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大橋文庫/阪野文庫

大橋文庫


市民福祉教育研究所では、一部の「大橋謙策蔵書」の<リスト>( ⇒「大橋謙策蔵書リスト」:7,480冊 ( 雑誌を含む ) )を所蔵しております。詳しくは、フロントページ、画像下のナビゲーションメニュー中の「プラットホーム」からお問い合わせください。  ⇒   プラットホーム


1 大橋謙策の研究業績

1)著書(単著、編著、監修)

1

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2)論文

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出典:『大橋謙策主要論文等(2019年~2023年)』大橋ゼミ50周年ホームカミングデー実行委員会、2023年10月、1~16ページ。

12

3)追補(未定稿)

備考:本資料は、岡村英雄氏(日本社会事業大学大学院修士課程修了、大橋ゼミ)の作成になるものである。一部確認を要する点があることから、「未定稿」とした。岡村氏には感謝とお礼を申し上げたい。/市民福祉教育研究所

 


阪野文庫/総覧


【図書目録】
「福祉教育」「地域福祉」「社会福祉」等に関する 3,163冊 の図書(雑誌を含む)が所蔵されています。

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【資料目録】
「福祉教育」に関する 113巻(冊)、834点 の第一次資料(コピーを含む)が所蔵されています。

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--➀ 福祉教育に関する資料(論文・報告書等)〔第1巻~第26巻〕
※全26巻376点の「資料目録」があります。

--➁ 福祉教育副読本・指導資料・手引書等に関する資料〔第1巻~第22巻〕
※全22巻262点の「資料目録」があります。

--➂ 日本青年奉仕協会に関する資料〔第1巻~第4巻〕
※全4巻81点の「資料目録」があります。

--➃ 神奈川県における福祉教育に関する資料〔第1巻~第3巻〕
※全3巻21点の「資料目録」があります。

--➄ 静岡県における福祉教育に関する資料〔第1巻~第3巻〕
※全3巻32点の「資料目録」があります。

--➅ 長沼豊『ボランティア学習』に関する資料(論文)〔第1巻〕
※8点の「資料目録」があります。

*   *   *

(1)日本福祉教育・ボランティア学習学会に関する資料〔第1巻~第11巻〕
※全11巻のなかに、1995年2月~2012年11月までの、学会創設の準備活動等を含めた諸資料が収録されています。

(2)全社協・「福祉教育セミナー」に関する資料〔第1巻~第8巻〕
※全8巻のなかに、1983年3月23日~25日に開催された「(第1回)福祉教育セミナー」から、2004年2月17日~18日に開催された「平成15年度全国福祉教育セミナー」までの、各年度の福祉教育セミナーに関する諸資料が収録されています。

(3)日本社会福祉教育学校連盟に関する資料〔第1巻~第7巻〕

(4)全社協・福祉教育研究委員会(第2次大橋委員会)に関する資料〔第1巻~第3巻〕
※全3巻のなかに、第1回(1982年9月29日)から第4回(1985年1月21日)までの委員会資料と、委員会が中心になって行った「福祉教育セミナー」「東・西日本福祉教育研究協議会」の開催や『福祉教育ハンドブック』の編集等に関する諸資料が収録されています。

(5)徳島県子供民生委員制度に関する資料〔第1巻~第3巻〕

(6)狛江市社協・「あいとぴあカレッジ」に関する資料〔第1巻~第2巻〕

(7)狛江市社協・「ふくしえほん あいとぴあ」に関する資料〔第1巻〕

(8)栃木県社会福祉教育センターに関する資料〔第1巻~第2巻〕

(9)機関誌『福祉教育』(木原孝久)〔第1巻〕

(10)機関誌『わかるふくし』(木原孝久)〔第1巻~第2巻〕

(11)機関誌『元気予報』(木原孝久)〔第1巻~第2巻〕

(12)福祉新聞『シリーズ 福祉教育の新展開』に関する資料〔第1巻〕

(13)全国ボランティア学習指導者連絡協議会に関する資料〔第1巻〕

(14)鳥取県八頭郡の中学校における福祉教育に関する資料〔第1巻〕

(15)初期社会科教育実践に関する資料/大阪市民生事業に関する資料(論文・報告書等)〔第1巻〕

(16)高岡市ジュニア福祉活動員制度に関する資料/松原市子供民生委員制度に関する資料〔第1巻〕

(17)全国福祉高等学校長・総会、研究協議会等に関する資料(平成5年度~)〔第1巻〕

(18)教科「福祉」と高等学校「福祉関連学科」基礎資料(平成17年度版~)〔第1巻〕

(19)全国高等学校長会家庭部会福祉科校長会・全国福祉科高等学校及び福祉教育実態基礎調査集計報告〔第1巻〕

(20)第19回日本福祉大学社会福祉公開夏季大學・「高等学校福祉科の教育」に関する資料〔第1巻〕

(21)静岡県民生部『社会連帯の育成をめざして』/静岡県労働部『心情豊かな人づくりのために』〔第1巻〕

(22)東京都社会福祉協議会『社会福祉の理解を高めるために』/東京都社会福祉審議会『東京都における社会福祉専門職制度のあり方に関する中間答申及び最終答申』/国際社会福祉協議会日本国委員会『今日の社会福祉教育』〔第1巻〕

(23)中央社会事業協会・社会事業研究生インタビュー等に関する資料〔第1巻〕


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老爺心お節介情報/第42号(2023年4月12日)

「老爺心お節介情報」第42号

皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。
新年度になり、気持ちも新たに地域福祉研究に、実践に取り組み始められたことと思います。
筆者が、約40年間に関わり、「バッテリー型研究・実践」を展開してきた富山県氷見市社会福祉協議会の地域福祉実践が『福来の挑戦――氷見市地域福祉実践40年のあゆみ』として、中央法規出版から2023年4月に刊行されました。
氷見市の地域福祉実践をけん引してきてくれた元氷見市社会福祉協議会事務局長の中尾晶美さんが昨年来闘病生活を送られていましたが、薬石効なく、この3月に逝去されました。本の出版を待たずに逝去されたことはとても残念ですが、本の校正ゲラには目を通して頂いていたことがせめてもの慰めです。中尾晶美さんのご冥福を心より祈念しています。
他方、教え子である原田正樹先生が、この4月より日本福祉大学の学長に就任されました。筆者の教え子で、大学教員になった人は約45名いますが、その中で学長になった人は初めてでうれしい限りです。“人との出会いの素晴らしさ”を改めて感じています。

2023年4月12日   大橋 謙策

Ⅰ 新型コロナウイルス感染症の新たなステージにおける新しい社会システム

〇2020年1月に新型コロナウイルス感染症が国内で確認され、4月には緊急事態宣言が出されて丸3年が経ちました。
〇新型コロナウイルス感染症が社会福祉分野に与えた影響は測りしれないのですが、私なりに2022年11月1日に整理したら以下のような問題、課題が明らかになりました。

(1)不安定就業層の露見化と経済的困難さーー生活福祉資金特例給付問題から見える新らたなニーズ
① 安定していると思われた自営業者、フリーランサー、飲食店と委託契約・直販している栽培農業者、鯛等の特定魚類の要職をしている漁業者等の生活困窮
② 不安定就業層(契約社員、派遣社員、アルバイト等)の方々の生活困窮
③ 技能実習生の外国人の方々の生活困窮
④ アルバイトで生計と学業を両立させていた大学生、高校生の生活困窮
(2)核家族の絆、家族機能の脆弱化の顕在化とその社会化支援の必要性
① 自粛生活の長期化で「孤立・孤独」に陥っている方々の生活不安、生活のしづらさ問題
➁ 通院が制限されることによるストレスと家族での対応の困難さ
③ 狭隘な住宅環境においてリモートワークを求められた家族のストレス、DVの増加
④ 一人親家庭、核家族等での新型コロナウイルス感染による入院・療養の際の養育の代替、介護の代替等家事機能に関わる生活の困難さ
⑤ 自宅待機の学童・児童のリモート学習対応、学習支援に困難さを抱えた家族
(3)社会関係の希薄化と孤立化の一層の促進
① 福祉サービス(通所、訪問)の制限による障害者及び高齢者のストレス、要介護度の悪化と家族対応の困難さ
➁ 民生・児童委員の訪問活動の制限
③ 子ども食堂の閉鎖、認知症高齢者のオレンジカフェ等ボランティア活動の制限
(4)人間としての成長の「節」に必要な社会体験機会の喪失――親密圏から公共圏への人格の再構築におけるイニシエーション機会の喪失
① 修学旅行等の学校外での社会体験の未体験、
➁ 大学のキャンパスにおける交流の禁止とサークル活動等の興隆機会の喪失
(5)社会福祉施設のリスクマネジメントとBCP(業務継続計画)の必要性
① 家族等との面会の制限による認知機能の低下
➁ エッセンシャルワーカーとしての介護・保育の現場のクラスターと代替機能の確保
③ 感染症対策に関わる物品の確保と経費の捻出の困難さ
④ 利用者の感染に伴う隔離、療養と空間的制約
⑤ 感染症対策上の利用者の減少に伴う経営問題
⑥ 社会福祉法人としてのリスクマネジメントとBCP問題

〇このような問題がマイナス面としてあるものの、一方ではプラスの面もあったと感じています。
〇それは、会社に毎日通勤し、同じ職場で、対面でしか仕事ができないと“思い込んでいた”ことが、インターネットの急速な普及で自宅でリモートで仕事が可能だということが分りました。このことは、日本的組織の中で、我々の行動、見方、考え方を“呪縛”していた価値規範が大きく崩れ、価値観の多様性を認める“一歩”になったともいえます。
〇この「老爺心お節介情報」(ろうやしんおせっかいじょうほう)も、実は新型コロナウイルス感染症による外出自粛、自宅待機が求められる中、“やることもない”ので、暇にあかせて書き始めたもので、新型コロナウイルス感染症がなく、従来のように動き回っていたら発想も出てこなかったでしょうし、書いている時間もなかったことでしょう。
〇新型コロナウイルス感染症は、従来の価値規範や組織の在り方、行動規範などのもろもろの見直しを迫り、新しい社会システムを惹起させる契機になるというプラスの面があったこともきちんと見ておかなければなりません。
〇日本の社会は、この新型コロナウイルス感染症に伴う“社会実験”で急速に変化していくことになると思います。それに人口減少、労働力不足などの要因を加味していくと、社会福祉の分野といえども避けて通れない課題です。

Ⅱ 地域福祉研究における「研究方法」に関する研究の必要性

〇かつて、筆者は東北福祉大学の学会において、赤坂憲雄が提唱している「東北学」を援用し、東北地方の地域福祉実践、地域福祉研究の独自性に関する研究の必要性を提起したことがあります。
〇また、1990年ごろの日本地域福祉学会の研究の一環として「蓮如上人の布教と地域福祉方法論」についてエッセイ風に小論を書いたことがあります(この文献が私の手元にない。持っている方はコピーして私に下さい)。
〇「老爺心お節介情報」で、今まで何回か、地域福祉史研究の重要性を指摘してきたが、ぜひ若手の地域福祉研究者は時間をとって、この研究をしてほしい(歴史研究には時間が掛かり、かつ研究成果を出し辛い)。
〇かつて、筆者は日本社会福祉学会の求めで「若手研究者に期待すること」というエッセイを書きました。その中で、研究者の素養には①社会福祉に関する歴史研究、②社会福祉の哲学に関する研究、③社会福祉に関する国際比較研究が不可欠であることを述べたことがあります。
〇地域福祉研究者も、国の政策に“一喜一憂”するのではなく、かつ“政策の解説をする”のではなく、本質的な研究方法を身に着けて、地に足を付けた研究をしてほしい。自分が市町村との間で、しっかりした「関係人口」にも位置づいていないのにもかかわらず、その市町村の地域福祉実践を解説風に論評する研究“方法”は、ある意味地域福祉研究の倫理に悖ると考えなければなりません。
〇日本地域福祉学会は、地域福祉研究における研究方法について、もっと論議を深める必要性があります。
〇かくいう筆者自身も、東大大学院時代に、当時の助手から“お前は「道聴塗説」をしている。もっと、しっかり研究をするように”と叱られた記憶がある。
〇ぜひ、その面からも地域福祉史研究をしっかりやってほしい。

Ⅲ 『福来の挑戦――氷見市地域福祉実践の40年のあゆみ』を上梓

〇富山県氷見市の「関係人口」の一翼を担い、氷見市社会福祉協議会の実践のアドバイザー的役割を担ってきた原田正樹先生と筆者の二人が監修した上記『福来の挑戦――氷見市地域福祉実践の40年のあゆみ』(中央法規出版)が2023年4月に刊行されました。
〇筆者は、かつて生物学の授業で“個体発生は系統発生を繰り返す”ということを習ったことがありますが、地域福祉を推進する社会福祉協議会の発展の要件というものが、この本には凝集されていると自負しています。
〇全国各地の社会福祉協議会関係者が自ら関わる社会福祉協議会の地域福祉実践力を高めようとしたら、氷見市社会福祉協議会の各ステージごとの要件をキチンと学び、それを遂行していくことに尽きるのではないかと思っています。
〇上記の本で、十分触れられなかった点を補足しておきますと、①1990年代当初から「保健・医療・福祉の集い」を行っていたこと、②介護保険前夜に、国光登志子先生が、社会福祉協議会職員のみならず、市内の関係者向けに、「関係人口」の一人として精力的にケアマネジメントに関する研修をおこなったこと、③「寄付の文化」を醸成することを意識してきたことがあります。
〇多くの人に上記の本を読んで、学んで欲しいという思いから、全国の社会福祉協議会関係者に献本した際の添え状、メッセージを下記に転載しておきます。

(参考)
社会福祉協議会関係者の皆様
地域福祉研究者の皆様

〇皆様にはお変わりなく、地域福祉の推進・向上にご尽力されていることとお慶び申し上げます。
〇本年は、市町村社会福祉協議会が1983年に社会福祉事業法(当時)に法定化されてから40周年の節目の年です。かつ、厚生労働省が2016年以降推進している地域共生社会政策において、文字通り地域福祉が社会福祉のメインストリーム(主流)になりました。
〇しかしながら、地域福祉推進において、市町村社会福祉協議会は“中核”的役割を担えているのでしょうか。
〇地域共生社会政策において、改めて市町村社会福祉協議会はどうあるべきなのか、どう経営されるべきなのか、住民と行政に信頼される市町村社会福祉協議会の在り方が問われています。
〇富山県氷見市社会福祉協議会は1966年に社会福祉法人化されました。しかしながら、その活動は長らく氷見市福祉事務所の片隅に机二つおいて各種社会福祉関係団体のお世話を行うにとどまっていましたが、1981年に第1次社協基盤強化計画を策定することにより、実質的に地域福祉推進組織としての歩みを始めます。本書は、それからの約40年間の実践を取りまとめたものです。
〇氷見市の名物である寒ブリ(鰤)は成長魚で、成長に伴い名称を変えていき、最終的に体重約10キロになると鰤と呼ばれるようになります。本書のタイトルの「福来」(ふくらぎ)は、鰤の幼魚の名称です。
〇氷見市社会福祉協議会の活動も「福来」(ふくらぎ)だったものが、今や全国的に評価される「鰤」になりました。
〇本書は、「福来」が如何に「鰤」になったかの挑戦の記録を綴ったものです。住民の社会福祉への理解を促進させて作られた地区社会福祉協議会活動、地域福祉推進における行政との協働の歴史、住民のニーズに対応した新たな福祉サービスの開発等、今求められている重層的支援体制整備事業に関わる課題が歴史的に整理されており、社会福祉協議会関係者必読の文献になったのではないかと自負しています。
〇本書は、氷見市行政、氷見市社会福祉協議会のアドバイザー的役割を担いつつ、氷見市の地域福祉推進・向上を約40年間見守ってきた大橋謙策と原田正樹が監修させて頂きました。
〇全国の社会福祉協議会関係者並びに地域福祉研究者に本書を是非読んで頂き、本書を参考にして各々の市町村社会福祉協議会の実践力の向上と経営の安定を図り、現在求められている地域福祉推進・向上の“中核的組織”として社会的に評価される組織に飛躍されることを祈念して、本書を謹呈致します。

2023年3月
大橋謙策
原田正樹

三ツ石行宏/福祉教育の探究―歴史・理論・実践―


 

Ⅰ 福祉教育史研究の現状と課題


















出所:三ツ石行宏/福祉教育史研究の現状と課題/『日本福祉教育・ボランティア学習学会  研究紀要』Vol.22、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2013年11月  、68~76ページ。
謝辞:転載許可を賜りました三ツ石行宏先生と日本福祉教育・ボランティア学習学会に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所


 

Ⅱ 福祉教育は都合よいボランティアの

養成方法なのか?

―福祉マンパワー施策及び福祉教育の概念規定に焦点をあてて―

 

Ⅰ.  はじめに

「ボランティアは都合よく利用されているだけではないか?」そのように、ボランティアに対して懐疑的な見方をする人は少なくはないだろう。たとえば、東京オリンピックのボランティア募集は「やりがい搾取」と批判され、ブラックボランティアとして揶揄されたことは記憶に新しい。社会福祉領域のボランティアについては、「『とり込まれた』ボランティア活動は、本人たちの意図とは関わりなく、結果として『安上り福祉』を支えることになってしまった」(田代, 2007, p.120)という指摘もある。

本学会(日本福祉教育・ボランティア学習学会)として着目すべき指摘は、阪野(1993, p.24)による「社会福祉の世界においては、いま行政によるボランティアの包絡化が進み、マンパワー対策の一環としてボランティアの確保と養成のための福祉教育の推進が図られている」というものであろう。篠原(2020, p.103)はより踏み込んで「福祉教育はややもすると国家責任としての社会福祉の転嫁の流れ、在宅福祉サービスの流れ、地域福祉計画などの計画化の流れに位置づけられ、無償ないし廉価な人材の育成に資する側面をもつ点への注意が必要である」と指摘をしている。

つまり、福祉マンパワー施策と福祉教育との関連が問われている。先行研究において、管見の限り、福祉マンパワー施策が福祉教育をどのように位置づけてきたかについて歴史的に明らかにした先行研究はない1)。そのため、本研究の目的は、まず福祉マンパワー施策が福祉教育をどのように位置づけてきたかについて、その政治的含意を歴史的に明らかにすることにある。日本社会福祉学会事典編集委員会編『社会福祉学事典』を見ると、「マンパワー・人材」に1章分、割かれているほど社会福祉領域で重視されていることが分かる。マンパワー・人材育成と教育は切っても切り離せない関係でもあるため、研究意義があると考える。福祉マンパワー施策が福祉教育をどのように位置づけてきたかについての結論を先取りすれば、福祉マンパワー施策における福祉教育の位置づけは、「ボランティアの確保と養成のための福祉教育の推進」(阪野, 1993, p.24)が主たる側面であったことにあり、それを実証的に跡付けることになる。ただ「ボランティアの確保と養成のための福祉教育の推進」は果たして、どのような意味を持っているであろうか。ネガティブなことであるのか、またネガティブな側面があったとしても、それを克服しうる方策はないのであろうか。本研究では、その問いについて考察することを、もうひとつの目的として設定する。

Ⅱ.  研究方法

研究目的の1つ目である、福祉マンパワー施策が福祉教育をどのように位置づけてきたかについて、その政治的含意を歴史的に明らかにすることにおいて、分析方法は次のものを採用する。すなわち「福祉教育を所与のものと予め設定するのではなく、(中略)答申や通知等において 、福祉教育がどのようなものとして語られているかを丹念に描き出していくこと」(三ツ石, 2013, p.74)を採用する。つまり、福祉教育の概念規定をいったん宙づりにして「言説に着目し、(中略)政治的含意を明らかにする」(三ツ石, 2013, p.74)方法を採用する。分析対象は社会福祉領域における先行研究で福祉マンパワー施策として俎上に載せられた施策とする。福祉教育の用語が全国的に最初に明文化して使われたのは、1968年全国社会福祉協議会による「市町村社協当面の振興方策」においてである(原田, 1996, p.75)。そのため、分析対象となる福祉マンパワー施策は1968年以降のものに限定する。

研究目的の2つ目は、「ボランティアの確保と養成のための福祉教育の推進」は果たして、どのような意味を持っているのか、ネガティブな側面があったとすれば、それを克服しうる方策はないのか、といった問いについて考察することである。研究目的の1つ目として、福祉マンパワー施策における福祉教育の政治的含意を明らかにするため、言い換えれば行政側の意図を明らかにするため、その概念規定については宙づりにしてきたが、研究目的の2つ目では実践者・研究者側から検討・構築されてきた福祉教育の概念規定を踏まえてボランティア(主にネガティブな側面)について考察を加える。

なお、本学会の論文投稿に関するガイドラインを遵守する。本研究のような文献研究は、当該ガイドラインにおいて、引用・剽窃に関する規定(第4条)、多重投稿・二重投稿に関する規定(第5条)、人権への配慮(第6条)が主として関わると考える。具体的には本研究では自説・他説の引用に際して引用箇所等を明示し、また引用に際して一次資料を確認して引用・剽窃に関する規定(第4条)を遵守している。本研究は、他誌への同時投稿、既刊論文(および既刊論文の内容との重複)ではないため、多重投稿・二重投稿に関する規定(第5条)を遵守していると考える。論文投稿前に、差別的あるいは不適切と考えられる用語はないかを改めて確認し、人権への配慮(第6条)を遵守していると考える。

Ⅲ.  福祉マンパワー施策における福祉教育の位置づけ

第Ⅲ章では、福祉マンパワー施策が福祉教育をどのように位置づけてきたかについて歴史的に明らかにする。戦後の福祉マンパワー問題は、大橋(1992)によると4期に区分される。福祉教育が福祉マンパワー施策にどのように位置づけられてきたのかを、基本的にはこの大橋(1992)の4つの時期区分に沿って検討していく。

1.  第1期および第2期の福祉マンパワー施策における福祉教育の位置づけ

第1期は、社会福祉主事の養成・確保をどのようにするかが問われた戦後混乱期から1960年代末までの期間である。この期は、行政整備と生活保護を中心とした経済的給付としての公的扶助が社会福祉における最大の課題であり、公的扶助を担当する職員の養成と研修が大きな課題であった(大橋, 1998, p.26-28)。第1期は前述のように、検討の範囲外である。

第2期は、「社会福祉施設緊急整備5ヵ年計画」に基づく社会福祉施設増大に見合う社会福祉施設職員の確保および養成に関する課題であり、おおむね1970年頃から1985年頃までである。この時期は、福祉事務所に就職することを想定している社会福祉主事の養成と、“社会福祉施設の近代化”の中で社会福祉施設に就職する生活指導員、ケアワーカーの養成のあり方とが混在している時期である(大橋, 1998, p.27)。この5ヵ年計画は、もともとは「新経済社会発展計画」にもとづき、その策定が求められ、1970年の中央社会福祉審議会の「社会福祉施設の緊急整備について」という答申を踏まえて策定されたものであり、保育所の整備や老朽社会福祉施設の建て替え等をその内容としていた。しかし、「社会福祉施設の緊急整備について」・「社会福祉施設緊急整備5ヵ年計画」のいずれについても、福祉教育という用語は使われていない。

ただ、第2期は、施設福祉から在宅福祉への転換期でもあるが、その転換に伴い、従来の社会福祉職員施策に関する問題では登場しなかったマンパワーの課題がクローズアップされてくる。それは、在宅福祉の固有の職員の確保、資質の向上と共に、ボランティアが重要なマンパワーとして捉えられたことである(小笠原, 1988, p.27)。たとえば、全国社会福祉協議会は1977年に「在宅福祉サービスに関する提言」を行い、在宅福祉サービスの重要性を強調し、それを担うマンパワーとしてボランティア等の確保と増員の必要性を指摘した。その「在宅福祉サービスに関する提言」であるが、「マンパワー対策」という項目の中に「福祉教育」の文言が見られる。すなわち「ボランティアの確保にとって,社会福祉の情報の提供と福祉教育の充実は不可欠である」という箇所である。この期から、福祉マンパワー施策の中でボランティアがマンパワーとして捉えられ、福祉教育が用語として使われ始めるのである。本節をまとめると、第2期の福祉マンパワー施策から、ボランティアがマンパワーとして捉えられ、福祉教育が用語として使われ始めるのである。

2.  第3期の福祉マンパワー施策における福祉教育の位置づけ

第3期は、1987年に成立した「社会福祉士及び介護福祉士法」に基づく資格制度とその養成が問われてくる時期である(大橋, 1998, p.27)。「社会福祉士及び介護福祉士法」は、1986年に東京で開催された国際社会福祉会議で日本に社会福祉専門職制度のないことが指摘されたり、日本社会事業学校連盟が大学における専門職員養成のガイドライン作りを進めていたこと等を背景に、成立した法律である(大橋, 1997, p.29)。『社会福祉士及び介護福祉士法成立過程資料集』(全3巻)を確認しても福祉教育の用語は出てこない。また「社会福祉士及び介護福祉士法」制定に変わった当時の厚生大臣のオーラル・ヒストリー(『斎藤十朗オーラル・ヒストリー』)を確認しても、福祉教育に関わる文言は出てこない。「社会福祉士及び介護福祉士法」を含む、この期の施策において、福祉教育の用語は見られない。

3.  第4期の福祉マンパワー施策における福祉教育の位置づけ

第4期は、ゴールドプランとの関係で問われているマンパワー問題である(大橋, 1992, p.26)。ゴールドプランにおいて、数値目標が立てられたことにより、それだけのマンパワーを確保できるのかという問題が浮き彫りになったのである。厚生省は介護需要の増大に伴い顕在化した福祉マンパワー問題等を検討するために「保健医療・福祉マンパワー対策本部」を設置し、1991年に中間報告をとりまとめるのである(大橋, 1997, p.29)

(1)  ゴールドプランなどの計画等と福祉教育
ゴールドプランでは、在宅福祉推進10ヵ年事業としてホームヘルパー10万人等、また施設対策推進10ヵ年事業として特別養護老人ホーム24万床棟といった整備目標が設定され、さらには「寝たきり老人ゼロ作戦」の展開、在宅福祉等の整備の充実のための「長寿社会福祉基金」の設置などが掲げられた(秋元ほか編, 2003, p.123)。ただゴールドプランには福祉教育という用語は見られない。ゴールドプランは、1994年度中に出揃った地方の「老人保健福祉計画」で策定された整備目標を踏まえて作成しなおされ、1995年度からは「高齢者保健福祉推進10か年戦略の見直しについて(略称・新ゴールドプラン、以下この用語を使用)」になった。そして、この新ゴールドプランについては、福祉教育の用語が見られる。

新ゴールドプランにおいて、「介護基盤整備のための支援施策の総合的実施」として、「1.高齢者介護マンパワーの養成・確保対策の推進」から、「7. ボランティア活動・福祉教育・市民参加の推進」が7点挙げられている。そのうち7点目を見たらわかるように、福祉教育の用語が見える。そこでは、「ボランティア活動・福祉教育の推進」として「学童・生徒のボランティア活動の一層の推進を図る」とされている。

新ゴールドプランの後には、1999年に「今後5か年間の高齢者保健福祉施策の方向(略称・ゴールドプラン21。以下、この用語を使用)」が出された。ゴールドプラン21でも、福祉教育の用語は見られる。ゴールドプランにおいて、「今後取り組むべき具体的施策」として「(1) 介護サービス基盤の整備」から「(6) 高齢者の保健福祉を支える社会的基礎の確立」まで挙げられている。そのうち6点目の「高齢者の保健福祉を支える社会的基礎の確立」であるが、「長寿科学の推進」「国際交流の推進」に並んで「福祉教育の推進」が掲げられている。「福祉教育の推進」については「介護福祉士等の福祉専門職の養成を推進。あわせて、学童、生徒のボランティア活動を推進」とされている。「学童、生徒のボランティア活動を推進」となっており、新ゴールドプランの文言からの変化は見られない。

上記のように、高齢者関連の施策である新ゴールドプラン、ゴールドプラン21に福祉教育の用語は見られる。一方、児童関連の施策はどのようであろうか。1994年の「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について(略称・エンゼルプラン。以下この用語を使用)」、1999年の「重点的に推進すべき少子化対策の具体的実施計画について(新エンゼルプラン。以下この用語を使用)」といった子育て支援計画はどうであろうか。エンゼルプランは,「子育てと仕事の両立支援の推進」など5つの基本的方向と「多様な保育サービスの充実」など7つの重点施策が示すものである2)。エンゼルプランの具体化として,大蔵・厚生・自治の3大臣合意により「緊急保育対策等5か年事業」が策定された。「緊急保育対策等5か年事業」において,保育の量的拡大等を図るために数値目標が設定され,計画的に推進することとされた。このエンゼルプランに福祉教育の用語は見られない。新エンゼルプランでは,「保育サービス等子育て支援サービスの充実」等8つの施策目標が示された3)が、福祉教育の用語は使われていない。つまり、エンゼルプランおよび新エンゼルプランといった子育て支援計画には福祉教育の用語は見られない。その他、障害者関連の施策はどのようであろうか。1995年の「障害者プラン――ノーマライゼーション7ヵ年戦略」は、リハビリテーションの理念とノーマライゼーションの理念を踏まえつつ、「バリアフリー化を促進するために」等の7つの視点から施策の重点的な推進を図るものである4)。しかしながら、障害者プランには福祉教育の用語は見られない。ここまでまとめると、高齢者に関わる福祉マンパワー施策には福祉教育の用語は見られるが、児童・障害者に関わる福祉マンパワー施策には見られないということである。

介護需要の増大に伴い顕在化した福祉マンパワー問題等を検討するために設置された「保健医療・福祉マンパワー対策本部」は、1991年に中間報告を取りまとめるが、その中に「次代を担う学童、生徒をボランティア予備軍として位置づけ、福祉マインドを醸成するための、福祉教育を推進する」(厚生省大臣官房政策課編, 1991, p.58)という文言がみられる。本項をまとめると、次のようになる。つまり、福祉マンパワー施策は、高齢者に関わるボランティア養成の方策として福祉教育という用語を使ったのである。

(2)  「社会福祉事業に従事する者の確保を図るための措置に関する基本的な指針」と福祉教育
1992年に社会福祉事業法及び社会福祉施設職員退職手当共済法の一部を改正する法律(略称・福祉人材確保法、以下この用語を使用)が公布された。1995年には、福祉人材確保法に基づき、「社会福祉事業に従事する者の確保を図るための措置に関する基本的な指針」(以下、福祉人材確保指針として使用)が告示された。この福祉人材確保指針も、福祉マンパワー施策に含まれる(潮谷, 2014, p.709)ので、この項で検討する。

福祉人材確保指針であるが、社会福祉事業は人を相手とし人が行うサービスであること、および将来的に労働力人口が減少すると予想されることから、従事者の処遇の充実、社会的評価の向上等、就業の促進および定着化を図るような施策について示している(秋元ほか編, 2003, p.401)。福祉人材確保指針において、次の2箇所で福祉教育という用語が使われている。1つは「第2 人材確保の目標と課題」に現れ、もう1つは「第4 国及び地方公共団体が講ずる支援措置」に現れている。以下、各々について、厚生省社会援護局の解説も見ながら検討する。

表1 「国及び地方公共団体が講ずる支援措置」の1つ

表1から福祉教育の位置づけの要点は次の2つに捉えられると思われる。1つ目は、社会福祉・社会保障に関する給付やサービス等の理解のための手段である。2つ目は、ボランティアという福祉のすそ野を広げるための手段である。なお、ボランティアは福祉専門職の前段階という位置づけでもある。続いて「第4 国及び地方公共団体が講ずる支援措置」に現れる福祉教育について検討する。

表2 「国及び地方公共団体が講ずる支援措置」の1つ

表2から福祉教育の位置づけの要点は、福祉の仕事に従事する者の社会的評価向上の手段であることが分かる。ただ、表1にも言えることであるが、「国民の社会福祉に関する活動への参加の促進を図るための措置に関する基本的な指針」を参照せよとある。

「国民の社会福祉に関する活動への参加の促進を図るための措置に関する基本的な指針」は福祉マンパワー施策ではないが、「福祉の担い手」について示している箇所があるので、その箇所について検討する。当該箇所は次のとおりである。

「福祉の担い手の養成確保の観点からは、総合的かつ体系的にサービスを提供す  るために、福祉の専門職から一般のボランティアまで多様かつ重層的な構成をとることが必要であり、また、ボランティア活動の経験は、社会福祉事業に従事する者の業務への理解を高めるとともに、将来福祉の職場に参画する契機ともなり得る。さらに、社会福祉施設におけるボランティア活動を通じて、その介護や育児の技術等が地域に伝達され、住民の介護力等の向上の機会としても役立つ。」

上記の方策の1つとして「福祉教育・学習」が示されている。福祉人材確保指針と同じように、ボランティアという福祉のすそ野を広げるためであり、ボランティアは福祉専門職の前段階という位置づけでもあることが示されている。ここで新しく示されたのは次の2つである。一つは「社会福祉施設におけるボランティア活動を通じて、その介護や育児の技術等が地域に伝達され、住民の介護力等の向上の機会としても役立つ」であるが、もう一つは「総合的かつ体系的にサービスを提供するために、福祉の専門職から一般のボランティアまで多様かつ重層的な構成をとることが必要」である。その方策として福祉教育が位置づけられていることである。

なお「国民の社会福祉に関する活動への参加の促進を図るための措置に関する基本的な指針」が告示された時期は低額な費用負担を伴う生活支援型のサービスがボランティア活動か否かという議論が生じた時期でもあり、一時、有償ボランティアという表現もみられたが、結局は住民参加型福祉サービスという整理に落ち着くことになった(原田, 2010, p.32)。当該指針では、住民参加型福祉サービス供給組織として福祉公社、消費生活協同組合などが挙げられ、それらの活動に対する国民の理解の増進に努める必要があるとしている。ただ、同指針では福祉教育の用語は使われていないし、また表2に福祉教育と住民参加型福祉サービスという両方の用語が見られるが、その直接的な関連について読み取ることは困難だ。

ここまで福祉マンパワー施策が福祉教育をどのように位置づけてきたのかを歴史的に検討してきた結果、基本的な流れとして、福祉教育はマンパワーとしてのボランティア養成の方策として位置づけられてきたことが分かる。主として高齢者に関わるボランティア養成の方策である。それも施設福祉から在宅福祉への転換期から位置づけられてきたのである。

その他、社会福祉・社会保障に関する給付やサービス等の理解のための方策、ボランティアという福祉のすそ野を広げるための方策、社会的評価向上の手段等の位置づけもあるが、「Ⅰ. はじめに」の問題意識に戻ると、注意すべき点は次の2点である。福祉の担い手は「総合的かつ体系的にサービスを提供するために、福祉の専門職から一般のボランティアまで多様かつ重層的な構成をとることが必要」〔下線引用者〕とされ、一般のボランティアが福祉サービスを提供することを求められていることが、注意すべき点のまず1点である。「ボランティアは都合よく利用されているだけではないか?」という疑問が頭をもたげてくる。もう1点は、福祉教育がマンパワーとしてのボランティア養成の方策として位置づけられてきたことである。都合よくボランティアが利用されることに福祉教育は加担しているのではないか、という疑問が生じる。次章において、これらの点について考察する。

Ⅳ.  ネオリベラリズムと福祉教育

1.  ネオリベラリズムが引き起こすボランティアに関する問題

福祉サービスをボランティアが提供することについて、まず考察する。「Ⅰ、はじめに」で触れた「ボランティアは都合よく利用されているだけではないか?」という疑問は、言い換えれば「ボランティアが単なる行政サービスの『穴うめ』にすぎない」(田代, 2007, p.123)のではないか、という疑問となろう。

もちろんボランティアは否定的側面(を想起させる面)ばかりあるわけでない。仁平(2005, p.485)によれば、ボランティア活動に対して国家や市場がもたらす問題への解決策として肯定的な評価がある。その一方でネオリベラリズム的な社会編成と共振するという観点から批判もある。ネオリベラリズムとは資本の蓄積・移動に対する阻害要因を取り除き、経済や社会保障領域への国家の介入を限定し、公的領域を準市場的に再編していくことを指し、米英を中心に1980年代頃から先鋭化してきた政治的立場である(仁平, 2005, p.487)。

仁平(2005, p.487)は、ボランティア論によって価値的に根拠づけられる特徴のうち、頻繁に参照される、①民主主義準拠性と②ケア倫理準拠性という2つを取り上げ、各々について、以下のように説明している。

「・民主主義準拠性:これまで公的なサービスや決定を行政が一元的に支配・掌握していたが、その官僚制および専門家による決定や事業運営は、非効率性や人々のニーズを捉えきれない等様々な失敗を生み出した。よって市民が参画していく必要がある。それはかつての反対型の運動とは違い、行政とパートナーシップを組みながら対案を示しつつ行う必要がある。つまり、まちづくりや学校づくりにボランティアが多く関わり、事業運営や政策立案の担い手として継続性を持ったNPOが参画することで民主主義は深まり、同時に、このような活動に参加すること自体に、民主主義を学習する教育的効果がある。

・ケア倫理準拠性:ボランティア活動が生み出す社会関係は、より根底的で前政治的次元の意義を有する。ボランティア活動とは苦しんでいる固有の他者の声に応答する活動で、共に人間という点で平等な地平にあるボランティアと被援助者は、相互の受容・応答関係によって人間としての尊厳を回復する。NPOはこのような活動に制度的根拠を与えるもので望ましいが、官僚制的・専門主義的な国家は画一的・手続主義的で、個別のニーズに対応できないし、承認のニーズに応えることもできない。」

ネオリベラリズムと①民主主義準拠性および②ケア倫理準拠性との共振問題について、仁平(2005, p.489-494)は次のように整理する。

まずネオリベラリズムと①民主主義準拠性との共振問題についてである。問題として、ボランティアやNPOの活動が公的サービスの縮小によって生じる財やサービスの不足分を補うものとして活用されることを指摘する。また、活動の活性化が、諸階級の闘争と妥協の結果として国家に権利として書き込まれてきた社会権を、自助・共助的努力の圏へと放逐する上での前提条件を提供するという問題も指摘する。このような問題については、行政の補完・下請けではなく、積極的に決定過程に介入することが推奨されるが、中野(2001, p.258)の「ここで浮かび上がっているのは、国家システムが主体(subject)を育成し、そのようにして育成された主体が対案まで用意して問題解決をめざしシステムに貢献するという(中略)まことに都合よく仕組まれたボランティアと国家システムの動態的な連関である」を引用し、決定過程に介入することも批判されうると指摘する。その他、決定過程に介入することについては、それを通して社会的不均衡が増大しうることも指摘される。市民の声が拡大されることは善とされるが、それが誰の声なのかという問題である。

次に、ネオリベラリズム②ケア倫理準拠性との共振問題についてである。政治思想的に見れば次のようなケア倫理の問題について指摘する。つまり、ケア倫理は、応答すべき/すべきではない声の線引きを特定の基準によって行わないが、すべての声に応答することは不可能なので、結果として既存の関係性が選択され、その外部が排除されうるという問題である。その他、個人化やネオリベラリズム的社会再編に伴う変化は、既存の秩序からの離脱可能性を高める一方、個人を生活保守主義やバックラッシュ、外国人排斥という新たな敵体性にも節合させうると指摘する。異質な他者を、法を超えて統制・排除する方向と一致しうるのである。

以上、仁平の整理を見てきた。前章において、福祉教育がマンパワーとしてのボランティア養成の方策として位置づけられてきたため、都合よくボランティアが利用されることに福祉教育は加担しているのではないか、という疑問が生じることに言及した。よって、ネオリベラリズムとの共振問題について、福祉教育も悪い意味で加担するのではないか、と疑念が生まれると思われる。次節では、ネオリベラリズムとの共振問題と福祉教育の関連について考察する。

2.  ネオリベラリズムとの共振問題に対する福祉教育の概念規定からの考察

第Ⅲ章において福祉教育を、福祉マンパワー施策における位置づけについて検討するため、言い換えれば行政側の意図を明らかにするため、その概念規定については宙づりにしたが、ここからは実践者・研究者側から検討・構築されてきた福祉教育の概念規定を踏まえて、ネオリベラリズムとの共振問題について考察を加える。

福祉教育の代表的な概念規定として、全国社会福祉協議会に設置された福祉教育研究会(1980年、大橋謙策委員長)による「福祉教育とは、憲法13条、25条等に規定された人権を前提にして成り立つ平和と民主主義社会を作りあげるために、歴史的にも、社会的にも阻害されてきた、社会福祉問題を素材として学習することであり、それらとの切り結びを通して社会福祉制度、活動への関心と理解をすすめ、自らの人間形成を図りつつ、社会福祉サービスを受給している人々を社会から、地域から阻害することなく、共に手をたずさえて豊かに生きていく力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることを目的に行われる意図的な活動である」が挙げられる。

『新福祉教育ハンドブック』では、上記の概念規定について、次の3つの特徴を挙げている(上野谷・原田, 2014, p.14)。その3点をまとめると次のようになる。

a) 福祉教育は人権を基本として成り立つ教育実践である。その中で、教育基本法にもある平和と民主主義を作り上げ、ともに手を携えて豊かに生きていく(ノーマライゼーション)ための実践力を育むことを意図してきた。
b) 学習素材として「社会福祉問題」を取り上げることである。社会福祉は、私たちにとって身近な日常の問題であると同時に、差別や排除の対象として切り捨てられてきた歴史と現実がある問題でもある。
c) 「社会福祉問題」を正面からとらえて、かつ自分自身の日常生活と結びつける(切り結ぶ)ために、体験学習を重視してきた。直接的なふれあいや対話を通して現実の課題に気づき、そこから学ぶことを大切にしてきた。さらに、それらを解決する「実践力」まで期待している。

福祉教育の概念規定における上記3つの特徴を踏まえた上で、ネオリベラリズムとの共振問題について考察する。ボランティアとネオリベラリズムの共振問題は、仁平(2005, p.494)によれば「共感可能な他者との関係性を重視するケア倫理的準拠的な、またラディカルな政治性を回避する民主主義なボランティア活動」が「既存の秩序や関係性から逸脱した<他者>を外部に置く」ことに起因する。たとえば、防犯ボランティアは<他者>をリスクとしてとらえて排除するかもしれない。よって、ボランティアとネオリベラリズムの共振問題を回避するポイントは、「既存の秩序や関係性から逸脱した<他者>」への対応ということになろう。

前節において、都合よくボランティアが利用されることに福祉教育は加担しているのではないかという疑問について指摘したが、福祉教育の概念規定にはボランティアとネオリベラリズムの共振問題を回避する要素を含んでいるため、むしろボランティアが都合よく利用されることにつながらないことを以下論じる。

福祉教育の概念規定の特徴の1つとして、社会福祉問題を取り上げることが挙げられるが、「社会福祉問題に直面している人たちは、実は社会的に排除され、高齢者差別・性差別・人種差別あるいは家庭問題や失業問題などを、同時に抱えている場合が多々あり(中略)福祉における生の現実とは、多様な問題が入り組んだ矛盾の現実」(上野谷・原田, 2014, p.14)である。よって社会福祉問題とは社会福祉領域における「既存の秩序や関係性から逸脱した<他者>」の問題といえる。

福祉教育の概念規定は「既存の秩序や関係性から逸脱した<他者>」を逸脱したままでよしとはしない。仁平(2005, p.494)は「『われわれを<他者>が苦しめる』という構図から『われわれと<他者>を対立させ、苦しめる基層的な<社会>的原因がある』という構図へと転換することで、<他者>を共感・連帯可能な他者へと改鋳」する必要性を指摘しているが、福祉教育の概念規定では、人権を基盤とし「ともに手を携えて豊かに生きていく」つまり共生の思想が大切にされているし、社会福祉問題は個人の問題ではなく「科学的な認識」(牧里編, 2003, p.103)を持つことが求められる。

また福祉教育の概念規定は「社会福祉領域にも『既存の秩序や関係性から逸脱した<他者>』がいて問題である」という理解の段階にとどめるものではない。「ともに手を携えて豊かに生きていく」ための実践力を育むことが意図されているし、社会福祉問題を解決する実践力も意図されている。その際、ボランティア活動が重要になってくる5)。

猪瀬(2020, p.65)は、ボランティアが自分の役割を小さくしようとする国家や、あるいはお金儲け以外はやりたがらない市場のそれぞれのシステムに都合よく使われるが、それだけ国家や市場システムが隅々まで浸透した社会において、国家のサービスから排除されている人たち(たとえば被災した人などのマイノリティ)や、お金をもっていない人は、ボランティアがなければ、より困るだけである。単にボランティアが動員されているとシニカルに批判しても、排除されている人たちの問題について何の解決にもならない、と指摘する。

そのような問題の解決には「今あるシステムがうまく機能しないところに入り込み、他者と共に生きる空間」(猪瀬, 2020, p.65)にすること、及び「国家や市場のシステムを掘り崩していく身振りを身に着けていくこと」(猪瀬, 2020, p.65)が重要となる。福祉教育の概念規定は排除されている人たちの問題(つまり社会福祉問題)を素材にし、直接的なふれあいや対話を通して、共に手を携えて豊かに生きていく力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることまで射程にいれており、上記のように猪瀬が指摘した点についても射程にいれていたと言えよう。よって、当該問題の解決には福祉教育の概念規定を十分に理解した行動が求められると考える。

Ⅴ.  おわりに

本研究では福祉マンパワー施策における福祉教育の位置づけを検討し、ネオリベラリズムが引き起こすボランティアに関する問題について実践者・研究者側から検討・構築されてきた福祉教育の概念規定から考察した。ネオリベラリズムとの共振問題について福祉教育は悪い意味で加担するのではなく、むしろ回避する要素を含んでいることを明らかにした。

ただ、福祉教育にも課題はある。清水(2021, p.21)が「行政の行うボランティア養成では、自己判断能力を持たせずボランティア活動を社会善として、その枠の中に閉じ込めようとする。つまり、サービス型のボランティアのみ養成し、運動としてのボランティア活動を排除しようとする」と指摘している。「行政は、ボランティア領域内部を透明化し、運動に繋がりうるベクトルを分別・排除する欲望を持っていたが、近年その動きは強まっている」(仁平, 2005, p.495)ため、行政が行う福祉ボランティア養成によって、福祉教育の概念規定が骨抜きにされることへの警戒が必要である。本学会は、設立当初から「実践」を重視し、実践から学び、実践を深め、実践を広げることを重視してきた(原田, 2014, p.390)。その諸実践から、骨抜きにされないような示唆を得るための理論的な研究、例えば排除されている人たちの声について福祉教育を行う人たちが代弁したり、共に訴えて、積極的にその声を福祉マンパワー施策に反映して共生社会を作るといった「福祉教育とソーシャルアクション」の理論的研究を進めることなどが求められると考える。

付記
本研究は、JSPS科研費19K13975の助成を受けたものである。

【注】
1) 「日本産業教育学会においても高校福祉教育の研究が着実に蓄積されつつある」(日本産業教育学会編, 2013, p.60)という指摘にみられるように、高校福祉科と産業の関係については一定の研究成果が見られる。しかしながら、高校福祉科という狭い領域と、産業という幅広い領域の関係であり、福祉教育と福祉マンパワー施策との関連そのものの研究成果ではない。佐々木(2007)は、福祉マンパワー対策の中でも福祉人材確保指針・福祉人材確保法と社会福祉教育にについて分析しているが、幅広く福祉マンパワー施策と福祉教育との関連について検討したものではない。
2)  文部省・厚生省・労働省・建設省(1994)「今後の子育て支援のための施策の基本的方向 について」https://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/angelplan.html
(最終閲覧日:2021年12月11日)
3)  厚生省(1999)「新エンゼルプランについて」
https://www.mhlw.go.jp/www1/topics/syousika/tp0816-3_18.html
(最終閲覧日:2021年12月11日)
4)  障害者対策推進本部(1995)「障害者プランの概要――ノーマライゼーション7ヵ年戦略」https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/plan.html
(最終閲覧日:2021年12月11日)
5)  大橋(1987, p.74)は「社会福祉に関する意識は、知的理解でのみではなかなか変容しない。社会福祉問題を抱えた人々との交流の中で、あるいはその問題解決の実践・体験の中で変容する。それだけにボランティア活動の推進は重要である」と指摘している。

【引用・参考文献】
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秋山智久監修(2007)社会福祉士及び介護福祉士法成立過程資料集1 成立過程資料, 近現代資料刊行会
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秋山智久監修(2008)社会福祉士及び介護福祉士法成立過程資料集3 成立後資料(前史資料), 近現代資料刊行会
原田正樹(1996)「福祉教育」研究の動向と課題に関する考察, 日本福祉教育・ボランティア学習研究年報, 1, p.74-99
原田正樹(2010)ボランティアと現代社会、柴田謙治・原田正樹・名賀亨編, ボランティア論――「広がり」から「深まり」へ, みらい
原田正樹(2014)日本福祉教育・ボランティア学習学会の20年の軌跡と基軸, 日本福祉教育・ボランティア学習学会20周年記念リーディングス編集委員会編, 福祉教育・ボランティア学習の新機軸――学際性と変革性, 大学図書出版
猪瀬浩平(2020)ボランティアってなんだっけ?, 岩波書店
厚生省大臣官房政策課編(1991)21世紀を担う人々 ――保健医療・福祉マンパワー対策本部中間報告, 中央法規出版
厚生省社会・援護局施設人材課監修(1995)「福祉人材確保のための基本指針」の解説, 中央法規出版
中野敏男(2001)大塚久雄と丸山眞男――動員、主体、戦争責任, 青土社
仁平典宏(2005)ボランティア活動とネオリベラリズムの共振問題を再考する, 社会学評論 56(2), 485-499
日本産業教育学会編(2013)産業教育・職業教育ハンドブック, 大学教育出版
日本社会福祉学会事典編集委員会編(2014)社会福祉学事典, 丸善出版
牧里毎治編(2003)地域福祉論, 放送大学教育振興会
三ツ石行宏(2013)福祉教育史研究の現状と課題, 日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要 22, p.68-76
小笠原祐次(1988)社会福祉マンパワー政策の課題, 仲村優一・秋山智久, 明日の福祉⑨福祉のマンパワー, 大洋社, p.16-54
大橋謙策(1987)福祉教育の構造と歴史的展開, 一番ヶ瀬康子ほか編, 福祉教育の理論と展開, 光生館
大橋謙策(1992)社会福祉『改革』とマンパワー――マンパワーの質と量の確保を考える, 社会福祉学, 33(1), p.20-45
大橋謙策(1997)社会福祉マンパワー問題と社会福祉系大学における教育, 大学と学生, (387), p.28-36
大橋謙策(1998)戦後社会福祉研究と社会福祉教育の視座, 一番ヶ瀬康子・大友信勝・日本社会事業学校連盟編, 戦後社会福祉教育の五十年, ミネルヴァ書房, p.26-48
阪野貢(1993)福祉文化のまちづくりと福祉教育, 福祉文化研究, 2, p.14-27
清水将一(2021)ボランティアと福祉教育研究, 風詠社
篠原拓也(2020)社会福祉学における人権論, 大学教育出版
潮谷有二(2014)福祉人材確保施策の動向, 日本社会福祉学会事典編集委員会編, 社会福祉学事典, 丸善出版, p.708-709
佐々木隆志(2007)日本における福祉教育と福祉マンパワー対策の分析, 静岡県立大学短期大学部研究紀要 (21-W), p.1-11
政策研究大学院大学C.O.E.オーラル・政策研究プロジェクト(2004)斎藤十朗(元参議院議長)オーラル・ヒストリー, 政策研究大学院大学
田代志門(2007)「看取り」を支える市民活動――ホスピスボランティアの現場から, 清水哲郎編, 未来を拓く人文・社会科学シリーズ 3 高齢社会を生きる――老いる人/看取るシステム, 東信堂, p.117-138
上野谷加代子, 原田正樹監修(2014)新福祉教育実践ハンドブック, 全国社会福祉協議会


出所:三ツ石行宏/福祉教育は都合よいボランティアの養成方法なのか?―福祉マンパワー施策及び福祉教育の概念規定に焦点をあてて―/『日本福祉教育・ボランティア学習学会  研究紀要』Vol.38、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2022年7月  、19~30ページ。
謝辞:転載許可を賜りました三ツ石行宏先生と日本福祉教育・ボランティア学習学会に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所


 

Ⅲ 児童養護施設に関する福祉教育実践

―Y小学校を事例として―



























出所:三ツ石行宏/児童養護施設に関する福祉教育実践―/『日本福祉教育・ボランティア学習学会  研究紀要』Vol35、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2020年11月  、111~123ページ。
謝辞:転載許可を賜りました三ツ石行宏先生と日本福祉教育・ボランティア学習学会に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所


松岡広路/福祉教育・ボランティア学習の新機軸―当事者性とESD―


 

Ⅰ 福祉教育・ボランティア学習の新機軸

―当事者性・エンパワメント―




















出所:松岡広路/福祉教育・ボランティア学習の新機軸―当事者性・エンパワメント―/『日本福祉教育・ボランティア学習学会  年報』Vol.11、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2006年11月  、12~32ページ。
謝辞:転載許可を賜りました松岡広路先生と日本福祉教育・ボランティア学習学会に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所


 

Ⅱ 福祉教育・ボランティア学習とESDの関係性

―福祉教育から「福祉教育・ボランティア学習」・ESDへ―

出所:松岡広路/福祉教育・ボランティア学習とESDの関係性―福祉教育から「福祉教育・ボランティア学習」・ESDへ―/『日本福祉教育・ボランティア学習学会  研究紀要』Vol.14、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2009年11月  、8~23ページ。
謝辞:転載許可を賜りました松岡広路先生と日本福祉教育・ボランティア学習学会に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所


 

新崎国広/福祉教育・ボランティア学習と教育支援・教育協働―福祉教育・ボランティア学習の研究と教育支援・教育協働学の構築―


 

Ⅰ 学校教育における福祉教育・ボランティア学習実践研究の課題と展望



出所:新崎国広/学校教育における福祉教育・ボランティア学習実践研究の課題と展望/『日本福祉教育・ボランティア学習学会  研究紀要』Vol.18、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2011年3月  、6~19ページ。
謝辞:転載許可を賜りました新崎国広先生と日本福祉教育・ボランティア学習学会に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所


 

Ⅱ 学校と地域の協働化を促進する

教育支援人材地域の意義

―福祉教育・ボランティア学習による教育実践と福祉実践の邂逅をめざして―



出所:新崎国広/学校と地域の協働化を促進する教育支援人材地域の意義―福祉教育・ボランティア学習による教育実践と福祉実践の邂逅をめざして―/『発達人間学論叢』第19号、大阪教育大学教育学部教養学科発達人間福祉学講座、2016年3月、25~34ページ。
謝辞:転載許可を賜りました新崎国広先生と大阪教育大学教育学部教養学科発達人間福祉学講座に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所


 

Ⅲ 教育協働に資する福祉教育実践研究

出所:新崎国広/教育協働に資する福祉教育実践研究/『発達人間学論叢』第21巻、大阪教育大学教育学部教養学科発達人間福祉学講座、2018年3月、25~40ページ。
謝辞:転載許可を賜りました新崎国広先生と大阪教育大学教育学部教養学科発達人間福祉学講座に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所


 

Ⅳ これまでのライフヒストリーを振り返る

―課題に直面し、揺らぎ、怒り、連帯し、共に学び続けること―

 




















出所:新崎国広/これまでのライフヒストリーを振り返る―課題に直面し、揺らぎ、怒り、連帯し、共に学び続けること―/『発達人間学論叢』第23・24・25巻、大阪教育大学教育学部教養学科発達人間福祉学講座、2021年2月、1~20ページ。
謝辞:転載許可を賜りました新崎国広先生と大阪教育大学教育学部教養学科発達人間福祉学講座に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所


大橋謙策/〔増補〕域福祉実践の神髄 ―福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク―


 

はじめに ―「我が事・丸ごと地域共生社会」の実現に向けての課題― 

 厚生労働省は、2016年7月に『「我が事・丸ごと」地域共生社会実現本部』を発足させ、2015年9月に発表した「誰もが支え合う地域の構築に向けた福祉サービスの実現―新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン」(「以下「新しい福祉提供ビジョン」と略」)の具現化を推進させることになった。

それは、地域自立生活支援を展開する上で、①子ども、障害者、高齢者の全世代を一元的、一体的に受け止め、相談に応ずるワンストップサービスをシステム化すること、②福祉サービスを必要としながらサービス利用に繋がっていない人々をアウトリーチして発見し、支援することと、時には伴走型の継続的支援を行うこと、③福祉サービスを必要としている人々を地域から排除しない、新たな地域コミュニティづくりを進めること、④そのためにも子ども、障害者、高齢者の全世代が交流・利用できる地域における小さな拠点づくりが必要になること、⑤そして全世代支援、全世代交流を進めていくためには属性分野・機能別の縦割りの資格ではなく、各資格間の相互乗り入れが必要になること等を具体化、具現化させること、等が課題としてあることを指摘している。

しかしながら、これらのことは“言うは易く、行うは難し”である。それらの理念、考え方の具現化、具体化においては少なくとも福祉教育の推進、ニーズ対応型福祉サービスの開発とそれを企画できる力量のある職員の養成、住民と行政の協働を成り立たせる触媒、媒介の機能をもったコミュニティソーシャルワーク機能とそれを実施できるシステムを整備しない限り難しい。これ以外にも、専門多職種連携の在り方とシステム等の検討課題があるが、今回は触れない。

筆者は、それら「地域福祉実践の真髄」ともいえるそれら3つの機能の具現化とその理論化を求めて、50年間研究をしてきたといっても過言ではない。

その研究スタイルは「バッテリー型研究方法」ともいえるもので、実践家の実践を理論化、体系化するとともに、研究者の理論仮説を実践家に提起し、実践してもらい検証するという研究者と実践家とがあたかも投手、捕手のようにバッテリーを組んで行う方法であり、筆者の50年間の実践、研究はまさにその方法によるところが大きい。

四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの20年間の実践もまさにそうで、筆者が関わった他のセミナーも含めて、それらのセミナー等において「バッテリー型研究方法」で実践され、論議され、システム化され、地方自治体の政策を産み出してきた多くの実践が先に述べた厚生労働省の報告書にそれなりの影響を与えたと自負している。

地域福祉実践の方法として検討しなければならないことは多々あるが、今回は「我が事・丸ごと地域共生社会」実現上特に考えなければならないことと、四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの20年間の実践を通して考えてきたことに焦点化させることとし、本稿では、「地域福祉実践の真髄」ともいえるものの内、上記に挙げた3点を取り上げた。それを筆者がどのように考え、展開してきたのかを随想風に振り返りながら、四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの実践に対し、若干のコメントをすることとしたい。

Ⅰ 地域福祉実践(社会福祉協議会活動)は  “ 福祉教育に始まり、福祉教育に終わる ”

全国社会福祉協議会が1979年から始め、1991年(12期生)まで続けた「地域福祉活動指導員養成課程」は、筆者の研究者的成長に大きな影響を与えると同時に、そこでの相互の学びの過程を通じての実践者との交流が「バッテリー型研究方法」の推進とその後の実践者の組織化に非常に大きな役割を果たしてくれた。その養成課程では、設置された各教科目のテキストに基づき、レポートが課され、添削指導を受けた上で4泊5日の宿泊スクーリングがあり、修了論文の提出が課せられた。

筆者はその第1期から「社会福祉教育論」という科目を担当した。それは多分、筆者が「社会教育と地域福祉」の学際的研究を行い、既に「月刊福祉」等の雑誌や著作で「社会教育と地域福祉」に関わる論文を執筆していたからお呼びがかかったのであろうと推察している。

筆者の社会福祉学研究、地域福祉論研究において福祉教育は大きな柱である。後に筆者は、福祉教育を「憲法第13条、第25条などに規定された基本的人権を前提にして成り立つ平和と民主主義社会を作りあげるために、歴史的にも、社会的にも疎外されてきた社会福祉問題を素材として学習することであり、それらとの切り結びを通して社会福祉制度、社会福祉活動への関心と理解を進め、自らの人間形成を図りつつ、社会福祉サービスを利用している人々を社会から、地域から疎外することなく、ともに手をたずさえて豊かに生きていく力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることを目的に行われる意図的な活動」(1982年)と定義した。

この定義は、戦前の社会問題対応策としての社会事業と社会教育との関係性、とりわけ内務省が推進した風化行政、地方改良運動、精神作興運動等の研究を踏まえたものである。

この福祉教育の考え方と実践は市町村社会福祉協議会が住民主体の活動を展開する上で必要不可欠な活動であると筆者は位置付け、先の「地域福祉活動指導員養成課程」において、“社会福祉協議会の活動は福祉教育に始まり、福祉教育に終わる”ほど重要な活動であることを強調してきた。

島根県瑞穂町(現邑南町)社会福祉協議会の事務局長になった日高政恵さん(「地域福祉活動指導員養成課程」の修了者であり、1997年の第1回こんぴらセミナーのシンポジュウムの登壇者でもある)は、住民の生活実態に関する様々な調査を行い、それを踏まえて68の集落福祉委員会を基盤に、13のブロックでの「地域福祉デザイン教室」を行い、徹底的に住民による問題発見・問題解決型の共同学習を通じて、住民の社会福祉意識の変容、向上を図る地域福祉実践を展開した(『未来家族ネットワークの創造――安らぎの田舎への道標』万葉舎、2000年参照)。

瑞穂町の実践は、子どもの福祉教育、住民の社会福祉学習、介護福祉人材の養成等町全体で文字通りトータル的に福祉教育を行っており、日高さん自身社会福祉協議会活動は“福祉教育に始まり、福祉教育に終わる”と述べてくれている。

福祉教育のより体系的実践としては、1988~89年に策定された東京都狛江市社会福祉協議会の「あいとぴあ推進計画」で位置付けられた「あいとぴあカレッジ」がある。

「あいとぴあ推進計画」は、狛江市社会福祉協議会の須崎武夫さん(「地域福祉活動指導員養成課程」の修了者であり、のちに事務局長)が東京都社会福祉協議会のモデル指定地区を受託し、社協中心の地域福祉計画づくりを行ったものである。筆者はこの策定委員会の委員長で、委員には狛江市福祉事務所の所長にも入ってもらい、行政との整合性を持たせることを意図した。その後、狛江市は「あいとぴあ推進計画」と連動させた「あいとぴあレインボープラン」を行政計画として策定。狛江市では「あいとぴあレインボープラン」に基づき狛江市条例による「市民福祉委員会」を設置し、重要な社会福祉政策課題については「市民福祉委員会」で協議することを明記。筆者はその「市民福祉委員会」の委員長を15年勤めた。

「あいとぴあ推進計画」に基づく「あいとぴあカレッジ」(1991年から実施)は、年間15回程度の本格的な市民福祉教育のカレッジとして実施された(『地域福祉計画策定の視点と実践――狛江市のあいとぴあへの挑戦』第一法規、1996年参照)。「あいとぴあカレッジ」を担当した阪野貢さん(当時宝仙学園短期大学、のちに中部学院大学教授)が「市民福祉教育研究所」を設立・主宰し、ブログも開設しているので参照されたい。

また、体系的な福祉教育実践としては狛江市の実践よりも早く、筆者は山口県宇部市において1977年より「宇部市婦人ボランティアセミナー」を企画・実施している。

このセミナーは、文部省(当時)の助成事業を活用しての実践であるが、社会福祉と社会教育との有機的連携を意識したもので、1年間に17回の座学(講義)と14回の体験、実習(朗読、点字、手話、配食サービス、老人の介護等)のプログラムが組まれた本格的な福祉教育の実践であった(『宇部市の生涯学習推進構想――いきがい発見のまち』東洋堂企画出版社、1999年参照)。筆者は17年間、毎年数回宇部市に通い、最後はセミナー(後に2年制のカレッジに改組)30周年記念までお付き合いをしてきた。

このような実践は、上記以外でも、岩手県沢内村(現西和賀町)社会福祉協議会で地域福祉計画の策定とそれに基づく「コーリム大学」を1990年代初頭に実施した。

筆者の問題発見・問題解決型共同学習的福祉教育は、1973年の東京都稲城市(筆者の居住地)における「住みよい稲城を創る会」(代表幹事・大橋謙策)が主催した「集い」が最初である。

そのプログラムは、初めに生活問題を抱えている人に実態報告をして頂き、その後分科会に分かれて討議をするというスタイルで行われた。第1回目の集いでは、「嫁」(息子の配偶者)の立場から同居している姑の介護問題の報告、父子家庭の単独世帯の子育ての困難さの報告、学校拒否児(当時の呼称)を抱える家族の悩みの3事例の話を頂いた。

東京都の「市」ではあっても、農村的風土が残っていた地域だっただけに、「集い」というオープンな場での発題者を探すのに大変苦労はしたが、発題者の問題提起は実に重要で、その実態の深刻さが浮き彫りになった。その当時、筆者は知らなかったが、既に市内(当時人口3万人)に多くの学校拒否児がいたようで、その親たち(15名)が学校拒否児の親の体験報告があるということで個々に「集い」に参加してきていた。当初、分科会としては設定していなかった学校拒否児に関する分科会を親たちの要望で急遽作ったことが昨日のように思い出される。いかに、“事実は小説よりも奇なり”で、我々がその実態をただ把握していないだけだということを痛感させられ、アウトリーチによる問題発見の重要性に気づかされた。

1997年に香川県琴平町で開催された第1回こんぴら地域福祉実践セミナーは、「ふれあいのまちづくり事業」の補助金による事業ということも考えて、単なる一過性の福祉講演会ではなく、福祉教育、住民の社会福祉学習の機会として、かつ継続することを意識して行われた。当時、人口約1万2,000人の町で、参加者が600人にのぼり、会場が立錐の余地がないほどの状況は驚きであった。考えてみれば、1986年に琴平町社会福祉協議会が受託した「ボラントピア事業」において、夏の暑い日に、冷房のない学校の体育館に並べた椅子と椅子の間の通路に氷柱を何本も立てて行われた講演会になんと1,000人が参加された歴史を持っていた(講演者・大橋謙策)。それらの仕掛けをした琴平町社会福祉協議会の越智和子さん(現琴平町社会福祉協議会常務理事)も20代末の若い時に、山口県笠戸島で「地域福祉活動指導員養成課程」を受講した一人である。

筆者は、このような地域福祉と社会教育の学際的研究と実践に関わるなかで、1979年、全国社会福祉協議会が設置した「ボランティア基本問題検討委員会」(委員長・阿部志郎、作業委員長・大橋謙策)において起草委員長として「ボランティア活動の性格と構造」をまとめさせて頂いた。それは①ボランティア活動と市民活動との関係性をどう整理するかという問題、②ボランティア活動の目的を“自立と連帯の社会・地域づくり”と考えること、③市民活動とボランティア活動を考える場合、その活動には3つの性格の活動があること。それは第1に近隣での日常的なふれあいのある地域づくりを行うこと、第2に地域内にある福祉サービスを必要としている人を発見し、その個別課題に対応する対人サービス活動を行うこと、第3に市町村における(地域)福祉計画づくりを行うことの3つの課題があり、それらを構造的に捉えて考え、実践することの重要性を提起した。

また、そのような市民活動とボランティア活動との関係を意識したのは、1970年前後のコミュニティ構想が“住民参加、住民の権利ということが担保されない、権限なきコミュニティにおいて、麗〈うるわ〉しき隣人愛に基づく活動、助け合い活動”を求めていたことへの反論であり、かつ地域住民の生活を守るためには国レベルの社会保険制度の整備と共に、居住する市町村自治体における福祉サービスの整備が必要であり、重要であると考えたからに他ならない。(全社協・ボランティア基本問題検討委員会報告書「ボランティアの基本理念とボランティアセンターの役割」全社協、1980年参照)。

また、その頃、福祉教育の実践が求める目標として「4つの地域福祉の主体形成」(地域福祉計画策定主体、地域福祉実践主体、社会福祉サービス利用主体、社会保険制度契約主体)の必要性をまとめ、提起している。

「我が事・丸ごと地域共生社会」の実現に向けて、市町村における行政と住民の協働のあり方や全世代支援を行えるワンストップサービスができるシステムの構築等を考え、実施できるようにするためにも、まずもって住民参画による市町村地域福祉計画づくりが重要になる。また、その計画策定主体の形成も含めて地域福祉の4つの主体形成がなされなければ実現は難しいことになる。

福祉教育を皮相的にとらえるのでなく、地域住民が社会福祉の学習を通じ、地域にある問題に目を開き、気づき、それを解決するためにどう行動するべきかを考える機会を提供する福祉教育こそ地域福祉実践の根幹であることを改めて認識して欲しい。

Ⅱ ニーズ対応型福祉サービスの開発と「福祉でまちづくり」

筆者は1990年まで、日本には事実上ソーシャルワーク実践はなかったということを日本社会事業学校連盟(現日本ソーシャルワーク教育学校連盟)の社会福祉教育セミナーの席上や日本社会福祉学会等の場において発言してきた。しかしながら、残念ながら反論はされなかった。それどころか、戦後日本のケースワーク研究を牽引し、国際社会事業学校連盟からも高く評価されていた仲村優一先生は、“まさに君(筆者)が言う通りである”とさえ言われ、逆に日本におけるソーシャルワーク実践の定着を図る研究をしっかり頼むと励まされる状況であった。

戦後日本では、アメリカの文化、社会福祉に関するシステムの中で育ったケースワーク、グループワーク、コミュニティオーガニゼーションといった方法論が紹介・解説され、社会福祉教育の場において教えられてきた。

そこでは、インテークという用語やクライエントという用語が使われ、福祉サービスを利用しようとして、あるいは生活上の様々な問題を抱えて相談機関に来談した人とのラポートづくりから実践が説き起こされてきた。

筆者のように、戦前の社会事業における精神性と物質性の関係性の研究、地域改良・居住者の生活改善・人格向上を目指すセツルメント運動等を研究してきたものにとって、それには非常な違和感があった。多くの“社会福祉研究者”は筆者(大橋謙策)に対し、社会福祉六法体制とケースワーク等の社会福祉方法論とを前提としている“社会福祉プロパーの研究者”として認めず、“社会福祉体系外の研究者”として位置付ける言動を投げかけていた。

1977年に上梓され、1980年に日本語に翻訳されたハリー・スペクト/アン・ヴィッケリー編『社会福祉実践方法の統合化』 (Integrating Social Work Methods編)において、アメリカのシステム理論やイギリスの地方自治体社会サービス法に基づく実践を通して、1930年代にアメリカで確立された社会福祉方法論の3分類法を「ソーシャルワーク」に止揚するべきであるという問題提起がなされ、それが日本語に翻訳されて紹介されているにも拘わらず、日本では実質的に2000年まで社会福祉士養成のカリキュラムの中で社会福祉方法論の3分類法を堅持しつづけた。しかも、いまでも多くの研究者がインテーク、クライエントという用語を無自覚的に論文上でも使用している。

筆者は、1973年に東京都稲城市立公民館の建設に際し、1947年に制定された児童福祉法の国会審議に向けて厚生省(当時)が作成した予想問答集の考え方(保育所設置の目的は①働かざるを得ない母親の就労支援、②子どもの成長には集団保育が必要、③文化国家、民主国家を建設するには女性の社会参加、社会活動を促進する必要があるので子どもを預ける保育所が必要)に基づき、公民館に市の専任職員である保母(当時)を常駐させた公民館保育室の設置を社会教育委員として提案し、建設した。その公民館の機能として住民のたまり場、交流の場としての機能・空間ももたせた。また、同じように1975年には、児童館、老人福祉センター、公民館を合築する地区公民館の建物の構想を示し、建設した。

更には、1973年、貧困児童の就学援助を増進させるために、当時、文部省の基準は生活保護基準の1.5倍が就学奨励費支給の基準であったものを市と交渉し、1.6倍にまで引き上げてもらった。

このような実践を若い時(20代)からしてきたものにとって、「申請主義」に囚〈とら〉われた社会福祉実践・研究やカウンセリング的ケースワーク論は何とも理解しがたいものであった。そのような発想は、社会福祉方法論の分野のみならず、施設経営をする社会福祉法人も陥っていた呪縛であり、市町村社会福祉行政自体も囚われていた呪縛であった。

日本の社会福祉実践、研究は、1990年まで中央集権的機関委任事務体制で展開されてきたこと、また福祉サービスも行政もしくは行政に委託された社会福祉法人が運営する施設において提供されてきたために、法人・施設運営の視点はあったものの、経営の視点は脆弱であったし、市町村における社会福祉行政のアドミニストレーションに関する研究は実質的になかったと言わざるを得なかった。

ある意味、国が設計する制度に基づく“制度ビジネス”に“安住”しており、そこでは、一般に経済界で必要とされている“市場調査”としての“サービスニーズの把握”の視点や方法、あるいは“商品開発”に該当する“ニーズ対応型サービス開発”の意識は希薄であったことは否めない。

筆者は、戦後の社会福祉実践・研究は中根千枝先生の研究の「鍵」概念を借りれば、「場」(枠組み)である制度としての枠(社会福祉六法体制、中央集権的機関委任事務体制)の中で社会福祉実践・研究を考え、行われてきたと指摘してきた。

しかしながら、21世紀においては「資格」(機能)として求められているソーシャルワーク機能に基づき、潜在化しがちな国民のニーズの発見・キャッチが重要であり、かつそれに対応したサービス開発とその起業化・経営が必要であることを頓〈とみ〉に1990年以降指摘してきた(「施設の社会化と福祉実践」『社会福祉学』第19号、日本社会福祉学会、1978年所収)。それ以降、ニーズ対応型のサービス開発のヒントは、入所型施設で提供しているサービスを細かく分節化させることや家庭機能を分節化させて、それをどういうシステムで提供するかを考えることにあると述べてきた。また、1990年以降「福祉でまちづくり」の必要性を提起してきた。

21世紀に入り、急速に進められている規制緩和の時代にあっては、社会福祉分野といえどもニーズの把握、ニーズ対応型サービスの開発とその起業化に関する研究が社会福祉研究上求められている。それは、ソーシャルワーク機能そのものが問われていることでもある。それはまた、ソーシャルワークの楽しさ、醍醐味を味わう機会でもある。

ソーシャルワークの使命(ミッション)は、ニーズキャッチ・発見を基盤に、それらの問題解決に向けてのサービスの提供、サービスの開発であり、それこそソーシャルワークの価値であることを忘れてはならない。

筆者は、今、①高齢者分野の介護保険制度外のサービス開発と供給の方法に関する研究(株式会社などが入所型施設で提供してきているサービスを細かく分節化させて、必要時に即応できるサービスシステムの開発をし、サービスを介護保険制度外のサービスとして提供している。従来の地域福祉実践はこれらの制度外のニーズに対応できているのであろうか)、②介護保険制度外の福祉機器、介護ロボットの購入・利活用に関する研究(障害者分野の補装具や介護保険の福祉用具の利活用と一般市販される福祉機器との利活用がボーダーレスになってきており、その相談、利活用システムのあり方が問われている。既に、福祉機器・介護ロボットの利活用・相談センターが制度外で動き始めている)、③障害者総合支援制度外のニーズキャッチとその商品開発、及びそれに関わっての新たな障害者の雇用形態、就労形態のあり方を考えた「起業化」が行われており、それにふさわしい経営形態はどういう組織がいいのかに関する研究、④「限界集落」、「消滅市町村」における「高齢者の、障害者のための福祉のまちづくり」ではなく、高齢者も障害者も参画した「福祉でまちづくり」という新たな第8次産業(第6次産業+障害者・高齢者・子育て中の親の参画+商店街を構成する生活衛生同業者組合も参画した地産地消・循環型地域経済)を創出することに関する研究に関心を寄せて実践に関わっている。「福祉でまちづくり」という用語は、1990年の岩手県遠野市の地域福祉計画策定において使用したのが最初である。それは特に市議会議員の研修会でその必要性と重要性を指摘した。

この④の研究、実践は、文字通り地域福祉実践そのものに関わる実践であり、これは地方創生や立地適正化計画(コンパクトシティ計画)、あるいは休耕田、空き家対策等とも関わるまちづくり、地域づくりそのものの課題であり、地域経済に関わる研究、実践でもある。

山形県鶴岡市の地域福祉計画策定において、新しく特別養護老人ホームを100床、ユニット型で建設する構想(社会福祉法人鶴岡市社会福祉協議会立特別養護老人ホームおおやま、2005年)に際し、地産地消型の視点を取り入れるべく、商工会に特別養護老人ホームへの食材等を納入する協同組合を新たしく設立頂き、地元の商工業者に参入頂いた。全国の約7,000ある介護老人福祉施設(特別養護老人福祉施設)及び全国に約4,000ある介護老人保健施設がこのような発想で「地産地消」の取り組みをすれば、地域経済に与えるえる影響は大きく、現在言われている社会福祉法人の地域貢献の実態よりもその影響は大きく、これこそ社会福祉法人の役割、責務ではないのだろうか。

先に述べた島根県瑞穂町の実践のスローガンは「未来家族ネットワークの創造」であったが、それはもう民法上の血縁家族に頼っていたのでは「中山間地域」という地域での地域自立生活が維持できなくなってきており、地域に居住している人々が血縁を超えて“地域の未来家族”として生活をしていこうとする願いでもあった。

一人暮らし高齢者のみならず、地域生活している単身の精神障害者や知的障害者、非婚の男性、女性が増えることを考えると、これからは「少子高齢社会」もさることながら、「単身生活者の時代」になり、単身生活者の生活支援が深刻な課題になる。そこでは、血縁家族機能へ期待することは幻想である。家族が居なくても、家族に頼ることもなく、人生を全うできるように、日常生活自立支援のシステム、成年後見制度のシステム、入退院支援のシステム、死後の対応としての葬儀・遺骨の取り扱いも含めての支援等、本人の意思の確認と尊重を踏まえた“自立生活支援”のシステムを地域ごとに構築していかなければならない。まさに、「未来家族ネットワークの創造」である。ここでも従来の地域福祉実践の枠組みを再検討しなければならない。

今や、社会福祉の制度の枠に縛られた実践、制度を改善することのみに行きがちな“制度ビジネス”的な実践、研究を脱皮し、新たな視点での実践と研究が求められている。

とすれば、地域福祉実践も従来の枠を超えて、「福祉でまちづくり」の視点を大胆に取り入れ、かつその実践組織も社会福祉協議会や施設経営の社会福祉法人だけでなく、NPO法人、株式会社も含めた多様な組織体による起業化が行われ、そのプラットホームの上に地域自立生活支援が成り立つという新たな地域福祉の展開の時代として、研究枠組みも実践の方法も考え直さなければならない。

四国・こんぴら地域福祉実践セミナーで取り上げられた徳島県のNPO法人どりーまぁサービスの山口浩志さんは在宅のALS患者や重症心身障害児者への24時間ケアサービスを提供しているが、その根源には住民からの相談を断らないという哲学がある。その相談こそが“ビジネスチャンス”であるという発想で、それに柔軟に対応するために、かつその実践の社会的評価を得るために、社会福祉法人という経営形態ではなく、かつ株式会社という経営形態でなく、NPO法人という経営形態を選択したと言っている。

同じく徳島県美馬市木屋平地区のNPO法人こやだいらの実践、高知県津野町の学校跡地を利用した「集落福祉としての『森の巣箱』」の実践、人口減に伴う利用者減による経営困難でJAさえも撤退した山間地域でのガソリンの供給から日常生活の買い物支援、全世代交流支援型のサービス提供等の多機能型の地域づくりを展開している地域の生活支援の中核的組織である「あったかふれあいセンター『いちいの郷』」の実践などは、従来の狭い地域福祉実践の枠を超えた地域づくりそのものであり、血縁家族を超えた、地域での住民の自立生活を支援する実践である。

徳島県美馬市木屋平地区(合併前の旧木屋平村)のNPO法人こやだいらの実践は、筆者が“ベッドサイドから診察室まで、スーパーから冷蔵庫までの実践”と勝手に命名したが、人口710人の集落(高齢化率58%)での、世帯単位ではなく、個人単位の加入による「集落福祉のNPO法人版」である。標高1,955メートルの剣山の中腹(標高800メートル、地区の集落は標高200~800メートルに散在)で、一面の雲海を下に見ながら、蝉しぐれの中で、住民座談会を開催し、木屋平地区の集落福祉をどう進めるかを論議し、NPO法人格を取得して行うしかないといった論議をしたことが昨日のように思い起こされる。

これからの地域福祉実践には「福祉でまちづくり」をスローガンに、基礎自治体を基盤にしつつも、共同性と土着性が強い稲作農耕によって作られた、自然発生的に形成された地域、自治会を超えて、一定の生活圏域ごとにより分権化(市町村からの地域組織への第3の分権化、東京都地方分権推進委員会及び東京都社会福祉審議会で、委員として筆者が提唱)させた新たな地域組織に再編成し、そこで地域の多様な生活課題を解決する多機能型地域組織を構築し、活動を推進していくことが求められる。

それはある意味、住民一人ひとりが「選択的土着民」(静岡県掛川市元市長の榛村純一氏が提唱)となって、地域づくりに関わることであり、それはある意味、住民総参加の直接的民主主義という、地域を“コミューン”にすることである。そこに「限界集落」、「消滅市町村」問題を乗り越える一つの鍵がある。NPO法人こやだいらや「ふれあいあったかセンター『いちいの郷』」の実践はその萌芽とも言える。

Ⅲ 行政と住民の協働を触媒・媒介するコミュニティソーシャルワーク

イギリスのミヒャエル・ベイリイが提唱(1973年)した考えを基に地域福祉の考え方に関わる発展段階を整理すると① Care Out The Communityの時代、② Care In The Communityの時代、③ Care By The Communityの3つの発展の時期・時代がある。

筆者は、日本では1971年~1990年が①の時代で、1990年~2000年までが②の時代であり、2000年以降は③の時代に入り、社会福祉法制も社会福祉法への改称・改正で理念的にそれを求め、明確化したと述べてきた。地域におけるヴァルネラビリティの人々とその人々を排除しない地域のあり方を指摘した2000年12月の「社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会」の報告書が出された意味は大きい。

ところで、コミュニティソーシャルワークという用語とその考え方は、1982年のイギリスでの「バークレイ報告」で提唱されたものであるが、イギリスではその考え方が実践的に必ずしも成功したとは言えない。

筆者は、日本的にコミュニティソーシャルワークがそれなりに定着できる状況になってきている要件として、(イ)まがりなりにも日常生活圏域における自治会等の地域組織機能があること、(ロ)全国の市町村に、地域を基盤として活動している社会福祉協議会が組織されていること、(ハ)全国の市町村に23万5千人の民生・児童委員と約5万人の保護司が設置されていることが大きいと考えている。

コミュニティソーシャルワークという考え方は、上記の③の時代には不可欠な考え方である。施設サービスから脱却し、地域での自立生活を支援していくためには、行政の力だけでは遂行できず、地域住民の参加、協働が欠かせない。そのためには先に述べた地域住民の4つの地域福祉の主体形成が求められる。

行政と住民との協働を促進し、住民の主体性を高め、住民自身が地域の問題を発見し、その問題に対し差別・偏見を持たず、地域から排除することなく、地域で問題解決を図る活動を推進するためには、住民の活動を活性化、促進させる触媒機能が重要であり、かつ行政と住民との協働を安定的に媒介させる機能が重要であり、それこそコミュニティソーシャルワーク機能である。

ところで、地域自立生活を支援するコミュニティソーシャルワーク機能の日本的発展段階には5つの段階があったと筆者は考えている。

第1の段階は、1979年にいち早く高齢化が進展していた秋田県が県単独事業として政策化させた在宅相談員制度である。一人暮らし高齢者を孤立させず、地域で見守ろうという実践で、社会福祉協議会と民生委員との協働の下に展開された。

筆者は、その初年度の在宅相談員の研修に招聘、参加させて頂いた。秋田県男鹿観光ホテルで行われた研修会では、従来の血縁的、地縁的見守りを昇華・発展させ、社会化させたシステムとして展開しようとする試みに社会福祉の新たな息吹と地域福祉実践の必要性を改めて認識させられた機会であった。そのもっとも優れた実践の一つは秋田県西仙北町社会福祉協議会の佐藤春子さん(「地域福祉活動指導員養成課程」修了者)の取り組みで、「一人ぼっちの不幸も見逃さない」という映画になり、その後“黄色いハンカチ運動”等に繋がっていく。社会福祉協議会と小地域とが協働して住民の孤立やゴミ出し等のちょっとしたお手伝いを行う事業は現在でも全国で行われており、富山県のケアネット事業等も県単で行われている。

第2の段階は、1990年に「生活支援地域福祉事業(仮称)の基本的考え方について」(平成2年8月、生活支援事業研究会中間報告、厚生省社会局保護課所管)と題する報告書がだされてからである。

筆者自身が、コミュニティソーシャルワークにより関心を寄せ、その政策化に関わるのは、この研究会の座長を仰せつかってからであり、日本におけるコミュニティソーシャルワーク機能が政策的に、実践的に意識された年である。

この報告書に基づき、1990年度にモデル事業として展開され、その成果を踏まえて政策化されたのが1991年度より始まる「ふれあいのまちづくり事業」という大型補助金事業である。モデル事業は福祉事務所、保健所、市町村社会福祉協議会で展開されたが、最も報告書の考え方を踏まえ実践してくれたのは富山県氷見市社会福祉協議会の中尾晶美さん(中尾さんも「地域福祉活動指導員養成課程」の修了者で、のちに事務局長を勤める)である。筆者は、氷見市社会福祉協議会へ約35年間通い、「バッテリー型研究方法」を展開した。最後の頃は、氷見市行政アドバイザーも勤めての実践だったこともあり、「ふれあいのまちづくり事業」は市町村社会福祉協議会で実施されることになった(このモデル事業の評価委員長は宮城孝現法政大学教授が担ってくれた)。

これが、実質的な意味での日本におけるコミュニティソーシャルワーク実践の始まりと言える。

この事業では、今日大きな問題となっている潜在的福祉サービスを必要としている人の発見、しっかりしたアセスメントによるケアマネジメントに基づく援助方針の立案、専門多職種によるチームアプローチ等が提唱された。また、制度の谷間の問題、多問題家族、多重債務者、在住外国人、核家族・単身者の入院時支援、家庭内暴力の問題等への対応の必要性と重要性を指摘している。

しかしながら、この「ふれあいのまちづくり事業」でコミュニティソーシャルワーク機能の具現化が図れたとはいいがたいと筆者は考えている。この補助事業が多くの市町村社会福祉協議会を活性化させる契機にはなったと思うが、コミュニティソーシャルワーク実践の具現化と先に述べた「生活支援地域福祉事業(仮称)」の具体化という点では筆者は必ずしも成功したとは考えていない。

第3の段階は、1993年から日本社会事業大学の社会福祉学部福祉計画学科の地域福祉コースの所属教員が研究会(研究代表・大橋謙策)を立ち上げ、厚生省(当時)の老人保健健康増進等事業の助成を受けて全国のいくつかの市町村をフィールドにして「在宅福祉サービスにおける自己実現サービスの位置とコミュニティソーシャルワークに関する実践的研究」を始めてからである。その研究成果は毎年報告書として出されているが、それを基に大橋謙策他編『コミュニティソーシャルワークと自己実現サービス』(万葉舎、2000年)が上梓されているので参照されたい。

そのフィールド市町村の一つである岩手県湯田町(当時、現西和賀町)社会福祉協議会において、主任ホームヘルパーの菊池多美子さん(「地域福祉活動指導員養成課程」の修了者で、全社協の「社会福祉主事養成課程」の修了者でもある。また、第1回こんぴら地域福祉実践セミナーのシンポジストとしても登壇)が実践していた事例に触れ、その実践こそがコミュニティソーシャルワーク機能を具現化させている実践であり、コミュニティソーシャルワーク機能の具現化を全国的に展開できると勇気づけられた実践であった(菊池多美子著『福祉の鐘を鳴らすまち―「うんだなーヘルパー」奮戦記』万葉舎、1998年参照)。

その実践には、①アウトリーチも含めた問題発見、②フォーマルケアとインフォーマルケアとを有機化させて提供、③個別対応型支援ネットワーク会議の開催、④伴走型のソーシャルワーク、⑤ニーズ対応型サービス開発、⑥社会福祉協議会独自の新しい財源創出等の機能を濃淡含めて実践していた。その考え方に学び、実践を体系化すると同時に、新たな理論仮説を提起し実践もして頂いた。この実践に関わることにより、筆者はコミュニティソーシャルワーク機能の実践ができると確信がもてた。

ただ、その実践は必ずしも意図的な、自らの仮説をもって、検証し、見直すというPDCAサイクルの実践でなかったこと、組織的には容認され、実践されていたが必ずしも社会福祉協議会の計画的、組織的位置づけの下に行われていなかったこと、かつその実践はすぐれて個人的であり、システムとして構築されていたわけでなかったこと等の課題があった。

その後、これら湯田町の実践における課題を解決するためにはコミュニティソーシャルワークを展開できるシステムづくりが必要であると考え、それには市町村地域福祉計画の策定との関わりが不可欠との認識をより強めさせることになった。

筆者は1970年代から市町村の地域福祉計画の必要性を論文で書いてきたし、先に述べた「ボランィア活動の性格と構造」のなかでも(地域)福祉計画の必要性を述べている。また、全社協が設置した「地域福祉計画研究委員会」にも委員として参加し、その委員会の報告書として1984年に上梓されている『地域福祉計画――理論と方法』(全社協)にも執筆している。筆者は、この研究会の論議を踏まえ、1985年に「地域福祉計画のパラダイム」という論文(『地域福祉研究』№.13所収、日本生命済生会福祉事業部刊)を書いているので参照されたい。

(註) 地域福祉計画策定委員長として1988年から取り組み、1990年に制定した東京都狛江市「あいとぴあ推進計画」(大橋謙策著『地域福祉計画策定の視点と実践』第一法規、1996年参照)や東京都目黒区が1990年から取り組んだ「目黒区地域福祉計画(福祉事務所と保健所を合体させ、人口26万人の区内を5地区に分け、その各々に保健福祉サービス事務所を設置)、あるいは同じく1990年から取り組んだ「遠野市ハートフルプラン」(大橋謙策他編『21世紀型トータルケアシステムの創造』万葉舎、2002年参照)等の計画策定の実践を行ってきた。
あるいは東京都児童福祉審議会(専門部会長・大橋謙策)において、筆者が委員長としてまとめた1990年の東京都東大和市の地域福祉計画で構想したものを、東京都児童福祉審議会専門部会に部会長である筆者が提案し、具現化して1994年から創設された「子ども家庭支援センター」(センターに保健師、社会福祉士、保育士を配置し、各区市町村に設置、現在58か所)等の政策提言及びその具現化の政策化及び実践がある。

これら一連の地域福祉計画において政策提言したことと、先のコミュニティソーシャルワークの実践課題の解決とを結び付けて提案し、システム化させたのが2000年4月から始まった長野県茅野市の保健福祉サービスセンターの実践である。

コミュニティソーシャルワークの発展の第4段階は、地域包括ケアシステムとコミュニティソーシャルワークとの連携がシステムとして確立できた長野県茅野市の保健福祉サービスセンターのシステムであり、実践である(筆者は1998年から15年間茅野市福祉行政アドバイザーを担当)。

この時期は、厚生労働省も未だ地域包括ケアとか、地域包括ケアシステムという用語は使っていないし、政策化させていない時期であった。筆者は、1990年の岩手県遠野市の地域福祉計画づくりから「地域トータルケアシステム」という用語を使用してきた。

長野県茅野市は、地域トータルケアシステムの拠点としての保健福祉サービスセンターを市内4か所に設置(当時人口5万7千人、中学校区9)し、市役所内にいた福祉事務所の職員、保健課の保健師を再編成して配属した。それに加えて市社会福祉協議会の職員も配属して、子ども、障害者、高齢者の全世代に対応するワンストップサービスを展開することにした。

基本的には、行政職員(ソーシャルワーカー)、保健師、社会福祉協議会職員(ソーシャルワーカー)が3人1組でチームアプローチをすることにした。それは、フォーマルサービスとインフォーマルサービスとを有機化させることとアウトリーチ型のニーズキャッチをやりやすくさせるためであった。ある年の社会福祉協議会の職員は年間280日も地域へ出張り、住民の相談とニーズキャッチに努めた。社会福祉協議会のソーシャルワーカーを配属したのは地域住民の福祉教育の促進や住民のインフォーマルケア力の向上と活用の促進を図るためでもあった。

その保健福祉サービスセンターでは、フォーマルな制度、サービスのコーディネート、家族、地域の支え合い及び新たな意図的なソーシャルサポートネットワークの構築とコーディネート、更には福祉サービスを必要としている人を発見、あるいは新たに必要な福祉サービスの開発等の機能を総合的、統合的に展開できるシステムとして構想された。

しかも、そのシステムは地域の各機関の機関長レベルの連絡調整ではなく、個別具体的な問題を個々に解決するためのチームアプローチを行う個別対応型支援ネットワーク会議を開催し、具体的支援をリードする拠点システムとしても構想された。

また、茅野市保健福祉サービスセンターには、内科クリニック、訪問看護、高齢者デイサービス、訪問介護、地域交流センターを併設し、更には、システムとして内科クリニックと諏訪中央病院との病診連携、「かかりつけ医」制度の促進を図ることなども組み込んだ(大橋謙策他編『福祉21ビーナスプランの挑戦』中央法規出版、2003年参照)。

長野県茅野市の計画、実践において、筆者は保健、医療、福祉の連携のみならず、社会教育との連携を意識して取り組んだ。地域福祉計画づくりに社会教育との連携を意識的に組み込むのは、1990年の遠野市の計画づくりからである。

なぜ、社会教育との連携を意識化したかというと、福祉サービスを必要としている人を発見し、支えていく上で、地域住民の力はプラスに働く場合もあれば、ややもするとそれらの人々への偏見、蔑視が働き、排除の動きにもなる恐れがあるので、地域住民のこれらの問題への関心の醸成と理解の深化を図ること及び住民自身が福祉サービスを必要としている人の支援者になることへの変容が求められるので、そのためにも筆者は一貫して地域福祉実践には福祉教育が不可欠であると述べてきたし、その一翼を社会教育が担うべきであると考えてきたからである。

更には、「福祉でまちづくり」の考え方を実現していくためには、住民の問題発見・問題解決型の共同学習が必要不可欠であると考えたからでもある。

まさに、地域包括ケアの構築には住民の学習を推進する社会教育行政との連携が必要と考えたからに他ならない。

この茅野市の実践事例は、その後、静岡県富士宮市、掛川市、千葉県鴨川市等へ波及していく。

茅野市のシステムと実践は、2006年に制度化された介護保険制度の地域包括支援センターのシステムとしてのモデルであり、かつコミュニティソーシャルワーク実践を展開できるシステムのモデルでもあった。

2016年7月からは、東京都世田谷区(人口91万人)の27地区に設置されている地域包括支援センター(あんしんすこやかセンター)で、子ども、障害者、高齢者の全世代支援型のワンストップサービスが始まっており、その地区ごとにコミュニティソーシャルワーク機能を担う社会福祉協議会の職員が1.5人ずつ配属されて活動している。

筆者が、この間、手がけてきた地域福祉実践の考え方が国の政策のあり方に最も反映されたものとして、2008年に発表された『地域における「新たな支え合い」を求めて――住民と行政の協働による新しい福祉』がある。この厚生労働省の研究会の座長を勤めさせて頂いたが、筆者が研究し、地方自治体で実践的に制度化、政策化させた考え方がほぼ反映されたと思っている。

しかも、その考え方は、2009年から始まる「安心生活創造事業」というモデル事業の創設により実証的に検証されることになる。そのモデル事業の市町村に指定された中に香川県琴平町があるし、筆者がアドバイザーとしてシステムづくりに関与している千葉県鴨川市も含まれている。

これらの地域福祉実践の積み重ねが、理論的にも、実践的にも可能性があるという判断がなされたのであろう、2015年9月に発表された厚生労働省の「新しい福祉提供ビジョン」にこれらの考え方が政策的に引き継がれていく。

コミュニティソーシャルワークの第5段階は、この「新しい福祉提供ビジョン」をどう具現化させるかという時代である。

その理念をより強固に具現化させるべく、2016年7月に「我が事・丸ごと地域共生社会」実現本部が設置された。

そこで求められる実践課題を筆者なりに改めて整理すると、①筆者のいう4つの地域福祉の主体形成と福祉教育の課題、②「福祉でまちづくり」を推進する上で必要なニーズ対応型サービスの開発というソーシャルワーク機能を発揮できる職員の養成とそれを展開できるシステムづくりの課題、③行政と住民の協働を触媒・媒介させるコミュニティソーシャルワーク機能とそれを展開できるシステムの課題がある。

ところで、これらのことを具体的に実施できるシステムの運営のあり方とその市町村毎のアドミニストレーションはどうあったらいいのか等は研究的にも、実践的にも未だ緒に就いたばかりであり、地域福祉研究的にはほとんど皆無の状況である。

ましてや、これらの活動の担い手をどう養成し、配属できるのか十分な展望を持てていない。筆者が理事長をしているNPO法人日本地域福祉研究所は、全国の県、市、県社会福祉協議会、市町村社会福祉協議会等と協働して、多数のコミュニティソーシャルワークの研修の機会を担ってきているが、果たしてその研修内容や方法も今のままでいいのか、かつての「地域福祉活動指導員養成課程」のようなe-ラーニングも含めたより体系的養成課程を行う方がいいのか、かつ全国の市町村においてコミュニティソーシャルワークの養成・研修を実施することへの対応の展望は見えていない。

イギリスでは、大きな制度改革が行われるときには、必ずといっていいほどその制度改革を担う人材の養成のあり方を連動させて取り組んできた。日本では、制度は制度、人材養成は別か、あるいは制度に必要な人材を制度ごとの研修で養成するという立ち位置で行われてきた。そろそろ、ソーシャルワーク機能、とりわけコミュニティソーシャルワーク機能を発揮できる人材の養成を抜本的に考える必要があるのではないか。今の社会福祉士の養成課程がこれから求められるソーシャルワーク機能を発揮できる人材の養成として相応しいとは必ずしも筆者には思えない。

それらのことも含めて、「我が事・丸ごと地域共生社会」の実現にはいろいろ難しさがある、そうであればあるほど、改めて、今求められているコミュニティソーシャルワーク機能とはを整理、確認しておきたい。それが常に意識されていないと、福祉サービスを必要としている人を発見し、その人々が抱える問題を“我が事”のように理解、共感し、その問題を行政と住民が協働して地域を挙げて解決することはできない。

そして、それを推進しようとすればするほど、行政と住民の協働を触媒・媒介するコミュニティソーシャルワーク機能が求められることを意識化しなければならないからである。

改めて、今求められているコミュニティソーシャルワーク機能とは、を整理、確認すると、①地域に顕在的、潜在的に存在する生活上のニーズ(生活のしづらさ、困難)を把握(キャッチ)すること、②それら生活上の課題を抱えている人や家族との間にラポール(信頼関係)を築くこと、③時には、信頼、契約に基づき対面式(ファイス・ツー・フェイス)によるカウンセリング的対応も行う必要があること、④その人や家族の悩み、苦しみ、人生の見通し、希望等の個人的要因を大切にしつつ、それらの人々が抱えている問題がそれらの人々の生活環境、社会環境との関わりの中で、どこに問題があるのかという地域自立生活上必要な環境的要因に関しても分析、評価(アセスメント)すること、⑤その上で、それらの問題解決に関する方針と解決に必要な方策(ケアプラン)を本人の求め、希望と専門職が支援上必要と考える判断とを踏まえ、両者の合意の下で策定すること、⑥その際には、制度化されたフォーマルケアを有効に活用すること、⑦そのうえで、足りないサービスについてはインフォーマルケアを活用したり、新しくサービスを開発するなど創意工夫して問題解決を図ること、⑧問題解決には多様な関係者の個別対応型支援ネットワーク会議を開催したり、必要なサービスを統合的に提供するケアマネジメントの方法を手段とする個別援助過程を基本的に重視しなければならないこと、⑨と同時に、その個別援助を支える地域を構築するために、個別対応型の必要なインフォーマルケア、ソーシャルサポートネットワークの開発とコーディネートを行うこと、⑩地域での個別支援を可能ならしめる地域づくりに関する“ともに生きる”精神的環境醸成、ケアリングコミュニティづくりを行うこと、⑪個別生活支援の外在的要因である生活環境・住宅環境の整備等も行うことを同時並行的に、総合的に展開、推進していく活動、機能である。

これらのコミュニティソーシャルワーク機能が十分意識化されない皮相的な取り組みで「我が事・丸ごと地域共生社会」という政策が展開されることに、行政も社会福祉関係者も、住民も十分留意しなければならない。したがって、市町村においてコミュニティソーシャルワークを展開できるシステムがない中で、安易に、コミュニティソーシャルワーカーという名称だけが一人歩きすることには気を付けなければならない。

おわりに

四国・こんぴら地域福祉実践セミナーは20回続いているが、それは他の実践セミナー(日本地域福祉研究所主催の全国地域福祉実践研究セミナーが22回、房総地域福祉実践セミナーが14回、沖縄かりゆし地域福祉実践セミナーが8回等)と同様に、“継続こそが力なり”と思い、続けることを意識して、かつ参加してきた。この20回に亘る四国・こんぴら地域福祉実践セミナーのすべてに参加しているのは、筆者と越智和子さんだけであろうか。

ところで、このセミナーは原則的に県行政や県社協の力に頼らずに、開催地を中心に自分たちで実行委員会を作り運営してきた。また、このセミナーは県庁所在地ではなく、「限界集落」と呼ばれる中山間地で行うことを原則としてきた。それは、「草の根の地域福祉実践」を豊かにしたいという思いからであった。県庁所在地での開催は第17回セミナーの愛媛県松山市が初めてである。このような考え方も四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの特色の一つである。

高知県の足摺岬のある土佐清水市でのセミナーに539名が四国4県から集まり、討議をした光景には、正直鳥肌が立つ程の感動と感銘を覚えた。この土佐清水市のセミナーに参加して、中央集権的機関委任事務体質、行政依存的体質が大きく変わりつつあることを確信できた。

しかも、この四国・こんぴら地域福祉実践セミナーは、「地域福祉俳句会」は固より、ジャズを聴きながらの交流、あるいは徳島の阿波踊り、高知の「よさこい」踊りの体験等地域文化の野趣〈やしゅ、素朴な味わい〉に富んでおり、参加していてとても楽しい「集い」である。

本稿は「地域福祉の真髄」と題して3つの点に絞って述べてきたが、これ以外でもニーズキャッチの方法、福祉教育を実践する上での資料の作り方、市町村の地域福祉計画づくりの方法、コミュニティソーシャルワークを展開できるアドミニストレーションのあり方等も検討しなければ地域福祉実践は推進できないであろう。しかしながら、それらについては紙幅の関係もあり、後日に委ねたい。

また、四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの実践の中でも高知市の「こうちこどもファンド」の取り組みや香川県の「香川おもいやりネットワーク事業」(施設経営の社会福祉法人と市町村社会福祉協議会と民生・児童委員との3者がコラボレーションしての生活のしづらさ、生活の困窮者を地域で支える活動)、あるいは本資料には都合により収録できなかったが、愛媛県愛南町のNPO法人なんぐん市場が取り組んでいる、精神障害者の退院支援と地域定着、地域自立生活支援の取り組みの実践、更には想定される南海トラフ地震への対策も考えた災害時支援のソーシャルワーク実践のあり方等これからの地域福祉実践を考える上で大きな示唆を与えてくれる実践についても考察を深めなければならないし、かつそれに関わってこれからの地域福祉研究上の意義、あり方についても論述しなければならないが、これも後日に委ねたい。

最後になりましたが、20年間、四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの開催にご尽力してくれた日開野博さん(「地域福祉活動指導員養成課程」修了者)、越智和子さん、白方雅博さん(「地域福祉活動指導員養成課程」修了者)、島崎義弘さん、佐和良佳さん、市川千香さん(「地域福祉活動指導員養成課程」修了者)、日下直和(「地域福祉活動指導員養成課程」修了者)さんをはじめ、お一人、お一人のお名前を挙げられないが、四国4県の市町村社会福祉協議会及び県社会福祉協議会の職員の方々、そして日夜、地域福祉実践に傾注されている方々、更には聖カタリナ大学、高知県立大学、松山大学、高知大学、四国学院大学の先生方等本当に多くの人々に支えられ、このセミナーが継続実施されてきたことにこの誌上を借りて改めて厚く御礼を申し上げるとともに、心より感謝を申し上げる次第である。

付記
本稿は2017年6月3~4日に、愛媛県松山市の松山大学で行われた日本地域福祉学会において、地元四国4県の地域福祉実践の発表の一環として編集刊行された『「地域福祉の遍路道」四国・こんぴら地域福祉セミナー資料集』に寄稿したものに一部加筆したものである。

謝辞
本稿は、一般財団法人社会福祉研究所『所報』第93号、2018年3月、1~17ページ所収の大橋謙策先生の玉稿です(一部削除・修正)。転載許可を賜りました大橋先生と社会福祉研究所に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所

 

補遺
(1)社会福祉協議会は  “ 自己満足 ”、“ 唯我独尊 ”、“ 視野狭窄 ”  で生き残れるか?

新年に頂いた年賀状の中に、東京都の福祉局の職員として勤め、定年後に地区社会福祉協議会に関わり、草の根の地域福祉実践をしている方から、“社会福祉協議会は旧態依然で、改革する意欲がない”という嘆きの言葉が書かれた年賀状を頂きました。

私は厚生労働省が進めている地域共生社会政策の具現化には、社会福祉協議会が改革され、住民のニーズに対応する活動を展開できなければ、その具現化は難しいと思っていますし、かつ社会福祉協議会は生き残れないと思っています。

地域共生社会政策における重層的支援体制整備事業は、包括的相談と福祉サービスを必要としている人の社会参加支援とそれを可能ならしめる地域づくりの3つの事業を三位一体として展開して欲しいとしています。

これを行うためには、市町村における第2層の専門多機関、専門多職種の連携と第3層の小学校区レベルでの住民参加、住民のボランティア活動の活性化が不可欠ですし、とりわけ第2層の機能と第3層の機能をつなげ、コーディネートする力が必要です。この第2層と第3層との有機化ができないと、また“新たな縦割り”を産みかねません。

これらの事業・活動を展開する組織として、最もふさわしい組織は市町村社会福祉協議会ではないかと私は思っています。

私の地域福祉実践、研究、教育は全国の社会福祉協議会とバッテリーを組むことにより展開され、体系化できました。言わば、私は社会福祉協議会によって“地域福祉研究者”に育てられたと思っていますので、身びいきすぎるかも知れませんが、上記の機能を考えたたら社会福祉協議会しかないと思っています。

1980年代から社会福祉協議会は小学校区レベルで地区社会福祉協議会づくりを推進してきました。その過程で、自治会組織や民生委員・児童委員とも深い関係を築いてきました。

1990年代には、住民に信頼される組織になるためには、住民のニーズに応える具体的サービスを展開し、そのサービス提供過程において、新たな住民のニーズを把握しようという「事業型社協」の考え方を打ち出しました。

また、1991年からは潜在化しているニーズを発見し、専門多機関でのチームアプローチによる支援を行う「ふれあいのまちづくり事業」を展開してきました。

このような経緯を考えれば、地域共生社会政策の具現化、重層的支援体制整備事業は社会福祉協議会がその中軸になって活動して“当たり前”だと私は思うのです。

しかしながら、冒頭に述べたように、社会福祉協議会は未だ1980年代までの“旧態依然”の活動、組織になっています。これで、社会福祉協議会はいつまでも行政からの補助金を貰えるのでしょうか。

全国各地の地方自治体では、9月の決算議会で社会福祉協議会への補助金の費用対効果が問われ、補助金の見直しの論議が各地の自治体で論議されています。あるいは、行政の監査委員会から社会福祉協議会への補助金の見直しの勧告もされています。行政の保健福祉部局が社会福祉協議会への理解を示してくれても、財政部局が理解せず、補助金カットの厳しい査定が続いています。社会福祉協議会が有している「基金」を全て遣い切ってから、改めて補助金の支出の論議を余儀なくされているところもあります。地方自治体の「指定管理制度」に伴う入札において、従来使用していた事務所がある社会福祉センターの管理運営に関わる指定管理で、社会福祉協議会が落札できず、他の業者に事務所代の賃料を払って入居している社会福祉協議会もあります。その場合の事務所賃貸料の補助金は行政から出ません。

このような状況下で、社会福祉協議会の経営のあり方は現在とても厳しい状況にあり、早く“眼を覚ます”必要があると思っています。

私自身、昨年だけでも岩手県、秋田県、福島県、香川県等の社会福祉協議会の経営問題に関する会議・研修に招聘され、上記のような状況と課題を提起し、コンサルテーションを行ってきました。

社会福祉協議会を取り巻くこのような状況を改革するためには、地域共生社会政策における重層的支援体制整備事業を受託し、第2層の地域包括支援センターの運営を軸にした専門多機関協働と第3層の小学校区の地区社協における住民参加、ボランティア活動とを有機化させる活動に取り組むしか“生き残る道はない”と考えています。

そのためには、従来の社会福祉協議会の事務局体制を改編し、地区社会福祉協議会ごとの「地区担当制」を導入し、その地区において福祉サービスを必要としている人の“発見”と個別支援に関する包括的総合相談を行い、かつその福祉サービスを必要としている人の社会参加に関する問題解決プログラムを開発・提供すること、更にはそれらの活動を住民が支え、ボランティア活動として協力するとともに、福祉サービスを必要とする人々を地域から排除することなく、蔑視をすることなく、共に生きていける地域づくり、福祉教育の推進を統合的に展開できる事務局体制に再編するしか“生き残れる道はない”と思っています。

そのためには、社会福祉協議会職員、総務部門の職員も、生活福祉資金や権利擁護部門の職員も、施設・団体支援部門の職員も含めてコミュニティソーシャルワーク機能の研修を受講し、その資質向上を図るしかありません。

厚生労働省の2015年の「新たな福祉提供ビジョン」(この報告書が地域共生社会政策の起点になる)の中で述べているように、“個別支援を通じて地域を変えていく”過程が重要なのです。

その点、テーマ型NPO法人は、福祉サービスを必要としている人の個別課題分野ごとに特化した活動を展開していますので、“個別問題”に強い“印象”を創り出していますし、事実、個別課題分野ごとに大きな成果を挙げて評価されています。

また、それらのNPO法人は今日のインターネット社会の機能をよく活用し、全国的に組織化を図り、個別課題分野における“発言力”(政治的にも、行政の信頼度においても、行政からの補助金獲得においても、クラウドファンディングにおいても)を高めています。

正直なところ、この間の内閣府等の政府の福祉サービスを必要としている人の個別課題分野ごとに取り組むNPO法人への評価は高く、政府の審議会での発言力や報告書における位置づけも高いものがあります。

それに比して、社会福祉協議会への評価、位置づけは“相対的に地盤沈下”していると思います。福祉サービスを必要としている人の個別分野の取り組みが全体的に増加しているので、その個別課題に取り組む団体・組織が増えることはいいことであり、その結果、社会福祉協議会が“相対的に地盤沈下”するのも当然でやむを得ないと考えるべきなのでしょうか。

私は、社会福祉協議会の位置は“相対的に地盤沈下”しているのではなく、“絶対的に地盤沈下”していると考えています。つまり、住民のニーズに対応しないで、相変わらず“旧態依然”の活動に終始し、“自己満足”、“唯我独尊”、“視野狭窄”に陥っているのではないでしょうか。

これらの課題は一朝一夕には解決できないと思いますが、せめてNPO法人と社会福祉協議会との“彼我の位置関係”を確認するためにも、各都道府県、各市町村で取り組み始めて貰っている「社会福祉関係資料集」の中に、これら「福祉サービスを必要としている人の個別支援をしているNPO法人」と「福祉サービスを必要としている当事者組織・団体」の把握を行い、収録することが必要ではないかと思っています。

私は、富山県社会福祉協議会のコミュニティソーシャルワーク研修において、『社会福祉関係資料集』の作成の必要性を説き、富山県福祉カレッジと協働して立派なものを作成してもらいました。この実践の取り組みは、現在では千葉県、岩手県、香川県、佐賀県の社会福祉協議会に普及しています。

地域共生社会政策では、社会福祉法の改正で地域福祉計画等を作成する際に、「地域生活課題」を明確に把握することを求めています。私は、この改正が行われる前から、住民のニーズに関わる「地域福祉・地域包括ケアに関わる基本情報」を市町村ごとに、かつ地域包括支援センター圏域毎に作ることの必要性と重要性を指摘してきました。

上記の『社会福祉関係資料集』は、これらの国の動向を踏まえても必要な取り組みです。富山県では、コミュニティソーシャルワークの研修の時のみならず、いろいろな研修の機会に活用しています。

せめて、これらの『社会福祉関係資料集』の中で、全国の、各都道府県の、各市町村で活動している「福祉サービスを必要としている人への個別支援をしているNPO法人」と「福祉サービスを必要としている人々の当事者団体・組織」の一覧を収録することにより、“彼我の位置関係”を認識し、社会福祉協議会が陥っている“自己満足”、“唯我独尊”、“視野狭窄”に気付き、改革する契機になればと思っています。

そして、社会福祉協議会がそれらの組織、団体の参加の基にプラットホームを創り、その“中核的組織”として社会福祉協議会が活動を行い、社会的評価を高められればと祈念しています。

――「老爺心お節介情報」第38号/2023年1月2日(一部削除・修正)

 

(2)「バッテリー型研究」と「関係人口」

私は地域福祉研究の「研究方法」について長らく悩んできました。とりわけ、外部の人間として地域に入るのですから、“地域”との関わり方については悩んできました。

研究者として、“上から目線”で地域に入り、“教えてあげる”という“臭い”をさせながら、“地域を引っ搔き回し”、その成果をあたかも自分の“手柄”のように披歴する研究者に1970年代から辟易してきました

私自身はそれについては相当気を付けてきたつもりではありますが、住民の皆さんからみたら、同じような指摘を受けるのかも知れません。

また、住民の意識、関係等の大量的リサーチを行うのが地域福祉研究なのかとも思ってきました。

その地域福祉の「研究方法」については『地域福祉とは何か―哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』で述べたつもりです。一言で言えば、実践家と研究者が野球の投手、捕手のようにバッテリーを組んで、協働実践を行う「バッテリー型研究」が重要だと考えてきました。

そのことに関し、阪野貢先生が「関係人口」に関わらせて説明しているので参照して頂きたい。その一部を以下に抜粋しておきます。是非、阪野貢先生のブログ(「市民福祉教育研究所」<まちづくりと市民福祉教育>(63)2022年1月21日)を読んで下さい。

阪野 貢/追補:「関係人口」と「よそ者」―田中輝美の論考と大橋謙策の実践研究―
〇筆者(阪野)の手もとに、田中輝美(ローカルジャーナリスト、島根県立大学)の『関係人口の社会学―人口減少時代の地域再生―』(大阪大学出版会、2021年4月。以下[1])がある。
〇「関係人口」という用語は、高橋博之と指出一正の二人のメディア関係者が2016年に初めて言及したものである。「関係人口」とは、高橋にあっては「交流人口と定住人口の間に眠るもの」、指出にあっては「地域に関わってくれる人口」をいう。その後、田中輝美は「地域に多様に関わる人々=仲間」(2017年)、総務省は「長期的な『定住人口』でも短期的な『交流人口』でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者」(2018年)、農業経済学者である小田切徳美(明治大学)は「地方部に関心を持ち、関与する都市部に住む人々」(2018年)、河井孝仁(東海大学)は「地域に関わろうとする、ある一定以上の意欲を持ち、地域に生きる人々の持続的な幸せに資する存在」(2020年)としてそれぞれ、「関係人口論」を展開する(73~75ページ)。
〇田中は[1]で、こうした抽象的・多義的で、農村論や過疎地域論に偏りがちな(都市部における関係人口を切り捨ててしまう)関係人口論に問題を投げかけ、関係人口について社会学的な視点から学術的な概念規定を試みる。関係人口とは「特定の地域に継続的に関心を持ち、関わるよそ者」(77ページ)である、というのがその定義である。この定義づけで田中は、関係人口を、移住した「定住人口」でも観光に来た「交流人口」でもなく、新たな地域外の主体、別言すれば「一方通行ではなく、自身の関心と地域課題の解決が両立する関係を目指す『新しいよそ者』」(69ページ)として捉える。その際、地域とどのように関わるかについて、関係人口の空間(「よそ者」)とともに、時間(「継続的」)と態度(「関心」)に注目する。(中略)
〇ここで筆者は、「福祉でまちづくり」の「スーパースター」(田中輝美の言葉)的な「関係人口」や地域づくりの専門家(「実践的研究者」)といえる大橋謙策(日本地域福祉研究所)の「バッテリー型研究方法」を思い出す。大橋のそれについては、本ブログの<まちづくりと市民福祉教育>(27)大橋謙策「地域福祉実践の神髄―福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク―」(2018年4月4日投稿)を参照されたい。
〇大橋は、全国各地の地域福祉(活動)計画の策定や地域福祉の研修会・セミナーなどに関わるが、その際の視点や姿勢はおよそ次のようなものである。

(1) 地域による実践の理論化・体系化と関係人口としての理論仮説の提起と検証(バッテリー型研究方法)を行う。
(2) 地域と長期間にわたって関わり、特定あるいは総合的・統合的な事業・活動への支援を継続的に行う。
(3) 地域による実践活動の活性化と、地域と行政や関係機関との協働を成立させるコミュニティソーシャルワーク機能(触媒・媒介機能)の展開、そのためのシステムの整備を支援する。
(4) 多種多様な、あるいは潜在的な地域課題の解決に向けた専門多職種によるチームアプローチの必要性や重要性を提唱し、その実現を図る。
(5) 地域との相互作用や相互学習の過程を通して、地域内外との交流や福祉等関係者(実践者)の組織化を促す。
(6) 地域による実践のプロセスとその結果の客観化・一般化や実践仮説の検証を図るために、著作物の刊行や地域によるそれを支援する。
(7) 地域による問題発見・問題解決型の共同学習(福祉教育)を徹底的に行い、地域(地域住民や専門家等)の社会福祉意識の変容・向上を図る。
(8) 地域との共同実践を通して地元自治体における福祉サービスの整備や、全国の地方自治体や国への政策提言を行い、その具現化の制度化・政策化を促す、

などがそれである。これらを総じていえば、地域による「草の根の地域福祉実践」を豊かなものにするために「継続は力なり」の意志を体して、理論と実践を往還・融合する探究的な「実践的研究」に取り組み、「福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク」を追究する、ここに大橋の「関係人口」としての具体的・実践的な視点や姿勢を見出すことができる。しかもそれらは、地域づくりや地域再生に「関係人口」が果たすべき役割や機能のひとつのモデルとして整理されよう。
〇なお、上記の(6)に関する文献に例えば次のようなものがある。紹介しておきたい。表記した地名は大橋が関わった地域である(それはそのほんの一部に過ぎない)。

・東京都狛江市/大橋謙策編著『地域福祉計画策定の視点と実践―狛江市・あいとぴあへの挑戦―』第一法規出版、1996年9月。
・富山県氷見市/大橋謙策監修、日本地域福祉研究所編『地域福祉実践の課題と展開』東洋堂企画出版社、1997年9月。
・岩手県湯田町(現・西和賀町)/菊池多美子著/『福祉の鐘を鳴らすまち―「うんだなーヘルパー」奮戦記―』東洋堂企画出版社、1998年9月。
・富山県富山市/大橋謙策・林渓子共著『福祉のこころが輝く日―学校教育の変革と21世紀を担う子どもの発達―』東洋堂企画出版社、1999年1月。
・山口県宇部市/宇部市教育委員会編『いきがい発見のまち―宇部市の生涯学習推進構想―』東洋堂企画出版、1999年6月。
・島根県瑞穂町(現・邑南町)/大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著『安らぎの田舎(さと)への道標(みちしるべ)―島根県瑞穂町 未来家族ネットワークの創造―』万葉舎、2000年8月。
・岩手県遠野市/日本地域福祉研究所監修、大橋謙策・ほか編『21世紀型トータルケアシステムの創造 ―遠野ハートフルプランの展開―』万葉舎、 2002年9月。
・長野県茅野市/土橋善蔵・鎌田實・大橋謙策編集代表『福祉21ビーナスプランの挑戦―パートナーシップのまちづくりと茅野市地域福祉計画―』中央法規出版、2003年2月。
・香川県琴平町/越智和子著『地域で「最期」まで支える―琴平社協の覚悟―』全国社会福祉協議会、2019年7月。

――「老爺心お節介情報」第33号/2022年2月22日(一部削除・修正)

 

(3)地域福祉研究者の「バッテリー型研究」

私は、1960年代、東京都三鷹市で中卒青年等を対象とした青年学級の講師を約10年間担当した。その際に、青年たちから投げかけられた言葉はいまでも忘れられないし、忘れてはいけないと“自虐”的と思えるほど意識して研究者生活をしてきた。

その言葉は“あなたたちが大学院に進み、研究できているのは我々の税金があるからではないのか。我々は、勉強したくても家が貧困で高校へも行けなかったし、大学へも行けなかった。だから、この青年学級で学んでいる。あなた方の奨学金も我々の税金で賄われているのではないのか。そいうことを考えてあなたは生活し、研究しているのかという”問い掛けであった。

当時は、東大紛争もあったりして、このような言葉がだされたのだと思うが、この言葉は自分にとって大変身に堪えた。そうでなくても、日本社会事業大学を進路として選択する際に、そのような考えを自分でしていたものの、直接、面と向かって、このような言葉を投げ掛けられると身に堪えた。それ以来、ディレッタンティズム(もの好き)で研究するのではなく、社会に貢献できる研究者になろうと誓った研究生活であった。

そんなこともあり、私は講演や研修を依頼されると、常に参加者にどのような“お土産”を持って帰ってもらうのか、参加してよかったと思える“成果”をどう提供できるのかを考えてきた。

また、講演や研修等の頂いた機会にその地域、その組織、その自治体から何を自分が学ぶかということを常に考えてきた。それは自分自身の学びであると同時に、参加者への“お土産”の素材を掴むことにもつながっていた。

その際の私の姿勢として、自分が学んだことや自分が知っている情報を“分かち与える”という、ややもすると“上から目線”になりがちな“教える”ということではなく、参加者がこれから考える糸口、課題を整理し、学びへの関心、興味を引き出せるような契機になればということを常に意識してきた。それは、言葉で優しく言うとか、言葉で励ますとかいうことではなく、参加者が主体的に考え、行動に移したいと思えるような問題の整理と課題の提起を志すことであった。

一方、私は1985年1月に『高齢化社会と教育』を室俊二先生と共編著で上梓した。それに収録された論文の中で、生涯教育、リカレント教育、有給教育制度等に触れながら、これからは高学歴社会と高度情報化社会が到来し、従来のような知識“分与”的、情報伝達的教育や研修は変わらざるをえないことを指摘した。

今、文部科学省はアクティブラーニングの必要性をしきりに強調しているが、それはかつて社会教育が青年団を中心に提唱してきた「問題発見・問題解決型協働学習」で言われてきたことと同じである。

このような状況のなかで、地域福祉研究者は、気軽に“地域づくり”、“地域共生社会”づくりというが、どのような立ち位置で研究し、どのような立ち位置で講演や研修に臨んでいるのであろうか。

他方、私は地域福祉実践をしている現場の方々と“バッテリーを組んで”、その地域、その自治体、その社会福祉協議会をフィールドにして研を行ってきた。そして、その研究は一時的なものではなく、長期に亘り、継続的に関わることによって行われるべきものだと考えてきた。

地域に住んでいる住民は、移転、移住しようにも、先祖伝来の土地、「家」のしがらみの中で生きており、気軽に移動できない状況を十分理解しないままに、外部から入り、外部の目線で“気軽に”地域づくりを言い、短期で関わりを切ってしまう研究方法は、あたかも住民の方々を弄ぶかのように思えていたからである。

私は、1970年に現在の東京都稲城市に移住し、地域活動を始めたが、それ以降、よほどのことが無い限り、この稲城市を離れることをしまいと決意を固めた。“地域づくり”を言うということは、それだけの重みのある取組であるべきだし、そうでないと住民の方々は納得してくれないと思ったからである。現に、そのような指摘は各地で幾度も聞いたし、聞かされてきた。

そんなこともあり、“バッテリーを組めた地域”には、長い地域では40年間のお付き合いをさせて頂いている地域もある。

ところで、このような文章を書いたのは、まさに「老爺心お節介」の最たるものかもしれないが、最近目にする論文等を読んでいて、研究者自身の立ち位置を明確にしないままに、取り組まれている実践を評価、紹介しているものが多く、地域福祉研究者として“一種の研究倫理”に抵触しているのではないかと思う論文を散見するからである。全国のいい実践は、大いに紹介し、情報共有化がおこなわれてほしいが、その場合でも紹介なのか、評論なのか、自分の学説の論証に使うのか等その位置づけは明確にしてほしいものである。しかも、その実践のアイディアは誰が出したのか、参与観察をするならばどういう立ち位置で行うのかを明確にする必要がある。最近、政治学の分野で「オーラルヒストリー研究法」が活用されているが、ある政策、ある実践がどういう形で企画され、政策化されていくのかを、その過程の力学も踏まえて研究が進められている。地域福祉研究においても、同じような研究の枠組みを作る必要があるのではないかと考え、この拙稿を書いてみた。

――「老爺心お節介情報」第23号/2021年3月25日(一部削除・修正)

 

(4)社会福祉実践における「実践仮説」と実践者の  “ ゆらぎ ”

筆者は、ここ数年千葉県、富山県、香川県、佐賀県、大阪府、岩手県の社会福祉協議会において、CSW研修を体系化させようと取り組んできました。その際、感じることは、社会福祉関係者の活動には「実践仮説」をもって意識的に取り組むという姿勢が弱いと感じている。

筆者が、東京都三鷹市の勤労青年学級の講師として取り組み始めたのは1966年度からですが、その際、小川正美社会教育主事から強く求められたのは、①勤労青年という教育実践の対象になる「学習者理解」を深めること、②これらの青年に対し、どのような教育目標を設定し、どのような教材や教育方法を駆使して実践するのか、1年間の、あるいは中期の「実践仮説」をもって取り組むこと、③年度がおわったら、「実践仮説」に基づいた実践がどうであったかを総括、評価し、文章化することであった。当時、日本社会事業大学の学部4年生であった私にとっては、それはとても厳しい“注文”であったが、それを意識化して取り組んだことが筆者を育ててくれたと今では感謝している。

三鷹市の勤労青年学級だけではなく、教育学分野では、教師が「実践仮説」をもって、実践に取り組むということが必要だと教えられてきたが、1970年代、社会福祉分野において「実践仮説」という言葉を使うと、関係者はその用語は初めて聞いたとか、「実践仮説」とはどういうことですかとか、用語の使用が共有化できないことに驚いた記憶がある。ある意味、社会福祉分野は“制度の枠”の中で、“制度に基づくサービスを提供”していたので、「実践仮説」という考え方を持たなくても通用してきたのかなと思ったことがある。

しかしながら、これからは制度が十分でなければ、ニーズに対応する新しいサービスを開発する必要があるし、生活のしづらさを抱えている人への伴走的支援によるソーシャルワーク実践が求められてきている。そこでは、実践者の「実践仮説」が大いに問われるはずである。

――「老爺心お節介情報」第21号/2021年1月18日(一部削除・修正)

 

(5)実践・研究における問題構造の把握と分析視角

私は、恩師の小川利夫先生から研究指導を受ける際、“おまえの分析視角は何か、そのナイフは先行研究を踏まえた理論課題を明らかにできる研ぎ澄まされているナイフなのか、それともなまくらなのかどうか?”、“事象に流されて、紹介するだけのものは論文とは言わない”等と常に戒められてきた。

そんなこともあり、私は論文を書くときに、あるいは講演をする際にとても十分とはいえないにしても、常に以下のようなことを考えて研究生活を送ってきた。

➀ 何故、その社会問題、事象を取り上げるのか、それを取り上げる意義は何か?
② 取り上げた社会問題、事象をどう分析するのか、その分析の視角は何か?
③ 分析したここの要因間の関係の構造を考え、何が幹で、何が枝で、何が葉なのか、枝葉末節を考えて、構造的に分析を行い、考えているか?
④ 分析をした社会問題、事象を通して、社会福祉学界に対してどのような理論課題を提起し、論述しようとしているのか、その理論課題に即した先行研究も十分ふまえて論述しているのか?

上記のことを私が意識して問題構造、分析視角という用語を使って書いた最初の論文が「現代児童の問題構造と分析視角」(『ジュリスト』572号、有斐閣、1974年10月)である。

自分のことを棚に上げておこがましいことを言うようであるが、最近の実践や研究において、上記のことがほとんど触れられずに、“犬が歩けば棒に当たる”類の研究姿勢が多いことはなぜなのだろうか?それは私達の世代の“大学院”での研究指導が不十分であったからであろうか。

――「老爺心お節介情報」第36号/2022年6月13日(一部削除・修正)

原田正樹/福祉教育実践の基礎―ICFの視点とサービスラーニング―


 

Ⅰ ICFの視点に基づく福祉教育実践

出所:原田正樹/ICF視点での福祉教育実践を展開していくために―福祉教育実践講座―/京都府社会福祉協議会、2014年3月5日。
謝辞:転載許可を賜りました原田正樹先生と京都府社会福祉協議会に衷心より厚くお礼申し上げます。京都府社会福祉協議会の渡邊一真さまには格別のご支援をいただきました。記して感謝申し上げます。/市民福祉教育研究所


 

 Ⅱ サービスラーニングと福祉教育実践

 

ご紹介をいただきました日本福祉大学の原田と申します。よろしくお願いいたします。今日は、「サービスラーニング」についてお話をさせていただくという機会を頂戴しました。サービスラーニングの考え方や歴史、また今どんな実践が行なわれているかなどを紹介したいと思います。

サービスラーニングとの出会い
私がサービスラーニングに初めて出合ったのは、今日のこの会の後援をさせていただいている日本福祉教育・ボランティア学習学会でサービスラーニングについて研究しようということで、1997年にアメリカへ視察に行った時のことです。

当時、アメリカのオハイオ州立大学のジャック先生という方が、特にアメリカの小学校・中学校のサービスラーニングにおいて非常にリーダー的な役割を果たしていました。そこで、90 年代の後半には毎年何回かオハイオ州立大学にお邪魔し、日本の福祉教育やアメリカで始まっているサービスラーニングはボランティア活動とどこが同じでどこが違うのかを勉強するために、実際の小学校や中学校の授業を拝見させていただきました。

アメリカのサービスラーニングの授業風景
ちょうどこれからサービスラーニングを始める小学校3年生の、最初の授業を拝見する機会がありました。州立の小学校で担任は女性の先生、クラスは当時20 名ぐらいで、子どもたちを前に先生がこのような問いかけをしました。「みんなが安心して毎日学校に通って来られるのは誰のおかげ?」。

子どもたちはみんないろいろ考えながら言い出します。最初に出てくるのは「お父さん、お母さん、家族のおかげだ」。その先生は、「そうねえ、お父さんがいてくれるからね」、「お母さんがいてくれるからね」と、子どもたちの意見を引き出していきます。「でも、それだけ?ご両親だけ?」との先生の投げかけに、また子どもたちは考えていろいろなことを言い始めます。

やりとりをしている中で、だんだんと子どもたちの中から「地域のおじさんやおばさんのおかげ」というような声が出てくるのです。「地域のおじさんやおばさんは何をしてくれるの」と先生がまた尋ねます。アメリカではスクールパトロールが非常にしっかりしています。日本でも最近、登下校のときに地域の方たちが見守りをしている所がありますが、アメリカでは当時からそれがしっかり仕組みとして地域の役割としてありましたから、「スクールのパトロールの人たち、おじさん、おばさんたちがいてくれるから私たちは安心して学校に通って来られる」と子どもたち。「そうね、あのおじさんやおばさんがいてくれるから、みんなが来られるのよね。他には?」と先生がどんどん広げて聞いていきます。そうすると、小学校3年生が「その地域のおじさん、おばさんたちがお金を出してくれているから、僕たちは学校に来られるのだ」と言うのです。そんな答えまでが出てくるのです。

もちろん州立の学校ですから税金で学校が運営されています。税金という概念がどこまでその小学校3年生でわかっているかどうかわかりませんが、いずれにしましても「地域のたくさんの人たちのおかげで学校が成り立っていて、私たちが安心して安全に学校に通って来られるのは地域のおじさんやおばさんのおかげなのだ」という話を先生が深めていくのです。

そういう話をある程度してから、今度は先生が質問を変えます。「では、みんなは地域のおじさんやおばさんのために何ができるの?」。その地域の人たちのおかげで自分たちは学校に来られているのだということを十分子どもたちが認識した上で、今度は「では、地域のその人たちのためにみんなは何ができるの」と切り返した質問をするのです。

そうすると、子どもたちが悩みながら「地域のお掃除ができる」「このようなことができる」ということをどんどん言い始めるのです。それを先生が一つひとつ受け止めていきながら、「みんなは地域のおじさんやおばさんたちのおかげで学校に来られているのだから、みんなが今度は地域に何をしようか」という話をしながら地域貢献のプログラムづくりに入っていくのです。最初の授業はそこまでです。その後、彼らが考えたプログラムを実際に実践してサービスラーニングが展開されていきます。

福祉観やボランティア観の違い
本学は福祉系の大学ですが、学生たちに「なぜ福祉の大学に来たのか」、あるいは「将来、福祉の仕事に就きたいと思ったのはどうして」と1・2年生に聞くと、その多くの学生たちは小・中学校のときに福祉教育でとてもいい経験をしているのです。

老人ホームに行って、すごく素敵な職員の方と出会っている。あるいはお年寄りや障害のある方と出会って、小・中学校のときにとてもいい福祉の原体験をしたことが、将来、福祉を学びたい、福祉の専門職になりたいというモチベーションにつながってきているということが学生たちにアンケートを取るとすごくはっきりしてくるのです。

20年前はこんな感じではありませんでした。福祉教育などは小・中学校や高校で行われなかったので、あまりそういうモチベーションの学生たちはいませんでした。むしろ家族や親戚に認知症や障害のある方がいる、そういう自分の家族のモチベーションによって福祉を志すというのが20 年ぐらい前の中心だったのです。

ところが、今は全くそういう家族がいるというわけではなくても、小・中学校のときの福祉体験が将来の職業選択につながってくるという子たちがすごく増えてきています。これはある面、小・ 中学校や高校で福祉教育の体験が非常に広がってきた一つの成果だと思うのです。

一方で、私は福祉系の大学で教えていますが、他の大学や学部でもボランティア論を担当することがあります。他の大学の経済学部や法学部の学生にボランティア論を教えると、人数は多いのですが、どう見てもボランティアに対して好意的ではない雰囲気があるのです。端的にいえば、「ボ ランティア論だったらそんなに難しくないだろう、単位が取りやすいから履修した」という雰囲気の学生たちが最初のときはたくさんいます。

彼らに最初の授業のときに「なぜボランティア論を履修したのか」、「大学に入るまでのボランティアの経験の有無」、「ボランティアの印象」などについてアンケートを取ります。7~8割方の学生たちは「ボランティアは強制労働だ。自分たちは小・中学校、高校のときに強制労働させられた。そのようなものをボランティアなどというのはおかしい」と、すごく批判的なイメージでボランティアを受け止めていることに愕然とします。福祉系の大学に来る、小・中学校・高校時代の福祉体験に対して肯定的な学生たちとでは180度ボランティア観が違うのです。

その否定的な学生たちの話を聞くと、「掃除など様々なことを学校の先生から強制的にやらされた。自主性だ、主体性だ、責任性だ、いろいろなボランティアについての言説は所詮建前であって、大人の偽善だ。我々はそのようなボランティアなどというものにはだまされない」と言うように、 ボランティアに対して厳しい意識を持ってボランティア論を履修してくるのですね。

「そんなことならボランティア論など履修しなくていい」とこちらは思うのですが、そうは言えないので、15回の授業の中でどうやって彼らのボランティア観を変えられるかというのが私にとっては一つのミッションになっています。

ボランティアとコミュニティサービスの明確化
その違いの根源を探していくと、どうも日本の福祉教育の関係者や学校関係者がボランティアを非常に歪曲して伝えてしまっているのではないかという疑問もあります。

アメリカでは、日本よりももっとボランティアは厳格に使われます。自主性、主体性ということをすごく重んじたボランティア文化をアメリカはつくってきました。コミュニティサービスというのは、今言いましたある一定のノルマや枠組み、もっと言えば教育活動そのもので、評価が伴う枠組みの中で行なうわけですから、=(イコール)ボランティアではなく、これはコミュニティサービスであるということをはっきり生徒たちに伝えるわけです。

コミュニティサービスというのは、先ほどの小学校3年生の先生の授業の導入でもありました 「あなたたちはたとえ小学生であっても地域社会の一人として責任があるのだ。地域の一員として果たすべき役割と義務があるのだ」と「市民性」をしっかり伝える。それは“自発的な”とか“主体的な”ではなくて、子どもたちの間に教育として伝えるというノルマの一つとしてコミュニティサービスをしっかり伝えるのです。

コミュニティサービスをやりながら、例えばオハイオ州では高校生には「年間320時間のコミュ ニティサービスをしなければならない」という時間の制約があります。年間320時間、何をやってもいいが、地域貢献の活動をしなければならない。それを証明してもらって320時間を果たしたというのはノルマなのです。

ところが320 時間終わった後にもその活動を継続する子たちが出てくるわけです。ノルマ終わっていても「継続して卒業までずっとこの活動を続けたい」というのはボランティアです。そこをはっきりと使い分けているのです。アメリカはこの地域貢献、コミュニティサービスを通して学ぶということを非常に大事にしています。

このボランティアとコミュニティサービスの違い、これをもっと意識的に日本では使い分けないといけないということを感じました。社会奉仕というのもそうですが、それをボランティアと置き換えて生徒たちに伝えると、生徒たちのボランティアの受け止め方は、すごくいい体験になる生徒群もいる一方で、強制労働と捉える生徒たちも出てくるわけです。それがボランティアの曖昧性、ボランティアのゆらぎをつくってしまった。

そういう意味でボランティアとコミュニティサービスはしっかりと使い分けることが大事です。今日お話するサービスラーニングはコミュニティサービスをしっかりと使った授業なのです。ボランティアを使ったものではないのです。コミュニティサービスという意図的・計画的につくられた 地域貢献の体験を使いながら授業をしていく。ここの違いがまず前提としてしっかりないといけない。サービスラーニングは決してボランティアを使った学習ではない、コミュニティサービスを使った学習なのです。“サービス”という概念がサービスラーニングの大事なところだと思っています。

大学教育におけるサービスラーニング
少し前提のお話をしましたが、実はこの間の中央教育審議会(中教審)でもサービスラーニングが必要だということがしきりに言われ、昨年、大学教育の中でもサービスラーニングを積極的に取り入れるよう、答申が出ました。

今日も大学関係者の方も参加していただいていますが、中央教育審議会から 2012 年の8月に「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて」という答申が出ています。答申の中の質的転換の中で、「学生は主体的な学修の体験を重ねてこそ、生涯学び続け、主体的に考える力を修得する。そのためには質を伴った学修時間が必要である」と書いてあります。(資料➀)

大学教育の改革について矢継ぎ早にいろいろな答申が出て、各大学は「従来のような大学ではいけない、大学の教育内容をどう改革していくか」という教育改革に必死に取り組んでいるところです。

最近、文科省から出てくる“ガクシュウ”というのは、学び修める「学修」という字がよく使われるようになってきています。高校の先生方もご存じのとおりですが、“学び習う”ではなくて、“学び修める”「学修」という言葉を文科省は最近よく使います。

では、そのためにどうしたらいいか。答申には、「そのような『学士力』を育むためには、ディスカッションやディベートといった双方向の授業(アクティブ・ラーニング)への転換と、教室の中で講義を聞いているだけではなく、地域に足を運ぶ、サービスラーニングやインターンシップ等の教室外学修プログラムをしっかり教育課程の中に入れていかなければならないと書いてあります。

アクティブ・ラーニングとサービスラーニングの違い
アクティブ・ラーニングとサービスラーニングの違いは何か。概念だけ整理をしておきたいのですが、講義・講演のような方法は一方通行の授業なので、アクティブ・ラーニングとは言いません。 小・中学校の授業などでよくある、生徒・児童とのやりとりの中で問いかけをしたり、生徒が一緒に考えたりという双方向の授業をアクティブ・ラーニングと言います。

NHKがハーバード大学の「白熱教室」などを放映しています。かつて大学は、私たちもそうなのですが、「40 人のクラスだったら生徒とやりとりはできるが、200 人、300 人の大講義などはとてもアクティブ・ラーニング、双方向の授業などできない」と、できないことを前提に一方的な講義をし続けてきたわけです。

学生たちがわかる・わからないに係わらずに大学の講義は一方的に行われていたのですが、「たとえ 200 人、300 人の授業でも双方向の授業をしていかなければいけない」ということが、今、しきりに言われています。それはそれで我々大学教員としては本当に難しいです。15 人、10 人ぐらいのゼ ミであれば当たり前のことですが、300 人の講義の中でアクティブ・ラーニングをするというのは結構大変です。

もちろんオーソドックスに生徒たちに発言させてやりとりをするという方法もあります。若い先生方などは、最近はスマートフォンで生徒たちに発題をして回答をさせ、すぐに集計して、その割合がグラフになって出てくるといった、ITを活用した双方向の授業などもしています。

様々な方法をとりながら、とにかく生徒と教師が双方向でやりとりしながらアクティブに能動的に授業をしていくということがすごく言われるようになっています。

しかしアクティブ・ラーニングの中にサービスラーニングがあるわけではないのです。アクティ ブ・ラーニングというのはあくまでも学内での講義をどう能動的にしていくかということです。それに対してサービスラーニングやインターンシップというのは大学の中だけではない教室外学修で、フィールドに出て学ぶということがまず前提として出てきました。「学士課程教育はキャンパ スの中だけで完結するものではなく、サービスラーニング、社会体験活動や留学経験等は、学生の学修への動機付けを強め、成熟社会における社会的自立や職業生活に必要な能力の育成に大きな効果を持つ」とサービスラーニングの必要性について整理がされています。

ポイントは、「社会的自立を促す」ということです。サービスラーニングの側からすれば、まさに市民社会を担う市民の育成が「社会的自立」につながるということ。と同時に「職業生活」に必要な「キャリア教育」として外に出て学ぶということはとても意味があるのだということの二つが大きく強調されるようになりました。

したがって、「地域社会や企業等と大学は、プログラムとしての学士課程教育の質的向上のための、地域・企業参画型の新たな連携・協力に取り組むことが重要である。あわせて、学生に対する経済的支援の充実のための連携協力を進めることを望みたい」と書かれています。

COC(センター・オブ・コミュニティ)
今年度から文部科学省は全国から50の地域に貢献する大学をCOC(センター・オブ・コミュニ ティ)として選出して、そこに大型の補助金を付けて、まさにこの教育を中心的に担っていくというモデル事業を始めているところです。

その50大学は8月の上旬に発表されるので、まだどこかはわかりません。その発表がされますと、全国の50 大学(平成25 年度地(知)の拠点整備事業単独 48、共同4の合計 52が採択された)がこういう取り組みのモデルということでこれから5年間進めていくことになるのですが、文科省としてもそこに集中的にお金を付けて、これが実現するような仕組を全国で広げていこうと、いま政策としても具体的に動き始めているというところです。

サービスラーニングの定義
ただ大事なのは、サービスラーニングというのは先ほど言いました社会的自立やキャリア教育にもつながるということですが、実学、プラグマティズムの考え方が非常に強いのです。そのプラグマティズムの考え方がどういうようになってきたかというのをもう少し整理をしたのがサービスラーニングの定義でもあります。文科省の答申の中では「教育活動の一環として、一定の期間、地域のニーズ等を踏まえた社会奉仕活動を体験することによって、それまで知識として学んできたことを実際のサービス体験に活かし、また実際のサービス体験から自分の学問的取組や進路について 新たな視野を得る教育プログラム」と整理されています。

日本福祉教育・ボランティア学会としても、この定義は必要な要件がすべて入っていて、非常によく整理されているという解釈をしております。ポイントは三つあります。

〇「一定の期間、地域ニーズをふまえる」
イベントで1回だけやるようなものはサービスラーニングとは言わないということです。ただ、 一定の期間というのが2カ月なのか3カ月なのか1年なのか、これは解釈や状況がいろいろ違うかと思いますが、少なくとも1回のイベントだけではない一定の期間において、かつ地域のニーズに基づいているということ。つまり学校側がやりたい、生徒たちがやりたいということだけではなくて、地域が求めていることに対してしっかりとそれに応えていくということです。

〇「それまで知識として学んできたことをサービス体験に活かす」
ここがサービスラーニングの一つの特徴なのですが、教科教育があって、それ以外に何か体験をさせるということではないのです。教科教育とサービスラーニングや地域貢献したことをどうつなげて考えられるようにするかということですが、これは言うは易く、すごく難しいことです。ボラ ンティア体験、あるいはボランティア活動は課外活動で、好きな生徒だけが一生懸命やればいいのだという従来の日本でのサークル的なとらえ方とサービスラーニングとは違います。サービスラー ニングという地域貢献をすることによって、いままで学んできたこととそれが関連してくるという、ここが大きな特徴なのです。

このあたりは今日も来ていただいている、小平市の総合的な学習の時間で、クロスカリキュラム として山下先生たちがこのことをずっとやってこられました。小学校で学ぶ国語・算数・理科・社会と、いろいろな地域活動を総合的な学習の時間の中でどう結び付けるか、つまり何を総合化させるかというのは、まさにサービスラーニングの考え方と当てはまることになるわけです。

〇「実際のサービス体験から自分の学問的取組や進路について新たな視野を得る」
新たな視野というのは気づきを大事にするということです。体験と知識をつなぎ合わせることで、 新しい気づきを子どもたちの中にどうつくり出していくか。そういう意味では明らかにこれは学習活動です。ボランティアと大きく違うのは、学習活動としてこのサービスラーニングがしっかりと位置づいているということです。

サービスラーニングの導入
〇「専門教育を通して獲得した専門的な知識・技能を現実社会で実際に活用できる知識・技能へ の変化」
まさに実学です。大学の授業や講義でやったことは役に立たないということではなく、それを通じてどう社会貢献できるかということをしっかりとサービスラーニングを通して意識的に学び直すということです。

〇「将来の職業について考える機会の付与」
〇「自らの社会的役割を意識することによる、市民として必要な資質・能力の向上」
このようなことを通して、市民としての必要な資質・能力の向上が期待できる学修活動がサービスラーニングであるという整理を文科省が出しているわけです。

50 大学がCOCのモデルになると言いましたが、サービスラーニングをしている大学同士のネット1 1 ワークに加盟しているところはまだ30大学ぐらいしかありません。そういう意味ではまだまだこれからの状況です。サービスラーニングを意識せずに、地域に出て似たようなフィールドワークやっている大学はもっとたくさんありますので 30 大学しかしていないということではないのですが、意識的にこのサービスラーニングという授業モデルをカリキュラムの中に入れて、いろいろな大学とつながろうとしているところはまだ 30 大学ぐらいということです。これがこれから広がっていくだろうし、広げていかなければならないと思っているところです。

新学習指導要領
ここまでは大学教育の話をしましたが、これから始まります「新学習指導要領」の中でも幾つも大事なところが出てきています。今回の新しい学習指導要領は従来のものと少し変わってきまして、知識基盤社会を前提に「確かな学力」をどう育んでいくか。マスコミなどでは「ゆとり教育からの転換」などと言っていますが、そんな簡単な話ではないことはもうみなさんご案内のとおりです。

「『競争』と『共生』知・徳・体の調和」という中で、とりわけ奉仕の分野で言えば、「道徳教育、特別活動における奉仕体験の重視」が打ち出されていますし、「他者、社会、自然・環境と共生できる自分。→『開かれた個』の育成  生きる力」、このようなものをどう育んでいくのか。個人的には、コミュニティサービスを活かしたサービスラーニングが非常に重要であると考えていま す。(資料②)

いま東京都の先生方が取り組んでいらっしゃる奉仕の時間はすごく大事な役割を果たしていると思っていますが、それを学校だけで行なわずに、地域の教育力とどう連携するか、あるいは地域の教育力とどう協力して進めていくかということも同時に大切になってきます。これを学校だけでやるのはすごく負担感が強くなりますから、地域の仕組みにしていくということがこれからの大事な課題になるのではないかと思っております。

サービスラーニングの原型はジョン・デューイにある
サービスラーニングがどのように展開されてきたのか、少し歴史を見ておきたいと思います。アメリカにおける様々な研究の中では、サービスラーニングの原型はジョン・デューイが始め、そこに一つ大きな流れがあると言われています。

ジョン・デューイは言うまでもなく日本の社会科教育の最初のところを作った先生ですが、彼がこのサービスラーニングでも非常に重要な役割を果たしてきました。サービスラーニングや体験学習を重視し、従来の系統的教科学習を改革しようとしたジョン・デューイの一つの大きな功績があるわけですが、サービスラーニングの原型はそこから始まったと言われております。

ただ、ジョン・デューイが活躍したのは 1920 年代から30 年代の頃ですから、必ずしもそれが即サービスラーニングになったわけではなく、原型としてジョン・デューイの活動が一つのモデルになり、アメリカでサービスラーニングが広がったのは1980年代なのです。なぜこの年代に市民教育やサービスラーニングが始まり、広がったのか。

アメリカでも諸説がありますが、社会的な不安というのが一番大きかったと言います。80 年代は まさにレーガン政権の頃と重なってくるわけですが、新自由主義が始まって格差社会が広がりました。強い者・弱い者がいて弱肉強食のような中で「本当にそれでいいのだろうか」という人間のあり方、市民社会のあり方という問い直しが起こり、サービスラーニングを取り入れていこうという機運が 80 年代に現場の先生たちの中で非常に急速に広がっていったというのです。

これを聞くと少し日本にも似ている気がします。社会的な流れとしてなぜ、あえて奉仕体験が子どもたちに必要かというのを強く思う社会的な文脈と、80 年代のアメリカの文脈というのが、まだ検証しきれているわけではありませんが似ている背景があるように思うのです。

そういう中から90 年に、「国家及びコミュニティ・サービス法」という法律ができて、サービスラーニングが教育の中に義務化され、90 年以降は一気にサービスラーニングが小・中・高・大学の教育の中に入ってきます。

ただしアメリカの場合は、国がこの法律を決めたといっても州によって積極的に取り入れている州と、ほとんど取り入れていない州もありますから、必ずしも全国一律ということではありません。 これがアメリカの面白いところですが、こういう法律の中で 90 年代に広がっていきました。

アメリカのサービスラーニングの特徴も文科省の答申と構成は一緒
アメリカのサービスラーニングの特徴も文科省の答申と構成は一緒です。二つ大事な点として、コミュニティサービスをしっかりと位置づけ社会的課題の解決につなげるということと、学習者の変革や成長を意図することです。ボランティア活動ではなく学習と位置づけ、学習者が成長しなければいけない教育プログラムなのです。

「地域のニーズに応えること」「学習者の成長に寄与すること」を統合した形で、課外活動ではなく正課カリキュラムに計画的に問題解決型コミュニティサービスを組み込むというのが特徴です。

生徒たちが社会的ニーズに応えていきながら自己意識や価値観の問い直し、問題解決のための実践的知識やスキルの習得ができるよう、授業の中にしっかりと組み込んでいく。そのために「リフ レクション」という方法を非常に重視しながら、このことがつながるような教育プログラムをつくっています。

ジョン・デューイのセツルメント
ジョン・デューイ先生については、教育界では非常に有名な方です。なかでも体験学習の理論を生み出したというところに着目される方が多いのですが、彼自身は教育哲学者、とりわけプラグマティズムという実用主義に基づく教育哲学を生み出します。シカゴ大学で教鞭を取られたのですが、実はジョン・デューイは福祉の分野からも非常に注目されています。教育学者だけではなくて、とりわけ地域福祉の分野で非常にこのジョン・デューイは注目されています。

セツルメントは今の日本の地域福祉の源流ともされていますが、ジョン・デューイはハルハウスというアメリカでできたセツルメントの大きな拠点の理事を務めていたのです。セツルメントをする人を「セツラー」と言いますが、ジョン・デューイはセツラーとしても活動していたのです。

スラム街などの貧困層の地域に知識者が一緒に生活を共にしながら、彼らの生活改善をする活動をセツルメントと言います。1980年代の後半にイギリスで生まれ、1900 年前後にアメリカで広がっていくのですが、スラム街に知識者が一緒に寝泊まりしたり、居をそこに構えて貧困層の人たちと生活をしながら生活改善に取り組む活動があったのです。

「貧困の連鎖を断ち切るのは教育である」という立場をセツルメントはとりました。セツルメントが始まる以前はチャリティーが中心だったのです。「世の中で困った人たちがこんなにも増えてきた。その人たちに対して教会を中心にいろいろなものやお金、食糧を集めて分け与えていくチャリティーを中心に支援をしましょう」という活動が広がっていったわけですが、実はその資本主義社会がイギリスで広がっていく中で格差社会が出てくる。そうすると、「チャリティーだけではどうも解決しないのではないか。とりわけスラムという最貧困の人たちが暮らしている地域の貧困の連鎖を断ち切るためには、ものを分け与えているだけでは抜本的な解決にならない」ということになったのです。

「大人たちの貧困の社会の中で育った子どもたちはチャリティーで食べ物を与えてもすぐに食べてしまい、大人もお金を与えたらすぐにギャンブルで使ってしまう、そういう生活習慣を見て育った子どもたちは同じような生活をする。どこかでそれを断ち切っていくためには教育の力が必要だ、教育の力によって貧困を断ち切らないといけない」。そういうことに志をもった方たちがそこにセツルメントという拠点をつくりながら、生活改善を教育の力でしようという動きを1900 年代の初頭には、既に行なっていたのです。

21 世紀の今、日本でも貧困の連鎖が問題となり、生活保護世帯の子どもたちに学習支援が必要だということがしきりに言われるようになりましたが、100年前のセツルメントはもっと大々的にそういうことをやっていたのです。

ジョン・デューイの教育哲学
ハルハウスでも、ジョン・デューイは言葉が伝わらない特にスパニッシュの子どもたちの教育をどうしたらいいかということに悩みました。系統的な科学学習というのは言語を前提に教科教育がつくられてきている。でも、言語が伝わらない子どもたちにその科学的な系統学習はできません。 そこでジョン・デューイは体験を通して生き方を学ぶという、体験学習というものをセツルメントの活動の中から導き出していきました。

そのことが彼の教育学、教育哲学として体験学習の基礎的なものになり、彼は「教育は子どもの生活経験に基づかなければならない」と主張しました。この理論が非常に認められる時期もあれば、それが経験主義だということで軽視された時期もありましたが、2002 年に始まった総合的な学習の時間は、ある面、このジョン・デューイの再評価ということが言われました。東京大学の佐藤学先生たちなどがこのジョン・デューイと総合的な学習の時間の理論枠組みの整理をして、「学びの共同体」や「協同学習のすすめ」などの提起をされています。それが、サービスラーニングの理屈につながってくるのです。私も総合的な学習の時間というのは、ジョン・デューイが本当にシンプルに昔、言っていたことと同じだという捉え方をしています。

また、ジョン・デューイは「知識を知恵に変えるためには体験が必要だ」とも言いました。30 年前の子どもと今の子どもと知識の量だけ見たら、決して今の子どもたちが劣っているわけではありません。30年前の子どもより今の子どもたちのほうがはるかに知識や情報量はたくさん持っている。 それにもかかわらずいろいろな問題が起きてくる。

つまり、ジョン・デューイの言葉に置き換えれば、生きていく「知恵」となっていないのです。 知識や情報をたくさん持っていても、それが縦割りのまま子どもの中で総合化されていないわけです。国語・算数・理科・社会、いろんな形で学ぶわけですから、知識や情報はたくさん頭の中に入っていても、そのことが自分自身の中で総合化されていないから、いざというとき生きる知恵そのものになかなかなり得ない。

では、どうしたら知恵に還元できるか。ジョン・デューイは「体験を通して、経験に基づいて初めて知恵になるのだ」と言います。ジョン・デューイも「仕事」という言葉を使うわけですが、子どもにとっての仕事は何かといったら、「遊ぶこと」だというのです。子どもたちが、学校が終わった後、徹底的に遊ぶ。遊ぶ中で無意識ではあるけれど、国語や算数や理科や社会で教わったことを社会体験の中で、「あっ、これはこのようなことなのかも知れない」と当てはめていく。

学校で教わった知識の点と点が、子どもたちは遊びという一つの経験を通して、少しずつ繋がり合っていく。いろいろな人たちと出会ったり、社会体験をすることで子どもたちの中に総合化が進み、結果としてそれが知恵になっていく。知識を知恵にしていく。これはもう繰り返しですが、 ジョン・デューイがもう100 年も前に言っていた話なのです。

日本は総合的な学習の時間に何を総合化するのか
日本は総合的な学習の時間に何を総合化するのか。「総合学習」と言わずに、あえて「総合的な学習」と言ったのは、私は非常に含蓄のある言葉だと思っています。略して「総合学習」としてしまったがゆえに、何か新しい縦割りの一つの授業ができたような感じを与えてしまったのではないかと、個人的には思っております。その理屈というのは繰り返しですが、まさにこのジョン・ デューイの考え方、これは佐藤学先生の受け売りですが、こういうロジックになってくる。

つまり、サービスラーニングも、あえて総合的な学習の時間とは言わないまでも、まさにコミュニティサービスを通してこういうことをしていくというのは、そこに合致する理論枠組みがあるということと同時に、教育の面だけではなくて、まさに地域福祉や社会福祉の文脈からも、ジョン・ デューイの功績というのは、100 年後の今に投げかけてくるものがたくさんあり、彼の福祉の側面、 教育の側面をつなぎ合わせたものが、私は福祉教育そのものだと思っているのです。

福祉教育というのは、何も福祉の知識や技術を教えるのが福祉教育なのではなくて、人の生き方を伝えるのが福祉教育だと思っています。

サービスラーニングとボランティアの概念
コミュニティ・サービスというのは辞書で引いていただきますと、「地域社会の一員としての義務」と出てきます。「義務」という言葉が少し強ければ「役割」と言ってもいいのかも知れません。

もう一方、ボランティアというのは本人の主体性、自発性を重んじるもので、評価されたり、義務でやらされたりするものではありません。ボランティアを評価するのかしないのかという議論や、 ボランティアの有償性の議論があったり、ボランティアを取り巻くいろいろな議論がされていますが、私はこの主体性・自発性があるからこそ、ボランティアが浮かび上がってくると思うのです。

逆説的に言えば、ボランティアの自発性、主体性を大事にする以上、「ボランティアをしない自由」も認めていかないといけないと思うのです。「ボランティア(をする人)はいい人で、みんながボランティアをやるべきだ」とか、「県民総ボランティア」みたいなことを行政のトップが言いだすこともあります。

「国民総ボランティア」などという怖いことまではまだ言いませんが、でも、「ボランティアはいいことだから、ボランティアは全員がやるべきだ」というロジックに立ってしまったら、もうボランティアはボランティアでなくなってしまうわけです。そういう意味では、ボランティアを大事にするということをすればするほど、実はボランティアをしない自由ももう一方でしっかり認めていかなければ、ボランティアの本質が搖らいでしまいます。

それに対して、コミュニティ・サービスは違うのです。「地域社会の一員として役割を果たしていこう、地域社会の一員としてこんなことをしていくのが責任じゃないか」という問いかけをしますから、似たような活動ですが全く趣旨が違うものなのです。少し広がり過ぎる考え方かも知れませ んが、日本の今の社会がどうも戦後、地域貢献とかコミュニティ・サービスということをしっかりと教え切れてこなかったのではないかと思うのです。

民生委員にみる地縁組織の崩壊
今、地域の中でも3年に一度、民生委員が改選されるのですが、そのなり手がなかなかないのでどうするかということが大きな課題になっているのです。民生委員のなり手がないというのは、地域の役員のなり手がないとも言えるわけです。もう地縁組織が壊れ始めてきているわけです。「地縁組織が崩れていくのは時代のせいだ、そんなものは関係ない」と言い切ってしまっていいのか、地域というコミュニティの持つ役割というものを日本社会は戦後、重視してこなかったわけですが、 そこをどう考えていったらいいのか。

ただし、戦前や戦中の隣組という仕組みがあまりにも戦争の中に巻き込まれてファシズム化していった、という反省ももう一方ではあるわけです。そこの部分の総括と転換が戦後うまくできないまま、なし崩し的に「それはけしからん。いいものではない。地縁組織は封建的でよろしくない」 となった。高度経済成長のときにはむしろコミュニティを否定するような流れで、「自分が幸せならそれでいいのだ」という価値の中でこの地縁組織が崩れてきたのです。

誰が地域を支えるのか
今、地域を支えているのは 60 代、70 代の方たちです。この60 代、70 代の方たちがあと10 年後どうなっていくか。そのときに今の 40 代、50 代は本当に地域のことをやれるのか。よく60 代、70代の方に「どうしてこんなに地域のボランティアを一生懸命なさっているのですか。こんな忙しいのに。」と聞くと、皆さん異口同音に「昔、地域に世話になったから。小さい頃、地域のおじさんやおばさんに世話になったから。今それ相応の年になったときに、自分は地域に恩返しをしなければいけない。 地域の役に立つことをしたい」と言います。そういう層の人たちが地域活動を支えているわけです。

ところが、子どもの頃から地域の原体験がない子たち、あるいは、もうその世代が親世代になってきたときに、「なんで地域のことをやらなければいけないのだ」と、理屈がわからないのです。 地域のことが大事だと言っても、そういう原体験がなければ、「どうしてこんな地域のことを、ボ ランティアでしなければいけないのだ。だったらお金でなんとか解決しよう。」という話になっていくわけです。

まだ日本は、70 代、60 代の彼らが、日本の地域社会を今ぎりぎりのところで支えている。20年後、30年後、日本の地域が明らかに崩壊していくときに、それに代わる仕組みをどうつくっていくのかということも課題です。

ボランタリーな気持ちを育むサービスを教育の中につくり出す
このサービスラーニングのサービスというのは、まさに地域貢献なのですが、地域の方たちが本当になにかと手のかかる子どもたちを受け止めてくれるわけです。大学生でも全く一緒なのです。挨拶ができない、支度がだらしない、遅刻してくる、そのようなことばかりで地域の方たちに怒られるのです。

でも、それは彼らが社会に出ていくときにすごく大事な経験なのです。大学の講義の中で「社会福祉概論は」「社会福祉の法律は」などと教えるだけでなく、「そんな支度じゃだめだ」とか、 「なぜシャツを外へ出しているのだ」から始まるようなやりとりを地域の方たちからしていただくわけです。言葉づかいひとつ、挨拶ひとつ。そういう経験をしながら社会でどう生きていくかを学んでいくのです。

そういう原体験をしていく子どもたちや学生たちが増えていかなければいけないという意味では、 このサービスという捉え方を意識しなければなりません。だからといってサービスだけではだめなのです。一方ではボランタリーな気持ちを育くめるようなサービスをどう教育の中でつくり出していくかが大事になっていくのではないかと思います。

サービスラーニングプログラム作成のポイント
実際にサービスラーニングのプログラムをつくっていくときのポイントを、事例を通してお伝えしたいと思います。

<老人ホームの事例>
あるとき老人ホームを訪問しましたら、寝たきりの78 歳の男性が「来週、後輩が訪ねてきてくれる」と言うのです。どんな後輩なのか聞きましたら、「卒業した母校の小学校5年生が来週来てくれるのだ」と言うのです。その小学校は創立百何年という学校ですからまさにそうなのですが、その「後輩が来てくれる」という言い方が何かとてもいいなと感じました。

また2カ月ぐらいして訪問したときに、その男性に当日の話を聞いてみました。彼の母校の小学校5年生の子たちが来て、老人ホームの広いホールに利用者の方たちも集まった。ホールの前のステージに並んで、最初は「僕たちは○○小学校の5年1組です。今学校はこんなことをやっています」と少し学校の紹介をして、その後、歌を三曲歌ってくれたそうです。子どもたちが一生懸命歌ってくれれば、もうそれだけでお年寄りは感動したり、涙を流される方がたくさんいるわけです。

その後、代表の子どもが「今日は皆さんのためにプレゼントをつくってきました。もし良かったら、どうぞ使ってください」と言います。栞を作ってきていたのです。その栞を配る段階になると、 ステージにいた子どもたちが2~3人の少人数になってお一人お一人のお年寄りのところに栞を届け、自己紹介をしました。話を聞いた男性も枕元の壁にその日もらった栞を大事に張り付けていました。

お年寄りの側からすれば、もう何日も前から楽しみにしていて、歌を聴かせてもらって、栞ももらって、子どもたちの自己紹介も聞いて、だんだん気持ちが高まってきたのでしょう。彼もそうですが、「子どもたちがそばに来たら、あのようなことをしてやりたい、このような話をしてやりたい」という、いろいろな思いがお年寄りの中にはあったと思うのです。

ところが、その気持ちが高まった頃、引率されてこられた先生が「そろそろ時間ですよ」と声をかけたのです。すると子どもたちはまたステージにきれいに並んで、代表の子が「今日はとってもいい勉強ができました。ありがとうございました」と言うとまた学校へ戻っていってしまいました。 しばし、そのホールのところではお年寄りたちが呆然としていたそうです。

これは子どもたちにとってはよくできているプログラムなのです。学校の先生からすれば、事前準備は大変だったと思うのです。歌の練習もして、栞もつくって、お年寄りとどうやってコミュニケーションするかということも含めて、学校の中の事前学習でご苦労されて当日を迎えているわけですから、子どもたちから見るとすごくいいプログラムであるという思いがあったのだろうと思うのです。

ところが施設のお年寄りが何を望んでいたのか、そちら側のニーズは全く配慮されていないわけです。少し厳しい言い方をすれば、一方通行の関わりで、双方向の関わりになっていないのです。 得てしてこういうことがプログラムの中では起こりがちです。一方的に子どもたちがしたいこと、 学校の教師がさせたいことをさせてしまって、相手側、地域の側が本当にそれを望んでいるのかというところをうまく汲み取れないままの一方的なプログラムになってしまうのです。

サービスラーニングの要素
はじめは、「地域のニーズを探す」、そして「地域のニーズの解決に向けて企画をする」ということです。

しかし、これが悩みどころでもあります。生徒がやりたいことをやるのがサービスラーニングではないのです。地域の求めというものがあって、地域の求めに対してどう応えていくか。サービスラーニングの企画者としてはとても大事なことになってきます。この地域ニーズを実際はどうやって掴めばいいのか。学校の先生だけでやるのは負担が大きいと思うのです。地域ニーズを掴むのであれば、その地域の関係者とつながって、関係者を通して地域ニーズを探るというのが一番具体的です。つながるまでは大変かも知れませんが、つながってしまえば、あとはいろんな情報が入ってくるのです。ここの最初の段階が独善的になってしまうと、先ほどの事例のように最後まで噛み合わないものになってしまいます。

次に、「企画をしたことを形にするための準備」です。

しかし、これは全く新しいことをして地域に出ていく準備をするのではなく、今まで学習してきたことや力を活かすことなのです。先ほどの事例では先生は音楽の授業を通して合唱の練習をし、図工や国語の時間なども使いながら栞作りや学習をされていたのだろうと思うのです。「クロスカリキュラム」みたいな言い方もしますが、今まで学習してきたこと、あるいはその子の得意なことや強みをこのプログラムの中にどう活かしていくかというのが企画を形にするということです。

さらに、一定期間の「地域貢献活動」と「リフレクション」・「評価」です。

地域貢献活動を1回だけのイベントではなくて、一定期間行なう。その活動の後に、あとで触れますが、「リフレクション」を丁寧に行なう。このリフレクションはサービスラーニングの仕掛けとしては非常に重要になってきます。

最後に、サービスラーニングはボランティアではありませんから、必ず評価があります。評価をしっかりするということが必要です。

本学はサービスラーニングに取り組んで6年目になりますが、こういう一連の要素をとり入れて、実施している1年間のプログラムの流れを紹介します。本学の場合は、2年次でサービスラーニングを導入しています。大学では「初年次教育」という言い方をします。1年次の段階で大学の教育活動にどうソフトランディングさせていくか、どこの大学も1年次の教育をうまくやらないと、あとの4年間だめになってしまうということがあって、1年次の教育をすごく重視します。

3・4年次になりますと、どこの大学もゼミや専門教育に入っていきますから、2年次が中だるみになりがちなのです。1年次は初年次教育でリテラシーに満ちていますし、3・4年次になると、専門教育ということで、うちであれば社会福祉士や精神保健福祉士という資格教育に入っていきますから、この2年次のときに社会とつないでおきたいということで、本学の場合は2年次で1年間かけてサービスラーニングをしています。一番オーソドックスなものですが、4月の段階で「導入と意識づくり」、モチベーションを高めるという仕掛けから入っていきます。

「企画・計画」というのは、学生たち自身が地域に出ていって、地域で何が求められているか。 それをもとにしながら自分たちは何ができるかということで、前期、そのような企画をつくることをしていきます。この企画をつくる段階で、学生たちだけが独善的にしてもいけませんから、何度も地域に足を運んで関係者と話し合いをしながら、「自分たちができることは何だろうか」という企画をつくっていき、8・9月の間の2カ月間、「貢献活動」をいろいろさせていただきます。

後期からはリフレクションをしていくわけですが、このふりかえりを丁寧にしていって、最終的にはレポートやプレゼンテーション、報告会をしていくという、流れとしては非常にオーソドックスな流れで1年間つくっていくわけです。

トライアングルリフレクションの導入
そのリフレクションのときに学生自身のリフレクション、ふりかえりと、活動先からの評価と、それから教育活動ですから教員が一人ひとりの学生の評価をしていく。ただし、それだけだと学生の評価だけで終わってしまうので、学生自身も活動先の評価や担当教員や今回の教育プログラムの評価をします。ですから学生と活動先と教員が三者で、学生の評価をするだけではなくて、学生も活動や教育プログラム、あるいは自分の担当の教員に対しての評価をしますし、教員もNPOや活動先の評価をしますし、その逆に活動先も学生の評価だけではなくて、教員や大学のほうの評価もする。

これを図に描くと三角形の関係になりますが、実際にやると結構つらいのです。我々の教育プログラムそのものも学生からの評価と活動先からの評価というのをいただきます。特に活動先からは、 何年間かは本当に厳しい評価をいただきました。「挨拶からマナーまで、そこまで活動先の私たちがやらなければいけないのか」というようなことから、「我々が提供したことが将来どうなってくるのかが見えにくい。自分たちは忙しい中、学生たちをこれだけしっかり受け入れているのだから、その学生たちの成長やその効果をしっかりと報告してほしい」というご意見をいただく。

そうなると、2年次にやっただけではなくて、その体験した学生たちが3年次、4年次、あるいは卒業後どこに就職したかも活動先の方たちがすごく気にしてくださいます。そういう意味では、継続してつながりをしっかりつくっていかなければいけないというのがこのトライアングルのリフレクションということになります。

リフレクションの発展
リフレクションというのはサービスラーニングの中で言われてきましたが、リフレクションを最初に言ったのもジョン・デューイで、「リフレクティブ(反省的思考)が大事だ」と言いました。 その後、サービスラーニングの研究者の中で発展してきていて、「行為の中の省察」、クリティカル・リフレクションという「批判的自己省察」、あるいは最近では自分だけを評価するのではなくて、社会や活動そのものもしっかりと評価していかなければいけない、それもクリティカルに、批判的に捉えていかなければいけないという「批判的省察」というようなリフレクションの発展が出てきています。

日本のサービスラーニングや福祉教育では感想文を書かせることが非常に多いです。何か活動すると、生徒たちに感想文を書かせる。ところが、感想文を書いて終わってしまっているのです。このリフレクション、あるいはクリティカル・リフレクションという手法は、子どもたちが書いた感想文を素材にしながら、もっとそれを深めていくことなのです。

例えば老人ホームや障害者の施設に行った子どもたちの感想文は「またおじいちゃん、おばあちゃんのところに行ってみたい」というものもあれば、「もうあの施設には行きたくない」という感想を書く子もいるわけです。では、「行きたい」と言った生徒と「もう施設には行きたくない」と言った生徒、「どうして行きたくないのだろうね」「なんで、また行ってみたいの」と掘り下げていけば、もっともっとそこから深めていくことはたくさんあります。

小学校6年生が障害者の施設に行って「臭い」と言ったことに対して先生は「そんな失礼なことを言っちゃいけない」と怒るのですが、やはり施設は臭いのです。施設は生活の臭いがするところなのです。その生活の臭いに気づいた子どもの「臭い」という表現を、「何が臭いのだろう。家と施設は何が違うのだろう」と中身を掘り下げていけば、施設というものが持つ役割や機能を理解するというように、本当は広がるはずなのです。

「臭い」と書いて「それを書いてはだめだ」と言って叱って終わってしまったらリフレクションにならないのです。リフレクションをもっと仕組みとしてもうまくやっていかないと、日本のサービスラーニングは、感想文至上主義といいますか、感想文で終わっているのはもったいないと思うのです。

「ふりかえる」という語感が、自分のやってきたことをふりかえるという内省的なイメージを与えてしまうのです。リフレクションというのは、必ずしも自分がやったことだけをふりかえるわけではなくて、今までいろんな経験をしてきて、これからどうするかという、近未来に向けてつくり出していく力をどう養成していくかということがむしろこれからは大事になってきます。

最近は、クリティカル・リフレクションからさらに発展して「クリエイティブ・リフレクション」というところを考えていこうという動きが出てきています。一言で言えば、子どもたちが地域貢献をしてサービスラーニングをした結果、更に社会に提案をする力を身につけていくということです。

モデル―愛知県東浦町立片葩小学校の事例
具体的には愛知県の東浦町立片葩(かたは)小学校のサービスラーニングの事例がそのモデルになるのではないかと思っています。

全校 600人の小学校ですが、1年生から6年生までで「福祉」をひらがなで「ふくし」としてサービスラーニングに取り組み、「ふだんのくらしのしあわせ」を考えていこうと授業を展開してきました。子ども自身の有用感や学ぶ意欲を育みながら、もう一方で共に生きるという力を育んでいかなければいけない。共に生きるための関わりやコミュニケーションという力をこのサービスラーニングを通してしっかりと子どもたちに育みたい。そのために課題の設定をして情報を集めて 整理・分析してまとめ、それをプレゼンテーションする。この学びのプロセス、リフレクションを介した螺旋を重ねていくことで子どもたちの力を育んでいこうという課題設定で先生方が取り組まれたのです。

一つだけ事例を紹介しておきますと、交通事故で足を切断したAさんと出会い、子どもたちは1年間かけてAさんと交流してAさん自身の生き方や考え方を学んでいきます。Aさんが交通事故で片足を切断して今どのような暮らしにくさがあるか、今、社会の中でどんな困り事があるか、また同時に彼には子どもがいるのですがこれからどのような生活をしていきたいと思っているかを知る。

そのようなことを丁寧に小学生たちはいろいろと地域をまわりながら、インタビューや調べ学習をしていくのですね。その中から自分たちにできることは何かという提案型のプレゼンテーションを行う。クリエイティブ・リフレクションというのは、ただ自分がAさんと出会ってAさんから学んだだけではなくて、Aさんとともにこの東浦町で生きていくために自分たちは何をすることが必要なのかという、提案型の学習なのです。

みんなにとって暮らしやすい町ということで、Aさんにとってどんな町になったら幸せかを考えていく。これはAさんという当事者との信頼関係がないとできないわけです。Aさんにとって暮らしやすい町にしていくためには具体的な働きかけが必要である。それには自分たちは何ができるかということを表現していくという授業をされています。

最後の授業である報告会のときには地域の関係者の方たちに集まっていただいて、子どもたちが学んできた1年間の学びをプレゼンテーションしました。義足というのは、行政から支給される義足は重たくて非常に使いにくいそうなのです。接地面のところがざらざらしていて、すごく痛い。 実際に義足を使っている方たちは、行政から支給される義足ではとても生活ができないので自費で義足を購入している。その義足が200万円するそうなのです。その200万円するということを知った子どもたちは行政に対してもっと何か支援ができないかと提案した。

あるいは、このAさんが市営プールに行って義足を外したときに市民がすごくいやな顔をする。そういうことに対して子どもたちは、やはりおかしい、何か自分たちができることはないだろうかと考えます。単に町に要望するとか地域がおかしいというのではなくて、自分のこととして小学校6年生の子たちが「では、僕たちはAさんとこれからどういうおつきあいができるか」、そこまで深めながら子どもたちが学びをしていくのです。こういう提案型のリフレクションをサービスラーニングの中では考えていく必要があるだろうと思っております。

サービスラーニングにおける評価のあり方
このサービスラーニングをすることによって、どのような効果があるか、この評価の指針や評価測定の部分はこれからの研究課題だと思っております。多面的評価、あるいは総合的評価。これはもう高校の先生方もいろいろ悩まれてやっていらっしゃるところかと思います。もっと端的に言えば、道徳がもし教科になったときに、道徳をどう評価するかという大きな問題が突きつけられておりますが、それと同じようにサービスラーニングの評価というのもすごく課題があります。

一面だけで捉えてはならないので、多面的に総合的にサービスラーニングの評価をしなければいけないということはアメリカでも言われているのですが、では、何をどういうスケールでサービスラーニングの評価尺度をつくっていけばいいかというのは、これはまだ確定されたものがアメリカでもあるわけではないのです。生徒や子どもたちが地域貢献活動をして、枠組みの中でプログラムをつくってリフレクションをしていく。プログラムまではどうにかそういう形ができて広がってきていますが、残された課題はこの評価をどのようにしていくかということを考えていく必要があるだろうと思っています。

出所:原田正樹/地域の課題に取り組む―サービスラーニングを理解する―/スクールボランティアサミット 2013/認定NPO法人さわやか青少年センター、2013年8月2日。
謝辞:転載許可を賜りました原田正樹先生と認定NPO法人さわやか青少年センターに衷心より厚くお礼申し上げます。さわやか青少年センターの有馬正史さまには格別のご支援をいただきました。記して感謝申し上げます。/市民福祉教育研究所


阪野 貢/フィールドワークと「自前の思想」、そして「自前の学問」:時代と社会に「応答」すること ―清水展・飯嶋秀治編『自前の思想』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、清水展・飯嶋秀治編『自前の思想―時代と社会に応答するフィールドワーク』(京都大学学術出版会、2020年10月。以下[1])という本がある。[1]は、これからフィールドワークとそれに基づいて発信しようとする人たちが、「かつてそれぞれの時代の喫緊課題に積極的に関わり、発言し、行動していったフィールドワークの先達」(18ページ)の人生と仕事ぶり(技法や作法など)を学ぶことを通して、「示唆や励ましを得ること」(1ページ)を目的に編まれたものである。
〇「取り上げる先人たちは、自身のフィールドワークでの体験や知見にもとづき、それをじっくりと熟成させながら自前の思想を紡ぎ出し」(1ページ)、時代と社会の現場と現実に関与し、応答し、さらには積極的に介入していった人たちである。中村哲(医師・土木技師)、波平恵美子(文化人類学・医療人類学)、本多勝一(新聞記者・ルポライター)、石牟礼道子(詩人・小説家)、鶴見良行(東南アジア海域世界研究)、中根千枝(社会人類学)、梅棹忠夫(生態学・民族学)、川喜田二郎(地理学・文化人類学)、宮本常一(日本民俗学)、岡正雄(民俗学)の10人がそれである。
〇[1]の編者のひとりである清水は、「はじめに―現場と社会のつなぎ方」において、「10人の先達」の略歴と業績を紹介する。そして、それぞれがフィールドワークから「自前の思想」を編み上げていった、その方法や意義について言及する。それを通して清水は、読者・フィールドワーカーに対して、「時代状況への介入を含めた過激な応答実践」(18ページ)を呼びかける。次の一節をメモっておくことにする(見出しは筆者)。

フィールドワークと「自前の思想」の編成
フィールドワークとは、人々の暮らしの営みやそこで生ずる諸問題を、暮らしの場(生活世界)のなかで理解し、逆に個々人の暮らしの営みを見つめ丁寧に描くことをとおして、その喜びや悲しみ、日々の生活の背景や基層にある意味世界、つまり文化というコンテクスト(社会的脈略・状況や背景)を明らかにしようとする企てと言えるでしょう。そして(本書で取り上げるフィールドワーカーたちは:阪野)その総体を丸ごと描き考察するために、欧米の偉大な思想家の言説や流行りの理論を安易に借用(乱用/誤用?)したりしませんでした。人々の生活の場に身を置き、腰を低くして同じ高さ(低さ)の目線で話し、その説明に謙虚に耳を傾け、彼らが生きる社会文化や政治経済のコンテクストに即して粘り強く考え続けました。けっして虎の威を借る狐(とらのいをかるきつね)になろうとせず、かといって井の中の蛙(いのなかのかわず)になることも避けて身体と思索の運動を続け、具体的で手触りのある現場から的確な言葉を自ら紡ぎ出し、自前の思想を編みあげてゆきました。さらにその先には、人々の暮らしに直接に関わるような政治社会状況に積極的に関与し、問題の解決や状況の改善に寄与するために積極的な介入を行ったりしました。(17ページ)

思想―「応答」的行動を支える姿勢や信条
(本書でいう)思想とは、学術の理論や哲学というよりも、社会に対する身の処し方や律し方、広くは自らが生きる社会、狭くはフィールドワークでお世話になった人たちとの関係の作り方や応答の仕方などを支える姿勢や信条を意味しています。(1ページ)/下から・現地現場から社会の成り立ちを見据え理解し対応するための姿勢や信条とほぼ同義です。(2ページ)

〇もうひとりの編者である飯嶋は、「自前の思想」の本質を「時代と社会に応答する」3つの側面――「遭遇」「動員」「共鳴」からまとめている。それぞれの要点をメモっておくことにする(見出しは飯嶋)。

遭遇/自前の思想は遭遇したものへの応答から「はじまる」
人により、それがより劇的な場合と、より漸次的な場合との違いはありこそすれ、そののちインパクトをあたえる仕事が、自らの仕事の延長線上に出てくるという以上に、ある人物やある主題、ある状況に「遭遇」してしまい、そこから好むと好まざるとに関わらず、その状況に巻き込まれ、そのひとと仕事が大きく動いていくことになる。つまり自前の思想を生みだす応答は、こうした遭遇から「はじめる」というよりも「はじまる」のである。(422ページ)

動員/自前の思想の応答はあらゆるものを「資源化する
予期せぬ「遭遇」から始まってしまう自前の思想の応答は、それゆえにこそ、応答する者がもてる全てを動員してそれに応答せざるを得なくなる。遭遇した事態に対して出来合いの方法論や便利なアプローチ法があるわけではない。まずは徒手空拳(としゅくうけん)のまま向き合い、それから手持ちの札と技をなんとかやりくり活用して応答する。(中略)それはきれいごとではなく、応答が遭遇から「はじまってしま」ったら、あらゆる契機を「資源」として動員して臨まざるを得なくなるのである。(425~426ページ)

共鳴/自前の思想は「徒弟化しない」
喫緊の課題との「遭遇」に始まり、あらゆる契機を資源として「動員」する必要が生じた自前の思想は、「徒弟化しない」という点がきわめて特徴的である。徒弟的に見える面があったとしても、それは学問的な技法の習得に限られている。(426ページ)/遭遇する事態や人々が異なり、動員できる資源が異なっている私たちが、先人の方法だけを模倣することに意味があるはずもない。徒弟化せずに自前の思想でやるしかないのは、かつても今も変わらないであろう。(429ページ)/(本書で取り上げたひとびと・応答者たちは:阪野)それぞれの現場(フィールド)で、他の現場で応答するひとびとのあり方に励まされ、自らの糧ともしていったのである。なので、自前の思想の応答者は徒弟化しない。ただ異なる状況にある応答者同士で共鳴するのである。(430ページ)

〇筆者は人類学や民俗学については全くの門外漢である。「10人の先達」に関しても、石牟礼道子の『苦海浄土―わが水俣病』(講談社、1969年1月)、中根千枝の『タテ社会の人間関係―単一社会の理論』(講談社現代新書、1967年2月)、『タテ社会の力学』(講談社学術文庫、2009年7月)、『タテ社会と現代日本』(講談社現代新書、2019年11月)、梅棹忠夫の『知的生産の技術』(岩波新書、1969年7月)、川喜田二郎の『発想法―創造性開発のために』(中公新書、1967年6月)、『続・発想法―KJ法の展開と応用』(中公新書、1970年2月)、宮本常一の『忘れられた日本人』(未来社、1960年1月。岩波文庫、1984年5月)、などのベストセラーとなっている本を読んだだけである。また、[1]に描かれている10人の人生と仕事については、スケールがあまりにも違いすぎ、想像だにできない。そんななかで、あるいはそれゆえに自分の浅学菲才さを恥じるのみであるが、「まちづくりと市民福祉教育」のフィールドワークに多少とも関わってきたものとして、[1]から認識を新たにする点は実に多い。
〇ここでは、宮本常一に関する次の一節だけをメモっておくことにする。そこには、「強い『地域主義』『反中央集権』『反官僚主義』の姿勢があり、(宮本は)現地と協働しながら生活改善と経済振興を図るという点でまさしく応答するフィールドワークの実践者」(11ページ)であった。

「外国の文化を受け入れるような素地を国の中へ作っていかなきゃならないんじゃないか。(中略)つまり外国の人たちがやってきて、安(やす)んじておられる場所だろう。それじゃあ、向こうの習俗をすてないで、日本人の生活の中に入り込み、ともに生活できるような場があったかっていうと、ないだろう。これが、やはり、君たちのやらなきゃならん仕事の一つだ。」
「僕の夢は、はっきり言うとね、地域主義なんだよ。それが昔から夢だったんだ。百姓のせがれだったからね。大事なことは、地域社会というのは立派に成長してゆかなければならないんだ。地域社会が充実してくると、世の中がにぎやかになるんだね。それぞれの地域社会が生き生きしてくることが、世の中で一番おもしろいんで、もういっぺん地方が中央に向かって、反乱をおこさなきゃいけないと思うんだ。世の中が変わってゆくのは、いつも、田舎侍が町に向かって反乱を起こすことなんだよね。」
「それが無くなったらね、国っていうのは滅びるんだろう。今はもう、完全な中央集権時代。しかしそれをもういっぺん、ぶっこわしてね、人間が生きるっていうことはどういうことなんだっていうことを問いつめていく。どうじゃろうそれを君たち、やってみないかね。なあ、やろうや。」(鼓童文化財団2011:62-63)(358ページ)

〇この一節にあるのは、「地域が大きなものの力に組み込まれ、それへの従属を余儀なくされ、自主性が削(そ)がれ挑戦へのエネルギーが失われていくことへの危機感であろう。こうした社会の動きに対して(宮本の)その姿勢は戦闘的であり、(中略)アナーキーさを感じさせる」(359ページ)。留意しておきたい。
〇また、宮本がいう「君たち」とは、若いフィールドワーカーのことである。宮本は、フィールド(現地・現場)でワーク(仕事・作業)する人に対して、「地域のよどみや人びとのしがらみに風穴をあけていく存在や力」(368ページ)として期待したのである。
〇なお、筆者の手もとに、佐高信・田中優子の対談本『池波正太郎「自前」の思想』(集英社新書、2012年5月。以下[2])という本がある。[2]は、「辛口評論家と江戸研究家の最強コンビが、『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』など池波正太郎のヒット作はもちろん、池波自身の人生をも読み解きながら、これからの日本人に相応しい生き方を共に考える」(カバーそで)本である。佐高と田中は次のようにいう。参考に供しておく。

自前の思想とは、つまり、迷ったり、遊んだりしながら、一人前になることをめざす思想ということである。(佐高、191ページ)

「自前」という言葉は「手前」と同様に空間を表現している。畳に手をついて頭を下げる。その手の身体側が自分、つまり自らの「分」であり、手前である。その自らの空間に全てを引き受けるのが、「自前で生きる」ことだ。(田中、192~193ページ)/自前の思想で重要なのは「他人と比較しない」ことなのである。比較するには比較の基準が必要だが、自前という空間には、共通の基準がない。(193ページ)/自前が、ありとあらゆることを引き受けつつ、社会における己の姿勢を練り上げていく楽屋空間(プライベートの空間:阪野)だとすると、そこは「あそび」の空間(童心にかえる、楽しい空間:阪野)でもあるはずなのだ。(193ページ)

〇筆者の手もとにもう一冊、伊藤幹治著『柳田国男と梅棹忠夫―自前の学問を求めて』(岩波書店、2011年5月。以下[3])という本がある。[3]は、「ミンゾク」学者で「一国民俗学」を構築した柳田国男と「比較文明学」を開拓した梅棹忠夫を比較しながら、ふたりの知の営み(業績とその特色など)を数々のエピソードをまじえて回想・整理した「柳田・梅棹論」である。「ふたりの知のスタイルは、幅広く多くの文献を参照しつつ、西洋の学問に依存するのではなく、自らの頭で仮説を構築して思考することだった」(カバーそで)。その点(「自前の学問」)をめぐって、次の一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

柳田国男と梅棹忠夫のふたりの知のあり方には共通した点がいくつかある。
ひとつは、柳田国男も梅棹忠夫も、欧米の学問をまるごと輸入し、その理論を日本の社会や文化の研究にそのままあてはめるのを忌避したことである。/ふたりは欧米からの借りものでない、「自前の学問」を構築しようとしていたのである。柳田が「明日の学問」とよんだ民間伝承論(一国民俗学)(中略)の特徴は、この国の農山漁村に埋もれているさまざまな民間の伝承を文字に記録し、その記録をとおして「自前の学問」を構築しようとした点にある。/梅棹もまた、(中略)柳田と同じように、自分の目で見、自分の耳で聴き、自分のからだで感じ、自分の頭でたしかめた経験的事実にもとづいて構築した「自前の学問」を高く評価したのである。そして、これを「土着の学」とよんでいた。/こうした「自前の学問」を求めた柳田と梅棹の一貫した姿勢は、いずれも揺るぎない実証的精神に支えられたものと思うが、このことはややもすれば欧米の人類諸科学の理論に魅せわれるわかい世代の研究者に警鐘を鳴らしているとみてよかろう。
いまひとつは、柳田国男も梅棹忠夫もひろい視野に立って「日本とはなにか」という重い課題と真摯(しんし)に向きあっていたことである。/柳田は一国民俗学を構築するために、他者としての世界の諸民族の文化を視野に入れ、自己としてのこの国の民俗文化(フォークロア)を手がかりにして、「日本とはなにか」という問い対する答え求めたが、梅棹もまた日本文明論を開拓するために、他者としての世界の諸文明と対比して自己としての日本文明を相対化し、「日本とはなにか」という問いに対する答えを求めている。/ふたりの日本研究は、(中略)視野のせまい「一国完結型」の日本研究に再考を迫っている。
もうひとつは、柳田が構築した一国民俗学も梅棹が開拓した日本文明論も、ひとしく仮説の構築を特徴としていることである。/梅棹が(は)科学には実証的事実の蓄積(実証性)、その内的関係をみやぶる洞察力、発想力(仮説性)、全体をおおう論理的体系化(体系性)という三つの要素があると述べ、柳田の学問には仮説の構築とその検証が繰り返されている。(中略)自分の学問を実証性と仮説性のまんなかに位置づけた。(中略)柳田が膨大なデータを駆使して綿密な実証と仮説の構築につとめたことはよく知られているが、梅棹もまた(中略)洞察力に富んださまざまな仮説を提出している。/興味深いのは、柳田も梅棹が提起した仮説のほとんどが、いずれも個々の短い論文のなかに提示されていることである。ふたりは仮説を提示するために、さまざまな論文を書きつづけていたことになる。(180~183ページ)

柳田国男と梅棹忠夫には、一国民俗学と日本文明論以外の知の営みにも共通した点がいくつかある。
ひとつは、柳田と梅棹が後進の研究者やわかものたちと積極的に交流し、自宅の一部を開放して彼らと自由に議論する「私的な場」を提供したことである。
いまひとつは、柳田も梅棹も後進の研究者やわかものと「対等な関係」を結んでいたことである。
もうひとつは、柳田も梅棹もわかりやすい文章を書くことに精力を傾注していたことである。(中略)(それを)ひとことでいえば読者と「密度のあるコミュニケーション」を大事にしたからであろう。
最後に、柳田国男と梅棹忠夫が国際共通語のエスペラントに関心を寄せていたことを指摘しておこう。(183~185ページ)

〇この一節ではとりわけ、①人々の生活はその人が生まれ育った時代と社会のなかで営まれ、生活の主体性はそれを生み出す歴史的背景や社会的・文化的基盤の枠内で形成される。借り物理論ではなく、「自前の理論」が重視されるべき根拠がここにある。②フィールド(現場)での実践的研究には仮説探索型の研究と仮説検証型のそれがあるが、この両者を循環的に組み合わせて相互作用を引き起こすことによって、研究の科学性を担保することができる。その実践が科学的であるかどうかはこの仮説性が重要となる、この2点を押さえておきたい。

老爺心お節介情報/第41号(2023年3月19日)

「老爺心お節介情報」第41号

お変わりありませんか。
大分春めいてきました。いい季節になりました。
「老爺心お節介情報」第41号を送ります。

2023年3月19日   大橋 謙策

Ⅰ 都道府県社会福祉協議会主催の「社協職員実践研究発表大会」の必要性

〇本年1月から2月に掛けて、香川県、富山県、佐賀県で社会福祉協議会職員の実践研究発表大会が開催され、コンサルテーションを行ってきた。
〇筆者が、佐賀県社会福祉協議会と継続的に関わり、コンサルテーション的アドバイスをするようになったのは2012年度からである。
〇佐賀県では、2015年11月に「市町社協理事・監事・評議員・職員―地域福祉推進・小地域福祉活動実践セミナー」を「社会福祉協議会は生き残れるか」をテーマで行った。また、2017年度からは市町社協職員パワーアップゼミを行ってきた。それらを踏まえて、2018年度から社協役員研修と県内社協職員のパワーアップ研修の成果を基にした社協職員実践研究発表との連動性を意識化した合同研修会を「市町社協役職員合同研修会」として社協職員実践研究発表大会を行うようになり、2022年度が第5回目の実践研究発表会であった。
〇去る2月15日に行われた社協実践研究発表大会では、発表者6名中、パワーアップゼミの修了者が3人であったが、そのいずれの人もパワーアップゼミで取り組んできた「問題解決プログラム」に基づく実践を発表され、とても高い評価を得た。
〇与えられた業務分掌に基づき、漫然と決められた事業を遂行し、その報告をするのが従来は多かったが、今回は地域生活課題をアンケート調査等で明らかにしたり、民生児童委員の協力を得て、アウトリーチ型の問題発見を行い、そこで明らかになった生活課題を解決するために、新しいサービス開発を行って提供するという、いわば自らの「問題解決プログラム」を作成し、その実践仮説をもって、意識的に取り組んだ実践報告は非常に素晴らしいものであった。しかも、その財源についてもファンドレイジングを活用して確保するという、一連のコミュニティソーシャルワーク機能が意識された素晴らしい実践であった。
〇香川県では、2014(平成26)年に香川県内社会福祉協議会連絡協議会と香川県社会福祉協議会とが、「ニーズ対応型社協活動方針」を決定し、住民と行政の信託に応える活動を展開することになった。香川県内市町社会福祉協議会は、住民の多様な相談のたらいましをしない全世代対応型の相談活動ができるように、社会福祉協議会に「地区担当制」を導入する活動が活発になっていく。と同時に、市町社協を担う中堅職員への「次世代育成研修」を展開してきた。このような背景をもって、香川県社会福祉協議会も県内社協の実践研究発表会を2014年度(2015年1月)に開催するようになった。
〇富山県でも、佐賀県や香川県の取り組みに触発されて、2017年度(2018年1月)から社会福祉協議会職員の実践発表会が開催されている。
〇これらの県に共通しているのは、当初、市町村の社会福祉協議会の活動報告の域を出なかったものが、コミュニティソーシャルワーク研修を受ける過程において、自らの問題意識、問題把握に基づいて、それらの問題の解決を図る企画を立て(仮説の設定)、それに基づき、実践をし、その成果を発表するというスタイルに変わってきていることである。
〇筆者は、1987年に和田敏明先生(当時全社協地域福祉部長、現ルーテル大学名誉教授)と語らい、岡村重夫先生、永田幹夫先生、三浦文夫先生等の賛同を得て日本地域福祉学会を設立した。その目的は、まさに上記のように、地域問題を把握し、その解決策を立案し、実践したものを日本地域福祉学会で発表することにより、全国の市町村社会福祉協議会職員の資質向上を図り、市町村社会福祉協議会が展開する地域福祉の推進を図りたいと考えての学会設立であった。
〇しかしながら、それから約35年経たが、日本地域福祉学会における社会福祉協議会職員の占める比率は下がり、かつ実践研究報告も増加していない。
〇他方、平成の合併により、全国3750程度あった市町村が今や1700程になっている。それに伴い、各都道府県社会福祉協議会が展開していた市町村社会福祉協議会職員向けの研修も減少しているのではないだろうか。我々の認識の中に、未だ“重厚長大”をよしとする発想があるせいだろうか、県内市町村社会福祉協議会の数がへってきたことで、研修をしても参加者が集まらない、人数が少ないと元気が出ないという状況に陥っていないであろうか。筆者の“感覚”では、市町村社会福祉協議会の職員が一堂に会して、談論風発の討議、研修がなくなってきているように思われてならない。それは、行政の職員の研修スタイルが変わり、社会福祉協議会もその影響を受けているということなのかも知れない。
〇しかしながら、行政のように、法律、制度、予算に囚われている職種ならいざ知らず、社会福祉協議会職員の実践は、住民のニーズを発見し、その問題解決を図るという優れて自らの実践仮説に基づく実践を行うことが求められている状況では、かつての“知識供与型の承り研修”では駄目で、“住民のニーズ対応・問題解決型の研修”を繰り返し行うしかない。それは決して、研修参加人員が多い方がいいということではない。また、かつての社会福祉協議会は調査・研究を大事にし、住民のニーズを明らかにし、それをソーシャルアクションとして実現してきた歴史を有しているが、最近ではほとんどそのような実践を聞かない。
〇改めて、各都道府県社会福祉協議会は研修のあり方を見直し、コミュニティソーシャルワーク機能に関わる研修を軸に、“住民のニーズ対応・問題解決型の研修”を行い、その実践成果を社会福祉協議会職員実践研究発表会として開催する必要があるのではないか。
〇香川県丸亀市や東京都世田谷区等では、区市町村レベルで、社会福祉協議会が行ってきた実践を住民に報告する会を行うようになってきている。これからは、都道府県レベルだけでなく、市町村レベルでの社会福祉協議会職員の実践研究発表会が求められる時代になってきていると認識しなければ、社会福祉協議会は生き残ることができなくなるであろう。

Ⅱ 健康診断とがん告知 その ➁ ――神奈川県立がんセンター重粒子線治療の巻

①ホルモン療法は3か月に1回の割合での注射と毎日朝食後1回の飲み薬との併用である。
〇ホルモン療法の注射は、下腹部に打つのであるが、女性ホルモンということもあるのか、下腹部がポコッと膨らんでくる。女性ホルモンの療法を行うと、男性性器が勃起しなくなると聞かされていたが、それは性交ができないという意味だと私は理解していたので、それは自分には関係ないと思っていたが、どうもそうではないことが分かってきた。
〇ホルモン療法の結果、男性性器が男の子の性器のように小さくなり、かつ包茎状態になってしまうので、おしっこをする際に、きちんと包茎状態を直し、尿の出る方向を定めて放尿しないととんでもないことになる。また、勢いよくでないので、便器に近づき、“一歩前”に出ないと小便器の手前に放尿することになる。今まで、男性便所の小便器の周りがいつも尿で汚れているのが気になっていたが、それはたぶん私と同じような前立腺ガンや前立腺肥大の人が、意識して放尿していないのではないかと思えるようになってきた。私はここでも意識化する取り組みが増えた。
〇歳を取ってくる中で、部屋の電気の消し忘れ、水道の蛇口を最後まで締め切らずにちょろちょろと水を出しっぱなしにするような状況が夫婦の中で日常的多くなってきて以降、夫婦で、日常生活のあらゆる場面での意識化ということを合言葉にしてきたが、放尿の際にも意識化が必要になってきた。多分、放尿を意識化していない人が、男性便所の小便器周りに尿を“結果として”ふりまいているのであろう。
〇歳を取るということは、惰性で、無意識的に生活をしていると様々な問題が生ずる。そうならないよう、日常生活のあらゆる部分での意識化が重要になる。意識して歩く、意識して口腔体操をする、意識して整理する等意識化の重要性が見えてくる。
〇鉄道員等が“指差し喚呼”というものをしているが、まさにこの動作を意識化して“指差し喚呼”が重要になる。教育実践でも、「外化」という営みがある。自分の“内なるもの”を意識して外に出す{外化}を行うことで教育効果が上がるという考え方と同じである。
〇老化に伴う問題行動を少なくしていくためには、あらゆる場面での意識化が重要である。

②重粒子線治療では、腸内にガスが溜まっていたり、便が詰まっていると照射がうまく行かないからという理由から、1月30日から4種類の薬が処方され、朝、昼、晩の3回飲むことになった。胃腸管内のガスを取り除くシメチコン、消化を助けるエクセラーゼ、腸の働きを整えるビオフェルミン、胃酸を中和し、便を出しやすくする酸化マグネシュウムの4種類である。酸化マグネシュウムには筋力低下をもたらす恐れがあるという。
〇また、胃腸管内にガスが溜まることを促進しかねない炭酸飲料と麺類の摂取が禁止された。ビールはだめというので、日本酒はいいのですかと聞くといいという。2月13日からビールが飲めなくなる。
〇服薬しはじめて、2週間後ぐらいに、どうも歩く足が遅くなり、足に力が入らなくなる。3月1日の重粒子線治療開始後の最初の診察で、酸化マグネシュウムの影響ですかと尋ねると、酸化マグネシュウムというより、女性ホルモンの効果が出てきたのではないかという回答。酸化マグネシュウムは、便秘を防ぎ、便通をよくするので飲んで欲しいとのこと。

③2月28日から重粒子線治療が始まる。そのための体を固定する固定具の作成というものが2月13日にあった。重粒子線治療は、イオンを高速化させて、病巣にピンポイントで照射をするので、照射の際に体が動かないようにプラスチックでできている「シェル」というもので体の固定具を作るという。
〇細いベッドに横たわり、温められた「シェル」を体の上に乗せ、それを急速に冷却して固まらせるというものである。検査ガウン1枚の体に「シェル」をのせて行うのであるが、最初は少し暖かく感じるが、そのあとは扇風機を用いて冷やしていく。寒い。と同時に「シェル」が固まっていくと重くなり、身動き取れなくなる。体の型どりをし、それを体の上にのせて、いわば重しとして、体が動くことを制御するということらしい。
〇放射線は放射線が体内に入るところでエネルギーが爆発し、かつ放射線は体を通り抜けるので、他の部位にも放射線が当たり、ダメージを作るの対し、重粒子線は、病巣まで届いたところでエネルギーを爆発させるのでがん治療には効果的であるが、精密に照射をしないと他の部位へのダメージが強いので、体を固定するという。
〇この作業自体は、どうということもないが、その作業の1時間前にトイレに行き、排尿・排便した上で、250~300mlの水を飲み、その水がお小水として膀胱に溜まったところで、この作業を行う。この間、放尿を我慢できるかどうかが問題である。そのために事前の訓練も課された。しかしながら、体調はいつも同じでないので、放尿を我慢できるかどうか不安になる。私の場合、膀胱に尿が溜まるのが遅いとかで、固定具を作成する際に、体を動かさないままに普通の人よりも20分長く、ベッドに横たわる羽目になった。

④2月28日、最初の重粒子線治療が行われた。前日の27日からお酒を飲まず、指示通りに10時30分に治療前最後の排便・排尿を行う。その後300mlの水を飲む。11時に検査用ガウンとネットパンツに着替え、11時20分に治療室に入る。以前作成した固定具を付け、身動きせずに、照射の照準合わせを待つ。照準が定まり、照射が始まる。右足下腿部脇の機械からゴービシュッという音が聞こえる。その音がどれだけ続いたか、数を45数えるぐらいで終了。拍子抜けするほど短時間、かつあっけない。
〇その後、CTを取り、第一日目が終わる。明日は左側の下腿部から照射するという。交互に照射するとのことであった。

⑤重粒子線治療は医療保険適用になったので、安くなったとはいうものの、12回分で25万円強の清算であった。神奈川県立ガンセンターには、重粒子線を照射する治療室が3つあり、1日各部屋14~5人の治療を行うということであった。放射線技師の言うのには、この装置は高いから、かつ敷地を広くとらないといけないので、全国で多分5~6箇所しかないのではないかという。重粒子線治療を受ける患者の大方60%が前立腺がん患者であるという。他の部位のガンについては、放射線がいい場合もあるということで、がんの部位によって効用が違うのだという。

⑥3月3日で重粒子線治療の第1クールが終わる。4日目の金曜日の夜から、重粒子線治療の後遺症か、排尿時が痛く、尿の出も悪く、頻尿になる。夜も1時間程度で尿意が来る。土曜日も同じような症状が続き、いよいよ男性用尿取りパットを購入しないと尿漏れを起こしかねないと思い、ドラッグストアに行き、男性用尿取りパットを購入してきた。ところが、土曜日の夜からは放尿時の痛みもなくなり、かつ尿の出方も以前と変わりなく状況が戻ってきた。第2クールになったときにどうなるのか見守るしかない。
〇神奈川県立ガンセンターから渡された「治療カレンダー」に放尿時の痛みとか放尿がしにくいという項目に〇×をつける欄があった意味が分かる。

⑦3月8日、第2クールの診察日、鎌田医師に放尿時になぜ痛くなるのかを聞いた。重粒子線を照射することによって、前立腺と同時に、その中を通っている尿道にも重粒子線が当たり、“一種のやけど”が起きており、それは陽に当たって皮膚が赤くなり、痛くなるのと同じで、時間が経てば治るとのこと。あまり痛ければ薬を出すが、どうするというので我慢できないほどでもないので、お断りする。
〇ついでに、放射線と重粒子線の違いを聞くと、放射線は体を通り抜けていき、他部位の臓器等を痛める。重粒子線は、焦点化された部位で重粒子が“爆発”して、そこで終わるように、高速の重粒子をコントロール(スピード、距離)している。それだけ、照射はち密で、難しい技術がいるという。現時点では、前立腺の中を通っている尿道も一緒に照射せざるを得ないが、「次世代の重粒子線治療」は尿道にダメージを与えないで照射できるように、現在研究中だとのこと。
〇だから、固定具を作成したり、膀胱を膨らませて他の臓器に影響がでないようするとか、固定具を作成したときの体重を変えないようにとかの指示の意味が非常によく分かった。

⑧3月9日、第7回目の照射の日。前日は、膀胱に尿が溜まっておらず、照射台の上で約10分間、尿が溜まるのを待ってから照射が行われた。そのこともあったので、放射線技師になぜ膀胱に尿を溜めるのかを聞いたら、膀胱を膨張させ腸との間を空ける必要があるからだという。膀胱が膨張していないと隙間がないため、重粒子線が腸にも照射され、ダメージを与える可能性があるからだという。
〇重粒子線治療が始まる前に、固定具を作成し、そのあとCTを取ったが、そのCTの画像とずれないようにすることが重要で、0.5ミリの誤差も出さないようにしているとのこと。毎回の照射の際に、“焦点が合いました。これから照射を始めます”というアナウンスがあってから照射がはじまっていたので、この解説は納得した。
〇3月9日の照射の日に、更衣室で一緒になった患者さんも前立腺がんとのことであるが、今まで昭和大学藤が丘病院で診察を受けていたが、そこでは放射線治療を38回行うというので、神奈川県立がんセンターの重粒子線治療は12回の照射なので、こちらを選択して、今日が第2回目の照射だと言っていた。

⑨3月10日、8回目の照射を行い、第2クールが終わる。その夜は、頻尿が凄く、夜中に7回もトイレに行った。寝た気がしない。

⑩第2クールの終わりごろから頻尿がひどく、代替1時間に1回の放尿になる。時には30分で尿意を催す。しかも、尿意を催してから排泄まで我慢することが殆どできなくなる。これが辛い。トイレがある場所を移動しているときは、それなりに注意できるが、ある日、トイレに行ってから散歩にでたにも関わらず、30分もしないうちに尿意を催し、住宅地のところだったので、“雉うち”するわけにもいかず、走って自宅に帰ろうとしたが、残念ながら間に合わず、“お漏らし”をすることになった。それ以降、危なそうな時には男性用尿取りパットをつけて、散歩に出るが、そのあとも間に合わず、尿取りパッドのお世話になったことが1度ある。この頻尿と放尿時の痛さは、照射が終了して2週間ぐらいでもとに戻るということなので、当分の間お世話になるようである。

⑪神奈川がんセンターでは、時々“付添人は一人までにしてください”とアナウンスをしているが、実際には2人も付き添ってきている。中には、付添人自体が認知症が始まっているのではないかと思われる夫婦がいる。看護師の説明がよく理解できない夫に付き添っているのはいいのだけれど、付き添っている妻はといえば、両足のソックスが色違いで、ちぐはぐな状況をみていると付き添っている妻も認知が進んでいるのだろうかと心配になる。

⑫第3クールに入って、3回目の診断の際に、医師に頻尿と放尿時の痛さを訴えたが薬を出しましょうかという言い方なので、その時は頑張ってみますと答えた。しかしながら、その後も頻尿と放尿時の痛さが続くので、第4クールに入った4回目の医師の診断の際に、同じ訴えをした。前回と同じく「薬出しましょうか」という言い方で、「出しましょう」とは言わない。そこで、その薬はどういう性質のもので、副作用があるのかどうか、飲むとすればどれだけの期間飲むのかを聞くと、「皆さん飲むと放尿が良くなり、痛みも感じない」という。副作用は「立ち眩みする人がいるので、車を運転する際には注意が必要」だという。飲む期間は照射後2週間程度すれば、照射に伴う“一種の火傷”は治るので、それまでの期間だというので薬を処方してもらった。薬を飲むかどうかの選択を患者にしろというばかりの応接には参った。
〇早速、3月15日夜から服薬したが、医師の言う通り、尿の出は良く、“ほとばしる”ような出であった。また、放尿時の痛みもなく、これならば医師はもっと積極的に勧めるべきではないのだろうかと思った。

⑬3月17日、12回目の照射も終わり、重粒子線治療が終了した。放射線技師や看護師、事務職に丁寧に挨拶して帰る。看護師から、今日から胃腸を整える薬は飲まなくていいです、麺類を食べることも解禁です、お酒は5月31日で解禁です、温泉には5月末まで入らないでくださいとの説明を受ける。次回の診察は5月29日で、今後3か月ごとにチェックを受けることになる。

⑭早速、お昼に、病院近くの中華飯店で、牛肉ピーマン細きりそばを頂く。美味しかった。

Ⅲ 『関外余男随想集』を読んで

〇兵庫県社会福祉協議会の事務局長、常務理事を歴任された塚口伍喜夫先生から『関外余男随想集』をご恵贈賜った。
〇関外余男さんは、兵庫県社会福祉協議会の常務理事、会長を歴任された方で、その方の随想を塚口伍喜夫先生たち兵庫県社会福祉協議会のメンバーが中心になって、編集され、この度刊行された。目を通した。
〇塚口伍喜夫先生に宛てた礼状の一部を転記しておく。

この度は、貴重な『関外余男随想集』をご恵贈賜りありがとうございました。全て読めていませんが、関外余男先生は、戦前社会教育と社会事業が未だ未分化、密接不可分の時代に、内務省の管轄であった「社会課長」をされているのですね。とても興味深く読ませて頂きました。戦後の兵庫県社会福祉協議会の常務理事、会長をされるのはある意味自然の流れですね。
本書に出てくる小田直蔵さん(P534)という社会事業主事はどういう経歴を経たのでしょうか。私は、社会福祉の歴史の中で、戦前の社会事業主事に関する研究が不十分だと思っています。一部は私が中心になって、日本社会事業大学の社会事業研究所でまとめましたが、各都道府県別にまではできていません。
戦後の社会福祉研究も教育研究も、いわば“ポツダム研究”になっていて、戦前は全て悪く、戦後はすべていいという単純な図式に陥っています。私は、戦前と戦後の“連続・継承”に関する研究が大事だと考えつつも未だ整理しきれていません。この視点に基づいて改めて「関外余男研究」を中核とした兵庫県社会福祉の歴史研究をする必要があるのでしょうね。
同封しました「老爺心お節介情報」第37号で取り上げました見坊和雄元全社協常務理事のところでも書きましたが、全国の都道府県社会福祉協議会の初代の会長、初代の事務局長がどういう方か一度研究してみる必要があると思っています。兵庫県社会福祉協議会の初代会長、初代事務局長はどういう方なのでしょうか。その方々は戦前何をされていたのでしょうか。塚口先生がお分かりでしたら教えていただければと思います。「関外余男研究」もそのような流れの一環に位置づけて考えてみたら面白いと思うのです。どなたか若い人で、そのような研究を志す人はいませんでしょうか。

〇この礼状にも書いた通り、戦前と戦後を簡単に“断絶”させてしまった“ポツダム研究”が戦後において“横行”した。
〇戦前で反省すべきものは大いにあるし、戦後が全ていいものでもない。戦前、戦後の「連続」、「継承」、「反省」、「断絶」を十分に意識した各都道府県の地域福祉史研究、とりわけ都道府県社会福祉協議会の歴史研究が重要ではないか。そのポイントは、戦前の各都道府県の社会事業主事は誰で、どういうことをしていたのか、戦後の各都道府県社会福祉協議会の初代の事務局長は誰で、どういう経歴の人なのかを明らかにするとことから研究を始める必要があるようだ。
〇このことに興味、関心のある方は是非取り組んで欲しい。私も1980年代末に、阪野貢先生等とこの研究の一端を行ったが、それ以降継続しきれていない。是非、興味、関心のある方は取り組んで欲しい。

Ⅳ 小田直藏著『社会事業夜話』を読んで

〇先のⅢで述べた手紙を読んだ塚口伍喜夫先生から、改めて本が送られてきた。小田直藏著『社会事業夜話』と『地域福祉の歩みーー兵庫県社会福祉協議会30年史』の二冊である。
〇先の手紙に書いた戦前,兵庫県の社会事業主事をされた小田直藏氏に関わる文献である。小田直藏氏は、戦後初代の兵庫県社会福祉協議会の事務局長でもあった。
〇小田直蔵氏は」新潟県村上市出身で、熊本の旧制5高に学び、その後旧制東京大学に進学し、大学院では「賑恤救救済事業」を研究し、卒業後内務省吏員(留岡幸助、生江孝之、高田慎吾らと親交)となり、大正6年4月に兵庫県社会事業主事として赴任する。賀川豊彦らとも親交があり、スラム街新川地区や被差別部落の生活改善に取り組んでいる。
〇『社会事業夜話』を読んで驚いたのは、兵庫県では岡山県の済世顧問制度、大阪府の方面委員制度と同じように昭和2年7月から方面委員制度が実施されるが、それに先立ち、大正8年に「救護視察員」という兵庫県独自の有給の地区担当の吏員制度を創設したことである。神戸、姫路、尼崎、明石等の都市に駐在し、担当区域内の生活状況を視察調査し、要保護者に対し必要な保護を加えるという制度であった。しかも、その制度の提唱者が知事本人で、かつその制度の必要性の趣旨を知事が巻紙に毛筆で書いて小田直蔵さんに指示されたということは驚きである。
〇また、兵庫県では、昭和3年に市町村に児童相談所を設置する奨励規定を作り、県下10数か所に設置されたという。知能テストや歯科診療を行ったという。さらには、兵庫県立児童研究所を昭和7年に開設し、医師や心理学専攻の職員、日本女子大家政学科(社会福祉学科の前進)卒業生を採用し、運営されたという。その児童研究所には児童一時保護所も併設されていた。
〇このように、戦前に社会事業主事として様々な制度を作る活動をしてきた小田直蔵氏は、戦後昭和26年3月の兵庫県社会福祉協議会設立総会において、兵庫県社会福祉協議会の初代事務局長に、兵庫県立児童研究所所長のまま選任される。
〇兵庫県社会福祉協議会が常に地域福祉実践において、全国のリーダーの一翼を担い、住民のニーズに対応する実践を行ってきた精神的、理念的淵源が小田直蔵氏や関外余男氏らの戦前からの「社会行政」に基づく実践に裏打ちされていたということが非常に良くわかり、嬉しくなってきた。これこそ、“研究者冥利”でもある。
〇改めて、全国の各都道府県で、社会福祉協議会設立時の初代会長、初代事務局長がだれであり、戦前との連続・継承、反省・断絶の歴史を事実に基づいて明らかにする必要性を実感した。塚口伍喜夫先生からの資料提供に心より感謝したい。
〇それにしても、この本を読んで、改めて自分の勉強不足を痛感させられた。と同時に、大学において、社会福祉教育を担当する教員は、このような事実があったことをどれだけ理解しているのであろうか。現在の社会福祉教育が社会福祉士養成の“テキスト”に頼り、“テキスト”を教えている底の浅さを嘆くしかない。このままで、社会福祉士は社会的評価を高められる実践を展開できるのであろうか。

(2023年3月18日記)

寺谷篤志/過疎化 SDGs・社会システム(仕組み)の力:〔解説用ダイジェスト版〕


目  次

NO.1 社会システム(仕組み)創造は起爆装置
NO.2 なぜ、地域づくりに挑戦したのか ⇒ 誇りの創造
NO.3 小磁極は智頭杉/一貫した価値観 ⇒ 決然と実践
NO.4 智頭町地域づくりのステップ
NO.5 Ⅰ. 胎動胎動・内発期【1984~1994】⇒ 杉をテーマに挑戦
NO.6 1984年「杉板はがき」発案 ⇒ 自らの一歩
NO.7 1986・7年 鳥取県イメージアップ懇話会答申とっとりingsマン = 積極人間
NO.8 1988年 住民有志でCCPT設立 ⇒ 集団で起こす
NO.9 1988年 CCPT社会科学の学びの場
NO.10 <1986年 杉の木村(都市との交流)開村)>
NO.11 1989年 杉下(さんか)村塾開講 ⇒ 学習と実践
NO.12 講義-1.  1993年かや(規範)の理論 ⇒ 役場と連携ヒント
NO.13 Ⅱ. 連携・融合期:【1994~1997年】⇒ 連携10策
NO.14 ひまわりシステム(買い物代行)発案
NO.15 1995年グランドデザイン策定プロジェクト
NO.16 論文-1.  1995年 過疎地活性化のグループ・ダイナミックス
NO.17 1996年  ゼロイチ運動企画コンセプト
NO.18 1997年 ゼロイチ運動に7集落導入 ⇒ 住民が起こす
NO.19 ゼロイチ運動規約第2条基本方針 ⇒  落は活性化計画を実行
No.20 地域運営から地域経営へ
NO.21 Ⅲ.行政・参加期【1997年~2008年】⇒ 単独と合併論争
NO.22 中原集落の導入効果
NO.23 早瀬集落の導入時
NO.24 早瀬集落の10年後
NO.25 論文-3.  2013年 住民自治を育む過疎地域活性化運動の10年
NO.26 地区振興協議会構想 ⇒ 集落振興協議会がヒント
NO.27 2008年 地区振興協議会設立⇒ 過疎化の起爆装置
NO.28 地区振興協議会6地区の内、5地区で設置
NO.29 論文-5.  2013年 旧村を住民自治の舞台に
NO.30 論文  旧村単位の住民自治運動に関するアクションリサーチ
NO.31 論文-6.  2008年 百人委員会スタート
NO.32 Ⅳ. 起業 ・発展期【2008~現在】⇒ 移住者・若者活躍
NO.33 智頭町もりのようちえん

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NO.1 社会システム(仕組み)創造は起爆装置

1980年代、過疎化・高齢化・少子化が現実となって押し迫ってきた。地域の持続性を考える機関は役場以外になく、他に存在はない。住民は時代の波に抗うことができない。ただ流れに身を任せている。このままでは地域はなるべくして疲弊する。1984年、決然と一歩を起こした。

1989年に改選が行われ、議長候補が多数派工作をして議員に金を配り、議員の半数が逮捕された。町会議長は2年交代が慣例化していた。町会議員の選挙違反が発覚した。そして、その議員が執行猶予にも係わらず1993年に町長選挙に立候補して当選した。また、元町長が県会議員に立候補し、これまた町会議員に金を配り、大量逮捕された。町の封建的な体質に問題がある。智頭町に住んでいることが屈辱であった。

智頭町の活性化は、役場職員の覚醒化と住民の依存体質にある。どうすれば役場職員を覚醒化できるか、また、住民の規範を革新することができるのか、苦悶した。そして、英知を結集し秘策を練った。1997年にゼロイチ運動(仕組み)がスタート、起爆装置となって創発規範を醸し、智頭町は変わった。杉しかない町から誇りある町へと転身した。

秘訣は、社会システム(仕組み)の創造と、社会科学による調査・検証による。それらは住民にとって学習機会となった。

 

NO.2 なぜ、地域づくりに挑戦したのか ⇒ 誇りの創造

1.  封建的依存体質~規範の革新
2.  社会科学・行動科学の実践
 1969年 ピーターの法則(著)ローレンス・J・ピーター他
 《階層社会では、全ての人は昇進を重ね、おのおの無能レベルに到達する。》
 1979年 リーダーシップ論(著)松本順⇒次P4掲載
 1983年 帰郷、一匹のメダカの理論に挑戦、よき理論はより実践的である。小集団         活動、孫氏の兵法、経営管理(マズローの欲求概念等)
 1993年 かや(規範)の理論の講義、吸着誘導法
3.  社会システム(仕組み)の力
 1991年 四面会議システムを考案~参加型集団企画技法
 1994年 ひまわりシステムを発案~高齢者買い物代行
 1995年 グランドデザインを策定~ゼロ(0)からイチ(1)、無から有
 1996年 村おこしコーディネーター会議発足~計画実行システム策定
 1997年 日本・ゼロ分のイチ村おこし運動~集落振興協議会の設立
 2008年 領域自治システム~地区振興協議会の設立
4.  政策提案システム~2008年 住民と役場職員で協働

 

NO.3 小磁極は智頭杉/一貫した価値観 ⇒ 決然と実践

リーダーシップ論(著者松本順)5.「小集団を燃えさせる」

 《エリッヒ・フォン・ホルストという生理学者が、ハエという淡水魚の前脳を手術でとり除き、ハエの群れの中へ入れた。前脳を取り除かれたハエは餌を食ったり、泳いだりするのはさしつかえないが、判断力がなくなる。判断力がないからこわいもの知らずというべきか、いきなり群れをはなれていく。その態度たるやまさに決然としている。すると面白いことにほかのハエが全部これにくっついていく。ホルストは何回も実験 をやったがいつも同じ結果だったので、集団を引っぱっていくには決然たる態度が必要であるということを言っている。

私は以前、磁石はなぜ、鉄片をひきつける力を持っているだろうかと物理学の本を調べてみたことがある。その結果、わかったのは、磁石のなかには、小磁極がいっぱいあって、これら小磁極が皆、同じ方向を向いている。だから鉄片をひきつける力を持つということであった。これに対して磁性のない鉄の小磁極はテンデンバラバラの方向に向いている。だから鉄片を引きつける力をもたないということであった。

この原理は、人間関係にもあてはまると考えられる。人を引きつける力を持っている人は、その人の考え方とか価値観が皆、正しい方向を向いている。だから相手の人を引きつけることがで きる。逆に人を引きつける力を持っていない人は、その人の考え方とか、価値観が正しく統一されておらずテンデンバラバラになっている。だから人を引きつける力を持つことができないわけである。》

 

NO.4 智頭町地域づくりのステップ

1. 胎動・内発期:住民による突破型プロジェクト【1984~1994年】
 1984年  一歩を起こす
 1988年  CCPTを設立
2. 連携・融合期:CCPTと役場の協働プロジェクト【1994~1997年】
 1994年  小集団による10策のプロジェクト
3. 行政・参加期:ゼロイチ運動により行政参加【1997年~2008年】
 1997年  ゼロイチ運動スタート
4.  起業・発展期:移住者・若者による起業【2008年~現在】
 2008年  地区振興協議会(旧村単位)スタート
 2008年  智頭町百人委員会スタート
 2009年  もりのようちえん開園

 

NO.5 Ⅰ. 胎動胎動・内発期【1984~1994】⇒ 杉をテーマに挑戦

1984年 杉板はがき発案
1985年 杉名刺開発
1986年 鳥取県イメージアップ懇話会委員、とっとりingsマン=積極人間
1987年 木づくり遊便コンテスト
1988年 智頭町活性化プロジェクト集団(CCPT)設立
1988年 智頭杉日本の家設計コンテスト
1988年 智頭町活性化基金設立
1988年 社会システム思考講義 鳥取大学工学部教授 岡田憲夫先生
1988年 八河谷集落、住民と離村者実態調査(鳥取大学工学部)
1989年 智頭杉ログハウス建築事業
1989年 杉下村塾開講
1990年 世代別住民意識調査(環文研=近鉄)
1990年 大学生との交流“鳥になって智頭の空を飛ぼう“
1991年 四面会議システム考案、土木学会発表
1993年 講義「かや(規範)の理論」 京都大学助教授 杉万俊夫先生

 

NO.6 1984年「杉板はがき」発案 ⇒ 自らの一歩

 

NO.7 19867年 鳥取県イメージアップ懇話会答申とっとりingsマン = 積極人間

 鳥取県イメージアップ懇話会での議論は、一人の鳥取県民として地域でどう生きるかを学ぶ場であった。また、自分自身のアイデンティティを問うた。そして、消極的な鳥取県民の気質を改めて認識した。その議論から自分自身のその後の生き方は、答申した「とっとりingsマン=積極人間」を実践することだと思った。懇話会での出会いが人財ネットワークとなった。一寸の虫も五分の魂である。地域戦略ソフト機関をイメージした。

1987年冬号の「山陰の文化を切り拓く総合雑誌」の『地平線』に、決意を寄稿している。
《「ingsマンとして」一つひとつの取り組みが勉強であり真剣勝負である。おのずから社会観が養われ、これまで見えなかったものが見えてくる。ほっと一息入れてみると、競走馬のように駆けてきた軌跡を振り返る。しかし、充実している。これからもingsマン(鳥取県イメージアップ懇話会の提言=積極人間=)として、走り続けて行くと思うが、郷土の将来をみながら、一歩一歩、ひとつずつ積み重ねていきたい。私達に今こそ必要なのは自己責任での当事者意識である。この地にどっかりと腰を据え、地域実現、郵便局実現、自己実現をやっていきたい。》

 

NO.8 1988年 住民有志でCCPT設立 集団で起こす

 智頭町活性化プロジェクト集団を設立
   (Chizu Creative Project Team略称CCPT)
 木材加工グループ等の集合体としてスタート
 学習・企画・実践集団を目指す

厳しいバッシング
 故前橋代表 「谷川の一滴の水も、掬う手を乗り越え、大河に通じる」
 メンバーは30人、あえて非公開とした
 活動はフクロウ(夜)集団
 リーダーシップはエディターシップ(水平型ネットワーク)
 臨機応変、変幻自在に展開する
 役場や助成団体の下請けはしない

 

NO.9 1988年 CCPT社会科学の学びの場

岡田憲夫先生指導<鳥取大学工学部社会開発システム工学科>

1) ジョハリの窓(『ゼロイチ運動と「かやの理論」』第2章2)
 最初の講義は「ジョハリの窓」の自他覚の概念であった。人間には「公開された自己」「隠された自己」「自分は気づいていないが、他者が知っている自己」「自分も他者も知らない自己」があり、「自分も他者も知らない自己」の領域を小さくし、「自他覚」の領域を広げることを表している。

2)活性化プロセス
 ごく一部の集団が内発的に「覚醒化」を起こす。
 覚醒化した集団と伝統的集団とで「葛藤化」が起こる。
 次に葛藤化を超える様相で地域全体が混沌とし、「攪拌化」が起こる。

 

NO.10 <1986年 杉の木村(都市との交流)開村)>

1988年 八河谷集落住民実態調査/可能性ゼロ
1989年 ログハウス建築事業

 

NO.11 1989年 杉下(さんか)村塾開講 ⇒ 学習と実践

鳥取県イメージアップ懇話会と社会科学の学び

テーマは「地域経営」 1989年~1998年(10年×10回)
 2泊3日 場所:最奥部八河谷集落 「杉の木村」
 地域リーダー、行政職員、科学者、研究者約40人
 講師無料 受講生の受講料3万円
 座学と議論、模造紙会議から四面会議システムの演習

 《智頭町で実現のため、塾後CCPTで検討し関係機関等と連携してプロジェクトを        立ち上げた》

 智頭町・地域戦略ソフト機関を目指す

 

NO.12 講義-1.  1993年かや(規範)の理論 ⇒ 役場と連携ヒント

京都大学助教授 杉万俊夫先生

1993年4月4日 講義から学ぶ(『ゼロイチ運動と「かやの理論」』講義-1)

 《働きかけられた人が、それに気づく、すると即座にこれにもう一人、ないし二人が気づくのです。この「力」です。まさにインスタント、即時的な小集団ができるのです。そして、これが「核」になるのです。この核が動き出す。こういうメカニズムで店員が何人かいると、その店員の数だけ小集団をつくることができます。このいくつかの小集団が合流する形で、一つの大きな群衆流ができるのです。》

《誘導者は全く目立たない。それから大きな声でたくさんの人に働きかけるとか、あるいは大きなボディアクションなどはしない。さらに、「あっち」という方向を示すこともやめる。そういうことを全部しない誘導法をやってみようと思ったのです。では何をやるかというと、例えば地下鉄の場合ですと、誘導法は大体お店の店員さんが誘導するのですが、店員さんは、もちろん最初はシャッターを諦めるわけです。電気を消してシャッターを閉めて路上に出る。路上に出たら自分の前に居た人、一人だけにぼそぼそと「一緒に逃げてください」と、ささやきかけるのです。そして、その人の手を取るなり、あるいは肩を押しながら逃げる。こういう方法なのです。ボディアクションとかそういうことはやらないのです。》

《個人はその「かや」の影響を受ける。では100%「かや」にしばられてしまうのかというとそうではないのです。やはり、非常に大雑把な言い方をすれば、例えば、自分の体の右半分だけは「かや」の影響を受けるが、しかし、人間の左半分は主体性を持っているわけで、自由にいろんなことを感じて、泣いたり、笑ったりする。いろ んなことをクールに考える。そして、行動します。そうすると、その結果として昨日の「かや」と今日の「かや」は違ってくるのです。変化するのです。変化しないという変化のありようもありますけれども、原則的に変化をす る。するとその変化した「かや」が、また一人ひとりの人間を半分だけしばる。影響を与えるのです。しかし、残 りの半分ではみんな自由に感じ、考え、行動をしますから、また、今日の「かや」とは違う次の「かや」ができていく。つまり、ジグザグ、ジグザクの関係なのです。個人によって「かや」ができ、あるいは「かや」が変化する。変わったところの「かや」が個人をしばる。個人がまた・・・。エンドレスのドラマなのです。》

 

NO.13 Ⅱ. 連携・融合期:【1994~1997年】 連携10策

1994年8月   親水公園連絡協議会設立
1994年8月   郵便局と役場の連携プロジェクト
1995年1月   グランドデザイン策定プロジェクト
1995年5月   はくと・はるか・関空シンポジウム
1995年4月   さわやかサービス職員接遇研修
1995年12月 地域と科学の出会い館建設
1996年4月   村おこしコーディネーター会議
1997年4月   ゼロイチ運動担当者会議
1997年9月   ゼロイチ運動集落振興協議会連絡会
1997年12月 千代川流域圏会議

 

NO.14 ひまわりシステム(買い物代行)発案

役場と郵便局で連携プロジェクト

 

NO.15 1995年グランドデザイン策定プロジェクト

1995.1.14~智頭町グランドデザイン策定プロジェクトスタート
 第6回杉下村塾(1994.10)「智頭町のグランドデザインとは何か?」
 報告書:杉トピア(杉源境)ちづ構想⇒ゼロイチ運動を発案
 マイステージは「住民自治」・ユアステージは「交流情報」・
 フォレストステージは「地域経営」と意訳、ゼロイチ運動に3本の柱

チームリーダー役場助役  故前橋伍一氏
 各課横断的に職員            7人
 アドバイザー等
 京都大学教授              岡田憲夫先生
 企業コンサルタント  福田征四郎氏
 地域コンサルタント  平山京子氏
 コーディネーター   寺谷篤志

1996.4.12~村おこしコーディネーター会議スタート
 ゼロイチ運動企画書等住民5人と役場職員で策定

 

NO.16 論文-1.  1995年 過疎地活性化のグループ・ダイナミックス

智頭町の活性化運動10年について
京都大学助教授杉万俊夫

 「活性化運動の対象となった村落に関するグループ・ダイナミックス的考察」
(『ゼロイチ運動と「かやの理論」』論文-1)から抜粋⇒集落が経営感覚を持ち、創出された新しい総事

《・・・「杉の木村」で行われている総事は、あくまで、「新しい」総事であるという点である。その総事は、CCPTという能動的な経営感覚の持ち主によって創出された総事であり、また、年間1万人を越える外来者を相手にした総事でもある。それは、単に、消滅しかけていた総事の復活にとどまらない。それは、従来の総事が、村落「内部」における共有財産の維持・管理、あるいは、村落住民「内部」における互助のための総事であったのに対して、はるかに、村落「外部」に開かれている。八河谷の村落集合体もまた、その伝統的体質としての閉鎖的集合性を有している。そうだとすれば、「杉の木村」をめぐる新しい総事には、その閉鎖的集合性にいささかでも変化のきっかけを与え得る可能性が秘めされていると考えることはできないだろうか。・・・》

 

NO.17 1996年 ゼロイチ運動企画コンセプト

1. 集落が手を上げ、住民と各種団体を包摂する集落振興協議会を組織し、地域計画         を策定して、10年間実行する。
2. 従来の集落運営方式は残しつつ、個人の資格でだれでも参加できる新しいボラン         ティア方式を採用した。
3. 集落振興協議会を智頭町の認定法人(みなし法人)とした。
4 .助成金は初年度と2年度は各50万円、3~10年は各25万円=合計300万円とした。
5. 計画のステップは、早瀬集落をモデルとし、四面会議システムで策定した。

【企画書の趣旨】⇒村おこしは、無(0)から有(1)への挑戦
その町がマチとしての機能を持ち、高い自治を確立することによって、21世紀において、「智頭町」を確固たる位置づけとなすこともできよう。そのための小さな大戦略は集落の自治を高めることにある。智頭町「日本1/0村おこし運動」の展開によって、地域を丸ごと再評価し、自らの一歩で外との交流や絆の再構築を図り、心豊かで誇り高い智頭町を創造できるものと考える。1/0村おこしとしたのは、日本一への挑戦は際限がない競争の原理であるが、0から1、つまり、無から有への一歩のプロセスこそ、建国の村おこしの精神であり、この地に共に住み、共に生き、人生を共に育んでいく価値を問う運動である。つまり、この運動は、智頭町内の各集落がそれぞれの特色を一つだけ掘り起こし、外の社会に問うことによって、村の誇り(宝)づくりを行う運動である。

 

NO.18 1997年 ゼロイチ運動に7集落導入 ⇒ 住民が起こす 

 

NO.19 ゼロイチ運動規約第2条基本方針 ⇒  落は活性化計画を実行

1. 村の誇り(宝)を創造する。(村の誇り(宝)づくり)
2. 住民自らの一歩による村づくりと絆づくりを行う。(住民自治)
3. 村の将来を見据えた計画をつくる。(計画策定)
4. 外の社会(海外や都市)との交流を図る。(国内外交流)
5. 村の生活・地域文化の再評価を行い、付加価値を図る。(地域経営)

【導入集落】 16集落
市 瀬 …市瀬自慢の田舎料理、しめなわづくり他
本 折 …花見会、ミニ傘作り、壁画作成他
中 田 …蛇の輪の復元、スイートコーン作り他
波 多 …集落大運動会、ギボウシ作り他
中 原 …そば作り、かずら細工、花作り他
白 坪 …みそ、福神漬け、吟醸付け作り他
新 田 …集落NPO化、カルチャー講座他
早 瀬 …竹炭、竹酢、みそ製造、東屋作り他
五月田 …考え地蔵まつり、椎茸原木作り他
上 町…智頭宿イベント、ふれあい広場づくり他
中 島…城跡遊歩道整備、紅梅管理他
岩 神…休耕田開放による野菜づくり、城跡整備他
早 野…高齢者給食サービス、草木染め他
奥 西…紅茶づくり、ヤーコン作り、視察他
浅 見…ログハウス作り、ほたるの復活事業他
芦 津…麒麟獅子舞伝承、地酒作り他

 

No.20 地域運営から地域経営へ

住民が地域に主体を持ち、地域を丸ごと価値化する概念が「地域経営」である。これまで集落も町も村も運営で捉えられてきた。発想の転換である。

つまり、地域経営とは、その地に住む全ての人々(住民も行政マンも、また地域外の賛同者も)が、主体的に住民自治を行い。地域を経営する視点に立って、内在する、人、モノ、コト、技術、文化、社会システム など。あらゆる資源の価値を引き出し、持続可能な社会の実現に向け、地域の誇りの創造を目指す、ゼロ(無)イチ(有)運動である。

企業経営は、社会的使命と利潤の追求にある。ところが地域経営は、コミュニティの復興、地域経済の創造、主体(人財)形成など、一体的に地域実現を図る豊かさの営みによって、ウェルビーイング(幸せ・誇り) を手繰り寄せた。

 

NO.21 Ⅲ.行政・参加期【1997年~2008年】⇒ 単独と合併論争

1997年 ゼロイチ運動スタート(集落)
    (導入16集落/達成15集落) 2011年助成期間終了
1997年 元寺谷町長就任
2004年 元寺谷町長辞職
2004年 議会が単独決議
2005年 中国社会科学院羅紅光先生要請、ゼロイチ運動集落代表北京訪問
2007年 北京外国語大学「智頭の杜果樹基金」設立10年
2008年 山形地区・山郷地区振興協議会設立
2008年 元寺谷町長再選
2008年 智頭町百人委員会スタート

 

NO.22 中原集落の導入効果

創発的営み第2章「地区振興協議会で「創造的昔帰り」
中澤皓次氏

《1996年4月に智頭町はゼロイチ運動をやろうと思うので、集落の実情について意見を聞かせてくれと言ってきた。実際は智頭町の「村おこしコーディネーター」の委員の委嘱であった。これを切っ掛けにして、この企画を推進してきた智頭町役場のメンバーや、故前橋登志行氏と寺谷篤志氏らと、親しく智頭町のまちづくりや地区や集落の将来について、議論をすることになった。私からは「実は、村のことをこれだけやっても、なかなか認められない」と実情を訴えた。それに対するコメントとして寺谷氏は「集落に水戸黄門の印籠を作ろう」というものであった。期待半分だったが、自分の集落でのポジションのこともあるので、ゼロイチ運動の集落振興協議会の展開に関心を持って見ていた。》

《集落版ゼロイチの認定が智頭町長名であり、「中原集落振興協議会を智頭町の認定法人とする。」とあった。村を方向づけるにはこの認定は大きい、直感的にやれると確信を持った。ゼロイチ運動の特色は、他の補助事業と大きく違う。自分たちで向こう10年間の計画を立て、実践するところにある。中原集落では「横瀬の谷の親水公園」の整備を柱にして、これまで村づくりをしてきた知識やノウハウを基に計画を作った。この集落版ゼロイチは、中原集落のために策定されたのではないかと思ったほどだ。》

《大きく分けて「本竈(かまど)」、「分家竈」、「寄留竈」に分類されている。集落でずっと以前から財産や家を守っている人には10割が配分される。しかし後から集落に入った人には、3割とか2割しか分配されない。4年に1度見直しがあって、1ランクが上がる仕組みになっているため、1番下の寄留竈の人が本竈になるには40年もかかる。これでは本竈以外の人が集落で向上心を持って生活する意欲はなかなか上がらない。それではどうして本竈に上げるかと言うと、集落総会の折に「この人を本竈(跡取 り)として認めたい」と提案をし、承認をされれば本竈になれる。本竈になることによって、集落のいろんな事業の役割の要職に就くことができるようになる。本竈になるのに40年もかかっていたのでは、本竈による長老支配が続いてしまう。集落はマンネリ化し、活力を生み出すことが難しい。事業を行うにし ても、役員の選出の方法を工夫してゆるやかに変えることで、他所から移住してきた人たちを仲間と認め、彼等に集落の中で活躍する場を見出し、しかも役割を担ってもらうことが必要である。前々からこの仕組みを見直そうと若者の中で話し合い提案した。彼等を人材として認めることによって集落に活 力を生み出すことができる。すんなりと決まったわけではないが、この提案は人材を認める切掛けと なった。》

 

NO.23 早瀬集落の導入時

1997年5月30日発行:「夢ステージ早瀬」の「時の流れの中で、今」から抜粋
会長 長石昭太郎氏

 《・・・社会の時流は、広く我が国の特に中山間地に過疎化、高齢化、核家族化、後継者 不在などの社会現象を生み出した。早瀬集落(4つの小字から構成)をこの観点からみれば、平成9年2月現在、65歳以上の高齢者が55人で総人口の30%を超えたのに対して、18歳以下の人口は28人で15%を占めるに留まり、アンバランスな状態となっている。また一世代家庭の家庭が22軒(内、独居家庭が7軒)もあり、留守家庭となった家が3軒という、まさに寂れていく村の実態が浮き彫りされる状況となったことが分かる。そして、このまま時の流れに任せて早瀬集落が推移したと仮定した場合に、10年後を想像するのはちょうど底なし沼を覗くような恐ろしい気もするが、集落を支えて今を生きるものとしては、勇気を奮い起こして、村の姿を見つめ、寂れていく村に元気を取り戻す課題に早急に取り組む必要が痛感される。「わが家の今後」については、すでにそれぞれの家庭の大問題として意識されていたが、さりとてその対策によい知恵もなく、個々ばらばらに思い悩んでいたに過ぎなかった。また「わが村の今後」についても、世話人や公民館長などを中心とした動きの中で、ジゲ意識の垣 根を越えて、「早瀬を一つ」と努力した伝統もある。そして、その結果、同じく大字にくくられた他の集落に比べて、その運営に格段成果をあげてきた点もあったろうが、「わが家」も「わが村」も、一個人、一世話人、一公民館長の努力では、時の流れによって生まれた「村が寂れる問題」に到底太刀打ちができないまま経過していた。このように、核家庭や集落全体が、蟻地獄にはまってもがくような、そして、ややあきらめの精神状態に陥りそうになったときに、私たちは日本・ゼロ分イチ村おこし運動に出会うことになったわけである。この出会いを集 落の「起死回生、時の氏神」とばかりに受け止めて、早速、早瀬集落振興協議会を結成し、協議した計画書である。》

 

NO.24 早瀬集落の10年後

2009年3月:『早瀬ものがたり』、情報最終の日に「村づくり情報」の発行に思う
初代会長 長石昭太郎氏

《・・・「村づくり情報」の綴りの表紙には、「村は時々刻々につれて動いている。それが年々発展する村の姿だ。その動きに鈍感であってはならぬ。情報は、生きた村を知るために、村をよく観る目を育てるために書く」と編集上の戒めを記している。そして、ゼロイチ運動の全期間、月に二回のペースで発行され、各家庭に配布された。植物の成長で言えば、運動は10個の年輪を刻んだことになる。年々歳々同じように思える行事(事業)を重ねながら、しかし、その時々に課題を解決して前に進んでいる。それが「年輪」であり、その「軌跡」を「村づくり情報」が克明に証言している。活力ある村・うるおいのある村の姿を模索しながら活動を進めた10年間、それは正直言って、運動を起こす前には創造も出来ないほどの大変な時間経過であった。「汗も涙も流した」し、「肩を抱いて喜び合ったり」「口角に泡を飛ばして論じあったり」もした。村がこんなに燃えたことは、おそらく、わが早瀬では開闢以来、初めてのことであったと思う。歴史には「もし・・」という立場はありえないが、しかし、私たちの村が“もし、運動を起こしていなかったら・・・”と考えながら様変わりした村を眺めるのは楽しいものである。みんなの知恵や汗の結晶がそこかしこに存在を主張している。それは様々になめた苦労を忘れさせるに十分な喜びを与えてくれる程のものである。》

 

NO.25 論文-3.  2013年 住民自治を育む過疎地域活性化運動の10年

鳥取県智頭町「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」
京都大学教授 杉万俊夫

(『ゼロイチ運動と「かやの理論」』論文-3)要約抜粋 ⇒ 活動による知恵

《・・・1987年から、最小コミュニティ単位である集落ごとに、長らく根づいた保守性、閉鎖性、有力者支配を打破し、地域を経営の視点で見直し、集落外と積極的に交流しつつ、住民自治を育む運動が開始された。智頭町における89集落のうち15集落が、この運動に参加した。・・・》

《・・・その結果、①同運動は初期の段階で集落に浸透し、終始6割の住民が同運動に参加したこと、②同運動の理念を最も実現した集落では、伝統的な寄り合い組織と新しい集落振興協議会を、車の両輪のように使いわけていたこと、③伝統的な寄り合い組織が、同運動の民主的性格を帯びるに至った集落も存在すること、④2-3割の人が、同運動によって新しい自己実現の場を得、また、少子高齢化が進む集落にあっても明るい将来展望を持つようになったこと、⑤同運動によって、女性の発言が増したことが見出された。同時に、10年間エネルギーを発揮し続けた裏返しとして。「この辺りで一服」という正直な気持ちもあること。・・・》

論文-3 考察から抜粋⇒人口減少を衰退指標にしない

《・・・このような10年間に、2-3割の人は、ゼロイチ運動によって新しい自己実現の場を手にした。それとともに、明るい将来展望も芽生えつつある。女性たちも徐々に発言力を増しつつある。別に少子・高齢化に歯止めがかかったわけではない。今後も少子・高齢化、人口減が続いていくことは、誰の眼にも明らかだ。
もし、人口減をもって過疎化と呼ぶならば、過疎化は今後も進む。そもそも、 2004年をピークに日本全体の人口が減少に転じる、今世紀末にはほぼ半減するという予測もある。もはや、人口の増加を繁栄のメルクマール、人口減 少を衰退のメルクマールとする時代は過ぎたのである。では、何をもって「地域力」のメルクマールとすべきなのか。ゼロイチ運動が住民の自己実現や将来展望に与えたインパクトは、それを考える貴重なヒントとなろう。・・・》

 

NO.26 地区振興協議会構想 ⇒ 集落振興協議会がヒント

2006年末には早瀬集落振興協議会の総括資料と、また、杉万先生からアンケート調査結果の事前説明を受けた。そこから、本命である地区振興協議会の設立に向けて構想を練った。

地区版の構想ポイントは、①領域自治を活動テーマとする。②智頭町の認定法人とする。③助成期間は10年間、その後は自立経営とする。④住民自治・地域経営・交流情報で計画を策定する。⑤会長の任期は3年とし、互選で選出する。⑥既存の組織を包摂する組織とする。⑦地区の創発拠点を目指す。⑧運営要領等(企画書と規約以外)の仕組みづくりを委ねる。コンセプトの要点を整理した。

 

NO.27 2008地区振興協議会設立過疎化の起爆装置

企画書「2.運動の意義(次代の要請)」~「創造的昔帰り」「偉大な創造」
《・・・地区振興協議会は一見旧村の昔帰りに見えながら、実は『偉大な創造』である。旧村では想像もできなかった徹底したボトムアップ(住民による自治)の地区づくりである。この壮大な、かつ、他に類例のない「創造的昔帰り」は、この10年にわたって智頭町が住民とともに展開してきたゼロイチ運動があったればこそ可能となった。この点が全国各地で始まろうとしている地区の振興のための施策とは一線を画するものである。》

規約案の第1条(目的)~「ゼロに帰するか、イチを守るか」
《本協議会は、これからの地域社会を見据え、地域内外の人財ネットワークを最大限に発揮し、持続可能な社会を実現するため、「ゼロに帰するか、イチを守るか」地域の生き残りを賭けて、英知を結集し、地域の特質を活かした行動計画を策定し、地区づくりのための運動を展開することを目的に設立する。》

地区振興協議会の規約第2条基本方針
1.地区の将来を見越した計画をつくる。(計画の策定)
2.地区経営ビジネスモデルをつくる。(地産地消の実現)
3.地域資源として人財バンクをつくる。(地域内外とのネットワーク)
4.地区統治モデルをつくる。(旧村の自治復興)>

 

NO.28 地区振興協議会6地区の内、5地区で設置

領域自治の拠点

NO.29 論文-5.  2013年 旧村を住民自治の舞台に

鳥取県智頭町:地区振興協議会の事例
京都大学教授 杉万俊夫

(『ゼロイチ運動と「かやの理論」』論文-5)5考察から抜粋 ⇒ 社会システム(仕組み)創造の企図

《・・・本論文で紹介した3つの地区振興協議会の事例、また、山田・樂木・杉万(2013)が報告した山形地区の事例、さらには、地区ゼロイチ運動に先立つ集落ゼロイチ運動の事例は、「自分の地域を何とかする」ことが可能であることを教えてくれる。同時に、それらの事例は、「住民が自らの地域を何とかする」ための仕組み(システム)が、いかに重要であるかも教えてくれる。仕組み(システム)は、「まず、だれかが仕組みをつくって、それを多くの人々に適用する」といったやり方では、なかなかうまくいかない。仕組みの構築プロセスそのものに、それが将来的に適用される人々が参加していなければ、仕組みは機能しない。この点は、「風景を共有できる空間」のような顔の見える空間で、仕組みを構築する場合には、特に重要となる。・・・》

 

NO.30 論文  旧村単位の住民自治運動に関するアクションリサーチ

集団力学研究所、2021年第38巻 pp.20-34
樂木章子(岡山県立大学保健福祉学部准教授)

 《論文要約から~農山村の多くでは、昭和の大合併以前の旧村が、旧村単位の小学校や、旧村単位で行われる運動会や祭りに見られるように、今なお一つのまとまりを維持している。この旧村を単位とした住民自治システムを構築しようとする運動が2008年から開始され、現在、智頭町6地区のうち5地区(山形地区、山郷地区、那岐地区、富沢地区、土師地区)が順次、地区振興協議会を立ち上げた。この運動は、最初の10年間は行政から財政的な支援を受けるが、それ以降は、それぞれの地域住民の手による地域経営が求められている。

本研究は、5地区でフィールド研究を実施し、それぞれの活動を追尾し、その地域資源や活動の特徴を筆者の目線から描き出したものである。山形地区では、介護保険によらない地域住民による地域の高齢者のために「森のミニディ」事業を展開し、これが他の地区へと拡大されていった。山郷地区では、防災活動の他、比較的新しい旧小学校校舎を活かした企業誘致に力を入れており、かつ、いち早く、法人格を取得した。那岐地区では、企業誘致や特産品の販売の他にも、地区住民を繋ぐ旧小学校校歌継承活動を開始していた。富沢地区では、障がい者や高齢者雇用の場ともなるキクラゲ栽培に力を入れていた。土師地区では歴史資料館を開設し、智頭町内の文化財の保存と展示に貢献していた。それぞれの活動は多様であるが、共通するのは、どの地区も行政からの独立を見据えた地域経営のビジネスモデルを展開しようと試行錯誤している点である。本研究ではそれぞれの地区振興協議会の最新情報を紹介するものである。》

 

NO.31 論文-6.  2008年 百人委員会スタート
 
政策の立案・実行過程における住民参加の新しい試み―鳥取県智頭町「百人委員会」—(『ゼロイチ運動と「かやの理論」』論文-6)要約から抜粋、京都大学教授杉万俊夫 ⇒ 政策提案システム

《地域の一般住民が、政策の立案過程のみならず実行過程にまで参加する「住民参加」の新しい方式として、鳥取県智頭町では「百人委員会」という試みがなされている。百人委員会は、町長のイニシアティブのもと、平成20年(2008年)に発足した。

①百人委員会の委員には、満18歳以上の町民か、町内の事業所で働いているならば、だれでも応募できる。

②商工・観光・生活・環境・保健・福祉・医療・農林業・ 教育・文化な ど。③百人委員会で立案された政策は、民主的な取捨選択を経るが、なるべく多くの政策に対して「予算措置」されることが約束されている。百人委員会の委員は、政策立案にとどまらず、行政職員とともに政 策の実行・実現にも当たる。》

 

NO.32 Ⅳ. 起業 ・発展期【2008~現在】⇒ 移住者・若者活躍

2009年 もりのようちえん開園
2010年 自伐型林業「皐月屋」創業
2011年 那岐地区振興協議会設立
2012年 小学校統合
2012年 土師地区・富沢地区振興協議会設立
2015年 田舎のパン屋タルマーリ―開業
2015年 智頭ノ森ノ学ビ舎林業技術習得塾開講
2015年 おせっかいまちづくり宣言スタート
2016年 山林バンク/北京の杜10年達成
2017年 中国厦門市院前社と山形地区振興協議会交流
2019年 内閣府「SDGs未来都市」認定
2019年 『創発的営み』出版
2020年 おせっかい奨学金スタート
2021年 『ゼロイチ運動と「かやの理論」』出版、ゼロイチ教室開講
2021年 横浜市立大学吉永ゼミ等と交流 2022年 『ギブ&ギブ』出版
2022年 智頭町まちづくりレガシー館開設
2022年 北京外国語大学主催、東アジア「農村地域の過疎化の発見と復興の可能性」シンポ
2023年 「過疎化SDGs・社会システム(仕組み)の力」執筆
2023年 「ナギノ森ノ宿」宿・銭湯・店、春オープン(旧那岐小学校「那岐の風」)

 

NO.33 智頭町もりのようちえん

百人委員会から生まれた!