阪野 貢 のすべての投稿

心のありようを描く

2018年7月18日
ブログ主宰者から突如 ある団体に捜索願が出された
ルートは奇跡的につながり
無事発見された

1年後の7月17日
登別市で開催された「きずな市民シンポジウム」の朝
「鳥居一頼研究室」が突然開設された
ブログには 不定期で
「鳥居一頼のサロン」に幾つか投稿していた
主宰者は それをとても面白がった
好き勝手に投稿してとばかりに 
「バーチャルな研究室」を作ってくれた
引くに引けなくなって はまってしまった

その後「鳥居一頼の世語り」と改称し
1年366日を迎える
今年は閏年だったから 1日おまけだ
おまけなら 何でも嬉しい

書き出しの1ヶ月は
ストックでしのいだ
8月早々腰痛で寝込み
iPadに ボッコで書き込んだ

字数制限もなく
散文なら書きやすく読みやすい
だから 詩もどきを綴った
100回連続は 素直に嬉しかった

11月札幌で「日本福祉教育・ボランティア学習学会」が開催された
主宰者が来札する そのときまで続けよう
再会の感動は 「メビウスの帯」(2019年12月1日Up)にしたためた
12月 例年の秋田県北巡りの 地域福祉推進と福祉の授業
「休業宣言」をそばに置き いつでもリタイヤできる備えをした
なぜかホテルで 毎朝毎晩パソコンに向かっていた

師との共同で多忙を極めた『邂逅』の執筆も
年明けに脱稿 ようやく印刷に回した
中旬から 地域福祉に関わり全道14管内を回る仕事が始まった
都市間バスでの長距離移動は 腰痛には応えた
前日ホテルに入ると すぐに横になった
一日の仕事が終わると そのまま移動という日々だった
帰宅しても 翌日下着の取り替えをもってバスに乗る
北の端から南にそして西へと 過酷な日程もしのいだ
でも 不思議と書き続けられた
200回目 新ひだか町での社協マンとの語り場が
書き続けるおもいの枯渇を 未然に防いでくれた

2月新型コロナウイルスが北海道を襲う
道知事は なんの方策もなく独自で非常事態宣言を出した
バタリと仕事はなくなり 自宅軟禁状態になった
家にいながら 気にかかる世の動きにアンテナを高くして
「世語り」を続けることにした

4月 師と次の本『検証』の準備が始まった途端
構想もアバウトなまま また腰痛でダウンした
5月 世界がコロナ禍であえぐ中で「母の日」を迎えた
娘から花が送られてきた
300回は「宅配人が親子のおもいをつなぐ」と
エッセンシャルワーカーへの感謝を綴った
6月 『検証』の当初の構想は 大幅に修正された
7月 執筆に着手し 展望が少し開けてきた
そして「世語り」は 明日丸1年を迎える 

共感同行していただいた主宰者
その出会いの不思議と必然を 噛みしめている
出会いは 思索のスイッチを入れ 自己再生を促した
出会いがしらの衝撃そのままに 創造力を触発される
出会いから 心のありようを描く至福の刻を味わい続ける

生かされた喜びに満ちた1年 感慨無量でした
ブログの主宰者と読者に深く感謝します
ひとりでも多く 共感をもっていただければ幸いです
これからの1年? 無事な投稿をお楽しみに!

〔2020年7月15日書き下ろし。主宰者に書き続けることの喜びをいただいたことに厚く感謝し、主宰者と共に次の1年に向かいます。フィンランドの若者が日本語の勉強と日本の世情を知る手がかりにこのブログを読んでいますと、嬉しい知らせをいただきました〕

「仲間とつながりハッピーに生きる」:「共感」とは心に人を住まわせることである。その心に定員はない。―金森俊朗の「いのちの授業」を読む―

〇金森俊朗(かなもり・としろう)が2020年3月に亡くなった(享年73)。金森は、1969年3月に金沢大学教育学部卒業後、石川県内の小学校(小松市立小学校1校、金沢市立小学校7校)で38年間教鞭をとった。1990年前後から本格的に、「いのちの授業」(「性の授業」「デス・エデュケーション」等)に取り組んだ。それは、教育界のみならず医療や福祉の世界でも全国的に注目を集めるようになる。
〇金沢市立南小立野(みなみこだつの)小学校4年1組の「金森学級」(35人、10歳の子どもたち)が、2002年4月から1年間、NHKテレビの長期取材を受けた。それが翌2003年5月、「NHKスペシャル・こども輝けいのち 第3集・涙と笑いのハッピークラス~4年1組 命の授業~」というタイトルで放映された。それは、多くの人々の感動を呼び、国際的にも高く評価された。
〇筆者(阪野)の手もとに、金森の「いのちの授業」(教育実践とその思想)に関する本が8点ある(しかない)。以下がそれである。

(1)NHK「子ども」プロジェクト『NHKスペシャル こども 輝けいのち/4年1組 命の授業―金森学級の35人―』日本放送出版協会、2003年9月(以下[1])
NHK「子ども」プロジェクトの取材記録である。そのときのディレクターは言う。「放送後、5年生になったみんなと会う機会があった。番組を見たみんなの気持ちは、たぶん陽くんの言葉が一番うまくまとめている。『おもしろかった。たしかにおもしろかったけどな、オレらの1年間はもっと重たいもんやで』。ぐうの音も出なかった」(156ページ)。続けてディレクターは、「学校が持つ可能性、そして子どもたちが本来持っている力は、まだまだ捨てたものではないはずなのだ。実は私は、(全国の学校に)そのことを伝えたかった」のである、と言う(157ページ)。
(2)金森俊朗『いのちの教科書―学校と家庭で育てたい生きる基礎力―』角川書店、2003年10月(以下[2])
金森学級では、①給食の一限目、食材の一つひとつと丁寧に向かい合う。②“包”むという漢字から、母親の心を学ぶ。③友だちの家族が亡くなったら、共に死を考える。④父母、祖父母に話を聞いて、自分史を人体図にまとめる。⑤末期ガンの患者や障がい者と、じかに語り合う。⑥どろんこサッカーや川への飛び込み、自然のなかで激しい遊びをする。⑦日々の気持ちは仲間に宛てて、「手紙ノート」に書く。これらによる「いのちの学び」は、学校と家庭で育てたい「生きるための基礎力」である、と金森は言う(カバー「そで」)。
(3)NHK「子ども」プロジェクト編『NHKスペシャル こども・輝けいのち:ジュニア版2 涙と笑いのハッピークラス』汐文社、2004年6月(以下[3])
[1]のジュニア版である。金森学級の朝は、「手紙ノート」から始まる。毎日3人ずつ交代で、クラスメイトに宛ててノートに手紙を書く。家で書いてきたその手紙を、みんなの前で読んで聞かせる。テーマは「なんでもいい」。金森は言う。「みんながやったのは、自分をわかってもらって、そして友だちをわかろうという、そういうわかり合う努力でした」(99ページ)。金森授業の核心のひとつは「つながり合う」である。
(4)金森俊朗『希望の教室―金森学級からのメッセージ―』角川書店、2005年4月(以下[4])
本書では、どこの地でも、誰でも実践しうる基本的な日常の学びが提示される。金森は言う。「私はあえて『ガキはガキらしくせい』と繰り返し言い続けた。この場合の『ガキ』とは、もっと自分にこだわり、わがままを通そうとして激しくぶつかってもいい、一見『馬鹿げたフェスティバル文化』(ボディー・コミュニケーションの遊びや活動)をいつでもどこでも展開していいよ、との意味を込めて使ったことばである」(249ページ)。
(5)金森俊朗『子どもの力は学び合ってこそ育つ―金森学級38年の教え―』(角川oneテーマ21)角川書店、2007年10月(以下[5])
「子どもたちもいっぱい悩みを抱えている」。「どのような親・教師・学校が子どもの生きる力を育てるのか」。その問いに対して金森は、「これからは、危険や災害を見通し、備える力・いざというとき瞬時に判断する力・人と人とをつないで協力する力・困難の中でなけなしの条件を引き出す力が必須である」。それらの力=真の学力は、学び合ってこそ育つ。本書では、その力を習得、発揮するための具体的なプロセスを開示する(「帯」)。
(6)金森俊朗『金森俊朗の子ども・授業・教師・教育論』子どもの未来社、2009年1月(以下[6])
金森にあっては、「子どものリアリティから学び、人間を深く捉える」。「子どものなかに社会や時代を読む」ことが、教師としての最低要件である。「子どもの内面世界を無視した外からの『モラル』『規範意識』の徹底に、子どもたちはストレスや悲しみを自他いずれかに向かって爆発させる。社会と時代の痛みを共に背負う深い人間的な共感があってこそ、働きかけの厳しさは子どもに受容され、力につながる」のである(294、295ページ)本書では、金森授業の教育観と哲学、実践の神髄が語られる(「帯」)。
(7)金森俊朗『「子どものために」は正しいのか』(学研新書)、学研教育出版、2010年10月(以下[7])
「子どものために」という親心が子どもを追い詰めている? 子どもの個性は、「できること」にしか認められず、「できたか、できなかったか」の成果主義評価の下で悩む現代の子どもたち。厳しい現実を生き抜くために、今本当に必要な力とは?(カバー「そで」)。この問いに対して、「金森学級には理想の子どもたちがいる」と言う。①年間数千ページの本を読む。②外で友たぢと豊かに関わり遊ぶ。③家族と自分、仲間を大切にする。④高度な言語力と思考力れをもつ、がそれである(「帯」)。
(8)金森俊朗・辻直人『学び合う教室―金森学級と日本の世界教育遺産―』(角川新書)、KADOKAWA、2017年4月(以下[8])
金森にあっては、子どもは「自ら学び、友と学び合う」ことこそが「生きる力」であると分かっている。金森学級では、子どもたちが「学ぶ力」だけでなく、仲間と学び合う、競争社会を超える「生きる力」を身につける。その金森実践の根底・源泉には、日本の教育史上で“非主流”とされてきた生活綴方教育・生活教育がある(カバー「そで」)。共著者である辻は、その歴史や理念について説述し、それに基づく金森実践の本質に迫る。生活綴方教育・生活教育は「世界教育遺産」として誇られるものであり、今日の教育状況のなかでこそ、その教育が大きな意味をもっている、と辻は言う。

〇本稿では、以上から、筆者が注目したい金森の子ども観や教育観、教育実践とその思想などをめぐって、視点・視座や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「つながり合う」と「生きる希望」
生きるということは、仲間と「つながり合う」ことである。([2]12ページ)/子どもたちが何よりも求めているのは、学ぶことの喜び、友と学び合う楽しさ、学ぶことの意義を実感することである。/それをひと言で、「生きる希望」と呼ぶ。学校は、生きる希望や夢を学ぶことによって、横並びの関係性([8]116ページ)のなかで学び合うことによって、子どもを育む場である。/この「仲間と共に希望を育む学び」に力を入れることは、決して「学力」に重さを置く教育と対立するものではない。それを内に含みつつ、はるかに超えて、生きる力に直結した言語能力や思考能力を育てていく。それが、確かな学力ともなる。/今の教育改革は、子どもを集団からばらばらにして、競争させ、自己肯定感を奪い、一緒に生きよう! という「共同の思想」をつぶすものである。([2]16ページ)

「学び合う」と「いのち輝く」
学力とは、自分と自分を取り巻く世界を読み解き、それを自分のことばで表現し、他者に伝え、交流し合う力である。その学力は、自分の存在やこれから生きる社会や自然にどのような希望があるかを見出す力として発揮されなければならない。([4]166ページ)/(すなわち)自分の真実を知り、感動した心を自分のことばで表現し、他者に伝え、伝えたことによって、返ってきた他者の考えに耳をすませ、さらに確かなものにする。つまり、交流し合う力があって初めて学びが得られるのであり、その交流し合う力まで含めて「学力」と呼ぶ。/(そこから)教育とは、自分が深くわかる、つまり人間を理解するということが、その目的であると言ってよい。それは、「いのち(が)輝く」ことであり、そのために一番大事なことは、本物の生きざまに触れ、生の大切さを学び([2]23ページ)、人間の存在の尊厳を学ぶという視点を持つことである。([5]139ページ)

「子どもの生命力」と「生活教育」
教育とは、子ども(人間)が内に持っている成長・発達の可能性を引き出し、大きく育む営みである。([8]20ページ)/現代の子どもも、動物・哺乳動物としての原始性・野性・動物性を心身の奥に秘めている。([8]26ページ)/それは、過酷な条件のなかでも生き抜くことができる逞(たくま)しい心身の力であり、生活意欲や、命の危険を察知・予知し危険を乗りこえたり、避けたりする力である。五感を中心とする鋭い感覚や感性などを意味する。([8]30ページ)/それらが全面的に発揮される時と場所を保障すれば、子どもはまちがいなく、全身、全運動・感覚器官から喜びを放射し、友とつながり、生活意欲を高める。それは、学習意欲、表現意欲・表現力、好奇心、集中力,切り替える力などを高める。([8]37ページ)/その可能性を大きくきり拓(ひら)く教育の中心柱は、生活綴方教育であり、その土台をなす生活教育である。([8]44ページ)/生活綴方教育とは、生活のありのままの様子や日頃の思いを素直に記録することを追求した作文教育である。([8]171ページ)/生活教育とは、子どもの生活実感や経験、日常生活における場面を大事にして行われる教育実践である。([8]185ページ)

「キャッチャー」と「ピッチャー」
教育実践はもちろん、子どもに関わる仕事をしている人たちは、「キャッチャー」である。子どもは「ピッチャー」で、さまざまな球を投げてくる。([4]7~8ページ)/人間が生まれて生きるのは、それぞれが幸せになるためである。そのために学校があり、人間は学び合っている。/「仲間と一緒にハッピーに生きようぜ!」。([5]173ページ)/その思いを実現するために、大人はキャッチャーになって、子どもがピッチャーとして投げる好奇心、日々の生活からの学び、内面の喜怒哀楽を全人格と全人生をかけて受け止め、豊かに返球する。すなわち、子どもに根ざした意味ある学びと生活を創造することが大切である。/「豊かな返球」のなかでも、特に大切にしていて特徴的なのは、フェスティバル文化論である。学習や行事は、人と人とをつなげ、フェスティバルのように楽しく感動的でなければならない。([5]173~174ページ)

「ボディー・コミュニケーション」と「馬鹿げたフェスティバル文化」
「(土砂降りの雨が降った日、泥水のなかに飛び込む)どしゃぶりどろんこ」「(運動場に書いたS字の陣地を、片足跳びなどで移動しながら取り合う)エスケン」「(厳冬期のプールでの)イカダ乗り」「(田んぼでの)米作りや農園作り」「障がい者や妊婦・末期がん患者らとの交流体験」など、「もの・こと・人・自然とのボディー・コミュニケーション(体感・体験)」の活動([8]32ページ)は、一年間で多彩に展開する。/「どしゃぶりどろんこ」や「エスケン」「イカダ乗り」を典型とする活動をあえて、「馬鹿げたフェスティバル文化」と呼ぶ。([4])245ページ)/一見「馬鹿げた」文化は人間が持つ攻撃性を発散させたり、豊かに育むために必要なものである。とりわけ子どもにとって、その文化は、人間が本性として持つ攻撃性を、積極性や挑戦心や人や自然と交わる力に転化し、育む大きな役割を持っている。([4]247ページ)/一見「馬鹿げた」文化は、本来子どもたちに、子どもであるがゆえに無条件に保障されるべきものである。([4]248ページ)

「共感」と「共育・響育・協育」
心拓(ひら)いてわかってもらえる努力をし、それを聞いた側がキャッチする。その時に、それを批評しない、分析しない。自分のなかにある同じ悲しみ、痛み、悩みを語る。それによって一緒に担って一緒に歩いていこう、友だちのなかに自分を、他者のなかに自分を、自分のなかに他者を発見し合って生きる。それが「共感」である。いま、その関係性を築くことが求められている。(「6」60ページ)/そこから、教育は「共育」「響育」「協育」と言い換えてもよい。([8]252ページ)/「全人格と全人生(を)かけて聞かなきゃ言ってくれない」「聞いてくれる人、聞いてくれる仲間がいれば言う」。/心の世界、「聞いてくれる人」、授業でも同じである。心の世界になるともっと、とことん聞いてくれる人にしかしゃべらない。心の扉は外側から引っ張っても、開けようとしても開かない。本人が内側から開けてくれないと。心の扉は内側にしか取っ手がないのである。(「6」100ページ)/その点でまた、教育は、子どもを通して浮き彫りになる保護者の実像に、深く共感する営みである。保護者や地域の積極的な応援・協力を必要とする。そこから、子どもと保護者、そして地域が協働して「学び」を創るために、教師の人間性や専門性、市民性や社会性が問われることになる。(「6」286、287~288ページ)

〇金森の「いのちの授業」はシンブルであり、根源的である。約言すれば、「いのち」には何の約束も保証もない。しかも、一回限りである。子どもたちは、さまざまな「生」や本物の「生きざま」に直に触れ、自ら学び、多くの友だちや大人との「つながり」のなかで学び合う。それによって、「生きている自分」と「生かされている自分」に出会い、人間の多様な存在と個人の尊厳について理解する。そして、自分らしく、またみんなが輝いて生きる喜びを実感する。「金森実践」は、こうしたことを子どもの心に「原風景」として刻み、「生きる希望、源泉」([7]204ページ)を育むのである。そこに見出すキーワードは、「いのちと生活」「表現と共感」「学び合いと感動」であり、それらに通底するのは「つながり合う」である。
〇本稿の冒頭に記したNHKの番組では、奥深い、感動的な学びの場面が多い。2003年2月、金森学級では、「いのちの授業」が続いていた。そんなある日、翼(つばさ)くんの父親が突然に亡くなった。光芙由(みふゆ)さんは、3歳の時に父親を奪われた。3月20日、金森学級の「しめくくりの会」(「お別れ会」)の日の様子である([1]152~153ページ、[3]96~98ページ)。金森実践の真骨頂を見る。

クラスのみんなは一人ひとりが板きれを持って運動場に集合した。光芙由と翼のお父さんに手紙を書くためだ。2メートル四方の大きな文字を運動場に刻む。
どのように手紙を出すかについて、はじめは気球に乗せて空に飛ばすという案も出されたが、時間的に間に合わないということもあり、「天国からでも見えるような」大きな手紙ノートを書くことになったのだ。
運動場の土は、思ったより硬くなかなか掘れない。「と」や「ち」など画数が少ない文字を掘り終えた子は、漢字に苦戦している仲間の応援に加わった。
手紙ノートの文章は、健太(けんた)が中心となって考えた。
光芙由のお父さんも翼のお父さんも若くして亡くなった。光芙由や翼をどんなに心配していることだろう。考えに考え抜いた言葉は、結果として、金森学級みんなの誓いの手紙となった。

光芙由と翼のお父さんへ
二人はいつも元気だ
私たちがそばに
いるから安心してね

書き終わった後、みんなでいっしょに、この手紙ノートを読みあげた。祐人(ゆうと)がぽつりとつぶやいた。
「死んでしまったら普通の手紙は届かないけど、心の手紙はきっと届くと思う」

付記
本稿を草することにしたきっかけのひとつは、次の記事にある(『岐阜新聞』2020年6月7日付朝刊)。

黒と白

この世には
黒い心の人と
白い心の人が
おりました

生まれるときには
人はみな白い心で生まれてきます
大きくなるにつれて
人はみなさまざまな心に彩られます
気づかれぬように
黒い心が忍び寄っていきます
気がつくと
人はみな灰色の心になっていたのです

黒い心の人は
気分次第で黒を混ぜ
灰色にしていくのです
黒い心の人は
どんな色にでも黒を混ぜて
灰色にして面白がるのです

多彩な心は
黒い心の人に逆らえず
灰色にされてしまいます
多彩な心は
黒い心の人の言いなりで
灰色にされてしまうのです

この世はいつか
灰色も黒みがかって
黒に近くなっていきます
この世はもう
灰色が真っ黒になり
黒一色になりました
この世はすでに
黒い闇の世界となりました
闇の奥から かすかな声が聞こえます
「わたしはよき人でありたい」

〔2020年7月14日書き下ろし。国家権力に支配される恐怖を、香港の自由人は強く感じていることだろう。コロナ禍に便乗して専制主義が世界に広がる危惧を抱く〕

子らよ すこやかに/鳥居一頼

「子どもを粗末にしない共育」

ひとつ
子どものいのちを 粗末にしないこと
ふたつ
子どものこころを 粗末にしないこと
みっつ
子どものまなびを 粗末にしないこと

三つの粗末にしないことを 心にとめると きっと 
いま なにを 粗末にしてはならないのかが 見えてくる 
どうして 粗末にできないのかが 分かってくる
いかに 粗末にしないよう 考える
あとは 一人ひとりの子どもに添って 動くだけ

それが 共育


「小さな音」

世界で一番小さな音って?

アリが餌を巣に運んでいるときに
餌が地面を擦る音

ミツバチがホバリングしながら
花の蜜を吸う音

朝露に濡れた葉の雫(しずく)が
花心に落下していく音

貧しさに囚われし子らの涙が
世の風に舞い 大地に浸みてゆく音


「晴れ舞台」

歌う
こころを 思いっきり 開放する
声を張り上げ 怒鳴るように 歌詞を放つ
音程も バラバラ
だから 面白いハーモニーが そこに生まれる
3歳児も 4歳児も 歌うことを全身で楽しむ

演じる
台詞を忘れないよう 早口で話してホッとする
でも忘れてしまった子は 隣の子が耳打ちして
自信なげに 目配せしながら 台詞を吐く
一人ひとりが 親には主役  
3歳児も 4歳児も 演じることを全身で愉しむ

ゼロ歳児のお披露目
名前を呼ばれて 反応する子に 大きな拍手
大勢の観客を前にしても ぐずりもせず泣きもせず 席に座っている
遠目で小さい仕草に一喜一憂する観客 ただそれだけのこと
手遊び唄が流れても 観客を見ている つぶらな瞳
誰かを探しているのだろうか

母は ゼロ歳児に手を振る
乳飲み子は 気づくはずはない
それでも ここにいるよって 手を振りたい
母はいつでも そばにいたい
その成長を見ていたい
でも預けるしかなかった乳飲み子は
いま舞台の上で 保育士たちに見守られながら そこにいる
他人に預けた子が こうして舞台でおりこうさんに座っている
ちょっぴりの寂しさと ここまで育っている喜びが
複雑にシャッフルされた 感情のわき出るなかで
母は 無心に手を振った

手を振りながら 笑顔を見せながら
歌い踊る我が子に 
声援の手を振る 母たち
後ろには ビデオやスマホで撮る父が立ち並ぶ
我が子が一番 お目当ては逃さぬよう 真剣だ
演目の終わりは お決まりの出演者総出の記念写真
舞台の上には 母親たちの手作りの可愛い衣裳で並ぶ子ら
拍手喝采 幕が閉まる

子らの 1年の成長の早さに 圧倒されながら
子の成長の喜びと 保育士への感謝の 特別な時間が 終わった
保育所は 預けるところではない
親と保育士が 共に保育する場であることを
確かめ合う舞台となっていた   


「この子らに~2020年に願う」

この子らのつぶらな瞳が 曇らぬよう
世の中のあしきことを 吹き飛ばしたい
この子らのあふれる笑顔が 引きつらぬよう
世の中のあしき人を 改心させたい
この子らの育ちゆく道が 健やかなるよう
世の中のあしき心を 押しのけたい
この子らの夢ある未来が 揺らがぬよう
世の中のあしき仕組みを 変えていきたい

この子らが 生きる喜びを 豊かに感じるように
世の大人よ あしきものは 体を張って取り除こう
この子らが 生きる希望を 強く抱くように
世の大人よ 最善の努力を 惜しむことなかれ

ハグしてくれる子らの無垢なこころにうつる 世の正義が問われている
ハグしてくれる子らの澄んだ瞳にうつる 己の人生が問われている
この子らは 世の光 人類の希望 宇宙の一命
この子らこそは すべての大人が生きる存在理由

新しい年は この子らのためにあってほしい
新しい年に まだ生きながらえる者たちよ
いのちを張って 子どもらを護ろう
その気概を 今の世に満たさねば あの世には容易に旅立てぬ
いのちを張って 子どもらを慈しもう
その気概を 今の世に満たしてこそ 人生の価値が決まると心得よ


「ふくしとは」

「ふくし」とは
「ふだんの・くらしの・しあわせ」

冬休み 元気に過ごしているかな
給食がないけど 三食きちんと食べている
今日も 子どもだけでお留守番
お母さん 朝から晩まで頑張って働いているんだね
昼ご飯 一人で支度できるようになったんだ
下の子に ちゃんと食べさせなきゃね
偉いぞ

とても寒いね
暖かいかっこうしてるかな
寒い部屋にいないかな
風邪引いていない
えっ 咳してるの 熱はないかい
下の子熱があるから 氷枕で冷やしているのか
病院には 行ってないの
そうだよね 母さん仕事でいないから
お正月だし 病院にも連れて行けないんだね
風邪引いても 買い薬飲んで 我慢して寝るしかないのか
お母さんも心配で 辛いね
何かあったら 連絡できる人はいるのかい
そうか あんまり迷惑かけたくないか
暖かくして やわらかい温かいものと水分だけはとってね
看病してるって 偉いな

今年のお正月も どこも遊びに行けなかったんだね
お年玉を もらうこともなかったんだ
でもなに
お母さんが 新しい服を買ってくれたの
お正月の朝起きたら 枕元に置いてあって
前からほしかった服だから すごくうれしかった
よかったね
お母さん 喜んでくれることが 一番
また頑張って働こうって 元気がでるみたい
今度の休みにその服を着て みんなで買い物に行くって
お母さんと約束したんだ
だから 早く風邪を治してあげたいんだ
やっぱりきみは すごく偉いな

ただね
靴が小さくなって
歩くと少し痛い

ないものねだりせず
わがままもいわず
身を粉にして
いまのくらしを 子どもとまもる
「ふくし」とは 母と子の
「ふだんの・くらしの・しあわせ」づくり


「ペンギンさんのお通りだい!」

可愛いペンギン
冬の日差しを受けながら
でこぼこに一列つながって
朝の散歩に お出かけします
可愛いペンギン
ヨチヨチと 歩く姿はユーモラス
時々止まって 後から続く子を待ちます
目が合いました
幼いつぶらな瞳が 無造作に語りかけます
誘われたように おはようと声かけました

可愛いペンギン
キョトンとした表情を崩さずに
歩き出したそのとき 片手を振ってバイバイ返す
その立ち振る舞いこそ 今日一番の贈り物
こころは何だか 夢心地

可愛いペンギン
色とりどりの防寒具に身を包む 
ヨチヨチ歩く後ろ姿に
こころは無防備 ただただホッコリ 
スベりそうになりながら 元気な一歩踏みしめる
札幌のビルの谷間の風物詩
ペンギンさんのお通りだい!


「噴水に戯れる幼子」

札幌大通公園の噴水が 
夏の暑い日を浴びて
キラキラと 硝子のように屈折する
それを一瞬遮(さえぎ)るように
幼子(おさなご)二人が 影となる

嬉しそうに 池の中で はしゃぐ
風向きが変わり
煌めく飛沫を 顔に浴びて
屈託のない大きな笑い声をあげる
噴水の音は 一瞬に消され
光と水の世界に戯れる㓜子らを
冷たい飛沫が やさしく包み込む

さりげなく幼子のいる夏の風物詩
見守る者たちの 安らぎの時を刻む
風に踊る飛沫は
幼子らに キラキラ世界を夢見させる


「泣く子と寛容」

乳飲みが泣く
大きな声を張りあげて 懸命に泣く
不安の中で 母を呼ぶ
乳がほしくて 母を呼ぶ
おしめが濡れて 母を呼ぶ
かまわれたくて 母を呼ぶ

乳飲み子が泣く
しゃくりあげながら 懸命に訴える
母のぬくもりを探しあて
くしゃくしゃになった泣き顔が
目にいっぱい涙をためた泣き顔が
ほどけ緩んで 笑顔に変わったその一瞬
言葉にならぬ 愛らしい甘えた声に早変わる

周りを気にする若い母
冷たい視線を痛く感じつつ
身を縮めて 辛抱強くあやし続ける
ようやく 二人に安堵の一時が訪れた

コロナ禍で 乳飲み子を連れ歩かねばならぬ母
不要不急の外出自粛が要請されても
家に子どもを置いて 用を足すことなどありえない
コロナ禍で 乳飲み子を連れた母親に
世間は冷たく視線を注ぐ 
コロナ禍で やむにやまれずする外出に
強い不安と恐れをもって 我が子をギュッと抱きしめる

コロナ禍で そんな母子を守りたい
乳飲み子の泣き顔に 元気をもらおう
コロナ禍だからこそ 無事な成長を祈りたい
乳飲み子の泣き顔に 勇気をもらおう
コロナ禍に出会った 母子に言葉をかけよう
乳飲み子の泣き顔に ありがとうと

乳飲み子の泣き声こそが 懸命に生きている証
母子の明日の仕合わせが 約束された日となるように
乳飲み子の泣き顔を しっかりと目に焼き付けたい
コロナ禍に冒された社会に
乳飲み子の泣き顔が 寛容のこころを呼び起こす

この災難に立ち向かう あるべき人の道を指し示す
乳飲み子は 寛容のこころの拠り所
母子もまた 社会とともに
コロナ禍の時代に生きる力を 育てられて強くなる


「バイト漬け」

高校に入ってから
平日3日 土日もシフトをもらい
月3万円ほどの バイト代を稼いだ
楽しみは バイトが終わってから
友だちと携帯でおしゃべりすること
バイト代は 携帯代で消えた
目的は 携帯で友だちと夜遅くまで
おしゃべりすること?
なんだか可笑しい

高校は バイトが禁止されていた
でも 隠れてやった
帰宅部だから 遊ぶ金がほしかった
親には バイトしてることは内緒だった
適当に遊んで 適当に成績も取る
親には 進学すると言ってあるから
それなりに 金の工面もするはず?
それなりの 大学に入れるだろう
なんだか可笑しい

夜22時までしか 働けなかった
2年間 毎日バイトした
母の稼ぎでは 高校止まりだ
懸命に 進学資金を貯める
母には これ以上負担をかけたくない
下にはまだ幼いきょうだいもいる
中学では 部活はできなかった
母がフルタイムで働いていた
だから 保育所の迎えがあった
高校では バイトの合間に 
仲のいい友だちとだべるのが 唯一の楽しみだった

コロナ禍が 生活を一変した
バイトも ままならなくなった
進学資金を貯める計画も 危うい
無理なら卒業後に バイト漬けになって
死に物狂いで 進学資金を貯めよう
1年延びても 夢はあきらめない
夢がなければ 青春はゼロになる
そう腹をくくる


「18歳 躍動せよ!」

18歳 一人前になった?
18歳 ここが節目のスタートライン

盛んな世と人への好奇心を 廃(すた)らすことなかれ
可能性は 自らの夢の実現に向う思いの中にあることを 知るべし
愚直(ぐちょく)な男であることに 頭(こうべ)を垂(た)れることなかれ
ちぐはぐなことが起こっても 決して怯(ひる)むことなかれ
苦労は 自ら望んだがゆえに 乗り越えなければならぬ道と承知せよ
労多くして功少なしことも 覚悟せよ
向き合うは 己を信じる心と わきまえよ
善き行いを常に心がけ 人の痛みに共感する人間力を磨き続けよ
夢に向かうセンスこそ いまを生きる原動力であることを 強く知るべし
目力(めじから)を鍛えよ 見えるものだけを信じる事なかれ
大きな志(こころざし)は 小さな努力を積み重ねの先に叶うと信じよ
いまという刻(とき)を 決してつまらぬことで浪費してはならない
今日為すべき事が はっきり見えていることこそ いまを生きる証なり
世の中の 荒波に身をさらしても 決して卑屈にならず くじけずあきらめることなかれ
生まれたことの喜びと苦しみを 全身に受けとめながら 青春を躍動せよ

18歳 これからの失敗と挫折を 己の器量(うつわ)に入れて 肥(こえ)にしよう
18歳 子どもと大人の中途半端なときから 独り立ちの準備を始めよう
18歳 どうもがいても 避けられない人生の節目に おめでとう


「つながる つなぐ」

あなたとの関係(つながり)が 失われそう
あなたとの距離(あいだ)が 遠のきそう
あなたとの信頼(こころ)が 壊れていきそう
だから 希望という名の種を蒔きました

明日が 変わろうとしています
昨日の今日では ありません
今日も変わってゆく 〈いま〉なのです
でも 希望という名の芽が出てきました

いのちが おびやかされています
暮らしが 崩れそうです
仕事も なくなりました
それでも 希望という名の根を 枯らしてはなりません

あなたとつながること
あなたをつなげること
あなたがひとりぼっちにならぬよう
希望という名の蕾を 一緒に見たいのです

辛い絶望の先に見える 希望という名の花
あなたとあなた そしてあなたも
あきらめず くじけず 信じて
つながって つないで
希望という名の花を 咲かせましょう

生きたいというおもいの先にある 希望という名の花
あなたとあなた そしてあなたも 
明日がどんなに変わろうとも
つながって つないで 
希望という名の花を 咲かせましょう

必ずいつか 一人ひとりの人生(くらし)に
希望という名の花が 咲きほころぶ日がきます


「バラード/この子よい子だ」

この子泣くなよ
わが身がつらい
この子笑えば
救われる

この子よい子だ
泣きたいときは
涙ためながら
笑(え)み返す

この子のこころよ
ただすこやかに
貧しいながらも
母ごころ

この子と一緒に
歩いて行こう
運命(さだめ)に負けぬと
抱きしめる

この子よい子だ
こころやさしい
つぶらな瞳に
宿る意思

この子見る夢
叶えておくれ
境遇(さだめ)を乗り越え
咲く 明日


「バラード/男の子守唄」

母をなくした
この子が不憫(ふびん)
父の背中で
だはんこく(ぐずる)

この子よく泣く
なんとしようもない
母を慕いて
求め泣く

働き疲れて
子を抱しめる
今宵もまたかと
気が滅入る

ようやく寝付いた
かわいい寝顔
鼻水たらして
泣き疲れ

母の残り香
嗅ぐ子に添って
メロディーあやしき
子守唄


「バラード/夕餉(ゆうげ)」

下の子見ながら
夕餉の支度
今宵も遅いと
電話きた

疲れた身体を
引きずりながら
灯りし窓辺に
子を想う

待ちくたびれてた
二人の声に
応える「ただいま」
弾む声

この子の手料理
つたない味も
こころこめられて
舌鼓

下の子しつけも
この子のおかげ
泣かずに待ちます
お利口さん

小さな仕合わせ
味わうここは
ぬくもりあふれて
夢語る

食卓囲んで
おしゃべり弾む
寄り添い生きます
母と子と


「君だけのうた」

君だけの うたがある
哀しいときに
ふと口ずさむ うたがある
耐え忍ぶときに
嗚咽(おえつ)を堪(こら)える うたがある
懐かしむときに
涙枯れる うたがある

君だけに 響くうたがある
辛くて逃げ出したいときに
踏みとどまる うたがある
不安にかられたときに
払いのける うたがある
悔いるしかないときに
立ち上がり歩きだす うたがある

誰かと 歌えるうたがある
嬉しいときに
こころも踊る うたがある
愛を確かめるときに
勇気をもらう うたがある
仕合わせなときに
わかちあう うたがある

君にしかわからぬ うたがある
人生を噛みしめる 
苦くて甘い うたがある
人生の迷いを晴らす 
目覚めに誘(いざな)う うたがある
人生を彩る 
こころ模様が刻まれた うたがある
人生に希望をもたらす 
意気に感じて動く うたがある

君だけのうたとともに
君は 明日を生きる

罪を犯し顔

子を放置し 死なせた母は 
どんな顔して 男と情を交わしていたのであろう
子を橋上から 川に投げ下ろした母は 
どんな顔して 最期の子の顔を見送ったのであろう
父親からの虐待に 子を守れぬ母は
どんな顔して いのち尽きるまで見ていたのであろう
母と子が そこに至るまでの背景と葛藤は知るよしもない
真実の一端は 裁判で明かさていく

シャボン玉のように 風に吹かれて消える幼きいのち
天災と飢餓で間引きされたいのちは 暗黒の歴史に刻まれた
間引きした母には まだ情があったやもしれぬ
餓死させる 水死させる なぶり殺す
ここには 残忍で明確な殺人者の顔がある
人を殺すことが 大罪ならば
子殺しの罪を償う母は 一生嘖(さいな)まれるだろう

権力者への忠信を誓えし者たちの罪は
自死に追いやろうと 大罪よりも軽いのか
栄転と退職後のポストと引き換えに 抗弁し負い目をかぶる
社会病質人格障害者と 姪に診断されたトランプに
憧れ抱く日本の為政者は
検察庁を牛耳れば 河井夫妻の一件はもみ消せた

罪を他人に被せ 己の罪はなきものと 
おもう者こそ 卑劣で罪深き者なり
被(かぶ)りし罪を お咎(とが)めなしに逃れる者こそ
大いなる貢献を果たした者と 悪魔は笑う
専制支配に挑む者たちの よからぬ企みは 
絶えることなく 謀(はか)られる

罪を犯し者の顔は 
なぜああも醜いのだろうか
罪をかばいし者の顔は 
なぜああも醜くなるのだろうか

〔2020年7月11日書き下ろし。専制君子になりたい者たちが、民主主義という制度と法を巧みに操り、国民を隷従させる〕

付記
トランプ氏元顧問の刑免除は「歴史的腐敗」、共和党議員が批判
ドナルド・トランプ米大統領が、自身の顧問を長年務めたロジャー・ストーン元被告(67)の刑を免除したことを受け、共和党のミット・ロムニー上院議員は11日、ツイッターへの投稿で「前代未聞の歴史的腐敗」と批判した。同党の所属議員がトランプ氏に批判の声を上げるのは異例。
2016年大統領選におけるロシア介入疑惑をめぐってストーン元被告は、証人に対する不当圧力や下院による調査の妨害など7件の罪で有罪判決を受け、14日から禁錮3年4月の刑に服す予定だった。
トランプ氏の弾劾裁判の投票では共和党議員として唯一賛成票を投じ、同氏を激怒させたロムニー氏は、11日にも一切手加減せず、「前代未聞の歴史的腐敗:米国の大統領は、まさにその大統領を守るためにうそをついたことで有罪判決を受けた人物の刑を免除した」とツイートした。
トランプ氏に対し単刀直入な非難をしたことで、ロムニー氏はこの問題に対して口を閉ざし続ける多くの共和党議員らと一線を画した一方、トランプ氏に対して一斉に非難を浴びせる民主党議員らと足並みをそろえる形となった。
2012年の大統領選で共和党の指名候補だったロムニー氏は、弾劾裁判での投票をめぐって共和党の一部議員から忌避されている。
トランプ氏の長男であるドナルド・トランプ・ジュニア氏は、ロムニー氏を共和党から「追放」するよう訴えていた。(2020年7月10日AFP=時事)

イエスマンの叛逆(はんぎゃく)

そうとおくないむかし あるところに
イエスマンがおりました
とても自分のことが大好きな
王さま気取りの男に 仕えていました

男は とても人の目を気にかけました
男は いつも人の悪口を気にかけました
男は しきりに人の評判を気にかけました

男は イエスマンを呼びつけました
「おい俺の評判はどうだ?」
「とても悪いです」
男は その言葉を聞くと
すぐに首にしました
男は 別のイエスマンを呼び出しました
「おい俺の評判はどうだ?」
「すこぶる完璧で非の打ちどころがないくらい…」
男は その言葉をさえぎり
すぐに首にしました
男は 別のイエスマンを呼び寄せました
「おい俺の評判はどうだ?」
「よろしいです」
男は 満足げにうなずきました

男は 単純に
「イエス」だけが聞きたかっただけなのです
男は 単純に
「イエス」と応じる者がいればよかっただけなのです
男は 単純に
「イエス」としか言わないイエスマンをそばに置いただけなのです

世の中に イエスマンがはびこりました
男は とても不安になりました
男は とても疑り深くなりました
男は 疑わしいみんなの首を…切りました
イエスとしか言えなかったイエスマンたちが
恐怖心を棄てて立ち上がり 男を葬りました
男は 最期に聞きました 
「俺の評判は ほんとは悪かったのか?」
イエスマンだった者たちは一斉に
「イエス!」と 歓喜の声で叫びました

〔2020年7月10日書き下ろし。そこは中国、ロシア、米国、日本?でしょうか。イエスマンしか求めない者たちの凋落をかたく信じます。〕

恨み雨

強く強く
何度も何度も
暮らしをたたく
大地をたたく

山は崩れ 谷川は激流となり走る
雨水を集めた河は 唸るように濁流となる
大量の泥水は 堤防を難なく壊し 
里に流れ込み 情け容赦なく襲う

濁流は 家や田畑を水浸しにし 
家に残りし者と車で逃げし者の命を 非情に奪う
濁流は 河岸を崩し 橋を落とし家々を落とす
崩れた山は 道を塞ぎ家々を潰し 命を無情に奪う

雨音が去り 水が引いた街は 
流木と土砂と泥が 一帯に広がる
暮らしの残骸が いたるところに散在し 
車は動かすこともできず放置された

残りし者は 家の片付けに手を付けた
水に浸かった愛着のある物を外に出す
重い畳みを剥がし 床下の泥を掻き出す
空っぽになってゆく家
空っぽになりそうな気持ちを 奮い立たせて
いまは無心に作業する
気を紛らわすことしか 喪失感から逃れるすべはない

恨み雨が 誰もいなくなった家をたたく
恨み雨は ただただ降り続け 悲嘆の声をかき消す
恨み雨は またどこかの街と人を 恐怖におののかせる

〔2020年7月11日書き下ろし。自然にあらがえない事実を受け入れ、立ち直る人々の生活力の強さをいつも感じる。ただただ無事を祈る〕

鬼ごっこ

鬼ごっこしてる
蜘蛛の子を散らしたかのように 逃げる鬼
鬼の鬼は十数えて 鬼を追い回した
大の大人の鬼たちは 童心にかえったように 
キャアキャアと楽しげに 逃げ回る

人間たちは 木陰に隠れてじっと見ていた
人間たちは 入れてもらえなかった
人間たちは 次の鬼が知りたかった

鬼ごっこは 続いた
まだ1年以上も 続けなければならなかった
鬼の鬼は 本心飽き飽きていた
鬼の鬼は すぐにでも誰かにタッチしたかった
鬼の鬼は コロナ疲れで嫌気がさしていた

鬼ごっこは まだ続く
タッチしたくない鬼が 人間たちの人気をさらっている
タッチしたい鬼は 鬼徳はあるが鬼の鬼になるには線が細い
タッチしたくもない鬼が 媚を売るように目配せする

鬼界の鬼の 鬼ごっこ
人間たちは 退屈しのぎに ただ見てる
奇怪な鬼の 鬼ごっこ
人間たちの世界を牛耳る次の鬼決め ただ見てる 
異界の鬼の 鬼ごっこ
人間たちは 老いて動けぬ鬼を ただ見てる

追っかける鬼の望みは ただひとつ
真っ赤な嘘を 平然とつけること
えっ みんな鬼の鬼になっちゃうって?
それじゃ 誰を選んでも構わない!
鬼の悩みは まだ当分続く 
鬼ごっこも しばらくは終わらない

鬼界の鬼の 鬼ごっこ
人間世界を嘲(あざけ)りながら 
コロナ禍だろうが
自然災害起ころうが
キャアキャアと いまを愉しむ

〔2020年7月9日書き下ろし。次の鬼は誰か? 誰の手にタッチするのやら、鬼は怖い〕

千載一遇の悪機

7日札幌でひとりだけ 新型コロナ感染者が出た
夜都内の接待を伴う店で 感染したかは不明
死活に関わり リスクを覚悟で働く人たち
新宿歌舞伎町や池袋の街は クラスターに晒(さら)される 

新型コロナの
予想できない強い感染力
どこにいるのかあなどれない潜伏力
ウイルスの運び人に仕立てる拡散力

感染者が 増えてゆく
移動の制限が 取り沙汰される
経済的な損害は 小さくない
心理的なウェルビーイングが 損なわれ 
さらに社会的なつながりが 失われる

感染は 出会い頭に瞬時にやられる
千載一遇の悪機に ただ平伏するしかない
くしゃみで飛散するウイルスを感知する
ウイルス感知センサーでもあれば
事前に危険を察知して ガードできるのに
夢の夢物語

いまは 行動制限の期間だと心して
気を引き締めるしか 取る術(すべ)はない
感染者は 身をもってリスクを知らせる
今夏の梅雨前線が 無慈悲にもたらす水害の 
後にくるかもしれない
第2波 第3波の流行に備えて
心緩ますことなく 
ウェルビーイングをめざして 万全を期すしかない 

※ウェルビーイング(well-being):健康で幸福な状態。良好な状態。満足の行く状態。

[2020年7月8日書き下ろし。コロナ下で梅雨前線が大暴れしている。ダブルで気を緩ますことなく、自他の身を守ってほしい]

いままでというバイアス

濁流に飲まれし命 ただただ無念
天災と諦めきれぬ思い ただただ無情
被災地の無惨な爪跡 ただただ憮然(ぶぜん)

天気予報の確率を 誰が咎(とが)めよう
命の存亡に関わる 気候の急激な変動
ハイレベルのコンピューターを駆使しても
読み切れない事態が 現実そのもの
毎年繰り返される
五十年に一度 百年に一度の枕詞は 何の意味もない

毎年 降水と被害記録は更新中
毎年 被災地を変更中
毎年 予測不能は継続中

頼れるのは 現代科学の粋を集めたコンピュータシステム
その分析能力と 人間の叡智で導き出す気象予報
たとえ外れても 気象庁への信頼は 揺らぐことなど心配無用
ただ 切羽詰まった警報発令前に 
迅速に動くしか 防ぐ手立てはない

〈いままで〉こんなに水が出たことはない
経験知が 避難を躊躇させる
経験知が 安心のバイアスをかける
経験知の 根強い思い込みを棄てよう
最悪の想像をして 動くしか命は守れない
最悪の想像をして 逃げる支度をしておこう
最悪の事態を逃れたら それに越したことはない

〈いままで〉に縛られず 最悪の事態を想定した
直感に従う勇気も いま必要かもしれない

※バイアス(bias):考え方や意見の偏り。偏向。

〔2020年7月8日書き下ろし。想定外の水害、避難誘導のタイミングが今回も問われている。〈いままで〉というバイアスを解き放したい。台風シーズンはまだである〕