阪野 貢 のすべての投稿

担当です

この春から 民生委員協議会の事務局担当です
上司からは 淡々と従来の事務をするだけ
余計なことは しなくていい
他の業務に差し障りのないよう動けと 指示された
だから 特に何もせず 
委員のおじさんおばさんのお相手をしている
ご機嫌損ねぬよう 気遣いが多いこの仕事
淡々なんて 嘘だった

地域のことなんて ちっとも関心なかった
困ったこともなければ
困った人もよく知らない
活動記録集約しても 集計表からは何も感じません
それで地域福祉がなんちゃって わかるはずはありません
たまたま福祉の仕事に配属されただけのこと
三年もすれば別部署にまわっていきます お役所人事

だから
わがまちの福祉の課題や問題にどう取り組もうが
委員が地域で何をしてようが 
ちっとも知らないし
知らなくても 仕事はできる
だって ただ指示された事務処理をこなすだけ
夏 年に一度の視察研修旅行の企画する
遠出して 親睦を兼ねた交流会
温泉あれば 最適地
どこのマチにしようか 少し悩んで 相談しながら 決めました
視察は ほどほど成果あり
交流会 少しはこれで知り合えた
これくらいなら 仕事だと我慢もできた
担当 大事にしてくれました

冬 三年に1度の新任研修
地域では 選ぶのも一苦労 難儀した様子です
お願いするだけの担当は
員数揃って ありがとう
今日は 引率するのが 仕事です
歴史やら 役割やら 活動記録の処理の仕方やら
短時間に詰め込まれる過剰な知識
担当してても よくわからない
でも分かったふりをする
研修は 手持ち無沙汰で 時間を潰すのが 苦痛です

民生委員協議会の事務局担当
皆さんが 活動しやすい環境づくりに努めます
でも面倒なケースは 御免こうむります
担当の手に余ります
そっか 別の部署に回せばいい
地域包括支援センター ケアマネさん 保健師さん 頼むよ
生活保護のケースワーカー 頼むよ
委員のおじさんおばさんの 対応スキルは難しい
うまくこなす処世術 これからも磨きます
担当です かわいがってください

〔2019年12月14日書き下ろし。道内の8割以上が民生委員協議会事務局を行政が担当する。主に兼務である。担当者の仕事への姿勢が活動の活性化への鍵を握る〕

スーパー・ジジババ

二千万円持っていないと 老後が危ない
でも生前贈与で 孫の教育費にあてなさい
年寄りよりも 子どもが大事
次代を担う孫の面倒みるのは 当たり前
国が旗振りゃ
ジジババの財布をめがけて 子が群れる

今年生まれた子どもが 90万人切りました
少子化にご都合主義の対策不発 歯止めはかけられません
合計特殊出生率は 18年1・42
生まない理由
子育て・教育にお金がかかります
働く女性の増加で 晩婚化と高齢出産ためらわれ
キャリアもつめず 子も産めず
極めつけ 核家族でジジババ支援がありません
ジジババ子育て 子が群れる

人口減少 労働力の不足 社会の生産力の低下を促進中
働ける高齢者 年金受給を先送り 上乗せします退職後
まだまだ現役 古稀超えめざして頑張りましょう
喰っていけないから 無理して働く
老後の不安を身近に感じて 自己防衛
医者にもかかれず だましだましの過酷な労働
ジジババ 死ぬまで労働者 してやったりのだれかさん

地域に 丸ごと丸投げされました
地域福祉の担い手は
ジジババにしか頼れない
現役世代は忙しい
自治会町内会の役員さん
民生委員児童委員の皆さん
老人クラブの元気な皆さん
みんなみんな地域のために
税金収めて 子育てしている現役に
一肌二肌脱いでください お願いします
それがあなたの 人生の置き土産です 証です
そこに 生きがいやりがい見出し 生きてください
はいはい ジジババ人がいい
求められると逆らわず 二つ返事で引き受ける
義理人情に厚い お人好しのジジババが
この国の 地域の暮らしを支えます

ジジババ 頼られていい気分
貯金崩して 経済潤す
萎えた身体を酷使して 低賃金で就労率に貢献する
地域の福祉は 当事者同士の助け合い 
自立と自助・互助めざします 
これでポックリ逝かすのが 
多死時代の国のお情け 甘受します

霞が関の 痛みの知らぬ者たちは
今日も ジジババ動かす新プランづくりに励みます

※合計特殊出生率:1人の女性が一生に産む子どもの数に相当。

〔2019年12月13日書き下ろし。出生90万人割れが始まった。国の人口は収縮していく。少子化対策でジジババの支援が期待される。社会貢献できる高齢者は、精魂が果てるまで生かされていくのです〕

今年の漢字「令」

不条理な1年の総決算
見事に逆説的に表現された 漢字一文字

令とは
「神のお告げや君主・役所・上位者のいいつけ」(以下学研「漢字源」より引用)
民は仰せの通り 従順に 反抗のエネルギーも失せ
桜咲く饗宴の騒乱でも 貧困と災害に耐え忍び 生きてきました

「おきて。お達し。法令」
自画自賛の日米貿易協定
アメリカ主導の協定内容
農を生業とする民は 生き残る希望も失いそうです

「よい。清らかで美しい」
って、どこの国のことですか?
原発の後始末も出来ぬままの 醜聞騒ぎ
フランシスコ教皇が来日 広島で演説した
「戦争のために原子力を使用することは、犯罪以外の何物でもない。
核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるか」
「戦争のために原子力を使用することは、人類とその尊厳に反し、我々の未来のあらゆる可能性にも反する犯罪」
核抑止力を唱える国々を批判し 
核の傘の下にいながら 平和について語る偽善を 強い言葉で非難する
そう非難された者の口に上る「令」ほど 薄汚れています

「遊び事のきまり」
政を司るとは 遊びにも似たり
どんなルールがあるのでしょうか?
こうすれば どうなる
こうなれば どうする
困ったことがない人たちは 困ったことなど意にとめず
国づくりゲームに お友だち集めて没頭します
大きな火の粉になった ハンセン病家族問題 
選挙を控えたタイミングの悪さから
裁判敗訴で上訴を断念 風見鶏が知らせます

「命令する」
6月に発生したタンカー「コクカカレイジャス」号への攻撃事件が契機です
イランとの友好関係も大事です
でも 袖にすがられ
表向き 安全確保のために 中近東へ自衛隊艦艇の派遣するのです
仮に攻撃されたら 応戦するのですか?

解字
「会意。△印(おおいの下に集めることを示す)+人のひざまずく姿で、人々を集め、神や君主の宣言を伝えるさまを表す。清く美しいの意も含む。もと、こうごうしい神のお告げのこと。転じて長上のいいつけのこと」
神々しいお告げに似た桜招待状は 宣伝紙にして 民を信じ込ませて騙し儲けた人もいた
崇め奉られたかの人は 藤原道長を彷彿させる
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」

5月1日 新天皇が即位 新元号「令和」となった。
令和の意味は「beautiful harmony=美しい調和」と「平和」
清く美しい調和・平和とは 真逆な日本列島 
被災地の 一日も早い復興を願いつつ 
被災者と貧しき民が 年の瀬を無事越せることを祈りつつ
「令和」の真の意味を問う国づくりに 
今日も民は ひたすら暮らしに汗する

〔2019年12月12日書き下ろし。1年を振り返る一文字が、あまりにも真逆でついつい笑ってしまって、令? いや礼を欠く私です〕

付記
ジャパンライフ元社員が実態証言
「桜を見る会」にマルチ商法で行政指導を受けた「ジャパンライフ」元会長が招待されていたとされる問題で、元社員の男性が招待状が宣伝に利用されていた実態を証言した。
ジャパンライフ元社員「安倍晋三内閣総理大臣から山口(元)会長に桜を見る会のご招待状が届きましたという資料を使って、お客さまの前でプロジェクターでスライドに映して、この資料を説明しました。ジャパンライフって不安だなって思ってたお客さまも、当然この資料が出れば信用します」
野党の追及本部で証言した元社員の男性はこう述べた上で、全国各地のセミナーで毎年のように宣伝に利用していたと説明した。
野党は元会長が首相枠で招待されたとの見方を強めていて、さらに政府を追及する方針。
一方、菅官房長官は会見で首相枠などをとりまとめた内閣官房の推薦者リストについても「復元は不可能と聞いている」と述べた。(日テレNEWS24 12/12(木) 15:31配信)

歴史的視点や哲学的思考を欠いた福祉教育:「福祉教育哲学」の必要性を問う―高久清吉著『哲学のある教育実践』再読メモ―

〇2019年11月23日~24日、日本福祉教育・ボランティア学習学会第25回北海道大会が北星学園大学(札幌市)で開催された。大会テーマは、「未来へつなぐ、みんなでつなぐ。~多文化共生社会を育む福祉教育とボランティア学習~」であった。圧巻で感動的だったのは、本田優子(ほんだ・ゆうこ、札幌大学教授、アイヌ文化・アイヌ史)による「アイヌ文化からみる多文化共生社会の創造」と題する「基調講演」であった。アイヌ語に、「ヤイコシラㇺスイェ」という言葉がある。「ヤイ」は「自分」、「コ」は「に対して」、「シ」は「自分」、「ラㇺ」は「心」、「スイェ」は「を揺らす」、「ヤイコシラㇺスイェ」で「自分に対して自分の心を揺らす」となる。それは日本語の「考える」という意味である。「考える」とは「心を揺らす」こと、筆者(阪野)にとって目から鱗(うろこ)が落ちる一言であった。
〇「自由研究発表」や「課題別研究」報告などでは、ひとえに筆者の浅学菲才によるものであるが、「心を揺らす」報告はさほど多くはなかった。新味のない(使い古された)テーマについて、場所や組織、人を替えただけの、あるいは横文字や権威づけられた(古めかしい)過去の言説を多用した議論では、福祉教育実践や研究の推進は望むべくもない。歴史的・社会的・文化的実践であるはずの福祉教育実践をめぐって、その現場から乖離(かいり)した抽象的な言葉・概念や思考をこねくり回すのも、然りである。そこからは、原理や理論のない、視野が狭く定型化され、矮小化された実践が生み出されるだけである。そうした福祉教育実践さえも、厳しい時代状況に押しつぶされようとしている(されている)。意図的にか無意識的にか、それを理解・認識しない実践者(あるいは実務家)や研究者がいる。また、お互いの「傷」をなめ合い、慰め合っている人たちもいる。そこからは、福祉教育実践や研究の「展望」や「未来」は見出せない。
〇そこで、いま求められるのは、歴史的視点や哲学的思考を重視しながら、福祉教育とは「そもそも何か」、それは「いかにあるべきか」「いかに取り組むべきか」を、危機的な現場や生々しい実践との関わりのなかで本質的・根源的に問い直すことである。本稿のテーマ(「福祉教育哲学」の必要性を問う)が意味するところはここにある。なお、「理論と実践」の関係性について探究することなく、単なる「実践(事例)」研究にとどまりがちな福祉教育研究の現状も気にかかる。
〇そんな思いのなかで、筆者の手もとにある高久清吉(たかく せいきち、筑波大学名誉教授、教育哲学・ヘルバルト研究)の『哲学のある教育実践―「総合的な学習」は大丈夫か―』(教育出版、2000年4月)を読み返すことにした。以下に、筆者なりに再確認・再認識しておきたい、高久の言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「哲学のある教育実践」という言葉
「哲学のある教育実践」という言葉に接した時、ある人は、教育についての確固とした信念や信条をもった教師による実践とか、教育の理念や理想に基づく明確な思想に貫かれた実践を思い浮かべるかも知れない。また、人によっては、考え方や判断の筋道がすっきりとした実践、教師の体系的な見方や考え方が際立っているような実践をイメージするかも知れない。いずれにしても、「哲学のある教育実践」が意味するものは、だれにも共通一様に理解されるというのはあり得ないようである。(108~109ページ)

「哲学」の意味
「哲学」の意味は、通常、大きく次のような二つに分けられる。一つは、「哲学すること」(Philosophieren)、もう一つは、「哲学」(Philosophie)である。
「哲学すること」とは筋道の通った知的活動そのもの、この活動の「過程」にこそ哲学の本質があると見る立場である。それに対し、「哲学」とは知的活動の「結果」または「所産」として導き出された内容の体系、それが本来の哲学であるとする立場である。この二つの意味は、よく「過程としての哲学」と「結果としての哲学」という言葉で表現されている。この二つを切り離して別々のものと見なすことはできないが、「哲学」の意味を、一応、この二つに分けるのは妥当である。(109~110ページ)

「哲学のある教育実践」の意味
「哲学」の意味を二つに分けるとすると、これに対応して、「哲学のある教育実践」の意味も二つに分けられる。「哲学のある教育実践」の「哲学」を「過程としての哲学」と理解すれば、「哲学のある教育実践」とは、哲学的な見方や考え方が大きく作用する教育の実践、言い換えれば、教育実践上のさまざまな問題や事柄が哲学的な見方や考え方に基づいて吟味され、判断され、構想される実践ということになる。これに対し、「哲学」を「結果としての哲学」と理解すれば、「哲学のある教育実践」とは、哲学的な思考から生まれた内容、つまり、教育に関する明確な「思想」に基づく実践ということになる。
「哲学のある教育実践」のこのような二つの意味は、実は、一方がなければ、他方も成り立たないという表裏の関係にある。哲学的な考え方によって明確な思想が導き出されるし、明確な思想が前提となって、実践上のさまざまな問題や事柄についての哲学的な考え方も行われることになるわけである。(110ページ)

〇以上を簡潔に言えば、高久にあっては、「哲学」とは「いわゆる学問領域としての哲学やその学説内容ではない。いつでも、全体的・根本的なものを踏まえながら、実践や実際上の個々の問題を筋道立てて主体的・構造的にとらえていこうとする思考の働きそのもの」(まえがき、ⅵページ)をいう。そして、「哲学のある教育実践」は、「教育の理論または哲学と結び付き、これによって支えられ、方向づけられた教育実践」(97ページ)と定義づけられる。
〇そのうえで高久は、教育現場と教師について、次のように指摘する。「哲学をもたないで教育の実際の仕事に従事している教師たちに共通して認められる欠点は、本質と現象、全体と部分、本と末、重と軽との間の区別がはっきりせず、これらを簡単に混同してしまうことである」。「さまざまな問題や事柄への対応に追いまくられる教育現場において、教師のものの見方や考え方は強力に狭められてしまい、現象に振り回される本末軽重の見分けもできなくなってしまう」(112ページ)。そこで、現場教師に求められるのは、「教育の理論または哲学と、教育実践との生きた結び付きを求める問題意識」である(97ページ)。「教育現場にとって何よりも必要なのは、『普遍的理念』、つまり、教育の本質的・原理的なものをしっかりと踏まえ、これに基づく哲学的な考え方を展開していくことである」(112ページ)。
〇こうした指摘は、学校現場を含めた地域・社会における福祉教育(「市民福祉教育」)にも通底する。福祉教育学界(学会)が探究すべきものは、福祉教育の場当たり的な、対処療法的な方法・技術ではない。哲学的思考によって生み出される「福祉教育思想」(「福祉教育哲学」)と、それに貫(つらぬ)かれた福祉教育の「理論と実践」である。その際の哲学的思考は言うまでもなく、自律的で理性的、批判的な思考であり、その論理化と体系化が「哲学する」ということでもある。改めて再確認・再認識しておきたい。
〇アイヌは、この世の中にあるあらゆる存在を「カムイ」(神)とみなす。その神(カムイ)と人間(アイヌ)との関係は、「神ありて人あり、人ありて神あり」という、互いに相手に対して権利・義務を負う「相互扶助」(ウタㇱパ ウカスイ)の関係にある。アイヌはカムイに対して「祈り」や「供物(くもつ)」を捧げる。カムイはアイヌを「守護」し「食料」や「道具」を授ける。前述の本田は、時間軸と空間軸における「共生」の基本は互いに自分の責任を果たすことであり、そこに「人間存在の本質」をみる。
〇「人間存在の本質」の追究は、「人間について、人生について、生き方について学び考える」こと、すなわち「哲学する」ことである。それは、福祉教育実践や研究においてもその根幹をなす。この点に関して、いつもながらの筆者(阪野)の「短絡」「論理の飛躍」の謗(そしり)を免(まぬが)れないが、内田樹(うちだ たつる、神戸女学院大学名誉教授、フランス現代思想・教育論)の新刊本(『生きづらさについて考える』毎日新聞出版、2019年8月)のなかの一節を紹介しておくことにする(抜き書き)。福祉教育実践や研究、福祉教育を「哲学する」、そのための「構え」として留意したい。

教育事業の受益者は共同体の未来である
学校教育というのは商品の売り買いではい。そこには市場における「商品」に相当するものも、「消費者」に相当するものも存在しない。
教育事業の利益は、教育を受けた若者たちがやかで人間的な成熟を遂げて、共同体の次世代を支えるという仕方で未来において償還される。教育事業の受益者は教育を受ける個人ではなく、共同体の未来である。(40ページ)

オープンマインド(開放的であること)は学びの基本の構えである
武道の教えに「座を見る・機を見る」ということがあります。座とは「いるべき場所」、機とは「いるべき時」のことです。(180ページ)
武道的な意味での「正しい場所」とは「どこにでもいける場所」のことであり、「正しい時」というのは「次の行動の選択肢が最大化する時」のことです。
「正しい位置」というのは空間的に決まった座標のことではなくて、その時々において最も自由度の高いポジションを選択できる「開放度」のことです。
生きていくうえで最も大事なのは、ニュートラルで、選択肢の多い、自由な状態に立つことです。それはできるだけ「オープンマインド」でいることと言い換えることもできます。オープンマインドこそは、学ぶ人にとっと最も大切な基本の構えです。(181ページ)
自分が理解でき、共感できることだけを聴き、自分がすでによく知っている分野についての知識を量的に増大させることは「学ぶ」とは言いません。「学ぶ」というのは、自分の限界を超えることです。自分が使っている「わかる/わからない」の枠組みを踏み抜けてゆくことです。
若い人達たちが感じている「生きづらさ」は「正しい位置」にいないことで生じた心身の歪みがもたらす詰まりや痛みです。自分が機嫌よくいられる場所はどこにあるのか、心身のどこにも詰まりやこわばりや痛みが生じないような姿勢はどうやったら見つかるのか、何よりもそれを求めて行ってほしいと思います。(182ページ)

補遺
筆者はかつて、「自分の存在意義」(自分が存在している意味や価値)に関して、「ただ生きる」「よく生きる」「つながりのなかに生きる」の三つを指摘している。本ブログの「雑感」(67)/2018年11月3日投稿、を参照されたい。

「人がそれぞれ、他者とともに豊かに生きるということ」=「人はそれぞれ、いま、ここに生きているというそのことに本源的な価値がある」(「ただ生きる」ことの保障)×「人にはそれぞれ、やりたいこと・やれること・やらなければならないことがある」(「よく生きる」ことの実現)×「人はそれぞれ、社会や歴史、環境などとのつながりのなかに生きている」(「つながりのなかに生きる」ことの持続)。

付記
2019年10月22日~23日、全国社会福祉協議会主催/日本福祉教育・ボランティア学習学会共催の「令和元年度 全国福祉教育推進員研修」が全社協(東京)で開催された。そのねらいは、「地域共生社会の実現にむけた福祉教育を進めるディレクターを育てる」ことにあり、これまでの「全国福祉教育推進セミナー」をリニューアルしたものである。その研修について、「第1期生たちを中心に、日本の福祉教育推進を変えていくような人材養成が始まりました。これは、地域共生社会の実現に向けた小さくても、大きな一歩であると確信しています」(『ボランティア情報』no.508、全社協、2019年9月、3ページ)という。この研修が福祉・教育の政策的・制度的欠陥や危機的実態を踏まえたものでなければ、「確信」は「絶望」を生むことになる。そうならない・そうさせないために求められるのが、「福祉教育哲学」である。また、一見誰もが肯定するであろうこの研修を、1983年3月に初めて開催された「福祉教育セミナー」以来の慣れ親しんだものではなく、際立って新しいものにする(「異化」する)ためには、「福祉教育哲学」が必要とされる。
「笛吹けども踊らず」の福祉教育、(「担当者」が替わると)「双六(すごろく)の振り出しに戻る」福祉教育はもう、ご勘弁願いたい。

友だちごっこ

友だちごっこ
その子は おぼっちゃんでなければならない
だから
お友だちという

友だちごっこ
その子を ほめたたえなければならない
だから
お友だちになれる

友だちごっこ
その子は 裏切りを決して許さない
だから
お友だちは 言いなりになる

友だちごっこ
その子は 嘘をよくつく
だから
お友だちも 嘘つきが集まる

友だちごっこ
その子は 善悪の区別ができない
だから
お友だちは 善悪の区別をしてならない

友だちごっこ
その子は 誰も信用しない
だから
お友だちは 疑心暗鬼で息を凝らす 

友だちごっこ
その子の開く 大饗宴 とっちめられて
お友だちが 手前勝手な言い訳重ね 自滅する

友だちごっこ
文化となって
子どもたちのこころを さいなみ
未来を汚す

〔2019年12月12日書き下ろし。選ばれし者たちは、この国をどこに連れて行こうとしているのだろうか。バカバカしい事態は若者たちの政治離れを加速する。それが狙いかもしれない〕

ひらがな

日本語は便利だ
発音される音は 会話の中で意味を生む
「あ」という音は たった一音だけでも 
発声の抑揚の違いで 意味を持つ
驚きの「あ!」
気づきの「あっ」
同意の「あ」
墜落の「あ~!」
だから 一音だけで状況が見えてくる
決して 粗末に扱えない

日本語は便利だ
ひらがなを覚えれば 書くことができる
小学1年生の国語の勉強
ひらがながわかれば 読むことができる
ひらがなで 言葉の意味を表すことができる
ほんとかな?
「あう」
合う 会う 逢う 遭う 遇う
漢字であらわすと これだけ語彙が出てきてしまう
だから どんな状況で使われたのかで
意味が全く違ってくる
日本語と漢字の組み合わせが
微妙なニュアンスの違いを生み 
言葉の世界を 豊かに彩る

ゲストで ボランティア学習論の授業をした
感想ノートを読む
何を学んだのか 学生たちの反応を知る大事な手がかり
「ボランティアは大切だと思いました。ボランティアの活動は、自分のはんだんよりも他の人の意けんも大切なのではないかと思った」
この感想に どんなコメントをつけたらいいのか
コンパクトすぎて 困惑した
「まず自分の意けんをしっかりもたなければ、他の人の意けんとくらべることはできません。その上ではんだんができるようになるのです。どんなことでも自分で考え、自分の意けんをもって事をはんだんしましょう」
こうひらがなで書くと 顰蹙(ひんしゅく)を買うでしょう
一期一会の出会いだからこそ
学生の成長を願ったコメントが 求められると
他の学生よりもこころして 言葉と漢字を選んで書くのです

学生が 自分の考えを自分の言葉で語れるように
学生が 自分の言葉で書き表すことができるように
いつかそうなってほしいと願いながら
たった2コマ 真剣勝負してきたゲストです

でもこの学生 残り二年で成長するという保証は
いったい 誰がされるのでしょうか
学生に 教えてあげてください

〔2019年12月10日書き下ろし。返却する感想ノートのコメント書き。暇だからできるけど、ひらがな書きの多い学生のノートは漢字に変換。文章も時に添削しながら、最後にコメント…学生のこと、気にかかります〕

青い手帖

「民生委員は、社会奉仕の精神をもって、常に住民の立場に立って相談に応じ、及び必要な援助を行い、もって社会福祉の増進に努めるものとする」(民生委員法第1条)

3年ごとの改選期
12月 初めて民生委員の辞令をもらった
挨拶の中で 期待とその社会的役割の重要性を説かれた
これから3年 地域の人のお役に立てるよう務めることを自覚する
青い手帖を 手にした
真新しい2020年度の手帖
民生委員のバッジのマークが目に入る

表紙の裏には「民生委員児童委員信条」 
社会福祉の増進
地域社会の実情の把握
相談と自立の援助
地域社会づくり
公正を旨として 人格と識見の向上

ただのおばさんしていた者には
読んだだけでは 何が何だかさっぱりわかりません
社会福祉のことは ちんぷんかんぷん
地域社会の実情把握って 何をどう把握するの
相談と自立の援助 なんとなくわかったようなわからぬような
地域社会づくりって 皆目見当もつきません
人格と識見 おばさんに求められても ただただ沈黙

そして「児童憲章の前文」
児童は 人として尊ばれる
児童は 社会の一員として重んぜられる
児童は よい環境のなかで育てられる

ただのおばさん 児童憲章初めて見ました
社会の一員 という意識はないわね
子どもは扶養されてるだけではない ということなんだ
よい環境か いまの子どもの問題 ここなんだよね

地域で暮らす 子どもも大人も お年寄りも障がい児者も
みんな ここで倖せに暮らしていくために
これから3年 福祉の勉強しっかりせねばなりません
いまは何も知らない おばさんです
いまは頼りにならない おばさんです
いまは困っている おばさんです
「初心者マーク」で スタートします
教えてください 先輩委員
教えてください 地域の皆さん
困りごとから 学びます
困ってる人から 学びます

青い手帖に 記録する
日々の予定と出来事を
1年経ったら 文字で埋まっているのでしょうか
出会いの記録が 記されているのでしょうか 

青い手帖に 記録する
日々の悩みとしんどさは
1年経ったら 少しずつ和らいでいくのでしょうか
出会いの喜びが 記されているのでしょうか

青い手帖は 記録する
人の生きることへの渇望と
人を尊ぶことの気高さを
1年経ったら 少しずつわかっていくのでしょうか
出会ったことがよかったと 言ってもらえたら…どうしましょう 

ただのおばさん 民生委員です
青い手帖を バッグに入れて
今日から 度胸試しの挨拶回り
明るい笑顔で 訪問します
ドキドキしながら ピンポン…押しました 

〔2019年12月9日書き下ろし。12月民生委員児童委員を委嘱され、特に新人はこれから慣れぬ活動にドギマギしながら、地域で奮闘されることでしょう。あたたかく地域で迎えてあげてください〕

地域デビュー

初めて市民の前で 芝居した
メンバーは ここ5年ほど毎年演じていた
10月に入ったばかりの新人だった
始まる前は 励ましの言葉にも緊張の色を隠せなかった
始まると 台詞もさまになっていった
7分間の劇は無事終わり 市民の大きな拍手をもらった
ホッとした
その瞬間 仲間になったと実感した
大事な仕事を やり遂げた安堵感と
これからの仕事へのモチベーションを感じていた
市民の前に デビューした日となった

研修会の翌朝 電話がかかってきた
「担当された方は おられますか」
みんな出払っていて 偶然にも担当者しかいなかった
「私が担当ですが なにかありましたか」
昨日参加した年輩の女性からだった
初めて参加した様子で
3人の地区での活動実践発表
花巻からきた人の地域づくりの発表
地域で頑張っている方たちを知って 元気が出ました
まとめのお話で 背中を優しく押されたように思いました
市民の地域デビューは きっと近いだろう

名前を尋ねても 知らされぬまま電話は切られた
電話を受けた担当は 続けてきた地域づくりの研修会が
たった一本の電話で 救われたおもいがした
いままで こんなことはなかった
何かが 市民の中で静かに動き出している予感がした
市民の地域福祉の実践を 正当に評価し支援する
当たり前のことを 丁寧に続けてきたことは 決して間違えではない
地域で頑張る人たちを 広く紹介しながら 地域の元気を引き出す
地域の問題をテーブルに上げて みんなで出来ることを考える
その方法も いまでは市民に定着してきた
地域での懇談会も サロンの運営も 
少しずつ市民の手に委ねていかなければ
地域の福祉力は 高まらない 強くならない

これからが正念場 
職員も 市民の手で育ててもらいながら 仕事力をつけなければならない
社協は 市民のパートナーとして 共働しなければならない
そこに 地域を耕し暮らしを守る社協の使命感を 再確認した
担当は 市民の地域デビューを誘う 次への構想を思い描く

〔2019年12月8日書き下ろし。鹿角市地域福祉実践研究セミナー後のエピソード。事業は担当者のおもいをカタチにして運営することで、その成果は確実に組織と市民の手中にあることを如実に物語っていた〕

こころ~小さな哲学者たち

こころとは何か?
ともかく 驚きの感性にあふれていた

「いのちに似ている」
どちらも なくてはならないもの
どちらか一つをなくしてしまったら
生きてはいけないよね

「お父さん お母さんからのおもい」
こころは 愛おしく育てた人のおもいから 生まれてきたもの
こころは 二人からのプレゼント
こころを こう表現する力は どこからわきでてきたのだろうか 
ただただ感動

「こころは 自分を生んだ」
こころは 自分を表したもの
だから 自分だけのもの
人は 二度生まれる
一度目は 母親から
二度目は 自らのこころの意思表示から
自己形成に関わる回答 すごいの一言

「こころは 一番大事で 大切で たからもの」
「こころは 世界に一つしかない自分のもの」
「一人ひとりに たったひとつ」
「だれにもつくれない(コピーできない)」
唯一無二の存在
天上天下唯我独尊 
それはいのちとこころがあって
いま ここに 存在する
拙い言葉は 言葉以上に重い意味を持つ

「こころは 感情」
来たぞ ここから一気呵成に攻めていこう
感情ってなぁに?
「思いやること」
「身体の中にあり 動かしてくれるもの」
思いやりは 動かない限り生まれてこない
待ってくれ!
なんだ これは 子ども以上にテンションはマックス
「気持ち」
気持ちって なぁに?
「悲しみや喜び」
喜怒哀楽の感情を言い当てる
「お父さんやお母さんのいろいろな気持ち」
子どもが受け取る 父母からの感情をさしている
「気持ちを動かすこと」

こころを 動かしてくれるもの
こころを 動かすもの
こころは ただあるものではなく 動いて働くもの
それが こころの本質

たたみかけるように まとめに入った
嬉しいとか 悲しいとか 
そういう気持ちにさせるのは
「相手がいる」ということ
相手がいなければ こころは動いてはくれない
相手がいるから 心配したり 安心したり
相手がいるから 一緒に喜んだり 喧嘩したり
相手がいるから ひとりぼっちには 決してならない

だから きみのことを 大切にしてくれる人への やさしさや思いやりは
きみも 大切にしたいと強く思う心から 生まれてくるんだね
思い合って 一緒にしあわせになりたいという 一番大切なこころの働き
それが「まごころ」
それは 自分で育てていくしかないもの
それが よりよく生きようとする力になるんだ
きみのいのちやこころは 大切な人たちといつもつながっているんだよ
だから まごころいっぱいの すてきな人になってください

〔2019年12月7日書き下ろし。いのちとこころを考えた小さな哲学者たちとの愉しき授業。この豊かな感性が貧しくならぬよう親と先生方にお願いするしかありません〕

いのち~小さな哲学者たち

12月6日朝 鹿角市尾去沢小学校にいた
1年生から3年生
40人ほどの 子どもたちが待っていた

竹取物語のかぐや姫は 宇宙人だった
初っぱなから 驚く子どもたち
月に帰ったお姫さま 人間が恋しくて
宇宙船で迎えに行った
亀の形の宇宙船 乗ってしまった浦島さん
待っていたのは かぐや姫から名前を変えた乙姫さま
ここまで来ると テンションはどんどん上がる
浦島さん 地球に帰ると言ったなら
持たされました 開けちゃいけない玉手箱
そんなお土産 みんなはほしい?
浦島さん 戻って開けたら 煙モクモクおじいちゃん
なんでこんな悲しい目に あわなきゃいけないの
こんなひどい目にあった オレの人生返してよ!
そんな意地悪 なんで乙姫さまはしたのだろうか?
答えは求めず 宿題にしておいた
授業の導入 終わります
子どもたちは ノリノリ
次はどんなお話になるのか 興味津々
いい顔つきに どんどん変わっていきました 

みんなは 宇宙人?
大きな声で に・ん・げ・ん
口々に 子どもらは答えます
このタイミングで 約束ひとつ
ねぇ一度にしゃべっても 誰がなにを言ってんのか わからない
言いたいことあったら 先に静かに立ってください
元気な返事が 返ってきます

いま ここに いるって どうして?
えっ 困惑した表情の子どもたち
真顔に変わった この一瞬 
それを見るのは 実に嬉しい
「いま」は すぐに昔になったよ
「これから」が すぐにいまになったよ
不思議だね 時計は逆戻りできません
その いまを ここにいるって どうして?

立ち上がった2年生 一人二人と増えていく
さあ 頑張って立ち上がれ 子どもたち
じゃ 前の子から 発表してもらおう
「生きてるから」
そうだよね 同じ時間に生きてるから こうしてここにいるんだね
「生まれてきたから」
そうだよね きみがこの世に生まれてこない限り ここにはいないね
「立たされているから」
えっ そっか 立たされているここ きみはいまここに立っているんだね
「お父さんお母さんに 育てられたから」
うん たしかに誰かに育てられて成長したから ここにいるんだね

「ご先祖様がいたから」
おっと ご先祖様ってなあに?
「じいちゃんやばあちゃん」
「もっと昔の人」
それがどうしたの?
「その人たちがいないと いまここにいない」
鋭い! 
1年生が ポカンとしてる
だから ちょっと説明しとこうね
黒板に 目の前の女の子の名前を書く
この子が生まれてくるには お父さんお母さんが いないといけないね
お父さんが生まれてくるには おじいちゃんおばあちゃんが いないといけないねと
「いのちの樹形図」 
母を○印 父を△印にして 黒板一杯に描いていく
どんどん時代をさかのぼり たくさんのご先祖様がいなければ
いまこの子は ここには いないねと訴える
書かれた母の印のご先祖様が もしいなかったら
次の人は 生まれてこない
次の人もと どんどん新しい時代のご先祖様を消してゆく
この子のお母さんが生まれてこなかったら この子はいまここに い・な・い 
これが「いのちのバトンタッチ」なんだ
いまいのちがあって ここにいるということは
いのちのバトンを お父さんやお母さんが 君に手渡したからなんだよ  

「いのちは こころがある」
思いっきり 今日の授業のど真ん中 
こんな展開 いままでなかった
あなどれない 小さな哲学者たち
授業は がっつり生ものです
こころ踊る真剣勝負 続きます

〔2019年12月7日書き下ろし。小さな小学校の福祉の授業。いのちとこころを考えた小さな哲学者たちとの愉しき授業は続きます〕