「大橋謙策の福祉教育論」カテゴリーアーカイブ

老爺心お節介情報/第12号(2020年10月11日)

「老爺心お節介情報」第12号

Ⅰ 「福祉でまちづくり」の実践と“農福連携”

私は、1990年、岩手県遠野市の「地域福祉計画(老人保健福祉編)」策定のアドバイザーを担当した際、従来の“福祉の街づくり”ではなく、「福祉で街づくり」を提唱した。当時、遠野市は財政力が弱く(0,21)、公共土木事業に依存している状況のなかで、社会福祉の充実にお金を回せないという機運が行政や議会にあるなかで、「福祉で街づくり」を提唱した。
社会福祉を充実させることにより、視察者が多くなること(実際に、視察者は2000人を超え、視察者のために「遠野ハートフルプラン」という行政計画書が増刷されて5000部、1冊1500円で売っていた)、市内の産業別従事者数は医療・介護・福祉従事者が多くいること、「遠野ハートフルプラン」に盛り込まれたプログラムを実施することで「定住人口」ではない「滞在・交流型人口」を増やし、経済を活性化させること、社会福祉の地産地消を考えることなどを提唱した。
その後、1990年代初め、農協共済研究所のプロジェクトに参加し、農協が有している資源を活用してのプログラム開発を行い、農村地域の活性化を考え、実践してきた。それは、市町村内にある社会福祉施設が使用する食材を“地産地消”で行うとすれば地域経済が循環すること(山形県鶴岡市の特養「おおやま」や鳥取県南部町の特養「ゆうらく」等)や、高齢化している農業従事者と障害のある人とを結び付ける「農福連携」(鶴岡市のいなほ作業所では、1980年代から「農福連携」のはしりを行っていた)等のことであった。
咋今、「限界集落」、「消滅市町村」と言われているが、私は、施設経営の社会福祉法人が、地域に目を向け、街づくりを考えれば、逆にUタ-ン、Iターンも増やし、地域経済の活性化に繋がると「福祉でまちづくり」を提案してきた。
下記の本を是非読んで欲しい。
(1)『ソーシャルイノベーションー社会福祉法人佛子園が「ごちゃまぜ」で臨む地方創生』雄谷良成監修、ダイヤモンド社、2018年――石川県の実践
(2)『里山人間主義の出番ですー福祉施設がポンプ約のまちづくり』指田志恵子著、あけび書房、2015年‥‥広島県三次・庄原地域での優輝福祉会の実践

#農福連携の事例――静岡県浜松市「京丸園株式会社」
従業員100名――障害者25名(知的8名、身体6名、精神7名、発達4名)
年間売り上げ額 約4億円、田畑1、3ha、栽培施設1、3ha
出典『新ノーマライゼーション』2020年9月号

Ⅱ 『日本社会福祉士会NEWS No197』を読んで、疑問に思うこと

今回のニューズレターは地域共生社会政策を踏まえて国の2021年度予算等への要望と提案を特集している。このニューズレターに出てくる用語に疑問と違和感を感じたので話題提供したい。

➀国への要望事項で使われている用語の中に、「生活保護ケースワーカー」「、スーパーバイザー」、「ソーシャルアクション」が使用されているが、その用語の意味を省庁の関係者は理解できるであろうか。また、社会福祉学界で“慣用句”的に、何気なく使っている用語ではあるが、それを“吟味”しないで、使っていていいものだろうか。
②同じく、ニューズレターの「倫理綱領」の欄に出てくる「クライエント」という語句の使用もこのままでいいのであろうか、

私は「ソーシャルワーク機能」という用語を1990年前後から意識して使ってき
た。1990年以前に“ソーシャルワーク機能”という用語を使用していた研究者
を私は寡聞にして知らない(知っている方がいたら教えて頂きたい)。
なぜ、私が「ソーシャルワーク機能」という用語を意識して使用するようになった
かは、そのころまで、社会福祉研究者、とりわけ社会福祉方法論を研究している方々が、ソーシャルワーカー==社会福祉士ととらえて論文を書いたり、話をしているのに違和感を感じたからである。社会福祉士は“相談援助”という位置づけであり、必ずしもソーシャルワーク機能を具現化出来る立ち位置にない上に、かつ、その当時、中央集権的機関委任事務体制であった時代(1990年に変るが)でもあり、社会福祉実践現場は福祉サービスを必要としている人が既存の社会福祉制度に該当するかどうかを判断する業務が中心で、とてもソーシャルワークとはいえず、私は日本には1990年までソーシャルワークはなかったと考えていたし、そういろいろな会合で述べてきた。
日本の社会福祉界にソーシャルワークを定着させるためには、かつ社会福祉士をソーシャルワークに関する専門職として社会的承認を得るためには、そもそもソーシャルワーク機能とはなにかを明らかにし、その機能は教師も弁護士も、保健師もソーシャルワーク機能の一部を有しているが、その機能全般を統合的に具現化出来るようにしないと社会福祉士の地位は確立しないという立場から、ソーシャルワーク機能という用語を使ってきた。そのソーシャルワーク機能といういい方が、今日ではほぼ定着したことは嬉しい限りである。

#「生活保護ケースワーカー」は「生活保担当現業員」では苗いけないのか。“ソーシャルワーク機能”が定着してきている時に、“ケースワーク”という用語を使うのであろうか。更には、「生活保護担当現業員」は“ケースワーク”だけで業務が遂行できるのであろうか。

しかしながら、それ以外では、相変わらずWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)文化の中で確立してきた、かつアメリカの社会構造の中で確立してきたソーシャルワークに関わる用語を無自覚的に、当たり前のように使用することに正直驚いていると同時に、それが本当の日本の専門職なのかと疑義を感じざるを得ない。
私は、玉木千賀子さんの著書『ヴァルネラビリティへの支援――ソーシャルワークを問い直すー』(相川書房)の推薦の辞で、そのこと書いた(是非読んで欲しい)。「クライエント」、「インテーク」、「ワーカビリティ」をごく当たり前に使って、痛痒を感じないソーシャルワークに関する専門職というのは、果たして専門職なのであろうか。言葉だけが“飛んでいる”のではないだろうかと思わざるを得ない。“福祉サービスを必要としながら、社会福祉の制度、サービス、相談窓口につながっていない人”をも、「クライエント」と呼ぶのであろうか。社会福祉学界では、ニーズ論、ディマンド論が大きな問題であって、今や厚生労働省も「地域共生社会政策」の流れの中で、“待ちの姿勢ではなく、アウオトリーチして問題を発見して欲しい”と言っている時代でも「クライエント」なのであろうか。
同じことは、「ソーシャルアクション」という用語もそうである。一般的にソーシャルアクションを起こすという言い方(その用語は使い易いので、私も一般的な使い方として使っていることがある)とソーシャルワーク機能を展開する上で使う「ソーシャルアクション」は同じなのか、違うのかである。
かつて、東京学芸大学の高良麻子先生が書かれた『日本におけるソーシャルアクションの実践モデルーー「制度から排除」への対処』について、高良先生に同じような感想を述べさせて頂いた。一般的に使われている用語を、社会福祉分野である意味を持たせて使う場合には自ずと説明をしないといけないのではないかと思っている。専門職だけに通用する意味で使うとすれば、それはある意味、専門職の“思い上がり”であり、“上から目線”になりかねない。意識して、専門職はそれらのことについて自戒すべきなのではないだろうか。
「ソーシャルアクション」は住民の立場から言えば、陳情なのか、告発なのか、制度改善運動なのかということであろう。専門職が使う「ソーシャルアクション」にはそれらが含まれているというなら、住民が一般的に使用している用語を使えばいいのではないか。それらと違ったソーシャルワーク分野における独特の“ソーシャルアクション”という“専門職の機能を発揮する独自領域”があるというのなら、それをきちんと説明した上で使って欲しい。
更には、「スーパーバイザー」という用語の使い方も同じである。“スーパーバイザー”とは、“施設、機関、病院などにおいて、スーパービジョンを行う熟練したソーシャルワークの指導担当者を指す”(『現代社会福祉事典』1982年、全社協、秋山智久執筆)と説明され、かつ、その“スーパービジョン”とは、“かつて指導監督と訳したことがあるが、現在では正確な意味を伝えるため原語をそのまま使用する。つまり、具体的なケースに関し、ソーシャルワーカーが援助内容を報告し、スーパーバイザーはそれを受けてクライエントや家族、状況の理解を深めさせ、面接など援助方法について示唆を与えたり、考えさせたりする教育・訓練の方法である”(前掲同署、黒川昭登執筆)と解説している。
この説明で言えば、その役割を担うのは、上司の場合もあれば、チームアプローチをしている場合には他の専門職かも知れないし、あるいは所属している学会や専門職団体の同僚かも知れない分けで、「スーパーバイザー」と言って、それがどのような職種で、どこに所属してその業務を行うのか、指導を受けるソーシャルワーカーとの関係やその指導の妥当性を担保する機能があるのかどうかもわからないのに、「スーパーバイザー」を配置しろという使い方には違和感を感じざるを得ない。
組織のなかで、援助方針に関し、問題を発見し、論議し、改善のための企画提案をするという営みは組織的にとても重要なことであり、かつそれでも十分でないとすれば顧問弁護士制度や顧問会計士制度と同じように外部監査制度、外部評価制度をシステムとしてどう位置付けるかを考えて欲しい。私自身はいくつかの自治体で顧問やアドバイザーとして職務を担ったことがあるが、“スーパーバイザー”という意識はなかった。

(2020年10月11日記)

 

老爺心お節介情報/第11号(2020年9月5日)

「老爺心お節介情報」第11号

Ⅰ 社会福祉政策研究におけるオーラルヒストリー研究法

政治学の研究法として確立してきたオーラルヒストリー研究法を社会保障・社会福祉学分野に援用して、オーラルヒストリー研究を行っている立教大学の菅沼隆先生グループが、多くの厚生労働官僚へのインタビューを通して社会保障-・社会福祉政策がどのような政治力学で企画・立案・実施されたのかの研究をしている。
私は、その一環として行われた元厚生労働省老健局長、社会・援護局長を歴任し、内閣官房社会保障改革担当室長をされた中村秀一氏のオーラルヒストリーを読ませて頂いた。それは後に、『平成の社会保障』(中村秀一著、社会保険出版社)として上梓されている。この本を読んで、厚生労働省の組織的行動力学や社会保障・社会政策がどう立案かされるのか、そのプロセスが良く分かり、大学研究者としての“研究の浅さ”を反省したものであった。
今回、日本社会事業大学の卒業生で、立命館大学で博士の学位を取得した、現在北海道の名寄市立大学の教員をしている高阪悌雄氏の『障害者基礎年金と当事者運動――新たな障害者所得保障の確立と政治力学』(明石書店、5400円)を一読した。
高阪悌雄氏のこの本も、障害者基礎年金の成立過程に関わる関係者へのオーラルヒストリー的手法を活用して、文献研究、資料研究だけでは見えてこなかった点を躍動的に明らかにした労作である。
この本に出てくる板山賢治氏は、障害基礎年金制度創設の立役者である。板山賢治氏は、1982年の国際障害者年前後における国の障害者政策を牽引した人の一人で、厚生省社会局更生課長を歴任された。
その板山賢治氏は、常々、物事が成るのには“天の時、地の利、人の和”が必要であると言っていた。
私が、“天の時、地の利、人の和”について、この本に即して高阪悌雄氏に宛てた感想の一端を転載させて頂く。

(1)“天の時”について、本書では、あまり「国際障害者年」の持つ意味に触れられていませんが、それが大きかったのではないでしょうか。
P122等で、“国際障害者年が日本、日本の厚生行政、日本の障害者運動に与えた影響”等の記述がもっとあると良かったですね。「国際障害者年」の影響は大きく、板山氏はこの担当課長であったということも大きいですよね。板山氏が更生課長であったということが“地の利”になるのでしょうか。
P232に、“障害者への予算配分に関しては、浅野氏が述べたことと併せて、国際障害者年による国を挙げての啓発活動も功を奏したと考えられる”という記述をもっと豊かに展開して欲しかったですね。この頃、大蔵省の主計官として厚生省を担当していた小村武(のちの財務事務次官)と板山氏との関係もあります。
(2)“人の和”ということでは、CP研究会のメンバーには仲村優一先生の教え子の大沢隆氏、三和治氏が入っており、いずれも日本社会事業大学で板山氏とは公的扶助の関係で友好関係があった方々ですね。
また、「東京青い芝の会」で、新しく副会長になった若林克彦氏は日本社会事業大学の卒業生で、仲村優一先生は大学時代、若林氏の学習保障、就職保障に大変尽力されていて、脳性マヒの方々の生活に心を砕いていました。それに輪を掛けての“人の和”が厚生省における山口新一郎氏等の人脈です。

実践科学である社会福祉学、とりわけ地域福祉は、どのような“天の時、地の利、人の和”によって動いているかを明らかにしないといけない。どこの自治体で、どういう実践が行われているということを紹介するだけでは研究とは言えない。
私は、常々地域福祉研究における「バッテリー型研究」と言ってきたのは、まさに“天の時、地の利、人の和”がなければ、いくら研究者がいい提言をしてもそれは具現化しないからである。
また、私が地域福祉計画において、タスクゴールとプロセスゴールに加えてリレーシンシップゴールを掲げているのも、その計画の実現・進行管理において“天の時、地の利、人の和”の持つ意味を考えたからである。
社会福祉学、とりわけ地域福祉研究において、もっと関係者のオーラルヒストリー研究が深めれないといけないのではないか。

(2020年9月5日記)
(2020年9月7日一部修正)

老爺心お節介情報/第10号(2020年8月30日)

「老爺心お節介情報」第10号

Ⅰ 障害者の幸福追求権、“社会参加”とスポーツ

2020年8月17日、日本経済新聞の夕刊の「こころの玉手箱」に昔懐かしい人の名前を見つけた。大阪市長居障がい者スポーツセンターの館長をされ、元パラリンピック日本選手団長をされた藤原進一郎さんの名前である。藤原さんは、「心の玉手箱」に8月17日から21日まで、全5回に亘って連載された。
私と藤原進一郎さんとの出会いは、雑誌「月刊社会教育」(国土社)の1981年4月号で、私が編集担当者として“国際障害者年と社会教育”の特集を組むにあたって、大阪市身体障害者スポーツセンターを訪問すると共に寄稿して頂いたことが契機である。
その当時、障害者自立支援を“救貧的対応”ではなく、憲法第13条に基づきその人の幸福追求、自己実現を基軸に展開すべきではないかと考え、当時、社会福祉行政では殆ど取り組んでいなかった障害者の学習・文化、スポーツ・レクリエーションの推進こそがその突破口になるのではないかと論陣を張り、その推進に関わっていた。当時、東京オリンピックの際に行われたパラリンピックを契機にチャンピオンシップ的なスポートは始められていたが、私が求めてたのは市町村レベルでの市井の人である障害者の自己実現と生活圏、生活文化の拡大の取り組みであった。
それは、ある意味福祉教育にもつながる活動として位置付けた。障害を有している人が多様な学習、文化、スポーツ活動を行うことで、障害者への差別、偏見、蔑視が取り除かれる契機になるのではと考えたからである。
当時の大阪市身体障害者スポーツセンターを訪問し、視覚障害者向けのボーリングが考案されていたことに驚くと共に、自分の障害者観の“視野狭窄”について思い知らされた。、

Ⅱ 伊能忠敬を素材にした井上ひさし著『四千万歩の男』(講談社文庫全5巻、1986年初刊行)を読んで

大学教員を退職したことと、新型コロナウイルスによる“自粛生活”が相俟って、研究上、精神的にも、時間的にも追われることなく本が読めるようになり、とても楽しい日々が送れている。これが、“私の新しい生活スタイル”になるのであろうと思うと嬉しい。
そのような中、山本七平著『日本人とは何か』の後に詠み始めたのが、井上ひさし著『四千万歩の男』である。四国歩きお遍路の中で、伊能忠敬が1808年に、現在の高知県香南市赤坂地区が北緯33度33分33秒であることの正さを顕彰した記念碑をみていたので、いつか読みたいと思っていたが、読んでいくうちに、驚くことが多く、かつ自分の知識のなさに愕然とする記述が沢山出てくる。自分の博識の無さに愕然とする。井上ひさしの構想力の豊かさと博学に驚くばかりである。未だ途中であるが、そのいくつかを紹介しよう。

(1)伊能忠敬は、「麻田剛立(1724年~1799年、コペルニクスの地動説に基づく天文学者、医者、杵築藩)――高橋至時――伊能忠敬」という系列に位置するが、山本七平が評価していた麻田剛立(1724年~1799年)がよく出てくる。と同時に、和算さんの大家と言われる「関孝和――本田利明――最上徳内」の系列の話が天文学との関わりで出てくる。最上徳内は、教科書で習った蝦夷(北海道)の探検家であり、1985年択捉島、国後島にも渡り、日本国の標柱を立てたと教えられきた。これらの人物も、山本七平著「日本人とは何か」で取り上げられている。
(2)コペルニクスの学説を「地動説」と訳語した人物が志築忠雄で、志築忠雄は、「弾力」、「重力」、「求心力」、「加速」という用語も訳語したという。
(3)伊能忠敬は、「一間を二歩」の歩幅で歩測したが、他方「歩時計」(今でいう万歩計)が作られており、それを併用したという。
(4)蝦夷及び秋田藩を巡行し、民俗学的記録を残した江戸時代の民俗学者「菅江真澄」(1754年=1829年)も登場する。
(5)山本七平著「日本人とは何か」にも取り上げられている山片幡桃等も出てくる。
(6)私が常々教え子たちに述べてきた「研究者にとっての“教育”の位置」について、全く同じことを井上ひさしが展開していることが嬉しい。
天文台長の高橋至時が伊能忠敬に述べている場面(P101)
「他人に教える段になってはじめてはたと自分の知識が、学問がいかにあやふやなものであったかに気付かされるものでしてな。学問を志すものはだれでもすくなくとも一度や二度は、このときの苦い気持ちを味わっておくべきでしょう。加えて他人に教えることによって自分の学問の基礎がかたまります。これはまちがったことを教えてはならぬと思い、基本から再吟味するせいでしょう。さらに、向上心に燃える弟子と共に基本に戻ると、自分がその学問を始めたころの情熱が思い出されてくる。つまり、労なくして初心に戻れるわけで、初心を取り戻すことによって現在の研究に対するいっそうの気迫が得られる。」

(2020年8月30日記)

老爺心お節介情報/第9号(2020年8月19日)

「老爺心お節介情報」第9号

3度の“断捨離”に残った本――『日本人とは何かーー神話の世界から近代まで、その行動原理を探る』上下、山本七平著、PHP研究所、1989年9月刊

私は、今まで自分の蔵書、資料の“断捨離”を3回行った。
第1回目は、日本社会事業大学を退職する2014年3月で、日本社会事業大学の研究室の蔵書、資料を4月からの赴任先である東北福祉大学に送った。通称「大橋文庫」という形で、東北福祉大学大学院のキャンパスであるウエルコム21の1部屋に収蔵頂いた。
第2回目は、2014年~6年に掛けて、私の旧宅の2階の書庫(鉄筋コンクリートで耐震性を担保した、図書館にあるような移動書架が4連ある)の“断捨離”である。この書庫には、大学院時代古書店を訪ねて購入した図書、教育学関係の図書等自分の研究履歴が分かる図書と同時に、実践に関わる資料が大量にあった。戦前、戦後初期の図書は、大学院生当時で金がない中購入したにも拘わらず、当時の紙質が悪く、残念ながら古紙として処分することにした。また、資料も見れば自分の実践、研究の礎になった貴重なものだと思いつつ、それを整理する余裕がないだろうと判断し、これも古紙で処分することにした。引っ越し用のダンボールで約50箱になった。処分した本、資料以外の残りの蔵書、資料は、これも東北福祉大学大学院の「大橋文庫」に収蔵して頂いた。
第3回目は、今年の新型コロナウイルスに伴う“自粛生活”のなかで、新宅に作った書庫及び書斎の整理をした際である。自分が執筆した論文、エッセイ等を1960年代以降、年代別に整理し、ファイルボックスに収納した。この機会にも、副本として残していたものや抜き刷りの類のものは最低限日本地域福祉研究所の関係者に配れればと思い、研究所に送ったが、多くは古紙として処分した。
この3回に亘る“断捨離”は自分の身が切られるような思いと自分がもう研究者としては“用済み”になるんだという思いが錯綜し、何とも複雑な気持ちとその本の価値、資料の価値を考えるとまだ持っていた方がいいのではないか、誰かこれを必要としている人がいるのではないかという思いの中での断腸の思いでの“断捨離”であった。
私の蔵書購入は、目の前の研究、原稿書きに必要で購入したもの、自分の研究の幅を拡げ、知見を深めるために購入したもの、人間としての人格形成、教養を高めるために購入したもの等様々な要因で購入したものの、全てを読破はできておらず、“積む読”の類のものも多々ある。
そのような中で、3度に亘る“断捨離”でも捨てきれずに、後で詠もうとして手元に残した本が3種ある。その一つが表記の『日本人とは何かーー神話の世界から近代までその行動原理を探る』(上下、山本七平著、PHP研究所、1989年9月刊)である。
他は、草野心平著『わが賢治』(1970年刊、二玄社)、『わが光太郎』(1969年刊、同)と『現代語訳 特命全権大使米欧回覧実記』全5巻(久米邦彦編集、慶應義塾大学出版会、2005年)である。
草野心平氏の本は、当時、草野心平氏が新宿大木戸で、バー「学校」を経営しており、そこに連れていかれては、“おまえは教養がない。文学が分かってない。せめて、草野心平氏の本でも読め”と言われて購入していたものの精神的、かつ時間的余裕がなくて、“積む読”になっていた本である。『特命全権大使米欧回覧実記』の方は、幕末から明治に掛けて重要な役割を担った人々が、当時の日本と当時の米欧をどう比較してみていたのかを知りたいという思いから購入したが、これも“積む読”であった。
山本七平氏の本を読まなければと思った背景、動機は、大学院時代(1960年代末から70年半ば)に、戦前の『日本の社会事業の本旨、社会事業の鑑』と位置付けられた井上友一の「風化行政」の研究の中で、“風気善導”に二宮尊徳の報徳思想が使われ、一方でイギリス等での救貧制度の歴史における“惰民養成”、“スティグマ”論等を学ぶ中で、社会福祉の目的、社会福祉の哲学、社会福祉の原理とはなにかを考えざるを得なかった。そこには、日本的文化、歴史が関わっているはずで、それを抜きにしたイギリス救貧制度史、アメリカ社会福祉方法論(ケースワーク等3類型)では説明できないのではないかという問題意識があった。
同じように、日本人はマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を良く活用するが、日本の資本主義の発展と社会福祉との関係をどう考えたらいいのだろうか。山本七平氏は『日本資本主義の精神――なぜ、一生懸命働くのか』(光文社、1979年)も刊行しており、日本人の勤労観、生活観と社会福祉との関係も研究しなければならないと考えていたからである。
そのような日本の社会福祉の思想、社会福祉の哲学、社会福祉の文化をどう考え、位置付けるかに悩んでいた当時、一番ケ瀬康子先生が「福祉文化」という用語を使用され(『現代社会福祉論』時潮社、1971年)、「社会事業諸技術の文化的基盤」という論文で、“生活の主体性を考えると、その主体性を生み出す文化的基盤”の問題があると指摘されているのを読み、日本の文化と社会福祉、日本人の行動原理と社会福祉などに関心を持った。その分野の研究をする必要を感じ、“頭を突っ込んだ”が、それは文化人類学、社会人類学等の膨大な文献を読まなければならないと分かり、挫折した(一番ケ瀬先生もその研究を深め切れていない。一番ケ瀬先生が再度、福祉文化に関心をよせ、「日本福祉文化学会」を1989年に創立されているが、その“福祉文化”の考え方は1971年当時の“文化”の位置づけとは異なる)。
他方、地域福祉と社会教育との学際研究における地域づくりを考える上で、社会教育行政は重要であり、その社会教育活動を規定する社会教育法第3条、“国及び地方公共団体は、・・・全ての国民が・・・自ら実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成するように努めなければならない”と規定しているが、この“実際生活に即する文化的教養”とはなにかと、これも考えさせられた。当時、戸坂潤の教養論とかに関心を持ち、読んではみたものの今一つ分からない。上記の草野心平氏の『わが賢治』等読まないと分からないのかと思いつつも、目の前の研究に追われ、読めないままに、書庫に眠っていた本である。
更に、地域福祉を推進するということは、地域社会の構造、地域住民の行動様式、生活文化、社会意識が分からなければ地域福祉推進の方法論など提起できるわけがない。“論語読みの論語知らず”の諺ではないが、地域福祉研究者としては、それらのことを深めなければならないと思ってきた。残念ながら、未だにこれだという結論に達していない。
この問題に関しては、日本地域福祉学会が財団法人安田火災記念財団から研究助成を頂きまとめた『地域福祉史序説』の継続研究として、学会として各県の地域福祉史をまとめようということで取り組んだ報告書で、研究ノートとして浄土真宗第8代門主の蓮如の普及方法と地域福祉の推進方法に関しての小論文を書いた記憶があるのだけれど、その小論文が手元にはない(持っている方がいたら是非コピーしてください)。
今回、3度の断捨離で残った山本七平著『日本人とは何かーー神話の世界から近代まで、その行動原理を探る』(上下)を読んで、今更ながら30年前に詠んでおけばよかったと後悔している。ただ、救いは、山本七平氏は、蓮如の普及方法と農村の惣村成立とのことを指摘されており、それは私も上記した小論文の中で指摘していたので、大変意を強くした。地域福祉推進においては、地域社会の構造、地域住民の行動様式、生活文化、社会意識が分からなければ進められないと常々言ってきたものとしては、同じことを山本七平氏も指摘し、多様な角度から“日本人の行動様式、行動原理”を明らかにしようとしていることが大変参考になった。
私は、1990年以降阿部欣也氏の世間体文化論、中根千枝氏のタテ社会論等を援用してソーシャルワークの考え方を整理してきたが、山本七平氏のようにもっと多角的に、深めないといけないと改めて反省をした。私を含めて“論語読みの論語知らず”の地域福祉研究者が多すぎるのではないだろうか。
いま、地域共生社会の構築が必要とされ、かつ新型コロナウイルスに伴っての新しい生活スタイル、行動様式が叫ばれているが、住民一人一人がどのような行動原理、行動様式を作り上げるのか、ボランティア論としても、福祉教育論としても深めないといけない課題である。地域福祉研究者はこの課題にどう取り組むのか、社会福祉協議会関係者はどう取り組むのか、“蔵書を断捨離し、研究者魂を失おうとしている”老爺の繰り言を聞いてもらいたいと思った。

(2020年8月19日記)

老爺心お節介情報/第8号(2020年8月8日)

「老爺心お節介情報」第8号

Ⅰ 新型コロナウイルスの件に伴う生活福祉資金の「特例貸付」業務と市町村社会福祉協議会の本来業務

全国の市町村社会福祉協議会並びに県社会福祉協議会は、生活福祉資金の「特例貸付」業務に翻弄され、大変苦労されていることと思います。
しかしながら、それを単なる金銭貸し付けの業務に終わらせることなく、私は生活福祉資金の相談者はいわば社会福祉協議会の業務にとって“宝の山”なので、大変でもこれをチャンスととらえて、以下のようなことを意識化して取り組み、かつ少し落ち着いたらその分析をしてほしいと社会福祉協議会職員にお願いしてきました。

①貸し付けの相談に来られた方々は、従来社会福祉協議会関係者が関わっていた住民の方々なのか、それとも違う属性を有している方々なのか、分析をしてほしい。
②新型コロナウイルスの件に伴う「緊急事態宣言」による休業を余儀なくされたことに伴う生活困窮の方々だとしても、その生活の安定性がなぜなかったのかを分析して欲しい。
③今まで、社会福祉サ―ービスにつながっていなかった方々が今回申請されてきたが、それは今まで申請の必要性がなかったのか、あるけれど相談の仕方が分からなかったからなのか分析して欲しい。
④とりわけ、在住外国人の方々へのアウトリーチや外国人の方々のアクセシビリティがどうだったのかを分析して欲しい。
⑤「特例貸付」と言っても、“貸付”なので、時期をみて、“償還”業務として訪問できるので、相談者がどのような生活をしているのか、どのようなニーズを有しているのかを改めて調査把握して欲しい。
⑥相談に来られた「一人親家庭」の生活様式及び子どもの学習面、栄養面(食事面)の状況把握とその分析をしてほしい。
⑦相談に来られた方々の交際範囲、ソーシャルサポートネットワークの有無など、身近に相談できる人やちょっとした支援をしてくれる人の有無について分析して欲しい。

皆さんにはお忙しい中、不躾に上記のようなことをお願いしてきましたが、同じようなことを考えている資料を読みました。社協職員がこのように考えてくれているのだと、とても心強く思いました。是非、読んで参考にして下さい。

『ひょうごの福祉』2020年8月号、兵庫県社会福祉協議会
特集「社協が取り組む生活福祉資金・新型コロナウイルス特例貸付から見えたもの」

(2020年8月8日記)

老爺心お節介情報誌/第7号(2020年8月4日)

「老爺心お節介情報」第7号

Ⅰ 「農福連携」の新たな展開

我々、社会福祉関係者は、障害者支援の捉え方が、旧来的、救貧的支援に留まっていないだろうか。「社会福祉の普遍化」に伴い、実践現場は多様化しており、新たな発想がもとめられているのではないだろうか。

①「富山県農福連携ガイドブック」(富山県9―「農福連携コーディネーターを配置
農福連携の12のパターンが紹介されている。――私の教え子の吉田勇次郎さんのNPO法人愛和報恩会の実践も取り上げられている。

②「新ノーマライゼーション」2020年7月号 (公財)日本障害者リハビリテーション協会
特集は「みんなで一緒に楽しく働く施設、経営者も」で、私の教え子の山根正敬さんが「恋する豚研究所」(社会福祉法人福祉楽団)の実践「障害のある梨にかかわらず、すべての人が働きやすい環境で美味しいものを作る」を紹介している。
この冊子では、神奈川工科大学の小川喜道先生の「イギリスにおける近年の福祉制度改革」について歩行者等支援情報通信システムも紹介されている。

Ⅱ 子どもの形成と福祉教育

最近の福祉教育の論説と実践には正直物足りなさを感じていた。その要因は、子どもの形成に関わる分析と提供される機会としての福祉教育、福祉学習とが必ずしもマッチしていないと感じていたからである。福祉教育が求まれれる背景には、高齢化の問題以上に、子ども・青年の発達の“歪み”があり、それを解決していく方法の一つが福祉教育であることを再確認して欲しい。

①上記のことを考えるのに、『ふくしと教育』(大学図書出版、2020年、通巻29号)の門脇厚司先生の話はとても重要である。
門脇先生の考え方を基に、野尻紀恵先生の論文を踏まえて、地域での「子育ての社会化」のシステムを地域福祉計画の中で同作るかが問われている。
旧来の療育、治療的児童福祉、要保護児童対策の児童福祉実践、研究から脱皮し、市町村における子育て支援の新たなシステムを々作るかを考えなければならない。
従来の地域福祉研究者には、子育て問題へのアプローチが弱いか、欠落している。
今季の地域福祉計画づくりがとても重要な機会である。

②『江戸東京野菜の物語』大竹道茂著、平凡新書
この本は、江戸東京の伝統野菜の復活について書かれている本であるが、その復活の過程において学校菜園は有効に使われており、ある種の福祉教育の機会になっている。“村を育てる教育”につながる実践である。
伝統野菜の復活は、地域づくりにも関わるもので、地域福祉の立場からも学ぶことが多い。

(2020年8月4日記)

 

老爺心お節介情報/第6号(2020年8月2日)

「老爺心お節介情報」第6号

Ⅰ 「日本語教育の推進に関する法律」令和元年(2019)6月28日公布

新型コロナウイルスの件で、様々な緊急支援が行われているが、その中で、従来あまり接点がなかったネパール、バングラディシュ、ボリビア等の在住外国人の方々からの相談が増大してきている。東京都社会福祉協議会等では、翻訳ソフトを活用して相談に対応してきているが、この機会に在住外国人の日本語能力やその子供たちの教育環境にも我々は目を向けて、教育行政や労働行政、危機管理の防災行政とも連携しつつ、今後の対応が求められている。

Ⅱ 「地域共生社会政策時代における地域福祉、地域包括ケア推進の10のポイント」

2020年度は、市町村の地域福祉計画の見直し、策定が、介護保険事業計画の見直しと共に展開される年度として取り組み始められている。地域福祉及び地域包括ケアを推進するのには何が必要なのかを、ある自治体の計画策定委員会に説明するために作成したものである。コンパクトに何が必要かをお互いに整理し、共有化させたいものである。

「地域共生社会政策時代における地域福祉・地域包括ケア推進の10のポイント」

2015年より厚生労働省で政策化が進められている地域共生社会政策は、我々日本地域福祉研究所が従来唱え、各地の市町村と協働して、開発、実践してきた「地域福祉」「地域包括ケア」の考え方及びシステムの具現化である。

(1)「地域福祉」とは、住民の自立生活(6つの自立要件――労働的・経済的自立、精神的・文化的自立、生活技術的・家政管理的自立、身体的・健康的自立、社会関係的・人間関係的自立、政治的・契約的自立――とその前提としての住宅保障)を基礎自治体である市町村を基盤に保障していく社会福祉の新しい考え方である。

(2)「自立生活」の保障の目的、内容は憲法第25条に基づく、“最低生活”の保障という“救貧”的考え方ではなく、憲法第13条に基づく、全ての国民が幸福追求、自己実現を図れるように支援するものである。
それは1995年、国の社会保障審議会の勧告でも提唱された考え方である。

(3)「地域福祉」を推進するためには、住民と行政との「協働」が欠かせない。したがって、住民参加による市町村の地域福祉計画づくりが不可欠である。
地域福祉計画は、従来の高齢者分野、子育て分野、障害者分野を統合的に地域福祉の視点を踏まえて策定すると同時に、健康増進計画や自殺予防、再犯防止、成年後見推進、農福連携等の従来の社会福祉行政の枠を超えて地域住民の健康と暮らしを守り、生きがいのある、差別・偏見のない、住んでいて良かったと思える市町村をつくる計画である。
できれば、策定された地域福祉計画の進行管理も含めて、日常的に市町村の社会福祉行政について討議できる、条例設置による「地域保健福祉審議会」(仮称)の設置が求められる。

(4)住民の自立生活を保障していくためには、戦後の社会福祉行政が行ってきた属性分野毎の縦割り福祉行政(高齢者福祉課、障害福祉課、子育て支援課等)を再編成して、住民の出来るだけ身近なところ、アクセスしやすいところで相談をたらい回しさせることなく、かつ子ども、障害者、高齢者、生活困窮者等区別なく、福祉サービスを必要としているすべての人及びその家族、「世帯全体」への支援を一か所(ワンストップ)で行える総合相談体制システムの構築及びその拠点整備が必要である。

(5)住民の自立生活を保障していくためには「地域トータルケアシステム」(地域包括ケア)という医療、介護、福祉の連携が欠かせず、医療機能の構造化と地域化(中核病院と開業医(かかりつけ医)との病診連携、開業医(かかりつけ医)と介護支援専門員、訪問看護、保健師、障害相談支援員等との連携)を日常生活圏域の地域包括支援センター単位で展開できるシステムの構築が必要である。

(6)住民の自立生活を保障していくためには、制度化されているサービスと近隣住民などによるインフォーマルサービスとが有機化される必要がある。
わけてもサービスを必要としている人を地域から排除せず、孤立させず、その人を支えるソーシャルサポートネットワーク(情緒的支援、手段的支援、情報的支援、人として認め、その人なりができる役割を遂行できるように支援)づくりが重要な機能となる。
これらの機能、活動を展開するシステムとして、先に述べた総合相談体制とリンクする形で、コミュニティソーシャルワークを展開できるシステムの構築が必要である。

(7)コミュニティソーシャルワークを展開できるシステムには、別紙に書いてあるコミュニティソーシャルワーク研修の要件を体得した職員の配置が必要である。
それは、地域という面を基盤して従来業務を展開してきた社会福祉協議会の職員がこれらの研修要件を身に付けて配属されることが望ましい。
そのためには、地域のニーズキャッチ(課題把握)機能、潜在化しがちな福祉サービスを必要としている人を発見し、つながる機能、自立生活支援に関わる生活福祉資金、成年後見制度、日常自立生活支援等の業務を担当地域ごとに総合的に対応できるようにするための社会福祉協議会の事務組織の改編が望まれる。

(8)「地域福祉」の推進には、相談の窓口、災害時の福祉避難所等において 社会福祉施設が大きな役割を果たせる。
施設を経営している社会福祉法人は社会福祉法により、地域貢献をすることが義務付けられているので、地域包括ケアセンター圏域ごとに施設連絡協議会を設置し、民生委員、児童委員や地区社会福祉協議会と協働して問題解決を図るシステムの構築が必要である。

(9)「地域福祉」は、街づくりにも貢献できる。空家を活用しての居場所づくり、障害者が農業分野で働く「農福連携」、社会福祉施設が日々使用するお米や野菜を地元農家と契約して使用する地産地消の活動等「福祉でまちづくり」という考え方が重要である。
そのために、商工会、JA等との連携が求めれる。

(10)単身高齢者、単身障害者が増大し、家族、親族に頼ることができなくなってきている状況を踏まえ、「最期まで、地域で暮らし、地域に見守られ、地域で看取られら地域生活総合支援サービス」の構築が必要である。

(2020年7月23日記)

老爺心お節介情報/第5号(2020年7月20日)

『老爺心お節介情報』第5号

『なぜ認知症のある人とうまくかかわれないのか?』石原哲郎著、中央法規、2000円

イギリスの故トム・キットウッド先生が提唱した「パーソン・センタード・ケア」の考え方を分かり易く解説してくれていますし、認知症に理解を深める二様が沢山書かれています。
私の「快・不快」を前提にした「求めと必要と合意」に基づく支援とも相通ずる考え方、実践が数多く紹介されています。
と同時に、マサチューセッツ工科大学のオットー・シャーマン博士の「U理論」や、スコットランドの「リンクワーカー制度」等が紹介されており、コミュニティソーシャルワークの考え方にも大いに参考になるものです。

(2020年7月20日記)

老爺心お節介情報/第4号(2020年7月14日)

「老爺心お節介情報」第4号

Ⅰ 令和元年度老人保健事業推進費等補助金 老人保健健康増進等事業

『介護ロボットの活用に向けた人材育成に関する調査研究事業』報告書
『介護ロボットを用いた介護サービスの質向上と業務効率化の指導――「介護ロボット・ICT使用コンサルテーション人財」のための教育ガイドラインーー』
社会福祉法人 善光会 令和2年3月
社会福祉施設に介護ロボットやリフト等の福祉機器をやみくもに導入しようとしてもうまくいかない。社会福祉施設自身が、業務の改善、品質向上への取り組みを行う中で、その課題に即した介護ロボットや福祉機器を導入した場合にはうまくいくということが事例を踏まえて書いてあります。

Ⅱ 『新版 隣保館運営の手引き』(全国隣保館連絡協議会発行、2018年9月)

同和地区、被差別部落と言われている地区において、コミュニティソーシャルワークへの関心と取り組みが始まっています。同和地区、被差別部落の地域改善の拠点になる隣保館の法的根拠や歴史、運営の指針等が良くまとめられています。、

Ⅲ 『高校福祉科』――資料の問い合わせ先 一般財団法人社会福祉研究所
「新学習指導要領に基づく福祉系高塔学校の教育実態に関する調査研究」、同ダイジェスト版

「福祉系高校を知る5つのポイント」
高校福祉科生徒の介護福祉士国家試験合格率87・8%/高校卒業後の就職先は、介護福祉現場が90・1%/就職者の地元就職率は90・3%/福祉・介護福祉・医療分野への就職定着率は82・7%/高校生の介護実習を受け入れた施設の86・2%が受け入れて良かったと回答。

※寸感(他人の土俵に乗って、相手の領域の問題で相撲を取れるように、意識して努力せよ)

救貧的な社会福祉制度に基づく支援を行っている際には、左程他の分野の動向に関心を寄せることなく、社会福祉制度に関わる政策をウオッチングしていれば、実践も研究も事足りた。この歴史が長かったので、今でも社会福祉学研究者、実践者の中には、社会福祉政策との関係だけで物事を考えている人が多い。
1980年代半ば、私は社会福祉研究者、実践家、社会教育研究者、実践家は“出されてきた政策には敏感であるが、政策が出されてくる背景には鈍感である”という指摘をしてきた。私は“出されてきた政策に敏感になるのは当然であるが、それ以上に出されてきた政策の背景に敏感でなければならない”と考えてきた。
しかし、いまや社会福祉は地域での自立生活支援を目的とするソーシャルワーク機能を展開する時代である。かつ、社会福祉政策も「地域共生社会」を創造するという社会哲学、社会システム、地域創生に関わる政策になってきている。
このような状況の中では、社会福祉学研究者、実践家はよほど関心と交流のウイングを広げないと時代に対応していくことができない。
私の恩師の小川利夫先生は、私に対し、視野狭窄、タコ壺論者と良く叱り、“他人の土俵に乗って相撲を取れるようにならなければ一人前とは言えない”といい、自分の土俵に相手を連れてくるのではなく、他人の土俵に乗って話ができるように、意識して広い他分野へ関心を持つ事を奨励した。私は、当時、自分の分野さえもカバーできないのに、他分野まではとてもと思いつつ、他人の話題に付いていこうと背伸びをしていた時期があった。
今の「地域共生社会」政策時代にあっては、地方自治論、地域経済論、都市計画論、社会システム論等の知見や研究動向も踏まえなければならない時代になってきている。
そのような中、“地域福祉”関係者は、必ずしも社会福祉施設関係者と連携、協働ができていたとは言えなかった。ここにきて、社会福祉法人の地域貢献の急速な展開の中で、社会福祉施設関係者と連携、協働が求められているが、“地域福祉”関係者はどれだけ社会福祉施設、施設を経営する社会福祉法人の状況を理解しているのであろうか。
社会福祉法人の地域貢献を声高に言うのではなく、施設法人が現在どのような課題に直面し、苦労しているのかを真摯に、謙虚に学びながら施設法人と社会福祉協議会、民生委員とが協働することが「地域共生社会」政策の具現化に繋がることになる。

(2020年7月14日記)

老爺心お節介情報/第3号(2020年6月29日)

「老爺心お節介情報」第3号

Ⅰ 一般財団法人長寿社会開発センター『生きがい研究』第26号(令和2年3月刊)

「独居高齢者の社会的孤立の課題と予防方略における精査の検討」
田高悦子(横浜市立大学病院医学研究科地域看護学分野教授)
「都営住宅における高齢者が感じる孤独死の不安と孤立化の現状に関する研究」
福島忍(目白大学人間学部人間福祉学科准教授)
「高齢者の社会関係と生きがいとの関連を改めて考える」
澤岡誌野(公益財団法人ダイヤ高齢社会研究財団)

高齢者の孤立の問題、一人暮らし高齢者の生活支援のあり方、介護予防等の施策が進められているが、どうみても縦割り行政である。地域福祉関係者はもっと市町村の社会教育の動向、保健分野の介護予防の動向に関心をよせ、出来れば一体的に取り組む可能性を探っていく必要がある。
私は、1985年に『高齢化と教育』(中央法規、室俊司共編)で、“高齢社会を共に生きる”ためには、教育、社会福祉、保健の横断的対応、世代交流を含めた対応の必要性を指摘したが、研究関心、実践動向はその当時より“縦割り”になっていないか。
また、1992年に「高齢者の生きがい対策に関する調査研究」(調査主査・千葉和夫日本社会事業大学教授)を行い、高齢者の生きがいと社会参加の重要性を論じている。
更には、1994年に東京都議会事務局の『調査資料77』の資料作りを担当し、かつ「高齢者の健康・生きがいづくりと地域自治体の役割」を執筆し、社会福祉の自立概念の再検討、「第3の人生」のライフ、福祉コミュニティの形成における高齢者の役割等について論述した。
1990年前後における“高齢社会対応策”に比し、今日、地域共生社会づくりといわれながら、地域福祉分野での論説は“視野が狭すぎる”のではないか。上記に挙げた文献の内容には必ずしも賛同しないし、評価もしないが、地域福祉関係者の視点を拡げておくためにもそれらの文献にも“目を通す”必要があるのではないだろうか。

(2020年6月29日記)