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老爺心お節介情報/第72号(2025年7月15日)

「老爺心お節介情報」第72号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第72号を送ります。
皆様ご自愛ください。

2025年7月15日   大橋 謙策

〇6月末から酷暑が続き、この夏が思いやられると思っていたところ、梅雨の戻りかと思える気候になり、体調管理が難しいこの頃ですが、皆様にはお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇7月12日~13日に、高知県黒潮町で第22回四国地域福祉実践セミナー(こんぴらセミナーから通算すると28回目)が開催されました。現地の会場参加者が約400名、オンライン参加者が約100名で、盛会裡に行われました。お馴染みの地域福祉俳句にも投句しました。

黒潮の 藁焼きカツオ 半夏生  兼喬

〇今回の黒潮町での第22回地域福祉実践セミナーで学びたいと思っていた点は、大きく3つありました。
〇第1点は、南海トラフ地震で黒潮町には34メートルの津波が押し寄せるという予測で、その防災政策がどうなっているかという点、第2点目は、黒潮町は人口約9800人の町で、厚生労働省の地域共生政策の一つのモデルとされた全世代対応型の、かつ集い、通い、時には泊まることもできる「小さな拠点」が6つもあり、その実践がどうなっているかということでした。 第3点目は、人口減少、趙高齢化社会、限界集落が進むなかで、子ども・青年が地域にどう関わっているのか、その一環としての子ども民生委員活動の状況を知りたいと考えたことです。
〇2日間に亘る素晴らしい四国地域福祉実践セミナーを開催してくれました黒潮町社会福祉協議会坂本あや会長はじめ黒潮町社会福祉協議会の職員の皆様、また物心両面でセミナーを支えてくれた大西勝也町長はじめ黒潮町の役場の職員の皆様、更には共催団体としてこちらも物心両目に亘って支えてくれた高知県社会福祉協議会の白石研二局長をはじめとした職員の皆様や後援してくださった近隣市町村の社会福祉協議会関係者に対し、心より感謝とお礼を申し上げる次第です。
(2025年7月15日記)

Ⅰ 住民主体の居場所づくり・ふれあいあったかセンターの実践

〇高知県には「ふれあいあったかセンター」が現在55か所ある。この「ふれあいあったかセンター」は、富山県の共生型デイサービスをモデルに、高知型に再編したという。
〇四国地域福祉実践セミナーで、過去に津野町の床鍋地区の廃校の小学校を活用した集い、通い、泊まれる機能をもったセンターの実践や四万十市の大宮地区でのJA撤退後のガソリンスタンド経営、ATMの設置運営の事業などの実践が報告されていたので、筆者は集落活性化事業(集落活性化センター)と「ふれあいあったかセンター」の機能とを同じものと考え、記憶していたようである。確かに当初は、その両者は一体的に考えられ、推進される予定であったが、「ふれあいあったかセンター」の設置が先行し、結果的に各々が別の形態で運営される羽目になった面があるといわれ、納得した。
〇今回のセミナーでは、黒潮町の6か所の「ふれあいあったかセンター」のうち、4か所を運営しているNPO法人しいのみの実践(残りの2か所は黒潮町社会福祉協議会が運営)と佐川町のNPO法人とかの元気村が運営している「ふれあいあったかセンター」の実践が大変参考になった。
〇NPO法人しいのみの実践は、2014年2月6日から開始されている。その実践の信条は①子どもから高齢者、障害者、誰でもオッケー、②365日いつでも地域づくり、人づくりオッケー、③集い、移送支援、買い物代行、子ども食堂、地域食堂、居場所づくり、地域のお祭りの手伝い、歌謡ショーの企画、男の料理教室、手芸などの趣味活動支援、認知症カフェ等地域の中の必要なことが何でもできる素敵な仕組みを掲げている。
〇発表されたNPO法人事務局長の濱村美香さんは、実践の「まとめ」として、ⅰ)「ふれあいあったかセンター」事業の活動は、すべて「人づくり」、「地域づくり」につながっている、ⅱ)“一人の人も取りこぼさない”を守りぬくためには、決まりや制度だけでは限界がある。だから地域が大事。ⅲ)災害時には必ず役に立つつながりができている、ⅳ)取り組んでみて、自分自身が一番つくられた等を挙げていた。
〇NPO法人とかの元気村が運営している「ふれあいあったかセンター」は、黒潮町と同じ2014年から運営開始されている。
〇高知県には、34市町村があるが、2024年度段階で、高知市、香南市、梼原町の3市町にはなく、あとの市町村にはすべて設置されていて現在55か所になっている。個所数は、55か所であるが、各々の「ふれあいあったかセンター」が小地域にブランチを設置しているので、実際の個所数はもっと多いという。
〇現在の「ふれあいあったかセンター」の運営は1か所、ほぼ1500万円の補助で運営されており、その運営費は高知県と設置市町村とが50%づつ支出してくれている。
〇佐川町の人口は、約11000人で高齢化率は41・9%である。佐川町は5つの地区からなりたっていて、「とがの(斗賀野)」地区は、人口2965人で、高齢化率41・2%である。
〇NPO法人とかの元気村は、地区内にあった35団体が協議を重ね、2005年に一つにまとまり、NPO法人とかの元気村をつくった。2017年には、集落活動センターあおぞらが設立され、地域の課題、ニーズに応じて様々な活動に総合的に取り組む地域づくりの拠点になっている。
〇NPO法人とかの元気村が運営している「ふれあいあったかセンター」は、そのような地域住民の地域づくりの流れの一環として、地域住民たちが斗賀野地区にも「ふれあいあったかセンター」が必要ではないかという住民の要望、主体的取り組みの中で設置されたという。
〇佐川町には、5つの地区に各々「ふれあいあったかセンター」が設置されている。
〇「とがのふれあいあったかセンター」は、センターの必須事業として求められている①全世代対応型の集い、②見守り等必要な方への訪問、③生活の困りごとへの生活支援、④日常生活の困りごとの相談、⑤保健・医療・介護などの専門機関へのつなぎの機能の他に、「とがのふれあいあったかセンター」独自の取組としてⅰ)一時的ショートステイ、ⅱ)拠点への送迎の他に、買い物支援や外出支援、ⅲ)保健や医療のミニ講座や地域の文化活動を行っている人を招いての生涯学習、Ⅳ)小学校、幼稚園、保育園などとの交流活動を行っている。
〇生活支援サービスでは、「あったかお助け隊」と呼ばれるボランティアスタッフが約40人登録されていて、有料ではあるが窓ふき、換気扇の掃除、草刈り等もする。それらのニーズを把握するために、民生委員を中心に“あったか利用者独居・高齢者世帯、障害者へのニーズ調査”を訪問で行い、必要に応じていろいろな機関へつないでいる。これらの活動には、子どもや学生も参加しているという。また、高知大学とも連携して、学生たちが参加しているという。2024年度には、「あったかお助け隊」活動に93人が参加してくれた。
〇「とがのふれあいあったかセンター」の目指す姿は、「ともに支えあいながら誰もが排除されることなく、安心して自分らしく暮らせる地域づくり」、「一人ひとりが、住み慣れた大好きなこの地域で、生きがいややりがいを感じ、つながり支え合いながら暮らせる地域づくりを目指します」である。今まさに求められている「地域共生社会」の構築に向けた実践は素晴らしいものであった。
〇高知県の「ふれあいあったかセンター」の実践は、本当に素晴らしいもので、全国の人口減少地域、超高齢化社会地域、限界集落の関係者に是非学んで欲しいと思った。黒潮町の大西勝也町長が“黒潮町の福祉を日本一にする”と言う発言が納得できる実践、町政が黒潮町で実感できた。
〇今、全国の市町村、地区集落で、地域づくりの担い手がおらず、自治会活動も停滞し、まさに“限界集落”という集落機能が崩壊寸前になってきている。
〇そのような中、総務省は「地域づくり協議会」の政策を打ち出し、自然発生的に成立してきた町内会や自治会機能を再編成しようとしている。
〇黒潮町のセミナーの前日、筆者は香川県丸亀市社会福祉協議会に招聘されて、丸亀市飯山南コミュニティセンター協議会の実践を見聞きすることができた。
〇丸亀市社会福祉協議会は、4年前から市民向けに社会福祉協議会の活動報告会を開催しており、その講師、アドバイザーを筆者が務めてきた。それは、丸亀市社会福祉協議会の業務を理事会、評議員会で承認されればいいというものではなく、住民から会費を頂いているのだから、住民の皆様に直接社会福祉協議会活動を報告し、理解、評価して頂き機会として4年前に始められた。
〇他方、丸亀市社会福祉協議会は、地域福祉担当職員と訪問介護等介護担当職員で「地域担当制」を敷いて、市内17地区(地域包括支援センターは市直営で5か所)毎に活動を展開している。各地区担当職員は、各地区の民生委員協議会の会合やコミュニティセンターの会合、行事に参加し、潜在化しがちな住民のニーズを発見したり、関係者とともに相談や支援の活動を展開している。
〇そのような関わりもあり、この7月11日に飯山南コミュニティセンター協議会の活動と丸亀市社会福祉協議会の飯山南地区担当職員の活動報告が行われた。
〇飯山南コミュニティセンター協議会は、総務省の「地域づくり協議会」の活動であるが、高知県黒潮町や佐川町の「ふれあいあったかセンター」と同じ様な活動を展開している。
〇飯山南地区は、人口約6000人弱である。この地区には、大化の改新で作られた口分田の条里制がきれいに残っている地域である。水害ハザートマップのために空撮された写真には物の見事に一辺110m(1丁)の四角い条理が映し出されている。この地域には、飛鳥時代か奈良時代初期に作られたという「法勲寺」後もあり、歴史を感じさせる地域である。
〇飯山南コミュニティ協議会には、総務環境美化部、ふれあい交流部、防災部、福祉部、文化育成部、健康スポーツ部、実行委員会(法の郷ふれあいまつり、広報委員会)が設置されている。職員は非常勤も含めて4名が勤務している。人件費補助は、人口割によって違うが、コミュニティセンターの指定管理料として、2025年度は市から年間約1600万円が支給され、そのほとんどが人件費として支出されている。
〇飯山南コミュニティ協議会の活動は、現在「法の郷第4次まちづくり計画―みんなで育てる住みよいまち法の郷―」に基づき運営されている。活動費の予算規模は市からの補助金約370万円を含めた年570万円ほどで運営されている
〇飯山南コミュニティセンターは、「予約なしで、いつでもおしゃべりができる居場所づくり」、「セルフコーヒーメーカーで挽きたてのコーヒーが飲める」をモットーに、地域食堂、絵本の読み聞かせをしているライブラリー、高齢者等移動手段支援事業、避難行動要支援者避難訓練等の活動を展開している。更には、30分500円の有料ではあるが草抜き、ゴミ出し、散髪、ちょっとした大工仕事等の住民参加型の生活支援サービスをしているし、その他、農繁期の忙しい時の農村食堂や夏休み子ども学習支援食堂などのユニークな活動もしている。
〇飯山南コミュニティ講義会の広報誌は、全国公民館報コンクールで金賞、特別賞を受賞するなど高い評価を得ている広報誌であるが、モットーは“現在の地域課題を提起し、知ってもらう”で、自治会未加入世帯にも情報発信をしている。
〇黒潮町、佐川町、飯山南コミュニティ協議会の実践を見聞きして、筆者は戦後初期の公民館活動を思い浮かべた。
〇戦後初期に、文部省公民課長、社会教育課長を歴任し、文部次官通牒「公民館の設置運営について」(昭和21年7月5日、発社第122号、各地方長官あて)について深く関わり、かつ1946年に『公民館の建設ー新しい町村の文化施設』を上梓している寺中作雄が考えた公民館は社会教育の機関であり、社交娯楽の機関であり、自治振興の機関であり、産業振興の機関であり、青年養成機関であるといった多面的な機能を持った文化施設である。
〇寺中作雄が考えた公民館の事業は町村の特殊性や町村民の要望に応じて決定される事で、必ずしも画一的にすべきものではないが、一応の形態としては,教養部、図書部、産業部、集会部が考えられ、其の他必要に応じて、体育部や社会事業部や保健部等の設置が考えられるとしている。
〇また、公民館の維持に関わる経費は、一般町村費及び寄付金によるものを原則としているが、公民館維持会を設立して、公民館に積極的な熱意を持った篤志家の支持を得る事も一法であり、その際には町村の一般会計とは切り離して、特別会計にすることが必要であるとも述べている。
〇更には、公民館の組織運営は最も自治的な機関であり、全町村民から選ばれる公民館委員会によって全町村民の参加と支持によって為される。・・町村自体が自治体であり、公選町村長によって運営されるものであるが、其の自治行政が法規に制約されて不円滑不活発に陥りがちな現在、公民館は或る程度法規の制約からも自由に、官憲の監督からも解放されて、純粋に自治的に運営されることによって、町村民に対し「真の自治とは何ぞや」との観念を正しく誘導し、町村自治に新しい血を通わしめ、爽快な涼風を吹き送る役目を担当するものである“と、一種の”自治的な原始社会“ともいえるコミューンのような思想、哲学を掲げている。
〇ところで、文部次官通牒「公民館の設置運営について」は昭和21年7月5日に発出されているが、同じ昭和21年12月18日付で「公民館経営と生活保護法施行の保護施設との関連について」が各地方局長あてに、文部省社会教育局長、厚生省社会局長の連名で発出されている。
〇その通知では、公民館で宿所を提供する事業や託児事業、授産事業を行うことができるし、その際の費用は生活保護法に基づき国が費用の10分の8、都道府県が10分の1を負担するとも述べている。
〇また、公民館運営委員と民生委員とは協力して社会事業と社会教育との緊密な関連を図るよう配慮することが明記されている。

註1 『社会教育法解説』及び『公民館の建設』は、1995年に国土社から現代教育101選の一つとして、寺中作雄著『社会教育法解説 公民館の建設』として復刻されている。
註2 大阪府の方面委員制度を大阪府の林市蔵知事とともに1918年に創設した小河滋次郎は“救貧は教育であり、対象者の自信、自助、自尊の精神を傷つけざるとともに、彼らの市民として、公民として、国民の一人としての人格を尊重保全し、救済の必要なからしむべく、一日も早く自ら其の運命を回転向上するに至らしめんことを努むる”のが、救貧事業の使命であり、本領であると述べている。(『社会事業研究』第10巻8号、大正11(1922)年)
註3 大阪府の副知事、知事を務めた中川和雄は、1926年京都市生まれ、東京大学法学部卒業後、厚生省に入省し、社会福祉事業法の制定に関わる。その後、1957年に大阪府に出向し、1983年副知事、1991年~95年に知事を務める。中川和雄は、戦前の社会事業には精神性と物質性の両側面があったが、戦後GHQの指示もあり、社会事業の精神性は文部省に移管され、厚生省は物質的支援のみに限定させられたと筆者に話をしてくれた。
物質的援助は、生活困窮者及び生活のしづらさを抱えている人の生活技術能力や家政管理能力などの自活能力が高い時には有効であるが、様々な社会生活上のぜい弱性を抱えている人(ヴァルネラビリティを有する人)には、物質的援助だけでは問題解決につながらない。今日の生活困窮者自立生活支援法に基づく伴走型の生活支援の必要性はまさにそのことを示している。
しかしながら、公民館は1949年に制定された社会教育法により、社会教育機関としての位置に矮小化されていく。
戦前の雑誌「社会事業」等で論陣を張った牧賢一(西窓セツルメントの主事も歴任)は、戦後の全国社会福祉協議会で事務局長、常務理事などを務めるが、その牧賢一が昭和28(1953)年に著した『社会福祉協議会読本』(中央法規出版)の中で、「公民館の目的は教育活動であり、それは個人の人格の完成とその能力の育成である。しかるに、社会福祉協議会は「地域社会の完成」を目的とする。しかし、協議会と公民館とは、いろいろ違う点があるけれども、その目的及び活動において切り離すことができない密接な関連を持っている」と述べ、なぜなら、本来公民館の仕事は社会事業の領域で長い歴史をもっているセツルメント事業(隣保事業)から変形したものである。そのセツルメント事業が終戦後経費の関係で非常に不振な状態におちいったときに、文部省が公民館という形で法的裏付けをもって打ち出したので、これが社会事業ではなく社会教育事業ということになったわけである。
したがって、「公民館が社会福祉協議会がやろうとしていることまで含めて、申し分のない活動をしているなら、そこに重ねて協議会をつくることは不要である」が、実際の公民館があるべき姿になっていないので、自分たちは社会福祉協議会を作ったとしている。
同じような論説は、『公民館日報第38号』(昭和26年10月)にも掲載されている。そこでは、「最近、社会福祉協議会が町村に設置されることになって、人の面や、仕事の面で公民館とかち合うことになって困るという事情を福祉協議会の側からも、公民館の側からも訴えてきている。・・・要はその地域が明るく住みよくなればいいわけで、それがどのような形で行われようと問題ではないと思う。・・・社会教育ということは、結局我々が営む社会生活を改善し、進歩させるための機能ということができる。・・社会改良のための諸条件である政治や産業等と結びつきながら、これらを教材として人間の形成を通じて社会形成を行うところに社会教育の仕事がある」と述べている。

Ⅱ 潮町の防災教育と避難タワーでの取り組み

〇南海トラフ地震で、34・4mの津波(最大震度7、沿岸に津波が到達する時間2分)という内閣府の発表が2012年3月31日に出されたことを踏まえ黒潮町では、防災教育、防災活動が活発である。
〇黒潮町では、地域担当する職員と住民によるワークショップや避難道の点検、避難訓練等を行っている。避難行動要支援者等には、自力避難の可否、避難先への到達所要時間、避難方法、自宅の耐震性や家具転倒防止策の状況、連絡先などを記入してもらい、それを基に町、社会福祉協議会、ふれあいあったかセンターが災害時要配慮者への支援体制と其の調整を行っている。地域調整会議では、①顔の見える関係づくり、②福祉専門職の参加、③地域全体の避難ルールと整合性を持たせるために、地区防災計画との整合性を重視している。そのようなことを踏まえて、視覚障害者の「お試し避難訓練」や在宅医療機器使用者の避難訓練、高校生と行う地区避難訓練等行っている。高校生と行う避難訓練では、「逃げトレ」アプリを使用し、各地点の津波到達時間をシュミレーションしている。この高校生と行う地区避難訓練は、普段避難訓練に消極的な人たちを誘い出すのに成功している。宮崎県日向沖の地震の際の「南海トラフ地震に関する臨時情報」が出されて以降、車いすの障害者も避難タワーに車いすで上る訓練をしたり、福祉避難所「高齢者生活支援センターこぶし」の開設を要請し、事前の「おためし避難」が重要だということも認識できた。
〇防災教育と福祉教育を兼ねて、小学生には通学路などの危険個所の発見や地域で暮らす人を知ろうということで「まち歩きと危険個所の発見」のプログラム、中学生には自宅までの津波到達予想時間の視えるかをしてお知らせするプログラムをもって高齢者宅を訪問するプログラム、高校生は避難所での要配慮者への対応訓練、避難所開設運営訓練などを行った。
〇黒潮町には、6つの津波避難タワーが設置されている。その中で、最後に設置され、最も高い津波避難タワーが黒潮町の浜地区(合併前の佐賀町浜地区)の避難タワーで、18mの津波が想定されている地区である。この浜地区には、浜地区を囲む高台に避難場所が5か所設置されているが、この避難タワーは町中に設置されている。この避難タワーには、230人の避難者が想定されており、それら避難者のために必要な様々な災害用備品が備蓄されている。マット、テント、充電器、水、簡易トイレ、紙パンツ等住民の知恵、要望で準備されたもので、そのすべてが行政の補助金で購入、用意されたものではなく、河内香自主防災会長をはじめとした地域住民の努力で準備されたものも多い。
〇この避難タワーを上るのには階段とスロープを使って上ることになっている。津波の大きな衝撃にも耐えるようこのタワーを守るための衝撃防止の柱も備えられているし、屋上にはヘリコプターがホバリングしながら緊急搬送できる設備も備えられている。
〇自主防災会の河内香会長たちは、「防災かかりがま士の会」という、積極的にお節介をして防災を進め、避難活動を誘導する会を作り活動している。
〇黒潮町は、多様な防災プログラム(防災学習プログラム、防災缶詰プログラム、地域防災実感プログラム、佐賀地区津波避難タワー見学会、宿泊型夜間避難訓練プログラム)を開発し、町内外の人への防災教育を展開している。
〇今回のセミナーでは、この他、今治市の山林火災への取組も報告された。

Ⅲ 子ども民生委員活動と福祉教育

〇筆者は、1980年代に福祉教育が必要とされる背景、要因の第1に“子ども・青年の発達の歪み”を挙げている。
〇イギリスでは、アレック・ディクソンによるコミュニティボランティア協会が1962年に創設され、青少年のボランティア活動を推奨をしている。その背景には、1963年に出されたイギリス中央教育審議会の答申「HALF OUR FUTURE」と題する報告書がだされ、未来を担う若者、青年の半分の成長がゆがんでいるというショッキングなレポートがあった。アレック・ディクソンは、若者、青年の発達を取り戻すために、コミュニティに入り、高齢者等を訪問し、何かお手伝いすることがあるかどうかのニーズ調査を行い、それに応じるボランティア活動をすることが必要であると訴えた。
〇日本の福祉教育は、1970年前後に第2の波を迎えるが、それは1970年に日本がの高齢化社会になったことを踏まえたもので、その対策的意味合いもあって、その必要性が説かれた。
〇しかしながら、筆者は日本でもイギリスと同じような子ども・青年の発達の歪みが指摘され始めていた時期なので、子ども・青年の発達を保証する機会として福祉教育の推進をするべきであると提唱してきた(1978年には久徳重盛が『人間形成障害病』を上梓。筆者は1970年に青年の中に「まあね族」と「べつに族」が登場し、社会関係、人間関係が希薄化、あるいは持てない青年が登場してきている問題を指摘)。
〇子ども民生委員活動は、戦後、徳島県民生委員連盟の常務理事をしていた平岡國市が西祖谷山村で実践したのが発祥とされている。
〇現在は、日開野博先生によれば、天草市社会福祉協議会、倉敷市社会福祉協議会、土佐清水市社会福祉協議会、徳島県石井町で行われており、かつ徳島県民生児童委員協議会が毎年県内の3~5所を指定し、補助金を5万円ほど出して活動を鵜維新しているとのことです。
〇今回のセミナーでは、土佐清水市の子ども民生員活動が報告された。
〇土佐清水市は、2012年に人口が15961人であったのが、2025年には11418人となり、4543人の人口減少であった。高齢化率は逆に39・3%だったものが52・2%となり、15歳未満の子どもの数は1440人だったのが、672人に減少している。したがって、小学校数も8校から3校(2026度には2校)になる。中学校は5校だったのが1校になった。このような状況の中、一人暮らし高齢者は2421人に増大している。
〇土佐清水市社会福祉協議会では、行政と協働して、地域福祉計画づくりで市内8~10か所で住民座談会を開催、区長、民生委員児童委員、地域福祉協力員等との小地域での情報交換会を市内50地区で開催、地域住民支え合い事業を旧中学校区(市内5地区)で年間4~5回を目途に実施するなど、地域住民のニーズ把握に努めてきた。
〇子ども民生員活動は、“高齢者とふれあいたい”、“民生委員の仕事を知ってほしい”という小学校の校長や主任児童委員の発案で始められた。
〇子ども民生委員活動を始めるに当たっては、社会福祉協議会職員や民生児童委員が先生になり、福祉について学び、その後小学校管内の地区民生児童委員から小学校の児童への委嘱がおこなわれ、「子ども民生委員証」が手渡しで交付される。
〇土佐清水市子ども民生委員は、民生児童委員信条と同じように信条を持っている。信条は、①わたしたちは、地域の人に、笑顔で明るく、心をこめて元気よくあいさつします、②わたしたちは、地域の民生委員、児童委員の皆さんと協力して、地域の人たちとすすんで交流します、③わたしたちは、地域の人たちや友だちに愛情をもって接します、④わたしたちは、ありがとうの感謝の気持ちを忘れず、地域を大切にしますの4か条からなっている。
〇子ども民生委員は、この信条に基づき、高齢者宅を訪問したり、生き生きサロンを訪問して楽器演奏や歌の披露、レクリエーションなどを行ったり、会食をともにしている。その他、子ども目線での防災マップを作製したりもしている。
〇このような活動を通して、子ども目線で、地域で気づいたことを大人や地域に発信したりしている。他方、高齢者宅を訪問した際などに会話が続かない自分を自己覚知したり、相手の目を見て話すことの必要性を確認したり、話題や話し方の工夫をする必要性に気がつくなど自分自身の成長につながることを実感している。これこそ、子ども・青年の成長に必要な福祉教育の成果であり、高齢者等から「ありがとう」との言葉をもらって自己肯定感の高揚につながる実践となっている。
(2025年7月15日記)

 

阪野 貢/「障害理解」を通して人間存在の多様性と包摂、そして共生を考える ―丸岡稔典著『「障害理解」再考』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、丸岡稔典(まるおか・としのり)著『「障害理解」再考―他者との協働に向けて―』晃洋書房、2025年3月。以下[1])がある。現在の「障害理解」の主流は、「障害の個人モデル(医学モデル)」に相対する「障害の社会モデル」の考え方である。「障害の個人モデル」は、障害を個人の心身機能の問題として捉え、その解決を個人の努力や治療に求める考え方である。一方、「障害の社会モデル」は、障害を社会の構造や環境によって生じるものとして捉え、社会の側に改善や配慮を求めるそれである。丸岡によると、その「障害の社会モデル」には、①物理的・制度的バリアなどに関心が集まり個人の心身機能の障害が軽視されやすい、②健常者を中心とした社会の価値観や文化に対する批判的視点や反省が十分ではない、などの課題がある(2ページ)。
〇この点を念頭に置きながら、丸岡は[1]で、障がい者運動をはじめ、障がい者のライフストーリー、障がい者と介助者の介護関係、障がい者と健常者による芝居作り、福祉のまちづくり、などの具体的な事例分析を行う。それを通して、①アイデンティティの視点から、「障害のある身体についての経験」(障害に基づく経験、障がい者としての経験)を検討する。そして②障がい者と健常者の相互作用の視点から、障害理解や障害と健常の違いを超えた相互理解の可能性を検討する。さらに③地域における健常者と障がい者の協働の視点から、協働や相互理解の過程、ならびに現実のまちづくりへの影響などについて検討する(12~14ページ)。[1]のテーマは、この3つの視点からの「障害理解」再考である。
〇ここでは、例によって我田引水的であるが、丸岡の言説のうちから、①障害学における「平等派」と「差異派」の議論、②「身体的存在としてのアイデンティティ」と障害理解、③まちづくりの「協働」と「異化としてのノーマライゼーション」に関するそのいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

➀障害学における「平等派」と「差異派」の議論
障がい者と健常者の格差の是正をめざす「障害の社会モデル」はしばしば、「平等派」とされる。これとは別に、平等派を健常者社会への同化志向であると捉え、障害のある身体を肯定することや障害を個性や文化であると考えることを重視する「差異派」と呼ばれる視点が存在する。(20ページ)

「差異派」の主張を支えているものに「障害にこだわる」障がい者運動がある。それは、障がい者が健常者と「同じ人間」「同じ市民」であることをめざすなかで、健常な身体に価値を置く健常者を中心とした社会の支配的な価値観に同化を強いられ、障害のある自己の身体を否定する結果をもたらしてしまうことを警戒する。また、それは、「健常者と障がい者」というマジョリティ・マイノリティ関係のなかで「排除―序列化」される差異としての障害と、自らの身体における他者である領域としての障害という、アイデンティティと他者との相克の二側面に同時に向き合いながら、障害のある身体を否定しないアイデンティティ像を提起し、共有することをめざす。(20~21ページ)

➁「身体的存在としてのアイデンティティ」と障害理解
障害があるというだけで社会は、障がい者に対してネガティブなレッテルを貼り、その人の本来の姿とは違う否定的な見方をしてしまう。(阪野)/こうした否定的な社会的アイデンティティ(個人的属性や職業、所属などに対するアイデンティティ:阪野)は、障がい者がそれを内面化することによって、自分自身に欲求の自己規制や自己否定感を生じさせ、行動を制限させる。/また、障がい者は、「普通の人と同じである自己」と「普通の人と異なる自己」の2つの自己了解、すなわち異なった自我アイデンティティ(個人的アイデンティティ)を形成する。これがまた障がい者に健常者と異なる自己を意識させ、自己否定感を生じさせる。(175ページ)

障がい者がもつ障害の種類や程度、障害の発生時期や要因などは様々であり、日常生活への影響も多様である。したがってまた、障がい者の自己の障害に対する認識や他者の障害に対する認識も様々であり、アイデンティティの確立と変容のプロセスも様々である。(67ページ。阪野)/そこで、集合的な障害カテゴリーから離れて一人ひとりの障がい者の経験を取り上げ、それに向き合うことは、健常者が障がい者の固有の経験について理解を深め、自らの健常者としての立場を振り返ることにもなる。障がい者の経験や出来事が、「対話」を通して一人ひとりの固有の経験として語られたり、聞かれたりすることが、障害理解を図るうえで重要である。(180ページ)/その際の「対話」は、障がい者に対するスティグマ(負のレッテル貼り)を障がい者と健常者の間で可視化、共有化し、その解消を促すひとつの技法といえる。(121ページ)

人は、障害の有無にかかわらず、身体的に、自分の意志でコントロールできる部分(能動性)と自分の意志ではコントロールできない部分(他者性)の2つの側面を持っている。(37~38ページ。阪野)/この「身体の能動性」と「身体の他者性」を併せた「身体的存在としてのアイデンティティ」(38ページ)の獲得は、障がい者に障害は「身体の他者性」としての自己の一部であることを了解させる。とともにそれは、障がい者に、自分の存在に価値があるという認識をもたらし、自己規制や自己否定を解消することにつながる。こうした意識変革や、それに基づく健常者との相互理解や関係変容は、障がい者に対する新しい社会的アイデンティティの形成を可能にする。(176ページ)

➂まちづくりの「協働」と「異化としてのノーマライゼーション」
福祉の専門職や専門的職業人ではない一般の健常者と障がい者が、「理解する・支援する―理解される・支援される」という主体―客体の関係とは異なる関係のもとで、共通の目標に向かってお互いに協力し合うことを「協働」という。(12ページ)

健常者と障がい者が同じ地域の市民としてまちづくりの活動に参加する関係がつくられ、活動を通して両者の対等な協力関係が形成されるとき、両者の相互理解が促される。/また、障がい者と健常者が相互に影響を与え合う関係のなかで、健常者による自分の立場や価値観の振り返りが生じる。/すなわち、まちづくりにおける健常者と障がい者の協働によって、両者の相互理解の過程で、「異化としてのノーマライゼーション」(健常者を中心とした社会の価値観の反省)が生じることになる。(177ページ)/つまり、社会のなかに存在する「普通」や「当たり前」を批判的に見つめ直し、それを異質なものとして捉えること(「異化」)を通して社会のバリア(障壁)を解消するための具体的な行動が促され、共生社会が構築・創造されるのである。(阪野)

福祉のまちづくりが「福祉に力点を置いたまちづくり」ではなく、「まちづくりの一部としての福祉のまちづくり」であるとき、それは地域住民の生活に関わる問題であり、まちづくりへの住民参加の一部として、障がい者や障がい者団体の参加も可能となる。/別言すれば、福祉のまちづくりに障がい者の参加がなされるとき、福祉のまちづくりの理念や条例が一般市民に普及する可能性や福祉のまちづくりが障がい者や高齢者など一部の人のためだけのものでなく、まちづくり全体として一般の地域住民にもつながるものと認識される可能性が生じる。(172ページ)

〇「まちづくりと市民福祉教育」の体験活動・体験学習のひとつとしてしばしば取り組まれるものに、「疑似体験」がある。丸岡は、健常者の障害理解を目的とした「障害疑似体験」について、批判的に説述し問題提起を行なう。その一文を付記しておく。

障害疑似体験についてはこれまで、(障がい者が)できないことを体験するため否定的な障害観が形成されやすいこと、物理的な障壁に注目が集まりやすく、背景にある社会構造への理解が不十分になりやすいことなどが批判されてきた。(中略)障害疑似体験で「健常者は障がい者のことを理解しようとするが、健常者自身については不問に付し、自分たちの立場、ひいては自分たちの存在そのものまでも不可視化してしまい、自分たちを忘却してしまっている」(横須賀俊司)と指摘される。/こうした問題を解決するためには障がい者だけを客体化するのではなく、健常者が主体の座から降りて、自らを対象化、客体化する作業が不可欠となる。(10~11ページ)

〇以上の言説のうちから、障害学がいう「平等派」と「差異派」の議論に関して一言する。すなわちこうである。「障害にこだわる」障がい者運動は、社会が障害を排除や序列化の対象とみなす考え方に異を唱え、その解消をめざすとともに、障害のある自分自身の身体を否定しない肯定的なアイデンティティ像を障がい者と健常者の間で共有することをめざす運動である。その運動は、社会的・構造的な側面と身体的・アイデンティティの側面を併せ持ち、その両者を統合的に捉えることで、より包摂的で多様な共生社会の実現を志向するものである。それは、住民・市民による社会活動や社会運動としての取り組みが求められる「まちづくりと市民福祉教育」において、健常者の障害や障がい者に対する、また障がい者の自分自身の障害や他の障がい者やその障害に対する認識や態度の変容を促す重要な視点を提示するものである。そしてそれは、人間存在の多様性と包摂、そして共生についての認識と態度につながる。留意したい。

花房 愛/新美一志氏の論考「福祉教育の理論と実践と研究に関する一考察 」を読んで

〇新美一志氏の論考「福祉教育の理論と実践と研究に関する一考察 ―大橋謙策と阪野貢、原田正樹の言説をめぐって(素描)―」を読ませていただきました。日本の福祉教育学界における主要な論客である大橋謙策、阪野貢、原田正樹の3氏の言説を、その学術的系譜と相互関連性に着目して分析した、示唆に富む論考だと感じました。とりわけ、「素描」であることの限界はありますが、➀先行研究の引用と解釈、➁学術的系譜の提示、➂いくつかの問題提起、においてです。

感想と評価
〇本論考の強みは、単に個々の研究者の業績を羅列するのではなく、彼らの研究が「学術的な連続性」と「相乗効果」を生み出し、福祉教育学界を活性化させてきた過程を浮き彫りにしている点にあります。特に、阪野氏と原田氏を大橋理論の単なる継承者ではなく、「批判的・発展的継承者」と位置づけている視点は重要です。これは、学問の発展が、先行研究の踏襲だけでなく、時代状況や新たな課題意識に基づいて再構築されることで深化していく様を示しています。
〇また、福祉教育実践における「疑似体験」の危険性について、3氏が共通して警鐘を鳴らしている点をあえて付記しているのも、実践や実践研究に携わる者にとって重要な示唆を与えています。形骸化した活動が逆効果を生む可能性を明確に指摘することで、今後の福祉教育実践の質的向上に向けた問題提起を行っていると評価できます。なお、この点については、新美氏の別の論考「福祉教育における『当事者性』と『相互主体性』に関する一考察 ―松岡広路、阪野貢、鯨岡峻の言説をめぐって―」も参考になりました。
〇さらに、日本福祉教育・ボランティア学習学会の設立における3氏の役割に触れ、学会が果たすべきネットワーク機能やソーシャルアクション機能のさらなる強化を提言している点は、学術団体としての社会貢献のあり方を再考させるものと言えるでしょう。

問題点と課題
〇本論考の問題点(限界)は次のような点でしょうか。それらはひとつは「素描」に起因するとも思われます。

➀論考の副題「素描」の範囲と深度が不明確であり、それゆえに期待される詳細な分析や網羅的な考察が十分に行われないままに留まっていると思います。
➁3氏の言説を丁寧に紹介し、その共通点や学術的系譜を論じていますが、個々の言説に対する批判的な視点や具体的な課題提起がやや弱いと思います。
➂重要な視点や概念がいくつか提示されていますが、それぞれがどのような福祉教育実践や研究に結びつくのかについての踏み込んだ議論が少ないと思います。
➃「バッテリー型研究」や「協働研究」の重要性は理解できますが、それをより効果的に推進するための具体的な提言が不足しているように思います。

〇本論考で示された今後の福祉教育研究の課題は、非常に本質的かつ今日的なものです。

理論と実践の乖離克服と実践研究の深化: 理念が高尚すぎたり、概念が抽象的・情感的すぎたりすることで実践への落とし込みが難しいという課題は、これまで福祉教育分野で指摘されてきました。本論考で言及されている、大橋氏がいう「バッテリー型研究」や「協働研究」の推進は、この課題を克服し、実践の場で生きた理論を構築するための有効なアプローチとなるでしょう。また、実践研究の質的向上と評価方法の確立は、今後の研究の基盤となります。

多様なアクターとの連携とソーシャルアクション機能の強化: 福祉教育が単なる学習活動にとどまらず、社会変革の「思想的武器」となるためには、多様な主体との連携を深め、政策提言や権利擁護といったソーシャルアクション機能を強化していくことが不可欠です。具体的な連携モデルや、効果的なソーシャルアクションの戦略を構築していくことが求められます。

深遠な哲学性の探究: 大橋氏の「博愛」の精神や阪野氏の「まちづくりと市民福祉教育」、原田氏の「相互依存的自己実現」といった概念を通じて、福祉教育が単なる知識や技術の伝達に留まらず、地域変革(まちづくり)や社会全体の価値観の変革、人間のあり方を問い直す哲学的な営みであるという深遠な視点を提供しています。これは、福祉教育の意義を再認識させる上で非常に重要だと思います。

グローバル化とテクノロジーの進展への対応: 気候変動、貧困、紛争といったグローバルな社会課題や、AI、デジタル技術の進展は、従来の福祉のあり方や教育の枠組みを大きく変えつつあります。こうした中で、福祉教育が「学際性」「グローカル性」「変革性」「哲学性」といった視点を再認識し、どのように再構築・再創造されるべきか、具体的なロードマップを示すことが今後の重要な課題となります。特に、AI時代におけるデジタル技術を活用した新たな学習方法や、深刻で多様な課題が浮き彫りになっている新グローバル時代における異文化間理解を促進する福祉教育のあり方など、具体的な研究テーマが考えられます。

〇これらの課題は、日本の福祉教育が直面する本質的な問いであり、新美氏が提示した3氏の言説を手がかりに、今後の研究がさらに発展していくことを期待します。

 

新美一志/福祉教育の理論と実践と研究に関する一考察 ―大橋謙策と阪野貢、原田正樹の言説をめぐって(素描)―

[Ⅰ]
〇福祉教育の理論(わかる)と実践(できる)と研究(さがす)において多大な貢献をしてきた者に、大橋謙策と阪野貢、原田正樹がいる。なかでも大橋は、周知の通り、日本における地域福祉および福祉教育研究の草分け的存在であり、その貢献度は極めて高い。大橋は、1970年代以降(本格的には1980年前後から)、現場で生じる「問題としての事実」に学び、その実践的な解決をめざす「実践的研究」を志向する。 初期の著作である『地域福祉の展開と福祉教育』(全国社会福祉協議会、1986年9月)は今日においても、「実践的研究書」としての輝きを失っていない。生涯学習の視点に基づく福祉教育の実践・研究の推進と、「日本地域福祉研究所」などによる全国的規模での「福祉でまちづくり」の取り組みは特筆される。
〇阪野は、福祉教育の歴史研究を基盤にしながら、大橋の福祉教育論を継承し発展させつつ、「まちづくりと市民福祉教育」という概念を提示してその理論化・体系化を図る。そのひとつの集大成でもある『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』(みらい、2009年10月)は、従来の学校福祉教育や地域を基盤とした福祉教育の枠を超え、「まちづくり」とそのための「市民」の育成をめざす福祉教育のあり方を探究する。「ふくし」を「ふだんの くらしの しあわせ」というフレーズで捉えて表示するのは、1990年代中頃からである。「市民福祉教育研究所」(オンライン組織)での取り組みも特筆に値する。
〇原田は、地域福祉の主体形成に関わる地域福祉実践研究法について考察し、その理論化・体系化を図る。その著作『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』(中央法規出版、2014年10月)は、大橋の上記の著作の「今日的な続編でありたい」とするものでもある。福祉教育については、福祉教育の理論と実践の乖離を指摘し、それを克服するために、学際的・総合的かつ実践的なアプローチによって福祉教育の新たな理念の構築と実践構造の再検討を進める。原田にあっては、「共に生きること 共に学び合うこと」は、福祉教育が大切にしてきた・大切にすべきメッセージである。原田の、全国社会福祉協議会主催の「全国福祉教育推進委員会」などでの取り組みは特筆されるべきものである。

[Ⅱ]
〇ここで、大橋と阪野・原田の福祉教育論の要点のいくつかを素描する。まず大橋のそれである。大橋は「福祉教育」の概念を次のように規定する。すなわち、福祉教育とは「憲法13条、25条等に規定された人権を前提にして成り立つ平和と民主主義社会を作りあげるために、歴史的にも、社会的にも疎外されてきた社会福祉問題を素材として学習することであり、それらとの切り結びを通して社会福祉制度、活動への関心と理解をすすめ、自らの人間形成を図りつつ社会福祉サービスを受給している人々を、社会から、地域から疎外することなく、共に手をたずさえて豊かに生きていく力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることを目的に行われる意図的な活動」と規定することができる(第2次福祉教育研究委員会(委員長:大橋謙策)『学校外における福祉教育のあり方と推進』全国社会福祉協議会、1983年9月)。
〇この概念規定は40年以上も前のものであるが、今日においてもしばしば引用される。それは、阪野によると、「人権」や「平和と民主主義」といった普遍的な理念や価値に基礎をおいた理念型の定義であり、また包括的で汎用性が高いことに起因する。具象的な定義はその解釈を狭くするが、抽象的な定義はその抽象度によって解釈を広げ、読み手の洞察によって解釈を深めることができる。そうした点で、この定義は多くの人が「使える」、多くの人にとって「使いやすい」ものになっているのである。また阪野は、大橋の福祉教育論については、一面では「子ども・青年の発達(の歪み)」を軸に体系化された教育論としても評価されるが、併せて障がい者や高齢者の「社会教育の促進」や「福祉コミュニティの形成」との関わりで福祉教育を捉える研究の視点・視座に注目しないとその定義や言説を読み解くことはできないことを指摘する。
〇大橋はまた、学校教育において「自由と平等」は教えられてきたが、「博愛」精神の教育が欠けていたことを指摘する 。そして、障害を持つ人々や社会的な支援を必要とする人々の幸福追求権(憲法第13条)と、社会全体で担う「博愛」の精神を公教育で再構築する必要性を強く訴える 。この「博愛」の再構築という主張は、単なる倫理的な呼びかけに留まらない。大橋は、日本の文化的・歴史的背景、特に閉鎖性や儒教的な排除の論理が福祉の理念形成に与える負の影響を深く見据え、その克服のために「博愛」という普遍的価値観を福祉教育の根幹に据える必要性を論じるのである。これは、福祉教育は単なる知識や技術・技能の伝達や個人の意識変革を図るだけではない。社会全体の文化や規範を「博愛」の精神に基づいて再構築することを通じて、社会の根深い構造的差別や排除の論理に抗する「価値観の変革」をめざすべきだという、極めて本質的で哲学的な課題提起である。深く留意したいところである。
〇こうした点を含めて、大橋の福祉教育論の概要や評価などについてはひとまず、阪野のブログ記事――阪野貢/「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて(Ⅵ)―大橋謙策の「福祉教育原論」に関する研究メモ―/2022年10月25日/本文を参照されたい。
〇次に阪野のそれである。阪野は「市民福祉教育」を次のように規定する。「市民福祉教育とは、福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図るための教育活動であり、その内容は、人間の尊厳と自由・平等・友愛の原理に立って、平和・民主主義・人権と、自立・共生・自治の思想のもとに構成され、その実践では、歴史的・社会的存在としての地域の社会福祉問題を素材にし、課題解決のための体験学習と共働活動を方法上の特質とする」(ウェブサイト「市民福祉教育研究所」フロントページ/本文)。
〇阪野が提唱する市民福祉教育は、「人間の尊厳」「自由・平等・友愛」「平和・民主主義・人権」といった普遍的な人間観と社会観に基づいている。また、現代社会において子どもと大人、障がい者や高齢者などすべての人の「自立・共生・自治」が問われるなかで、「まちづくり」に参加(参集、参与、参画)する主体的・自律的な「市民」の育成を図る市民福祉教育の重要性を認識し指摘するものである。すなわちそれは、「ふくし」は社会的支援を要求する・必要とする人や専門家だけの問題ではなく、市民一人ひとりの日常生活(「ふだんの くらしの しあわせ」)と社会全体の平和・安寧・福祉(「みんなが 満足していて 楽しいこと」)に関わる普遍的な課題であるという視点・視座に基づくものである。それはまた、大橋が指摘する「博愛」の欠如や社会の閉鎖性といった問題意識を、より普遍的な市民社会の形成という視点から継承・発展させるものであるとも言える。
〇また阪野は、「福祉文化」の概念を、一番ヶ瀬康子の言説を引用し「福祉の文化化」と「文化の福祉化」が統合されたものとして捉える。前者は、社会福祉は質・量ともに豊かで快適な人間らしい生活を保障するものであること、後者は、障がい者や高齢者を含むすべての人が文化創造の担い手であることを含意する。そのうえで、「福祉」が単なるサービス提供や社会的支援に留まらず(憲法第25条)、人々の生活そのものを豊かに快適にし(憲法第13条)、社会全体の文化、人間の豊かな創造性や感性を育む福祉文化として根づくかせるべきものである主張する。
〇さらに阪野は、「協働」(collaboration)と「共働」(co-action)の概念を明確に区別し、「対抗」から「共働」へのプロセスを支援学の視点から提示して市民自治とまちづくりの立ち位置とプロセスを考察する 。「協働」は往々にして、行政主導や専門家主導の枠組みのなかで行われる「協力」に近いニュアンスを持つ。それに対して「共働」は、市民が主体的・自律的に、対等な立場で互いに働きかけ、共に新たな価値を創造していく能動的な関係性を意味すると考えられる。この区別は、単に市民を行政の活動に「参加させる」だけでなく、市民自身が「主体」として福祉を「つくりあげる」という、市民参加(参画)の質的向上への強い志向を示すものである。これは、福祉教育が市民のエンパワーメントを通じて、真の市民社会を構築するための重要な手段(「思想的武器」)となる・ならなければならないという阪野の思想を反映していると言えよう。
〇そして原田である。原田らにあっては、地域ぐるみの福祉教育が必要かつ重要となるなかで、「地域福祉を推進するための福祉教育とは、平和と人権を基盤にした市民社会の担い手として、社会福祉について協同で学びあい、地域における共生の文化を創造する総合的な活動」である(福祉教育推進検討委員会(委員長:大橋謙策)『社会福祉協議会における福祉教育推進検討委員会報告書』全国社会福祉協議会、2005年11月)。この規定における鍵概念のひとつ、すなわち原田福祉教育論のそれは「協同実践」である。原田はいう。「福祉教育における『協同実践』においては、専門的な知識や技術の伝達ではなく、福祉の魅力や難しさをみんなで考える。その時には、子ども同士だけではなく、福祉教育実践に関わる大人も含めて相互の学び合いが必要になってくる」(原田正樹『福祉教育の理論と実践方法―共に生きる力を育むために―』全国社会福祉協議会、2022年3月)。さらにそれは、学校や地域だけでなく、また障がい者や高齢者、地域のボランティアだけでなく、さまざまな関係者や関係機関・団体を福祉教育に巻き込み、「サービスラーニング」の視点による福祉教育実践を協同実践として成立させための組織(「福祉教育推進プラットホーム」)やコーディネーター(「福祉教育推進員」)を求める。とともに、その実践を「内省」(かえりみて見直すこと)し「省察」(ふりかえり考えめぐらすこと)する効果的・総合的かつ創造的なふりかえり(「リフレクション」)を不可欠とする。
〇原田福祉教育論の、もうひとつの鍵概念に「相互依存的自己実現」がある。それは、人間の脆弱性を前提としたうえで、個人の自立や自己実現だけでなく、それを乗り越え、関係性のなかで互いに支え合いながらより良く生きること、社会全体の「共に生きる力」の育成を図ることをめざす視点である。すなわちそれは、福祉教育は地域福祉の下位概念・従属概念ではなく、個人の福祉意識を変容させ(「貧困的な福祉観の再生産」の克服)、地域を変革する力の育成を図る営為である、という主張に通底するものである。要するに、「相互依存的自己実現」という概念は、超少子高齢化問題や多様で複雑な福祉課題を抱える現代社会において、従来の自立支援の限界を乗り越え、より包括的で持続可能な地域社会を構築するための新たなパラダイムを提供するものである。
〇この点を別言すれば、原田は、その主著『地域福祉の基盤づくり』で、「地域福祉を福祉教育によって支えあうことができる社会、ケアリングコミュニティをどう構築していくことができるかを問うことが『地域福祉の基盤づくり』である」という。これは、福祉教育と地域福祉が単なる補完関係ではなく、相互に影響し合い、変革を促すダイナミックな関係にあることを示唆するものである。すなわち、福祉教育は地域変革の主体化を図り、個人の意識変革を促す一方で、地域福祉の実践はその意識変革をさらに深化させるのである。そして、ここでいう「ケアリングコミュニティ」とは、原田にあっては、「共に生き、相互に支え合うことができる地域」のことである。それは、地域福祉の基盤づくりである。そのためには、共に生きるという価値を大切にし、実際に地域で相互に支え合うという行為が営まれ、必要なシステムが構築されていかなければならない。こうしたケアリングコミュニティは、①ケアの当事者性(エンパワメント)、②地域自立生活支援(トータルケアシステム)、③参加・協働(ローカルガバナンス)、④共生社会のケア制度・政策(ソーシャルインクルージョン)、⑤地域経営(ローカルマネジメント)といった5つの構成要素により成立している。
〇上述の大橋は、ケアリングコミュニティの実現には「地域福祉の4つの主体形成」が重要であるという。➀地方自治体においてどういう福祉サービスを整備するべきかという地域福祉計画策定主体の形成、➁制度化された福祉サービスをどう有効に、合理的に、過不足なく利用するかという地域福祉サービス利用主体の形成、➂地域から差別・偏見をなくし、福祉サービスを必要としている人を支える福祉コミュニティをどうつくるかという地域福祉実践主体の形成、➃対人サービスとしての社会福祉を支える社会保険制度をどうつくるかという社会保険制度の契約主体の形成、がそれである。この言説と併せて、原田のケアリングコミュニティの5つの構成要素についての議論は、阪野がいう「まちづくりと市民福祉教育」の理念や構造、内容や方法に繋がるものでもある。
〇ここで、大橋と阪野・原田がともに、福祉教育実践(体験学習)における「疑似体験」の危険性について言及していることをあえて付記しておきたい。3氏は特に、目的やねらいが吟味されない形だけの障害・高齢の疑似体験(車椅子体験、アイマスク体験、高齢者疑似体験など)は、障がい者や高齢者への誤解やステレオタイプを強化する可能性があることを厳しく批判する。形骸化した体験活動は「障がい者は不幸である」「施設にいるべきである」といった固定観念を強化し、真の理解や共生を妨げる可能性がある、と警鐘を鳴らすのである。それは、地域・地元の福祉課題を素材化(教材化)しない、地域・住民との連携・協働を欠いた、形だけの「まちづくり」や「ケアリングコミュニティ」づくりに関しても同様である。
〇なお、「疑似体験」については、「疑似体験はあくまでも疑似であり、ほとんど意味のない学習である」とう意見がある。疑似体験のあり方を追求すべきなのか、疑似体験に代わる学習方法を開発すべきなのか、ひとつの問題提起であることに留意したい。

[Ⅲ]
〇大橋と阪野・原田の福祉教育論を分析・検討(素描)すると、3氏はともに「地域福祉と福祉教育の不可分性と有機的連携」「主体形成の重視と市民参加の促進」「まちづくり・社会変革の推進と地域共生社会の実現」「実践と理論の往還的関係の重視と実践研究の推進」などを強調している。そして、3氏のそれは個別の研究ではなく、相互に影響し合い、継続的に取り組まれ、学術的な系譜を形成していることが分かる。この学術的な連続性は、そこに生み出された相乗効果として、単なる知識の継承に留まらず、先行研究の課題意識を共有し、福祉教育を取り巻く時代状況や背景に対応しながら福祉教育の理論と実践を深化させてきた、と言ってよい。阪野が大橋福祉教育論の再考を試み、原田が大橋の著作の「続編」を意図した点から、阪野と原田は大橋理論の単なる継承者ではなく、批判的・発展的継承者として新たな視点や概念を導入し、福祉教育学界の活性化に貢献してきた、とも言えようか。また、大橋を中心に阪野と原田の3氏が日本福祉教育・ボランティア学習学会の設立に大きな役割を果たしたことは、衆目の一致するところである。
〇その学会は、設立されて30年が経っている。言うまでもなく学会は、学術コミュニティの発展と社会貢献の両面で重要な役割を果たすべき組織である。その学会では、福祉教育の実践・研究の使命や目的、価値などを考えると、単なる研究発表や研究者の知の錬成の場としてのそれではなく、とりわけネットワーク機能(実践家と研究者による共同研究、異分野交流・国際的連携など)とソーシャルアクション機能(政策提言、市民社会への普及啓発など)がこれまで以上に重視されるべきである。
〇大橋と阪野・原田の連なり、すなわち「協働研究」は、福祉教育の実践や研究の質を高めるだけでなく、学術コミュニティ内での知識の創造、共有、そして発展を促進するひとつのケースである。それはまた、大橋と阪野とりわけ原田との、大橋がいう「バッテリー型研究」のもうひとつの姿であろう。また、福祉教育の学術的・学際的な深化と、実践者と研究者の協働研究による「実践研究」の今後の方向性を示すものでもあろう。なお、協働研究を平易に別言すれば、単に一緒に行う(共同)、あるいは力を合わせて行う(協同)研究ではなく、それぞれの強み・専門性を活かしながら対等な立場で協力し合って行う研究をいう。
〇また、福祉教育の実践・研究においてときに、➀概念が抽象的で情感的になりがちであり、それゆえに議論が曖昧なものになる。➁高尚な理念や理想主義的な理論が先行しがちであり、それゆえに実践への落とし込みが難しい。そして➂多様なアクター(主体)との連携・協働の深化や、社会変革に向けた「ソーシャルアクション」機能(問題提起や政策提言、権利擁護など)の強化をどう図るか。➃実践研究の質の向上と実践評価の理論と方法論をどのように構築するか、などが問われる。こうした点に留意しつつ、グローバルな社会課題(気候変動、貧困、紛争など)の深刻化、AIやデジタル技術の進展といった文脈のなかで、新たな福祉教育の実践・研究はどのような理念や構造(システムや目的・内容・方法・対象)を持つものとして再構築あるいは再創造されるべきか、さらなる探究が求められよう。とりわけ、福祉教育の理論と実践と研究における「学際性」と「グローカル性」「変革性」、そして「哲学性」についてである。

老爺心お節介情報/第71号(2025年6月24日)

「老爺心お節介情報」第71号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。
「老爺心お節介情報」第71号を送ります。ご笑覧下さい。
6月28日~29日の日本地域福祉学会武庫川大学大会に参加します。
皆様とお会いできるといいですね。
くれぐれもご自愛の上、ご活躍下さい。

2025年6月24日   大橋 謙策

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇我が家の庭は、植木が繁茂しはじめ、私が出来るところは剪定をしていますが、手に負えないところは“庭師”に入ってもらうことにしています。我が家が頼んでいる“庭師”は、京都の庭園づくりなどで修業した人で、我が家の庭を落葉樹と石畳と石灯篭、蹲、竹垣で、ちょっとした京都風庭園に衣替えしてくれました。書斎に座り、コーヒーを飲みながら庭を眺めるのはちょっとした至福の時です。“庭師”は、樹木の性質をよく知っていて、剪定もただ刈り込めばいいというものではないこと等、まるで“樹木と会話”しているが如く、剪定を進める姿は、やはりその道のプロだと感嘆しながら作業を垣間見ています。
〇4月、5月に行った家の中の断捨離も一段落しました。だいぶすっきりして、また新たな気持ちで生活が出来そうです。ちょっと前までは捨てられなかったものが、80歳を過ぎてからは、惜しげもなく捨てられる心境に我ながら驚いています。それだけ先行きを感じるのでしょうか。
〇5月、6月は各種団体の理事会、評議員会の季節です。私も“終活”に向けて、後任に譲れるところはお願いしています。その一環ではありませんが、3年前から後任を探していた(公財)テクノエイド協会の理事長職の後任がようやく見つかり、各種手続きも終わり、5月27日の理事会、6月20日の評議員会の議決を経て、6月20日付けで退任しました。2011年7月から2025年6月までの14年間務めさせて頂きました。
〇(公財)テクノエイド協会の理事長職は、1986年の(公財)テクノエイド協会創設時以来、厚生省の元局長クラスのポストでしたが、私が就任した2011年は、当時の民主党政権下において、いわゆる“事業仕分け”が行われ、かつ公益法人改革が進み、“瓢箪から駒”の類で私が理事長に選ばれました。
〇就任当時、畏友の白沢正和さんに“大橋さん、(公財)テクノエイド協会理事長職は黒塗り車付き、秘書付き、高給取りのポスト”ですかと尋ねられたが、残念ながらそのような恩典はなく、非常勤の、出勤ごとの日当が支払われるポストでした。日本社会事業大学の清瀬移転でお世話になった旧厚生省社会局の旧知の人からの依頼でもあり、就任しました。
〇一方で、(公財)テクノエイド協会の理事長職に就くことに、ある意味、とてもいいチャンスを与えて頂いたと喜びました。それというのも、WHO(世界保健機構)のICF(国際生活機能分類)を日本語版に訳するワーキンググループの仕事を仰せつかったこともあり、かつ1960年代から救貧的福祉サービスの提供でなく、福祉サービスを必要としている人々の自己実現、幸福追求を図ることが社会福祉の目的であると考えてきた私にとって、福祉機器の利活用を促進するという(公財)テクノエイド協会の業務は、社会福祉界と福祉機器の開発、普及を図る関係者との“橋渡し”ができ、日本の社会福祉の考え方の改革に少しは貢献できるという思いと願いがあったからです。
(2025年6月24日記)

Ⅰ ICFの視点でケアマネジメントの方法を活用したソーシャルワーク

〇WHOのICFの考えを厚生労働省が翻訳し、日本での普及促進を図ろうとした2000年代初頭に、畏友白澤政和さんと、これからの社会福祉研究、実践は「ICFの視点でケアマネジメントの方法を活用したソーシャルワーク」という考え方で進めなければならないと話し合ったことがある。
〇ICFの視点でケアマネジメントの方法を活用したソーシャルワークの考え方については、拙著『地域福祉とは何かの』の第1編第2部「地域での自立生活を支えるICFの視点に基づくケアマネジメント及び福祉機器活用によるソーシャルケア(ソーシャルワーク・ケアワーク)」に詳しく述べてありますのでご参照ください。
〇なお、私が理事長就任後初めての“福祉用具とICFとソーシャルワーク”とのテーマで講演をしたのが2012年11月であるが、そのレジュメを記録として再掲しておく。



Ⅱ 本の紹介

➀郷 仙太郎著『小説 後藤新平』学陽書房、1997年
〇本書の著者である「郷信太郎」は、ペンネームで、本名は東京都副知事を務められた青山佾氏である(青山佾氏は、東京都23区の公選区長として中野区の革新区政を促進された青山良道氏のご子息である)。

#1960年代から、東京都では23区の区長公選の運動が活発になり、口調は公選となった。時を同じくして、中野区を中心の教育委員会の教育委員の公選を求める運動も活発になっていた。
他方、1989年に公表された「人間性の回復の場――コミュニティ構想」では、麗しきコミュニティ作りが言われるようになり、岡村重夫先生も田端輝美先生も、奥田道大コミュニティ理論を援用して地域福祉論を展開していたが、私は「コミュニティ構想」は「自治権」亡き、住民参加で非常に危険だろ継承する論文をかいた。当時、経済同友会は「1970年代の社会問題対策思案」をだしていて、その中で、祷民活動を誘導、水路づけるのはソーシャルワーカーであると述べており、そのことへも反論した論文
きれいごとではなく、「住民自治」とは何を基盤に、どのような権限が住民にあるのかをきちんと整理した上で使わなければならない。

〇青山佾氏は、東京都の管理職でありながら、『上杉鷹山』などの本を執筆した故童門冬二に倣ったのかは知らないが、青山佾氏も東京都政策報道室長時代にこの本を書いた。
〇私はその当時、東京都福祉局、衛生局の仕事を多く手掛けていた縁で青山氏から恵贈された。恵贈された際にすぐ読んだものの、そのまま2階の納戸の書棚に収めままであった。4月、5月の断捨離の際に、この本を見つけ改めて読み直した。
〇というのも、戦前の社会事業研究の上で忘れてはならない人物の一人が後藤新平で、医師として公衆衛生に博識を持っており、その視点で台湾総督府の民生長官や東京市長、内務大臣を歴任し、公衆衛生、都市計画を推進した人物だからである。
〇戦前の社会事業は、社会政策がいまだ未分化であったせいもあるが、貧困をもたらす要因として、ベヴァリッジの5つの巨人悪ではないが、上下水道の整備や保健衛生はとても重要な分野として認識されていた。長谷川良信が『社会事業とは何ぞや』で整理しているように、生活困窮と公衆衛生、都市計画(住宅政策)などとは密接なかかわりがあり、重要な政策課題であった。後藤新平は、100年前の関東大震災からの復旧、復興にも大きな力を発揮している。
〇時代は変わり、社会政策は体系化されてきたものの、その縦割り行政の弊害が明らかになり、改めて“大所高所”からの住民の生活の向上に向けた取り組みの必要性が、とりわけ人口減少、労働力不足、超高齢化社会の進展の中で問われている。
〇過疎地の人口減少、超高齢化で呻吟している地方自治体にあっては、改めて後藤新平が志したような「福祉はまちづくり」の哲学が求められているのではないか。再読しての感想である。

②菊池新一著『遠野カッパの独り言』無明舎出版、2025年6月
〇著者の菊池新一氏は、遠野市が1990年に老人保健福祉計画を策定するときからの畏友である。
〇菊池新一氏(当時、遠野市係長)が、遠野市の老人保健福祉計画の策定アドバイザーを依頼に来た時、私は生意気にも、お飾りの、アリバイ作りのアドバイザーなら引き受けないといった。というのも、私の地域福祉研究・実践の研究スタイルは{バッテリー型の研究方法}だったので、その地域の地域づくりに責任をもって、長くかかわらないと地域づくりはできず、ありきたりの形での形式的な各種委員やアドバイザーをやりたくないと思っていたからである。
〇遠野市は、1991年3月に老人保健福祉計画ではなく、地域福祉計画の老人保健福祉編として「遠野ハートフルプラン」を策定した(遠野市の地域福祉計画づくりは『21世紀型トータルケアシステムの創造―遠野ハートフルプランの展開』万葉舎、2002年9月に詳しいので参照)。
〇遠野市の計画づくりでは、計画づくりのプロセスゴールの一つである住民座談会を68か所で行った。また、リレーションシップゴールとして市議会議員研修を3回行った。市議会議員の調査研究の一環としての研修で、はじめて「福祉のまちづくり」ではなく、「福祉でまちづくり」の必要性を提唱した。
〇『遠野カッパの独り言』には、そんなこともエピソードとして紹介されている。
〇『遠野カッパの独り言』は、菊池新一氏の遠野市役所時代とその後の認定特定非営利法人遠野山・里・暮らしネットワークの活動が紹介されている。菊池新一氏のアイデア溢れる地域づくりの実践にはただただ敬服するばかりである。これこそ地域づくりの醍醐味、楽しさだとおもえると同時に、このような構想、実践が全国各地で必要とされていることを実感する。
〇ここ、数年、長野県の人口減少、超高齢化の小規模市町村の地域福祉のあり方について考える機会が長野県社会福祉協議会から与えられているが、長野県社会福祉協議会の職員たちにとって、この本は必読の書であると思った。
〇それにしても、このような素晴らしい活動、実践を展開できる人に、1990年時に大変失礼な言い方をしたものであると反省をしている。それらの経緯は、本書で「O先生」として紹介されている。
〇本書を読んで、菊池新一氏の考え方、発想は私と非常によく似ていると思った。また、菊池新一氏はコミュニティデザイナーを標榜している山崎亮氏ともよく似ていると感じた。

➂藤原正範著『罪を犯した人々を支えるー刑事司法と福祉のはざまで』岩波新書、2024年4月
〇日本福祉大学は、1980年代から「司法福祉」を大切にしてきた大学で、山口幸雄先生、加藤幸雄先生等家庭裁判所の調査官だった方々が教員として採用されてきた。本書の著者である藤原正範氏も同じ系列の教員である。
〇藤原正範氏は、日本福祉大学ソーシャルインクルージョン研究センターの研究者たちと日本学術振興会の科学研究費に採択されたテーマで協働研究を進め、その研究成果をこの本で取り上げている。その内容は、実際の公判を傍聴しながら、司法福祉について論究している内容である。
〇本書を読んで考えさせられたことは、「更生とは、裁判の結果送り込まれる刑事施設で自分を見つめ直し人間性を回復することだという言説はフィクションである。人の立ち直りは自分自身を大切にしたいと思うことが出発点である。刑事司法手続きの中に、人を大切にする気持ちを育む機能は内包されていない」(P77)、「私は、犯罪を生み出すのは社会であり、社会の傷として犯罪が生み出されると考えている。この考え方に反発する人は多い。犯罪の責任は本人にある。第一に、本人に責任を負わせる。それができないならば家族が責任を持つべきである。そんな考えが社会にまん延している。私は、こんなふうに思うのだ。罪を犯すのは、そこに至るまでの人生の中でさまざまな事情からうまく生きることができなかった人たちである。そのさまざまな事情の中にある社会の責任は決して小さなものではない」(P203)、「刑事裁判への社会福祉士の関与について、バラ色のイメージを大きく振り撒くことは慎みたい。その活動で罪を犯した人々の地域社会への移行や定着が以前より円滑になるとは思うが、その結果、犯罪者は立ち直れるのか、犯罪被害者は救われるのか、犯罪のために生じた社会の傷を癒すことができるのか、ひいては犯罪の少ない社会に近づくことができるのかと問われると、犯罪はそんなに柔に解決できる社会問題ではないと答えるしかないだろう」(P204)という論述である。
(2025年6月24日記)

新美一志/福祉教育における「当事者性」と「相互主体性」に関する一考察 ―松岡広路、阪野貢、鯨岡峻の言説をめぐって―

はじめに

〇超少子高齢・人口減少・多死社会と評される現代社会は、少子高齢化の進展をはじめ、貧困や社会格差の拡大、SNSトラブルの多発、環境破壊や災害の激甚化、グローバル化の進行、ダイバーシティ(多様性)の推進などによる複雑・多様な社会福祉問題に直面している。このような状況において、個々人がそれらの問題に主体的・自律的に関与し、共生社会を築き上げていくための教育、すなわち「福祉教育」の役割は一層その重要性を増している。この文脈において、「当事者性」と「相互主体性」という2つの概念は、福祉教育の理念と実践を深く規定する核心的な要素として位置づけられる。当事者性は、ある問題に直面する個人の経験や視点を尊重し、その問題への意識的な関与を促すものである。相互主体性は、他者との関係性のなかで自己と社会を認識し、共に課題解決を図る姿勢を育む基盤となる。

〇本稿では、福祉教育におけるこれら2つの概念の重要性を踏まえ、「当事者性」を説く松岡広路、「当事者性」や「他者性」に言及する阪野貢、そして「関係発達論」を提唱する鯨岡峻の3氏の言説を検討する。すなわち、それぞれの概念に対する3氏の独自のアプローチを明らかにし、それを通して福祉教育における当事者性と相互主体性の多角的な理解を深め、今後の実践と研究に資する知見を得ることをめざす。

Ⅰ 福祉教育における「当事者性」の概念と意義

1) 当事者性の概念規定と歴史的背景

〇「当事者」という言葉は、一般的には、ある問題に直面している人々を指すものとして理解される。「当事者性」という言葉は、単に問題に直面しているという事実だけでなく、その問題への関わり方や意識のあり方を質的に表現する概念である。例えば、障がい者の問題について言えば、障害のある人やその家族は第一義的な当事者として認識される。しかし、障害の社会モデルの視点から見れば、障害は個人の特性に起因するものではなく、社会の構造や環境が作り出す問題であるため、社会全体がその問題の当事者であると捉えることができる 。

〇中西正司・上野千鶴子は、その著書『当事者主権』(岩波新書、2003年10月)において、当事者を「ニーズを自覚している人たち」と規定した。この規定は、本人のニーズを専門家などの他者が本人に代わって規定することを許さないという立場から、重要な意味を持つ。しかし、この規定には、社会的な問題を特定の人に固有の問題として囲い込む「当事者/非当事者」という二項対立を生む危険性や、自覚していない当事者の存在を軽視あるいは無視してしまう可能性が指摘されよう。

〇福祉教育における当事者性は、単に問題に直面している事実だけでなく、その問題に対する当事者意識を持ち、課題解決に向けて自覚的に行動していく過程として捉えられる。この認識は、社会的格差と不平等、社会的分断と排除などが拡大・深刻化する現代社会の危機的状況を背景とする。そのような状況下で、社会の矛盾を的確に把握し、変革への道筋をつけることができるのは、先ずは不利益を意識化している人たち、すなわち自分たちの生命や生活が脅かされている人たちである。そして、彼らの主張に耳を傾け、共感し、連帯・協働(共働)することは社会の正義であり責務であるという認識が、当事者性の重要性を一層高めることになる。

2) 松岡広路の当事者性論:相対的尺度としての理解

〇松岡広路は、当事者性を固定的な実体概念としてではなく、より動的かつ関係的な視点から捉える。松岡によれば、当事者性とは「個人や集団の当事者としての特性を示す実体概念というよりも、『当事者』またはその問題的事象と学習者との距離感を示す相対的な尺度」、「『当事者』またはその問題との心理的・物理的な関係の深まりを示す度合い」と規定される(松岡広路「福祉教育・ボランティア学習の新機軸―当事者性・エンパワメント―」『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』Vol.11、万葉舎、2006年11月)。

〇松岡の研究テーマは、ジェンダー、子育て支援、インクルージョン、地域福祉、共生など多岐にわたり、松岡の当事者性論はこれらの広範な領域における関係性の深化を志向するものである。また、当事者性を相対的な尺度として捉える松岡の視点は、福祉教育において極めて重要な意味を持つ。この視点は、当事者性を固定的な属性としてではなく、学習者の問題、あるいは当事者との関係性の深まりとして認識することを促す。これは、学習者が非当事者から当事者へと一方向的に変化するのではなく、多様なレベルでの関与や理解の深化を許容する柔軟な枠組みを提供する。この相対的な理解は、学習者が自身の問題への関わり方を内省し、他者の経験を多角的に理解する余地を生み出すのである。

〇また、松岡の言説は、従来の当事者/非当事者という二項対立的な思考が持つ硬直性を緩和し、グラデーションのある関わり方を促進する効果が期待される。これにより、学習者が「自分は当事者ではないから」という理由で社会福祉問題から距離を置くことを防ぎ、誰もが何らかの形で問題に関わる可能性を提示する。こうした当事者性の相対的理解は、学習者の心理的・物理的距離感の意識化を促し、多様な関わり方の模索と受容へと繋がる。そして、結果として社会福祉問題への関与・参加の障壁の低減に貢献する。すなわち、インクルーシブな社会を形成するうえで、個々の住民・市民が自身の立ち位置を自覚しつつ、他者の当事者性を尊重し、共に行動するための基盤となる。そして、福祉教育において、学習者が当事者の経験を追体験するだけでなく、自身の生活のなかでの当事者性を発見するきっかけを提供し、エンパワメントへと繋がる可能性を秘めているのである。

3) 阪野貢の当事者性・他者性論:二項対立を超えて

〇阪野貢は、福祉教育における「共感」と「当事者性」、そして「他者性」という3つの概念に留意し、その相互関係を考察する。そのなかで阪野は、福祉教育における情動的な共感の強要に警鐘を鳴らす。すなわち、アメリカのポール・ブルーム(Paul Bloom)の言説から「共感には善玉と悪玉がある」「共感は道徳的指針としては不適切である」ことを指摘し、情動的共感が時に限定的・排他的なものとなり、他者の固有性を無視した一方的な思いやりにつながる危険性があることを強調する(<雑感>(185)阪野貢/「共感」再考:共感のメリットとデメリット ―山竹伸二著『共感の正体』のワンポイントメモ―/2023年8月23日/本文  )。

〇また、阪野は、当事者/非当事者という二項対立的な思考が議論を硬直化させ、思考停止を生む危険性があると批判する 。そのうえで、当事者が抱える問題は当事者だけで引き受けるべき問題ではなく、現代社会の問題であり、社会全体で引き受けるべきものであるとし、「すべての人が当事者」であるという視点の重要性を強調する。そして、例えば学校福祉教育における障がい者などとの訪問・交流活動の場においては、子どもも障がい者も、教師も施設職員も、それぞれの立場として当事者であり当事者性を持つと同時に、互いに異なる視点・視座を持つ他者であるとする。そして、この訪問・交流の場で問われるのは、子どもと障がい者の「知識と経験」、教師と施設職員の「専門性と経験」の「相互補完性」であると強調する。ここでいう「経験」は、「体験」が行為そのものを指すのに対し、それを通して得られた気づきや学び、知識や技能・技術などの総体を指す(<雑感>(223)阪野貢/再掲/福祉教育における「共感」と「当事者性」 ―ワンポイントメモ―/2025年2月10日/本文)。

〇こうして、阪野の、すべての人が当事者であるという主張は、当事者性の概念を個別の問題から社会全体の問題へと拡張するものである。これは、社会福祉問題が一部の「困っている人」の問題ではなく、社会構造全体の問題であるという社会モデルの視点を強く反映している。とともに、他者性の認識を強調することで、画一的な共感の押し付けを避け、異なる視点を持つ他者との対等な関係性のなかで相互理解を深めることの重要性を示唆している。阪野の議論は、当事者性を問題への関与の度合いとして相対化する松岡の視点をさらに発展させ、社会全体を当事者として捉えることによって、福祉教育の対象と責任範囲を広げるものである(「包括的福祉教育」とでも言えようか)。また、情動的共感の限界を指摘し、他者性を尊重する姿勢は、相互主体性の基盤となる「対等な関係性」の構築に不可欠なものである、と言えよう。

〇別言すれば、阪野の言説では、当事者/非当事者という二項対立の批判から、すべての人が当事者であるという認識の深化、そして他者性の尊重と相互補完性の重視へと繋がることで、より包括的で対等な福祉教育実践の実現が期待される。この思想は、福祉教育が単に弱者支援の知識を教えるだけでなく、社会全体の問題として福祉を捉え、多様な人々がそれぞれの立場から社会変革の主体となることを促す、より主体的・自律的で包括的な福祉教育へと進化すべきであるという強いメッセージを含んでいる。阪野が基本的・継続的に追究する「まちづくりと市民福祉教育」のねらいや意義はここにある。また阪野は、特に「対話」や「共働」、「リフレクション」などを通じて知識や技能・技術を習得・共有することの重要性を強調しており、これは相互主体性の実践的側面を明示するものでもある。

〇以上を要するに、松岡と阪野の当事者性論を対比すると、こうである。松岡は学習者の視点から見た当事者との距離感という相対性に焦点を当てる。阪野は社会全体が当事者であるという視点と他者性の重要性を強調する。両者の言説は一見異なるが、共通して当事者/非当事者という固定的な二項対立を乗り越えようとする志向がみられる。松岡は学習者の内的な関係性の深化を、阪野は社会的な関係性における相互補完性を重視しており、これは当事者性理解の多層性を示唆する。そして、このような異なる視点・視座の提示は、概念の多義性を認識させるとともに、福祉教育実践における多様なアプローチの可能性を示唆するものでもある。この対比は、福祉教育が単に、当事者が抱える日常的な生活問題や苦悩などを理解するに留まらず、学習者自身の立ち位置を問い直し、社会全体で問題解決にコミットする当事者意識を育むための多様な道筋があることを示している。また、情動的共感に依存しない、より客観的で相互関係性に基づいた当事者性へのアプローチの必要性を浮き彫りにしている、といえよう。

Ⅱ 福祉教育における「相互主体性」の概念と意義

1) 相互主体性の概念規定と関係性への視点

相互主体性」は、複数の主体(人間)が互いを単なる対象(客体)としてではなく、主体性を持ったそれぞれの存在として認識し、互いに影響し合うなかで形成される関係性や、その関係性のなかでの自己認識のあり方を指す概念である 。福祉教育において相互主体性の議論が重視されるべき根拠は、次のようなところにある。①福祉教育は、障害の有無や背景に関わらず、すべての人が地域社会の一員として尊重され、多様なつながりを再生・創造する共生社会の実現をめざす。②福祉教育は、地域住民が社会福祉問題を「自分ごと」として捉え、その課題解決に主体的・自律的に取り組むことを促す。③福祉教育では、すべての地域住民がその年齢や立場を超えて相互に学び合う関係性が重視され、多様な主体が関わるなかで新たな価値が創出され、地域社会の変革(「まちづくり」)へとつながる実践が意図される、などがそれである。すなわち、福祉教育における相互主体性の追求は、従来の、主体が客体に一方的に働きかける対立的なモデルから脱却し、主体と主体の関係性が重視される、すなわち誰もが主体性を持ち、互いを尊重し、共に学び、共に生きる社会を築いていくための重要なアプローチである。

2) 鯨岡峻の関係発達論と相互主体性:人間理解の深化

〇鯨岡峻は、従来の発達観である個体能力主義に対し、「育てる者―育てられる者」の相互的なやり取りのなかで両者が生涯に亘り変容していく過程として人の育ちを捉える「関係発達論」を提唱する。そこでの重要な概念のひとつが「相互主体性」(intersubjectivity)である。鯨岡にあっては、相互主体性は、多面多肢的な概念であるが、「間主観性」「共同主観性」「相互主体性」の3つの意味がある。「間主観性」(間主観性の意味でのintersubjectivity)とは、「私」と「あなた」のそれぞれ独立した主観が、互いに異なることを認めつつ、両者の主観(「私」は「あなた」の主観、「あなた」は「私」の主観)が部分的に共有され理解される状態をいう。すなわち、「私」と「あなた」の「共感」の基盤となるものである。「共同主観性」(共同主観性の意味でのintersubjectivity)とは、「私」と「あなた」がある目標や体験を共有するなかで、あたかもひとつの主体であるかのように振る舞い協働することをいう。すなわち、「私」と「あなた」の共通の目標設定や価値観の共有、さらには集団としての合意形成に繋がるものである。「相互主体性」(相互主体性の意味でのintersubjectivity)とは、「私」と「あなた」が主体としての存在そのものを深く認め合い、影響し合い、共に変容していく、より能動的で発展的な関係性をいう。すなわち、その過程を通して、「私」と「あなた」が共に新たな主体性を形成し、「私は私」という閉塞的な主体から「私は私たち」という開放的な関係性へと開かれることになる。要するに、間主観性は最も根源的な心の通い合い(共感)を、共同主観性は共通理解と協働の基盤を、そして相互主体性は自己と他者の境界を超えた関係性のなかでの変容と成長を示唆するのである(鯨岡峻『ひとがひとをわかるということ―間主観性と相互主体性―』ミネルヴァ書房、2006年7月)。

〇鯨岡が相互主体性に与える3つの意味は、単なる共感や理解を超えた、より動的で生成的・共働的な人間関係のあり方を示している。特に、相互主体性が「私は私」から「私は私たち」への変容を促すという点は、福祉教育がめざす共生の深い意味合いを提示する。これは、個人の自立だけでなく、他者との関係性のなかで自己を再構築し、共に生きる力を育むという福祉教育の目標に直接的に貢献するものである。鯨岡の理論は、発達を固定的な能力獲得ではなく、関係性のなかでの絶え間ない変容と捉える。この視点は、福祉教育において、子どもや障がい者などを「未完成な」あるいは「不完全な」存在と見なすのではなく、共に学び、共に成長する「相互理解」と「相互変容」のプロセスとして捉えることを促す。これは、阪野が説く相互補完性に通底するものである。

Ⅲ 松岡・阪野・鯨岡の言説にみる当事者性と相互主体性の統合的考察

1) 各言説の共通点と相違点:概念の多層的理解

〇松岡・阪野・鯨岡の各言説を統合的に考察すると、福祉教育における当事者性と相互主体性に関する多層的な理解が浮かび上がる。

〇共通点としてまず、3氏ともに、当事者/非当事者といった固定的な二項対立的な思考や、一方的な支援関係からの脱却をめざしている点が挙げられる。松岡は当事者性を相対的尺度として捉え、阪野はすべての人が当事者であるという視点と他者性の尊重を強調し、鯨岡は「私は私」という閉塞的な主体観から「私は私たち」への主体変容を説くことで、いずれも従来の枠組みを超えようとしている。次に、福祉教育に関連づけて言えば、個人の内面だけでなく、他者との関係性のなかで主体性や人間理解が深まることを重視している点も共通する。松岡の「距離感の深まり」、阪野の「相互補完性」、鯨岡の「関係発達論」は、いずれも関係性が教育的営みの核心にあることを示唆する。さらに、3氏の議論は、単なる概念論に留まらず、実際の福祉教育やフィールドワーク実践からの示唆や、実践への応用可能性を意識している点も共通している、といえよう。

〇相違点としては、当事者性の捉え方に違いが見られる。松岡が学習者と当事者との心理的・物理的距離感に焦点を当てるのに対し、阪野は社会全体が当事者であるという視点から、より広範な社会的責任と他者性の認識を強調する。鯨岡は関係発達論という発達心理学的な視点から、人間関係における深い心の交流と相互変容のプロセスを多層的に分析する。一方、阪野は、福祉教育実践論のなかで、対話や共働を通じた相互補完性やエンパワメントの実現を相互主体性の実践的側面として位置づける。松岡の言説は、共生やインクルージョンについての論究から、相互主体的な関係性の構築を前提としていると解釈される。

〇3氏の議論を重ね合わせると、当事者性は個人の内面的な意識や関与の度合いを指し、それが相互主体性という他者との関係性のなかで深化し、変容していく動的なプロセスとして捉えられる。つまり、当事者意識が芽生えることで他者との関わりが始まり、その相互作用を通じてより深い相互主体的な関係が築かれ、それがさらに個人の当事者性を再構築するという循環的な関係が見出される。松岡の相対的な当事者性、阪野のすべての人が当事者であるという視点と他者性、そして鯨岡の「私は私たち」への変容は、それぞれ異なる角度からこの動態的な関係性を捉えるものである。松岡は「入り口」としての当事者性の相対的な深まりを、阪野は「広がり」としての社会全体への当事者性の拡張と他者との対等な関係性を、鯨岡は「深化」としての相互変容のプロセスを描いている、と言えようか。

〇以上のように、松岡の当事者性の意識化から、阪野の他者性(他者との関係性における自己と他者の認識)、そして鯨岡の相互主体性(相互作用を通じた主体変容)へと繋がることで、より包括的な当事者意識の醸成と共生社会の実現が期待される。それはすなわち、「当事者性」と「他者性」と「相互主体性」の各概念は、それぞれが独立して存在するのではなく、互いに影響し合い、補完し合う関係にあるといえる。そして、こうした統合的な理解は、現代の社会福祉問題が複雑化・多様化さらには多層化するなかで、福祉教育は個人の単なる意識変革に留まるものではない。個人の内面的な変容(当事者性の深化)と他者との関係性における質的向上(相互主体性の構築)、そして社会構造への働きかけ(社会変革の促進)を同時にめざすべきである、という複合的な目標を明確にするものである。従ってそれは、単一ではなく、多角的な理論的・実践的アプローチが求められることになる。

2) 福祉教育実践への示唆と今後の研究課題

〇松岡・阪野・鯨岡の各言説を統合的に考察することで、福祉教育の実践と今後の研究における重要な方向性が導き出される。

〇まず、福祉教育実践への示唆として、当事者性の多層的理解の促進が挙げられる。学習者が自身の生活のなかで当事者性を発見し、他者の当事者性を相対的に理解する機会を提供することが重要となる。単なる社会的弱者としての当事者理解に留まらず、すべての人が当事者であるという視点から、社会全体の問題として社会福祉問題を捉える教育が必要とされる。

〇次に、情動的共感から理性的な他者理解への移行が求められる。安易な情動的共感を強要するのではなく、他者の他者性を尊重し、異なる視点や経験を理性的に理解し、相互補完性を図る教育実践が重要となる(ここで、イギリスのアルフレッド・マーシャル(Alfread Marshaii)が提唱した「冷たい頭と熱い心」(cool head and warm heart )という言葉を思い起こしたい)。さらに、鯨岡が提唱する相互主体性の概念に基づき、相互変容を促す関係性の構築を重視した教育プログラムの開発が不可欠となる。子どもや教師、障がい者や高齢者、保護者や地域住民などが「育てる者―育てられる者」として相互に変容し、共に成長する関係性を重視する視点を取り入れることで、より深遠な学びが期待される 。

〇さらに、阪野が強調する対話、共働、リフレクションなどを教育プロセスに積極的に取り入れ、それを通じた主体形成を促進することが重要となる。当事者や多様なステークホルダーが共に知識や技能・技術を獲得・共有し、それを利活用する場を創出することは、地域福祉における住民主体とその育成の推進にも繋がる 。

〇これらの点は、現代の福祉教育が単に知識の伝達や技能・技術の取得に留まらず、学習者の内面的な変容、他者との関係性の質的向上、そして社会全体のシステム変革を同時にめざすという、より包括的な役割を担っていることを示している。松岡・阪野・鯨岡の言説は、この複雑な役割を果たすための多面的な視点を提供している、といえよう。

〇今後の研究課題としてはまず、当事者性と相互主体性の動態的関係性の実証的研究が挙げられる。松岡・阪野・鯨岡の言説が示唆する当事者性と相互主体性の循環的・動態的関係性を、実際の福祉教育実践においてどのように測定し、実証していくかという課題である。特に、例えば外国籍の子どもや地域住民との多文化共生や、多様なニーズを持つ子どもたちとの交流活動における当事者性と相互主体性の関係を深掘りする研究が期待される。

〇次に、阪野が規定する「経験」(体験を通して得られた気づきや学び)の質をどのように評価し、それが当事者性や相互主体性の深化にどのように寄与するのかを、人々が語る物語(ナラティブ)の分析や質的調査などを通じて明らかにする必要がある 。

〇さらに、AIやオンラインコミュニケーションが普及するなかで、当事者性や相互主体性の概念がどのように変化し得るのか、新たなテクノロジーが福祉教育における関係性構築に与える影響等についての考察も必要となる。

〇またさらに、これはすでに自明のことであるが、地域福祉やまちづくりにおける住民主体を掲げながらも、地域住民の多くが無関心であったり、差別や偏見を抱く現実に対して、当事者性と相互主体性の視点からどのようにアプローチし、より多くの人々を福祉教育(阪野が言う「まちづくりと市民福祉教育」)に巻き込むことができるのか、実践的な研究が求められる。

〇以上の諸点は、福祉教育実践・研究を 単なる机上の空論ではなく、複雑化・多様化さらには多層化する現代社会において、福祉課題の解決に貢献し、未来の福祉教育の方向性を指し示すものとなろう。特に、情動的共感に依存しない理性的な他者理解、相互変容を促す関係性の構築、そして対話と共働を通じた主体形成を重視した福祉教育実践を展開していく必要がある。そして、「当事者性」と「相互主体性」という概念は、個人のエンパワメントから社会全体の共生文化の醸成に至るまで、幅広い実践領域において不可欠な要素である。この点を改めて強調しておきたい。

阪野 貢/フレイレの「教育論」再読:社会変革(まちづくり)のための「対話」再考のために ―パウロ・フレイレ著『被抑圧者の教育学』等のワンポイントメモ―

夢がなければ、変化はありえない。希望なしには夢がありえないように。/たたかいは希望を生み出す母体だが、希望が消えるときに闘いは息絶えるのだ。/いまある状態が、すべてではない。ものごとを変える、変えることができる、という意志と希望を失ったそのときに、教育は、被教育者にたいする非人間化の、抑圧と馴化(じゅんか。環境に適応していくこと)の行為の手段になっていく。(下記[2]127~128、253ページ、帯)

〇筆者(阪野)の手もとに、批判的教育学の先駆者として知られるブラジルの教育学者・哲学者パウロ・フレイレ(Paulo Freire、1921年~1997年)の本が2冊ある(それしかない)。『被抑圧者の教育学』(1968年。新訳版、三砂ちづる訳、亜紀書房、2011年1月。以下[1])と、『希望の教育学』(1992年。里見実訳、太郎次郎社エディタス、2001年11月。以下[2])がそれである。もう一冊、フレイレ研究の第一人者と評される里見実の『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』(太郎次郎社エディタス、2010年4月。以下[3])がある。
〇[1]の中心テーマは、ヒューマニゼーション、すなわち「人間化」についてである。フレイレにあっては、人間は「より全き人間であろうとすること」([1]22ページ)をめざす、未完の存在である。その人間は、非人間的な状況(抑圧状況)に置かれ、「自由への恐怖」を覚えている。人間化は、そうした抑圧の現状を直視し、その状況を批判的に再認識して、社会を変革するよう行動する主体になっていくことをいう。自由への恐怖は、抑圧者においては抑圧する自由を失う恐れであり、被抑圧者においては自由を引き受ける=責任を引き受けることへの恐れである。「抑圧者の暴力は、抑圧者自身をも非人間化していく」([1]22ページ)のであり、抑圧者も被抑圧者も非人間的な状況に置かれているのである。そこにおいて、抑圧からの解放を可能にするのは、抑圧者ではなく、非抑圧者である。非抑圧者は、客観的な現実を主観的に認識すること〔A〕によって自分の状況を捉えなおし、批判的思考態度を醸成する。そして、そのプロセス(「意識化」)を通して主体的に社会の変革を図ろうとする行動を取る(「人間化」)、そういう存在である。その際、抑圧からの解放を可能にするためには常に、「自由」を探究・希求する姿勢〔B〕が必要不可欠となる。その際の本当の自由は、自律的に生き、責任を引き受けるところにあり、それは抑圧-被抑圧の関係を乗り越える、双方による「対話」によって可能となる。フレイレはいう。

〔A〕
主観性と客観性が弁証法的に合一し、認識は行為と、逆に行為は認識と連動する。このような弁証法的な合一性が、現状の変革という現実への行為と思考を生み出すのである。([1]13~14ページ)

〔B〕
自由とは、成し遂げて手に入れるものであり、与えられるものではなく、常に探求する姿勢によって得られるものだ。常に探求する姿勢は、責任ある行動を要求する。自由であるための自由、はだれにもない。自由がないから自由のために闘う必要がある。自由はまた、人間にとって届くところにないような理想目標というわけではない。神話をつくり上げるようなものでもない。常に自由を探求していく姿勢というものが、常によりよき存在であろうとする人間にとって欠くべからざることである。([1]29~30ページ)

自由への恐れがあるかぎり、他の人と連帯はできないし、他の人の呼びかけも、自分への呼びかけも聞こえてこないし、本当の意味での共生、共に生きる、ということを目ざすこともできない。ただ群れて集まることを好むだけだ。自由を希求する過程でもたらされる豊かな創造的な人間同士の交わりよりも、自由でない状況に適応することを好むようになる。([1]31ページ)

自由とはだから、出産のようなものだといえよう。痛みをともなう出産である。この出産によって新しい人間が産み出される。抑圧する者とされる者の間の矛盾を乗り越え、そのどちらの側にも自由をもたらして、生き生きと生きるような新しい人間。/矛盾を乗り越えることとは、もはや抑圧する者でも抑圧される者でもない、本来の意味で自由な新しい人間を世界に送り出す、という出産と同じ行為なのだ。([1]32ページ)

〇ところで、“パウロ・フレイレ”の『被抑圧者の教育学』というと先ず、「銀行型教育」と「問題解決型教育」という言葉・概念を思い浮かべる。
〇「銀行型教育」(「預金型教育」[3]108ページ)とは、教師が預金者で生徒が預金箱(銀行口座)であるかのように、教師が生徒に対して一方的に知識や情報を「伝達」し、生徒はそれをただ受動的に受け取るだけという教育形態をいう。フレイレはいう。

「銀行型教育」の発想では、人間は適応しやすく御しやすいものである、と認識されてしまうことはまったく驚くにあたらない。知識を詰め込めば詰め込むだけ、生徒は自分自身が主体となって世界にかかわり、変革していくという批判的な意識をもつことができなくなっていく。/受動的な態度をより従順な形で求められれば求められるほど、世界は変革すべきものではなく、与えられている現実のかけらが世界であり、そこに適応するしかない、と感じるようになる。([1]83ページ)

〇「問題解決型教育」(「問題化型教育」[3]135ページ)とは、教師と生徒が対等な「対話」を通して互いに学び合い、生徒が主体的に現実の状況を問題化し、批判的に思考し、問題の解決策を探求し、社会変革への参加を促すという教育形態をいう。フレイレはいう。

対話なくして問題解決型学習はない。/対話を通して矛盾を超えていくところには、結果として新しい関係性が生まれる。(中略)教育する側とされる側は対等な関係として立ち現れてくる。([1]102ページ)/問題解決型教育を目ざす教師は、生徒の認識活動に応じて、常に自らの認識活動をやり直していく。生徒は単なる従順な知識の容れ物ではなく、教師との対話を通じて、批判的な視座をもつ探求者となる。そしてその教師もまた同様に批判的な視座をもつ探求者となっていく。([1]103~104ページ)/問題解決型教育は固定した反動主義(体制維持:阪野)ではなく、革命的な未来を目ざしている。([1]111ページ)

〇フレイレは、晩年の主著である『希望の教育学』のなかで、下記のようにいう。すなわち、「私が考えるだけでは、考えたことにならない」のであり、同じ土俵に乗って、民主主義的な立場で相手と「対話」することによって、はじめて考えることができるのである([3]30ページ)。

「もし他人もまた考えるのでなければ、ほんとうに私が考えているとはいえない。端的にいえば、私は他人をとおしてしか考えることができないし、他人に向かって、そして他人なしには思考することができないのだ」/これは対話的な性格をふくんだ定言であり、したがって、権威主義者にはなじまない。だからこそ権威主義者たちは対話を、生徒の教師の思想の交流を、頑強に忌避するのである。/教師と生徒の対話は、両者を同等の立場に立たせるものではないが、しかしそれは、両者の立場を民主主義的なものにする。(中略)対話は対話に参加する諸主体の相互の尊敬、権威主義が引き裂き、妨げてきた互いに尊重しあう関係の樹立を意味しているのである。([2]163~164ページ)

〇フレイレは、[1]のなかで、「教育の対話性」について言及する。具体的には、対話に必要な5つの条件を示す。「愛」「謙虚さ」「人間への信頼」「希望」「批判的思考」がそれである。それぞれの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

世界と人間に対して深い愛情のないところに対話はない。世界を引き受けることは創造と再創造の営みであり、愛のないところでそういうことはできない。/愛は対話の基礎であり、同時に対話そのものでもある。お互いの主体的な関係のうちに立ち上がるものであり、支配したりされたりする関係のうちに生まれるものではない。([1]122ページ)

謙虚さのないところにも対話はない。人間というものが続いていくこの世界を“引き受ける”ためには傲慢であってはならない。/対話は人と人がお互いに出会い、お互いの知恵を共有するような行為だから、どちらか一方が謙虚さをもたなければ、対話として成り立たない。([1]124ページ)

人間という存在に深い信頼がなければ、対話は成立しない。人間はなにかをすることができ、また再び何らかの行為に向かうものである、ということへの信頼。創造し、再創造する力への信頼。人間はよりよきもの、全きものを目ざすものである、ということへの信頼であり、また人間のそのような力は一部のエリートだけの特権としてあるのではなく、すべての人の権利としてあるのだ、ということへの信頼、のことである。/人間への信頼は対話の“先駆的”与件とでもいおうか。対話の前にすでにそこにあるべきものだ。([1]125~126ページ)

愛、謙虚さ、人間への信頼、これらがあってはじめて対話は水平的なものとなり、お互いの関係が本来の意味での深い、“信頼”に満ちたものになることは当然である。(中略)だからこそ、「銀行型」の教育に深い信頼関係が生まれることがないのである。([1]127ページ)

希望のないところには対話もない。人間は不完全なものであり、だからこそ希望が人間の本質であり、だからこそ探求を止めない。/対話というものは、“よりよき存在”に近づきたいとする人間同士の出会いなのであるから、絶望のうちに行なわれるものではありえない。話す人が自分のやっていることに何の希望ももっていないのならば、対話することは無理である。出会いは空虚で実りのないものとなってしまう。([1]128~129ページ)

本来の意味での思考がないところには、どこまでいっても本来の対話はない。批判的に思考すること。それは、世界と人間を対立するものとしてとらえる発想を認めず、世界と人間のわかちがたい共生について考えていくことだと思う。/具体的にいうと、それは、現実に起こっていることを、固定されたものとしてとらえるのではなく、プロセスととらえ、常に生成されていくものとしてとらえるということでもある。([1]129ページ)

〇フレイレがいう「問題解決型教育」は、子どもや教師、保護者や地域住民が暮らす地域に顕在化する課題やテーマに向き合うことから始まる。そして、生徒と教師は、対等な立場で相互的に、その課題やテーマについて対話し、理解を深め、批判的思考力を養い、社会変革に参加する。その際の地域の課題やテーマは、国レベルのそれであり、グローバルな世界レベルのそれでもある。そういった「グローカル」な認識(地球規模の視野で考え、草の根の地域視点で行動すること)が重要となる。その点に関して、フレイレの次の一文を引いておく。

リージョナル(地域的)なものはローカル(地方的)なもののなかから立ち現れ、ナショナル(全国的な)なものはリージョナルなものから、コンティネンタル(大陸的な)なものはナショナルなものから、そして全世界的なものは、それぞれのコンティネンタルなものをとおして立ち現れる。/ローカルなものにへばりついて全体的な展望を見失うことが誤りであるのと同様に、自分の足場を顧みずに、ただ全体ばかりを鳥瞰(ちょうかん)しているのも誤りだ。([2]122ページ)

〇また、「いま」の日本の学校教育は、国家主義、中央集権主義が強化され、教師も生徒も物言わぬ立場に置かれている(フレイレ「沈黙の文化」)。教師は政治的中立性が要求され、主体的・批判的な授業の展開ができないでいる。保護者や地域住民の学校参加(コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)など)も、言われるほどには進んでいない。外国籍住民の子どもたちもその多くは差別・抑圧されている。これらはまさに政治的課題である。その点に関して、フレイレの次の一文を引いておく。

中立的な教育実践などというものは、かつて存在したことはなかったし、いまも存在しない‥‥‥([2]105ページ)/教育者は政治的であるからこそ、中立たりえないからこそ、倫理性を要求されるのだ。([2]108ページ)/教育はほんらい、指示的で政治的な行為であらざるをえず、ぼくは自分の夢や希望を生徒たちのまえに包み隠さずに示すべきであり、だからこそかえって、生徒たちの考えや立場を尊重することが、ぼくにつよく求められるのだ。ぼくが倫理的たらんとするのは、その認識があるからだ。自分のテーゼ、立場、選好を、真剣に、厳しく、かつ情熱をもって主張すること、しかし同時に、反対意見をいう権利を尊重し、それを支援すること、――それは、発言する権利と、自分の考えや理想のために「争う」義務を教える、またそのなかで相互に尊重しあう精神を教える最良の方法であるはずだ。([2]109ページ)/教育の政治性や指示性を否定することはできない。それがいけないなら、どんな課題の遂行も不可能だ‥‥‥([2]110ページ)

〇筆者(阪野)はかつて下記のように書いた(<雑感>(210)「教育の公共性」を考える:「まちづくりと市民福祉教育」は政治の課題である―宮寺晃夫著『教育の正議論』再読メモ―/2024年7月8日/本文)。改めて思い起こしたい。“まちづくりは人づくり 人づくりは教育づくり 教育づくりは政治づくり”である。

「まちづくりと市民福祉教育」はこれまで、政治的領域に位置づけて論じることに必ずしも積極的であったとはいえない。まちづくりは、公共性をはじめ地域性や多様性、自律性や共働性などが厳しく問われる活動であり運動である。教育や学校は、国家による巨大な政治システムであり、そのもとでの教育行政の重層構造に組み込まれている。そうであるがゆえに、「まちづくりと市民福祉教育」には、多くの市民一人ひとりに、また地域の多様な主体に改善や改革についての確かな決意や覚悟、そして行動が求められる。/そして、「いま」の政治へのアプローチなくして、「いま」の、また「新しい」「まちづくりと市民福祉教育」の推進を図ることは難しい。その点で、「まちづくりと市民福祉教育」は政治的な課題であり、政治的設定を必要とする。

阪野 貢/デューイの「教育論」再読:「経験」(生きること・学ぶこと・考えること)再考のために ―ジョン・デューイ著『学校と社会』等のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、アメリカを代表する哲学者・教育学者ジョン・デューイ(John Dewey、1859年~ 1952年)の本が4冊ある(しかない)。

(1)The School and Society,1899. 宮原誠一訳『学校と社会』岩波文庫、第62刷、2004年10月(以下[1])
(2)Democracy and Education,1916. 松野安男訳『民主主義と教育(上)(下)』岩波文庫、(上)1975年6月、(下)同年7月(以下[2])
(3)Experience and Education,1938. 市村尚久訳『経験と教育』講談社学術文庫、2004年10月(以下[3])
(4)The School and Society,1899.The Child and the Curriculum,1902. 市村尚久訳『学校と社会・子どもとカリキュラム』講談社学術文庫、1998年12月(以下[4])

〇デューイは、生活と分断された統制的で受動的な「旧教育(伝統的教育)」を、生活と経験に基づく自由で能動的な「新教育(進歩主義的教育)」に転換・変革することを主張する。その際、「生活」とは、「環境への働きかけを通して、自己を更新して行く過程」([2](上)12ページ)をいい、個体が環境に積極的に働きかけることを「経験」という。「環境」とは、その人の活動を促進したり阻害したりする外界の事物や事情、条件の総和をいい、自然的環境・社会的環境・文化的環境として現象する([2](上)26~27ページ)。そして、デューイにあっては、「教育とは、経験の意味を増加させ、その後の経験の進路を方向づける能力を高めるように経験を改造ないし再組織することである」([2](上)127ページ)。そこでは、教育的に価値のある経験は、過去・現在・未来の経験をつなぎ、未来の経験をさらに豊かに拓くものであり(「連続性」)、そのためにも個人と個人を取り巻く環境との「相互作用」が重視されることになる。そして、「学校は子どもが実際に生活をする場所であり、子どもがそれをたのしみとし、またそれ自体のための意義をみいだすような生活体験をあたえる場所であることが最も望ましい」([1]66ページ。[4]120ページ)とされる。その学校では、子どもが中心となって、「為すことによって学ぶ」すなわち体験を反省的に思考することによって学びを深めることが重視され、「生活教育」や「経験学習」を通して子どもたちの成長・発達が促される。すなわち、「子どもにとっては、生活することが第一であって、学習は生活することをとおしてこそ、また、生活することとの関連においてこそおこなわれる」([4]98ページ。[1]47ページ)。また、「生活は発達であり、発達すること、成長することが、生活なのである」([2](上)87ページ)。なお、教育における重要な「自由」は、制限から解放される自由ではなく、知性に基づく自律的・自制的なそれ(「知性の自由」)である([3]97、102、104ページ)。そして、「生徒が知性を実地にはたらかせることができるよう、教師によって与えられる指導は、生徒の自由を制限するものではなく、むしろ自由を助長するものである」([3]113ページ)。これが、デューイが説く教育論の要点のひとつである。
〇周知の通り、デューイの代表的な著作のひとつである『学校と社会』([1][4])は、シカゴ大学付属小学校(「実験学校」)で取り組まれた進歩主義的な教育実践をもとに書かれたものである。その言説のうちから、基本的なもののいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

学校には、子どもが太陽となる「子ども中心主義の教育」へのコペルニクス的転回と言える変革や改革が求められる
私は旧教育の類型的な諸点、すなわち、旧教育は子どもたちの態度を受動的にすること、子どもたちを機械的に集団化すること、カリキュラムと教育方法が画一的であることをあきらかにするために、いくぶん誇張して述べてきたかもしれない。旧教育は、これを要約すれば、重力の中心が子どもたち以外にあるという一言につきる。重力の中心が、教師・教科書、その他どこであろうとよいが、とにかく子ども自身の直接の本能と活動以外のところにある。それでゆくなら、子どもの生活はあまり問題にはならない。子どもの学習については多くのことが語られるかもしれない。しかし、学校はそこで子どもが生活する場所ではない。いまやわれわれの教育に到来しつつある変革は、重力の中心の移動である。それはコペルニクスによって天体の中心が地球から太陽に移されたときと同様の変革であり革命である。このたびは子どもが太陽となり、その周囲を教育の諸々のいとなみが回転する。子どもが中心であり、この中心のまわりに諸々のいとなみが組織される。([1]44~45ページ。[4]95~96ページ)

学校は、家庭と社会のあいだに位置する「小型の社会」であり、子どもたちはそのコミュニティで生き、学ぶのである
こんにちの学校の悲劇的な弱点は、社会的精神の諸条件がとりわけ欠けている環境のなかで、社会的秩序の未来の成員を準備することにつとめていることである。([1]25ページ。[4]73ページ)/学校はこれまで生活の日常の諸条件および諸動機からはなはだしく切離され、孤立させられていて、子どもたちが訓練を受けるために差し向けられる当(とう)のこの場所が、およそこの世で、経験を――その名に値いするあらゆる訓練の母である経験を得ることが最も困難な場所となっている。([1]28ページ。[4]76ページ)/学校はいまや、たんに将来いとなまれるべき或る種の生活にたいして抽象的な、迂遠な関係をもつ学科を学ぶ場所であるのではなしに、生活とむすびつき、そこで子どもが生活を指導されることによって学ぶところの子どもの住みかとなる機会をもつ。学校は小型の社会、胎芽的な社会となることになる。これが根本的なことであって、このことから継続的で、秩序ある教育の流れが生ずる。([1]29ページ。[4]77ページ)

子どもの生活と教育を有機的に結びつけ、子どもの生活に基づいて分断されている「カリキュラムの統一」を図ることが必要である
たとえば、算術の或る部分は訓練に、他の部分は実用に役立つものであり、文学は教養に、文法は訓練に、また地理は一部分は実用に、他の部分は教養に役立つものと考えられている。ここでは教育の統一などということはかげもなく、諸々の学科は勝手な方向をむいてばらばらである。([1]79ページ。[4]133ページ)/われわれはすべての側面がむすびあわされている世界に生活している。一切の学科はこの共通の一大世帯のなかにおける諸々の関係から生ずるものである。子どもがこの共通の世界にたいする多様な、しかし具体的で能動的な関連のなかで生活するならば、かれの学習する学科は自然に統合されるであろう。そうなれば諸学科の相関というようなことは、もはや問題ではなくなるであろう。教師は、歴史の課業にわずかばかりの算術をおりこむために、あれこれと工夫をめぐらすといったような必要もなくなるであろう。学校を生活と関連せしめよ。しからばすべての学科は必然的に相関的なものとなるであろう。([1]95ページ。[4]152~153ページ)/さらにまた、もし全体としての学校が全体としての生活と関連せしめられるならば、学校の種々の目的や理想――教養・訓練・知識・実用――は、もはやこの一つの目的ないし理想にたいしてはこの一つの学科を選び、他の一つの目的ないし理想にたいしては他の一つの学科を選ばねばならぬというような個々ばらばらなものではなくなるであろう。社会的能力および社会的奉仕という方向における子どもの成長、子どもが生活といよいよ広範囲に、いよいよいきいきとむすびついて行くことが、すべてを結合する統一的な目的となり、訓練や教養や知識は子どものこの成長の種々なる側面としての地位に下るのである。([1]95~96ページ。[4]153ページ)

子どもは「反省的注意」、すなわち判断・推理・熟慮を通して問題を形成し、探求し、解決することができるようになる
中間的な段階においては(八歳から、まず十一歳ないし十二歳にいたる子どもにおいては)、子どもは到達しようと欲する或る目的にもとづいて一連の中間的活動をみちびきはするが、その目的は、おこなわれるか作られるかするところの或るもの、すなわち到達さるべき或る具体的な結果である。つまり問題は知的な疑問というよりはむしろ実際的な困難である。しかし、力の成長につれて、子どもは見出さるべき、発見さるべき或ることがらを目的と考えることができるようになり、探求と解決の助けとなるように自己の行動とイメージを統制することができるようになる。これがほんらいの反省的注意である。([1]154ページ。[4]221~222ページ)/真の、反省的な注意は、つねに判断・推理・熟慮をふくんでいる。([1]156ページ。[4]225ページ)

子どもは自らが問題を形成し、探求し、その問題を解決する「問題解決学習」によって、さまざまな問題を考察する習慣を獲得することができる
(子どもがはらう)注意はつねに「学習」用のもの、いいかえれば、他人が尋ねるであろうところの問題にたいする、すでに出来上っている解答を記憶することのためのものである。いっぽう、真の、反省的な注意は、つねに判断・推理・熟慮をふくんでいる。すなわちそれは子どもが自分自身の問題をもっており、その問題を解決するための関係材料を探求し選択することに能動的に従事し、その材料の意義と関係を――すなわちその問題が要求するような解決の道を考察することを意味する。問題は自分自身のものなのである。であるからして注意への動因・刺激もまた自分自身のものである。それゆえにまた、得られた訓練も自分自身のものである。――それは真の訓練、すなわち統制力の獲得であり、またいいかえれば問題を考察する習慣の獲得である。([1]156~157ページ。[4]224~225ページ)

〇以上に加えて、『経験と教育』([3])から、デューイ教育論の鍵概念である「経験」の「質」と「基準」についてメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

教育において重要なのは経験の「質」であり、その質には「快適-不快」という側面と「ある経験がその後の経験にどのような影響を及ぼすのか」という2つの側面がある
(進歩主義教育において)経験の重要性を強調しただけでは十分ではないし、また経験の活動性を強調したとしても、それだけでは十分ではない。何よりも重要なことは、もたれる経験の「質」にかかっているのである。いかなる経験の質も,二つの側面をもっている。 すなわち、それが快適なものか不快なものであるかといった直接的な側面と,経験がその後の経験にどのように影響を及ぼすかという側面である。第一の側面は明白なことであり,そのことは容易に判断されうる。だが,経験の「効果」は,その表面には現われ出ない。このことが教育者に問題を提示することになる。経験が生徒に不快感を与えず,むしろ生徒の活動を鼓舞するものであるとしても,その経験が未来により望ましい経験をもたらすことができるよう促すためには,直接的な快適さをはるかに越えた種類の経験が求められることになる。このような質的経験を整えることこそ,教育者に課せられた仕事なのである。(中略)経験に根ざした教育の中心的課題は、継続して起こる経験のなかで、実り豊かに創造的に生きるような種類の現在の経験を選択することにかかっているのである。([3]33~35ページ)

教育的に価値のある経験は、過去・現在・未来の経験をつなぐ「連続性」と、環境との相互作用によって豊かになる「相互作用」の2つの原理(条件)に基づく
われわれは今や,過去の業績と現在の問題との間にある経験の内部に実際に存在する関連性を発見するという問題にゆきつくのである。われわれは過去を知ることが、どのようにして未来を効果的に取り扱う点で、有力な道具に転換されうるのか、それについて確かめなければならない。([3]27~28ページ)/この観点から,経験の連続性の原理というものは,以前の過ぎ去った経験からなんらかのものを受け取り,その後にやってくる経験の質をなんらかの仕方で修正するという両方の経験すべてを意味するのである。([3]47ページ)/(また)経験は、単に個人の内面だけで進行するものではない。([3]55ページ)/経験を引き起こす源は、個人の外にある。経験はこれらの源泉によって、絶えず養い育てられている。([3]56ページ)/経験は、常に、個人とそのときの個人の環境を構成するものとの間に生じる取引的な業務であるがゆえに存在するのである。しかもその個人の環境は、ある話題や出来事についての話し相手から構成されている。([3]64ページ)/(そしてこの)連続性と相互作用という二つの原理は,相互に分離しているものではない。それらは離れていても,結びつくものである。それらはいわば,経験の縦の側面と横の側面である。([3]64~65ページ)/(そして、ここでの)教育者の基本的な責任は、年少者たちが周囲の条件によって、彼らの現実の経験が形成されるという一般的な原理を知るだけではなく、さらにどのような環境が成長を導くような経験をするうえで役立つかについて、具体的に認識することである。何よりも先ず、教育者は、価値ある経験の形成に寄与するにちがいないすべてのものが引き出せるようにと存在している環境――自然的,社会的な――をどのように利用すべきであるか,そのことを知らなければならない。([3]56~57ページ)

〇いまひとつ、『民主主義と教育』([2])から、いささか恣意的ではあるが、「民主主義と社会と教育」に関する次の一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

民主的な社会集団には、①その成員の多様な関心(「多様性」)と②他の集団との「自由な相互作用」が不可欠である。それによって “ 社会的習慣 ” が変化する
集団によって与えられる教育はどれもみなその集団の成員を社会化する傾向をもつが、その社会化の質および価値は、その集団の習慣と目標によって決まるのである。([2](上)135ページ)/それゆえに、ここで再び、任意の既存の社会生活の様式の価値を測る尺度が必要になる。(中略)どんな社会集団にもたとえ泥棒の一味であっても、皆が共通に抱いている何らかの関心が見出されるし、また他の集団との相互作用や協力的交渉もいくらかは見出されるものである。この二つの特徴から、われわれが求めている基準が引き出される。すなわち、意識的に共有している関心が、どれほど多く、また多様であるか、そして、他の種類の集団との相互作用が、どれほど充実し、自由であるか、ということである。([2](上)135~136ページ)/われわれの判断基準の二つの要素はともに民主主義を指向している。第一のものは、共有された共同の関心が、より多くの、より多様な事柄に向かうことを意味しているだけでなく、相互の関心を社会統制の一要因として確認することにより深い信頼をおくことをも意味している。第二のものは、(中略)社会集団が互いにより自由に相互作用することを意味しているだけでなく、社会的習慣に変化が起こること――すなわち、さまざまの相互交渉によって産み出される新たな状況に対処することによって絶えずそれを再適応させること――をも意味しているのである。そして、これら二つの特徴こそ、まさに、民主的に構成された社会を特色づけるものなのである。([2](上)141ページ)

民主主義は、共同的な生き方・共同経験の一様式であり、人々の内面から育まれるものであるがゆえに計画的で組織的な教育を必要とする。それによって人々や集団が変わる
いろいろな関心が相互に浸透しあっており、進歩すなわち再適応が考慮すべき重要問題になるような、そういう種類の社会生活を実現するために、民主的共同社会は、他の共同社会よりも、計画的で組織的な教育にいっそう深い関心を向けるようになる。(中略)民主主義が教育に熱意を示すことはよく知られた事実である。(中略)民主的社会は、外的権威に基づく原理を否認するのだから、それに代るものを自発的な性向や関心の中に見出さなければならない。それは教育によってのみつくり出すことができるのである。しかし、さらに深い説明がある。民主主義は単なる政治形態でなく、それ以上のものである。つまり、それは、まず第一に、共同生活の一様式、連帯的な共同経験の一様式なのである。人々がある一つの関心を共有すれば、各人は自分自身の行動を他の人々の行動に関係づけて考えなければならないし、また自分自身の行動に目標や方向を与えるために他人の行動を熟考しなければならないようになるのだが、そのように一つの関心を共有する人々の数がますます広い範囲に拡大して行くということは、人々が自分たちの活動の完全な意味を認識するのを妨げていた階級的、民族的・ 国土的障壁を打ち壊すことと同じことなのである。このように接触点がますます多くなり、ますます多様になるということは、人が反応しなければならない刺激がますます多様になるということを意味する。その結果、その人の行動の変化が助長されることになるのである。排他性のために多くの関心を締め出している集団では行動への誘因は偏らざるをえないのであるが、そのように行動への誘因が偏っている限り抑圧されたままでいる諸能力が、多数の多様な接触点によって解放されるようになるのである。([2](上)141~142ページ)

〇最後に、教師の責務(役割)について一言する。デューイにあっては、教師の役割は、単に過去からの知識や技能を子どもたちに伝達することではない。教師には、子どもたちの主体的で自由な学習活動(学習経験)をより広く豊かなものにするために、子どもたちの能力や要求、興味・関心や発達段階などを理解し、適切な教材や教育内容を提供するにふさわしい環境・条件を整え、指導することが求められる。また、教師は、社会とのつながりを意識した教育活動を計画し、子どもが社会的な知識や技能を習得できるよう支援する。それを通して教師は、また子どもも、協働的・一体的に社会の変革・改革に参加し、民主主義的な新しい社会の形成を図るのである。デューイは例えば、(上記の下線部とともに)次のようにもいう。

教育者は自分が扱っている個々の生徒たちに共通する独得な能力や要求について調査しなければならない。それと同時に、これら特殊な生徒の能力を発展させ、それらの要求を満足させるような経験から出てくる教材や教育内容を提供するにふさわしい条件を整えなければならない。しかも教育計画は、経験する個人の自由が、個別的に展開されるにふさわしい十分柔軟なものであるのと同時に、他面において、個人の能力が持続的に発展する方向をしっかりと示すにふさわしいものでなければならない。([3]92ページ)

教師は、学校において、子どもに特定の考えを強要したり、特定の習慣を形成したりするのではなく、共同体のメンバーとしての子どもに影響を与えるであろうもろもろの影響を選びだし、そうした影響に子どもが適切に対応することを支援することにある。(ジョン・デューイ、中村清二・松下丈宏訳「私の教育学的信条」『デューイ著作集6 教育1 学校と社会,ほか』東京大学出版会、2019年3月、86ページ)

教師が参画しているのは、たんに個々人の訓練だけではなく、適切な社会生活の形成でもある。/教師は、適切な社会的秩序を維持し、正しい社会的成長を確保するために取りおかれている、社会的奉仕者である。(同上、94ページ)

〇なお、[1]の訳者である宮原は、その「解説」で、デューイの教育論と教師の責務をめぐって次のように説く。付記しておく。

(進歩主義教育において)教師は社会の改造に参加する教育のプログラムをもたなければならぬ。しかし、そのことはなにか特定の社会改造案を子どもたちにふきこむことではない。それは現代の社会生活の現実を代表するような教材を教育のプログラムのなかに導入し、そしてその教材自体のみちびく方向にむかって子どもたちの学習を発展させてゆくことである。それは、おそれるところなく子どもたちに社会生活の現実を踏査せしめ、「いかに物事がおこなわれているか、そして、それらの物事はいかにおこなわれるべきであるか、その新しい可能性を実現するためにわれわれはなにをなすべきか。」を、各自の成長と成熟の水準において討究せしめることである。/このように、教育理論の面でのデューイの活動は、『学校と社会』から『民主主義と教育』にいたる、小社会としての学校の理論の展開の時期にたいして、30年代以降いちじるしく社会にかたむき、社会改造と教育の関連が一貫して追求されている。(宮原誠一「解説」[1]184~185ページ)

〇またまた例によって唐突であるが、これらの点(言説)は、「学校における福祉教育」×「まちづくりと市民福祉教育」について論究する際の重要な視点・視座でもある。留意したい。

阪野 貢/ラッセルの「幸福論」再読:「外へと向かう興味」が幸福を生む―バートランド・ラッセル著『幸福論』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、イギリスの哲学者バートランド・ラッセル( Bertrand Arthur William Russell、1872年~1970年)の『幸福論(原題『幸福の獲得』)』(1930年。安藤貞雄訳、岩波文庫、1991年3月。以下[1])がある。[1]は、スイスの哲学者カール・ヒルティ(Carl Hilty、1833年~ 1909年)の『幸福論(第1部)』(1891年。草間平作訳、岩波文庫、1961年10月)と、フランスの哲学者アラン( Alain)、本名エミール=オーギュスト・シャルティエ Émile-Auguste Chartier、1968年~1951年)の『幸福論』(1925年。神谷幹夫訳、岩波文庫、1998年1月)とのいわゆる「三大幸福論」のひとつである。
〇[1]の訳者である安藤は、その「解説」で、「『ラッセル幸福論』の特徴は、アランのそれのように文学的・哲学的でもなく、ヒルティのそれのように宗教的・道徳的でもなく、人はみな周到な努力によって幸福になれる、という信念に基づいて書かれた、合理的・実用主義的(プラグマティック)な幸福論である点にある」(287ページ)という。しかも、ラッセルによると、「不幸の原因は、一部は社会制度の中に、一部は個人の心理の中にある」(13ページ)が、[1]は人間の内面から生じる「普通の日常的な不幸に対して、一つの治療法を提案すること」(14ページ)を目的とする。
〇先ずラッセルにあっては、不幸の最大の原因は、自分のなかに存在する感情や考え方などの“内なる自分”に囚われて自分のことだけを考え、外界への興味や関心を持つことができない(従って視野が狭い)「自己没頭」にある。その自己没頭には、3つのタイプがある。罪の意識にとり憑(つ)かれた「罪びと」、自分自身を賛美し、人からも賛美されたいと願う習慣を持つ「ナルシシスト」、魅力的であるよりも権力を持つことを望み、愛されるよりも恐れられることを求める「誇大妄想狂」がそれである(17、19、20~21ページ)。
〇そして、不幸のより具体的な原因には、➀「バイロン風の不幸」、➁「競争」、➂「退屈と興奮」、➃「疲れ」、➄「ねたみ」、➅「罪の意識」、➆「被害妄想」、➇「世評に対するおびえ」がある。➀は、悲観主義(ペシミズム)的な考えをいう。ちなみにバイロンとは、悲観的な世界観をしばしば表現した、19世紀のイギリスを代表する詩人ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron)を指す。➁は、競争して勝つことを強調し過ぎることをいう。➂は、静かな生活ではなく、退屈を恐れ興奮を追求することをいう。➃は、神経をすり減らすような生活を送ることによる精神的な疲れをいう。➄は、他人が持っているものを羨(うらや)ましく思うねたみの感情をいう。➅は、道徳的な教えによる罪の意識が劣等感を抱かせることをいう。➆は、自分の美点(すぐれた点)を誇大視し、多くの人が自分を虐待していると感じることをいう。➇は、世評に対する恐れは抑圧的で、成長を妨げるものであることをいう。
〇こうした不幸の原因を取り除くためには、「きちんとした精神を養うこと」が大切である。すなわち、「きちんとした精神は、ある事柄を四六時中、不十分に考えるのでなくて、考えるべきときに十分に考えるのである。困難な、あるいはやっかいな結論を出さなければならないときには、すべてのデータが集まり次第、その問題をよくよく考え抜いた上、決断を下すがよい。決断した以上は、何か新しい事実が出てきた場合を除いて、修正してはならない」(79ページ)。それによってはじめて、幸福を能動的に捉えることができるのである。
〇そして、ラッセルは、幸福を獲得するためには、自己没頭とは逆に外に向けて幅広い興味を持ち、それに熱中することが大切である、とする。「幸福の秘訣は、こういうことだ。あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものではなく、できるかぎり友好的なものにせよ」(172ページ)、という。そして、幸福になる具体的な方法として、➀「熱意」、➁「愛情」、➂「家族」、➃「仕事」、➄「私心のない興味」、➅「努力とあきらめ」を挙げる。
〇➀幸福な人を特徴づけるものは、生活や人生に対する熱意(何かに強い興味を持つこと)である。それは、「よい生活においては、異なる活動の間にバランスがなければならない」(182ページ)。➁愛情は自信と安心感、そこから熱意を生み出し、人を幸福にする。しかも、「相互的な愛情」、「一つの幸福を共有する結合体だと感じる愛情は、真の幸福の最も重要な要素の一つである」(203ページ)。➂家族は今日、混乱し脱線している。両親と子どもとの相互の愛情は、幸福の最大の源のひとつとなりうるのに、そうなっていない。(206ページ)「現代世界において親であることの喜びを満喫することは、(中略)子供に対する尊敬の態度を深く感じられる両親にしてはじめて可能である」(226ページ)。➃仕事を面白くする要素は、身に付けた技術を行使することと建設性である。「偉大な建設的な事業の成功から得られる満足は、人生が与える最大の満足の一つである」(237ページ)。「幸福な人生のほぼ必須の条件は首尾一貫した目的」であるが、それは「主に、仕事において具体化される」(241ページ)。➄私心のない興味とは、「一人の人間の生活の根底をなしている主要な興味ではなくて、その人の余暇を満たし、もっと真剣な関心事のもたらす緊張を解きほぐしてくれるといった、二次的な興味のことである」(242ページ)。その「生活の主要な活動の範囲外にある興味」は、気晴らしになり、バランス感覚を保ち、ときとして大きな慰めともなる(246~247ページ)。➅努力とあきらめのバランスを取ること、すなわち中庸(ちゅうよう)を守ることが必要である(254ページ)。「必要な態度は、人事を尽くして天命を待つ、という態度である」(260ページ)。
〇最後にラッセルはいう。「幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人である。また、こういう興味と愛情を通して、そして今度は、それゆえに自分がほかの多くの人びとの興味と愛情の対象にされるという事実を通して、幸福をしかとつかみとる人である」(268ページ)。すなわち、幸福な人とは、➀内なる自分に囚われない生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人、➁客観的な興味と愛情によって自分と社会とがつながっており、世間と対立していない人である。そのような人は、「自分は宇宙の市民だと感じ、宇宙が差し出すスペクタクル(光景)や、宇宙が与える喜びを存分にエンジョイする」(273ページ)のである。
〇重ねて一言する。「幸福は、一部は外部の環境に、一部は自分自身に依存している。本書で扱ってきたのは、自分自身に依存する部分」(266ページ)である。「外界への興味は、それぞれ何かの活動をうながし、それは、その興味が生き生きとしているかぎり、倦怠を完全予防してくれる」(16ページ)。「人間は、自分の情熱と興味が内へではなく外へ向けられているかぎり、幸福をつかめるはずである」(267ページ)。「退屈に耐える力をある程度持っていることは、幸福な生活にとって不可欠である」(68ページ)。「人間は、協力に依存している。そして、協力に必要な友情の生まれ出る本能的な器官を、なるほど不十分ながらも、自然から与えられている」(43ページ)。そして、「幸福な生活は、おおむね、静かな生活でなければならない、なぜなら、静けさの雰囲気の中でのみ、真の喜びが息づいていられるからである」(74ページ)。すなわち、退屈に耐えうるある程度の興奮を求めながらも、静かな生活に身を置いて、外へと向かう興味を高め、他人や社会との(本能的な)協力関係を充実させていくこと、それが幸福を生む。これがラッセルのメッセージである。上下左右の分断が進む現代社会においても、そうであろうか。
〇筆者はこれまで、“ ふくし とは ふだんの くらしの しあわせ について みんなで考え みんなで汗をながすこと ”。“ しあわせ とは みんなが 満足していて 楽しいこと ” と言ってきた。この考え方をめぐって、ラッセルの「幸福論」から再考したい、というのが本稿を草したひとつの思いや願いでもある。

補遺
不幸の具体的な原因の➆「被害妄想」に関するラッセルの言説の一節を付記しておくことにする。

決してまれではない被害妄想の犠牲者は、あるタイブの慈善家で、いつも人びとが望みもしていない親切を行ない、だれも感謝の意を表さないことにかつ驚き、かつあきれる。私たちか善行をする動機は、自分で思っているほど純粋であることはめったにない。権力欲は油断ならぬものだ。いろいろな姿に変装し、しばしば、ほかの人のためになると信じている行ないをすることから得られる喜びの源になっている。往々、もう一つ別の要素が忍びこんでくる。人びとに「親切にする」ことは、通例、彼らから何か喜びを奪うことにほかならない。(128ページ)

(あなたが人びとに「親切にする」にあたって‥‥‥)
第一、あなたの動機は、必ずしもあなた自身で思っていほど利他的ではないことを忘れてはいけない。第二、あなた自身の美点を過大評価してはいけない。第三、あなたが自分自身に寄せているほどの大きな興味をほかの人も寄せてくれるものと期待してはならない。第四、たいていの人は、あなたを迫害してやろうと特に思うほどあなたのことを考えている、などと想像してはいけない。
これらの公理は、その真理が十分に理解されたならば、被害妄想の適切な予防策となるだろう。(130ページ)

老爺心お節介情報/第70号(2025年5月10日)

「老爺心お節介情報」第70号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第70号を送ります。
ご活用ください。

2025年5月10日  大橋 謙策

〇皆さんお変わりありませんか。
〇季節の移ろいは早いものですね。我が家の庭に咲く花も、今は、てっせん、三寸あやめ、シャリンバイ、アッツ桜、スズラン、二人静が咲いています。庭の小さな畑では、早くもさやえんどうの収穫ができるようになりました。
〇このゴールデンウィークは、娘夫妻に手伝ってもらいながら、“老い支度”の断捨離をしました。過日から行っていた私の書斎に続いて、妻の居室の断捨離、物置の断捨離と、今更ながらよくぞ品物が詰まっているものだと感心してしまいました。出てくる子どもや孫のおもちゃ、品物、写真に目を留めては思い出話が続き、作業は捗りません。それでも“老い支度”への覚悟は妻共々意識でき、断捨離の必要性を自覚しました。
〇断捨離にともない、自分の“実際生活に必要な文化的教養”の低さに我ながら愕然としています。今まで、家事全般を妻に任せていた生活でしたので、“スーパーでの買い物の仕方”“消火器の処分のしかた”、“燃えないゴミの分別基準”、“お風呂場のカビの落とし方”、“詰まった台所の水道の対応策”等々、細々とした知識と技術のなさに情けなくなっています。〇各地の社会福祉協議会の実践の中で、“ごみ屋敷”問題が出てきますが、年老いた一人暮らしでは本当に対応が大変だということを実感する日々です。
〇今号の「老爺心お節介情報」は、この間に読んだ本の書評ではなく、本を読んでの随想を書かせて頂きました。
(2025年5月10日記)

<本を読んでの随想>

① 『過疎地域の福祉革命』(安田由加里著、幻冬舎、2024年12月、900円)

〇長野県社会福祉協議会が主催している「人口減少、超高齢化社会、限界集落の小規模市町村における地域福祉実践のあり方」について、ここ2~3年考える機会が与えられている。そのテーマにピッタリの本『過疎地域の福祉革命』が刊行された。
〇この本は、兵庫県赤穂郡上郡町という全国743あるという「消滅市町村」の一つであり、かつ総務省が過疎地として指定している885市町村の一つである町での実践の取組である。上郡町は人口約1万3000人弱で、高齢化率は40%を超えている。
〇上記の長野県の人口2000人以下の市町村に比べ、人口もまだ多く、地域資源もまだそれなりにある地域での実践であるが、何としても本のタイトルに魅せられた。
〇実践の内容は、町外からの移住者である著者(看護師)が5年前に訪問看護事業所を立ち上げ、共感する介護支援専門員、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士等リハ職、看護職、介護職が連携して地域での自立生活を支援している実践である。
〇5年前に立ち上げた事業所は、現在職員が30人規模に成長している。この事業所が取り組んだ介護予防の取組が功をなして、上郡町の介護費が2000万円削減できたという。
〇以前照会した福山市の鞆の浦地区の実践と同じように、民間事業所が柔軟な取り組みを行い、住民のニーズに応え、住民が主体的に地域課題に気づき、解決に取り組む実践は素晴らしいものである。
〇ただ、筆者としては“福祉革命”というタイトルから、新たなシステムが構築されたのかと期待していたが、それは残念ながらなかった。
〇筆者は、過疎地の地域福祉は、看護小規模多機能施設を中核として、訪問看護、訪問介護、訪問リハビリ、在宅医療診療所の医師などの専門職が連携して対応できれば、かなりの過疎地でも地域自立生活支援が可能になると提言してきた。
〇また、過疎地では、住民の年金受給額の総額と保健・医療・福祉・介護サービスに従事している人の給与の総額を合算させてみると大変な規模になっていて、それらが事実上その地域の経済を支えていることにもっと着目して、「福祉はまちづくり」という哲学で、地方自治体経営を推進していくことが重要であると提言してきた。
〇そんなことも含めて考えてきた私とって、本のタイトルにある“福祉革命”がもっと論じられているのかと思ったが、残念ながら、内容はそうではなかった。

② 『地域社会におけるウエルビーイングの構築―社会教育と福祉の対話』(松田武雄著、福村出版、2023年、3900円)

〇筆者は、「社会教育と地域福祉の学際的研究」を60年間行ってきたので、この本のタイトルに魅せられて購入し、読んだ。
〇著者の松田武雄先生は、名古屋大学教育学部出身で、筆者と同じ小川利夫先生を恩師として仰いでいる。したがって、筆者と同じように「社会教育と社会福祉の学際研究」に関心を寄せ、研究されることは不思議ではない。しかしながら、松田武雄先生のお名前および勤務先はそれなりに存じ上げていたが、著書を読むのは初めてである。それというのも、松田武雄先生は、筆者より10歳くらい若く、日本社会教育学会で久しく交わる機会もなかったからであるし、松田武雄先生の若いころの研究は、日本における社会教育成立史研究だったということもあるのかもしれない。
〇筆者は、拙著『地域福祉とは何か』のなかで、“他方、社会教育学会、社会教育政策においては、東京大学や名古屋大学の社会教育関係講座の主任教授の方々が社会教育と地域福祉と題する著作を上梓する状況であり、かつ文部科学省も「地域学校協働事業」を政策の重要な柱にする状況である”」ののべ、例えばとして松田武雄先生の『社会教育と福祉と地域づくりをつなぐ』(大学教育出版、2019年)を紹介している(拙著『地域福祉とは何か』はじめにP4参照)。
〇ところで、著者と筆者の共通の恩師である小川利夫先生が「教育と社会教育の関係」、「教育と福祉の谷間」の問題について体系的に研究したのが、この分野の研究としては実質的に嚆矢である。
〇小川利夫先生は、「教育と福祉の関り」の「今後の課題」として3点挙げている(①いわゆる児童保護をめぐる問題、いいかえるなら教育における国民的最低限保障をめぐる問題、②セツルメントをめぐる問題、いいかえるなら働く国民大衆の生活と教育に関わる問題、③いわゆるコミュニティ・オーガニゼションをめぐる問題、いいかえるなら井上友一にその一つの「原型」がみられる「自治民育」の歴史的、今日的課題(小川利夫著『社会教育研究40年』P110、小川利夫社会教育論集第8巻、亜紀書房、1992年2月)。しかしながら、小川利夫先生は①の問題に研究を焦点化させていく。
〇筆者の「教育と社会福祉」の学際的研究は、1960年代では夜間中学生やへき地教育、あるいは児童養護施設の児童の教育、さらには生活困窮者世帯の教育扶助と教育補助問題などについて行っていた。
〇しかしながら、恩師が研究課題に挙げていながら未だ手つかずの分野に取り組み恩師との研究の違いを出すことと、江口英一先生の低所得階層の生活保護世帯への転落を防ぐためには、地方自治体ごとに対人福祉サービスを整備する必要性があるという指摘や、岡村重夫先生の“新しい社会福祉の考え方としての地域福祉”という論説に影響を受けて、“社会教育と地域福祉の学際的研究”を研究課題とすることにした。
〇その成人を中心にした「教育と福祉」、地域を基盤としている「社会教育と地域福祉」の学際的研究の課題として、①地域福祉の主体形成と社会教育、②ノーマライゼーション思想の具現化に関わる福祉教育と社会教育、③高齢者のいきがい、健康増進、社会参加促進と社会教育、④退職前労働者における老後生活設計イメージ作りと社会教育、⑤外国人の福祉と社会教育、⑥国際ボランティア活動のすすめと社会教育、⑦貧困の世代継承と社会教育、⑨コミュニティワークの方法と社会教育を挙げた(拙稿「『硯滴』に学ぶー不肖の弟子の戯言と思い」小川利夫著『社会教育研究40年』所収、亜紀書房、1992年)。
〇松田武雄先生は、小川利夫先生が日本社会事業大学の教員になって、間もない1962年に執筆した「わが国社会事業理論における社会教育観の系譜――その『位置づけ』に関する考察」(日本社会事業大学紀要『社会事業の諸問題』第10集、後の1989年に上梓した『教育福祉問題の基本問題』に収録、改題して「歴史的課題としての社会福祉教育論」、筆者は日本社会事業大学紀要『社会事業の諸問題』第10集を読んで、この論文に触発されて研究者の道を志す)の改題後の『教育福祉問題の基本問題』の中の章のタイトルとして使われた「社会福祉教育」という用語を使用して、そこに従来の「福祉教育論」とは違う視点、領域を見出そうとされている。
〇小川利夫先生は、「心のリハビリ通信」第6号(1998年)の中でも、“私は、日社大時代いらい、社会福祉教育的な考察を手掛けてきたのは”と述べ、ある意味“気軽に”「社会福祉教育」という用語を使用している。

〇松田武雄先生は、「教育と福祉の関り」、「社会教育と福祉の関り」について以下のように論述している。

① 学校教育と社会教育が合わせて福祉とつながり、総称して教育福祉論ということができるのであり、大人も含めた幅広い学習権、社会権の実現を目指すことができる(同書P25)
② 社会教育と地域福祉を統合した社会教育福祉は、学校教育以上に福祉的性格の強い地域づくりへと展開している(同書P26)
たとえば、島根県松江市では、地区公民館の中に地区社会福祉協議会が設置され、社会教育活動と地域福祉活動とが一体となった住民主体の活動が行われている(同書P26)
③ 教育福祉論はもともと学校教育と福祉の「谷間」の問題として提起されたが、社会教育と福祉が結びつくことによって、社会教育福祉として地域づくりへと展開していく(同書P26)
④ 地域におい社会教育福祉を構想する際には、かつてのような行政依存ではなく、住民自治によるコミュニティ・ガバナンスの構築がその基盤となる。したがって、コミュニティ・ガバナンスを視野に入れ、社会教育と福祉とを統合した社会教育福祉という領域を構想して、現代のリスク社会、貧困社会に抗することができるような社会教育(社会教育福祉)のシステムを構築することがどのように可能なのか、という課題が登場する(同書P37)
⑤ ちなみに私は、社会教育福祉を「コミュニティにおける社会教育と福祉の融合も
しくは統合」と説明している。「融合」は社会教育福祉を機能論的に把握しようとしたものであり、「統合」はそれを構造的に把握しようとしたものである(同書P68)
⑥ 福祉の視点からすると、社会教育の目的は、学習・文化・地域活動を中心とする人間活動を通した福祉(well-being=福祉)の実現であるということもできよう。個人とコミュニティ・地域社会に福祉を実現していくために、学習・文化活動と地域活動を通した自律的な自己形成がおこなわれ、かつ個人および集団によるそのような活動に狭義の福祉活動が関わっているのであり、これらを統合して社会教育(社会教育福祉)と考えたい(同書P87)

〇筆者がこの本を読んで物足りなさを感じた点は以下の通りである。

〇ⅰ)著者は、「社会福祉」ではなく、「福祉」との対話と表題で掲げているが、その「福祉」は広井良典さんの福祉の捉え方を引用して、well―being=福祉という意味合いで使っている。それでいて、社会教育の目的もwell―being=福祉であると言っているのでは、本のタイトルの「社会教育と福祉の対話」という意味が明らかにならない。
〇筆者自身、「社会福祉」を憲法第25条から説き起こすのではなく、憲法第13条も法源として位置づける必要があり、かつ社会福祉の目的は福祉サービス利用者の“最低限度の生活保障”ではなく、幸福追求、自己実現を図ることであると1970年代から述べているので、著者が「福祉」をwell―beingと考えることには異論はない。
〇しかしながら、著者は上記の⑥のところで、「狭義の福祉活動」という“古めかしい”用語の使い方をしていることには疑問を感じる。
〇社会福祉学界では、“広義の福祉と狭義の福祉”、“社会福祉と福祉”という用語を巡って歴史的に論争してきたことを考えると、著者の社会福祉認識は浅すぎて、自分の都合の良い使い方をしているといわざるを得ない。(医療・保健・介護・福祉の連携などという場合には、「社会福祉」を短く、省略して「福祉」という言い方はされる。筆者も、このような場合にはそういう使い方をしているが、基本的には『社会福祉』と「福祉」とは使い分けている)。
〇ⅱ)もう一つの点は、地域づくりを念頭においていながら、本の著者が使う「福祉」という用語、論述の中に「地域福祉」の考え方やそれとの関りがほとんど出てこない。
〇今や、社会福祉政策においても、社会福祉実践においても「地域福祉」が主流になっている状況の中で、“大人”を中心にした「社会教育福祉」と言っておきながら「地域福祉」との関りがほとんど論述されていないのはなぜなのだろうか
〇ⅲ)社会教育福祉の例として、島根県松江市の事例(上記の②)を度々挙げているが、この松江市のシステムは、筆者が1990年ころから、松江市社会福祉協議会からの招聘を受け、3~4年間、校区毎の地域づくり、公民館連絡協議会との連携、松江市の地域福祉計画及び地域福祉活動計画づくりなどにおいて社会福祉協議会並びに行政に提言し、システム化されたもので、そうした経緯をこの本の著者は学んでいないのではないか(筆者は、松江市との「関係人口」を継続するのが難しくなり、同志社大学の上野谷加代子先生に松江市との「関係人口」による支援を引き継いで頂いた。この間の活動の成果は『松江市の地域福祉計画―住民の主体形成とコミュニティソーシャルワークの展開』(上野谷加代子・杉崎千洋・松端克文編著、ミネルヴァ書房、2006年9月)に詳しいので参照されたい。筆者も第1章「21世紀型社会システムづくりと地域福祉―福祉文化と地域福祉計画」という拙
稿を掲載している)。
〇松江市の公民館は、戦後の早い時期に文部省で主任社会教育までされた藤原英夫先生(島根県職員から文部省へ転籍。のちに甲南女子大学学長。島根県出身、松江市在住)の影響もあって、松江市では小学校区ごとに公立公民館が設置されていた。その公民館には既に保健師が配置されていた。一方、公民館には地区社会福祉協議会の事務局も置かれていた(昭和30年代後半から50年代後半にかけて設置)。
〇筆者は、長野県下伊那地域での実習体験から、この公民館にある地区社会福祉協議会の機能を活性化し、コミュニティソーシャルワーク機能を発揮できるようにした保健、社会教育、社会福祉が連携して地域づくりを進めた方がいいと判断し、公民館連絡協議会や行政にも働きかけてきた。その結果、1997年度より、各公民館に地域保健福祉推進員が配置され、かつ公民館長が地区社会福祉協議会の会長を兼ねることで、住民の主体形成とコミュニティソーシャルワーク機能とが一体的に行われるようになった。
〇松江市のこのような保健・福祉・教育を小学校区毎に一体的に展開する松江市のシステムは松江市の「関係人口」と地域とが一緒に作り上げたものである。
〇この本の著者はアクションリサーチの重要性を指摘しているが、そうだとすれば地域の現象、事象を皮相的に紹介するのではなく、アクションリサーチとしての「関係人口」と地域との関りをもっと本質的に深める考察をして欲しかった。
〇筆者のように「バッテリー型研究」方法で、各地のシステムづくりをしてきたものには、著者のこのような記述、研究方法には疑問が残る。ただし、著者は、沖縄県や長野県松本市では、地域との「関係人口」としてのつながりをもって活動していることは評価したい。

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。 この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

阪野貢先生のブログには、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーがあり、その「アーカイブ(1)・著書」の中に、阪野貢先生が編集された「大橋謙策の電子書籍」があります。ご参照ください。

第1巻「四国お遍路紀行・熊野古道紀行―歩き来て自然と生きる意味を知る―」
第2巻「老爺心お節介情報―お変わりなくお過ごしでしょうか―」
第3巻「地域福祉と福祉教育―鼎談と講演―」
第4巻「異端から正統へ・50年の闘い―「バッテリー型研究」方法の体系化―」
第5巻「研修・講演録―地域福祉の過去から未来へ―」
第6巻「経歴と研究業績―地域福祉実践・研究の系譜―」
第7巻「福祉でまちづくり―支え合う地域福祉実践―」
第8巻「大橋謙策若き日の論考―地域福祉論の「原点」を探る―」
別  巻「地域包括ケア・介護・CSW・潮流と展望―理論と実践―」
ブックレット「社会福祉従事者の社会福祉観と虐待問題」