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鳥取県智頭町「杉下村塾」10年の歩み:河原利和のレポート―資料紹介―

〇筆者(阪野)は、本ブログの「ディスカッションルーム」(61)に「地域経営実践者としての寺谷篤志の挑戦、その記録:鳥取県智頭町地域経営講座「杉下村塾」を中心に―資料紹介―/2016年6月28日」をアップした。早速、ひとりの読者から、「杉下村塾」10年間の取り組みの概要(内容)について知りたい、という連絡をいただいた。
〇そこで本稿では、10年間「先生徒」(岡田憲夫の造語)であった河原利和(当時・智頭町地域づくりアドバイザー/とっとり政策総合研究センター研究員)が『平成10年度CCPT活動実践提言書』(1999年10月)に投稿しているレポートを紹介することによって、ひとまずそれに応えることにしたい。「私と杉下村塾―興味本位の参加から価値認識の参加へ―」(第10回杉下村塾特集/論文集:1~13ページ)がそれである。また、河原は、日本海新聞(1998年10月26日)で「1997年の提言書の主な評価を箇条書きで整理」している(『平成10年度CCPT提言書』、254ページ)。杉下村塾やそこでの「学び」(「地域共育」)について分析・評価するためのひとつの視点や枠組みとして、参考に供しておくことにする。
〇なお、杉下村塾は、発足時から10年、10回の期限を設定して開講された。最終回は、1998年10月23日から25日にかけて開講されている。以下では先ず、その開講案内とプログラムを紹介する。ちなみに参加者(「先生徒」)は26名であった。その名簿には、大学教員(岡田憲夫、杉万俊夫)や地域計画コンサルタント、郵便局長、学生・大学院生などが名を連ねている。彼・彼女らの住所は、鳥取県内が12名(46%)で最も多く、東京、京都、大阪、神戸、岡山、広島、愛媛などである。

▼第10回「杉下村塾」の概要
修正15時

加筆訂正16時

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▼「杉下村塾」10年の歩み―河原利和のレポート―
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▼河原利和「『智頭発』22世紀へのメッセージ」―『平成9年度CCPT活動実践提言書』の評価―
10年の記録17

〇いわゆる「地域リーダー」(住民リーダーや専門職・準専門職)の育成・確保が地方公共団体や各種の民間団体、それに大学などによって行われている。その分野は多岐にわたり、名称や形式、内容や方法なども多様であり、「百花繚乱」の様相を呈している。それは、激動する政治・経済・社会情勢のなかで、地域が抱える課題が多種多様であり、また深刻化していることへの対応(範囲・程度等)によるのであろう。
〇本稿で紹介した杉下村塾の「地域共育」事業・活動の系譜につながる組織に、「(一般社団法人)日本・地域経営実践士協会」(理事長/岡田憲夫、理事/平塚伸治・多々納裕一・寺谷篤志)がある。それは、「身の丈にあった地域経営による主体的なまちづくりについて、自己研鑽するための地域経営実践士(まちづくりの匠)を社会に普及させること」(定款第3条)を目的に、2013年3月に設立されている。そこでは、地域経営実践士の養成・研鑽のための「地域経営まちづくり塾」が、毎年開催されている。
〇まちづくりにおいては、こうした地域リーダーの養成とともに、一般住民に対する「まちづくりの主体形成」(関心・理解・参加)が必要かつ重要であることは多言を要さない。住民主体形成に目配りしたリーダー養成と、リーダー養成に目配りした住民主体形成のあり方が問われるところである。
〇上に紹介した河原のレポートは、「地域社会を単なる感情論で捉えるのではなく、地域に科学を持ち込むことが重要である」(第2回)としている。確かで豊かなまちづくりを推進するためには、大いに首肯するところである。ただ、地域に科学を持ち込むことによって、一般住民と地域リーダーや専門職との間に緊張関係が生じることになる。それを乗り越えるためには、両者の水平的なネットワークや「共働」のシステムを構築することが必要かつ重要となる。
〇ここで、コミュニティワークで言う「主体の転換」について想起しておきたい。「主体の転換とは最初の段階ではコミュニティワーカーが地域に介入し、地域住民を援助の『対象』として位置づけていく。しかし、コミュニティワークの展開のなかで、少しずつ地域住民が力をつけていくことで、専門職の関わりの度合いを薄めていき、最終的には『住民主体』で地域福祉が推進できるようにするという考え方である。(中略)今日、社会福祉の分野では従事者の高学歴化、専門職化が進んでいる。そのことによって『合理的な事業遂行のための協働』を押しつけられたのでは、地域住民の側は迷惑である。専門職によるパターナリズムや管理的統制が強くなることへの警戒」(原田正樹『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』中央法規出版、2014年10月、218ページ)が必要である。
〇この点は、「コミュニティデザイン」を説く山崎亮の言説に通底する(山崎亮『ふるさとを元気にする仕事』筑摩書房、2015年11月)。「住民はまちの主役であっても、まちづくりに関しては素人なのです」(193ページ)。「地域の課題を住民が主体的に考えて解決するための活動を手伝うのがコミュニティデザイナーなのです」(48ページ)。「地域の人たちから必要とされなくなること―それが僕たちの手掛けるプロジェクトの最終目標なのです」(171ページ)。留意しておきたい。

付記
(1) 本稿をアップするに際して、寺谷篤志先生から丁重なメールをいただいた。先生によると、杉下村塾の特徴は、「科学者と社会人という構成にしたこと」「社会の基本的かつ本質的なことについて議論したこと」「地域主体と住民自治を貫いたこと」などにある。
(2) 第3回杉下村塾の開催期日は1991年8月30日~9月1日である。
(3) 総務省の「(第5回)人材力活性化研究会」(2014年7月10日)に提示された「地域リーダー育成に関する研修の実態把握アンケート調査」の結果概要を紹介しておくことにする。

「地域リーダー育成に関する研修の実態把握アンケート調査」について
【調査目的】
都道府県が実施している「地域リーダー」を養成する研修・講習・塾・セミナー等の実施状況についてアンケート調査により把握し、今後の基礎資料とする。
【調査対象・方法】
都道府県が実施している研修等について、企画担当部局を通じて関係各課に調査票を配布・回収した。
【調査期間】
2014年2月21日(金)~3月7日(金)
【回収数】
130件
【結果概要】
〇都道府県が実施する「地域リーダー」を養成する研修の事業としての開始年度は様々。最近の開始年度別では2011年度・11件、2012年度・23件、2013年度・24件。
〇研修形態はほぼ「通学型」。年間2回以上開催の研修が6割で、2日間以上の研修が半数以上。
〇受講対象は、「都道府県・市町村職員」を中心に、「地域住民等」「NPOや地域づくり団体」「高校生・大学生等」などと幅広いが、基本的には「都道府県内の参加」がほとんど。「県外から参加」「広く全国から参加」を受け入れる研修は少数。
〇研修内容は、「事業計画づくりやコミュニケーションなど地域マネジメント」や「リーダーシップなどの活動に関する心構えや哲学」を学ぶなどの学習型の研修がそれぞれ2割、「それぞれの地域活動の課題を取り上げ、その解決を図る」という課題解決型の研修も2割。
〇カリキュラムは、「講師の講演・講義」や「ケーススタディ」などの室内研修が主となり、「フィールドワーク」の割合は低い。また、「講師との対話やディスカッション」という割合は少ない。
〇修了生に対するフォローは約7割が実施。その内訳は「修了証の交付」が主となり、「フォローアップ研修」や「補助・助成」などの具体的な支援は少ない。
〇運営上の課題は「受講者」「財源」の確保という運営面の課題の回答が多い一方で、「ステップアップ研修」「修了後の地域づくりへの実践」「評価方法」というアフターフォローを課題とする回答も多くみられる。
〇現在実施している研修を「今後も継続する」と回答した割合は半数以上であるが、約3割の研修は「内容の充実」を希望。

なお、総務省/人材力活性化研究会は、2012年3月、『地域づくり人の育成に関する手引き』を作成・発行している。そこでは、「地域づくり人」を次のように規定している。「この『手引き」では、地域づくりに関わる全ての人を『地域づくり人』として位置づけ、その役割として、団体や活動等を統括する役割の人材を『リーダー』、各事業の担い手として主体的に活動する人材を『プレーヤー』、リーダーやプレーヤーをできることで支える人材を『サポーター』として位置づける」(2ページ)。

地域経営実践者としての寺谷篤志の挑戦、その記録:鳥取県智頭町地域経営講座「杉下村塾」を中心に―資料紹介―

〇筆者(阪野)は、本ブログの「雑感」(36)に「1%から始まる住民主導の内発的まちづくり―主体者意識に基づく『話し合い』と『学び合い』、そして『地域経営』―/2016年5月18日」をアップした。そこでは、「地域経営」の視点からまちづくりに取り組む鳥取県八頭郡智頭町(ちづちょう)の実践例の概要を紹介した。
〇智頭町には、地域経営の理念を創り上げ、それを実現するための仕組みを構築し、とりわけ「学ぶ場」づくりを重視しながら自律的・能動的にまちづくりに取り組む住民がいた。その一人が寺谷篤志(敬称略、以下同)である。寺谷は、「地域経営実践の猛者(モサ)である。パイオニアでもある」と評される(岡田憲夫「本書の中の本書の書評」寺谷篤志・平塚伸治/鹿野和彦『「地方創生」から「地域経営」へ―まちづくりに求められる思考のデザイン―』仕事と暮らしの研究所、2015年3月、8ページ)。
〇筆者は、先の拙稿で、寺谷を「稀有(けう)な挑戦的実践者」と評した。いま、幸運にも、寺谷から“学び”の機会を得ている。そして、寺谷については、「稀有」「挑戦」という言葉以上のものを次のような私信メールから痛感している。「智頭では誰もやらなかったこと、何にもならんことをするな、と言われ続けた。京都も一緒ですが、私にとっては地域社会が最高の投資先であり、そこでの希少価値を模索しての人生でした」。「CCPT提言書は、地域社会で住民が葛藤し格闘した記録です。まさに闘争の記録です」。「知識は価値です。地域での価値づくり、学びは、まちづくりにとって極めて重要なものです。ささやかな『杉下村塾』ひとつとっても、地域経営であったと思います」。「私にとって学ぶことはイコール実現することです。創造的な挑戦は誇りを創ります」。寺谷はまさに「モサ」である。飽くなき「探究者」である。
〇寺谷の智頭町におけるまちづくりは、1984年7月の「杉板はがき発案」から始まる。そのまちづくりが力強く前進したのは「智頭町活性化プロジェクト集団」(CCPT:Chizu Creative Project Team)の結成(1988年5月)であり、より確かなものになったのは「杉下村(さんかそん)塾」の開講(1989年8月~1998年8月、全10回)であろう。それらを基盤に、1997年度から「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」がスタートしている。それは、「住民主導による地域活性化運動」「住民主導による徹底したボトムアップの運動」「『物言わぬ住民』を『物言う住民』に転換する運動」などと言われる。こうした取り組みには、前橋登志行(CCPT代表)や岡田憲夫(京都大学名誉教授)らとの「共鳴」があり、「共働」があった。
〇さて、本稿のねらいは三つある。(1)寺谷が本ブログのためにわざわざ書き下ろしてくれたコメントを発信することである。(2)寺谷から拝受した貴重で膨大な資料の一部(『CCPT活動実践提言書』の各巻のタイトルと目次)を紹介し、原典に繋ぐことである。そして、(3)「学ぶ場」としての「杉下村塾」(第1回:1989年8月25日~27日)についての資料紹介である。

▼寺谷篤志「鳥取県智頭町の30年にわたる『地域共育』ドキュメント」2016年6月23日
〇内発的発展論/智頭ドラマ(1)
市民福祉教育研究所の阪野貢氏がそのブログで、2015年3月に発行した拙著『「地方創生」から「地域経営」へ』(共著)を、地域の教育学(まちづくりと福祉教育)の視点・観点から分析、「介錯」して下さった。そのお返しではないが、智頭町における1989年から1998年の「地域づくり」実践を文字で紡いだ『CCPT(智頭町活性化プロジェクト集団)活動実践提言書』をお送りした。多くの方々に住民(市民)自治と地域経営について考えていただこう、という思いからである。
私は、1983年に帰郷したころを起点に、地域づくりを展開してきた。明治大学の小田切徳美教授は、1990年ごろからの智頭町の活動を題材にして、地域づくりについて言及されている。そして、先生は、「『内発性』『総合性・多様性』『革新性』という装いを持ち、地域の新しい価値の上乗せを目標としながら、『主体』『場』『条件』の三つの柱を地域条件に応じて巧みに組み合わせる体系こそが、今日求められている『地域づくり』である(小田切徳美『農山村は消滅しない』岩波書店、2014年12月、71ページ)、と解析される。
各地で展開されている地域づくりは、人口移動の指標的施策が脚光を浴たり、「ふるさと納税」による特産品をいかに売るかといったものが注目されている。しかし、それらは、地域を本質的に活性化させるものではない。その地に住む住人が自負心を持ち、その地の文化を基盤に、「地域経営」の主宰者として主体的・創造的に地域づくりに取り組むことが肝要である。中央主導、官主導の「地方創生」には大きな死角があり、限界がある。その地域ならではのオリジナルでオンリーワンの取り組みと地域内循環を構築することが、地方の地域が生きる「道」である。そこに「誇り」が生まれ、真の「豊かさ」が実現する。
智頭町で私たちが展開してきた30年の活動は、内発的発展事例として、「黎明内発期」:住民による突破型プロジェクト方式(1983年~2004年、20年間)、「イベント展開期」:ゼロイチを基盤に町長主導による行政施策のイベント方式(2000年~2009年、10年間)、「起業発展期」:住民自治に啐啄同時(そったくどうじ、またとない好機:阪野)、移住人による起業方式(2010年~、6年間)、に時期区分することができる。しかしそれは、あくまでも事業や活動による表層的な区分であり、必ずしも地域づくりの本質を捉えたものではない。
それぞれの時期に、誰が、主体的に地域の規範を形成していったか。「黎明内発期」は、CCPTを中心とした学習活動をリードした私自身である。「イベント展開期」は、住民のアイディア等を積極的に登用し施策化した智頭町長・寺谷誠一郎氏である。「起業発展期」を代表するのは、「森のようちえん/まるたんぼう」の西村早栄子氏、菌本位制を謳う(自家製天然酵母を使った)田舎のパン屋さん「タルマーリー」の渡邊格氏である。実に多士済々の住人たちが、智頭町の地域づくりを牽引してきた(いる)のである。地域づくりは人なり、である。
地域づくりでは、一般的に過去の施策を分析して論ずることがあるが、リーダーとなった個々人の思考や思想に踏み込み、そこから次代の地域づくりのヒントを見出し、それを練り上げていくことが重要である。その一助となることを願って、智頭町における30年の地域づくりの記録の一部を公開することにした。市民福祉教育研究所のブログを通して、お蔵入りさせていた記録に光が当たり、広く社会に届けられることを期待したい。
追記
『定年後、京都で始めた第二の人生―小さな事起こしのすすめ―』(岩波書店、2016年5月)を上梓した。『「地方創生」から「地域経営」へ』の合わせ鏡として読んでいただくと、地域づくりの「事起こし」や「交流・情報」の必要性、「住民自治と地域経営」の重要性などについての理解がより深まるものと思う。

〇内発的発展論/智頭ドラマ(2)
【黎明内発期】
住民による突破型プロジェクト方式(1983年~2004年、20年間)
・杉板葉書/杉名刺の発案~杉をテーマにマネジメントし、智頭木創舎など起業する。
・杉下村塾/耕読会の開講~地域リーダー、住民、行政マン、科学者の学習の場をつくる。
・青少年の海外派遣の開始~住民一人1,000円の寄付で青少年を海外に派遣する。
・ひまわりシステムの実施~高齢者の見回りを役場、郵便局、社協と連携し展開する。
・千代川流域圏会議の発足~産官学民の組織を創り、流域の活性化を図る。
・ゼロ分のイチ運動のスタート~住民自らが集落・地区の活性化計画を策定し実行する。
【イベント展開期】
ゼロイチを基盤として町長主導によるイベント方式(2000年~2009年、10年間)
・石谷邸を核とした観光事業の開始~旧家の提供によって観光の核をつくり展開する。
・森林セラピーの基地の整備~森林をホスピタリーの観点から捉え住民運動にする。
・百人委員会の展開~住民有志100人が政策提案しその実現に取り組む。
・杉小判/民泊の開始~住民個々の資源(杉材・民家)を価値化する。
【起業発展期】
住民自治啐啄同時、移住人による起業方式(2010年~、6年間)
・森の幼稚園の開園~幼児を毎日森に連れて行き保育する。
・麻の栽培特区の認定~大麻の栽培特区を指定し、麻の実・炭を生産する。
・廃校を使った女性の起業~おむすびころりん・農家レストランを開業する。
・田舎のパン屋タルマーリーの開業~菌本位制によりパン・ビールを製造する。

▼『CCPT活動実践提言書』(1989年度~1998年度)智頭町活性化プロジェクト集団、1990年8月~1999年10月
〇一 覧

(1)『ちづ杉(サン)フォレストピア=1989 CCPT活動実践提言書=』1990年8月、167、56ページ。
(2)『新社会活動を求めて=平成2年度 CCPT活動実践提言書=』1991年8月、174、57ページ。
(3)『新ライフスタイル“憩住”への提言=平成3年度 CCPT活動実践提言書=』1992年8月、184ページ。
(4)『新・地域リーダー考「エディター」の提案=平成4年度 CCPT活動実践提言書=』1993年10月、219ページ。
(5)『ゴールは近づきゴールは遠のく―新しい助走にむけて―=平成5年度 CCPT活動実践提言書=』1994年10月、217ページ。
(6)『新しい波 農山村発―偉大なる疎・密“たすきがけ”のパートナーシップをめざして―=平成6年度 CCPT活動実践提言書=』1995年10月、215ページ。
(7)『社会システム創造の時代―小さく生んで大きく育む―=平成7年度CCPT活動実践提言書=』1996年10月、231ページ。
(8)『ゆうふくシステム智頭発21世紀へ―共有主義(コモンイズム)に向けて―=平成8年度CCPT活動実践提言書=』1997年10月、189ページ。
(9)『22世紀へのメッセージ―時間・空間・人間のスパイラル―=平成9年度CCPT活動実践提言書=』1998年10月、203ページ。
(10)『居合わせた者よ いきさつの語り部となれ―心・規範・社会システム―=平成10年度CCPT活動実践提言書=』1999年10月、255ページ。

〇目 次
(1)1989(平成元)年度
目次平成元年
(2)1990(平成2)年度
目次平成2年
(3)1991(平成3)年度
目次平成3年
(4)1992(平成4)年度
目次平成4年
(5)1993(平成5)年度
目次平成5年
(6)1994(平成6)年度
目次平成6年その2
(7)1995(平成7)年度
目次平成7年
(8)1996(平成8)年度
目次平成8年その2
(9)1997(平成9)年度
目次平成9年その2
(10)1998(平成10)年度
目次平成10年その2
〇備 考
『CCPT活動実践提言書』(巻数:全10巻、冊数:全10冊、総ページ数:2,167ページ、大きさ:30㎝)は、国立国会図書館、京都大学図書館、鳥取県立図書館、智頭町立智頭図書館に所蔵されている。国立国会図書館サーチでは、キーワード「CCPT活動実践提言書」で検索することができる。

▼「地域経営講座『杉下村塾』」『1989 CCPT活動実践提言書』1990年8月、7~17ページ
智頭7ページ
智頭8ページその2
智頭9ページ
智頭10ページ
智頭11ページ
智頭12ページ
智頭13ページ
智頭14ページ
智頭15ページその2智頭16ページ
智頭17ページ

〇「まち」は、多様な個性を持つ地域・住民の創造性に基づいて内発的に発展し、持続可能な地域・社会への変革を実現する。「まちづくり」は、子どもも大人も、高齢者も、障害のある人もない人も、全ての住民(市民)が参加する「共働」(coaction)を基本理念とする。「まちづくり」には、“think globally, act locally”(グローバルに考え、ローカルに行動する)の視点や姿勢が必要である。要するに、「まち」の風土と歴史と暮らしは、新しい風を内から巻き起こし、外から呼び込むことによって、「豊かさ」へと変わるのである。
〇ここでは、「杉下村塾」についての記録のうち、次の一節を銘記しておきたい。「身の丈に応じて、つつましく、しかものびやかに」(岡田憲夫、12ページ)。「創造性は異質の組み合わせで生れる。創造性を養う方法として『複数の分野の経験』『外部との交流』『秀れた師との出会い』などが効果的である」。「地域は既に国際社会であり、地域の個性を主張することが即国際化である」(神田淳、13、14ページ)。いまからおよそ30年も前の1989年8月、鳥取県の山間の地「智頭町の最奥部の八河谷にある『杉の木村』の一個の裸電球の下に集まった」わずか22人の「ヒト」たちが議論した言説である。その後、彼らは各地で、「地域経営」の「起人」(17ページ)に育っていったのであろう。その「出会い・ふれあい・学びあい」の過程こそが、寺谷が言う「地域共育」である。

付記
(1)「日本海新聞」(鳥取市、1998年10月19日)に「最終回迎える智頭・杉下村塾/地域の「人」「科学する目」重視/柔軟に活性化策探る」という記事が掲載されている。

吉田松陰の「松下村塾」に倣って年一回開講されている「杉(さん)下村塾」が、今年も二十三日から三日間、智頭町八河谷の杉の木村で開かれる。主催は、智頭町活性化プロジェクト集団(前橋登志行議長)。発足時から十年の期限をつけており、今年が最終回だ。集団は「人」に焦点を当てた地域活性化を進めてきたが、「杉下村塾」の終わりとともに一つの区切りを迎えることになった。集団のこれまでを振り返ってみる。(西部本社・富長一郎)
平成元年スタート
集団は昭和六十三年に結成された。智頭杉を使った日本家屋の設計コンテストやログハウス群を築く「杉の木材イベント」、若者の海外派遣事業など多くのイベントを手がけた。近年は、郵便事業の新たな可能性を引き出した「ひまわりシステム」の創設に携わった。
「杉下村塾」が始まったのは、平成元年だ。当時、地域活性化は「一村一品運動」などの特産品開発や市町村の総合計画などで語られることが多かったが、集団は「人」で地域活性化を語ろうとした。インフラなどの「モノ」が地域を活性化するのではなく、人が活性化すれば地域もにぎわうとの考え方だ。
同時に「地域を科学する」取り組みを大学教授らの参加により、推し進めた。難しい問題を外部のシンクタンクなどに丸投げにするのではなく、自らで解決していった。丸投げにすれば、地域にノウハウが残らないからだ。この点が集団が異彩を放つところだ。
こうした考えに基づく「杉下村塾」だけに、ねらいは人の活性化だ。遺伝子を一つ組み換えるとまったく異なった性格となるように、地域の人が一人目覚めれば、そして「地域を科学する」目を養えば、その地域が大きく変化するのではないか。そんな思いが込められている。
2つの大きな特徴
集団には二つの大きな特徴がある。一つは、最近になって注目されているNGO(非政府組織)のような柔軟な手法を、早くから採用していた点だ。
NGOのような柔軟さとは、今夏に米子市で開催された「北東アジア経済フォーラム」がいい例だ。国交がない朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の第一線の官僚も参加し、経済交流について話し合った。
国交がない国同士の話し合いは、国レベルという公式ルートでは困難だ。しかし、NGOの旗のもとであれば、各国一流の研究者、官僚らが自由に集まり、具体策を立案することができる。そして、それぞれの国に戻って立案した策の具現化を図る。
「杉下村塾」はまさに、そのフォーラム的な存在だ。各地域の行政マンや有志が集まり、地域の活性化策を自由に論じ合い、さらに「科学する目」を養い、自らを高めていく。そしておのおのの地域に戻り、地域を変えていく。硬直した行政、古くからの習わしなどとは異なるシステムや手法で、閉塞した地域の状況を変えていこうとしたのが、集団の持つ「NGO的な柔軟性」である。
もう一つの特徴は、地域の人々、または地域の持つ力を引き出すことで活性化を図ろうとした点だ。
従来、過疎にはインフラを「たし算」することで、脱却を図ろうとしてきた。しかし、それは際限のないたし算競争をもたらした。田舎がたし算しても、都会がたし算すれば相対的には変わらない。
集団は人々の心に焦点を据えた活動を繰り広げることで、人々と地域の持つ力を引き出そうとした。地域の欠点をインフラで補うのではなく、普段見逃している地域の美点を改めて見つめ、魅力を引き出そうとした。「脱たし算競争」を実現しようとした。
融合し新たな力
「杉下村塾」は回を重ねるうちに、変化している。当初はスクーリング形式だった。手弁当で駆けつけた大学教授らが活性化に必要な方策を「教える」スタイルだった。これが五回目ごろから先生、生徒の区別なく、テーマを互いに論じ合う形式になっていった。
先生と生徒の立場がくるくる入れ替わる。集団いわく「先生徒」というスタイルだ。近年は「共有主義」を標ぼうしている。参加した「先生徒」たちが、ある概念を共有して「融合」し、新たな力を生み出す。「教える」「先生徒」「共有主義」と参加者も進化していっている。
集団の事務局長を務める寺谷篤さん(五〇)は「人々が融合したことで、新たな化学反応がこれから起きる。どんな反応が起きるかわからないが、地下のマグマが噴き出るような爆発があるのではないか」と話す。
どんな爆発になるのか。それがポスト「杉下村塾」であり、二十一世紀の地域活性化の端緒の一つになるかもしれない。そんな「爆発」を論じる最終回の杉下村塾のテーマは、「題名のない杉下村塾」だ。(『平成10年度CCPT活動実践提言書』1999年10月、255ページ)

(2) 寺谷の言説(「学習重視志向の地域経営実践論」)の基盤には、鶴見和子の内発的発展論がある。鶴見は「内発的発展論は教育学」であると言う。

内発的発展論というのはどこに行きつくかわからない。到達点がない(中略)。もうひとつは、これは教育学なんですよ。分野としては、社会学よりも教育学なんです。社会学でいえば、社会化の理論。というのは、その人間のひとりひとりの可能性を実現、顕在化していく、伸ばしていく。それが教育です。(赤坂憲雄・鶴見和子『地域からつくる―内発的発展論と東北学―』藤原書店、2015年7月、97~98ページ)

(3) 智頭町は面積の約93%が山林であり、「杉のまち」としても知られている。町の標語(キャッチフレーズ)は「みどりの風が吹く疎開のまち」である。1990年10月現在の人口は10,670人、高齢化率は20.0%、2016年6月現在のそれは7,466人、37.8%を数えている。なお、前後するが、2015年10月現在における全国の高齢化率は26.7%、鳥取県は29.8%である。

備考
「CCPT活動実践提言書」のPDFファイルの入手を希望される方は、「市民福祉教育研究所」のブログの「プラットホーム」からお問い合わせ下さい。ご要望があれば「宅ふぁいる便」等で送信させていただきます。

ユネスコスクール・ESD・子ども民生委員活動:大牟田市立中友小学校における福祉教育の取り組み―資料紹介―

〇「子ども民生委員」をインターネット検索すると、複数の学校(小学校)の取り組みがヒットする。徳島県石井町立藍畑小学校の「藍畑子供民生委員会」「藍畑子供民生委員活動」は、1946年12月に平岡国市が創案した子供民生委員制度の系譜につながるものとして有名である。福岡県大牟田市や高知県土佐清水市、熊本県天草市、島根県江津市二宮町などにおける「子ども民生委員活動」等の取り組みも注目される。なかでも、大牟田市立中友小学校のそれは、「ユネスコスクール」(注①)としての「福祉教育」を軸にした取り組みであり、興味深い。
〇周知の通り大牟田市では、2011年度から「ユネスコスクールのまち おおむた」を合い言葉に、市立のすべての小・中・特別支援学校(2016年4月現在、小学校20校、中学校9校、特別支援学校1校)がユネスコスクールに加盟し、「持続可能な開発のための教育(ESD:Education for Sustainable Development)」(注②)を推進している。
〇大牟田市におけるESDの取り組みは、エネルギー・環境学習、国際理解学習、世界遺産・地域学習、福祉教育などを通して、次のような児童・生徒の資質や能力の育成・向上を図るものである(注③)。
(1) 他者の立場や考えなどに共感し、協力して物事をすすめようとする態度
(2) 人・もの・こと・社会・自然などと自分のつながりを大切にしようとする態度
(3) 自分の発言や行動に責任をもち、物事に主体的に参加しようとする態度
(4) 情報や資料等をもとに公平に判断し、深く考え、肯定的に受けとめたり、代わりの案を考えたりする力
(5) 人・もの・こと・社会・自然などのつながりやかかわりを理解し、総合的に考える力
(6) 人の気持ちや考えを大切にしたり、自分の気持ちや考えを伝えたりする力
〇中友小学校は、ESD の一環として、「地域に根ざした福祉教育」を1、2年生の「生活科」と3年生以上の「総合的な学習の時間」において、6年間にわたり段階的・継続的に実施している。そういうなかで、5年生が「子ども民生委員活動」に取り組んでいる。それは、「他者との関係性・社会との関係性を認識し、高齢者世代・保護者の世代・児童の世代の3世代の交流を促進させ、世代間の『つながり』や『かかわり』を大切にした活動」(注④)である。そのねらいは、児童・生徒を地域社会をつくる担い手として捉え、学校と家庭、地域との信頼関係を深め、地域の教育力も高めることによって、豊かな共生社会を構築することにある。
〇筆者(阪野)はかつて、徳島県の子供民生委員制度(活動)について、次のように評したことがある。「子どもの生活と社会に根ざした子供民生活動は、『子どもと大人』『地域と学校』『福祉と教育』を限りなく接近させ、その組織的なつながりのなかで活動の究極の目標である『民生村造り』すなわち福祉コミュニティづくりを進めたのである」(注⑤)。中友小学校の取り組みはそれに通底するものであると言えよう。
〇以下に、中友小学校が発行した『平成26年度/ESD 「子ども民生委員活動」ハンドブック~「総合的な学習の時間」のステージで~』のなかから、「総合的な学習の時間全体計画」(資料1)、「ESD全体計画」(資料2)、「ユネスコスクール全体計画」(資料3)、「子ども民生委員活動」(資料4)を抜萃して紹介する。

中友小学校資料1/6月20日
中友小学校資料2/6月20日
中友小学校資料3/6月20日
中友小学校資料4/6月20日
〇以上から、中友小学校では、児童・生徒の実態に応じた横断的・総合的で、系統的かつ計画的な「地域に根ざした福祉教育」が展開されている。しかもそれは、ユネスコスクールの理念やESDのねらいにかなうものである。評価されるところである。言うまでもなく、ESDが求める「持続可能な社会」を構築するのは「ヒト」(子どもから大人までの「市民」)である。学校教育のねらいのひとつは、地域との「つながり」や「かかわり」のなかで、「地域に学び、地域に生かし、地域を創る」ことにある。改めて認識しておきたい。
〇学校福祉教育は、地域の「社会福祉問題」(中友小学校がいう「地域素材」)を学習素材とし、「体験学習」を重視する教育活動である。従ってそれは、本来、学校内で自己完結するものではない。また、児童・生徒の発達課題や生活課題に対応して全教科・全領域で取り組まれ、地域を基盤とした学校経営の視点を持つことが必要不可欠となる。すなわち、学校福祉教育は、学校教育の根幹に位置づくものであり、学校を挙げて体系的・組織的に取り組むべきものである。
〇さらに付言すれば、地域に根ざした学校福祉教育をより豊かなものにするためには、「住民の暮らし理解とまち学習」「生き抜く力と共に生きる力の育成」「市民性形成のための教育営為」「ICFの理念に基づくまちづくり」「地域を基盤とした福祉教育推進プラットホームの構築」などについて思考し、取り組む必要があろう。その際に問われるのは、行政や、社会福祉協議会をはじめとする関係機関・団体・施設などの意欲と力量であり、それらと学校との「共働」である。


① ユネスコスク−ルでは、ユネスコの理念(国際平和と人類の共通の福祉)の実現をめざして、(1)地球規模の問題に対する国連システムの理解、(2)人権、民主主義の理解と促進、(3)異文化理解、(4)環境教育などのテーマについて、質の高い教育が実践されている。2015年6月現在、世界182か国の国や地域に10,422校のユネスコスクールがある。日本国内の加盟校数は、2016年3月現在で939校を数えている。文部科学省と日本ユネスコ国内委員会では、ユネスコスク−ルをESDの推進拠点として位置づけている(「ユネスコスクール」文部科学省ホームページ)。
② ESDは、「現代社会の課題を自らの問題として捉え、身近なところから取り組む(think globally, act locally)ことにより、それらの課題の解決につながる新たな価値観や行動を生み出すこと、そしてそれによって持続可能な社会を創造していくことを目指す学習や活動」である。言い換えれば、ESDは、地球上で起きている様々な問題が、遠い世界で起きていることではなく、自分の生活に関係していることを意識づけることに力点をおくものである。地球規模の持続可能性に関わる問題は、地域社会の問題にもつながっている。だからこそ、身近なところから行動を開始し、学びを実生活や社会の変容へとつなげることがESDの本質である(『ESD(持続可能な開発のための教育)推進の手引(初版)』文部科学省国際統括官付/日本ユネスコ国内委員会、2016年3月、4ページ)。
ESDは、2002年に開催された第57回国連総会において、我が国が提唱した。また、2005年から2014年を「国連持続可能な開発のための教育の10年(DESD:United Nations Decade of Education for Sustainable Development)」とすることが決議され、以降、ユネスコを主導機関として世界的にESDの推進が図られている。
学習指導要領に関しては、2008年3月(小・中学校)と翌2009年3月(高等学校)に公示されたそれにおいて、「持続可能な社会の構築」の観点が盛り込まれた。以後、ESDの普及・促進が図られることになる。
「ESDと福祉教育・ボランティア学習」に関しては、『日本福祉教育・ボランティア学習学会 研究紀要』Vol.14(2009年11月)で、「持続可能な社会をつくる福祉教育・ボランティア学習―いのち・くらしとESD」が特集されている。参照されたい。
③「『ユネスコスクールのまち 大牟田』について」大牟田市教育委員会ホームページ。
④ 『平成26年度/ESD 「子ども民生委員活動」ハンドブック~「総合的な学習の時間」のステージで~』大牟田市立中友小学校、2014年10月、2ページ。
⑤ 阪野貢『戦後初期福祉教育実践史の研究』角川学芸出版、2006年4月、29ページ。

謝辞
本稿をアップするにあたって、大牟田市立中友小学校の校長・本村勝則先生と教頭・上田幸子先生には格別のご高配を賜りました。ここに記して深く感謝の意を表します。  
                                                                            

「パーソナル・キャピタル」と「つながりのコミュニティ」、「まち会社」と「事業としてのまちづくり」

▼学校福祉教育と「福祉のまちづくり」
〇先日、久しぶりにS市社協主催の「福祉教育担当教諭連絡会」に参加し、学校や社協の現場実践者とともに、「地域に根ざした福祉教育のねらいと実践」について“学び合う”機会に恵まれた。その連絡会の開催目的の一節は、「誰もが住みよいまちを目指すためには、福祉への理解・関心は必要不可欠なものです。とくに学校と地域が連携した取り組みは、児童生徒が福祉を学び、福祉のまちづくりを担う人づくりにつながる活動です」というものであった。そこから、福祉のまちづくりに向けた「地域福祉教育」の視点や方向性を読み取ることができる。首肯するところである。
〇筆者(阪野)が主催者から依頼されたのは、福祉教育の歴史と理論と実践、そして最近の動向などに関する基礎的・基本的事項についてのレクチャーであった。加えて、具体的な実践事例を紹介することも求められた。その際、宮沢賢治の童話のタイトル(中身ではない)『注文の多い料理店』を思い出した。「注文の多い連絡会」である。その連絡会は、危惧した通り、“一方通行”の、総花的なもので終わった感がある。それはひとえに、筆者の力量不足によるものである。
〇当日のアンケートの回答によると、学校現場の多くの先生方は、具体的な、“生(なま)”の、しかもすぐ“使える”福祉教育プログラム(実践事例)の紹介と説明を求めていた。それは、学校教育における福祉教育の意義や位置づけ、内容や方法などの本質的な問題について、未だに共通認識や定見を持つに至っていないことによる。併せて、学校福祉教育において、その取り組みの主体性や自律性、創意工夫や開拓性などを阻害する反福祉的・反教育的状況が進んでいることに起因する。そう思うのは筆者だけであろうか。ただ、一部の先生の言として、福祉教育は歴史的に形成され、社会的な状況を踏まえた教育活動であるという視点の重要性を再認識することができた、というものがあった。何よりの救いである。福祉教育は歴史的・社会的形成体であり、豊かな地域・社会の未来(あす)を切り開く教育活動である。

▼「パーソナル・キャピタル」と「つながりのコミュニティ」
〇S市社協から帰宅後、佐藤友美子・土井勉・平塚伸治著『つながりのコミュニティ―人と地域が「生きる」かたち―』(岩波書店、2011年8月。以下、「本書」)を再読した。珍しく、本書の帯(おび)が捨てずにとってあった。そのキャッチコピーは、「個人の力が集まる時、何かが始まる」である。また、表紙カバーの裏に記されている「内容紹介」は、次の通りである。「一人ひとりが持てる力を思う存分に発揮し、支えあい、楽しく、共に活き活きと生きる社会は果たして可能なのだろうか。さまざまな現場での活動を紹介しながら、人々が幸福に、心豊かに生きるための道を探る」。
〇本書は先ず、「地域の暮らしをつなぎ支える」(4件)、「地域の魅力をつくる」(3件)、「文化を創造する」(3件)という枠組みのもとに、10件のコミュニティ活動(まちづくり活動)の事例紹介を行う。その事例は、旧来とは違う新味性や、一過性ではなく継続性を念頭においたものである。次に、それぞれの活動を読み解きながら、「人々が幸福に、心豊かに生きるための道を探る」、というかたちで編まれている。これに関して一言すれば、こうした事例紹介は、ある視点やフレームワークに基づいて収集した事例の表面的な特色(個性)を記述するに留まることがある。事例「紹介」といえども可能な限り、その活動の背景や実態・内実に迫り、活動の代表性・典型性や一般化・普遍化などについても言及することが求められる。なお、その点では、ひとつの事例を徹底的に分析・評価し、失敗したことなども含めて余すところなく紹介する方が、現場の活動には真に「役立つ」ように思える。
〇本書で注目される(したい)キーワードのひとつは、「パーソナル・キャピタル」「共立の活動」である。その概念をめぐって佐藤らの言説を紹介することにする。

個人の能力が個人で完結している場合、社会的に大きな活動として広がることはない。キャピタル(資本)という言葉の意味には「剰余価値を生むことによって自己増殖する価値」がある。すなわち、個人の能力が別の個人の能力と結びつき、つながることによって増殖し、一人ひとりの能力を足したもの以上の価値を生み出していく。そんな個人の能力を「パーソナル・キャピタル」と意味付けたい。個人の体験を経て個人の資質として蓄積された資本、様々な能力は誰の目から見ても明らかに見えるものではないだろう。また、「パーソナル・キャピタル」は必ずしも資格のようなものではない。普段あたかも何もないように見えていて、何かのきっかけで顕在化するのが「パーソナル・キャピタル」である。(ⅸ~ⅹページ)

「パーソナル・キャピタル」が集まり、結びつき、つながることによって相乗効果を生み、力を発揮する状況を(中略)「共立」と定義付けた。「共立」はできることを持ち寄り、より高次なレベルの活動をつくり上げるプロセスを指す言葉である。(ⅹページ)

個々人のパーソナル・キャピタル(すなわち、物事を判断する際のモノサシとなる価値判断能力、問題解決に必要な人とのつながり方やコミュニケーション能力、場の設定能力、交渉能力、専門家の活用能力、合意形成能力、起業化力、継続力、持続力、など)をそれぞれ持ち寄り、それを結びつけることで、化学反応が起こり、課題を読み替え、解いていく。協働作業によって、より高次なレベルの活動を作り出し、新しい価値を作り出すプロセスが「共立の活動」である。それは、特別な人のものではなく、小さくても何かを持っていれば、誰にでもできることなのだ。そして、それはいつしか一人を超えて、大きな流れをつくっていく。参画した参加者は「共立の活動」の一部を担っていくことになるのである。(174~175ページ)

〇佐藤らがいう「パーソナル・キャピタル」は、地域・社会における「ちょっとしたつながり」「ゆるやかなつながり」をつくる個人の能力を意味する。それが、より高次なレベルの「つながり」(ソーシャル・キャピタル)や、それに基づくまちづくり活動や運動を創りあげることになる。そこに広がるのが「つながりのコミュニティ」である。言い換えれば、カリスマ性のある特定の「ヒト」に頼った取り組みには“危うさ”がつきまとうが、そのリスクを取り除くのが「つながり」である、ということになる。「地域に根ざした福祉教育」「地域を基盤とした福祉教育」の展開に関して留意すべきところである。

▼「まち会社」と「事業としてのまちづくり」
〇いま、筆者の手もとに、まちビジネス投資家/事業家と称される木下斉(きのした ひとし)が書いた本『稼ぐまちが地方を変える―誰も言わなかった10の鉄則―』(NHK出版、2015年5月)がある。そのブックカバーの裏に記載されている「内容紹介」は、次の通りである。訴求性が高く、興味・関心を呼び起こす。

人口減少社会でも、経営者視点でまちを見直せば地方は再生する! 補助金頼りで利益を生まないスローガンだけの「地方創生」はもう終わった。小さくても確実に稼ぐ「まち会社」をつくり、民間から地域を変えよう! まちおこし業界の風雲児が、心構えから具体的な事業のつくり方、回し方まで、これからの時代を生き抜く「10の鉄則」として初公開。自らまちを変えようとする仲間に向け、想いと智恵のすべてを暴露します。

〇木下は、その本で、地域を活性化するためのまちづくりは「活動」ではなく、「事業」として取り組むことが有効であるとする。そして、「まち会社」(注1、2)が「まちづくり事業」を成功させるための秘訣を「10の鉄則」と「10の覚悟」に纏める。その項目は以下の通りである。

まちづくりを成功させる10の鉄則
①小さく始めよ、②補助金を当てにするな、③「一蓮托生」のパートナーを見つけよう、④「全員の合意」は必要ない、⑤「先回り営業」で確実に回収、⑥「利益率」にとことんこだわれ、⑦「稼ぎ」を流出させるな、⑧「撤退ライン」は最初に決めておけ、⑨最初から専従者を雇うな、⑩「お金」のルールは厳格に(79~153ページ)
まちを変える10の覚悟
①行政に頼らない、②自ら労働力か資金を出す、③「活動」ではなく「事業」としてやる、④論理的に考える、⑤リスクを負う覚悟を持つ、⑥「みんな病」から脱却する、⑦「楽しさ」と利益の両立を、⑧「入れて、回して、絞る」、⑨再投資でまち全体に利益を、⑩10年後を見通せ(198~201ページ)

〇「10の鉄則」と「10の覚悟」は、企業・組織経営やビジネスの観点から纏めたものである。従って、この鉄則と覚悟はそのまま、「福祉のまちづくり」や「つながりのコミュニティ」づくりに通用(通底)するものでもない。とは言え、NPO法人や市民活動団体、地域組織・団体などの事業・活動に関して留意すべき事項や参考となる点を含んでいる。例えば、木下は、覚悟⑧について、「まちの活力を生み出すには、地域外から人や財を入れ、地域内取引で回して、地域から出て行く人や財を絞る。この循環をどう大きくしていけるか、というのを徹底すれば、必ず再生する」(201ページ)。⑨については、「まちづくりに事業として取り組むのは、それで儲けた資金を全て手元にとるのではなく、再投資をして地域で資金を回していくからだ。事業は課題解決方法であり、金儲けの手段ではない。すなわちまちづくり事業団体だけが豊かになっても意味がない」(201ページ)、と説述する。すなわち、まちづくり事業では、「ヒト」「モノ」「カネ」そして「情報」の社会資源(経営資源)をいかにして地域の内外から取り入れ、地域内で好循環させ、その資源や成果(果実)を“単利”ではなく“複利”で拡大させるかが重要なポイントとなる。そこに求められるのは「地域経営」の視点や姿勢である。
〇木下の著書に、『まちで闘う方法論―自己成長なくして、地域再生なし―』(学芸出版社、2016年5月)がある。その本の帯のフレーズは、「中途半端な正義感だけでは、まちを変えることはできない」である。まちをひとつの会社に見立てて経営するという観点で18年間闘い続けてきた木下の言葉は、重い。「福祉のまちづくり」や「つながりのコミュニティ」においても、「中途半端な正義感」は何の役にも立たない。


(1) 「まち会社」といっても一般には馴染みが薄いかもしれません。これは、イベント会社やコンサルタント会社、ましてやボランティア団体等ではありません。まちの不動産オーナーなどと共に設立し、各不動産や店舗の改善を行い、さらにエリアの価値を高めていくという、目的も収益源も、そして顧客もはっきりしたビジネスです。(木下、71ページ)
日本ではまだ、不動産オーナーが中心となってまちづくりを推進する、ということは主流にはなっていません。立ち上がるべき人が立ち上がっていない。(中略)まず不動産オーナーが本気にならなければ、地域はどうにもなりません。外部の人間が(中略)、どんな提案をしようとも、意思決定権は不動産オーナーが握っています。(中略)まちのオーナーシップは、不動産オーナーにあるのです。(木下、76~78ページ)
(2) 「まちづくり会社」をはじめとするさまざまな担い手と行政が連携することで、従来とは異なる新しい発想でまちづくりを進める取り組みが全国各地で実施されている。その概要については取り敢えず、『まちづくり会社等の活動事例集―活動類型別の代表的な30事例の紹介―』(国土交通省都市局まちづくり推進課、2012年3月)が参考になろう。

1%から始まる住民主導の内発的まちづくり―主体者意識に基づく「話し合い」と「学び合い」、そして「地域経営」―

4月下旬、群馬県の伊香保温泉と竹久夢二の記念館、そして栃木県足利市のフラワーパークへの一泊旅行を楽しんだ。/記念館では、夢二の多彩な作品に流れる静寂な空気、100年以上も前のオルゴールが奏でる繊細な音、その世界に没入した。窓の向こうでは、小雨が降る木々のなかで、姿をみせないウグイスが美しくさえずっていた。気がつけば、私は一幅の絵のなかにいた。記念館は、まさに美と癒し、大正ロマンの森であった。/翌日訪れたフラワーパークの藤の花は、ただ一言、圧巻であった。しばらく私は、花と香りの世界を飛翔した。/帰宅すると、注文していた本が届いていた。3年ほど前からの日常の一コマがまた、ぎこちなく回り始めた。

〇「みんなが1%、生き方を変えれば、僕たちの社会も変わっていく。」「100%と比べればほんのわずかな1%が、実は無限大の力を持っている可能性がある。」(鎌田實『1%の力』河出書房新社、2014年9月、9ページ)
▽地域で「事を起こす」にはまず、一人の「1%」が必要である。その一人の「もう1%」、そして「みんなの1%」が積み重ねられることによって、「100%」になる。ときには「100%」を超える。そこに「事が成る」。

〇「住民はまちの主役であっても、まちづくりに関しては素人なのです。」「地域の人たちから必要とされなくなること―それが最終目標なのです。」(山崎亮『ふるさとを元気にする仕事』筑摩書房、2015年11月、171、193ページ)
▽まちづくりはその素人が、いかにしてまちづくりの主体者意識を持ち、知識や技術を習得し活用するかにかかっている。そこに、「コミュニティデザイン」(まちづくりのための手法)のあり方や「コミュニティデザイナー」(専門家)の役割が問われる(注①)。

〇「地域の自立的な総合的発展を目指すためには、各地域が、ビジョンや地域の経営戦略を持って、地域の経営に取り組んでいくことが必要である。」「地域の経営は、地域の発展のために行われる運動であり、協働、連携、マネジメントがキーワードとなる。」(海野進『地域を経営する―ガバメント、ガバナンスからマネジメントへ―』同友館、2009年4月、7、10ページ)
▽地域経営主体(市民、企業、地方自治体など)が連携・協働して「地域の経営」の活動や運動を展開することによって、地域にイノベーション(革新)を起こし、地域の持続可能な発展を促すことができる。

住民主体のまちづくりの実践例のひとつに、鳥取県智頭町と長野県飯田市の取り組みがある。智頭町は、面積の90%以上を山林が占めるという典型的な中山間過疎地域であり、キャッチフレーズは「みどりの風が吹く“疎開”のまち」である。2016年2月1日現在の人口は7,498人、世帯数は2,736世帯、高齢化率は37.6%を数える。飯田市は、人口10万人規模の典型的な地方都市であり、「りんご並木と人形劇のまち」としても知られる。2016年4月末現在の人口は103,762人、世帯数は39,740世帯、高齢化率は30.7%を数える。
智頭町の取り組みは、稀有(けう)な挑戦的実践者と評しうる寺谷篤志(元郵便局長)の「1%」から始まる。そこでは、まちづくり実践の理論化(「思考のデザイン」)の視点である「地域経営」と、地域課題を解決するための実践的な手法である「四面会議システム」(合意形成システム)が注目される。また、「自分をつくる」「まちをつくる」ための学習の場である「杉下村(さんかそん)塾」(1年一回2泊3日×10年)や「耕読(こうどく)会」(40回×10年)の開講、無から有を生み出す、住民主導による地域活性化運動としての「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」(注②)の展開などが特筆される。それらの概要は、寺谷篤志・平塚伸治著/鹿野和彦編著『「地方創生」から「地域経営」へ―まちづくりに求められる思考のデザイン―』(仕事と暮らしの研究所、2015年3月)に纏められている。
飯田市の取り組みは、飯田という10万人規模の地方都市の住民と行政、そして地元企業などのそれぞれの「1%」が織りなす、多様で重層的なネットワークのもとに展開されている。そこでは、まちづくりを担う地域住民や行政職員、地域組織・団体などが「当事者意識」(「主体者意識」)を持ち、対等な立場で「円卓」を囲み、地域のことを語り合い、学び合いながら一緒に「事を進める」という「円卓の地域主義」(roundtable regionalism)が注目される。それは、人口減少・少子化・高齢化・地方消滅などの右肩下がりの時代であっても持続可能な地域は実現できるという、現市長・牧野光朗の信念や市政経営の考え方である。また、牧野は、21世紀の地域づくりは想像力と創造性を巡らせて人の感性に訴えるものであるべきである、という(「デザイン思考的アプローチによる地域づくり」)。それらの理念と具体的な取り組みについては、牧野光朗編著『円卓の地域主義―共創の場づくりから生まれる善い地域とは―』(事業構想大学院大学出版部、2016年2月)に纏められている。
以下に、二冊の本のなかから、注目したい(される)論点や言説のいくつかを紹介することにする。

(1) 寺谷篤志・平塚伸治著/鹿野和彦編著『「地方創生」から「地域経営」へ―まちづくりに求められる思考のデザイン―』仕事と暮らしの研究所、2015年3月
▼地域づくりに求められる「マネジメント」「地域経営」の視点
〇地域社会の「真ん中」に立ち、主体的に地域づくりに参画していく(ためには、中略)自分の中に「よりよく生きたい」というエネルギー、あるいは「このままではだめだ」という危機感が必要になる。そして、そうしたエネルギーや危機意識を引き出すために必要な作業が「学び」であり、「考える」という行為である。それも、どのような視点で物事を見るべきなのか、鳥の眼(全体を俯瞰する)、虫の眼(現場目線)、魚の眼(過去・現在・未来を考える)を駆使して物事の本質を見る眼を養う必要があるだろう。(鹿野、22~24ページ)

〇地域は一人で成り立っているものではない。地域社会を変えるためには、他者から共感を持ってもらい、共に実践してもらうための仕掛けが必要になる。具体的には、他者と共通認識を持つためにコミュニケーション能力や、他者の意欲を喚起するためのプレゼンテーション能力が必要であり、他者と共通の場を作るための仕組みを構築する必要がある。(鹿野、24ページ)

〇地域づくりにおいても、企業が事業を推進するときと同様のマネジメント手法が必要である。(中略)企業マネジメントの基本に目標管理の手法があるが、地域づくりにおいても、目標(地域の課題)を設定(発見)し、それを達成するための計画立案(Plan)―実行(Do)―検証(Check)―改善(Action)を繰り返す仕組みを導入する必要がある。(中略)地域づくりを推進するためには(中略)、「地域マネジメント」「地域経営」の思想とシステムが必要である。(鹿野、24~25ページ)

▼地域経営=地域+ヒト+資源+新視点+技術力+起業家精神+イノベーション力
〇地域経営はヒト、文化、産業、素材、その他、地域に賦存(ふそん)するあらゆる資源の価値を発掘し、総付加価値を引き出す社会的イノベーションと捉えるべきであろう。特にヒトはイノベーションを起こす当事者にもなりえる知識・アイデアとチャレンジ精神を持った人材(財)になりえる一番大切な地域資源である。そのような人材(財)を発見し、育てる息の長い地域共育がその鍵を握っているはずだ。(寺谷、40ページ)

〇地域社会の経営の主宰者は、当然ながらその地に住む住民である。はたして地域の経営者となるべき市民(住民)は、地域の姿を決める重大な問題である地域経営をいつまでも他人事にしておくのか。詰まる所、地域経営の当事者として、お互いが相互にそこに存在する意義が問われなければならない。(中略)
地域経営を身近に引き寄せて言えば、地域における企業経営であり、組織経営であり、集落経営であり、自己経営である。それを我が事として捉え関わる当事者意識が問題となる。具体的に平たい言葉でいえば、地域経営は、その地域、ヒト、資源、新しい視点、技術力、起業家精神、それによるイノベーション力となろう。(寺谷、41ページ)

(2) 牧野光朗著『円卓の地域主義―共創の場づくりから生まれる善い地域とは―』事業構想大学院大学出版部、2016年2月
▼飯田型まちづくりのルール
〇飯田型まちづくりはシンプルなあるルールによって成り立っている(中略)。それは、円卓から始まる共創の場づくりである。(稲葉、82ページ)

▼住民の「当事者意識」と「円卓」
〇ラウンドテーブル(円卓)には意味がある。ここが上座という意識はなく、誰が偉いということでもない。貴賤の差別なくみんなが対等に話し合いをするということだ。ときには専門家にアドバイスを求め、みんなで智恵を出し合い、折り合いをつけながらまちの価値を高めていく。このような行為を私は共創と呼んでいる。共創の場、共創の時間は、共創の志から生じるものであり、その志の源泉は自分たちのことは自分たちでという当事者意識にある。(牧野、159ページ)

〇これまで、職員を含む地域の人々に当事者意識を持って事に取り組んでもらおうと円卓の整備を進めてきた。数々の深化と実践を経て、やっとのことで円卓が自生するようになってきた。議論の場をつくり、当事者意識をもった人々が円卓を囲む。まずは何をするにも円卓の整備を第一に意識してやってきた。そうしたスタイルを人々が知らぬ間に体得し実践をするようになったのだ。
それだけではない。規範や体裁に囚われず、自らの頭で考え行動に移す人が増えてきた。円卓が深化をしてそれぞれの価値を創造するようになった。共創の場が実現したのである。周囲の変化の中でも、とりわけ職員の成長は目を見張るものがあった。(稲葉、137ページ)

〇「円卓の地域主義」は、地域が当事者意識を強く持ってボトムアップで右肩下がりの時代に対応しようとする考え方であり、(中略)自分たちの地域の将来に希望を見出し、自主自発の取り組みを行うための触媒としての機能を発揮するものである。(中略)ボトムアップの社会の構築には、相当の期間が必要である。「円卓の地域主義」とは、国からのトップダウンのやり方や指令で行われるものではない。各地域それぞれが、それぞれの方法で自ら時間をかけて獲得していくものと考えている。(牧野、163ページ)

▼「地育力」による人づくり
〇こうした市民の変化は、丁寧に円卓を整備し深化させていった結果とも言えるが、これまで飯田が行ってきた人材育成の大きな成果とも言える。(中略)飯田では、進学・就職等で一度地域を離れても、将来的に飯田に帰ってきて地域を担う人材として活躍してもらう「人材サイクル」を構築しようとしている。①帰ってきて働くことのできる「産業」をつくり、②帰ってきたいと考えるような「人」を育み、③帰ってくることのできる環境・「まち」をつくる、この3つくりが「人材サイクル」構築の大きな柱である。(稲葉、140ページ)

〇地育力とは、自然や文化、歴史や産業など豊かな飯田の資源を活かして、飯田の価値と独自性に自信と誇りを持つ人を育む力である。こうした力を、行政や教育従事者だけでなく地域一丸となって育んでいこうとしている。地育力による人づくりの実践は多岐にわたる。(中略)公民館活動もその典型であるし、(中略)飯田の市民が小学生から大学生に至るまで、場合によっては大人になっても、地育力による教育を受けることができるようになっている。それらは地域の外側にも開かれている。(中略)外からやってきた人に飯田に触れてもらい、知ってもらう。地域のブランディング(ブランド化:阪野)につながる。市民は来訪者を通して外から見た飯田に向き合い、誇りと自信を獲得していく。(稲葉、140~143ページ)

「超少子高齢・人口減少・多死社会」や「地方消滅」「地方創生」などが叫ばれ、政治の右傾化と経済・社会的課題の深刻化が続いている。そういうなかで、地域の持続可能な発展を実現するために、地域住民や地元企業、行政などの多様な地域経営主体がいかにして主体者意識(当事者意識)と主体者能力(当事者能力)を持ち、連携・協働(共働)するか。そして、自立的かつ自律的な「地域経営」(regional management)の進展を図るか、が厳しく問われている。その際の地域経営の主体化(意識と態度・行動の育成と変革)の取り組みは、地域住民の個人的レベルにとどまらず、組織・団体や地域全体のレベルでのそれが必要かつ重要となる。すなわち、単に地域経営の意識や能力を持った人材を育成・確保し、地域に配置するだけでなく、地域全体としての地域経営の仕組みを構築し、その仕組みによる地域・住民の運動を戦略的・計画的に展開することが肝要となる。そのために必要不可欠なのは、多様で多層な地域経営主体の地域内外にわたる相互交流と情報共有、「話し合い」と「学び合い」であり、それに基づく豊かな知識と確かな技術、地域に対する熱い思いである。そして、それらの根底をなす理念は、「1%」から始まる一人ひとりの住民の「満足」と「楽しさ」、すなわち「しあわせ」である。本稿で言いたいのは以上の点である。


① コミュニティデザインの活動のノウハウを仕事術というかたちで纏めたものに、山崎亮+studio-L『山崎亮とstudio-Lが作った問題解決ノート』(アスコム、2015年12月)がある。
②「日本ゼロ分のイチ村おこし運動」は、日本の典型的な中山間過疎地域である鳥取県智頭町で、1997年度から行われている住民運動である。これは、最小コミュニティ単位である「集落」ごとに、(10年後の:阪野)集落ビジョンを描きそれを実現しようとするものである。ビジョンを描き、智恵やお金を出すのは住民であり、行政は脇役としてサポートするにとどまっている。すなわち、住民主導による徹底したボトムアップの運動である。
ゼロイチ運動は、「0から1、つまり、無から有への第一歩こそ村おこしの精神」との理念から名付けられた。この運動は、「村の誇り(宝)の創造」を目的としており、地域経営(生活や地域文化の再評価を行い、村の付加価値をつける)、交流(村の誇りをつくるために、意図的に外の社会と交流を行う)、住民自治(自分たちが主役になって、自らの第一歩によって村を起こす)という3本の柱がある。(中略)そこには、保守性・閉鎖性・有力者支配という旧来からの地域体質を打破しようという意図が込められている。(杉万俊夫『鳥取県智頭町「日本ゼロ分のイチ村おこし運動」―住民自治システムの内発的創造―』総合研究開発機構、2007年6月、要約、1ページ)
「ゼロ分のイチ」とは、(中略)岡田憲夫(京都大学名誉教授)が考案した標語であり、無から最初のイチを創出すること、すなわち、無限の跳躍を意味している。(高尾知憲・杉万俊夫「住民自治を育む過疎地域活性化運動の10 年―鳥取県智頭町「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」―」『集団力学』第27巻、集団力学研究所、2010年7月、79ページ)
「物言わぬ住民」を好む行政も、「物言わぬ住民と行政の間で利害をとりもつ」ことを存在価値とする町会議員も、ゼロイチ運動の企画を何とか握りつぶそうと最後まで抵抗した。ゼロイチ運動は、「物言わぬ住民」を「物言う住民」に転換する運動だからだ。(高尾知憲・杉万俊夫「同上論文」80ページ)

高島巌先生と木谷宜弘先生のこと:木谷宜弘「学校における福祉教育を考える―5つの柱―」(1979年10月)―資料紹介―

いま、筆者(阪野)の手もとに、雑誌『ボランティア』(富士福祉事業団発行)が10冊ほど収められた手製のファイル(「高島先生の思想と哲学」)がある。雑誌の各号には、「わが国ボランティアの先駆者」(三浦富雄)と評された高島巌先生(1976年5月没、享年78)の原稿や関連記事が掲載されている。筆者は、1975年頃から児童養護施設・双葉園にお邪魔するようになった。そして、園長の高島先生から直接、「いそいではいけない/かまえてはいけない/たえることだ/まつことだ/いのることだ」という“ボランティアする心の原点”についてご指導いただいた。およそ40年も前のことである(注①)。
『ボランティア』の1979年10月号(「福祉教育を考える」)に、「日本のボランティアの父」(大橋謙策)と評される木谷宜弘先生(2012年10月没、享年83)の一文が載っている。それは、1979年8月に開催された「学童・生徒の福祉教育を考えるつどい」における木谷先生の報告(「まとめ」)である。その2年前に、「学童・生徒のボランティア活動普及事業」がスタートしている。その点において、この報告には、木谷先生の福祉教育への熱い思いや強い願いが込められている。以下に、編集者による前書きと木谷先生の報告を紹介する。

「学童・生徒の福祉教育を考えるつどい」から 
「学童・生徒の福祉教育を考えるつどい」が、8月7、8日、東京・大手町のサンケイ会館で開かれた。全国から約300名の関係者が参加したが、行政、社協、ボランティア推進機関担当者にまじって、小・中・高校教諭など学校関係者が出席者の半数を占め、なかでも多くの小学校長が出席して注目された。
つどいでは、福祉教育の重要性が強く叫ばれるようになった今日、これからの、小・中・高校生に対する福祉教育を、どう進めればよいのか。社会福祉、社会教育、青少年団体などで、いままで推進されてきた実績をふまえて、そのありかたを中心に、お互いの理解を深め、発展の方策をさぐった。
ここに紹介するのは、このつどいを主催した全国ボランティア活動振興センター・木谷宜弘主幹の、福祉教育についてのコメント(中略)である。
(「福祉教育を考える」『ボランティア』第14巻第5号・通巻第161号、富士福祉事業団、1979年10月、3ページ)

学校における福祉教育を考える――全国ボランティア活動振興センター主幹・木谷宜弘
「福祉には教育の支えが必要だ」と、かねがね思っている。それは、福祉の風土づくりという「百年の計」に相当する大仕事は、人間の意識変革なしには成立しえないからである。そして、この人間の意識変革は、教育活動によってなされていく。
「福祉教育」という言葉が使われるようになったのも、このような観点からで、この言葉の概念規定が論議されたのは、昭和45年度全国社会福祉会議であった。翌年に「福祉教育とは、憲法にもとづく社会的基本権としての、生活上の福祉の確保をさまたげる諸問題を、地域社会における住民が、みずからの問題として、自覚的に認識し、その解決のための運動を、継続的に展開するのを援助するための、教育的活動である」と定義づけられた(注②)。その対象は、一般成人に対して行われるものと、児童、生徒に対して行われるものとに分けられるが、学校における福祉教育は後者の教育体系の一部であるといえる。
社会福祉の分野においては、実践が理論に先行することが常で、学校における福祉教育も、その実践は終戦直後にはじまった。昭和22年、福島県(徳島県:阪野)でスタートした「子ども民生委員制度」は今日の社会福祉協力校の前身であった。「すべてのお友だちを幸福にしよう」という合言葉のもとにすすめられたこの制度は、後に、全県下の小・中学校はもとより、一部県外にまで波及した。
昭和24年、中央共同募金会委員会が、「国民たすけあい共同募金、学習指導の手引」を製作して、中学、高校に配布し、教師の協力を求めることによって、学校における福祉教育の必要性について、一石を投じた。昭和25年、神奈川県において、「社会福祉研究普及校制度」がはじめられた。この制度は、学校教育の荒廃が目立つようになった昭和40年ころから、他県へ波及しはじめ、昭和50年には、10県に広がっていた。
全国社会福祉協議会が、この制度の実現に取り組んだのは、昭和46年ごろからであったが、実際に、国庫補助が実現し、都道府県社協の協力によって、全国普及がはじまったのは、昭和52年度からであった。現在、3年目を迎え全国に638校(うち国庫補助対象校は288校)の小・中・高校がこの実践に参加している。
今回、厚生省、文部省、青少年育成国民会議の後援のもとに開催した「学童・生徒の福祉教育を考えるつどい」は、以上のような歴史的経緯を背景として実施されたもので、当日、参加した学校教師、社協職員、行政関係者、ボランティアなど300名の、貴重な実践、経験をふまえて、その中から、学校における福祉教育の今後のすすめ方、発展方策を明らかにしようというものであり、このつどいの開催とこれからの実践は、福祉と教育が1つの目標をめざして協働するという点で、画期的意味をもっている。それだけに難問も多く、じっくり腰をすえてかからなければならない「運動」であると心得ている。

5つの柱
小・中・高校生の福祉教育について、重要な点だけを、とりまとめますと、5つの柱になるようであります。
まず第1は、福祉教育の概念をどうとらえるか、ということです。これには、いろいろ論議もございますが、一応福祉教育と学校教育との「教育」という観点からみた概念は、一致してきているようであります。人間教育――心を豊かにする人間教育、あるいは市民教育、全人教育を、1人1人の主体性を確立しながら、思いやりのある、そういう態度や考え方を身につけていく。こういう点では、学校教育も福祉教育も共通である、ということが打ち出されています。
これは両者における大事な基盤です。その基盤が共通し、かつ目標等も共通するものではありますけれども、しかしまた、福祉固有の視点というのも存在するわけでありまして、その視点からいいますならば、学校教育の学習全教科、またその他学科外の活動などを、もう一度見直して、それにより福祉の理解、あるいは人権というようなものの感覚を、もっと身につける必要があるのではないかと思うのであります。
長年にわたる社会的な風潮が作られるなかで、人間の、1人1人の人権が尊重されるという状況が、だんだんと家庭や学校、地域社会の中で培われる機会がなくなってきています。で、こういう感覚を、体験学習を通して身につけさせる。学校教育に、努めてそういうあり方なり視点を持ち込むことが、学校教育全体を完成させていくということにもなるのではないでしょうか。
福祉ということは、ずいぶん変わってまいりました。昔の救貧的な福祉という考え方ではありません。気の毒だとか、かわいそうだということではなくて、すべての人たちと共存していく。そういう社会をどう作るのか。お互いに自立し、助け合える、そういう社会をどう作るのか。また、そういうものは、与えられるものではなくて、1人1人が参加し、そして求め作り出していく、という主体的な態度や考え方が、身につかなければならないことなのです。そういう意味で、福祉というものの視点を、もう一度学校教育の中で考えていただくことが、とても大事だと思われます。
2番目に、福祉教育の方法という立場から考えてみましょう。福祉教育というものは、実践と学習とを並行していくところに特徴があります。体験学習ということばが、そういう意味で、よく使われているわけですが、その「体験学習」を、あまり狭くとらえてはならない。つまり障害者、老人らと交流することが、体験学習だというふうに、狭く、それだけに限定してとらえてはならない。福祉の視点から考えてみた場合、教科の全般において、さまざまな体験学習を織り込むことができるように思います。
また、行事中心という考え方も大切ではありますが、日常生活との関連を考えていく、日常生活全般にわたって、体験学習を考えていく必要があるでしょう。生活実践のなかで、そういうものを積み上げていく、ということが大事です。
学校内だけで完結するということも、それだけではいけないのではないか。やはり家庭、地域社会、そういうところへ目を向けていくということも、大事でしょう。ボランティア実践を、単に奉仕するということではなく、その精神的な基盤である福祉の視点、あるいはお互いが自立し合い、その自立を助け合う、こういうふうな精神的な基盤についても、考えていかなければならない。そういう体験学習、実践と学習のくり返しのなかで、教育指導側は、それを積極的に推進する必要があるでしょう。
福祉教育の方法の2つ目として、学校の年間計画の中に、福祉教育を正確に位置づける。そういうことの設計図を作ることが、大事だということも打ち出されています。そして3つ目には、子どもの成長、発達の段階に応じたプログラムが、大事だということです。とくに子どもの自主性、主体性を、どう育てていくかという場合、今日の子どもたちの実態のなかで、これはなかなか難しい点もあるようです。
いったいどうやって、そういう自主性、主体性を培っていけばいいのか。福祉教育という観点のなかで、そこで出されております手がかりは、1つは共鳴と共感というものが、そういうプログラム、あるいは体験学習の中に織り込まれることによって、子どもたちは、その中から呼びさまされていく、ということが見られるのではないでしょうか。それからまた、異年齢間の交流、同学年同士ではなくて、学校でも縦の学年の交流、あるいは社会的に、老人や障害者や青年や、さまざまな縦の年代層の交流というのも、1つの手がかりになると思えるのです。
そこで、教科の中に、そういう福祉というものの視点を織り込む、そういうプログラムを織り込むと同時に、教科の中から、逆に体験学習を引き出していくということも、考えていくべきではないか。それを身近な問題から考えていく。そして取り組むということで、社会的な弱者というのは、けっして社会に存在するだけのものではなく、学校の同じクラスの、同じ仲間でも、いわば落ちこぼれがどんどん出ているのであって、こういう状況のなかで、そういう問題を考えることができるのではないだろうか。
あるいは、皆がどんなに健常だと思う状態であっても、医学的にはノイローゼになっていたり、苦しみ悩むそういう状況を、多くの子どもの中に見られるわけで、そういう状況の子どもたちに対する相互のかかわりあいという問題を、生活の中で、学校生活の中でも、いわば福祉の視点のうちに、問題としてとらえることができるでしょう。
柱の3番目は、これはどうしても、まず学校の先生がたの、意識の問題で、教師間の合意づくりを、どう進めたらよいかということです。
これは非常に、重要なポイントでありますけれど、難しいものを含んでいるといえそうです。教師のかたがたの、意識統一というものは、いっぺんに図れるわけではない。やはりそこに、非常な情熱を傾ける先生がいらっしゃらねばならない。そういう核になる先生が、まず自らの情熱を燃やすことによって、周囲を高めていく。影響を及ぼしていく。こういう存在になることが、大事ではないかということです。
郷土学習というのが、教師集団で深められていて、いろいろ例示されています。そして、その郷土学習などのなかから、学習全教科における福祉の視点を皆で考え、共通の理解が広がっていくことが期待されます。
なおまた、学級運営という側面から考えた場合、これは1人の先生の問題ではなく、すべての先生の問題になってくるでしょう。そういう1つの困難を突破した経験も語られていますが、こうして先生自身を変え、そこで当然子どもたちが変わり、非常に大きな影響力、あるいは説得力が生じることになります。子どもたちと一緒になって、福祉体験をすすめていくなかで、そういう変化を、大きく子どもたちの生活の中に生かし、影響を与えた例はたくさんあります。
4番目の大きな柱は、「学校と地域社会」ということばで表現できると思います。今日の社会は非常に閉鎖されている。縦割りになっている。管理化され、制度化がすすんでいる。したがって専門化、分化されている社会であって、ともするとお互い閉鎖的な存在になりやすいわけです。
社会福祉の分野では、今「施設の社会化」ということが、非常に強く叫ばれています。しかし家庭自体も、社会化していないのではないか、というふうなこともいわれております。学校とて、社会に開かれた存在として、開放される、開かれていくことが大事ではないでしょうか。そして、ともにそういう視点で考えた場合、お互いに結びつく接点が、生まれてくると思うのであります。
そこで学校としては、外に出て行く―福祉体験の場合、よく施設を訪問するという形で、交流が見られるわけで、それも1つのやり方ですけれども、学校の中に地域的なそういうものを呼び入れる、福祉的な資源を招き入れていくということも、大事なことではないでしょうか。老人であるとか障害者を学校に招いて、子どもたちの先達、先生として、いろいろな点での指導をしてもらうということも、逆にあっていいのではないでしょうか。
あるいはこれが、学校が地域活動に参加することにつながる。その場合、地域参加プログラムを企画する段階から、学校の先生が参加していくということが大事であり、地域社会側の配慮も必要でしょう。同時に、何といってもPTAが、その媒介となってもらいたいものです。福祉教育を課題として、PTAとともに考えるというふうなことが大事でしょう。それを通じて家庭の教育、地域社会における教育機能を進捗させることも、大いに重要でありましょう。
福祉と教育は、今相互に支え合って、はじめて相互に完結し合えるという関係にあると思います。そういう意味では、相互にどう理解し合うかという努力が必要です。よそゆきのつきあいではなく、ふだん着のままのつきあいが大事です。日ごろの人間関係づくりを、心から進めていくということが大事です。
そういう努力は、学校だけではなくて、地域社会側の努力も求められるわけです。地域社会の側としては、さまざまな社会的な問題、福祉の課題を、学校も共有化していく努力を、積極的に働きかけていく必要があると思います。確信をもって学校に呼びかけていく。誠意をもって働きかけていく。こういうことによって、学校も機能を果たすことになります。
誠意ある働きかけ、そして小さな働きかけが、割りと少ないのではないでしょうか。及び腰で、ただ頭を下げながら、働きかけるというふうな状況が見られるのではないでしょうか。そういう意味では、地域課題、福祉課題は、すべて現場にある人たちの、共通の課題と思います。それと取り組む、あるいは学習する、話し合う、そういう点を共有化していく必要があります。
そういう場合、やはり社会福祉協議会の果たす役割は、非常に大きいようです。とくに情報などを提供すること、また、いろいろな関係者を融合し、組織化する、一緒に協働し合える状態を作る、そういう共通の土俵作りに、力を尽くしている。それらをもっと掘り下げること、あるいは連絡調整というふうな問題について、より努力をする必要があるでしょう。
5番目の柱は、そういう福祉教育をするための条件づくりということです。いくつかの大事な側面が打ち出されているのですが、その1つに、今回のように全国のかたがたが話し合うという機会を持てたことが、ずいぶんと大きな支えになるようであります。学習や経験交流の場を、小地域から全国規模の地域まで、できるだけ頻繁に持つべきではないか。福祉と教育の、両者の立場の人たちが、ともに机を囲んで勉強し合い、経験を交流することが大事であるということです。
ところでこういう場合、かなり行政官の席などが目につきます。けれどもこれは、公民相互の努力により、その結果の、現場で活動する人々が、よりお互いに結びつくことによって、そういう立場の席は埋ずめていけることになるでしょう。いや両者の、もっとスムースな接近も、必要であると思うのです。福祉教育といった場合に、これは「手づくりの運動」というのが本筋だからです。弾力的に、創造的に取り組むべきです。あまり教科書的に、画一的にすすめるものではありません。
最後に、学校においても、地域社会の中にも、こういう福祉教育という視点をふまえる人が、いよいよ必要ではないかと思われます。これからはそういう人づくりを、何としてもすすめていきたい。そういう意味で、制度的にも、たとえば福祉教育主事の配置であるとか、あるいはコーディネーターの整備というふうなことを、考えるべきだと思います。
以上、今回の集いにおける出席者の発言、提案の大筋を咀嚼し、「学童・生徒の福祉教育」を考える5本の柱として、まとめてみました。
不十分ではありますが、ご報告として申し述べました。
(木谷「学校における福祉教育を考える」『前掲誌』4~8ページ)

以上から、読みすぎの感なきにしもあらずだが、福祉教育(学校における福祉教育と地域を基盤とした福祉教育)を捉える視点として、(1)形成的固有の視点、(2)問題解決の視点、(3)人間教育の視点、(4)生涯学習の視点、(5)市民主体の視点、(6)生活実践の視点、(7)市民運動の視点、という7つの視点を押さえておきたい。このような視点から、福祉教育の基本的な性格や特徴、構造や機能などについて多面的・多角的かつ複合的に分析・考察することが求められる。なお、7つの視点のうち、例えば(1)は、福祉教育は歴史的社会的背景と必要性のもとに形成され、それ自体としての固有性を備える教育活動である、という視点である。(7)については、木谷先生は、福祉教育は「じっくり腰をすえてかからなければならない『運動』である」。「運動を進めていくためには、運動の思想、哲学というものがなければなりません」(木谷「どう進めるか―学び合いながら―」『前掲誌』12ページ)、という。市民運動としての福祉教育「運動の思想、哲学」の構築は、今日も、ひとつの大きな課題として残されている。また、木谷先生が使用する「福祉の風土づくり」「郷土学習」という用語は、「福祉のまちづくり(運動)」につながるものとして注目しておきたい(注③)。


① 高島巌先生は、「児童福祉一筋の道」を歩まれ、1951年5月に制定・宣言された「児童憲章」の草案を起草したひとりである。また、「母の日」の制定に尽力されたことでも知られる。筆者が初めて双葉園を訪ねたとき先生は、開口一番、「双葉園の印象はどうですか。双葉園がこの“まち”にあることに違和感を感じられたのであれば、それは私の“負け”です」と話された。いまでも鮮明に覚えている。「施設の社会化と地域化」が議論されていたときである。
2代目園長の星野卓郎先生と3代目園長の高島昭子先生にも、格別のご指導やご支援をいただいた。双葉園にお邪魔すると、必ず玄関にはスリッパが一組並べてあった。そして、先生が出迎えてくれた。おいしいお茶をいただきながら、豊富な経験に基づく「児童養護」の理論と実践や福祉マインドなどに関する話をお聴きするのは、筆者にとっては“学び”そのものであった。また、贅沢で至福の時間でもあった。懐かしく思い出される。
② 1971年5月、全国社会福祉協議会の福祉教育研究委員会(委員長・重田信一)によって報告された「福祉教育の概念について―福祉教育に関する中間答申―」である。
「福祉教育とは、憲法にもとづく社会的基本権としての生活上の福祉の確保をさまたげる諸問題を解決し、かつ、住民の生活における福祉を増進するために、地域社会における住民が、それをみずからの、および、住民共通の課題として認識し、そのうえにたって、福祉増進の住民運動を自主的・継続的に展開するのを側面的に助けることを目的としておこなわれる教育活動である。」(阪野貢『市民福祉教育をめぐる断章―過去との対話―』大学図書出版、2011年1月、70~81ページを参照されたい。)
③ 市民運動としての「福祉の風土づくり」運動は、京都市(1973年)や横浜市(1974年)が先導的な役割を果たし、1970年代半ば以降、市民(住民)と行政の協働によって展開された。学校教育における「郷土学習」に関しては、小学校では1968年改訂(1971年度実施)、中学校では1969年改訂(1972年度実施)の学習指導要領から、「地域学習」という用語が使用されるようになった。なお、「郷土」は心情的な要素をもち、「地域」は客観的な意味をもつ用語である。

補遺――「ボランティアのはたらきの原点」「ボランティアする心の原点」(高島巌)
ボランティアのはたらきは
かまえたものであってはならない
ボランティアのはたらきは
活動ではない 
生活なのだ 
活動にはかまえがある
けれども
生活にはかまえはない
活動には限界がある
けれども
生活には限界はない

ボランティアのはたらきは
もてるものが
もたないものに
ではない
しあわせなものが
ふしあわせなものに
ではない
もてるものも
もたないものも
しあわせなものも
ふしあわせなものも
ともに考え
ともに学び
ともに生活しあうことなのだ

いそいではいけない
かまえてはいけない
たえることだ
まつことだ
いのることだ

人間はみな
ボランティアする権利をもっているのだ
その権利は人間にだけあたえられた
楽しき権利なのである

高島巌『子どもは本来すばらしいのだ』誠信書房、1963年6月

地方消滅×東京消滅×地方移住:若者を吸い込み、高齢者を吐き出す“都市”―相川俊英著『奇跡の村』の読後メモ―

896の自治体(全体の49.8%)が消滅しかねない‥‥‥。「地方消滅」という言葉を見聞きするようになって久しい(増田寛也編著『地方消滅―東京一極集中が招く人口急減―』中央公論新社、2014年8月)。次いで、「東京消滅」である。東京圏では75歳以上の高齢者が約175万人増加し、介護施設を奪いあう事態になりかねない‥‥‥(増田寛也編著『東京消滅―介護破綻と地方移住―』中央公論新社、2015年12月)。これらの言説は、“上から”目線のそれであり、地域・住民の社会・生活不安を煽(あお)り立てている。そこに登場するのが、これまた“上から”の「地方創生」である。その目玉策のひとつが「地方移住」、そのとどのつまりは“カネ”(交付金・補助金等)である。
いま、全国各地の自治体で、移住の促進策や移住者への優遇策が推進・展開されている。かつて地方から若者を吸い込んだ都市が、国策や補助金行政によって、高齢者になった彼らを地方に吐き出すのである(都市に住む80歳代の作家の、またぞろ人間性が疑われる発言「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』がある」を思い出す)。

過日、ぶらっと立ち寄った本屋で、ジャーナリストの相川俊英が書いた『奇跡の村―地方は「人」で再生する―』(集英社、2015年10月。以下、「本書」)が目に留まり、購入した。本のサブタイトルに首肯するからである。その本は、地方の小さな書店ゆえにか、「平積み」でも「面陳列」でもなく、「棚差し」であった。ひとつの現実である。
本書では、地域特性を生かした独創的な、しかも住民主体による地域活性化策の事例が紹介されている。(1)「国内指折りの高出生率を記録した」長野県下條(しもじょう)村、(2)「消滅可能性都市」ランキングワースト1位と名指しされた群馬県南牧(なんもく)村、そして(3)「アートの棲(す)むまち」と称された神奈川県の旧・藤野町(ふじのまち/現・相模原市緑区の一部)の3地域の取り組みがそれである。
(1)の最大の功労者は、「カリスマ村長」の伊藤喜平である。伊藤は、役場職員と住民の意識改革を図り、行政と住民との役割分担による協働を推し進め、「奇跡の村」をつくりあげた。(2)で奮闘するメンバーは、村の実情を熟知し、その将来に不安を抱いていた30代、40代の若手自営業者である。彼らは、地域活性化活動に特化した組織をつくり、行政と連携・協力して、移住者誘致や交流拡大などの事業・活動に取り組んだ。(3)で特筆されるのは、住民派女性議員の草分け的存在であった三宅節子と異色の役場職員であった中村賢一である。旧・藤野町は、文化芸術による地域活性化を図るが、三宅や中村のような「人と人をつなぐ人」「人と人をつなぐ人たちをさらに結び付ける人物」(217ページ)の存在が大きかった。
3地域の活性化策の具体的な内容は本書に譲るとして、ここでは、唐突ながら「天地人」と「ヒト」の重要性に留意しておきたい。「天の時」を知り、「地の利」を活かし、「人の和」を作れる「ヒト」の存在である。本書で相川が主張する(結論づける)のは次の一節である。

「地方創生」の主役は国ではなく地方である。それも地方自治体ではなく、一人一人の住民である。地域住民が動き出すことで初めて、真の地方創生が実現できると考える。いや、地域住民が動き出さない限り真の地方創生などあり得ない。地方創生を導くキーワードは「ひと」「地域」「つながり」「環境」「自給」「共存」「多様性」「楽しむ」といったところではないか。疲弊した地方の再生に今、最も必要なものは、大きな何ものかに安易に依存せず、できるだけ地域(自分たち)で自立を図ろうという意欲と覚悟、そして実際の行動である。(220ページ)

「奇跡の村」は、一人の卓越した政治家や行政職員によってつくりあげられた(られる)ものではない(本書では特定の「ヒト」に焦点をあてた叙述がなされている)。「奇跡」や「卓越」という言葉には、危うさがつきまとう。いま問われるのは、「奇跡」の村がどこにでもある「当たり前」の村になり、その村(地域・社会)を支える多様な住民をいかに育成・確保しネットワーク化を図るか、である。その取り組み(住民主体形成)は、内発的で自律的、計画的で継続的なものでなければならない。筆者(阪野)が本稿で言いたいのはこのことである。

静岡県における福祉教育の取り組み:「地域福祉教育」の推進をめざして―資料紹介―

本稿は、あるブログ読者からの求めに応じて、静岡県における福祉教育の取り組みについて、歴史的に重要なトピックを中心に概観するものである(注1)。

1 学校における福祉教育の展開
▼「社会福祉研究普及事業」「社会福祉協力校事業」
〇静岡県における「学校福祉教育」の制度的展開は、1967年度からはじまる。県民生労働部(1969年度から民生部)によって創設・実施された「社会福祉研究普及事業」がそれである。1977年度に国庫補助事業の「学童・生徒のボランティア活動普及事業」が制度化され、全国的に実施される10年前のことである。
〇当時、神奈川県では、県民生部によって1950年度から「社会事業教育実施校」(1967年度から「社会福祉研究普及校」)事業が継続的に展開されていた。また、長野県では、県社会福祉協議会(以下、「県社協」)によって1963年度から「社会福祉普及協力校」事業が実施されていた。静岡県における学校福祉教育への取り組みは、神奈川県と長野県に次ぐ先進的なものであった。
〇静岡県の社会福祉研究普及事業は、1973年度に県教育委員会に全面的に移管され、翌1974年度をもって廃止された。
〇その後、静岡県では1977年度から、福祉教育の全国的展開が図られるなかで、新たに県社協によって「社会福祉協力校」事業が実施されることになった。その目的は、「小学校及び中学校・高等学校の学童・生徒を対象として、社会福祉への理解と関心を高め、社会奉仕、社会連帯の精神を養うとともに学童・生徒を通じて家庭及び地域社会の啓発をはかる」ことにあった。
〇社会福祉協力校事業の指定校数は、例えば1977年度第1期から2006年度第25期までで693校(小学校396校、中学校223校、高等学校74校)を数え、事業対象となる県内953校の小・中・高等学校の約73%を占めた。また、多くの指定校では、全国的な傾向と同様に、「訪問・交流活動」「収集・募金活動」「清掃・美化活動」の“3大活動”や「疑似体験」「技術・技能の習得」「施設訪問(慰問)」の“3大プログラム”を中心にした体験活動が実施・展開された。それは、「思いやりの心」や「ともに生きる力」を育むことを目標とするが、安易な疑似体験や施設訪問だけでは「貧困な福祉観の再生産」(原田正樹)を促すのではないかと問題提起されることになる(されている)。
〇この社会福祉協力校事業は、1987年度に「社会福祉教育実践校」事業、1991年度に「福祉教育実践校」事業、2007年度に「地域福祉教育実践校」事業などと名称変更を重ねながら、継続的に実施・展開された。また、県社協は、事業・活動の推進を図るために、各種の調査・研究活動をはじめ、連絡会・講演会・セミナー等の開催、実践報告書や副読本の発行、教材ビデオの製作などを行った。

▼「福祉教育実践校フォローアップ事業」「ボランティア活動・福祉教育推進担当者連絡会」
〇社会福祉協力校事業のなかで、「福祉教育実践校フォローアップ事業」と「ボランティア活動・福祉教育推進担当者連絡会」が注目される。前者は、指定終了後の学校に対してその活動を推進するために、1990年度から実施された。ちなみに、1990年度には20校の小・中・高等学校が助成(5万円)を受け、1999年度までの10年間でその学校数は、新規指定だけで314校を数えた。後者は、ネットワークの強化を図るために、県民生部、県教育委員会、県社協、それに県ボランティア協会の4者の実務担当者による定期的な情報交換や研究協議の場として、1985年度から1997年度にかけて継続開催された。福祉教育のネットワーク化は、依然として今日的な課題でもある。

▼「高校生ワークキャンプ」「サマーショートボランティア計画」
〇1977年度、静岡県では、他県に先駆けてもうひとつの福祉教育事業が実施された。学校外の福祉教育実践としての「高校生ワークキャンプ」事業がそれである。第1回の高校生ワークキャンプは、静岡市奉仕活動連絡協議会と日本青年奉仕協会によって開催された。その目的は、ボランティア活動についての学習や実践を通して、ボランティア精神の育成を図ることにあった。1977年7月、2泊3日の日程で、清水市少年自然の家で実施され、参加高校生は38名を数えた。第2回は、県社協と静岡市奉仕活動連絡協議会の共催により、1978年8月、3泊4日の日程で、県立中央養護学校で実施された。参加者は定員60名のところ120名を数えた。
〇それ以降、高校生ワークキャンプは、1991年8月に開催された第15回まで、県社協をはじめ市町村社協、県ボランティア協会、社会福祉施設などの連携・協力のもとに、県下各地で実施された。第1回から第15回までの参加者は4,808名、開催地区は106ヵ所を数えた。
〇こうした高校生ワークキャンプのほかに、静岡県では、県ボランティア協会によって、1982年度から福祉教育や社会参加活動の推進を図る事業・活動の一環として「サマーショートボランティア計画」が実施された。それは、在学青少年や一般社会人などを対象に、「夏休みや夏季厚生休暇を利用し、未体験の世界へボランティアとして挑戦し参加する事により、参加者に生きる尊さや、自分自身の生き方を考え、福祉に対する眼を育くむ機会を得ること」をねらいとした。第1回は、県下44ヵ所の受け入れ施設に、460名を超えるボランティアが参加した。
〇高校生ワークキャンプとサマーショートボランティア計画では、参加者の自主的・主体的な取り組みが期待された。しかし、活動メニューは、高齢者や障がい者との交流活動をはじめ、社会福祉施設や養護学校での「奉仕活動」、まちの「点検活動」などに限定されがちであった。したがって、一般高校生の関心や理解を広げたり、参加高校生のボランティア活動への日常的・積極的な参加を促すにはおのずと限界があった。また、ワークキャンプがどれほど地域社会と結びつき、地域社会に対してどのような働きかけをしたかという点についても疑問が残った。
〇以上の社会福祉協力校事業やワークキャンプ事業などが実施・展開されてきた主要な場は、社会福祉施設であった。多くの施設が福祉教育事業を受け入れ、また独自の展開を図ってきた。なかでも「天竜厚生会」の取り組みが注目される。天竜厚生会では、1981年度に地元天竜市の委託を受けて福祉教育事業に取り組み、5年間でおよそ1万3,000名の参加者を数えた。以後、福祉教育のハンドブックや実践報告書の作成、福祉教育プログラムの開発など、福祉教育の実践と研究に積極的に取り組んでいる(注2)。

▼「三島高等学校家庭科福祉コース」
〇学校における福祉教育の展開で忘れてはならないものに、1986年度の、三島高等学校家庭科「福祉コース」の開設がある。全国で最初の取り組みであった。ちなみに、1987年度には、兵庫県立新宮高等学校と鹿児島県の城西高等学校に「福祉科」が設置されている。その後、2003年度から、高等学校学習指導要領の改訂によって専門教育に関する科目「福祉」が創設され、高校福祉科教育が全国的に実施・展開されることになる。

2 地域を基盤とした福祉教育の展開
▼「小地域福祉教育推進事業」
〇静岡県における「地域福祉教育」の本格的な展開は、1998年度からはじまる。県社協によって新設された「小地域福祉教育推進事業」がそれである。
〇その背景には、1990年代以降、社会福祉基礎構造改革の推進が図られ、市町村における在宅福祉サービスを軸にした地域福祉が実体化するなかで、その主体形成が以前にも増して強く求められる社会的状況があった。また、いじめ、不登校、学級崩壊などの学校病理現象が広がり、子ども・青年の生活や発達の歪みが顕著になるなかで、「生きる力」(文部科学省)や「社会力」(門脇厚司)の育成が要請された。それは静岡県においても例外ではなかった。
〇小地域福祉教育推進事業は、具体的には、1996年12月から1998年3月にかけて開催された県社協の「福祉教育推進検討会議」の提言によるものである。検討会議では、1977年度からの福祉教育実践校事業の取り組みを総括し、それに基づいて福祉教育の新たな展開とりわけ地域ぐるみの福祉教育の推進方策について研究・協議された。そこでは、学校福祉教育(「福祉教育実践校事業」)の成果と課題、今後の重点方策について、次のように整理・報告された。

福祉教育実践校事業の成果と課題
【成果として】
①県内学校総数の4割以上が実践校活動を実施した。
②体験学習活動が定着した。
③指定校実践の中で地域と連携し、学校教育目標と融合した先駆的取り組みが出てきた。
④新規指定校教員と当該社協職員合同のオリエンテーションの場が定着した。
⑤指定校教員と社協職員合同の情報交換・研修の場である連絡会の開催が定着した。
⑥実践校活動の記録である報告書の作成が継続的になされてきた。
【課題として】
①学校内での推進体制(公務分掌等での位置付け)
②体験プログラムの目的、効果の検証のための作業
③学校教育目標と融合した活動展開や「総合的な学習の時間」での実践
④社協からの具体的取り組み方法の提示不足
⑤市町村社協対象の研修会や研究協議、個別支援の充実
⑥学校の実践活動への具体的支援の強化
⑦福祉教育推進計画の策定や地域福祉活動計画への位置付け
【今後の福祉教育推進の重点方策として】
①地域総体で福祉教育に取り組むための方策として「小地域福祉教育推進事業」の実施。
②中・長期的な課題に対応するための計画策定の検討を行う「福祉教育推進計画策定検討事業」に取り組む。

〇こうした「成果と課題」を踏まえて、小地域福祉教育推進事業は、「教育課題や地域課題が複雑化している近年、学校指定による取り組みに加え、地域総体で福祉教育に取り組む必要があるため、モデル的な小地域を設定して福祉教育の推進を図る」ことを目的に創設された。第1回は、1998年度から1999年度までの2年間で5地区(沼津市愛鷹地区、焼津市豊田地区、藤枝市西益津地区、島田市伊久身地区、小山町藤曲・落合地区)が指定され、1地区あたり20万円が助成された。第2回は2000年度から2001年度にかけて4地区、第3回は2001年度から2002年度にかけて2地区がそれぞれ指定された。
〇小地域福祉教育推進事業の実施は、学校しかも指定校中心の学校福祉教育から、地域を基盤とした地域福祉教育の新たな方向性を生み出した画期的なものであった。しかし、指定地区と県社協や市町村社協との連携・協働体制は必ずしも十分なものではなかった。その結果、指定校制度に基づく学校福祉教育を推進してきた市町村社協や、福祉教育と直接的あるいは主体的にかかわってこなかった小地域にとっては、その取り組みに苦慮することになる。

▼「静岡県における福祉教育推進に関する基本的な指針」
〇県社協は、「小地域福祉教育推進事業」の推進をより確かなものにするために、1999年12月に次のような「静岡県における福祉教育推進に関する基本的な指針」(以下、「指針」)を策定した。
静岡県平成11年答申
〇この指針は、1998年12月から1999年12月にかけて開催された「福祉教育推進計画策定検討委員会」によって策定されたものである。指針では、地域の社会福祉問題を素材に、福祉のまちづくりの実践・運動主体の形成を図ることが「福祉教育の目標」とされた。また、「福祉教育指導者」「福祉教育推進員(アドバイザー)」の発掘・育成・登用や「福祉教育推進計画」の策定などの方針が示された。抽象的かつ総花的になりがちな指針にあって、特筆されるところである。

▼「福祉教育指導者養成研修事業」
〇県社協は、上記の指針を受けて、2003年度から「福祉教育指導者養成研修事業」に取り組んだ。それは、地域福祉教育の指導者養成研修をめざして、地域福祉教育の基礎・基本の学習とそれに基づく実践プログラムの研究・開発を行うものであった。具体的には、初年度の「基礎研修」と2年度目の「スキルアップ研修」によって、参加者の地元社協との連携・協働を図りながら、実践プログラムの開発・企画・展開・評価が行われた。参加者は、2003年度は7地区から20名、2004年度は5地区から11名、2005年度は6地区から13名をそれぞれ数えた。

▼「静岡県の地域福祉教育推進に係る基本指針」
〇2000年以降、地方分権改革や教育改革が推進されるなかで、「地域福祉」の主流化や「新たな支え合い」の拡大、「総合的な学習の時間」の導入や「ゆとり教育」の見直し、そして「教育再生」の実行などが図られた。福祉教育に関しては、ICFの視点の導入、「ふりかえり」(リフレクション)の重視、地域ぐるみの展開、地域福祉(活動)計画の策定などの「福祉教育実践の新潮流」が見られるようになった。
〇そういうなかで、県社協は、地域福祉教育の新たな展開をめざして、2012年3月に次のような「静岡県の地域福祉教育推進に係る基本指針」(以下、「新指針」)を策定した。
静岡県平成24年報告1静岡県平成24年報告2静岡県平成24年報告3
〇この新指針は、2010年10月から2012年3月にかけて開催された「静岡県地域福祉教育推進委員会」によって策定されたものである。委員会では当初、「地域福祉教育推進計画」の策定を企図していた。しかし、新指針は、「県内福祉教育関係者の総意としての『計画』に至っていない」という判断から、「福祉教育関係者に向けた提案」として纏められている。それは、「計画」から“提案”としての「指針」にトーンダウン(後退)したことや、内容的にも静岡県における「福祉教育実践の新潮流」への具体的対応が不十分であった点などにおいて、いくつかの課題を残すものとなった。


(1) 本稿は、拙稿「静岡県における福祉教育の史的展開」『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』(みらい、2009年、43~63ページ所収)の一部を抜粋・要約し加筆・修正したものである。
静岡県における福祉教育の史資料については、『福祉教育の明日を拓く―静岡県福祉教育40年史資料集成―』(静岡県社会福祉協議会、2007年11月)を参照されたい。
(2) 「天竜厚生会における福祉教育の取り組み―資料紹介―」(「ディスカッションルーム」(15):2013年7月18日投稿)を参照されたい。

「共生」と「共に生きる」:寺田貴美代「社会福祉と共生」再考―資料紹介―

「共生」(symbiosis:共に生きる)は、耳に心地よい言葉である。それゆえにか、まちづくりや福祉教育などのスローガンや修飾語として、多用(濫用)される。また、個人的な心がけや心情のレベルで語られたり、究極の目的や理想として位置づけられることも多い。その際には、社会的な矛盾や対立、差別や排除などの事態が隠蔽されたり、「同化」や「統合」が推進あるいは強制されたりする危険性が生じることになる。「地域共生」(regional symbiosis:地域で共に生きる)は、地域社会でのノーマライゼーションやインテグレーション、そしてインクルージョンなどの理念の実現を通して、その推進が図られることになる。ノーマライゼーション(normalization:通常化)は、一人ひとりが当たり前の普通の生活をすること。インテグレーション(integration:統合化)は、社会的に分離・隔離されてきた人たちを一般社会に受け入れ一緒に生活すること。インクルージョン(inclusion:包摂)は、すべての人を社会の構成員として包み込みみんなで生活すること、である。共生とノーマライゼーションなどの概念は対立概念や同一概念ではなく、相互に連関し補強し合う概念である。

例年のことながら、1月と2月は、地元自治会等の次年度の役員を決める時期であり、静かな日常に多少の波風が立つ。「前例の踏襲」や「異質性の抑圧」などがそれである。筆者(阪野)はかつて、その場が収まらず、“えいやあ”である役職を引き受けたことがある。その後、その仕事をするにつれ、いろいろな雑音(ノイズ)が耳に入るようになった。最後の決まり文句は、「‥‥‥だからダメなんだよ」であった。10年以上居住しても、所詮は“よそ者”であり、“少数派”である。「出る杭は打たれる」のであるが、場合によっては「抜かれる」ことになる。しかも、何代も続く「家」の、若年の「地元住民」によってである。日頃の地域生活で、障がい者やその家族などに対する偏見や差別を目の当たりにするとき、「誰もが分け隔てなく、互いを尊重しながら共生していく社会」の実現は未だ遠しと思わざるを得ない。
「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(略称:「障害者差別解消法」)が2016年4月から施行される。それを前に、『月刊福祉』(全社協)は、その3月号で「インクルーシブな社会」を特集した。インクルーシブ(inclusive)は、「包含する」「包括的」「包摂的」などと訳され、「インクルーシブな共生社会の創造」「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育」などといわれる。
さて、本稿は、上記の雑誌が届いたのと前後して、あるブログ読者から寄せられた「福祉と共生のまちづくり」に関する基本的な視点や文献についての問い合わせに、若干なりとも応えようとするものである。そこで、ここでは、寺田貴美代の論文「社会福祉と共生」(園田恭一編『社会福祉とコミュニティ―共生・共同・ネットワーク―』東信堂、2003年3月、31~65ページ。以下「論文」)を紹介する。この論文は、寺田の博士論文の一部を抜粋して再構成したものである。その博士論文は、『共生社会とマイノリティへの支援―日本人ムスリマの社会的対応から―』(東信堂、2003年12月。以下「著書」)として出版されている。
寺田は、人間社会(「総論」)と社会福祉領域(「各論」)における「共生」の概念を整理・検討し、主要な論点として次の4つを取り上げる。①社会的差別と「共生」、②ノーマライゼーションと「共生」、③福祉コミュニティと「共生」、④生活の質と「共生」、がそれである(著書では、「情緒的理解による『共生』」を加えた5点を取り上げている)。そして、「社会福祉領域における共生概念の可能性」について考察する。その際、マジョリティ(majority)とマイノリティ(minority)については、集団に所属する人数の規模によって「多数者(派)」「少数者(派)」と訳されることが多いが、寺田は、集団に帰属する権力関係によって規定する(「優位集団」「社会的弱者集団」)。ただし、その区分はあくまでも概念上の表現であり、明確な境界によって二分されるとは限らないという(図1参照)。そのうえで、「マジョリティ文化への志向」を縦軸、「マイノリティ文化への志向」を横軸にした「共生に関する分析枠組」を提示し、「共生」へ移行する過程を「共生のプロセス」として捉え、その検討を進める。その際の主要な概念のひとつが、アイデンティティ(identity)である。それについては、「同一性」「主体性」「帰属意識」などと訳されるが、寺田は、社会や文化とのかかわりから捉えている(図2参照)。
以下に、論文のなかで注目したい論点や言説のいくつかを紹介することにする。

▽共生は、マイノリティとマジョリティの両方を含む、全ての人々の異質性の尊重を前提とする 
社会福祉領域における共生が、差別の克服を課題としているならば、その前提は、マイノリティとマジョリティの両方を含む、全ての人々の異質性の尊重に他ならない。共生は、マジョリティがマイノリティを同化や統合することではなく、また、マジョリティがマイノリティに譲歩や優遇措置をとることでもない。マイノリティ、マジョリティのいずれもが特権を持たず、対等な立場に立つことが基礎条件である。その上で、異質性との対峙によって生じる衝突や葛藤を強調するだけでなく、相互の認識・理解を通じて、尊重し合い、変容し合うことが求められる。(51ページ)

▽共生にはプロセスという視点が不可欠であり、そのプロセスは異質性との接触によって引き起こされる無数の変容過程である
現実の人々の状況は多様であり、人々がそれぞれに持つ文化的背景や社会的役割も当然のことながら異なっており、それぞれに意義や価値を有している。同じ属性や志向の者同士でさえも、人々は一枚岩ではなく、マイノリティ、マジョリティに関わらず、個々人の状況や立場に添って理解する必要がある。現代社会における文化やアイデンティティの多様化は、そこに生じる課題の多様化も意味しており、他者との葛藤や対立は、相互理解および関係の深化に伴う、相互の認識・態度の変化を引き起こす。その意味において、直接的かつ横断的な異質性との対峙は、共生に至るための契機として捉えることができよう。そして、この過程が単発的なものであっては、たとえ一時的・表面的には問題が収束したとしても、根本的な解決には結びつかない。そのため、共生にはプロセスという視点が不可欠であり、このプロセスが、より積極的に繰り返される状態を「共生の進展」、逆に、繰り返されない、あるいは逆行する状態を「共生の後退」と解釈することができる。つまり、共生のプロセスは、状況に応じて不断に変化する多様な関係の中で、異質性との接触によって引き起こされる無数の変容過程であり、この限りない営みなくして、共生社会の実現はありえないのである。(59ページ)

▽共生は、相互理解と尊重に基づき自―他の相互関係を再構築する営みであり、動態的な変容のプロセスである 
共生を定義するならば、「人々が文化的に対等な立場であることを前提とし、その上で、相互理解と尊重に基づき、自―他の相互関係を再構築するプロセスであり、それと同時に、双方のアイデンティティを再編するプロセスである」ということができると考える。そして共生社会とは、個々の異質性に対する評価や批判ではなく、理解と尊重を前提とする社会であり、決して固定化されたものではない。相互作用によって常に変容し、新しく組み直され、生まれ変わる柔軟性を持った社会である。それにもかかわらず、このプロセスが、初めから完了している社会――言い換えれば、全く変容することなく他者との共生が可能な社会を「共生社会」として考えるならば、異なる人々の価値観やアイデンティティが、恒常的に一致するということはありえない以上、共生を単なる夢物語に終わらせてしまうことになる。(中略)問題にしなければならないのは、理想ではなく、現実である。「共生社会」を「理想社会」と読み替え、現実から乖離させてはならない。現実性を持たない理念や規範として、共生を位置づけることは、現実問題を何ら解決に導かないばかりか、問題の本質を見失うことにもなりかねない。(60~61ページ)

以上のような「共生」や「共生社会」の実現を図るためには、社会全体が共生の意味や、その視点や実践方法(共生のプロセス)などについて認識し理解することが必要かつ重要となる。そのための教育的営為が問われる。また、共生は、個人のレベルだけでなく、集団的レベルでも展開されるものである。「異質な集団同士が接触し、相互の認識・理解が進展することによって、(中略)集団のさまざまな側面で共生が生じることになる」(61ページ)。留意したい。
ここで、図1と図2を示しておくことにする。
図1(筆者作成)は、マジョリティとマイノリティを規定するひとつの要素である「集団規模」(多数と少数)を横軸、「権力関係」(優位と劣位)を縦軸にして、その関係性を示したものである。これは素朴な理解に基づくものであるが、マジョリティとマイノリティの卑近な実態である。ちなみに、第Ⅰ象限に属する人々は、多数派で、社会的に優位に置かれる傾向にある。マジョリティの典型のひとつである。第Ⅲ象限のそれは、少数派で、社会的弱者として位置づけられることが多い。マイノリティの典型のひとつである。しかし、少数派であっても、第Ⅱ象限で示されるように社会的に強い影響力をもつ人々がいる。
 図2(寺田作成)は、共生について分析するための枠組みとして、人々の多様なアイデンティティの状況を把握する全体的な見取り図を示したものである。これは、あくまでも抽象的な類型であり、現実には多様な個人がこの4つの象限(タイプ)のいずれかに厳密に収まるというものではない。ちなみに、第Ⅰ象限は、「マジョリティ文化とマイノリティ文化の両方共、強く志向し、その融合を図るタイプ」である。第Ⅲ象限は、「マジョリティ文化とマイノリティ文化の両方への志向が弱い、あるいは志向しない・できないタイプ」であり、「自立型」(選択的に志向しない場合)と「孤立型」(非選択的に孤立せざるを得ない場合)がある(52ページ)。
共生と共に生きる/最終版
共生は、社会福祉や教育における重要な基礎的概念である。社会福祉や教育の目的や目標を達成するためには、共生の実態や背景を科学的視点に立って歴史的・思想的に分析する必要がある。とともに、地域・社会の自然や風土、文化(暮らし)などとの関係性において、多面的・多角的に検討することが求められる。寺田の論文は、そのための必読基本文献のひとつである。
ところでいま、筆者の手もとには、寺田のもの以外に、「共生」を論じた本として井上達夫・名和田是彦・桂木隆夫『共生への冒険』(毎日出版社、1992年5月)と黒川紀章『新・共生の思想―世界の新秩序―』(徳間書店、1996年2月)がある。井上(法哲学)と黒川(建築家)は、早い時期から共生について言及している。論点(要点)の一部を参考に供しておくことにする。
井上らは、その本の「序章」で、次のように述べている。「我々のいう《共生》とは、異質なものに開かれた社会的結合様式である。それは、内輪で仲よく共存共栄することではなく、生の形式を異にする人々が、自由な活動と参加の機会を相互に承認し、相互の関係を積極的に築き上げてゆけるような社会的結合である。symbiosisをモデルとする「共生」概念と区別するために、英語で表記するなら、conviviality(コンヴィヴィアリティ)という言葉がふさわしい。日本語の表現としては、安定した閉鎖系としての「共生」は、symbiosisの旧来の訳語に従って「共棲」と表記し、「共生」という言葉は、我々のいう《共生》、すなわち、異質なものに開かれた社会的結合様式を意味するものとして使うことを、提案したい」(25ページ)。すなわち、井上らの共生概念は、「開かれた社会的結合様式」を意味し、「調和」や「協調」といった「安定した閉鎖系」は想定されていない。
黒川は、その本の「まえがき」で、「そもそも『共生』という言葉は、仏教の『ともいき』と生物学の『共棲(きょうせい)』を重ねて私がつくった概念である」(1ページ)という。黒川の共生論について、寺田は、「その定義は極めて流動的かつ曖昧である。異質な主体間に『聖域』や『中間領域』を設定し、共生ではなく『共存』あるいは『共棲』の議論に留まっている」(寺田、62ページ)として、検討対象から割愛している。筆者も首肯するところである。ちなみに、黒川にあっては、「聖域」はお互いに入ってほしくない領域で、文化的伝統の根幹をなすものであり、例えば日本の天皇制やコメづくりがそれである。「聖域があればこそ、国相互の尊敬に基づく共生が可能となる」(328ページ)。「中間領域」は、「無理やりどちらかに分類されてしまったり、あるいは排除されてしまった領域や要素である。この意味で中間領域は曖昧性、両義性、多義性を含んでおり、流動的で浮遊している」。換言すれば、中間領域とは、「対立する二項、異質な文化、異質な要素」の間に「仮設的」(tentative:テンタティブ)に設定する共通項である(330ページ)。

補遺
図3は、以上の論述に若干の管見を加えて、「地域共生」プロセスの展開過程についてとりあえず図示したものである(未定稿)。その説述については他日を期すことにする。なお、共生地域の形成にあたって、「問題の気づきと発見」から「課題解決活動と支援」の“力”をいかに育成するかが重要となることは多言を要しない。
共生プロセス(3月21日)

付記
「共生社会」に関する参考文献リストには、寺田論文の巻末(63~65ページ)に記されているもののほかに、例えば次のようなものがある。
(1) 21世紀ヒューマンケア研究機構/地域政策研究所『「新しい共生社会のあり方」に関する調査研究報告書』2005年3月、「資料編」ⅱ~ⅵページ。
(2) 共生社会形成促進のための政策研究会(内閣府)『「共に生きる新たな結び合い」の提唱』(詳細版)2005年6月、49~50ページ。
なお、同報告書では、共生社会の形成促進という観点から、めざすべき社会の姿を5つの「横断的視点」として整理している(22~31ページ)。
① 各人が、しっかりした自分を持ちながら、帰属意識を持ちうる社会
② 各人が、異質で多様な他者を、互いに理解し、認め合い、受け入れる社会
③ 年齢、障害の有無、性別などの属性だけで排除や別扱いされない社会
④ 支え、支えられながら、すべての人が様々な形で参加・貢献する社会
⑤ 多様なつながりと、様々な接触機会が豊富にみられる社会

追記
図4は、以上の論述に若干の管見を加えて、「共生のステージとプロセス」について図示したものである(2017年6月5日)。

「静」と「動」:思い出すことども

地域やそこでの暮らしは、時空のなかで「静」と「動」を行ったり来たりする。それも「内発」と「外発」によってである。

これは、筆者(阪野)が四半世紀も前に群馬県のN村で地域福祉(活動)計画の策定にかかわったときの最初の想いである。そこで出会ったのは、骨も凍るほどの孤独に生きる一人の高齢者であり、古くからの湯治場で激しく生きる一人の視覚障がい者であった。鮮烈に覚えている。
いまになってこんなことを思い出すのは、先月、富山市から帰宅後に1週間ほど病床に伏していたとき、宮嶋淳・ほか『地方都市「消滅」を乗り越える!―岐阜県山県市からの提言―』(中央法規、2016年2月)や渡辺利夫『放哉と山頭火―死を生きる―』(筑摩書房、2015年8月)などを読んだからであろうか。前者は、流行語である「消滅」を前提にし、それを「乗り越える」ための“大学人”による実践事例研究(「提言」)の本なのであろう。その読後に、N村の歴史と風土、人々の暮らしと営みを、新しい概念であった「福祉文化」の一言(ひとこと)で纏めあげようとしたこと。それは、その用語の表層を撫(な)でるばかりであったこと。そして、吉本哲郎が言う「土」と「風」の地元学についてその理解と実践が一面的で浅薄であったこと、などを思い出した。汗顔の至りである。
後者についてはたまたま、2月6日に木曽福島に蕎麦を食べに行ったとき、山頭火を思い出したことによる。周知の通り、尾崎放哉(おざきほうさい:1885年~1926年)と種田山頭火(たねださんとうか:1882年~1940年)は、自由律俳句に異才を放った俳人として著名である。「轉轉漂泊」(てんてんひょうはく)の放哉と「放浪行乞」(ほうろうぎょうこつ)の山頭火の作風は、「静」の放哉、「動」の山頭火、と対照的に評されることがある。そういうなかで、二人の生きざまに通底するのは、自己破壊による深い孤独や内界の苦悩との激しい“闘い”そのものであったろう。それは、放哉にあっては東京帝国大学(1905年9月)への入学、山頭火にあっては母親の自殺(1892年3月)で始まったのであろうか。
代表的な一句に、放哉の「咳をしても一人」。寂しい限りである。山頭火の「分け入つても分け入つても青い山」。戸惑いや孤独を想う。それ故にか、豊かな自然(この世のあらゆるモノ)との共生(共存や融和)を願う。

まちづくりに肝要なのは、「土の人」の内界に思いを致し、その思考や感情に寄り添い、「静」から「動」を引き起こすことである。この拙稿で問いたいのは、まちづくりにかかわる「風の人」の、そのための立ち位置や姿勢についてである。