からの解放を可能にするためには常に、「自由」を探究・希求する姿勢〔B〕が必要不可欠となる。その際の本当の自由は、自律的に生き、責任を引き受けるところにあり、それは抑圧-被抑圧の関係を乗り越える、双方による「対話」によって可能となる。フレイレはいう。

〔A〕
主観性と客観性が弁証法的に合一し、認識は行為と、逆に行為は認識と連動する。このような弁証法的な合一性が、現状の変革という現実への行為と思考を生み出すのである。([1]13~14ページ)

〔B〕
自由とは、成し遂げて手に入れるものであり、与えられるものではなく、常に探求する姿勢によって得られるものだ。常に探求する姿勢は、責任ある行動を要求する。自由であるための自由、はだれにもない。自由がないから自由のために闘う必要がある。自由はまた、人間にとって届くところにないような理想目標というわけではない。神話をつくり上げるようなものでもない。常に自由を探求していく姿勢というものが、常によりよき存在であろうとする人間にとって欠くべからざることである。([1]29~30ページ)

自由への恐れがあるかぎり、他の人と連帯はできないし、他の人の呼びかけも、自分への呼びかけも聞こえてこないし、本当の意味での共生、共に生きる、ということを目ざすこともできない。ただ群れて集まることを好むだけだ。自由を希求する過程でもたらされる豊かな創造的な人間同士の交わりよりも、自由でない状況に適応することを好むようになる。([1]31ページ)

自由とはだから、出産のようなものだといえよう。痛みをともなう出産である。この出産によって新しい人間が産み出される。抑圧する者とされる者の間の矛盾を乗り越え、そのどちらの側にも自由をもたらして、生き生きと生きるような新しい人間。/矛盾を乗り越えることとは、もはや抑圧する者でも抑圧される者でもない、本来の意味で自由な新しい人間を世界に送り出す、という出産と同じ行為なのだ。([1]32ページ)

〇ところで、“パウロ・フレイレ”の『被抑圧者の教育学』というと先ず、「銀行型教育」と「問題解決型教育」という言葉・概念を思い浮かべる。
〇「銀行型教育」(「預金型教育」[3]108ページ)とは、教師が預金者で生徒が預金箱(銀行口座)であるかのように、教師が生徒に対して一方的に知識や情報を「伝達」し、生徒はそれをただ受動的に受け取るだけという教育形態をいう。フレイレはいう。

「銀行型教育」の発想では、人間は適応しやすく御しやすいものである、と認識されてしまうことはまったく驚くにあたらない。知識を詰め込めば詰め込むだけ、生徒は自分自身が主体となって世界にかかわり、変革していくという批判的な意識をもつことができなくなっていく。/受動的な態度をより従順な形で求められれば求められるほど、世界は変革すべきものではなく、与えられている現実のかけらが世界であり、そこに適応するしかない、と感じるようになる。([1]83ページ)

〇「問題解決型教育」(「問題化型教育」[3]135ページ)とは、教師と生徒が対等な「対話」を通して互いに学び合い、生徒が主体的に現実の状況を問題化し、批判的に思考し、問題の解決策を探求し、社会変革への参加を促すという教育形態をいう。フレイレはいう。

対話なくして問題解決型学習はない。/対話を通して矛盾を超えていくところには、結果として新しい関係性が生まれる。(中略)教育する側とされる側は対等な関係として立ち現れてくる。([1]102ページ)/問題解決型教育を目ざす教師は、生徒の認識活動に応じて、常に自らの認識活動をやり直していく。生徒は単なる従順な知識の容れ物ではなく、教師との対話を通じて、批判的な視座をもつ探求者となる。そしてその教師もまた同様に批判的な視座をもつ探求者となっていく。([1]103~104ページ)/問題解決型教育は固定した反動主義(体制維持:阪野)ではなく、革命的な未来を目ざしている。([1]111ページ)

〇フレイレは、晩年の主著である『希望の教育学』のなかで、下記のようにいう。すなわち、「私が考えるだけでは、考えたことにならない」のであり、同じ土俵に乗って、民主主義的な立場で相手と「対話」することによって、はじめて考えることができるのである([3]30ページ)。

「もし他人もまた考えるのでなければ、ほんとうに私が考えているとはいえない。端的にいえば、私は他人をとおしてしか考えることができないし、他人に向かって、そして他人なしには思考することができないのだ」/これは対話的な性格をふくんだ定言であり、したがって、権威主義者にはなじまない。だからこそ権威主義者たちは対話を、生徒の教師の思想の交流を、頑強に忌避するのである。/教師と生徒の対話は、両者を同等の立場に立たせるものではないが、しかしそれは、両者の立場を民主主義的なものにする。(中略)対話は対話に参加する諸主体の相互の尊敬、権威主義が引き裂き、妨げてきた互いに尊重しあう関係の樹立を意味しているのである。([2]163~164ページ)

〇フレイレは、[1]のなかで、「教育の対話性」について言及する。具体的には、対話に必要な5つの条件を示す。「愛」「謙虚さ」「人間への信頼」「希望」「批判的思考」がそれである。それぞれの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

世界と人間に対して深い愛情のないところに対話はない。世界を引き受けることは創造と再創造の営みであり、愛のないところでそういうことはできない。/愛は対話の基礎であり、同時に対話そのものでもある。お互いの主体的な関係のうちに立ち上がるものであり、支配したりされたりする関係のうちに生まれるものではない。([1]122ページ)

謙虚さのないところにも対話はない。人間というものが続いていくこの世界を“引き受ける”ためには傲慢であってはならない。/対話は人と人がお互いに出会い、お互いの知恵を共有するような行為だから、どちらか一方が謙虚さをもたなければ、対話として成り立たない。([1]124ページ)

人間という存在に深い信頼がなければ、対話は成立しない。人間はなにかをすることができ、また再び何らかの行為に向かうものである、ということへの信頼。創造し、再創造する力への信頼。人間はよりよきもの、全きものを目ざすものである、ということへの信頼であり、また人間のそのような力は一部のエリートだけの特権としてあるのではなく、すべての人の権利としてあるのだ、ということへの信頼、のことである。/人間への信頼は対話の“先駆的”与件とでもいおうか。対話の前にすでにそこにあるべきものだ。([1]125~126ページ)

愛、謙虚さ、人間への信頼、これらがあってはじめて対話は水平的なものとなり、お互いの関係が本来の意味での深い、“信頼”に満ちたものになることは当然である。(中略)だからこそ、「銀行型」の教育に深い信頼関係が生まれることがないのである。([1]127ページ)

希望のないところには対話もない。人間は不完全なものであり、だからこそ希望が人間の本質であり、だからこそ探求を止めない。/対話というものは、“よりよき存在”に近づきたいとする人間同士の出会いなのであるから、絶望のうちに行なわれるものではありえない。話す人が自分のやっていることに何の希望ももっていないのならば、対話することは無理である。出会いは空虚で実りのないものとなってしまう。([1]128~129ページ)

本来の意味での思考がないところには、どこまでいっても本来の対話はない。批判的に思考すること。それは、世界と人間を対立するものとしてとらえる発想を認めず、世界と人間のわかちがたい共生について考えていくことだと思う。/具体的にいうと、それは、現実に起こっていることを、固定されたものとしてとらえるのではなく、プロセスととらえ、常に生成されていくものとしてとらえるということでもある。([1]129ページ)

〇フレイレがいう「問題解決型教育」は、子どもや教師、保護者や地域住民が暮らす地域に顕在化する課題やテーマに向き合うことから始まる。そして、生徒と教師は、対等な立場で相互的に、その課題やテーマについて対話し、理解を深め、批判的思考力を養い、社会変革に参加する。その際の地域の課題やテーマは、国レベルのそれであり、グローバルな世界レベルのそれでもある。そういった「グローカル」な認識(地球規模の視野で考え、草の根の地域視点で行動すること)が重要となる。その点に関して、フレイレの次の一文を引いておく。

リージョナル(地域的)なものはローカル(地方的)なもののなかから立ち現れ、ナショナル(全国的な)なものはリージョナルなものから、コンティネンタル(大陸的な)なものはナショナルなものから、そして全世界的なものは、それぞれのコンティネンタルなものをとおして立ち現れる。/ローカルなものにへばりついて全体的な展望を見失うことが誤りであるのと同様に、自分の足場を顧みずに、ただ全体ばかりを鳥瞰(ちょうかん)しているのも誤りだ。([2]122ページ)

〇また、「いま」の、日本の学校教育は国家主義、中央集権主義が強化され、教師も生徒も物言わぬ立場に置かれている(フレイレ「沈黙の文化」)。教師は政治的中立性が要求され、主体的・批判的な授業の展開ができないでいる。保護者や地域住民の学校参加(コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)など)も、言われるほどには進んでいない。外国籍住民の子どもたちもその多くは差別・抑圧されている。これらはまさに政治的課題である。その点に関して、フレイレの次の一文を引いておく。

中立的な教育実践などというものは、かつて存在したことはなかったし、いまも存在しない‥‥‥([2]105ページ)/教育者は政治的であるからこそ、中立たりえないからこそ、倫理性を要求されるのだ。([2]108ページ)/教育はほんらい、指示的で政治的な行為であらざるをえず、ぼくは自分の夢や希望を生徒たちのまえに包み隠さずに示すべきであり、だからこそかえって、生徒たちの考えや立場を尊重することが、ぼくにつよく求められるのだ。ぼくが倫理的たらんとするのは、その認識があるからだ。自分のテーゼ、立場、選好を、真剣に、厳しく、かつ情熱をもって主張すること、しかし同時に、反対意見をいう権利を尊重し、それを支援すること、――それは、発言する権利と、自分の考えや理想のために「争う」義務を教える、またそのなかで相互に尊重しあう精神を教える最良の方法であるはずだ。([2]109ページ)/教育の政治性や指示性を否定することはできない。それがいけないなら、どんな課題の遂行も不可能だ‥‥‥([2]110ページ)

〇筆者(阪野)はかつて下記のように書いた(<雑感>(210)「教育の公共性」を考える:「まちづくりと市民福祉教育」は政治の課題である―宮寺晃夫著『教育の正議論』再読メモ―/2024年7月8日/本文)。改めて思い起こしたい。“まちづくりは人づくり 人づくりは教育づくり 教育づくりは政治づくり”である。

「まちづくりと市民福祉教育」はこれまで、政治的領域に位置づけて論じることに必ずしも積極的であったとはいえない。まちづくりは、公共性をはじめ地域性や多様性、自律性や共働性などが厳しく問われる活動であり運動である。教育や学校は、国家による巨大な政治システムであり、そのもとでの教育行政の重層構造に組み込まれている。そうであるがゆえに、「まちづくりと市民福祉教育」には、多くの市民一人ひとりに、また地域の多様な主体に改善や改革についての確かな決意や覚悟、そして行動が求められる。/そして、「いま」の政治へのアプローチなくして、「いま」の、また「新しい」「まちづくりと市民福祉教育」の推進を図ることは難しい。その点で、「まちづくりと市民福祉教育」は政治的な課題であり、政治的設定を必要とする。

阪野 貢/デューイの「教育論」再読:「経験」(生きること・学ぶこと・考えること)再考のために ―ジョン・デューイ著『学校と社会』等のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、アメリカを代表する哲学者・教育学者ジョン・デューイ(John Dewey、1859年~ 1952年)の本が4冊ある(しかない)。

(1)The School and Society,1899. 宮原誠一訳『学校と社会』岩波文庫、第62刷、2004年10月(以下[1])
(2)Democracy and Education,1916. 松野安男訳『民主主義と教育(上)(下)』岩波文庫、(上)1975年6月、(下)同年7月(以下[2])
(3)Experience and Education,1938. 市村尚久訳『経験と教育』講談社学術文庫、2004年10月(以下[3])
(4)The School and Society,1899.The Child and the Curriculum,1902. 市村尚久訳『学校と社会・子どもとカリキュラム』講談社学術文庫、1998年12月(以下[4])

〇デューイは、生活と分断された統制的で受動的な「旧教育(伝統的教育)」を、生活と経験に基づく自由で能動的な「新教育(進歩主義的教育)」に転換・変革することを主張する。その際、「生活」とは、「環境への働きかけを通して、自己を更新して行く過程」([2](上)12ページ)をいい、個体が環境に積極的に働きかけることを「経験」という。「環境」とは、その人の活動を促進したり阻害したりする外界の事物や事情、条件の総和をいい、自然的環境・社会的環境・文化的環境として現象する([2](上)26~27ページ)。そして、デューイにあっては、「教育とは、経験の意味を増加させ、その後の経験の進路を方向づける能力を高めるように経験を改造ないし再組織することである」([2](上)127ページ)。そこでは、教育的に価値のある経験は、過去・現在・未来の経験をつなぎ、未来の経験をさらに豊かに拓くものであり(「連続性」)、そのためにも個人と個人を取り巻く環境との「相互作用」が重視されることになる。そして、「学校は子どもが実際に生活をする場所であり、子どもがそれをたのしみとし、またそれ自体のための意義をみいだすような生活体験をあたえる場所であることが最も望ましい」([1]66ページ。[4]120ページ)とされる。その学校では、子どもが中心となって、「為すことによって学ぶ」すなわち体験を反省的に思考することによって学びを深めることが重視され、「生活教育」や「経験学習」を通して子どもたちの成長・発達が促される。すなわち、「子どもにとっては、生活することが第一であって、学習は生活することをとおしてこそ、また、生活することとの関連においてこそおこなわれる」([4]98ページ。[1]47ページ)。また、「生活は発達であり、発達すること、成長することが、生活なのである」([2](上)87ページ)。なお、教育における重要な「自由」は、制限から解放される自由ではなく、知性に基づく自律的・自制的なそれ(「知性の自由」)である([3]97、102、104ページ)。そして、「生徒が知性を実地にはたらかせることができるよう、教師によって与えられる指導は、生徒の自由を制限するものではなく、むしろ自由を助長するものである」([3]113ページ)。これが、デューイが説く教育論の要点のひとつである。
〇周知の通り、デューイの代表的な著作のひとつである『学校と社会』([1][4])は、シカゴ大学付属小学校(「実験学校」)で取り組まれた進歩主義的な教育実践をもとに書かれたものである。その言説のうちから、基本的なもののいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

学校には、子どもが太陽となる「子ども中心主義の教育」へのコペルニクス的転回と言える変革や改革が求められる
私は旧教育の類型的な諸点、すなわち、旧教育は子どもたちの態度を受動的にすること、子どもたちを機械的に集団化すること、カリキュラムと教育方法が画一的であることをあきらかにするために、いくぶん誇張して述べてきたかもしれない。旧教育は、これを要約すれば、重力の中心が子どもたち以外にあるという一言につきる。重力の中心が、教師・教科書、その他どこであろうとよいが、とにかく子ども自身の直接の本能と活動以外のところにある。それでゆくなら、子どもの生活はあまり問題にはならない。子どもの学習については多くのことが語られるかもしれない。しかし、学校はそこで子どもが生活する場所ではない。いまやわれわれの教育に到来しつつある変革は、重力の中心の移動である。それはコペルニクスによって天体の中心が地球から太陽に移されたときと同様の変革であり革命である。このたびは子どもが太陽となり、その周囲を教育の諸々のいとなみが回転する。子どもが中心であり、この中心のまわりに諸々のいとなみが組織される。([1]44~45ページ。[4]95~96ページ)

学校は、家庭と社会のあいだに位置する「小型の社会」であり、子どもたちはそのコミュニティで生き、学ぶのである
こんにちの学校の悲劇的な弱点は、社会的精神の諸条件がとりわけ欠けている環境のなかで、社会的秩序の未来の成員を準備することにつとめていることである。([1]25ページ。[4]73ページ)/学校はこれまで生活の日常の諸条件および諸動機からはなはだしく切離され、孤立させられていて、子どもたちが訓練を受けるために差し向けられる当(とう)のこの場所が、およそこの世で、経験を――その名に値いするあらゆる訓練の母である経験を得ることが最も困難な場所となっている。([1]28ページ。[4]76ページ)/学校はいまや、たんに将来いとなまれるべき或る種の生活にたいして抽象的な、迂遠な関係をもつ学科を学ぶ場所であるのではなしに、生活とむすびつき、そこで子どもが生活を指導されることによって学ぶところの子どもの住みかとなる機会をもつ。学校は小型の社会、胎芽的な社会となることになる。これが根本的なことであって、このことから継続的で、秩序ある教育の流れが生ずる。([1]29ページ。[4]77ページ)

子どもの生活と教育を有機的に結びつけ、子どもの生活に基づいて分断されている「カリキュラムの統一」を図ることが必要である
たとえば、算術の或る部分は訓練に、他の部分は実用に役立つものであり、文学は教養に、文法は訓練に、また地理は一部分は実用に、他の部分は教養に役立つものと考えられている。ここでは教育の統一などということはかげもなく、諸々の学科は勝手な方向をむいてばらばらである。([1]79ページ。[4]133ページ)/われわれはすべての側面がむすびあわされている世界に生活している。一切の学科はこの共通の一大世帯のなかにおける諸々の関係から生ずるものである。子どもがこの共通の世界にたいする多様な、しかし具体的で能動的な関連のなかで生活するならば、かれの学習する学科は自然に統合されるであろう。そうなれば諸学科の相関というようなことは、もはや問題ではなくなるであろう。教師は、歴史の課業にわずかばかりの算術をおりこむために、あれこれと工夫をめぐらすといったような必要もなくなるであろう。学校を生活と関連せしめよ。しからばすべての学科は必然的に相関的なものとなるであろう。([1]95ページ。[4]152~153ページ)/さらにまた、もし全体としての学校が全体としての生活と関連せしめられるならば、学校の種々の目的や理想――教養・訓練・知識・実用――は、もはやこの一つの目的ないし理想にたいしてはこの一つの学科を選び、他の一つの目的ないし理想にたいしては他の一つの学科を選ばねばならぬというような個々ばらばらなものではなくなるであろう。社会的能力および社会的奉仕という方向における子どもの成長、子どもが生活といよいよ広範囲に、いよいよいきいきとむすびついて行くことが、すべてを結合する統一的な目的となり、訓練や教養や知識は子どものこの成長の種々なる側面としての地位に下るのである。([1]95~96ページ。[4]153ページ)

子どもは「反省的注意」、すなわち判断・推理・熟慮を通して問題を形成し、探求し、解決することができるようになる
中間的な段階においては(八歳から、まず十一歳ないし十二歳にいたる子どもにおいては)、子どもは到達しようと欲する或る目的にもとづいて一連の中間的活動をみちびきはするが、その目的は、おこなわれるか作られるかするところの或るもの、すなわち到達さるべき或る具体的な結果である。つまり問題は知的な疑問というよりはむしろ実際的な困難である。しかし、力の成長につれて、子どもは見出さるべき、発見さるべき或ることがらを目的と考えることができるようになり、探求と解決の助けとなるように自己の行動とイメージを統制することができるようになる。これがほんらいの反省的注意である。([1]154ページ。[4]221~222ページ)/真の、反省的な注意は、つねに判断・推理・熟慮をふくんでいる。([1]156ページ。[4]225ページ)

子どもは自らが問題を形成し、探求し、その問題を解決する「問題解決学習」によって、さまざまな問題を考察する習慣を獲得することができる
(子どもがはらう)注意はつねに「学習」用のもの、いいかえれば、他人が尋ねるであろうところの問題にたいする、すでに出来上っている解答を記憶することのためのものである。いっぽう、真の、反省的な注意は、つねに判断・推理・熟慮をふくんでいる。すなわちそれは子どもが自分自身の問題をもっており、その問題を解決するための関係材料を探求し選択することに能動的に従事し、その材料の意義と関係を――すなわちその問題が要求するような解決の道を考察することを意味する。問題は自分自身のものなのである。であるからして注意への動因・刺激もまた自分自身のものである。それゆえにまた、得られた訓練も自分自身のものである。――それは真の訓練、すなわち統制力の獲得であり、またいいかえれば問題を考察する習慣の獲得である。([1]156~157ページ。[4]224~225ページ)

〇以上に加えて、『経験と教育』([3])から、デューイ教育論の鍵概念である「経験」の「質」と「基準」についてメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

教育において重要なのは経験の「質」であり、その質には「快適-不快」という側面と「ある経験がその後の経験にどのような影響を及ぼすのか」という2つの側面がある
(進歩主義教育において)経験の重要性を強調しただけでは十分ではないし、また経験の活動性を強調したとしても、それだけでは十分ではない。何よりも重要なことは、もたれる経験の「質」にかかっているのである。いかなる経験の質も,二つの側面をもっている。 すなわち、それが快適なものか不快なものであるかといった直接的な側面と,経験がその後の経験にどのように影響を及ぼすかという側面である。第一の側面は明白なことであり,そのことは容易に判断されうる。だが,経験の「効果」は,その表面には現われ出ない。このことが教育者に問題を提示することになる。経験が生徒に不快感を与えず,むしろ生徒の活動を鼓舞するものであるとしても,その経験が未来により望ましい経験をもたらすことができるよう促すためには,直接的な快適さをはるかに越えた種類の経験が求められることになる。このような質的経験を整えることこそ,教育者に課せられた仕事なのである。(中略)経験に根ざした教育の中心的課題は、継続して起こる経験のなかで、実り豊かに創造的に生きるような種類の現在の経験を選択することにかかっているのである。([3]33~35ページ)

教育的に価値のある経験は、過去・現在・未来の経験をつなぐ「連続性」と、環境との相互作用によって豊かになる「相互作用」の2つの原理(条件)に基づく
われわれは今や,過去の業績と現在の問題との間にある経験の内部に実際に存在する関連性を発見するという問題にゆきつくのである。われわれは過去を知ることが、どのようにして未来を効果的に取り扱う点で、有力な道具に転換されうるのか、それについて確かめなければならない。([3]27~28ページ)/この観点から,経験の連続性の原理というものは,以前の過ぎ去った経験からなんらかのものを受け取り,その後にやってくる経験の質をなんらかの仕方で修正するという両方の経験すべてを意味するのである。([3]47ページ)/(また)経験は、単に個人の内面だけで進行するものではない。([3]55ページ)/経験を引き起こす源は、個人の外にある。経験はこれらの源泉によって、絶えず養い育てられている。([3]56ページ)/経験は、常に、個人とそのときの個人の環境を構成するものとの間に生じる取引的な業務であるがゆえに存在するのである。しかもその個人の環境は、ある話題や出来事についての話し相手から構成されている。([3]64ページ)/(そしてこの)連続性と相互作用という二つの原理は,相互に分離しているものではない。それらは離れていても,結びつくものである。それらはいわば,経験の縦の側面と横の側面である。([3]64~65ページ)/(そして、ここでの)教育者の基本的な責任は、年少者たちが周囲の条件によって、彼らの現実の経験が形成されるという一般的な原理を知るだけではなく、さらにどのような環境が成長を導くような経験をするうえで役立つかについて、具体的に認識することである。何よりも先ず、教育者は、価値ある経験の形成に寄与するにちがいないすべてのものが引き出せるようにと存在している環境――自然的,社会的な――をどのように利用すべきであるか,そのことを知らなければならない。([3]56~57ページ)

〇いまひとつ、『民主主義と教育』([2])から、いささか恣意的ではあるが、「民主主義と社会と教育」に関する次の一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

民主的な社会集団には、①その成員の多様な関心(「多様性」)と②他の集団との「自由な相互作用」が不可欠である。それによって “ 社会的習慣 ” が変化する
集団によって与えられる教育はどれもみなその集団の成員を社会化する傾向をもつが、その社会化の質および価値は、その集団の習慣と目標によって決まるのである。([2](上)135ページ)/それゆえに、ここで再び、任意の既存の社会生活の様式の価値を測る尺度が必要になる。(中略)どんな社会集団にもたとえ泥棒の一味であっても、皆が共通に抱いている何らかの関心が見出されるし、また他の集団との相互作用や協力的交渉もいくらかは見出されるものである。この二つの特徴から、われわれが求めている基準が引き出される。すなわち、意識的に共有している関心が、どれほど多く、また多様であるか、そして、他の種類の集団との相互作用が、どれほど充実し、自由であるか、ということである。([2](上)135~136ページ)/われわれの判断基準の二つの要素はともに民主主義を指向している。第一のものは、共有された共同の関心が、より多くの、より多様な事柄に向かうことを意味しているだけでなく、相互の関心を社会統制の一要因として確認することにより深い信頼をおくことをも意味している。第二のものは、(中略)社会集団が互いにより自由に相互作用することを意味しているだけでなく、社会的習慣に変化が起こること――すなわち、さまざまの相互交渉によって産み出される新たな状況に対処することによって絶えずそれを再適応させること――をも意味しているのである。そして、これら二つの特徴こそ、まさに、民主的に構成された社会を特色づけるものなのである。([2](上)141ページ)

民主主義は、共同的な生き方・共同経験の一様式であり、人々の内面から育まれるものであるがゆえに計画的で組織的な教育を必要とする。それによって人々や集団が変わる
いろいろな関心が相互に浸透しあっており、進歩すなわち再適応が考慮すべき重要問題になるような、そういう種類の社会生活を実現するために、民主的共同社会は、他の共同社会よりも、計画的で組織的な教育にいっそう深い関心を向けるようになる。(中略)民主主義が教育に熱意を示すことはよく知られた事実である。(中略)民主的社会は、外的権威に基づく原理を否認するのだから、それに代るものを自発的な性向や関心の中に見出さなければならない。それは教育によってのみつくり出すことができるのである。しかし、さらに深い説明がある。民主主義は単なる政治形態でなく、それ以上のものである。つまり、それは、まず第一に、共同生活の一様式、連帯的な共同経験の一様式なのである。人々がある一つの関心を共有すれば、各人は自分自身の行動を他の人々の行動に関係づけて考えなければならないし、また自分自身の行動に目標や方向を与えるために他人の行動を熟考しなければならないようになるのだが、そのように一つの関心を共有する人々の数がますます広い範囲に拡大して行くということは、人々が自分たちの活動の完全な意味を認識するのを妨げていた階級的、民族的・ 国土的障壁を打ち壊すことと同じことなのである。このように接触点がますます多くなり、ますます多様になるということは、人が反応しなければならない刺激がますます多様になるということを意味する。その結果、その人の行動の変化が助長されることになるのである。排他性のために多くの関心を締め出している集団では行動への誘因は偏らざるをえないのであるが、そのように行動への誘因が偏っている限り抑圧されたままでいる諸能力が、多数の多様な接触点によって解放されるようになるのである。([2](上)141~142ページ)

〇最後に、教師の責務(役割)について一言する。デューイにあっては、教師の役割は、単に過去からの知識や技能を子どもたちに伝達することではない。教師には、子どもたちの主体的で自由な学習活動(学習経験)をより広く豊かなものにするために、子どもたちの能力や要求、興味・関心や発達段階などを理解し、適切な教材や教育内容を提供するにふさわしい環境・条件を整え、指導することが求められる。また、教師は、社会とのつながりを意識した教育活動を計画し、子どもが社会的な知識や技能を習得できるよう支援する。それを通して教師は、また子どもも、協働的・一体的に社会の変革・改革に参加し、民主主義的な新しい社会の形成を図るのである。デューイは例えば、(上記の下線部とともに)次のようにもいう。

教育者は自分が扱っている個々の生徒たちに共通する独得な能力や要求について調査しなければならない。それと同時に、これら特殊な生徒の能力を発展させ、それらの要求を満足させるような経験から出てくる教材や教育内容を提供するにふさわしい条件を整えなければならない。しかも教育計画は、経験する個人の自由が、個別的に展開されるにふさわしい十分柔軟なものであるのと同時に、他面において、個人の能力が持続的に発展する方向をしっかりと示すにふさわしいものでなければならない。([3]92ページ)

教師は、学校において、子どもに特定の考えを強要したり、特定の習慣を形成したりするのではなく、共同体のメンバーとしての子どもに影響を与えるであろうもろもろの影響を選びだし、そうした影響に子どもが適切に対応することを支援することにある。(ジョン・デューイ、中村清二・松下丈宏訳「私の教育学的信条」『デューイ著作集6 教育1 学校と社会,ほか』東京大学出版会、2019年3月、86ページ)

教師が参画しているのは、たんに個々人の訓練だけではなく、適切な社会生活の形成でもある。/教師は、適切な社会的秩序を維持し、正しい社会的成長を確保するために取りおかれている、社会的奉仕者である。(同上、94ページ)

〇なお、[1]の訳者である宮原は、その「解説」で、デューイの教育論と教師の責務をめぐって次のように説く。付記しておく。

(進歩主義教育において)教師は社会の改造に参加する教育のプログラムをもたなければならぬ。しかし、そのことはなにか特定の社会改造案を子どもたちにふきこむことではない。それは現代の社会生活の現実を代表するような教材を教育のプログラムのなかに導入し、そしてその教材自体のみちびく方向にむかって子どもたちの学習を発展させてゆくことである。それは、おそれるところなく子どもたちに社会生活の現実を踏査せしめ、「いかに物事がおこなわれているか、そして、それらの物事はいかにおこなわれるべきであるか、その新しい可能性を実現するためにわれわれはなにをなすべきか。」を、各自の成長と成熟の水準において討究せしめることである。/このように、教育理論の面でのデューイの活動は、『学校と社会』から『民主主義と教育』にいたる、小社会としての学校の理論の展開の時期にたいして、30年代以降いちじるしく社会にかたむき、社会改造と教育の関連が一貫して追求されている。(宮原誠一「解説」[1]184~185ページ)

〇またまた例によって唐突であるが、これらの点(言説)は、「学校における福祉教育」×「まちづくりと市民福祉教育」について論究する際の重要な視点・視座でもある。留意したい。

阪野 貢/ラッセルの「幸福論」再読:「外へと向かう興味」が幸福を生む―バートランド・ラッセル著『幸福論』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、イギリスの哲学者バートランド・ラッセル( Bertrand Arthur William Russell、1872年~1970年)の『幸福論(原題『幸福の獲得』)』(1930年。安藤貞雄訳、岩波文庫、1991年3月。以下[1])がある。[1]は、スイスの哲学者カール・ヒルティ(Carl Hilty、1833年~ 1909年)の『幸福論(第1部)』(1891年。草間平作訳、岩波文庫、1961年10月)と、フランスの哲学者アラン( Alain)、本名エミール=オーギュスト・シャルティエ Émile-Auguste Chartier、1968年~1951年)の『幸福論』(1925年。神谷幹夫訳、岩波文庫、1998年1月)とのいわゆる「三大幸福論」のひとつである。
〇[1]の訳者である安藤は、その「解説」で、「『ラッセル幸福論』の特徴は、アランのそれのように文学的・哲学的でもなく、ヒルティのそれのように宗教的・道徳的でもなく、人はみな周到な努力によって幸福になれる、という信念に基づいて書かれた、合理的・実用主義的(プラグマティック)な幸福論である点にある」(287ページ)という。しかも、ラッセルによると、「不幸の原因は、一部は社会制度の中に、一部は個人の心理の中にある」(13ページ)が、[1]は人間の内面から生じる「普通の日常的な不幸に対して、一つの治療法を提案すること」(14ページ)を目的とする。
〇先ずラッセルにあっては、不幸の最大の原因は、自分のなかに存在する感情や考え方などの“内なる自分”に囚われて自分のことだけを考え、外界への興味や関心を持つことができない(従って視野が狭い)「自己没頭」にある。その自己没頭には、3つのタイプがある。罪の意識にとり憑(つ)かれた「罪びと」、自分自身を賛美し、人からも賛美されたいと願う習慣を持つ「ナルシシスト」、魅力的であるよりも権力を持つことを望み、愛されるよりも恐れられることを求める「誇大妄想狂」がそれである(17、19、20~21ページ)。
〇そして、不幸のより具体的な原因には、➀「バイロン風の不幸」、➁「競争」、➂「退屈と興奮」、➃「疲れ」、➄「ねたみ」、➅「罪の意識」、➆「被害妄想」、➇「世評に対するおびえ」がある。➀は、悲観主義(ペシミズム)的な考えをいう。ちなみにバイロンとは、悲観的な世界観をしばしば表現した、19世紀のイギリスを代表する詩人ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron)を指す。➁は、競争して勝つことを強調し過ぎることをいう。➂は、静かな生活ではなく、退屈を恐れ興奮を追求することをいう。➃は、神経をすり減らすような生活を送ることによる精神的な疲れをいう。➄は、他人が持っているものを羨(うらや)ましく思うねたみの感情をいう。➅は、道徳的な教えによる罪の意識が劣等感を抱かせることをいう。➆は、自分の美点(すぐれた点)を誇大視し、多くの人が自分を虐待していると感じることをいう。➇は、世評に対する恐れは抑圧的で、成長を妨げるものであることをいう。
〇こうした不幸の原因を取り除くためには、「きちんとした精神を養うこと」が大切である。すなわち、「きちんとした精神は、ある事柄を四六時中、不十分に考えるのでなくて、考えるべきときに十分に考えるのである。困難な、あるいはやっかいな結論を出さなければならないときには、すべてのデータが集まり次第、その問題をよくよく考え抜いた上、決断を下すがよい。決断した以上は、何か新しい事実が出てきた場合を除いて、修正してはならない」(79ページ)。それによってはじめて、幸福を能動的に捉えることができるのである。
〇そして、ラッセルは、幸福を獲得するためには、自己没頭とは逆に外に向けて幅広い興味を持ち、それに熱中することが大切である、とする。「幸福の秘訣は、こういうことだ。あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものではなく、できるかぎり友好的なものにせよ」(172ページ)、という。そして、幸福になる具体的な方法として、➀「熱意」、➁「愛情」、➂「家族」、➃「仕事」、➄「私心のない興味」、➅「努力とあきらめ」を挙げる。
〇➀幸福な人を特徴づけるものは、生活や人生に対する熱意(何かに強い興味を持つこと)である。それは、「よい生活においては、異なる活動の間にバランスがなければならない」(182ページ)。➁愛情は自信と安心感、そこから熱意を生み出し、人を幸福にする。しかも、「相互的な愛情」、「一つの幸福を共有する結合体だと感じる愛情は、真の幸福の最も重要な要素の一つである」(203ページ)。➂家族は今日、混乱し脱線している。両親と子どもとの相互の愛情は、幸福の最大の源のひとつとなりうるのに、そうなっていない。(206ページ)「現代世界において親であることの喜びを満喫することは、(中略)子供に対する尊敬の態度を深く感じられる両親にしてはじめて可能である」(226ページ)。➃仕事を面白くする要素は、身に付けた技術を行使することと建設性である。「偉大な建設的な事業の成功から得られる満足は、人生が与える最大の満足の一つである」(237ページ)。「幸福な人生のほぼ必須の条件は首尾一貫した目的」であるが、それは「主に、仕事において具体化される」(241ページ)。➄私心のない興味とは、「一人の人間の生活の根底をなしている主要な興味ではなくて、その人の余暇を満たし、もっと真剣な関心事のもたらす緊張を解きほぐしてくれるといった、二次的な興味のことである」(242ページ)。その「生活の主要な活動の範囲外にある興味」は、気晴らしになり、バランス感覚を保ち、ときとして大きな慰めともなる(246~247ページ)。➅努力とあきらめのバランスを取ること、すなわち中庸(ちゅうよう)を守ることが必要である(254ページ)。「必要な態度は、人事を尽くして天命を待つ、という態度である」(260ページ)。
〇最後にラッセルはいう。「幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人である。また、こういう興味と愛情を通して、そして今度は、それゆえに自分がほかの多くの人びとの興味と愛情の対象にされるという事実を通して、幸福をしかとつかみとる人である」(268ページ)。すなわち、幸福な人とは、➀内なる自分に囚われない生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人、➁客観的な興味と愛情によって自分と社会とがつながっており、世間と対立していない人である。そのような人は、「自分は宇宙の市民だと感じ、宇宙が差し出すスペクタクル(光景)や、宇宙が与える喜びを存分にエンジョイする」(273ページ)のである。
〇重ねて一言する。「幸福は、一部は外部の環境に、一部は自分自身に依存している。本書で扱ってきたのは、自分自身に依存する部分」(266ページ)である。「外界への興味は、それぞれ何かの活動をうながし、それは、その興味が生き生きとしているかぎり、倦怠を完全予防してくれる」(16ページ)。「人間は、自分の情熱と興味が内へではなく外へ向けられているかぎり、幸福をつかめるはずである」(267ページ)。「退屈に耐える力をある程度持っていることは、幸福な生活にとって不可欠である」(68ページ)。「人間は、協力に依存している。そして、協力に必要な友情の生まれ出る本能的な器官を、なるほど不十分ながらも、自然から与えられている」(43ページ)。そして、「幸福な生活は、おおむね、静かな生活でなければならない、なぜなら、静けさの雰囲気の中でのみ、真の喜びが息づいていられるからである」(74ページ)。すなわち、退屈に耐えうるある程度の興奮を求めながらも、静かな生活に身を置いて、外へと向かう興味を高め、他人や社会との(本能的な)協力関係を充実させていくこと、それが幸福を生む。これがラッセルのメッセージである。上下左右の分断が進む現代社会においても、そうであろうか。
〇筆者はこれまで、“ ふくし とは ふだんの くらしの しあわせ について みんなで考え みんなで汗をながすこと ”。“ しあわせ とは みんなが 満足していて 楽しいこと ” と言ってきた。この考え方をめぐって、ラッセルの「幸福論」から再考したい、というのが本稿を草したひとつの思いや願いでもある。

補遺
不幸の具体的な原因の➆「被害妄想」に関するラッセルの言説の一節を付記しておくことにする。

決してまれではない被害妄想の犠牲者は、あるタイブの慈善家で、いつも人びとが望みもしていない親切を行ない、だれも感謝の意を表さないことにかつ驚き、かつあきれる。私たちか善行をする動機は、自分で思っているほど純粋であることはめったにない。権力欲は油断ならぬものだ。いろいろな姿に変装し、しばしば、ほかの人のためになると信じている行ないをすることから得られる喜びの源になっている。往々、もう一つ別の要素が忍びこんでくる。人びとに「親切にする」ことは、通例、彼らから何か喜びを奪うことにほかならない。(128ページ)

(あなたが人びとに「親切にする」にあたって‥‥‥)
第一、あなたの動機は、必ずしもあなた自身で思っていほど利他的ではないことを忘れてはいけない。第二、あなた自身の美点を過大評価してはいけない。第三、あなたが自分自身に寄せているほどの大きな興味をほかの人も寄せてくれるものと期待してはならない。第四、たいていの人は、あなたを迫害してやろうと特に思うほどあなたのことを考えている、などと想像してはいけない。
これらの公理は、その真理が十分に理解されたならば、被害妄想の適切な予防策となるだろう。(130ページ)

老爺心お節介情報/第70号(2025年5月10日)

「老爺心お節介情報」第70号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第70号を送ります。
ご活用ください。

2025年5月10日  大橋 謙策

〇皆さんお変わりありませんか。
〇季節の移ろいは早いものですね。我が家の庭に咲く花も、今は、てっせん、三寸あやめ、シャリンバイ、アッツ桜、スズラン、二人静が咲いています。庭の小さな畑では、早くもさやえんどうの収穫ができるようになりました。
〇このゴールデンウィークは、娘夫妻に手伝ってもらいながら、“老い支度”の断捨離をしました。過日から行っていた私の書斎に続いて、妻の居室の断捨離、物置の断捨離と、今更ながらよくぞ品物が詰まっているものだと感心してしまいました。出てくる子どもや孫のおもちゃ、品物、写真に目を留めては思い出話が続き、作業は捗りません。それでも“老い支度”への覚悟は妻共々意識でき、断捨離の必要性を自覚しました。
〇断捨離にともない、自分の“実際生活に必要な文化的教養”の低さに我ながら愕然としています。今まで、家事全般を妻に任せていた生活でしたので、“スーパーでの買い物の仕方”“消火器の処分のしかた”、“燃えないゴミの分別基準”、“お風呂場のカビの落とし方”、“詰まった台所の水道の対応策”等々、細々とした知識と技術のなさに情けなくなっています。〇各地の社会福祉協議会の実践の中で、“ごみ屋敷”問題が出てきますが、年老いた一人暮らしでは本当に対応が大変だということを実感する日々です。
〇今号の「老爺心お節介情報」は、この間に読んだ本の書評ではなく、本を読んでの随想を書かせて頂きました。
(2025年5月10日記)

<本を読んでの随想>

① 『過疎地域の福祉革命』(安田由加里著、幻冬舎、2024年12月、900円)

〇長野県社会福祉協議会が主催している「人口減少、超高齢化社会、限界集落の小規模市町村における地域福祉実践のあり方」について、ここ2~3年考える機会が与えられている。そのテーマにピッタリの本『過疎地域の福祉革命』が刊行された。
〇この本は、兵庫県赤穂郡上郡町という全国743あるという「消滅市町村」の一つであり、かつ総務省が過疎地として指定している885市町村の一つである町での実践の取組である。上郡町は人口約1万3000人弱で、高齢化率は40%を超えている。
〇上記の長野県の人口2000人以下の市町村に比べ、人口もまだ多く、地域資源もまだそれなりにある地域での実践であるが、何としても本のタイトルに魅せられた。
〇実践の内容は、町外からの移住者である著者(看護師)が5年前に訪問看護事業所を立ち上げ、共感する介護支援専門員、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士等リハ職、看護職、介護職が連携して地域での自立生活を支援している実践である。
〇5年前に立ち上げた事業所は、現在職員が30人規模に成長している。この事業所が取り組んだ介護予防の取組が功をなして、上郡町の介護費が2000万円削減できたという。
〇以前照会した福山市の鞆の浦地区の実践と同じように、民間事業所が柔軟な取り組みを行い、住民のニーズに応え、住民が主体的に地域課題に気づき、解決に取り組む実践は素晴らしいものである。
〇ただ、筆者としては“福祉革命”というタイトルから、新たなシステムが構築されたのかと期待していたが、それは残念ながらなかった。
〇筆者は、過疎地の地域福祉は、看護小規模多機能施設を中核として、訪問看護、訪問介護、訪問リハビリ、在宅医療診療所の医師などの専門職が連携して対応できれば、かなりの過疎地でも地域自立生活支援が可能になると提言してきた。
〇また、過疎地では、住民の年金受給額の総額と保健・医療・福祉・介護サービスに従事している人の給与の総額を合算させてみると大変な規模になっていて、それらが事実上その地域の経済を支えていることにもっと着目して、「福祉はまちづくり」という哲学で、地方自治体経営を推進していくことが重要であると提言してきた。
〇そんなことも含めて考えてきた私とって、本のタイトルにある“福祉革命”がもっと論じられているのかと思ったが、残念ながら、内容はそうではなかった。

② 『地域社会におけるウエルビーイングの構築―社会教育と福祉の対話』(松田武雄著、福村出版、2023年、3900円)

〇筆者は、「社会教育と地域福祉の学際的研究」を60年間行ってきたので、この本のタイトルに魅せられて購入し、読んだ。
〇著者の松田武雄先生は、名古屋大学教育学部出身で、筆者と同じ小川利夫先生を恩師として仰いでいる。したがって、筆者と同じように「社会教育と社会福祉の学際研究」に関心を寄せ、研究されることは不思議ではない。しかしながら、松田武雄先生のお名前および勤務先はそれなりに存じ上げていたが、著書を読むのは初めてである。それというのも、松田武雄先生は、筆者より10歳くらい若く、日本社会教育学会で久しく交わる機会もなかったからであるし、松田武雄先生の若いころの研究は、日本における社会教育成立史研究だったということもあるのかもしれない。
〇筆者は、拙著『地域福祉とは何か』のなかで、“他方、社会教育学会、社会教育政策においては、東京大学や名古屋大学の社会教育関係講座の主任教授の方々が社会教育と地域福祉と題する著作を上梓する状況であり、かつ文部科学省も「地域学校協働事業」を政策の重要な柱にする状況である”」ののべ、例えばとして松田武雄先生の『社会教育と福祉と地域づくりをつなぐ』(大学教育出版、2019年)を紹介している(拙著『地域福祉とは何か』はじめにP4参照)。
〇ところで、著者と筆者の共通の恩師である小川利夫先生が「教育と社会教育の関係」、「教育と福祉の谷間」の問題について体系的に研究したのが、この分野の研究としては実質的に嚆矢である。
〇小川利夫先生は、「教育と福祉の関り」の「今後の課題」として3点挙げている(①いわゆる児童保護をめぐる問題、いいかえるなら教育における国民的最低限保障をめぐる問題、②セツルメントをめぐる問題、いいかえるなら働く国民大衆の生活と教育に関わる問題、③いわゆるコミュニティ・オーガニゼションをめぐる問題、いいかえるなら井上友一にその一つの「原型」がみられる「自治民育」の歴史的、今日的課題(小川利夫著『社会教育研究40年』P110、小川利夫社会教育論集第8巻、亜紀書房、1992年2月)。しかしながら、小川利夫先生は①の問題に研究を焦点化させていく。
〇筆者の「教育と社会福祉」の学際的研究は、1960年代では夜間中学生やへき地教育、あるいは児童養護施設の児童の教育、さらには生活困窮者世帯の教育扶助と教育補助問題などについて行っていた。
〇しかしながら、恩師が研究課題に挙げていながら未だ手つかずの分野に取り組み恩師との研究の違いを出すことと、江口英一先生の低所得階層の生活保護世帯への転落を防ぐためには、地方自治体ごとに対人福祉サービスを整備する必要性があるという指摘や、岡村重夫先生の“新しい社会福祉の考え方としての地域福祉”という論説に影響を受けて、“社会教育と地域福祉の学際的研究”を研究課題とすることにした。
〇その成人を中心にした「教育と福祉」、地域を基盤としている「社会教育と地域福祉」の学際的研究の課題として、①地域福祉の主体形成と社会教育、②ノーマライゼーション思想の具現化に関わる福祉教育と社会教育、③高齢者のいきがい、健康増進、社会参加促進と社会教育、④退職前労働者における老後生活設計イメージ作りと社会教育、⑤外国人の福祉と社会教育、⑥国際ボランティア活動のすすめと社会教育、⑦貧困の世代継承と社会教育、⑨コミュニティワークの方法と社会教育を挙げた(拙稿「『硯滴』に学ぶー不肖の弟子の戯言と思い」小川利夫著『社会教育研究40年』所収、亜紀書房、1992年)。
〇松田武雄先生は、小川利夫先生が日本社会事業大学の教員になって、間もない1962年に執筆した「わが国社会事業理論における社会教育観の系譜――その『位置づけ』に関する考察」(日本社会事業大学紀要『社会事業の諸問題』第10集、後の1989年に上梓した『教育福祉問題の基本問題』に収録、改題して「歴史的課題としての社会福祉教育論」、筆者は日本社会事業大学紀要『社会事業の諸問題』第10集を読んで、この論文に触発されて研究者の道を志す)の改題後の『教育福祉問題の基本問題』の中の章のタイトルとして使われた「社会福祉教育」という用語を使用して、そこに従来の「福祉教育論」とは違う視点、領域を見出そうとされている。
〇小川利夫先生は、「心のリハビリ通信」第6号(1998年)の中でも、“私は、日社大時代いらい、社会福祉教育的な考察を手掛けてきたのは”と述べ、ある意味“気軽に”「社会福祉教育」という用語を使用している。

〇松田武雄先生は、「教育と福祉の関り」、「社会教育と福祉の関り」について以下のように論述している。

① 学校教育と社会教育が合わせて福祉とつながり、総称して教育福祉論ということができるのであり、大人も含めた幅広い学習権、社会権の実現を目指すことができる(同書P25)
② 社会教育と地域福祉を統合した社会教育福祉は、学校教育以上に福祉的性格の強い地域づくりへと展開している(同書P26)
たとえば、島根県松江市では、地区公民館の中に地区社会福祉協議会が設置され、社会教育活動と地域福祉活動とが一体となった住民主体の活動が行われている(同書P26)
③ 教育福祉論はもともと学校教育と福祉の「谷間」の問題として提起されたが、社会教育と福祉が結びつくことによって、社会教育福祉として地域づくりへと展開していく(同書P26)
④ 地域におい社会教育福祉を構想する際には、かつてのような行政依存ではなく、住民自治によるコミュニティ・ガバナンスの構築がその基盤となる。したがって、コミュニティ・ガバナンスを視野に入れ、社会教育と福祉とを統合した社会教育福祉という領域を構想して、現代のリスク社会、貧困社会に抗することができるような社会教育(社会教育福祉)のシステムを構築することがどのように可能なのか、という課題が登場する(同書P37)
⑤ ちなみに私は、社会教育福祉を「コミュニティにおける社会教育と福祉の融合も
しくは統合」と説明している。「融合」は社会教育福祉を機能論的に把握しようとしたものであり、「統合」はそれを構造的に把握しようとしたものである(同書P68)
⑥ 福祉の視点からすると、社会教育の目的は、学習・文化・地域活動を中心とする人間活動を通した福祉(well-being=福祉)の実現であるということもできよう。個人とコミュニティ・地域社会に福祉を実現していくために、学習・文化活動と地域活動を通した自律的な自己形成がおこなわれ、かつ個人および集団によるそのような活動に狭義の福祉活動が関わっているのであり、これらを統合して社会教育(社会教育福祉)と考えたい(同書P87)

〇筆者がこの本を読んで物足りなさを感じた点は以下の通りである。

〇ⅰ)著者は、「社会福祉」ではなく、「福祉」との対話と表題で掲げているが、その「福祉」は広井良典さんの福祉の捉え方を引用して、well―being=福祉という意味合いで使っている。それでいて、社会教育の目的もwell―being=福祉であると言っているのでは、本のタイトルの「社会教育と福祉の対話」という意味が明らかにならない。
〇筆者自身、「社会福祉」を憲法第25条から説き起こすのではなく、憲法第13条も法源として位置づける必要があり、かつ社会福祉の目的は福祉サービス利用者の“最低限度の生活保障”ではなく、幸福追求、自己実現を図ることであると1970年代から述べているので、著者が「福祉」をwell―beingと考えることには異論はない。
〇しかしながら、著者は上記の⑥のところで、「狭義の福祉活動」という“古めかしい”用語の使い方をしていることには疑問を感じる。
〇社会福祉学界では、“広義の福祉と狭義の福祉”、“社会福祉と福祉”という用語を巡って歴史的に論争してきたことを考えると、著者の社会福祉認識は浅すぎて、自分の都合の良い使い方をしているといわざるを得ない。(医療・保健・介護・福祉の連携などという場合には、「社会福祉」を短く、省略して「福祉」という言い方はされる。筆者も、このような場合にはそういう使い方をしているが、基本的には『社会福祉』と「福祉」とは使い分けている)。
〇ⅱ)もう一つの点は、地域づくりを念頭においていながら、本の著者が使う「福祉」という用語、論述の中に「地域福祉」の考え方やそれとの関りがほとんど出てこない。
〇今や、社会福祉政策においても、社会福祉実践においても「地域福祉」が主流になっている状況の中で、“大人”を中心にした「社会教育福祉」と言っておきながら「地域福祉」との関りがほとんど論述されていないのはなぜなのだろうか
〇ⅲ)社会教育福祉の例として、島根県松江市の事例(上記の②)を度々挙げているが、この松江市のシステムは、筆者が1990年ころから、松江市社会福祉協議会からの招聘を受け、3~4年間、校区毎の地域づくり、公民館連絡協議会との連携、松江市の地域福祉計画及び地域福祉活動計画づくりなどにおいて社会福祉協議会並びに行政に提言し、システム化されたもので、そうした経緯をこの本の著者は学んでいないのではないか(筆者は、松江市との「関係人口」を継続するのが難しくなり、同志社大学の上野谷加代子先生に松江市との「関係人口」による支援を引き継いで頂いた。この間の活動の成果は『松江市の地域福祉計画―住民の主体形成とコミュニティソーシャルワークの展開』(上野谷加代子・杉崎千洋・松端克文編著、ミネルヴァ書房、2006年9月)に詳しいので参照されたい。筆者も第1章「21世紀型社会システムづくりと地域福祉―福祉文化と地域福祉計画」という拙
稿を掲載している)。
〇松江市の公民館は、戦後の早い時期に文部省で主任社会教育までされた藤原英夫先生(島根県職員から文部省へ転籍。のちに甲南女子大学学長。島根県出身、松江市在住)の影響もあって、松江市では小学校区ごとに公立公民館が設置されていた。その公民館には既に保健師が配置されていた。一方、公民館には地区社会福祉協議会の事務局も置かれていた(昭和30年代後半から50年代後半にかけて設置)。
〇筆者は、長野県下伊那地域での実習体験から、この公民館にある地区社会福祉協議会の機能を活性化し、コミュニティソーシャルワーク機能を発揮できるようにした保健、社会教育、社会福祉が連携して地域づくりを進めた方がいいと判断し、公民館連絡協議会や行政にも働きかけてきた。その結果、1997年度より、各公民館に地域保健福祉推進員が配置され、かつ公民館長が地区社会福祉協議会の会長を兼ねることで、住民の主体形成とコミュニティソーシャルワーク機能とが一体的に行われるようになった。
〇松江市のこのような保健・福祉・教育を小学校区毎に一体的に展開する松江市のシステムは松江市の「関係人口」と地域とが一緒に作り上げたものである。
〇この本の著者はアクションリサーチの重要性を指摘しているが、そうだとすれば地域の現象、事象を皮相的に紹介するのではなく、アクションリサーチとしての「関係人口」と地域との関りをもっと本質的に深める考察をして欲しかった。
〇筆者のように「バッテリー型研究」方法で、各地のシステムづくりをしてきたものには、著者のこのような記述、研究方法には疑問が残る。ただし、著者は、沖縄県や長野県松本市では、地域との「関係人口」としてのつながりをもって活動していることは評価したい。

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。 この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

阪野貢先生のブログには、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーがあり、その「アーカイブ(1)・著書」の中に、阪野貢先生が編集された「大橋謙策の電子書籍」があります。ご参照ください。

第1巻「四国お遍路紀行・熊野古道紀行―歩き来て自然と生きる意味を知る―」
第2巻「老爺心お節介情報―お変わりなくお過ごしでしょうか―」
第3巻「地域福祉と福祉教育―鼎談と講演―」
第4巻「異端から正統へ・50年の闘い―「バッテリー型研究」方法の体系化―」
第5巻「研修・講演録―地域福祉の過去から未来へ―」
第6巻「経歴と研究業績―地域福祉実践・研究の系譜―」
第7巻「福祉でまちづくり―支え合う地域福祉実践―」
第8巻「大橋謙策若き日の論考―地域福祉論の「原点」を探る―」
別  巻「地域包括ケア・介護・CSW・潮流と展望―理論と実践―」
ブックレット「社会福祉従事者の社会福祉観と虐待問題」

大橋謙策/大橋謙策研究 第8巻:大橋謙策若き日の論考

 


 

目 次

現代児童の問題構造と分析視角(1974年10月)‥‥‥2

ボランティアと社会教育(1975年12月)‥‥‥9

教科と社会福祉(1976年9月)‥‥‥14

障害者問題と社会教育(1976年11月)‥‥‥17

社会福祉のための社会教育(1977年1月)‥‥‥20
―その三つの・枠組・試論―

福祉教育の視点と方法(1979年3月)‥‥‥27

社会教育と地域福祉(1979年6月)‥‥‥33
―当面する諸問題―

 


現代児童の問題構造と分析視角


2


3


4


5


6


7


8


出典:『ジュリスト』第572号、有斐閣、1974年10月、125~131ページ。

 


ボランティアと社会教育


9


10


11


12


13


出典:『青年と奉仕』、第100号、日本青年奉仕協会、1975年12月、11~15ページ。

 


教育と社会福祉


14


15


16


出典:『学研 教科の研究』第11巻第6号、学習研究社、1976年9月、1~3ページ。

 


障害者問題と社会教育


17



18


19


出典:『東京の社会教育』東京都教育庁社会教育部計画課、1976年11月、1~3ページ。

 


社会福祉のための社会教育
―その三つの枠組・試論―


 

20


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24


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出典:『月刊福祉』第60巻第1号、全国社会福祉協議会、1977年1月、20~26ページ。

 


福祉教育の視点と方法


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出典:『月刊福祉』第62巻第3号、全国社会福祉協議会、1979年3月、26~31ページ。

 


社会教育と地域福祉
―当面する諸問題―


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出典:『月刊社会教育』第23巻第6号、旬報社、1979年6月、12~19ページ。

 


 

大橋謙策研究 第8巻
大橋謙策若き日の論考―地域福祉論の「原点」を探る―

発 行:2025年5月10日
著 者:大橋謙策
発行者:田村禎章、三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所

 


大橋謙策/大橋ブックレット 社会福祉従事者の社会福祉観と虐待問題

 


 

はじめに

〇日本社会事業大学同窓会北海道支部より、「北海道において保育所、高齢者福祉施設、障害者福祉施設等で虐待問題が起きている。ついては、同窓会支部の機関紙である『アガペ』において、『社会福祉と人権』というテーマで特集を組み、取り組みたい」ので、私にも「社会福祉と人権―社会福祉の今後―」と題して寄稿してほしい、との要請があった。
とても大事な課題であり、私なりに思うところを書かせて頂きたいと思った。しかしながら、大学教員退任後、社会福祉に関わる事象、事案、研究を網羅的に、かつ継続的にウオッチングしていないので、十分ご期待に沿えるかわからないが、本稿を書かせていただいている。そういう意味では、学術論文というより、エッセイ風な論考と捉えて頂きたい。
〇社会福祉実践現場などにおける虐待の問題は、法的には、①身体的虐待、②性的虐待、 ③経済的虐待、④ネグレクト、⑤心理的虐待に分類される。その虐待は現象的には職員一人一人の資質の問題として捉えられる。しかしながら、その背景にある社会構造としては、ケアの考え方、日本人の人権感覚、社会福祉従事者の人権感覚、社会福祉法人の経営・運営の在り方等、その背景と構造の分析は単純ではない。
〇筆者としては、それらの背景も含めて、以下のように論稿を構成したいと思っている。1回の寄稿では終わらないので、その旨ご了承頂きたい。

① 日本国民の文化と福祉文化――私が50年間闘ってきた「社会福祉通説」の問題
② 憲法第25条に基づくケア観と憲法第13条に基づくケア観の相違
③ 福祉サービスを必要としている人の「社会生活モデル」に基づくアセスメントと医学モデルに基づくアセスメント
④ 福祉サービスを必要としている人のナラティブ(物語)を基底とした「求めと必要と合意」に基づく支援方針の作成(ICFの視点と福祉機器の利活用)
⑤ 入所型施設の運営・経営理念、方針と提供されるサービス
⑥ 勤務先の“劣悪な労働環境”とキャリアパス等の職員資質向上の取り組み

Ⅰ 日本国民の文化と福祉文化――筆者が50年間闘ってきた「社会福祉通説」の問題

〇筆者は、高校時代に島木健作の『生活の探求』を読んで、日本社会事業大学への進学を決めた。高校の教師や親類縁者からは、なぜ日本社会事業大学のようなところを選択するのかと“奇人・変人”扱いであった。
〇そのような環境の下での日本社会事業大学での学習であったが、授業内容は必ずしも筆者が望んでいたこととは違っていた。その大きな要因が、アメリカからの“直輸入”的社会福祉方法論を“金科玉条”のごとく位置づけることと、「福祉六法」に基づくサービスの提供であった。
〇その当時の社会福祉方法論は、アメリカで1930年代に確立した考え方であり、WASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)の文化を基底として成立してきた考え方、方法論であり、精神医学、心理学にかなり影響された考え方であった。
〇そのような中、筆者は日本の文化、風土に即した社会福祉の考え方、方法論があるのではないかと考え呻吟する。
〇当時、一番ケ瀬康子先生が「福祉文化」という用語を使用していくつか論文を書いており、自分の研究の方向もその方向ではないかと考え、“文化論”について研究したが、奥が深く、かつ掴まえ所がなく、その研究を中断した。

註1:一番ケ瀬康子先生は、1989年に「福祉文化学会」を創立している。
註2:筆者は、2005年に「わが国におけるソーシャルワークの理論化を求めて」(『ソーシャルワーク研究』31巻第1号)を書き、中根千枝の「タテ社会論」、
阿部謹也の「世間体文化論」等を援用して、日本のソーシャルワークの理論化を論証した。

〇この日本文化は根が深く、簡単に因果関係を証明できないので、研究は中断したが、常に頭にこびりついて離れない。
〇日本では、子育てする際の文化として、“禁止と命令”によって、枠にはめようとする文化がある。常に、集団的価値観が尊重され、同調志向が強く、“逸脱”したものを排除、蔑視する傾向が強い。これは、学校教育における画一的教育方法であるベル・ランカスター方式の影響でもある。是非、『6か国転校生―ナージャの発見』(集英社)を読んでほしい。
〇そのような中、筆者は、戦前の社会事業理論における精神性と物質性に関する研究を行い、そのあり方を問うことが日本の社会福祉実践、研究を変えることになると確信していく。
〇結果として、筆者は地域福祉と社会教育の連携、学際研究に関心を寄せるようになり、その実践のフィールドを公民館や社会福祉協議会に求めていくことになる。
〇ところで、筆者は自分自身としては社会福祉の研究者であり、それを岡村重夫が提唱した “社会福祉の新しい考え方としての地域福祉“(岡村重夫説・1970年)という考え方に依拠して展開しようと考えていたが、そのような筆者の研究姿勢は、多くの社会福祉学研究者には理解されず、日本社会事業大学の教員からも、”大橋謙策は社会福祉研究のプロパーではない“という批判、評価を受けた。また、日本社会事業大学の清瀬移転に際し、大学院創設の文部省への申請書を審査した某有名大学の某教授も”あなたの論文は社会福祉の論文ではない“という評価を下した。
〇そのような中、筆者は、従来の社会福祉通説とは異なる新しい社会福祉実践、社会福祉学研究を求めて、社会福祉学界への抵抗の地域福祉研究50年を送ることになる。
〇その既存の社会福祉通説への批判と新たな社会福祉実践、社会福祉研究の論題は以下の通りであった。

ⅰ) 大河内一男の労働経済学(「我が国における社会事業の現状と将来について」昭和13年論文)を基盤とする社会福祉研究への批判
ⅱ) 社会権的生存権保障としての憲法第25条の「ウエルフェアー」から、憲法第13条に基づく幸福追求、自己実現支援の「ウエルビーイング」への転換(1973年論文)――障害者の学習・文化・スポーツの保障、「快・不快」を基底としたケア観、
ⅲ) 属性分野で細分化された福祉サービス、福祉行政の再編成と地域自立生活支援
ⅳ) 社会福祉施設中心主義と施設の社会化、地域化論(「施設の社会化と福祉実践」(日本社会福祉学会紀要『社会福祉学』第19号所収、1978年論文)
ⅴ)社会福祉の国家責任論オンリーではなく、社会保険の国家責任論と対人福祉サービスの市町村責任論との分離
ⅵ) 社会福祉の行政責任論ではなく、経済的給付、システムづくりにおける行政責任と地域自立生活支援における住民との協働による対人援助――べヴァリッジの第3レポートの位置、1601年「Statute Charitable Uses」研究、憲法第89条の桎梏からの脱却、2008年「地域における「新たな支えあい」を求めて」(厚労省研究会報告書―2016年地域共生社会政策の前史になる報告書)
ⅶ)社会事業における精神性と物質性――戦後の社会福祉は物質的対応で解決できると考えてきたことの誤謬――「救済の精神は精神の救済」(小河滋次郎、戦前方面委員の理念)

〇筆者は、1984年に書いた論文で、社会福祉研究者、社会教育研究者は“出されてきた政策には敏感であるが、政策を出さざるを得ない背景には鈍感である“と述べ、住民のニーズに即応したサービスの提供、地域づくりの必要性を説いている。
〇それは、対人援助として社会福祉を提供する際に、かつ地域づくりを展開する際における住民参加と住民のニーズを基点に考えるということである。
〇従来の社会福祉行政には、住民参加の規定もなければ、住民の相談、ニーズを「社会福祉六法体制」の基準に該当するかどうかで判定することや、措置行政の枠組みの中でサービスを提供すれば良いという考え方に対する批判でもあった。
〇そのような中、1970年代に、なぜ市町村社会福祉行政は計画行政でないのか、また、地方自治体の社会福祉施設整備計画がないのかを問い、市町村ごとに社会福祉計画を立案する必要性を説いた。
〇1980年には「ボランティア活動の構造」という図を示し、一般的隣近所の紐帯を強める地域づくり活動、地域にいる福祉サービス利用者を支える地域づくり、それらを社会福祉計画策定により解決していくという「自立と連帯に基づく社会・地域づくりのボランティア活動の構造」という図を作成した。
〇児童福祉法には市町村に児童福祉審議会を設置することが「できる」規定があり、かつ、民生委員法第24条に規定される意見具申権という規定、考え方を基に、当時、いくつかの自治体において、住民参加を保証する「社会福祉審議会」、「地域福祉審議会」の設置を求める提案をしている。

註3:東京都狛江市は、住民参加を規定した「市民福祉委員会」を条例で1994年に設置している。同じ頃、東京都目黒区でも「地域保健福祉審議会」が設置された。筆者の地元の稲城市では1980年代初めに「社会福祉委員会」を設置するが行政による要綱設置であった。東京都豊島区でも要綱設置であった。

〇このような住民参加による、住民のニーズに対応したサービスの提供という考え方が、多くの社会福祉行政、社会福祉従事者に共有されていれば、少なくとも“虐待”が起きる社会的背景、構造は違ってくる。
〇しかしながら、現実は、そのような住民のニーズに応えて、住民参加で社会福祉施設が作られたわけでなく、かつ、その社会福祉施設は措置行政によって、長らくサービス利用者を“収容保護する”という構造のなかで、“閉ざされた空間”に置いて福祉サービスが提供されるという構造の中で“虐待”事案として発生する。
〇社会福祉施設が、1978年に書いた論文のように、地域に開かれ、地域住民の共同利用施設として位置づけられ、運営、経営されているならば、“虐待”という事案は少しは防げるのではないだろうか。

Ⅱ 憲法第13条及び「快・不快」を基底としたケア観と「社会福祉観の貧困」、「人間観の貧困」「貧困観の貧困」「生活観の貧困」

〇筆者は、日本社会事業大学の講義で、よく「社会福祉観の貧困」「人間観の貧困」「貧困観の貧困」「生活観の貧困」という用語を使用して講義をしてきた。
〇それは、社会福祉を志している学生が陥り易い社会福祉観を問い直す作業過程として、その用語を使ってきた。
〇筆者は、社会福祉を憲法第25条からだけ説き起こすのではなく、それとともに憲法第13条からも説き起こすべきだと1960年代末から言ってきたし、論文にも書いてきた。
〇憲法第25条の社会権的生存権の規定は、人類が歴史的に獲得してきた権利であり、国民のセーフティネット機能として重要であることは重々分かったうえで、それだけだと提供される社会福祉サービスがちまちました“最低限度の生活保障”の域を出ないことになるし、その反動として、社会福祉サービスを提供する側のパターナリズムが避けられないと考えてきたからである。
〇それらのことを実感する機会はいくつもあるが、その一つは1970年に女子栄養大学に助手として採用され、勤務し始めて改めて痛感したし、同じく1970年から始めた聖心女子大学の非常勤講師の勤務からも痛感させられた。
〇女子栄養大学では、昼食を大学の食堂で摂るのだけれど、その食堂はキャフェテリア方式で、自分の好み、自分の懐具合、自分が食べたい分量を自分で考えるという“主体性”が常に求められる。
〇当時の社会福祉施設の食事は盛っ切りで、自分(福祉サービス利用者)の主体的選択の余地はなく、かつ食器も割れない食器で供されていた。日常生活における食事の持つ意味、食事に伴う生活文化などを女子栄養大学でいろいろ教わった。
〇当時、島根県出雲市の長浜和光園がバイキング方式の食事を提供し始めていて、社会福祉施設における食事に関わる問題の重要性を随分と学ばせてもらった。食事を通して学ぶ食文化、食事の場における会話、食事を作る生活技術など日常生活における食事の持つ意味は大きい。女子栄養大学では、当時核家族化が進む中での“子どもの孤食”の問題が大きく取り上げられていた。
〇筆者は、当時の女子栄養大学で社会福祉の科目を受講している学生に、夏休みの宿題として、社会福祉施設を訪問し、その施設の食事の実態を分析するレポート課題を出した。そのレポートに書かれた当時の分析と今日とを比較出来たらとても良かったと思うのだけれど、そのレポートは女子栄養大学を退職した際に、廃棄処分してしまったことが残念である。
〇他方、聖心女子大学でも社会福祉の科目を教えていたが、同じように夏休みの宿題として、社会福祉施設を訪問してボランティア活動を行い、学生なりの社会福祉施設の評価を求めるレポートを課した。その際、学生から質問があった。訪ねる社会福祉施設は日本の社会福祉施設でなければ駄目かという質問である。その学生は、夏休みに入ると同時に、父母がいる海外へ行くという。その海外の社会福祉施設の訪問記でもいいのかという質問であった。そのような境遇の学生が数人いた。日本と海外の社会福祉施設との比較が図らずも行うことができた。社会福祉施設を取り巻く福祉文化の違いを期せずして学生同士で論議できたことはおもしろかった。
〇1992年、筆者は日本社会事業大学の長期在外研究が認められ、イギリスに半年間滞在した。それも、筆者はロンドン大学などへの派遣ではなく、自由にさせて頂いた。
〇筆者は、ロンドンのケンジントン&チェルシー区に滞在し、区内にあるホスピスやボランティアセンターなどに出入りさせてもらった。ホスピスでは、余命いくばくもない人々が、私が訪問する度に、私に向かって“エンジョイしているか”と尋ねられる日々であった。そのホスピスでは、余命いくばくもないのに、ドリンキングパーティもあり、かつ犬のボランティアも登録されていて連れてこられたり、浴室にはカラフルな壁画が描かれていたりという福祉文化の違いを様々な形で私に問いかけてきた。
〇筆者は、憲法第13条に基づく社会福祉観を考える場合、生活上の様々な事象に対し「快・不快」を基底として、生活を楽しむ、生活を再創造するというリクリエーションが大切ではないかと考え、1980年代後半に、日本社会事業大学の故垣内芳子先生や日本レクリエーション協会の園田碩哉さん、千葉和夫さん(のちに日本社会事業大学の教員)、淑徳短期大学の木谷宜弘先生(元全社協ボランティア活動振興センター長)等と“社会福祉における文化の問題、レクリエーションの位置”について研究を行った。社会福祉施設の食事、社会福祉施設のインテリア、社会福祉施設職員のユニフォーム、行動規範などについて調査研究を行った。その結果は、1989年4月に『福祉レクリエーションの実践』(ぎょうせい)として上梓された。その『福祉レクリエーションの実践』には、筆者が日本社会事業大学研究紀要第34集に寄稿した「社会福祉思想・法理念にみるレクリエーションの位置」と題する論文が収録されている。
〇その論文では、ⅰ)社会福祉とレクリエーション、ⅱ)レクリエーションの捉え方の視角、ⅲ)西洋の社会福祉思想とレクリエーション及び娯楽、ⅳ)日本における社会福祉思想にみるレクリエーション及び娯楽、ⅴ)社会福祉六法の目的と生活観、ⅵ)施設最低基準にみる生活観、ⅶ)在宅生活自立援助ネットワークの構成要件、ⅷ)在宅福祉サービスの供給方法と施設整備の在り方について論述している。
〇この論文では、権田保之助の社会事業や娯楽の捉え方を踏まえつつ、如何に社会福祉法の目的が狭隘であるかを論述した。と同時に、入所型社会福祉施設のサービスを分解して、地域で住民の必要と求めに応じてサービスパッケージをすれば、社会福祉施設の位置と役割が変わることを指摘している(当時はケアマネジメントという用語は使われてなく、筆者は必要なサービスをパッケージして提供するという意味でサービスパッケージという用語を使用していた)。
〇1996年に総理府の社会保障審議会が社会保障の捉え方を見直し、事実上福祉サービスを必要としている人のその人らしさを支えるサービスに転換させる勧告を出す。憲法第25条に基づく“最低限度の生活保障”への偏りを反省し、事実上憲法第13条を法源とする社会保障、社会福祉への転換が求められた。
〇しかしながら、相も変わらず社会福祉分野では、“上から目線のサービスを提供してあげる”という考え方や姿勢が蔓延っているし、生活を楽しく、明るく、楽しむ自立生活支援にはなっていない。
〇社会福祉分野では、故一番ケ瀬康子先生等が「福祉文化学会」を設立し、社会福祉サービスの考え方や社会福祉における文化性について研究を推進してきたが、その研究枠組みは必ずしも私の先の論文の枠組みとは同じではない。
〇他方、1970年代から播磨靖男さんたちのわたぼうしコンサートを始めとして、社会福祉の枠にとらわれない障害者文化の向上に貢献する実践があるが、それらがどれだけ社会福祉分野に影響を与えて、社会福祉の質を変えたかは定かでない。
〇個々人の福祉サービスを必要としている人の「快・不快」を基にしたケアの提供を考えたならば、従来の入所型社会福祉施設で行ってきたケアが、いかにケアする側の論理、都合で提供されているかが分かるであろう。
〇日本人の文化と社会福祉との関りについては、本連載第1回でも書いたが、社会福祉関係者もケア提供者も、福祉サービスを必要としている人を「枠組み」に当てはめ、その「枠組み」の中の人間は同じだという“錯覚”にも似た“思い入れ”で対応し、「枠組み」の中の人、一人ひとりを丁寧に見て、その人の“思い”や“願い”をきちんとアセスメントしようとしない「文化」を持っている。
〇障害者といっても、障害の状態、障害の種類によっては全然違うし、障害者の中の発達障害者を見ても、その行動様式、“こだわり”は全部違うといってよい。なのに、それらの人々を一括りにして対応しようとするケア観が蔓延っている。
〇人間を見るのに、「枠組み」からのみ見たり、レッテルを貼ってみる人間観を変え、一人ひとり異なる存在であり、その異なる存在を受容し、関係性を豊かに持てるようにしていかないとケアの現場だけで問題を解決できると思うのは誤りだとさえいえる。
〇虐待の背景、深層心理には、日本人が陥っているその人のおかれている属性や枠組みから人間を捉える抜きがたい文化がある。
〇このような日本人が“身に着けている文化”を払しょくし、新しい人間観の基でのケア観を構築していくことが“急げば回れ”の諺ではないが重要である。そのため、小さい時からの、多分化を学び、一人一人のナラティブを尊重する福祉教育の実践の推進が求められている。

Ⅲ 情感的ケア観からアセスメントに基づく科学的ケア観への転換―「求めと必要と合意」に基づく支援

〇日本の医療の発展の要因の一つは、症状、病変の事象から、それがどこに起因するのかを診断する検査技術の発展が大きく貢献してきたと筆者は考えている。かつては、脈を取ったり、へらで舌の状態を観察したり、聴診器で心臓の鼓動や呼吸を確認するといった診断法が、今ではレントゲン、尿検査、血液検査、MRI、CTスキャナーといった検査機器の開発により、症状、病変の診断は特段に向上してきている。それらの検査を担う検査技師の養成、資格まで確立してきている。
〇かつて、巷で言い交された“あのやぶ医者は!”といった言葉は今日では死語になっている。
〇それに比して、社会福祉分野では、長らく中央集権的機関委任事務体制のもとで、サービス利用者が行政により認定され、その人たちが行政の委任を受けた措置施設で生活を送ることを前提に、その人のADL(日常自立生活能力)が低くければ、それを補完する“世話”として三大介護と呼ばれる排せつ介助支援、食事摂取支援、入浴介助支援が展開されてきた。
〇そこでは、措置されたサービスを必要としている人の生活を向上させるために、何をするべきか、何に気を付けるべきかの診断という発想は事実上なかったといっても過言ではない。
〇1971年の「社会福祉施設緊急整備計画」の中では、それら福祉サービスを必要としている人々を施設に“収容保護”し、いわゆる“最低限度の生活を保障すればいい”という考えで貫かれていたといっても過言ではないであろう。
〇1971年以降の「入所型社会福祉施設中心の時代」においては、ある意味、措置された福祉サービスを必要としている人の生活を“丸ごと抱え込んで支援する”という発想のもとに、その利用者の個々の差異には着目せず、同じ生活リズムで、集団的に生活を“させる”というケアを提供する職員側の立場、視点からの対応の仕方で済まされてきた。
〇しかしながら、1990年の社会福祉八法改正“により、在宅福祉サービスが法定化され、かつ地方分権の下で中央集権的機関委任事務体制の改革が求められるようになると、状況は変わる。
〇在宅福祉サービスを利用している人は、一人ひとり生活環境も違うし、行動様式も異なるし、同一空間で集団生活をしているわけではない。それだけに、在宅福祉サービスを利用している人の支援には個々人の生活状況や本人の希望を尊重したサービスの提供が求められるようになる。
〇筆者は、1987年に書いた論文「社会福祉思想・法理念におけるレクリエーションの位置」(日本社会事業大学研究紀要第34集所収、1988年刊)において、入所型施設で提供しているサービスの分節化と構造化の必要性を提起した。それは福祉サービスを必要としている人の状況に応じて分節化させたサービスの中から必要なものを選択し、パッケージ化(当時、ケアマネジメントという用語はなかった)させれば画一的なサービス提供にもならず、かつ在宅福祉サービスの個々人の状況に対応できるということを提起した。

註1: 拙著『地域福祉とは何か――哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』(中央法規出版、2022年4月刊、P32参照)

〇このことを進めるためには、福祉サービスを必要としている人は何を望んでいるのかその人の希望、願い、思いをきちんと受け止めなければならないし、同時に福祉サービスを必要としている人にケア・支援を行う専門職が、その人にはどういうサービスが必要であるかを診断したうえで支援する必要があることも提起した。
〇筆者の言い方で言えば、福祉サービスを必要としている人の求め、希望と専門職が生活支援上必要と考えることを出し合い、両者の合意で在宅福祉サービスの提供を考えていくという「求めと必要と合意」に基づく支援のあり方である。
〇ところで、福祉サービスを必要としている人々への支援において、よほど気を付けないと無意識のうちに“上から目線”の世話をしてあげるというパターナリズムになりがちになる。
〇福祉サービスを必要としている人はさまざまな心身機能の障害や生活上の機能障害において要介護、要支援の状態に陥っているので、ついつい福祉サービス従事者はその機能障害を改善、補完するために“いいことをしてあげる”という意識になりがちである。それは、一見“善意”に満ちた行為として考えられがちであるが、福祉サービスを必要としている人の意思や主体性を尊重しての“誠意”ある行為といえるのであろうか。
〇また、福祉サービスを必要としている人で家族と同居している場合には、福祉サービスを必要としている人本人の意思よりも、同居している家族が家族自身の“思い”、“願い”を福祉サービス従事者に話され、その家族の希望が優先され、ややもすると福祉サービスを必要としている本人の意向や意思は無視されがちになる。
〇ましてや、福祉サービスを必要としている人は、日常的に同居している家族に普段から迷惑をかけているからという“負い目”もあり、家族に遠慮して、自分の意向、意思を表明しない場合が多々ある。
〇日本の戦後の社会保障・社会福祉制度設計は、家族がおり、家族が“助け合う”ことを当たり前のように前提として設計されてきたために、福祉サービスを必要としている人本人の意思や希望は家族の前では搔き消されてしまいがちであった。
〇イギリスのブラッドショウは1970年代に、住民の抱える生活上のニーズを4つに類型化(①本人から表明されたニーズ、②住民は生活上の不安や不満、生活のしづらさを抱えているが表明されていないニーズ、③住民自身は気が付いていないし、表明もしていないが専門職が気づき、必要だと考えられるニーズ、④社会的にすでにニーズとして把握され、対応策が考えられているニーズ)した。
〇この類型化されたニーズにおいて、日本の社会福祉分野において気を付けなければならないニーズ把握の問題は、②の住民が生活上様々なニーズがあるにも関わらず気が付いていないか、自覚しておらず、表明されていないニーズである。
〇日本の“世間体の文化”、“忖度の文化”、”もの言わぬ文化”に馴染んで生活してきた国民は、自らの意思を表明することや自らの希望や願いを表明することに多くの人が躊躇してしまう。したがって、本人が自分の意見や気持ちを表明しないのだからニーズがないのだろうと解釈するととんでもない間違いを起こすことにもなりかねない。それらのニーズは潜在化しがちで、対応が遅れることになる。
〇一方、専門職が気づき、必要と判断するニーズにおいても、社会生活モデルに基づくアセスメントやナラティブに基づく支援方針の立案が的確に行われていればいいが、上記したようなパターナリズムでのアプローチをしている場合には専門職の判断が必ずしも妥当であると言えない場合が生じてくる。
〇イギリスでは、1990年の法律により、福祉サービスを提供する際には、その援助方針やケアプラン及び日常生活のスケジュール等を事前に本人に提示し、本人の理解を踏まえて提供することが求められるようになったが、2005年の「意思決定能力法」ではよりその考え方を重視するように法定化された。
〇日本の民法の成年後見制度や社会福祉法の日常生活自立支援事業が福祉サービスを必要としている人が自ら意思決定できないことを判定するということを前提にして制度設計されているのと違い、イギリスの「意思決定能力法」は日本と逆の立場を取っている。
〇「意思決定能力法」は①知的障害者、精神障害者、認知症を有する高齢者、高次脳機能障害を負った人々を問わず、すべての人には判断能力があるとする「判断能力存在の推定」原則を出発としており、②この法律は他者の意思決定に関与する人々の権限について定める法律ではなく、意思決定に困難を有する人々の支援のされ方について定める法律であるとしている。その上で、③「意思決定」とは、(イ)自分の置かれた状況を客観的に認識して意思決定を行う必要性を理解し、(ロ)そうした状況に関連する情報を理解、保持、比較、活用して 、(ハ)何をどうしたいか、どうすべきかについて、自分の意思を決めることを意味する。したがって、結果としての「決定」ではなく、「決定するという行為」そのものが着目される。意思決定を他者の支援を借りながら「支援された意思決定」の概念であるとしている。
〇日本だと、“安易に”、あの人は判断能力がないから、脆弱だから“その意思を代行してあげる”ということになりかねない。言語表現能力や他の意思表明方法を十分に駆使できない障害児・者の方でも、自分の気持ちの良い状態には〟“快”の表情を示すし、気持ち悪ければ“不快”の表現ができる。福祉サービス従事者は安易に“意思決定の代行”をするのではなく、常に福祉サービスを必要としている人本人の意思、求めていることを把握することに努める必要がある。
〇その上で、本人が自覚できていない人、食わず嫌いでサービス利用の意向を持てていない人に対し、専門職としてはニーズを科学的に分析・診断・評価し、必要と判断したサービスを説明し、その上で、両者の考え方、プランのあり方を出し合って、両者の合意に基づいて援助方針、ケアプランを作成することが求められている。

註2:菅冨美枝「自己決定を支援する法制度・支援者を支援する法制度――イギリス2005年意思決定能力法からの示唆―」法政大学大原社会問題研究所雑誌No822、2010年8月所収)参照

Ⅳ ナラティブ(人生の物語)を大切にした支援―福祉サービスを必要としている人のアセスメントを「医学モデル」から「社会生活モデル」へー

〇筆者は、1970年頃から、社会福祉学研究、社会福祉実践において労働経済学を理論的支柱にした経済的貧困に対する金銭給付と憲法第25条に基づく最低限度の生活保障の考え方では国民が抱える生活問題の解決ができず、新たな社会福祉の考え方が必要であると考え、提唱してきた。
〇筆者が考える社会福祉とは、その人が願うその人らしさの自立生活が何らかの事由によって阻害、停滞、不足、欠損している状況に対して関わり、その阻害、停滞、不足、欠損の要因を除去し、その人の幸福追求、自己実現を図れるように対人援助することだと考えた。
〇その場合の“自立生活”とは、古来から“人間とは何か?”と問われてきた課題を基に6つの要件(ⅰ)労働的・経済的自立、ⅱ)精神的・文化的自立、ⅲ)身体的・健康的自立、ⅳ)生活技術的・家政管理的自立、ⅴ)社会関係的・人間関係的自立、ⅵ)政治的・契約的自立)があると考えた。
〇と同時に、それらの6つの「自立生活」の要件の根底ともいえる、その人の生きる意欲、生きる希望を尊重し、その人に寄り添いながら、その人が望むナラティブ(人生の物語)を一緒に紡ぐ支援だと考えてきた。
〇戦前の生活困窮者を支援する用語に「社会事業」という用語がある。この「社会事業」には、積極的側面と消極的側面とがあるといわれており、その両者を統合的に提供することの重要性が指摘されていた。積極的側面とは、その人の生きる意欲、希望を引き出し支えることで、消極的側面は生活の困窮を軽減するための物質的援助のことを指していた。消極的側面は、気を付けないと“人間をスポイルする”危険性があることも懸念されていた。
〇現在の民生委員制度の原型である大阪府の方面委員制度を1918年に大阪で創設した小河滋次郎は、“その人を救済する精神は、その人の精神を救済することである“として、「社会事業」における積極的側面を重視した。しかしながら、戦後の生活困窮者を支援する「社会福祉」は積極的側面を実質的に“忘却”してしまい、物質的援助をすれば問題解決ができると考えてきた。
〇憲法第25条の最低限度の生活保障では消極的側面の対応でよかったのかもしれないが、憲法第13条に基づく幸福追求の支援ということでは、高齢者のケアであれ、障害者のケアであれ、生活困窮者の支援であれ、その人が送りたい“人生”、その人が願う希望をいかに聞き出し、その人の生きる意欲、生きる希望を支え、伴走的に支援していくことが求められる。
〇従来の社会福祉学研究や社会福祉実践では、「療育」、「家族療法」、「機能回復訓練」などの用語が使われており、その人らしさの生活を尊重し、支援するということよりも、ややもすると専門職的立場からのパターナリズム的に“治療・療”し、“問題解決”を図るという目線に陥りがちであった。
〇また 従来の社会福祉学や社会福祉実践では、よくアブラハム・マズローの「欲求階梯説」が使われが、この考え方も気を付けないといけない。
〇アブラハム・マズローがいう生理的欲求、安全の欲求、愛情と所属の欲求、自尊と承認の欲求、自己実現の欲求の6つの欲求の項目の意味は重要であるが、それらの項目において、下位の欲求が満たされたら上位の欲求が生じるという“欲求階梯説”はどうみてもおかしい。人間には、自ら身体的自立がままならず、他人のケアを必要としている人であっても、当然その人が願うナラティブ(人生の物語)があり、それを自己実現したいはずである。
〇その際、福祉サービスを必要としている人自らが自分の希望、欲求を表出できるとは限らない。福祉サービスを必要としている人の中には、さまざまなヴァルネラビリティ(社会生活上のさまざまな脆弱性)を抱えている人がおり、自らの願いや希望を表出できない人がいる。更には、障害を持って生まれてきたことで、多様な社会体験の機会に恵まれず、一種の“食わず嫌い”の状況で、何を望んだらいいのかも分からない人という生活上の“第2次障害”ともいえる状況に陥っている人もいる。このような人々の場合には、その人の“意思を形成する”ことに関わる支援も必要になってくる。
〇日本の社会福祉関係者の中には、1981年に世界保健機関で制定されたICIDH(国際障害分類)に基づくアセスメントを無意識に、いまだ利活用している人がいる。
〇ICIDHは、その人の心身機能に障害があるかどうかを診断し、その人の心身機能の障害がその人の能力不全をもたらし、ひいてはそのことがその人の社会生活上において不利をもたらすというImpairment――Disability――Handicapの関係を直線的に描くもので、心身機能の不全を診断することを基底とする「医学モデル」と呼ばれるものである。
〇この「医学モデル」は、ある意味わかりやすい構造になっているので、今でも多くの社会福祉関係の底層の心理として位置づいてしまっているが、これによる支援は機能障害を直すか、直せないまでもそれを補完するというレベルの支援になってしまう。
〇WHOは2001年にICF(国際生活機能分類)を発出し、ICIDHからICFへの転換を求めた。
〇ICFは、福祉サービスを必要としている人の生活環境を変えれば、従来のICIDHでは機能障害によりできないと思われていたことができるかもしれないので、その福祉サービスを必要としている人の“最低限度の生活保障”という考え方でなく、福祉サービスを必要としている人の生活環境を変えて、その人の自己実現を図る支援への転換を求めたものである。
〇ICFの考え方と昨今の急速な福祉機器の開発により、福祉現場は急速に変わらざるを得ない。介護ロボットや障害者のコミュニケーションを保障する福祉機器の導入如何では、従来の障害児・者、高齢者などの福祉サービスを必要としている人への支援のあり方は全く違うものになってしまう。
〇このような背景も踏まえて、筆者は従来の「医学モデル」に基づく診断(アセスメント)ではなく、社会生活上に必要な機能があるかないかを基に診断する「社会生活モデル」に基づくアセスメントの必要性を提起している。
〇「社会生活モデルに基づくアセスメントシート」の図の表頭の大項目に基づきアセスメントを行うことが、ケアの科学化には必須である。
〇今日のように、福祉機器の開発やICT、IoTが急速に進展している状況の下では、福祉サービスを必要としている本人は福祉機器を使ったら自分の生活がどのように変容するのかのイマジネーション(想像性)をもてない人がいる。そのような人々に対し、イマジネーションがもてるようにし、新たな人生を作り出すクリエーション(創造性)機能も重要な支援となる。
〇従来の社会福祉実践は、福祉サービスを必要としている人の「できないことに着目し、できないことを補完・補填する目的で、してあげるケア観」に陥りがちであった。幸福追求、自己実現を図るケア観に立つと、福祉サービスを必要とする人の「できることを発見し、それを励ますケア観」が重要になる。
〇今の社会福祉実践には、その人の生育歴におけるナラティブ(narrative:身の上話、経験などに関する物語)に着目し、その人が望む人生を創り上げることに寄り添い、支援することが求められている。

〇今まで3回に亘り、「虐待問題」が起きる根源的背景として、あるいは深層心理として持っている日本国民が有している文化的要因と社会福祉観、人間観について論述したうえで、ケア観の検討並びに画一的ケア観から個別支援におけるアセスメントとそれに基づくケアの必要性について述べてきた。
〇今回は、それらを踏まえて、虐待の定義、現状について整理した上で、今後の「虐待問題」の検討すべき課題を提示したい。

Ⅴ 虐待防止の法的定義と類型及び現状

〇虐待の問題は、子ども分野、障害者分野、高齢者分野において、共通する部分もあれば、異なる部分もあるので、虐待の法的定義とその類型及び状況については分野ごとに整理することとしたい。

① 高齢者分野における法的定義と虐待の類型及び現状
〇高齢者分野における虐待に関する法律は、2005年に制定された「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援などに関する法律」(以下「高齢者虐待防止法」という)がある。
〇その法律では、高齢者虐待の類型及び養護の定義を以下のように定めている。

ⅰ 虐待の種類  身体的虐待、介護・世話の放棄・放任、心理的虐待、性的虐
待、経済的虐待
ⅱ)高齢者とは65歳以上の者をいう
ⅲ 「養護者」とは、高齢者を現に養護する者であって養介護施設従事者等以外
の者をいう
ⅳ)養介護施設従事者とは、介護保険法、老人福祉法等における業務に従事する者

〇高齢者虐待の状況は、厚生労働省が公表した令和4年度(2021年度)の「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律に基づく対応状況などに関する調査結果」を基にした。ここでは、気になる項目を中心に抜粋しているので、詳しくはその調査を参照願いたい。
〇養介護施設従事者等による高齢者虐待の相談・通報件数と虐待件数の推移ば、2022年度において相談件数は2795件(虐待と判断された件数は856件)で、前年度比16・9%の増となっている。
〇「高齢者虐待防止法」が制定された翌年の通報件数が273件(虐待と判断された件数54件)であったことを考えるとその増加件数は約10倍で、高齢化率の増加を考えたとしても、かつ「高齢者虐待防止法」の周知度が高まったとしても大幅な伸びとなっている。
〇他方、養護者による虐待についてみると、2022年度の通報件数は38291件(虐待と判断された件数16669件)で、前年度比5・3%の増となっている。
〇「高齢者虐待防止法」が制定された翌年の通報件数が18390件(虐待と判断された件数12569件)と比較しても増大している。
〇ただし、養介護施設従事者等による高齢者虐待の相談・通報件数と虐待件数の増大が約10倍なのに対し、養護者による虐待の通報件数では約2倍(虐待と判断された件数では約1・3倍)なので、如何に養介護施設従事者等による高齢者虐待が増大していることが見て取れる。
〇虐待が起きた養介護施設の種類別では、「特別養護老人ホーム」が最も多く、274件(32・0%)、次いで「有料老人ホーム」が221件(25・8%)、「認知症対応型共同生活介護(グループホーム)」が102件(11・9%)、「介護老人保健施設」が90件(10・5%)となっている。
〇虐待の内容は、養介護施設従事者によるものでは、「身体的虐待」が810人(57・6%)、次いで「心理的虐待」が464人(33・0%)、「介護等放棄」が326人(23・2%)であった。
〇虐待を受けた高齢者像では、認知症高齢者で身体的虐待を受けている人が多い。
〇養護者による虐待では、虐待の発生要因(複数回答)としては「認知症の症状」が9430件(56・6%)、虐待者の「介護疲れ・介護ストレス」が9038件(54・%)、「理解力の不足や低下」が7983件(47・9%)、「知識や情報の不足」が7949件(47・7%)、「精神状態が安定していない」が7840件(47・0%)、「被虐待者との虐待発生までの人間関係」が7748件(46・5%)であった。
〇養護者の虐待の内容(複数回答)は、「身体的虐待」が11167人(65・3%)、次いで「心理的虐待」が6660人(39・0%)、「介護等放棄」が3370人(19・7%)、「経済的虐待」が2540人(14・9%)であった。
〇被虐待高齢者の「認知症の程度」と「虐待種別」との関係では、被虐待高齢者に重度の認知症がある場合には「介護等放棄」、「経済的虐待」をうける割合が高く、軽度の認知症の場合には「身体的虐待」、「心理的虐待」が高い傾向がみられた。

②  障害者分野における法的定義と虐待の類型及び現状
〇障害者分野における虐待に関する法律は、2011年に制定された「障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律」(以下「障害者虐待防止法」という)がある。
〇と同時に、国連が制定した「障害者権利条約」(2008年発効)を日本政府が2014年に批准したことを受けて、2011年に障害者基本法が改正され、「障害に基づくあらゆる形態の差別の禁止」が盛り込まれたことを受けて、その規定を具現化する「障害者差別解消法」が制定されていることも併行的に考えなければならない。
〇「障害者虐待防止法」では、障害者虐待の類型及び養護の定義を以下のように定めている。

ⅰ)「障害者」とは、身体・知的・精神障害その他の心身機能の障害がある者であ
って、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活・社会生活に相当な制限を
受ける状態にあるものをいう。
ⅱ)「障害者虐待」とは、ⅰ)養護者による障害者虐待、ⅱ)障害者福祉施設従事者等による障害者虐待、ⅲ)使用者による障害者虐待をいう。
ⅲ)障害者虐待の類型は、イ)身体的虐待、ロ)放棄・放置、ハ)心理的虐待、
ニ)性的虐待、ホ)経済的虐待の5つとしている。

〇障害者虐待の現状については2024年3月5日に行われた第140回の社会保障審議会障害者部会に報告された「障害者虐待事例への対応状況調査結果等について」に基づき明らかにしたい。
〇2022年度の養護者による障害者虐待の相談・通報件数は8650件で、2021年度より約1300件増加している。
〇「障害者虐待防止法」は2011年に成立しているが、その翌年の2012年度の相談・通報件数が3260件なので、約10年間で約2・6倍に増加している。
〇相談・通報件数のうち、虐待と判断された件数は2022年度で2123件、これも2012年度に比べると1・6倍になっている。
〇相談・通報者は、警察が51%、本人13%、施設・事業所の職員が11%、相談支援専門員が11%である。
〇虐待行為の類型では、身体的虐待が69%、心理的虐待が32%、経済的虐待が17%、放棄・放置が11%、性的虐待が3%である。
〇障害者福祉施設従事者等による障害者虐待は、2022年度が4104件で、前年度より1・28倍増加している。
〇そのうち、虐待判断件数は956件で、前年度比1・37倍である。
〇相談・通報者は、当該施設・事業所その他の職員が16%、設置者・管理者が15%、本人が16%、家族・親族が11%となっている。
〇虐待行為の類型は、身体的虐待52%、心理的虐待46%、性的虐待14%、放棄・放置が10%、経済的虐待が5%である。
〇被虐待者の障害種別では、知的障害が73%、身体障害が21%、精神障害が16%で、行動障害を伴うものでは34%になっている。
〇障害者分野の虐待問題では、他の高齢者や児童とは異なる“障害者を雇用している使用者”による虐待問題がある。
〇障害者虐待との通報・届け出があった事業所は、厚生労働省雇用環境・均等局総務課労働紛争処理業務室の調査報告によれば、2021年度で1230件(都道府県からの報告197件、労働局などへの相談880件、その他労働局等の発見153件)であった。
〇通報・届出の対象となった障害者数は1431人であり、障害種別では、精神障害が37・8%、知的障害が32・3%、身体障害が19・1%、発達障害が7・1%となっている。
〇虐待行為の類型では、経済的虐待が47・5%、心理的虐待が37・8%、身体的虐待が8・3%、放置等による虐待が4・4%、性的虐待が1・9%となっている。
〇虐待の相談・通報があった件数のうち、虐待と認められた障害者数は、2021年度502人であった。
〇就労形態別では、パート等が46・4%、正社員32・9%、期間契約社員3・8%などとなっている。
〇障害者虐待を行った使用者の内訳では、事業主85・8%、所属の上司12・2%となっている。
〇虐待が認められた事業所の業種では、製造業25・5%、医療・福祉が22・7%、卸売業・小売業が11・2%、宿泊業・飲食サービス業が6・6%、建設業が5・9%となっている。
〇事業所の規模別では、5~29人規模の事業所が49・2%、30~49人規模が16・8%、5人未満が13.5%で、50~99人規模で6・9%、100~299人規模で3・8%となっている

③  児童分野における法的定義と虐待の類型及び現状
〇児童分野における虐待に関する法律は、2000年に制定された「児童虐待の防止等に関する法律」(以下「児童虐待防止法」という)がある。
〇児童分野における虐待については、1933年に「旧児童虐待防止法」が制定されていたが、これは戦後1947年に児童福祉法が制定されたことに伴い廃止されている。しかしながら、1990年代に入り、急速に児童虐待が増加したことに伴い、新しく「児童虐待防止法が」が制定されることになった。
〇「児童虐待防止法」では、児童の虐待の定義及び類型について以下のように定めている。

ⅰ)児童虐待の定義――「児童虐待」とは、保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するもの
ⅱ)児童虐待の類型――身体的虐待、性的虐待、保護者としての監護の放棄・放任、心理的虐待

〇令和4年度(2022年度)中に、全国232か所の児童相談所が児童虐待相談として対応した件数は219170件だった。
〇筆者が日本社会事業大学の在外研究制度で、長期にイギリスに滞在したのは1992年であったが、当時イギリスの虐待件数は1990年当時約36000件だった。
〇しかしながら、イギリスの児童虐待の状況から考えて、日本でも家族形態の変容、地域における児童健全育成力の低下等から、急速に児童問題が深刻化し、児童虐待が増えると考え、筆者は全社協の全国民生児童委員協議会の企画委員会の委員長として、民生委員が児童委員を兼ねるだけでは対応できないと考えて、児童問題を主管、主務とする児童委員制度を創設すべきとの提案をした。その提案は厚生省に受け入れられ、1994年度から「主任児童委員制度」が始まる。
〇と同時に、筆者は東京都児童福祉審議会の専門部会長として、当時東京都にある12か所の児童相談所とは別に、都内各区市町村に最低1か所の「子ども家庭支援センター」を設置し、保健師、保育士、社会福祉士を配置して、子ども・家庭への相談支援を行うこと、しかもそれはアウトリーチ型の地域組織化を想定して行うことなどの提案をし、専門部会で承認され、東京都に建議した。その建議は受け入れられ、東京都全区市町村に58か所の「子ども家庭支援センター」が設置された。
〇この二つの提案は、イギリスでの在外研究制度の成果であり、日本でも急速に児童虐待への対応を図るべきとの提案であったが、当時の児童福祉研究者や児童福祉行政の関係者たちの反応は、従来の児童相談所体制でいいとする反応であった。
〇児童虐待は、筆者の想定した通り、1990年度には1101件で、その後2000年度には17725件、2010年度には56384件、2020年度では205044件と急増している。
〇2022年度の児童虐待の219170件の内容別件数は、「身体的虐待」が51679件(23・6%)、「ネグレクト」が35556件(16・2%)、「性的虐待」が2451件(1・1%)、「心理的虐待」が129484件(59・1%)となっている。
〇児童相談所に寄せられた虐待相談の相談経路は、2022年度では警察等が最も多く、112965件(51・5%)、次いで近隣・知人が24174件(11・0%)、家族・親戚が18436件(8・4%)、学校が14987件(6・8%)となっている。
〇児童虐待による死亡事件も2022年度では45件、51人が亡くなっている。子どもを巻き込んだ心中事件も37件、47人が亡くなっている。
〇虐待を行っている人の類型では、実母が38224件(57・3%)、実父が19311件(29・0%)、実父以外の父が4140件(6・2%)となっている。
〇虐待を受けた子どもの年齢別では、小学生が最も多く、23488件(35・2%)、次いで3歳~学齢前が16505件(24・7%)、0歳~3歳未満12503件(18・8%)、中学生9404件(14・1%)となっている。
〇児童分野における虐待発生の要因として、厚生労働省はⅰ)子どもの状況――発達・発育、健康状態・身体状況、情緒の安定性、問題行動、基本的な生活習慣、関係性、ⅱ)養育者の状況――健康状態等、性格的傾向、日常的世話の状況、養育能力等、子どもへの思い・態度、問題認識・問題対処能力、ⅲ)養育環境――夫婦・家族関係、家族形態の変化を挙げている。

Ⅵ 虐待の現状から抽出して論議すべき課題

〇このように「虐待問題」と一言で言っても、高齢者分野、障害者分野、児童分野といった多岐に亘っており、それを総括りして論議することは困難である。
〇強いて言えば、日本の「家」意識、画一的集団生活からの“逸脱者”への罰の意識、上意下達の命令体質がもたらす“複合的表出”の結果としての「虐待」と言えるのではないか。
〇とりわけ、日本の戦後の社会保障、社会福祉は、戦前の「家」制度の名残をとどめており、家族の扶養、家族の介護を家族間の情愛の感情、親密圏域の自然発生的ケア観を前提として構築されている。
〇社会福祉従事者もその呪縛から解放されておらず、家族を前提としたケア方針の立案をしがちであり、福祉サービス利用者を一個の独立した個人として捉え、その個人の幸福追求、自己実現を支援する役割を社会福祉関係者が担うという崇高な理念、人間像を描けないままに業務に従事していること、それらの職員を雇用する社会福祉法人などの組織自体も上記の理念を明確に持たないままの経営、運営に陥っているのではないかと思っている。
〇上記した虐待の現状について、再度まとめるとともに、今後検討する論議すべき課題との関係で、重要だと思われることを再掲しておきたい。

① 養介護施設従事者等による高齢者虐待の相談・通報件数と虐待件数の増大が約10倍なのに対し、養護者による虐待の通報件数では約2倍(虐待と判断された件数では約1・3倍)なので、如何に養介護施設従事者等による高齢者虐待が増大していることが見て取れる。
② 虐待を受けた高齢者像では、認知症高齢者で身体的虐待を受けている人が多い。
③ 高齢者の養護者による虐待では、虐待の発生要因(複数回答)としては「認知症の症状」が9430件(56・6%)、虐待者の「介護疲れ・介護ストレス」が9038件(54・“%)、「理解力の不足や低下」が7983件(47・9%)、「知識や情報の不足」が7949件(47・7%)、「精神状態が安定していない」が7840件(47・0%)、「被虐待者との虐待発生までの人間関係」が7748件(46・5%)であった。
④  2022年度の養護者による障害者虐待の相談・通報件数は8650件で、2021年度より約1300件増加している。「障害者虐待防止法」は2011年に成立しているが、その翌年の2012年度の相談・通報件数が3260件なので、約10年間で約2・6倍に増加している。
⑤ 被虐待者の障害種別では、知的障害が73%、身体障害が21%、精神障害が16%で、行動障害を伴うものでは34%になっている。
⑥ 障害者分野の虐待問題では、他の高齢者や児童とは異なる“障害者を雇用している使用者”による虐待問題がある。
就労形態別では、パート等が46・4%、正社員32・9%、期間契約社員3・8%などとなっている。
事業所の規模別では、5~29人規模の事業所が49・2%、30~49人規模が16・8%、5人未満が13.5%で、50~99人規模で6・9%、100~299人規模で3・8%となっている
⑦ 児童虐待による死亡事件も2022年度では45件、51人が亡くなっている。子どもを巻き込んだ心中事件も37件、47人が亡くなっている。
虐待を行っている人の類型では、実母が38224件(57・3%)、実父が19
311件(29・0%)、実父以外の父が4140件(6・2%)となっている。
日本では、いまだ「子どもの発見」が不十分で、子どもは親の付属物として捉え、
子どもを親の意向に従わせる「命令と禁止」での子育てが払しょくできていない。

〇これらの「虐待の現状」から考えて、検討すべき課題は以下の通りである。

ⅰ)家族による親密圏域のケアを当たり前の前提として、公共圏域のケアの整備が十分でない問題。
この問題の中には、相談できる「福祉アクセシビリティ」の問題や介護支援専門員、障害者相談支援員のケア観の問題がある。
また、ケアをしている家族の社会福祉制度を活用する受援力、地域福祉サービス利用主体の形成が不十分の問題もある。
ⅱ)養介護者が集積している社会福祉法人などのサービス供給組織の経営理念、運営方針等にケアのあり方、サービス利用者の尊厳の保持が具体的に明記され、それが常に研修等を通じて確認できているかどうかの問題―社会福祉現場に関わる動機、モチベーションとその内省、外化の機会の有無とアンガーマネジメントの研修。
ⅲ)機関委任事務体制下では行政による措置施設職員の研修がおこなわれていたが、2000年以降は、社会福祉職員の研修は行政的には対応できておらず、個々のサービス供給組織により行われている。
しかも、メンター制度やOJTの機能はほとんどなく、入職後から独任官的に職務を任せられ、体系的な研修を通して、自らの実践を振り返り、検証する機会を持てていない。
とりわけ小規模のサービス供給事業組織がそうである。
ⅳ)上記ⅱ)の問題とも関わるが、従事者が安心してケアに従事できるかどうか、職場環境の整備との関係の問題と同時に、きちんとしたケア観を有している人を採用し、キャリアップについて見通しがもてる人事政策があるかどうかの問題。
ⅴ)日常的に地域で障害者等とふれあい、その人の人格を尊重する機会である福祉教育の実践が地域、学校において行われているかの問題―人間の理解は頭での言語能力での理解だけでなく、福祉サービスを必要としている人との切り結びが重要。

〇虐待が起きている現場の状況は様々であり、その「違い」を捨象して、共通の統一的見解を示すことは容易ではない。
〇しかも、今までも述べてきたように、日本人が有している国民的文化がもたらす人権感覚の低さ、多様性を認める認識の低さ等の、国民の深層心理、底流にある意識との関りを抜きにして語れない部分が多分にあるが、ここではそれを踏まえた上で、今後虐待問題を検討するに際しての課題について論述しておきたい。
〇筆者は、連載の第4回の最後において、下記のような問題があることを指摘した。
〇それは、以下の通りである。最終回の今号では、これらについて論述したい。

ⅰ)家族による親密圏域のケアを当たり前の前提として、公共圏域のケアの整備が十分でない問題。
この問題の中には、相談できる「福祉アクセシビリティ」の問題や介護支援専門員、障害者相談支援員のケア観の問題がある。
また、ケアをしている家族の社会福祉制度を活用する受援力、地域福祉サービス利用主体の形成が不十分という問題もある。
ⅱ)養介護者が集積している社会福祉法人などのサービス供給組織の経営理念、運営方針等においてケアのあり方、サービス利用者の尊厳の保持が具体的に明記され、それが常に研修等を通じて確認できているかどうかの問題―社会福祉現場に関わる動機、モチベーションとその内省、外化の機会の有無とアンガーマネジメントの研修。
ⅲ)機関委任事務体制下では行政による措置施設職員の研修がおこなわれていたが、2000年以降は、社会福祉職員の研修は行政的には対応できておらず、個々のサービス供給組織により行われている。
しかも、メンター制度やOJTの機能はほとんどなく、入職後から独任官的に職務を任せられ、体系的な研修を通して、自らの実践を振り返り、検証する機会を持てていない。とりわけ小規模のサービス供給事業組織がそうである。
ⅳ)上記ⅱ)の問題とも関わるが、従事者が安心してケアに従事できるかどうか、職場環境の整備との関係の問題と同時に、きちんとしたケア観を有している人を採用し、キャリアアップについて見通しがもてる人事政策があるかどうかの問題。
ⅴ)日常的に地域で障害者等とふれあい、その人の人格を尊重する機会である福祉教育の実践が地域、学校において行われているかの問題―人間の理解は頭での言語能力での理解だけでなく、福祉サービスを必要としている人との切り結びを通して体感的に学ぶことが重要。

Ⅶ 家族を“含み財産”とする社会福祉制度の破綻と「福祉アクセシビリティ」のいい「総合相談窓口」、「まるごと相談窓口」の設置及び福祉教育の推進

〇戦後日本の社会福祉制度は、家族を“含み財産”として位置づけ、家族の介護、養育を前提にして制度設計されてきた。
〇しかしながら、1960年代の高度経済成長政策の下、急速に産業構造の転換が行われ、工業化、都市化、核家族化が進み、家族の、地域の介護力、養育力はぜい弱化していった。
〇そのことについては、拙稿「高度成長と地域福祉問題―地域福祉の主体形成と住民参加」(吉田久一編『社会福祉の形成と課題』19811年、所収)に論述してあるので参照して欲しい。
〇ところで、筆者が地域福祉と社会教育との学際的研究において、より明確に地方自治体における地域福祉とそれを可能ならしめる地域づくりを社会教育と地域福祉の有機的関りのもとで行おうと考えるようになったのは、江口英一先生が1986年に書いた「日本における社会保障の課題」という論文に触発されてからである。
〇社会教育はもともと地方分権を前提にして理論構築や実践が展開されていたが、社会福祉の分野における地方自治体の位置というものは必ずしも明確でなく、“福祉国家体制”という名のもとに、常に中央集権的機関委任事務の下で社会福祉行政は進められてきた。社会保障の一環である社会保険は国レベルで検討される政策であることは理解できるが、社会保障の一環である対人援助としての社会福祉は地域で生活している住民の身近な地方自治体の政策として論議されるものだと筆者は考えてきた。
〇それは経済的給付とちがって、対人援助としての社会福祉は、地域性、地域の生活環境に左右される部分が多く、全国一律のサービス提供、対人援助にはなじまないと考えてきたからである。
〇江口英一先生は、先の論文で、地域住民の生活は大変不安定で、生活上のちょっとした事故でも住民の25%が生活保護世帯に転落する可能性を有していて、それを防ぐためには地方自治体ごとの福祉サービスの整備が必要であるとその論文で説かれていた。
〇筆者はこの論文に勇気づけられ、この論文に依拠しながら、どうしたら地域住民の生活を守り、安定させる福祉サービスの整備のあり方、提供のシステムができるかを考えてきたのが筆者の地域福祉研究60年であった。
〇その中の理論的、実践的課題の一つが「福祉アクセシビリティ」の問題である。それは住民の生活の安定を守る地方自治体の福祉サービスの整備量もさることながら、住民からみた「福祉アクセシビリティ」が大きな問題だと考えたからである。
〇「福祉アクセシビリティ」とは、距離的に近いという問題、公共交通機関の利便性、たらい回しをされない、ワンストップの相談の総合性、心理的、手続き面での受容性などが大きいと考えたからである。
〇1970年ごろ、国民の社会福祉認識は、社会福祉を利用する人、必要としている人は、ある意味で「自業自得」であり、福祉サービスを利用することは個人にとっても、家族・親類縁者にとっても”恥”とする意識が強かった。
〇このような福祉サービスを必要としていながら、福祉サービスの相談窓口が“縁遠かった“住民は、誰にも相談できず、ストレスを貯めこみ、ネグレクトするとか、心理的虐待、身体的虐待に走っていったことは想像に難くない。
〇住民の身近なところで、心理的負担もなく、相談しやすい環境があったならば、利用できる福祉サービスがある、なしに関わらず、住民は自ら抱える辛さ、悩み等を「外化」でき、虐待に走る度合いが減ったのではないだろうか。
〇今、地域共生社会政策の下で、包括的支援体制、重層的支援体制整備の必要性が謳われているが、1990年までの中央集権的機関委任事務体制の下では、「社会福祉六法体制」に基づく縦割り福祉行政が行われていて、「福祉アクセシビリティ」のいい世帯・家族全体を支援する総合相談窓口はなかった。
〇筆者は1990年に東京都狛江市、東京都目黒区、岩手県遠野市などにおいて、縦割り福祉行政の弊害を除去し、住民にとって「福祉アクセシビリティ」のいい福祉行政システムを構築してきた。
〇このような「福祉アクセシビリティ」の良さに加えて、職員によるアウトリーチ型問題発見と支援とが行われたならば、養護者の虐待の動向は違っていたのではないだろうか。
〇日本の社会福祉・社会保障は、相も変わらず“家族の介護力、養育力”に依存する“家族”を含み財産とする発想が色濃く残っている。
〇今こそ、市町村において包括的・重層的支援システムを構築し、コミュニティソーシャルワーク機能を発揮できるシステムの構築とそれを担当できる職員の養成が喫緊の課題である。
〇今や、単身者社会であり、家族に頼らない、「福祉アクセシビリティ」のいい、生活に関わる「総合相談窓口」や「まるごと相談窓口」を地域に構築することが必要である。
〇と同時に、住民の社会福祉に関する知識の向上、社会福祉制度の理解を深め、国民が戦前からの「家制度」に基づく「家意識」を変容させ、家族に頼らない、公共圏域の社会サービスを利用するのが当たり前と思える住民の福祉サービス利用の受援力を高める福祉教育の推進がますます重要になってきている。

Ⅷ 介護問題が集積している社会福祉法人の理念、経営方針と虐待問題

〇連載の第4回目で述べたが、厚生労働省の調査によれば、障害者施設や通所サービ
スなどの従事者から障害者が虐待を受けた件数は、2023年度、5618件で前年度比約37%増加している(ちなみに、家族などの養護者から虐待を受けた障害者は2285件、前年比7・8%増であった)。
〇介護施設の職員らによる高齢者への虐待は1123件(前年度比31・2%増)で、2006年度調査開始以来の最多となった。家族などの養護者による虐待は17100件(前年度比2・6%増)であった。
〇このような状況を踏まえ、社会福祉施設、福祉サービス事業所での虐待をなくすためには以下のような取り組みが必要ではないか。

ⅰ)社会福祉法人の設立理念、経営方針における人間性、個人の尊厳を謳う個別ケアが明確化されているか
〇日本の社会福祉施設は、中央集権的機関委任事務が少なくとも1990年まで、あるいは2000年まで続いていたこともあり、福祉サービスを必要としている人、福祉サービスを利用している人のアセスメントが事実上できていなかった。
〇福祉サービスを必要としている人を行政がサービス利用の要件に合致しているかどうかを判断し、社会福祉施設・社会福祉法人はその行政に措置された人を受け入れ、サービスを提供していたために、入所型施設などにおいては、三大介護と言われる食事、排せつ、入浴がどれだけ“自立”しているかというADLの評価が中心であった。
〇医療の世界では、ついこの間まで“やぶ医者”という言葉が住民の間で使われていたが、いまやその用語は“死語”になっている。それは、医療の世界では、聴診器だけでなく、レントゲン、MRI、CTスキャナー、血液検査などの診断技法が格段に進展し、患者の病変の診断と治療との関係性が格段に向上したからである。
〇ところが、社会福祉界は未だ福祉サービスを必要としている人が何につまずき、何が生活のしづらさを生み出す要因なのか、本人は何を希望し、どういう生活を送りたいと願っているのかなどの「社会生活モデル」に基づくアセスメント技法が確立していない。何となく社会福祉士、介護福祉士などの資格を有している人が“情感的に”判断しているという“やぶソーシャルワーカー”が沢山いる。
〇それは、福祉サービスを必要としている人が現に制度化されているサービスを利用できる要件に合致するかどうかという仕事の仕方をしてきた中央集権的機関委任事務体質の福祉文化を見直すことなく、無意識のうちにそれを引きずってきているからである。
〇また、社会福祉法人は行政から措置された人に対する“最低限度の生活保障”をしてあげるという目線になりがちで、結果として法令による措置施設の施設最低基準に基づき集団的、画一的ケアを実施してきたのではないだろうか。
〇2000年以降、福祉サービス利用が契約で行われるようになった際に、従来の支援方針、ケア観を見直し、福祉サービスを必要としている人、利用している人と福祉サービスを提供する側とが相対契約をする制度に変わったことに伴い、その際に、どれだけの社会福祉法人、社会福祉施設がその相対契約に相応しい福祉サービス利用者、福祉サービスを必要としている人の個々の状況に見合ったアセスメントと援助方針を確立することを明確にできたであろうか。
〇筆者が考えるのに、現象的には社会福祉法人も社会福祉施設も個人の尊厳、人間性の尊重を謡いながら、実質的には個々人の状況を丁寧にアセスメントするという福祉文化が確立できていなかったのではないか。
〇その点で、筆者が注目しているのは、2002年の老人福祉施設最低基準が改訂され、ユニットケアが出されてくる中で、一般社団法人日本ユニットケア推進センターが進めている、限りなく個別ケアの具現化の取り組みである(拙編著『ユニットケアの哲学と実践』日本医療企画、2019年)。
〇一般社団法人日本ユニットケア推進センターが進めている個別ケアの実践は、同じ厚生労働省が定めた基準である老人福祉施設最低基準に則りながら、個別ケアを確立できており、かつ職員の離職率も低く、利用者からの評価も高いことを考えると全国的に展開できないことではない。要は、社会福祉法人の経営理念、実践哲学がそのことを明かにできているかどうかの問題である。

ⅱ)市町村における福祉サービス事業所職員の研修の体系化はされているだろうか
〇中央集権的機関委任事務体制時代にあっては、行政がサービス提供を社会福祉法人に委託していたこともあって、各都道府県が社会福祉研修センターを設置し、社会福祉法人、社会福祉施設の職員に対する研修がそれなりに整えられていた。
〇しかしながら、2000年の介護保険、2005年の障害者総合支援法以降、福祉サービス利用は行政の措置から、福祉サービスを必要としている人と福祉サービス事業者との間の契約に変わったこともあり、各都道府県の社会福祉研修センターの役割は大きく変わり、筆者が観る限りにおいて各都道府県の社会福祉職員に対する研修機能は大幅に低下していると言わざるを得ない。
〇ある意味、職員の研修は、各福祉サービス事業者の任意となり、行政は各サービス事業者のサービス管理者の資格、研修を規制化させることで、職員のサービスの質の担保を図る仕組みへと変更した。
〇したがって、福祉サービス事業所で働く職員、社会福祉法人、社会福祉施設で働く職員の研修は、いわば無秩序状態になっている。
〇このような状況のなかで、小さな規模の事業所の職員はほとんど研修を受けることもできなければ、自前で研修をすると言うことも容易ではなくなってきている
〇先に挙げた事業所の虐待件数についても、事業所の規模や事業所内での研修の有無などについて丁寧に分析する必要があるが、ここでは触れない。ただし、福祉サービス事業所の規模別・虐待種別事業所数の調査によれば、規模が5~29人の規模の事業所が虐待件数全体の49・2%、30~49人規模が16・8%、5人未満が13・5%であり、逆に300人以上の規模では1・0%であることを考えると事業所の規模ごとにおける職員研修のあり方との関係があることは想像に難くない(「令和3年度使用者による障害者虐待の状況」調査)。
〇他方、1990年以降、地方分権化が進み、国や県は市町村への指導を直接的にはできず、専門的助言の域を超えることができなくなった。その上に、市町村は各分野ごとの福祉計画の“上位計画”として「地域福祉計画」を位置づけている。しかしながら、この市町村ごとの「地域福祉計画」を見る限り、市町村内の福祉サービスに従事する職員の研修の必要性を掲げている「地域福祉計画」は皆無に近い。
〇今や、一部の大手を除くと福祉サービス事業所、社会福祉法人の職員の研修システムはとても不十分だと言わざるを得ない。
〇しかしながら、福祉サービスは国民にとって欠かせないサービスであり、かつサービス利用費がいわば公定価格で縛られてはいるものの、逆の意味では“安定”していることもあり、いわゆる市場ベースの“競争原理”は働きにくい状況である。
〇ならば、サービス管理者の資格、研修のみならず、市町村福祉行政による市町村内の社会福祉職員の研修を整備し、職員の資質向上を図るべきなのではないだろうか。
〇2011年の「地方分権一括法」で、市域内だけの住民を対象に福祉サービスを提供している社会福祉法人の許認可権は市長が有することになったし、その後介護保険サービスの許認可権も町村長にまで移譲されたことを考えると、市町村レベルでの域内の福祉サービス従事者への研修システムの構築は市町村行政が責任をもって行うべきではないだろうか。
〇このような職員の研修システムの構築をしないでおいて、事業所における虐待を取り締まるという姿勢だけでは問題解決につながらない。

ⅲ)社会福祉学の構造と国家資格養成課程における実践力習得の課題
〇社会福祉学の構造は、①社会福祉の目的、理念に関わる哲学、②福祉サービスを必要としている人の生活のしづらさ、生活問題をアセスメントし、構造的に分析する分析科学、③福祉サービスを必要としている人の問題を解決するための援助方針の立案、活用できる福祉サービスの利用計画、活用できる福祉サービスがなければ、新しい問題解決プログラムを作成するとか、新しい福祉サービスを開発するなどの設計科学、④立案された援助方針、ケアプランに基づき具体的な対人援助の実践を展開する実践科学。この実践科学は、設計されたプラン通りに実施すればいいというものではなく、福祉サービスを必要としている人の日々の変化を見据え、実践者がその状況に合わせ、設計されたプラン、対人援助を微調整していく必要性がある。⑤実践を展開した後、福祉サービス利用者の「快・不快」を基底とした満足度や設計されたケアプランの妥当性などについての評価、振り返りを図る評価科学の5つの要素からなる統合科学である。
〇この統合科学という考え方は、戦前に確立されてき旧帝国大学の講座制の学問体系にはない、新しい学問の考え方であり、日本学術会議が2003年以降打ち出している考え方である。
〇社会福祉分野は、従来「学問」ではなく、「論」の域を出ていないと学術界では言われてきたが、日本学術会議の提案による「統合科学」という視点、枠組みを考えるならば、社会福祉はまさにぴったりの「統合科学」である。この「統合科学」という考え方の提唱もあって、社会福祉学は2003年度から日本学術振興会の科学研究費の細目として「社会福祉学」が位置づけられ、文字通り日本の学問体系において「社会福祉学」が認証された。
〇しかしながら、統合科学としての「社会福祉学」における個々の要因、要素の実践、研究の科学化は未だ道遠しの状況である。
〇第1には、援助方針を立てる基になるアセスメントが十分確立されていない。相も変わらず医学モデルに基づく“治療”、“療育”という考え方が強く、「社会生活モデル」に基づく、その人の自己実現を図るという発想が十分でない。そのことは先に述べた中央集権的機関委任事務体制の文化的名残りであり、かつ憲法第25条に基づく最低限度の生活保障を保証してあげるというパターナリズムを払しょくできていないからである。
〇今や、ICF(国際生活機能分類)の考え方に基づき、福祉機器等を活用してその人の生活環境を改善したらどうなるかという視点からのアセスメントも重要になってきている。
〇第2には、社会福祉の実践現場は、施設最低基準などの制約があり、ややもすると新人職員と言えども“一人前”の扱いを受けて、勤務シフトに配属され、事実上OJT―オン・ザ・ジョブ・トレーニング(職場での実務を通じて知識やスキルを習得させる育成方法)が実施されてない。
〇また、同じような理由から職員の資質を向上させる一つの方法であるメンター制度(経験豊富な先輩社員・メンター・が後輩シャインのキャリア形成や悩み解決法をサポートする社内制度)なども導入されていないのが大方である。
〇今日では、社会福祉士、介護福祉士の国家資格が出来てから約40年近くの歴史を経て、多くの社会福祉従事者が資格を有する時代になってきている。
〇先に述べた虐待事案において、国家資格の有資格者が虐待を起こしているのか、それとも資格を有していない人が虐待を起こしているのかの分析まではしきれていない(障害者分野では、虐待を起こした職員の就労形態別調査では、正社員、パート等において虐待がおこされていて、派遣労働者等の件数は少ない。しかしながら、国家資格の有無による虐待件数の調査は見当たらなかった。高齢者分野においてもこの項目は見当たらなかった)。
〇資格を有していない人が虐待問題を起こしていてもしょうがないという訳ではないが、資格を有している人でも虐待を起こしているかもしれないという問題点をここでは指摘しておきたい。
〇つまり、現在の国家資格は、社会福祉制度などに関わる座学で学べる部分と実習によって習得できる部分で教育課程は構成されているが、筆者は圧倒的に実習が少ないと考えている。
〇社会福祉士の国家資格の受験資格を得られる通信制の養成機関では、出題科目である講義科目についての履修は求められず、相談援助に関する演習と実習が課せられている。
〇この考え方は、講義科目は当然国家試験に出題されるので、その理解の程度を計ることは国家試験で行えばいいのであり、その国家試験をクリアできなければ合格できないので、それで一種のスクリーニングが行われているという考え方である。
〇しかしながら、相談援助に関する技術は演習で身に着けなければ習得できないので、必修にすると言う考え方だった。当時の厚生労働省の高官はそのことを明言していた。
〇そうだとすると、社会福祉系大学などの養成校の通学生の講義科目についても同じことがいえるので、もっと選択の幅を増やして、負担を軽減し、その分演習や実習によって、座学で得られない実践力の取得に努めるべきではないか。
〇同じようなことは、社会福祉職員研修においてもいえることで、知識の量を増やす、新しい知見を身に着けることを目的とした講義を聞くという承り研修はe-ラーニングでも行うことができるので、対面での座学研修は少なくし、その分事例に基づき、その事例で起きた現象がどのような要因から出されてきたのかをアセスメントし、其の問題を解決する援助方針を立て、どのようなサービス、どのような支援を行うべきかのケアプランを作成するアクティブラーニングを質量ともに増やすことが必要ではないか。それを行わない限り、“知識はあるけれど、対応ができない”という状況はなくならないし、国家資格を有していても虐待事案を起こすことになる。
〇ただ、このような事例に基づきコンサルテーションを行える大学の教員がどれだけいるかが大きな問題である。
〇第3には、医学部の入試において面接が重要な位置と役割を担ってきていることが評価されている。
〇社会福祉系大学において、社会福祉従事者の個人的資質を問う受験生の面接を行って、ソーシャルワーカー、ケアワーカーとしての適性を弁えるという取り組みをしている大学がどれだけあるのだろうか。
〇日本社会事業大学でも、面接を実施して社会福祉従事者としての資質を見抜くという課題は大きな問題であった。かつては、受験生全員の面接が行われていたが、大学経営と受験生の増大という課題の前に面接は受験科目から姿を消した。今、思い起せば、対人に関わることは受験における面接が無くなっただけでなく、新入生のオリエンテーションキャンプ、3年次進学時のインテグレーションキャンプといい、対人関係を培う行事はカリキュラムから姿を消している。ソーシャルワーク関係の教員がその重要性を指摘し、順守することができず、教員の負担軽減という名の下で姿を消している。このような状況で、学生はソーシャルワーク機能に必要な実践力を高めることができるのであろうか。
〇職員の個人的資質の面で言えば、怒りやすい、すぐ切れるとか言った問題は、全体の問題でもあると同時に、すぐれて個人的資質の問題でもあるので、アンガーマネージメントの研修を受けるとか、コーチングを受ける機会を増やすとかして、職員本人の思ったこと、感じたこと、悩んだことを「外化」する機会や「内省」の機会を持つことも重要である。

ⅳ)社会福祉施設最低基準等の見直しと福祉機器を利活用した職員の負担軽減、利用者のQOLの向上
〇虐待の問題は、福祉サービス利用者に対するケアワーカーやソーシャルワーカーの配置基準が劣悪であるからとか、労働条件が悪いから起きるというという労働環境劣悪説を唱える人もいるが、事柄はそう単純なものではない。
〇しかしながら、十分な労働環境が保障されず、気持ちの余裕もなくなり、身体的にも疲労が蓄積されている時に、虐待が起きやすいことは想像するのに難くない。
〇虐待案件の調査でそのような視点での分析が今後必要になるのではないか。しかし、ここではそれについては触れない。
〇虐待の問題と職員の労働環境の悪さとの直接的相関性をいうことは簡単にはできないが、先に述べたように「ユニットケア」で「個別ケア」を徹底している社会福祉施設ではサービス利用者も家族も大変評価していること、並びにその「ユニットケア」で働いている職員の離職率が全介護事業所や全国社会福祉施設経営者協議会に加盟している事業所と比較して、離職率が特段に低い事を考えると、それは社会福祉施設最低基準に問題があるというより、先述したような施設の経営方針等に由来していると考えるのが妥当であろう。
〇とはいうものの、社会福祉施設最低基準が見直され、福祉サービス利用者の空間的生活環境の整備が整えられ、集団的、画一的ケアの提供ではなく、サービス利用者の生活リズムに合わせた支援が可能となるような社会福祉施設最低基準の見直しは確かに今後必要であろう。
〇現在、厚生労働省は高齢者分野での介護ロボット、見守りセンサー等のICTや福祉機器を活用しての「介護労働生産性向上センター」を設置する政策を進めていると同時に、「LIFE」といった介護現場のデータ化によるケアの科学化を進めている。
〇他方、障害者分野でもICTを活用した「障害者ICTサポートセンター」を設置して、障害者本人の生活の利便性を高めると同時に、社会福祉職員の負担軽減を図っている。
〇これら福祉機器の利活用は、職員の負担軽減のみならず、利用者のQOLの向上にも連動している重要な取り組みである。
〇しかし、それ以上に重要なのは、介護ロボットの利活用もさることながら、介護現場に介護リフトを導入することである。人力による抱え上げをするのではなく、介護リフトを利活用することによって、福祉サービス利用者の不安感は軽減するし、職員の腰痛予防にもなる。結果的に利用者と職員との会話の時間も増えるということも考えると、社会福祉施設最低基準の人員配置基準の見直しのみならず、従来の人力による介護をするという福祉文化を変えることが、今最も重要な取り組み課題である。

(注記)
本連載は、日本社会事業大学同窓会北海道支部の求めに応じて執筆したものである。連載は、「老爺心お節介情報」第51号、第52号、第59号、第61号、第66号が初出である。


 

大橋ブックレット
社会福祉従事者の社会福祉観と虐待問題

発 行:2025年5月8日
著 者:大橋謙策
発行者:田村禎章、三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所

 


 

大橋謙策/大橋謙策研究 第7巻:福祉でまちづくり

 


 

目  次

Ⅰ 大橋謙策監修『安らぎの田舎(さと)の道標(みちしるべ)‥‥‥2
―島根県瑞穂町  未来家族ネットワークの創造―』(抜粋)

Ⅱ 全社協・福祉教育研究委員会『福祉教育の理念と実践の構造
―福祉教育のあり方とその推進を考える―』(抜粋)‥‥‥47

Ⅲ 全社協・福祉教育研究委員会『学校外における福祉教育のあり方と
推進』(抜粋)‥‥‥69

Ⅳ 全社協・ボランティア基本問題研究委員会『ボランティアの基本理念と
ボランティアセンターの役割
―ボランティア活動のあり方とその推進の方向―』‥‥‥112

Ⅴ 全社協・福祉教育活動事例評価検討会『地域に広がる福祉教育活動事例集
―福祉教育の考え方と実践方法・先進的事例に学ぶ―』(抜粋 )‥‥‥132

Ⅵ 大橋謙策「地域福祉実践の神髄―福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの
開発・コミュニティソーシャルワーク―」‥‥‥142

 


Ⅰ   大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著

安らぎの田舎(さと)の道標(みちしるべ)
――島根県瑞穂町  未来家族ネットワークの創造―

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1 大橋謙策/『安らぎの田舎の道標』発刊に寄せて

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2 大橋謙策・澤田隆之・日高政恵/鼎談・瑞穂が目指す21世紀の福祉

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3 参考資料


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備考:瑞穂町は、島根県の中西部に位置し、広島県境に接した中国山地の町である。2004年10月、合併により邑南町(おおなんちょう)となった。
出典:大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著『安らぎの田舎(さと)の道標(みちしるべ)―島根県瑞穂町  未来家族ネットワークの創造―』万葉舎、2000年8月、6~11、175~255ページ。

 


Ⅱ   全社協・福祉教育研究委員会

福祉教育の理念と実践の構造(抜粋)
――福祉教育のあり方とその推進を考える―

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出典:全社協・福祉教育研究委員会『福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―』(福祉教育研究委員会中間報告)全社協・全国ボランティア活動振興センター、1981年11月、1~22ページ。

 


Ⅲ  全社協・福祉教育研究委員会

学校外における福祉教育のあり方と推進(抜粋)

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Ⅰ 生涯教育と福祉教育

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第1章 家庭教育と福祉教育

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第2章 社会教育と福祉教育

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出典:全社協・福祉教育研究委員会『学校外における福祉教育のあり方と推進』(中間報告)全社協・全国ボランティア活動振興センター、1983年9月、1~44ページ。

 


Ⅳ   全社協・ボランティア基本問題研究委員会

ボランティアの基本理念と
ボランティアセンターの役割

―ボランティア活動のあり方とその推進の方向―

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出典:全社協・ボランティア基本問題研究委員会『ボランティアの基本理念とボランティアセンターの役割―ボランティア活動のあり方とその推進の方向―』全社協・全国ボランティア活動振興センター、1980年7月、1~20ページ。

 


Ⅴ   全社協・福祉教育活動事例評価検討会

地域に広がる福祉教育活動事例集(抜粋)
―福祉教育の考え方と実践方法・先進的事例に学ぶ―

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出典:全社協・福祉教育活動事例評価検討会『福祉教育モデル事例集 地域に広がる福祉教育活動事例集―福祉教育の考え方と実践方法・先進的事例に学ぶ―』全社協・全国ボランティア活動振興センター、1996年3月、はしがき、目次、83~87ページ。

 


Ⅵ 大橋謙策

地域福祉実践の神髄
―福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク―

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出典:『大橋謙策主要論文集(2013年~2018年)』大橋ゼミ45周年ホームカミングデー実行委員会、2018年10月、113~126ページ。

 


 

大橋謙策研究 第7巻
福祉でまちづくり―支え合う地域福祉実践―

発 行:2025年5月7日
著 者:大橋謙策
発行者:田村禎章、三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所

 


 

阪野 貢/「自由」:回顧と再考― エーリッヒ・フロム著『自由からの逃走』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、エーリッヒ・フロム著、日高六郎(ひだか・ろくろう)訳『自由からの逃走』(Erich Fromm,Escape from Freedom,1941.  132版(新版)、東京創元社、2024年4月。以下[1])がある。訳者である日高は、その「訳者あとがき」で次のようにいう。「フロムによれば、現代における自由の問題は、たんに巨大な機械主義社会や政治的全体主義の圧力などによって、個人の自由がおびやかされているということだけではなくて、いっぽうではひとびとが求めてやまないはずの、価値としての自由が、他方では、ひとびとがそこから逃れでたいとのぞむような呪咀(じゅそ)となりうるところにあるという」(329ページ)。[1]におけるフロムの主要なメッセージである。そして、日高によると、[1]は「専門書であるばかりでなく、むしろそれ以上に、一般の知識人全体にうったえる文明批評の書である」(333ページ)。超ロングセラーの所以でもある。
〇もう一冊、筆者の手もとに、仲正昌樹(なかまさ・まさき)著『人はなぜ「自由」から逃走するのか―エーリヒ・フロムとともに考える―』(KKベストセラーズ、2020年9月。以下[2])がある。[2]は、[1]の「純粋な解説書」ではない。それは、[1]の「議論の流れに即して、全体主義を可能にした歴史的・社会的条件を確認し」、「大衆社会の住人が『自由』から逃走し始め、その一部が全体主義を支持するに至ったプロセスを再構成したうえで、どうして『自由』は重荷になるのか」(17ページ)を、仲正の視点・視座から広く・深く論究する専門書である。仲正は、フロムと[1]について、こう説述する。

エーリヒ・フロム(1900~1980)は、ドイツ系ユダヤ人で、フロイトに始まる精神分析の理論を社会的性格の分析に応用する研究に従事していたが、ナチス政権成立後、アメリカに亡命し、戦後はアメリカやメキシコで研究活動を続けた。「愛」「悪」「神」「自由」「ヒューマニズム」「社会主義」「革命」など、人間の生き方の根本に関わる重要なテーマに関する多くの著作を残し、政治的・宗派的な立場の違いを超えて様々な立場の人に影響を与えてきたが、最も大きなインパクトがあったのは、彼が大戦中に執筆した『自由からの逃走』(1941)である。/この著作は、そのタイトルが示しているとおり、近代世界において「自由」を与えられた諸個人が、自由に生きることに伴う重圧、不安に耐えかねて、自らが自由を放棄するに至った過程を社会心理学・社会史的に描き出している。(15~16ページ)

〇この最後の一節に関して仲正は、フロムがいう「‥‥‥への自由」という「積極的な自由」と、「‥‥‥からの自由」という「消極的な自由」について、次のように要約する。「安定感を与えてくれていた第一次的な絆が断ち切られ、世界と対峙することを強いられ、無力感と孤独感に囚われた個人には、二つの選択肢がある。/一つは「積極的自由」への道、愛情と仕事を通して、自発的に世界と結び付く道である。この道を歩めば、彼は、独立と個人的自己の統合性を失うことなく、人間らしく、自然と調和して生きることができる。/もう一つは退行し、自らの自由と独立、自己の統合性を放棄する道である(「消極的自由」:阪野)。耐えがたく思われる心理状態を取りあえず回避するための『逃走』である」(116ページ)。
〇フロムの言によると、「積極的な自由」は、「自我の実現」すなわち自分の独自性と個性の成長や実現をめざした「全的統一的なパースナリティの自発的な行為のうちに存する」(284ページ)。「消極的な自由」は、母子関係や封建的・伝統的な束縛・強制などの「個人が完全に解放される以前に存在する第一次的絆」(35ページ)からの解放である。そして次のようにいう。ひとは「『‥‥‥からの自由』の重荷にたえていくことはできない。かれらは消極的な自由から積極的な自由へと進むことができないかぎり、けっきょく自由から逃れようとするほかない」(150~151ページ)のである。

近代人にとって自由は二重の意味をもっている。(中略)すなわち、近代人は伝統的権威から解放されて、「個人」となったが、しかし同時に、かれは孤独な無力なものになり、自分自身や他人から引きはなされた、外在的な目的の道具となったということ、さらにこの状態は、かれの自我を根底から危くし、かれを弱め、おびやかし、かれに新しい束縛にすすんで服従するようにするということである。それにたいし積極的な自由は、能動的自発的な生きる能力をふくめて、個人の諸能力の十分な実現と一致する。(296ページ)

〇こうしてフロムは、「人間存在と自由とは、その発端から(切り)離すことはできない」(42ページ)。こんにち人間は「貧困よりも、むしろ大きな機械の歯車、自動人形になってしまった」(302ページ)なかにあって、自由は単に外的な束縛から個人を解放するだけでなく、自己を認識し、自発的・創造的な行為・活動を生み出すとして、「積極的な自由」の重要性を主張するのである。
〇なお、フロムにあっては、「自由からの逃走」は、「権威主義」(服従)、「破壊性」(破壊)「機械的画一性」(同調)という3つの行動パターンとなって表れる。それぞれについてその要点をメモっておく(抜き書きと要約)。

権威主義
権威主義的性格の人間は、権威をたたえ、それに服従しようとする。しかし同時にかれはみずから権威であろうと願い、他のものを服従させたいと願っている。(182ページ)

権威はつねに、汝はこのことをなせ、あのことをなすべからずと命令するような個人や制度であるとはかぎらない。この種の権威は、外的権威と名づけることができるであろうが、権威は、義務、良心あるいは超自我の名のもとに、内的権威としてあらわれることもある。(184ページ)

権威主義的性格の問題で注意すべきもっとも重要な特徴は、力にたいする態度である。権威主義的性格にとっては、すべての存在は二つにわかれる。力をもつものと、もたないものと。それが人物の力によろうと、制度の力によろうと、服従への愛、賞賛、準備は、力によって自動的にひきおこされる。力は、その力が守ろうとする価値のゆえにではなく、それが力であるという理由によって、かれを夢中にする。かれの「愛」が力によって自動的にひきおこされるように、無力な人間や制度は自動的にかれの軽蔑をよびおこす。無力な人間をみると、かれを攻撃し、支配し、絶滅したくなる。ことなった性格のものは、無力なものを攻撃するという考えにぞっとするが、権威主義的人間は相手が無力になればなるほどいきりたってくる。(186ページ)

破壊性
破壊性は、対象との共棲(きょうせい)を目指すものではなく、対象を除去しようとするところにある。破壊性は、たえがたい個人の無力感や孤独感にもとづいている。外界にたいする自己の無力感は、その外界を破壊することによって逃れることができる。たしかに首尾よくそれを除去することができても、私は依然として孤独である。しかし、そのときの孤独はすばらしいもので、私はもはや外界の事物の圧倒的な力によって、おしつぶされるようなことはない。外界を破壊することは、外界の圧迫から自己を救う、ほとんど自暴自棄的な最後の試みである。(197ページ)

われわれの社会生活における人間関係を観察すると、破壊性がいたるところに、非常に多く存在していることに気づかないものはあるまい。その大部分は破壊性として意識されず、さまざまな方法で合理化されている。(中略)愛、義務、良心、愛国心などが、これまで他人や自己を破壊するためのカムフラージュとして利用されてきたし、現在も利用されている。(197~198ページ)

破壊性の源泉は、孤独と無力、不安、生命の障害(孤独になった無力な人間は、その感覚的、感情的、また知的なさまざまの能力を十分に実現することができない。かれは内的な安定性と自発性とをかいている)の3つである。(199~200ページ)

機械的画一性
機械的画一性とは、個人が自分自身であることをやめるのである。すなわち、かれは文化的な鋳型によってあたえられるパースナリティを、完全に受けいれる。そして他のすべてのひとびととまったく同じような、また他のひとびとがかれに期待するような状態になりきってしまう。「私」と外界との矛盾は消失し、それと同時に、孤独や無力を恐れる意識も消える。このメカニズムは、ある種の動物にみられる保護色と比較することができる。かれらはその周囲の状態にまったくにてしまうので、周囲からほとんどみきわめがつかない。個人的な自己をすてて自動人形となり、周囲の何百万というほかの自動人形と同一となった人間は、もはや孤独や不安を感ずる必要はない。しかし、かれの払う代価は高価である。すなわち自己の喪失である。(203~204ページ)

〇地縁・血縁などの社会的紐帯の希薄化・弱体化が進み、「社会的孤立」や「無縁社会」などが叫ばれるようになって久しい。そのひとつのきっかけは、2010年1月に放映された
NHKスペシャル「無縁社会―“無縁死” 3万2千人の衝撃―」であったと言われる。そして、とりわけ最近のSNS(Social Networking Service)の進展は、ネットワーキングとは裏腹に、新たな社会的孤立や無縁状態を生み出している。そうした日本社会の現状を抉り出し、現代に生きる人間の「存在」(実存)について考えるにあたって、求められる新たな視点・視座をどこにおき、新たな哲学思想をどう構築するかが問われなければならない。その際、「自由」はひとつのディープな概念であろう。そんな認識のもとに、本稿ではフロイトの『自由からの逃走』を取りあげることにした。
〇仲正は、「『自由からの逃走』はかつて、少なくとも私が学生だった30数年前には、現状批判的な社会科学を学ぶ者が当然読んでおくべき基本図書だった」(16ページ)という。筆者はそのさらに前の世代であるが、もうひとつの必読書に、デイヴィッド・リースマンの『孤独な群衆』(David Riesman,THE LONELY CROWD,1950.  みすず書房、1964年2月)があった。人間の「社会的性格」は、伝統や慣習に従う伝統指向型  → 自分の価値観や良心に基づく内部指向型  → 他人からの承認を求める他人指向型へと変化するという言説である。そして、高度産業社会において人は、他人指向型になり、内面的には孤独感に囚われ、それをやわらげるために群衆のなかに紛れ込む(「孤独な群衆」)のである。
〇余談であるが、当時筆者は、「自由」と「疎外」について、また「社会心理学」に興味・関心をもち、大冊のセオドア・ミード・ニューカムの『社会心理学』(Theodore Mead Newcomb,Social Psychology,1950.  培風館、1956年)や南博の『体系社会心理学』(光文社、1957年)などに “ 挑戦 ” したことが懐かしく思い出される。
〇フロムの疎外論については、観念論的なそれであるとも評されるが、マルクス主義的な言説を併せもつものでもある。例えば[1]には、次のような一文がある。

資本主義においては、人間は巨大な経済的機械の歯車となった。(127ページ)
人間は利益を求めて働く。しかし獲得した利益は消費するためのものではなく、新しい資本として投資するためのものである。(128ページ)
資本の蓄積のために働くという原理は、(中略)主観的には、人間が人間をこえた目的のために働き、人間が作ったその機械の召使いとなり、ひいては個人の無意味と無力の感情を生みだすこととなった。(129ページ)

〇私事に渡るこんなことを思い出しながら、フロムがその重要性を説く「積極的な自由」の核心は、人間が自発的・創造的な活動を展開することにある、ということを再確認しておきたい。

付記
「積極的自由」と「消極的自由」については周知の通り、イギリスの政治哲学者のアイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)もその著――『自由論』(Four Essays on Liberty,1969.  小川晃一ほか訳、新装版、みすず書房、2025年5月)で明示的に定義している。積極的自由は自己実現や自立としての自由、消極的自由は他人の干渉からの自由を意味し、前者を「への自由」(freedom to)、後者を「からの自由」(freedom from)と表現する。バーリンにあっては、この2つの概念は両立するものではなく、衝突するものである。

 

 

老爺心お節介情報/第69号(2025年4月29日)

「老爺心お節介情報」第69号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第69号を送ります。
是非、5月17日に行われる石川県社会福祉協議会主催の
シンポジュウムに参加してください。
金沢駅前の「金沢ホテル」で、午後1時、開催です。
詳しいことは石川県社会福祉協議会へお問い合わせください。

2025年4月29日   大橋 謙策

〇皆さんお変わりありませんか。
〇春の季節はいいですね。我が家の庭では、ピンクと赤の牡丹が咲き誇っていましたが、それも終わり、今は、こでまり、シャガ、紫蘭が咲いています。シャガ、紫蘭はあまり魅力的な花だとは思っていなかったのですが、切って家に飾って、間近でよく見ると可憐な、とても魅力的な花だったことに今更ながら驚かされています。
〇我が家の庭の“猫の額”ほどの畑に、さやえんどう、シシトウ、キュウリ、ナス、トマトの苗を各4本づつ作付けしました。毎日、その成長を見るのが楽しみです。
〇毎年4月は各地の研修もなくのんびりしているのですが、今年は書斎の断捨離を始めました。2つあった書庫は既に断捨離をし、大方の本は東北福祉大学大学院の「大橋文庫」に寄贈しました。書斎にあった本は、自分の執筆に欠かせない本と断捨離をするのが忍び難い本が残っていました。その書斎の書棚に会った本をいよいよ断捨離することにしました。
自分の研究者としての人生が終わり、断筆しろと言われているようでとても辛い作業でしたが、思い切ってしました。書棚はガラガラで、残りは自分が書いた本が残っているだけです。
〇「老爺心お節介情報」第69号は、来る5月17日に行われる、石川県社会福祉協議会主催の「能登半島地震、集中豪雨の被災者支援から社会福祉関係者は何を学ぶか」のシンポジュウムのコーディネーターとして、社会福祉協議会が運営する新たな「災害福祉支援ネットワーク」がこれから考えておかなければならない「検討課題」(未定稿)について掲載しました。
〇もう一つは、6月28日から開催される日本地域福祉学会・武庫川女子大学大会において、上野谷加代子先生とトークセッションをする機会が与えられました。「次世代を担う地域福祉研究者、実践家に何を学び、何を継承して欲しいか」について話をしようと思っています。
〇二つとも未定稿で、これから関係者の意見を聞きながら推敲しますが、皆さんの興味、関心を呼び起こし、これらの集い、大会に参加して欲しいと思い、未定稿ながら「老爺心お節介情報」第69号を発刊、配信します。
(2025年4月29日記)


老爺心お節介情報/第68号(2025年4月6日)

「老爺心お節介情報」第68号

〇皆さんお変わりありませんか。
〇我が家の庭は、朱海棠、ミツバツツジが満開です。春はいいですね。
〇皆さんは、新年度を迎えられ、新たな気持ちで仕事に向かわれていることと思います。人事異動があった方は、差し支えなければお教えください。
〇「老爺心お節介情報」第68号は、36年振りに訪ねた下伊那、飯田で学んだことです。
(2025年4月4日記)

Ⅰ 地域づくりの基本は「選択的土着民」の形成と「第3の分権化」

(1)人口減少、超高齢化社会、財政力が弱い町村の地域福祉を考える『南信州地域福祉・連携推進の集い』に参加して
〇3月25日に行われた長野県社会福祉協議会主催の『南信州地域福祉・連携推進の集い』に参加してきました。
〇南信州とは、静岡県とに隣接する売木村(人口497人、高齢化率46・6%、財政力指数0・11)、天龍村(1000人、高齢化率61・7%、財政力指数0・16)、阿南町(3825人、高齢化率39・0%、財政力指数0・18)、泰阜村(1385人、高齢化率43・3%、財政力指数0・15)、下条村(3288人、高齢化率37・0%、財政力指数0・23)の5ケ町村を指しています。
〇この5ケ町村は、人口の少ない小規模町村のみならず、超高齢化社会になっているうえに、町村の財政力指数がいずれも低く、自治体経営自体が厳しい状況に陥っています。
〇今回の取り組みは、昨年度から始まった木曽郡6町村の社会福祉協議会連携事業の第2弾として、南信州5町村でも連携を深めようと実施されました。
〇仕掛け人、コーディネーターはNPO法人はなぶさ学園理事長の木下英幸さんです。 はなぶさ学園は、NPO法人のフットワークの良さを発揮し、下伊那郡松川町の重層的支援体制整備事業の「参加支援」等を受託し、取り組んでくれています。
〇今回は、長野県社会福祉協議会が山梨県社会福祉協議会とジョイントして、「休眠預金事業」の助成事業にトライし、「人口減少・過疎化・超高齢化の小規模町村における地域福祉・連携推進のあり方」のテーマが採択され、その一環で今回の事業は取り組まれました。
〇参加者は50名弱でしたが、オンラインでの参加もあり、かつ遠くは塩尻市からも参加してくれ、嬉しい集いになりました。詳しい報告書は、後日長野県社会福祉協議会から出されると思います。
〇『南信州地域福祉・連携推進の集い』では、小規模町村であればあるほど、社会福祉の分野での「縦割り福祉」を無くし、地域共生社会政策が求めているような全世代対応型の福祉サービスの提供、農福連携、工福連携も含めた「福祉は地域づくり」という考え方が必要で、そのためには施設経営の社会福祉法人、社会福祉協議会が一体的に、オール福祉という視点で取り組む必要があること、個々の町村だけでなく、圏域を拡大して連携社会福祉法人の考え方を導入することの必要性を述べました。それらの拠点に施設経営の社会福祉法人が地域貢献事業を発展させて取り組みを進めること、行政と社会福祉協議会が協働して重層的支援体制整備事業を推進する必要性があることを述べました。
〇その上で、島根県海士町(人口2200人、高齢化率39・9%)の社会福祉協議会が中心になって、施設経営の二つの社会福祉法人と町社会福祉協議会が合併した実践(「月刊福祉」2025年4月号の片桐一彦論文参照)や『過疎地域の福祉革命』(安田由加里著、幻冬舎)を紹介しました。
〇私にとって、今回の飯田市訪問は、36年ぐらい前に、飯田市の社会福祉大会に招聘された際に訪れて以来ということで、本当に久しぶりの訪問でした。

(2)“私の地域福祉実践・研究の心のふるさと”阿智村の住民主体の地域づくり
〇私にとって飯田・下伊那地域は“私の地域福祉実践・研究の心のふるさと”なのです。
〇私は、社会教育法第3条の“実際生活に即する文化的教養”を高める社会教育の実践こそが大切で、それには地域住民の問題発見・問題解決型共同学習の実践による地域づくり、社会教育の振興が大切だと教わり、そこに地域福祉と社会教育との学際研究の糸口を見出しました。
〇私が、市町村の地域福祉計画策定における住民座談会の開催を大事にし、そこで明らかになった住民のニーズを基に、新しい福祉サービスの開発、福祉サービス供給システムの構築の必要性を指摘してきたことは下伊那から学んだものです。更に、私が地域福祉の4つの主体形成の必要性を指摘していることも下伊那から学んだことです。
〇1966年2月に、私(当時日本社会事業大学の学部3年生)は、恩師の小川利夫先生が阿智村で講演される機会に帯同し、阿智村の公民館主事であった岡庭一雄さんの家に寄宿させて頂いて、社会教育実習、社会福祉実習をさせて頂きました。寒い地域なので、私はアノラック姿で役場に出勤したら、教育長に怒られ、急遽、岡庭一雄さんの背広を借りて、実習をすることになりました。
〇実習中に参加した下伊那郡阿智村での住民集会は、岡庭公民館主事、園原保健師、生活改良普及員(名前を忘れました)と私のように福祉を学び、社会教育との学際研究・実践を志す学生の4人で地域に入りました。その時の経験が“私の地域福祉実践・研究の心のふるさと”なのです。その時の住民の生活の厳しさ、日常生活とその意識を変えることの難しさ、住民の生活の厳しい状況の社会構造、在宅の障害者の生活実態などについて私はいろいろ考える機会を与えて頂きました。
〇ちなみに、その時の実習は、阿智村に続いて喬木村、松川町の実習と続きます。喬木村では、当時進められていた長野県の小渋川開発に関する住民の学習に供するため、「公民館報喬木」に土地収用法の解説を分かりやすく書けといわれ、法学を専門に学んだものでないにも関わらず執筆したことを覚えています。
〇また、松川町では、全国的に有名になり、その後、全国の保健師が松川町詣でをする“聖地”になった「松川町健康学習の集い」の第1回に参加した思い出があります。それは“風が吹けば桶屋が儲かる”との例えとよく似ていて、松川町で①子ども虫歯が多い、②親が袋菓子をまるごと与えている、③なぜ親が袋菓子をまるごと与えているかというと、親は果樹栽培に忙しく、子どもの世話が十分できないといった生活実態を明らかにし、住民がどうしたらいいのかを考える集いでした。その頃、“農家の嫁を9時に寝かせる”運動にも取り組んでいました。
〇この後、私は長野県茅野市、中野市、須坂市、山ノ内町等、当時東京大学教育学部を卒業し、長野県の市町に就職し、社会教育活動に邁進している先輩たちを訪ね歩きました。山ノ内町では、柄沢社会教育主事が運転するバイクの後ろに乗り、寒風吹きすさぶ夜、リンゴ畑の中を走り、青年たちの学習会に参加したりしました。その時は、小学校の部屋で寄宿させて頂き、とても寒い夜を過ごしたことも楽しい思い出に残っています。
〇このような実習を可能にさせてくれたのは、長野県社会教育主事たちのネットワークがあったからであり、中でも東京大学教育学部の宮原誠一研究室の先輩達のお陰です。この場を借りて、改めて60年前の恩義に厚く感謝とお礼を申し上げます。
〇と同時に、恩師の小川利夫先生のお陰でもあります。小川利夫先生は,箴言として「人の幸せ、それは人と人とのふれあいの豊かさと深さにある」(1993年2月20日)と述べているように、人と人とのつながりを大切にし、手帳にはがきを挟んでおいて、旅先からでもせっせと手紙を書いて出している先生でした。実践者を組織化し、研究者を組織化することを常に心がけている先生で、私が提唱してきた「実践家と研究者のバッテリー型研究方法」は小川利夫先生に大きな影響を受けています。
〇小川利夫先生は、阿智村でも名古屋大学社会教育研究室を中軸にした「生涯学習セミナー」を開催しています。
〇小川利夫先生は、自分の名刺に“大橋謙策君をよろしく頼む”と一筆書きし、印鑑を押してくれて、これをもってどこそこの誰々を訪ねろと何枚も名刺を持たせてくれました。いわば、“通行手形”のようなもので、それがあったために、見ず知らずの私を多くの先輩たちが受け入れてくれた訳です。そんな小川利夫先生を研究者として見習おうと努めてきましたが、いまだ足元にも及ばない状況です。
〇今回の訪問では、喬木村の実習で寄宿させて頂いた喬木村阿島の曹洞宗の淵静寺に寄り、お世話になった小原玄祐さん(喬木村の社会教育主事でもあった)、小原道子さん夫妻の墓参をさせて頂きました。
〇阿智村では、岡庭一雄さんの家にお邪魔し、お世話になったお母さまの仏壇にお線香をあげさせて頂き、昔のご恩に感謝とお礼を捧げさせて頂きました。
〇その後、岡村一雄さんの車で村内を案内して頂きながら、阿智村の地域づくりについていろいろお話を伺いました。
〇岡庭一雄さんは、私の一年先輩で、1942年生まれです。私と境遇がよく似ており、1944年に御父上が出征し、戦死されています。私は1943年10月生まれで、父は1944年の5月に出征し、シベリア抑留中に病死しました。そんなこともあり、私は岡庭一雄さんにとても親しみを感じていました。
〇私が阿智村で実習させて頂いた時、岡庭さんは公民館主事で、その後阿智村の社会教育係長、商工観光課長、建設課長、環境水道課長を経て1997年12月に退職し、翌年の1998年2月に行われた村長選挙に青年層から担ぎ出されて当選。村長を4期務められました。
〇岡庭村政の理念を私なりに一言でいうならば「住民主体の地域づくりを行政が支える」というもので、行政と住民の協働という考え方よりも、一歩先を行った住民自治の村政といってよいと思います。
〇それは、1967年から続けられている「阿智村社会教育研究集会」の伝統が基盤となっています。「阿智村社会教育研究集会」は、「地域の子育て」、「健康づくり」、「福祉」、「地域と産業」、「自然・歴史・文化」等の分科会が開設され、住民自身の手で内容の企画、当日の進行・記録まで行われる住民主体の集会です。これらの阿智村の社会教育振興には、私の恩師である小川利夫先生が深く関わっています。
〇この方式は、「社会教育研究全国集会」の阿智村版で、私などもそれに学び1970年代に東京都稲城市で同じようなセミナーを開催してきました。28回続けてきた日本地域福祉研究所の全国地域福祉実践研究セミナーや26回になった四国地域福祉実践研究セミナーもこの手作りの、住民主体で運営される「社会教育研究全国集会」に学んだものです。
〇「阿智村社会教育研究集会」で、住民たちが地域の問題を出し合い、論議し、その改善、改革を図る力を身に着ける活動を継続していけているということが、阿智村村政の底流にあるということをしっかりと見据えなければならないとつくづく思いました。
〇私が4つの地域福祉の主体形成(①地域福祉実践の主体形成、②地域福祉サービス利用の主体形成、③地域福祉計画策定の主体形成、④社会保険契約の主体形成)の重要性を1970年代末に指摘し、そのための福祉教育の必要性をのべたのも、同じ考え方です。
〇これらの社会教育の振興に尽力した公民館主事、社会教育主事の集団が当時下伊那地域にあり、喬木村の島田修一社会教育主事(後に東京大学教育学部助手、中央大学教授)や松川町の松下拡社会教育主事等下伊那・飯田地区の社会教育関係職員が、自分たちのあるべき姿を求めて、「下伊那テーゼ」と呼ばれる社会教育主事、公民館主事の行動規範を作成します。岡庭一雄さんはそれらの集団の仲間と切磋琢磨し、住民自治と社会教育の重要性に目覚めていったのだと思います。
〇阿智村では、従来の自然発生的町内会(集落)ではなく、住民主体で地域づくりを担ってもらうことを目的に、平成10年から新たな自治会を組織することを住民に要請してきました。自治会には、自治会ごとに5か年間の地区計画(地域づくり計画)を作ってもらい、各地区の特色を活かした住民主体の地域づくりを推進しています。行政は、「自治会活動支援金」制度を作り、自治会活動の活性化を支援しています。
〇私は1990年代初頭に、東京都社会福祉審議会で「第3の分権化」の必要性を提起し、答申に盛り込まれています。「第3の分権化」とは、国から都道府県(第1の分権化)、都道府県から市町村(第2の分権化)、市町村から地域住民組織への分権化(第3の分権化)であり、社会福祉分野における住民主体の地域づくりの必要性と重要性を指摘しました。
〇この「第3の分権化」構想は、市町村に公民館を設置する際に、中央公民館構想で行くのか、自律した、各々の地区が独立した地区公民館構想で行くのかという論議を1970年代初頭に、私自身が住んでいる東京都稲城市の社会教育委員として論議した時からの課題、構想でした。
〇また、1970年代から、私は幾度となくデンマーク、スウェーデンに調査研究に行き、対人福祉サービスを住民のニーズに対応して、きめ細かく提供するために、市町村の中を分権化して、地区毎に権限を与えてサービスを提供しているシステムを見聞し、日本の在宅福祉サービスを展開する上ではこの「第3の分権化」が必要であると温めていた構想でした。そこでは、デンマークの生活支援法やスウェーデンの社会サービス法が大変参考になりました。
〇ところで、 阿智村の住民主体の地域づくりを最も具現化している方式が、平成13年度(2001年度)から進められている「阿智村むらづくり委員会事業」だと思います。
〇「村づくり委員会事業」は、阿智村の協働活動推進課の予算事業で、5人以上の村民が集まって行う自主的な村づくりの活動です。補助金は原則10万円以内ですが、研修に必要な講師の旅費、講師の謝金、参考図書代、印刷製本費などに支出可能で、補助決定の決裁権は村長ではなく、協働活動推進課の課長決済で行われています。岡庭さん曰く、村長決済だと、どうしても政治がらみになりかねないので、課長決済にしたということです。
〇この「村づくり委員会事業」は、今まで18団体が助成を受け、活動を展開してきているという。代表的な事例としては、平成13年(2001年)に養護学校(当時)の在学生の親たちが中心となって「通所施設を考える会」を発足させ、それがのちに「村づくり委員会事業」に採択され、検討を重ね、2005年社会福祉法人「夢のつばさ」が開設されます。現在では、グループホーム、地域活動支援センター、多機能型事業所、移動支援事業等の7つの拠点事業所でサービスを提供しています。阿智村の障害者の概況は身体障害者手帳所持者約500人、療育手帳所持者約50名、精神保健福祉手帳所持者約20名となっており、社会福祉法人「夢のつばさ」が多機能型事業所を経営していることもあり、阿智村での大きな拠り所になっています。
〇また、「村づくり委員会事業」の一つとして、「図書館づくり委員会」があります。この委員会は、以前から住民が読み聞かせ活動をしていたこともあり、「村づくり委員会事業」として最初に認定された委員会です。結果的に、中央公民館を改修し、その中に図書館を建設することになりました。「村づくり委員会事業」のメンバーであった住民が図書館司書の資格を取得し、現在図書館に勤めているといいます。
〇このように、阿智村の「村づくり委員会事業」は、静岡県掛川市の榛村純一市長が1970年代に提唱した「選択的土着民」の形成を行っており、住民主体の村づくりに大きく貢献をしてきたと言える。
〇阿智村の村づくりに大きく関わった小川利夫先生は、常に「福祉は教育の母体であり、教育は福祉の結晶である。社会教育は教育と福祉、福祉と教育を結ぶものである」、(1993年2月19日)と言い続けてきましたが、その考え方が実証された阿智村の実践と言えます(岡庭一雄、細山俊男、辻浩編『自治が育つ学びと協働 南信州・阿智村』自治体研究社、2018年2月参照)。

Ⅱ 閑話

〇去る3月29日~30日に、子どもたちが企画して、私たち夫妻の「金婚式」と「傘寿の祝い」を湯河原温泉の創業80年の宿でしてくれました。紫色の被りものとちゃんちゃんこを着せられ、写真を撮りました。
〇新型コロナで延び延びになっていた「金婚式」と孫たちの受験等もあって「傘寿の祝い」も延期されていました。「還暦の祝い」も湯河原温泉、「古希の祝い」も湯河原温泉で、宿は各々違いましたが、何か奇しくも同じ湯河原温泉で行われました。
〇部屋から眺める、苔むした庭には樹齢100年の梅の古木があり、梅の花は終わっていましたが、温泉の湯舟からの桜と利休梅の花が丁度見頃でした。温泉と美味しい料理に舌鼓を打ち、満たされた旅行を楽しみました。
〇帰路、熱海のMOA美術館に寄り、歌川広重の浮世絵を心置きなく見ることができました。まさに至福の時でした。
(2025年4月4日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

阪野貢先生のブログには、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーがあり、その「アーカイブ(1)著書」の中に、阪野貢先生が編集された「大橋謙策の電子書籍」(『大橋謙策研究』)があります。ご参照ください。
第1巻「四国お遍路紀行・熊野古道紀行―歩き来て自然と生きる意味を知るー」
第2巻「老爺心お節介情報―お変わりなくお過ごしでしょうかー」
第3巻「地域福祉と福祉教育―鼎談と講演―」
第4巻「異端から正統へ・50年の闘いー「バッテリー型研究」方法の体系化―」
第5巻「研修・講演録―地域福祉の過去から未来へ―」
第6巻「経歴と研究業績―地域福祉実践・研究の系譜―」