阪野 貢 のすべての投稿

人間の尊厳と存在意義―生の無条件の肯定と豊かに生きるということ―

人間の尊厳と存在意義 ― 生の無条件の肯定と豊かに生きるということ ―


人間の尊厳と存在意義 ― 生の無条件の肯定と豊かに生きるということ ―
人がそれぞれ、 みんなと豊かに生きるためには、「 “ ただ生きる ” ことの保障」と「 “ よく生きる ” ことの実現」、そして「 “ つながりのなかに生きる ” ことの持続」が必要かつ重要となる。

(参照)
阪野 貢/「連帯」再考―馬淵浩二著『連帯論』のワンポイントメモ―/<雑感>(145)/2021年10月10日/本文
阪野 貢/障がい者差別と生の思想:「自分の存在意義を問う」(「“ただ生きる”ことの保障」×「“よく生きる”ことの実現」×「“つながりのなかに生きる”ことの持続」)―野崎泰伸「生の無条件の肯定」思想についての福祉教育的視点からのメモ―/<雑感>(67)/2018年11月3日/本文


「ふくし」「しあわせ」「まちづくり」―ふだんの くらしの しあわせ―

「ふくし」「しあわせ」「まちづくり」―ふだんの  くらしの  しあわせ―



阪野 貢/「社会関係資本」と「関係基盤」:主体形成は地域社会の関係と構造のなかでなされる―荻野亮吾著『地域社会のつくり方』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、荻野亮吾著『地域社会のつくり方―社会関係資本の醸成に向けた教育学からのアプローチ―』(勁草書房、2022年1月。以下[1])という本がある。[1]において荻野はいう。「社会教育は、地域での様々な活動に住民を導く環境を創出することで、地域社会における社会関係を組み替え、この過程で市民の地域社会への意識を醸成するインフォーマルな学習を促す。つまり、社会教育とは、社会関係と市民意識の醸成を通じて、地域社会を常に新たな形に創造し続ける営為である。社会教育が十全に機能することで、地域社会は、その構成員が緩やかに入れ替わりながらも、持続的に地域の課題解決に取り組む共同体として維持される」(6ページ)。この結論を導くために[1]では、社会教育と地域社会の関係をめぐる問題を理論的かつ実証的に考察する([1]は「地域社会のつくり方」のハウツー本ではない)。具体的には例えば、社会教育が社会関係資本の醸成に寄与する実態や、住民の主体形成が、必ずしも住民の「主体性」や「自発性」に基づくものではなく、地域社会の関係のなかでなされていくその過程、あるいは社会教育と地域福祉やまちづくりなどの「隣接領域との対話や交流の可能性」(260ページ、)などを明らかにする。
〇ここでは、[1]のうちから、例によって「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究に留意しながら、荻野の言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

市民の能力形成に関する視点なくして地域社会に関する政策を機能させることは難しい
2000年代以降の社会教育・生涯学習に関する政策をめぐっては、「コミュニティ政策への社会教育・生涯学習の包摂」と、「学校教育の補完へのシフト」という二つの動きがある。(10ページ)/前者は、社会教育や生涯学習が担ってきた地域社会の形成や人材育成の機能に期待をかけ、まちづくりや地域社会に関する政策のなかに、その機能を包摂しようとする動きを指す。(10ページ)/後者は、学校運営協議会制度(コミュニティ・スクール)や学校支援地域本部事業など、学校・家庭・地域の連携・協力の焦点が「地域教育」から「学校支援」に定まってきたことを指す。(28ページ)/これらの政策では、地域社会への過度の期待があり、保護者や地域住民が「責任主体」として組み込まれる。(42ページ)そして、保護者や地域住民は、地域社会の活動や学校の支援の活動に参加する能力や意思を十分に有しているという「市民社会論的前提」(仁平典宏)が置かれている。(7ページ)/また、学校と地域の連携を推進する政策も、「参加」だけでなく「協働」を明確に打ち出すものであり、近年の地域社会には、「参加」よりも「協働」の役割が強く期待されるようになっていると言える。(45ページ)/これらの政策では、参加の背景(家庭や地域のつながりの希薄化や教育力の低下など)や、市民の能力が考慮されないまま、保護者や地域住民への期待が際限なく高まっている点に問題がある。(52ページ)/市民が地域社会に関わるための能力を育むという視点なくして、地域社会に関する政策を機能させることは難しい。(53ページ)

市民の主体形成に関する研究方法を「個体論」的アプローチから「関係論」的アプローチへと切り替える必要がある
社会教育の役割は、「自発性」や「主体性」を育むことで、身近な地域社会や、より大きな社会の変革に向けた市民の「参加」を促すことにある。すなわち、市民の「自発性」や「主体性」が、既存の社会の秩序を組み替えていくうえで重要な役割を果たす。自治の担い手である市民の育成こそが、社会教育における最重要の目標である。市民の参加が、行政の公共サービスの質や量を向上させ、ひいては社会全体をより良くしていく可能性を有している。/しかし、近年では、市民の「自発性」「主体性」を利用することで、地域社会や学校への関わりを促す政策が進められている。ここに暗黙のうちに、「市民社会論的前提」が導入され、市民の主体性の形成の過程が見えにくくなっている。同時に行政組織の再編と地域社会の再編とが、相互に影響を及ぼし合いながら進められることで、市民のノンフォーマル(社会教育等の不定型)な学習や、インフォーマル(家庭教育等の非定型)な学習環境にも大きな変化が生じている。/こうした地域社会をめぐる変化を的確に捉えるには、人々が社会的な活動に関わりを持つきっかけとなる社会関係に注目し、その社会関係が埋め込まれている地域社会の構造に焦点を合わせる必要がある。(79ページ)/すなわち、主体の見方を、内発的な主体性の形成(個人の心理的な変容)を議論の中核に据え、主体を中心に置いて客体との相互作用を描き出す「個体論」的アプローチから、先に社会関係があり、社会関係のなかで事後的に主体と客体が構成されるという「関係論」的アプローチへと切り替える必要がある。(77~78ページ)/つまり、人々がどのような相互関係のなかに埋め込まれ、その関係性からどう影響を受けているのかという関係論的な視点と、その関係性自体がどのように構成されているのかという構造論的な視点によって、理論的枠組みを構築することが重要になる。(79ページ)

個人の社会的ネットワークや地域活動への参加は中間集団という地域の「関係基盤」によって影響を受ける
「関係論」的アプローチすなわち、地域社会の構成を読み解き、社会教育を通じて形成される社会関係の重要性を理解し、社会教育や生涯学習に関する政策が地域の様々な実践を通じて住民の生活にどのような影響を与えてきたかを実証的に明らかにするためには、「社会関係資本」(Social Capital)という視点や概念が有効である。(91ページ)/ここでいう社会関係資本とは、「地域社会における協調行動を可能にする、社会的ネットワークと、そのネットワークに埋め込まれた互酬性の規範や信頼」を指す。(113ページ)また、社会的ネットワークとは、「地域の日常生活のなかで築かれるインフォーマルな個人間あるいは集団間のつながり」を意味する。(114ページ)/そして、社会的ネットワークの基礎をなす考え方やそれを把握するための手段として、(地域の社会関係資本の基礎単位となる)「関係基盤」(97ページ)という概念を援用する。その「関係基盤」の主なものは、地域のさまざまな中間集団(国家・社会と個人の中間に位置する集団)である町内会・自治会などの住民自治組織や地縁組織、協同組合や公益法人、NPO法人などの市民活動団体、趣味やスポーツ、学習のためのサークル・グループなどを想定することができる。(106~108ページ)/こうした「関係基盤」、つまり地域における中間集団の布置は、それぞれの地域で異なる。ここから、各地域社会において「関係基盤」がどのような関係(「重層性」「連結性」)にあり、この「関係基盤」が社会的ネットワークの構成(形成)を経て、住民の地域活動への参加をどのように促しているのかという、社会関係資本の構造的側面を詳細に見ることが、地域社会のつくり方を考えるうえで重要な作業になる。(117ページ)/そしてこれは、地域活動への関わりの過程で形成される、相互の信頼や互酬性の規範の形成といった認知的側面における変化を、インフォーマルな学習の過程として捉えることになる。さらに、社会関係資本の蓄積過程において、行政とりわけ社会教育行政がどのような関わりを持っているかを追究することになる。(115、116ページ)/図1は、こうした地域における社会関係資本(構造的側面と認知的側面)の「実証研究の枠組み」を示したものである。(115ページ)

図1 実証研究の枠組み

公共性のないサークル・グループであってもその活動を通じて社会的ネットワークを形成し社会関係資本の醸成に寄与する
中間集団は、その集団が目的として掲げる活動を行うに留まらず、社会的ネットワークを広げることで、地域での協調行動を促す公共的な役割を担っている。特に、趣味や教養、楽しみとの関連が深いと考えられるサークル・グループへの所属は、地域での話し合いや地域の活動への参加を促し、所属する集団の種類にかかわらず、ネットワークの多様性を増加させる。(136~137ページ)/しかも、中間集団の性質と、形成されるネットワークの性質や地域活動の性格との間に明確な対応関係はない。つまり、明確に公共的な目的を掲げないサークル・グループであっても、その活動を通じて水平的・垂直的な社会的ネットワークを形成し、地域の社会関係資本の形成に寄与することで、公共的な性格を持ち得る。あるいは、団体が掲げている目的と異なる活動があっても、社会的ネットワークが広がるなかで、異なる活動への参加が促される可能性もある。(137ページ)

〇以上のような議論を踏まえて荻野は、2つの事例研究を通して、地域における社会関係資本の醸成過程を明らかにする。長野県飯田市の公民館・分館活動の事例研究と、「学校支援」の枠組みのもとで社会的ネットワークの再構築を果たした大分県佐伯市の事例研究がそれである。そして、それらから得られた知見を踏まえて、「地域社会のつくり方」のポイントを次の4点にまとめる(抜き書きと要約)。

(1)地域社会における人間関係づくりの基礎として「関係基盤」(中間集団)の創出を進めること
住民は、顔の見える距離感で継続的に活動するなかで、相互の関係を紡ぎ、自分たちの活動目的や意義に関する理解を深めている。この意味で、中間集団は、地域のために自発的な協調行動をとれる「良き市民」を徐々に育む基盤になっている。
地域社会をつくるうえで重要なのは、同じ目的を持って中長期的に活動できるような準拠集団が、私たちの身近な場にどの程度存在するかである。各地域社会の状況に応じて、どのような中間集団が必要かを判断する必要がある。(254ページ)
(2)「関係基盤」同士のつながりを紡ぐこと
「関係基盤」の相互連関や布置によって、住民の地域活動への関わりは変化する。社会関係資本論に基づき、関係の基礎にある構造的要素(中間集団への所属、社会的ネットワークの形成、地域活動への関わり)に目を向けることは、「地域社会のつくり方」を考えるうえで重要な視角になる。(254ページ)
同じ集団や異なる集団同士をどうつなぎ合わせていくかということとともに、小さく同質的な集団を、より大きな集団へとつなげていく仕組みや戦略を、地域社会の状況に合わせて立案することも必要になる。(255ページ)
(3)社会関係資本の醸成に向けて時間軸を意識したアプローチを行うこと
社会関係資本の醸成には長期間の投資や関係の蓄積が必要になることを意識し、地域の社会関係資本が摩耗し消滅する前の段階から、中長期的な戦略によって対応することが重要になる。(255ページ)
また、社会関係資本の醸成に向けた戦略を立てる際には、公民館等の社会教育施設を拠点として位置づけることに留まらず、地域社会に存在する様々な資源や社会関係資本の総合的な点検を行い、行政の所管や、研究領域にとらわれない横断的な視点を持って戦略を立案することも重要になる。(256ページ)
(4)社会教育が地域関係資本の醸成に果たす役割を有効に活用すること
地域のネットワークの「結節点」である公民館に職員を配置するとともに、「関係基盤」の創出や組み替えを通じて住民の認知的価値観の変容を間接的に促すことによって、地域社会を動態的に再構成していくことが重要である。
職員には、住民同士の水平的な関係を紡ぐだけでなく、地域社会に変化をもたらす外部の視点を持った関わりや、行政各部署との垂直的な関係を紡ぐことにもその役割を広げていくことが期待される。要するに、地域社会づくりにおける社会教育のアプローチは、各地域社会の状況に応じて「関係基盤」を創出し、「関係基盤」の「結節点」に職員や拠点となる施設をいかに位置づけるかが重要なポイントになる。(256ページ)

〇筆者はかつて、東京都狛江市社協と岐阜県八幡町社協(現・郡上市)の地域福祉活動計画の策定(狛江市社協「あいとぴあ推進計画」1990年3月、八幡町社協「みんなでやらまいか 八まん福祉文化プラン21」2001年3月)と、その計画に基づく福祉教育事業・活動の立案・実施(狛江市社協「あいとぴあカレッジ」1991年5月開講、八幡町社協「福祉文化カレッジ」2003年5月開講」)に関わった。カレッジ開講のねらいはいずれも、まちづくりの担い手を育成することにあり、住民に対してまちづくりのための実践や運動を動機づけるものであった。そして、その学習をひとつの契機に、またその過程を通して社会的ネットワークを広げ、地域福祉活動やボランティア活動へ参加・共働することが期待された。
〇また筆者は、2016年4月から5年間という短い期間ではあったが、地元の老人クラブの運営に関わった。そのうちの1年は、年間を通して「認知症」について学習することを主軸に据え、地域でより豊かに暮らすための「学習」活動に取り組んだ。それは、意図的・目的的にまちづくりの主体形成を図ろうとするものではなかったが、結果的にはいわゆる「事業としての福祉教育」(福祉教育事業)ではなく、「機能としての福祉教育」(福祉教育機能)の取り組みになったと、手前味噌ながら評価している(我田引水的な自己満足でないことを願っている)。荻野がいう「関係論」的アプローチによるものであろうか。そしてまた、老人クラブ活動を通して、「地域参加や地域活動で重要なのは『楽しさ』と『自由』、そして『仲間』である」という教訓を得ている。
〇それらのことを思い出しながら筆者はいま、[1]の議論から、老人クラブはそのあり様によって、具体的には活動プログラムのねらいや内容・方法などによって地域のネットワークの結節点となり、社会関係資本の醸成を支える「関係基盤」(中間集団)として一定の機能を果たすことが期待されると思っている。しかしその現実は厳しいものがある。全国的に老人クラブの数や会員数が減少の一途をたどっている現状とその背景や要因を考えると、また荻野が指摘するように個人の行動の「自由」を制限する各地域の「しがらみ」(社会関係資本の「負の側面」、177~178ページ)や、「付き合い」や「お互い様」という感覚によって維持される積極的ではない地域活動(「遠慮がちな社会関係資本」、180ページ)を考えると、なおさらのことである。同じようなことが、市町村社協の事業・活動に参加する住民の意識や行動に見出される。それが、「社協の位置が絶対的に地盤沈下している」と評される、いまの社協の姿でもある。誤解を恐れずに、[1]の読後感のひとつとして付記しておくことにする。
〇厚生省と全社協が1977年度より「学童・生徒のボランティア活動普及事業」(通称「社会協力校」事業)を始め、都道府県や市町村による単独指定事業も加わり、学校を中心にした福祉教育実践は全国各地に拡大、定着していった。宮城県(1980年)や秋田県(1981年)、長野県(1983年)では、福祉教育の地域住民への広がりを求めて公民館を福祉教育推進施設として指定し、社協と学校と公民館との連携のもとに地域福祉教育の推進が図られた。時代が変わり・世代が代わり、今は昔‥‥‥なのであろうか。

書籍目録

【 書籍目録:Book Catalog 】

◆市民福祉教育研究所(ブログ)開設10周年記念◆
Commemorating the 10th anniversary of the Institute for Citizen Welfare Education


※(10)『福祉教育の探究』⇒ 全編


※(9)『福祉教育・ボランティア学習の新機軸』全編


※(8)『福祉教育・ボランティア学習と教育支援・教育協働』全編


※(7)『〔増補〕地域福祉実践の神髄』全編


※(6)『福祉教育実践の基礎 』全編


※(5)『過疎化SDGs・社会システム(仕組み)の力/ダイジェスト版』全編
※(4)『過疎化SDGs・社会システム(仕組み)の力/本編』全編


※(3)『まちづくりと教育づくり、周辺領域からのアプローチ 』全編
※(2)『日本社会・まちづくり・教育づくり』 ⇒ 全編
※(1)『まちづくりと市民福祉教育 』全編文

阪野 貢/スライド一覧―ひとつの基本的理念とアプローチ―

【 スライド一覧:Slide List 】

◆ひとつの基本的理念とアプローチ◆
One Basic Philosophy and Approach


人間の尊厳と存在意義 ― 生の無条件の肯定と豊かに生きるということ ―
人がそれぞれ、 みんなと豊かに生きるためには、「 “ ただ生きる ” ことの保障」と「 “ よく生きる ” ことの実現」、そして「 “ つながりのなかに生きる ” ことの持続」が必要かつ重要となる。

(参照)
阪野 貢/「連帯」再考―馬淵浩二著『連帯論』のワンポイントメモ―/<雑感>(145)/2021年10月10日/本文
阪野 貢/障がい者差別と生の思想:「自分の存在意義を問う」(「“ただ生きる”ことの保障」×「“よく生きる”ことの実現」×「“つながりのなかに生きる”ことの持続」)―野崎泰伸「生の無条件の肯定」思想についての福祉教育的視点からのメモ―/<雑感>(67)/2018年11月3日/本文


「豊かさ」を獲得・実現するための条件―発達保障と生活保障―
生活の「豊かさ」は、安全で安心して快適に暮らせる日常の家庭・地域生活のなかにある。その「豊かさ」を獲得・実現するためには、およそ次のような条件が必要となろう。

(参照)

阪野 貢/「対話」考―暉峻淑子著『対話する社会へ』読後メモ―/<雑感>(50)/2017年7月23日/本文


「ふつう」に暮らすこと―その功罪―


(参照)
阪野 貢/「ふつう」別考―深澤直人著『ふつう』と佐野洋子著『ふつうがえらい』等のワンポイントメモ―/<雑感>(122)/2020年10月30日/本文
阪野 貢/「ふつう」を捨てて「わがまま」を言うこと―富永京子著『みんなの「わがまま」入門』読後メモ―/<雑感>(93)/2019年9月1日/本文


障がい者差別の諸相―障がい者は「役に立たない」という烙印―

(参照)
阪野 貢/言葉とフレーズと福祉教育 :福祉教育は障がい者から感動や勇気をもらい、自分を演じるための教育的営為か? ―荒井裕樹を読む―/<雑感>(144)/2021年9月19日/本文


ボランティア学習―日本青年奉仕協会研究室等―

(参照)
長沼 豊『新しいボランティア学習の創造』ミネルヴァ書房、2008年12月、145~146ページ。


ボランティア―それは生活であり、権利である―

(参照)
高島 巌『子どもは本来すばらしいのだ』誠信書房、1963年1月。
阪野 貢/高島巌先生と木谷宜弘先生のこと:木谷宜弘「学校における福祉教育を考える―5つの柱―」(1979年10月)―資料紹介―/<ディスカッションルーム>(59)/2016年4月19日/本文


主権者教育・シティズンシップ教育・政治リテラシー教育


(参照)
阪野 貢/「主権者教育」「シティズンシップ教育」の一環としての「市民福祉教育」を考えるために―新藤宗幸著『「主権者教育」を問う』再読メモ―/<雑感>(151)/2022年4月16日/本文
阪野 貢/「政治リテラシー」考:啓蒙主義的主権者教育と保守主義的主権者教育、市民性教育と国民性教育―関口正司編『政治リテラシーを考える』のワンポイントメモ―/<雑感>(209)/2024年7月1日/本文
阪野 貢/追補/憲法上の国民:主権者・有権者・市民について考える―駒村圭吾著『主権者を疑う』のワンポイントメモ―/<雑感>(187)/2023年9月16日/本文


福祉と教育、福祉教育と教育福祉―辻 浩の「地域づくりと教育福祉」論に学ぶ―

(参照)
阪野 貢/辻浩の「福祉と教育」による「地域づくり」を読む―辻浩著『現代教育福祉論』等のワンポイントメモ―/<雑感>(212)/2024年8月1日/本文
辻浩/私の「社会教育」実践と研究―地域と福祉と学校をつなぐ「社会教育」研究のこれまでとこれから―/2024年8月3日/本文


学校教育・サービスラーニング・福祉教育―中央教育審議会答申等―

(参照)
原田正樹/地域の課題に取り組む―サービスラーニングを理解する―/<原田正樹の福祉教育論>アーカイブ(2)講演録(1)/2021年3月2日/本文
上野谷加代子・原田正樹監修『新 福祉教育実践ハンドブック』全社協、2014年3月、114~121ページ。


ICFの視点と福祉教育―ICFの構成要素間の相互作用―

(参照)
阪野 貢『Lecture Notes  地域福祉・まちづくり・市民福祉教育』市民福祉教育研究所、2021年7月、8~10ページ。


ユネスコ学習権宣言/サラマンカ宣言/ハンブルグ宣言
ユネスコ学習権宣言

<ユネスコ「学習権宣言」(抜粋)「第4回国際成人教育会議」(フランス・パリ)1985年3月採択。国民教育研究所 訳>


サラマンカ宣言 ― インクルーシブ教育 ―

<ユネスコ「サラマンカ宣言」(抜粋)「特別ニーズ教育世界会議:アクセスと質」(スペイン・サラマンカ)1994年6月採択。国立特別支援教育総合研究所 訳>


ハンブルグ宣言 ― 成人学習 ―

<ユネスコ「成人学習に関するハンブルグ宣言」(抜粋)「第5回国際成人教育会議」(ドイツ・ハンブルグ)1997年7月採択。三宅隆史 訳>


社会福祉法/教育基本法/社会教育法
社会福祉法

<「社会福祉法」は、1951年3月に制定された「社会福祉事業法」の名称と内容が改正され、2000年5月に公布・施行された。>


教育基本法

<「教育基本法」は、1947年3月に制定された「(旧)教育基本法」が全面的に改正され、2006年12月に公布・施行された。>


社会教育法

<「社会教育法」は、1949年6月に公布・施行された。>


阪野 貢/「自己責任論」を問う:責任は肯定的なものであり、個人の主体性を取り戻す ―ヤシャ・モンク著『自己責任の時代』のワンポイントメモ―

〇吉田竜平(北星学園大学)によると、社会福祉研究領域において自己責任論を問いなおすための課題には次のようなものがある。①自己責任とそうでないとされる境界の設定、②自己責任でなく不運な状況にある人々がスティグマを感じることなく福祉サービスを利用するための方法の模索、③責任概念自体の捉えなおしと公的責任の拡大、④他者の共感の広がりと全ての「個」が他者から承認される社会についての議論の深化、がそれである(参考文献 ①)。
〇筆者(阪野)の手もとに、ヤシャ・モンク著、那須耕介・栗村亜寿香訳『自己責任の時代―その先に構想する、支えあう福祉国家―』(みすず書房、2019年11月。以下[1])という本がある。[1]においてモンクは「まず、政治における自己責任論の興隆を跡づけ、それが社会保障制度に弱者のあら探しを強いてきた過程を検討する。次に、被害者に鞭打つ行為をやめさせたい善意の責任否定論が、皮肉にも自己責任論と同じ論理を前提にしていると指摘する。そしてどちらの議論も的を外していることを明らかにし、責任とは懲罰的なものではなく、肯定的なものでありうる」(カバーそで)と説く。
〇別言すればこうである。かつて「責任」という言葉は、他者を助ける個人の義務を意味するものとして使われてきた。現在ではそれが変容し、「責任」という概念を議論する際、人びとの選択の結果(「自己選択」「自己決定」)に対して責任を負う「結果責任」(「懲罰的自己責任論」)が強調されている。それに対して、先天的あるいは構造的な要因などを除いて、純粋な結果責任のみを追求すべきであるという「責任否定論」がある。それらの主張は、結局のところ、自己選択の結果に関しては程度の差はあれ、責任を取らなければならないという前提から脱してはいない。そこで、責任の肯定的な部分を再発見し、肯定的な責任概念(「肯定的責任像」)を再興すること、すなわち「多くの人が責任を果たそうとしている理由を認め、かれらの引き受けた責任の達成を実際に援助するような責任観」(148ページ)が必要となる。それは、人びとに、「主体性」を取り戻すことでもある(参考文献 ②)。
〇上述の吉田の指摘に留意しながら、[1]におけるモンクの「自己責任論」の論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

責任像の変容―「他者への責任」から「自己責任」へ―
かつて責任という言葉は他者を助ける個人の義務のことを思い起こさせたものだが、今日では、自分で自分の面倒をみる責任――そしてそれを怠ったときにはその結果を引き受ける責任――のことが真っ先に思い浮かぶ。(中略)我々は「義務としての責任 responsibility-as-duty」〔他者への責任〕というとらえ方が優勢だった世界から、「結果責任としての責任 responsibility-as-accountability」〔自己責任〕という新たなとらえ方が舞台を支配する世界に移ったのである。責任そのものが人目を引くようになったことではなく、この変容した責任像が優位を占めていることこそが、責任の枠組みと責任の時代の両方をまとめて特徴づけているのである。(29~30ページ)

懲罰的責任論と責任否定論の論理
一見、懲罰的責任像と責任否定論とは正反対の立場のように思える。しかし、特定の問題について見解を対立させつつ、より深層の知的勢力図の分布を共有している者たちにはよくあることだが、その表面下にはおびただしい類似点が潜んでいる。適切な帰責条件については動かしがたい不一致が残るものの、責任の規範的重要性については、両者は驚くほど見方を一致させているのである。相違を声高に言いつのっておきながら、両派は次の点についてひそかに合意を交わしている。ある人の取り分が他の同胞市民よりも少ないこと、あるいは現に援助を要する状況にあることに関しては、当人がみずから招いたことかどうかによって、当人がどの程度補償を正当に要求できるのかが決まる、という点である(懲罰的責任論は、外的な環境や要因などによる、本人の責任ではないものについて懲罰的な責任を負わせることには反対するが、当人が制御することができたにもかかわらず自分が招いた結果については責任を負うべきであるとする。:筆者)。(18~19ページ)

肯定的な責任観の再興
責任の時代は、我々の政治的想像力を狭め、公共政策と現代哲学のどちらにも深刻な盲点を作ってきた。これへの主たる反発――筆者が責任否定論と呼んできたもの――も、ほぼ空振りに終わった。それは抗(あらが)うべき相手と同じ知的潮流に属しており、結局のところ理論的説得力も実践的効果もなかったのである。したがって、政治的にも哲学的にも、いまこそ肯定的な責任観を発展させるべき時だ。多くの人が責任を果たそうとしている理由を認め、かれらの引き受けた責任の達成を実際に援助するような責任観が必要なのである。(148ページ)/今日では、(中略)責任は結果責任の問題に置き換えられ、たえず懲罰的な仕打ちをちらつかせるようになった。/したがって、肯定的な責任観――個人が遂行し、社会が促進すべきものとしての責任のとらえ方――の再興をはかるには、我々の責任理解を広げる必要があるだろう。(149ページ)

肯定的な責任観の重要性
(肯定的な責任観が重要なのは)①自己への責任、自己志向的理由/自己への責任を負うことを通して、自分自身の生活に対して真の主体性の感覚をもつことができることによる(28、150ページ)。②他者への責任、他者志向的理由/他者への責任を果たすことを通して、一定の社会的役割や役目を引き受けることができ、その役割に伴う責任が自分にとってたいへん有意義だという思い(アイデンティティ)を形成することができることによる(28、159ページ)。③他者を責任ある存在と考えること、社会的理由/他者を、自分の行動への責任を負いうる存在とみなすことを通して、他者との有意義な関係を築くことができることによる(28、163ページ)。

自己志向的責任と主体性の獲得(上記①)
自分の生活を制御している感覚、すなわち主体性の感覚を求める願望は、少なくとも三つの形をとりうる。第一に、我々は一定の範囲で自分の生を実際に制御することを望んでいるはずである。第二に、我々は自分が自己への責任を果たしていると感じることを必要としているはずである。そして第三に、我々は自己への責任を果たしていると周囲からみなされることを必要としているはずである。(150~151ページ)/これと関連して、人が自己への責任を重んじる理由として、人は、自分の主体性を通じて最も基本的な欲求と欲望にかなう未来をわずかなりとも手にできる、という確信を必要としていることがあげられる。(157ページ)

他者志向的責任とアイデンティティの構成(上記②)
他者への責任を果たすことは、多くの人の生活のなかで役割を果たしていることである。他者への責任を果たすには多種多様なやり方がある。友人や家族に思いやりをもって接するという単純な行為から深い満足を得る人もいる。一定の社会的役割、配偶者や親、ペットの飼主としての役目を引き受けようとする決意する人もいるが、そこにはこれらの役割に伴う責任が自分にとってたいへん有意義だという思いがはたらいている。(159ページ)/個別の「企て project」に向けられた責任もまた、我々が他者に負う責任としては大切である。(162ページ)/(これらの)他者に対する責務、自分の家族への責務やみずから引き受けた企てへの責務は、人びとのアイデンティティを構成する。(172ページ)

社会的理由と関係性の構築(上記③)
他者を責任ある存在と考えることが重要である理由は、一つは、他者と有意義な関係を築くには、相手のことを自分の行動に責任を負える存在だと考える必要があるからである。第二の理由は、責任主体性の相互承認は、あらゆる平等主義的社会の成立条件でもあるからである。真に平等主義的な社会のねらいは、単に人びとに同程度の物質的資産を所有させることだけではなく、完全な市民としての対等な地位を互いに認めさせることでもある。この地位が致命的に損なわれるのは、一部の市民には完全な責任主体性が認められ、他方には認められない、という事態が生じた場合のことである。(164ページ)

肯定的責任像の概念
懲罰的責任像および責任否定論とは対照的に、肯定的責任像はこう主張する。(183ページ)/(1)一般に、特定の行動に責任が生じるのは、その行動が犯意mens reaという伝統的な要件を満たしている場合である。特定の行為について責任を負うには、自分自身の行動を一定範囲で制御できなければならず、たとえば条件反射的な行動であってはならない。(183ページ)/(2)特定の帰結の発生を促した行動に責任があるという事実があるからといって、その人にその帰結全体への責任があることにはならない。また、その帰結への責任の範囲は、どんなに単純化しても、その人の行動がその帰結の原因だったか否かに関する実証主義的説明に左右されることはない。(184ページ)/(3)誰かが特定の帰結について責任があるということを確定した後も、引き続き、そのことについてその人に結果責任をも負わせるべきかという問題が残る。特に、困窮状態にある人が自業自得でそのような状態に陥ったという事実があったからといって、即座にこの人への援助を否定すべきだということにはならない。(184ページ)

公共政策における肯定的責任像
責任像を懲罰的で前制度的なものから肯定的で制度的なものに切り替えると、公共政策の中心課題に関する理解を少なくとも次の三点で更新することになる。いくらか逆説的だが、そうすれば実際に意味ある仕方で責任を論じる方法を詳述できるようになるのである。非理想的な状況では、責任を負うことの意義を強調すること――そして各人の選んだ責任によって意味づけられた多くの生きがいをめぐる言説を流布させること――は、一般の市民の主体性を強化するプラグマテックな方法でありうる。同時にそれは、人に自分の責任遂行への誘因を与える鞭(むち)にばかり目を向ける傾向を克服し、人が望む責任を果たせるようになるための物質的、教育上の前提条件を整える政策設計を支える。そして最後に、それは福祉国家の官僚たちの努力を喚起して、かれらを、(片方が得点・利益するともう一方が失点・損失し、プラスマイナスゼロになる:阪野)ゼロサム・ゲームをとり仕切る懲罰的裁定者から協働的企てに関与する建設的パートナーへと変貌させうるのである。(202ページ)

「自己責任の時代」の克服
我々の選択次第で、我々は自己責任の時代を乗り越えることができる。(210ページ)/自己責任の時代の克服に必須の要素の一つは、責任の観念が求められている理由と、この概念にもっと前向きの色彩をもたせる方法とについて再考することである。(211ページ)/自己責任の時代を乗り越えるために必要なもう一つの作業は、我々の道徳的、政治的生活を別の長く忘れられてきた価値の言葉でとらえなおすことである。(211ページ)

〇限定的であるが、以上を要すると、①責任は懲罰的なものではなく、肯定的な意味を持つ(責任は、個人がそれを負い、それを社会が促進・支援すべきものである)。②懲罰的責任論と責任否定論は、結果責任について同じ論理(責任の規範的重要性)を前提にしている。③人は責任を負うことによって主体性を取り戻す(確保する)ことができ、自己責任の否定は個人の主体性を否定することに通じる。④他者への責任を果たすことは、一定の社会的役割や役目を果たすことになり、アイデンティティを育む。⑤他者を責任ある存在として認めること(責任主体の相互承認)は、他者と有意義な協働的な関係を築き、平等主義的社会の成立を促す。⑥責任を肯定的に展望するためには、責任を引き受けることを促すのではなく、責任を負う能力を養う物質的・教育的基盤を整備することが肝要となる。⑦こうした新しい責任について、その概念を社会的に周知させる方法について考えるとともに、新しい価値観に基づいて再考することが必要である、となろう。
〇価値観や社会課題が多様化・複雑化している現代社会にあって、ある結果の原因を一義的に個人に帰したり、本人の能力や努力の不足あるいは選択の失敗によって生じた結果を自業自得としてその責任を個人に押し付けることは、ほぼ不可能である。そこに求められるのは、自己責任の限界についての理解と認識である。とともに、自己責任ではなく、相互信頼と相互責任(社会的責任)を生み出す社会の構築であり、そのための物質的・教育的基盤の整備である。さらに付言すれば、自己責任を強いる自己決定ではなく、相互責任に繋がる相互決定の尊重であろう。しかもそれは、理性的・民主主義的な討議に依ることは言うまでもない。例によって唐突であるが、これらは「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究にも通底する。

参考文献
① 吉田竜平「自己責任論を問い直す―運の平等主義の視点から―」『北星学園大学社会福祉学部 北星論集』第59号、北星学園大学、2022年3月、61~73ページ。
② 有吉永介「ヤシャ・モンク『自己責任の時代』再考」『立教大学大学院教育学研究集録』第20号、立教大学大学院文学研究科教育学専攻、2023年3月、31~38ページ。

阪野 貢/夢の正体とキャリア教育の功罪 ―児美川孝一郎著『夢があふれる社会に希望はあるか』のワンポイントメモ―

「夢」に取扱説明書を付けることはできない(下記[1]169ページ)。/「夢」とは、個人の生き方、理想や価値観に深くかかわることがらである。だから、安易なマニュアルはない。同時に、「夢」は、それぞれの個人が、自分なりの方針や考え方、大切にしたいことを携えて、付き合っていくものである。(同、169~170ページ)

日本社会は、キャリア教育のような営みも含めて、子どもや若者が「夢を持つ」ことに過剰な価値を置き、それをあおり、称揚する社会である(下記[1]178ページ)。/「夢追い型」キャリア教育には、夢とは「見つけるもの」であり、努力すれば「見つかるもの」でもあるという(実際には根拠のない)前提がある。夢は時間の経過とともに変わるものであり、いろいろと挑戦しながら「育てるもの」でもある(同、86ページ抜き書き)

〇筆者(阪野)の手もとに、「キャリア教育」研究で著名な児美川孝一郎(こみかわ・こういちろう)が上梓した『夢があふれる社会に希望はあるか』(ベスト新書、KKベストセラーズ、2016年4月。以下[1])という本がある。
〇キャリア教育という言葉が明確に使われたのは、1999年12月の中央教育審議会答申「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」であるとされる。そこでは、「学校と社会及び学校間の円滑な接続を図るためのキャリア教育(望ましい職業観・勤労観及び職業に関する知識や技能を身に付けさせるとともに、自己の個性を理解し、主体的に進路を選択する能力・態度を育てる教育)を小学校段階から発達段階に応じて実施する必要がある」とされた。2004年1月には、文部科学省から「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書~児童生徒一人一人の勤労観,職業観を育てるために~の骨子」が出され、それに基づいてキャリア教育が本格的に始動することになる。2004年が「キャリア教育元年」といわれる所以である。その報告書では、キャリアを「個々人が生涯にわたって遂行する様々な立場や役割の連鎖及びその過程における自己と働くこととの関係付けや価値付けの累積」として捉えている。そして、キャリア教育を「児童生徒一人一人のキャリア発達を支援し,それぞれにふさわしいキャリアを形成していくために必要な意欲・態度や能力を育てる教育」、端的にいえば「児童生徒一人一人の勤労観,職業観を育てる教育」と定義づけている。
〇この時期、キャリア教育で育成すべき能力に関して、例えば国立教育政策研究所生徒指導研究センターが「職業的(進路)発達にかかわる諸能力」(「4領域8能力」)について、2002年11月に公表した(「児童生徒の職業観・勤労観を育む教育の推進について(調査研究報告書)」)。その後、中央教育審議会が「基礎的・汎用的能力」について、2011年1月に提示した(「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について(答申)」)。「基礎的・汎用的能力」は、「4領域8能力」を補強・再構成し、より一層現実に即した、社会的・職業的自立に必要な能力の育成を図ろうとしたものである。前者(「4領域8能力」)は、①人間関係形成能力(自他の理解能力、コミュニケーション能力)、②情報活用能力(情報収集・探索能力、職業理解能力)、③将来設計能力(役割把握・認識能力、計画実行能力)、④意思決定能力(選択能力、課題解決能力)で構成されている。後者(「基礎的・汎用的能力」)は、①人間関係形成・社会形成能力、②自己理解・自己管理能力、③課題対応能力、④キャリアプランニング能力によって構成されている。
〇キャリア教育の経緯について児美川は、概略次のようにいう。高度経済成長期(1955年~1973年頃)における画一主義的な日本の教育は1980年代に、「個性」重視の教育に急転換した。それによって、子どもや若者が自分を軸にして自分の「夢(やりたいこと)」を探す、「自分さがし」という考え方や価値観が普及する。1990年代になると、バブル景気(1981年~1991年頃)の崩壊(1991年~1993年頃)と経済不況が長期化する(「失われた30年」の)なかで、若者の就職難や非正規雇用が拡大した。「就職氷河期」(1993年~2005年頃)の到来である。2000年代に入ると競争原理と自己責任を基本とする新自由主義の推進と徹底が(小泉・安倍・菅政権によって)図られ、格差と分断の社会が若者の就労問題を深刻化させる。しかも、その原因が若者の意識や意欲、能力の問題にすり替えられ、「若者バッシング」の風潮が強化される。そこに政策化されたのが財界の求めに応じたキャリア教育の推進である。こうして、「1980年代の『夢』を賞賛する社会的風潮は、90年代以降における『夢を持て』という政治家や企業経営者たちのメッセージを経て、子どもや若者に『夢』を持たせることを教育の目的とする段階にまで到達する」(74ページ)。
〇そしていま、人口減少や少子高齢化、経済のグローバル化やデジタル化などを背景に、「国際競争に打ち勝つ」ための社会経済システムの構築が求められている。そういうなかで、政府・財界にあっては、個性や創造性豊かな質の高い、前向きでチャレンジ精神旺盛な、グローバル人材の育成(エリート教育)が喫緊の課題とされる。そこで、財界の教育要求に基づいたキャリア教育が重視され、キャリア教育政策の推進(小・中・高等学校を見通した、かつ学校の教育活動全体を通じたキャリア教育の充実)が図られることになる。〔補遺(1)参照〕
〇児美川にあっては、キャリア教育は子どもや若者に夢を持たせること、夢を追わせることを教育の目的とする政策である。児美川がいうこの「夢追い型」(80ページ)のキャリア教育が、「夢を強迫する社会」(61ページ)の基盤を整備することになる。ここで、[1]のなかから、「夢の正体とキャリア教育の功罪」に関するフレーズのいくつかを、限定的・恣意的であることを承知のうえで、メモっておくことにする(抜き書きと要約)。

● 夢は、人を前向きにさせる破壊的な威力があると同時に、時には人の人生を狂わせてしまうかもしれないようなやっかいさを持がゆえに、「怪物くん」である。(13ページ)
● 夢は「出会い頭の恋」のようなものなのではないか。その恋心をじっくり温めて、ふくらませていくこともできるが、逆に、いつのまにか忘れてしまうこともできる。(18ページ)
● 夢は、人を熱中させ、前のめりにさせることができるが、反面、その人にとって、ありえたかもしれない他の可能性に対して盲目にさせ、選択肢を狭めてしまう力も持っている。(22~23ページ)
● 日本における雇用の仕組みは、「就職(=職に就く)」ではなくて「就社(=会社に入る)」という仕組みになっている。「就社」社会の現実と、現実のキャリア教育のあいだには、抜き差しならないズレ(齟齬)がある。(44、89ページ)
● 「就きたい職業」「やりたい仕事」という意味での夢を持っている子どもや若者は、実際には年齢が上がるにつれて少なくなり、同世代の半数程度にとどまる。(45ページ)
● 夢は固定的で動かないものではなく、育ったり、育てたりできるものであり、夢と現実が交差する地点でどう振る舞うかが大事になる。(55、56ページ)
● キャリア教育は、概ね①自己理解、②職業理解、③キャリアプランの作成の3つのジャンルから構成されていた。キャリア教育の主要なジャンルに、「夢(やりたいこと)」が登場していることが注目される(77、80ページ)
● 夢には、①「実現したいこと」、②「将来やりたい仕事」「自分が就きたい仕事」、③「仕事を通じて達成したいこと」、④「なりたい自分」など、多様な意味がある。(107~109ページ)
● 夢の正体をつかむためには、夢の側を掘り下げる(=夢の世界の現実や周辺を知る)ことと、自分の側を掘り下げる(=自分の夢の根っこ・根拠を探る)ことが必要になる。(128ページ)
● 夢を考えていく際の「軸」には、自分本位の基準で夢を抱く「自分軸」と、社会参加・社会貢献の側面から夢を発想する「社会軸」の2つがある。(128~129ページ)
● キャリア教育は、「やりたいこと(希望、願望)」「やれること(能力、適性)」「やるべきこと(社会参加、社会貢献)」の3つの視点から考えることが肝要である。(132~134ページ)
● キャリア研究では、明確な目標を立て、そこに到達するために「逆算」して、計画化に努力していくという考え方(「キャリア・プランニング」論)ではなく、偶然のチャンスを生かして、上手に転換を図りながら自分のキャリアを歩んでいくという考え方(「計画的な偶発性(プランド・ハプンスタンス)」の理論)が主流となっている。(136~137ページ)
●「夢と向き合う」ということは、自分自身の「願望」や「理想」と、「現実」をどう擦り合わせ、どのように折り合いを付けるかという問題である。(145~146ページ)
● 夢が見つからないときには、意識的に「自分の枠」(興味や関心、能力や資質)を広げることが肝要となる。(149~150ページ)
● キャリア研究の世界では、近年、職業や仕事というキャリア(人生、生き方)に限らず、それと並行して別のキャリアを持つという「パラレル・キャリア」の考え方が注目されている。(167ページ)

〇[1]のタイトルは、「夢をあおる」現在の日本社会に抗するものであり、刺激的で挑発的である。児美川の主張(メッセージ)は要するにこうである。夢(希望、願望、理想)は育てるものである。夢は、その持ち主である自分自身が上手く付き合い、マネジメントし、現実と折り合いをつけていくしかないものである(自己実現)。その一方で夢は、「その社会を映し出す鏡にほかならない」(178ページ)。そこで、求められる社会は、「夢を強迫する社会」ではなく、「等身大の、ありのままの自分が認められ、でも、少し背伸びすることを求め、励ます社会」(182ページ)である。すなわち夢は、独(ひと)りよがりのものではなく、市民社会や共生社会のなかで育まれるものであり、その社会への参加・貢献を軸にして考える必要がある。キャリア教育の本来の役割は、子どや若者が社会参加・社会貢献するための力量形成を図ることにある(93ページ)。キャリア形成やキャリア教育の意義はここにある。さらに、筆者なりにあえて言えば、キャリア教育はシティズンシップ教育としてのそのあり方が問われることになる。
〇最後に参考までに、ハンナ・アーレント(Hannah Arendt、1906年~1975年、ドイツ出身の政治哲学者)の、人間の生活(「活動的生活(vita activa)」を規定する3つの条件(「活動力」)――「労働(labor)」「仕事(work)」「活動(action)」に関する言説を引いておく(ハンナ・アレント、 志水速雄訳『人間の条件』ちくま学芸文庫、1994年10月)。アーレントがいう「労働」は「人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力」(19ページ)、すなわち生命を維持するための生物学的な行為、「仕事」は「人間存在の非自然性に対応する活動力」(19ページ)、すなわち工作物を製作する職人的な行為、「活動」は「物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行なわれる唯一の活動力」(20ページ)、すなわち多くの他者に働きかける公共的(政治的)な行為、である。さらに筆者なりに別言すれば、労働=カネを得るための生産的な活動力、仕事=モノ(作品)を生み出す創造的な活動力、活動=ヒトと関わる公共的(政治的)な活動力、である。
〇アーレントにあっては、近代社会はキリスト教に依って「労働」が優位な社会となり、「仕事」と「活動」の領域が狭められ、それが最終的には全体主義を生み出した。その全体主義に対抗するためには、公共的な問題について議論する公共空間を創り出すこと(多様な個性を持つ多数の他者と積極的に関わる「活動」の領域)が重要となる。それはすなわち、マルクス主義が「仕事」を含んだ「労働」のなかに人間性の本質を見出そうとしたのに対して、アーレントは「活動」に最も重要な「人間の条件」を見出したのである。今日、社会や世論などに影響を及ぼすソーシャルメディアや検索エンジンなどによってもたらされる、20世紀の全体主義とは異なるいわゆる「デジタル全体主義」の台頭が指摘されている。そんななかで、アーレントの「公共性」をめぐる言説が、市民社会や参加民主主義、地域活動などについて議論する際にもしばしば引用される所以でもある。
 
 
補遺
現行の「小・中・高等学校学習指導要領」では、「キャリア教育」に関して次のように記載されている。

小学校学習指導要領(2017年3月告示、2020年4月から全面実施)
第1章 総則/第4 児童の発達の支援/1 児童の発達を支える指導の充実
(3) 児童が、学ぶことと自己の将来とのつながりを見通しながら、社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる資質・能力を身に付けていくことができるよう、特別活動を要としつつ各教科等の特質に応じて、キャリア教育の充実を図ること。

中学校学習指導要領(2017年3月告、2021年4月から全面実施)
第1章 総則/第4 生徒の発達の支援/1 生徒の発達を支える指導の充実
(3) 生徒が、学ぶことと自己の将来とのつながりを見通しながら、社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる資質・能力を身に付けていくことができるよう、特別活動を要としつつ各教科等の特質に応じて、キャリア教育の充実を図ること。その中で、生徒が自らの生き方を考え主体的に進路を選択することができるよう、学校の教育活動全体を通じ、組織的かつ計画的な進路指導を行うこと。

高等学校学習指導要領(2018年3月告示、2022年4月から年次進行で実施)
第1章 総則/第1款 高等学校教育の基本と教育課程の役割
4    学校においては、地域や学校の実態等に応じて、就業やボランティアに関わる体験的な学習の指導を適切に行うようにし、勤労の尊さや創造することの喜びを体得させ、望ましい勤労観、職業観の育成や社会奉仕の精神の涵養に資するものとする。
第2款 教育課程の編成/3 教育課程の編成における共通的事項/(7)キャリア教育及び職業教育に関して配慮すべき事項
ア 学校においては、第5款の1に示すキャリア教育及び職業教育を推進するために、生徒の特性や進路、学校や地域の実態等を考慮し、地域や産業界等との連携を図り、産業現場等における長期間の実習を取り入れるなどの就業体験活動の機会を積極的に設けるとともに、地域や産業界等の人々の協力を積極的に得るよう配慮するものとする。
第5款 生徒の発達の支援/1 生徒の発達を支える指導の充実
(3) 生徒が、学ぶことと自己の将来とのつながりを見通しながら、社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる資質・能力を身に付けていくことができるよう、特別活動を要としつつ各教科・科目等の特質 に応じて、キャリア教育の充実を図ること。その中で、生徒が自己の在り方生き方を考え主体的に進路を選択することができるよう、学校の教育活動全体を通じ、組織的かつ計画的な進路指導を行うこと。

老爺心お節介情報/第46号(2023年6月2日)

「老爺心お節介情報」第46号

「老爺心お節介情報」を送ります。
ご自愛の上、ご活躍下さい。

2023年6月2日   大橋 謙策

< 90日間の禁酒、5月29日に解禁 >

〇皆さんお変わりありませんか。
〇私の方は、2月28日から重粒子線治療のために禁酒生活でしたが、5月29日の診察で、前立腺がん腫瘍マーカーも0・065になり、無事解禁の許可が出ました。その晩のビール、日本酒での晩酌のうまいこと、やはりお酒はいいですね。

Ⅰ 市町村単位での、子育ち、子育ての健全育成システムの構築が重要――久徳重和著『人間形成障害』と岡田尊司著『発達障害「グレーゾーン」その正しい理解と克服法』及び成田奈緒子著『「発達障害」と間違われる子どもたち』を読んで

〇1947年に制定された児童福祉法は、すべての子どもの健全育成対策と何らかの支援を必要としている要保護児童対策が法律に盛り込まれている。
〇児童福祉法が制定された当時は、戦前の富国強兵に向けた“産めよ増やせよ”の時代の名残りもあり、世帯当たりの子どもの数も多く(ベビーブームの時期)、かつ近隣の社会関係も豊かにあり、子ども自身もインフォーマルな遊びの中で豊かに育っていた時代であったにも関わらず、児童福祉法で児童健全育成の必要性を打ち出していた。
〇そこでは、子ども会活動、青少年委員による多様な学校外の社会活動があり、都市化が騒がれる1970年代には各地で児童館、学童保育の設置がすすめられてきた。
〇それは、どちらかといえば、児童福祉行政もさることながら、社会教育行政によって推進されてきたという面があったこと否めない。
〇私自身、1970年代に書いた論文で、それら地域での児童の子育ち・子育てに関わる健全育成政策に関し、学校外教育の組織化として考え、論文を書いてきた。
〇しかし、一方で、1970年ころには子ども・青年の発達の歪みが明らかになり、私自身、社会関係を持てない“さあ別に族”や“まあね族”の登場を指摘し、要保護児童ではない子ども・青年の発達保障の必要性を指摘してきた。
〇それは、オオカミ少女アマラ・カマラやオオカミ少年ヴィクトールほどの極端な例ではないにしても、家庭での子育て機能がぜい弱化し、その機能を社会化しなければ大きな問題になることを指摘してきた。それは、ジョン・デューイの教育論、宮原誠一の教育論の改めての見直しの必要性をのべたものであった。
〇それは、1978年に上梓された久徳重盛著『人間形成障害病』のご子息である久徳重和著『人間形成障害』祥伝社)や岡田尊司著『発達障害「グレーゾーン」その正しい理解と克服法』(SB新書)、成田奈緒子著『「発達障害」と間違われる子どもたち』(青春新書)でも指摘していることと同じである。
〇発達障害の“グレーゾーン”の子ども・青年を要保護児童として位置づけ、療育の対象と考えるよりも、それらの現象、事象が生活様式や生活リズムを変えることにより改善されていること、うらを返せばそれらの現象、事象は“日常生活における無意識な中での人間形成に由来している“ということをきちんと押さえておく必要があるのではないか。
〇人間の成育を“社会実験”するわけにはいかないが、それらの現象、事象は生活様式、生活のリズムの崩壊がもたらしたものと考えることが重要ではないか。
〇そうだとすると、現象、事象の喧嘩に対し、要保護児童対策として対症療法的に政策を考えても、個別問題を解決できても、また同じような個別問題が創出されるということになり、全体としての問題解決にはならない。
〇市町村を基盤に、子育ち、子育ての新しい文化を児童健全育成として構築し、そのシステム化を市町村に展開することが喫緊の課題ではないのだろうか。
〇現在取り組まれている子ども政策は、どこかこの健全育成のシステム化、学校外教育の組織化の問題は失念されているように思われてならない。

Ⅱ 健診とがん告知・その ④

〇新型コロナウイルス感染症の影響のマイナス面は大きいものがあるが、私にとってはある意味、従来の行動パターンを見直す機会にもなったし、事実上研修などが控えられたことで自分の時間が持てるようになった。
〇その所為もあって、前立腺がん治療も滞りなく進捗したし、ついでというのもおかしいが、以前より気になっていた耳鼻咽喉科の検査、眼科の検査も受診しようと考えることができた。
〇結果は、耳鼻咽喉科では補聴器を6月2日より試用的に装用することになり、眼科では10年ぶりの診察で、白内障が進んでいることが明らかになり、8月3日と9月7日に白内障の手術を受けることになった。
〇79歳の年に、眼科、耳鼻咽喉科、泌尿器科の診察でクリニック通いが目白押しであり、以前から通っている歯科を加えると、まるで毎日がクリニック通いになってしまった。
〇しかし、これらの“人間改造”も、80歳台を楽しく生きる準備だと前向きにとらえ、一つ一つの経験が興味深く、楽しみながらクリニック通いをしている。
〇昔の人は、実に人間観察が鋭かったのだと最近つくづく思っている。私も、頬の筋肉がたるんできたのか、“瘤取り爺さん”の様相を呈し始めてきており、毎朝洗顔時に顔の筋肉のトレーニングをしているが、残念ながら“瘤取り爺さん”の様相は変えられない。
〇歯肉が痩せ、上顎の犬歯が飛び出す“鬼の形相”にもなってきたのも昔の人の観察と同じである。
〇そのような加齢に伴う顔の形状変化に加えての白内障手術、補聴器装用、前立腺がんと全く自然には逆らえないことを実感する日々である。せめて、足の筋力が落ちないようにと、ひたすら歩いて、体力維持を試みるしかない。

〇前立腺前立腺がんの重粒子線治療後の経過診察が、神奈川県立がんセンターで術後3か月の2023年5月29日に行われた。
〇前立腺腫瘍マーカであるPSA数値は、0・065なので、これはゼロにならなくていいのかと医師に聞くと、なってもならなくても変わらないというので、それは前立腺がんが消滅したことを意味するのかと問うとそうだと理解していいという。
〇お酒は飲んでいいのかと問うとこれもいいという答え。温泉はどうかと質問するとそれも問題ないという。
〇前立腺がんに伴う重粒子線治療で、禁忌になったのは、洪文部を圧迫するために自転車に乗ることを禁止されただけになる。
〇医師の診察を受け、自分としては“準快気祝い”だと考えて、5月29日、お酒を飲む。缶ビールと日本酒を飲んだが、やはり美味しい。
〇10年前の第2回目の四国歩きお遍路の時は、40日間禁酒をした。結願した後の徳島市で、仲間とお酒を飲んだが、その時はビールがまずく、酒席を早々に引き上げた。今回は90日間の禁酒期間であったが、ビールもお酒も美味しかった。
〇この違いは何かと考えてみたがよくわからない。四国お遍路の時は、体重が74キロから68キロまで落ち、体脂肪率も18であったのに比し、今回は禁酒前が72キロ、解禁日が71キロ、体脂肪率が20ということの違いかなと思ったりする。
〇今後は、神奈川県立がんセンターには3か月ごとに通いか、郵送で重粒子線治療を進めた日本医科大学多摩永山病院の3か月ごとの血液検査結果を報告するだけになる。基本は日本医科大学多摩永山病院で3か月ごとの診察とホルモン注射を受けることになる。服薬しているホルモン療法の錠剤は毎日1錠、2024年6月末まで続けることになる。

(2023年6月2日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)中の「大橋謙策の福祉教育論」に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。
そこにはまた、3回の「四国歩きお遍路紀行」と「熊野古道(中辺路・伊勢路)紀行」も収録されています。

大橋謙策/地域福祉研究者の「研究者文化」と日本地域福祉研究所の設立目的―理事長の退任に際して―

2023年5月20日に大正大学で行われた日本地域福祉研究所の理事会、総会で、日本地域福祉研究所の理事長を退任することが認められました。
1994年12月23日に、日本地域福祉研究所を設立し、2000年1月にNPO法人格を取得し、理事長を担ってきましたが、30年目の節目の年に後進に道を委ねます。
地域福祉研究者の皆様、社会福祉協議会関係者の皆様には、長年に亘り、日本地域福祉研究所及び理事長である私を支えてくださり、衷心より厚く感謝とお礼を申し上げます。理事長は替わりますが、今後とも日本地域福祉研究所へのご支援、ご鞭撻を心よりお願い申し上げます。(2023年5月21日記)

地域福祉研究者の「研究者文化」と日本地域福祉研究所の設立目的

〇日本地域福祉研究所は1994年12月23日に設立されました。日本社会事業大学大学院修士課程を修了した人を中心に設立しました。元東京都社会福祉協議会職員で、静岡英和大学、静岡福祉大学で教員をされた青山登志夫さん等が尽力してくれて、日本地域福祉研究所の設立ができました。
〇日本地域福祉研究所設立に際し、私は4つの設立目的を考えました。
〇第1は、新しい社会福祉の考え方である「地域福祉」の哲学、理念、実践の在り方などに関する「地域福祉」の普及・啓発でした。
〇筆者は、地域福祉実践・研究を市町村社会福祉協議会を基盤に確立しようと考えて、取り組んで来ましたが、日本の社会福祉学界では、“私のような研究領域、研究方法は社会福祉プロパーでない”と厳しい批判を受けてきました。それらの意見との戦いも含めて、「地域福祉」の考え方の普及と啓発が必要だと考えました。そのことが、従来のコミュニティオーガニゼーション、コミュニティワークに代えてコミュニティソーシャルワークという提唱になります。また、同じように福祉教育を軸とした地域福祉の主体形成理論の提唱も行ってきました。
〇第2には、地域福祉実践の向上に向けた各種研修と実践者の組織化です。
〇筆者は、全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」の講師を長らく務め、社会福祉協議会職員の研修の重要性を痛感していました。
〇その全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」が修了したこともあり、その代替機能を担えればと思いました。一時は、通信制の研修システムの構築も考えました(当時は、今ほどICTの発展・普及がない中での紙媒体による通信制を考えていました。いまなら、ICTを使ってできるかもしれません)。
〇その代わりというわけではありませんが、年1回「地域福祉実践研究セミナー」を日本地域福祉研究所が「関係人口」として深く関わり、その地域の実践にある意味影響力を持っている地域で、その地域の実践をフィールドに学習するセミナーを開催しようと考えました。名称も、“地域福祉実践セミナー”でもないし、”地域福祉研究セミナー“でもなく、「地域福祉実践研究セミナー」としたのも、実践と研究の循環を考えたからです。
〇1995年5月に島根県邑南郡瑞穂町で行われた「山野草を食べる会」に呼ばれた際に、当時の瑞穂町社会福祉協議会の日高政恵事務局長にお願いし、1995年8月に第1回を開催したのが始まりです。
〇筆者自身の瑞穂町との関りは、1981年に当時の島根県社会福祉協議会の山本直治常務理事、松徳女学院高校の山本壽子教諭の紹介で訪問したのが最初で、その後瑞穂町の福祉教育、地域づくりの支援に関わってきました(『安らぎの田舎の道標』大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著、万葉舎、2000年8月参照)。
〇第3は、地域福祉実践の記録化と出版化です。
〇筆者は、日本社会事業大学大学院で博士課程を修了し、博士の学位を取得した人にはその博士論文を単著として、刊行し、世の評価を受けるべきだと考えてきました。
〇当時、中央法規出版にお願いしました。できれば中央法規出版が全国の大学の社会福祉系の博士論文を刊行するシリーズを作ってくれればありがたいという思いも含めてお願いしました。日本社会事業大学で博士の学位を授与された野川とも江さん、田中英樹さん、宮城孝さんの博士論文は刊行されました。その後は、出版事情の悪化などもあり頓挫してしまいました。
〇これは、当時の日本社会事業大学の伝統に倣ったものです。当時の日本社会事業大学では、40歳で単著を刊行するのが、教授に昇格する基準でした。私も必死だったことが思いだされます。
〇また、当時は、出版される本の背表紙に著者であれ、監修であれ、名前が明記されるのは、ある意味研究者のステイタスシンボルでもありました。私の恩師は、そのような機会を若手に作り、論文をかくことを奨励してくれました。
〇そのような“伝統”を引き継ぎたいと考えて、博士論文の出版化を推奨してきました。
〇と同時に、日本地域福祉研究所が関わることで、全国各地の実践が向上するならば、その実践を記録化し、できれば刊行したいと考えました。研究所の設立に何かとご支援、ご協力してくれた東洋堂企画出版社(のちに、万葉舎と改名)の尾関とよ子社長(尾関社長との間を取り持ってくれたのは、1970年からのお付き合いがある手嶋喜美子元板橋区区議会議長さんである)が、この考え方に賛同してくれて、出版事情が悪くなってきている中でも、日本地域福祉研究所が関わった実践を出版化してくれました(この件は、「老爺心お節介情報」の第44号の「関係人口」の中で紹介しているので参照してください)。
〇第4は、地域福祉実践・研究者の育成の機会の提供です。
〇筆者は、地域福祉研究者は、自分のフィールドを持ち、その地域と深く関わりながら、その実践を体系化、理論化することが肝要で、“空理空論”を振りましても地域福祉実践・研究にならないと考えてきました。だからこそ、市町村自治体の地域福祉計画を作る場合でも、タスクゴールだけ華やかに、かっこよく作っても、それが具現化されなければ駄目だと考え、住民の意識変容と参加を促すプロセスゴールと地域関係者の社会福祉に関わる力学を変えるリレーションシップゴールの重要性と必要性を考え、実践してきました。
〇そのようなフィールドを持てる研究者に育てるためには、私自身が関わるフィールドに同道して学んでもらうとか、フィールドを提供して実習なり、その地域へのコンサルテーションを行う能力を身に着けてもらうことが必要だと考えてきました。
〇私自身、恩師の“カバン持ち”で、随分と全国の実践現場に連れて行ってもらいましたし、恩師の名刺に“大橋を頼む”という一筆を書いてもらって、恩師が紹介するフィールドに出かけたものです。
〇そんなこともあり、大学院生や若手の研究者にフィールドをもってもらいたくて、いろいろチャンスを提供してきました。成功した場合の方が多いのですが、失敗したことも多々あります。若い頃は、ついつい“自分ひとりで偉くなったつもり、自分は豊かな能力があると過信しがち“で、私の教えが頭に入らず、生意気な言動をとって、実質的に”退室“せざるを得ない人もありました。
〇第5は、日本地域福祉研究所で長らく地域福祉実践に貢献された方々の“たまり場”、拠り所としての「福祉サロン」の機能を持つことでした。
〇全社協の事務局長された永田幹夫先生や三浦文夫先生をはじめとして、社会福祉協議会の第一線で頑張ってこられた方々や地域福祉研究者の「福祉サロン」ができれば、ノンフォーマルな学習の場が機能できると考えました。日本地域福祉研究所の事務室とは別の階のフロアーを借り、冷蔵庫等を整備して、「土曜福祉サロン」などの開催も試みました。現役の方は忙しいけれど、たまには集い、定年退職された方はサロンに来るのを楽しみ、若手に自分の実践を話してくれれば、それが地域福祉実践研究の向上につながると“夢”見ました。
〇このような目的を考えて設立した日本地域福祉研究所ですが、どれだけその目的が達成されたかは、関係者の皆様の評価に委ねることにします。
〇ところで、このような日本地域福祉研究所設立の目的を考えたのは、筆者を育んでくれた「研究者文化」があったからです。
〇日本の大学の教育研究システムは、大きく分けて講座制と学科目制があります。講座制は主任教授、助教授、講師、助教等複数の教育研究スタッフがいて、いわばチームで教育研究を行うシステムです。それに比し、学科目制は、開講されている授業科目を担当する教員が個別学科目毎に配属されているシステムで、研究というより、授業を行う教育に比重があるシステムです。
〇現在の社会福祉系大学は学科目制で教育研究が行われています。したがって、教員がチームで仕事をするとか、大学ごと、講座制の教室毎の「研究者文化」というものを構築することが難しいシステムで、教員個々人が独立した状況で教育研究を行います。大学院を出て、助教、講師という若手も一人前の教員、研究者であり、長年教育・研究に携わってきたベテランの教員とも対等であり、結果として若手の時から“自立している”とみなされるので、ベテランの先生方から「研究者文化」を伝授されるという機会がほとんどない状況です。
〇私の場合には、幸か不幸か、旧制大学で学んだ先生方から教えをうけたので、この「研究者文化」というものを色濃く受けています。妻に言わせれば、それほどまでにしなくてもいいのではないかと揶揄されるほど、“先生の言動、論理展開、先生の社会活動”に“憧れ”、学び、時には“盗み”、身に着けてきました。日本地域福祉研究所の設立の目的は、そのような経緯の中で育てられた私が“行うべき責務、任務”だと学び、受け継ぎ、実践してきたものです。
〇日本地域福祉研究所を維持することは、所員になってくれた方々の会費だけでは賄いきれません。日本地域福祉研究所の理事になってくれた方々には寄付をお願いしました。また、日本地域福祉研究所自身、全国の自治体、社会福祉協議会の研修や計画策定業務の委託を受けて経営努力もしてきました。しかしながら、それでもとても経営は厳しく、私自身も毎年100万円以上の寄付を続けてきました。したがって、私の寄付金の累計は30年間で3000万円を超しています。そのような行動をとれたのは、恩師が“講演や研修で頂いた謝金は自分の懐に入れるな、自分の生活費に使うな”と強調していたからです。それらのお金は、実践で働いている方々や社会に還元しろと口を酸っぱくするほど言い募っていました。そんな「研究者文化」を長年叩き込まれてきましたのでできたことです。
〇このような「研究者文化」がいいかどうかは分かりません。しかしながら、現在の社会福祉系大学の教員、地域福祉研究者の言動をみていると、このような「研究者文化」ともいえる文化を身に着け、行動している人がほとんど見られないことはなんとも淋しい限りです。このような状況の下では、実践と研究のよき循環が衰退し、実践力もぜい弱化し、研究者の質も下がるという“悪循環”に陥らないか危惧しています。

老爺心お節介情報/第45号(2023年5月21日)

「老爺心お節介情報」第45号

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第45号をお届けします。
どうぞご自由にお使いください。

2023年5月21日   大橋 謙策

< 日本地域福祉研究所の理事長退任 >

〇2023年5月20日に大正大学で行われた日本地域福祉研究所の理事会、総会で、日本地域福祉研究所の理事長を退任することが認められました。
〇1994年12月23日に、日本地域福祉研究所を設立し、2000年1月にNPO法人格を取得し、理事長を担ってきましたが、30年目の節目の年に後進に道を委ねます。
〇今回の改選で、理事等が大幅に若返りました。70歳以上の理事は基本的に退任(『コミュニティソーシャルワーク』の編集担当の田中英樹理事は重任)し、若いフレッシュな人が理事に選任されました。同時に、特任理事、客員研究員、主任研究員等の選任も行われました。この特任理事、客員研究員、主任研究員についても、若返りを図る必要がありますが、それは次期理事会で検討することになりました。
〇新体制の理事会は、6月1日に行われ、互選で理事長などを選びますが、現時点では法政大学現代福祉学部教授、当研究所の副理事長の宮城孝先生が選任される見込みです。
〇地域福祉研究者の皆様、社会福祉協議会関係者の皆様には、長年に亘り、日本地域福祉研究所及び理事長である私を支えてくださり、衷心より厚く感謝とお礼を申し上げます。理事長は替わりますが、今後とも日本地域福祉研究所へのご支援、ご鞭撻を心よりお願い申し上げます。(2023年5月21日記)

Ⅰ 地域福祉研究者の「研究者文化」と日本地域福祉研究所の設立目的

〇日本地域福祉研究所は1994年12月23日に設立されました。日本社会事業大学大学院修士課程を修了した人を中心に設立しました。元東京都社会福祉協議会職員で、静岡英和大学、静岡福祉大学で教員をされた青山登志夫さん等が尽力してくれて、日本地域福祉研究所の設立ができました。
〇日本地域福祉研究所設立に際し、私は4つの設立目的を考えました。
〇第1は、新しい社会福祉の考え方である「地域福祉」の哲学、理念、実践の在り方などに関する「地域福祉」の普及・啓発でした。
〇筆者は、地域福祉実践・研究を市町村社会福祉協議会を基盤に確立しようと考えて、取り組んで来ましたが、日本の社会福祉学界では、“私のような研究領域、研究方法は社会福祉プロパーでない”と厳しい批判を受けてきました。それらの意見との戦いも含めて、「地域福祉」の考え方の普及と啓発が必要だと考えました。そのことが、従来のコミュニティオーガニゼーション、コミュニティワークに代えてコミュニティソーシャルワークという提唱になります。また、同じように福祉教育を軸とした地域福祉の主体形成理論の提唱も行ってきました。
〇第2には、地域福祉実践の向上に向けた各種研修と実践者の組織化です。
〇筆者は、全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」の講師を長らく務め、社会福祉協議会職員の研修の重要性を痛感していました。
〇その全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」が修了したこともあり、その代替機能を担えればと思いました。一時は、通信制の研修システムの構築も考えました(当時は、今ほどICTの発展・普及がない中での紙媒体による通信制を考えていました。いまなら、ICTを使ってできるかもしれません)。
〇その代わりというわけではありませんが、年1回「地域福祉実践研究セミナー」を日本地域福祉研究所が「関係人口」として深く関わり、その地域の実践にある意味影響力を持っている地域で、その地域の実践をフィールドに学習するセミナーを開催しようと考えました。名称も、“地域福祉実践セミナー”でもないし、”地域福祉研究セミナー“でもなく、「地域福祉実践研究セミナー」としたのも、実践と研究の循環を考えたからです。
〇1995年5月に島根県邑南郡瑞穂町で行われた「山野草を食べる会」に呼ばれた際に、当時の瑞穂町社会福祉協議会の日高政恵事務局長にお願いし、1995年8月に第1回を開催したのが始まりです。
〇筆者自身の瑞穂町との関りは、1981年に当時の島根県社会福祉協議会の山本直治常務理事、松徳女学院高校の山本壽子教諭の紹介で訪問したのが最初で、その後瑞穂町の福祉教育、地域づくりの支援に関わってきました(『安らぎの田舎の道標』大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著、万葉舎、2000年8月参照)。
〇第3は、地域福祉実践の記録化と出版化です。
〇筆者は、日本社会事業大学大学院で博士課程を修了し、博士の学位を取得した人にはその博士論文を単著として、刊行し、世の評価を受けるべきだと考えてきました。
〇当時、中央法規出版にお願いしました。できれば中央法規出版が全国の大学の社会福祉系の博士論文を刊行するシリーズを作ってくれればありがたいという思いも含めてお願いしました。日本社会事業大学で博士の学位を授与された野川とも江さん、田中英樹さん、宮城孝さんの博士論文は刊行されました。その後は、出版事情の悪化などもあり頓挫してしまいました。
〇これは、当時の日本社会事業大学の伝統に倣ったものです。当時の日本社会事業大学では、40歳で単著を刊行するのが、教授に昇格する基準でした。私も必死だったことが思いだされます。
〇また、当時は、出版される本の背表紙に著者であれ、監修であれ、名前が明記されるのは、ある意味研究者のステイタスシンボルでもありました。私の恩師は、そのような機会を若手に作り、論文をかくことを奨励してくれました。
〇そのような“伝統”を引き継ぎたいと考えて、博士論文の出版化を推奨してきました。
〇と同時に、日本地域福祉研究所が関わることで、全国各地の実践が向上するならば、その実践を記録化し、できれば刊行したいと考えました。研究所の設立に何かとご支援、ご協力してくれた東洋堂企画出版社(のちに、万葉舎と改名)の尾関とよ子社長(尾関社長との間を取り持ってくれたのは、1970年からのお付き合いがある手嶋喜美子元板橋区区議会議長さんである)が、この考え方に賛同してくれて、出版事情が悪くなってきている中でも、日本地域福祉研究所が関わった実践を出版化してくれました(この件は、「老爺心お節介情報」の第44号の「関係人口」の中で紹介しているので参照してください)。
〇第4は、地域福祉実践・研究者の育成の機会の提供です。
〇筆者は、地域福祉研究者は、自分のフィールドを持ち、その地域と深く関わりながら、その実践を体系化、理論化することが肝要で、“空理空論”を振りましても地域福祉実践・研究にならないと考えてきました。だからこそ、市町村自治体の地域福祉計画を作る場合でも、タスクゴールだけ華やかに、かっこよく作っても、それが具現化されなければ駄目だと考え、住民の意識変容と参加を促すプロセスゴールと地域関係者の社会福祉に関わる力学を変えるリレーションシップゴールの重要性と必要性を考え、実践してきました。
〇そのようなフィールドを持てる研究者に育てるためには、私自身が関わるフィールドに同道して学んでもらうとか、フィールドを提供して実習なり、その地域へのコンサルテーションを行う能力を身に着けてもらうことが必要だと考えてきました。
〇私自身、恩師の“カバン持ち”で、随分と全国の実践現場に連れて行ってもらいましたし、恩師の名刺に“大橋を頼む”という一筆を書いてもらって、恩師が紹介するフィールドに出かけたものです。
〇そんなこともあり、大学院生や若手の研究者にフィールドをもってもらいたくて、いろいろチャンスを提供してきました。成功した場合の方が多いのですが、失敗したことも多々あります。若い頃は、ついつい“自分ひとりで偉くなったつもり、自分は豊かな能力があると過信しがち“で、私の教えが頭に入らず、生意気な言動をとって、実質的に”退室“せざるを得ない人もありました。
〇第5は、日本地域福祉研究所で長らく地域福祉実践に貢献された方々の“たまり場”、拠り所としての「福祉サロン」の機能を持つことでした。
〇全社協の事務局長された永田幹夫先生や三浦文夫先生をはじめとして、社会福祉協議会の第一線で頑張ってこられた方々や地域福祉研究者の「福祉サロン」ができれば、ノンフォーマルな学習の場が機能できると考えました。日本地域福祉研究所の事務室とは別の階のフロアーを借り、冷蔵庫等を整備して、「土曜福祉サロン」などの開催も試みました。現役の方は忙しいけれど、たまには集い、定年退職された方はサロンに来るのを楽しみ、若手に自分の実践を話してくれれば、それが地域福祉実践研究の向上につながると“夢”見ました。
〇このような目的を考えて設立した日本地域福祉研究所ですが、どれだけその目的が達成されたかは、関係者の皆様の評価に委ねることにします。
〇ところで、このような日本地域福祉研究所設立の目的を考えたのは、筆者を育んでくれた「研究者文化」があったからです。
〇日本の大学の教育研究システムは、大きく分けて講座制と学科目制があります。講座制は主任教授、助教授、講師、助教等複数の教育研究スタッフがいて、いわばチームで教育研究を行うシステムです。それに比し、学科目制は、開講されている授業科目を担当する教員が個別学科目毎に配属されているシステムで、研究というより、授業を行う教育に比重があるシステムです。
〇現在の社会福祉系大学は学科目制で教育研究が行われています。したがって、教員がチームで仕事をするとか、大学ごと、講座制の教室毎の「研究者文化」というものを構築することが難しいシステムで、教員個々人が独立した状況で教育研究を行います。大学院を出て、助教、講師という若手も一人前の教員、研究者であり、長年教育・研究に携わってきたベテランの教員とも対等であり、結果として若手の時から“自立している”とみなされるので、ベテランの先生方から「研究者文化」を伝授されるという機会がほとんどない状況です。
〇私の場合には、幸か不幸か、旧制大学で学んだ先生方から教えをうけたので、この「研究者文化」というものを色濃く受けています。妻に言わせれば、それほどまでにしなくてもいいのではないかと揶揄されるほど、“先生の言動、論理展開、先生の社会活動”に“憧れ”、学び、時には“盗み”、身に着けてきました。日本地域福祉研究所の設立の目的は、そのような経緯の中で育てられた私が“行うべき責務、任務”だと学び、受け継ぎ、実践してきたものです。
〇日本地域福祉研究所を維持することは、所員になってくれた方々の会費だけでは賄いきれません。日本地域福祉研究所の理事になってくれた方々には寄付をお願いしました。また、日本地域福祉研究所自身、全国の自治体、社会福祉協議会の研修や計画策定業務の委託を受けて経営努力もしてきました。しかしながら、それでもとても経営は厳しく、私自身も毎年100万円以上の寄付を続けてきました。したがって、私の寄付金の累計は30年間で3000万円を超しています。そのような行動をとれたのは、恩師が“講演や研修で頂いた謝金は自分の懐に入れるな、自分の生活費に使うな”と強調していたからです。それらのお金は、実践で働いている方々や社会に還元しろと口を酸っぱくするほど言い募っていました。そんな「研究者文化」を長年叩き込まれてきましたのでできたことです。
〇このような「研究者文化」がいいかどうかは分かりません。しかしながら、現在の社会福祉系大学の教員、地域福祉研究者の言動をみていると、このような「研究者文化」ともいえる文化を身に着け、行動している人がほとんど見られないことはなんとも淋しい限りです。このような状況の下では、実践と研究のよき循環が衰退し、実践力もぜい弱化し、研究者の質も下がるという“悪循環”に陥らないか危惧しています。

(2023年5月21日記)