阪野 貢 のすべての投稿

変化と成長

人に頼りすぎる
頼りない
すぐ泣く弱虫
格好悪い
自分で解決しようとしない
甘えん坊
怠け者
勉強出来なさすぎ
泳げないし 運動が苦手
好きなタイプじゃない 
将来苦労しそう
仕事の稼ぎが悪い

たくさんの欠点が 浮き彫りにされました
アニメの「ドラえもん」に出てくる のび太評です
彼と結婚する?と質問すると 即座に「しない」と答えた理由です
のび太君には 散々な評価でしたが 
男の子たちに 君たちも似ているところはないかなと 問いかけると
大きなうなずきが 返ってきました

そこでまた質問
「ところで、みんなはイヤだといったのび太君 しずかちゃんと結婚しちゃうけど どうして?」
「のび太にもいいところがあったから」
それはなーに?
「やさしいところや 弱い子に対しての 思いやり」
そうなんだ そこにしずかちゃんが惹かれたんだ
「のび太はどうしょうもないくらいドジな子だけど 大人になっていくうちにたくましくなっていったんじゃないのかな」
「人は変わるんだよ!」
そうだね 人は変わっていいんだよね
それが 成長ってことかな

ここで大切なのは 成長していくということ
そのためにも まず先に 自分の考え方や生き方があるということ
そこから 周りの人たちの 意見や生き方を見て感じて考えて 
自分の考え方や生き方を強くしたり 違っていたら変えていく
ということになるのかな

のび太君は 確かにみんなの力を借りて生きているけれども
みんなだっておんなじだよね
困ったときや出来ないときには 誰かに力を借りるって当たり前だね
大きくなるに従って 自分でしなければならないことやできることが多くなる
そうはいっても 人に手助けてもらうことは 必ずあるよね
でも「自分はこう考える」という根っこを しっかり持っていないと
みんなに追従するだけ
みんなという「化け物」に 振り回されることになってしまう
それだけは 止めようよ
 
そうならないためには、今君の周りで一所懸命生きている人たちと出会い
君の生き方や考え方をぶつけて 自分をよりよく変えることが絶対必要だね
そんなチャンスは きっとボランティアの世界に見つかるかもしれないよ
大人になってもおんなじ
たくましくなった 大人ののび太君 
それが 未来の君であってほしいな

〔2019年9月20日書き下ろし。「ドラえもんはボランティア?」という授業のまとめの一節。成長と変化について考える。大人になりきれないのは、出会いから学ぶ力が身についていないのではないだろうかと、不安にかられる〕

中学生と脱輪

1997年7月 香川県綾歌郡内の中学校にいた
ボランティアについて 全校生に講話した
その後 当日公用で留守だった校長より 礼状をいただいた 
その中に 一人の子どものエピソードが紹介されていた

7月16日の夕方 突然の豪雨に見舞われた
部活動を終えて 帰宅する途中のF君が
田んぼに車を脱輪して 困っている人を見かけた
濡れ鼠(ねれねずみ)になりながら 30分もの間手伝い
車は ようやく 脱出できた
その善行を 地域の人が学校に知らせてきたという

なぜこのような行動を取ったのかを 校長は尋ねた
少年は答えた
この日は いきなり雨が降ってきた
靴の中にも水が入ってきて さっさと家に帰ろうと思った
脱輪している車を見ても 最初は無視して行くつもりだった
けど 女の人が3人しか乗っていなかった
ここは 重要なポイント
校長は 終業式で“騎士道”と 紹介したという

一度は 自転車から降りたけれど
どうせ僕には関係がないと思って 家に帰ろうとしたその時
バイクに乗った男の人が バイクから降りて手伝い始めた
だから やるしかないと 田んぼに入った
それから
最近 北海道から来られた鳥居先生が 
ボランティア講演会の中で 次のような話をしたからだ
「車いすを利用している人が 困っていたら
どうしましたか? と聞くだけで ボランティアなのです」

校長は そこに 彼が最も大きくこころを動かされた 
ボランティアへと誘(いざな)う“ことばの力”を 見出し惹かれた
「どうしましたか?」
相手と自ら関わる事を決めた“ことばの深さ”に である
教師が 熱心に声を張り上げ 指導してみても
なかなか 子どもの心を動かすことは 出来ない

たった一度の指導でも 子どものこころに響けば 
いったん躊躇(ちゅうちょ)したとしても 
指示されることなく 自ら行動を起こす
そのことばの持つ力に 驚くとともに 
教育専門家として もっともっと 自己を磨かなければならない
校長は そう自省したと 認(したた)めた

教師力を 磨くには
大人の建前と本音を見極める 子どもの力を侮(あなど)ってはならない
「どうしたの?」 
子どもの悩みに添う ことばがけが
真剣であるか否かが いつも問われていることに
こころしたい
子どもと 共感同行の道を歩む 共育者となるために

〔2019年9月20日書き下ろし。ボランティアの講話をして全国を回っていた時代、四国の中学生のエピソードが心に刻まれた。学校が置かれている厳しい現実を見聞きしながらもなお、校長先生の「自省」は、教育専門家として生きるために常に求められているのではないか〕

いのちあるものに力尽くして

1991年1月 湾岸戦争が勃発(ぼっぱつ)した
当時小学6年だったあゆみは 日赤医療団のスタッフにこう書き送った
「いのちあるものに力尽くして」
浩平は「僕らの未来が小さくなった」と訴えた
戦火に苦しむ人々が いのちの危機に瀕(ひん)する事態に
隣国で難民救済に動いた 医療団スタッフへの切実なおもいだった

この時 世界は 湾岸戦争に目を奪われた
しかし 世界の30数ヵ国で 内戦状態が続き 
2千万人以上の難民が 土地を追われ 国を追われ 
極貧の生活を強いられた事実には 目をつぶっていた
この戦争のさなか 日本赤十字社は全国の各支部に 
国際的な赤十字の動きを ファクシミリで流し続けた
「世界のあらゆる地域に 目を配らなければならない
世界で最も貧しい国々の多くは 
貧困と戦争のとどまることを知らない 悪循環の中にある」
 
こんな時代であるからこそ
子どもたちに手渡す「生きるための叡智」を
福祉教育という世界から 発信し続けてほしい 
人と人 人と自然 人と情報が確かに結びついて 
人間の生き方や社会のあり方を 問い続けていかなければ
本当の平和や 豊かな生活を築き上げることは 困難である
地域や学校での 福祉教育の実践の一つひとつは
世界のいのちと暮らしに結びついているという グローバルな想像力を
子どもたちと共に高め 痛みを分かち合うことにある
地球上の 全てのいのちのありように 
敬虔(けいけん)にして 決して奢(おご)らず 
いのちの輝きを しっかり見つめ高めるための努力こそ
福祉教育の世界に 求められるのではないか
その世界を広げ 多くの人たちとネットワークされる情報化社会に いかに生きるか
溢れる情報から 目の前にいる子どもたちの未来にとって 
なにが問題なのか 判断し選択して 適時に共有すること
そこで 子どもたちのピュアな感性を 刺激することで
いのちと未来を見すえた 平和を希求する“ことば”が紡がれていく
「いのちあるものに力尽くして」
「ぼくらの未来が小さくなった」 

2019年9月14日 
サウジ東部にある 国営石油会社サウジアラムコの 二つの石油施設が
10機の無人機(ドローン)で攻撃され イランの関与が疑われている
世界中で 無差別な殺戮(さつりく)や破壊を 情け容赦なく起こす
テロリストたちが勃興(ぼっこう)して 戦争への火種を大きくする   
犠牲となる民の悲嘆の声は 絶えることがない
いまも 難民は棄民となり 国を捨て欧州をめざす 

いのちあるものへの 最善の努力の全てが「福祉」だと 
30年前に 子どもたちと訴えた“ことば”が 
いま 虚しく響く

〔2019年9月19日改訂。30年前クラスの子らが湾岸戦争時日赤医療団に手紙を送った。日本から現地に渡った唯一の子どもからの手紙だった。戦争といのちを考える福祉教育の重要な場となった。思い返しながら、いま学校では福祉教育と称して何を教えているのだろうか?〕

付記
サウジ攻撃 米とイラン対話実現を
中東の情勢が緊張の度を高めている。とりわけ米国とイランとの対立が深刻になってきた。
性急な行動は禁物だ。軍事衝突に陥りかねない危機を防ぐために両国は自制し、直接対話を始めるよう強く促したい。新たな事件は先週、サウジアラビアで起こった。石油施設が爆撃され、サウジの原油生産の約半分が一時停止した。
急きょサウジ入りしたポンペオ米国務長官は「イランの攻撃だ」と断定し、「戦争行為だ」と述べた。真相が明らかでないなか、一足飛びに戦争を口にするのはあまりに危うい。
トランプ大統領は軍事行動には慎重だが、イランに「重大な制裁」を科すという。だが、このまま突き進めば偶発的な衝突のおそれも強まる。緊張緩和の模索こそ急務だ。40年にわたり国交のない米国とイランが相互不信を解きほぐすには話し合うしか道はない。
今回の事件のタイミングについては様々な臆測がでている。トランプ氏は、今週からの国連総会を機にイランのロハニ大統領と会談することに前向きだった。その妨害をねらう勢力が仕組んだとの見方もある。背景がどうあれ、両国指導部はこの卑劣な破壊行為に対話の行方をゆだねてはなるまい。いまの緊張の発端は、米国が昨年、イランの核開発をめぐる多国間合意から一方的に離脱したことである。米国には安定の枠組みを再建する重責があることを忘れてはならない。
今回の事件で犯行声明を出したのはサウジの隣国イエメンの反政府組織「フーシ」だ。だがサウジ政府はイランの無人機による攻撃だと非難し、イランは全面的に否定している。
国連は専門家をサウジに派遣し、調査結果を安全保障理事会に報告することになった。米国がイランを名指しする証拠を持つなら、国連に示すべきだ。今回の問題は、イエメンで続く紛争が飛び火する危険性も示した。「アラブの春」を契機とした内戦は4年以上続き、地域で覇権を争うサウジとイランの代理戦争の色合いを強めた。この間、イエメンの人口の3分の1にあたる1千万人が飢餓寸前であえぐ人道危機が続いている。国連の仲介で昨年末に一部の戦闘停止で合意したが、全土の停戦はほど遠い。国連を先頭にして国際社会が和平づくりへもっと力を注ぐべきだ。日本は輸入原油の9割を中東に頼っている。サウジの事件などを機に、中東の安定を平和的な外交努力で築く意義を再認識すべきだろう。米国とイランの双方と友好関係にある日本の安倍首相は、改めて緊張緩和への仲介に動いてもらいたい。(朝日社説デジタル版 2019年9月20日)

シャケ(鮭)の遡上(そじょう)

オホーツクの海で 立派に育ったシャケの群れが 
9月 生まれた川に 戻ってきた
次の子らに いのちのバトンを渡すには 
多くの試練と年月を 経なければならなかった
北の大地が誕生した 何万年も前からの“約束”だった
時代が大きく変わり 人間が大地の征服者となった

沖合で 一網打尽に捕まってしまう仲間たち
最初の関門を突破して 海から川に入ると
途中で堰(せき)を築かれて そこで捕まる
網を張られて そこで捕まる
過酷な生存競争に さらされながら
シャケのDNAは 上流をめざせと指令する

その昔 私たちは神だった
アイヌコタンで 倖せに暮らす民たちに 
シャケの姿や熊の姿に身を変えて 頭の上に乗ってコタンを訪れ
彼らに 肉と毛皮をプレゼントした
お返しに 彼らは感謝の気持ちを一杯込めて 私たちを天上に戻す儀式をした
心優しい民たちは 私たちの贈り物を 決して人間だけで独り占めすることなく
鳥や狐とも 分かちあった
彼らは いのちある者たちと 常に一体となって 厳しい自然を生き抜いた
だから 余計に私たちは 彼らのおもいに応えるために 
動物に身を変えて 彼らの元にプレゼントを贈り続けたのだ
神に与えられたいのちを いただくことへの感謝と 
そのいのちを 次につなぐための祈りを捧げる儀式は
いまも 私たち神への敬虔(けいけん)な儀式として 
次代に継承するために アイヌたちは続けてきた
それこそが 自然と共生してきた
アイヌの魂の継承 そのものなのだと

人間の尽きることのない 強欲の果てに 
神を 天上に送る神聖な儀式が 形骸化され断絶の危機にさらされた
今生で 神への敬虔なおもいと感謝を伝える儀式の復活が 求められたのだ
それは 決して形式的な文化的伝承ではない
アイヌ民族が 数百年に渡って この大地で繰り返してきた 
神からの恵みへの感謝と祈りのセレモニー そのものである
神に詫びながら 神の威光を拝し清め 
民族の魂を再生するための 祈りそのものである

そこに 横やりが入った
道庁は 河川でのシャケの捕獲を禁じ 違法に漁をした者を厳しく罰してきた
伝統的儀式とはいえ 無申請な捕獲は 違法だと 厳格に禁じた
それでも 60匹余を獲って 祭壇に捧げた
現地の警察が 違法行為として事情聴取をした

アイヌ文化の継承拠点として
白老に「民族共生象徴空間」を建設するのは やぶさかではない
ただ 日々の暮らしとして当たり前にあった 
自然と そこに育まれる多くのいのちが ふれあい分かちあう
その崇高なおもいこそ 
この北の大地に暮らす 全ての人間が継承しなければならない 
それが 自然との共生共存を求めてやまない 
アイヌの歴史とこころなのである

萱野茂から 直々に学んだことを いま一度噛みしめている  

〔2019年9月16日書き下ろし。萱野茂氏はアイヌ人で初めての参議院議員。アイヌ問題に果敢に取り組んだ人であり、直接彼から自然との共生共存をテーマにした「キツネのチャランケ(談判という意味)」が優れたアイヌ民話だと諭された。アイヌ施策推進法が5月施行されたが、欧米諸国が先住民族に認めている土地や漁業権などの権利回復が盛り込まれていないと批判されている〕

付記
「アイヌ伝統の儀式 サケ漁強行の訳とは」
紋別市の川でアイヌ民族の男性が規則で決められた許可を得ずにサケ漁を行いました。なぜ無許可で漁を行うのか。男性は先住民族の権利を主張しています。
1日、紋別市を流れる藻鼈川(もべつがわ)の河口近くで、自然の恵みに感謝を捧げるアイヌ伝統の儀式が行われました。
供物として祭壇に上げられたサケ。儀式はサケの捕獲から始まりました。
道職員「(捕獲は)できません。違法です、これは」
畠山さん「違法じゃない」
道職員「違法です」
畠山さん「知らない俺は」
紋別アイヌ協会会長の畠山敏さんが川に張った網を引き上げ、儀式で使うサケおよそ60匹を捕獲しました。
道内水面漁業調整規則により、アイヌ民族が儀式に使うサケをとる場合、事前に申請が必要です。しかし畠山さんは「アイヌのサケ漁は先住民族の権利であり行政の許可は必要ない」としてあえて申請しませんでした。
オホーツク総合振興局産業振興部水産課・坂本達彦水産課長「申請を上げていただければ、アイヌの儀式等に使うこのようなサケの捕獲が認められます。その申請が上がっていないというのが今の状況」
畠山さんが魚を持ち帰ったため、現在、警察は事情を聴くなど調べを進めています。
アイヌ施策推進法が5月に施行され「文化伝承のために行われるアイヌのサケ漁について円滑に行われるよう配慮をする」とされましたが、道の手続きに変更はなされていません。
畠山さん「これは先住権を求めるための一つの闘いと私は認識しています。自由にサケをとったり、計画を立てながら自然の恵みをいただきたい」
アイヌ民族のサケ漁についてですが、海外では先住民族にサケ漁を認めている国もあり、国連は去年8月、日本政府に対し、天然資源を利用する権利をアイヌに認めるよう勧告しています。先住民族の権利か、日本の法律か。今後、議論を呼びそうです。
(HTB・TV NEWS記事 2019年9月2日)

こぶとりじいさん

子どもたちに尋ねると
よく知ってる子 うす覚えに知ってる子 全く知らない子 
だから 福祉の授業は 難しい
でも よく取り上げる面白いお話 始めましょうね

「むかしむかし」
(で始めるルールに 必ず則らなければならない)
「あるところに」
(場所を特定すると その土地の民話となり 全国に広がらないのです)
「いいじいさんと意地悪なじいさんが ご近所で住んでいました」
(この善悪という設定が先にきて 先入観を植え付けるところに注視)
(なぜか悪い人は必ず罰を受けるという 勧善懲悪の教えを施すための仕掛けです)
「いいじいさんは 山に行ったら突然雨に降られて 近くの洞窟で雨宿り」
(気象予報のなかった時代 今まで体験しなかったような土砂降りの雨に遭遇)
「そこににぎやかな声とともに どやどやと大ぜいの鬼たちが入ってきました」
(歩いて行ける山の中 鬼たちがいるって噂知らなかったの?)
(だって 里から近いところで こんなに鬼がいるのも知らずに 暮らしていたっておかしいよね)
(それにだよ 鬼ってどうやって生計立てていたんだい?)
「それはさておき」
(いやいや 子どもはだませない)
「そこんところはなかったことにして じいさんは隠れました」
「鬼たちは すぐに宴会を始めました」

(鬼って自前で酒造りしていたの この洞窟は密造酒の酒蔵? そうでなかったら里から盗んでくるしかないでしょ 集団窃盗事件が世間の口にのぼらぬことなんて考えられない)
「いやいや そうではなくで それもなかったことにして」
「それを隠れて見ていたじいさんは 鬼たちの陽気さに誘い出されて飛び出した!」

(危ないっしょ 何されるかわかんないもの)
「それでも飛び出したんで 鬼もびっくり! 今までの宴会に人間と飲んで騒いだことは一度もなかったから 面白いことやって見せてとリクエスト」
(じいさんが別に危害を加えるわけじゃないから この雰囲気を壊さなければ害はなしという 鬼さんたちの瞬時の判断は正しかったね)
「じいさんは酔わないとできないから その前にお酒を飲ましてとお願いしました」
(ちょっと待ってよ このじいさん実はすごいお酒好きかも お酒に釣られて我を忘れ飛び出したと解釈できない いやきっとそうだよ)
「はいはい そういうことにしておいて じいさんは 酔いが回るにつれ 愉快になって歌うや踊るの独断場 鬼たちはすっかり喜んでハイテンション じいさんに振る舞い酒をたっぷり飲ましました」
「鬼たちは 今まで味わったことのない 演芸の面白さを知ったのでした」
(芸達者なじいさんだったという次第 芸は身を助けるとはよく言ったものです)
「じいさん 実におもしろかった なにか願い事があれば何でも叶えてやろう」
(普通なら金銀財宝を求めるところ このじいさん金には無頓着だったようです)
(芸人さん 今のご時世ずいぶん儲けていらっしゃる人気者がテレビ番組を独占して ちっとも面白くなくなりました 欲深になってはいけないよという教訓話?)
「実は 一番の悩みの種が ほっぺたのたんこぶ ぜひとってくれませんか」
(じいさん こぶが嫌で嫌でずっと劣等感を抱いて生きてきたんだね)
(そこで美容整形医の術を持つ鬼さん登場 見事こぶをきれいに切除したんだ)
(日本の美容整形の走りだったんだね 知ってた?)
(じいさんの回復力のスピードにも 驚くばかり)
(だから入院しても さっさと追い出されれるのか 納得!)
「じいさんは 雨上がりの山道を踊るように駆け下り 里に戻ったのでした」
(その歓びようは半端なかったと 里の人も驚いたという証言を得ている) 
「その話を聞いた意地悪じいさん その洞窟の場所を聞き出して 山さ入ったのでした」
(実はこのじいさんもこぶをほっぺにつけていて 劣等感にさいなまれていたのです)
「じいさんは洞窟に隠れて 鬼が戻ってくるのをじっと待っていました」
(ドキドキしながら 怖いから全身ブルブル振るわせて 隠れていたのだと想像します)
「鬼たちが戻ってきて酒盛りが始まり 宴も盛り上がったところで じいさん震えながら登場 鬼たちはたいして驚きもせず さっそく芸を所望しました」
「じいさんは 頑張って 頑張って 歌ったり踊ったりしたのですが 見るに堪えない下手くそで 鬼たちはすっかり酒の酔いが覚め 怒ってしまいました」

(完全に スベってしまったのです)
(鬼たちは せっかくの楽しい宴会を台無しにされたと怒り心頭 さあ大変!)
「おい このクソじじい!」
(怒りの発語と ご理解を)
「このじいさんに あの愉快なじいさんからとったこぶをつけてやれ!」

「結局意地悪じいさんは 2つのこぶをつけて 泣く泣く里に下りてきたのでした」
(殺されないでよかったと胸をなでながら です)
「おしまい おしまい」

ここで 「うさぎとかめ」の おさなご再登場
「おじいさんは自分もこぶを取ってもらいたいと思って 危ない目に合うかも知れないのに勇気を振り絞って 鬼に会いにいっただけなのに どうしてこんな悲しい目にあってしまったの
それに どうして意地悪なおじいさんっていわれているの わかんない」 

さて あなたなら どう考えますか?
お話が長くなりましたので 続きは来週
ではまた NHK朝ドラ「なつぞら」風に
「なつよ アニメーションに できるかな えっもう最終週!」  

(広瀬すずのファンになった シニア層の嘆きの声 聞こえますか)

※勧善懲悪(かんぜんちょうあく):良いことをするようにすすめ、悪いことを懲らしめやらないようにさせること。

〔2019年9月11日書き下ろし。善悪、敵味方など二極化することでレッテル貼りをするご時世、このお伽草子から何を学ぶのか。見えるこぶ(問題)をただ取るのではなく、深いところの問題に感じる力をつけなければならない。第4次安倍再改造内閣の発表の日にあたって、どんなこぶをつけられるのか気にかかる〕

かげふみ

おさなごが ふたり
秋の光の中で たわむれる
枝葉の広がった エルムのかげは 長く伸び 
池の水面に 赤とんぼと 揺れている

光をさえぎり ふたりは かげを ふみあう
ひとりのかげを もうひとりが 追いかける
ふまれぬように 笑いころげて 逃げまどう
かげをふもうと はしゃぎながら 追いかける

光に向かう あどけないおさなごを 
ふたつのかげが 追いかける
無垢なふたりを照らす あざやかな朱色の落陽

ふたりは 光の子となった

〔2019年9月10日書き下ろし。人生は光の如く一瞬の刻。光を全身に浴びる幼子の今日・明日の幸せを、ただただ祈る。9月20日70歳の誕生日を迎える〕

芸術文化活動を通して“ゆるやかな絆”のなかに生きる人たち:「福祉文化」に関するワンポイントメモ―今中博之を読む―

〇筆者(阪野)の手もとに、今中博之(社会福祉法人素王会理事長/アトリエ インカーブ クリエイティブディレクター)の新刊本が2冊ある。(1)『かっこいい福祉』(村木厚子との共著。左右社、2019年8月。以下[1])、(2)『共感を超える市場―つながりすぎない社会福祉とアート―』(アトリエ インカーブ編著。ビブリオ インカーブ、2019年9月。以下[2])がそれである。[1]は、今中と村木厚子(元厚生労働事務次官)の対談本である。「自力と他力」「内閉と開放」「市場と制度」などの二項対立的なキーワードを通して、「福祉は何故、低くみられるのか」「福祉をかっこいい業界にするにはどうすべきか」を語り合う(「帯」)。[2]は、今中と松井彰彦(東京大学大学院教授)の講演と対談を中心に編んだものである。そこでは、「共感を求めすぎないこと」「閉じながら“ときどき”開くこと」の重要性を説きながら、「市場×福祉」について論じ合う。
〇[1]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

文化の市場性と福祉文化
私は、社会福祉学者の一番ヶ瀬康子氏がいう「福祉の文化化と文化の福祉化」を実践する母体としてアトリエ インカーブ(デザイン事務所)を位置づけています。彼女はそれを「福祉文化」という概念で表現しました。生活の質が問われて久しい昨今、「社会福祉の究極の目的が、自己実現への援助であり、その在り方を追求していくことであるという視点にたつならば、文化をふくみ得ない社会福祉はあり得ないといっても過言ではない」と主張します。私も同感です。ただ、文化の「市場性」については、これまであまり議論が進んでこなかった。今後の課題は、市場性を意識した福祉文化をつくっていくことです。(20ページ)

越せない溝と「かっこいい福祉」
私にとって「かっこいい」とは、クールやスマートではなく、わかりあえないと認めることだったように思います。認めるためには、たくさんの時間が必要です。私の優しさとあなたの優しさは違うってことや、私の怒りとあなたの怒りも違うってこと。共感ができなくても理解できるまで話す、聞く。ながい時間のなかでわかりあえないことがわかるようになってきます。そうして紡がれた幸せを「かっこいい福祉」、その企てを「かっこいい社会福祉」というのだと思います。(197~198ページ)

〇[2]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

障がい者の芸術文化活動と「市場の力」
好きな人がいれば手を組めばいいし、嫌いな人なら手を切ればいい。選択肢の多い市場では「差別をしない取引」が可能です。つまり、市場の中には社会的に弱い人だから差別をするという行動規範は薄いのです。ゆえに、しがらみも少ない。だからこそ市場は、国を超えて人と人をつなげていくのです。/問題は、どの程度の市場化(開き方)をするかです。共感的消費者だけにアプローチしていては、広がりません。狭くて逃げ場所のないコミュニティは差別がはびこります。かといって、つながりすぎ、共感を求めすぎては、綻(ほころ)びが出てきます。身の丈にあったいい塩梅(あんばい)。そこがポイントです。/近江商人の理念である「三方よし」(売り手良し、買い手良し、世間良し)の場合のみ取引をすることです。(203~204ページ)

アートを通じた自己実現と相互実現
インカーブでは、社会福祉事業として障がい者の芸術文化活動を進めていくために「閉じながら“ときどき”開く」ことを心がけてきました。(中略)インカーブの事業の目的は、知的に障がいのあるアーティストの日常が作品制作を通して平安であることです。/アートの商業的価値を慮(おもんぱか)ることは、共感を超える市場につながります。その実現のためには、つながりすぎないこと、共感を求め過ぎないことではないでしょうか。(205ページ)

〇以上のメモに関して、若干付言しておきたい。先ず、「市場」についてである。市場は、需要者と供給者が出会い、契約と取引が行われ場である。松井の言によれば、「いろんな人が集まって、一定のルールのもとにお互いにプラスになるように取引する場である」([2]88ページ)。当然、そこでの人間関係は対等である。市場では、この対等な「契約関係」とともに、人と人との「信頼関係」も必要かつ重要となる。信頼関係は、相手との対等な関係を築くための人間関係であるが、それゆえに「倫理性」(「一定のルール」)が要求される。今日の市場経済社会では、契約関係だけでなく、それ以上に信頼関係が重要となる。この点を含意するのが、今中がいう「好きな人がいれば手を組めばいいし、嫌いな人なら手を切ればいい」という言説であろう。しかし、簡単に「嫌いな人なら手を切ればいい」とはいえないのも人間社会である。そこで求められるのは、「仲間をつくる営為であり、(たとえ嫌いであっても・嫌いになっても)仲間外れにしないという行動」である。それを「福祉」と呼んでいい。
〇次に、「共感的消費者」についてである。共感的消費者とは、商品の品質ではなく、「障がい者がつくった」という商品の背景に思い入れをもって購入する人たちをいう(神谷梢[2]6ページ)。「社会福祉の事業者は、『共感的消費者』にアプローチしてきた。ただ、その範囲はとても狭く、見慣れた仲間うちに限られている。共感的消費者だけに依存し続ければ、マーケットは永遠に広がることはない。これが社会福祉の市場化の限界点である」([2]200ページ)と今中はいう。周知の通り、消費には「機能的消費」「記号的消費」「共感的消費」の三つの形態がある。ブランドネームなどの付加価値を消費する記号的消費ではなく、その商品の機能や効用を消費する機能的消費と、その商品への“こだわり”や“想い”に共感して消費する共感的消費が肝要である(ちなみに筆者が運転する車は、単なる移動の手段として考える大衆車であり、絶滅危惧種のマニュアル車、しかも走行距離は15万キロを優に超えている)。
〇いまひとつは、「福祉文化」についてである。前述の一番ヶ瀬がいう「福祉の文化化」に関していえば、それは、社会福祉それ自体をいかに質・量ともに豊かな、文化的なものにしていくか、文化の香りのするグレードの高いものにしていくかということを意味する。そこから、福祉文化とは、日常生活の量的拡大と質的充実を図り、人びとの健康で快適な生活と情感の安定を保証する生活の質としての文化であるといえる。別言すれば、人びとの日常生活に心の潤いや安らぎ(内面的豊かさ)、社会的・経済的・文化的豊かさなどの「平安」をもたらす文化である。そういう福祉文化を創造するためには、人と人との“であい”“ふれあい”“ささえあい”が必要かつ重要となる。
〇こうした「福祉の文化化」をより確かなものにするためには、福祉政策や行政の文化化を図ることが肝要となる。「福祉政策・行政の文化化」のねらいは、住民の参加と合意形成のもとに、障がい者などを含めたすべての住民の主体的・自律的な文化活動の推進を図り、すべての住民が文化を享受し創造するための条件整備や環境醸成をおこなうことにある。
〇「文化の福祉化」に関していえば、文化は人びとの日常的な生活行為のなかに現れ、創られるものである。そこから、障がい者などを含めた、生活主体としてのすべての人が、文化の創造主体であり、活動主体であるといえる。しかし、例えば、芸術文化についていえば、今日においてもまだ、一定の条件に恵まれた一部の人だけのものであるとか、特定の場所や機会にふれるものであるという認識が強い。こうした芸術文化状況の偏りを是正し、とりわけ芸術文化の貧困のもとに置かれてきた障がい者などに対しては、芸術文化を享受する機会の確保・拡充や芸術文化活動(創作活動)への主体的参加を促す環境醸成を図ることが肝要となる。
〇アトリエ インカーブでは、創作活動と日常生活が共存している。作品制作を通して平安(福祉)を追求している。それはまさに「福祉文化」である。その実践は、荒廃したいまの日本社会を変革し、新たな地平を開く視点や力を生み出している。
〇本稿のタイトルに使った「ゆるやかな絆」は、大江健三郎(文)・大江ゆかり(画)の『ゆるやかな絆』(講談社、1996年4月)による。それは、[1]と[2]を読むなかで思い至ったものである。ただし、記号的消費(使用)ではない。
〇なお、「ゆるやかな絆」をめぐって大江は、次のように述べている。僕らは「ゆるやかで、人を束縛するところは少しもなく、その両端にいる同士はお互いにひそかな敬愛の心を抱いているが、それを口にしないまま時が流れて行き、……というような、真の家族についての感情教育を」受けていたのである(講談社文庫、1999年9月、111ページ)。

付記
本稿に関して、<雑感>(73)「怒りと希望」:社会に怒りラディカル(徹底的)に抗すること・目の前の一人を慮(おもんぱか)ること・社会的課題をデザインで解き希望に変えること―今中博之著『社会を希望で満たす働きかた』読後メモ―/2019年1月28日投稿、を参照されたい。

拠り所(その4) 別れ

高校に入って 彼女ができた 
取り巻きの 遊び友だちもできた
舞い上がって バイト代をすべて貢いだ
彼女も 仲間も 喜んだ
その笑顔がたまらず 勉強そっちのけで バイトに励んだ
彼女とのデートや 仲間との遊びが たまらなく楽しかった
ともかく 一緒に空気を吸っているだけで 高揚感に包まれていた

クリスマスを祝い 正月の初詣(はつもうで)も一緒にいった
そして十ヶ月たった
このまま 彼女や仲間と過ごすことは ただ漠然と楽しいだけだった
はたと むなしさに気づいた
そこに心の拠り所を 見出すことが出来なくなっていた
考え方が幼すぎて ついて行けなくなった 自分がそこにいた
別れを切り出した
幼い恋を 思い切れない彼女は その別れの意味を理解できなかった
激しく 抵抗した
しかし 逢わないと決めて 距離をおいた
遊び仲間も だんだん離れていった

四月 新学期が始まった
元カノは 別の男の子と 仲良く手をつないで歩いていた
元カノの たくましさを感じながら
ようやく 罪悪感を 吹き払った

一年間 そこに 何かを求めている充実感は 全くなかった
同期の彼らの幼稚なふるまいと 夢のない怠惰な遊びに 飽きただけだった
心を満たす 拠り所ではなかったことを 学んだ
ごく普通の高校生活をした 成果だった

気づいたところから 清々しいリスタート
元カノや遊び仲間との 境界線
きっと夢を実現しようとする それだけの違いだと
その夢に 心の拠り所を 見つけただけだった
幼い恋と夢なき仲間との 別れの真実を知った
「さようなら」は 俺の幼さへの決別だった 

〔2019年8月26日書き下ろし。恋遊びと交友の中に見いだせなかった自分の居場所。息苦しさからの離脱は、自分の夢への一歩であった。青春のまどろみからの覚醒〕

拠り所(その3) あがき

あがき あらがい もだえる
ここから逃れられない 
この葛藤が さらに一致も察知もいかず
自らを窮地に 追い込む

躁鬱病(そううつびょう)で 借金を抱えた
アル中の治療で 入退院を繰り返す
借金のかたに 自宅を売っても足りず 自己破産した

放浪の身となった男を見かねて
知人のドクターが 経営する老人ホームに引き取った

六畳ほどの居室が 男の居住まいとなった
三食昼寝 リハビリ付きの 暮らしを余儀なくされた
施設の住人は ほとんどが 男よりも年長だった
会話も怪しい 老人たちとの暮らしの中で 
正常な思考を維持することの 困難性を自覚した

このあがきは 本物だった
収容所のように感じる施設から 逃れるすべはなかった
行く当てのない 漂流者と化した自分が そこにいた
閉塞感が こころを 浸食する
 
このあらがいは 本物だった
逆らうような言動をとっても 結果は何も変わらなかった
監視が 強化されたように 感じた
去勢感(きょせいかん)が こころを 支配する

このもだえは 本物だった
いたたまれない やるせなさを 追い払うすべはなかった
ひとり悶々(もんもん)と 自室で耐えるしかなかった
自死願望が こころに 静かに忍び込む

男の本来の居場所から ずいぶん遠くに来てしまった
今日一日 逃れられない場所で 堪え忍んだ自分に
男は 一時(いっとき) 正常心を取り戻す

〔2019年9月7日書き下ろし。不本意な居場所で生きるしか道なき老いた者たち、心の虚しき彷徨をただただ痛む〕

拠り所(その2) 夜の公園

住宅の密集するなかに
ポコッと 小さな公園がある
昼間は 若い母親が 乳児や幼児を連れてやってくる
放課後は 小学生が 遊び回る
夕方 下校途中の高校生が 語り合う
夜は 中学生が 戯れる

近くの中学校に通う生徒たち
この学校も 一時の荒れた状態から 回復しつつあるという
いまも 授業を拒否する子どもらは 校舎の内外に たむろする
昼間 行き場がない彼らには 学校が仲間と戯れる 唯一の居場所なのだ

夜 学校がひけると 家にいずらい子らが集まる場所は この公園しかない
大声を出して しゃべり 思いっきり戯れる
23時を回っても 帰宅の気配もない
近所からの 苦情はない
この公園から 彼らを追い出してしまったら
行く当てのない子が 
夜の闇に紛れて 潜ってしまう危険性が あるからだ
だから 多少迷惑でも 地域は我慢する
衆人の中にいることが 彼らを護ることであることを
地域は 知っているからだ

秋深まった 肌寒い深夜のことだった
パトカーのサイレンが 鳴り響いた
公園にいた中学生が 一斉に逃げた
逃げ切れなかった数人が 捕まったようだ
仲間の誰かが たき火を始め 面白がって火を大きくした
危険を感じ 通報したのだろう

彼らは 自ら集う場所を失った
行く当てのない彼ら
これからは どこにたむろするのか
安全な拠り所を失ってはじめて
愚陋(ぐろう:おろかでいやしいこと)を学ぶ

初冬 夜のしじまに 公園は包まれていた

〔2019年9月2日書き下ろし。社会に背を向けながら反抗する思春期の中学生たち。その子らを見守る地域の人たち。痛みを持つ子らに添い続けている大人たちがいるかどうかが問われる現代社会の脆弱性〕