阪野 貢 のすべての投稿

阪野 貢/3.5%(?)の「市民的抵抗」:新しい形の政治参加と社会変革 ―エリカ・チェノウェス著『市民的抵抗』のワンポイントメモ―

ここに「3.5%」という数字がある。なんの数字かわかるだろうか。ハーヴァード大学の政治学者エリカ・チェノウェスらの研究によると、「3.5%」の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると、社会が大きく変わるというのである。(斎藤幸平『人新生の「資本論」』集英社新書、2020年9月、362ページ)

〇筆者(阪野)の手もとに、エリカ・チェノウェス著、小林綾子訳『市民的抵抗―非暴力が社会を変える―』(白水社、2023年1月。以下[1])という本がある。「非暴力行動は弱い、受け身の行動である。もつとも速く解放に至るのにもっとも頼りになるのは暴力だ。非暴力抵抗は行き過ぎた不正義に対しては無理があり効果もない」などといった、「非暴力に対する迷信や批判」がある(22~23ページ)。そんななかで[1]は、「非暴力が社会を変える」と説く。
〇[1]は、非暴力による「市民的抵抗」の基礎的・基本的な事項について事例に基づいて紹介する。その際、「歴史や理論から最新情報まで網羅し、市民的抵抗を多角的に考察し」(354ページ)、その可能性を展望する。そこでは、「市民的抵抗」とは、「非武装の民衆がさまざまな活動を組み合わせながらおこなう闘争の形態である」(61ページ)と定義する。そして、ある国のすべての人口の「3.5%」が非暴力で立ち上がれば社会は変わる、という「3.5%ルール」(仮説)を提唱する。チェノウェスはいう。「1900年から2019年の間に、非暴力革命は50パーセント以上が成功した一方で、暴力革命の成功率は26パーセントにとどまる。/これは驚くべき数字である。なぜなら、この数字は、非暴力は弱々しく効果も乏しいが、暴力行為は強力で効果的だという、一般的な見方をひっくり返す数字だからだ」(43~44ページ)。
〇その一方で、チェノウェスは、市民的抵抗の成功率は、2010年以降低下している、としてこういう。「市民的抵抗キャンペーンは、1940年代の低いところから、2010年まで、10年ごとに安定して効果を高めていた。それ以降、すべての革命の成功率は、低下している」(316ページ)。その原因や背景については、現代の政府が「下からの非暴力的挑戦について学習し、適応している」ことがあげられる。すなわち、国家が「運動の中に入り込み、運動を内部から分裂させ」(「スマートな抑圧」)たり、そうすることによって、政府側が「非暴力運動が暴力などもっと軍事的戦術を使うよう仕向ける(運動を過激な方向に進める)」(318ページ)のである。留意すべき点(指摘)である。
〇[1]におけるチェノウェスの主張は、次の5点に要約される。(1)市民的抵抗は、多くの場合、暴力的抵抗よりも現実的・効果的な方法である。(2)市民的抵抗がうまくいくのは、敵方の支持基盤から離反を生み出すことによってである。(3)市民的抵抗は、ストライキや代替機構の構築など、単なる抗議以上のものを含む。(4)市民的抵抗は、過去百年にわたって、武装抵抗よりもはるかに効果的であった。(5)非暴力抵抗は常に成功するわけではないが、市民的抵抗を非難する者たちが考えるよりも、はるかにうまくいく(347ページ)。すなわちこれである。
〇ここでは、[1]のうちから、「市民的抵抗とは何か」と「市民的抵抗キャンペーンを効果的にする要素(条件)」(「市民的抵抗が成功する条件」)の2つの事項について、チェノウェスの言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。一部見出しは筆者)。

市民的抵抗とは何か
● 市民的抵抗とは、政治的、社会的、経済的な現状を打破しようとする目的で、暴力を用いる、あるいはちらつかせる者に対して、暴力を用いずに、暴力をちらつかせたりせずにおこなう集団行動様式である。市民的抵抗は、手段と目的において、組織立っており、民衆によるものであり、明確に非暴力である。(27ページ)
● 市民的抵抗は、動的な紛争の方法であり、非武装の人びとが、さまざまに調整された、非制度的な方法――ストライキ、抗議、デモ、ボイコット、代替機構構築、その他たくさんの戦術――を用いて、敵に危害を加えたり、危害を加えるぞと脅したりせずに、変化を促すことを目的とする。(28ページ)
● (市民的抵抗は、次のような要素を含むアプローチ・行動である。)
第1に、市民的抵抗は紛争の方法である――人びとあるいは運動が、政治的、社会的、経済的あるいは道徳的な主張をおこなうために、動的に立ち向かう技術である。市民的抵抗は、積極的に紛争を惹起するもので、混乱を招いたり、現状を打破したり、別のものと替えたり、変革したりするために、力を集結させる。(29ページ)
第2に、市民的抵抗を仕掛けるのは、敵に直接危害を加えることがない非武装の市民である。変化をもたらそうとする人びとは、自分たちの創造性や独創性を武器に戦う一般市民であり――さまざまな社会的、経済的、文化的、政治的な梃子(てこ)の力を働かせて――自分たちのコミュニティや社会に影響を及ぼそうという目的を持っている。(29ページ)
第3に、市民的抵抗は多様な一連の方法を組み合わせることを含む。この戦いのアプローチでは、意図的に、事前の話し合いをもとに、目的を持ってさまざまな方法が駆使される――たとえば、ストライキ、抗議、怠業、欠勤、占拠、非協力、それから経済、政治、社会の代替機構の開発などをつうじて下からの力や下からの梃子を構築するのである。人びとが道路上で抗議をしているからというだけでは、市民的抵抗をおこなっているとはいえない。(30ページ)
最後に、市民的抵抗の目標は、現状に影響を及ぼすことである。市民的抵抗は、広い社会の中での変化――しばしば革命的な変化――を求める傾向がある。市民的抵抗は、民衆やそこに住む市民といった属性を兼ね備えている傾向があり、複数の集団や連合が手を取り合って活動し、政治、経済、社会、宗教、または道徳的慣行や懸念事項についてまとまった声を上げる――より大きな集団を代表して。(31~32ページ)
● 市民的抵抗とは何かを確認する上で、市民的抵抗ではないことは何かを理解することは有益だろう。
第1に、市民的抵抗は、抗議のような、たったひとつの技術を用いることではない。市民的抵抗は、多数の異なる非暴力の技術(中略)を含むもので、これらを意図的に相次いで発生させ、長期政権を追放しようとする。こうした技術には組織と調整が必要であることが暗に示されている。(32ページ)
第2に、市民的抵抗は必ずしも平和的な紛争解決の話ではない。本来的な意味では、市民的抵抗は建設的に紛争を促進する。(33ページ)
第3に、市民的抵抗は、非暴力的アプローチを用いるが、必ずしも非暴力とイコールではない。(中略)規律立った非暴力は、道徳的理由から暴力の行使を禁止する。同じように、穏健主義(反戦・反暴力主義)は、暴力の行使を無条件に拒むという規律的立場を取り、暴力を道徳に欠けた行為だとみる。(34ページ)

市民的抵抗キャンペーンを効果的にする要素(条件)
キャンペーン(闘争、運動)は、限定的な期間、人びとを動員し、一連の調整された方法を用いて個別の目的を達成しようとする。(中略)これらはたとえばストライキ、抗議、座り込み、ボイコット、その他の非協力の形態を取る混乱をもたらす方法である――これらは党への参加、選挙への立候補、請願といった、政治的あるいは経済的関与をおこなうための制度内にある通常の方法の枠外にある。(116ページ)
(市民的抵抗キャンペーンを成功させる要素(条件)として、次の4つをあげることができる。)
(1)あらゆる社会的地位から集まる大衆の参加(大規模な参加)
市民的抵抗キャンペーンの成功を決定的に左右するもっとも重要な要素は、参加する人びとの規模と範囲である。キャンペーン参加者の基盤が大きく多様なほど、より成功する傾向にある。大衆の参加によって、真の意味で現状を打破でき、続いてきた抑圧を維持することができないように変化させ、敵の組織やしばしば治安部隊も含む支持者の離反を促し、権力保持者の選択肢を狭める。大規模キャンペーンを無視することは政治的に不可能になる。(134~135ページ)
(2)政権支持者の忠誠心を変化させること(忠誠心の変容)
市民的抵抗がうまくいくのは、下からの十分な力を誘発すること、つまり、草の根の市民社会が権力保持者の計画や政策を実行・施行する責任者たちを本質的に分裂させたり、抱き込むことによってである。(中略)この要素は、敵側の支柱にいる人びとに忠誠心の変化を促す抵抗運動の能力である。/この能力を獲得するためには、抵抗キャンペーンが多くの異なるコミュニティから支持を得ている必要がある。(中略)支持者の幅が広くなるほど、その運動は社会のあらゆる立場を代表し、多様な場に影響を及ぼすようになる。(137ページ)
(3)デモに限らず幅広い戦術を用いること(多様な戦術)
さまざまな戦術を駆使する運動は、抗議活動やデモなど、ひとつの方法に頼りすぎる運動よりも成功する傾向にある。新しく、予想もしない戦術を生み出す上で、多くの人的資本をうまく活用できる非暴力キャンペーンは、予想可能で戦術的に面白みがない運動よりも、活動の勢いを維持することに長けている。抵抗運動の規模がとりわけ大きな場合には、他の方法で圧力をかけられる限り、路上での活動から退くことも可能なのだ。(140ページ)
(4)抑圧を前にしても規律と強靭さを保つこと(規律と強靭さ)
運動は、とどまる力を培うと成功する傾向にある。つまり、強靭(きょうじん)さを養い、規律を保ち、政府が暴力的に壊しにかかってきても大衆の参加を保持できることを意味する。もっとも重要な点は、組織性を維持することである。政権側が何をぶつけてきても――暴力で仕返しをするのでも、暴力に反応し退こうと散り散りになるのでもなく。これを達成できる運動は、たいていはっきりとした組織構造を有する。(141ページ)なお、「抑圧」とは、政府や政府関係機関が、強制力を使って相手の行動に影響を及ぼす場合を指す。(262ページ)

〇チェノウェスの「3.5%ルール」は、世界中の耳目を集めた言葉(仮説)である。チェノウェスがいう「3.5%ルール」とは、「運動の観察可能な出来事の絶頂期に全人口の3.5パーセントが積極的に参加している場合、革命運動は失敗しないという仮説」(174ページ)である。ただし、この仮説にはいろいろな点に留意する必要がある。「絶頂期」とは、「ある出来事が一番盛り上がった」時点をいい、「参加者数が時間の経過によって増えていく流れ」を説明するものではない(175ページ)。「人口」とは、ある国の全ての人口であり、自治体や地域、あるいは特定の組織・集団の人口ではない。「革命運動」とは、「指導者の退陣や独立を達成するといった大きな変化を目的とする運動」(180ページ)であり、その「成功」(「失敗しない」)とは、その運動が「いちばんの盛り上がりをみせてから1年以内」(43ページ)に目的が達成されたことをいう。革命運動は、すなわち「政権転覆」をめざす運動であり、政治的譲歩(政策・制度の改善・廃止等)を促すものではない。したがってまた、「3.5%ルール」は、「気候変動運動や、地方政府、企業や学校に対する運動」(180ページ)に適応できるものではない。そしてチェノウェスはいう。「この数字の裏にあるデータは、過去に何が起こったかを語るもので、将来も同じことが必ず起こるとはいっていない。この歴史的傾向は、だれかが意識する前から存在した。人びとがこの閾値(いきち。境界となる値)を意識的に達成しようとするようになってもこのルールがあてはまるかはだれにもわからない」(175ページ)。「1945年から2014年までの間に、3.5パーセントというハードルを超えたのは、389の抵抗運動のうちたった18事例だけである。これは対象期間中に起きた抵抗運動全体の5パーセント未満である」(175~176ページ)。本稿のタイトルを「3.5%(?)の『市民的抵抗』」とし、(?)を付した意味はここにある。本稿の冒頭に記した斎藤幸平の一文にも注意したい。
〇「市民的抵抗」の言葉から思い出すものに、「抗議」「市民的不服従」「社会運動」などがある。その違いについて、チェノウェスの言説を引いておくことにする(抜き書きと要約)。

「抗議」は、市民的抵抗のひとつの方法である。抗議は、典型的には象徴的行動であり、ある問題に対して人びとの関心を集め、変化を要求することをめざす。多くの人びとが抗議と市民的抵抗を同一視する。だが、効果的な市民的抵抗は、通常、抗議にとどまらず、たくさんの非暴力的方法を用いる。(75~76ページ)

「市民的不服従」では、自分たちが不当とみなすものに対して公然と抗議しておこなうものである。法を犯して逃亡することはカウントしない。法を犯す人物は、刑に処せられることを完全に受け入れていなければならず、要求されれば服役する。(104~105ページ)

市民的抵抗は、ストライキ、抗議、座り込み、ボイコットなど、限定的な期間、人びとを動員し、一連の調整された方法を用いて個別の目的を達成しようとする。「社会運動」は市民的抵抗と異なり、長期間にわたって継続するような現象を意味している。社会運動は、社会を変化させるために、組織化、政策提言、その他の政治的活動を組み合わせる傾向にある。社会運動は必ずしも市民的抵抗を用いない。(116~117ページ)

大橋謙策/「バッテリー型研究」と「関係人口」―関係性を豊かに持った自治体―

1)はじめに
〇筆者の「老爺心お節介情報」の誤字脱字を修正したうえで、多くの方に読んでもらえるよう、阪野貢先生が自ら主宰している「市民福祉教育研究所」のブログにおいて、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーを設置してくれ、その中に「アーカイブ(3)老爺心お節介情報」が第1号から収録されている。
〇その阪野貢先生からの要望で、筆者の地域福祉実践、地域福祉研究に於いて、「関係人口」をどう考え、位置付けているのかを書いて欲しいという要望があった。

阪野貢先生のメール
“先生がこれまで、全国で「関係人口」として主導されてこられた数多くの地域づくりに関し「関係人口」のあり様等についての玉稿を(福祉教育の視点から)お願いしたいと念じております。いかがでしょうか。恐縮至極ですが、「老爺心お節介情報」の一読者からの願い(リクエスト)です。

〇その要望に応えるべく、本稿を書いているが、本稿はもとより「関係人口」に関わる学術論文ではないし、阪野先生なり、阪野先生のブログの読者が何を聞きたいのかを精査しているわけではないので、ある意味、私なりにこの50年間の地域福祉実践、地域福祉研究において、どのような関係性をもって行ってきたのかを書くことで責をはたしたいと思う。
〇ただし、阪野先生のメールの括弧書きしてある“福祉教育からの視点”は今回は触れずに書かせて頂いた。

2)「バッテリー型研究」と「関係人口」――その関係性
〇「関係人口」という定義は、緩やかにその地域とその地域づくりに関わる外部の人間として定義しても、その関係性をどういう尺度で図るのか定かでない。関りを持つ地域への訪問の頻度、回数の問題なのか、地域に関わりを持とうとしている外部人間をその地域関係者がアドバイザーや各種計画策定委員として任命しているのか、それとも関りを持とうとしている人間が自称「関係人口」と標ぼうしているのか、さらにはその地域との関りが一過性でなく、継続的に、長期的に関わる期間、スパンのことを問うているのか、必ずしも定かでない。
〇筆者が「バッテリー型研究」というのは、これら「関係人口」の考え方も含めていると同時に、その地域における地域福祉実践に関わる研究方法をも考えている。
〇社会福祉学会における研究方法、研究倫理は、リサーチ系研究における研究方法、研究倫理、あるいは個別支援に関わるソーシャルワーク実践における質的研究、研究倫理はそれなりに確立し、研究者も順守する環境が整備されつつある。
〇しかしながら、地域福祉実践、地域福祉研究における研究方法、研究倫理は必ずしも論議が進んでいないし、確立もしていない。
〇筆者は、講演や研修で招聘だけの地域の関りなのか、それともその地域の地域福祉実践に関わるコンサルテーションまでも依頼されるのか、その地域との関りを持つ際に常にそれらのことを意識してきた。
〇そして、単なる講演や研修のための招聘に留まらず、その地域の地域福祉実践の向上に自分がどう関われるのか、時には差し出がましい提案を敢えてするようにしてきた。コンサルテーションを行うにしても、“差し出がましい提案”をするにしても、その地域の住民の地域社会生活課題はなんであり、それをどう改善する地域福祉実践を展開するのかを常に考え、把握しようと意識してきた。
〇それと同時に、その地域を訪問する際には、事前に各種統計資料や既存の策定された計画を送って頂き、分析していくとか、現地に入り、地域を短時間でも案内して頂くとか、行政や社会福祉協議会の職員に何が生活課題なのかを聞く等して把握するように努めてきた。
〇コンサルテーションや“差し出がましい提案”をする場合には、自分なりに、その地域の地域福祉実践を向上させるための“実践仮説”を提示することに努めてきた。その地域の実践の“評論”ではなく、今後の発展を考えての“実践仮説”の提示である。“評論”と“実践仮説”との違いは、その地域で頑張っている人々を励まし、やる気にさせ、改革してみようと思わせるかどうかが重要な違いのポイントだと考えてきたし、“実践仮説”を提示するということはその内容、発言に責任をもつということでもある。
〇また、そのことは、どのような「関係人口」に位置づくかは知れないけれど、担当の職員が継続的関りを持ちたい(年賀状のやり取り、手紙やメールでの相談等職員が尋ねてくれば対応するという“来るものは拒まず、去る者は追わず”の精神)と思うならば、それなりに支援することを考えてきた。
〇というのも、地域の力学は複雑であり、担当の職員がいくらがんばろうとしても、“地域は動かない”場合があり、地域を対象に考える場合、“天の時、地の利、人の和”という諺通り、時期が来ないと地域を変える改革のエネルギーが充満しない場合がある。これらの時期を見誤ると、“実践仮説”ももって頑張ろうとしている職員の努力が徒労に終わるか、あるいは“組織から、地域から排除の対象”になりかねない。このことで苦労された職員を数多見てきている。地域福祉研究者はそれらのことにも目配り、気配りができなければならず、“実践仮説”という名のもとに、担当職員を“煽り、扇動し”、結果的に職員のみならず、研究者自身がその地域への“出入り禁止”を事実上申し渡される事案は数多ある。
〇筆者が関わった地方自治体において、行政との関わりは主に地域福祉計画等の行政計画のお手伝いを通し、その計画策定後、その計画の進行管理、アフターフォローを兼ねて、地域保健福祉審議会等を条例設置し、その委員長として以後関りを継続する場合が多い。
〇他方、市町村社会福祉協議会を通じての関りは、担当の職員は全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」の研修やコミュニティソーシャルワーク研修の際に出会い、意気投合して、その職員の社会福祉協議会を軸にした市町村の地域福祉実践の向上を目指して関りを持ってきたことも多い。
〇前者の場合では、岩手県遠野市、東京都目黒区、豊島区、長野県茅野市等であり、後者の場合では、東京都狛江市、富山県氷見市などがある。この両者は関りの入り口、契機は別々であるが、筆者は常に市町村行政とそこの社会福祉協議会とが共働するように仕向け、新たなシステム、サービス開発を行ってきた。それは、地域福祉は市町村という政治行政機構の最も基礎となる自治体が基盤だということを常に意識していたからである。

3)関係性も持った自治体、社会福祉協議会の計画、実践の記録化
〇筆者が「バッテリー型実践、研究」として関係性を持った自治体は、山口県宇部市や富山県氷見市のように30年を超えるところもあるし、担当職員の熱意に絆され関係を持ち始めたが、その担当職員の人事異動や組織の上司が変わり理解を得られなくなるなどの理由から3~4年で関係性がなくなる場合もある。さらには、いったん関係が閉ざされたように思えたものが数年後に再開される場合などもあり一様ではない。
〇筆者が関わりを持ち続けたいと思い、かつ地域の関係者も持ち続けてほしいという場合でも、筆者の時間には限りがあるし、筆者が関係性も持ち、その地域の地域福祉実践を向上させるために継続的に関わっていくためには、筆者個人ではどうみても対応できない。
〇そこで、1994年12月に日本地域福祉研究所を設立し、日本社会事業大学大学院で教えた教え子たちを私のいわば“分身”として関係性のある自治体に派遣し、組織的に関係性を継続できるようにしようと考えた。それは、大学院で“頭でっかちな地域福祉論を学ぶ”ことよりも、身につく体験学習の場ではないかとも考えて、教え子たちに筆者が関係性を持っていた自治体を任せ、継続的にコンサルテーションができればと考えたからである。
〇しかしながら、筆者の思惑を理解し、思惑通りに成長してくれた人もいれば、期待にそぐわず、関係性を壊してしまったり、期待する実践家、研究者にならなかった人もいる。
〇と同時に、筆者は、その地域との関係性を“俗人的なもの”にせず、社会的に汎用性あるものとするために、関係性により作り上げられた、その自治体の地域福祉実践や地域福祉計画を記録化し、世に問うために出版するということを心掛けてきた。
〇その場合、計画レベルのものを本にしても実践的裏付け、検証がなく、単なるきれいごとの“絵にかいた餅”になりかねないので、一定の実践を踏まえた後に、計画の理念と実際という形でその自治体の実践を本として刊行するということを心掛けてきた。
〇それら実践の記録化したものを、手元にある資料だけで紹介すると以下の通りである。

〇以上のような本としての記録は残っていないが、筆者が筆者なりに関係性をもって取り組んできた自治体として思い起すことができる自治体を列挙すれば以下の通りである。
北海道鷹栖町、遠別町、美深町、岩手県沢内村、秋田県藤里町、宮城県石巻市、千葉県鴨川市、富里市、東京都稲城市、東京都目黒区、東京都豊島区、香川県琴平町、愛媛県今治市、四国中央市、徳島県美馬市、島根県松江市、沖縄県浦添市
等である。
〇上記以外に、“関係性”の中味の捉え方に関わってくるが、日本地域福祉研究所が開催してきた27回の地域福祉実践研究セミナーの開催自治体、あるいは25回の四国地域福祉実践研究セミナーの開催地、さらには18回を数える房総地域福祉実践研究セミナーなども関係性を大切して、その地域の地域福祉実践を向上させようと取り組んできた自治体ということができる。

老爺心お節介情報/第44号(2023年5月9日)

「老爺心お節介情報」第44号

「老爺心お節介情報」第44号を送ります。
ご自由にお使いください。

2023年5月9日   大橋 謙策

〇皆さんお変わりありませんか。ゴールデンウイークは十分満喫されましたでしょうか。私はカレンダー通りの生活リズムで、自宅(標高60メートル)から歩いて30分かかる多摩の横山(万葉集の防人の歌として万葉集に登場する多摩丘陵の尾根で、標高100メートル~140メートル)を散策し、山野草のきれいな金襴を探して喜んでいました。
〇4月30日に、パソコンで作業をしていたら、突然画面が「トロイの木馬」になり、“このパソコンはウイルスに感染しました。この画面を修復するには会の電話番号に電話ください”というテロップが流れました。いくら操作しても画面はかわらないので、テロップに流れた電話番号に電話をするとかからず、電話を切ったら、先ほど電話したところから電話があり、“自分の指示の通りにすればパソコンの画面は我慢修復できます”というので、その指示に従って操作を続けた。電話の主は外国人らしく、日本語がたどたどしい状況で、不思議に思いながら指示された通りに操作していると、“このウイルスに感染した状況はお判りになったでしょう。これを修復するのには通常40万円かかりますが、私なら5万円で修復してあげます”というので、私は“これは詐欺ですね”といって、電話を切った。その後も電話がかかってきたが、対応せずにいたところに、娘の夫(娘婿)が丁度来たので画面を見てもらい、操作をしていたら、画面は戻った。娘の夫曰く、いつも来てもらっているシステムエンジニアに来てもらって、ウイルスに感染しているか確認してもらった方がいいということになった。システムエンジニアは自宅に来れるのが5月2日の夕方なので、それまでパソコンの電源を切って使わないでほしいということであった。
〇5月2日の夕方、システムエンジニアが来て、確認してくれた結果、パソコンはウイルスには感染していないようで、「トロイの木馬」を使って、画面を占有し、修理代を巻き上げようという詐欺ではないかということに落着した。
〇丸々2日間、パソコンが使えず、不安の日々を過ごした。システムエンジニア曰く、パソコンを使い始めて25年になるのに、今までよくこのような事案にかかりませんでしたねと妙に感心されてしまった。
〇皆さんはパソコンのトラブルにはどのように対応されているのでしょうか。とても怖くなりました。(2023年5月9日記)

Ⅰ 「バッテリー型研究」と「関係人口」――関係性を豊かに持った自治体

1)はじめに
〇筆者の「老爺心お節介情報」の誤字脱字を修正したうえで、多くの方に読んでもらえるよう、阪野貢先生が自ら主宰している「市民福祉教育研究所」のブログにおいて、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーを設置してくれ、その中に「アーカイブ(3)老爺心お節介情報」が第1号から収録されている。
〇その阪野貢先生からの要望で、筆者の地域福祉実践、地域福祉研究に於いて、「関係人口」をどう考え、位置付けているのかを書いて欲しいという要望があった。

阪野貢先生のメール
“先生がこれまで、全国で「関係人口」として主導されてこられた数多くの地域づくりに関し「関係人口」のあり様等についての玉稿を(福祉教育の視点から)お願いしたいと念じております。いかがでしょうか。恐縮至極ですが、「老爺心お節介情報」の一読者からの願い(リクエスト)です。

〇その要望に応えるべく、本稿を書いているが、本稿はもとより「関係人口」に関わる学術論文ではないし、阪野先生なり、阪野先生のブログの読者が何を聞きたいのかを精査しているわけではないので、ある意味、私なりにこの50年間の地域福祉実践、地域福祉研究において、どのような関係性をもって行ってきたのかを書くことで責をはたしたいと思う。
〇ただし、阪野先生のメールの括弧書きしてある“福祉教育からの視点”は今回は触れずに書かせて頂いた。

2)「バッテリー型研究」と「関係人口」――その関係性
〇「関係人口」という定義は、緩やかにその地域とその地域づくりに関わる外部の人間として定義しても、その関係性をどういう尺度で図るのか定かでない。関りを持つ地域への訪問の頻度、回数の問題なのか、地域に関わりを持とうとしている外部人間をその地域関係者がアドバイザーや各種計画策定委員として任命しているのか、それとも関りを持とうとしている人間が自称「関係人口」と標ぼうしているのか、さらにはその地域との関りが一過性でなく、継続的に、長期的に関わる期間、スパンのことを問うているのか、必ずしも定かでない。
〇筆者が「バッテリー型研究」というのは、これら「関係人口」の考え方も含めていると同時に、その地域における地域福祉実践に関わる研究方法をも考えている。
〇社会福祉学会における研究方法、研究倫理は、リサーチ系研究における研究方法、研究倫理、あるいは個別支援に関わるソーシャルワーク実践における質的研究、研究倫理はそれなりに確立し、研究者も順守する環境が整備されつつある。
〇しかしながら、地域福祉実践、地域福祉研究における研究方法、研究倫理は必ずしも論議が進んでいないし、確立もしていない。
〇筆者は、講演や研修で招聘だけの地域の関りなのか、それともその地域の地域福祉実践に関わるコンサルテーションまでも依頼されるのか、その地域との関りを持つ際に常にそれらのことを意識してきた。
〇そして、単なる講演や研修のための招聘に留まらず、その地域の地域福祉実践の向上に自分がどう関われるのか、時には差し出がましい提案を敢えてするようにしてきた。コンサルテーションを行うにしても、“差し出がましい提案”をするにしても、その地域の住民の地域社会生活課題はなんであり、それをどう改善する地域福祉実践を展開するのかを常に考え、把握しようと意識してきた。
〇それと同時に、その地域を訪問する際には、事前に各種統計資料や既存の策定された計画を送って頂き、分析していくとか、現地に入り、地域を短時間でも案内して頂くとか、行政や社会福祉協議会の職員に何が生活課題なのかを聞く等して把握するように努めてきた。
〇コンサルテーションや“差し出がましい提案”をする場合には、自分なりに、その地域の地域福祉実践を向上させるための“実践仮説”を提示することに努めてきた。その地域の実践の“評論”ではなく、今後の発展を考えての“実践仮説”の提示である。“評論”と“実践仮説”との違いは、その地域で頑張っている人々を励まし、やる気にさせ、改革してみようと思わせるかどうかが重要な違いのポイントだと考えてきたし、“実践仮説”を提示するということはその内容、発言に責任をもつということでもある。
〇また、そのことは、どのような「関係人口」に位置づくかは知れないけれど、担当の職員が継続的関りを持ちたい(年賀状のやり取り、手紙やメールでの相談等職員が尋ねてくれば対応するという“来るものは拒まず、去る者は追わず”の精神)と思うならば、それなりに支援することを考えてきた。
〇というのも、地域の力学は複雑であり、担当の職員がいくらがんばろうとしても、“地域は動かない”場合があり、地域を対象に考える場合、“天の時、地の利、人の和”という諺通り、時期が来ないと地域を変える改革のエネルギーが充満しない場合がある。これらの時期を見誤ると、“実践仮説”ももって頑張ろうとしている職員の努力が徒労に終わるか、あるいは“組織から、地域から排除の対象”になりかねない。このことで苦労された職員を数多見てきている。地域福祉研究者はそれらのことにも目配り、気配りができなければならず、“実践仮説”という名のもとに、担当職員を“煽り、扇動し”、結果的に職員のみならず、研究者自身がその地域への“出入り禁止”を事実上申し渡される事案は数多ある。
〇筆者が関わった地方自治体において、行政との関わりは主に地域福祉計画等の行政計画のお手伝いを通し、その計画策定後、その計画の進行管理、アフターフォローを兼ねて、地域保健福祉審議会等を条例設置し、その委員長として以後関りを継続する場合が多い。
〇他方、市町村社会福祉協議会を通じての関りは、担当の職員は全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」の研修やコミュニティソーシャルワーク研修の際に出会い、意気投合して、その職員の社会福祉協議会を軸にした市町村の地域福祉実践の向上を目指して関りを持ってきたことも多い。
〇前者の場合では、岩手県遠野市、東京都目黒区、豊島区、長野県茅野市等であり、後者の場合では、東京都狛江市、富山県氷見市などがある。この両者は関りの入り口、契機は別々であるが、筆者は常に市町村行政とそこの社会福祉協議会とが共働するように仕向け、新たなシステム、サービス開発を行ってきた。それは、地域福祉は市町村という政治行政機構の最も基礎となる自治体が基盤だということを常に意識していたからである。

3)関係性も持った自治体、社会福祉協議会の計画、実践の記録化
〇筆者が「バッテリー型実践、研究」として関係性を持った自治体は、山口県宇部市や富山県氷見市のように30年を超えるところもあるし、担当職員の熱意に絆され関係を持ち始めたが、その担当職員の人事異動や組織の上司が変わり理解を得られなくなるなどの理由から3~4年で関係性がなくなる場合もある。さらには、いったん関係が閉ざされたように思えたものが数年後に再開される場合などもあり一様ではない。
〇筆者が関わりを持ち続けたいと思い、かつ地域の関係者も持ち続けてほしいという場合でも、筆者の時間には限りがあるし、筆者が関係性も持ち、その地域の地域福祉実践を向上させるために継続的に関わっていくためには、筆者個人ではどうみても対応できない。
〇そこで、1994年12月に日本地域福祉研究所を設立し、日本社会事業大学大学院で教えた教え子たちを私のいわば“分身”として関係性のある自治体に派遣し、組織的に関係性を継続できるようにしようと考えた。それは、大学院で“頭でっかちな地域福祉論を学ぶ”ことよりも、身につく体験学習の場ではないかとも考えて、教え子たちに筆者が関係性を持っていた自治体を任せ、継続的にコンサルテーションができればと考えたからである。
〇しかしながら、筆者の思惑を理解し、思惑通りに成長してくれた人もいれば、期待にそぐわず、関係性を壊してしまったり、期待する実践家、研究者にならなかった人もいる。
〇と同時に、筆者は、その地域との関係性を“俗人的なもの”にせず、社会的に汎用性あるものとするために、関係性により作り上げられた、その自治体の地域福祉実践や地域福祉計画を記録化し、世に問うために出版するということを心掛けてきた。
〇その場合、計画レベルのものを本にしても実践的裏付け、検証がなく、単なるきれいごとの“絵にかいた餅”になりかねないので、一定の実践を踏まえた後に、計画の理念と実際という形でその自治体の実践を本として刊行するということを心掛けてきた。
〇それら実践の記録化したものを、手元にある資料だけで紹介すると以下の通りである。

〇以上のような本としての記録は残っていないが、筆者が筆者なりに関係性をもって取り組んできた自治体として思い起すことができる自治体を列挙すれば以下の通りである。
北海道鷹栖町、遠別町、美深町、岩手県沢内村、秋田県藤里町、宮城県石巻市、千葉県鴨川市、富里市、東京都稲城市、東京都目黒区、東京都豊島区、香川県琴平町、愛媛県今治市、四国中央市、徳島県美馬市、島根県松江市、沖縄県浦添市
等である。
〇上記以外に、“関係性”の中味の捉え方に関わってくるが、日本地域福祉研究所が開催してきた27回の地域福祉実践研究セミナーの開催自治体、あるいは25回の四国地域福祉実践研究セミナーの開催地、さらには18回を数える房総地域福祉実践研究セミナーなども関係性を大切して、その地域の地域福祉実践を向上させようと取り組んできた自治体ということができる。

Ⅱ 市町村における子育て・子育ちシステムの構築化を求めて

〇2023年4月に、「子ども家庭庁設置法」が施行され、子育て、子育ち政策が新たな局面を迎えている。
〇従来の児童福祉行政は、“要保護児童を点と点でつなぐ、療育型、治療型、保護型施策に偏りすぎていて、地域で子育て、子育ちを支援するシステムになっていない“と筆者は批判してきたし、新たな視点に基づく市町村版の児童福祉行政の必要性を説いてきた。
〇しかしながら、考えられている子ども支援の政策は、必ずしも筆者が考えていることにはなっていない。
〇今、必要なのは、子育ての力が家庭でも、地域でも恐ろしくぜい弱になっており、この子育て、子育ちの土台となる地域で、社会的に子ども育てる機能を復元しない限り、要保護児童への対症療法的施策を展開しても問題解決にはつながらないと考えている。
〇戦後初期に制定された児童福祉法は要保護児童への対策、サービスの提供と他方、地域での児童健全育成という機能を促進させる2重の性格を有していた。戦後初期の子どもの数が多く、かつ地域での近隣の自然発生的助け合いが色濃く残っている時代であってが、児童福祉法は児童健全育成の必要性を説いていた。
〇今日の状況を考えると、要保護児童問題を発生させている基盤である市町村の、地域のすべての子どもを対象とした児童健全育成システムを構築することが必要ではないか。
〇それは、従来の児童福祉行政のみなら、学校教育行政、学校外教育の組織化、社会教育の再編成、新たな地域づくりまで含めて論議されなければならない課題である。
〇この2023年3月に、日本社会事業大学同窓会沖縄県支部の沖縄原宿会が主催でセミナーがオンラインで開催された。企画・立案してくれたのは沖縄大学の玉木千賀子教授で、筆者に『沖縄子ども白書』を始め、多くの資料、調査報告書を送り届けてきて、それを読み込んで講演してほしいという要望であった。
〇その講演の原稿起こしがなされるのかどうかわからないが、とても重要な今日的課題でもあるので、「老爺心お節介情報」の読者に是非考えてほしいと思い、とりあえずその講演のレジュメをここに転載することにした。皆さんに子ども問題への対応を考えてほしい。

Ⅲ 健診とがん告知・その ③ ――重粒子線治療のその後の経過

〇1月30日の医師による診察日から、2月28日に始まる重粒子線治療に向けての準備として胃腸の整腸剤の服薬が始まった。それから、2週間たち、左足の脱力感が強く、時々力が入らず、膝ががくっとしてしまうことが度々出てきた。その後の医師の診断の際にそのことを伝えると、それは整腸剤の影響ではなく、投与してきたホルモン療法によるものではないかといわれた。しかしながら、ホルモン療法は昨年2022年の6月から投与しているわけで自分では納得できなかった。投与された整腸剤の副作用として、筋力の低下がいわれていたので、自分には納得できなかった。
〇重粒子腺治療がおわり、整腸剤の投与もなくなって1か月、左足の脱力感はなくなり、普通に歩けるようになった。私としては、どう見ても整腸剤の副作用としか思えないが、釈然としないままである。要は、普通に歩けるようになったのだからいいとしなければならない。
〇同じように、ホルモン療法の副作用かどうかわからないが、自分の乳首の周りが何となく膨らんできているのが気になる。2~3年前から、3キロのダンベルを両手に持って、胸筋や背筋などの筋トレを行ってきた成果なのか、ホルモン療法の影響なのか分からないが、気になる状況である。
〇また、お酒を飲んでいるときには、ほとんど見向きもしなかった“甘いもの”が非常に欲しくなり、時々草餅や柏餅を買ってたべているのもホルモン療法の副作用なのだろうか。こんなに嗜好が変わるものだと自分自身驚いている。
〇夜間の頻尿は、重粒子線治療前後は1時間に1回という頻尿であったし、排尿する際にお尻がキューと絞られ、ふぐりから脳天まで通り抜けるような痛さが走り、我慢できず、薬を服薬してもらってきたが、その薬も4月17日できれた。5月に入ると夜間の排尿時の痛さもほぼなくなり、かつ頻尿も1時間30分に1回程度になり、状況によっては3時間ももつようになり、夜が少し楽になってきた。
〇禁酒解禁まであと3週間、この間6回ほど酒席懇親の場があったが、よく我慢できた。後、指折り数えて禁酒解禁を待つばかり。
〇前立腺がんとは関係ないが、妻がテレビを見ている時のボリュウムが高いような気がしていて、妻に4月になったら一緒に耳鼻咽喉科を受診しようといっていた。
〇(公財)テクノエイド協会の調べで、近くの聖蹟桜ヶ丘駅近くに日本耳鼻咽喉科学会認定の補聴器相談医がいることが分り、4月7日に受診した。結果は妻は25dBで問題なく、言い出した私が右耳30dB、左耳35dBで、私が軽度難聴者で、補聴器を付ける丁度いい時期だという診断になった。試みに6月2日より補聴器を体験することにした。
〇前立腺がんが落ち着きそうになったら、耳の問題、さらには、眼科にもいかないと運転免許の更新が難しいかもしれない。
〇老いるということはまさに医療機関のオンパレードだということを実感させられている。

(2023年5月9日記)

阪野 貢/階級論的視点に基づく貧困研究―志賀信夫著『貧困理論入門』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、志賀信夫著『貧困理論入門―連帯による自由の平等―』(堀之内出版、2022年5月。以下[1])という本がある。志賀にあっては、貧困とは「人間生活において何かが剥奪(はくだつ)されている状態」であり、「あってはならない生活状態」(8ページ)のことをいう。その貧困を論じることと、貧困問題を論じることとは異なる。前者は、「貧困とは何か」や「貧困対策の理論的核となる原理」について論じることであり、後者は、「現象した貧困」を論じることである。志賀は前者に焦点化したものを「貧困理論」と呼び、[1]のテーマとする(7ページ)。
〇[1]ではまず、「貧困」や「階級」などの諸概念について整理する。次いで、貧困理論の歴史的変遷について整理・検討する。そのうえで、現代日本の貧困問題の検討・考察を通じて、「階級論的貧困理論」を練り上げる。
〇志賀によると、貧困を理解する方法には「階層論」的な視点と「階級論」的な視点の2つがある。その際の「階層」とは、「なんらかの特徴にそくして人びとを区分し層化したもの」(27ページ)である。この立場においては、「貧困を余儀なくされている階層の人びとを事後的にどのように階層移動させるか」(28ページ)ということが課題となる。それに対して「階級」とは、「何らかの地位身分の違いを指示する概念」(28ページ)である。それは、資本主義社会においては「資本-賃労働」という地位身分、すなわち「資本家-労働者」という階級を問うことになる。この立場においては、「貧困をそもそも生じさせる社会関係、つまり『資本-賃労働関係』そのものの変革や資本の振る舞いに対する規制」(28ページ)が課題となる。そして志賀はいう。「前者は、いま現在起きている現実問題への対応であり、後者は、根本原因への介入である。この両者はどちらか一方だけが重要であるというのではなく、その両方が重要である」(28~29ページ)。
〇志賀によると、貧困と非貧困を区別する境界は歴史的に変化し、貧困の概念は歴史的に拡大してきた。それにともなって貧困理論は、19世紀末から20世紀初頭の「絶対的貧困理論」(チャールズ・ブース、シーボーム・ラウントリー)から、20世紀半ばの「相対的貧困理論」(ピーター・タウンゼント)、そしてEUにおける現代(1980年代以降)の「社会的排除理論」へと発展してきた。絶対的貧困理論においては、貧困は「『動物的生存の維持』さえもできないような生活状態」を指す。相対的貧困理論においては、貧困は「『一般的な生活様式(style of living)の維持』ができないような生活状態」を指す。それは、時代と社会によって変化する。現代の貧困論の社会的排除理論においては、貧困を「『幸福(=well-being)を追求できないような自由の欠如、権利の不全』という視点」から理解しようとする(32ページ)。すなわち、そこでは、幸福を追求するための「自由の平等」が社会的目標とされ、それを如何に拡大するかが重要となる。また、「社会的排除」(Social Exclusion)の対概念は「社会的包摂」(Social Inclusion)であるが、それは、「自由」と「権利」が実質的に保障されている状態をいう。それを可能にするのは「自己決定」に基づく「社会参加」である(118ページ)。
〇要するに、志賀にあっては、現代の貧困(「新しい貧困」)は、「自由・権利」に基づく「自己決定型社会参加」の阻害の問題を含んでいる。従って、現在の貧困対策は、個人の「自由・権利」が実質的に保障されているか否かが問われることになる。ただし、こうした貧困概念の拡大は、従来の絶対的貧困や相対的貧困が一掃されたことを意味するものではない。日本においては、「いまだに餓死事件が後を絶たないし、低所得や所得の喪失は貧困問題の中心であり続けている」ことに留意する必要がある(119ページ)。
〇志賀は、以上のような現代の貧困に関する「社会的排除理論」を提示したうえで、貧困を解消するための戦略について論じる。その中心は、「相対的過剰人口対策」と「脱商品化」である。
〇「相対的過剰人口」は、「資本-賃労働関係」のなかで、生産技術の進歩・向上等によって構造的・必然的に生み出される労働者人口(失業者)をいう。それは、景気循環によって排出される労働者(流動的過剰人口)や、都市労働者の供給源である農村に潜在している過剰人口(潜在的過剰人口)、就業が不安定な日雇い労働者(停滞的過剰人口)などの形態をとって現れる。この「相対的過剰人口」は、「失業者個人のあり方に注目し、行動変容や認識の変容によって就労を促す『失業者』対策」(200ページ)によって解消することはできない。そこで必要とされるのは、「資本の振る舞いの規制や『資本-賃労働』という社会関係への介入・変革を促す『相対的過剰人口』対策」である。そして志賀はいう。社会変革をめざす「相対的過剰人口」対策と、個人の変化をめざす「失業者」対策はいずれも重要である。「前者だけに終始するならば、社会変革が実現されるまで多くの人びとが貧困状態を脱することができないし、後者だけに終始するならば、貧困は自己責任の証左であるという主張を裏付けるものとして機能してしまう」(200ページ)。
〇「脱商品化」は、保育、教育、医療、介護、住宅などを低額化、無償化、普遍化することをいう。さらに「社会環境の整備に努め、個人の自己決定に基づく要求があれば、能力に対する支援や特性への配慮をおこなっていくというものである」(174ページ)。これを志賀は「ベーシックサービス(BS)」と呼ぶ(207ページ)。そしてこれは、「自由の平等」の具体化と権利の実質的保障の実現を促すことになる(175ページ)。こうした脱商品化は、貨幣がなくてもそれらの商品(BS化された共同所有物)を利用できるようになり、「労働力商品を常に売らなければ生きていけないという状態から徐々に抜け出し、労働力の脱商品化」を可能にする(208ページ)。そして志賀はいう。「BS化されていく領域を増やしていくことができれば、その過程で資本主義的生産様式や『資本-賃労働関係』は廃絶されていき、貧困根絶の道の先に、資本主義社会とは異なる包摂型社会が実現するかも知れない」(212ページ約)。
〇以上が、「資本-賃労働関係」の廃絶の必要性を説く「階級論」的視点に立って、「社会的排除理論」を手掛かりに立論する志賀の「貧困理論」、その概要である。ここで、いささか長い引用であり、重複するところもあるが、志賀の言説の理解を深めるために、その一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「社会的排除」とは「市民的生存」が否定されたり「自己決定型社会参加」が阻害されている状態をいう
「自己決定」できるためには、選択可能な選択肢の束が必要である。この選択肢の束とは、「自由」の広さのことである。社会全体で保障しようと約束し、法としてルール化した「自由」の範囲が「権利」であり、この「権利」を持つ人びとのことを(「市民(citizen)」と呼ぶ。(116ページ)/貧困概念と自己決定概念が関連付けられながら議論され始めているということは、貧困概念に「自由」と「権利」の要素が付加されつつあるということである。つまり、人びとに保障されるべき生存のあり方の歴史的変遷は、「動物的生存」(絶対的貧困理論)⇒「共同体的生存」(相対的貧困理論)⇒「市民的生存」(社会的排除理論)と整理できる。また、貧困対策のなかで保障されるべき社会参加のありかたは、(家父長制的共同体のメンバーシップに基づく(105~106ページ))「役割遂行型社会参加」⇒(シティズンシップの諸権利に基づく(106ページ))「自己決定型社会参加」と変化してきていると整理できる。1980年代以降、何らかの事情により「市民的生存」が否定されていたり、「自己決定型社会参加」が阻害されている場合、これを「社会的排除(Social Exclusion)」の状態にあると表現するようになってきている。(116~117ページ)

現代の貧困理論や貧困対策には労働者階級の「階級意識」や「連帯」に基づく「階級的視点」が必要である
「階級はなくなった」「階級など古い」という言説は、連帯の不可能性を大きくする。日本では、社会の人びとが総中流化したという言説が人口に膾炙(かいしゃ。広く知れ渡ること)し、彼ら・彼女らに内面化させられ、労働者階級としての連帯の意義が不透明化させられている。そのため、労働生活を含む生活の保障が弱体化し、代わって分断による生活と労働の管理が前面化傾向にある。階級的な緊張関係ではなく、「国民一丸となって」というスローガンは日本でなじみのものとなっている。(194ページ)/当然のことだが、階級的視点を持った貧困研究や反貧困の社会運動は、拙速に「資本-賃労働関係」の廃絶を強調するものではない。「資本-賃労働関係」が継続していても、シティズンシップの諸権利の実質化は併存することが可能である。また、これまでの歴史的過程のなかで人びとの自由と権利の拡大は達成されてきており、その連続性を無視するなどということもありえない。逆に、「資本-賃労働関係」と自由と権利の併存があるからといって、それが階級的視点の不必要性を意味するものでもない。ここでは、貧困を根絶する連帯のための必要条件が階級的視点であるといっているのである。(195ページ)

貧困・差別を根絶するためには「脱商品化」と「資本-賃労働関係」の廃絶を進めることが必要となる
保育、教育等をはじめとするBS化は、権利の実質的保障にもつながる。BS化されれば、貨幣がない場合でも、保育サービスや教育をうけることができる可能性が高まるからである。教育が脱商品化されれば、教育への権利が実質的に保障される道がひらかれる。食への権利も食料が脱商品化されれば実質的に保障される可能性が高まるだろう。(210ページ)/ただ、課題もある。BSのような共同所有は、社会の人びとの共同的な経営を原則としなければならない。そしてその共同的な経営は、差別がある場合、うまくいかないことが予測されるのだ。経営の場に差別が持ち込まれ、権力勾配(こうばい)が生じてしまうと私的所有に傾いたり汚職につながるからである。汚職は共同経営に対する信頼を動揺させ、私的所有の台頭は共同経営を突き崩す直接の原因となる。私的所有は、差別と貧困の上でこそ花開く。別の見方をすれば、資本主義的生産様式や「資本-賃労働関係」を維持したままで貧困・差別の完全な根絶は不可能だということである。(210~211ページ)

〇筆者の手もとに、白井聡著『今を生きる思想 マルクス―生を呑み込む資本主義帯―』(講談社現代新書、2023年2月。以下[2])という本がある。[2]において白井は、「われわれの意識や感性、感覚、価値観、思考といった、普通われわれ一人一人が『自分のもの』であると信じて疑わないもののなかに、資本主義のロジックがどのように入り込んでいるのか、(中略)われわれ自身のなかで資本主義がどのように深化しているのか、それをマルクスの理論を通じて検証する」(6~7ページ)。
〇先の[1]で志賀は、「社会参加」の概念や論理に基づいて、「社会的排除」の対概念である「社会的包摂」について論じる。しかしそれは、「社会的排除」の議論に比して必ずしも十分なものではない。そこでここでは、きわめて恣意的であることを承知のうえで、[2]で白井が説く「社会的包摂」についてみておくことにする(抜き書きと要約)。
〇白井はいう。「マルクスの言う『包摂』は、社会学などでよく使われる『包摂』とは、ニュアンスがまったく異なる。後者の『包摂』は、『社会的包摂』などといった言い回しで使われ、どちらかと言うと肯定的な意味合いで使われる。社会的に周縁化された存在や、逸脱したあるいは逸脱しかかった存在を、社会がその一員として受け入れ、適切な居場所を与えることを、社会学的な意味での『包摂』というのである。/これに対して、マルクスの言う『包摂』には、何かを包み込み、徐々に圧迫し、ついには窒息させるという意味合いを読み込むことができる。つまり、否定的なイメージを喚起する。/では、何が何を包み込むのか。端的に言って、資本主義のシステムがわれわれ人間の全存在を含むすべて、自然環境を含む全地球を包み込む」(100ページ)のである。
〇資本主義的生産様式において労働者は、生産手段(物を生産するための原料や工場・機械など)を持っていないために、自らの労働力(物を生産するための人間の精神的・肉体的能力)を商品として資本家に売り、資本家の指揮・監督のもとで労働することになる。これは、資本が労働を「形式的に包摂」(形式的包摂)することを意味する。しかもその資本は、剰余価値(労働者の労働力の価値(賃金)を超えて生み出される価値。利潤)を生産するために、生産力の向上を常に追求する。そこで、労働者はそのプロセスに巻き込まれ、生産様式の絶えざる変化に適応することを強いられる。これは、資本による労働の「実質的包摂」を意味する(103、104ページ)。
〇そして白井はいう。本来、「仲間」や「協働」「共感」「連帯」「団結」といったものは自主的につくり出すべきものであり、仕事の「やりがい」も自ら発見すべきものである(119ページ)。しかし、新自由主義の現代において、「19世紀的な蓄積様式に回帰した資本」(116ページ)は、「実質的包摂」を高度化し、労働者を純然たる「労働力商品の所有者」へと還元させている。そういうなかで資本は、労働者のあいだで自然発生しない「協働」「共感」「連帯」「団結」や「やりがい」などの情動を商品として売るに至る。これらの情動商品の代金は、労働者の賃金から天引きされており、低賃金はその結果である(118~119ページ)。こうして、「われわれの情動、感情生活までもが商品化され、買うべき対象となった後、まだ包摂されていないものとして残っているものは何もない」(120ページ)。これが白井がいう「新自由主義段階の包摂」である。留意しておきたい。
〇ここで、「資本が人間の道徳的意図や幸福への願望とはまったく無関係のロジックを持っており、それによって運動している。その意味で、人類にとって資本は他者である」(96ページ)というマルクスの「資本の他者性」の概念が思い出される。併せて筆者は、(1)労働の生産物からの疎外、(2)労働行為における疎外、(3)類的存在(人間は生産共同体において他者とともに共同生活を営む社会的存在である)からの疎外、そして(4)人間からの人間疎外(自己疎外)、というマルクスの「疎外論」を思い出す(マルクス著、城塚登・田中吉六訳『経済学・哲学草稿』岩波文庫、1964年3月)。
〇雇用破壊が進む現代社会について「格差社会」「分断社会」「無縁社会」「管理社会」、あるいは「貧困強制社会」( ※)などと言われ、「資本主義の危機」が叫ばれる。その基底をなすのは紛(まぎ)れもなく「階級社会」である。そこから、それらの言葉が表す諸現象について議論したり、「共生社会」を展望する際には、「階級論的視点」が必要かつ重要となる。本稿で言いたいことのひとつである。例によって唐突ながら、それは「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究にも通底する。

※藤田和恵著『不寛容の時代 ボクらは「貧困強制社会」を生きている』 くんぷる、2021年8月。

補遺
図1は、「資本-賃労働関係」に関し、賃労働の再生産過程の範式を示したものである。参考に供しておくことにする。

資本の循環過程におけるGは貨幣、Wは商品、Pmは生産手段、Aは労働力、Pは生産過程、W´は剰余価値によって増加した商品、G´は剰余価値によって増加した貨幣、をそれぞれ表す。賃労働の再生産過程におけるA(W)は労働力商品、APは労働過程、(G)‥‥AP‥‥Gは賃金の後払い、をそれぞれ表す。――は資本および労働力の流通過程、‥‥は商品および労働力の移動、==は資本の下での労働者の労働、をそれぞれ表す。
労働者は労働市場において、労働力を商品として販売するが、その販売に失敗すると失業という労働問題を抱える。労働過程(資本にとっては生産過程)においては、低賃金、長時間労働、劣悪な労働環境などの労働問題が生じる。消費生活過程では、資本から独立し、労働者の消費生活が世帯内で私的・個別に営まれる。そこでは、労働問題の具体的結果として、また労働者やその世帯内の個人的な理由によって生活上の諸困難(生活問題)が生じる。未来の労働力である子どもの生育にも支障をきたすことになる。一方、資本は、労働力の再生産の必要から、あらゆる手段を駆使して労働者の消費生活に介入する。
なお、高齢者や障がい者は、資本にとって衰退した労働力あるいは欠損した労働力であるがゆえに、労働市場・労働過程・消費生活過程において、健常な労働者に比してより厳しい状況に置かれることになる。

老爺心お節介情報/第43号(2023年5月5日)

「老爺心お節介情報」第43号

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第43号を送ります。
ご自愛の上、ご活躍下さい。

2023年5月5日   大橋 謙策

〇皆さんお変わりありませんでしょうか。季節の変わり目の日々の気候変動が激しく、体調管理が容易ではありません。お互いにくれぐれも気を付けましょう。
〇新型コロナウイルス感染症が感染症分類で2類から5類に変更になることで、規制緩和が進み、本当に人出が急速に増えました。
〇嬉しい便りがあります。私の教え子の朝倉香織さんが鳥取県社会福祉協議会の事務局長に4月1日付けで就任しました。体に気を付けて職務を遂行してほしいと願うばかりです。
〇「老爺心お節介情報」第42号でご案内した『福来の挑戦――氷見市地域福祉実践40年の歩み』の出版記念を兼ねた氷見市地域福祉実践セミナーが4月15日~16日に行われ、全国各地(宮城、群馬、長野、岐阜、愛知、静岡、香川、佐賀、宮崎等)から200名を超える参加者で盛会裏に行われました。原田正樹日本福祉大学学長や、全社協地域福祉部の高橋良太部長、香川県社会福祉協議会の日下直和事務局長等も参加して頂き、久しぶりの対面でのセミナーを満喫しました。
〇私は35年ぶりに氷見市内の2つの地区の住民座談会に参加しました。35年前に、地区社会福祉協議会作りのために入り、住民座談会をした地区です。その後地区社会福祉協議会がつくられ活動を展開してきたものの、それもマンネリ化し、形骸化していたのを、氷見市社会福祉協議会職員のエリア担当制の導入とともに、担当職員が地区社会福祉協議会の活動を住民の生活課題を明らかにするアンケート調査などを行い、地域生活課題を明らかにして、再活性化してきている実践を垣間見ることができました。
〇求められたコメントで、私は2つのことを言いました。その一つは、なぜ地区社会福祉協議会を1980年代に作ろうとしたのかという点です。それは、岡村重夫の一般コミュニティ論と福祉コミュニティ論との関係であったが、今や一般コミュニティ全体が社会福祉の普遍化の中で生活のしづらさを考えなければならない時代(地域の住民の自治能力が減退し、かつ高齢化することで地区に住むすべての住民が生活のしづらさを抱え、地域自体の存続が危ぶまれる時代)になってきているので、単に地区社会福祉協議会の再活性化に取り組むだけでは十分でないこと、二つ目に、地域自体の力がなくなり、自治会活動もままならない状況のなかで、内閣府、国土交通省、農林水産省、総務省などが「地域づくり協議会」づくりを市町村に推奨している時代に、それらの活動と無関係に地区社会福祉協議会 活動を位置づけていたのでは社会福祉協議会の存在が意味がなくなることを指摘しました。
〇社会福祉協議会が進める地域福祉は、“地域の基盤があったらばこそ”の活動でもあり、その地域のぜい弱化と無関係に社会福祉協議会及び地域福祉関係者は地域福祉を語るべきでないことを戒めました。
〇それにしても対面でのセミナーはいいですね。残念だったのは、懇親会で私はお酒を飲めず、ノンアルコールとウーロン茶、ジンジャエールなどを飲んでいたことです(2023年4月26日記)。

Ⅰ 憲法第13条と「社会福祉観の貧困」「人間観の貧困」「貧困観の貧困」「生活観の貧困」

〇5月3日は憲法記念日。筆者は、日本社会事業大学の講義で、よく「社会福祉観の貧困」「人間観の貧困」「貧困観の貧困」「生活観の貧困」という用語を使用して講義をしてきた。
〇それは、社会福祉を志している学生が陥り易い社会福祉観を問い直す作業過程として、その用語を使ってきた。
〇筆者は、社会福祉を憲法第25条からだけ説き起こすのではなく、それとともに憲法第13条からも説き起こすべきだと1960年代末から言ってきたし、論文にも書いてきた。
〇憲法第25条の社会権的生存権の規定は、人類が歴史的に獲得してきた権利であり、国民のセーフティネット機能として重要であることは重々分かったうえで、それだけだと提供される社会福祉サービスがちまちました“最低限度の生活保障”の域を出ないことになるし、その反動として、社会福祉サービスを提供する側のパターナリズムが避けられないと考えてきたからである。
〇それらのことを実感する機会は、1970年に女子栄養大学に助手として採用され、勤務し始めて改めて痛感したし、同じく1970年から始めた聖心女子大学の非常勤講師の勤務からも痛感させられた。
〇女子栄養大学では、昼食を大学の食堂で摂るのだけれど、その食堂はキャフェテリア方式で、自分の好み、自分の懐具合、自分が食べたい分量を自分で考えるという“主体性”が常に求められる。
〇当時の社会福祉施設の食事は盛っ切りで、自分(福祉サービス利用者)の主体的選択の余地はなく、かつ食器も割れない食器で供されていた。日常生活における食事の持つ意味、食事に伴う生活文化などを女子栄養大学でいろいろ教わった。
〇当時、島根県出雲市の長浜和光園がバイキング方式の食事を提供し始めていて、社会福祉施設における食事に関わる問題の重要性を随分と学ばせてもらった。食事を通して学ぶ食文化、食事の場における会話、食事を作る生活技術など日常生活における食事の持つ意味は大きい。女子栄養大学では、当時核家族化が進む中での“子どもの孤食”の問題が大きく取り上げられていた。
〇筆者は、当時の女子栄養大学の社会福祉の科目を受講している学生に、夏休みの宿題として、社会福祉施設を訪問し、その施設の食事の実態を分析するレポート課題を出した。そのレポートに書かれた当時の分析と今日とを比較出来たらとても良かったと思うのだけれど、そのレポートは女子栄養大学を退職した際に、廃棄処分してしまったことが残念である。
〇他方、聖心女子大学でも社会福祉の科目を教えていたのであるが、同じように夏休みの宿題として、社会福祉施設を訪問してボランティア活動を行い、学生なりの社会福祉施設の評価を求めるレポートを課した。その際、学生から質問があった。訪ねる社会福祉施設は日本の社会福祉施設でなければ駄目かという質問である。その学生は、夏休みに入ると同時に、父母がいる海外へ行くという。その海外の社会福祉施設の訪問記でもいいのかという質問であった。そのような境遇の学生が数人いた。日本と海外の社会福祉施設との比較が図らずも行うことができた。社会福祉施設を取り巻く福祉文化の違いを期せずして学生同士で論議できたことはおもしろかった。
〇1992年、筆者は日本社会事業大学の長期在外研究が認められ、イギリスに半年間滞在した。それも、筆者はロンドン大学などへの派遣ではなく、自由にさせて頂いた。
〇筆者は、ロンドンのケンジントン&チェルシー区に滞在し、区内にあるホスピスやボランティアセンターなどに出入りさせてもらった。ホスピスでは、余命いくばくもない人々が、私が訪問する度に、私に向かって“エンジョイしているか”と尋ねられる日々であった。そのホスピスでは、余命いくばくもないのに、ドリンキングパーティもあり、かつ犬のボランティアも登録されていて連れてこられたり、浴室にはカラフルな壁画が描かれていたりという福祉文化の違いを様々な形で私に問いかけてきた。
〇筆者は、憲法第13条に基づく社会福祉観を考える場合、生活上の様々な事象に対し「快・不快」を基底として、生活を楽しむ、生活を再創造するというリクリエーションが大切ではないかと考え、1980年代後半に、日本社会事業大学の故垣内芳子先生や日本レクリエーション協会の園田碩哉さん、千葉和夫さん(のちに日本社会事業大学の教員)、淑徳短期大学の木谷宜弘先生(元全社協ボランティア活動振興センター長)等と“社会福祉における文化の問題、レクリエーションの位置”について研究を行った。社会福祉施設の食事、社会福祉施設のインテリア、社会福祉施設職員のユニフォーム、行動規範などについて調査研究をした。その結果は、1989年4月に『福祉レクリエーションの実践』(ぎょうせい)として上梓された。その『福祉レクリエーションの実践』には、筆者が日本社会事業大学研究紀要第34集に寄稿した「社会福祉思想・法理念にみるレクリエーションの位置」と題する論文が収録されている。
〇その論文では、(1)社会福祉とレクリエーション、(2)レクリエーションの捉え方の視角、(3)西洋の社会福祉思想とレクリエーション及び娯楽、(4)日本における社会福祉思想にみるレクリエーション及び娯楽、(5)社会福祉六法の目的と生活観、(6)施設最低基準にみる生活観、(7)在宅生活自立援助ネットワークの構成要件、(8)在宅福祉サービスの供給方法と施設整備の在り方について論述している。権田保之助の社会事業や娯楽の捉え方や如何に社会福祉法の目的が狭隘であるかを論述すると同時に、入所型社会福祉施設のサービスを分解して、地域で住民の必要と求めに応じてサービスパッケージをすれば、社会福祉施設の位置と役割が変わることを指摘している(当時はケアマネジメントという用語は使われてなく、筆者は必要なサービスをパッケージして提供するという意味でサービスパッケージという用語を使用していた)。
〇1996年に総理府の社会保障審議会が社会保障の捉え方を見直し、事実上福祉サービスを必要としている人のその人らしさを支えるサービスに転換させる勧告を出す。憲法第25条に基づく“最低限度の生活保障”への偏りを反省し、事実上憲法第13条を法源とする社会保障、社会福祉への転換が求められた。
〇しかしながら、相も変わらず社会福祉分野では、“上から目線のサービスを提供してあげる”という考え方や姿勢が蔓延っているし、生活を楽しく、明るく、楽しむ自立生活支援にはなっていない。
〇社会福祉分野では、故一番ケ瀬康子先生等が「福祉文化学会」を設立し、社会福祉サービスの考え方や社会福祉における文化性について研究を推進してきたが、その研究枠組みは必ずしも私の先の論文の枠組みとは同じではない。
〇他方、1970年代から播磨靖男さんたちのわたぼうしコンサートを始めとして、社会福祉の枠にとらわれない障害者文化の向上に貢献する実践があるが、それらがどれだけ社会福祉分野に影響を与えて、社会福祉の質を変えたかは定かでない。
〇憲法記念日の今日、改めて社会福祉の在り方、考え方と憲法第13条との関り、社会福祉従事者の“内なる社会福祉観、人間観、生活観、貧困観”を見直す契機になればとこの小稿を書いた(2023年5月3日記)。

(注記)
この「老爺心お節介情報」は、私のメールアドレスに登録されている人を中心に送付していますが、時々メールの送信ミスがあるようです。
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログに、阪野貢先生が誤字脱字を修正してくれた上で、閲覧できるように転載されています。「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索して、入手してください。

阪野 貢/災害ボランティア、その「絆」や「感動」にみる「闇」―丸山千夏著『ボランティアという病』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、丸山千夏著『ボランティアという病』(宝島社新書、2016年8月。以下[1])という本がある。[1]は、東日本大震災(2011年3月)や熊本地震(2016年4月)の被災地で展開されたボランティアを取材し、その闇(深淵)の部分を炙(あぶ)り出したジャーナリストのルポルタージュである(伝聞調の文章が散見されることに留意したい)。
〇[1]のカバーの紹介文にはこう記されている。「熊本地震にも多く集まったボランティアの人々。多くのマスコミは、ボランティアの人々を持ち上げ、毎日のように報道している。だが、その裏側では、ボランティアの範囲を超えた越権行為、必要のない物資の援助、野放しにされている巨額の寄付金、そしてこれからはじまる復興利権など、多くの問題を抱えている。しかし、それらを批判することはタブーとされてきた。すべて善意のもとに正当化されてきたからだ。本書では、善意のもとに、ボランティアのすべてを受け入れてしまう日本人の病を抉(えぐ)り出す。はたして、あなたの善意は、本当に必要とされているのか。本当に正しいのか。検証する。」
〇[1](すなわち被災地)には、ジャーナリスティックな名称であるが、いろいろなボランティアが登場する。「素人ボランティア」、「プロ・ボランティア」、「人生迷子型ボランティア」、「野良ボランティア」、「テクニカル・ボランティア」などがそれである。「素人ボランティア」は、善意に基づいて被災地に駆けつけるが、ときに足手まといになるボランティアである(101ページ)。「プロ・ボランティア」は、あくまでも独自の活動にこだわり、支援活動一本で生活を営むボランティアである(103ページ)。「人生迷子型ボランティア」は、都会での生活に行き詰まり、行き場をなくした人が被災地に居場所を見つけるボランティアである(88ページ)。「野良ボランティア」は、災害の現場で社協や他の団体と連携・協力しながら役割を分担して動くという発想を持たないボランティアである(38ページ)。「テクニカル・ボランティア」は、プロフェッショナルな技術力を持つ高度な専門家が作業を請け負うボランティアである(103ページ)。
〇丸山によると、こうしたボランティア活動はときにやっかいな問題を生じさせる。たとえばそのひとつは、古着や食料品などの大量の支援物資の後処理や、大量の千羽鶴や寄せ書き・メッセージなどへの対処(対応)が、被災地を襲う「第二の災害」(134ページ)となっている。いまひとつは、支援が長期化するなかで支援者(よそ者)と地元住民との間に主従関係が生じたり、濃密な人間関係を築いてきた地方のコミュニティではその人間関係に亀裂が生じたりするケースがある(169ページ)。もうひとつは、取材に来るマスコミをはじめ、物見遊山で被災地観光に来る若者、視察に来る政治家や投資家、慰問に訪れる芸能人や有名人、あるいはフィールドワーク(現場での情報収集)に来る専門家や研究者等々、実に多種多様な人々が被災地現場に出入りし(そのなかには「危ない人々」も存在する)、地域・社会がかきまわされる(167、179ページ)。
〇災害ボランティアは、いまだに「善意」頼りであり、いま国策的な「動員」が促進されている。そこでは、「絆」「笑顔」「感動」などの美辞麗句が並べたてられ、「がんばろう!」と激励される。それらに違和感を覚える人がいる。また、災害ボランティアに参加しない・できないことに「後ろめたさ」を感じている人もいる。一方、被災者の側には「善意は断ることができない」という前提がある(184ページ)。「あつかましいお願いなのですが、被災地のことを気にかけていてもらいたいし、支援が終わったらさっさと帰って欲しい。そんなこと、思っても普通は言えないですよね」(181ページ)。災害ボランティアの問題(「病」)の核心を突く、被災地の一人の住民の声である。
〇例によって唐突で我田引水的であるが、この住民の言葉から、学校福祉教育の一環としてしばしば取り組まれる訪問・交流活動での施設利用者(高齢者、障がい者など)の声を思い出す。「ここは私たちの生活の場ですから、勉強が終わったらさっさと帰って欲しい。そんなこと、思っても普通は言えないですよね」。
〇災害ボランティアには、被災地の現場で「善意」が闊歩(かっぽ)あるいは暴走することもあるなかで、組織的・体系的な災害支援の知識やノウハウが求められる。そこでは、被災者中心、地元主体、そして共働の取り組みが重要となる。またそこでは、情緒的な「絆」や全体主義的な「がんばれ!ニッポン」といった言葉やスローガンは不要である。被災者とボランティアによって共創される「愛」と「信頼」、そして「希望」が肝要となる。これが筆者の読後感である。
〇「絆」(きずな)とは、人(被災者)と人(ボランティア)を繋ぎとめる「綱」(つな)であり、それは「愛」と「信頼」と「希望」を意味する。付記しておきたい。

日本における社会福祉・ソーシャルワーク教育の研究機関・団体の紹介

日本における社会福祉・ソーシャルワーク教育の研究機関・団体の紹介
Introduction of institutions and organizations for social welfare and social work education in Japan.


各機関・団体名をクリック(Click)すると、それぞれのホームページにジャンプします。
Click on the name of each institutions or organizations to jump to each homepage.

 

学校/Schools
日本ソーシャルワーク教育学校連盟
Japanese Association for Social Work Education

日本介護福祉士養成施設協会
Japan Association of Training Institutions for Certified Care Workers

全国保育士養成協議会
National Council for Childcare Worker Training

全国福祉高等学校長会
National Association of Principals of Social Welfare High School

学会/Academic Societies
日本社会福祉系学会連合
Japanese Association of Social Welfare Academic Societies

・日本社会福祉学会
Japanese Society for the Study of Social Welfare

・日本地域福祉学会
Japanese Research Association for Community Development

・日本介護福祉学会
The Japanese Association of Research on Care and Welfare

・日本福祉教育・ボランティア学習学会
Japan Academic Association of Socio-education and Service Learning

・日本ソーシャルワーク学会
Japanese Society for the Study of Social Work

国家資格/National Certifications
社会福祉振興・試験センター
Social Welfare Promotion and National Examination Center

・社会福祉士
Certified Social Workers

・介護福祉士
Certified Care Workers

・精神保健福祉士
Certified Psychiatric Social Workers

職能団体/Professional Associations
日本ソーシャルワーカー連盟
Japanese Federation of Social Workers

・日本社会福祉士会
Japanese Association of Certified Social Workers

・日本精神保健福祉士協会
Japanese Association of Mental Health Social Workers

・日本医療ソーシャルワーカー協会
Japanese Association of Social Workers in Health Services

・日本ソーシャルワーカー協会
Japanese Association of Social Workers

日本介護福祉士会
Japan Association Certified Care Workers

高等学校の福祉教育/ High School Education
全国福祉高等学校長会
National Association of Principals of Social Welfare High Schools

社会福祉協議会/Social Welfare Councils
全国社会福祉協議会
National Council of Social Welfare

都道府県・指定都市社会福祉協議会
Prefectural Social Welfare Councils and Designated City Social Welfare Councils

社会福祉関係機関・団体/Social Welfare-related Organizations and Groups
社会福祉関係機関・団体等ホームページ(リンク集)
Homepage of Social Welfare-related Organizations and Groups(Link Collection)

日本学術会議/Science Council of Japan
日本学術会議
Science Council of Japan

・日本学術会議協力学術研究団体(Introduction)

・日本学術会議協力学術研究団体一覧(Link Collection)

備 考
<学校>
日本ソーシャルワーク教育学校連盟/260校(2023年4月)
日本介護福祉士養成施設協会/328校(2021年12月)
全国保育士養成協議会/527校(2023年4月)
<学会>(正会員)
日本社会福祉系学会連合/22学会(2023年3月)
日本社会福祉学会/4,424人(2022年2月)
日本地域福祉学会/1,581人(2022年4月)
日本介護福祉学会/976人(2021年8月)
日本福祉教育・ボランティア学習学会/656人(2022年10月)
日本ソーシャルワーク学会/610人(2022年 1月)
<国家資格>
社会福祉士/271,263人(2023年2月)
介護福祉士/1,874,926人(2023年2月)
精神保健福祉士/98,993人(2023年2月)
<高等学校教育>
全国福祉高等学校/193校(2022年4月)

<ボランティア>(全社協)
ボランティア団体数/175,046団体(2022年4月)
団体所属ボランティア人数/5,916,408人(2022年4月)
個人ボランティア人数/761,267人(2022年4月)
ボランティア総人数/6,677,675人(2022年4月)

大橋文庫/阪野文庫

大橋文庫


市民福祉教育研究所では、一部の「大橋謙策蔵書」の<リスト>( ⇒ 「大橋謙策蔵書リスト」:7,480冊 ( 雑誌を含む ) )を所蔵しております。詳しくは、フロントページ、画像下のナビゲーションメニュー中の「プラットホーム」からお問い合わせください。

 


阪野文庫/総覧


【図書目録】
「福祉教育」「地域福祉」「社会福祉」等に関する 3,163冊 の図書(雑誌を含む)が所蔵されています。

関市立図書館のオンライン目録(OPAC)で検索してください。 ⇒ 関市立図書館

関市立図書館ホームページのトップページ左上に設置されている「蔵書検索」に[阪野貢]を入力し、検索ボタンをクリックすると、詳細情報(127冊分)を知ることができます。

右記の「書誌データ」をクリックすると、各図書・雑誌の「請求記号」「資料コード」等が表示されます。                    ⇒ 書誌データ

右記の「図書目録」をクリックすると、リストが表示されます。 ⇒ 図書目録

【資料目録】
「福祉教育」に関する 113巻(冊)、834点 の第一次資料(コピーを含む)が所蔵されています。

右記の「資料目録」をクリックすると、リストが表示されます。⇒ 資料目録

--➀ 福祉教育に関する資料(論文・報告書等)〔第1巻~第26巻〕
※全26巻376点の「資料目録」があります。

--➁ 福祉教育副読本・指導資料・手引書等に関する資料〔第1巻~第22巻〕
※全22巻262点の「資料目録」があります。

--➂ 日本青年奉仕協会に関する資料〔第1巻~第4巻〕
※全4巻81点の「資料目録」があります。

--➃ 神奈川県における福祉教育に関する資料〔第1巻~第3巻〕
※全3巻21点の「資料目録」があります。

--➄ 静岡県における福祉教育に関する資料〔第1巻~第3巻〕
※全3巻32点の「資料目録」があります。

--➅ 長沼豊『ボランティア学習』に関する資料(論文)〔第1巻〕
※8点の「資料目録」があります。

*   *   *

(1)日本福祉教育・ボランティア学習学会に関する資料〔第1巻~第11巻〕
※全11巻のなかに、1995年2月~2012年11月までの、学会創設の準備活動等を含めた諸資料が収録されています。

(2)全社協・「福祉教育セミナー」に関する資料〔第1巻~第8巻〕
※全8巻のなかに、1983年3月23日~25日に開催された「(第1回)福祉教育セミナー」から、2004年2月17日~18日に開催された「平成15年度全国福祉教育セミナー」までの、各年度の福祉教育セミナーに関する諸資料が収録されています。

(3)日本社会福祉教育学校連盟に関する資料〔第1巻~第7巻〕

(4)全社協・福祉教育研究委員会(第2次大橋委員会)に関する資料〔第1巻~第3巻〕
※全3巻のなかに、第1回(1982年9月29日)から第4回(1985年1月21日)までの委員会資料と、委員会が中心になって行った「福祉教育セミナー」「東・西日本福祉教育研究協議会」の開催や『福祉教育ハンドブック』の編集等に関する諸資料が収録されています。

(5)徳島県子供民生委員制度に関する資料〔第1巻~第3巻〕

(6)狛江市社協・「あいとぴあカレッジ」に関する資料〔第1巻~第2巻〕

(7)狛江市社協・「ふくしえほん あいとぴあ」に関する資料〔第1巻〕

(8)栃木県社会福祉教育センターに関する資料〔第1巻~第2巻〕

(9)機関誌『福祉教育』(木原孝久)〔第1巻〕

(10)機関誌『わかるふくし』(木原孝久)〔第1巻~第2巻〕

(11)機関誌『元気予報』(木原孝久)〔第1巻~第2巻〕

(12)福祉新聞『シリーズ 福祉教育の新展開』に関する資料〔第1巻〕

(13)全国ボランティア学習指導者連絡協議会に関する資料〔第1巻〕

(14)鳥取県八頭郡の中学校における福祉教育に関する資料〔第1巻〕

(15)初期社会科教育実践に関する資料/大阪市民生事業に関する資料(論文・報告書等)〔第1巻〕

(16)高岡市ジュニア福祉活動員制度に関する資料/松原市子供民生委員制度に関する資料〔第1巻〕

(17)全国福祉高等学校長・総会、研究協議会等に関する資料(平成5年度~)〔第1巻〕

(18)教科「福祉」と高等学校「福祉関連学科」基礎資料(平成17年度版~)〔第1巻〕

(19)全国高等学校長会家庭部会福祉科校長会・全国福祉科高等学校及び福祉教育実態基礎調査集計報告〔第1巻〕

(20)第19回日本福祉大学社会福祉公開夏季大學・「高等学校福祉科の教育」に関する資料〔第1巻〕

(21)静岡県民生部『社会連帯の育成をめざして』/静岡県労働部『心情豊かな人づくりのために』〔第1巻〕

(22)東京都社会福祉協議会『社会福祉の理解を高めるために』/東京都社会福祉審議会『東京都における社会福祉専門職制度のあり方に関する中間答申及び最終答申』/国際社会福祉協議会日本国委員会『今日の社会福祉教育』〔第1巻〕

(23)中央社会事業協会・社会事業研究生インタビュー等に関する資料〔第1巻〕


※詳しくは、関市立図書館(「阪野文庫」)までお問い合わせください。
 関市立図書館

詳しくは、市民福祉教育研究所まで、フロントページ、画像下のナビゲーションメニュー中の「プラットホーム」からお問い合わせください。  ⇒  プラットホーム