「まちづくりと市民福祉教育」カテゴリーアーカイブ

阪野 貢/地域を知り・地域に学び・地域を創り拓く「地域学」と「地域協働教育」 ―山下祐介著『地域学入門』読後メモ―

〇筆者(阪野)の手もとにいま、山下祐介(やました・ゆうすけ。社会学専攻)の『地域学入門』(ちくま新書、2021年9月。以下[1])と『地域学をはじめよう』(岩波ジュニア新書、2020年12月。以下[2])という本がある。山下というと、『限界集落の真実―過疎の村は消えるか?』 (ちくま新書、2012年1月)や『地方消滅の罠―「増田レポート」と人口減少社会の正体』(ちくま新書、2014年12月)を思い出す。
〇人口の高齢化によって「限界集落」はいずれ消滅する(注①)、とその危機が声高に叫ばれるようになったのは2007年頃からである。そして、2014年5月、民間の政策提言組織である日本創成会議・人口減少問題検討分科会(座長・増田寛也)が、減少する若年女性人口の予測から、「2040年までに全国約1800の自治体のうち、そのほぼ半数の896の自治体が消滅する可能性がある」と発表した。いわゆる「増田レポート」である。とりわけ「消滅可能性都市」という言葉は衝撃的であり、大きな波紋を呼んだ。「消滅する」と名指しされた市町村やそこで暮らす人々の不安や恐怖、そして怒りは相当なものであった。
〇そうしたなかで山下は、「高齢化によって消滅した集落」はなく、「限界集落」問題はいわば「つくられた」ものである。増田レポートが説く「極点社会」(大都市圏に人々が凝集し、高密度のなかで生活している社会)におけるひとつの道筋である「選択と集中」は、国家の繁栄のために地方(地域)や農家の切り捨てに帰結する。地方消滅の“警鐘”にこそ地方消滅の“罠”がある、としてそのレポートの「うそ」を暴いた。以後、山下は、生身の人間の暮らしや個々の地域の歴史や現在の実像を明らかにし、そこからの学びの作業を通して「(山下)地域学」を描いてきた。[1] はその集大成である。
〇山下にあっては、地域は人間の生存の基盤であり、「足もとの地域を知ることが、自分を知ることにつながる」。自分の足下にある地域について学ぶこと、それが「地域学」である([1]11ページ)。そこで山下は、地域の実像を、「生命」「社会」「歴史と文化」の3つの切り口(側面)から捉える。「生命」では、環境社会学の視点(視座)から、地域を、一定の環境のなかで育まれる生命の営み(生態)として切り出す。「社会」では、農村社会学や都市社会学、家族社会学の視点から、地域を、そこで展開される人々の集団の営みとして描き出す。「歴史と文化」では、歴史社会学や文化社会学などの視点から、地域を、連綿と続く歴史と文化の蓄積の営みのなかに見出す([1]11ページ)。
〇そして、日本社会はいま、人々の暮らしや地域が「近代化」(「西欧化」)や「グローバル化」によって大きく変容し、「地域の殻が内側からも、外側からも、崩壊する間際にある」([1]300ページ)。そうした「地域を見直し、新たな国家とのハイブリッドとして再生させる」ための「認識運動」([1]301ページ)として山下は、「地域学」を構想する。それは、「地域の殻が破られはじめている」流れに抗(あらが)い、新しい未来を拓(ひら)く「抵抗としての地域学」([1]302ページ)であり、「生きる場の哲学」([1]308ページ)そのものである。
〇[2]は、「中高生、大学初級者向けのもので、『地域学入門』のさらなる導入編」([1]22ページ)である。そこでは、「どの地域にも固有の歴史や文化があり、人々の営みがある。それらを知っていくことで、地域の豊かさ、そして自分や自分が生きる社会、そして未来が見えてくる」(カバー紹介文)として、地域学の魅力を伝える。
〇「地域学」の類似用語に「地元学」がある。地元学を提唱する2人の言説を紹介しておきたい。まずは地元学を代表するひとりである結城登美雄(ゆうき・とみお。民族研究家)のそれである。結城は、「いたずらに格差を嘆き、都市にくらべて『ないものねだり』の愚痴をこぼすより、この土地を楽しく生きるための『あるもの探し』。それを私はひそかに『地元学』と呼んでいる。(中略)『地元学』は都市やグローバリズムへの否定の学ではない。自然とともに生きるローカルな暮らしの肯定の学でありたい」(結城登美雄『地元学からの出発―この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける』農山漁村文化協会、2009年11月、2ページ)と説く。結城にあっては、地元学は、「理念や抽象の学ではない。地元の暮らしに寄り添う具体の学」(14ページ)であり、その土地の人びとの声に耳を傾け、そこを生きる人びとの暮らし方や地域のありようを学ぶものである。「美しい村などはじめからあったわけではない。美しく生きようとする村人がいて、村は美しくなるのである」(柳田邦国男)。(下記[3]28ページ)
〇また、地元学のもうひとりの第一人者である吉本哲郎(よしもと・てつろう。地元学ネットワーク主宰)は、「地域のもつ人と自然の力、文化や産業の力に気づき、(それを)引き出していく手法が地域学である」(カバー紹介文)。「自分たちであるもの(モノ、コト、ヒト)を調べ、考え、あるものを新しく組み合わせる力を身につけて(人、地域の自然、経済の3つの)元気をつくることが地元学の目的である」(17、22、38ページ)という。吉本にあっては、暮らしを「つくることを楽しむ」ことが大事であり(32ページ)、地域やまちの衰退は「つくる力」の衰退に起因するものである。その「つくる力」の衰退は、「考える力」の衰退であり、「調べる力」の衰退である(22、23ページ)。
〇ここで、[1] から、また例によって我田引水の誹(そし)りを免(まぬが)れないであろうことを承知のうえで、山下の「地域学」に関する論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「地域」は、固定化された空間ではなく、「私」の立場やものの見方・考え方によって認識される
「地域」はそもそも、誰かが世界の一部を切り取ることによって浮かび上がってくるものである。/何かを切り取らないと地域は出てこない(地域は境界性をもつ)。そして、その「切り取り方」にも色んなやり方があって、それは文脈にもよれば、時代によっても違う(地域は文化性・歴史性をもつ)。/そもそも世界のすべてはつながっている。どこかで切れ切れになっていて、「地域」がきれいに分かれているなどということはない。すべてはつながっているのだが、そのつながっているもののなかから、何らかの固まりを切り出してきたときに「地域」は立ち現れる。しかもそれが、全体の一部でありながら決して断片ではなく、それのみでなお一つの全体でありうるもの、それが地域である(地域は統一性・総合性をもつ)。(13ページ)/「地域」は、互いにつながりあっている世界の中から、何らかの固まりを見つけ、切り出してくる者がいるから「地域」になるのである。地域はだから、その「切り出してくる者」の立場やものの見方によって変わる。その者の見方がしっかりしていれば地域はしっかり示される。逆にその者の見方がぼんやりとしていれば、地域はぼんやりとしか見えないことになる。(13~14ページ)

「地域」という存在を欠き、国家と個人しかない認識は、危うい認識であり生き方である
いまや国民の多くは、空間的にも時間的にも、また暮らしにおいても仕事においても地域から切り離されて存立しており、地域を見出すどころか、地域とできるだけ無縁なまま暮らしている。/多くの人にとっては、日常の中に「地域」を認識しづらい状況にあり、宙ぶらりんな社会の中で、個人が国家やグローバル市場にだけ向き合って暮らしているかのような錯覚が、むしろ一般的な認識となってしまった。/実にちっぽけな一人一人の人間が、実に大きな装置の中で生きるようになっている。暮らしを成り立たせている環境が、広く際限のないものになっている。/こうした装置(や環境)を実際に保持し、また動かしているのは地域である。それは具体的には地方自治体であり、様々な事業体の集積であり、地域社会(村や町内社会)の形をとる。国はただ、これらが作動する条件を整えるのにすぎない。(286ページ)/いまを生きる私たちは、こうした地域のありようを想像力を働かせて再認識せれば、いったい自分がどんな基盤の上にいるのか、まったく気付かないような環境の中に暮らしている。それどころか、一部の人々の視野にはすでに地域は存在せず、国家と個人しかない認識さえ確立されているようだ。だがそれは、すべてを国家に委ね、依存するしかないという危うい認識である。自分がどのように生きているのかもわからぬままただ生きているとすれば、これほど危うい生き方はない。私たちは地域を知るきっかけを取り戻さなくてはならない。(286~287ページ)

専制主義国家であり、民主主義国家でない日本社会を変革するのは、「地域主義」(地域ナショナリズム)である
弱者批判や地方切り捨て、国家の高度武装化、トップの専横の容認や全体主義の礼賛といった言説が、政治学者でも政治家でもないふつうの人々の間で展開されている。そこではどうも、この国の挙国一致体制をさらに進めてより完全なものとし、海外との経済競争に打ち勝つべくしっかりとした体制を整えよという主張さえ広がっているようだ。/国家というものは、具体的には下から、国民や地域の現実の力によってはじめて作られていくものである。排除や分裂を伴う(自分の内部にあるものを否定し、その一部を排斥する)国家は危うい。(295ページ)/個人主義の中から立ち現れるナショナリズム(nationalism、国家主義)に対して、むしろ個人主義をさらに強く推し進めることで国家そのものを否定していこうという、コスモポリタニズム(cosmopolitanism、世界市民主義)の立場も表明されている。この超個人主義=脱国家主義的なコスモポリタニズムははたして、ナショナリズムを解消し、国家のない世の中をつくる適切な道筋になるのだろうか。(296ページ)/敵国と自国との差異だけを強調し、個人と国家の関係のみを際立たせる国民国家ナショナリズムの思考法には根本的な欠陥が潜んでいる。他方でそれをコスモポリタニズムによって解消しようとしても、それで問題が解決するものでもない。国家ナショナリズムにも、コスモポリタニズムにも、どちらにも大切なものが欠けている。(297ページ)/それは地域である。危険な一国ナショナリズムに対抗できるのは、コスモポリタニズムではなく、その内部に確立される地域主義――地域ナショナリズム――である。(297~298ページ)

地域の人材を育てること、「地域教育」は学校の持つ大切な役割である
学校はそもそも地域のためのものではなく、国家のために必要な人材をつくる機関として設立された。そしていま国家が必要としているのは、この国が苛烈な国際競争を勝ち抜くのに必要な経済力・生産力を実現する人材である。学校教育は、地域教育などのためではない。この国の国際競争力を、人材育成という場から高めるために、一丸となって敵(海外の企業群)に立ち向かうためである。子供たちには、地域の人間であるよりは国家人として、さらには国際人・コスモポリタン(世界主義者)として育つことが強く求められている。(287~288ページ)/学校は外向きにだけではなく内向きに、すなわち国内の運営バランスを実現するために、子供たちを適切に教育して各所に配置する装置でなければならない。そのためにも、一人一人が自分の人生の調整を自ら適切に実現できるよう、人としての成熟をうながすものであるべきだ。私たちの暮らしはいまも地域と国家の両方でできている。地域の人材を育てることは、学校の持つ大切な役割である。だが、現実には近年、国家だけが尊重され、地域が極度に軽視されてきた。(288ページ)/学校が今後とも地域を継承する人材を育てる場であるのか、それとも地域と子供たちのつながりを断ち、国家や国際社会対応の人材供給の場になるのか、私たちはその分岐点にいる。(249ページ)

〇山下にあっては、「地域学」は抽象的な言語や普遍的な理論を学ぶものではなく、具体的な時空にいる「私」を地域のうちに“生きているもの”として浮かび上がらせ、見定めていく、そんな学びの作業である([1]16ページ)。また、私たちの暮らしや、身近な地域と国家と世界が大きく変容するなかで、その変化に対応するための最低限の認識法が「地域学」である([1]309ページ)。その認識の視点や言説のひとつが、上記のメモである。
〇筆者(阪野)の手もとにもう一冊、柳原邦光(やなぎはら・くにみつ。フランス近代史専攻)ほか編著の『地域学入門―<つながり>をとりもどす』(ミネルヴァ書房、2011年4月。以下[3])という本がある。[3]は、「地域を考える」「地域をとらえる」「地域をとりもどす」という3部構成から成っている。柳原によるとそれは、「地域」をめぐる今日の困難や課題の現状を打開するための「希望の学」として「地域学」を構想するものである。すなわち、「地域学」は、地域課題をたちどころに解決するための処方箋を提示するものではなく、「現代の諸課題の根底にある問題性を探り出し、そこから諸課題をとらえ直して、未来を考えようとする」ものである([3]2ページ)。
〇いずれにしろ、「地域学」は、日本学術会議(地域学研究専門委員会)が2000年6月に報告した「地域学の推進の必要性についての提言」(注②)などにあるように、その研究や実践の必要性は認識されていよう。しかし、その理論化や体系化はまだ緒についたばかりであろうか。筆者としては、とりわけ「実践の学」としての「地域学」に注目したい。それは、「市民福祉教育(学)」と同様に、すでに地域で展開されているさまざまな実践や、そこから生まれる新たな知見に多くを学びたいからである。
〇ところで、「地域学」の必要性は、大学に設置されている学部名からも知ることができる。大学で「地域」を最も早く学部名に取り入れたのは1996年10月に設置された、岐阜大学の「地域科学部」(1997年度開設)である。その後、鳥取大学の「教育地域科学部」(1999年度開設。2004年度「地域学部」に改組)、金沢大学の「人間社会学域・地域創造学類」(2008年度開設)などが設置され、2015年度には高知大学に「地域協働学部」が開設されている。以後、国公立大学や私立大学でいわゆる「地域系学部・学科」の新設が続き、「地域学」が大学教育の場に普及する。
〇高知大学地域協働学部の目的は、「地域力を学生の学びと成長に活かし、学生力を地域の再生と発展に活かす教育研究を推進することで、『地域活性化の中核的拠点』としての役割を果たす」ことにある。そこでは、「地域協働教育」を通じて、地域資源を活かした6次産業化を推進してニュービジネスを創造できる「6次産業化人」や、「産業、行政、生活・文化の各分野における地域協働リーダー」の育成が図られている(高知大学地域協働学部ホームページ)。
〇高知大学地域協働学部では、「地域志向教育」あるいは「地域協働教育」を通して、「地域協働マネジメント力」の育成をめざしている。「地域協働マネジメント力」は3つの能力によって構成される。(1)「地域理解力」、(2)「企画立案力」、(3)「協働実践力」がそれである。(1)「地域理解力」は「地域の産業及び生活・文化に関する専門知識を活用して、多様な地域の特性を理解し、資源を発見できる力」と定義される。その能力を構成するのは、「状況把握力」「共感力」「情報収集・分析力」「関係性理解力」「論理的思考力」である。(2)「企画立案力」は「課題を発見・分析し、解決するための方策を立案し、その成果を客観的に評価する能力」と定義される。その能力を構成するのは、「地域課題探究力」「発想力」「商品開発力」「事業開発力」「事業計画力」「事業評価改善力」である。(3)「協働実践力」は「多様な人や組織を巻き込み、互いの価値観を尊重しながら、参加者や社会にとっての新しい価値を生み出す活動をリードする力」と定義される。その能力を構成するのは、「コミュニケーション力」「行動持続力」「リーダーシップ」「学習プロセス構築力」「ファシリテーション能力」である(注③)。これらの諸能力やその見方・考え方については、「まちづくりと市民福祉教育」に関するそれに通底するものでもあり、参考になろう。留意したい。
〇なお、高知大学地域協働学部がいう「地域志向教育」とは、「地域課題の解決や地域の再生、発展を目的とした教育」(下記注③、25ページ)である。[3]で取り上げられている「地域協働教育」は、「大学が教育面で地域に協力を仰ぐ地域連携教育から地域との関係を一歩進め、大学が地域と協働で学生の教育と学生参加の地域づくり活動を行うもの」。「生活に根ざして学問的知識や方法論を駆使することを会得した地域づくりの人材を大学と地域が一緒に養成していく」教育をいう(藤井正「地域に向き合う大学」[3]292、293ページ)。付記しておく。


① 周知の通り、「限界集落」という用語は、高知大学人文学部教授であった大野晃(おおの・あきら。社会学専攻)が1980年代後半から提唱してきた概念である。大野にあっては、「限界集落」は「65歳以上の高齢者が集落人口の半数を超え,冠婚葬祭をはじめ田役,道役などの社会的共同生活の維持が困難な状態に置かれている集落」をいう(大野晃『限界集落と地域再生』静岡新聞社、2008年11月、1ページ)。その点をめぐって山下は、「限界集落」問題はいわば「つくられた問題」としての色彩が強かったとして、次のように述べている。「『限界集落』の語をつくって注意喚起しようとした提唱者の意図に反し、その後の議論は、集落消滅を避けられない既定路線であるかのように取り扱っていった」。「『地方消滅』や『自治体消滅』は起きない」(山下祐介『地方消滅の罠』290~291ページ)。
② 日本学術会議の「提言」では、「地域学は、もっとも広義の『地域にかかわる研究』を指すものである。 現地研究(フィールド科学)に根ざして人文科学・社会科学・自然科学を統合的、俯瞰的に再編成しようとする学問的営為を、地域学と呼ぶ」。また、「提言」では、現地研究に根ざした基礎研究としての「地域学」の展開が必要とされている理由について、次の2点を指摘している。

1)わが国は明治以来、世界諸地域を相手どってそのおのおのを総合的にとらえようとする基礎研究としての地域学構築の地道な努力を十分にしないまま、いわば学理・学説としてのディシプリン(学術専門分野:阪野)だけを欧米から輸入してきた。そのために、わが国の学術専門分野は、とかく欧米の理論を追いかけるものとなってしまった面があることは否定できない。あらためて今日、もっとも基礎的な現地研究に立ち戻り、現地研究に立脚した学問を創り出す努力が必要になってきている。現地研究という「地を這う」ような地道な作業を経ないかぎり、しっかりした骨格をそなえる学問体系の構築は望めない。
2)従来の専門分化したディシプリンにしがみついているだけでは、あるいはまた、そのいくつかを寄せ集めてみる程度では、現在の世界の趨勢を的確に把握することができないばかりか、目前に危機的に発生している問題に対処し、それを解決することがむずかしくなっている。地球環境・生態系の破壊をいかにくい止めるか、世界的規模で公正をいかに実現するか、そして持続可能性・世代継承性に裏付けられた発展の道筋をいかに発見するか、など、人類的課題がつよく自覚されるなかで、水、食料、健康、人口、エネルギー、ライフスタイル、経済システム、価値観、教育、情報秩序、参加とパートナーシップ、民主主義、その他ありとあらゆる問題への取り組みが、何をとってみても、知識の統合を要求するとともに、これを具体的な場所に根ざした地域学として実現することを必須のものとしている。

③ 湊邦夫・玉里恵美子・辻田宏・中澤純治「地域協働教育への学生の意識~地域協働学部第1期生調査の結果から~」『高知大学教育研究論集』第20巻、2016年3月、25~33ページ。本稿では、高知大学地域協働学部第1期生(67名)を対象に、2015年4月に実施した調査の結果を事例として、「地域志向教育」を行う学部を選択した学生の学部教育に対する意識と将来像 について検討している。

補遺
高知大学地域協働学部第1期生調査にみる「地域協働マネジメント力」の(1)「地域理解力」、(2)「企画立案力」、(3)「協働実践力」の各構成能力について理解するために、各調査項目の質問文を紹介しておくことにする。その回答の選択肢は、「あてはまる」「どちらかといえばあてはまる」「どちらかといえばあてはまらない」「あてはまらない」の4つである。
(1)「地域理解力」
「状況把握力」
・身の回りの現状を客観的に理解して説明する方である
「共感力」
・人の話に興味を持ち、積極的に聴こうとする方である
「情報収集・分析力」
・起こった出来事や課題について理解するために、必要な情報を集めて整理しようとする方である
「関係性理解力」
・さまざまな出来事のつながりを理解しようとする方である
「論理的思考力」
・問題が起きたときに、すぐに結論を出すよりも、なぜそれが起きたのかを筋道を立てて考える方である
(2)「企画立案力」
「地域課題探究力」
・身近な地域の課題を発見し、その課題に取り組むことができる
「発想力」
・課題に対して取り組むための新しい方法を考えるのが好きである
「商品開発力」
・特産品を使って商品化することに関心がある
「事業開発力」
・自分でアイディアを思いつき、そのアイディアに基づいてイベントや事業を始めることに関心がある
「事業計画力」
・課題を解決するために必要な行動をリストアップして、その順序を決めることに関心がある
「事業評価改善力」
・自分の行動を振り返り、良い点と悪い点を見つけ出して次の行動に生かすことができる
(3)「協働実践力」
「コミュニケーション力」
・人の話を最後まで聞いてから、自分の話を始めることができる
・相手が自分の話を理解できるように話すことができる
「行動持続力」
・自分で決めたことは最後までやり通す
「リーダーシップ」
・グループにとって必要なことを自ら進んで実行することができる
・自分が提案した計画や企画を、他の人々に参加してもらいながら実現することができる
「学習プロセス構築力」
・授業時間以外にも、自分で計画を立てて学習することができる
「ファシリテーション能力」
・考えが違う相手と話し合いながら合意点を探ることができる

阪野 貢/「共生保障」としての「まちづくりと市民福祉教育」を考えるために ―宮本太郎著『共生保障』再読メモ―

〇筆者の手もとにいま、宮本太郎(みやもと・たろう。政治学・福祉政策論専攻)の本が2冊ある。『生活保障―排除しない社会へ―』(岩波新書、2009年11月。以下[1])と『共生保障―<支え合い>の戦略―』(岩波新書、2017年1月。以下[2])がそれである。[1]は、人々の生活は雇用と社会保障がうまくかみあってこそ成立するという前提に立つ。そして、雇用と社会保障を包括する「生活保障」という視点から、日本と各国の雇用と社会保障の連携を比較分析し、ベーシックインカムやアクティベーション(活性化)などの諸議論にも触れながら、日本で生活保障システムがどのように再構築されるべきかを論じる。その際、所得保障だけではなく、大多数の人が就労でき、あるいは社会に参加できる「排除しない社会」のかたちを問う。とともに、そうした社会を実現するために必要な「生きる場」(人々が誰かにその存在が「承認」されていることで、生きる意味と張り合いを見出すことができる場)が確保される生活保障のあり方について考える。なお、ベーシックインカムとは、就労や所得を考慮せずにすべての国民に一律に一定水準の現金給付を行なう考え方である。アクティベーションとは、雇用と社会保障の連携強化を図り、社会保障給付の条件として就労や積極的な求職活動を求める考え方である。
〇[2]は、[1]の延長に位置づけられ、生活保障の新しいビジョンとして「共生保障」を提示する。本稿は[2]の(限定的な)再読メモである。宮本はいう。旧来の日本型生活保障は、現役世代の「支える側」(「強い個人」)と高齢者・障がい者・困窮者などの「支えられる側」(「弱い個人」)を過度に峻別してきた。そして、双方の生活様式を固定化し、「支えられる側」を一定の基準によって絞り込みながら、 社会保障・社会福祉の支出を医療や介護などの人生後半に集中させてきた(「人生後半の社会保障」)。ところがいま、高齢世代や子育て世代、非正規や単身の現役世代を中心に、生活困窮・孤立・健康などの様々な問題を、しかもそれらを複合的に抱える事態・状況が拡大・深刻化している。そこで、「支える側」と「支えられる側」という二分法から脱却し、生活保障の新しいビジョンとして、(すべての人の福祉ニーズに応える)普遍主義的な「共生保障」の制度や政策を構築する必要がある(「補遺」参照)。これが[2]における宮本の問題意識であり、議論(提唱)である。その際宮本は、「共生保障」は、地域における人々の「支え合い」を可能にするよう、「地域からの問題提起を受けとめつつ、社会保障改革の新たな方向付けにつなげる枠組みである」(48ページ)という。
〇宮本は、「共生」について次のように述べる(抜き書きと要約)。

(日本社会では)人々が支え合いに加わる力そのものが損なわれ、共生それ自体が困難になっている。こうした現実に分け入ることなく、規範として共生を掲げ続けるならば、それは現実を覆い隠すばかりか、困難になった支え合いに責任をまる投げしてしまうことにもなりかねない。(ⅳページ)。

共生という言葉は、その意味がいささか漠然としているゆえに、誰も反論しがたく、だからこそ都合良く使われてしまうところがある。今、社会の紐帯が根本から揺らいでいることから、「共生社会」が盛んに提起されるが、人々がどのように関わり合い、誰が何に対して責任をもつ構想なのか、はっきりしないことが多い。(223ページ)

共生や支え合いは規範として押し付けられる筋合いのものではない。一見したところ利他的な行為であっても、共生は長期的に見ると自己に利益をもたらす(「手段としての共生」)。また、人々が互いに認め認められる相互承認の関係を取り結ぶことができれば、共生はそれ自体が価値となる(「目的としての共生」)。共生や支え合いは、人々にとって手段でもあり目的でもあり、したがって本来は自発的な営みなのである。(194ページ)。

〇こうした指摘は、国(厚生労働省)がその実現を図る「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」について考える際の重要なポイントとなる。「我が事・丸ごと」の政策は、社会保障や社会福祉の国家責任が地域社会に転嫁され、社会保障・社会福祉費の削減と自助・互助による支援体制の推進が図られている。それを一言で言えば、「他人事(ひとごと)・丸投げ」である。確かな「共生」には、政府主導による「上から」の規範としてではなく、地域・住民の、地域・住民による、地域・住民のための「下から」の支え合いの戦略と、それを踏まえた事業化や制度化が強く求められる。なお、国が説く「地域共生社会」は、「制度・分野ごとの『縦割り』や「支え手」「受け手」という関係を超えて、地域住民や地域の多様な主体が 『我が事』として参画し、 人と人、人と資源が世代や分野を超えて『丸ごと』つながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていく社会」(厚生労働省「『地域共生社会』の実現に向けて 」2017年2月)をいう。耳ざわりの良い(口当たりの良い)言葉が連なる、“美しく”まとめられた一文である。ここで筆者は、中身がスカスカ(浅薄皮相)な、「活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする」(なんと白々しいことか)という「美しい国、日本」(2006年9月に召集された第165回国会における安倍内閣総理大臣の所信表明演説)という言葉を思い出す。
〇宮本は、「共生保障」について次のように述べる(抜き書きと要約)。

共生や自立というテーマが政府から打ち出されるとき、そこには行政と政治の責任が曖昧にされ、人々の助け合いや自助にすりかえられる危険もある。共生保障とは、そのようなすりかえを回避し、人々の支え合いのために行政と政治が果たすべき条件を示す政策基準でもある。(219~220ページ)

共生保障は、年金や医療などを含めた生活保障のすべてに関わるものではない。それは、次のような制度や政策を指す。
第一に、「支える側」を支え直す制度や政策を指す。これまで男性稼ぎ主を中心とした「支える側」は、支援を受ける必要のない自立した存在とされてきたが、「支える側」と目される多くの人々は経済的に弱体化し孤立化し、力を発揮できなくなっている。
第二に、「支えられる側」に括(くく)られてきた人々の参加機会を広げ、社会につなげる制度と政策である。そのためにも、人々の就労や地域社会への参加を妨げてきた複合的困難を解決できる包括的サービスの実現が目指される。
第三に、就労や居住に関して、より多様な人々が参入できる新しい共生の場をつくりだす施策である。所得保障については、限定された働き方でもその勤労所得を補完したり、家賃や子育てコストの一部を給付する補完型所得保障を広げる。(47ページ)

人々を共生の場につなげ、共生の場自体を拡充していく共生保障の戦略は、それ自体が生成途上のものである。このような考え方をより具体化していくためにも、地域におけるさらなる創造的な取り組み、社会保障改革の新展開、そして両者をつなぐ共生保障の政治が必要である。生活保障の新しい理念は、そのような地域、行政、政治の連関のなかで活かされ、練磨されていくべきものであろう。(221~222ページ)

〇「支える側」を子育て支援や介護サービス、リカレント教育などによって支え直し、「支えられる側」に就労支援や地域包括ケア、生活支援サービス(見守り・外出支援・家事支援)などを通して社会への参加機会を提供する。それは、より多くの人々が共生や支え合いの「場」(居住・就労・活動の場や領域)に参入することを意味する。その「場」は、地域における居住(高齢者や現役世代などが支え合いながら一緒に暮らす、あるいは一人暮らしの高齢者が地域の生活支援を受けながら暮らす「地域型居住」)の場をはじめ、コミュニティ(共同体)や就労の場、共生型ケアの場など、人々が直接、間接に相互の必要を満たし合う場(フィールド)を指す(51、52、94ページ)。
〇宮本は、「共生保障」型の地域福祉や地域組織づくりについて、その実践事例を紹介する。「ひきこもりで町おこし」を進めた秋田県藤里町社会福祉協議会の取り組みや、「このゆびとーまれの共生型ケア」を進めた富山市の民間デイサービス事業所「このゆびとーまれ」の取り組み、「小規模多機能自治」と呼ばれる島根県雲南市の市民と行政による協働のまちづくりの取り組みなどがそれである。
〇藤里町社協の取り組みは、ひきこもりの若者の居場所や交流拠点、働き場所として、2010年に地域福祉の拠点「こみっと」を開設し、それを特産品づくりによる町おこしへとつなげた実践である。それは、「障害や生活困窮など、働きがたさを抱えていた人々が、支援を受けつつも多様なかたちで働くことができる新しい職場環境」(82ページ)を指す「ユニバーサル就労」の考え方による。「このゆびとーまれ」のそれは、高齢者だけでなく子どもや障がい者などの誰もが利用できるデイケアハウスを1993年に開所し、それを「地域密着・小規模・多機能」をコンセプトとした共生型福祉施設、そしてその後の「富山型デイサービス」へと発展させた実践である。それは、「福祉のなかから当事者同士の支え合いをつくりだし、部分的には支援付き就労にもつなげていく試み」(106ページ)である「共生型ケア」の考え方による。それらの詳細については次の文献を参照されたい。
・菊池まゆみ『「藤里方式」が止まらない― 弱小社協が始めたひきこもり支援が日本を変える可能性?』萌書房、2015年4月
・菊池まゆみ『地域福祉の弱みと強み―「藤里方式」が強みに変える―』全国社会福祉協議会、2016年10月
・惣万佳代子『笑顔の大家族このゆびとーまれ―「富山型」デイサービスの日々―』水書坊、2002年11月
〇雲南市では、「まちづくりの原点は、主役である市民が、自らの責任により、主体的に関わることです」(雲南市まちづくり基本条例前文)という基本理念のもとに、2010年に公民館を地域づくり・生涯学習・地域福祉を担う交流センター(公設民営・指定管理)に改組する。そして、そこに自治会(地縁型組織)や消防団(目的型組織)、PTA(属性型組織)などがつながり、地域の総力を結集して地域課題を自ら解決し、住民主体のまちづくりを進める地域自主組織(小規模多機能自治)を概ね小学校区に立ち上げた。そこでは、要援護者の安心生活見守り事業や高齢者の買い物支援事業などが展開されている。地域自主組織は、市の財政支援や人的支援などを受けながら、地域間の連携や行政との協議・協働を図り(「地域自主組織取組発表会」「地域円卓会議」「地域経営カレッジ」等)、さらには2015年に「小規模多機能自治推進ネットワーク会議」を設立して全国の他地域とのネットワークを構築している。特筆されるところである。
〇なお、こうした「好事例」について、宮本は次のようにもいう。「『好事例』は、既存制度を超える『技』(『裏技』『荒業』を含めて)を備えた突出したリーダーシップによる例外的事例に留まっている」(ⅴページ)。「新聞やメディアは、地域で広がるひとり親世帯や高齢世帯の困窮、孤立をクローズアップし、時に警鐘を乱打する。その一方で、地域における困窮者支援やまちづくりの『好事例』を積極的に取り上げ、これを持ち上げる。さらに、国の社会保障改革の停滞について伝える。だが、深刻な地域の現実と一部の『好事例』と停滞する社会保障改革が、時々のトピックスに伴って代わる代わる前面に出て、相互につながらない」(ⅵページ)。「地域では、人々の支え合いを支え、共生を可能にしようとする多様な試みが広がっている。しかし、こうした動きは、『好事例』に留まり大きな制度転換にはつながっていない」(218ページ)。留意しておきたい。
〇「共生保障」の観点から「まちづくりと市民福祉教育」について一言しておきたい。(「支えられる側」とされがちな)高齢者や障がい者、子どもなどが自律的・能動的な地域生活を営むためには、「支える側」による個別具体的な支援とともに、安全・安心な生活環境が整備され豊かな社会関係が構築されなければならない。しかも、生活上の困難や社会的課題を抱える高齢者や障がい者、子どもにはそれゆえに、地域社会を構成する一員であるとともにまちづくりの主体であることを認識し、その役割を果たすことが期待される。その際、(まちづくりの主体である)その地域に暮らす多様な人々との相互理解や相互承認、共働や支え合い、それを保障するための仕組みが必要かつ重要となる。それが、「まちづくりと市民福祉教育」の内容や方法を決める。
〇周知の通り、(1)1970年代以降の高齢化社会の進展を背景に、高齢者の学習活動の奨励や社会参加活動の促進が図られるなかで、高齢者の学習・教育プログラムが開発、提示されてきた。(2)1960年代にアメリカで生まれた身体障がい者の自立生活運動を契機に、日本では1980年代以降、障がい者が自律的に地域生活を営むための自立生活プログラムが組織化され、その普及が図られてきた。(3)学校教育においては1980年代から「地域学習」が取り組まれ、1980年代後半には「環境教育」が注目される。2002年度から小・中学校で(高等学校では2003年度から)全面実施された「総合的な学習の時間」では、「まちづくり学習」の取り組みが行なわれるようになった。こうしたなかでまちづくり学習プログラムの開発が進むことになる(「付記」参照)。(4)1990年代以降、社会の階層化・ 分裂化が指摘され、政治や社会に積極的・主体的に参加する「能動的市民」(民主主義社会の形成者)の育成が求められた。イギリスでは 2002 年に、公教育の中等教育段階でシティズンシップ教育が必修化された。日本では2006 年に、経済産業省によって「シティズンシップ教育宣言」が出された。それをきっかけに、東京都品川区の小中一貫教育のなかでの「市民科」の設置(2006年)、お茶の水女子大学附属小学校における「市民」科の授業の取り組み(2007年)などがクローズアップされた。以後、学校教育のみならず、生涯学習の一環としてシティズンシップ教育プログラムの開発と実践が展開されることになる。
〇これらは、「まちづくりと市民福祉教育」に含まれるべき学習・教育活動であるが、市民福祉教育実践として十分に取り上げられてこなかった。共生保障としての「まちづくりと市民福祉教育」の重要な要素であり、積極的な議論の展開が求められる。  

補遺
普遍主義的改革の「三重のジレンマ」
1990年代からの社会保障改革の基調は普遍主義的改革であったが、その改革は空転し、掲げた目標のように進んでいない。それは、3つの深刻なジレンマあるいは矛盾――(1)国と自治体の財政的困難、(2)自治体の縦割り行政の制度構造と機能不全、(3)「支える側」の中間層の解体と雇用の劣化のなかで進行してきたからである、と宮本はいう。留意しておきたい(抜き書きと要約)。

第一に、本来は大きな財源を必要とする普遍主義的改革が、(経済)成長が鈍化し財政的困難が広がるなかで(その打開のための消費税増税の理由づけとして)着手されたということである。高齢社会が到来するなかで、高齢者介護については社会保険化(介護保険)が可能だったが、障がい者福祉や保育のニーズは、介護に比べて誰しも不可避とはいえない面があり、社会保険化は困難であった。したがって、財政的困難のなかで税財源へ依拠するというジレンマがいっそう深まった。
第二に、自治体の制度構造は「支える側」「支えられる側」の二分法に依然として拘束されている面がある。にもかかわらず、普遍主義的改革においては、その自治体にサービスの実施責任が課された。
第三に、救貧的福祉からの脱却を掲げた普遍主義が、中間層の解体が始まり困窮への対処が不可避になるなかですすめられた、という逆説である。日本社会で救貧という課題が現実味を増すなかで、救貧的施策からの転換が模索されるという皮肉な展開となったのである。そして新たな目標であった自立支援は、雇用が劣化して多くの人々の就労自立が困難になるなかで取り組まれた。
すなわち、共生保障とも重なる普遍主義的改革は、財政危機、自治体制度の未対応、雇用の劣化による中間層の解体という三重のジレンマのなかで、進行したのである。この三重のジレンマこそが、普遍主義的改革の展開とその結果を方向づけた。(153~154ページ)

付記
子どもを対象とした「まちづくり学習」の経緯―素描―

清水将一/ボランティア活動の発展とそれに伴う諸問題について―心情的理解を越えるために―

出典:清水将一「ボランティア活動の発展とそれに伴う諸問題について―心情的理解を越えるために―」『ソーシャルワーク研究』Vol.19 No.2、相川書房、1993年7月、71~76ページ。
謝辞:転載許可を賜りました相川書房に衷心より厚くお礼申し上げます。

清水将一/社会福祉協議会が行う福祉教育の批判的検討―福祉教育の基盤強化のために―

出典:清水将一「社会福祉協議会が行う福祉教育の批判的検討―福祉教育の基盤強化のために―」『ソーシャルワーク研究』Vol.17 No.4、相川書房、1992年1月、60~64ページ。
謝辞:転載許可を賜りました相川書房に衷心より厚くお礼申し上げます。

清水将一/社会福祉協議会における福祉教育の役割と課題

出典:清水将一「社会福祉協議会における福祉教育の役割と課題」『ソーシャルワーク研究』Vol.16 No.4、相川書房、1991年2月、43~48ページ。
謝辞:転載許可を賜りました相川書房に衷心より厚くお礼申し上げます。

清水将一・伊藤光洋・廣瀬理江・鈴木秀明/学会発表―日本福祉教育・ボランティア学習学会―

(1)第3回大会/1997年11月29日~30日/森ノ宮アピオ大阪(大阪市)

(2)第4回大会/1998年11月28日~29日/長崎大学(長崎市) 

(3)第13回大会/2007年11月24日~25日/静岡英和学院大学(静岡市)

(4)第14回大会/2008年11月29日~30日/四国大学(徳島市)

(5)第19回大会/2013年11月16日~17日/金城大学(白山市)

備考(1)
伊藤光洋・鈴木秀明/学会発表―日本福祉教育・ボランティア学習学会―
(1)第18回大会/2012年11月24日~25日/常盤大学(水戸市)

(2)第22回大会/2016年11月25日~26日/都城市立中郷中学校(都城市)

(3)第24回大会/2018年11月24日~25日/日本福祉大学(東海市)

備考(2)
伊藤光洋「地域・学校・社協ですすめる福祉教育ハンドブック」『ふくしと教育』第20号、大学図書出版、2016年2月、12~15ページ。

謝辞:転載許可を賜りました伊藤光洋様と大学図書出版に衷心より厚くお礼申し上げます。

清水将一/地域福祉(活動)計画と福祉教育

出典:清水将一「地域福祉(活動)計画と福祉教育」阪野貢監修 新崎国宏・立石宏昭編著『福祉教育のすすめ』ミネルヴァ書房、2006年4月、165~175ページ。
謝辞:転載許可を賜りましたミネルヴァ書房に衷心より厚くお礼申し上げます。

清水将一/福祉教育実践の評価の実態と課題―愛知県における社会福祉協力校の実践活動を通して―

出典:清水将一「福祉教育実践の評価の実態と課題―愛知県における社会福祉協力校の実践活動を通して―」阪野貢編著『福祉教育の理論と実践―新たな展開を求めて―』相川書房、2000年5月、135~152ページ。
謝辞:転載許可を賜りました相川書房に衷心より厚くお礼申し上げます。

清水将一/ボランティアの芽を摘み取るボランティア、福祉教育をダメにする福祉教育―いま立ち止まってボランティアと福祉教育を考える― 



 


  



 


 

影響を受けた人物
① S氏のこと

② 阪野貢先生のこと

③ 沢田清方先生のこと

④ 福井達雨先生のこと

 
影響を受けた出来事
① 阪神淡路大震災

 


追悼:清水将一先生は、2020年10月17日に逝去されました。
私は、ボランティアや福祉教育、まちづくりや社協活動などについて、先生の「実践的研究」から実に多くのことを学ばせていただきました。常にその視点や視座はブレることなく、またその立論は理性的で科 学的、かつ批判的で建設的なものでした。そしてその基底には、子どもや障がい者などに対する深い、確かな “愛” がありました。遺稿集である本書を読むなかで、その思いを強くしています。アルフレッド・マーシャルの 「熱い心と冷たい頭」という言葉が思い出されます。
叶うことなら、本書を通して、ご生前に十分できなかった先生との議論を重ねていきたいと願っています。
清水先生の学恩に感謝申し上げるとともに、衷心よりご冥福をお祈りいたします。(阪野 貢)
出典:清水将一『ボランティアと福祉教育研究』風詠社、2021年6月、5~129ページより転載。本稿のタイトルは阪野 貢によります。
謝辞:転載許可を賜りました風詠社と故・清水将一先生の奥様に衷心より厚くお礼申し上げます。


追記(2021年7月24日)
鳥居一頼先生から早速、次のようなメールをいただきました。いつものこととはいえ、先生のご厚情には感謝あるのみです。
それにしても清水将一先生には何のご恩返しもできず、悔やまれてなりません。(阪野 貢)

追記(2021年7月26日)
村上進様から次のようなメールをいただきました。村上様には日頃、本ウェブサイトの運用等について格別のご支援をいただいておりますことに深く感謝申し上げます。
清水将一先生の福祉観の確かさと、「生きている(いた)証」としてご高著を上梓されたことに敬意を表します。(阪野 貢)