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大橋謙策/住民の社会貢献活動及び地域再生と社会教育の役割(2008年10月29日)


*大橋謙策:(社)全国社会教育委員連合会長、日本社会事業大学学長

 

はじめに

ただいまご紹介いただきました、社団法人全国社会教育委員連合の会長をしております大橋でございます。第50回大会にあたりまして、私のほうから基調報告をさせていただきたいと思っております。先ほど開会の挨拶でも話をさせていただきましたが、ほんとうに今日は全国各地から遠路この長野の大会に馳せ参じていただきまして、ありがとうございました。私どもといたしましては、長野県というのは公民館の実践の歴史が大変豊かなところでございます。いろいろな分野で縦割り行政の見直しが求められている状況の中ですから、社会教育の分野も全国公民館連合会と一緒になって今こそ社会教育の関係者が一同に会して全国大会ができればという思いもあったわけでございますが、諸般の状況で今回は全国公民館連合会には物心両面にわたりまして支援をいただきましたが、とりあえず社団法人全国社会教育委員連合として第50回大会を開催するということにさせていただいたわけでございます。
この社会教育研究大会は、1959 (昭和34) 年に始まったわけでございまして、当初は財団法人全日本社会教育連合会が主催する形で行われました。しかしその財団法人全日本社会教育連合会の主催ではありましたけれども、趣旨は全国津々浦々の市町村の教育委員会に所属されている社会教育委員の方々の横の連絡を持ち、研究を深めることによって、全国的な社会教育の推進を図りたいということで始まりました。そんなことがございまして、全国社会教育委員連合が社団法人化されたことを契機に、1963年以降本法人の主催として大会を進めてまいったわけでございます。今回の50回大会にあたりまして、50回の節目のイベントを盛大にやるというわけではなくて、全国津々浦々に配置されている市町村の社会教育委員の方々の横の連絡ということの持つ意味を改めて問うたらどうだろうか。そういう意味では各都道府県、あるいは各ブロックの研究大会のテーマをばらばらに行うのではなくて、少しゆるやかな共通性を持たせて行う。そしてそれを3年くらい積み上げて50回大会に臨むのがよろしいのではないかということで作業を進めてきたわけでございます。先ほど50回大会の実行委員長でございます小出勉実行委員長から話がございましたよ

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うに、平成18年度の富山大会におきまして、「一人一人が学習成果を生かし、主体的に地域づくりに参画する社会をめざして」、住民が学習成果を生かして主体的に社会参画する、つまり自己満足的な、自己充足的な生涯学習になりがちだったものを、もう一度問いなおしをして、社会貢献、社会参画型の生涯学習、あるいは社会教育というものを考えてみようというテーマが平成18年度の富山大会での論議でございました。翌年の平成19年度はもう少し積極的に「新しい公共づくりに貢献する社会教育の役割」というテーマを掲げました。21世紀は新しい社会システムが求められているわけでございまして、その中身は新しい「公共」と呼ばれるものでございます。この新しい公共づくりに貢献する社会教育ということを考えてみました。それらを受けてこの50回の長野大会は「住民の社会貢献による地域再生」ということを謳ったわけでございます。個々のブロックの研究大会とか、あるいは各都道府県の研究大会の活動報告をつぶさに報告する時間がございませんが、別冊に資料がまとまっておりますので、そんなものを参考にしていただきながら本大会の持つ意味を考えていただければありがたいというふうに思っているわけでございます。
そこで私は、今日の基調報告では、その3年間の積み重ねを踏まえて今回のテーマでございます「住民の社会貢献活動及び地域再生と社会教育の役割」ということを大きく三つの柱でお話をしてみたいと考えております。一つは21世紀に求められる社会システムというものはどういうものか、ということでございます。二つ目は住民と行政の協働活動と住民の主体性、三つ目は戦後社会教育行政の理念と社会教育委員の役割の三つの柱から話をさせていただきたいと思った次第でございます。

Ⅰ 21世紀に求められる社会システム

はじめに、21世紀に求められる社会システムでございますけれども、実は文部科学省あるいは中央教育審議会は2000年以降いくつかの大事な問題提起をしているわけでございます。これは文部科学省のホームページ等を含めて入手していただき、改めて全国の市町村の社会教育委員の会議でご論議をいただければと思いますし、できましたら教育委員会をあげてその持つ意味をご論議いただければありがたいと思っております。一つは2002年の7月に中央教育審議会が出しました「青少年の奉仕活動・体験活動の推進方策等について」と題する答申がございます。そこで「新しい公共」という言葉を使ったわけでございます。答申では「個人や団体が地域社会で行うボランティア活動やNPO活動など互いに支えあう互恵の精神に基づき、利濶追求を目的とせず社会的課題の解決に貢献する活動が、従来の官と民という二分法ではとらえきれない新たな公共のための活動として評価されるようになってきている。」従来の行政側、行政以外という官と民という二分法ではない新しい公共というものが求められている。それは何なのかというと、経済成長至上主義の利潤追求というやり方ではもう限界になった、ボランティア活動やNPO活動など個人や団体が地域社会で行う互いに支えあう互恵の精神に基づく活動というものを見直してみる必要があるのではないか、こういう提起でございます。

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もうひとつ2003 (平成15) 年に同じく中央教育審議会が「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」(資料1) と題する答申を出しました。
その中で21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成ということを考える必要があるというふうに述べまして、自己実現を目指す自立した人間の育成、「知」の世紀をリードする創造性に富んだ人間の育成、というものをあげながら、その中で新しい「公共」を創造し21世紀の国家・社会の形成に主体的に参画する日本人の育成を謳ったわけでございます。
全国の社会教育委員会議あるいは教育委員会等では、これらの中央教育審議会の答申を素材にして学習し討論がどれだけ行われているのでしょうか。その市町村の社会教育のあり方をご論議いただくのも大変大事ですが、少なくとも国の教育政策や動向がどこに向かっているのかということは、事務局ともども考えていただきたいということでございます。今度の社会教育研究大会のテーマというのは、全国社会教育研究大会のアイデアというよりも、この文部科学省や中央教育審議会の、もっと広く言えば日本の内閣それ自体が求めている21世紀の新しい社会システム。それとかかわって社会教育はどうするのか、ということが改めて問われているのだということをご理解いただきたいと思います。
では21世紀に求められる新しい社会システムは何か。私は,それはネットワーキング型の横社会だというふうに思っているわけでございます。20世紀は中根千枝先生という文化勲章を授章された方の研究の結果で言えば、縦社会という社会構造だったということでございます。わかりやすい言葉で言えば、上意下達的な枠組みがしつかりしている。
その中で枠組みを尊重していれば寄らば大樹の陰で守られる。その枠組みを壊そうとして自分の主体的に感じ思ったことを述べようとすると出るくいは打たれる、こういう縦社会という日本の社会構造の特色の中で、大量生産、大量流通に基づく経済の発展が行われてきたのだというふうに思うわけでございます。第二次世界大戦前はいわば軍国主義で軍隊というものに見られる上意下達の組織、戦後は高度経済成長を成り立たせた大量生産・大量流通型の経済発展主義、そういう中で20世紀は過ぎてきたと思います。しかし21世紀はますます国際化社会が進むわけでございます。経済界は、いちはやく1990年のときの産業構造審議会の答申に見られるように、国際社会に対応する日本を考えると、もう縦社会の構造の中で人材というものを考えるわけにはいかない。ノーと言える日本人。自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の足で歩き、自分の頭で考えられる主体性のある人材を育てなければ、上意下達的な唯々諾々としているそういう人材では国際化社会は乗り切れないということを、経済界がいちはやく開題提起をしているわけでございます。その1990年の問題提起以降、約20年経つわけですが、皆さん自身もひしひしと国際化の動きというものはご理解いただけるのではないでしょうか。日本だけが日本の枠組みの中で過ごすということは許されない時代になってきているわけです。今日の世界恐慌とも言える金融危機の問題は、まさに日本国内ではどうしようもないほど、金融、貿易というものは変わってきているわけです。かつてのように資源を輸入し日本で加工し、その加工の仕方は大量生産、大最流通で送り出すという産業構造、社会構造はもう成り立たないところにきているということは皆さんおわかりかと思います。

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そうだとすれば、当然それに伴う人材の育成も変えなければならないのではないでしょうか。
20世紀の縦社会で求められた人材というものは、ある意味では素直で、上司に言われたことを真面目に頑張る、そういう人材であり、しかも均ー的な、個性というよりも均一的な人材が求められたわけではないでしょうか。そのときの教育というのは、皆さん自身もそうでしょうし、私もそうですが、自分が育ってくるときに「あなたは何をしたいのですか」ということを親や学校の先生から聞かれたことはほとんどないのです。皆さんはどうでしょうか。何か言おうものなら、「つべこべ文句言うんじゃない」「親の言うこと聞いていればいい」「先生の言うことを聞いていなさい」それだけで子どもを枠にはめてきてしまったのではないでしょうか。私にはそれは、“禁止と命令による型にはめる教育”だったのではないかというふうに思えてならないわけです。枠組みをつくり直そうとか、枠組みを超えて自分の個性を豊かに考えようとか、いくら教育基本法に個性の尊重とか人間性の尊重とか書いてあっても、理念として、言葉としてはありますけれども、実態は我々の体に染み付いている、国民の文化に染み付いている枠組みの中で物事を考えてしまう。枠組みがあろうとなかろうと自分が考えるというふうにはなっていない、そういう人物に自分は育てられたかなというふうに思うのですが、皆さんはいかがでしょうか。韓国の文部大臣をされました、李御寧(イ・オリョン)さんという方が書いた本の一つに『「縮み」思考の日本人』という本がございます。伸びようとするものをみんな縮めてしまう。枠にはめていってしまう。そういう文化を日本は持っていないか。それは韓国の文化とはまったく違う文化だ。というふうに李御寧さんは述べているわけです。その最たるもの、象徴的なものが、「盆栽だ」。竹も丸いのを四角につくつてしまう、盆栽も伸びようとするのを詰めてしまう。日常的に言うならば、弁当箱のようにぎゅうぎゅう詰めにしてしまう、あの日の丸弁当なんていう感覚は韓国にはない。そういうことを李御寧さんは言っているわけでございます。そのことは、盆栽文化を否定するということではありません。世界に誇れる文化ではありますが、それも見方を変えるとそのような捉え方もできるということだと思います。21世紀の国際化時代を考えますと、本当に一人ひとりの個性、人間性の尊重、人権というものを考えなければならない時代でございます。私たちは言葉としては人権、人間性の尊重はわかっておりますが、どれだけ実態的に見えているでしょうか。私自身今から35年くらい前に最初にアメリカを訪ねたときに、ビザをとるのに目の色を書かなければなりませんでした。私は、当然日本人は「目の黒いうちは」と言いますから、しかも小学校時代に自画像を描くと皆、目は黒のクレヨンで塗っていましたから、当然ビザの申請書に『ブラック』と書いたわけです。そうしましたら、大使館の職員がいやがらせだとも思うのですが、太い赤鉛筆で斜線を引きまして、『ブラウン』と英語で大きく書くんです。私の目はいつから茶色になってしまったのだろうかと、そのとき本当に考えました。皆さんは自分の目の色は、茶色ですか、黒ですか、青ですか。アメリカに行ってみて、人種の均禍といわれるシカゴなどで話をしてみると、目の色が違う、皮膚の色が違う、宗教が違う、大変な状況でございます。ついこの間もインドのある大学の先生が私を訪ねてくれまし

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た。いろいろ話をしておりますと、インドの宗教を理解するのは大変なことだと思いました。ある意味インドで宗教を聞くというのはタブーに等しいくらいという話を聞きました。日本人は宗教があまりないかもしれませんが、しかしヨーロッパやアメリカに行ってみると本当に皮膚の色、目の色いろいろと違うわけです。そういう中で人間とは何なのだろう。自分というのは何なのだろうと考えなければならない。そういう日々でございます。イギリスのロンドンにいるときに、通りを一本隔てるとまったく違ったにおいがする。違ったものを売っているお店がある。そういうところを毎日のように行き来しておりますと、日本人はよほど意識して人間性の尊重とか人権という言葉を使わないと、頭ではわかっているけれど日常生活感覚では身についていない、という話がたくさんあるのではないでしょうか。私も首から上は男女平等論者でございまして、とうとうと男女平等をしゃべりますが、首から下は意外と男尊女卑だったりするかもしれません。頭でっかちで頭ではみんなわかっている。では、日常生活の感覚でわかっているのだろうか。これはいま我々が問いかけられている21世紀の課題ではないかと思っているわけでございます。
私の地域は人口75,000人で560人くらいの在住外国人登録の方がいらっしゃる。国籍が52~53カ国です。もちろん統計をとった時点でもずいぶんかわりますが、東京の豊島区は人口25万人くらいのところですが、16,000人くらいの在住外国人の方の登録がございました。国籍は87カ国。それを私どもは全部外人と言っていたわけです。今や外国人と言いますが。87カ国の方が全部違うのに、何でひとくくりの外人になってしまうのでしょうか。非常に危険な考え方です。私は介護保険法に基づく第1号被保険者である高齢者になりました。私の高齢者と100歳の高齢者と同じ高齢者だと言われても、違いますよね。どうも日本人はそういう人を見ることを丁寧にしないで、大雑把にくくつてわかったような気になるんですね。障害者と言ってわかったような気になる。高齢者と言ってわかった気になる。外国人と言ってわかった気になる。ほんとうでしょうか。そういうことを小さい時から、一人ひとり丁寧に人を見る目を、人の好み、人の違い、そういうことを考えていかなければならないのではないでしょうか。なんでこんなに人を丁寧に見るということが不得手な文化を持っていたのでしょうか。それがある意味では稲作農耕文化につくられた社会構造であり、文化なのではないでしょうか。この長野県は田ごとの月と言われるくらいに、棚田があるわけでございます。石川県の能登にもすばらしい棚田がございます。千葉県にもすばらしい大山千枚田というのがございます。このような棚田はよほどお互いが共同して農業用水を確保しないかぎり、とても一人ではあれだけのことはできませんよね。今のように重機が整備されている時代ならいざ知らず、人手で田んぼを開拓し、農業用地を確保するということは、並大抵のことではないわけでございます。それをやるためには人力をまとめるしかない。日本にとっては田んぼで米をつくるというのは、まさに生計手段であり、生産手段そのものでございます。よく日本人は家と言いますが、私に言わせれば、あの「家」は生計手段、生産手段の田んぼや畑を継承する組織でしかない。血はつながっていない夫婦養子などが多かった。韓国・中国では夫婦養子というのはありません。中国は宗族というのはあります。それは文字通り血のつながりです。韓国には本貫というものがあり、

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血のつながりが証明されます。韓国ではそれと同時に苗字と名前を見れば同じ世代の血縁者であることがわかるということです。ですから、同じ苗字は基本的には結婚しません。最近は姓が同じでも本貫の出身地が違えば結婚してよいと緩やかになってきたそうですが、韓国では、恋愛をしても姓が同じだということで悲劇がずいぶんおきていて、今それを変えるべきだという論議をやっています。ですから、留学生などは「わたしは何代目の何々です」と言います。
日本はお寺に過去帳がございます。しかしそれは血のつながりを証明しておりません。養子縁組はたくさんあるわけでございます。家というのは何か、墓というのは何か。それは生計手段、生産手段である田んぼをどう維持継承するかという組織のことにすぎないと私は思っております。日本の言葉にある“ー所懸命”というのは、まさに土地を大事にするということです。そういう日本的な社会構造、文化というのは、地域がまとまらなければならない。用水は移動させることが困難です。田んぼも移動させられません。
どうしても土着性と共同性が強くなります。その共同性と土着性が強くなれば、その枠組みを壊そうとするものは、異端者扱いになります。だから村八分という言葉が出てくるわけでございます。私は自分の住んでいる地域で40年近く住んでおります。今日も社会教育委員の方が何人か見えております。自治体から地方自治功労賞も受けておりますが、土地の方に言わせれば、私はまだ旅の人でございます。どこの馬の骨だかよくわからない。旅の人なのです。土地を営々と耕し、それで生計を立ててきた方から見れば、大橋のような移住者は旅の人なのです。私の知っている友人は、神主で23代と続く神社の宮司をやっておりますが、今日お見えでしょう、島根県の江津にあります。その方と話をしたら、自分の地域は大正時代に引っ越してきた人もまだ旅の人だよと言っておりました。大正時代に移住した人も旅の人。出雲という非常に歴史のある地域からいけばそうかもしれません。つまり営々としてその地域の田んぼ、畑を開墾し耕し、農業用水を確保してきたその集団から見れば、外から来た人間は外の人なのです。内と外というのをものの見事に日本は使い分けるわけです。皆さんのところにもそれは相当あるのではないでしょうか。日本の民話は多くは水にからみます。桃太郎のように「どんぶらこどんぶらこ」と川上から川下に流れてくるわけです。ところが、弓矢というのはぜんぜん出てきませんね。日本に民話で弓矢が出てくるのは何かありましょうか。強いて言えば那須与ーの屋島の合戦くらいでしょうか。ところが外国では弓矢はずいぶんあるわけです。我々になじみのあるロビンフッドやウィリアムテルなどもそうでしょう。外国は狩りの文化です。狩りは移動します。したがってフロンティア精神は非常に豊かにあるわけです。日本は土着性、共同性です。ですから、同じ地域の中で共同して生産手段を確保し、生産してきたものの仲間内の結束は非常に固いわけです。それに宗教が結びついたりすれば、あるいは姻戚関係が結びついたりすれば、それは本当に強固な隣近所になるわけでございます。我々が言う地縁あるいは地域の持つ相互扶助性というのは、その稲作農耕文化につくられた文化、社会構造なわけです。地域にどこからか人が来て居ついた。その人を本当に助ける文化があるか。あまりないですね。閉ざされた集団の中での相互扶助は豊かにありますが、社会に開かれた相

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互扶助というのは残念ながらありません。第一、社会という言葉がないというのがよく研究で言われることでして、一橋大学の学長をされた阿部勤也先生ではありませんが、日本は世間体ということだけを問題にする。社会と個人ではなく、仲間内の世間体である。こういう論議になるわけでございます。世間体が悪いからという言葉を皆さんも日常的に使うのではないでしょうか。社会規範ではなくて、世間体が悪いのです。世間体ということがなくなってしまったら、カラスの勝手でしょうというような話になるわけです。実はそこに大きな問題があるわけです。先ほど寺西審議官が社会規範という言葉を使われましたが、日本にとっての社会規範というのは何なのか。社会というのは何なのか。ということを改めて問い直しをしなければなりません。私は20数年前からしきりに寄付の文化という言葉を使っております。見ず知らずの社会のために寄付するという文化をつくらなくてはいけない。仲間内の冠婚葬祭は豊かにあるけれども、見ず知らずの人のために、社会のために寄付するという文化は、残念ながら日本にはない。大変失礼ですが皆さん自身は1年に1万円以上寄付するという方は手を上げていただけますか。さすが社会教育の全国大会ですね、かなりの方が寄付されています。私はいろいろなところで手を上げていただいていますが、1万円の寄付ができないのです。赤い羽根共同募金で隣近所の人が今年の目標額は350円ですとか500円ですとか言うと出すけれど、人が来ても来なくても自分から寄付をするという文化を持っているでしょうか。アイヌの人たちは文字がありませんでした。口承文化です。そのアイヌの人たちは稲作農耕文化とは違って、狩猟文化です。シャケとか何かを獲ってくるという文化でございます。そのアイヌの中で詳しいことはよくわかりませんが、私なりの理解をしますと、自分が獲ってきたものの10分の1は村の長に収めるという文化を有してきたそうでございます。村の中には年老いて狩りに行かれない人がいる。夫も亡くなり、子どもが小さくて狩りに行かれない人もいる。自分で狩りをし、自分で生計を立てていかれない人のために、村の長は皆が獲ってきたものの10分の1を収めさせ、それを分配するという文化を持っていたそうでございます。そういう文化を、倭人と言われている人たちはどれだけ学んだのでしょうか。もちろん日本の中にも、四国を中心としたお接待の世界があることはわかっております。しかしいつの間にか高度経済成長の中で、我々は金銭至上主義となり、経済成長がすべてだというふうに考え、自分のものは自分のもの、人のものも自分のもの、というふうな状況になってきていないだろうか。借景という言葉があります。自分の庭の景色は人に見せないけれども、遠くの山の景色は自分で使ってしまう。ドイツなどは通りを行く人のために窓に花を飾る。身内ではなくて外に向かって花を飾る。アメリカでも、垣根を囲い込まないで開かれた家にする。そういう住宅も文化も含めて、我々は決して開かれた感覚を持ってはいないわけでございます。それは徳川300年の鎖国の影響だということもありますが、どうも私は稲作農耕文化のもたらす社会構造文化があるのではないかと考えております。それを中根千枝さんは縦社会というふうに非常にわかりやすく述べたわけでございます。その縦社会の中である意味では私どもはあまり難しいことを考えずに主体性も問われることなく、枠組みの中で頑張れれば安心した最低の

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状況は過ごすことができました。今、枠組みがカタガタと壊れているわけです。本当にあなたはどう思うのですか、どうしたいのですか、学歴と言っても、よい大学に行っても一生それで保障されるわけでも何でもありませんよ。どう考えるのでしょうか。と問わなければなりません。昔だったら学歴、よい高校よい大学で安定した生活があったかもしれませんが、今ではそれで入った証券会社がつぶれてしまうかもしれない。東大の法学部を出て中央省庁のキャリアになろうと思っていた。その構造が壊れてしまっている。枠組みに就職するのではなくて、自分が持っている能力をどういうふうに社会の中に生かしていくのかということを考えなければならない、そういう時代が今来ているのではないかと私は思います。長野県の教育委員長に10月に就任されたようですが、元長野県の茅野市の矢崎市長が、茅野市で、住民と行政のパートナーシップをどうつくるか、条例でパートナーシップをどうつくるかということをやりました。行政は全部情報をわかっていて、行政だけで物事を進める時代は終わった。住民に学んでもらって、住民と行政は協働しなければならない。たとえば長野県の茅野市ではゴミの分別を16分別にしていると思います。16にゴミの分別をできる住民というのは、大変な力のある人たちです。徳島県の上勝町はたしか23分類をしていると思います。それだけの分類をできる住民というのは大変な力量でございます。今地球環境がたいへんだ、ゴミを減らそうと、いくら行政が声をかけても、住民が学習し、住民が参加をしてくれないかぎりできません。住民が間違ったゴミを出したら、行政の職員がいちいち分別するのでしょうか。そんな手間隙は、よほど住民のかたが税金を多く払わないかぎりやれないのではないでしょうか。口で地球温暖化、環境を何とかしようと言うのは簡単です。日常の毎日出るゴミをきちんと分別する能力を住民が持てるかどうか、これは、私は大変なことだなと思います。今は、住民は市長がやれと言ったからやるという時代ではないです。なぜ今16分別をしなければならないのか。それはどういう意味を持っているのか。ということを自分なりに学習し納得しないかぎりやれないのではないでしょうか。私はそういう実践を積み上げる、あるいは福祉の分野でも住民座談会を繰り返しやりながら練り上げていく、そういう中でパートナーシップ条例をつくり上げていく。行政と住民が協働しなければ、これからは地域は成り立たないし、社会は成り立たないし、行政を推進できないということを、57,000人という小さな市かもしれませんが、茅野市は壮大な実験をしたと私は思っております。今日は全国のいろいろな事例をご紹介する時間はありませんが、少なくとも行政が市長なり総理大臣の命令ー下、上意下達的にヒ°シッと何かをする時代ではない。ならば一人ひとりの住民が学習し、横につなげていくしかないのではないでしょうか。それをヨーロッパ等で言われている社会哲学で言えば、行政と住民の協働によるソーシャルガバナンス、第3の道です。従来は行政が住民を統治する、ガバメントでした。これからは行政と住民が協働してやらなければいけない、ガバナンスです。(社)全国社会教育委員連合が平成20年10月に刊行しました『住民参画による社会教育の展開』の中にある私の論文の中にも書きましたが、山形県の鶴岡市、合併前10万人の時に133の町内会で住民座談会をやりました。参加者は2,100人です。2,100人の住民に無記名でカードに生活課題を書いていただきましたが、問題提起された生活課題は、なん

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と5,300枚です。5,300枚に書かれた生活課題を、どうやって改善していくのか。住民の方々は、これは行政が頑張らなければだめだ、これは行政に言っても無理、住民自身が考えなければ、これは住民と行政が協働しないとできない、と話し合いながら整理をしていきます。私は大変な力だと思いました。私たちはいつのまにか教育というのを一方的なシステムにしてしまったのですね。「すずめの学校」のように教師がいて「ムチをふりふりちいぱっぱ」の教育を想定してしまっている。誰が生徒か先生かわからない、「めだかの学校」的な共同学習を教育と思わなくなってしまったのではないでしょうか。公民館の社会教育行政も、講師を連れてきて講座をやることだけが社会教育だとなってきています。違いますよ。学習とか教育の原点は、人と人とが交わることです。異なる考えの人たちが交わる中で、学びがはじまるのです。そういうことを意識して話をしないといけないのではないだろうか、というふうに思います。いずれにしましてもこれからの21世紀は国内的に見ても国際的に見ても、どう見ても一人ひとりの主体性というものがあり、その人の意識•関心・意欲というものをもとにして横につながっていくしかない。WHO(世界保健機関)は1980年に国際障害分類というのを出しました。通称ICIDHと言うのですが、身体的障害がある、その身体的障害がその人の能力の発達を不十分にさせる。能力の発達が十分ではないから、社会生活上不利益を生ずるという身体的障害(impairment)と能力不全(disability)と社会的不利(handicap)というその相関性が非常に強いということを1980年に整理をしました。WHOは2001年にその考え方ではダメだとことで見直しをいたしました。身体的に障害があろうとなかろうとそれは関係ない。その人の社会環境、意欲、そういうものを中心にして考え直さなければならないのではないかという新しいICFと呼ばれる考え方、国際生活機能分類を打ち出しました。わかりやすく言えば、障害者という言葉を使わない。Aさんをよく見ると生活上こういう機能障害がある。Bさんを見ると生活上こういう機能障害がある。考えてみるとゴミ出しをできない多くの男性は生活機能障害かもしれない。私なども生活機能障害がある。同時に私などは老眼が進んでいて、お風呂に入るときにはわずらわしいからどうしても脱衣所に眼鏡を置いてきます。お風呂に入って、はたと困るのは何か書いてあっても読めない。熱湯注意と書いてある。非常に危険なことです。皆さんはシャンプーとリンスとボディソープの違いがわかりますか。あれは見えないです。あわ立つものならなんでもいいやと私のように髪の毛のない人は考えて使用していますが、考えてみたら生活機能障害かもしれない。もっと困るのは、生命保険などの保険会社の契約書、なんであんなに細かい字で書いてあるのか、あれを高齢者が読んで契約したんじゃないですかと言われても困ってしまう。あれはどう見ても生活機能障害の問題点です。そう考えると身体的に障害があるというのではないが、生活上ほとんど多くの人が機能障害を持っている。だから障害者という言葉はやめましょう。生活上の機能障害というのは高齢化社会の中で悪徳商法だ、契約能力の不十分さだとみんな持っている。今はそういう時代です。かつての枠組みで守られている時代は終わって、一人ひとりの契約でいくと言ったときに、そのことを理解できる能力を持った人がどれだけいるのかと言ったら、今日大変大きな問題を抱え

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ているわけです。私のようにITが十分に使えない場合にはIT化石になるわけです。
行政の方は「ホームページを開設していますから、それを見てくれればいいのです」と言いますが、ホームページにアクセスできなかったらどうするのか。・そういうときに社会教育を考えたら、社会教育の学びというのはもっと多懐です。社会教育法の第3条に「実際生活に即する文化的教養」と書いてありますが、その意味はとても重要です。ICFの言うように生活機能に関する学習、主体性にかかわることが重要だということです。21世紀はどうも20世紀の時代のような枠組みがしつかりしていて、その中にいれば寄らば大樹の陰で守ってくれる時代ではなくて、非常に不安定な枠組みがない、一人ひとりが自分の枠組みをつくつていく、主体的につくつていくそういうことを求められる時代だということを少し考えていただければということでございます。その中でソーシャルガバナンスという行政と住民の協働、あるいはNHKのご近所の底力というテレビ番組に代表されるような、ソーシャルキャピタル、地域住民が改めて信頼と協働と互酬に基づく地域づくりをしないと地域は守れないということです。安全と安心を考えてみてください。ほんとうになんでこんなに防犯上安心できないことがおこるのでしょうか。防災の問題はどうでしょうか。防災上、防犯上、安全と安心がなくなってきている。今や食べるものも安心でなくなってきている。そう考えると、地域という生活圏域の中で、この信頼と互酬と協働という営みがすごく求められているのは皆さんおわかりではないでしょうか。それをソーシャルキャピタルと言っているわけです。このソーシャルキャピタルを、もう一度きちんとつくり直さないと日本の21世紀は立ち行かない、というところに今来ています。自民党もコミュニティ基本法というものをつくらないとやっていかれないのではないか、そういうところまで来ています。

Ⅱ  住民と行政の協働活動と住民の主体性

そこで2番目の柱でございますが、先ほど述べましたガバナンス能力としての学習、あるいは生活問題における住民参画、学習ということを本当に改めて考えていただきたい。住民はある日突然に目覚めるのでしょうか。朝起きたらとたんに聡明になってゴミの16分別や23分別ができるという薬があるのでしょうか。ドラえもんにでも頼んでそういう薬をつくってもらうという話になれば別ですが、いくら考えてもそういうことはない。日々の積み重ねではないでしょうか。しかもそのことに気がついていない人もたくさんいるはずでごさいます。住民と行政の協働というのは、理念としてはとてもすばらしいことですが、住民とひとことで言いますが、千差万別でございます。素人の一般住民によるレイマンコントロールという考え方は大切にしたいと思いますが、実態はそう簡単ではありません。今私がかかわっている地方自治体で、住民参加による地域福祉計画とか、公募制による社会教育委員とか、いろいろな形があります。でも本当に公募制で選ばれてきた住民が、力のある住民でしょうか。東京都の児童福祉審議会の委員で、公募で応募し選ばれて委員になった人が児童委員と児童福祉司の違いがわからない。児童福祉審議会は2時間しかなくて、私は進行役をやっている立場で、それをこの機会に教えてあげたいと思います

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けれども、限られた2時間の中でいろいろなことを審議しなければならないときに、そもそも児童委員と児童福祉司はどう違うのでしょうか、という委員の質問にどう対応していいかわからない。このようなことはいっぱいあるわけです。そもそもから学ばなければならないのでしょうか。介護保険事業計画の公募委員になった人たちが、介護保険の制度の仕組みをまったくわからないで議論している。公募委員になって何か言いたいという気持ちはわかります。でも向こう3年間のこの市町村の介護保険に関するサービスはどうなるのか、日常生活圏域をどう設定するか、介護保険をいくらにするかということを論議する時に、介護保険のそもそもの制度の説明をしなければいけないというのはすごくつらいですね。私などはそういう方がいらっしゃると、事務局と相談して別に勉強会をしてもらいますけれども、それでもなかなか追いつきません。みなさんはどう考えられますか。住民参画というのは実にきれいな言葉ですが、その住民というのはどういうことをわかっている住民なのでしょうか。あるいは私はよく学生に向かって、住民集会を企画しなさい、住民集会のシュミレーションとしてロールプレーというのをやってもらうのですが、学生たちが考える住民のイメージというのは恐ろしいほどに偏っています。地域にはいろいろな人がいる。中学校区には、人口11,000人で5.5人くらいの割合で家庭内暴力を受けている人がいる。1中学校区で3.5人の児童虐待を受けている人がいる。1中学校区に85枇帯の母子世帯がいる。1中学校区に130人くらいの在住外国人の方たちがいらっしゃる。1中学校区で29億5,000万円の医療費が使われている。1中学校区で6億円の介護費用が使われている。国が医療費33兆円、と言われてもびんと来ないかもしれませんが、中学校区に29億円という話だったら理解しやすくなるのではないでしょうか。抽象的な国のレベルの数字を扱うのではなく、地域にはこういう問題を具体的に抱えている人がいます。我々の地域づくりというのはそういうことを想定していますか。考えなければなりません。在住外国人のことは排除し、母子家庭も排除し、家庭内暴力も排除し、ひとり暮らしの人も排除して、それ以外のいわゆる皆さんが考えられる健常者だけの地域ですか、そんなことはないですよね。皆さんが地域と考えるのは、どういう地域なのか。そこに住んでいる住民というのはどういう住民なのかということを、もっと感度するどく、いろいろの人が住んでいる、その人たちの生活問題に絡めて学習し地域をどうするんだということを考えないかぎり、これからはやっていかれないわけです。皆さん見ていただいたかもしれませんが、過疎地だけが限界集落ではありません。NHKのおはよう日本で取り上げてもらいましたけれども、東京の豊島区ではなんと65歳以上の高齢者のうち、ひとり暮らしをしている人は34%です。ある地域はもう50%をこえて、友達もいないまったく孤立した状況で生活している。そういう具体的な地域の生活問題なり、そこを構成している住民の状況というものをきちんと把握して、我々は地域で実際生活に即するということを考えなければならない。社会教育行政や活動は、地域という場合に、果たしてそういうことを考えてくれているのか。社会教育で言う住民参加の「住民」というのはそういうことを考えてくれているのかということを改めて問い直していただきたい。そうしますと「これだけ行政は広報を出しているではない

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か。ホームページをやっているではないか」と言うのです。しかし東京の豊島区などでは、自治会の加入率はもう40%を割っています。そして今日の不景気の中で、新聞を購読していない人がたくさんいるのです。回覧板も回せない。住民にどうやって情報を提供するのでしょうか。私は1975年から5年間幼稚園の副園長を非常勤でやりました。保護者にわかってもらわなければいけないと思って、一生懸命「園だより」を書きました。年間100回くらい出しました。ところが親御さんからこういう電話がかかってきました。「あした子どもが遠足と言っていますが、どこに行くのでしょうか」「何時に集まればよいのでしょうか」「何を持って行けばよいでしょうか」もう職員たちは怒るわけです。「00に書いてありますから」と言ってもダメですね。私はそれ以来どれだけ活字文化に馴染んでいるか、ということをチニックする際の一つの指標にしています。そのころ家庭教育学級で、私はこういう質問をしました。20人の参加者がありました。「1週間のうち字を書いたことのある人。」そうしましたら、20人のうちたった2人でした。家庭教育学級に来るくらいですから、意識の高い人です、意欲のある人です。その人たちのうち、たった2人です。一人は、はがきを書いた。一人は、毎日家計簿をつけている。こういう現実です。そこを見て我々はもっと問題提起をしなければいけないわけです。つまり我々は、「公民館だより」「社会教育だより」「行政の広報」といくらでもやっているつもりですけれども、住民とは完全にずれています。もっとも実際生活に即する文化的教養を必要としている人とは、まったくと言っていいほどずれています。それがずれているというふうに感じている方はよいですが、社会教育の方はややもすると生活レベルが高くて、ほっておいても活字文化になじんでいますから、そんな人が地域にいるなんていうことは想像しないのかもしれない。しかし多くの場合、その人たちが問題を起こしたり、問題を抱えているわけです。今、社会福祉の分野で言えば、「福祉アクセシビリティ」と言われるものが最大の問題です。どこに行っていいのかわからない。つながらない。もっと社会教育は、社会教育法の第3条の持つ意味というものを考えて、本当に生活問題を抱えている人たちにどういうふうにアクセスするのか、接近するのか、考えなければいけないのではないでしょうか。そう考えますと、住民がある日突然目覚めるわけではありません。住民なりに悩み苦しんでいます。しかしそこに誰かが触媒の役割で、働きかけてきっかけをつくつてあげなければならない。そのきっかけは、広報で00講座をやりますから来てくださいで、来るのでしょうか。そんな抽象的な呼びかけで来る人は、ほっておいても何か探して来る人たちではないでしょうか。社会教育における学習ニーズの把握だとか、活動の把握がどれだけ真剣に考えられているのでしょうか。私は相当ずれているのではないかというふうに考えます。もっと我々は泥くさく、住民座談会をやっていたかつての問題発見・問題解決型共同学習や、山崎延吉、稲垣稔らが昭和初年にやったような全村学校運動的なものをやる必要があるのではないでしょうか。そういう社会教育行政と住民のパイプの役割を誰がやるか。まさに社会教育委員ではないでしょうか。それをいろいろな形で応援してくれる社会教育主事がもっとそこに責任を持ってやってもらわないといけないのではないでしょうか。今日はその経

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過をお話したいのですが時間の関係でできませんが、住民というのはすごく大事です。しかし自然発生的にあるとき目覚め立ち上がるわけではないのです。誰かが働きかけ、気がついてもらい、そして一緒に行こうというふうに誘ってもらわなければいけないのでないでしょうか。栃木の足利出身の相田みつをさんに、「あのひとがいくならわたしはいかない。あのひとがいくならわたしはいく。あのひと。あのひと。どっちのあのひと。」という詩があります。社会教育はもっと、どっちのあのひとなのか真剣に考えないといけないのではないでしょうか。そういう論議をできる場は、こういう社会教育委員の全国大会なのです。そういうことにお互いに気がつき、全国の市町村に持って帰って、本当に草の根からもう一度説き起こし、働きかけないかぎり、日本の社会をつくりなおすことはできないのではないでしょうか。文部科学大臣を責めることは簡単です。総理大臣を責めることも簡単です。しかし教育は100年の計であり、ー朝ータにはいきません。もし皆さんが、私の話を聞いて感動して、明日から頑張ろうと言ったらば怖くてしかたがないかもしれません。たぶん皆さんは県民文化センターの玄関を出て「ふう寒い」と思った瞬間、大橋の話は忘れてしまいます。譜演とは、そういう性質のものかもしれませんが、それを繰り返しやるしかないのではないでしょうか。それを総理大臣が一網打尽のように上意下達的にひとこと言ったら、全国津々浦々いくなんていうことはありえないのです。あってはいけない。だからこそ社会教育委員が日々丁寧にやるしかないんじゃないでしょうか。あて職で社会教育委員になった方はたくさんいらっしゃるかもしれません。しかし今一度、社会教育委員の役割は何なのかということをぜひ考えていただきたいと思います。詳しいことは、第50回大会を記念して、『住民参画による社会教育の展開』という本を社団法人全国社会教育委員連合で出しましたので、ぜひ買って読んでいただきたいと思います。決して宣伝ではなくて、社会教育は学習です。教育は学習なくして成り立たない。学習は関心と感動なくして成り立たない。東大の名誉教授の勝田守ー先生の言葉ですが、まさにこの機会に関心を持っていただいて、学習していただき、それを社会教育に反映していただければと思います。

Ⅲ  戦後社会教育行政の理念と社会教育委員の役割

時間がなくなってまいりましたが、今回のテーマの社会貢献でございます。私は戦後日本の教育で大きな間違いをしたと思っていることが一つあります。それは日本は自由と平等は教えましたけれども、博愛を教えなかったことです。先ほど小出勉実行委員長が話をしてくださいましたが、教科書に博愛が書いてあるでしょうか。どうもカラスの勝手でしょう的な自由と平等が出てまいります。身分差別、居住の自由、職業選択の差別、宗教による差別、いろいろな自由のなかったあの封建社会をくつがえして、すべての人が平等にお互いが契約して新しい社会をつくろうというフランス市民革命。これは天賦人権説と社会契約思想に支えられて成り立ちました。この世に等しく生きるものはすべて幸福を追求する権利があります。そしてお互いが個人の資格において主体的に契約し、社会をつくつていこう、こういう天賦人権説であり、社会契約思想でございます。日本国憲法はそれを引きついで憲法13

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条で何人も幸福を追求する権利があり、何人もそれを侵してはならないと述べています。また、第14条で法の下の平等を謳っています。ところがこの世に等しく生けるものの中には、生まれながらにして障害を持って生まれてくる方がいます。生物で習ったメンデルの法則ではありませんが、突然変異が出てまいります。生まれながらにして働けない、生まれながらにしてコミュニケーション能力が行使できない、生まれながらにして契約能力がなく契約できない、そういう方々の幸福追求権を、皆さんは認めずに抹殺しますか。私は日本学術会議の会員を2期やりましたけれども、私の時代の論点の一つは、生命倫理科学でございました。ヒトゲノムが全部解読できたのだから、遺伝子の中に遺伝で障害を持って生まれるということがわかれば、それは遺伝子操作をすべきではないか。していいのではないかという提案を、第7部の医学部系の先生方は考えられます。第1部の人文社会系の会員は反対いたします。皆さんは遺伝子操作をすることに賛成ですか。我々は誰がどういう基準で遣伝子操作するのでしょうか。どの遺伝子が悪くて、どの遺伝子がよいのでしょうか。私を例にとれば、大橋は若はげだから大橋の遺伝子は抹殺する。足が短い遺伝子も見た目が悪いから抹殺する。というふうになっていってしまうのでしょうか。人間とは何なのだろうか。命とは何なのだろうかということを、改めて我々は論犠しました。社会教育は結論が出ないまでも、そういうことを考えるきっかけを与えるべきだと思います。フランスはこの世に等しく生きる中で障害を持った人が生まれる。その人の幸福追求権を否定したら、自分の自由と平等も守れない。自分の自由と平等を守ろうとしたら、生きとし生けるのものの中に障害を持った人がいたら、その人の幸福追求を肩代わりしていく。担っていく。アイヌの人たちの文化と同じことを考えたのです。それを博愛と言ったわけです。公の救済は社会の神聖な責務の一つである。徳川家康が言ったといわれる、我々の自由と平等は重き荷物を持って遠き道を歩くがごとしなのです。気軽に自由と平等を謳歌していいでしょう、というふうにはならない。あなたが自由と平等を言うならば、あなたは博愛というものをどういうふうに考えるのですか。博愛が担保されない自由と平等はありえない、このことを教えきれなかったと私は思います。みなカラスの勝手になってしまっている。もう一度これを考えなければいけないのではないでしょうか。我々の人生の時間の一部を必ず社会のために使う。それを担保することによって、初めて自分の自由と平等が保障されるというこの社会哲学を教えなかったということは、最大の間違いであったと私は思います。道徳がどうだとか、そういうことを言うよりも、あなたは自由と平等を欲しいでしょう。ならば博愛を持たなければなりません。あなたは1年のうちで何時間社会のために時間を使いますか。あなたの人生のうち、どの部分を社会に還元しますか。イギリスのボランティア活動で一番多いのは、金銭ボランティアです。時間はないけれどお金を寄付する。ボランティアのとらえ方も含めて、日本はもっと博愛の持つ意味というものを考えなおさなければいけないのではないでしょうか。
時間がなくなって残念ですが、戦前、海野幸徳や川本宇之介という人たちが積極的社会事業と消極的社会事業ということを言いました。戦前の積極的社会事業は、今で言う社会教育です。戦前は積極的社会事業と消極的社会事業がかなり統合的にとらえられていました。海野幸徳はそれを統合的社会事業と言いました。そういう考

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え方がありました。その積極的社会事業と消極的社会事業が、いつの間にか戦後文部省と厚生省になってしまって、縦割り行政になって分離してしまった。我々社会教育も、いつの間にか文部省という縦割りの行政の枠の中で物事を考える思考方法になっていないでしょうか。21世紀は枠組みを超えてつくりなおそうと言ったときに、地域で起きている問題は、文部行政の枠では解決できません。公民館の原点は、まさにその積極的社会事業と消極的社会事業を公民館を地域づくりの拠点として統合しようとしたわけです。昭和21年の次官通牒でやろうとしたわけです。長野県はその次官通牒の理念を実現しようとしたわけです。だからこそ、字公民館というものを大事にしたし、沖縄県も同じように字公民館を大事にしたわけです。こっちは社会福祉、こっちは社会教育と分ける意味は全然ありません。もっと我々は自由に社会教育委員という制度を使いながら、制度で選ばれる社会教育委員ではあるけれども、発想はその制度にとらわれることなく、問題提起をし、住民一人ひとりに社会貢献を投げかけ、呼びかけ、地域には多様な住民がいるということに気づいていただき、そして本当にソーシャルガバナンス、ソーシャルキャピタルという視点での地域再生をしていくことが、21世紀のネットワーク型の横社会につながっていくのではないでしょうか。全国23,000人の社会教育委員こそが、その先頭に立って、立ち上がらなければいけない時代がきているのではないでしょうか。私はそう思っているわけでございます。どうぞ今日から3日間、社会貢献及び地域再生ということに、社会教育委員は何ができるのか、ということを考え全国の市町村に持ちかえっていただいて、多くの社会教育委員と住民とが一緒に具現化できる道を社会教育計画という形で、あるいは地方教育振興基本計画という形でつくつていただければありがたいと思っておます。私は東京都の生涯学習審議会の会長をやっておりますが、今東京都では第三の教育行政、地域教育行政というのを打ちだそうとしております。もう学校教育行政と社会教育行政という枠を超えよう。そういう意味ではいろいろなアイデアがあってよろしいのではないでしょうか。お話したいことは山ほどございますが、どうぞ今述べたようなことを含めて3日間、論議をいただき、草の根から日本の社会をつくり変えていくその言動力として、社会教育委員として、お互いに頑張っていこうではありませんか。ありがとうございました。

付記
第50回全国社会教育研究大会(長野大会)基調報告より
日時:平成20年10月29日(水)
場所:長野県県民文化会館

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大橋謙策/大橋謙策研究 第5巻:研修・講演録

 


 

目  次

 


【2016年版】
[01]
会津若松市講演・地域主権時代における自立生活支援とCSW

住民主体のまちづくり
―地域主権時代における自立生活支援とコミュニティソーシャルワーク―

公益財団法人テクノエイド協会理事長
東北福祉大学大学院教授・日本社会事業大学名誉教授
NPO法人日本地域福祉研究所理事長  大橋 謙策

******************************************************************


[02]
美深町「限界集落」を乗り越える新たな「未来家族」の創造

安心、安全、地域で支え合うまちづくり
―「限界集落」を乗り越える「未来家族」の創造と地域包括ケアシステム―

公益財団法人テクノエイド協会理事長
東北福祉大学大学院教授
日本地域福祉研究所理事長 大橋 謙策

******************************************************************


[03]
社会福祉法人の地域貢献

地域包括ケア時代における社会福祉法人の地域貢献・役割と
コミュニティソーシャルワーク

東北福祉大学大学院教授
(公財)テクノエイド協会理事長 大橋 謙策

******************************************************************


[04]
新潟県老人福祉施設協議会

地域包括ケアシステムの構築
―私たちの役割を探る―

公益財団法人テクノエイド協会理事長
東北福祉大学大学院教授
一般社団法人ユニットケア推進センター副会長
大橋 謙策

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【2017年版】
[05]
伊賀市社会福祉協議会

高齢化・単身生活者化時代における「おたがい様」の地域づくり
―「選択的土着民」と「地域福祉の主体形成」を考える―

NPO法人日本地域福祉研究所理事長
東北福祉大学大学院教授 大橋 謙策

******************************************************************


[06]
沖縄県かりゆし地域福祉実践セミナー

地域共生社会実現とコミュニティソーシャルワーク

公益財団法人テクノエイド協会 理事長
日本地域福祉研究所 理事長
東北福祉大学大学院教授 大橋 謙策

******************************************************************


[07]
宮城県介護研修センター

地域共生社会の実現に向けて
―自立生活支援と福祉機器の活用―

公益財団法人テクノエイド協会理事長
東北福祉大学大学院教授 大橋 謙策

**************************************************************



[08]
遠野市基調講演

自分らしい地域での自立生活を支援する住民と行政の
協働による地域共生

東北福祉大学大学院教授
公益財団法人テクノエイド協会理事長
NPO法人日本地域福祉研究所理事長
大橋 謙策

**************************************************************



[09]
岩手県地域福祉推進フォーラム

地域共生社会実現に向けた地域包括ケア構築のあり方
―生活困窮者の地域自立生活支援とコミュニティソーシャルワーク―

公益財団法人テクノエイド協会理事長
東北福祉大学大学院教授
大橋 謙策

******************************************************************


【2018年版】
[10]
韓国社会福祉協議会・韓国在宅老人福祉協会主催政策討論会

日本の高齢者分野におけるコミュニティケア
―属性分野を超えた共生型地域包括ケアシステム構築の時代―

公益財団法人テクノエイド協会理事長
東北福祉大学大学院教授
大橋 謙策

******************************************************************


[11]
岐阜県関市社会福祉協議会研修

地域共生社会づくりとコミュニティソーシャルワーク

NPO法人日本地域福祉研究所理事長
東北福祉大学大学院教授
(公財)テクノエイド協会理事長
大橋 謙策

******************************************************************



[12]
大橋ゼミ45周年ホームカミングデー

大橋ゼミ45周年ホームカミングデー記念講演

大橋 謙策

******************************************************************


[13]
今治市地域福祉フォーラムア

多様性を尊重し、支え・支えられる社会・地域づくりと地域福祉

NPO法人日本地域福祉研究所理事長
東北福祉大学大学院教授
大橋 謙策

**************************************************************


[14]
南足柄市社会福祉協議会

みんなが支え合う地域づくりの実現を目指して
―地域共生社会の構築とコミュニティソーシャルワーク―

公益財団法人テクノエイド協会理事長
東北福祉大学大学院教授 大橋 謙策

**************************************************************


【2019年版】
[15]
(公財)テクノエイド協会・福祉用具プランナー管理者研修

地域共生社会政策時代の地域包括ケアと福祉用具の利活用

公益財団法人テクノエイド協会理事長
東北福祉大学大学院教授 大橋 謙策

**************************************************************




[16]
日本福祉大学大学院特別講義

 地域共生社会政策時代の地域包括ケアと
コミュニティソーシャルワーク

(公財)テクノエイド協会理事長
日本福祉大学客員教授
大橋 謙策

**************************************************************


[17]
富山市民生委員児童委員協議会研修

災害福祉支援における民生・児童委員の役割と施設法人との連携

富山県福祉カレッジ
学長  大橋 謙策

**************************************************************


[18]
ソーシャルワーク教育学校連盟セミナー

地域共生社会政策時代におけるソーシャルワーク教育の課題と期待

東北福祉大学大学院教授
日本社会事業大学名誉教授
大橋 謙策

**************************************************************


[19]
三重県次世代の学校・地域創生フォーラム

子どもの育ちを支える地域の教育力の再生と
教育行政・福祉行政の再編成

東北福祉大学大学院教授・日本社会事業大学名誉教授
一般社団法人全国社会教育委員連合前会長
大橋 謙策

**************************************************************


[20]
四国老人福祉学会第38回大会

地域共生社会政策時代の地域包括ケアと
コミュニティソーシャルワーク

公益財団法人テクノエイド協会理事長
東北福祉大学大学院教授
特定非営利活動法人日本地域福祉研究所理事長
大橋 謙策

**************************************************************


[21]
横浜市地域包括支援センター職員研修

地域共生社会政策時代における地域包括支援センターの
役割と求められる機能

―個別支援を通して地域を変えるコミュニティソーシャルワーク機能―

公益財団法人テクノエイド協会理事長
東北福祉大学大学院教授、日本社会事業大学名誉教授
大橋 謙策

**************************************************************


[22]
岩手県社会福祉協議会・高齢者福祉協議会・養護老人ホーム部会研修

今後、養護老人ホームはどうあるべきか

東北福祉大学大学院教授
(公財)テクノエイド協会理事長
大橋 謙策

**************************************************************


[23]
佐賀県社会教育委員実践研修会・佐賀県公民館研究会合同研修会

「限界集落」及び「消滅市町村」時代における地域生活課題の解決と社会教育の可能性

東北福祉大学大学院教授
一般社団法人全国社会教育委員連合前会長
大橋 謙策

**************************************************************


【2020年版】
[24]
佐賀県社会福祉協議会役職員研修

地域共生社会政策時代における社会福祉協議会の位置・役割と課題
―コミュニティソーシャルワークの機能と重要性―

(公財)テクノエイド協会理事長
東北福祉大学大学院教授
日本社会事業大学名誉教授
大橋 謙策

**************************************************************


[25]
宮城県災害福祉支援協議会研修

災害時における福祉的支援の考え方と
ソーシャルワーク機能を展開できるシステムづくり

東北福祉大学大学院教授
(公財)テクノエイド協会理事長
大橋 謙策

**************************************************************


[26]
佐賀県市町社協職員パワーアップゼミ フォローアップ研修

課題把握と新たなプログラム企画立案のための“力”を鍛える
―コミュニティソーシャルワーク実践力の強化―

大橋 謙策

**************************************************************


[27]
全隣協・近畿ブロック協議会研修

地域共生社会政策時代における地域包括ケアシステムと
コミュニティソーシャルワーク

―隣保館活動における社会福祉と社会教育――

公益財団法人テクノエイド協会理事長
東北福祉大学大学院教授・日本社会事業大学名誉教授
大橋 謙策

**************************************************************


[28]
第13回福祉教育研究フォーラム

青年期に福祉を学ぶ意義
―福祉系高校の可能性―

日本福祉大学客員教授、東北福祉大学大学院教授
日本福祉教育・ボランティア学習学会名誉会員
大橋 謙策

**************************************************************



[29]
日本地域福祉学会シンポジュウム(武庫川女子大学大会)

地域福祉の源流――個人史的地域福祉実践・研究の系譜

日本地域福祉学会名誉会員
日本社会事業大学名誉教授
大橋 謙策

**************************************************************


[30]
日本地域福祉学会研究シンポジュウム

地域福祉研究の変遷と地域共生社会

(公財)テクノエイド協会理事長
NPO法人日本地域福祉研究所理事長
日本地域福祉学会名誉会員
大橋 謙策

**************************************************************


[31]
富山県社会福祉法人セミナー

社会福祉法人の地域貢献と「福祉で街づくり」

富山県福祉カレッジ学長
(公財)テクノエイド協会理事長
大橋 謙策

**************************************************************


[32]
富山県民生委員・児童委員協議会研修

全世代交流型・全世代支援型地域包括ケアと
地域共生社会の構築

―民生委員制度創設100周年からの新たな地平―

富山県福祉カレッジ学長
公益財団法人テクノエイド協会理事長
NPO法人日本地域福祉研究所理事長
大橋 謙策

**************************************************************


【2021年版】
[33]
日本地域福祉研究所冬のセミナー

社会福祉協議会は生き残れるか?

日本地域福祉研究所理事長 大橋 謙策

**************************************************************


[34]
富山短期大学介護フォーラム

進化・深化する福祉・介護とその未来

富山県福祉カレッジ学長
日本社会事業大学名誉教授
大橋 謙策

*************************************************************


[35]
障害フォーラム in とやま

地域共生社会政策時代におけるノーマライゼーションと
障害者の自立支援

―ICFの視点で福祉機器の利活用―

富山福祉カレッジ学長 大橋 謙策

**************************************************************


「36」
介護ロボット高知フォーラム

高齢者・障害者の自立生活支援の考え方と
福祉機器(介護ロボット・福祉用具・補聴器)の活用

公益財団法人テクノエイド協会理事長 大橋 謙策

**************************************************************


[37]
大阪府社会福祉協議会CSWマイスター研修

地域共生社会政策を具現化する包括的支援及び重層的支援の考え方と
コミュニティソーシャルワーク

NPO法人日本地域福祉研究所理事長
大橋 謙策

**************************************************************


【2022年版】
[38]
沖縄原宿会公開研究会

研究者、実践家としてこだわり続けてきた支援観・人間観

(公財)テクノエイド協会理事長
NPO法人日本地域福祉研究所理事長
大橋 謙策

**************************************************************


[39]
鴨川市「地域医療から地域福祉を考えるシンポジュウム」

地域包括ケアシステムの構築とコミュニティソーシャルワーク機能

特定非営利活動法人日本地域福祉研究所理事長
公益財団法人テクノエイド協会理事長
大橋 謙策

**************************************************************


[40]
岩手県市町村等介護保険相談・苦情処理業務担当職員研修会

要介護高齢者のQOLを担保するケアマネジメントと
サービス提供のあり方

(公財)テクノエイド協会
理事長  大橋 謙策

**************************************************************


[41]
岩手県市町村社会福祉協議会会長懇談会

地域共生社会時代における市町村社会福祉協議会の経営戦略
―これまでの社協・これからの社協―

NPO法人日本地域福祉研究所理事長
公益財団法人テクノエイド協会理事長
大橋 謙策

**************************************************************


[42]
香川県隣保館協議会セミナー

地域共生社会政策における地域包括ケアシステムと
コミュニティソーシャルワーク

―『小さな拠点』としての隣保館の役割―

(公財)テクノエイド協会理事長
日本地域福祉研究所理事長
大橋 謙策

**************************************************************




[43]
高知県ノーリフティングフォーラム

継続できる施設・事業所づくり――魅力あるケアこそ人材確保の道

公益財団法人テクノエイド協会理事長
特定非営利活動法人日本地域福祉研究所理事長
大橋 謙策

**************************************************************


[44]
長野県社会福祉協議会

地域包括ケア時代に社会福祉協議会は生き残れるか
―コミュニティソーシャルワーク機能が鍵―

公益財団法人テクノエイド協会理事長
東北福祉大学大学院教授
大橋 謙策

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[45]
栃木県ソーシャルケア協議会20周年記念講演

地域共生と社会福祉専門職

(公財)テクノエイド協会
理事長 大橋 謙策

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[46]
富山県社会福祉法人連携セミナー

地域共生社会時代における社会福祉施設、社協の連携による
福祉でまちづくり

NPO法人日本地域福祉研究所理事長
(公財)テクノエイド協会理事長
大橋 謙

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[47]
鶴岡市研修

『孤独・孤立』問題対策と重層的支援体制整備事業

鶴岡市社会福祉アドバイザー
大橋 謙策

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[48]
四天王寺福祉事業団実践セミナー

地域共生社会づくりに向けた社会福祉法人の役割
―属性分野を超えた全世代交流型自立支援・その2―

(公財)テクノエイド協会理事長
NPO法人日本地域福祉研究所理事長
大橋 謙策

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[49]
稲城市子育て支援地区連絡協議会

子育ち・子育て支援の在り方と教育福祉の連携

大橋 謙策

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[50]
沖縄県原宿会社会福祉セミナー

子育ての社会化及び子育ちのシステム化と社会福祉・教育の課題

日本社会事業大学名誉教授
大橋 謙策

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老爺心お節介情報/第66号(2025年3月2日)

「老爺心お節介情報」第66号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様
日本社会事業大学同窓会北海道支部の皆様

お変わりありませんか。
まさに「三寒四温」に季節ですが、私の体調も「三快四衰」の繰り返しです。
「老爺心お節介情報」に連載してきた「社会福祉観と虐待問題」は今後で連載終了です。難しい問題でしたが、これで責任を果たさして頂きます。忌憚のないご意見を下さい。
皆さま、くれぐれもご自愛の上、ご活躍下さい。

2025年3月2日  大橋 謙策

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇先日嬉しい便りが舞い込んできました。韓国の金玄勲さんが、拙著『地域福祉とは何か』を翻訳してくれ、6月には出版記念会をソウル市で行いたいとの申し出でした。
〇『地域福祉とは何か』は、東北福祉大学大学院で教えた中国遼寧省の劉さんからも翻訳の意向が示され、現在進められています。
〇今「老爺心お節介情報」第66号は、虐待問題の連載の最終回です。この連載は、日本社会事業大学同窓会北海道支部の求めに応じて執筆連載してきました。とても重要で、かつ難しい問題でした。忌憚のないご意見を下さい。
(2025年3月2日記)

「社会福祉従事者の人間観、社会福祉観、生活観と虐待問題」その⑤・最終回

はじめに
〇虐待が起きている現場の状況は様々であり、その「違い」を捨象して、共通の統一的見解をしめすことは容易ではない。
〇しかも、今までも述べてきたように、日本人が有している国民的文化がもたらす人権感覚の低さ、多様性を認める認識の低さ等の、国民の深層心理、底流にある意識との関りを抜きにして語れない部分が多分にあるが、ここではそれを踏まえた上で、今後虐待問題を検討するに際しての課題について論述しておきた。
〇筆者は、連載の第4回の最後において、下記のような問題があることを指摘した。
〇それは、以下の通りである。最終会の今号では、これらについて論述したい。

ⅰ)家族による親密圏域のケアを当たり前の前提として、公共圏域のケアの整備が十分でない問題。この問題の中には、相談できる「福祉アクセシビリティ」の問題や介護支援専門員、障害者相談支援員のケア観の問題がある。また、ケアをしている家族の社会福祉制度を活用する受援力、地域福祉サービス利用主体の形成が不十分という問題もある。

ⅱ)養介護者が集積している社会福祉法人などのサービス供給組織の経営理念、運営方針等においてケアのあり方、サービス利用者の尊厳の保持が具体的に明記され、それが常に研修等を通じて確認できているかどうかの問題ーー社会福祉現場に関わる動機、モチベーションとその内省、外化の機会の有無とアンガーマネジメントの研修。

ⅲ)機関委任事務体制下では行政による措置施設職員の研修がおこなわれていたが、2000年以降は、社会福祉職員の研修は行政的には対応できておらず、個々のサービス供給組織により行われている。しかも、メンター制度やOJTの機能はほとんどなく、入職後から独任官的に職務を任せられ、体系的な研修を通して、自らの実践を振り返り、検証する機会を持てていない。とりわけ小規模のサービス供給事業組織がそうである。

ⅳ)上記Ⅱ)の問題とも関わるが、従事者が安心してケアに従事できるかどうか、職場環境の整備との関係の問題と同時に、きちんとしたケア観を有している人を採用し、キャリアップについて見通しがもてる人事政策があるかどうかの問題。

ⅴ)日常的に地域で障害者等とふれあい、その人の人格を尊重する機会である福祉教育の実践が地域、学校において行われているかの問題ー人間の理解は頭での言語能力での理解だけでなく、福祉サービスを必要としている人の切り結びを通して体感的に学ぶことが重要。

Ⅰ 家族を“含み財産”とする社会福祉制度の破綻と「福祉アクセシビリティ」のいい「総合相談窓口」、「まるごと相談窓口」の設置及び福祉教育の推進

〇戦後日本の社会福祉制度は、家族を“含み財産”として位置づけ、家族の介護、養育を前提にして制度設計されてきた。
〇しかしながら、1960年代の高度経済成長政策の基、急速に産業構造の転換が行われ、工業化、都市化、核家族化が進み、家族の、地域の介護力、養育力はぜい弱化していった。
〇そのことについては、拙稿「高度成長と地域福祉問題―地域福祉の主体形成と住民参加」(吉田久一編『社会福祉の形成と課題』1981年、所収)に論述してあるので参照して欲しい。
〇ところで、筆者が地域福祉と社会教育との学際的研究において、より明確に地方自治体における地域福祉とそれを可能ならしめる地域づくりを社会教育と地域福祉の有機的関りのもとで行おうと考えるようになったのは、江口英一先生が1968年に書いた「日本における社会保障の課題」という論文に触発されてからである。
〇社会教育はもともと地方分権を前提にして理論構築や実践が展開されていたが、社会福祉の分野における地方自治体の位置というものは必ずしも明確でなく、“福祉国家体制”という名のもとに、常に中央集権的機関委任事務の下で社会福祉行政は進められてきた。社会保障の一環である社会保険は国レベルで検討される政策であることは理解できるが、社会保障の一環である対人援助としての社会福祉は地域で生活している住民の身近な地方自治体の政策として論議されるものだと筆者は考えてきた。
〇それは経済的給付とちがって、対人援助としての社会福祉は、地域性、地域の生活環境に左右される部分が多く、全国一律のサービス提供、対人援助にはなじまないと考えてきたからである。
〇江口英一先生は、先の論文で、地域住民の生活は大変不安定で、生活上のちょっとした事故でも住民の25%が生活保護世帯に転落する可能性を有していて、それを防ぐためには地方自治体ごとの福祉サービスの整備が必要であるとその論文で説かれていた。
〇筆者はこの論文に勇気づけられ、この論文に依拠しながら、どうしたら地域住民の生活を守り、安定させる福祉サービスの整備のあり方、提供のシステムができるかを考えてきたのが筆者の地域福祉研究60年であった。
〇その中の理論的、実践的課題の一つが「福祉アクセシビリティ」の問題である。それは住民の生活の安定を守る地方自治体の福祉サービスの整備量もさることながら、住民からみた「福祉アクセシビリティ」が大きな問題だと考えたからである。
〇「福祉アクセシビリティ」とは、距離的に近いという問題、公共交通機関の利便性、たらい回しをされない、ワンストップの相談の総合性、心理的、手続き面での受容性などが大きいと考えたからである。
〇1970年ごろ、国民の社会福祉認識は、社会福祉を利用する人、必要としている人は、ある意味で「自業自得」であり、福祉サービスを利用することは個人にとっても、家族・親類縁者にとっても”恥”とする意識が強かった。
〇このような福祉サービスを必要としていながら、福祉サービスの相談窓口が“縁遠かった“住民は、誰にも相談できず、ストレスを貯めこみ、ネグレクトするとか、心理的虐待、身体的虐待に走っていったことは想像に難くない。
〇住民の身近なところで、心理的負担もなく、相談しやすい環境があったならば、利用できる福祉サービスがある、なしに関わらず、住民は自ら抱える辛さ、悩み等を「外化」でき、虐待に走る度合いが減ったのではないだろうか。
〇今、地域共生社会政策の下で、包括的支援体制、重層的支援体制整備の必要性が謳われているが、1990年までの中央集権的機関委任事務体制の下では、「社会福祉六法体制」に基づく縦割り福祉行政がおこなわれていて、「福祉アクセシビリティ」のいい世帯・家族全体を支援する総合相談窓口はなかった。
〇筆者は1990年に東京都狛江市、東京都目黒区、岩手県遠野市などにおいて、縦割り福祉行政の弊害を除去し、住民にとって「福祉アクセシビリティ」のよい福祉行政システムを構築してきた。
〇このような「福祉アクセシビリティ」の良さに加えて、職員によるアウトリーチ型問題見・支援とが行われたならば、養護者の虐待の動向は違っていたのではないだろうか。
〇日本の社会福祉・社会保障は、相も変わらず“家族の介護力、養育力”に依存する“家族”を含み財産とする発想が色濃く残っている。
〇今こそ、市町村において包括的・重層的支援システムを構築し、コミュニティソーシャルワーク機能を発揮できるシステムの構築とそれを担当できる職員の養成が喫緊の課題である。
〇今や、単身者社会であり、家族に頼らない、「福祉アクセシビリティ」のいい、生活に関わる「総合相談窓口や「まるごと相談窓口」を地域に構築することが必要である。
〇と同時に、住民の社会福祉に関する知識の向上、社会福祉制度の理解を深め、国民が戦前からの「家制度」に基づく「家意識」を変容させ、家族に頼らない、公共圏域の社会サービスを利用するのが当たり前と思える住民の福祉サービス利用の受援力を高める福祉教育の推進がますます重要になってきている。

Ⅱ 介護問題が集積している社会福祉法人の理念、経営方針と虐待問題

〇連載の第4回目で述べましたが、厚生労働省の調査によれば、障害者施設や通所サービなどの従事者から障害者が虐待を受けた件数は、2023年度、5618件で前年度比約37%増加している(ちなみに、家族などの養護者から虐待を受けた障害者は2285件、前年比7・8%増であった)。
〇介護施設の職員らによる高齢者への虐待は1123件(前年度比31・2%増)で、2006年度調査開始以来の最多となった。家族などの養護者による虐待は17100件(前年度比2・6%増)であった。
〇このような状況を踏まえ、社会福祉施設、福祉サービス事業所での虐待をなくすためには以下のような取り組みが必要ではないか。

ⅰ)社会福祉法人の設立理念、経営方針における人間性、個人の尊厳を謳う個別ケアが明確化されているか
〇日本の社会福祉施設は、中央集権的機関委任事務が少なくとも1990年まで、あるいは2000年まで続いていたこともあり、福祉サービスを必要としている人、福祉サービスを利用している人のアセスメントが事実上できていなかった。
〇福祉サービスを必要としている人は、行政がサービス利用の要件に合致しているかどうかを判断し、社会福祉施設・社会福祉法人はその行政に措置された人を受け入れ、サービスを提供していたために、入所型施設などにおいては、三大介護と言われる食事、排せつ、入浴がどれだけ“自立”しているかというADLの評価が中心であった。
〇医療の世界では、ついこの間まで“やぶ医者”という言葉が住民の間で使われていたが、いまやその用語は“死語”になっている。それは、医療の世界では、聴診器だけでなく、レントゲン、MRI、CTスキャナー、血液検査などの診断技法が格段に進展し、患者の病変の診断と治療との関係性が格段に向上したからである。
〇ところが、社会福祉界は未だ福祉サービスを必要としている人が何につまずき、何が生活のしづらさを生み出す要因なのか、本人は何を希望し、どういう生活を送りたいと願っているのかなどの「社会生活モデル」に基づくアセスメント技法が確立していない。何となく社会福祉士、介護福祉士などの視角を有している人が“情感的に”判断しているという“やぶソーシャルワーカー”が沢山いる。
〇それは、福祉サービスを必要としている人が現に制度化されているサービスを利用できる要件に合致するかどうかという仕事の仕方をしてきた中央集権的機関委任事務体質の福祉文化を見直すことなく、無意識のうちにそれを引きずっているからである。
〇また、社会福祉法人は行政から措置された人に対する“最低限度の生活保障”をしてあげるという目線になりがちで、結果として法令による措置施設の施設最低基準に基づき集団的、画一的ケアを実施してきたのではないだろうか。
〇2000年以降、福祉サービス利用が契約で行われるようになった際に、従来の支援方針、ケア観を見直し、福祉サービスを必要としている人、利用している人と福祉サービスを提供側とが相対契約をする制度に変わってことに伴い、その際に、どれだけの社会福祉法人、社会福祉施設がその相対契約に相応しい福祉サービス利用者、福祉サービスを必要としている人の個々の状況に見合ったアセスメントと援助方針を確立することを明確にできたであろうか。
〇筆者が考えるのに、現象的には社会福祉法人も社会福祉も個人の尊厳、人間性の尊重を謡いながら、実質的には個々人の状況を丁寧にアセスメントするという福祉文化が確立できていないのではないか。
〇その点で、筆者が注目しているのは、2002年の老人福祉施設最低基準が改訂され、ユニットケアが出されてくる中で、一般社団法人日本ユニットケア推進センターが進めている限りなく個別ケアの具現化の取組である(拙編著『ユニットケアの哲学と実践』日本医療企画、2019年)。
〇一般社団法人日本ユニットケア推進センターが進めている個別ケアの実践は、同じ厚生労働省が定めた基準である老人福祉施設最低基準に則りながら、個別ケアが確立できており、かつ職員の離職率も低く、利用者からの評価も高いことを考えると全国的できないことではない。要は、社会福祉法人の経営理念、実践哲学がそのことを明かにできているかどうかの問題である。

ⅱ)市町村における福祉サービス事業所職員の研修の体系化はされているだろうか
〇中央集権的機関委任事務体制時代にあっては、行政がサービス提供を社会福祉法人に委託していたこともあって、各都道府県が社会福祉研修センターを設置し、社会福祉法人、社会福祉施設の職員に対する研修がそれなりに整えられていた。
〇しかしながら、2000年の介護保険、2005年の障害者総合支援法以降、福祉サービス利用は行政の措置から、福祉サービスを必要としている人と福祉サービス事業者との間の契約に変わったこともあり、各都道府県の社会福祉研修センターの役割は大きく変わり、筆者が観る限りにおいて各都道府県の社会福祉職員に対する研修機能は大幅に低下していると言わざるを得ない。
〇ある意味、職員の研修は、各福祉サービス事業者の任意となり、行政は各サービス事業者のサービス管理者の資格、研修を規制化させることで、職員のサービスの質の担保を図る仕組みへと変更した。
〇したがって、福祉サービス事業で働く職員、社会福祉法人、社会福祉施設で働く職員の研修は、いわば無秩序状態になっている。
〇このような状況のなかで、小さな規模の事業所の職員はほとんど研修を受けることもできなければ、自前で研修をすると言うことも容易ではなくなってきている
〇先に挙げた事業所の虐待件数についても、事業所の規模や事業所内での研修の有無などについて丁寧に分析する必要があるが、ここでは触れない。ただし、福祉サービス事業所の規模別・虐待種別事業所数の調査によれば、規模が5~29人の規模の事業所が虐待件数全体の49・2%、30~49人規模が16・8%、5人未満が13・5%であり、逆に300人以上の規模では1・0%であることを考えると事業所の規模ごとにおける職員研修のあり方との関係があることは想像に難くない(「令和3年度使用者による障害者虐待の状況」調査)。
〇他方、1990年以降、地方分権化が進み、国や県は市町村への指導を直接的にはできず、専門的助言の域を超えることができなくなった。その上に、市町村は各分野ごとの福祉計画の“上位計画”として「地域福祉計画」を位置づけている。しかしながら、この市町村ごとの「地域福祉計画」を見る限り、市町村内の福祉サービスに従事する職員の研修の必要性を掲げている「地域福祉計画」は皆無に近い。
〇今や、一部の大手を除くと福祉サービス事業所、社会福祉法人の職員の研修システムはとても不十分だと言わざるを得ない。
〇しかしながら、福祉サービスは国民にとって欠かせないサービスであり、かつサービス利用費がいわば公定価格で縛られてはいるものの、逆の意味では“安定”していることもあり、いわゆる市場ベースの“競争原理”は働きにくい状況である。
〇ならば、サービス管理者の資格、研修のみならず、市町村福祉行政による市町村内の社会福祉職員の研修を整備し、職員の資質向上を図るべきなのではないだろうか。
〇2011年の「地方分権一括法」で、市域内だけの住民を対象に福祉サービスを提供している社会福祉法人の許認可権は市長が有することになったし、その後介護保険サービスの許認可権も市町村長に移譲されたことを考えると、市町村レベルでの域内の福祉サービス従事者への研修システムの構築は市町村行政が責任をもって行うべきではないだろうか。
〇このような職員の研修システムの構築をしないでおいて、事業所における虐待を取り締まるという姿勢だけでは問題解決につながらない。

ⅲ)社会福祉学の構造と国家資格養成課程における実践力習得の課題
〇社会福祉学の構造は、①社会福祉の目的、理念に関わる研究、②福祉サービスを必要としている人の生活のしづらさ、生活問題をアセスメントし、構造的に分析する分析科学、③福祉サービスを必要としている人の問題を解決するための援助方針の立案、活用できる福祉サービスの利用計画、活用できる福祉サービスがなければ、新しい問題解決プログラムと作成するとか、新しい福祉サービスを開発するなどの設計科学、④立案された援助方針、ケアプランに基づき具体的な対人援助の実践を展開する実践科学。この実践科学は、設計されたプラン通りに実施すればいいというものではなく、福祉サービスを必要としている人の日々の変化を見据え、実践者がその状況に合わせ、設計されたプラン、対人援助を微調整していく必要性がある。⑤実践を展開した後、福祉サービス利用者の「快・不快」を基底とした満足度や設計されたケアプランの妥当性などについての評価、振り返りを図る評価科学の5つの要素からなる統合科学である。
〇この統合科学という考え方は、戦前に確立されてき旧帝国大学の講座制の学問体系にはない、新しい学問の考え方であり、日本学術会議が2003年以降打ち出している考え方である。
〇社会福祉分野は、従来「学問」ではなく、「論」の域を出ていないと学術界では言われてきたが、日本学術会議の提案による「統合科学」という視点、枠組みを考えるならば、まさにぴったりの「統合科学」である。この「統合科学」という考え方の提唱もあって、社会福祉学は2003年度から日本学術振興会の科学研究費の細目として「社会福祉学」が位置づけられ、文字通り日本の学問体系において「社会福祉学」が認証された。
〇しかしながら、統合科学としての「社会福祉学」における個々の要因、要素の実践、研究の科学化は未だ道遠しの状況である。
〇第1には、援助方針を立てる基になるアセスメントが十分確立されていない。相も変わらず医学モデルに基づく“治療”、“療育”という考え方が強く、「社会生活モデル」に基づく、その人の自己実現を図るという発想が十分でない。そのことは先に述べた中央集権的機関委任事務体制の文化的名残りであり、かつ憲法第25条に基づく最低限度の生活保障を保証してあげるというパターナリズムを払しょくできていないからである。
〇今や、ICF(国際生活機能分類)の考え方に基づき、福祉機器等を活用してその人の生活環境を改善したらどうなるかという視点からのアセスメントも重要になってきている。
〇第2には、社会福祉の実践現場は、施設最低基準などの制約があり、ややもすると新人職員と言えども“一人前”の扱いを受けて、勤務シフトに配属され、事実上OJT―オン・ザ・ジョブ・トレーニング(職場での実務を通じて知識やスキルを習得させる育成方法)が実施されてない。
〇また、同じような理由から職員の資質を向上させる一つの方法であるメンター制度(経験豊富な先輩社員・メンター・が後輩シャインのキャリア形成や悩み解決法をサポートする社内制度)なども導入されていないのが大方である。
〇今日では、社会福祉士、介護福祉士の国家資格が出来てから約40年近くの歴史を経て、多くの社会福祉従事者が資格を有する時代になってきている。
〇先に述べた虐待事案において、国家資格の有資格者が虐待を起こしているのか、それとも資格を有していない人が虐待を起こしているのかの分析まではしきれていない(障害者分野では、虐待を起こした職員の就労形態別調査では、正社員、パート等において虐待がおこされていて、派遣労働者等の件数は少ない。しかしながら、国家資格の有無による虐待件数の調査は見当たらなかった。高齢者分野においてもこの項目は見当たらなかった)。
〇資格を有していない人が虐待問題を起こしていてもしょうがないという訳ではないが、資格を有している人でも虐待を起こしているかもしれないという問題点をここでは指摘しておきたい。
〇つまり、現在の国家資格は、社会福祉制度などに関わる座学で学べる部分と実習によって習得できる部分で教育課程は構成されているが、筆者は圧倒的に実習が少ないと考えている。
〇社会福祉士の国家資格の受験資格を得られる通信制の養成機関では、出題科目である講義科目についての履修は求められず、相談援助に関する演習と実習が課せられている。
〇この考え方は、講義科目は当然国家試験に出題されるので、その理解の程度を計ることは国家試験で行えばいいのであり、その国家試験をクリアできなければ合格できないので、それで一種のスクリーニングが行われているという考え方である。
〇しかしながら、相談援助に関する技術は演習で見に着けなければ習得できないので、必修にすると言う考え方だった。当時の厚生労働省の高官はそのことを明言していた。
〇そうだとすると、社会福祉系大学などの養成校の通学生の講義科目についても同じことがいえるので、もっと選択の幅を増やして、負担を軽減し、その分演習や実習によって、座学で得られない実践力の取得に努めるべきではないか。
〇同じようなことは、社会福祉職員研修においてもいえることで、知識の量を増やす、新しい知見を身に着けることを目的とした講義を聞くという承り研修はe-ラーニングでも行うことができるので、対面での研修は少なくし、その分事例に基づき、その事例で起きた現象がどのような要因から出されてきたのかをアセスメントし、其の問題を解決する援助方針を立て、どのようなサービス、どのような支援を行うべきかのケアプランを作成するアクティブラーニングを質量ともに増やすことが必要ではないか。それを行わない限り、“知識はあるけれど、対応ができない”という状況はなくならないし、国家資格を有していても虐待事案を起こすことになる。
〇ただ、このような事例に基づきコンサルテーションを行える大学の教員がどれだけいるかが大きな問題である。
〇第3には、医学部の入試において面接が重要な位置と役割を担ってきていることが評価されている。
〇社会福祉系大学において、社会福祉従事者の個人的資質を問う受験生の面接を行って、ソーシャルワーカー、ケアワーカーとしての適性を弁えるという取り組みをしている大学がどれだけあるのだろうか。
〇日本社会事業大学でも、面接を実施して社会福祉従事者としての資質を見抜くという課題は大きな問題であった。かつては、受験生全員の面接が行われていたが、大学経営と受験生の増大という課題の前に面接は受験科目から姿を消した。今、思い起せば、対人に関わることは受験における面接が亡くなっただけでなく、新入生のオリエンテーションキャンプ、3年次進学時のインテグレーションキャンプといい、対人関係を培う行事はカリキュラムから姿を消している。ソーシャルワーク関係の教員がその重要性を指摘し、順守することができず、教員の負担軽減という名の下で姿を消している。このような状況で、学生はソーシャルワーク機能に必要な実践力を高めることができるのであろうか。
〇職員個人的資質の面で言えば、怒りやすい、すぐ切れるとか言った問題は、全体の問題でもあると同時に、すぐれて個人的資質の問題でもあるので、アンガーマネージメントの研修を受けるとか、コーチングを受ける機会を増やすとかして、職員本人の「外化」の機会や「内省」の機会を持つことも重要である。

ⅳ)社会福祉施設最低基準等の見直しと福祉機器を利活用した職員の負担軽減、利用者のQOLの向上
〇虐待の問題は、福祉サービス利用者に対するケアワーカーやソーシャルワーカーの配置基準が劣悪であるからとか、労働条件が悪いから起きるというという労働環境劣悪説を唱える人もいるが、事柄はそう単純なものではない。
〇しかしながら、十分な労働環境が保障されず、気持ちの余裕もなくなり、身体的にも疲労が蓄積されている時に、虐待が起きやすいことは想像するのに難くない。
〇虐待案件の調査でそのような視点での分析が今後必要になるのではないか。しかし、ここではそれについては触れない。
〇虐待の問題と職員の労働環境の悪さとの直接的相関性をいうことは簡単にはできないが、先に述べたように「ユニットケア」で「個別ケア」を徹底している社会福祉施設ではサービス利用者も家族も大変評価していること、並びにその「ユニットケア」で働いている職員の離職率が全介護事業所や全国社会福祉施設経営者協議会に加盟している事業と比較して、離職率が特段に低い事を考えると、それは施設最低基準に問題があるというより、先述したような施設の経営方針等に由来していると考えるのが妥当であろう。
〇とはいうものの、施設最低基準が見直され、福祉サービス利用者の空間的生活環境の整備が整えられ、集団的、画一的ケアの提供ではなく、サービス利用者の生活リズムに合わせた支援が可能となるような施設最低基準の見直しは確かに今後必要であろう。
〇現在、厚生労働省は高齢者分野での介護ロボット、見守りセンサー等のICTや福祉機器を活用しての「介護労働生産性向上センター」を設置する政策を進めていると同時に、「LIFE」といった介護現場のデータ化によるケアの科学化を進めている。
〇他方、障害者分野でもICTを活用した「障害者ICTサポートセンター」を設置して、障害者本人の生活の利便性を高めると同時に、社会福祉職員の負担軽減を図っている。
〇これら福祉機器の利活用は、職員の負担軽減のみならず、利用者のQOLの向上にも連動している重要な取り組みである。
〇しかし、それ以上に重要なのは、介護ロボットの利活用もさることながら、介護現場に介護リフトを導入することである。人力による抱え上げをするのではなく、介護リフトを利活用することによって、福祉サービス利用者の不安感は軽減するし、職員の腰痛予防にもなる。結果的に利用者と職員との会話の時間も増えるということも考えると、施設最低基準の人員配置基準の見直しのみなら、従来の人力による介護をするという福祉文化を変えることが今最も重要に取り組み課題である。
(2025年3月2日記)

(注記)
本連載は、日本社会事業大学同窓会北海道支部の求めに応じて執筆したものである。連載は、「老爺心お節介情報」第51号、第52号、第59号、第61号、第66号が初出である。

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

阪野貢先生のブログには、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーがあり、その「アーカイブ(1)著書」の中に、阪野貢先生が編集された「大橋謙策の電子書籍」があります。
第1巻「四国お遍路紀行・熊野古道紀行―歩き来て自然と生きる意味を知るー」、
第2巻「老爺心お節介情報―お変わりなくお過ごしでしょうかー」、
第3巻「地域福祉と福祉教育―鼎談と講演―」、
第4巻「異端から正統へ・50年の闘いー「バッテリー型研究」方法の体系化―」
第5巻「研修・講義録―地域福祉の過去から未来へー」
が収録されています。ご参照ください。

老爺心お節介情報/第65号(2025年2月22日)

「老爺心お節介情報」第65号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第65号を送ります。
ご自愛の上、ご活躍下さい。

2025年2月22日  大橋 謙策

<梅の香で 頌寿を祝う 日和かな> 兼喬

〇立春を過ぎたというのに、余寒が厳しいこの頃です。皆様にはお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇私の方は、2月はじめの金沢への出張先のホテルで、加湿器もつけず、マスクもせずに寝た結果、喉を痛め、風邪を引き、3週間近くすぐれませんでした。他方、正月明けに寝違えたのか、左腕の筋が痛く、時々筋に“電気が走る”といった痛さがあり、寝返りもままならない状況でしたが、漸く治り、ほぼ日常に戻りました。 (2025年2月22日記)

Ⅰ 人口減少・超過疎の超小規模町村の“地域”福祉を考える

〇2月19日、長野県木曽郡の郡内社会福祉協議会役職員研修に参加してきました。連日、気温が零下7度C、零下10度Cの寒さの中、「過疎山間地域の福祉事業の未来について考える」がテーマでした。
〇四国の中で、一番面積が広い、かつ高齢化が進んでいる徳島県三好市地区で、日本地域福祉学会地域福祉優秀実践賞を受賞した社会福祉法人池田博愛が中心になって進めている社会福祉事業者連絡会は三好地区40事業所が参加をして、福祉人材確保や地域づくりに取り組んでいる実践ですが、当日はその実践を聞いた後、木曽郡内の社会福祉協議会、施設社会福祉法人が参加してシンポジュウムを行いました。
〇木曽郡内の人口は、王滝村が715人、上松町が4131人、大桑村が3439人、木曽町が10584人、南木曽町が3915人、木祖村が2692人の郡内計で23896人です(木曽郡の面積は香川県の面積と同じです。三好市は木曽郡内の人口規模とほぼ同じです)。
〇シンポジュウムには、長野県下伊那郡の売木村(人口548人)、泰阜村(人口1542人)、天龍村(人口1178人)や、南佐久郡の南相木村(人口962人)も参加され、さながら「超小規模町村の福祉サミット」の感がありました。
〇1990年代末から、町村社会福祉協議会は介護保険事業にシフトし、地域福祉の展開がおろそかになっていた状況の中での、人口減少、介護サービス利用者の減少、訪問介護報酬の減額化、福祉人材確保が困難となり、“社会福祉協議会はどう生き残れるのか”、“介護保険サービスは提供できるのか”、引いては“地域は消滅するのか”が大きな論議の中心でした。
〇詳しくは、長野県社会福祉協議会から報告書が出るでしょうから、とりあえずの一報はこの程度にとどめておきます。
〇3月26日には、長野県下伊那郡内の南信州を会場に、同じように「過疎山間地域の福祉事業の未来について考える」をテーマにシンポジュウムが開かれるとのことです。
〇長野県下伊那郡は、1966年の私が日本社会事業大学の3年時の春休み(当時21歳)に実習させて頂いた町村で、阿智村では岡庭一雄さん(永らく阿智村村長を歴任)宅に泊めて頂き、岡庭公民館主事、園原保健婦(当時)、生活普及改良員等の皆様と一緒に、地域講座に参加させて頂いた思い出の地域です。その実習が私のある意味、地域福祉実践の原点です。
〇その後、私は喬木村公民館で、当時の小渋川開発をどう受けとめるかという地域課題、松川町での第1回健康福祉祭りなどの事業に関わる実習を行いました。
〇3月26日には、30年振りぐらいの訪問になります。

Ⅱ 本の紹介―『社会的処方』(西智弘著、学芸出版社、2000円、2020年

〇医療の世界では、長らくevidence based medicine が標ぼうされてきた。その医療の世界でも、最近では患者その人の生きざま、希望、物語を大事にするnarrative(物語)診療をうたう診療所も富山県南砺市や仙台市などで開業されてきている。
〇そのような中、social prescribing(社会的処方)という考え方が登場してきている。日本では、栃木県宇都宮市医師会に「社会的処方部」が開設されているし、岩手県釜石市でも「社会的処方」を推進している。
〇social prescribing(社会的処方)という考え方は、イギリスのNHSのプライマリケア領域で取り上げられ、2016年にはイギリスで全国的なネットワークが構築され、100以上の取組機関が加盟し、活動を展開しているという。
〇私は、1970年代に東京大学医学部の丸地先生等とプライマリケアの研究会をしていたが、その当時からWHOなどではこの考え方に関心を寄せていた。
〇千葉大学医学部の近藤克則先生(元日本福祉大学教授)たちも、“地域活動している人ほど認知症になりづらく、地域活動のリーダーほど認知症になっていない”という疫学調査を発表しているが、まさにその通りである。
〇高齢者には、“今日は要がある(教養)し、今日行くところがある(教育)”という“教養教育”が必要だと言っているのは、まさにその通りなのである。
〇『社会的処方』(西智弘著、学芸出版社)は、高齢者の孤独・孤立を防ぎ、認知症予防になるとともに、住民主体の地域づくりの重要性、必要性を実践的に述べている。
〇コミュニティデザイナーを標ぼうしている山崎亮さんも推薦している。
(2025年2月22日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

阪野貢先生のブログには、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーがあり、その「アーカイブ(1)著書」の中に、阪野貢先生が編集された「大橋謙策の電子書籍」があります。
第1巻「四国お遍路紀行・熊野古道紀行―歩き来て自然と生きる意味を知るー」
第2巻「老爺心お節介情報―お変わりなくお過ごしでしょうかー」
第3巻「地域福祉と福祉教育―鼎談と講演―」
第4巻「異端から正統へ・50年の闘いー「バッテリー型研究」方法の体系化―」
が収録されています。ご参照ください。
なお、ブログの右サイドバー(カラム)の下段に表示されております「大橋謙策研究」第1巻~第4巻の表示から開くこともできます。

古川 彩/パレスチナのオリーブ

パレスチナのオリーブ

古川 彩


一粒の種
100本の木
10000粒のオリーブの実
オリーブの油
パレスチナ人の血を流れ
ガザの地を潤す

一粒の弾丸
100本のちぎれた手足
10000戸の消えた家族
クーフィーヤの抵抗
パレスチナ人が血を流し
ガザの地が枯れた

種を蒔いた
子どもの灰を撒いた
木を植えた
木が燃えた

あそこがわたしの畑です
指をさした
あそこで家族が身を裂かれました
手を合わせた

吹っ飛んだ我が家の跡で
袋に集めた瓦礫
「父さんの血がついてるんだ」

見開かれたままの黒い瞳
引き結んだ小さな口
少女たちは歌う
わたしたちはパレスチナ人
世界はわたしたちを
忘れてしまった

ホロコーストがライブ中継される
次の瞬間
勇敢な市民の腕とスマホが飛び散った
あまりに無惨な赤色に
思わずブラウザを閉じた
あまりに悲惨な空の下
祈り虚しく命を閉じた

「刺激的な映像が含まれています
ミュートしますか」
無機質な文字
世界にミュートされたオリーブの地で
叫ぶ有機の命の灯
世界がブロックした
彼の地の慟哭

ひっそりと消した
検索履歴
堂々と消えた
虐殺の歴史

地を焼き
知を燃やし
核を抱き
学を砕く

オリーブの油したたる
豊かな大地に
ジェノサイドの生き血が
染み込んでいく
世界の了解のもとに
命をひねりつぶす
昨日も今日も

一粒の種
100本の木
10000粒のオリーブの実
オリーブの油
パレスチナ人の血を流れ
ガザの地を潤す

一粒の真実
100本の報道
10000人の忖度なき声
クーフィーヤの誇り
パレスチナ人と笑みを交わし
ガザの地にオリーブが実る日

クーフィーヤ:パレスチナの伝統的スカーフ。

備考:この詩は、直接の加害者であるイスラエルに対する怒りもさることながら、今もリアルタイムで実行されつつある「虐殺」を見ないことにして暗黙の承認を与えている--あるいは「ひどいことをするもんだ」とコタツでお茶を飲みながらテレビのニュースを見、さてと、とスイッチを切って日常の生活に戻る--私たち一人ひとりの良心に向けられているのです。だからこそこれを読んだわたしは「パレスチナ人と笑みを交わし/ガザの地にオリーブが実る日」まで「10000人の忖度なき声」の一人でありたいと願うのです。(村上 進)


出典:古川 彩「パレスチナのオリーブ」『農民文学』第338号(2025,1)、日本農民文学会。
謝辞:転載許可を賜りました古川 彩さんと日本農民文学会に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所:田村禎章、三ツ石行宏


阪野 貢/「組織文化」の形成と変革 ―野中郁次郎ほか著『失敗の本質』のワンポイントメモ―

〇またまた私事に渡ることをお許し願いたい。筆者(阪野)は先日、市民福祉教育研究所の主宰の一人である田村禎章先生と、研究所の現状と課題などについて話す機会があった。そこでの話題のひとつは、研究所はオンライン組織であるが、それゆえの可能性と限界、メリットとデメリットなどがあり、その点をめぐって議論するなかで「組織」の今後のあり方について考える必要がある、というものであった。その折、筆者は、野中郁次郎(のなか・いくじろう)ほか著『失敗の本質―日本軍の組織論的研究―』(中公文庫版・改版、2024年12月。以下[1])を読んでいた。
〇野中は 「知識経営(ナレッジマネジメント)」(個人が持つ知識やノウハウを組織的に共有・活用する経営手法)の生みの親として知られる経営学者である。2025年1月に鬼籍に入(い)られている。享年89。野中らによる[1]は、そのカバーに「累計100万部突破 戦後80年。私たちにはまだこの本が必要だ」とある。1984年5月初版のロングセラーである。
〇[1]の最大のねらいは、「大東亜戦争における諸作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗ととらえ直し、これを現代の組織にとっての教訓、あるいは反面教師として活用すること」にある。いうまでもないが、「大東亜戦争の遺産を現代に生かすとは、次の戦争を準備することではない」(23ページ)。すなわち、[1]は、「大東亜戦争における日本軍の作戦失敗例からその組織的欠陥や特性を析出し、組織としての日本軍の失敗に籠められたメッセージを現代的に解読する」(26ページ)のである。
〇[1]は、「日本軍の最大の失敗の本質は、特定の戦略原型(パラダイム)に徹底的に適応しすぎて学習棄却ができず自己革新能力を失ってしまった」(395ページ)ことにあるという。すなわち、こうである。日本軍は、過去の成功事例に過度に適応し過ぎる(縛られる)「過剰適応」によって、環境の構造的な変化に対して「自らの戦略と組織を主体的に変革するための自己否定的学習ができなかった」(393~394ページ)。つまり、新たな環境変化に「もはや無用もしくは有害となってしまった既存の知識を捨てる学習棄却(unlearning)ができなくなり」(369、411ページ)、組織としての自己革新能力を持つことができなかったのである。過剰「適応は適応能力を締め出す」(adaptation  precludes  adaptability)のである。(349ページ)
〇そしてまた、「日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、多分に情緒や空気が支配する傾向がなきにしもあらずであった」(283ページ)。すなわち、「人間関係を過度に重視する情緒主義や、強烈な使命感を抱く個人の突出を許容するシステム」(30ページ)が存在した。そうした「空気が支配する場所では、(科学的思考が、組織の思考のクセとして共有されるまでには至らず)あらゆる議論は最後には空気によって決定」(283、284ページ)されたのである。
〇[1]における鍵概念のひとつに、「自己革新組織」「組織文化」「組織学習」がある。[1]はそれらの概念を用いて、日本軍の失敗の本質に迫るのである。下記の「自己革新組織の原則」の理解を促すためにまず、それぞれの概念規定の一文を引いておく。

「自己革新組織」
一つの組織が、環境に継続的に適応していくためには、組織は環境の変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革することができなければならない。こうした能力を持つ組織を、「自己革新組織」という。(348ページ)
「組織文化」
組織文化とは、組織の過去の環境適応行動の結果として組織成員に共有されるに至った、規範的な行動の仕方である。(346ページ)/組織文化(organizational  cultures)は、組織が環境に適応した結果、組織成員に明確にあるいは暗黙に共有されるに至った行動様式の体系、をいう。(370ページ)
「組織学習」
組織は学習しながら進化していく。つまり、組織はその成果を通じて既存の知識の強化、修正あるいは棄却と新知識の獲得を行なっていく。組織学習(organizational  learning)とは、組織の行為とその結果との間の因果関係についての知識を、強化あるいは変化させる組織内部のプロセスである。(367ページ)

〇[1]では、「日本軍の失敗に籠められたメッセージの現代的解読」(33ページ)として、「自己革新組織の原則」が明確かつ体系的に整理される。[1]のポイントであり、メモっておくことにする(抜き書きと要約)。

自己革新組織の原則
自己革新組織とは、環境に対して自らの目標と構造を主体的に変えることのできる組織である。(393ページ)/自己革新能力のある組織は、以下にのべるような条件を満たさなければならない。(375ページ)

➀ 不均衡の創造
適応力のある組織は、環境を利用してたえず組織内に変異、緊張、危機感を発生させている。(中略)組織は進化するためには、それ自体をたえず不均衡状態にしておかなければならない。(375ページ)/均衡状態からずれた組織では、組織の構成要素間の相互作用が活発になり、組織のなかに多様性が生み出される。組織のなかの構成要素間の相互作用が活発になり、多様性が創造されていけば、組織内に時間的・空間的に均衡状態に対するチェックや疑問や破壊が自然発生的に起こり、進化のダイナミックスが始まるのである。(375~376ページ)
➁ 自律性の確保
自律性を確保しつつ全体としての適応を図るためには、組織はその構成要素の自律性を確保できるように組織の単位を柔構造にしておかなければならない。(379~380ページ)/小さな環境の変化に敏感に適応することができるためには、それぞれの組織単位が自律性を持つことが必要である。(中略)各組織単位が自律的に環境に適応すれば、適応の仕方に異質性、独自性を確保でき、どこかに創造的な解を生み出す可能性を持つ。(380ページ)/組織単位間の相互の影響度が軽く自由度が高いと、予期しない環境変化に対する脆弱性が小さくなる(環境変化に、より対応しやすくなる)。(380ページ)
➂ 創造的破壊による突出
組織がたえず内部でゆらぎ続け、ゆらぎ(不均衡)が内部で増幅され一定のクリティカル・ポイント(臨界点)を超えれば、システムは不安定域を超えて新しい構造へ飛躍する。そのためには漸進的変化だけでは十分でなく、ときには突然変異のような突発的な変化が必要である。したがって、進化は、創造的破壊を伴う「自己超越」現象でもある。(中略)つまり自己革新組織は、不断に現状の創造的破壊を行ない、本質的にシステムをその物理的・精神的境界を超えたところに到達させる原理をうちに含んでいるのである。(382ページ)/創造的破壊は、ヒトと技術を通じて最も徹底的に実現される。ヒトと技術が重要であるのは、それらがいずれも戦略発想のカギになっているからである。(383ページ)
➃ 異端・偶然との共存
およそイノベーション(革新)は、異質なヒト、情報、偶然を取り込むところに始まる。官僚制とは、あらゆる異端・偶然の要素を徹底的に排除した組織構造である。日本軍は、異端者を嫌った。(386ページ)/そもそも軍隊とは、合理性と効率性(官僚制組織の原理)を追求した、近代的組織、すなわち合理的・階層的官僚制組織の最も代表的なものである。(23、24ページ)/およそ日本軍の組織は、組織内の構成要素間の交流や異質な情報・知識の混入が少ない組織でもあった。(386ページ)
➄ 知識の淘汰と蓄積
組織は進化するためには、新しい情報を知識に組織化しなければならない。つまり、進化する組織は学習する組織でなければならないのである。組織は環境との相互作用を通じて、生存に必要な知識を選択淘汰し、それらを蓄積する。(388ページ)/日本軍は、個々の戦闘結果を客観的に評価し、それらを次の戦闘への知識として蓄積することが苦手だった。(389ページ)/戦略的思考は日々のオープンな議論や体験のなかで蓄積されるものである。(391ページ)
➅ 統合的価値の共有
自己革新組織は、その構成要素に方向性を与え、その協働を確保するために統合的な価値あるいはビジョンを持たなければならない。自己革新組織は、組織内の構成要素の自律性を高めるとともに、それらの構成単位がバラバラになることなく総合力を発揮するために、全体組織がいかなる方向に進むべきかを全員に理解させなければならない。組織成員の間で基本的な価値が共有され信頼関係が確立されている場合には、見解の差異やコンフリクト(葛藤)があってもそれらを肯定的に受容し、学習や自己否定を通してより高いレベルでの統合が可能になる。(392ページ)

〇要するに、「自己革新組織の原則」すなわち「自己革新できる組織の条件」は、①たえず不均衡を発生させる。②それぞれの単位で自律性を持たせる。③不断に現状の創造的破壊を行なう。④異端や偶然を取り込む。⑤新たな知識を蓄積する。⑥統合的な価値・ビジョンを共有する、であるという。
〇また、[1]はいう。「組織にも文化が形成され、それが直接あるいは間接に当該組織の成員のものの見方や行動を規定する」。「組織が新たな環境変化に直面したときに最も困難な課題は、これまでに蓄積してきた組織文化をいかにして変革するかということである」(370ページ)。そして思う。環境変化によって生じる「課題が組織を鍛(きた)える」。
〇市民福祉教育研究所のブログは開設して丸12年が経過し、新しいステージを迎えたいま、これらを私事としても心に刻んでおきたい。

 

阪野 貢/再掲/福祉教育における「共感」と「当事者性」 ―ワンポイントメモ―

〇前稿(2月1日アップ)に続いて、私事に渡ることをお許し願いたい。筆者(阪野)は例年、この時期に、雄大な富士山の景観を眺めるために朝霧高原の一角に位置する田貫湖を訪ねている。今回は、ホテルに入る前に、その近くにある日本盲導犬協会の「盲導犬の里 富士ハーネス」にお邪魔した。事前予約もしない突然の訪問であったが、親切に対応していただき、施設内のパネルや研修室のビデオなどを通して視覚障害や盲導犬について学び直すことができた。その際、筆者は、日頃は県の視覚障がい者関係団体の会長職の重責を果たしながら、冬場はスキーを楽しむなどして豊かに生きる岐阜県のSさん、マッサージ師として働きながら、聖書の学習やキリスト教の伝道活動を続ける神奈川県のKさん、福祉文化のまちづくりをめざして、障害当事者としての知恵や経験を活かして行政や社会福祉協議会の計画策定にかかわった群馬県のMさんなど、これまでお世話になった方々を思い出していた。
〇久しぶりの現場体験(見学)を通してあれこれと思い返すなかで、次のような拙稿を草することにした。ワンポイントメモである。

〇学校における福祉教育の体験学習のひとつに、学校や福祉施設などで視覚障がい者や車椅子利用者などと交流する活動がある(未だに体育館に跳び箱やマットを引いてバリアを作り、アイマスク体験や車椅子体験を行う学校がある)。その際、子どもたちにとって障がい者は、必ずしも心理的・空間的距離が近い存在ではない。そんな障がい者(とりわけ重度の障がい者)にはじめて接した子どもたちは、戸惑い、驚き、ときに不安や恐怖を感じることがある。事前学習がなされていても、である。そこでは一般的には、教師から教わった理念的で情動的な「共感」や「思いやり」の感情や態度・行動と一致するものでないことが問題視される。それが、相手の他者性や固有性を無視した、高慢で一方的な共感や思いやりの強要であり、しかも自己否定にもつながることに理解が及ばない。
〇ここで重視されるべきは、教師や施設職員、あるいは友だちのそれとは別物の感情や態度・行動である。共感できないことや、期待される思いやりの態度・行動がとれないことどもについて理性的・認知的に考えることである。ポール・ブルーム(Paul Bloom)の言葉を思い出す。「共感には善玉と悪玉がある」「共感(情動的共感)は愚かな判断を導き、無関心や残虐な行為を動機づけることも多い」「共感は道徳的指針としては不適切である」(ポール・ブルーム著、高橋洋訳『反共感論―社会はいかに判断を誤るか―』(白揚社、2018年2月、9、20ページ)。共感や思いやりはときに、限定的であり、それができない人をなおざりにして排除や分断を生むのである。いわゆる「限定的共感」「排他的共感」と言われるのがそれである。

〇また、福祉教育はこれまで、「当事者性」を視座にし、その涵養や育成を大切にしてきた。それは、障がい者と交流する子どもたち(障がい者にとって他者)が、障害のある「当事者」をどのように認識・理解し、その関係性をどれだけ深めたかを示すものである。
〇松岡廣路によれば、当事者性とは、「個人や集団の当事者としての特性を示す実体概念というよりも,『当事者』またはその問題的事象と学習者との距離感を示す相対的な尺度」、「『当事者』またはその問題との心理的・物理的な関係の深まりを示す度合い」(松岡廣路「福祉教育・ボランティア学習の新機軸―当事者性・エンパワメント―」『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』Vol.11、2006年11月、18ページ)をいう。ただ、それは、「当事者―非当事者」という二項対立的な考え方を解消するものではない。周知の通り、二項対立的な思考は、議論における相違点や対立点を鮮明にするが、その半面、議論に参加する人々の立場や立ち位置を硬直化させ、議論それ自体を不毛なものにしてしまう危険性がある。思考停止を生むことにもなる。
〇また、当事者が抱える諸問題は、当事者だけで引き受ける・引き受けられる問題ではなく、現代社会の課題であり、社会全体で引き受けるべき問題である。とすれば、「すべての人が当事者」であるという視点が重要にもなる。
〇すなわち、子どもと障がい者との交流実践の場においては、子どもも障がい者も、教師も施設職員も、その立場として当事者であり、当事者性を持っているのである。と同時に、互いに「他者」であり、他の当事者とは異なる視点・視座による「他者性」を持つのである。そして、そこで問われるのは、子どもと障がい者の知識と経験(知識 × 経験)、教師と施設職員の専門性と経験(専門性 × 経験)であり、その相互補完性である(下図参照)。
〇なお、「経験」は、「体験」が行為(意識的・目的的な行動)そのものを指すのに対して、それを通して得られた気づきや学び、知識や技能などの総体をいう。

〇以下は、「富士ハーネス」を訪れた際に拝受したリーフレットとパンフレットの一部である。ご承諾を得て転載させていただく。本ブログの読者の皆さんと共有したい。

日本盲導犬協会

盲導犬の里  富士ハーネス

阪野 貢/岡崎乾二郎の『而今而後』を読んで思ったこと:“ 管理される公共性 ” ―我田引水の言―

〇私事に渡ることをお許し願いたい。筆者(阪野)は先日、岡崎乾二郎(おかざき・けんじろう)の『而今而後(じこんじご)―批評のあとさき』(亜紀書房、2024年7月。以下[1])を読んでいた。そんな折、わずかな時間ではあったが、福祉教育の実践・研究に打ち込む新進気鋭のT先生と懇談する機会に恵まれた。そこでの話は、最近の大学事情をはじめ、筆者が追究してきた「まちづくりと市民福祉教育」をめぐる実践や研究の現状や課題等々にも及び、有意義なものとなった。
〇岡崎は、著名な造形作家、批評家である。[1]の  “ 帯 ”  には、「而今而後(=いまから後、ずっと先も)の世界を見通し、芸術・社会の変革を予見する。稀代の造形作家の思想の軌跡を辿り、その現在地を明らかにする、比類なき批評集」と記されている。そして、哲学者の柄谷行人(からたに・こうじん)が、「岡﨑乾二郎は稀有な存在である。彼にあっては、芸術制作と哲学的認識、自身の生活と社会運動が一つになっている」と評している。
〇また、フランス文学者の郷原佳以(ごうはら・かい)にあっては、[1]は「広い意味での、否むしろ原初的な意味でのメディア論の集成と言える。とはいえそれは、本書でまんがや映画、絵画や建築、音楽など、幅広いメディアの芸術が扱われているという意味ではない。四〇年近くにわたる著者の膨大な批評が、近代的なメディア観を一掃しているということである」(https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/reviews/20240917-OYT8T50054/。最終閲覧日:2025年2月1日)。
〇全くの門外漢の筆者が、そんな[1]の言説やメッセージを読み解くことはそもそも不可能である。よしんば多少読み込んだとしても、それを活かすことなど叶(かな)うはずもない。そんな思いを持ちながら、T先生と別れた後、改めて[1]をパラパラと読んでみた(見てみた)。そのときに目に留まったものに、パブリック(公)とプライベート(私)をめぐって論じる一文―「雨の中に流れる涙。――“ PUBLIC ART ”の『領域』」がある。その一節はこうである。

何事のおはしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる
――よく知られた、伊勢神宮(内宮)を歌った西行の(ものとされている)一句。
そこに何があるかはわからない、けれどもかたじけなさ(恐れ多い、申し訳ない気持ち:阪野)がこみあげてきてたまらず、涙が流れる。パブリック(公)と言われる概念のつかみどころのなさを言い当てた、これほどの言葉はおそらくない。(中略)
パブリック、日本語にすれば公と呼ばれる概念は、ひどく誤解されている。たとえば、お上の意見は決して公の意見ではないし、無論衆目の一致が、公たる条件ではない。おおよそ国家であろうと国際連合であろうと=公であるわけではない。(中略)
国家をも超える、公の価値とは、個々人の主体の内側に抱え込まれるところのもの――それはたとえば人権と呼ばれる――にある。国家よりも個々人の抱える権利こそ、守るべき、公の価値たりうるというのは、それこそ憲法の基本である。(中略)
アーティストのヴィト・アコンチが、「公園の<公>園たる由縁は、そこにホームレスが住居をもうけ、アベックが人目を避けつつ交接し、ときに違法な商いや犯罪の現場になりうるゆえにである」と、あえて言わなければならなかったのは、世間がパブリックなスペースについて抱く誤解――そこは市民全員の利害および精神の一致を示す共有の場である――が、はびこっているからだった。しかし、もし、そういう市民全員の意志と生活が一つに集う幸福の場として公園を成り立たせようとするならば、かつて新宿西口広場で警官が連呼していたように「他の人の迷惑になります。ここで立ち止まらないでください」と言いつづける逆説に行き着くほかはないだろう。集団的な同調と幸福は相性が合わないし、管理によってのみ確保される公共性も公共性ではありえない。規律と強制によっては、かたじけなさも涙も得ることはできない。(232~235ページ)

〇筆者はこれまで、いわゆる「関係人口」として、地域福祉(活動)計画などの策定活動や福祉教育の研修・委員会活動などを通して、多くの地域に関わってきた。その際、<つかみどころのない>「公」について、提示し、議論してきたか。個々の住民の<抱える権利こそ、守るべき、公の価値たりうる>ものとして位置づけ、それを議論し、追求してきたか。それぞれの地域やそこに暮らす住民一人ひとりの<集団的な同調と幸福>を、「まちづくりと市民福祉教育」の名のもとで強要してきたのではないか。一人ひとりの住民の考えやそれに基づく行動を、一方向に誘導・規制してきたのではないか(それを期待したのではないか)。そして、それらは、意図的ではないにしろ結果的に<公共性>を<管理>することになっていた(なった)のではないか。
〇交流サイト(SNS)で雑多な人たちから支持を集め、厚顔無恥な振る舞いを続けるある自称政治家の顔がちらつく。警察官の<立ち止まらないでください>という声を背に、その歩を進める動員型とも言われるボランティアのある一団が思い浮かぶ。彼らには、昨日を振り返り、今日を確認し、明日を展望するわずかな時間さえも与えられず、ただ忙しそうである。そんな彼らに対しては、<かたじけなさに涙こぼるる>ことはない。
〇そんな思い・想いのなかで、岡崎の次の一節を見出した。「公共」という概念は、「特定の誰にも所属しない(誰のものでもない)がゆえに、誰にでも開かれているという点において、ユートピアという概念の実践的な展開として捉えることができる」(502ページ)。いまさらではあるが、改めて問い直してみたい言説でもある。
〇そして、我田引水の、また自分勝手の極みではあるが、T先生をはじめ本ブログの読者の皆さんには、「公共性」と「まちづくりと市民福祉教育」について議論していただきたいと思う。

大橋謙策/大橋謙策研究 第4巻:異端から正統へ・50年の闘い

 


 

目  次

Ⅰ 「バッテリー型研究」方法の体系化‥‥‥2

 1 「実践的研究書」『地域福祉の展開と福祉教育』(1986年9月)‥‥‥2

 2 「バッテリー型研究」『地域福祉とは何か』(2022年4月)‥‥‥7

Ⅱ 「社会事業」の復権とCSW(最終講義)‥‥‥12

Ⅲ 「社会福祉学」の研究方法と学び方‥‥‥36

 1 社会福祉学研究方法と研究組織に関する小稿‥‥‥36

 2 『社会福祉学の学び方』‥‥‥40

Ⅳ 地域福祉実践・研究とそのスタイル‥‥‥43

 1 研究の枠組みと方法‥‥‥43

 2 日本文化と福祉文化‥‥‥44

 3 研究者の立ち位置と地域福祉実践・研究‥‥‥45

 4 「バッテリー型研究」と「関係人口」‥‥‥46

 5 日本地域福祉研究所と研究者文化‥‥‥47

Ⅴ 岡村重夫の「社会福祉学」に学ぶ‥‥‥48

Ⅵ 小川利夫の『硯滴(けんてき)』に学ぶ‥‥‥58

1


Ⅰ 「バッテリー型研究」方法の体系化

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1 「実践的研究書」『地域福祉の展開と福祉教育』(1986年9月)


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出典:大橋謙策「まえがき」『地域福祉の展開と福祉教育』全国社会福祉協議会、1986年9月、ⅰ~ⅴページ。

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2 「バッテリー型研究」『地域福祉とは何か』(2022年4月)


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出典:大橋謙策「まえがき」『地域福祉とは何か―哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク―』中央法規出版、2022年4月、ⅰ~ⅴページ。

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Ⅱ 「社会事業」の復権とCSW(最終講義)

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出典:大橋謙策「最終講義 『社会事業』の復権とコミュニティーソーシャルワーク」『日本社会事業大学研究紀要』第57集、日本社会事業大学、2011年2月、19~42ページ。

35

 


Ⅲ 「社会福祉学」の研究方法と学び方

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41



出典:『大橋謙策主要論文等(2019年~2023年)』大橋ゼミ50周年ホームカミングデー実行委員会、2023年10月、39~45ページ。

42

 


Ⅳ  地域福祉実践・研究とそのスタイル

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1 研究の枠組みと方法

〇去る2023年10月28日に行われた「第8回大橋ゼミホームカミングデー」の際に、原田正樹さんと対談を行った。その時の内容を覚え書き程度であるが、記録に留めておいた方がいいと思うので書く。
〇大橋謙策の研究枠組みと研究方法は、大きく分けて5つの柱からなっている。
〇第1の柱は、自分の理論を確立する上で、乗り越えるべき先行研究者は誰かという問題である。
〇論文を書くに当たって、いろいろ先行研究を学ぶが、自分が依拠し、乗り越える理論家、研究者は誰かということは、研究を志す者にとってとても重要な課題である。
〇私は、社会福祉学分野では岡村重夫であり、教育学、とりわけ社会教育学にあっては小川利夫であった(岡村重夫理論については「岡村理論の思想的源流と理論的発展課題」『岡村理論の継承と展開 社会福祉原理論』ミネルヴァ書房、2012年、小川利夫理論については「「硯滴」に学ぶー不肖の弟子の戯言と思いー」『小川利夫社会教育論集第8巻 社会教育研究四〇年ー現代社会教育研究入門』亜紀書房、1992年を参照)。
〇研究者になる道は、自分のテーマ、研究課題に即して、誰のどの理論を乗り越えるべきかを早く掴むことが最も重要な道のりである。
〇第2の柱は、どのような研究方法を身に着けるかである。
〇我々が大学院で学んでいる時代は、研究者になるなら①その分野の原理、哲学、②その分野に関わる歴史研究、③その分野に関わる国際比較研究が出来なければ駄目だとよくいわれたものである。その教えには必死に対応しようとしてきたが、どういう研究方法を身に着けるかは、残念ながら教えてくれなかった。
〇筆者なりに開拓しようと思ったのは、社会教育学も社会福祉学も臨床的実践科学を軸にした統合科学(この用語は2000年に知ることになる)であるということを考え、現場に根差し、現場のニーズに応え、現場の実践を支援する理論仮説を提供できる研究者になろうと考えたことである。
〇結果的に、各地の自治体、社会福祉協議会、公民館をフィールドにして、そこで働く職員たちとの「バッテリー型研究」というスタイルを構築できた。この方法は、恩師の宮原誠一先生が教え子を各地の自治体に社会教育主事として送り込む実践的研究から学ぶところもあったし、次の柱で述べる恩師の小川利夫先生の実践者の組織化を行っていたことに示唆を得て、私なりに独自に作り上げたものである。
〇第3の柱は、実践者・研究者の組織化である。
〇小川利夫先生のこの点での組織化は大変素晴らしいものであった。実践家と“肝胆相照らす”関係を作り出し、様々な研究会を組織されていた。名称は定かでないが、「教育と福祉を語る集い」、「児童相談所セミナー」、「養護児童問題セミナー」等1970年代に精力的に組織し、現場で起きている問題を社会構造的に整理する研究方法には大変勉強させられた。研究会の後は必ずと言っていいほど“酒会”の場があり、そこでも談論風発の論議を行っていた。そばで見聞きし、時には“酒会”の“幹事役”や研究会の事務局を担うことで、研究者としても社会人としても大いに鍛えられた。
〇第4の柱は、大学教員としての社会活動、社会貢献活動である。
〇この分野では仲村優一先生、一番ケ瀬康子先生、三浦文夫先生、小川利夫先生などに憧れ、導かれて成長できた。
〇仲村優一先生には、日本社会事業大学の教員として日本社会福祉学会の会長、日本社会福祉教育学校連盟会長、日本社会事業大学学長、日本学術会議の会員になって、社会的に社会福祉学の社会的評価を高める活動をしなければ駄目だと言われてきた。一番ケ瀬康子先生も同様であるが、一番ケ瀬康子先生は、講演料の高いところにも行くが、時には活動を助成するために寄付金を置いてくるところにも出かけて、社会福祉の向上に努めなければならないと言われたし、小川利夫先生には、講演料を自分の生活費のために使うな、それは社会的に使えと、ことあるごとに言われてきた。三浦文夫先生には、様々な福祉財団などを紹介してもらい、その財団の助成先の選考委員、財団の評議員、理事などを勤めることの意味、意義、社会的役割について教えて頂いた。
〇このような、研究方法、研究枠組みの集大成として、私の第5の柱となる日本地域福祉研究所を1994年に設立した。
〇それは、実践と理論を循環させ、研究者の養成と組織化、実践家の組織化を図り、草の根の地域福祉実践の向上を図りたいと考えたからである。日本地域福祉研究所が毎年行った「地域福祉実践研究セミナー」もその目的の一つであった。このセミナーの分身といえる「四国地域福祉実践研究セミナー」、「房総地域福祉実践セミナー」は現在でも継続して行われている。
〇このような研究枠組みや研究方法が妥当性を持っているかどうかは他者の評価を得なければならないが、少なくとも私はこの柱を軸に60年間近く地域福祉実践・研究を行ってきたことは事実であり、後学者のためにここに記しておきたいと思った。

出典:大橋謙策「老爺心お節介情報」第55号、2024年3月30日 所収。

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2 日本文化と福祉文化

〇筆者は、高校時代に島木健作の『生活の探求』を読んで、日本社会事業大学への進学を決めた。高校の教師や親類縁者からは、なぜ日本社会事業大学のようなところを選択するのかと“奇人・変人”扱いであった。
〇そのような環境の下での日本社会事業大での学習であったが、授業内容は必ずしも筆者が望んでいたこととは違っていた。その大きな要因が、アメリカからの“直輸入”的社会福祉方法論を“金科玉条”のごとく位置づけることと、「福祉六法」に基づくサービスの提供であった。
〇その当時の社会福祉方法論は、アメリカで1930年代に確立した考え方であり、WASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)の文化を基底として成立してきた考え方、方法論であり、精神医学、心理学にかなり影響された考え方であった。
〇そのような中、筆者は日本の文化、風土に即した社会福祉の考え方、方法論があるのではないかと考え呻吟する。
〇当時、一番ケ瀬康子先生が「福祉文化」という用語を使用していくつか論文を書いており、自分の研究の方向もその方向ではないかと考え、“文化論”について研究したが、奥が深く、かつ掴まえ所がなく、その研究を中断した。

註1:一番ケ瀬康子先生は、1990年代に入り「福祉文化学会」を創立している。
註2:筆者は、2005年に「わが国におけるソーシャルワークの理論化を求めて」(『ソーシャルワーク研究』31巻第1号)を書き、中根千枝の「タテ社会論」、阿部謹也の「世間体文化論」等を援用して、日本のソーシャルワークの理論化を論証した。

〇この日本文化は根が深く、簡単に因果関係を証明できないので、研究は中断したが、常に頭にこびりついて離れない。
〇日本では、子育てする際の文化として、“禁止と命令”によって、枠にはめようとする文化がある。常に、集団的価値観が尊重され、同調志向が強く、“逸脱”したものを排除、蔑視する傾向が強い。これは、学校教育における画一的教育方法であるベル・ランカスター方式の影響でもある。是非、『6か国転校生―ナージャの発見』(集英社)を読んでほしい。
〇そのような中、筆者は、戦前の社会事業理論における精神性と物質性に関する研究を行い、そのあり方を問うことが日本の社会福祉実践、研究を変えることになると確信していく。
〇結果として、筆者は地域福祉と社会教育の連携、学際教育に関心を寄せるようになり、その実践のフィールドを公民館や社会福祉協議会に求めていくことになる。
〇ところで、筆者は自分自身としては社会福祉の研究者であり、それを岡村重夫が提唱した “社会福祉の新しい考え方としての地域福祉“(岡村重夫説・1970年)という考え方に依拠して展開しようと考えていたが、そのような筆者の研究姿勢は、多くの社会福祉学研究者には理解されず、日本社会事業大学の教員からも、”大橋謙策は社会福祉研究のプロパーではない“という批判、評価を受けた。また、日本社会事業大学の清瀬移転に際し、大学院創設の文部省への申請書を審査した某有名大学の某教授も”あなたの論文は社会福祉の論文ではない“という評価を下した。
〇そのような中、筆者は、従来の社会福祉通説とは異なる新しい社会福祉実践、社会福祉学研究を求めて、社会福祉学界への抵抗の地域福祉研究50年を送ることになる。
〇その既存の社会福祉通説への批判と新たな社会福祉実践、社会福祉研究の論題は以下の通りであった。
(1) 大河内一男の労働経済学(「我が国における社会事業の現状と将来について」昭和13年論文)を基盤とする社会福祉研究への批判
(2) 社会権的生存権保障としての憲法第25条の「ウエルフェアー」から、憲法第13条に基づく幸福追求、自己実現支援の「ウエルビーイング」への転換(1973年論文)――障害者の学習・文化・スポーツの保障、「快・不快」を基底としたケア観
(3) 属性分野で細分化された福祉サービス、福祉行政の再編成と地域自立生活支援
(4) 社会福祉施設中心主義と施設の社会化、地域化論(「施設の社会化と福祉実践」(日本社会福祉学会紀要『社会福祉学』第19号所収、1978年論文)
(5) 社会福祉の国家責任論オンリーではなく、社会保険の国家責任論と対人福祉サービスの市町村責任論との分離
(6) 社会福祉の行政責任論ではなく、経済的給付、システムづくりにおける行政責任と地域自立生活支援における住民との協働による対人援助――べヴァリッジの第3レポートの位置、1601年「Statute Charitable Uses」研究、憲法第89条の桎梏からの脱却、2008年「地域における「新たな支えあい」を求めて」(厚労省研究会報告書、2016年地域共生社会政策の前史)
(7) 社会事業における精神性と物質性――戦後の社会福祉は物質的対応で解決できると考えてきたことの誤謬ーー「救済の精神は精神の救済」(小河滋次郎、戦前方面委員の理念)
〇筆者は、1984年に書いた論文で、社会福祉研究者、社会教育研究者は“出されてきた政策には敏感であるが、政策を出さざるを得ない背景には鈍感である“と述べ、住民のニーズに即応したサービスの提供、地域づくりの必要性を説いている。
〇それは、対人援助として社会福祉を提供する際に、かつ地域づくりを展開する際における住民参加と住民のニーズを基点に考えるということである。
〇従来の社会福祉行政には、住民参加の規定もなければ、住民の相談、ニーズを「社会福祉六法体制」の基準に該当するかどうかを判定することや、措置行政の枠組みの中でサービスを提供すれば良いという考え方に対する批判でもあった。
〇そのような中、1970年代に、なぜ市町村社会福祉行政は計画行政でないのか、また、地方自治体の社会福祉施設整備計画がないのかを問い、市町村ごとに社会福祉計画を立案する必要性を説いた。
〇1980年には「ボランティア活動の構造」という図を示し、一般的隣近所の紐帯を強める地域づくり活動、地域にいる福祉サービス利用者を支える地域づくり、それらを社会福祉計画策定により解決していくという「自立と連帯に基づく社会・地域づくりのボランティア活動の構造」という図を作成した。
〇児童福祉法には市町村に児童福祉審議会を設置することが「できる」規定があり、かつ、民生委員法第24条に規定される意見具申権という規定、考え方を基に、当時、いくつかの自治体において、住民参加を保証する「社会福祉審議会」、「地域福祉審議会」の設置を求める提案をしている。

註3:東京都狛江市は、住民参加を規定した「市民福祉委員会」を条例で1994年に設置している。同じ頃、東京都目黒区でも「地域保健福祉審議会」が設置された。筆者の地元の稲城市では1980年代初めに「社会福祉委員会」を設置するが行政による要綱設置であった。東京都豊島区でも要綱設置であった。

〇このような住民参加による、住民のニーズに対応したサービスの提供という考え方が、多くの社会福祉行政、社会福祉従事者に共有されていれば、少なくとも“虐待”が起きる社会的背景、構造は違ってくる。
〇しかしながら、現実は、そのような住民のニーズにこたえて、住民参加で社会福祉施設が作られたわけでなく、かつ、その社会福祉施設は措置行政によって、長らくサービス利用者を“収容保護する”という構造のなかで、“閉ざされた空間”に置いて福祉サービスが提供されるという構造の中で“虐待”事案として発生する。
〇社会福祉施設が、1978年に書いた論文のように、地域に開かれ、地域住民の共同利用施設として位置づけられ、運営、経営されているならば、“虐待”という事案は少しは防げるのではないだろうか。

出典:大橋謙策「老爺心お節介情報」第51号、2023年12月18日 所収。

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3 研究者の立ち位置と地域福祉実践・研究

〇私は、1960年代、東京都三鷹市で中卒青年等を対象とした青年学級の講師を約10年間担当した。その際に、青年たちから投げかけられた言葉はいまでも忘れられないし、忘れてはいけないと“自虐”的と思えるほど意識して研究者生活をしてきた。
〇その言葉は“あなたたちが大学院に進み、研究できているのは我々の税金があるからではないのか。我々は、勉強したくても家が貧困で高校へも行けなかったし、大学へも行けなかった。だから、この青年学級で学んでいる。あなた方の奨学金も我々の税金で賄われているのではないのか。そいうことを考えてあなたは生活し、研究しているのかという”問い掛けであった。
〇当時は、東大紛争もあったりして、このような言葉がだされたのだと思うが、この言葉は自分にとって大変身に堪えた。そうでなくても、日本社会事業大学を進路として選択する際に、そのような考えを自分でしていたものの、直接、面と向かって、このような言葉を投げ掛けられると身に堪えた。それ以来、ディレッタンティズム(もの好き)で研究するのではなく、社会に貢献できる研究者になろうと誓った研究生活であった。
〇そんなこともあり、私は講演や研修を依頼されると、常に参加者にどのような“お土産”を持って帰ってもらうのか、参加してよかったと思える“成果”をどう提供できるのかを考えてきた。
〇また、講演や研修等の頂いた機会にその地域、その組織、その自治体から何を自分が学ぶかということを常に考えてきた。それは自分自身の学びであると同時に、参加者への“お土産”の素材を掴むことにもつながっていた。
〇その際の私の姿勢として、自分が学んだことや自分が知っている情報を“分かち与える”という、ややもすると“上から目線”になりがちな“教える”ということではなく、参加者がこれから考える糸口、課題を整理し、学びへの関心、興味を引き出せるような契機になればということを常に意識してきた。それは、言葉で優しく言うとか、言葉で励ますとかいうことではなく、参加者が主体的に考え、行動に移したいと思えるような問題の整理と課題の提起を志すことであった。
〇一方、私は1985年1月に『高齢化社会と教育』を室俊二先生と共編著で上梓した。それに収録された論文の中で、生涯教育、リカレント教育、有給教育制度等に触れながら、これからは高学歴社会と高度情報化社会が到来し、従来のような知識“分与”的、情報伝達的教育や研修は変わらざるをえないことを指摘した。
〇今、文部科学省はアクティブラーニングの必要性をしきりに強調しているが、それはかつて社会教育が青年団を中心に提唱してきた「問題発見・問題解決型協働学習」で言われてきたことと同じである。
〇このような状況のなかで、地域福祉研究者は、気軽に“地域づくり”、“地域共生社会”づくりというが、どのような立ち位置で研究し、どのような立ち位置で講演や研修に臨んでいるのであろうか。
〇他方、筆者は地域福祉実践をしている現場の方々と“バッテリーを組んで”、その地域、その自治体、その社会福祉協議会をフィールドにして研究を行ってきた。そして、その研究は一時的なものではなく、長期に亘り、継続的に関わることによって行われるべきものだと考えてきた。
〇地域に住んでいる住民は、移転、移住しようにも、先祖伝来の土地、「家」のしがらみの中で生きており、気軽に移動できない状況を十分理解しないままに、外部から入り、外部の目線で“気軽に”地域づくりを言い、短期で関わりを切ってしまう研究方法は、あたかも住民の方々を弄ぶかのように思えていたからである。
〇筆者は、1970年に現在の東京都稲城市に移住し、地域活動を始めたが、それ以降、よほどのことが無い限り、この稲城市を離れることをしまいと決意を固めた。“地域づくり”を言うということは、それだけの重みのある取組であるべきだし、そうでないと住民の方々は納得してくれないと思ったからである。現に、そのような指摘は各地で幾度も聞いたし、聞かされてきた。
〇そんなこともあり、“バッテリーを組めた地域”には、長い地域では40年間のお付き合いをさせて頂いている地域もある。
〇ところで、このような文章を書いたのは、まさに「老爺心お節介」の最たるものかもしれないが、最近目にする論文等を読んでいて、研究者自身の立ち位置を明確にしないままに、取り組まれている実践を評価、紹介しているものが多く、地域福祉研究者として“一種の研究倫理”に抵触しているのではないかと思う論文を散見するからである。全国のいい実践は、大いに紹介し、情報共有化がおこなわれてほしいが、その場合でも紹介なのか、評論なのか、自分の学説の論証に使うのか等その位置づけは明確にしてほしいものである。しかも、その実践のアイディアは誰が出したのか、参与観察をするならばどういう立ち位置で行うのかを明確にする必要がある。最近、政治学の分野で「オーラルヒストリー研究法」が活用されているが、ある政策、ある実践がどういう形で企画され、政策化されていくのかを、その過程の力学も踏まえて研究が進められている。地域福祉研究においても、同じような研究の枠組みを作る必要があるのではないかと考え、この拙稿を書いてみた。

出典:大橋謙策「老爺心お節介情報」第23号、2021年3月25日 所収。

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4 「バッテリー型研究」と「関係人口」

〇「関係人口」という定義は、緩やかにその地域とその地域づくりに関わる外部の人間として定義しても、その関係性をどういう尺度で図るのか定かでない。関りを持つ地域への訪問の頻度、回数の問題なのか、地域に関わりを持とうとしている外部人間をその地域関係者がアドバイザーや各種計画策定委員として任命しているのか、それとも関りを持とうとしている人間が自称「関係人口」と標ぼうしているのか、さらにはその地域との関りが一過性でなく、継続的に、長期的に関わる期間、スパンのことを問うているのか、必ずしも定かでない。
〇筆者が「バッテリー型研究」というのは、これら「関係人口」の考え方も含めていると同時に、その地域における地域福祉実践に関わる研究方法をも考えている。
〇社会福祉学会における研究方法、研究倫理は、リサーチ系研究における研究方法、研究倫理、あるいは個別支援に関わるソーシャルワーク実践における質的研究、研究倫理はそれなりに確立し、研究者も順守する環境が整備されつつある。
〇しかしながら、地域福祉実践、地域福祉研究における研究方法、研究倫理は必ずしも論議が進んでいないし、確立もしていない。
〇筆者は、講演や研修で招聘だけの地域の関りなのか、それともその地域の地域福祉実践に関わるコンサルテーションまでも依頼されるのか、その地域との関りを持つ際に常にそれらのことを意識してきた。
〇そして、単なる講演や研修のための招聘に留まらず、その地域の地域福祉実践の向上に自分がどう関われるのか、時には差し出がましい提案を敢えてするようにしてきた。コンサルテーションを行うにしても、“差し出がましい提案”をするにしても、その地域の住民の地域社会生活課題はなんであり、それをどう改善する地域福祉実践を展開するのかを常に考え、把握しようと意識してきた。
〇それと同時に、その地域を訪問する際には、事前に各種統計資料や既存の策定された計画を送って頂き、分析していくとか、現地に入り、地域を短時間でも案内して頂くとか、行政や社会福祉協議会の職員に何が生活課題なのかを聞く等して把握するように努めてきた。
〇コンサルテーションや“差し出がましい提案”をする場合には、自分なりに、その地域の地域福祉実践を向上させるための“実践仮説”を提示することに努めてきた。その地域の実践の“評論”ではなく、今後の発展を考えての“実践仮説”の提示である。“評論”と“実践仮説”との違いは、その地域で頑張っている人々を励まし、やる気にさせ、改革してみようと思わせるかどうかが重要な違いのポイントだと考えてきたし、“実践仮説”を提示するということはその内容、発言に責任をもつということでもある。
〇また、そのことは、どのような「関係人口」に位置づくかは知れないけれど、担当の職員が継続的関りを持ちたい(年賀状のやり取り、手紙やメールでの相談等職員が尋ねてくれば対応するという“来るものは拒まず、去る者は追わず”の精神)と思うならば、それなりに支援することを考えてきた。
〇というのも、地域の力学は複雑であり、担当の職員がいくらがんばろうとしても、“地域は動かない”場合があり、地域を対象に考える場合、“天の時、地の利、人の和”という諺通り、時期が来ないと地域を変える改革のエネルギーが充満しない場合がある。これらの時期を見誤ると、“実践仮説”ももって頑張ろうとしている職員の努力が徒労に終わるか、あるいは“組織から、地域から排除の対象”になりかねない。このことで苦労された職員を数多見てきている。地域福祉研究者はそれらのことにも目配り、気配りができなければならず、“実践仮説”という名のもとに、担当職員を“煽り、扇動し”、結果的に職員のみならず、研究者自身がその地域への“出入り禁止”を事実上申し渡される事案は数多ある。
〇筆者が関わった地方自治体において、行政との関わりは主に地域福祉計画等の行政計画のお手伝いを通し、その計画策定後、その計画の進行管理、アフターフォローを兼ねて、地域保健福祉審議会等を条例設置し、その委員長として以後関りを継続する場合が多い。
〇他方、市町村社会福祉協議会を通じての関りは、担当の職員は全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」の研修やコミュニティソーシャルワーク研修の際に出会い、意気投合して、その職員の社会福祉協議会を軸にした市町村の地域福祉実践の向上を目指して関りを持ってきたことも多い。
〇前者の場合では、岩手県遠野市、東京都目黒区、豊島区、長野県茅野市等であり、後者の場合では、東京都狛江市、富山県氷見市などがある。この両者は関りの入り口、契機は別々であるが、筆者は常に市町村行政とそこの社会福祉協議会とが共働するように仕向け、新たなシステム、サービス開発を行ってきた。それは、地域福祉は市町村という政治行政機構の最も基礎となる自治体が基盤だということを常に意識していたからである。
〇筆者が「バッテリー型実践、研究」として関係性を持った自治体は、山口県宇部市や富山県氷見市のように30年を超えるところもあるし、担当職員の熱意に絆され関係を持ち始めたが、その担当職員の人事異動や組織の上司が変わり理解を得られなくなるなどの理由から3~4年で関係性がなくなる場合もある。さらには、いったん関係が閉ざされたように思えたものが数年後に再開される場合などもあり一様ではない。
〇筆者が関わりを持ち続けたいと思い、かつ地域の関係者も持ち続けてほしいという場合でも、筆者の時間には限りがあるし、筆者が関係性も持ち、その地域の地域福祉実践を向上させるために継続的に関わっていくためには、筆者個人ではどうみても対応できない。
〇そこで、1994年12月に日本地域福祉研究所を設立し、日本社会事業大学大学院で教えた教え子たちを私のいわば“分身”として関係性のある自治体に派遣し、組織的に関係性を継続できるようにしようと考えた。それは、大学院で“頭でっかちな地域福祉論を学ぶ”ことよりも、身につく体験学習の場ではないかとも考えて、教え子たちに筆者が関係性を持っていた自治体を任せ、継続的にコンサルテーションができればと考えたからである。
〇しかしながら、筆者の思惑を理解し、思惑通りに成長してくれた人もいれば、期待にそぐわず、関係性を壊してしまったり、期待する実践家、研究者にならなかった人もいる。
〇と同時に、筆者は、その地域との関係性を“俗人的なもの”にせず、社会的に汎用性あるものとするために、関係性により作り上げられた、その自治体の地域福祉実践や地域福祉計画を記録化し、世に問うために出版するということを心掛けてきた。
〇その場合、計画レベルのものを本にしても実践的裏付け、検証がなく、単なるきれいごとの“絵にかいた餅”になりかねないので、一定の実践を踏まえた後に、計画の理念と実際という形でその自治体の実践を本として刊行するということを心掛けてきた。
〇それら実践の記録化したものを、手元にある資料だけで紹介すると以下の通りである。

① 東京都狛江市/大橋謙策編著『地域福祉計画策定の視点と実践―狛江市・あいとぴあへの挑戦―』第一法規出版、1996年9月。
② 岩手県湯田町(現・西和賀町)/菊池多美子著/『福祉の鐘を鳴らすまち―「うんだなーヘルパー」奮戦記―』東洋堂企画出版社、1998年9月。
③ 日本地域福祉研究所監修/大橋謙策・宮城 孝編『社会福祉構造改革と地域福祉の実践』(山形県鶴岡市の地域福祉の計画化と実践)東洋堂企画出版、1998年10月。
④ 富山県富山市/大橋謙策・林 渓子共著『福祉のこころが輝く日―学校教育の変革と21世紀を担う子どもの発達―』東洋堂企画出版社、1999年1月。
⑤ 山口県宇部市/宇部市教育委員会編『いきがい発見のまち―宇部市の生涯学習推進構想―』東洋堂企画出版、1999年6月。
⑥ 島根県瑞穂町(現・邑南町)/大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著『安らぎの田舎(さと)への道標(みちしるべ)―島根県瑞穂町 未来家族ネットワークの創造―』万葉舎、2000年8月。
⑦ 岩手県遠野市/日本地域福祉研究所監修、大橋謙策・ほか編『21世紀型トータルケアシステムの創造―遠野ハートフルプランの展開―』万葉舎、 2002年9月。
⑧ 長野県茅野市/土橋善蔵・鎌田實・大橋謙策編集代表『福祉21ビーナスプランの挑戦―パートナーシップのまちづくりと茅野市地域福祉計画―』中央法規出版、2003年2月。
⑨香川県琴平町/越智和子著『地域で「最期」まで支える―琴平社協の覚悟―』全国社会福祉協議会、2019年7月。
⑩大橋謙策・原田正樹監修/氷見市社会福祉協議会編集『福来(ふくらぎ)の挑戦―氷見市地域福祉実践40年のあゆみ』中央法規出版、2023年4月。

〇以上のような本としての記録は残っていないが、筆者が筆者なりに関係性をもって取り組んできた自治体として思い起すことができる自治体を列挙すれば以下の通りである。
北海道鷹栖町、遠別町、美深町、岩手県沢内村、秋田県藤里町、宮城県石巻市、千葉県鴨川市、富里市、東京都稲城市、東京都目黒区、東京都豊島区、香川県琴平町、愛媛県今治市、四国中央市、徳島県美馬市、島根県松江市、沖縄県浦添市等である。
〇上記以外に、“関係性”の中味の捉え方に関わってくるが、日本地域福祉研究所が開催してきた27回の地域福祉実践研究セミナーの開催自治体、あるいは25回の四国地域福祉実践研究セミナーの開催地、さらには18回を数える房総地域福祉実践研究セミナーなども関係性を大切して、その地域の地域福祉実践を向上させようと取り組んできた自治体ということができる。

#「関係人口」
阪野貢先生が主宰する「市民福祉教育研究所」のブログの「雑感」104号、「まちづくりと市民福祉教育」63号を参照されたい(以下に一部引用)。

〇筆者(阪野)の手もとに、田中輝美(たなか・てるみ。ローカルジャーナリスト、島根県立大学)の『関係人口の社会学―人口減少時代の地域再生―』(大阪大学出版会、2021年4月。以下[1])がある。
〇「関係人口」という用語は、高橋博之(たかはし・ひろゆき)と指出一正(さしで・かずまさ)の二人のメディア関係者が2016年に初めて言及したものである。「関係人口」とは、高橋にあっては「交流人口と定住人口の間に眠るもの」、指出にあっては「地域に関わってくれる人口」をいう。その後、田中輝美は「地域に多様に関わる人々=仲間」(2017年)、総務省は「長期的な『定住人口』でも短期的な『交流人口』でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者」(2018年)、農業経済学者である小田切徳美(おだぎり・とくみ。明治大学)は「地方部に関心を持ち、関与する都市部に住む人々」(2018年)、河井孝仁(かわい・たかよし。東海大学)は「地域に関わろうとする、ある一定以上の意欲を持ち、地域に生きる人々の持続的な幸せに資する存在」(2020年)としてそれぞれ、「関係人口論」を展開する(73~75ページ)。
〇田中は[1]で、こうした抽象的・多義的で、農村論や過疎地域論に偏りがちな(都市部における関係人口を切り捨ててしまう)関係人口論に問題を投げかけ、関係人口について社会学的な視点から学術的な概念規定を試みる。関係人口とは「特定の地域に継続的に関心を持ち、関わるよそ者」(77ページ)である、というのがその定義である。この定義づけで田中は、関係人口を、移住した「定住人口」でも観光に来た「交流人口」でもなく、新たな地域外の主体、別言すれば「一方通行ではなく、自身の関心と地域課題の解決が両立する関係を目指す『新しいよそ者』」(69ページ)として捉える。その際、地域とどのように関わるかについて、関係人口の空間(「よそ者」)とともに、時間(「継続的」)と態度(「関心」)に注目する。

出典:大橋謙策「老爺心お節介情報」第44号、2023年5月9日 所収。

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5 日本地域福祉研究所と研究者文化

〇日本地域福祉研究所は1994年12月23日に設立されました。日本社会事業大学大学院修士課程を修了した人を中心に設立しました。元東京都社会福祉協議会職員で、静岡英和大学、静岡福祉大学で教員をされた青山登志夫さん等が尽力してくれて、日本地域福祉研究所の設立ができました。
〇日本地域福祉研究所設立に際し、私は4つの設立目的を考えました。
〇第1は、新しい社会福祉の考え方である「地域福祉」の哲学、理念、実践の在り方などに関する「地域福祉」の普及・啓発でした。
〇筆者は、地域福祉実践・研究を市町村社会福祉協議会を基盤に確立しようと考えて、取り組んで来ましたが、日本の社会福祉学界では、“私のような研究領域、研究方法は社会福祉プロパーでない”と厳しい批判を受けてきました。それらの意見との戦いも含めて、「地域福祉」の考え方の普及と啓発が必要だと考えました。そのことが、従来のコミュニティオーガニゼーション、コミュニティワークに代えてコミュニティソーシャルワークという提唱になります。また、同じように福祉教育を軸とした地域福祉の主体形成理論の提唱も行ってきました。
〇第2には、地域福祉実践の向上に向けた各種研修と実践者の組織化です。
〇筆者は、全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」の講師を長らく務め、社会福祉協議会職員の研修の重要性を痛感していました。
〇その全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」が修了したこともあり、その代替機能を担えればと思いました。一時は、通信制の研修システムの構築も考えました(当時は、今ほどICTの発展・普及がない中での紙媒体による通信制を考えていました。いまなら、ICTを使ってできるかもしれません)。
〇その代わりというわけではありませんが、年1回「地域福祉実践研究セミナー」を日本地域福祉研究所が「関係人口」として深く関わり、その地域の実践にある意味影響力を持っている地域で、その地域の実践をフィールドに学習するセミナーを開催しようと考えました。名称も、“地域福祉実践セミナー”でもないし、”地域福祉研究セミナー“でもなく、「地域福祉実践研究セミナー」としたのも、実践と研究の循環を考えたからです。
〇1995年5月に島根県邑南郡瑞穂町で行われた「山野草を食べる会」に呼ばれた際に、当時の瑞穂町社会福祉協議会の日高政恵事務局長にお願いし、1995年8月に第1回を開催したのが始まりです。
〇筆者自身の瑞穂町との関りは、1981年に当時の島根県社会福祉協議会の山本直治常務理事、松徳女学院高校の山本壽子教諭の紹介で訪問したのが最初で、その後瑞穂町の福祉教育、地域づくりの支援に関わってきました(『安らぎの田舎の道標』大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著、万葉舎、2000年8月参照)。
〇第3は、地域福祉実践の記録化と出版化です。
〇筆者は、日本社会事業大学大学院で博士課程を修了し、博士の学位を取得した人にはその博士論文を単著として、刊行し、世の評価を受けるべきだと考えてきました。
〇当時、中央法規出版にお願いしました。できれば中央法規出版が全国の大学の社会福祉系の博士論文を刊行するシリーズを作ってくれればありがたいという思いも含めてお願いしました。日本社会事業大学で博士の学位を授与された野川とも江さん、田中英樹さん、宮城孝さんの博士論文は刊行されました。その後は、出版事情の悪化などもあり頓挫してしまいました。
〇これは、当時の日本社会事業大学の伝統に倣ったものです。当時の日本社会事業大学では、40歳で単著を刊行するのが、教授に昇格する基準でした。私も必死だったことが思いだされます。
〇また、当時は、出版される本の背表紙に著者であれ、監修であれ、名前が明記されるのは、ある意味研究者のステイタスシンボルでもありました。私の恩師は、そのような機会を若手に作り、論文をかくことを奨励してくれました。
〇そのような“伝統”を引き継ぎたいと考えて、博士論文の出版化を推奨してきました。
〇と同時に、日本地域福祉研究所が関わることで、全国各地の実践が向上するならば、その実践を記録化し、できれば刊行したいと考えました。研究所の設立に何かとご支援、ご協力してくれた東洋堂企画出版社(のちに、万葉舎と改名)の尾関とよ子社長(尾関社長との間を取り持ってくれたのは、1970年からのお付き合いがある手嶋喜美子元板橋区区議会議長さんである)が、この考え方に賛同してくれて、出版事情が悪くなってきている中でも、日本地域福祉研究所が関わった実践を出版化してくれました(この件は、「老爺心お節介情報」の第44号の「関係人口」の中で紹介しているので参照してください)。
〇第4は、地域福祉実践・研究者の育成の機会の提供です。
〇筆者は、地域福祉研究者は、自分のフィールドを持ち、その地域と深く関わりながら、その実践を体系化、理論化することが肝要で、“空理空論”を振りましても地域福祉実践・研究にならないと考えてきました。だからこそ、市町村自治体の地域福祉計画を作る場合でも、タスクゴールだけ華やかに、かっこよく作っても、それが具現化されなければ駄目だと考え、住民の意識変容と参加を促すプロセスゴールと地域関係者の社会福祉に関わる力学を変えるリレーションシップゴールの重要性と必要性を考え、実践してきました。
〇そのようなフィールドを持てる研究者に育てるためには、私自身が関わるフィールドに同道して学んでもらうとか、フィールドを提供して実習なり、その地域へのコンサルテーションを行う能力を身に着けてもらうことが必要だと考えてきました。
〇私自身、恩師の“カバン持ち”で、随分と全国の実践現場に連れて行ってもらいましたし、恩師の名刺に“大橋を頼む”という一筆を書いてもらって、恩師が紹介するフィールドに出かけたものです。
〇そんなこともあり、大学院生や若手の研究者にフィールドをもってもらいたくて、いろいろチャンスを提供してきました。成功した場合の方が多いのですが、失敗したことも多々あります。若い頃は、ついつい“自分ひとりで偉くなったつもり、自分は豊かな能力があると過信しがち“で、私の教えが頭に入らず、生意気な言動をとって、実質的に”退室“せざるを得ない人もありました。
〇第5は、日本地域福祉研究所で長らく地域福祉実践に貢献された方々の“たまり場”、拠り所としての「福祉サロン」の機能を持つことでした。
〇全社協の事務局長された永田幹夫先生や三浦文夫先生をはじめとして、社会福祉協議会の第一線で頑張ってこられた方々や地域福祉研究者の「福祉サロン」ができれば、ノンフォーマルな学習の場が機能できると考えました。日本地域福祉研究所の事務室とは別の階のフロアーを借り、冷蔵庫等を整備して、「土曜福祉サロン」などの開催も試みました。現役の方は忙しいけれど、たまには集い、定年退職された方はサロンに来るのを楽しみ、若手に自分の実践を話してくれれば、それが地域福祉実践研究の向上につながると“夢”見ました。
〇このような目的を考えて設立した日本地域福祉研究所ですが、どれだけその目的が達成されたかは、関係者の皆様の評価に委ねることにします。
〇ところで、このような日本地域福祉研究所設立の目的を考えたのは、筆者を育んでくれた「研究者文化」があったからです。
〇日本の大学の教育研究システムは、大きく分けて講座制と学科目制があります。講座制は主任教授、助教授、講師、助教等複数の教育研究スタッフがいて、いわばチームで教育研究を行うシステムです。それに比し、学科目制は、開講されている授業科目を担当する教員が個別学科目毎に配属されているシステムで、研究というより、授業を行う教育に比重があるシステムです。
〇現在の社会福祉系大学は学科目制で教育研究が行われています。したがって、教員がチームで仕事をするとか、大学ごと、講座制の教室毎の「研究者文化」というものを構築することが難しいシステムで、教員個々人が独立した状況で教育研究を行います。大学院を出て、助教、講師という若手も一人前の教員、研究者であり、長年教育・研究に携わってきたベテランの教員とも対等であり、結果として若手の時から“自立している”とみなされるので、ベテランの先生方から「研究者文化」を伝授されるという機会がほとんどない状況です。
〇私の場合には、幸か不幸か、旧制大学で学んだ先生方から教えをうけたので、この「研究者文化」というものを色濃く受けています。妻に言わせれば、それほどまでにしなくてもいいのではないかと揶揄されるほど、“先生の言動、論理展開、先生の社会活動”に“憧れ”、学び、時には“盗み”、身に着けてきました。日本地域福祉研究所の設立の目的は、そのような経緯の中で育てられた私が“行うべき責務、任務”だと学び、受け継ぎ、実践してきたものです。
〇日本地域福祉研究所を維持することは、所員になってくれた方々の会費だけでは賄いきれません。日本地域福祉研究所の理事になってくれた方々には寄付をお願いしました。また、日本地域福祉研究所自身、全国の自治体、社会福祉協議会の研修や計画策定業務の委託を受けて経営努力もしてきました。しかしながら、それでもとても経営は厳しく、私自身も毎年100万円以上の寄付を続けてきました。したがって、私の寄付金の累計は30年間で3000万円を超しています。そのような行動をとれたのは、恩師が“講演や研修で頂いた謝金は自分の懐に入れるな、自分の生活費に使うな”と強調していたからです。それらのお金は、実践で働いている方々や社会に還元しろと口を酸っぱくするほど言い募っていました。そんな「研究者文化」を長年叩き込まれてきましたのでできたことです。
〇このような「研究者文化」がいいかどうかは分かりません。しかしながら、現在の社会福祉系大学の教員、地域福祉研究者の言動をみていると、このような「研究者文化」ともいえる文化を身に着け、行動している人がほとんど見られないことはなんとも淋しい限りです。このような状況の下では、実践と研究のよき循環が衰退し、実践力もぜい弱化し、研究者の質も下がるという“悪循環”に陥らないか危惧しています。

出典:大橋謙策「老爺心お節介情報」第45号、2023年5月21日 所収。

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ⅴ  岡村重夫の「社会福祉学」に学ぶ

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出典:大橋謙策「コラム・岡村理論の思想的源流と理論的発展課題」(草稿)『大橋謙策学長最終講義』日本社会事業大学、2010年3月、31~36ページ。
大橋謙策「寄稿1 岡村理論の思想的源流と理論的発展課題」右田紀久恵・白澤政和監修 松本英孝・永岡正己・奈倉道隆編著『岡村理論の継承と展開 ① 社会福祉原理論』ミネルヴァ書房、2012年3月、268~277ページ。

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Ⅵ  小川利夫の『硯滴(けんてき』に学ぶ

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※硯滴:けんてき。硯(すずり)にたらす水。硯に水を注ぎ入れる水さし。

出典:大橋謙策「『硯滴』に学ぶ―不肖の弟子の戯言と思い―」『大橋謙策学長最終講義』日本社会事業大学、2010年3月、71~81ページ。

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大橋謙策研究 第4巻
異端から正統へ・50年の闘い―「バッテリー型研究」方法の体系化―

発 行:2025年2月1日
著 者:大橋謙策
発行者:田村禎章、三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所

 


阪野 貢/孤独社会とつながり ―小澤デシルバ慈子著・吉川純子訳『孤独社会』等のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、小澤デシルバ慈子著、吉川純子訳『孤独社会―現代日本の<つながり>と<孤立>の人類学―』(青土社、2024年9月。以下[1])という本がある。
〇小澤(アメリカ在住の医療人類学・心理人類学者)にあっては、「孤独」(Loneliness)とは、「一人で『いる』ことではなく、独りぼっちだと『感じる』こと」(39ページ)である。また、孤独は、個人の問題ではなく、社会の問題であり、現代の日本社会は「孤独な社会先進国」(10ページ)である。その「孤独な社会」(Lonely Society)とは、①その社会にいるたくさんの人が孤独を感じている社会、②その社会にいる人々が自分は重要でなく価値がない存在だと思わせられてしまう社会、③その社会またはコミュニティ自体が孤立していて、他の社会とのつながりがない、もしくは見捨てられている、無視されている、過小評価されている、権利をはく奪されているなどと感じてしまう社会、をいう(9~10、23ページ)。
〇こうした認識や理解に基づいて小澤は、[1]で、自殺サイトや大学生のインタビュー、東日本大震災の被災者の声などを通して、社会的な問題である孤独すなわち日本の孤独社会について分析し、個人的・社会的レベルでのいくつかの「対処法」を提案する。
〇そこで小澤は、手始めに、「孤独についての誤解」を指摘する。①孤独は、社会の新しい(心理的な)問題である。②孤独はうつ病の一種、または隠れうつ病の一症状である。③孤独とは、一人でいることである。④孤独は、主に高齢者の問題である、がそれである。
〇これらの誤解に対して小澤は、次のように説述する。①に対して、孤独は社会的な現実の一面というだけでなく、生物学的、進化論的な現実の一面でもあり、人間のなかにかなり古くからある真に生物心理社会的(bio-psychosocial)なものが関係している。②に対して、うつ病は漠然とした悲しみや絶望、落胆という感情であるのに対し、孤独は、親密な、あるいは意味のある関係やつながりのなさ、居場所のなさを感じたり認識したりすることから来る社会的苦痛の感情を伴う。③に対して、孤独とは、社会的に孤立していることを認識し、実感する感情的、主観的な現実(経験)である。孤立は一人でいることだが、孤独とはひとりぼっちだと感じることである。④に対して、高齢者にとって社会的孤立が深刻な問題であることはよく知られている事実だが、孤独が主に高齢者だけの問題であることを示すエビデンスはほとんどない、という(28~33ページ)。
〇そのうえで小澤は、孤独に関する研究文献からいくつかの定義を紹介し、そこから着想を得て、孤独を「他者や環境との関係において生じるさまざまな不満を感じること」(35ページ)と定義する。この定義では、孤独は、相互の “ 関わり合い ” や “ 絆 ”、そしてある “ 世界の共有 ” という「関係」性(つながり)において、自分が帰属していると感じられる、自分の居場所だと感じられる社会的かつ物理的な場所がないことをいう。また、孤独は、永続的ではなく、常に変化している状態であり、その形態や現れ方は「さまざま」に存在する。しかも、孤独は、一個人の心理的な作用で形成されるだけでなく、社会的・文化的・政治的な「不満」を「感じる」ことによっても形成されるのである(35~37ページ)。
〇すなわち、この定義によると、孤独は実際に社会的・物理的に孤立していることだけではなく、社会的・物理的に孤立しているという認知の仕方や感じ方にもよるのである。それは、個人やコミュニティ、あるいは社会全体の客観的な状況が変わらなくても、孤独についての認識や受け止め方、感じ方を変えることによって孤独に対処することができることを意味する(294ページ)。
〇そこで、小澤は[1]の “ 結び ” として、「個人のレベルと社会のレベルで孤独に対処するために役立つと思われる5つの提案」を行う。それをメモっておく(296~300ページ)。

(1) 孤独を受け入れる
孤独は人生においてたびたび起こる一時的な状態である。そう考えれば、それが過ぎ去るまで辛抱強く待つことができるようになる。孤独を受け入れるという実践は、むしろ自分の孤独を和らげる重要なステップになるかもしれないし、孤独に対するレジリエンス(回復力、しなやかさ)を身につけるにあたって重要なポイントなる。
(2)他者を受け入れる
孤独な人たちは、拒絶されることを恐れるあまり他者と進んで関わろうとする意欲が削(そ)がれるかもしれない。しかし、孤独は人生において誰もが共通に持つ人間らしさの一部であり、現実の人間生活において身体のサバイバル(生き延びること)を脅かす(生死に関わる)ものとはならない。その点をじっくりと考えるなかで他者を受け入れることによって、社会的拒絶に対する恐怖を和らげることができる。
(3)自分自身を受け入れる
自尊心や自己肯定感は、他者との関係に大きく左右される。一人ひとりが自分自身の内在的な価値を確信し、いかなる失敗も、実績の無さも、生産性の無さも自分の価値を無に帰してしまうことはありえないという事実を確信し、自尊心や自己肯定感を育むことが重要である。
(4)自分の居場所を見つける
孤独を体験しているとき、多くの人は自分にははっきりした生きがいがないと感じている。そういう人に生きがいを見出すよう提案するよりは、まず居場所を見つける方が容易である。人は孤独を感じていても、同じような感情や体験を持つ他者を見つけることができれば、居場所を見つけたり、創り始めることができる。
(5) 受容するシステムの構築
上記の4つの対処法は、すべて個人もコミュニティも行うことができるものではあるが、それらが最も効果的に機能するためには、社会的、文化的な制度によって支援されることが必要である。その制度は、①から④について認識し、それに基づいて対処し、支援しているかが問われる。

〇そして、小澤はいう。

ここで述べた5つの提案は教育制度に組み込まれることで最も効果的なものになるかもしれない。孤独が普遍的に存在すること、その孤独にどう対処するか、違いがあっても他者を受け入れることや烙印を押して蔑視しないことの大切さ、絆の形成と共感を培うことの大切さ、そして、子どもたち一人ひとりに内在的な価値があるということは、小学生にも教えることができる。実際、ますます多くの社会的、感情的学習プログラムが、まさにこういうことを行おうとしている。長期的には、これらのプログラムが日本における孤独の蔓延に対処するに当たって非常に有意義な役割を果たすことができるものと考えている。(300ページ)

〇小澤のこの主張を別言すればこうであろう。「孤独を直に癒す薬」は、「お互いを尊重すること、共感すること、思いやりを持つこと」によって「人と人とのつながりを育み、それを価値あるものとして認めることである」(25ページ)。「孤独に対処するために最も適切なのは、関係の中での生きる意味、そして生きがいである」(26ページ)。「生きがいを感じ、それによって生きる意味を持つことの重要な源泉は、自分の存在価値を認め、自分が他者にとって意味のある人間だと感じ、必要不可欠な存在である」と認識することである(173、274ページ)。そこに求められるのが、人との関係性によって形成される「居場所」(「要(い)場所」)であり、社会的・制度的な営みである「教育」である。そしてそれは、「市民権」(市民性)を国家との関係だけでなく社会の仲間との関係として位置づけ(300ページ)、その意識の育成を図ることによって、人間関係の希薄化が進む地域社会においてその課題解決を促すことになる。

〇筆者の手もとには、「孤独」について解明する本がもう一冊ある。ヴィヴェック・H・マーシー著、樋口武志訳『孤独の本質 つながりの力―見過ごされてきた「健康課題」を解き明かす―』(英治出版、2023年11月。以下[2])がそれである。
〇マーシー(医師、第19代アメリカ公衆衛生局長官)は[2]で、「人と人のつながりの大切さ、孤独が健康に与える隠れた影響、そしてコミュニティが持つ力」(3ページ)について説く。そして、「孤独と社会的つながり」についていう。「依存症や暴力、職場や学校での意欲の低下、政治的分極化など、私たちが社会で直面している問題の実に多くが、孤独やつながりの欠如によって悪化する。よりつながり合った世界にすることは、こうした問題や、現在私たちが個人または社会として抱えている他の多くの問題を解決するためのガキとなる」(27ページ)。「人間同士のつながりが強まると、私たちはより健康になり、レジリエンス(回復力)が高まり、生産性が向上し、より活き活きとした創造が可能になり、充実感も高まっていく」(30ページ)。その際、マーシーにあっては、「孤独」(loneliness)とは、「自分が欲する社会とのつながりが欠けている」という「主観的な感情」(40ページ)をいう。それに対して「孤立」(isolation)とは、「客観的・物理的にひとりきりで周りとの交信がない状態」(41ページ)を指す。一方で「単独」(solitude)とは、「心穏やかにひとりでいる状態や、みずから進んで周りから離れている状態」(42ページ)を指す。
〇[1]において注目したい論点や言説に、「孤独に対する4つの戦略」、「孤独の3つの領域」、「交友関係の3つのサークル」などがある。本稿では、その要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。一部見出しは筆者)。

孤独に対する4つの戦略
孤独に対処し、社会的なつながりを強化することによって、コミュニティを強固なものにし、社会を癒やしていくことができる。(6~7ページ)
(1)毎日、愛する人と時間を過ごそう。
自分にとって不可欠な人たちと毎日、少なくとも15分は、声を聞いたり顔を見たりして、つながり(交流)の時間を割こう。
(2)お互い、目の前の相手に集中しよう。
人と接するときは、気が散るものを排除するようにして、相手に全神経を注ぎ、可能であれば心から耳を傾けよう。
(3)ひとりの状態を受け入れよう。
他者とのより強いつながりを築くための第一歩として、自己認識や理解を深め、自分自身とのつながりを強めよう。
(4)助け、助けられる相互扶助を図ろう。
奉仕(サービス、支援)は人のつながりの一形態であり、与えること、受け取ることの相互扶助によって社会的な絆を強めよう。

孤独の3つの領域
研究者たちは、孤独を感じる場合にどのようなタイプの関係が欠けているのか分析する過程で、孤独には「3つの領域」があることを明らかにしてきた。これら3つの領域が満たされることで、活き活きと生きるために必要な質の高い社会的なつながりが生じる。どれかが欠けると孤独を感じる可能性がある。(40~41ページ)
(1)親密圏の孤独(感情的孤独)
愛と信頼の絆で深く結ばれた親友や親しいパートナーを欲している状態を指す。
(2)関係圏の孤独(社会的孤独)
良質な交友関係や社会的なつながりとサポートを求めている状態を指す。
(3)集団圏の孤独
目的意識や関心を分かち合える人的ネットワークやコミュニティに飢えている状態を指す。

交友関係の3つのサークル
ロビン・ダンバー(イギリスの進化心理学者)によると、人間の交友関係(つながり)は、「インナーサークル(内円)」「ミドルサークル(中間円)」「アウターサークル(外円)」の3つのレベルに分類される。これは、孤独の3つのレベル(親密圏、関係圏、集団圏)と大まかに対応している。これらのサークル(への帰属や帰属意識)は、互いに関連し合い、補完し合い、人生の質や人間としての経験を豊かにしてくれる。(323~335ページ)
(1)インナーサークル(内円)
人は誰しも、互いへの愛と信頼を持って深くつながった親しい友人や相談相手を必要としている。このサークルの人間関係は相互の絆が最も強く、親密であり、最も時間とエネルギーを必要とするものである。
(2)ミドルサークル(中間円)
人はときどき会う人で、支援やつながりをともにするカジュアルな(気楽で堅苦しくない)人間関係や社会関係も必要としている。このサークルに属する人たちは、深い秘密まで分かち合うことはないかもしれないが、関係圏における孤独を防ぐクッションとなる。
(3)アウターサークル(外円)
人は職場の仲間や知人など、集団的な目的やアイデンティティを体感する場所(コミュニティ)に属する必要がある。こうしたサークルに属する人々と目的意識や関心を分かち合っているという感覚は、集団圏における孤独を回避する助けになる。

〇[2]におけるマーシーからのひとつのメッセージはこうである。「孤独を乗り越え、よりつながりのある未来を築くことは、私たちがともに取り組むことができ、ともに取り組まねばならない喫緊の任務である」(31ページ)。「強い人間関係は私たちの健康を向上させ、パフォーマンスを高め、意見や主義の違いを乗り越え、力を合わせて大きな難題に社会として取り組んでいくことを可能にする。人とのつながりこそが基盤であり、その他すべてのものはその上に築かれる」(413ページ)。「人とのつながりが強ければ強いほど、私たちの文化は豊かになり、社会もより強固になる」(71ページ)。そしてマーシーは私たちに問いかける。「人のための時間を作ろうとしているか? 本当の自分を見せているか? 人をつなぐ奉仕の力を認識し、思いやりを持って人と接しようとしているだろうか?」(413ページ)。これは上記の孤独に対する「戦略」に通底する。例によって唐突ではあるが、“ 結び ” にかえておくことにする。