阪野 貢 のすべての投稿

サイト運営協力者/村上 進

サイト運営協力者


村上 進(むらかみ すすむ):Susumu Murakami
Colleagues of the Institute for Citizen Welfare Education

村上進氏(東京都在住)には、2012年6月25日の本ウェブサイトの開設から今日まで、その運営協力・支援を具体的・継続的にいただいています。
本ウェブサイトではこれまで、読者が読みやすい形式や内容を求めて、その修正や変更を繰り返してきました。また、すべてのデータが消失する危険にさらされたこともありましたが、その際にも迅速・丁寧に対応していただきました。
2025年2月20日には、サイトの安定的な運営を維持するために、サイトの移設(サーバーの移転、URLの変更等)をおこないました。その折には、全面的に村上氏のご支援をいただきました。
衷心より感謝とお礼を申し上げます。とともに、今後も引き続き、格別のご厚情とご支援を賜わりますよう何卒宜しくお願い申し上げます。
なお、フロントページの最初のヘッダー画像は、2013年9月に村上氏が撮影したスイスアルプスのブリエンツ・ロートホルン( Brienzer Rothorn)です。

                        市民福祉教育研究所
主宰/田村禎章・三ツ石行宏


主宰/田村禎章・三ツ石行宏

主 宰


田村禎章(たむら さだあき):Sadaaki Tamura

市民福祉教育研究所 主宰
President of the Institute for Citizen Welfare Education

東海学院大学健康福祉学部総合福祉学科 講師


三ツ石行宏(みついし ゆきひろ):Yukihiro Mitsuishi

市民福祉教育研究所 主宰
President of the Institute for Citizen Welfare Education

高知大学教育研究部人文社会科学系教育学部門 准教授


阪野 貢/福祉サービス消費者の主体形成と福祉教育 ―もうひとつの福祉教育を考えるためのワンポイントメモ―

〇私事にわたる記事(資料の提示)であることをお許し願いたい。筆者(阪野)は、2023年11月4日、日本福祉教育・ボランティア学習学会第29回新潟大会の総会の席上で、学会の名誉会員の称号を野尻紀恵会長から授与された。恐縮至極であり、光栄の極みである。総会資料(「名誉会員の推挙について」)によると、その理由は次の通りである。

<学会におけるご略歴>
設立呼びかけ人であり、1995年~2010年の4期にわたって理事を務め、2002年~2007年には2期の副会長を務めた。
本学会が設立できたのは、阪野貢先生のご尽力があってのことである。設立趣旨文や会則の起草、関係者との調整、設立総会の準備など大橋謙策先生とともに東奔西走された。この学会設立の経過については、『ふくしと教育』(第17号、2014年)にて、「学会誕生の経緯、志のモノローグ―“天の時、地の利、人の和”を得て―」としてご執筆されている。
<福祉教育研究における主な研究業績>
阪野貢先生は、『日本近代社会事業教育史の研究』(共著、相川書房、1980年)、『戦後初期福祉教育実践史の研究』(単著、角川学芸出版、2006年)など本格的な歴史研究を踏まえ、史実とその時代背景を通して今日的な福祉教育の理論化とともに、その普及に尽力されてきた。『福祉教育の創造』(単著、相川書房、1989年)、『福祉のまちづくりと福祉教育』(単著、文化書房博文社、1995年)、『福祉教育論』(共編著、北大路書房、1998年)、『福祉教育のすすめ』(監修・共著、ミネルヴァ書房、2006年)など。それらの集大成として、「市民福祉教育」という理論化をはかられた。『「市民福祉教育」の研究―総括と展望―』(単著、私家版、2011年)。現在は、市民福祉教育研究所のブログ
http://sakanolab.com/ )を通して、積極的に研究成果を発表されている。(一部訂正)

〇日本福祉教育・ボランティア学習学会は1995年10月に設立された。その時の資料によると、学会設立の呼びかけ人は204人、会員は236人、予算額は200万円であった。こんにち、会員は644人(2023年10月現在)、予算額は954万円(2024年度)になっている。会員各位の尽力によって大きな学会に発展したことは、一会員として、また学会の設立に若干関わりを持たせていただいた者として、嬉しい限りである。
〇上記の「学会誕生の経緯、志のモノローグ―“天の時、地の利、人の和”を得て―」は、次の通りである。参考に供しておきたい。併せて、本ブログ<雑感>(191)1995年と1996年、そして“いま”―野澤和弘著『弱さを愛せる社会へ』のワンポイントメモ―/2023年10月30日投稿、に添付されている記事――「日本福祉教育・ボランティア学習学会設立」『月刊福祉』第79巻1号、1996年1月、108~109ページ( ⇒ 本文 )も参照されたい。







出所:「学会誕生の経緯、志のモノローグ―“天の時、地の利、人の和”を得て―」『ふくしと教育』第17号、大学図書出版、2014年8月、42~47ページ。

〇学会の設立に関する記事(資料)を探している際に、『月刊福祉』1996年6月号(第79巻6号)に掲載されている拙稿――「今後の福祉教育の展開を考える」が目に留まった。27年前の拙稿であり、忘却の彼方に消え去ったモノである。そこでは、今後の福祉教育の展開に向けて、こんにちの福祉教育が抱える問題や課題のうちのいくつかについて考察を加えている。(1)こんにちの福祉教育には総合的・計画的推進と学際的・実践的研究が求められている、(2)福祉教育とボランティア活動、ボランティア学習の関連について整理する必要がある、(3)福祉教育の評価とボランティア活動についての社会的評価は次元の異なるものである、(4)高齢消費者が増大するなかで消費者教育の一環としての福祉教育の推進が求められる、がその枠組み(見出し)である。そのうちの(4)については、次のように記している。

高齢消費者が増大するなかで消費者教育の一環としての福祉教育の推進が求められる
高齢社会は、高齢消費者したがってまた障害消費者が増大する社会である。「自立した消費者」の育成を図るための消費者教育、その一環としての福祉教育の推進が求められる。
高齢者の生活基盤は、心身の機能の低下や意思能力の衰退、それに経済的・社会的・家族的状況の変化などによって脆弱化、不安定化する。また、在宅福祉サービスの有料化や商品化が進むなかで、高齢者固有の経済的かつ精神的・身体的な消費者トラブルや被害が発生し、増大している。そこで、充実した消費生活基盤の確立をはじめ、消費者トラブルや被害に対する救済システムの整備、それに予防システムとしての自立した消費者の育成が重要な課題となる。
消費者教育は、「消費者が各自の生活の価値観、理念(生き方)を個人的にも社会的にも責任を負える形で選び、枠組みし、経済社会の仕組みや商品・サービスについての知識・情報を理解し、批判的思考を働かせながら合目的的に意思決定し、個人的、社会的に責任が持てるライフスタイルを形成し、個人として、また社会の構成員として自己実現していく能力を開発するものである」(日本消費者教育学会)。福祉教育は、社会福祉の制度・施策の仕組みや商品・サービスについての知識・情報を理解し、自主的・主体的、総合的・合理的に判断し、意思決定することのできる福祉商品・サービス消費主体の形成を図るものでもある。この点において、消費者教育の目的と福祉教育のそれは同根であり、両者は密接なかかわりのなかで展開されなければならないといえる。さらに、消費者教育と福祉教育はともに、単なる知識・情報の理解にとどまるものではなく、福祉商品・サービス消費主体としての意思決定能力の育成と態度・行動の変容・変革を促すものであり、そこから体験的・実践的学習活動が重視される点も共通するところである。消費者教育の一環としての福祉教育の実践と研究が求められる。(『月刊福祉』1996年6月号、全国社会福祉協議会、47ページ)

〇当時筆者は、消費者教育の一環としての福祉教育の展開に関して、まずは次の3つの側面における福祉教育のあり方が問われるとしている。①福祉商品・サービスや介護サービスの消費者・利用者(要介護者本人やその家族など)に対する福祉教育、②福祉商品・サービスや介護サービスの事業者や専門家に対する福祉教育、③福祉商品・サービスや介護サービスを安定的・継続的に提供するための市民的・世代間合意を図る福祉教育、がそれである。
〇また、こうも言ってきた。「消費者教育が学習素材として取り上げる消費者問題は、商品・サービスの購入や消費の際に生ずる消費者被害や不利益に関する問題(『取引問題』)としてのみとらえるのではない。それは、『生活環境問題』や『生活問題』としてとらえることが肝要となる。その点において、消費者教育と福祉教育は密接な関係性をもつ」。「消費者教育やその一環としての福祉教育は、健康で、社会参加の意思と能力を備えた高齢者に対しては有意義である。しかし、病気がちなどで社会参加の意思と能力が減退し、しかも記憶力や思考力、判断力などが低下した高齢者に対しては、その成果を期待することは難しい。そこに、代弁的機能(アドボカシー)あるいは後見的機能(ガーディアンシップ)を含めた福祉的かつ教育的な働きかけが必要不可欠となる」(阪野貢「福祉サービス消費者の主体形成と福祉教育―消費者教育に学ぶ―」『福祉文化研究』第6巻、日本福祉文化学会、1997年3月、37~38ページ)。改めて思い起こしておきたい。
〇また当時(2000年以降)、消費者教育の観点や視点から福祉教育について言及する論考が筆者の目に留まった。例えば、次のようなものがそれである。

[1]永原朗子・鳥井葉子・田結庄順子「21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成(第1報)―高齢化・高齢者に関する福祉教育の授業分析結果を手がかりに―」『消費者教育』第21冊、日本消費者教育学会、2001年10月、175~184ページ。
[2]鳥井葉子・永原朗子・田結庄順子「21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成(第2報)―高齢者に関する福祉教育の学習開発の枠組み―」『消費者教育』第22冊、日本消費者教育学会、2002年9月、149~156ページ。
[3]田結庄順子・鳥井葉子・永原朗子「21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成(第3報)―高校生を対象とした高齢者の消費者被害に関する授業研究―」『消費者教育』第25冊、日本消費者教育学会、2005年9月、133~140ページ。
[4]田村久美・水谷節子「消費者教育の一環としての福祉教育―市区町村社会福祉協議会の調査結果から―」『消費者教育』第25冊、日本消費者教育学会、2005年9月、21~32ページ。

〇[1]では、「福祉教育の学習テーマとして高齢者の消費者問題・被害をとりあげることは、福祉をめぐる問題の所在を究明し、その解決にむけての実践力を育成していく上で重要である」(178~179ページ)とする。そして、「消費者教育と福祉教育の関連性」について次のように整理している(179ページ)。

消費者教育
[目的]
個人的かつ社会的な生活の質的向上を図るために自らの生活目標や価値意識を形成し、商品・サービスの購入・使用・廃棄にあたっては、自主的・主体的・総合的・合理的に判断し、意思決定し、自己の生活を主体的に創造していくことの出来る力を育成すると共に、消費者問題・被害については、その事実を認識し、その解決のためには他者と連帯して行動する能動的で積極的な消費者を育成すること。
[学習素材]
*商品・サービスの購入や消費の際に生じる消費者被害や不利益に関する問題(取引問題)
*ゴミ・資源問題をはじめとする生活環境問題(生活問題)
*高齢者・障害者・女性・子どもの福祉問題(生活問題)
福祉教育
[目的]
人権を擁護し、個人の尊厳を守り、安心して生活出来るように、社会福祉の制度・施策のしくみや商品・サービスについての知識・情報を理解し、自主的・主体的・総合的・合理的に判断し、意思決定することの出来る福祉商品・サービス消費の権利主体の形成を図ると共に、ともに生きる福祉社会の創造に向けて、福祉問題を解決していくために他者と連帯して行動する能動的で積極的な人間を育成すること。
[学習素材]
*高齢者・障害者・女性・子どもの福祉問題(生活問題)

〇そして永原らは、結論的に次のようにいう。消費者教育、福祉教育、家庭科教育の「3つの教育に見られる生活主体育成の学習の視点から共通点をまとめると、人間らしい生活の創造の視点に立ち、日常生活における問題・課題を発見し、社会的視野まで取り込んだ生活に関わる課題の改善・解決に主体的に取り組むことの出来る主権者としての自覚と実践力の育成と言える。従って、21世紀の新しい消費者教育における生活主体育成の課題は、(中略)福祉教育の理念・目標の導入を欠かすことが出来ない。つまり、(中略)(21世紀の新しい消費者教育は)高齢者の福祉をめぐる消費者問題・被害を検討する中で、高齢者福祉文化の創造や共に生きる福祉社会の創造に向けて、他者と連帯して福祉の理念、制度、施策等に関する問題や課題の改善・解決策を具体的に提言していくことの出来る主権者としての自覚と実践力を育成していくことにある」(182ページ)。「“ ゆとり ”や “ うるおい ”のある生活を優先する価値観を大切に、『人間の尊厳と人間性の尊重―人権の尊重と擁護―を基盤とするこころ、精神、思いやりの育成・高揚』と『共に生きる福祉社会の創造』を目指す福祉教育を通して人間らしさを継承していくことは、これからの消費者教育にも求められる」(183ページ)。
〇[2]では、中学校・高等学校の高齢者に関する福祉教育の学習開発のための枠組みを検討し、授業実践のための具体的な学習内容案を提示する。表1は、消費者教育における高齢者福祉教育の「学習開発の枠組み」を示したものである。それに沿って「学習内容案」を提案したのが表2である。

表1 中学校・高等学校の消費者教育における高齢者福祉教育の学習開発の枠組み

出所:「21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成(第2報)」『消費者教育』第22冊、日本消費者教育学会、2002年9月、153ページ。

表2「高齢者の消費生活と福祉環境」学習内容案

出所:「21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成(第2報)」『消費者教育』第22冊、日本消費者教育学会、2002年9月、154ページ。

〇そして、鳥井らはいう。「表2の各学習テーマにおいて、高齢者とかかわった具体的な学習活動を通して、高齢者の人権を侵害する消費者問題を把握し、その改善策を考え、社会へと発信していくことにより、表1で示した消費者教育における高齢者福祉教育の目的が達成できる。また、(それは)このような学習過程を通して、21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成をめざすものである」(155ページ)
〇[3]では、「オレオレ詐欺」(振り込め詐欺)を“ 導入 ”にして、「年金証書を担保とした貸し金被害」「商品先物取引」を“ 展開 ”し、「高齢者の消費者被害の特徴」を“ まとめ ”る授業研究をおこなっている。
〇[4]では、次のように主張(議論)する。「消費者教育は、高齢者福祉の充実を図る一助として、高齢者や高齢者を抱える家族の消費生活のより積極的支援にかかわることが重要になる。消費者教育の一環として福祉教育を視野に入れることは、生活者を対象としながらも消費者の視点に重点をおくことであり、福祉教育の一環として消費者教育を視野に入れることは、生活者を対象としながらもそこに消費者の視点も取り入れていくことを意味する。高齢社会の地域福祉をより発展させる一つの媒介である情報・学習は、福祉教育が支援する領域と消費者教育が支援する領域といった独立した点と、両教育の共通する領域の連携した点、いわゆる何を支援するかといった情報・学習内容の棲み分けが必要である」(30ページ)。そして、田村らは、「高齢者福祉に関する消費者教育の一環としての福祉教育」の促進に向けた体系図(図1)を示す。

図1「高齢者福祉に関する消費者教育の一環としての福祉教育」の促進にむけた体系図―福祉教育をアプローチとして―



*Ⅲの ● は、特に高齢者、被介護者、家族介護者に関する福祉教育内容のキーワードを示す。

出所:「消費者教育の一環としての福祉教育」『消費者教育』第25冊、日本消費者教育学会、2005年9月、30~31ページ。

〇以上、本稿では思いがけないことによって、かつて筆者が興味・関心を寄せた「消費者教育の一環としての福祉教育」に関する若干の資料を提示することにした(本稿の真のねらいはここにある)。その問題の重要性は、こんにちの福祉商品・サービス(費用負担、心理的抵抗感、情報格差など)や介護サービス(介護難民、老老介護、介護人材不足など)の現状を考えると、むしろ高まっていると言わざるを得ない。これを機会に、そのあり方等について改めて探究したいものである。

付記
冒頭に記した学会総会に参加している際に、傘寿(さんじゅ)を迎えられた大橋謙策先生からメール――「老爺心お節介情報」第50号が届いた。そのなかに、「大学の教員、研究者として、各種学会での発表のオブリゲーション(義務、責任)もなくなり、75歳以上で名誉会員に推挙されると、学会の理論研究をリードしようというモチベーションも下がり、研究範囲が狭隘になり、唯我独尊的になり、研究意欲も減退することになります」という一文があった。常にご自分を厳しく律してこられた(いまも律しておられる)先生ならではの言葉である。勝手ながら、筆者へのメッセージ(叱咤、鼓舞)として受け止めたい。

老爺心お節介情報/第50号(2023年11月4日)

「老爺心お節介情報」第50号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。
私の方は、相変わらず全国を飛び回っています。
「老爺心お節介情報」第50号を送ります。

2023年11月4日  大橋 謙策

<最後の「大橋ゼミホームカミングデー」が盛会裡に行われる>

〇去る10月28日、最後の「大橋ゼミホームカミングデー」が東京・市ヶ谷のアルカディアで行われました。130名の卒業生が、北は北海道、南は沖縄、海外からも韓国から3名の卒業生が集まり、盛会裡に行われました。
〇大学教員として、日本社会事業大学の学部のゼミ生、卒論指導学生約600名、大学院修士課程の修了者は日本社会事業大学大学院、東北福祉大学大学院合わせて約110名、博士課程は同約25名の修了者を指導してきました。大学教員50年間の集大成の、最後の「大橋ゼミホームカミングデー」でした。
〇私は1943年10月26日生まれで、ちょうど80歳ということもあり、教え子たちから傘寿のお祝いをして頂きました。結婚して53年、金婚式は新型コロナウイルスの騒ぎでできませんでしたが、傘寿を夫婦でお祝いして頂き、夫婦ともどもしみじみと“いい人生!”を送らせていただいたと教え子、関係者の皆さんへの感謝の気持ちが日々口をついて出ます。
〇本当に関係者の皆様に感謝とお礼を心より申し上げます。
〇下記の文は、「大橋ゼミホームカミングデー」の資料集に載せた挨拶分です。

『大橋ゼミ・50周年ホームカミングデー挨拶』

日本社会事業大学名誉教授
大橋 謙策

・1989年、日本社会事業大学に赴任してから、15年を記念して第1回のホーミカミングデーを開催しました。
このホームカミングデーは、故平田冨太郎学長の提言です。平田富太郎学長は、単科大学としての日本社会事業大学は卒業生を大切にして、リカレント教育の一環として、ホームカミングデーをゼミ毎に開催すべきと強く要望されました。
・それは、私が1974年、日本社会事業大学に赴任する際、五味百合子先生、仲村優一先生から言われたことと同じです。
日本社会事業大学の教員は、個人の研究もさることながら、学生指導、学生への教育を大切にしてほしい旨の訓示が度々されました。
私は教員の大学教員の教務分担として、新任教員は学生委員会に所属させられ、学生教育の重要性を学べと言われました。
・恩師である小川利夫先生からは、厚生省(当時)から委託を受けている日本社会事業大学の立ち位置を考えたら、“単なる大学教員”に甘んじてはいけない。日本社会事業大学を代表して、日本社会福祉学会などで評価される研究者になれと諭されました。
・これらの教えを胸に、ある意味、家族を“犠牲”にして、日本社会事業大学で教育・研究に励んできました。
子どもたちは、父親と楽しい時間をどれだけ持つことができたのでしょうか、時には、学生の調査実習の際に、家族を連れて行き、家族には別行動してもらいながら、学生の調査実習の合宿指導を行いました。
家庭では妻に全てを任せ、妻に“明日は日曜日でしょ”と言われても、原稿書きがあるとか、文献を読まなくてはいけないからと言っては、家事もせず、子どもとの団らんの機会も多くは持ちませんでした。
今となっては悔いは残りますが、私の研究、教育、実践に全面的に家族が協力してくれたお陰だと、妻と子どもに感謝の念で一杯です。心からお礼を伝えたいと思います。
・このような経緯があったからでしょうか、教員、研究者として日本社会事業大学の学長はもとより、日本社会福祉学会会長、日本学術会議会員、日本社会事業学校連盟会長をさせて頂きました。
結果として、日本社会事業大学の先生方からの教えに背くことなく、50年間の大学教員の責務を全うできました。
・研究者としての評価は後世に委ねなければなりませんが、研究業績を「著作集」として刊行するのではなく、ある意味、岡村重夫先生を見習った訳ではありませんが、大橋謙策理論の集大成ともいえる著作『地域福祉とは何かー哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』を2022年4月に上梓できました。
・唯一ともいえる残された課題は、5年ごとに行ってきたホームカミングデーをいつ終結するかという課題です。
ホームカミングデーは単に、卒業生が集まり、懇親し、近況報告をするというものでは駄目で、ホームカミングデーはある意味リカレント教育の場でもあるので、教員が教え子に最先端の研究、理論、実践を自ら指し示す機会でなければならないと教えられました。
そのために、ホームカミングデーごとに、5年間に教員がどのような論文を書いたのか、どのような実践・研究をしたのかを卒業生に示し、卒業生の学びを促す機会でもなければならない儀式でもあります。
このことは、結構教員にとっては辛いタスクであり、儀式です。教員として、研究者として、“生きて”いなければ、“論文を書いて”いなければ、ホームカミングデーは単なる懇親の場になってしまいます。
大橋ゼミホームカミングデーの機会に、私が5年間書いた物の中から、数編を選んで資料集として冊子にし、参加者に配布すると同時に、この間お世話になった方々に配布してきたのも、研究者、教員として責務を果たしていますという“アリバイ証明”でもありました。
この作業は、結構辛いもので、論文を書ける時もあれば、書けない時もあります。コンスタントに実践し、研究し、論文にまとめるという作業はよほど意識して取り組んでいないと書けないものです。
政策や制度の解説的なものは、すぐ“時とともに色褪せて”しまうもので、5年経ても色褪せず、卒業生に読んでほしいというものを書き続けるということは、一つ一つの論文で、常に社会福祉実践、社会福祉理論における研究課題は何か、事象を分析する視点に従来にない鋭さがあるか、事象に流されずに、社会問題として構造的にとらえられているかなど、研究者、教員としての知見が常に問われることになります。まさに、教員、研究者として“生きているか”が問われることになります。
これらの作業をするためには、常に“アンテナを高く、広く張り”、情報収集に努め、何が社会福祉分野における理論課題なのかを考えていなければできない作業であります。
大学教員としての現役の時は、仕事がら必要な情報が“相手からもたらされる”という状況もありますが、国や自治体の委員、あるいは各種団体の役職・委員を退任しているものにとって、これらの役職・委員就任で得られている情報を自らの手で、体系的に収集把握することは容易ではありません。
また、大学の教員、研究者として、各種学会での発表のオブリゲーションもなくなり、75歳以上で名誉会員に推挙されると、学会の理論研究をリードしようというモチベーションも下がり、研究範囲が狭隘になり、唯我独尊的になり、研究意欲も減退することになります。
・私は今年80歳になり、上記の役割を担うことができなくなってきています。5年毎のホームカミングデーをここで終結し、教員、研究者としてなすべきことの責務から開放され、一人の“老爺”として、気軽に、自分の思うところを発信したいと思うようになってきました。2022年から始めた「老爺心お節介情報」の発信はその一端です。

#(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(阪野貢 市民福祉教育研究所で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

・ホームカミングデーは今回で8回目を迎えますが、この間のホームアカミングデーの開催にあたっては、多くの卒業生のご協力、ご支援があったから開催できました。
今回も、岡村英雄さん、田中裕美子さん、菱沼幹雄さん、平野裕司さんはじめ多くのゼミの卒業生のご協力、ご支援を頂きました。すべての人の名前を記載できませんが、この紙上を借りて、ここに厚く感謝とお礼を申し上げます。
・私は、後2年、(公財)テクノエイド協会理事長、富山県福祉カエレッジ学長を担う予定ですが、研究者、大学教員としての責務は今回のホームカミングデーをもって終了とさせていただきます。
卒業生の皆様には、自立した、かつ自律した職業人として、日本社会事業大学の建学の精神を忘れることなく、仕事に励んで頂きたいと思います。
皆様のご健勝とご多幸を心より祈念しています。今日からは、教師、研究者ではなく、“年老いた恩師”として、末永く懇親、懇談できればと願っています。

(2023年9月1日記)

阪野 貢/福祉文化・福祉教育・ボランティア活動―NHK社会福祉セミナーより―

NHK社会福祉セミナー
――福祉文化・福祉教育・ボランティア活動――

目 次

(1)児童福祉施設の役割と課題/1997年8月10日放送
(2)家庭福祉と福祉教育/1997年8月17日放送
(3)ボランティアの意義と役割/2001年1月7日放送
(4)福祉教育とボランティア活動/2001年1月21日放送
(5)児童福祉の制度と施設/2001年8月12日放送
(6)家庭福祉の重要性/2001年8月19日放送
(7)福祉教育とボランティア/2001年12月16日放送
(8)福祉ボランティアの意義/2003年3月2日放送
(9)青少年教育と福祉ボランティア/2003年3月16日放送
(10)福祉ボランティアの意義と役割/2004年2月1日放送
(11)福祉教育とボランティア活動/2004年2月15日放送
(12)福祉ボランティア活動とは/2004年12月5日放送
(13)福祉文化と福祉教育/2006年3月19日放送
(14)福祉環境づくりと福祉教育/2007年3月18日放送
(15)福祉文化と福祉教育/2008年3月23日放送
(16)福祉環境づくりと福祉教育/2009年1月4日放送

*   *   *

(1)児童福祉施設の役割と課題
(2)家庭福祉と福祉教育
NHK社会福祉セミナー/1997年8月-11月/1997年8月1日発行









(3)ボランティアの意義と役割
(4)福祉教育とボランティア活動
NHK社会福祉セミナー/2000年12月-2001年3月/2000年12月1日発行









(5)児童福祉の制度と施設
(6)家庭福祉の重要性
NHK社会福祉セミナー/2001年8月-11月/2001年8月1日発行








(7)福祉教育とボランティア
NHK社会福祉セミナー/2001年12月-2002年3月/2001年12月1日発行




(8)福祉ボランティアの意義
(9)青少年教育と福祉ボランティア
NHK社会福祉セミナー/2003年1月-3月/2003年1月1日発行








(10)福祉ボランティアの意義と役割
(11)福祉教育とボランティア活動
NHK社会福祉セミナー/2004年1月-3月/2004年1月1日発行









(12)福祉ボランティア活動とは
NHK社会福祉セミナー/2004年10月-12月/2004年10月1日発行





(13)福祉文化と福祉教育
NHK社会福祉セミナー/2006年1月-3月/2006年1月1日発行





(14)福祉環境づくりと福祉教育
NHK社会福祉セミナー/2007年1月-3月/2007年1月1日発行





(15)福祉文化と福祉教育
NHK社会福祉セミナー/2008年1月-3月/2008年1月1日発行




(16)福祉環境づくりと福祉教育
NHK社会福祉セミナー/2009年1月-3月/2009年1月1日発行




阪野 貢/1995年と1996年、そして “ いま ” ―野澤和弘著『弱さを愛せる社会へ』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、野澤和弘著『弱さを愛せる社会へ――分断の時代を超える「令和の幸福論」』(中央法規、2023年9月。以下[1])という本がある。野澤は、著名なジャーナリスト(新聞社の社会部記者、論説委員)であり、大学教員でもある。
〇[1]で野澤は、報道の現場で向き合ってきた少年犯罪の厳罰化、いじめ、ひきこもり、自殺、津久井やまゆり園事件、障がい者の身体拘束、ALS(筋萎縮側索硬化症)嘱託殺人、(ギャンブルや薬物等の)依存症、虐待する親たちの増加、正社員の解体等々の社会問題(生活問題)の本質を深く鋭く抉り出す。そして、「社会の劣化」「社会の崩落」を訴え、これからの時代に必要な価値観の転換を説く。
〇そこには、「孤独だった」「異質な存在だった」(22、23ページ)と述懐するひとりのジャーナリストとしての正義感とそれに基づく批判精神、ひとりの大人(重度知的障がい者の父親)としての自覚とそれ故の確信、そして「令和の時代に幸福な社会をもたらすヒントを見つけたい」(32ページ)という願いと過去に学び未来を拓く覚悟がある。そこに通底するのは「真摯」であり、野澤の言葉は厳しく重い。
〇「社会的弱者に寄り添う記事」を書き続け、「社会的弱者を支える実践」に取り組み続ける野澤の言説から、そのいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

1995年に日本社会は転換しその翌年に小さなやさしい風が吹いた
バブル崩壊(バブル景気:1981年~1991年頃、バブル崩壊:1991年~1993年頃)から今日まで経済の停滞と社会の劣化は続く。/特に1995年に起きた地下鉄サリン事件や阪神・淡路大震災は社会の崩落を象徴するものとして歴史に刻まれることになった。(2ページ)/日本経営者団体連盟(日経連)が「新時代の『日本的経営』――挑戦すべき方向とその具体策」を発表し、非正規雇用の増大を促し一億総中流社会を放棄する路線を示した。/1995年に起きた空前絶後の震災と犯罪、そして日本型経営(「終身雇用」「年功序列賃金」「企業別労働組合」)の大転換。運命的なものを感じさせられる。(18ページ)/未曽有の震災や事件がもたらした戦慄と混乱は日本社会の変質を決定づけたが、今振り返ってみると絶望ばかりが社会を覆っていたわけではない。(2ページ)/阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件の翌年、小さなやさしい風が吹いた。/これまで見向きもされなかった社会的弱者といわれる人々に社会や政治が手を差し伸べたのである。薬害エイズ訴訟の和解、らい予防法や優生保護法の廃止、障害者虐待の報道はいずれも1996年に起きた。/ただの偶然かもしれない。しかし、社会が崩落していくなかで、私たちは自らのなかにある弱さを見つめ、やさしさを抱きしめようとしたのだ。そうした人々の心が風を起こした。騒乱にかき消されてしまうほどの小さな風ではあったが、報道の現場で私は確かに感じた。(3ページ)

未来をすりつぶす社会の希望は過去から吹いてくる風が教えてくれる
予想を超える勢いで少子高齢化が進み、社会全体の地盤が沈んでいくのが今の日本だ。(10ページ)/報道の現場で、いじめ、ひきこもり、子どもや障害者の虐待などの記事を私は書いてきた。ジャーナリズムは歴史の最初の記録者といわれる。目の前で起きていることを記録するだけでなく、声なき声を聞き、埋もれている時代の真実を社会に伝え(「課題設定」の機能:67ページ)、政治や行政を動かす役割を担っている。今日の危機的な状況に対する責任はジャーナリズムにもある。それゆえ、私自身が未来に対する不作為の加害者でもあるのだ。(10~11ページ)/私たちは未来がすりつぶされていくことへの罪を自覚すべきだ。地図にはない暗い道を歩きながら、希望を見つけなければならない。どこかにあるはずだ。得体の知れない不安におびえ、目の前の安心にしがみついていたのでは見えないだけで、過去から吹いてくる風が教えてくれるはずである。(11ページ)

個人の暮らしに焦点を当て生身の人間の苦悩と幸福について社会化する
いじめ、ひきこもりの記事に対する読者からの反響は大きかったが、新聞社内でこうしたテーマが主流になることはなかった。政治や世界経済の動きを追い、権力を監視することがジャーナリズムの本分と信じられていた。/やはり私は主流から外れた記者だった。/真実を追っているときは孤独を感じる。ただ、国家権力を監視したり、統治する側の視点で社会を眺望したりするのとは違い、個人の私生活に焦点を当て、生身の人間の苦悩と幸福について社会化することにやりがいを感じることはできた。(16ページ)/社会が成熟してくると、政府や公的機関の役割は次第に限定的なものになり、一人ひとりの暮らしに関心の比重は高まってくる。個人の自由と多様性を享受できる社会を実現するためには、ジャーナリズムはこれまでとは違う役割が求められているのだと思う。(16~17ページ)

人々の暮らしや内面世界に安寧と潤いをもたらす価値観の転換が求められる
バブル後の30年、社会の格差は広がり、会社や地域社会のつながりは薄れ、家族すら分解されていくなかで、大人たちもまた孤立と疎外に苦しめられている。/1995年に未曽有の震災や事件の危機に直撃されたとき、自らの弱さや脆さに直面した人々のなかにやさしい風が吹いた。(中略)時の流れとともに、いつしか忘れてしまったが、今日の社会が直面している地球規模の気候変動や資本主義の行き詰まり、急激な現役世代の減少は1995年当時の危機よりもさらに大きなものである。慢性的に進行しているのでリアルに感じられないだけだ。(133ページ)/個人の力ではどうにも解決できない大きな危機に見舞われても、人々の暮らしの幸せや充足感をかみしめられる社会にしなくてはならない。(中略)この時代に生きている人々の価値観を変えなければ世界は破綻する。とりわけ社会に直接的な影響力をもたらし得る大人たちの価値観の転換が求められている。/人間の小ささや愚かさを自覚し、内面世界に安寧と潤いを運ぶやさしい風を今こそ起こさなければならないと思う。(134ページ)

過去の出来事の深層に踏み込み歴史を加筆修正していくことが重要である
バブルのあとの日本社会に起きたことを夢中になって報道してきたが、今振り返ってみるとあらゆるものが必然の糸でつながっているように思える。ジャーナリズムは歴史の最初の記録者ではあるが、歴史の真実は後の世にならなければわからないことがある。社会の最前線で目撃した者がその後の経過を追いながら過去の出来事を意味づけし、歴史を加筆修正していくことも重要な役割ではないか。「スロージャーナリズム」と私はそれを呼んでいる。/誰がどのような角度で見るかによって一つの出来事も異なる色彩を帯びて見えてくる。中立公正、不偏不党の客観報道にこだわるよりは、自らの立場を明らかにしたうえでじっくり時間をかけて深層へ踏み込んでいくことも「スロージャーナリズム」の役割と思っている。社会が多様化し、個人と社会をつなぐ情報の回路が無数に存在するようになった時代だからこそ、発信者のアイデンティティの明示が求められているのだと思う。(277ページ)

〇1995年は、筆者にとっても特別に思い出深い年である。その10月、「日本福祉教育・ボランティア学習学会」が設立された。翌1996年の11月に開催された第2回大会の基調講演では、会長の大橋謙策によって「福祉教育・ボランティア学習の理論化と体系化の課題」が提示された。福祉教育・ボランティア学習の世界に「新しい風」が吹いたのである。
〇あれからおよそ30年。その後も  “ 劣化 ”  し続ける日本社会(格差と分断と孤立の社会)にあって、その風は「追い風」になったのであろうか。現実的・実態的には、新しい風が「人々の内面世界へ吹き渡り、新しい価値観に世界を染めていく」(273ページ)ための課題は多様化・複雑化し、深刻な問題が生じてもいる。それは、福祉教育・ボランティア学習の実践と研究の劣化と空洞化が進んでいる、ともいえる。
〇ここで、いま一度原点に立ち戻ってその歴史を振り返り、福祉教育・ボランティア学習の実践と研究の今後のあり方を問うために、そしてそのための視座を再確認あるいは再構築するために、次の二つの資料を提示しておきたい。大橋による課題提起(理論的枠組みとその構造)は、「憲法13条、25条等に規定された人権を前提にして‥‥‥」という書き出しで始まる大橋の福祉教育の概念規定(神奈川県・ともしび運動促進研究会:1982年3月、全社協・福祉教育研究委員会:1983年9月)による限り、今後も「足元を照らすランプ」「進む道を照らす光」(旧約聖書・詩編119:105)たりうるのであろうか。
〇実践と研究の「後進」には、歴史を単に「鵜吞みにする」「説明する」のではなく、新しい視点・視座で歴史を読み解き、意味づけることが求められる。そのためには、歴史に向き合う自分の感性と知性を「磨く」「変える」ことが必要不可欠となる。

阪野貢「日本福祉教育・ボランティア学習学会設立」『月刊福祉』第79巻1号、1996年1月、108~109ページ



大橋謙策「福祉教育・ボランティア学習の理論化と体系化の課題」『日本福祉教育・ボランティア学習学会第2回大会』1996年11月、5~9ページ



阪野 貢/「生きづらさ」の当事者研究 ―貴戸理恵著『「生きづらさ」を聴く』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、貴戸理恵著『「生きづらさ」を聴く――不登校・ひきこもりと当事者研究のエスノグラフィ』(日本評論社、2022年10月。以下[1])という本がある。貴戸は、不登校やひきこもりを経験した「当事者が集う対話の場」である「生きづらさからの当事者研究会」(通称:「づら研」)にコーディネーターとして関わりながら、「生きづらさ」についてのフィードワークを重ねている。そこでの実践は、誰もが「生きづらさ」を抱えうる現代社会にあって、「違和を表明できる場や関係性を生み出し続けるプロセスのなかに、新たな連帯を見いだす」(298ページ)というものである。
〇[1]では、「づら研」のフィールドワークを通じて「『生きづらさ』を抱えた人の意味世界に迫るとともに、『生きづらさ』を、『自分には関係ない』と感じている人びとも含めた社会全体の連帯の基礎として、捉え直すことを目指す」(4~5ページ)。即ち換言すれば、「『生きづらさ』に基づく共同性の有り様を探る」(13ページ)のである。その際に貴戸は、「生きづらさ」を「個人化した『社会からの漏(も)れ落ち』の痛み」(14ページ)と定義する。なお、[1]のサブタイトルの「エスノグラフィ」(民族誌)とは、調査対象者(「生きづらさ」を抱えた人)と同じ場(「づら研」)に身をおき、ともに行動(対話)しながら(参与)観察やインタビューを行い記録する調査手法をいう。
〇[1]における貴戸の言説のうちから、そのいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

「生きづらさ」からの脱却は、差別・不平等・貧困という社会構造的要因に目を配りながら、当事者の主観的な現実から出発することが必須である
個々の人びとが抱く「独自の人生を切り抜け、歩んできた」という実感は、「他でもない自分の人生」という圧倒的なリアリティのもとで、「社会のせいにしたくない」という誇りや、「数字など平板な記述によって解釈されうるものではない」という足元の複雑性の手放しがたさを帰結する。こうした社会構造的要因の指摘においそれとは説得されない人びとの素朴な感覚は、「自分の人生を定義するのは自分だ」という主体的な意識を下地としている。その下地に働きかけることなしに本人の認識を変えよとする営みは、「上から目線」の「啓発」「教育」にならざるをえないだろう。/社会構造的要因に目を配りながら、当事者による状況定義から出発することが必要だ。そのとき、人びとの足元に転がっている「生きづらさ」という言葉は一つの足がかりになると考えられる。(39ページ)

「生きづらさ」は10の構成要素に分節化されるが、それを組み合わせて記述することによって「生きづらさ」が明確化され、ポジティブな効果を持ちうる
(「生きづらさ」は、その構成要素として10項目に分節化される。)①無業および失業、②不安定就労、③社会的排除、④貧困、⑤格差・不平等、⑥差別、⑦トラウマ的な被害経験、⑧個々の心身のままならなさ、⑨対人関係上の困難、⑩実存的な苦しみ、である。(146ページ)/これらは相互に関連し合っており、個別に取り出せるものではない。ただ、個々の「生きづらさ」は、これらの項目の固有の濃度や絡(から)まり合いのなかで独自に存在している。(153ページ)/これらの構成要素を見定め、これらの10要素の組み合わせによって記述することで、「生きづらさ」という漠然とした言葉に一定の輪郭が生まれてくる。こうした記述は、複合的な困難を抱える個人と、それをとりまく社会環境とのあいだのコミュニケーションを回復させることに役立ち、いくつかのポジティブな効果を持ちうる。(153~154ページ)/第一に、複合的な困難を抱える個人が適切な支援を探索していく一助となりうる。第二に、「生きづらさ」を特別な事情を抱えた人だけの問題とするのではなく、濃淡はあれ現代社会に生きる多くの人に関わりのある事柄として捉え直すことが可能になる。(154~156ページ)

自分の「生きづらさ」を理解することを通して他者の「生きづらさ」を想像することができ、自分と他者がつながるなかで社会構造が見えてくる
「生きづらさ」と言う言葉には両義性があり、「限界」と「希望」をともにはらんでいる。/「限界」は、降りかかる困難を個人の感覚に押し込めることで、問題の個人化傾向を一層推し進める点だ。目の前の苦しい気持ちは、それだけにフォーカスしていると、自責や自己嫌悪が膨らみ、恵まれて見える他者への恨みや、救いのない社会への憎悪などが募っていく。(287ページ)/他方で「希望」もある。「生きづらさ」は、それを抱えている人自身が問題に取り組み、個人的な事情の向こうに構造の問題を見通していく契機にもなりうるのだ。「生きづらさ」という言葉を通じて自己の特徴や傾向を理解することで、「自分の人生を生きる」うえでのある種の「落ち着き」のようなものを得ていくことがある。「落ち着き」とは、諦めや絶望ではなく、「過去を消すことはできず、この人生の延長を生きるしかない」と腹をくくることであり、あがきや落ち込みも含めて、一筋縄ではいかない自己を受け容れていく態度である。そのように自己の「生きづらさ」を理解することで、他者の「生きづらさ」に想像をめぐらせることができるようになり、それらの向こうに共通の構造を見通すことにも開かれていく。/「生きづらさ」という言葉が、「限界」へ向かうか、「希望」の方向へ舵を切るかの分岐点は、第一に、本人がみずからの「生きづらさ」について探求すること、第二に他者との共同性のなかで取り組むこと、である。(288ページ)

「同じであるからつながれる」のではなく、個々の「生きづらさ」に基づく「つながれなさを通じたつながり」のなかに新たな共同性や連帯を見出すことができる
(「づら研」の)参加者が持ち寄る個々多様な「生きづらさ」は、「私とあなたと同じではない」「容易にはつながれない」という感覚をたびたび突きつける。だが、そうした違和感を、抱くたびに表明することができ、それをしても排除されることはないということについては、共通の信頼感を醸成していくことができる。それはいわば「つながれなさを通じたつながり」ともいうべきものである。(298ページ)/これを象徴するエピソードがある。かつてある参加者が、「自分はここにいていいのかな、と思ってしまうことがある」と「づら研」での居心地の悪さを漏らした。さまざまな参加者の経験を聴いていると、「無業ではない自分には、暴力被害を経験していない自分には、ここにいる資格がないのではないか」と思えてしまう、というのである。この発言に対して、「自分もそう思う」とその場の多くの参加者が共感を表した。「自分は「私たち」に含まれていない」というつながれなさの感覚は、まさにそれについて共感し合うことを通じて、つながりの感覚へと接続されていったのだ。(298~299ページ)

〇繰り返しになるが、以上は要するにこうである。「生きづらさ」からの脱却は、「自分の生きづらさ」について主観的・自律的(自分だけで問題に取り組む「自立」ではない)に考え、語ることがスタートとなる。「生きづらさ」は、「当事者が集う対話」の場や関係性を通じて他者とともに語り合い、探求することで対象化される。「自分はここにいていいのか」という否定的な問いかけに対しては、「ここにいていい」という存在承認ではなく、「自分もそう思う」と共感し、不安を共有することを通じて存在論的安心感の醸成をもたらす。そして、そこに新たな連帯や共同性を見出すことになる。これが[1]のひとつの議論(主張)である。
〇筆者の手もとにもう1冊、貴戸の近著がある。『10代から知っておきたい あなたを丸めこむ「ずるい言葉」』(WAVE出版、2023年7月。以下[2])がそれである。[2]は、日本社会に充満する空気(「同調圧力」)を批判的に捉え、日常的な場面において同調圧力に流されず、それから抜け出すための「10代から知っておきたい」実用書である。
〇貴戸にあっては、「同調圧力」とは、「周囲の人びとが『こうだろう』と期待する通りにみずから考え、行動するよう迫(せま)ってくる圧力」(4ページ)のことである。その不思議さは、「だれが期待や命令を発しているのか、どこに納得の根拠があるのかわからないのに、人びとが勝手に排除の恐怖を感じ取ってみずから従ってしまう」(4~5ページ)というところにある。そして、その問題点は、①「みんなで意見を出し合って合意していくプロセスがゆがむこと」、②「異質な存在が排除されること」、③「排除の不安から『集団』に同調することでいっそう同調圧力を高め、ますます排除の不安を強化してしまう、という悪循環があること」にある(6~7ページ)。
〇貴戸はいう。「同調圧力の強い社会は、多様性を認めずマイノリティ(社会的な少数派)を排除する不寛容さと表裏一体である。同調圧力に注目することは、マジョリティ(社会的な多数派)の側がそのような社会の変革を『自分ごと』としてとらえるひとつのきっかけになりえる。同調圧力にさらされる自分自身の生きづらさに、きちんと目を凝(こ)らすことを通じて、この社会から排除された人びとの苦境を想像し、マジョリティの側から変化に向けた一歩を踏み出すことを、展望してみることができる」(9~10ページ。語尾変換)。
〇[2]では、「あなたを丸めこむ」即ちその「場」の空気に従わせようとする「ずるい言葉」として、次の24の場面が登場する。参考までに列挙しておく。

(1)親密さを利用する言葉
➀「わたしたち友達でしょ」、②「仲間だろ」、③「みんなでやることに意味がある」
(2)連帯責任を利用する言葉
④「真面目か!」、⑤「みんなが迷惑してるよ」、⑥「どうせ無駄だからやめときなよ」
(3)親切を装った言葉
⑦「どうなっても知りませんよ」、⑧「仲良くしたいなら守ってね」、⑨「悪いところをみんなで教えてあげたの」
(4)人格否定の言葉
⑩「どうしてあなただけわがままいうの?」、⑪「そんなこと思うなんておかしいよ」、⑫「ノリ悪!」
(5)集団の秩序を利用する言葉
⑬「みんなが混乱してしまうよ」、⑭「世の中そういうものでしょ」、⑮「合わせる顔がない」
(6)裏切りと思わせる言葉
⑯「よくあんな恰好できるね」、⑰「ひとりだけずるいよ」、⑱「調子に乗ってない?」
(7)排除の恐怖をにおわせる言葉
⑲「同じようにできないなら必要ない」、⑳「いいよ、別の人に頼むから」、㉑「できないなら次はあなたの番だよ」
(8)「勝ち残ること」を強要する言葉
㉒「もっとポジティブじゃないと」、㉓「今どきはこのくらいできなきゃ」、㉔「個性として活かすべき」

〇いずれにしろ、例えば、「今どき」の「世の中」で「みんな」が「自由」にやっている「普通」のこと、等々の言葉に他者の意思や行動をコントロールする同調圧力が潜んでいることに留意したい(「今どき」は「時代遅れ」、「世の中」は「仲間外れ」、「みんな」は「だれか」、「自由」は「自分勝手」、「普通」は「わがまま」であろうか)。それらは、時間や空間、人間関係などの規模や範囲の境界線を曖昧にしたまま、意図的にその数や強さなどを誇示するときに使われる。先ずはその点に関して同調圧力による自分の「生きづらさ」を見据えることによって、同調圧力に流されず、他者と繋がりながら主観的・自律的に生きることが可能になる。そしてそれが、社会を変えるはじめの一歩になる。

付記
<雑感>(87)「生きづらさ」再考―一昔前と変わらぬ “いま ” を考えるためのメモ―/2019年7月7日投稿/本文(⇦クリック)、を参照されたい。

 

阪野 貢/殺されてもよい人はいない、忘れられてもよい人はいない ―辻野弥生著『福田村事件』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、辻野弥生著『福田村事件―関東大震災・知られざる悲劇』(五月書房新社、2023年7月。以下[1])と佐藤美侑・米原範彦編『映画「福田村事件」公式パンフレット』(太秦、2023年9月。以下[2])がある。映画「福田村事件」を観た際に購入したものである。部落差別のなかを生き抜いてきた売薬行商団の支配人(29歳)の「朝鮮人なら殺してええんか」、惨状を前に鳴咽(おえつ)を漏らしながら、初行商旅の子ども(13歳)の「なんで、なんでなんで、俺たち、なんで、なんでなんで‥‥」が胸に刺さった、深く重い映画である。
〇「福田村事件」の概要はこうである。「関東大震災が発生した1923(大正12)年9月1日以降、(「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が略奪や放火をした」などの流言蜚語(りゅうげんひご)が飛び交い)各地で『不逞鮮人』(ふていせんじん)狩りが横行するなか、9月6日、四国の香川県からやって来て千葉県の福田村に投宿していた15名の売薬行商人の一行が朝鮮人との疑いをかけられ、地元の福田村・田中村の自警団によって、ある者は鳶口(とびぐち)で頭を割られ、ある者は手を縛られたまま利根川に放り投げられた。虐殺された者9名(胎児を含めると10名)のうちには、6歳・4歳・2歳の幼児と妊婦も含まれていた。犯行に及んだ者たちは法廷で自分たちの正義を滔々(とうとう)と語り、なかには出所後に自治体の長になった者まで出て、事件は地元のタブーと化した。そしてさらに、行商人一行が香川の被差別部落出身者たちだったことが、事件の真相解明をさらに難しくした」([1]帯)。なお、福田村では、殺人罪で逮捕された「かれらは自分たちの代表で捕まったのだという同情の意識から、見舞金のみならず、村をあげて農作業の援助もしたといわれる」([1]141ページ)。また、第2審(1924年9月)で懲役3年から10年の判決が言い渡され、千葉刑務所に収監されたが、その際、「福田村及び田中村では、一人前、800円位の餞別を贈ったと」([1]185ページ)されている。そして、1926年12月、「大正天皇の死去により、翌年多くの犯罪者が恩赦を受けているが、福田村事件の被疑者8名(福田村4名、田中村4名)も、第2審から2年5カ月後に全員恩赦で無罪放免になっている」([1]187ページ。)
〇関東大震災の混乱のなかで起こった福田村事件は、元をたどれば日本が1910(明治43)年8月に朝鮮を植民化したことが遠因になっていた。韓国併合によって多くの朝鮮人が日本に移住し、その一方で朝鮮半島で抗日闘争が激化するなかで、その「暴徒」に対して日本人(福田村の住民)の多くが不安と恐怖(反逆、報復)を感じ、差別意識を強めていった。その際、流言蜚語(デマ)の拡散に大きな役割を果たしたのは、政府・官憲の情報であり、新聞の報道であった。また、朝鮮人虐殺は、6,000人以上とされているが、軍・警察が主導し、主に役所や警察の教唆煽動(きょうさせんどう)によって組織された「自警団」によって行われた。それは、「国家(福田村)を憂えて」の蛮行であり、集団の狂気、共同体の暴力であった。「同調圧力」の強い現代の日本社会と「権力監視」の使命を放棄した日本のメディアの現状において、「負の歴史」に学ぶ意義は大きい。
〇スクリーンにおける船頭・田中倉蔵の一言と、それに対して悲しく笑っている売薬行商団の支配人・沼部新助の最期の一言である。([2]81ページ)

〇福田村の村長・田向龍一と新聞記者・恩田楓のやり取りである。その後、駐在が保護した生き残りの6人を連れて行く。([2]84ページ)

〇香川県の売薬行商について辻野はいう。「もともと香川県は全国一の小さな県で、『五反百姓』といって平均5反くらいしか農地を持たなかった。多くは5反以下で、小作率も全国一と高く、小作争議も頻発した。十分な耕作面積を得られない被差別部落の人たちは、行商で稼ぐしかなかったのである」([1]133~134ページ)。貧困は、歴史的・社会的要因によって階級的・構造的に作り出される不平等である。それは、生活や人生を破壊する恐怖であり、暴力である。「福田村事件」は、ロシア革命(1917年)や米騒動(1918年)などをきっかけにさまざまな社会運動が勃興する時代背景のもとで、民族差別とともに、部落差別とそれに基づく貧困に起因するものでもあった。強く認識したい。なお、香川県では、「福田村事件」の翌年1924年に県水平社が結成されている。
〇最後に、映画「福田村事件」の監督・森達也の次の一文を引いておく。「映画はフィクションだ。エンタメの要素も強い。だから実在していない人もたくさん登場する。物語を紡ぎながら事実を補強する。/でもそれは史実とは微妙に違う。だからこそ、この本の位置は重要だ。もう一度書く。忘れてはいけない。忘れたらまた同じことをくりかえす。過去にあった戦争や虐殺よりも恐ろしいことがひとつだけある。戦争や虐殺を忘却することだ」([1]242ページ)。2023年は関東大震災から100年の節目に当たる。

付記
本稿のタイトル「殺されてもよい人はいない、忘れられてもよい人はいない」は、美術作家・飯山由貴の言葉である。飯山は問う。「私たちは『殺されてもよい人はいない』ことを当たり前とする社会を、それを当たり前のこととする文化を、作れているのだろうか」([2]37ページ)。

 

阪野 貢/欽ちゃんの「運の神様に好かれる5大ポイント」―萩本欽一著『ダメなときほど運はたまる』等のワンポイントメモ―

計画的偶発性理論の骨子は、① 人生やキャリアは、(その8割が)想定外の出来事や「偶然の出来事」(happenstance)によって影響を受ける。② 偶然の出来事に対して積極的に行動・努力することによって、キャリアを発展させることができる。③ 偶然の出来事をただ待つだけでなく、それを引き寄せる・創り出すために積極的に行動し、変化する状況に注意を向けることによってチャンスが生まれる。また、チャンスが来たときにそれを掴(つか)める準備をしておくことによってキャリア形成を図ることができる、というものである。(<雑感>(182)阪野貢)

〇本稿は、<雑感>(182)追補/「キャリア」再考:計画的偶発性理論をめぐって―J.D.クランボルツ・A. S.レヴィン著『その幸運は偶然ではないんです!』のワンポイントメモ―/2023年7月25日投稿、の追補である。
〇筆者(阪野)の手もとに、萩本欽一(「コント55号」「視聴率100%男」の欽ちゃん)の本が3冊ある。『ダメなときほど運はたまる―だれでも「運のいい人」になれる50のヒント』(廣済堂新書、2011年1月。以下[1])、『負けるが勝ち、勝ち、勝ち!―「運のいい人」になる絶対法則』(廣済堂新書、2012年10月。以下[2])、『続 ダメなときほど運はたまる』(廣済堂新書、2015年2月。以下[3])がそれである。そこで欽ちゃんは、「運のいい人になる」ための人生訓や「運をつかむ生き方」を説く。その際、欽ちゃんにあっては「運の神様」は実在し(「僕には専属の運の神様がいるんです」[2]47ページ)、「運」はコントロールすることができるのである。またその3冊から、一面あるいは一部において、キャリア理論のひとつである「計画的偶発性理論」(Planned Happenstance Theory)に関する素材やヒントを見出すこともできようか。
〇欽ちゃんはいう。「目の前には3つの運がある」(3ページ)。「生まれながらの運」と「だれかが持ってきてくれる運」、そして「努力した人の元へやってくる運」である。「生まれながらの運」を持っているのは、つらい環境や子育てに向かない親の元に生まれてきた人などで、こういう人は自分の境遇を恨まず、ごく普通の生活を送っているだけで必ず幸運がやってくる。「だれかが持ってきてくれる運」は、人から好かれている人、いやなことをじっと我慢している人、人間関係に悩んでいる人、いじめられている人などにくる。しかも、人を見る目が育つという“おまけ”もついてくる。「努力した人の元へやってくる運」については、「努力は人を裏切らない」という言葉があるが通りである([1]3~8ページ)。
〇そして、欽ちゃんは、「これまでの人生を振り返って見ると、80%以上は『運』で生きてきたような気がします」([2]174ページ)という。その「運を呼び寄せる」ために大事なことを、次の5つに要約する(「運の神様に好かれる5大ポイント」)。

① 運は自分で貯金する――だれもが運の預金通帳を持っており、その人の生活に応じて増えたり減ったりしている。
② 向いていない場所に運がある――運は好きなことのなかにではなく、苦手なこと、向いていないことのなかに落ちている。
③ 運は言葉と行動に左右される――運も不運も自分の周りに漂っているが、そのなかからいい運を引き寄せるには、いい言葉やいい行動が必要になる。
④ 運と不運はトータル50%ずつ――人生の最期の日にトータルすると、運と不運は半分半分になり、つまり運から見ると人生はチャラ(プラマイゼロ)である。
⑤ つらい境遇は「運のせい」にする――つらい境遇にいる人には、いつか絶対いい運がやってくるので、「今、このとき」の不運について深刻に考えすぎないようにしたほうがいい。([3]181~188ページ)

〇ここで、[3]から、恣意的であることを承知のうえで、運を引き寄せる(「運のいい人」になる)法則やヒント、態度や行動のいくつかを引いておく。

●  運の神様に好かれるコツは、人間関係で言えば、「威張らない」「気をつかう」「親切にする」、たったこれぐらい。(19ページ)
●  運のいい人になるためには、運を引き寄せるための行動や言葉をいつも考えて、用意しておいたほうがいい。(43ページ)
●  運の神様は「運」を人に託して運びます。あなたも周りの人もすべて、「運」をもたらすメッセンジャーです。(70ページ)
●  性格のよさや誠実さって、周りの人間に「放っておけないな」と思わせて、運を呼び寄せるんです。(157ページ)
●  そのときの損、得じゃなくて、自分の目の前にやってきたことを精いっぱいこなしていく人に、運は近づいてくるんです。(168ページ)
●  運の神様は、才能や頭脳のありなしじゃなく、努力の足跡を見てくれています。(178ページ)

〇ここ数本(「夢」「キャリア」等)、T氏に対する念(おも)いから、意図的に本筋のテーマからそれたような記事を投稿してきた(本質的にはそれていないと認識している)。ここらで、閑話休題(かんわきゅうだい)としたい。

あなたが夢を追求する道中では、よく目を開き耳をすませておくことをお勧めします。チャンスがやってきたときにそれをつかむ準備ができていれば、想定外の出来事があなたをさらによい結果へと導く可能性があります。(<雑感>(182)阪野貢)

老爺心お節介情報/第49号(2023年9月18日)

「老爺心お節介情報」第49号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

未だ残暑が厳しい日々ですが、皆様お変わりありませんか。
くれぐれもご自愛の上、地域福祉実践向上に向けてご活躍下さい。

2023年9月18日   大橋 謙策

Ⅰ 『障がい者と地域社会の真の共生をめざして』(石橋須見江著、幻冬舎、2023年8月)を読んで

〇著者は、日本社会事業大学を卒業後、栃木県の特別支援学校の校長を務め、定年とともに社会福祉法人パステルを設立した。
〇本書は、著者が理事長を務めている社会福祉法人パステルが、障害分野のサービスを提供するだけでなく、如何に障がい者が地域社会の真ん中に位置づけられ、真の地域共生社会を作るれるかを25年間追い求めてきた実践の書である。
〇障がい者が従来の福祉の枠の中で生活できるようにするだけでなく、障がい者が地域づくりの担い手であり、障がい者も旅行を楽しみ、音楽を楽しみ、人との出会いを楽しめる権利を実現できるように追い求めてきた実践が書かれている。
〇社会福祉法人パステルがある栃木県南部の小山市は、絹村、桑村という地方自治体が存在していたように、かつて桑、絹、結城紬の産地であった。その廃れた桑に関わる産業を、障がい者を中軸に据えて、小山市行政、小山市商工会、JA等の関係機関を巻き込んだ実践を展開してきた。これらの事業は農林水産省をはじめとして、各種の表彰を受ける等高く評価されている。
〇と同時に、小山市間々田に「CSW(コミュニティソーシャルワーク)おとめ」を開設し、地域住民にも愛されるイタリアンレストランを開き、そこで月1回の音楽コンサートを開催している。さらには、桑の葉の摘み取り作業などを小学生や住民と協働することにより、地域共生社会を生み出す福祉教育の実践も行っている。
〇本書は、これからの社会福祉の在り方を考えるうえで、社会福祉関係者の必読の本である。是非読んで頂きたい。

Ⅱ 『参加・貢献の社会保障法――法理念と制度設計』(西村淳著、信山社、2023年2月)を読んで

〇2023年7月16日に、親交のある元日本福祉大学の学長をされた二木立先生から、以下のようなメールを頂いた。

(二木立先生からのメールの一部・2023年7月16日受信)
西村淳さんは、厚生労働省キャリアを経て、公募で神奈川県立保健福祉大学教授になり、社会福祉士資格も取得して、同大学では社会福祉やソーシャルワークを教えています。
早稲田大学の菊池馨実さんの指導を受けて博士号(法学)を取得し、本書では菊池さんの「自由規定的社会保障論」をさらに徹底・純化して、個人は参加・貢献の「見返り」として「社会保障の権利を得る」と主張しています。
私は、西村さんが厚生労働官僚だった時からの友人で、社会保障強化派&社会福祉に理解のある「良識派」と大いに期待していたのですが、このスタンス・立論には強い違和感を感じました。
この本のもう1つの特徴は、「総論」(原論)で終わるのではなく、「保健医療福祉」の法的構造についても論じていることで、「ソーシャルワークの法的構造」や「地域福祉の法的構造」についても論じています。
この本は、「医療・福祉研究塾(二木ゼミ)」の8月(19日)研究会で、以下のように紹介・推薦する予定です。後半では私の疑問も率直に書きました。ただし、私は「はしがき」を読んだ後、本文は拾い読みしただけです。
大橋先生のこの本の評価をご教示いただければ幸いです。

(筆者からの当面のメールを頂いたことへの返信・2023年7月17日発信)
先生のメールを読んで、「地域福祉の法的構造」というのがよく分かりません。
権利論、法制論、現行の法体系の面からのみ地域福祉を見るのでしょうか。
廣澤孝之さんの『フランス「福祉国家」体制の形成』(法律文化社)や金澤周作さんの『チャリティとイギリス近代』(京都大学学術出版会)・『チャリティの帝国』(岩波新書)などを読んでも、社会哲学、社会システム論としての地域福祉を考えることが大切なのではないかと思います。それを日本の法構造からのみ”見る”のは、法学分野からの博士論文だからなのでしょうか。

(筆者が本を読んで二木立先生に送ったメール・2023年8月21日発信)
以前、感想を聞かせて欲しいと言われていた、西村淳著『参加・貢献支援の社会保障法』を読ませて頂きました。
①従来の社会保障法体系とは異なる視点として、「参加・貢献支援」という考え方から社会保障法体系を立論しようとする視点、意欲は大いに評価します。
②しかしながら、住民の“社会参加と社会貢献”は、社会保障法上の「参加・貢献」に留まらないわけで、その整理がもう一つかなという感がしました。
それは、以前のメールで伝えましたように、社会哲学、社会思想、社会システムとの関りを意識したうえで、整理をしないとダメだと思っています。
1601年のエリザべス救貧法を取り上げていますが、同じ年に作られた「Statute of Charitable Uses」という国民の社会参加におけるボランティア活動の保障には触れられていない等やや論証の枠組みが荒い感がします
フランスの「社会保障体系」等も考えると、日本の社会保障法体系の枠組みの中で、「参加・貢献支援」を考えるということは、よほど限定的に考えないといけないのかなと思います。
私なりに言えば、“日本の社会保障法体系における”参加・貢献支援“の位置と意義”に関する研究ということなら納得できます。
③第6章の「地域福祉の法的構造」は、正直、“期待はずれ”でした。ただし、P.162の検討の3つの課題や、P.166の3つの指摘は、法体系とは別に大いに議論すべき課題だと思いました。
④第5章のソーシャルワークの法的構造は、イギリスとの比較において、参考になりました。
ただ、1998年のイギリスにおけるソーシャルケア(ソーシャルワークとケアワークとの一体的研修等)との関りも論究してほしかったですね。在宅福祉サービスの時代には、ソーシャルワークとケアワークとの一体的提供が重要であり、その点での「社会福祉士及び介護福祉士法」の問題点も論究してほしかったです。

Ⅲ 健診とがん告知・その⑥

1)運転免許更新と認知症機能検査
〇白内障の右目の手術が終わったので、運転免許更新に必要な認知症検査8月14日に行った。
〇そもそも白内障の手術をする契機も、運転免許の更新で視力の検査があり、前回それがギリギリのラインで合格したこともあって、眼科医を受診することになった。
〇8月14日は、お盆の休みで空いているのではないかと予約したものの、府中自動車試験場は案に相違して、人でごった返していた。
〇認知症検査は、数字が羅列されている表の中の該当する数字に斜線を時間内に引く検査、4種類の絵図が4枚示され、それを10分後ぐらいに書き出す検査、試験当日の年月日及び曜日と検査が行われているおおよその時間を書く検査の3種類であった。
〇前回は、すべてパーフェクトであったが、今回は数字に斜線を引くもので、最初の検査は2種類の数字でこれは時間内に引けたが、2度目の検査は3種類の数字に斜線をひくものであったが、残念ながら最後の行(多分数字が書いてある行は10行で、1行20字ぐらいだと思う)まで引けなかった。
〇絵図の記憶の検査では、計16種類のうち、最初の試験(何もヒントがなく思い出して書く)は7種類しか思いだせなかった。第2回目は、絵図に関し、楽器とか乗り物とかというヒントがあり、15種類書けたが、どうしても思い出せない絵図が一つ(鳥)あり、今回はパーフェクトとはいかなかった(後日談・思い出せなかった鳥はペンギンで、試験の翌々日の8月16日にふっと思い出せた)。
〇試験の教官は、絵図をスライドで示しながら、それを記憶させようと、その絵がなんであるかを高齢者に声を出して答えるよう促していた。その際、“言葉に出して答えると記憶が良くなるから”と説明し、「外化」機能の重要性を説いていたのがおもしろかった。普通、試験といえば落とすものというイメージがあるが、ここでは高齢者に優しく、記憶しろ、記憶しろと説いている。これでは認知機能検査にならないのではと思いながら、「外化」の重要性がいわれているので、皆さんに声を出させている。残念ながら、私はそれでも一つ思い出せなかった。「鳥」の絵図があったことも思い出せていない
〇3年前の免許更新時より、やはり認知機能が落ちているのだろうか。検査の結果は、合格で、8月17日に、運転の実地検査を受けることになった。認知検査料は1050円であった。
〇運転免許の実地検査も8月17日に行い、無事合格し、後は10月3日に、運転免許の交付を受けるだけになった。

2)左眼の白内障の手術も無事終了
〇右眼の白内障手術は8月3日に終わり、予後も順調で問題がなく、視野が明るくなるということは気分の上でも随分と違うものだと実感した。
〇9月7日に左眼の手術を行った。右眼は手術で視力が1・5まで回復したが、左眼は手術の翌日の検査では0・9までしか回復しなかった。しかしながら、1週間後には左眼も視力が1・5まで戻り、新聞をメガネなしで読めるようになり驚いている。
〇白内障の手術は予後が大切だと言われていたが、術後1週間もすぎ、洗面も頭も洗うことができるようになり、術後の経過の順調さに安堵している。
〇点眼薬4種類は術後1か月は点眼するようにとのことで、少々煩わしいが、視力の回復を考えたら我慢するしかない。

3)前立腺がんの予後診察
〇重粒子線治療を受けた神奈川県立がんセンターに8月29日に行き、予後診察を受ける。医師は順調に治療が進んでいるので、次回診察は2024年2月28日の6か月後にすると言われる。
〇9月14日には、日本医科大学多摩永山病院での診察を受ける。PSAの数値が、前回よりも減少し、0・008 になっている。多摩永山病院の医師も経過は順調で、次回の診察は12月14日にするという。
〇外見的には治療効果は見えないが、PSAの数値を見る限り、前立腺がんの治療は順調だと安心した。後は、2024年7月までのホルモン療法を続けることである。夜間頻尿もだいぶ時間間隔が空いてきて、少し安堵している。
〇これで、私の80歳前の体のメインテナンスは一応終了した。内臓とADLには今のところ問題ないので、これからは食事に気を付けながら、毎日1万歩のウォーキングを志し、そして毎日楽しい晩酌を続けたいと思っている。
〇この「健診とがん告知」は閑話休題とさせていただきたい。

(2023年9月18日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
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