阪野 貢 のすべての投稿

新美一志/「福祉教育」「まちづくり」「ふくし」のキャッチフレーズに関するメモ

〇「福祉教育」に関して、「社協活動は、福祉教育で始まり、福祉教育で終わる」「福祉まちづくりから福祉まちづくりへ」「ふくしは、だんの、らしの、あわせ」など、いろいろなキャッチフレーズがある。それらは、時に、「社協の先輩たちが語り継いできた言葉」「福祉教育実践の先人たちからのメッセージ」、あるいは「詠み人知らず」(作者不詳)として紹介され、引用されている。しかし、その短いフレーズには、その作者の理念や思想が込められており、また作成された時代や社会の様相が反映されているはずである。そう考えると、キャッチフレーズは、宣伝や広告のための「単なる」謳い文句として軽視することはできず、歴史的・社会的なキーワードとして重要な意味をもつものである。
〇「社協活動は、福祉教育で始まり、福祉教育で終わる」は、島根県瑞穂町(現邑南町おおなんちょう)社協の地域福祉環境や地域福祉実践に基づく言葉である。瑞穂町社協は、1980年前後以降、生涯学習の視点から、学校内外における子ども・青年の福祉教育実践や地域住民を対象にした社会福祉学習などに先駆的・総合的に取り組んできた。その中核を担ったのは日高政恵(元事務局長)であり、その取り組みを全面的・継続的に支援したのが大橋謙策である。日高は、「大橋先生から、福祉の町づくりなのか、福祉で町まちづくりなのか、とよく言われました」と述懐している。大橋が本格的に福祉教育やボランティア活動の実践に触れ、研究を展開するのは1980年前後からであるが、その当初から大橋は「福祉で町づくり」を説いていたのである(大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵著『安らぎの田舎(さと)への道標(みちしるべ)―島根県瑞穂町 未来家族ネットワークの創造―』万葉舎、2000年8月)。
〇この点を関して、コミュニティデザインの第一人者と評される山崎亮が、大橋へのインタビューを通して次のように述べている。「大橋さんの言葉を借りれば、福祉事業者や研究者の間で70年代からスローガンのようにいわれていた『福祉まちづくり』が、90年代から『福祉まちづくり』へと変わったのである。」「大橋さんは、2010年代は『福祉でまちづくり』から『福祉まちづくり』といわれる時代へと移行したと話していた」(山崎亮『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』PHP新書、2016年11月、331、335ページ)。
〇「福祉」を平仮名の「ふくし」と表記したひとりに、木原孝久(住民流福祉総合研究所)がいる。木原は、1974年9月に「福祉教育研究会」を立ち上げ、ミニコミ誌「福祉教育」を創刊した。その後、誌名を「わかるふくし」(2003年4月「住民流福祉」に改題)に変更し、『わかるふくしの発想』(福祉教育研究会、1984年1月)と同名の『「わかるふくし」の発想』(ぶどう社、1995年6月)を上梓する。その頃の木原の関心は、住民が理解に苦しむ「福祉」から「それならわかる」と言ってくれるような「ふくし」、すなわち「わかるふくし」づくりを進めることにあった。その意識や姿勢は今日も変わらない。
〇先駆的に「ふくし」を「だんの、らしの、あわせ」を意味する言葉として使用したひとりは、阪野貢である。1990年代中頃からであり、およそ30年前のことである。それは、「福祉」を広義に解釈し、子どもから大人まで親しみやすい言葉として使われ、しかもすべての人々が福祉社会の形成や福祉文化の創造に主体的に関わることを企図してのことであった。そこで阪野は、「ふくし」とは「ふだんの、くらしの、しあわせ」について「みんなで考え、みんなで汗をながすこと」であり、「しあわせ」とは「みんなが、満足していて楽しいこと」であるという。留意したい。なお、阪野によると、その表記の直接的なきっかけは、茨城県社協主催の福祉教育セミナーに参画したことにあるが、そこで学んだのは「ふくし」=「普通の、暮らしの、幸せ」であった、という。その後、阪野は、「まちづくりと市民福祉教育」について論究することになる。
〇日本福祉大学は、身近な生活から「福祉」を考えるために、2004年度に初めて発行した高校生向けの冊子(『はじめての福祉』)と2006年度の大学案内で、「福祉」を「ふくし」と表記した。それは、「つうの、らしの、あわせ」を意味するものであった。以後、日本福祉大学は、2009年度から「ふくしの総合大学」を標榜する。
〇大学図書出版が2008年10月に、日本福祉教育・ボランティア学習学会の監修のもとに全国誌『ふくしと教育』を創刊した。雑誌名に「ふくし」が使われた最初である。
〇その後、「ふだんの、くらしの、しあわせ」の「ふくし」については、原田正樹によって全国的な普及が図られている。そこでは常に、「貧困的な福祉観」の再生産が懸念される学校や地域における福祉教育実践に対する警鐘が鳴らされる。とともに、先進的で具体的な提言がなされ、確かで豊かな福祉教育実践の方向性が提示される。特筆されるべきところである(『共に生きること 共に学びあうこと―福祉教育が大切にしてきたメッセージ―』大学図書出版、2009年11月)。
〇「ふつうの、くらしの、しあわせ」の「ふくし」については、たとえば清水将一がその意味内容について言及している。清水はいう。「普通に暮らす幸せとは人それぞれで普遍的ではない。『普通って一人ひとりで違うもの あなたの普通を押しつけないで』(読み人知らず)という歌がある」(『ボランティアと福祉教育研究』風詠社、2021年6月)。

年間レポート/阪野文庫

――市民福祉教育研究所年間レポート――

 
(12)市民福祉教育研究所/2023年のブログ/年間レポート/2024年1月1日/本文

(11)市民福祉教育研究所/2022年のブログ/年間レポート/2023年1月1日/本文

(10)市民福祉教育研究所/2021年のブログ/年間レポート/2022年1月1日/本文

(9)市民福祉教育研究所/2020年のブログ/年間レポート/2021年1月1日/本文

(8)市民福祉教育研究所/2019年のブログ/年間レポート/2020年1月1日/本文

(7)市民福祉教育研究所/2018年のブログ/年間レポート/2019年1月1日/本文

(6)市民福祉教育研究所/2017年のブログ/年間レポート/2018年1月1日/本文

(5)市民福祉教育研究所/2016年のブログ/年間レポート/2017年1月1日/本文

(4)市民福祉教育研究所/2015年のブログ/年間レポート/2016年1月1日/本文

(3)市民福祉教育研究所/2014年のブログ/年間レポート/2015年1月1日/本文

(2)市民福祉教育研究所/2013年のブログ/年間レポート/2014年1月1日/本文

(1)市民福祉教育研究所/2012年のブログ/年間レポート/2013年1月1日/本文

――阪野文庫――

【図書目録】
「福祉教育」「地域福祉」「社会福祉」等に関する 3,163冊 の図書(雑誌を含む)が所蔵されています。
関市立図書館のオンライン目録(OPAC)で検索して下さい。

「図書目録」をクリックすると、リストが表示されます。 ⇒ 図書目録

「書誌データ」をクリックすると、各図書・雑誌の「請求記号」「資料コード」等が表示されます。 ⇒ 書誌データ

詳しくは本ブログの<プラットホーム>から、市民福祉教育研究所にお問い合わせ下さい。

【資料目録】
「福祉教育」に関する 113巻(冊)、834点 の第一次資料(コピーを含む)が所蔵されています。
個別「点」数の表示が困難な資料は、1巻(冊)を1点としています。例えば、(3)日本福祉教育・ボランティア学習学会に関する資料/全11巻(冊)は11点となります。

関市立図書館ホームページのトップページ左上に設置されている「蔵書検索」に[阪野貢]を入力し、検索ボタンをクリックすると、詳細情報を知ることができます。

「資料目録」(書誌データ)をクリックすると、リストが表示されます。 ⇒ 資料目録

各巻の「請求記号」「資料コード」等は、上記【図書目録】中の「書誌データ」の142~148ページに記載されています。

詳しくは本ブログの<プラットホーム>から、市民福祉教育研究所にお問い合わせ下さい。

(1)福祉教育に関する資料(論文・報告書等)〔第1巻~第26巻〕
※全26巻376点の「資料目録」があります。

(2)福祉教育副読本・指導資料・手引書等に関する資料〔第1巻~第22巻〕
※全22巻262点の「資料目録」があります。

(3)日本福祉教育・ボランティア学習学会に関する資料〔第1巻~第11巻〕
※全11巻のなかに、1995年2月~2012年11月までの、学会創設の準備活動等を含めた諸資料が収録されています。

(4)全社協・「福祉教育セミナー」に関する資料〔第1巻~第8巻〕
※全8巻のなかに、1983年3月23日~25日に開催された「(第1回)福祉教育セミナー」から、2004年2月17日~18日に開催された「平成15年度全国福祉教育セミナー」までの、各年度の福祉教育セミナーに関する諸資料が収録されています。

(5)日本社会福祉教育学校連盟に関する資料〔第1巻~第7巻〕

(6)日本青年奉仕協会に関する資料〔第1巻~第4巻〕
※全4巻81点の「資料目録」があります。

(7)神奈川県における福祉教育に関する資料〔第1巻~第3巻〕
※全3巻21点の「資料目録」があります。

(8)全社協・福祉教育研究委員会(第2次大橋委員会)に関する資料〔第1巻~第3巻〕
※全3巻のなかに、第1回(1982年9月29日)から第4回(1985年1月21日)までの委員会資料と、委員会が中心になって行った「福祉教育セミナー」「東・西日本福祉教育研究協議会」の開催や『福祉教育ハンドブック』の編集等に関する諸資料が収録されています。

(9)徳島県子供民生委員制度に関する資料〔第1巻~第3巻〕

(10)静岡県における福祉教育に関する資料〔第1巻~第3巻〕
※全3巻32点の「資料目録」があります。

(11)狛江市社協・「あいとぴあカレッジ」に関する資料〔第1巻~第2巻〕

(12)狛江市社協・「ふくしえほん あいとぴあ」に関する資料〔第1巻〕

(13)栃木県社会福祉教育センターに関する資料〔第1巻~第2巻〕

(14)機関誌『福祉教育』(木原孝久)〔第1巻〕

(15)機関誌『わかるふくし』(木原孝久)〔第1巻~第2巻〕

(16)機関誌『元気予報』(木原孝久)〔第1巻~第2巻〕

(17)福祉新聞『シリーズ 福祉教育の新展開』に関する資料〔第1巻〕

(18)長沼豊『ボランティア学習』に関する資料(論文)〔第1巻〕
※8点の「資料目録」があります。

(19)全国ボランティア学習指導者連絡協議会に関する資料〔第1巻〕

(20)鳥取県八頭郡の中学校における福祉教育に関する資料〔第1巻〕

(21)初期社会科教育実践に関する資料/大阪市民生事業に関する資料(論文・報告書等)〔第1巻〕

(22)高岡市ジュニア福祉活動員制度に関する資料/松原市子供民生委員制度に関する資料〔第1巻〕

(23)全国福祉高等学校長・総会、研究協議会等に関する資料(平成5年度~)〔第1巻〕

(24)教科「福祉」と高等学校「福祉関連学科」基礎資料(平成17年度版~)〔第1巻〕

(25)全国高等学校長会家庭部会福祉科校長会・全国福祉科高等学校及び福祉教育実態基礎調査集計報告〔第1巻〕

(26)第19回日本福祉大学社会福祉公開夏季大學・「高等学校福祉科の教育」に関する資料〔第1巻〕

(27)静岡県民生部『社会連帯の育成をめざして』/静岡県労働部『心情豊かな人づくりのために』〔第1巻〕

(28)東京都社会福祉協議会『社会福祉の理解を高めるために』/東京都社会福祉審議会『東京都における社会福祉専門職制度のあり方に関する中間答申及び最終答申』/国際社会福祉協議会日本国委員会『今日の社会福祉教育』〔第1巻〕

(29)中央社会事業協会・社会事業研究生インタビュー等に関する資料〔第1巻〕

阪野 貢/まちづくり幻想:自覚と打開の道 ―木下斉著『まちづくり幻想』のワンポイントメモ―

僭越ながら、いま暮らす “まち” で「よそ者、若者、ばか者」の役割を多少とも果たそうとしてきた(している)。しかし、地域からはいまだに、「物言わぬよそ者」としての振る舞いが要求される。地元の“名士”が主役の地域活動や “あやふや” と “うやむや” が交錯する会議では、「梯子(はしご)を外される」(梯子はかかっていなかった)、「出る杭(くい)は打たれる」(出る杭は抜かれる)ことも二度三度。さすがに「あほらしくってやってらんねーよ」。いまだに「世間」の「空気」が読めない自分がいる。

〇筆者(阪野)の手もとに、内閣府の「地域活性化伝道師」(地域おこしの専門家。2022年4月現在、394人が登録されている)を務める木下斉(きのした・ひとし)の『まちづくり幻想―地域再生はなぜこれほど失敗するのか―』(SB新書、SBクリエイティブ、2021年3月。以下[1])という本がある。「地方創生」や「地域再生」が叫ばれて久しいが、「地方」や「地域」はますます衰退し、「創生」や「再生」は混迷の度を深めている。その原因のひとつは「まちづくり幻想」にある。その幻想を振り払い、打開するためには、まちづくりや地域再生に関する意識や思考の範囲を広げ、面倒なことに果敢に取り組み、一つひとつの事業・活動を地道に積み上げていくことしかない。一人の住民の覚悟と意識変革(「思考の土台」の再建)、地域人材の発掘と育成、地域循環経済による地域経営(稼ぎ)、そして仲間と「地域の未来」について語り合う、それがまちを変える。木下が主張するところである。
〇[1]から、まちづくりの「幻想」とその「打開策」に関する木下の論点や言説のいくつかを、限定的・恣意的になることを承知のうえで、メモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

人口さえ増加すれば地域が活性化するという幻想/人口減少と新たな経済的成長
▷地方が人口減少で衰退しており、それを解決すれば再生する考え方そのものは、大いなる「幻想」です。(40ページ)/地方の人口減少は衰退の原因ではなく、結果なのです。つまり、稼げる産業が少なくなり、国からの予算依存の経済となり、教育なども東京のヒエラルキーに組み込まれる状況を放置した結果、人口が流失したわけです。(41ページ)
▶一時的に移住定住の補助金をもらい、地域おこし協力隊などの限られた収入を3年ほど担保されただけの人口が、各自治体で数人、数十人増加しただけで構造的に変わるでしょうか。/人口論に支配された地方活性化論は、どこまだいっても無理が生じます。人口さえ増えればすべてが解決する、という幻想を捨て、先をみた思考が必要です。(43ページ)/できもしない方法に固執するのではなく、新たな付加価値の生み出し方と向き合う時代にきているのではないでしょうか。経済的成長を諦めるのではなく、今までとは異なるアプローチでの経済成長シナリオが必要なのです。(46ページ)

予算があれば地域は再生するという幻想/学び、動くヒトと組織が地域を変える
▷トップの仕事とは「人事」が9割を占めると言っても過言ではありません。「何をやるか」よりも「誰とやるか」「誰に任せるか」の方が圧倒的に重要です。/しかしながら、衰退地域のトップの多くは、「筋のよい事業に適切な予算を確保すれば成功する」という幻想に因(とら)われているのです。(62~63ページ)
▶どんなに筋のいい(見込みがある)事業で、適切な予算を確保できたとしても、どうしようもないチームでは絶対に失敗します。/内発的な力があるチームを作り出せるかどうかがすべての勝負の始まりです。だからこそトップの仕事は、事業のネタ探しでも、予算確保でもなく、よい人事なのです。(63ページ)/(意思決定層は、)組織の外で多様な接点を持ち、適切な学習時間を確保し、学び続ける必要があるのです。(64ページ)/自治体の意思決定者は、予算獲得の前に自分たちの地域がどのようなシナリオで再生するか、その戦略をつくる時間と人材を優先しなくてはなりません。そのことで適切な予算活用と事業の選択が可能になるのです。(67ページ)

成功事例を真似れば成功するという幻想/金太郎飴型からの脱却
▷意思決定層の傾向は、すぐに「答え」を求めがち。その定番は「成功事例を真似れば成功する」という幻想です。/毎年どこかの地域の「成功事例」を視察し、それをパクるための予算を行政に確保させ、取り組んでみる。うまくいかないと、次のネタをまた探し、行政の予算を確保させ‥‥‥という無限ループ(繰り返し)に陥っている地域は多くあります。(72ページ)
▶いつもこのように、ネタとカネを配って全国各地が一斉に真似をし、市場の崩壊を繰り返す。意思決定層は短絡的かつ適当なパクリをせず、自分たちの頭で考えるチームの養成に力をいれるべきなのです。国側も成功事例の横展開、水平展開の幻想から早く脱却することが必要です。(79ページ)

「うちの地域は大変な状況にある」という幻想/若者が地域の未来を豊かに語る
▷地方の意思決定層の抱える問題の一つは、地域の未来に対して非常に悲観的な人が多いことです。(96ページ)/(「うちの地域は大変な状況にある」という)ネガティブなプレゼンテーションは、その地域に関わろうとする人を減らしていく効果はあるでしょうが、プラスになることはありません。皆で「大変だよな」と言って、互いの傷をなめあったところで何も変わらないのです。(97ページ)
▶危機を乗り切る時に意思決定層の人たちが、20年、30年先に生きていないやつが意思決定をするべきではないと次の世代に席を譲り、それを支える立場に回ることは、まちづくりにおいて非常に重要です。(100ページ)/バトンを次世代に積極的に渡し、次なる世代を支え、未来に向けて動いていこうとする地域は、世代横断で変化を作り出しています。いつまでも長老たちが取り組んでいる地域は、どんどん若者はいなくなり、沈んでいきます。「誰がやるか=人」と向き合う必要があります。(101ページ)

すごい人に聞けば「答え」を教えてくれるという幻想/良いパートナーの発掘
▷(地域事業のチームメンバーを組織する際に)一番やってはいけないのは、単に「力ありそうだから」と目的も共有しないままえらい人や有名な人にチームに入ってもらうといったことです。(106ページ)/すごい人たちに聞けば「答え」を教えてくれるという幻想は捨てましょう。(108ページ)
▶(「答え」は、)自分たちで考え抜き、その上で共にプロと議論し、実践してこそ見えてくるものなのです。(108~109ページ)/「強烈な少人数チーム」(3~5人)を組織し、圧力をかわしながら、時に相手の力も借りながらプロジェクトを前に進めていくことが大切なのです。(105ページ)/地域事業の要は安易に思考を放棄せずに、自分たちでリスクをとって実践するチームなのです。税金で予算をつけた無料の研修では担い手なんて育ちません。そもそもそんなところで良いパートナーを「発掘」できるはずもないのです。(109ページ)

地域が衰退しているから誰がやっても失敗するという幻想/集団圧力からの解放
▷成功者は地域で妬(ねた)まれてしまう問題があります。(110ページ)/「悪くなるのも、よくなるのも全員一緒でなくてはならない」という、悪しき「横並び」幻想があります。足並みを乱すものは許さないという集団圧力こそが、成功者を潰し、次に続く挑戦者すら排除して、地域を衰退に至らしめることになるのです。(112ページ)。/「人口減少だ」とか、「経済が低迷している」とか環境要因のせいにして、「だから何をやっても失敗する」という幻想(に囚われている地元の事業者がいます)。(113ページ)
▶このような集団的な妬みによる状況を打破するためには、本当は意思決定者が地元の成功者を巻き込んだプロジェクトを立ち上げることが必要なのですが、なかなか難しいものです。/このような集団圧力が発生する中では、まず着実に投資して、事業を積み上げていくということに徹するのが大切です。(114~115ページ)/自らの事業を通じてまちを変えようと経営を続けられている方たちこそ、地元でより様々なシーンでの活躍が必要です。ただしその時には従来の民間と行政の関係ではなく、民間が投資、事業を開発する立場を貫くこと、そして行政もよからぬ組織心理で動かぬ、新たな公民連携のカタチが必須です。(118ページ)

集団が持つ無責任、他力本願、現状維持を正当化するための幻想/「挑戦者」「成功者」を活かす
▷集団が持つ幻想は無責任と他力本願と現状維持を正当化するために共有されているものが多くあります。(137ページ)/日本人は「みんなでやることは素晴らしい」という幻想が刷り込まれていて、それを美徳にしすぎています。/地域活性化でもよくいわれる「みんなで頑張ろう」とは、私は責任はとらないよ、という意味です。(126ページ)/地域で現状を打開し、変化させたいと思っている方であれば、それらの圧力をかわしながら、自らの動きを続けていく必要があるわけです。(137ページ)
▶(誰かの成功を)「ねたむ」「ねたまれ、疲弊する」ことによって地域は「新たな負の連鎖」に陥ります。(137ページ)/この問題の解決には2つの軸に分けて考える必要があります。地元の人々が「挑戦者・成功者を目の前にしたときにとるべき行動」と、「挑戦者・成功者側が意識すべきこと」の2軸です。(138ページ)/(前者については、)様子見などせず、最初の不安な時期にしっかりと具体的に応援すること。(後者については、)7~8人から反対されるうちに「仕事」を始め、地域での挑戦者を潰して回るのではなく、育て、投資すること、が重要です。(138~145ページ)/成功者を潰すのではなく、成功者を讃(たた)え、教えを乞い、そして褒められた成功者もオープンな姿勢で対応する。このような連携が発揮されたとき、地域に競争力のある大きな産業が生まれます。(146ページ)

「外の人」に手伝ってもらえば地域が豊かになるという幻想/「関係人口」との健全な関係
▷地域においては「よそ者」が地元を荒らす悪者の幻想を抱かれていることもあれば、有名なシンクタンクやコンサルタントを過剰に持ち上げる「よそ者」幻想に支配されているところもあるのです。(148ページ)/(関係人口については)「地元のファンが増加すれば地域がよくなる」という幻想を持ったものも多くあります。(161ページ)
▶地方に必要なのは単にゆるい関係をもつ人口(居住人口でもない、交流人口でもない、第三の人口としての関係人口)ではなく、明瞭に消費もしくは労働力となる人口を移住定住せずとも確保していくところに価値があるはずです。(162ページ)/関係人口という「外の人」に期待されるべき経済的役割としては2つがあります。(166ページ)/一つは、地元に住んだり訪れたりするだけではない「新たな消費」に貢献してくれるということです。/もう一つは、地元に不足する「付加価値の高い労働力」となってくれるという視点です。(166~167ページ)/漠然とした中で関係人口を募集するのではなく、「消費力」「労働力」という2軸をもとに地域に必要な関係人口をターゲティングし、そのような方々と意味のある関係を適切に築いていくことが重要です。(167ページ)

「わからないことは専門家に任せるもの」という幻想/外注依存の「毒抜き」
▷「わからないことは専門家に任せるもの」という幻想が、いまだはびこっています。/ハイエナのようなコンサルタントなども多くいるのも確かです。(171ページ)/地方のさまざまな業務の問題点は、計画するのも外注、開発するのも外注も、運営も外注、となんでもかんでも外注してしまうことにあります。(173ページ)
▶本来は、地元の人たちで計画を組み立て、事業を立ち上げ、産業を形成して動くのが基本です。(171ページ)/外注ばかりを続けると外注しかできなくなります。(173ページ)/地域の外注主義と、そこに群がるコンサルの構図が生み出す悪循環は、地域から3つの能力を奪います。➀執行能力がなくなり、自分たちで何もできなくなる、②判断能力がなくなる、③経済的自立能力が削がれ、カネの切れ目が縁の切れ目となる。(174~176ページ)/外注依存の「毒抜き」のためには、自前事業を一定割合で残し、外注よりも人材へ投資をする、です。当事者たる地元の人たちの知識や経験を積み上げて、独自の動きをとるのがなんといっても大切です。(176ページ)

「お金があるから事業が成功する」という幻想/事業を起こす際の4原則
▷地域で事業を起こすときに、「先立つものがない」という声が多く聞かれます。つまり「お金があるから事業が成功する」という幻想をもっていて、お金がないからできないというわけです。それは全くもって幻想、勘違いです。(189ページ)
▶(地域における初めての事業では、次の4つのポイントを意識して事業に取り組むことが大切です。)➀負債を伴う設備投資がないこと:借金したり投資家から資金を調達してまで、いきなり大規模な設備投資を伴う事業からスタートするのはリスクが高すぎます。②在庫がないこと:在庫を持つような特産品開発も、はっきり言ってナンセンです。③粗利(あらり、売上総利益)率が高いこと(8割程度):商売には、「最初は安く始め、後から高くしていく」という選択肢はありえません。製造工程から、自分にしかないスキルを提供することで付加価値を高め、粗利率が高い商売にしなければなりません。(190~192ページ)

〇木下は、以上のような「幻想」を打開する「プレイヤー」として、行政の意思決定者、行政の組織集団・自治体職員、民間の意思決定層、民間の集団・企業人、そして「外の人」を設定し、そのアクションについて言及する。その要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。一部見出しは筆者)。

行政の意思決定者/「役所」ですべきこと、「地域」ですべきこと
アクション1 外注よりも職員育成
有名な外の人に任せればよいという幻想に囚われている限りは、成果が生まれないのです。/幻想に組織が侵されないために、可能な限り、行政は「自前主義」を取り戻し、委託事業などの予算を管理した上で、人材投資に切り替える必要があります。(207ページ)
アクション2 地域に向けても教育投資が必要
何より健全な意思決定を地域全体で民主的に行うためには、最低限の教育レベルが担保されることは不可欠です。行政のみならず、議会などがまともに機能するためには、地元有権者も含めて教育ラインを引き上げていかなければ、地域の問題を自分たちで考えることは困難になってしまいます。自治体こそ国任せにしない、独自の教育投資が求められる時代になっていると思います。(209~210ページ)
アクション3 役所ももらうだけでなく、稼ぐ仕掛けと新たな目的を作る
「役所が稼ぐのはよいことではない」というのも幻想です。/意思決定者たちこそ、経営者として目を覚ます時です。必要な資金を稼ぎ、公共として投資を続けていかなくてはなりません。/稼ぐのはあくまで手段なのです。(210ページ)/自治体の意思決定層こそ、経費のかかるものを購入する「貧乏父さん」の思想から、稼ぐ資産に投資していく「金持ち父さん」の思想に転換する必要があります。(211ページ)

行政の組織集団・自治体職員/「自分の顔を持ち、組織の仕事につなげる」
アクション4 役所の外に出て、自分の顔を持とう
組織内での信頼、行政組織としての制度などに対する知識が備わっていることは基本としつつも、やはりそこから先、何かを具現化する上では地域における様々な方々に協力してもらわなければ、予算があったとしても形になりません。/同時に予算も限られる昨今、自分が言えば協力してくれる地元内外仲間をしっかり持っていないと、大きな動きは作れません。(213~214ページ)/仕事は役所内で完結するという幻想を振り払うため、アクションを起こすことが大切です。//役所内完結幻想を振り払い、まちに出ていきましょう。(216ページ)
アクション5 役所内の「仕事」に外の力を使おう
行政に所属している一人として重要なのは「役所にしかできないこと」を通じた地域への貢献です。/小さな取り組みは大切ですし、個人として顔を持つことも重要ですが、これらはあくまで手段です。それらを役所内の仕事にどれだけつなげていけるか、が大切。(217ページ)

民間の意思決定層/「自分が柵(さく)を断ち切る勇気」と「多様寛容な仕事作り」
アクション6 既存組織で無理ならば、新たな組織を作るべし
集団意思決定は、時に大きな間違いを犯す集団浅慮(しゅうだんせんりょ)に陥ったり、異なる人を排除する側面を強くするものでもあります。(219ページ)/これを打開する方法は、異分子をいかに意識的に取り込むか、にあります。/地域の取り組みにおいても、地元のいつも同じのえらい人だけでなく、外の人を効果的に取り込む仕掛けを作れるかどうかが問われています。(220ページ)
アクション7 地域企業のトップが逃げずに地域の未来を作ろう
人口減少になったらもう地方経済は終わり、というのは幻想です。/地域意思決定者の中には、極端に悲観的な予測と、まちのことは民間ではなく行政の仕事だという幻想に支配されている人がいます。(222ページ)/一方で、地元に積極的に投資を続ける経営者もいます。/地方における基盤の一つは、民間企業の存在です。地域における民間企業経営者だからこそできる地域活性化は、事業を通じた貢献なのです。(223ページ)

民間の集団・企業人/「地元消費と投資、小さな一歩がまちを変える」
アクション8 バイローカルとインベストローカルを徹底しよう
民間側の様々な組織、企業に属する人たちは、実は地元で最も大きな構成員であり、この層がどう動くか、はとても重要なことです。(225ページ)/地域内消費を、近隣の地元資本のお店にいって普通に買い物する(バイローカル)だけでも、地域内に流れるお金は違います。/地域内では地元資本を持つ人たちがお金を出し合い、地元事業に投融資すること(インベストローカル)はとても大切な動きです。(226ページ)
アクション9 一住民が主体的にアクションを起こすと地域は変わる
まちが変化するのは、大きな開発が行われる時だけでなく、小さな拠点が一つできることから始まったりします。(227~228ページ)/消費にしても、投資にしても、自ら始める企画にしても、大きな事業である必要はないのです。小さな取り組みを積み重ねれば、大きな地域の変化につながる。積小為大(せきしょういだい)、小さな一歩をないがしろにしなければ、一人の住民がまちに影響を与えることは大いにあるのです。(228~229ページ)

外の人/地元ではない強みとスキルを生かし、リスクを共有しよう
アクション10 リスクを共有し、地元ではないからこそのポジションを持つ
まず外の人として、(プロジェクトは失敗することもありますので、)地域プロジェクトに対して一定のリスクを共有することです。(230ページ)/その上で、地元ではないからこそのポジション、つまり、時に憎まれ役になるようなことも必要です。(231ページ)
アクション11 場所を問わない手に職をつけよう
地域おこし協力隊のみならず、外の人は一定のプロフェッショナルとしての役割を持つことが大切です。地域に関わる時に何ができるのか。具体的なスキルを持ち、一定の提案ができる動き方ができないと、すでに地域にある仕事をそのまま引き受けるだけになってしまいます。/「手に職」というのは高度な技術だけではなく、地域に関わる「フック」(地域・住民の興味関心を引くもの)です。(232ページ)
アクション12 先駆者のいる地域にまずは関わろう
どんな地域に関わったらいいかについては、地域との相性や地域の受け入れ態勢や準備などから、外の人としては、2つの原則があります。一つはいきなり移住しないこと、もう一つは先行者がいるところをまずは選ぶこと、です。(233ページ)

〇筆者はこれまで、1990年前後から2015年頃にかけて複数の地域で、福祉によるまちづくりの代表的な実践である地域福祉(活動)計画の策定に関わってきた。そのいずれにおいても、基本的には住民の主体形成としての「まちづくりと市民福祉教育」に焦点を当ててきた。それは、まちづくりは一人の住民の意識変革と小さな一歩(行動)から始まる、と考えているからである。また筆者は、計画の策定は、地域・住民が自分たちの「未来(あす)の夢」を語ることである。「夢」は追い求めるものであり、育むものでもある、と言ってきた。その際には、計画(夢)が画餅に帰すことのないよう細心の注意を払ってきた。それは、計画に基づく事業・活動の実現可能性を担保するためである。そしてまた、計画策定後も何らかの形でそれぞれの地域に関わってきた。それは、「関係人口」としての自分自身のあり方を問うものでもある。
〇例えば、東京都狛江市社協の地域福祉活動計画『あいとぴあ推進計画』(1990年3月)に基づいて取り組んだ一般市民を対象にした「あいとぴあカレッジ」の開講や保育園・幼稚園児を対象にした福祉絵本(「幼児のあいとぴあ」)の作成・配布、岐阜県関市社協の地域福祉活動計画『みんなで創る福祉のまちプラン21』(2000年5月)に基づく「地域ふくし懇談会」の開催などは、とりわけ思い出深いものがある。
〇狛江市社協の取り組みでは、計画策定に関わったT氏の怒りに満ちた言葉を思い出す。「私は、タバコ販売でほそぼそと暮らしていて、普段もほとんど外出はしない。こんな会議に参加している暇なんかないんだ」。その後、彼は、カレッジで自分の障害や暮らしについて語り、福祉のまちづくりの必要性を訴える「物言う当事者(市民)」に変貌する。関市社協の取り組みでは計画策定後、16の支部(地区)社協主催の基幹事業(福祉教育事業)となる「ふくし」懇談会で、さまざまな人との出会いがあった。Y氏が、「この地域にはこんなに多くの障がい者がいる。この地域の恥だ。こんな資料を懇談会に出してもらいたくない」と強い口調で不満をぶちまけた。翌年に開催された懇談会には、地元に所在する福祉施設で暮らす知的障害の若者数人が、地元住民として参加した。「自己紹介をお願いします」「‥‥‥」「‥‥‥」。彼らを温かく見守る参加者のなかにY氏もいた。
〇こんな話は枚挙にいとまがないが、地域に住む一人の住民が変わり、一人の住民が仲間と共に地域を変える。「まちづくりと市民福祉教育」の醍醐味がここにある。まちづくり幻想を振り払いまちを変えるのは常に、「百人の合意より一人の覚悟」(235ページ)であり、地域を変えるには「夢」(97ページ)が必要である、という木下の言葉を思い起こしたい。
〇絶対的に地盤沈下しているその今日的状況のなかで、社協は地区社協(小・中学校区の圏域)を基盤に、専門多機関や多職種、そして何よりも一人ひとりの高齢者や障がい者、子どもから大人までの地域住民などが、「まちづくりと市民福祉教育」を通していかに連携し共働・共創するかが問われている。それは、社協の唯一の生き残り策であるとも言える。「地域福祉(社協活動)は福祉教育ではじまり、福祉教育でおわる」という言葉を改めて強く認識したい。

よくある話ですが、うちは閉鎖的だとか、出る杭は打たれるだとか、結局、言い訳なわけです。閉鎖的だろうと、出る杭は打たれるだろうと、やる人はやるわけです。/「自分の保身で怖いからやりたくないんです。絶対に損したくないし」といってくれればよいのですが、なぜか土地のせいにします。そもそもよそ者でなくても、若くなくても、バカなんて言われなくても、やればいいだけなのです。(129ページ)

付記
「関係人口」については、阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて―その本質に迫るいくつかの鍵概念に関する研究メモ― 7 関係人口/地域再生主体としての「新しいよそ者」/2022年10月30日投稿 を参照されたい。

阪野 貢/追補/「差別」再考―「共事者」と「当事者」に関するメモ―

〇本稿は、先の記事――<雑感>(168)「差別」再考―「差別はたいてい悪意のない人がする」「差別は思いやりでは解決しない」のワンポイントメモ―/2023年2月4日投稿 の追補である。
〇『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年9月)で知られる斎藤幸平の新著に、『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』(KADOKAWA、2022年11月)がある。本書は、2020年4月から2022年3月にわたって毎日新聞に連載された「斎藤幸平の分岐点ニッポン」を書籍化したものである。行き詰まっている資本主義の現場から、23のテーマについて言及する。第3章の「偏見を見直し公正な社会へ」では、声をあげることが難しい「沈黙する(日本)社会」にあって、「外国人労働者」をはじめ「釜ヶ崎の野宿者」「東日本大震災の復興」「水俣病問題」「部落差別」「アイヌ」などに関する実相が抉(えぐ)り出される。
〇斎藤は、本書の「あとがき」で補足的に、マジョリティの特権集団に欠けている他者へのエンパシー(共感)や想像力について触れ、「一から学び直す」必要性を説く。また、誰もが加害者であり被害者でもある「事を共にする」ゆるい関りに根ざした「共事者(きょうじしゃ)」(いわき市在住の地域活動家、小松理虔の言葉)について言及する。
〇ここで、「共事者」とその類義語・関連語である「当事者」に関する斎藤の文章をメモっておくことにする(抜き書き)。

共事者は、一つの問題や正義に固執し、他の問題や自分の加害性に目を瞑(つぶ)るのではなく、さまざまな問題とのインターセクショナリティ(交差性)を見出し、さまざまな違いや矛盾を超えて、社会変革の大きな力として結集するための実践的態度である。/共事者になることは、これまでの「敵/味方」「被害者/加害者」というような単純な二元論的語りのなかで、排除・抑圧されてきた声を聞き取ることができるようになるための一歩である。(217ページ)

当事者とは誰か、本当の当事者探しをして、彼らの意見を絶対視して、尊重すべきことなのか? それは、当事者・非当事者という線引きのもとで分断を生むだけでない。結局、「真の当事者」として誰を優先するかを決定するにあたって、そこにもまた研究者や支援者の権力関係が入り込んでくる。自分にとっての都合のいい「真の当事者」の主張を探して、他の人々を黙らせることが一般化するだろう。それでは「当事者」も利用されているだけだ。それに、自らの正義に固執して、それに合致しないものを糾弾するような運動は、共感も生まない自己満足で終わる。/結果的に、「真の当事者」への語りを限定していくことが、多くの人にとって「自分には語る資格がない」と声どころか、考える能力さえも奪うことになる。その先に待っているのは、無関心と忘却である。それでは社会問題はまったく改善しない。「自分は当事者ではないから発言をするのを控えよう」というのは、一見するとマイノリティに配慮しているようで、単なるマジョリティの思考放棄である。それは、考えなくても済むマジョリティの甘えであり、特権なのだ。そのようなダイバーシティでは、差別もなくならない。(215~216ページ)

〇福祉教育ではしばしば、「当事者」や「当事者性」について議論される。その際の「当事者性」とは、「当事者」またはその問題との心理的・物理的な関係の深まりを示す度合いを意味する言葉である。その点において福祉教育は、その当事者性(すなわち当事者やその問題をどの程度 “ 我が事 ” として捉えるか)を高め深めることを支援することによって、問題意識や問題解決のための具体的な行動を得ようとする実践である、といえる(松岡廣路「福祉教育・ボランティア学習の新機軸―当事者性・エンパワメント―」『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』 VOL.11、万葉舎、2006年11月、18、19ページ)。付記しておきたい。

大橋謙策/異なる国の文化・生活慣習と多文化理解―キリーロバ・ナージャ著『6ヶ国転校生・ナージャの発見』を読んで―

〇私が、国によって文化や言語が違い、その結果として「ものの見方、考え方」が違うことに関心を持つようになったのは、何歳の頃か定かでない。ただし、笠信太郎の『ものの見方・考え方』を読んで、非常に興味をそそられたことは覚えている。
〇そんなこともあり、私は1960年代に社会福祉方法論としてのケースワークを習ったが、その内容が基底になる文化、言語の違いがあるにも関わらず、アメリカの“直輸入”的で、どうにも馴染めず、学習が進まなかった。
〇当時、“社会福祉と文化”との関係を極める必要があると考え、社会人類学や民俗学、文化論等の書物を読んだが、奥が深く、幅が広くとても自分には研究できないと考え、“文化・民俗学・社会人類学の視点からの社会福祉研究”を断念した思い出がある。しかしながら、その命題は、いつも私の心に、私の思考に引っかかる命題であった。
〇1990年代半ばに「村山談話」がだされ、日本が侵略した韓国、中国への私の贖罪感、こだわりも少し解消され、韓国への調査研究に出掛けられるようになった。その折に、韓国と日本の食文化、食事作法の違いに、改めて驚かされた。1970年代から、アメリカ、ヨーロッパに出掛けていたにも関わらず、その当時は食事マナーに気がとられていたのか、あまり注目していなかったが、韓国への旅行では食文化、食事作法をはじめとして様々な文化の違い、生活習慣の違いがあるにも関わらず、日本は“侵略”し、日本語を強制し、創氏改名まで強制した蛮行になんとも心が痛んだ。この“蛮行”をすべての日本人に理解してもらわないと、真の交流にはならないと思っている。
〇朝日新聞の1月9日の「天声人語」で紹介されていたキリーロバ・ナージャ著『6ヵ国転校生・ナージャの発見』(集英社インターナショナル、2022年7月)を読んだ。学校の給食、テスト、体操での整列の仕方等、国々によってこんなにも違うのかと改めて驚いた。それは、現象、制度が違うだけでなく、そのことを通して何を獲得するのか、なにを学ぶのかまで左右する大きな違いがあることに驚かされた。国の違う学校の試験でも、「正答」を求めない試験もあるという。つまり、社会生活の中で、常に「正答」は一つではないことを考えさせる取組でもある。一つの価値基準が全てという画一的な思考法とは異なる取り組みである。
〇この本を読んで、多文化理解とは、その国の、その民族の生活様式、文化を理解するだけでなく、それらがもたらす思考方法の違いにも目を向けなければ、その理解は皮相的なものになることを教えられた。まさに“ものの見方、考え方”の違いを理解することが多文化理解なのではないかと教えられた。そこでは自分にとって“「ふつう」こそ個性だ”という記述はとても考えさせられる記述であった。
〇以前悩んだ文化、社会人類学あるいは民俗学をきちんと学ばないと“生活に関わるソーシャルワーク”の理解は深まらないのではないかと改めて考えている。研究者生活を50年間もやってきて、いまさらながら、何をしてきたのだろうかという“自虐的自戒”に囚われる。
〇私は2005年に書いた「わが国におけるソーシャルワークの理論化を求めて」(相川書房『ソーシャルワーク研究』Vol31No1、2005年所収)において、中根千枝の社会構造研究において日本をタテ社会と論じた枠組みを援用して、日本の社会福祉、ソーシャルワークの問題について論究した。そこでは、日本には実質的にソーシャルワーク実践、研究が1990年までなかったと主張している。
〇我々は、多文化理解、多様性等について、“分かっている気になっている”が、本当に分かっているのであろうか。『6ヵ国転校生・ナージャの発見』を読んで、改めて福祉教育の奥の深さ、難しさを思い知らされた。この本は、福祉教育関係者、地域福祉関係者の必読文献と言っていい本である。
 
 
付記
キリーロバ・ナージャ/「ふつう」が最大の個性だった!?
「環境が変わると、ガラッと変わるものは?」
答えは、「ふつう」だ。転校するたびに今まで「ふつう」だと思っていたことが、急に通用しなくなる。転校生なら少なからずみんな経験している気がする。
絶対的な「ふつう」がないんだとしたら、自分の「ふつう」ってなんだろう? 今まで考えたことはなかったけれど、誰かの「ふつう」を真似する限り、二番煎じにしかならないし、自分の本当のよさが生きてこない気がした。
子どものころはなかなか気づけないけれど、まわりと違う自分の「ふつう」こそが、「個性」の原料だ。そう気づいてから、今まで嫌いだった自分の「ふつう」がなんだか少しだけかわいく見えた。
そう、みんな「ふつう」でいいし、「ふつう」に対するコンプレックスをもっともっと捨てられるといいなと。
「ふつう」を磨いていくことが、「個性」を磨くことよりずっと早いという発見をしてから、ずっとそう思っている。(114~118ページ抜粋)

阪野 貢/「差別」再考―「差別はたいてい悪意のない人がする」「差別は思いやりでは解決しない」のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、「差別論」に関する本が2冊ある。キム・ジへ著/尹怡景(ユン・イキョン)訳『差別はたいてい悪意のない人がする―見えない排除に気づくための10章―』(大月書店、2021年8月。以下[1])と神谷悠一著『差別は思いやりでは解決しない―ジェンダーやLGBTQから考える―』(集英社新書、2022年8月。以下[2])がそれである。いずれも、ハッとするタイトルである。
〇[1]は、韓国で16万部超のベストセラーとなったキム・ジへ(김지혜、Kim Ji-hye)著『善良な差別主義者』(선량한 차별주의자、2019)の日本語訳版である。筆者の差別や人権についての稚拙な考えや思い・願いに変革を迫る、強烈なメッセージを発する本である。内容的には、事例を交えながら、女性や障がい者、セクシュアル・マイノリティ、移民などに対する差別や人権の諸問題が取り扱われる。
〇「本書が注目されたのは、差別に関する既存の考え方に新たな問いを投げかけたからと考えられる。一般に、差別に対する認識は、差別をする加害者と、それを受ける被害者という構造の中で議論される。本書でも指摘されているように、だれもが差別は悪いことだと思う一方、自分が持つ特権には気づかないので、みずからが加害者となる可能性は考えない傾向が強い。こうした考え方に、本書は『善良な』という表現を用いて、『私も差別に加担している』『私も加害者になりうる』という可能性に気づかせる。つまり、平凡な私たちは知らず知らず差別意識に染まっていて、いつでも意図せずに差別行為を犯しうるという、挑発的なメッセージを著者は投げかけている」(金美珍、[1]229~230ページ)。
〇[1]では「トークニズム」、「特権」、「優越理論」、「間接差別」、「差異の政治」などの理論に基づき、「多様性と普遍性」(「多様性をふくむ普遍性」)や「形式的平等と実質的平等」の観点から、また個人的レベルと構造的レベルの差別などをめぐって論究する。「差別禁止法」についての言及も注目される。それぞれの理論と差別禁止法に関する言説の一部をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

トークニズム―名ばかりの差別是正措置:お茶を濁す―
トークニズムtokenismとは、歴史的に排除された集団の構成員のうち、少数だけを受け入れる、名ばかりの差別是正措置をさす。/トークニズムは、被差別集団の構成員のごくわずかを受け入れるだけで、差別に対する怒りを和らげる効果があることが知られている。それによって、すべての人に機会が開かれているように見え、努力し能力を備えてさえいれば、だれもが成功できるという希望を与えるからである。結局、現実の状況は理想的な平等とは雲泥の差があるにもかかわらず、平等な社会がすでに達成されているかのような錯覚を引き起こす。(25ページ)

特権―「持てる者の余裕」:意識にのぼらない恩恵―
特権とは、一部の人だけが享受するものではない。特権とは、与えられた社会的条件が自分にとって有利であったために得られた、あらゆる恩恵のことをさす。/不平等と差別に関する研究が進むにつれ、学者たちは平凡な人が持つ特権を発見しはじめた。ここで「発見」という言葉を使ったのには理由がある。このように日常的に享受する特権の多くは、意識的に努力して得たものではなく、すでに備えている条件であるため、たいていの人は気づかない。特権というのは、いわば「持てる者の余裕」であり、自分が持てる側だという事実にさえ気づいていない、自然で穏やかな状態である。(30ページ)/自分には何の不便もない構造物や制度が、だれかにとっては障壁(バリア)になる瞬間、私たちは自分が享受する特権を発見する。(31ページ)/ほとんどの人は平等という大原則に共感しており、差別に反対している。(中略)しかし、相対的に特権を持った集団は、差別をあまり認識していないだけでなく、平等を実現するための措置に反対する理由や動機を持つようになる。(38ページ)

優越理論―嘲弄(あざけり、からかうこと):他人の不幸は蜜の味―
プラトンやアリストテレスなど、古代ギリシアの哲学者たちは、人は他人の弱さ、不幸、欠点、不器用さを見ると喜ぶと述べた。笑いは、かれらに対する一種の嘲弄(ちょうろう)の表現だと考えたのだ。このような観点を優越理論superiority theoryという。トマス・ホッブズは、人は他人と比べて自分のほうが優れていると思うとき、プライドが高まり、気分がよくなって笑うようになると説明する。だれかを侮蔑(ぶべつ)するユーモアがおもしろい理由は、その対象より自分が優れているという優越感を感じられるからである。/優越理論によれば、自分の立ち位置によって、同じシーンでもおもしろいときと、そうでないときがある。そのシーンから自分の優越性を感じる際にはおもしろいけれど、逆に自分がけなされたと感じればおもしろくない。(92ページ)/集団間の関係においても、同じような現象があらわれてくる。人は自分を同一視する集団に優越感を持たせる冗談、すなわち自分とは同一視しない集団をこき下ろす冗談を楽しむ。もしも相手の集団に感情移入してしまうと、その冗談はもはやおもしろくなくなる。(中略)相手の集団に対してネガティブな偏見を持っている場合はどうだろうか。決して自分とは同一視せず、むしろ距離を置こうとする集団に対する侮蔑は、みずからの属する集団の優越性を確認できる、楽しい経験になる。(93ページ)

間接差別―一見の平等と実際の差別:同じようで違う―
だれに対しても同じ基準を適用することのほうが公正だと思われるかもしれないが、実際は、結果的に差別になる。司法書士試験で、問題用紙・答案用紙と試験時間をすべての人に同一に設定すれば、視覚障害者には不利になる。製菓・製パンの実技試験において、すべての参加者に同じように手話通訳を提供しない場合、聴覚障害者に不利である。公務員試験の筆記試験で、他の受験生と同様、代筆を許可しない場合、高次脳機能障害の人に不利である。これらは、全員に同一の基準を適用することが、だれかを不利にさせる間接差別indirect discriminationの例である。(117ページ)

差異の政治―多様性を含む普遍性:みんな違う、みんな同じ―
承認とは、たんに人であるという普遍性についての認定ではなく、人が多様性をもつ存在であること、すなわち、差異を受け入れることをふくむ。集団間の違いを無視する「中立」的なアプローチは、一部の集団に対する排除を持続させる。「中立」と見せかけている立場は、実は主流の集団を「正常」と想定し、他の集団を「逸脱」と規定して抑圧する、偏った基準であるからだ。アイリス・マリオン・ヤングが述べる「差異の政治politics of difference」は、このように「中立性」で隠蔽(いんぺい)された排除と抑圧のメカニズムに挑むために「差異」を強調する。(194ページ)/アイリス・ヤングは、抑圧的な意味を持つ「差異」という言葉を再定義する必要があると述べる。「主流集団を普遍的なものとみなし、非主流だけを『異なる』と表現するのではなく、違いを関係的に理解し相対化すること」である。女性が違うように、男性も違うことができ、障害者が違うように、非障害者も違うと見る、相対的な観点だ。したがって、差異とは本質的に固定されたものではなく、文脈によって流動的なものである。車いすに乗っている人が「つねに」異なるわけではなく、運動競技のような特定の文脈では差異があっても、他の脈略では差異がなくなるようなものだ。(196~197ページ)/私たちはみな同じであり、またみな異なる。私たちを本質的に分ける差異はないという点で、私たちは人間としての普遍性を共有するが、世の中に差別が存在するかぎり、差異は実在するため、私たちはその差異について話しあいつづけなければならない。(197ページ)

差別禁止法―平等を実現するための方策:文化の改善か、政治改革か―
私たちが生涯にわたって努力し磨かなければならない内容を、「差別されないための努力」から「差別しないための努力」に変えるのだ。これらすべての変化は、市民の自発的な努力によって、一種の文化的な革命としておこなうこともできる。平等な社会をつくる責任のある市民として生きる方法を、市民運動に学ぶのだ。しかし同時に、平等の価値を共同体の原則として明らかにし、新しい秩序を社会の随所に根づかせるための法律や制度も必要だ。日常における省察とともに、平等を実現するための法律や制度に関する議論が必要なのだ。(202ページ)/差別撤廃という目的には同意するが、国が介入する問題なのかという疑問を抱く人々もいる。かれらは、国が介入するかわりに、自発的な文化の改善を通じて社会の変化をつくりだせると考える。これは、たしかに理想的で望ましく、法の制定とは無関係に、根本的な社会変化のために必要なアプローチではある。しかし、すでに差別が蔓延している社会で、法律で定められた規範ないし実質的な変化を期待することは難しい。(208ページ)

〇以上に加えて、キム・ジヘの言説の理解を深めるために、文章のいくつかを抜き書きする。

●  私をとりまく社会を理解し、自己を省察しながら平等へのプロセスを歩みつづけることは、自分は差別をしていないという偽りの信仰よりも、はるかに貴重だということだけは明らかである。(プロローグ:13ページ)
●  私たちが権利や機会を要求するとき、結果として求めるのは、ただ楽な人生ではない。私たちは、施設に閉じ込められ、他人から与えられたものだけを食べて寝て、何の労働もせず生涯を送る人生を、人間らしい生き方とは思わない。(中略)不平等な立場にいる人が平等な権利と機会を求めるのは、他の人と同じように、リスクを覚悟して冒険し、自分なりの人生を生きていくための権利と機会という意味なのである。(1章:36ページ)
●  立ち位置が変われば、風景も変わる。/風景全体を眺(なが)めるためには、世の中から一歩外に出てみなければならない。(中略)私たちの社会がユートピアに到達したとは思えない。私たちはまだ、差別の存在を否定するのではなく、もっと差別を発見しなければならない時代を生きているのだ。(1章:41ページ)
● 固定観念は、自分の「頭の中にある絵」にすぎない。(中略)固定観念は、自分の価値体系をあらわす、ある種の自己告白になる。(51、52ページ)/固定観念は一種の錯覚だが、その影響力は相当強い。(中略)人々は、自分の固定観念に合致する事実にだけ注目し、そのような事実をより記憶し、結果的に、ますます固定観念を強固にしていくサイクルが作られる。一方で、固定観念に合致しない事実にはあまり注意を払わない。固定観念を覆すような事例を見かけたとしても、なかなか考えを変えようとしない。かわりに、その事例を典型的ではない特異なケースとみなし、例外として取りあつかうのである。(2章:52~53ページ)
●  差別を眺めるとき、性別や人種という軸に加えて国籍、宗教、出身国・地域、社会経済的地位などの軸を加えると、状況はさらに複雑になる。(62~63ページ)(中略)差別の経験をひとつの軸だけで説明することはできない(中略)。/さまざまな理由で幾重にも重なった差別を受ける人、差別を受ける集団の中でさらに差別を受ける人もいる。差別とは、二つの集団を比較する二分法に見えるが、その二分法を複数の次元に重ねて立体的に見てこそ、差別の現実を多少なりと理解することができるのだ。(2章:63ページ)
●  差別は私たちが思うよりも平凡で日常的なものである。固定観念を持つことも、他の集団に敵愾心(てきがいしん)を持つことも、きわめて容易なことだ。だれかを差別しない可能性なんて、実はほとんど存在しない。(2章:65ページ)
● (差別について)考察する時間を設けるようにしないかぎり、私たちは慣れ親しんだ社会秩序にただ無意識的に従い、差別に加担することになるだろう。何ごともそうであるように、平等もまた、ある日突然に実現されるわけではない。(3章:85ページ)
●  「からかってもいい」とされる特定の人々(中略)だけに同じようなこと(揶揄、蔑視)が集中してくりかえされる。私たちは、だれを踏みにじって笑っているのかと、真剣に問いかけるべきなのだ。(96ページ)/だれかを差別し嘲弄するような冗談に笑わないだけでも、「その行動は許されない」というメッセージを送れる。(中略)少なくとも無表情で、消極的な抵抗をしなければならないときがあるのだ。(4章:105~106ページ)
●   私たちはたちは教育を通じて、不公正な能力主義を学んでいるのではないだろうか。そのことによって、何ごとも不合理に区分しようとする、不平等な社会をつくっているのではないか。いまさらながら怖くなる。(5章:124ページ)
●  「差別は(中略)人種や肌の色を理由に、だれかを社会の構成員として受け入れないとするとき、その人が感じる侮蔑感、挫折感、羞恥心の問題である」。すなわち、人間の尊厳に関する問題なのである。(6章:143ページ)
●  民主主義が実現するには、基本的な前提として、社会のすべての構成員が平等な関係をもち、対等な立場で討論できなければならない。(中略)私たちは、同じ空間を共有しながら生きていくための倫理について考えなければならない。そうしてこそ、隠蔽された不平等を前提として平等を享受していた、古代ギリシアのポリスとは違う、真の民主主義をつくることができるだろう。(7章:162ページ)
●  正義とは、真に批判する相手がだれなのかを知ることである。だれが、または何が変わるべきなのかを正確に知る必要があるということだ。世界はまだ十分に正義に満ちあふれているわけではなく、社会の不正義を訴える人々の話は、依然として有効である。(8章:182ページ)
●  平等に向けた運動に参加できるのはだれだろうか。全員の賛同を期待することはできないだろう。歴史上、何の抵抗もなく達成された平等はなかったからだ。しかし同度に、一部の人々は、自分の立場や地位に関係なく、正義の側に立ち、マイノリティと連帯した。結局は、私たちだれもがマイノリティであり、「私たちはつながるほどに強くなる」という精神が世の中を変化させてきた。あなたがいる場所で、あなたはどんな選択をしたいだろうか。(9章:202~203ページ)
●   だれもが平等を望んでいるが、善良な心だけでは平等を実現することはできない。不平等な世界で「悪意なき差別主義者」にならないためには、慣れ親しんだ秩序の向こうの世界を想像しなければならない。そういう意味で、差別禁止法の制定は、私たちがどのような社会をつくりたいかを示す象徴であり宣言なのだ。(10章:219ページ)
●   閉鎖されたひとつの集団としての「私たち」ではなく、数多くの「私たち」たちが交差して出会う、連帯の関係としての「私たち」も可能ではないだろうか。だれかに近づき、「線を踏んだでしょう」「出て行け!」と叫ぶのではなく、みんなを歓迎し、一緒に生きる、開かれた共同体としての「私たち」をつくりたい。(エピローグ:224ページ)

〇[2]は、「差別」を「心の問題」として捉え、善意の「思いやり」や「優しさ」で解決しようとする「思いやり」万能主義からの脱却を説く。そして、権利保障と差別を解消・禁止するための法制度の整備や施策の推進の必要性と重要性について論究する。そこで取りあげる差別は、主に女性差別と性的少数者差別である。
〇神谷はこういう。「思いやり」はあくまでも、個人の資質や感情に基づくものである。その「思いやり」に基づかなくても人は守られる、というのが「人権」の考え方である。差別のひとつに「アンコンシャスバイアス」(無意識の偏見)があり、「思いやり」と同じ匂いがするフレーズに、現状の取り組みを是認する(新規性がない)意味の「周知を徹底する」や、他人事の象徴としての「何も気にしない」といったものがある。セクシュアルハラスメントに関して、「防止」法制(規定)はあるが「禁止」法制(規定)はない。また、男女の雇用機会の均等に関しても差別は禁止されているが、罰則の規定はない。ともに実効性が低く、「思いやり」に留まっているのが日本の現状である。
〇そこで神谷にあっては、制度や法律を整備することによって、一定の水準で権利を担保することが重要である。差別の防止・解消や禁止についての「啓発」の制度化や、差別禁止の法制度の導入が必要であり、「これが一番の近道」(93ページ)となる。
〇[2]における神谷の主張は要するに、「差別は権利の問題であり、思いやりは人権尊重の理念を持たない」、「差別は思いやりではなく、制度で解決すべきである」というものである。その言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換)。

●  人権問題、特に「ジェンダー」や「LGBTQ」の問題を考えたり語ったりする際に、突然「思いやり」が幅を利かせ始め、万能の力を持つかのように信奉されてしまう。(中略)何をするにしても「思いやり」が靄(もや)のように現れ、実際には何も進んでいないにもかかわらず、何かを「やった感」「やっている感」だけが残るというのが長年の日本の状況(である)。(4~5ページ)


●  「思いやり」は、個々人の「気に入る」「気に入らない」といった恣意性に左右されやすいものであり、不具合が起きてしまうものである。思いやりも人それぞれ、ということになると、そこで保障されることも人それぞれであろう。そんな普遍性のないものを「人権」と呼べるだろうか。(49ページ)
●  ジェンダー規範からの逸脱は、排除を引き起こし、差別やハラスメント、仲間外れや無視といった事象が、逸脱したマイノリティ(女性、性的マイノリティはもちろん、これらの人たちに限らない)自ら、自分を制約する方向に力を加える。それが差別に対する異議申し立てを封印し、「男らしさ」を優遇する。だから、性的マイノリティに対する個別の差別や暴力根絶とともに、大元の性差別撤廃(女性差別を含むが、より広い意味で)にも力を入れるべきだ、ということである。(112ページ)
●  思いやり「だけ」では、多岐にわたる複雑な問題を解決することはできない。仮に思いやる心があったとして、それを持続的に、習慣的に、社会的な背景や構造にアプローチできる何らかの方法で実行しない限り、社会はもとより、身の回りを変えることも難しいが実情である。/関心のない人も含めて、より多くの人がジェンダーの領域に一定程度の水準まで取り組みを進めるためには、オーダーメイド的な(職人的なと言ってもいいかもしれません)取り組みだけではなく、ある種の「量産型」的な、誰にでも取り組め、扱うことのできる手法(研修・講習による定期的な周知・啓発:筆者)も、同時に求められている。(133~134ページ)
●  「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」(略称「人権教育・啓発推進法」。2000年12 月 公布・施行)は、人権一般を扱うほとんど唯一の法律であるが、教育・啓発を実施するための行政の体制整備以外のことは規定がなく、実際の権利の保障には至っていないという致命的な課題がある。(52ページ)/この法制度に基づく取り組みは、「心がけとか思いやりとか、私人間の関係性のレベルにとどまっている」という指摘もある。(50ページ)
●  イギリスでは、「性別」や「障がい」など各分野の差別禁止法を統合したものを、通称「平等法」と呼び、両者はほぼ同じ内容として見られているようである。イギリスの場合、各分野の差別禁止法を統合した「平等法」のほうが、差別禁止法よりも積極的に平等を目指すために「公的機関の平等義務」などを規定しているとの指摘もある。(187ページ)

〇以上の言説を「福祉教育」に引き寄せて一言する(問う)。福祉教育(実践と研究)はこれまで、ジェンダーやLGBTQの問題について見て見ぬ振りを決め込んできたのではないか。また、福祉教育(実践と研究)はどれほどに、外国籍の子どもだけでなく外国人労働者や移民などの人権や差別について体系的に言及してきたか。厳しい差別や排除の現場に立ってその実態から気づき・学びを深める教育(体験学習)に積極的に取り組んできたか。差別の背景や構成要素(直接差別、間接差別、合理的配慮の否定など)について加害者と被害者を構造化して考えてきたか。不公正な能力主義や不合理な選別主義に対峙する批判的な福祉・教育理論の構築や実践に関心を払ってきたか。社会通念の変革とともに、差別を禁止・根絶するための政策の立案や関係法律・制度の改善・整備について思考し行動(運動)を起こしてきたか。そして何よりも、「思いやり」はこれらについての「思考停止」を促してきたのではないか。自責の念に駆られる。

老爺心お節介情報/第40号(2023年2月3日)

「老爺心お節介情報」第40号

皆さんお変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第40号を送ります。
今号はやや私的な事情の述懐が含まれていますがお許し下さい。

2023年2月3日   大橋 謙策

 立 春 > 
< メジロ来て梅を励ます小坪かな >

〇この句は、季語が実質的に2つあり、俳句の関係者には受け入れられない句かも知れないが、私が好きな句の一つである。
〇毎年、我が家の小坪に、メジロが来て、庭の梅の木にとまり、蕾をくちばしで突いている情景を謳ったものである。私の書斎から見えるメジロの愛くるしい姿はまさに“絵になる”情景で何とも心が洗われる思いがする。春の到来を予感させる情景である。
〇私の大学教員50周年を記念した『地域福祉とは何か』に、この句を入れたのも、俳句の出来悪しはしょうがないとして、私の心にぴったりする句で気に入っている。

Ⅰ 異なる国の文化・生活慣習と多文化理解――『6ヶ国転校生・ナージャの発見』

〇私が、国によって文化や言語が違い、その結果として「ものの見方、考え方」が違うことに関心を持つようになったのは、何歳の頃か定かでない。ただし、笠信太郎の『ものの見方・考え方』を読んで、非常に興味をそそられたことは覚えている。
〇そんなこともあり、以前の「老爺心お節介情報」にも書いたが、私は1960年代に社会福祉方法論としてのケースワークを習ったが、その内容が基底になる文化、言語の違いがあるにも関わらず、アメリカの“直輸入”的で、どうにも馴染めず、学習が進まなかった。
〇当時、“社会福祉と文化”との関係を極める必要があると考え、社会人類学や民俗学、文化論等の書物を読んだが、奥が深く、幅が広くとても自分には研究できないと考え、“文化・民俗学・社会人類学の視点からの社会福祉研究”を断念した思い出がある。しかしながら、その命題は、いつも私の心に、私の思考に引っかかる命題であった。
〇1990年代半ばに「村山談話」がだされ、日本が侵略した韓国、中国への私の贖罪感、こだわりも少し解消され、韓国への調査研究に出掛けられるようになった。その折に、韓国と日本の食文化、食事作法の違いに、改めて驚かされた。1970年代から、アメリカ、ヨーロッパに出掛けていたにも関わらず、その当時は食事マナーに気がとられていたのか、あまり注目していなかったが、韓国への旅行では食文化、食事作法をはじめとして様々な文化の違い、生活習慣の違いがあるにも関わらず、日本は“侵略”し、日本語を強制し、創氏改名まで強制した蛮行になんとも心が痛んだ。この“蛮行”をすべての日本人に理解してもらわないと、真の交流にはならないと思っている。
〇朝日新聞の1月9日の「天声人語」で紹介されていた『6ヵ国転校生・ナージャの発見』(集英社、2022年)を読んだ。学校の給食、テスト、体操での整列の仕方等、国々によってこんなにも違うのかと改めて驚いた。それは、現象、制度が違うだけでなく、そのことを通して何を獲得するのか、なにを学ぶのかまで左右する大きな違いがあることに驚かされた。国の違う学校の試験でも、「正答」を求めない試験もあるという。つまり、社会生活の中で、常に「正答」は一つではないことを考えさせる取組でもある。一つの価値基準が全てという画一的な思考法とは異なる取り組みである。
〇この本を読んで、多文化理解とは、その国の、その民族の生活様式、文化を理解するだけでなく、それらがもたらす思考方法の違いにも目を向けなければ、その理解は皮相的なものになることを教えられた。まさに“ものの見方、考え方”の違いを理解することが多文化理解なのではないかと教えられた。そこでは自分にとって“「ふつう」こそ個性だ”という記述はとても考えさせられる記述であった。、
〇以前悩んだ文化、社会人類学あるいは民俗学をきちんと学ばないと“生活に関わるソーシャルワーク”の理解は深まらないのではないかと改めて考えている。研究者生活を50年間もやってきて、いまさらながら、何をしてきたのだろうかという“自虐的自戒”に囚われる。
〇私は2005年に書いた「わが国におけるソーシャルワークの理論化を求めて」(相川書房『ソーシャルワーク研究』Vol31No1、2005年所収)において、中根千枝の社会構造研究において、日本をタテ社会と論じた枠組みを援用して、日本の社会福祉、ソーシャルワークの問題について論究した。そこでは、日本には実質的にソーシャルワーク実践、研究が1990年までなかったと主張している。
〇我々は、多文化理解、多様性等について、“分かっている気になっている”が、本当に分かっているのであろうか。『6ヵ国転校生・ナージャの発見』を読んで、改めて福祉教育の奥の深さ、難しさを思い知らされた。
〇この『6ヵ国転校生・ナージャの発見』は、福祉教育関係者、地域福祉関係者の必読文献と言っていい本である。

Ⅱ 健康診断とがん告知――“説明同意書”へのサインと3人の身元保証人の必要性?

〇現在、がんは国民の2人に1人がり患する病気であり、生存率も格段に良くなり、完治する病気にもなってきている。しかしながら、生活習慣病とは異なり、体のどこの部位に発症するのかも予測できないし、がん予防の対策も今一つはっきりしない。
〇私は、1987年3月の島根県邑南郡瑞穂町(現邑南町)への出張中、咳が酷く、風邪だろうと思い帰宅後の3月13日(金)に稲城市民病院珉を受診した。診療に当たった医師は、私の胸部レントゲン写真の他に3葉のレントゲン写真を並べ、私に私のレントゲン写真が示された3葉のレントゲン写真のどれと似ているかを質問した。3葉のレントゲン写真は肺がんのもの、肺結核のもの、肺炎のものの3葉であった。私は、自分の肺の写真の中に白い、丸い画像があったので、同じような写真を同じだと挙げた。医師は、その写真は肺がん患者の写真だと説明し、あなたは“肺がんである”と宣告し、慶應大学病院か国立がんセンターに行って、詳しい検査を受けるようにと言って、肺がんの診断書と共に紹介状をくれた。
〇風邪と思って受診した私に取って、肺がんの宣告は“晴天の霹靂”で、当時日本社会事業大学の移転業務を担っていた関係もあり、その足で、大学へ行き、相談して国立がんセンターへ検査入院することになった。
〇国立ガンセンターでの検査でも主治医は98%、肺がんだと思うが、国立ガンセンターは病理検査の結果がでないと確定診断はしないということで、セカンドオピニオンを求められ、肺結核専門の複十字病院と北里病院を紹介された。2つの病院とも肺がんの診断であった。
〇国立がんセンターの治療方針は,肺生検を行い、病理検査で確定させてから手術を行うという。病巣が右肺の上葉にあるが、内視鏡を使えないので、肺生検で病理検査を行うという。手術は右肺の肋骨3本を切除し、右肺上葉を切除するというものであった。
〇肺生検は肺の部分の局部麻酔なので、私自身の意識はあり、検査の際にモニターのブラウン管に映し出される自分の肺に針が刺され、血が滲んでいくのが見える。咳が続く中での肺生検は辛いものであった。2回行われた肺生検では病巣から組織をとることができなかった。にも拘わらず、4月17日に手術を行うということになり、術後の呼吸法の訓練が始まった。この呼吸法の訓練は辛く、いつも涙を流していた。
〇4月17日の前日、最後の検査としてレントゲンでの確認がおこなわれた。この時、レントゲンに映っていた肺の丸い、がんと思われる病巣の画像が少し変形したことに医師が気が付いてくれ、少し様子をみるということで、17日の手術は延期になった。その後、咳も止まり、退院したが、再度12月に同じような病巣の画像があらわれ、医師は手術をさせてほしいといったが、私は拒否した。その後のレントゲンではその病巣の画像は出ず、今日に至っている。
〇当時、がんは不治の病であり、生存率も低く、私はがん告知を扱った井上靖の本を始め、多くのガンについての本を読み、どう死に対応するのか、残す子どもたちの将来はどうなるのか、煩悶する日々であった。
〇他方、この“肺がん騒ぎ”の時は、丁度1987年に成立した「社会福祉士及び介護福祉士法」の国会審議の最中で、私は日本社会事業学校連盟(現日本ソーシャルワーク学校連盟)の事務局長を仰せつかっていたこともあり、築地の国立がんセンターから永田町の自民党の本部などに駆け付け、請願活動をしたことも懐かしい思い出である。
〇このような経験もあり、私は健康診断や人間ドックにやや懐疑的になっていく。日本社会事業大学の専任教員の際は、法定の健康診断が求めれるが、私学共済事業団の人間ドックは受診しないようになっていく。“肺がん騒ぎ”の頃は、未だ子どもが小さいこともあり、人間ドックを利用していたが、子どもが成長してからは人間ドックを利用しなくなった。そんな折に読んだ近藤誠医師(昨年2022年に急逝、医学界の常識を覆すような論説をいくつもの本で提起)の影響もあったかもしれない。
〇日本社会事業大学退任後は、法定の健康診断も受けず、かつ自治体から送られてくる高齢者の健康診断も受けず、かかりつけ医で6か月に1回受ける血液検査で、自分自身の体調の変化を確認することにした。ヘモグロビン(Hb)A1c、γ―GTP、血糖値、コレステロール、クレアチニン等の検査項目をチェックしている。
〇2022年3月の定期血液検査の際、S先生の強い奨めもあり、20年ぶり位に前立腺がんの腫瘍マーカーであるPSAの検査項目を入れておこなった。その結果、普段の血液検査では、検査結果票を渡してくれるだけなのに、その時はかかりつけ医が診察室に私を呼び、PSAの数値が15.4なので、前立腺がんが疑われる(正常値はPSA数値が4以下)ので、紹介状を書くのですぐに受診してほしいとのことであった。稲城市立病院と日本医科大学多摩永山病院が提示され、どちらにするかという選択をせまるので、日本医科大学多摩永山病院をお願いし、紹介状を書いてもらった。
〇多摩永山病院では、ⅯRI検査、CTスキャナー、骨シンチ等の検査を行い、前立腺以外への転移がないことが確認された。前立腺への生検が1泊2日の入院でおこなわれ、グリソンスコアが8,がんのステージ(臨床病期)はT2aで、ステージ2と診断された。
〇これに基づき、医師は選択肢が4つあると提示。第1は、このまま治療せず、放置しても余命が10年間はあるので治療しない。第2は手術ロボット・ダビンチによる全摘手術、第3はホルモン療法と放射線治療を行う。この場合には、がんは完治できないかもしれない。第4は重粒子線治療とホルモン療法を行う。ただし、東京都内には重粒子線治療ができる病院がないので、神奈川県立がんセンター(自宅から小田急線、相鉄線を乗り継いで、二俣川駅で下車、片道約2時間かかる)に行かなければならない。重粒子線とは放射線よりも重い粒子で、炭素イオンを高速で回転させ、がん細胞に照射するという。この重粒子線治療ならばがん細胞を完治できるという。夫婦で呼び出されていたので、相談して、その選択は第4の重粒子線治療にすることを決めた。
〇この一連の過程で、常に医師、看護師に問われたのは本人の意思確認であり、そのための丁寧な説明であった。インフォームドコンセントが徹底しており、そのために、必ず、“了承した旨の同意書”へのサインが求められた。またセカンドオピニオンも奨められ、その際には検査結果は提供するという姿勢であった。35年前とは雲泥の差で、医療界が大きく患者目線に変わってきていることを実感した。
〇他方、これだけの丁寧な説明をし、同意書にサインをさせておきながら、本人を信頼しないのか、時には配偶者もしくはそれに代わる人の臨席を求められることには違和感を感じた。私の子どもは勤務しているわけだし、同居ではないので、配偶者だけの身元保証人でいいのではないかといっても、身元保証人は3人必要だといって譲らない。
〇今後、一人暮らし高齢者や一人暮らし障害者等その意思確認や説明を理解できない人への対応の在り方が医療界でも社会福祉界でも大きな問題になると思われた。
〇単身高齢者が増え、身元保証人(それも3人も必要?)もいない人が増えてきている状況、一人暮らしの障害者も増加してきている状況の中で、医師、看護師からの説明を理解し、同意書にサインを求められても対応できない人が多くなることがこれからは考えられる。これは、社会福祉界において重要な、かつ喫緊の課題であると、改めて自分自身の体験から痛感した。
〇このように、配偶者、身元保証人の臨席を求めるものだから、病院内は付き添いの人も含めて大混雑であった。
〇神奈川県立がんセンターは、築50年以上の日本医科大学多摩永山病院とは異なり、近代的な建物であり、空間も広く、かつ診察システムもICTを活用した近代化された病院であった。
〇神奈川がんセンターでも日本医科大学多摩永山病院と同じような診断が下され、グリソンスコアが8、がんのステージはT2aかつ2ということであった。ホルモン療法は2年間、重粒子線治療はホルモン治療開始後6か月以降に行うという治療方針が示された。
〇ホルモン治療の効果をチェックする3か月ごとの検査では、PSAの数値が10月3日には0・217になり、1月10日は0・04迄下がっている。この数値なら、重粒子治療は必要ないのではないかと尋ねると、ホルモン治療の結果、数値が下がっているが、ホルモン治療だけではいずれ効果がなくなり、また数値が上がるので、重粒子線治療が必要との回答であった。
〇重粒子線治療がいよいよ2月末から始まる。重粒子線治療が始まるとお酒が飲めないという。それだけならまだしも、治療終了後3か月間もお酒は飲めないという。6月20日まで禁酒である。
〇前立腺がんと診断されて以降も、何の自覚症状もなく、毎日お酒を楽しんできたものにとって、3か月半の禁酒は“人生最大の危機”である。
〇3回行った「四国歩きお遍路」でも、第2回目を禁酒しただけである。その時は約40日間お酒を飲まず、結願したあと、徳島での打ち上げ式にお酒を飲んだら、まずくて早々に引き上げた記憶があるが、今度は100日間の禁酒である。どのような体質になるのか、今から楽しみである。
〇1月30日の再診で、重粒子治療に向けた準備が始まった。整腸剤を始め、4種類の服薬が毎食後必要になったが、外出している時にはついつい服薬を忘れてします。4種類の薬をコミュニティ袋に分けて持ち歩いていても、昼食等外食する際にはついつい忘れてしまう。頭では分かっていたつもりでも、いざ自分がその身になってみると、一つ一つが新たな体験で、社会福祉分野での話し方、考え方をもっと実情に合わせて考えなければならないことの反省と実感の日々である。
〇現時点では、何の自覚症状もなく、自分が前立腺がんに罹患していることが全く自覚できない、不思議な状況である。治療しなくても10年間の余命というなら、その選択肢もあったのかなという思いと、他方これからどんな体験ができるのかという楽しみと不思議な感情がなり混ざった心境のこの頃である。

(2023年2月3日記)

阪野文庫

――阪野文庫――

 

【図書目録】
「福祉教育」「地域福祉」「社会福祉」等に関する 3,163冊 の図書(雑誌を含む)が所蔵されています。
関市立図書館のオンライン目録(OPAC)で検索して下さい。
「図書目録」をクリックすると、リストが表示されます。 ⇒ 図書目録
「書誌データ」をクリックすると、各図書・雑誌の「請求記号」「資料コード」等が表示されます。 ⇒ 書誌データ
詳しくは本ブログの<プラットホーム>から、市民福祉教育研究所にお問い合わせ下さい。

【資料目録】
「福祉教育」に関する 113巻(冊)、834点 の第一次資料(コピーを含む)が所蔵されています(個別「点」数の表示が困難な資料は、1巻(冊)を1点としています。例えば、(3)日本福祉教育・ボランティア学習学会に関する資料/全11巻(冊)は11点となります)。
関市立図書館ホームページのトップページ左上に設置されている「蔵書検索」に[阪野貢]を入力し、検索ボタンをクリックすると、詳細情報を知ることができます。
「資料目録」(書誌データ)をクリックすると、リストが表示されます。 ⇒ 資料目録
各巻の「請求記号」「資料コード」等は、上記【図書目録】中の「書誌データ」の142~148ページに記載されています。
詳しくは本ブログの<プラットホーム>から、市民福祉教育研究所にお問い合わせ下さい。

(1)福祉教育に関する資料(論文・報告書等)〔第1巻~第26巻〕
※全26巻376点の「資料目録」があります。
(2)福祉教育副読本・指導資料・手引書等に関する資料〔第1巻~第22巻〕
※全22巻262点の「資料目録」があります。
(3)日本福祉教育・ボランティア学習学会に関する資料〔第1巻~第11巻〕
※全11巻のなかに、1995年2月~2012年11月までの、学会創設の準備活動等を含めた諸資料が収録されています。
(4)全社協・「福祉教育セミナー」に関する資料〔第1巻~第8巻〕
※全8巻のなかに、1983年3月23日~25日に開催された「(第1回)福祉教育セミナー」から、2004年2月17日~18日に開催された「平成15年度全国福祉教育セミナー」までの、各年度の福祉教育セミナーに関する諸資料が収録されています。
(5)日本社会福祉教育学校連盟に関する資料〔第1巻~第7巻〕
(6)日本青年奉仕協会に関する資料〔第1巻~第4巻〕
※全4巻81点の「資料目録」があります。
(7)神奈川県における福祉教育に関する資料〔第1巻~第3巻〕
※全3巻21点の「資料目録」があります。
(8)全社協・福祉教育研究委員会(第2次大橋委員会)に関する資料〔第1巻~第3巻〕
※全3巻のなかに、第1回(1982年9月29日)から第4回(1985年1月21日)までの委員会資料と、委員会が中心になって行った「福祉教育セミナー」「東・西日本福祉教育研究協議会」の開催や『福祉教育ハンドブック』の編集等に関する諸資料が収録されています。
(9)徳島県子供民生委員制度に関する資料〔第1巻~第3巻〕
(10)静岡県における福祉教育に関する資料〔第1巻~第3巻〕
※全3巻32点の「資料目録」があります。
(11)狛江市社協・「あいとぴあカレッジ」に関する資料〔第1巻~第2巻〕
(12)狛江市社協・「ふくしえほん あいとぴあ」に関する資料〔第1巻〕
(13)栃木県社会福祉教育センターに関する資料〔第1巻~第2巻〕
(14)機関誌『福祉教育』(木原孝久)〔第1巻〕
(15)機関誌『わかるふくし』(木原孝久)〔第1巻~第2巻〕
(16)機関誌『元気予報』(木原孝久)〔第1巻~第2巻〕
(17)福祉新聞『シリーズ 福祉教育の新展開』に関する資料〔第1巻〕
(18)長沼豊『ボランティア学習』に関する資料(論文)〔第1巻〕
※8点の「資料目録」があります。
(19)全国ボランティア学習指導者連絡協議会に関する資料〔第1巻〕
(20)鳥取県八頭郡の中学校における福祉教育に関する資料〔第1巻〕
(21)初期社会科教育実践に関する資料/大阪市民生事業に関する資料(論文・報告書等)  〔第1巻〕
(22)高岡市ジュニア福祉活動員制度に関する資料/松原市子供民生委員制度に関する資料〔第1巻〕
(23)全国福祉高等学校長・総会、研究協議会等に関する資料(平成5年度~)〔第1巻〕
(24)教科「福祉」と高等学校「福祉関連学科」基礎資料(平成17年度版~)〔第1巻〕
(25)全国高等学校長会家庭部会福祉科校長会・全国福祉科高等学校及び福祉教育実態基礎調査集計報告〔第1巻〕
(26)第19回日本福祉大学社会福祉公開夏季大學・「高等学校福祉科の教育」に関する資料  〔第1巻〕
(27)静岡県民生部『社会連帯の育成をめざして』/静岡県労働部『心情豊かな人づくりのために』〔第1巻〕
(28)東京都社会福祉協議会『社会福祉の理解を高めるために』/東京都社会福祉審議会『東京都における社会福祉専門職制度のあり方に関する中間答申及び最終答申』/国際社会福祉協議会日本国委員会『今日の社会福祉教育』〔第1巻〕
(29)中央社会事業協会・社会事業研究生インタビュー等に関する資料〔第1巻〕

新美一志/追記/書く:「論文の書き方」について―あなたへ―

〇本稿は、先の記事――<雑感>(165)新美一志/書く―あなたへ―/2022年12月12日投稿 の追記です。内容的には、「論文の書き方」についての基礎と基本(土台と中心、知識と認識)のあれこれを改めて考えようとするものです。叙述の形式(フォーム)については、他の記事との整合性を考慮して、阪野貢氏のそれに依ることにしました。

(1)清水幾太郎『論文の書き方』岩波新書、1959年3月(改版:2015年2月)
〇本書は、自身の経験に触れながら、「文章構成の基本的ルール」をエッセイ風に纏めたものである。それは、「Ⅰ 短文から始めよう」から始まり「Ⅱ 誰かの真似をしよう」がそれに続くが、いわゆる「ハウツーもの」ではない。文章を書く行為は人間にとって気高い精神の営みであることが詳述される。岩波新書のロングセラーであり、「古典的名著」と言われる所以でもある。
〇清水にあっては、文章・論文を書くというのは、「或る問題に答えることであり、或る問題を解くことである」(19ページ)、「観念や思いつきを大切にしなければいけない」(21ページ)、「言葉を使い、論理(ロゴス)を重んずるといことである」(108ページ)、「経験と抽象との間の往復交通を必要とする」(181ページ)、「思想に秩序を与えることである」(157ページ)、「思想を作ることであり、人間を作ることである」(229ページ)。
〇本書のうちから、留意したい言説のいくつかをメモっておく(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

書くことを通して本当を理解することができる
読むという働きより一段高い、書くという辛い働きを通して、読むという働きは漸(ようや)く完了するのである。即ち、書物を読むのは、これを理解するためであるけれども、これを本当に理解するのには、それを自分で書かねばならない。自分で書いて初めて書物は身につく。/読む人間から書く人間へ変るというのは、言ってみれば、受動性から能動性へ人間が身を翻(ひるがえ)すことである。書こうと身構えた時、精神の緊張は急に大きくなる。この大きな緊張の中で、人間は書物に記されている対象の奥へ深く突き進むことが出来る。しかも、同時に、自分の精神の奥へ深く入って行くことが出来る。対象と精神とがそれぞれの深いところで触れ合う。書くことを通して、私たちは本当に読むことが出来る。表現があって初めて本当の理解がある。(8~9ページ)

「が」に頼っていては文章は書けない
「‥‥‥が、‥‥‥」。相当に長い句が「が」という接続助詞で結びつけられている文章がある。(56ページ)/「が」の重要な用途を挙げてみると、第一に、「しかし」「けれども」「にも拘わらず」の意味があり、前の句と後の句との反対関係が「が」で示される。第二に、「それゆえ」「それから」の意味で用いられ、前の句と後の句との因果関係が「が」で示される。第三に、「そして」という程度の使い方があり、前の句と後の句との単なる並列乃至(ないし)無関係が「が」で示される。(57ページ、要約)/「が」は極めて便利な接続助詞なのであって、これを頻繁に使えば、誰でもあまり苦労せずに文章が書ける。(中略)眼の前の様子も自分の気持も、これを、分析したり、また、分析された諸要素間に具体的関係を設定したりせずに、ただ眼に入るもの、心に浮かぶものを便利な「が」で繋いで行けば、それなりに滑かな表現が生まれるもので、無規定的直接性の本質であるチグハグも曖昧も表面に出ずに、いかにも筋道の通っているような文章が書けるものである。(中略)それだけに、「が」の誘惑は常に私たちから離れないのである。(60~61ページ)/本当に文章を書くというのは、無規定的直接性(眼前や心中に現れているものをそのまま表現すること:阪野)を克服すること、モヤモヤの原始状態を抜け出ることである。(60ページ)

文章とは認識であり行為である。文章には個人性と社会性がある
文章とは、認識である。行為である。(60ページ)/(文章はそれを理解し認識することによって初めて意味をなすが:阪野)どうにでも受取れるような曖昧な表現は避けねばならない。主語がハッキリしていること、肯定か否定かがハッキリしていることが大切である。(81ページ)/(それは)書く本人が責任を負うということである。(46ページ)/言うまでもなく、文章を書くというのは自分を主張する行為である。与えられた現実を、自分というものを通して再構成する働きにほかならぬ。自分の、自分だけの行為である。文章には強く個人性の側面があると言わねばならない。しかし、その半面、特定の個人に宛てた手紙とは違って、文章は広く不定限の人々によって読まれるものである。それは社会生活の中へ出て行かねばならぬ。文章は社会生活の中で活動し、そこで評価を受けなければならない。(144ページ)

文章は自由であるが常に孤独である
話し言葉は協力者(話し相手)の群に囲まれていると同時に、紐つきである。これと反対に、書き言葉即ち文章は、孤軍奮闘、何処にも味方がいないと同時に、非常に自由である。しかし、自由は何も楽しいものとは限っていない。/文章においては、言葉は常に孤独である。それは全く言葉だけの世界であって、何処を眺めても、協力者はいない。会話において多くの協力者がやってくれた仕事を、一つ残らず、言葉が独力でやらなければならない。文章を勉強するには、何は措いても、このことを徹底的に頭に入れておく必要があると思う。この点で、書き言葉は話し言葉と全く条件が違うのである。文章を書く場合、具体的な人間が相手になっているのではないし、まして、相槌など打ってはくれない。具体的状況を相手と共有することもないから、これを当てにするという便宜も欠けている。言うまでもないことだが、表情や身ぶりも手伝ってはくれない。しかも、そういう協力者がいないというだけでなく、会話で協力者が果してくれた役割の一つ一つを、文字を使って自分で果して行かねばならないのである。(75~76ページ)

論文には説得力の広さと強さが求められる
論文は、誰にでも読んで貰える、誰にでも通用する、広い且つ強い説得力を持つべきものである。相手がいても、その相手に甘えたら、立派な論文は書けない。そういう広さや強さを身につけておいて、その上で特定の相手を考えるのが順序である。読む人の中には、さまざまの考え方の人がいるであろうが、文章は、考え方の相違を突破して行くだけの力を持たねばならない。しかし、力はただ烈しい形容詞などを用いても生れはしない。むしろ、大切なのは、静かな、しかし、誰でも認めずにいられぬような証明であろう。(77~78ページ)/文章を真面目に勉強している人なら、相手の著書や論文を本気で研究することから始めなければいけない。相手が言おうとしていることを、相手に代ってキチンと言えるくらいでなければいけない。(中略)著者の身代りになって表現出来るほどにマスターした書物や論文であってこそ、本当の批判を加えることが出来るのである。(中略)文章の修行は、ただ文章の修行ではなくなる。技術の勉強ではなく、内容の勉強に発展する。(中略)それから、もう一つ、批判の文章では、著者は確かに相手であるけれども、手紙でない限り、著者だけが読むのではない。著者以外の読者という相手がいること、そこから要求される説得力の広さと強さ、これを忘れてはならない。(78~79ページ)

日本語を客体として意識しなければならない
私たちは日本語に慣れ、日本語というものを意識していない。これは当り前のことである。しかし、その日本語で文章を書くという時は、この日本語への慣れを捨てなければいけない。日本語というものが意識されないのでは駄目である。話したり、聞いたりしている間はそれでよいが、文章を書くという段になると、日本語をハッキリ客体として意識しなければいけない。自分と日本語との融合関係を脱出して、日本語を自分の外の客体として意識せねば、これを道具として文章を書くことは出来ない。文章を書くというには、日本語を外国語として取扱わなければいけない。(87ページ)

文章を書くに当たって学説と現実的な問題に気を配る必要がある
当の問題について、既にいろいろな学説があるものである。主要な学説は、それを採用するか否かに関係なく、これを知っていなければいけないし、学説の間には相互に批判があるにきまっているから、それぞれの要点も知っていなければいけない。こういう方面で非常識であってはならない。仮に既存の学説をすべて拒否するにしても、その大体を知った上での拒否でなければならない。/社会には必ずアクチュアル(現実的)な問題がある。どういう時代にも、人々の関心を集めているアクチュアルな問題があって、それをめぐっていろいろの勢力や意見が戦い合っているものである。こういう状況はよく掴(つか)んでおいた方がよい。それは、世間の注目を集めている問題についてのみ発言せねばならぬという意味ではない。自分の文章がどんなにアクチュアルでなくても、結局はそこで読まれ、そこで或る役割を果すのであるから、こういう状況の構造は知っておく必要があるという意味である。(145ページ)

文章には攻める面と守る面とがある
文章には、攻める面と守る面とがある。文章を書く時、私たちは攻撃と守備という二つの活動をするのである。言うまでもなく、攻撃というのは、自分の意見や発見を主張する側面である。これは自分だけが社会に向かって行うものであり、自分だけが行うものであればこそ、文章を書くという張り合いがある。(中略)これに対して、守備というのは、自分の意見や発見が、学説の上と現実の上とで、社会的に孤立しないように、そこにしっかりと足場を固める作業である。これが不足だと、或いは、不足だと感じられると、社会に向って歩み出して行く自信が生まれてこない。攻める方が個人性の面であるとすれば、守る方は社会性の面である。(中略)文章を書く時、二つの側面があることを念頭に置かねばならぬ。自分は何処を攻めているのか。何処に自分の意見や発見があるのか。それを知っていなければいけない。というのは、うっかりすると、ただ守るばかりで、一向に攻めない文章を書いてしまうからである。(146~147ページ)

(2)小熊英二『基礎からわかる 論文の書き方』講談社現代新書、2022月5月
〇本書は、自身が担当する慶応義塾大学藤沢キャンパスでの「アカデミック・ライティング」の講義をもとに、学問分野を超えた共通の科学的な「論文の書き方」の「基礎」として、「論文とは何か」「科学とは何か」を提示する。そのうえで、「研究の進め方」「文章の書き方」などについて説述する。しかし、それは、「論文の書き方マニュアル」ではなく、また「文章指導」でもない。「論文の書き方」の「基礎」の「教養」(451ページ)である。
〇小熊にあっては、「基礎からわかる」とは、初歩ではなく、根本から理解することを意味する。そして、人間が論文を書くのは人間の不完全さに気づき、不完全な人間が進歩するためである(446ページ)。論文(アメリカ式の論文の型式)は、「自分の考えを根拠と論理をもって説明し、他人を説得する」(4ページ)型式であり、「必ずしも真実の探究の技法ではない」。すなわち、主題(問い)を提起し、論証し、再確認する(問いに答える)という型式(構成)で、たとえば「戦争をやろう」とも「戦争をやめよう」とも主張でき、「善用も悪用もできる技法」でもある(56ページ)。そして小熊はいう。学問は、意見・考えに対する批判と追検証による協同作業を通して発展し、みんなの共有財産(共有知識)になる(68ページ)。論文は、その「協同作業の一部」である(94ページ)。科学は、目や耳で経験的に観測できる対象を調査し、追検証できるような研究を求める(118ページ)。その実践(現実・事実の説明と因果関係の論証など)が論文の作成である。ここに、論文の社会的意義が見出され、著者の責任が問われることになる。
〇本書のうちから、留意したい言説のいくつかをメモっておく(抜き書きと要約。見出しは筆者。語尾変換)。

「論文の書き方」の基礎
「科学は進歩する」というのなら、科学は不完全だということ、もっといえば人間は不完全だということを、前提にしていることになる。(445ページ)/人間は不完全だから進歩するし、努力する。そして、人間が一人でやれることには限界がある。だから書いて、公表し、他人と対話する。それが「論文の書き方」の、いちばんの基礎にあたるものである。表面的な型式がいくらか変わったとしても、そこは変わらない。(446ページ)

「論文」の型式と「良い文章」の基準
「論文」は基本的には、①主題となる問いを提起し(序論introduction)、②証拠を挙げて論証して(本論body)、③問いに対する答えを述べる(結論conclusion)、という流れを構成する。(29ページ)/論文とは、論理で説得する技法である。/そのためには、意味が明快で、つながりが論理的であることが求められる。/それを実現するには、一つ一つの文がどういう内容を持っているのか、どういう論理的なつながりをもってその位置にあるのか、を意識することが必要である。一つの文が一つの内容を持ち、全体の主題を支えるように配置される。そのように意識するのが、論文の文章を書く一つのやり方である/。またもう一つ、学術的な論文に要求されるのは、典拠(てんきょ)が示されていることである。これがないと、読者が追検証できない。/これらから考えると、論文における「よい文章」の基準は、①意味が明確であること、②論理が追いやすいこと、③典拠が示されていること、の三つである。(376~377ページ)

「科学」の考え方と論文を書くことの意義
近代の「科学」は、論文を公表して、相互批判や追検証を行いながら発展してきた。(63ページ)/「科学」というのは、お互いに前提を共有して、論拠を確認しながら、論理的に対話していくことである。「これは科学的に証明されていることだ。反論は許さない」とかいったら、それは「科学に名を借りた権威主義」といっていい。(64ページ)/科学が権威になったら、それはもう科学ではない。不完全さに気づき続けることが科学である。/そして、それを実践するのが、論文を書くということである。(459ページ)/学んだ知識や理論を使って、自分の問いを立て、先人の不完全さを指摘し、自分で対象を選び、自分で設計した方法論methodology(調査設計:個別の方法methodを組み合わせて、調査の全体を設計していくこと。方法の体系・システム:阪野)で調べてみる。それによって、自分が立てた問いや、自分が設計した方法論が不完全であったことを、対象と向かいあうことによって知る。あるいは、先人の知恵と試行錯誤に畏敬(いけい)の念をもつ。そうした経験をすることが、論文を書くことの意義である。(460ページ)

(3)戸田山和久『最新版 論文の教室―レポートから卒論まで―』NHKブックス、2022年1月
〇本書は、「ロングセラーの論文指南書」などと評される『論文の教室―レポートから卒論まで―』の第3版にあたる(『初版』2002年11月、『新版』2012年8月)。そこでの基本的な主張は、論文は「問いと主張と論証」のある文章であり、「型にはまった」文章である。「論文はアウトラインを膨らませて書くもの」であり、「論文の命は論証にある」(15ページ)、ということである。
〇戸田山は本書で、「論文とは何か」に始まって、論文を書くときの心構えや気をつけるべきこと、論理的な文章を書くためのノウハウ(しきたり、作法)などをめぐって、36の[鉄則](必ず守らなければならない規則)を提示する。そして、具体例をあげたり練習問題を示しながら分かりやすく、ときにはユーモアを交えながら解説する。
〇「鉄則」は次の通りである。そこから、「論文とは何か」(論文の定義)については、[鉄則05]から、「明確な問いを立て、その問いに対する一つの明確な答えを主張し、その主張を論理的に裏づけるための事実的・理論的な根拠を提示して主張を論証する文章」となる。その際の「論証」とは、ある主張の説得力を論理的に高めるためになされる言語行為のことをいう(162ページ)そして、その論証を説得力の高いものにするためには、そこで使われている根拠が十分な裏付けをもち、併せて論証の仕方・形式が妥当なものでなければならない。とりわけ留意しておきたいところである。


(4)澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年6月
〇本書は、「いかに研究するか、それをいかに論文としてまとめあげるか」についての具体的な手引であり、上述の清水の理論書に対して、「実用中心のハウ・トゥーもの」である。その重点は、論文にまとめあげるまでの研究過程に置かれ、それに関する戦略知識を提示する(15、16ページ)。その点において「名著」と評され、ロングセラーとなっている。
〇澤田にあっては、論文はおよそ次のようなプロセスを経て作成される。①論文書きの時間の約三分の二は、資料集め(トピックの選択、文献・資料探し、資料研究)で占める。②資料探しは体系的・合理的に行い、大ざっぱに資料に目を通す(仮読みする)。③参考図書に目を通し、参照した文献・資料はすべて記録する(文献カードを作成する)。④資料の必要部分を熟読し、テーマごとに分類・整理する(研究カードを作成する)。⑤手に入れた資料の真正性や信頼性をテスト(資料批判)し、正確なデータを作る。⑥集まったデータを構造的に組み立て、論理的なアウトラインを作り、それを文章化し、肉づけする(「書く」の型式的操作)。⑦データの内容について時間的・論理的アプローチや5W1Hなどの方法を用いて説明・解釈する(「書く」の内容的操作)。⑧下書き、書き直し、総点検(論文全体が明瞭で、正確で、無駄なく整理され、淀みなく流れるようにでき上っているかをチェック)し、論理的で説得力のある論文に仕上げる。
〇澤田は、「書く」ことと「読む」ことについてこういう。「書くというのは何よりも構造を作ることで、論文書きにはそれが最も大切なこと」である(103ページ)。「『書く』というのは、内容的には、資料に即して確立された正確なデータを、データに即して構成した一般概念によって説明、解釈すること」である(140ページ)。「『読む』のは、感受性、想像性、思想を豊かにするために『読む』こと」を指す(166ページ)。「広く深く『読む』ことは、よく『書く』ことの大前提で、優れた論文や著作は、『読む』ことによって豊かにされた精神からのみ生まれて」くる(167ページ)。付記しておきたい。

(5)小笠原喜康『最新版 大学生のためのレポート・論文術』講談社現代新書、2018年10月
〇本書は、レポート・論文術のベストセラーである『大学生のためのレポート・論文術』の第3版にあたる(『初版』2002年4月、『新版』2009年11月)。「1.レポート・論文のあたりまえの基本」から始まり、「2.レポート・論文の基本ルール」「3.文献・資料の集め方(テーマを絞る)」「4.レポート作成の基本」という順に詳述される。「1」と「2」は「論文の書き方事典」(16ページ)である。
〇小笠原は本書で、論文を書くテクニックではなく、クリティカル(鋭敏)な論文につながる「あたりまえの基本ルール」を微細にわたって説明する。小笠原はいう。「論文を書くには、必要な情報を検索して、問題点を絞りこみ、筋道をたてて表現しなくてはならない。こうした、探求力、構想力、論理力、表現力を総合的に身につけられるのが論文を書く作業である」(5ページ)。「現実の論文作成は、もっと泥臭く、もっと逡巡(しゅんじゅん)し、もっと後悔的である。簡単ではない。自分との闘いである」。「その苦しさの中で、自分があらわれてくる。(中略)結果ではなく、過程である」(6ページ)。「論文は、自分物語を書き、自分の世界をつくるためにある。他の誰でもない自分が、自分をみすえて自分の世界を変えていく。それが自分になる」(231ページ)。論文指導や論文論(論文に関する論)の第一人者と評される小笠原の思想・哲学である。

―あなたへ―
〇「論文の書き方」に関する本や資料は山ほどあります。今回は、論文指導や論文論に関する本のなかから、叙述の抽象度の高・低と射程範囲の広・狭を軸に、さらには論文の書き方のノウハウ(技術、コツ)の詳細度を考慮して、とりあえず以上の5冊を取り上げました。それぞれの特徴や視角・視座について誤解を恐れずあえて一言でいえば、清水のそれは「理論、」小熊は「学問」、戸田山は「鉄則」、澤田は「過程」、小笠原は「指導」という言葉になるでしょうか。また、それぞれにあっては論文を書くことは、「人間が進歩するため」(小熊)であり、「思想を作り、人間を作る」(清水)、「自分をみつける」(小笠原)、「自分を高める」(戸田山)、「自分の思想をまとめて表現する」(澤田)ことであるとしています。そして、その点への言及には哲学的・理論的な考察が含まれています。そこには濃淡(濃い味、薄い味、隠し味)がありますが、それぞれの本が版を重ねている理由のひとつを見出すことができると思います。それは、単なる「ハウツーもの」「手引書」「実用書」ではない、ということです。
〇詳細は原典にあたっていただくとして、内容の一部でも「あなた」に伝わることを願っています。

老爺心お節介情報/第39号(2023年1月9日)

「老爺心お節介情報」第39号

「老爺心お節介情報」第39号を送ります。
関係する方々への配信は自由ですので、大いにご活用下さい。
なお、阪野貢先生が主宰する「市民福祉教育研究所」のブログには第1号からすべて掲載されていますので、必要な方はアクセスしてください。
ご自愛の上、ご活躍下さい。

2023年1月9日   大橋 謙策

寒中お見舞い申し上げます!
〇皆様お変わりありませんでしょうか。暦の上では小寒になり、これから寒さ本番の大寒を迎えます。
〇新型コロナウイルス感染症と共に、インフルエンザも流行してきているようです。くれぐれもご自愛の上、ご活躍下さい。
〇今回の「老爺心お節介情報」では2つの事項の情報提供と提案です。
〇今年も、これから研修等忙しくなります。次回の「老爺心お節介情報」を発信できるのは、多分3月になってからではないでしょうか。第36号から37号までの期間が約6か月も空き、多くの方に“大橋は生きているのか、病気したのではないか”とご心配を頂きましたが、今回は斯様なご心配はご放念下さい。

Ⅰ 地域共生社会政策における必読書

『差別はたいてい悪意のない人がする――見えない排除に気づくための10章』キム・ジヘ著、尹怡景訳、大月書店、2021年7月初版、1600円

〇本書は、韓国で2019年に『善良な差別主義者』というタイトルで出版され、1年もしないで10万部を超えるベストセラーになった本の日本語訳版である。
〇日本でも、2021年に翻訳刊行されてから今まで7刷りされている。
〇私はこの本を読んで、自分の従来の差別論や人権感覚を多面的に問い直す必要性を感じた。本書で述べられている論理を全て首肯できてはいないが、少なくとも何気なく使ってきた差別、特権、平等、多文化、共生という用語、言葉を、改めて自らが置かれている“立ち位置”を意識して使わなければならないということを意識させられた。
〇“発せられた言葉”は同じものでも、それを発した人の“立ち位置”によって“意味”が大きく異なり、時にはその“言葉”が差別にもなることも意識させられた。
〇本書で改題をしている大東文化大学の金美珍准教授が、「本書が注目されたのは、差別に関する既存の考え方に新たな問を投げかけたからと考えられる。一般に、差別に対する認識は、差別する加害者とそれをうける被害者という構造の中で議論される。本書でも指摘されているように、だれもが差別は悪いことだと思う一方、自分が持つ特権には気づかないので、みずからが加害者となる可能性は考えない傾向が強い。本書は『善良な』という表現を用いて、「私も差別に加担している」、「私も加害者になりうる」という可能性に気づかせる。つまり、平凡な私たちは知らず知らず差別意識に染まっていて、いつでも意図せずに差別行為を犯しうるという、挑発的なメッセージを著者は投げかけている。」と述べているが、私が気づかされた点もまさにその通りである。
〇本書を読みながら、多くのページに蛍光ペンでマークをし、かつ付箋も付けた。その一つ一つに関わる私のコメントを書きたい思いがあるが、それはある意味一冊の本を書くようなものである。皆さんは、是非この本を読んで欲しい。とりわけ、地域共生社会政策に関わる人、福祉教育に携わる人、差別、人権に興味関心を寄せ、差別を無くし、平等の社会を創ろうと思っている人には是非読んで欲しい本である。
〇本書は、アメリカの事例、判例、韓国の社会状況をふんだんに取り上げながら論述されていると同時に、政治学、民主主義に関わる歴史的論者の考えも引用しており、その文献の渉猟の広さ、凄さ、博学さにも圧倒される本である。

Ⅱ 市町村に「ソーシャルケア連絡協議会」を創ろう

〇国は今、地域共生社会政策を推進しています。その中で、市町村の第2層レベルでの専門多機関、専門多職種の連携を求めています。
〇筆者は、2000年5月に、日本学術会議の幹事を仰せつかっている時に、当時の日本学術会議会員であった仲村優一先生と、私と同じ幹事であった田端光美先生に相談し「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」を設立しました。
〇それは、ソーシャルワークとケアワークとを統合的に考え、両者の社会的評価、社会的発言力を高める試みとして設立しました。その協議会には、社会福祉士会、精神保健福祉士会などのソーシャルワーク専門職団体、介護福祉士会のケアワーク専門職団体、それらの養成を担う大学、養成校の団体並びにそれらの研究を行う日本社会福祉学会などの17団体に参加してもらい結成されました。
〇このソーシャルワークとケアワークとを連動させる考え方は、1987年の「社会福祉士及び介護福祉士法」制定の際にも、その必要性を説きましたが却下され、社会福祉士及び介護福祉士は別々の国家資格として法制化され、各々が専門職団体を設立し、成長してきました。
〇しかしながら、1980年代の入所型社会福祉施設中心の時代ならいざ知らず、1990年代に入り、在宅福祉サービスが法定化され、住民の在宅福祉サービス利用が増えてきている状況では、1980年代までの施設福祉サービス提供とは大きく異なり、ソーシャルワークとケアワークとを統合的に捉えるケアマネジメントが必要とされてきます。
〇この状況はイギリスでも同じで、イギリスは1998年にソーシャルワークとケアワークとを連動させた教育研修体系に切り替えるために、「ソーシャルケア統合協議会」を設立しました。
〇この点については、拙著『地域福祉とは何かーー哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』第2部第1章(P73)に書いていますので参照してください。
〇私は全国的な「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」を創ると同時に、各都道府県レベルでも「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」を創り、社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士の地位向上、社会的発信を強めるべきであると考え、関係者にお願いしてきました。そのためにも、毎年7月の「海の日」をソーシャルワーカーデーに定め、各都道府県レベルでの活動の強化をお願いしてきました。私の知る限り、最も典型的な組織を創ってくれたのは栃木県です。大友崇義先生を中心の「栃木県ソーシャルケアサービス研究協議会」が設立され、2022年に20周年大会が行われました。
〇と同時に、私は「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」の市町村版を創るべきだと考え、いろいろ働き掛けをしてきました。その一環として、市町村で設置される審議会や地域福祉計画策定委員会に社会福祉士や介護福祉士等の専門職団体の支部長を参加させるべく行政に働き掛けてきました。
〇一例をあげると山形県鶴岡市の地域福祉計画策定委員会に、社会福祉士会の支部長に入ってもらいました。また、東京都豊島区の地域保健福祉審議会の委員に豊島区社会福祉士会支部長に入ってもらいました。
〇行政は、当初、そのような支部があるかどうかも分からない等という理由で拒否反応を示しましたが、支部はあるはずであると説得して委員に入れてもらうことにしました。
〇鶴岡市の社会福祉士は地域福祉計画策定委員会の副委員長として、現場の状況を踏まえた適切な情報提供、発言をしてくれました。豊島区の場合は、支部長は社会福祉士養成の専門学校の先生でしたが、全く“現場感覚”がなく、発言もできず、私は社会福祉士の代表を入れて欲しいと行政に頼み込んだ経緯もあり、行政の関係者に幾度か謝りました。
〇市町村レベルでは、社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士の国家資格を有している人がいると言っても数は多くないでしょうし、その力量、資質も“千差万別”であり、その時点(2000年代)ではやむを得ないと思っています。医師のレベルは100年以上かけて、そのレベルが確立してきていますが、社会福祉士等の資格は国家資格になってから高々20年にも満たない状況での取り組みだったので、その旨行政に話し、育てて欲しいと行政にお願いしました。
〇しかしながら、現在推進されている地域共生社会政策における包括的・重層的支援体制における第2層の専門多機関、専門多職種連携が求められている状況の中では、“待ったなし”の状況で、社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士の力量が問われます。
〇この機会に、市町村レベルにおいて「ソーシャルケア連絡協議会」を創り、切磋琢磨してお互いの力量を高めると同時に、社会福祉士等のソーシャルワーク、ケアワークの国家資格の認知度を高め、社会的評価と信頼を高める活動を展開する必要があるのではないでしょうか。
〇市町村レベルの状況を考えると、この「ソーシャルケア連絡協議会」には、介護支援専門員、障害者相談支援員、あるいは保育士の方々にも参加して欲しいものです。
〇是非、市町村社会福祉協議会の方はこの取り組みを進めて欲しいですし、県レベルの方々にはその支援をお願いしたいと思います。

(2023年1月9日記)