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市民福祉教育研究所/2023年のブログ/年間レポート

市民福祉教育研究所/2023年のブログ/年間レポート 

統計情報
〇2023年における記事の表示数は21,317回、訪問者は12,933人、「いいね」表示数は51回を数えました。
全期間(2012年6月25日~2023年12月31日)における記事の表示数は301,337回、訪問者は149,979人を数えました。
〇2023年における記事の投稿数は76本を数えました。
全期間(2012年6月25日~2023年12月31日)における記事の投稿数は1,481本を数えました。

注目記事
〇2023年において最もよく読まれた記事は次の通りです。末尾の数字は表示数です。
(1)市民福祉教育の実践と研究/2012年6月28日/2,169回
(2)ホームページ/ アーカイブ/2012年6月28日/1,382回
(3)「ボランティア拒否宣言」(1986年)再考:ボランティア活動は主体的・自律的で相互実現を図る活動である―資料紹介―2018年10月6日/629回
(4)二項対立の思考:「分かりやすさ」の罠―仲正昌樹を再読する―/2017年12月25日/459回
(5)自治会は地域の自治組織(自治会役員と民生委員 その2)/2020年3月11日/456回
(6)大橋謙策の福祉教育論:アーカイブ(3)老爺心お節介情報/2020年5月28日~2023年12月18日/375回
(7)福祉教育の歴史と理念/阪野 貢/2019年9月29日/374回
(8)暗い谷間と怖い時代に生きた・生きる「ものいえぬ」農民の思い:怒り、悔しさ、叫び、そして祈り―佐藤藤三郎の『山びこ学校』と『まぼろしの村』の底流をなす“教育”と“村づくり”の思想―/2018年5月5日/334回
(9)社会的処方とリンクワーカー:お医者さんが取り組む“オモロイ”はじめの一歩―西智弘編著『社会的処方』読後メモ―/2020年11月27日/331回
(10)大橋謙策「地域福祉実践の神髄―福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク―」/2018年4月4日/330回

読者の所在地
〇2023年における読者の所在地は41ヶ国です。括弧内の数字は表示数です。
人気の国は、日本(19,993回)のほか、アメリカ合衆国(1,051回)、韓国(32回)、台湾(32回)、イタリア(29回)、ノルウェー(27回)、ベトナム(23回)、カナダ(16回)、フランス(12回)、シンガポール(11回)、等です。

備考
〇 このウェブサイトは、2022年1月1日より、顧問/阪野貢、主宰/田村禎章・三ツ石行宏、サイト運営協力者/村上進によって運営・管理されています。

阪野 貢/“ Well-being ” 再考―「ウェルビーイングを大切にする循環型共生社会」に関するワンポイントメモ―

〇2015年9月、ニューヨークの国連本部で開催された「国連持続可能な開発サミット」(United Nations Sustainable Development Summit)で、2030年を目標年次とする「持続可能な開発目標」(SDGs:Sustainable Development Goals)が採択された。それは、「誰一人取り残さない(no one will be left behind)」持続可能な社会の実現をめざす世界共通の目標である。
〇筆者(阪野)の手もとに、草郷孝好著『ウェルビーイングな社会をつくる―循環型共生社会をめざす実践』(明石書店、2022年7月。以下[1])という本がある。
〇[1]で草郷は、「誰一人取り残さない」持続可能な社会を実現するためには、社会発展モデル(経済・社会システム)を従来の「経済成長モデル」から「ウェルビーイングモデル」へ転換して「循環型共生社会」を切り拓くことが必要かつ重要であるとする。そして、そのためには、労働・教育・医療・環境・経済・社会に関する政策をウェルビーイングモデルに基づいたものに転換する必要があるとし、その処方箋を提示する。例えば、経済効率をあげる人材育成のための競争教育(偏差値教育)から、主体的に物事に取り組む力や他者に共感し協働する力を涵養していく「共創・共修学習」への転換や(152ページ)、地域づくりについて「行政が企画して、住民が参加する」という「市民参加」から、「住民の主体的活動を柱にして、行政がそれを支援する」という「行政参加」への転換(183ページ)、などがそれである。
〇「経済成長モデル」は一般的に、人間の物質的な豊かさを追求する経済成長のために生産活動の維持・拡大を図り、経済的利益を最優先する社会発展モデルをいう(大量生産、大量消費、大量破棄によって維持されてきた経済システム)。草郷にあっては、「ウェルビーイングモデル」とは、一人ひとりの人間が身体的・精神的・社会的に良好な状態を維持するために、自身が持っている「潜在能力」を活かし、充足度の高い生き方を選択し、追求できる社会発展モデルをいう(114ページ)。そして、「循環型共生社会」とは、ウェルビーイングを大切にし、経済の持続的成長と環境の持続的保全を図る循環型経済と、誰もが人間らしく生活でき、多様性と人権を認め合う思いやりのある共生社会の持続的発展がバランスよく保たれる社会像(99ページ)、循環型経済と共生社会の2つを併せ持つ社会像(15ページ)をいう。
〇以下では例によって、「まちづくりと市民福祉教育」を射程に入れながら、[1]における草郷の「ウェルビーイングを大切にする循環型共生社会」に関する言説や論点のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

SDGsと循環型共生社会
SDGsが掲げる「誰一人取り残さない持続的な社会」とは、
(1)誰もが安心して人間らしい生活のできる社会(人間らしい生活)
(2)お互いを認め合い多様性を大切にする共生社会(多様性重視)
(3)循環型経済によって環境と共存する持続可能な社会(環境との共存)
この3つの条件をすべて備えた「循環型共生社会」である。(26ページ)/別言すれば、循環型共生社会は、環境と調和し、経済と環境の両立をめざす循環型経済システムと、すべての人に基本的な生活と人権の保障(憲法25条の生存権)をめざす共生社会システムを両輪とする。(103ページ)

ウェルビーイングモデルと社会的共通資本
循環型共生社会を実現するためには、社会発展モデルを従来の「経済成長モデル」から「ウェルビーイングモデル」に転換する必要がある。(103ページ)/ウェルビーイングモデルは、日本の経済学者である宇沢弘文が提起した「社会的共通資本」(Social Overhead Capital)を土台として成り立つ。(123ページ)/宇沢がいう社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。それは、大気、森林、河川、水、土壌などの「自然環」、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどの「社会的インフラストラクチャ―」、教育、医療、司法、金融制度などの「制度資本」の3つの大きな範疇にわけて考えることができる。(124ページ、図1参照)

ウェルビーイングモデルと潜在能力アプローチ
ウェルビーイングモデルは、インドの経済学者であるアマルティア・セン(Amartya Sen)が提唱した「潜在能力アプローチ」(capability approach、ケイパビリティアプローチ)を大黒柱として成り立つ。(116ページ)/センは、誰もが真の自由を保障される社会こそ、よりよい生き方を選択できるウェルビーイングの高い社会であると考える。“真の自由”とは、誰もが自分の持っている素質や可能性に気づき、それを伸ばしていくことによって、充足度の高い生き方を自ら選択できる自由のことである。(116ページ)/潜在能力アプローチのもう一人の提唱者であるアメリカの哲学者マーサ・ヌスバウム(Martha Craven. Nussbaum)は、「善く生きる」ためには、安定した経済基盤を持つだけではなく、社会的包摂、政治的参加の保障、多様な文化を認め合う社会での暮らしが欠かせない。善く生きて、幸せな人生を送るには、個人と社会の両方が密接に関係し合っていると考える。(118~119ページ)/ヌスバウムにあっては、人間は、生まれた時から備わっている生来の潜在能力(基礎的潜在能力)と、その潜在能力を個人の努力や周りの支援によって磨き・伸ばす(内的潜在能力)とともに、それを発揮できる多様な選択肢を保障する社会を実現すること(結合的潜在能力)によって「善く生きる」ことができるのである。(118~120ページ、図1参照)

内発的地域協働と地域づくり
地域の社会変革には、地域住民が社会のあり方を思い描き、未来ビジョンを構想することが大きな力になる。そして、未来ビジョンの実現には、地域に関わるさまざまな当事者(stakeholder、ステークホルダー)の主体的な地域協働が欠かせない。(169ページ)/地域のステークホルダーが主体的に地域協働していくことを「内発的地域協働」という。(171ページ)/イギリスの国際開発省(DFID:Department for International Development、1997年~2020年)は、持続的に生活改善を図るためには地域協働が不可欠とし、地域協働を醸成するために、「当事者主体の地域協働を醸成するための6つのポイント」に集約し、実行に移した。
(1)当事者目線で問題に向き合う
(2)当事者自身が問題解決に動く
(3)当該地域と地域外との関係を意識する
(4)行政と市民の協働
(5)制度、社会、経済、環境の持続性
(6)柔軟で長期的な視点を持つ
がそれである。/これらからいえるのは、当事者目線と当事者行動が重要であること、地域間の連携が大切であること、地域の当事者同士の協働が必要であること、中長期の視点を持って地域協働に取り組むことである。地域社会を変えていくためには、長期的視点に立ち、当事者目線、当事者協働、地域間連携という形で地域協働を推し進めていくことが重要なのである。(171~172ページ)

循環型共生社会への変革のポイント
地域レベルで、ウェルビーイングを大切にする循環型共生社会に舵取りしていくためのポイントは、次の2点である。
(1)変革の方向性を打ち出すリーダーの存在
地域社会の変革に欠かせないのは、どのような社会を構想し、当事者である住民の参画意識を引き出し、協働をリードする優れたリーダーの存在である。
(2)当事者の地域協働と行政参加への切り替え
行政は、まちづくりの主役である住民のアイデアや動きにアンテナを張り、それらのパートナーとして参加していく行政参加に切り替えていくことが必要である。(205~207ページ)

ウェルビーイングを大切にする循環型共生社会に変革していくために、私たちが取り組むべき重要なポイントは、次の3点である。
(1)循環型共生社会への地域変革ビジョンを構想し、推進する
地域の当事者が、地域社会の将来ビジョンを描き、それを実現するために行動していけるかどうかがカギを握る。
(2)地域独自の文化、歴史、智慧を活かし個性ある循環型共生社会をつくる
循環型共生社会は、地域固有の環境、生活文化、地域の歴史、そして、地域住民がつくりだしてきたさまざまな智慧を活かして、持続的な社会の実現をめざしていく。
(3)循環型共生社会の暮らしを日常生活に取り込んでいく工夫と協働を楽しむ
循環型共生社会の実現には、日頃の生活を見直して、自ら生活を変えていくことが必要であり、そのために、住民同士が対話し、協働することで、生活の拠点である地元をかけがえのない共通の場(コモンズ)として育てていく。(213~215ページ)

〇草郷は、「社会的関係資本」と「潜在能力アプローチ」そして「内発的発展論」(内発的地域協働)を援用して、経済成長モデルからウェルビーイングモデルへの転換を図り循環型経済システムと共生社会システムを併せ持つ循環型共生社会の実現を提唱する(図2参照)。そして草郷はいう。「私たち自身が社会を変えていく当事者であることを自覚し、小さなことから協働、対話、共創によって自分事として何かを変えていくことが、後々、大きく社会を変えていくことにつながる」。「ウェルビーイングを大切にする地域が増えていけば、循環型共生社会に向かって社会は動き出していく」(222ページ)。そのためには、「主体性と共感力を磨く教育政策」への転換が求められる(150~153ページ)。これが草郷からのシンブルで強いメッセージである。それは、筆者が言ってきた「まちづくりと市民福祉教育」に通底する。

図1 ウェルビーイングを大切にする社会の特徴

図2 循環型共生社会の構想

 

 

渡邊一真/排除・同質化・リモート化する社会における福祉教育・ボランティア学習を考える

出所:渡邊一真/排除・同質化・リモート化する社会における福祉教育・ボランティア学習を考える/『ふくしと教育』通巻36号、大学図書出版、2023年9月、22~25ページ。
謝辞:転載許可を賜りました日本福祉教育・ボランティア学習学会と大学図書出版に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所 渡邊一真

老爺心お節介情報/第51号(2023年12月18日)

「老爺心お節介情報」第51号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」を送ります。
佳いお年をお迎えください。

2023年12月18日   大橋 謙策

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。月日の経つのは早いもので、もう年の瀬になってしまいました。
〇私にとってのこの一年は、前立腺がんの重粒子線治療に始まり、白内障の手術等80歳代に向けての体のメインテナンスをする年でした。これを乗り越えれば、後5年は生きられるかなという思いです。65の稽古かな”という格言があるそうですが、私も5年先を考えて「5年期間人生サイクル」を意識した生活を考えてきました。突発的なことがなければ、今年の体のメインテナンス効果で、あと5年は生きながらえることができるだろうと思っています。
〇今年は、10月28日に行った「大橋ゼミホームカミングデー」で、教育者としても一つの区切りが出来ました(「大橋ゼミホームカミングデーの件は、「老爺心お節介情報」第50号に記載)。後は、富山県福祉カレッジの学長、(公財)テクノエイド協会の理事長をいつの時点で後継者に委ねることができるのかが問題です。
〇今年は、長野県木曽郡や長野市中条地区という「限界集落」、「消滅市町村」と呼ばれる地域の危機的状況に直面している地域、市町村の“地域福祉”の維持可能性を考える機会が与えられました。とても難しい課題ですが、「地域共生社会政策」や「地域福祉実践」において看過できない課題です。来年も体力、知力の続く限り、このような“草の根の地域福祉実践”を励ます全国行脚をしたいと、日々体力をつけるべく1万歩をめざして歩いています。
〇今号の「老爺心お節介情報」には、今年の8月に、日本社会事業大学同窓会の北海道支部の機関紙に寄稿した文章を転載しました。続きは、この正月休みにでも書こうかなと思っています。大事なテーマなので、転載することにしました。

(2023年年12月18日記)

(註)
「アガペ」とは、日本社会事業大学のシンボルともいえる彫刻です。原宿にあった日本社会事業大学は、戦前の海軍館の建物を使用していましたが、その敷地内には清水多嘉示作成の「海の荒鷲」と題する彫刻が設置されていました。その海軍館が、戦後全社協等の事務所に生まれ変わる際に、渡辺義知作の「アゲペ像」(ウブゴエカラ灰トナテマデと刻まれた母子像)が、「海の荒鷲」の台座の上に設置されました。台座は戦前のままで、上に設置された彫刻は「海の荒鷲」から「アゲペ像」に代わりました。戦前の軍国国家から戦後の「平和国家」への転換を意味するものとして日本社会事業大学の学生に愛されてきた彫刻です(詳しくは、池田拓著「アガペの台座が見つめたもの」(日本社会事業大学社会福祉学会機関誌『社会事業研究』第62号、2023年1月刊)に収録してあるので参照願いたい)。

特別寄稿…その1

社会福祉従事者の人間観、社会福祉観、生活観と虐待問題

日社大元学長(学部第7期) 大橋 謙策 氏

はじめに

〇日本社会事業大学同窓会北海道支部より、「北海道において保育所、高齢者福祉施設、障害者福祉施設等で虐待問題が起きている。ついては、同窓会支部の機関紙である『アガペ』において、『社会福祉と人権』というテーマで特集を組み、取り組みたい」ので、私にも「社会福祉と人権―社会福祉の今後ー」と題して寄稿してほしい、との要請があった。
〇とても大事な課題であり、私なりに思うところを書かせて頂きたいと思った。しかしながら、大学教員退任後、社会福祉に関わる事象、事案、研究を網羅的に、かつ継続的にウオッチングしていないので、十分ご期待に沿えるかわからないが、本稿を書かせていただいている。そういう意味では、学術論文というより、エッセイ風な論考と捉えて頂きたい。
〇社会福祉実践現場などにおける虐待の問題は、法的には、①身体的虐待、②性的虐待、 ③経済的虐待、④ネグレクト、⑤心理的虐待に分類される。その虐待は現象的には職員一人一人の資質の問題として捉えられる。しかしながら、その背景にある社会構造としては、ケアの考え方、日本人の人権感覚、社会福祉従事者の人権感覚、社会福祉法人の経営・運営の在り方等、その背景と構造の分析は単純ではない。
〇筆者としては、それらの背景も含めて、以下のように論稿を構成したいと思っている。1回の寄稿では終わらないので、その旨ご了承頂きたい。

①  日本国民の文化と福祉文化――私が50年間闘ってきた「社会福祉通説」の問題
②  憲法第25条に基づくケア観と憲法第13条及び第25条に基づくケア観の相違③ 福祉サービスを必要としている人々の「社会生活モデル」に基づくアセスメントと医学モデルに基づくアセスメント
④  福祉サービスを必要としている人のナラティブ(物語)を基底とした「求めと必要と合意」に基づく支援方針の作成(ICFの視点と福祉機器の利活用)
⑤  入所型施設の運営・経営理念、方針と提供されるサービス
⑥  勤務先の“劣悪な労働環境”とキャリアパス等の職員資質向上の取り組み

Ⅰ 日本国民の文化と福祉文化――筆者が50年間闘ってきた「社会福祉通説」の問題

〇筆者は、高校時代に島木健作の『生活の探求』を読んで、日本社会事業大学への進学を決めた。高校の教師や親類縁者からは、なぜ日本社会事業大学のようなところを選択するのかと“奇人・変人”扱いであった。
〇そのような環境の下での日本社会事業大での学習であったが、授業内容は必ずしも筆者が望んでいたこととは違っていた。その大きな要因が、アメリカからの“直輸入”的社会福祉方法論を“金科玉条”のごとく位置づけることと、「福祉六法」に基づくサービスの提供であった。
〇その当時の社会福祉方法論は、アメリカで1930年代に確立した考え方であり、WASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)の文化を基底として成立してきた考え方、方法論であり、精神医学、心理学にかなり影響された考え方であった。
〇そのような中、筆者は日本の文化、風土に即した社会福祉の考え方、方法論があるのではないかと考え呻吟する。
〇当時、一番ケ瀬康子先生が「福祉文化」という用語を使用していくつか論文を書いており、自分の研究の方向もその方向ではないかと考え、“文化論”について研究したが、奥が深く、かつ掴まえ所がなく、その研究を中断した。

註1:一番ケ瀬康子先生は、1990年代に入り「福祉文化学会」を創立している。
註2:筆者は、2005年に「わが国におけるソーシャルワークの理論化を求めて」(『ソーシャルワーク研究』31巻第1号)を書き、中根千枝の「タテ社会論」、阿部謹也の「世間体文化論」等を援用して、日本のソーシャルワークの理論化を論証した。

〇この日本文化は根が深く、簡単に因果関係を証明できないので、研究は中断したが、常に頭にこびりついて離れない。
〇日本では、子育てする際の文化として、“禁止と命令”によって、枠にはめようとする文化がある。常に、集団的価値観が尊重され、同調志向が強く、“逸脱”したものを排除、蔑視する傾向が強い。これは、学校教育における画一的教育方法であるベル・ランカスター方式の影響でもある。是非、『6か国転校生―ナージャの発見』(集英社)を読んでほしい。
〇そのような中、筆者は、戦前の社会事業理論における精神性と物質性に関する研究を行い、そのあり方を問うことが日本の社会福祉実践、研究を変えることになると確信していく。
〇結果として、筆者は地域福祉と社会教育の連携、学際教育に関心を寄せるようになり、その実践のフィールドを公民館や社会福祉協議会に求めていくことになる。
〇ところで、筆者は自分自身としては社会福祉の研究者であり、それを岡村重夫が提唱した “社会福祉の新しい考え方としての地域福祉“(岡村重夫説・1970年)という考え方に依拠して展開しようと考えていたが、そのような筆者の研究姿勢は、多くの社会福祉学研究者には理解されず、日本社会事業大学の教員からも、”大橋謙策は社会福祉研究のプロパーではない“という批判、評価を受けた。また、日本社会事業大学の清瀬移転に際し、大学院創設の文部省への申請書を審査した某有名大学の某教授も”あなたの論文は社会福祉の論文ではない“という評価を下した。
〇そのような中、筆者は、従来の社会福祉通説とは異なる新しい社会福祉実践、社会福祉学研究を求めて、社会福祉学界への抵抗の地域福祉研究50年を送ることになる。
〇その既存の社会福祉通説への批判と新たな社会福祉実践、社会福祉研究の論題は以下の通りであった。

(1) 大河内一男の労働経済学(「我が国における社会事業の現状と将来について」昭和13年論文)を基盤とする社会福祉研究への批判
(2) 社会権的生存権保障としての憲法第25条の「ウエルフェアー」から、憲法第13条に基づく幸福追求、自己実現支援の「ウエルビーイング」への転換(1973年論文)――障害者の学習・文化・スポーツの保障、「快・不快」を基底としたケア観
(3) 属性分野で細分化された福祉サービス、福祉行政の再編成と地域自立生活支援
(4) 社会福祉施設中心主義と施設の社会化、地域化論(「施設の社会化と福祉実践」(日本社会福祉学会紀要『社会福祉学』第19号所収、1978年論文)
(5) 社会福祉の国家責任論オンリーではなく、社会保険の国家責任論と対人福祉サービスの市町村責任論との分離
(6) 社会福祉の行政責任論ではなく、経済的給付、システムづくりにおける行政責任と地域自立生活支援における住民との協働による対人援助――べヴァリッジの第3レポートの位置、1601年「Statute Charitable Uses」研究、憲法第89条の桎梏からの脱却、2008年「地域における「新たな支えあい」を求めて」(厚労省研究会報告書、2016年地域共生社会政策の前史)
(7) 社会事業における精神性と物質性――戦後の社会福祉は物質的対応で解決できると考えてきたことの誤謬ーー「救済の精神は精神の救済」(小河滋次郎、戦前方面委員の理念)

〇筆者は、1984年に書いた論文で、社会福祉研究者、社会教育研究者は“出されてきた政策には敏感であるが、政策を出さざるを得ない背景には鈍感である“と述べ、住民のニーズに即応したサービスの提供、地域づくりの必要性を説いている。
〇それは、対人援助として社会福祉を提供する際に、かつ地域づくりを展開する際における住民参加と住民のニーズを基点に考えるということである。
〇従来の社会福祉行政には、住民参加の規定もなければ、住民の相談、ニーズを「社会福祉六法体制」の基準に該当するかどうかを判定することや、措置行政の枠組みの中でサービスを提供すれば良いという考え方に対する批判でもあった。
〇そのような中、1970年代に、なぜ市町村社会福祉行政は計画行政でないのか、また、地方自治体の社会福祉施設整備計画がないのかを問い、市町村ごとに社会福祉計画を立案する必要性を説いた。
〇1980年には「ボランティア活動の構造」という図を示し、一般的隣近所の紐帯を強める地域づくり活動、地域にいる福祉サービス利用者を支える地域づくり、それらを社会福祉計画策定により解決していくという「自立と連帯に基づく社会・地域づくりのボランティア活動の構造」という図を作成した。
〇児童福祉法には市町村に児童福祉審議会を設置することが「できる」規定があり、かつ、民生委員法第24条に規定される意見具申権という規定、考え方を基に、当時、いくつかの自治体において、住民参加を保証する「社会福祉審議会」、「地域福祉審議会」の設置を求める提案をしている。

註3:東京都狛江市は、住民参加を規定した「市民福祉委員会」を条例で1994年に設置している。同じ頃、東京都目黒区でも「地域保健福祉審議会」が設置された。筆者の地元の稲城市では1980年代初めに「社会福祉委員会」を設置するが行政による要綱設置であった。東京都豊島区でも要綱設置であった。

〇このような住民参加による、住民のニーズに対応したサービスの提供という考え方が、多くの社会福祉行政、社会福祉従事者に共有されていれば、少なくとも“虐待”が起きる社会的背景、構造は違ってくる。
〇しかしながら、現実は、そのような住民のニーズにこたえて、住民参加で社会福祉施設が作られたわけでなく、かつ、その社会福祉施設は措置行政によって、長らくサービス利用者を“収容保護する”という構造のなかで、“閉ざされた空間”に置いて福祉サービスが提供されるという構造の中で“虐待”事案として発生する。
〇社会福祉施設が、1978年に書いた論文のように、地域に開かれ、地域住民の共同利用施設として位置づけられ、運営、経営されているならば、“虐待”という事案は少しは防げるのではないだろうか。

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

阪野 貢/“ Well-being ” 考―「しあわせ」の構成要因に関するワンポイントメモ―

「ウェル・ビーイングとは、個人の権利や自己実現が保障され、身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを意味する概念」である(厚生労働省『雇用政策研究会報告書』、2019年7月、1ページ)
「ウェルビーイングとは『健康』と『幸せ』と『福祉』のすべてを包む概念」である(前野隆司・前マドカ:下記[2]18ページ。注①)
「持続的ウェルビーイングは、人間が心身の潜在能力を発揮し、意義を感じ、周囲の人との関係のなかでいきいきと活動している状態」を示す包括的な概念である(渡邊淳司・ドミニク=チェンほか:下記[6]30ページ)

〇筆者(阪野)はかねてより、「福祉」を、キャッチフレーズ的に「だんの らしの あわせ」について「みんなで考え、みんなで汗を流すこと」を意味する言葉として、「ふくし」と表記してきた。その際、「しあわせ」についても簡潔に、「みんなが 満足していて 楽しいこと」と言ってきた。それは、個人のひと時の気分や感情に留まるものではなく、人生という長い期間にわたる「しあわせ」であり、しかも「みんなが」社会的に「良好な状態」にあることを含意するものとして考えてきた。近年、いろいろな分野で多用さ、注目を集めている “ Well-being”「ウェルビーイング」に通じる。(注②)
〇ウェルビーイングという言葉は、1946年7月に設立された世界保健機関(WHO)の世界保健憲章(1948年4月発効)のなかで使われたのが最初であると言われている。“ Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. ”「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいう」がそれである。ここでは、“ well-being ”は「満たされた状態」と訳される。また、1946年11月に公布、翌1947年5月に施行された日本国憲法は、その第13条で幸福追求権について謳っている。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」がそれである。ここでは、「幸福追求」は公式には、“ pursuit of happiness ”と訳される。すべて国民は、第25条に基づく健康で文化的な最低限度の生活保障とともに、第13条が謳う幸福を追求し自己実現を図る基本的権利を有するのである。
〇時を経て、2015年9月、国連サミットで2030年を目標年次とする「持続可能な開発目標」(SDGs:Sustainable Development Goals)が採択された。SDGs には、17のゴールと169のターゲットがある。3番目のゴールとして、“ Good Health and Well-Being ”「すべての人に健康と福祉を」が明記されている。ちなみに、1番目のゴールは“No Poverty”「貧困をなくそう」、2番目のそれは“Zero Hunger”「飢餓をゼロに」である。
〇このように、ウェルビーイングは古くて新しい言葉である。とりわけここ数年来のコロナ禍によって、改めて「健康」(health)や「幸せ」(happiness)、「福祉」(welfare)や「豊かさ」(richness)などに対する意識や価値観が変化し、働き方(雇用形態)や企業経営(健康経営)のあり方が問われることになる。それをひとつの要因や背景として、ウェルビーイングへの注目が拡大し、研究が進展している。ちなみに、2021年12月に「ウェルビーイング学会」が発足し、2022年1月に新聞紙上に「今年をウェルビーイング元年に」(注③)という記事が載った。そして、2024年4月には武蔵野大学に日本初(世界初)となる「ウェルビーイング学部」が開設される。「ウェルフェア(Welfare)からウェルビーイング(Well-being)へ」という新しい時代の幕開けであろうか。なお、このフレーズは、1994年3月に上梓された高橋重宏の著作『ウェルフェアからウェルビーイングへ―子どもと親のウェルビーイングの促進:カナダの取り組みに学ぶ』(川島書店)にみられる。
〇筆者(阪野)の手もとに、ポジティブ心理学(ウェルビーイングの実現を志向する心理学)の創始者と評されるアメリカの心理学者マーティン・セリグマン(Martin E. P. Seligman)の本――『ポジティブ心理学の挑戦―“幸福”から“持続的幸福”へ―』(宇野カオリ監訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2014年10月。以下[1])がある。[1]でセリグマンは、「ウェルビーイングの5つの要素」として有名な「PERMA(パーマ)」という指標について論述する(33~53ページ)。P:ポジティブ感情(Positive Emotion)、E:エンゲージメント(Engagement)、R:関係性(Relationships)、M:意味・意義(Meaning)、A:達成(Achievement)、がそれである。
〇「PERMA」すなわちウェルビーイングの状態について平易・簡潔に言えばこうであろう。次のような人は幸せである、という。(下記[4]参照)。

マーティン・セリグマン/「ウェルビーイングの5つ要素」
P:「ポジティブ感情」 嬉しい、楽しいなど、ポジティブな感情を持つ人。
E:「エンゲージメント」 物事に関わり、それに没頭したり夢中になる人。
R:「関係性」 援助や協力など、他者とのつながりやよい関係性を持つ人。
M:「意味・意義」 人生の意味・意義について自覚したり社会貢献する人。
A:「達成」 何かを達成(成功)するとともに、達成のために努力する人。

〇そして、セリグマンはいう。「幸せとは自分が気持ちよく感じることであり、人生の方向性はその気持ちよさを最大限にしようとすることで決まるとする。/ウェルビーイングとは、自分の頭の中だけで存在するわけにはいかないものだ。ウェルビーイングは、気持ちよさと同時に、実際には意味・意義、良好な関係性、および達成を得ることが組み合わさったものなのだ。人生の選択は、これら5つの要素すべてを最大化することで決まる」(50ページ)。
〇筆者の手もとに、日本における幸福学研究の第一人者と評される前野隆司の「ウェルビーイング」に関する本が4冊ある(しかない)。(1)『幸せのメカニズム―実践・幸福学入門―』(講談社現代新書、2013年12月。以下[2])、(2)『実践・脳を活かす幸福学 無意識の力を伸ばす8つの講義』(講談社、2017年9月。以下[3])、(3)前野マドカとの共著『ウェルビーイング』(日経文庫、2022年3月。以下[4])、(4)『ディストピア禍の新・幸福論』(プレジデント社、2022年5月。以下[5])、がそれである。
〇前野によると、ウェルビーイング(幸福)研究には、各人の主観的な幸福感を統計的・客観的に計測する「主観的幸福研究」と、収入や学歴、生活状況や健康状態などの客観的なデータを使って間接的に幸福を計測する「客観的幸福研究」がある([2]33~34ページ)。
〇前野は、主観的幸福研究をベースに、ウェルビーイングな状態でいるために必要な因子――「幸せの4つの因子」について探究する。次がそれである([2]96~113ページ、[3]98~113ページ、[4]72~75、87~92ページ、[5]119~140ページ)。

前野隆司/「幸せの4つの因子」
第1因子:「やってみよう」因子(自己実現と成長の因子)
やりがいや強みを持ち、主体性の高い人は幸せである。
・コンピテンス(私は有能である)
・社会の要請(私は社会の要請に応えている)
・個人的成長(私のこれまでの人生は、変化、学習、成長に満ちていた)
・自己実現(今の自分は「本当になりたかった自分」である)
第2因子:「ありがとう」因子(つながりと感謝の因子)
つながりや感謝、あるいは利他性や思いやりを持つ人は幸せである。
・人を喜ばせる(人の喜ぶ顔が見たい)
・愛情(私を大切に思ってくれる人たちがいる)
・感謝(私は、人生において感謝することがたくさんある)
・親切(私は日々の生活において、他者に親切にし、手助けしたいと思っている)
第3因子:「なんとかなる」因子(前向きと楽観の因子)
前向きかつ楽観的で、何事もなんとかなると思える、ポジティブな人は幸せである。
・楽観性(私はものごとが思い通りにいくと思う)
・気持ちの切り替え(私は学校や仕事での失敗や不安な感情をあまり引きずらない)
・積極的な他者関係(私は他者との近しい関係を維持することができる)
・自己受容(自分は人生で多くのことを達成してきた)
第4因子:「ありのまま」因子(独立とマイペースの因子)
自分を他者と比べすぎず、しっかりとした自分らしさを持っている人は幸せである。
・社会的比較志向のなさ(私は自分のすることと他者がすることをあまり比較しない)
・制約の知覚のなさ(私に何ができて何ができないかは外部の制約のせいではない)
・自己概念の明確傾向(自分自身についての信念はあまり変化しない)
・最大効果の追求のなさ(テレビを見るときはあまり頻繁にチャンネルを切り替えない)

〇そして、前野はいう。これらの4つの因子(第1因子:主体的に生きる、第2因子:共に生きる、第3因子:未来を信じる、第4因子:他人と自分を比べない)を意識しながら行動していけば、どんな人でも自分らしい幸せを掴むことができる。しかし、現代社会・世界は、利己主義から利他主義まで、民主主義から専制主義まで、個人主義から全体主義まで、経済成長から脱成長まで両極化しつつあり、バラバラのカオス(混沌)になりつつある。こうした混迷と分断の「ディストピア禍」において、多様な価値観を持つ人々がつながり合い、利他の精神を築き、より調和的な社会・世界をめざすためには、他者を「想像し、許し、信じ、対話する」ことからはじめる以外に解決策はない([5]141~147ページ)。
〇筆者の手もとにもう1冊、渡邊淳司・ドミニク=チェン監修・編著の『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために―その思想、実践、技術』(ビー・エヌ・エヌ、2020年3月。以下[6])という本がある。「ウェルビーイングとは、『わたし』が一人でつくりだすものではなく、『わたしたち』が共につくりあうものである」(2ページ)というのが、[6]のシンプルなメッセージである。すなわち、「個でありながらに共」という日本的なウェルビーイングのあり方について探究する([6]帯)。
〇[6]では、単数形の「わたし」ではなく、複数形の「わたしたち」のウェルビーイングを想定する。そして、「『わたしたち』のウェルビーイングとは『競争』するものではなく、『共創』するものなのだ。(中略)『わたし』のウェルビーイングを追い求めつつ、『わたしたち』のウェルビーイングを共につくりあう、重層的な認識によってウェルビーイングを捉えていく必要がある」(4ページ)と説く。渡邊・チェンらにあっては、「効率性」や「経済性」といった既存の「ものさし」にとらわれた個人主義的(individualistic)な「わたし(個)のウェルビーイング」だけでなく、人と人とのあいだにウェルビーイングが生じると考える集産主義的(collectivistic)な「わたしたち(共)のウェルビーイング」(32ページ)も、「人それぞれの心を起点とした新しい発想の『コンパス』となる」(3ページ)。それによって、「コミュニティと公共」というより広い視点からのウェルビーイングについても論じることになる。そして、ウェルビーイングに配慮した新しい社会像をめざすことができるのである(3~6ページ)。
〇渡邊・チェンらによると、ウェルビーイング(心身がよい状態)には3つの側面・領域がある。心身の機能が不全でないか、病気でないかを問う医学の領域である「医学的ウェルビーイング」、その時の気分の良し悪しや快・不快など、一時的かつ主観的な感情に関する領域である「快楽主義的ウェルビーイング」、心身の潜在能力を発揮し、周囲の人との関係のなかで意義を感じている「いきいきとした状態」を指す「持続的ウェルビーイング」がそれである(20、30ページ)。すなわち、健康で、心地よく、周囲の人との関係のなかで意義を感じいきいきと活動している状態をウェルビーイングというのである。そして「近年は、医学的もしくは快楽主義的なものではなく、ウェルビーイングを持続的かつ包括的に捉えようとする考えが主流となっている」(20ページ)。
〇次いで[6]では、持続的ウェルビーイングを生み出しその向上を図るためには、他者との関係性のなかでどのような働きかけ(「配慮」)をすべきか(「ウェルビーイング向上のために他者が介入する際、留意すべき点」45ページ)、について説く。以下がその要点である(45~49ページ)。

渡邊淳司・ドミニク=チェン/「ウェルビーイングを生み出すための6つの配慮」
個別性への配慮
何よりも意識すべきは、「私とあなたは違う」という点である。ウェルビーイングの要因の重要度は、個人によってやその人のライフステージによっても変化する。
自律性への配慮
ウェルビーイングは誰かに与えるものではなく、自身で気づき、行動するものである。他者に働きかける際には、いくつかの選択肢を用意し、相手に一定の自律性を担保することが望まれる。
潜在性への配慮
「ふとした瞬間に感じる気持ち良さ」や「ちょっとした違和感」など、潜在的には存在しているが自覚されていない情報や感覚体験をすくい上げ、それらに目を向ける。
共同性への配慮
人間は他者との関係性のなかで生きている。当事者間に深い共感や価値観の共有をもたらすものに取り組んだり、体験したりする。
親和性への配慮
ポジティブ感情には、興奮を伴うポジティブ感情と、平穏や思いやり、愛といったリラックスするそれがある。現代社会は前者に偏っており、両方のポジティブ感情のバランスを取ることが望まれる。
持続性への配慮
ウェルビーイングは、短期的あるいは長期的な目標設定をすることだけでなく、その過程の充実によって持続性を作り出すことが重要になる。

〇そして、渡邊・チェンらは「コミュニティと公共のウェルビーイング」についていう。インターネットの普及などによって、コミュニティのあり方が揺れ動いている。そんななかで、「公共のウェルビーイング」について考える際、「存在論的安心」「公共性」「社会創造ビジョン」という3つの要因が重要となる。「存在論的安心」とは、自身や自分を取り巻く環境や世界が安定的・継続的に存在し、それに対する確信や信頼のことを指す。「公共性」とは、多様な人々が共に生きられる公共の場(空間)を、一人ひとりのボトムアップな動きによって創り出すことをいう。そしてこの2つを前提に、自分たちが自律的に活動することによって新たなイノベーションが生まれ、社会創造が実現する(「社会創造ビジョン」)。それは自己効力感や達成感を得る機会になり、一人ひとりのウェルビーイングを高めていく。要するに、「コミュニティと公共のウェルビーイング」を実践していくことは、新たな社会や未来を構想し創造することそのものなのである(63~75ページ)。
〇この点(地域コミュニティにおけるウェルビーイング)は、住民個々人のウェルビーイングと集合的なウェルビーイング(コミュニティ・ウェルビーイング)を実現していく「まちづくり」や、そのための教育(「市民福祉教育」)に通じることになる。例によって唐突であるが、指摘しておく。
〇さらに筆者の手もとにもう1冊、石川善樹・吉田尚記の『むかしむかし あるところに ウェルビーイングがありました―日本文化から読み解く幸せのカタチ―』(KADOKAWA、2022年1月。以下[7])という本がある。[7]では、「日本の文化と風土を前提にしたウェルビーイングへの道とは何か」について、「古事記」や「日本昔ばなし」などから読み解く。そこから得られた「教訓」は次の5つである。

石川善樹・吉田尚記/「昔話と古典から学ぶウェルビーイング5つの教訓」
(1)上より奥を見る:上ばかりを見て焦るのではなく、あえて視点を外してみる。
(2)ハプニングを素直に受け入れてみる:突発的なトラブルや出来事と楽しみながら向き合ってみる。
(3)人間は多面体であることが当然という認識に立ち戻る:人間は本来、多面的な顔、矛盾した性質を持っていることを再認識する。
(4)自己肯定感の低さにとらわれすぎない:日本人には謙遜の精神が根付いているが、自己肯定感への執着を手放す。
(5)他者の愚かさを許し、寛容に受け入れる姿勢を身につける:自分と他者に寛容になる。

〇石川・吉田は、この5つの教訓が「現代人のウェルビーイングの素地になる」という(156~159ページ)。
〇なお、上述の[6]では、日本的ウェルビーイングの特徴として、次の3点を指摘している。(1)自律性(自分の周りの環境に対し主体能動性を感得できる)、(2)思いやり(自己のウェルビーイングのみならず周りの他者のそれにも寄与できる)、(3)受け容れ(自律性と他者の存在が調和し現在のポジティブ・ネガティブの双方を含む状況を受け容れられる)、がそれである(56~57ページ)。
〇冒頭で記したように、ウェルビーイングは、身体的、精神的、社会的に満たされている良好な状態にあることを意味する。すなわち、ウェルビーイングは、「豊かさ」を考えるためのキーワードである。その点をめぐって、筆者はこれまで、「豊かさ」を獲得・実現するための条件について言及してきた。ここでそれを再認識(再確認)しておくことにする。

阪野 貢/「豊かさ」を獲得・実現するための5つの条件
(1)基本的人権の尊重や自由・平等と民主主義の確保を前提に、人々の個別具体的な発達保障と生活保障の具現化と共生や支え合いの創出が図られること。
(2)すべての人が個性的・創造的に自分を生きる(生き抜く)ために多様な選択肢が準備され、その選択の自己決定やそのための支援がなされること。
(3)自分の生きがいや自己実現のための活動にとどまらず、他者や地域・社会のための、社会変革を進める社会貢献活動(共働活動)に参加できること。
(4)そのための個人的な尊敬と信頼に基づく熟議やさまざまな知識や経験による想像力と創造力によって、明るい社会と未来(希望)が開拓・共創されること。
(5)以上のことを可能にし、相互支援と相互実現、地域・まちづくり、社会変革と社会創造を推進するための教育・学習(市民福祉教育)が、すべての人の生涯にわたって自律的・主体的に行われること。


➀ 図1は、前野隆司・前野マドカの「ウェルビーイングの定義」を図示したものである。図2は、2010年12月に内閣府に設けられた「幸福度に関する研究会」(2010年~2013年)が、「幸福度指標試案」の構成要素を体系図として描いたものである。参考に供しておく。図2では、「幸福度」指標を「主観的幸福感」と、それを支える3つの柱として「経済社会状況」「(心身の)健康」「関係性」を含めて考えている。また、地球温暖化や大気汚染などの環境面の「持続可能性」についても重視している。

 図1 ウェルビーイングとは何か


② 平仮名表記の「ふくし」については、例えば、松岡広路の論考「<ふくし>を実質化する福祉教育・ボランティア学習とは」『ふくとし教育』通巻36号、大学図書出版、2023年9月、62~63ページ、が興味深い。松岡はいう。<ふくし>とは、「あらゆる人が、多元的課題を内包する日常生活を基点に、臨床的かつ集合的に幸福を追求するとともに、マジョリティ文化のなかで当たり前とされてきた社会の在り方・生き方およびその根底の価値を、生活者としての視点で疑い、その変容を促す主体となるような総合的な営為」(64ページ)である。簡潔に言えば、「あらゆる人が、幸福や命をめぐる学びの中で、現代の生き方・ライフスタイルを批判的に再構築し社会を変えるという、人間らしさの本源を問う営みである」(6ページ)。

③ 「今年をウェルビーイング元年に」(日経電子版/2022年1月5日)

付記
本稿でとり上げた本の一覧である。
(1)マーティン・セリグマン、宇野カオリ監訳『ポジティブ心理学の挑戦―“幸福”から“持続的幸福”へ―』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2014年10月
(2)前野隆司『幸せのメカニズム―実践・幸福学入門―』講談社現代新書、2013年12月
(3)前野隆司『実践・脳を活かす幸福学 無意識の力を伸ばす8つの講義』講談社、2017年9月
(4)前野隆司・前野マドカ『ウェルビーイング』日経文庫、2022年3月
(5)前野隆司『ディストピア禍の新・幸福論』プレジデント社、2022年5月
(6)渡邊淳司・ドミニク=チェン監修・編著『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために―その思想、実践、技術』ビー・エヌ・エヌ、2020年3月
(7)石川善樹・吉田尚記『むかしむかし あるところに ウェルビーイングがありました―日本文化から読み解く幸せのカタチ―』KADOKAWA、2022年1月

サイト運営協力者/村上 進

サイト運営協力者


村上 進(むらかみ すすむ):Susumu Murakami
Colleagues of the Institute for Citizen Welfare Education

村上進氏(東京都在住)には、2012年6月25日の本ウェブサイトの開設から今日まで、その運営協力・支援を具体的・継続的にいただいています。
本ウェブサイトではこれまで、読者が読みやすい形式や内容を求めて、その修正や変更を繰り返してきました。また、すべてのデータが消失する危険にさらされたこともありましたが、その際にも迅速・丁寧に対応していただきました。
2025年2月20日には、サイトの安定的な運営を維持するために、サイトの移設(サーバーの移転、URLの変更等)をおこないました。その折には、全面的に村上氏のご支援をいただきました。
衷心より感謝とお礼を申し上げます。とともに、今後も引き続き、格別のご厚情とご支援を賜わりますよう何卒宜しくお願い申し上げます。
なお、フロントページの最初のヘッダー画像は、2013年9月に村上氏が撮影したスイスアルプスのブリエンツ・ロートホルン( Brienzer Rothorn)です。

                        市民福祉教育研究所
主宰/田村禎章・三ツ石行宏


主宰/田村禎章・三ツ石行宏

主 宰


田村禎章(たむら さだあき):Sadaaki Tamura

市民福祉教育研究所 主宰
President of the Institute for Citizen Welfare Education

東海学院大学健康福祉学部総合福祉学科 講師


三ツ石行宏(みついし ゆきひろ):Yukihiro Mitsuishi

市民福祉教育研究所 主宰
President of the Institute for Citizen Welfare Education

高知大学教育研究部人文社会科学系教育学部門 准教授


阪野 貢/福祉サービス消費者の主体形成と福祉教育 ―もうひとつの福祉教育を考えるためのワンポイントメモ―

〇私事にわたる記事(資料の提示)であることをお許し願いたい。筆者(阪野)は、2023年11月4日、日本福祉教育・ボランティア学習学会第29回新潟大会の総会の席上で、学会の名誉会員の称号を野尻紀恵会長から授与された。恐縮至極であり、光栄の極みである。総会資料(「名誉会員の推挙について」)によると、その理由は次の通りである。

<学会におけるご略歴>
設立呼びかけ人であり、1995年~2010年の4期にわたって理事を務め、2002年~2007年には2期の副会長を務めた。
本学会が設立できたのは、阪野貢先生のご尽力があってのことである。設立趣旨文や会則の起草、関係者との調整、設立総会の準備など大橋謙策先生とともに東奔西走された。この学会設立の経過については、『ふくしと教育』(第17号、2014年)にて、「学会誕生の経緯、志のモノローグ―“天の時、地の利、人の和”を得て―」としてご執筆されている。
<福祉教育研究における主な研究業績>
阪野貢先生は、『日本近代社会事業教育史の研究』(共著、相川書房、1980年)、『戦後初期福祉教育実践史の研究』(単著、角川学芸出版、2006年)など本格的な歴史研究を踏まえ、史実とその時代背景を通して今日的な福祉教育の理論化とともに、その普及に尽力されてきた。『福祉教育の創造』(単著、相川書房、1989年)、『福祉のまちづくりと福祉教育』(単著、文化書房博文社、1995年)、『福祉教育論』(共編著、北大路書房、1998年)、『福祉教育のすすめ』(監修・共著、ミネルヴァ書房、2006年)など。それらの集大成として、「市民福祉教育」という理論化をはかられた。『「市民福祉教育」の研究―総括と展望―』(単著、私家版、2011年)。現在は、市民福祉教育研究所のブログ
http://sakanolab.com/ )を通して、積極的に研究成果を発表されている。(一部訂正)

〇日本福祉教育・ボランティア学習学会は1995年10月に設立された。その時の資料によると、学会設立の呼びかけ人は204人、会員は236人、予算額は200万円であった。こんにち、会員は644人(2023年10月現在)、予算額は954万円(2024年度)になっている。会員各位の尽力によって大きな学会に発展したことは、一会員として、また学会の設立に若干関わりを持たせていただいた者として、嬉しい限りである。
〇上記の「学会誕生の経緯、志のモノローグ―“天の時、地の利、人の和”を得て―」は、次の通りである。参考に供しておきたい。併せて、本ブログ<雑感>(191)1995年と1996年、そして“いま”―野澤和弘著『弱さを愛せる社会へ』のワンポイントメモ―/2023年10月30日投稿、に添付されている記事――「日本福祉教育・ボランティア学習学会設立」『月刊福祉』第79巻1号、1996年1月、108~109ページ( ⇒ 本文 )も参照されたい。







出所:「学会誕生の経緯、志のモノローグ―“天の時、地の利、人の和”を得て―」『ふくしと教育』第17号、大学図書出版、2014年8月、42~47ページ。

〇学会の設立に関する記事(資料)を探している際に、『月刊福祉』1996年6月号(第79巻6号)に掲載されている拙稿――「今後の福祉教育の展開を考える」が目に留まった。27年前の拙稿であり、忘却の彼方に消え去ったモノである。そこでは、今後の福祉教育の展開に向けて、こんにちの福祉教育が抱える問題や課題のうちのいくつかについて考察を加えている。(1)こんにちの福祉教育には総合的・計画的推進と学際的・実践的研究が求められている、(2)福祉教育とボランティア活動、ボランティア学習の関連について整理する必要がある、(3)福祉教育の評価とボランティア活動についての社会的評価は次元の異なるものである、(4)高齢消費者が増大するなかで消費者教育の一環としての福祉教育の推進が求められる、がその枠組み(見出し)である。そのうちの(4)については、次のように記している。

高齢消費者が増大するなかで消費者教育の一環としての福祉教育の推進が求められる
高齢社会は、高齢消費者したがってまた障害消費者が増大する社会である。「自立した消費者」の育成を図るための消費者教育、その一環としての福祉教育の推進が求められる。
高齢者の生活基盤は、心身の機能の低下や意思能力の衰退、それに経済的・社会的・家族的状況の変化などによって脆弱化、不安定化する。また、在宅福祉サービスの有料化や商品化が進むなかで、高齢者固有の経済的かつ精神的・身体的な消費者トラブルや被害が発生し、増大している。そこで、充実した消費生活基盤の確立をはじめ、消費者トラブルや被害に対する救済システムの整備、それに予防システムとしての自立した消費者の育成が重要な課題となる。
消費者教育は、「消費者が各自の生活の価値観、理念(生き方)を個人的にも社会的にも責任を負える形で選び、枠組みし、経済社会の仕組みや商品・サービスについての知識・情報を理解し、批判的思考を働かせながら合目的的に意思決定し、個人的、社会的に責任が持てるライフスタイルを形成し、個人として、また社会の構成員として自己実現していく能力を開発するものである」(日本消費者教育学会)。福祉教育は、社会福祉の制度・施策の仕組みや商品・サービスについての知識・情報を理解し、自主的・主体的、総合的・合理的に判断し、意思決定することのできる福祉商品・サービス消費主体の形成を図るものでもある。この点において、消費者教育の目的と福祉教育のそれは同根であり、両者は密接なかかわりのなかで展開されなければならないといえる。さらに、消費者教育と福祉教育はともに、単なる知識・情報の理解にとどまるものではなく、福祉商品・サービス消費主体としての意思決定能力の育成と態度・行動の変容・変革を促すものであり、そこから体験的・実践的学習活動が重視される点も共通するところである。消費者教育の一環としての福祉教育の実践と研究が求められる。(『月刊福祉』1996年6月号、全国社会福祉協議会、47ページ)

〇当時筆者は、消費者教育の一環としての福祉教育の展開に関して、まずは次の3つの側面における福祉教育のあり方が問われるとしている。①福祉商品・サービスや介護サービスの消費者・利用者(要介護者本人やその家族など)に対する福祉教育、②福祉商品・サービスや介護サービスの事業者や専門家に対する福祉教育、③福祉商品・サービスや介護サービスを安定的・継続的に提供するための市民的・世代間合意を図る福祉教育、がそれである。
〇また、こうも言ってきた。「消費者教育が学習素材として取り上げる消費者問題は、商品・サービスの購入や消費の際に生ずる消費者被害や不利益に関する問題(『取引問題』)としてのみとらえるのではない。それは、『生活環境問題』や『生活問題』としてとらえることが肝要となる。その点において、消費者教育と福祉教育は密接な関係性をもつ」。「消費者教育やその一環としての福祉教育は、健康で、社会参加の意思と能力を備えた高齢者に対しては有意義である。しかし、病気がちなどで社会参加の意思と能力が減退し、しかも記憶力や思考力、判断力などが低下した高齢者に対しては、その成果を期待することは難しい。そこに、代弁的機能(アドボカシー)あるいは後見的機能(ガーディアンシップ)を含めた福祉的かつ教育的な働きかけが必要不可欠となる」(阪野貢「福祉サービス消費者の主体形成と福祉教育―消費者教育に学ぶ―」『福祉文化研究』第6巻、日本福祉文化学会、1997年3月、37~38ページ)。改めて思い起こしておきたい。
〇また当時(2000年以降)、消費者教育の観点や視点から福祉教育について言及する論考が筆者の目に留まった。例えば、次のようなものがそれである。

[1]永原朗子・鳥井葉子・田結庄順子「21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成(第1報)―高齢化・高齢者に関する福祉教育の授業分析結果を手がかりに―」『消費者教育』第21冊、日本消費者教育学会、2001年10月、175~184ページ。
[2]鳥井葉子・永原朗子・田結庄順子「21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成(第2報)―高齢者に関する福祉教育の学習開発の枠組み―」『消費者教育』第22冊、日本消費者教育学会、2002年9月、149~156ページ。
[3]田結庄順子・鳥井葉子・永原朗子「21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成(第3報)―高校生を対象とした高齢者の消費者被害に関する授業研究―」『消費者教育』第25冊、日本消費者教育学会、2005年9月、133~140ページ。
[4]田村久美・水谷節子「消費者教育の一環としての福祉教育―市区町村社会福祉協議会の調査結果から―」『消費者教育』第25冊、日本消費者教育学会、2005年9月、21~32ページ。

〇[1]では、「福祉教育の学習テーマとして高齢者の消費者問題・被害をとりあげることは、福祉をめぐる問題の所在を究明し、その解決にむけての実践力を育成していく上で重要である」(178~179ページ)とする。そして、「消費者教育と福祉教育の関連性」について次のように整理している(179ページ)。

消費者教育
[目的]
個人的かつ社会的な生活の質的向上を図るために自らの生活目標や価値意識を形成し、商品・サービスの購入・使用・廃棄にあたっては、自主的・主体的・総合的・合理的に判断し、意思決定し、自己の生活を主体的に創造していくことの出来る力を育成すると共に、消費者問題・被害については、その事実を認識し、その解決のためには他者と連帯して行動する能動的で積極的な消費者を育成すること。
[学習素材]
*商品・サービスの購入や消費の際に生じる消費者被害や不利益に関する問題(取引問題)
*ゴミ・資源問題をはじめとする生活環境問題(生活問題)
*高齢者・障害者・女性・子どもの福祉問題(生活問題)
福祉教育
[目的]
人権を擁護し、個人の尊厳を守り、安心して生活出来るように、社会福祉の制度・施策のしくみや商品・サービスについての知識・情報を理解し、自主的・主体的・総合的・合理的に判断し、意思決定することの出来る福祉商品・サービス消費の権利主体の形成を図ると共に、ともに生きる福祉社会の創造に向けて、福祉問題を解決していくために他者と連帯して行動する能動的で積極的な人間を育成すること。
[学習素材]
*高齢者・障害者・女性・子どもの福祉問題(生活問題)

〇そして永原らは、結論的に次のようにいう。消費者教育、福祉教育、家庭科教育の「3つの教育に見られる生活主体育成の学習の視点から共通点をまとめると、人間らしい生活の創造の視点に立ち、日常生活における問題・課題を発見し、社会的視野まで取り込んだ生活に関わる課題の改善・解決に主体的に取り組むことの出来る主権者としての自覚と実践力の育成と言える。従って、21世紀の新しい消費者教育における生活主体育成の課題は、(中略)福祉教育の理念・目標の導入を欠かすことが出来ない。つまり、(中略)(21世紀の新しい消費者教育は)高齢者の福祉をめぐる消費者問題・被害を検討する中で、高齢者福祉文化の創造や共に生きる福祉社会の創造に向けて、他者と連帯して福祉の理念、制度、施策等に関する問題や課題の改善・解決策を具体的に提言していくことの出来る主権者としての自覚と実践力を育成していくことにある」(182ページ)。「“ ゆとり ”や “ うるおい ”のある生活を優先する価値観を大切に、『人間の尊厳と人間性の尊重―人権の尊重と擁護―を基盤とするこころ、精神、思いやりの育成・高揚』と『共に生きる福祉社会の創造』を目指す福祉教育を通して人間らしさを継承していくことは、これからの消費者教育にも求められる」(183ページ)。
〇[2]では、中学校・高等学校の高齢者に関する福祉教育の学習開発のための枠組みを検討し、授業実践のための具体的な学習内容案を提示する。表1は、消費者教育における高齢者福祉教育の「学習開発の枠組み」を示したものである。それに沿って「学習内容案」を提案したのが表2である。

表1 中学校・高等学校の消費者教育における高齢者福祉教育の学習開発の枠組み

出所:「21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成(第2報)」『消費者教育』第22冊、日本消費者教育学会、2002年9月、153ページ。

表2「高齢者の消費生活と福祉環境」学習内容案

出所:「21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成(第2報)」『消費者教育』第22冊、日本消費者教育学会、2002年9月、154ページ。

〇そして、鳥井らはいう。「表2の各学習テーマにおいて、高齢者とかかわった具体的な学習活動を通して、高齢者の人権を侵害する消費者問題を把握し、その改善策を考え、社会へと発信していくことにより、表1で示した消費者教育における高齢者福祉教育の目的が達成できる。また、(それは)このような学習過程を通して、21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成をめざすものである」(155ページ)
〇[3]では、「オレオレ詐欺」(振り込め詐欺)を“ 導入 ”にして、「年金証書を担保とした貸し金被害」「商品先物取引」を“ 展開 ”し、「高齢者の消費者被害の特徴」を“ まとめ ”る授業研究をおこなっている。
〇[4]では、次のように主張(議論)する。「消費者教育は、高齢者福祉の充実を図る一助として、高齢者や高齢者を抱える家族の消費生活のより積極的支援にかかわることが重要になる。消費者教育の一環として福祉教育を視野に入れることは、生活者を対象としながらも消費者の視点に重点をおくことであり、福祉教育の一環として消費者教育を視野に入れることは、生活者を対象としながらもそこに消費者の視点も取り入れていくことを意味する。高齢社会の地域福祉をより発展させる一つの媒介である情報・学習は、福祉教育が支援する領域と消費者教育が支援する領域といった独立した点と、両教育の共通する領域の連携した点、いわゆる何を支援するかといった情報・学習内容の棲み分けが必要である」(30ページ)。そして、田村らは、「高齢者福祉に関する消費者教育の一環としての福祉教育」の促進に向けた体系図(図1)を示す。

図1「高齢者福祉に関する消費者教育の一環としての福祉教育」の促進にむけた体系図―福祉教育をアプローチとして―



*Ⅲの ● は、特に高齢者、被介護者、家族介護者に関する福祉教育内容のキーワードを示す。

出所:「消費者教育の一環としての福祉教育」『消費者教育』第25冊、日本消費者教育学会、2005年9月、30~31ページ。

〇以上、本稿では思いがけないことによって、かつて筆者が興味・関心を寄せた「消費者教育の一環としての福祉教育」に関する若干の資料を提示することにした(本稿の真のねらいはここにある)。その問題の重要性は、こんにちの福祉商品・サービス(費用負担、心理的抵抗感、情報格差など)や介護サービス(介護難民、老老介護、介護人材不足など)の現状を考えると、むしろ高まっていると言わざるを得ない。これを機会に、そのあり方等について改めて探究したいものである。

付記
冒頭に記した学会総会に参加している際に、傘寿(さんじゅ)を迎えられた大橋謙策先生からメール――「老爺心お節介情報」第50号が届いた。そのなかに、「大学の教員、研究者として、各種学会での発表のオブリゲーション(義務、責任)もなくなり、75歳以上で名誉会員に推挙されると、学会の理論研究をリードしようというモチベーションも下がり、研究範囲が狭隘になり、唯我独尊的になり、研究意欲も減退することになります」という一文があった。常にご自分を厳しく律してこられた(いまも律しておられる)先生ならではの言葉である。勝手ながら、筆者へのメッセージ(叱咤、鼓舞)として受け止めたい。

老爺心お節介情報/第50号(2023年11月4日)

「老爺心お節介情報」第50号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。
私の方は、相変わらず全国を飛び回っています。
「老爺心お節介情報」第50号を送ります。

2023年11月4日  大橋 謙策

<最後の「大橋ゼミホームカミングデー」が盛会裡に行われる>

〇去る10月28日、最後の「大橋ゼミホームカミングデー」が東京・市ヶ谷のアルカディアで行われました。130名の卒業生が、北は北海道、南は沖縄、海外からも韓国から3名の卒業生が集まり、盛会裡に行われました。
〇大学教員として、日本社会事業大学の学部のゼミ生、卒論指導学生約600名、大学院修士課程の修了者は日本社会事業大学大学院、東北福祉大学大学院合わせて約110名、博士課程は同約25名の修了者を指導してきました。大学教員50年間の集大成の、最後の「大橋ゼミホームカミングデー」でした。
〇私は1943年10月26日生まれで、ちょうど80歳ということもあり、教え子たちから傘寿のお祝いをして頂きました。結婚して53年、金婚式は新型コロナウイルスの騒ぎでできませんでしたが、傘寿を夫婦でお祝いして頂き、夫婦ともどもしみじみと“いい人生!”を送らせていただいたと教え子、関係者の皆さんへの感謝の気持ちが日々口をついて出ます。
〇本当に関係者の皆様に感謝とお礼を心より申し上げます。
〇下記の文は、「大橋ゼミホームカミングデー」の資料集に載せた挨拶分です。

『大橋ゼミ・50周年ホームカミングデー挨拶』

日本社会事業大学名誉教授
大橋 謙策

・1989年、日本社会事業大学に赴任してから、15年を記念して第1回のホーミカミングデーを開催しました。
このホームカミングデーは、故平田冨太郎学長の提言です。平田富太郎学長は、単科大学としての日本社会事業大学は卒業生を大切にして、リカレント教育の一環として、ホームカミングデーをゼミ毎に開催すべきと強く要望されました。
・それは、私が1974年、日本社会事業大学に赴任する際、五味百合子先生、仲村優一先生から言われたことと同じです。
日本社会事業大学の教員は、個人の研究もさることながら、学生指導、学生への教育を大切にしてほしい旨の訓示が度々されました。
私は教員の大学教員の教務分担として、新任教員は学生委員会に所属させられ、学生教育の重要性を学べと言われました。
・恩師である小川利夫先生からは、厚生省(当時)から委託を受けている日本社会事業大学の立ち位置を考えたら、“単なる大学教員”に甘んじてはいけない。日本社会事業大学を代表して、日本社会福祉学会などで評価される研究者になれと諭されました。
・これらの教えを胸に、ある意味、家族を“犠牲”にして、日本社会事業大学で教育・研究に励んできました。
子どもたちは、父親と楽しい時間をどれだけ持つことができたのでしょうか、時には、学生の調査実習の際に、家族を連れて行き、家族には別行動してもらいながら、学生の調査実習の合宿指導を行いました。
家庭では妻に全てを任せ、妻に“明日は日曜日でしょ”と言われても、原稿書きがあるとか、文献を読まなくてはいけないからと言っては、家事もせず、子どもとの団らんの機会も多くは持ちませんでした。
今となっては悔いは残りますが、私の研究、教育、実践に全面的に家族が協力してくれたお陰だと、妻と子どもに感謝の念で一杯です。心からお礼を伝えたいと思います。
・このような経緯があったからでしょうか、教員、研究者として日本社会事業大学の学長はもとより、日本社会福祉学会会長、日本学術会議会員、日本社会事業学校連盟会長をさせて頂きました。
結果として、日本社会事業大学の先生方からの教えに背くことなく、50年間の大学教員の責務を全うできました。
・研究者としての評価は後世に委ねなければなりませんが、研究業績を「著作集」として刊行するのではなく、ある意味、岡村重夫先生を見習った訳ではありませんが、大橋謙策理論の集大成ともいえる著作『地域福祉とは何かー哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』を2022年4月に上梓できました。
・唯一ともいえる残された課題は、5年ごとに行ってきたホームカミングデーをいつ終結するかという課題です。
ホームカミングデーは単に、卒業生が集まり、懇親し、近況報告をするというものでは駄目で、ホームカミングデーはある意味リカレント教育の場でもあるので、教員が教え子に最先端の研究、理論、実践を自ら指し示す機会でなければならないと教えられました。
そのために、ホームカミングデーごとに、5年間に教員がどのような論文を書いたのか、どのような実践・研究をしたのかを卒業生に示し、卒業生の学びを促す機会でもなければならない儀式でもあります。
このことは、結構教員にとっては辛いタスクであり、儀式です。教員として、研究者として、“生きて”いなければ、“論文を書いて”いなければ、ホームカミングデーは単なる懇親の場になってしまいます。
大橋ゼミホームカミングデーの機会に、私が5年間書いた物の中から、数編を選んで資料集として冊子にし、参加者に配布すると同時に、この間お世話になった方々に配布してきたのも、研究者、教員として責務を果たしていますという“アリバイ証明”でもありました。
この作業は、結構辛いもので、論文を書ける時もあれば、書けない時もあります。コンスタントに実践し、研究し、論文にまとめるという作業はよほど意識して取り組んでいないと書けないものです。
政策や制度の解説的なものは、すぐ“時とともに色褪せて”しまうもので、5年経ても色褪せず、卒業生に読んでほしいというものを書き続けるということは、一つ一つの論文で、常に社会福祉実践、社会福祉理論における研究課題は何か、事象を分析する視点に従来にない鋭さがあるか、事象に流されずに、社会問題として構造的にとらえられているかなど、研究者、教員としての知見が常に問われることになります。まさに、教員、研究者として“生きているか”が問われることになります。
これらの作業をするためには、常に“アンテナを高く、広く張り”、情報収集に努め、何が社会福祉分野における理論課題なのかを考えていなければできない作業であります。
大学教員としての現役の時は、仕事がら必要な情報が“相手からもたらされる”という状況もありますが、国や自治体の委員、あるいは各種団体の役職・委員を退任しているものにとって、これらの役職・委員就任で得られている情報を自らの手で、体系的に収集把握することは容易ではありません。
また、大学の教員、研究者として、各種学会での発表のオブリゲーションもなくなり、75歳以上で名誉会員に推挙されると、学会の理論研究をリードしようというモチベーションも下がり、研究範囲が狭隘になり、唯我独尊的になり、研究意欲も減退することになります。
・私は今年80歳になり、上記の役割を担うことができなくなってきています。5年毎のホームカミングデーをここで終結し、教員、研究者としてなすべきことの責務から開放され、一人の“老爺”として、気軽に、自分の思うところを発信したいと思うようになってきました。2022年から始めた「老爺心お節介情報」の発信はその一端です。

#(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(阪野貢 市民福祉教育研究所で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

・ホームカミングデーは今回で8回目を迎えますが、この間のホームアカミングデーの開催にあたっては、多くの卒業生のご協力、ご支援があったから開催できました。
今回も、岡村英雄さん、田中裕美子さん、菱沼幹雄さん、平野裕司さんはじめ多くのゼミの卒業生のご協力、ご支援を頂きました。すべての人の名前を記載できませんが、この紙上を借りて、ここに厚く感謝とお礼を申し上げます。
・私は、後2年、(公財)テクノエイド協会理事長、富山県福祉カエレッジ学長を担う予定ですが、研究者、大学教員としての責務は今回のホームカミングデーをもって終了とさせていただきます。
卒業生の皆様には、自立した、かつ自律した職業人として、日本社会事業大学の建学の精神を忘れることなく、仕事に励んで頂きたいと思います。
皆様のご健勝とご多幸を心より祈念しています。今日からは、教師、研究者ではなく、“年老いた恩師”として、末永く懇親、懇談できればと願っています。

(2023年9月1日記)

阪野 貢/福祉文化・福祉教育・ボランティア活動―NHK社会福祉セミナーより―

NHK社会福祉セミナー
――福祉文化・福祉教育・ボランティア活動――

目 次

(1)児童福祉施設の役割と課題/1997年8月10日放送
(2)家庭福祉と福祉教育/1997年8月17日放送
(3)ボランティアの意義と役割/2001年1月7日放送
(4)福祉教育とボランティア活動/2001年1月21日放送
(5)児童福祉の制度と施設/2001年8月12日放送
(6)家庭福祉の重要性/2001年8月19日放送
(7)福祉教育とボランティア/2001年12月16日放送
(8)福祉ボランティアの意義/2003年3月2日放送
(9)青少年教育と福祉ボランティア/2003年3月16日放送
(10)福祉ボランティアの意義と役割/2004年2月1日放送
(11)福祉教育とボランティア活動/2004年2月15日放送
(12)福祉ボランティア活動とは/2004年12月5日放送
(13)福祉文化と福祉教育/2006年3月19日放送
(14)福祉環境づくりと福祉教育/2007年3月18日放送
(15)福祉文化と福祉教育/2008年3月23日放送
(16)福祉環境づくりと福祉教育/2009年1月4日放送

*   *   *

(1)児童福祉施設の役割と課題
(2)家庭福祉と福祉教育
NHK社会福祉セミナー/1997年8月-11月/1997年8月1日発行









(3)ボランティアの意義と役割
(4)福祉教育とボランティア活動
NHK社会福祉セミナー/2000年12月-2001年3月/2000年12月1日発行









(5)児童福祉の制度と施設
(6)家庭福祉の重要性
NHK社会福祉セミナー/2001年8月-11月/2001年8月1日発行








(7)福祉教育とボランティア
NHK社会福祉セミナー/2001年12月-2002年3月/2001年12月1日発行




(8)福祉ボランティアの意義
(9)青少年教育と福祉ボランティア
NHK社会福祉セミナー/2003年1月-3月/2003年1月1日発行








(10)福祉ボランティアの意義と役割
(11)福祉教育とボランティア活動
NHK社会福祉セミナー/2004年1月-3月/2004年1月1日発行









(12)福祉ボランティア活動とは
NHK社会福祉セミナー/2004年10月-12月/2004年10月1日発行





(13)福祉文化と福祉教育
NHK社会福祉セミナー/2006年1月-3月/2006年1月1日発行





(14)福祉環境づくりと福祉教育
NHK社会福祉セミナー/2007年1月-3月/2007年1月1日発行





(15)福祉文化と福祉教育
NHK社会福祉セミナー/2008年1月-3月/2008年1月1日発行




(16)福祉環境づくりと福祉教育
NHK社会福祉セミナー/2009年1月-3月/2009年1月1日発行